Coolier - 新生・東方創想話

天職を転職 後編

2004/08/21 16:54:36
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もう、いつかも思い出せないほど昔の話。
ある蛙が湖にいた。
ごく普通の、なんの変哲もない、ただの蛙だ。
ただし、ひとつだけ異なっている点があった。
それは、とてもとても長生きであったことだ。
子が産まれ、孫が産まれ、そのまた孫が産まれてもまだ生きていた。
ここまで長生きだと尊敬もされる。
なにせ長生きなだけあって、この蛙に知らないことは(蛙世界内では)無かったのだ。
蛙は湖内における王や長老のような役目を果たしていた。
なにか困ったことがあると、皆が相談に来た。

――くいもんがねえ。ちょうろう、どうしようか?
――――ばしょがわるい、もうちょっとみなみのほうへいけ。
――みなみってどっちだ?
――――あっちだ。
――ああ、あのたいようがのぼるほうこうな、わかったわかった。

このように、微妙に的確に答えていた。
微妙に間違っていたとも言う。
長老としての権勢は磐石であり永続するとさえ思えたが、ある日、あっけなく崩壊した。

「ああ、もうまた失敗!」

とある氷精が、自分たちを標的にし出したのだ。
なぜかその氷精は、意味も無く蛙たちを凍らせた。
万に一回、偶然に帰ってこれた者は、「おれがいきかえると、よろこんだ」という、混乱に拍車を掛けるようなことを言った。
生き返ると喜んだ?
あの氷精は自分たちを虐殺してるのではないのか?
蛙たちは長老に答えを求めたが、長老にもなんのことだかさっぱりだった。
こんなことは長い人生の中でも経験したことがない。
理由も意味もわからないまま、蛙たちは減少し、絶滅の危機にまで追いやられた。
生き残っているものたちは散り散りになり、一箇所に固まって滅びる愚策を避けた。

――――なんたることか。

長老は嘆いた。

――――まごも、ひまごも、やしゃごもしんだ。
――――いきのこったものも、きっと、ながくはない。
――――かえるは、このままほろぶうんめいなのか……?

長老はいつまでも嘆き悲しんでいたが、ふと、いにしえの記憶が甦った。
唯一当てにできるもの、蛙たちの盟友だ。
紅魔館とやらに住むものたちではない。
彼らは自分たちと話をすることもできはしない。
頼れるのはこの湖に住む者。
同じ住居で生活を供にする者。
しかも、長老と同じ『特殊』な者。
長老が『くろわたさま』と呼ぶ、毛玉たちの王だった。


――――くろわたさま、どうかわたしのねがいをきいてほしい。




+++




「さあ、キリキリ吐きなさい。主犯は中国ね?」

紅魔館の一室、何故あるのだか誰も分からなかった部屋が活用されていた。
そこは牢獄のように暗く、狭く、あまりに殺風景だった。
薄汚れた壁染みが、うらぶれた雰囲気を増加させている。
部屋にあるのは机が一つ。
横にはスタンド型のライトが設置されてた。
――まあ、簡単に言えば、よく刑事ドラマなどで見かける『あの部屋』である。
カツ丼と暴力刑事と「仏の○○さん」がセットで洩れなくついてくる、『アレ』――取調室だ。
グルグル巻きに縛られ、座らさせられているチルノ、その対面で、十六夜咲夜は鋭利な笑顔を浮かべていた。

「違うわよ! わたしが勝手にしたんだってば!」
「まったく意外だったわね、よくあるパターンだけど実際にされると有効ね、『誰も考えていなかった、意外な犯人』っていうのは」
「中国は関係ないの! というかアンタたち、酷いんじゃない! いきなり中国を首にするなんて!」
「一尺八寸の虫にも五分の魂、だったかしら? どんなものも軽視してはいけないってことかしらね……」
「ちょっと! はなし聞いてる!?」

後ろの方では書記役のメイドたちがヒソヒソ話をしてた。

「ねえ、咲夜様って、最近、推理小説にハマってるって本当?」
「本当よ、それも刑事モノね」
「あ、やっぱり? この部屋も改造したのは最近でしょ?」
「うん、そうそう。嬉々として作ってたわよ」
「うわあ、そんなことするなら私たちの給料、上げて欲しいわよね」
「うんうん、無駄なところにお金つかってるよね」

しゅかん、とナイフがメイド二人の間に突き刺さった。
ちなみに、咲夜はチルノに向き合ったままだ。二人の方を見もしないで放ったナイフだった。
――当たっても構わないということなのだろうか?

「…………そこ? 何か言ったかしら?」
「「はい! いいえ、何も言ってません!」」

メイド二人が揃って言った。
軍隊式の、『上官には必ず肯定してから言葉を言う』方式だった。
踵をそろえ、一部も隙もなく敬礼する様子はかなりの教育を感じさせた。

「そう、気のせいならいいわ」
「「…………」」

むしろ優しげな笑みを咲夜は浮かべていた。
見る側からすれば、それは恐怖でしかない。
今は真正面にいるチルノが一番恐怖してた。

(これって、ひょっとして『おーぼー捜査』とかってやつなんじゃ……)

チルノはそんな連想をした。
犯人が自白するまで続けられるというあれである。
直立して微動だにしないメイドを見てると、あながち勘違いとも思えない。
机を挟んで前にいるのは刑事兼判事兼裁判官だった。
望む答えが返ってくるまで、この『捜査』は続けられそうだった。


+++



「うう、嫌だなあ」

中国は迷っていた。
この後に及んでも決心がつかない。
いや、自分の中で決断はしたが、身体がそれに応えてくれない。
博麗神社の石段を降りるのも一苦労だ。
――つい先ほど、そう、ほんのついさっき、霧雨魔理沙が「なあんか、紅魔館の方が騒がしいぜ、どうもピンチらしい」という情報を知らせにきた。
霊夢と一緒に縁側でお茶していた時だ。
あまり茶飲み話としては相応しくない。
午後のほんわかした空気の邪魔をしてる。
だが、まあ、それだけならば「めでたしめでたし、良かった良かった」と茶を飲み、「悪は滅びたのね」と呟くだけなのだが、さらに「あと、なんかチルノのやつが連れ去られてたぜ、殺意満々のメイド長に連れられて」という言葉を聞くに及び、他人事ではなくなった。
チルノは、中国にとって数少ない友達だ。
少なくとも中国本人はそう思っている。
義に生きる女、中国は聞いた瞬間、ものも言わずに飛び出した。
友を裏切るという選択は彼女にはない。
チルノは、たまに怪しい目で見てきたり、鼻息が荒くなったり、女性同士が結婚できる国の詳細なレポートを見せにきたりするが、友達だ。
チルノが泊まりにきた日に限って、下着がニ・三枚なくなっていたり、当然のように一緒に寝ようとしてきたり、「看病するから風邪ひいて!」と冷気を吹き付けたりもするが、それでもやっぱり友達である筈だ。
凍らせて復活させた蛙に『中国3号』とか『恋愛成就』とか名前をつけてるのも見たが、あれもきっと他意はないに違いない。
「もうすぐ、もうすぐだよ!」と一人で拳を握り締めてお星様に誓っていた姿は、決して『中国を凍らせて独り占めにするんだ!』という誓いではない筈――

「……なんでだろ? 行く気力が失せてきてるような……」

場所はいまだ博麗神社階段の中腹だ。
ある程度はテンポよく降りていた足が、ピタリと止まる。

「えーと」

よく冷静になって紅魔館にいる面々の姿を思い出してみた。
先ずはヴワル図書館から滅多に出ないとはいえ、絶大なる力を持つパチュリー。
その知識は全てを網羅し、病弱であることさえ除けば、ほとんど無敵だ。
知識に知識を積み重ねた鉄壁さは、生半可な攻撃では突き崩せない。
正直、彼女だけでも中国の手に余る。

「あー……」

次に思い出されるのは、地下室に閉じ込められてはや495年、この度、無事に出所したフランドール・スカーレット。
その破壊力は反則的、その上、分身をするわ姿は消すわで、意外なまでにバライティーに富んだ攻撃を繰り広げる。
その姉上であるレミリアに至っては、『運命』なんていう良く分からないものまで操る。
弾が当たるのも運命と言えば運命だろうし、誰かが誰かに勝つというのもやっぱり運命だろう。
つまり、これは『レミリアには絶対勝つ事ができない』ということにはならないだろうか?

「むむ……」

まあ、だが、あの紅白と白黒はその運命に勝った。きっと、なにか抜け道があるのだろう。
あの姫様は、なにかと本気をださない節がある。
それよりも何よりも、一番敵に回してはいけないのは――

「咲夜――――様」

そう、紅魔館の実質的な顔役、メイド長たる十六夜咲夜こそが一番の強敵だった。
なにせ、彼女には隙がない。
強者だけが持ちうる『余裕』、もしくは『隙』を極力排除してる。
これは生半可な力の持ち主を相手にするより辛い。
妹様を相手にした方が、実はまだしも勝機があった。
どれだけ精緻を極めた攻撃ができても、その射手の心には隙がある。
例えば、黒帽子と黒装束を着用して特攻すれば、勝率を『万に一つ』から『百に一つ』にまで上げられることだろう。
だが、十六夜咲夜には、そうした類いの隙が何ひとつない。
完全なる従者は、やっぱり完全だった。
ふんぞり返ってる王様よりも、神経を尖らせ続ける兵士の方が戦いたくない相手なのは明白。
油断を敵が持っているからこそ、弱者が勝てる余地がある。
にっこりと笑いながらも警戒を怠らず、ナイフを構える咲夜の姿が思い浮かんだ。

「うわあ」

紅魔館のイメージが、中国の中でどんどん巨大化した。
難攻不落の最終ダンジョン、待ち受けるのは最強クラスのボス四人。
戦うのはレベル1で初期装備の、ぺーぺーな冒険者。『皮の服』と『ひのきの棒』だけが心の友。
そんな気分だ。
無茶とかそういったレベルではない、『ダンジョン、何歩まであるけるかな♪』という世界。
敗北はもはや当たり前、いかに生き残るかだけが問題だった。
――ふと、後ろを振り返ってみる。

「…………」

青空を四角に切り取る鳥居、その中に博麗神社の屋根が辛うじて見えた。
平和で安全な、とても暖かい場所だった。
世の中、捨てたもんじゃないと思えた。
人の情けが身にしみた。
朱い鳥居の先には、いまもあの巫女がお茶をすすってることだろう。
ここで引き返せば、何気ない振りをしながらも歓迎をしてくれるはずだ。
男気溢れる女、霊夢。その懐は意外と深い。
でも、

「そんな資格、私には無いし――」

洩れ出た言葉に意味はない。
彼女自身、なぜ言ったのか気が付かなかった言葉。
だが、なにかが中国の中で吹っ切れた。
空を見上げ、両頬をぴしゃんと叩く。

「うし! 行ってみよう!!」

自分を鼓舞しつつ、空中へと飛ぶ。
そこに迷いは微塵も無かった。



+++


「あー、いいのか?」
「何がよ」

茶を飲み、『何も気にしてない』という体勢を霊夢は取っていた。
横では魔理沙が、飛び去っている中国を指差している。霊夢がきちんと正座なのに対して、こちらは縁側の外へ足を出し、ぶらぶらとさせていた。

「あの不幸娘だよ。あのまま行かせるのか? なんにでも首を突っ込むお前にしては珍しいじゃないか」
「それはあんたのことでしょうが。わたしはちゃんと節度をもって首を突っ込んでるわ」
「ちょっかい出すのに節度もなにもないぜ? ったく素直じゃないな」
「あんたみたいに三回転半はひねくれてるような人間に比べれば、大半の人間は素直なはずよ」
「なにおう、レーザー光線のように真っ直ぐだと謳われた、この私に向かっての台詞か、それは」
「真っ直ぐなのは攻撃だけでしょ、あんたの場合」
「ほほう、そう言うか」
「何よ」
「ふふん」
「ヘンな笑い方やめなさいよ、気味悪いわよ?」
「その湯のみ」

ビシリと、霊夢の持っているそれを指し示す。

「中身が無くなってから何回飲んでる?」
「12回よ」

即答だった。

「…………数えてるのかよ」
「乙女のたしなみよ」
「どこの幻想郷のたしなみだ、それは」
「幻想郷は博麗神社、そこに住むちょっとばかり可愛い巫女のたしなみよ」
「へーへー、そうかい」

魔理沙はそっぽを向いた。
そのまま、あお向けに寝転がり、ふて寝を始めた。
霊夢は空湯飲みから酸素を飲んみ込んだ。13回目である。
中身に入っていたものは、中国が淹れてくれた『美味しい安物茶』である。

「それに、ね」
「ん?」
「このまま行かせた方がいいような気がするのよ、なぜか」
「おお、神社巫女のご神託か、ありがたやありがたや」
「…………そのうち祓い殺すわよ? 魔理沙」
「そのうちっていうのは、永遠にこない日のことを言うんだぜ? 霊夢」

殺伐とした空気が満ちつつあった。


+++


ぽこんぽこん、と泡立っていた。
太陽に照らされ、鏡面の輝きを見せる湖、その一角に申し訳なさそうに存在する『毛玉』の群れ、それが泡立っていたのだ。
せいぜいがプール一杯分といった量だが不自然だった。
四方八方から吹き付ける風がなければ、毛玉が紅魔館近くにいる理はない。
自ら意識しなければ、毛玉は集まる事さえもないはずだった。

――困ったなあ。

毛玉の王、『くろわたさま』は考える。
蛙の長老と大分前に約定を交わした。
記憶が霞むくらいだから、かなり昔だろう。
具体的には3日前程度だろうか?
その約定とは『この湖に棲む氷精を、こらしめてほしい』というものだった。
その時は重々しく『了解した』と返答したのだが、あまり積極的に行動するつもりは無かった。
だって、毛玉は平和主義者なのだ。
渡る風に乗って吹かれ行くまま、それが毛玉の生き様だ。
たまたま風の先に人間やら妖怪がいたりしても、それは不幸な出来事であって、自ら戦闘を望んでいるわけではない。
だからこそ、『その機会に恵まれれば』との言葉を付け足した。
正直、気分が乗らなかったのだ。
この条件を加えれば、しなくてもよくなるだろうと思っていた。
チルノと呼ばれる氷精は知っているが、この広い湖で出会う確率は少ないし、その時、配下である『毛玉』が充分量、揃っていなければ、『機会が無かった』ということにするつもりだったのだ。

――――困った。

ところがどっこい、どうも世の中そんなに甘いわけではないようだ。
目の前に見えるのは紅魔館、そこに氷精が連れ込まれるのを目撃してしまった。
周囲を見れば、充分すぎるくらいの毛玉がいる。
昨夜ほどではないものの、『くろわたさま』が力を振るうのには支障のない分量だ。

――本当に、困った。

条件が揃ってしまった。
どうも倒さなければいけないらしい。
そう溜息を吐き出した。

めんどくさいなあ、と思いつつも、『くろわたさま』はその力を行使した。
泡立っていた毛玉たちが上方へと『盛り上がる』。
分裂に分裂を重ね、不恰好ながらも形を作ろうとする。
パキパキと音をたて、生きているものには不可能な速度で増殖する。
太平な青空の下、膨れつづける様子は不気味の一言だ。
鍋から吹きこぼれる泡のように、湖上を再び覆おうとした。

――だが、前とは違うところが一つあった。
毛玉たちは、ある一定の広さまで広がると、今度は自立的に直角に曲がった。
ガラスの円筒があり、そこから先には行けないのだとでも言うように、全部の毛玉が綺麗に回転する。
増え、広がるのに、場所を狭めれば、当然、毛玉たちは上に行くしかない。
洗濯機の中身を取り出したかのような、『円筒内で回転する毛玉』が出現した。
端から見れば、不自然に回転する塔が見えただろう。

中心では、ゆっくりと何かが息づき始めていた。


+++


――――その様子は、紅魔館の取調室内からも見えた。

「…………」

――なにあれ?
ブラインドの隙間をちょっと広げ、咲夜的に『ちょっとカッコいいベテラン刑事』を演じつつ、そんなことを思った。
これからチルノに対し、『田舎に住む、おふくろさんが泣いてるぞ』と、泣き落としに入ろうとしてたのに台無しだ。
妖精に親はいないだとか、チルノは、ここの湖で生まれであるなんてのは考慮しない。
『紅魔館周辺に広がる大自然が泣いてるぞ』ではサマにならないし、番組が違う。すくなくとも刑事モノには絶対ならない。
――思う間にも円筒の毛玉は、その高さをどんどんと吊り上げていた。
中心には何やら黒い輝きを放つ、不審な物体も見えた。
恰好だけで持っていた煙草がポトリと落ちる。
夜間の悪夢が甦った。
あの雲海だ。

音を立てて振り返る。
身体全体でザッ!と。

「?」

チルノが、拘束されたままだった。
不機嫌そうな顔をしながらも、片眉を上げ、疑問を表している。
なによ、このメイド? といった様子だ。
どうやら犯人ではなさそうだ。
前回の原因が、今回の異変の原因とは限らないということだろう。
下手人がこんなに呑気にしてるはずもない。

「なに? どうしたのよ」

チルノは尋ねるが、それには答えない。
厳しい顔で回転し、再びブラインドの隙間から覗く。
何よりも、状況確認が最優先だ。
相手が攻撃するかどうかさえ、まだ分からないのだから。
毛玉の群れが、なんとか形を整えつつあった。
回転が止まり、早送りの形成がなされる。
勇壮な四肢が湖を踏み締め、
巨大な体躯が出現し、
水性を表す肌が作り出される。
紅魔館よりも確実に大きい。
馬鹿でかい、あまりに大きすぎる口は、人間なんか1000人単位で食べれそうだ。後ろ足は力強く、跳躍力の高さを暗示してる。

――――まあ、つまりは、巨大な毛玉の蛙がいた。

白く、艶やかでいながら規格外に巨大な様は、ある種の神聖ささえ感じさせた。
人間の限界を超えた姿だ。
咲夜の脳みそはショートして吹っ飛ぶ。
遠近法を無視した光景だ。
ただ呆然と見るしかない。
蛙は口を大儀そうにあけると、のっぺりと大きな舌を出した。
つぶらな瞳で狙いをしっかりと定めると、ベロを弾丸の速度で伸ばした。
衝撃で大気が鳴り響き、湖を二つに割りながら紅魔館まで直進する。
大きすぎる舌は細くなりつつ、咲夜のいる取り調べ室まで突入した。

「!」

紅魔館に張られた結界がほんの一刹那、抵抗したが無駄だった。
取り調べ室のガラス、ブラインドもろとも白槍となった舌が貫く。
咲夜が避けられたのは、彼女が時を止めたからにほかならなかった。
身体を捻った横を白槍は行く。
そのまま身動きの取れないチルノのすぐ傍らを通り抜け、背後の壁をぶち破り、廊下を蹴散らし、間の全ての部屋部屋を壊し、紅魔館の反対側まで突き抜け、ようやく止まった。

「――――へ?」

チルノはそれだけを言った。
衝撃で拘束が解けているのにも気がつかない。
書記役メイドの二人もまるで動けない。
事態を把握できていないのだ。
唐突に『白い何か』が窓の向こうから来た。そんな程度しか認識できない。

「警戒態勢『甲』!!」

崩れた体勢のまま、咲夜が叫ぶ。
最上位の警戒を呼びかける言葉だった。
メイド二人が命令遂行のため、反射的に立ち上がった。
だが、同時に紅魔館を貫く舌も崩壊した。
白槍は唐突に元の素材を思い出し、毛玉の姿を取り戻した。
大小種類も様々な毛玉が室内に満ちる。カマキリの卵を1トンやら2トンの単位で孵した有様だ。

「うわ!」
「ひょえ~!?」
「な、なに!?」

生理的嫌悪感と驚きで、三人は慌てふためいた。
無理もない、引いて当たり前の光景だ。

「ぼさっとしない! 混乱しない! 早く皆に伝えなさい!」

鋭く命じつつ、咲夜は自分とチルノ、そしてメイド二人に群がろうとしていた毛玉を瞬殺した。
投げたというよりも、周辺の壁、机や家具に毛玉の突き刺さったナイフが出現した、そうとしか思えない凄まじさだった。
その速度は、かき鳴らされた衝突音と、室内を吹き荒れる突風しか証明しない。

「「りょ、了解!」」

声を揃えて返答し、メイドたちは去った。
慌ててはいるが、ほどなく全員に伝わるだろう。その程度には二人とも優秀である。

「さて――」

とりあえず屋敷は大丈夫だ。
次は身の回り、このふよふよ室内を漂っている毛玉の対処だ。
咲夜は鋭い目をより細め、室内の毛玉を『視た』。
瞬間、時は動くのを止め、毛玉は空中に縫いとめられた。
あらゆるものが動かぬオブジェとなる。
チルノは両手を振り回す姿で固定され、落ちようとする窓ガラスは停止する。
こうなると仕事は簡単だ。
彼女は片手間に毛玉を殲滅しつつ、紅魔館内部の様子を窺った。
昨日の襲撃が『圧倒的物量による殲滅作戦』なら、今回のは『内部に兵を送り込む奇襲戦』といった所だろう。
効果はかなり高い、館内部では系統だった行動をとれていないようだ。
右往左往する様子がよく分かる。

「ふう」

時を戻す。
室内の毛玉が、完全に同時破裂した。
大きな破裂音が一回だけ鳴る。
これでしばらくは持つはずだ。
咲夜は、紅魔館の前に陣取っている蛙の化け物を睨みつけた。
混乱の様子は分かったが、それでも内部は放っておいても大丈夫だろと判断した、働ける人数こそ激減しているが、毛玉に遅れをとるような教育はしていない。
成すべきことを伝えれば、あとは各々が判断して行動する筈だった。
白蛙が『ぬぱ』っと口をあけた。
他を圧倒する声が響く。

『要求、するよー?』

意外なほどに高い、子どもの言葉が紡がれた。
つぶらな瞳を持つ蛙としては相応しいが、紅魔館よりも巨大なバケモノとしては相応しくない。

『そこにいる氷精を引き渡して欲しい。それで僕はここから帰る。もし、嫌なら、この館を壊して捜すよ。それは嫌だよね? 僕も嫌だ。だから素直に渡してくれると嬉しい――』
「ふえぇ!!!???」

この言葉に一番驚いたのはチルノだった。

「ちょ、ちょっとなんでよ!!?」

室内に籠ったまま叫んだ。さすがに窓の外に顔を出すようなことはしない。
そんなことをすれば拉致られるのは確実だった。

『……たのまれた――』

わずかな逡巡を挟んで、蛙は返答した。
不機嫌と不本意を混ぜ合わせた声だった。

『友達の家族が、そこの氷精に虐殺された。ジェノサイドだ。だから僕はこの姿であらわれたんだ――』
「は、はい!?」

チルノは敵をじっと見てみる。
よく観察する。

「あ、あー……」

良く見なくても、毛玉の塊は、蛙にしか見えない。
なんとか他のものに見えないかなと試してみるが、無駄だった。
ロールシャッハテストではないのだ、それ以外のものは連想さえ難しい。
これぞ蛙。まさに蛙。蛙な姿をした蛙っぽい蛙だ。
そう、チルノが日々、『実験』をしてる相手だ。

「……ひょ、ひょっとして。ひょっとする?」
『――――』

要領を得ない質問には、無言の圧力だけが返された。
「だから、そう言ってる」といった様子だ。
そういわれてみれば、ずいぶん『実験』したなあ、とチルノは思い返した。

(一日にあんだけ『実験』して、成功したのがあれだけだから……)

指を折って数えてみる。
なんと恨まれて当然な数字だった。
この湖がどれだけ広くても蛙は絶滅してるだろうなあ、という数値。
チリも積もれば山となる、賽の河原で積み上げられた小石がバベルの塔だった。
それは既に天まで届いてる。

「あのう……?」
『引き渡してよ――』

声はかん高く、だが圧倒的な威圧感をもって、毛玉蛙は要求した。
チルノは恐る恐る、十六夜咲夜を窺った、無表情に腕を組んでいる様からは、どんな温情も期待できそうに無い。

「――――」

咲夜は考える。
貧乏揺すりをしながら思考を展開する。
現在、紅魔館の戦力は激減してる。
パチュリーは喘息と心労が祟りベットから起きることもできない。
レミリア・フランドール両名は地下の棺桶で休息中。遅くまで弾幕を張っていたので起きる事もないだろう。
魔書・子悪魔・メイドたちのほとんどは、疲れきっていて活躍を期待できない。
つまり、まともに働けるのは咲夜ひとりだけ。
他は防衛するだけで精一杯だろう。
紅魔館を守る、それだけを考えるのなら、ここはチルノを引き渡すべきだ。
他の選択肢は考えられない、『量』はやはり『力』だ、雑魚である毛玉でさえあれだけ集まれば力を持つ。この蛙に至っては館を貫くほどの攻撃力を秘めている。
咲夜一人で退治するだけ、というならともかく、紅魔館を攻撃に晒さないようにしながら退治するとなると、相当に分が悪い。
現実を見据えるのであれば、合理的な判断を取るのであれば、『最小限の犠牲で済ませる』のが得策だ。
犠牲が一人でいいなんて破格な話だ。
敵戦力は強大であり、しかも、高速で増殖も可能な様子。
これでは一人対無限数なんていう、無謀な戦いとなってしまう。












「ハッ」



――だからどうした?

咲夜は、笑い飛ばした。
――充分すぎるほどの戦力だ。
この館を、主人を守る。
十六夜咲夜は、そのための存在だ。
敵の過多に強大さ、状況の厳しさ、敵の正当性、味方の少なさ、一人しか戦えない不利、一切合財問題ない。
ここにいるのは十六夜咲夜だ。
そこに合理は無かった、ただ誇りだけがあった。
あの毛玉蛙はよりにもよって『紅魔館を壊す』などとのたまった。
これに屈し敵の風下に立つなど、従者としてもメイド長としてもあり得ない。
それは咲夜が咲夜であることを否定する行動だ。
口の端を吊り上げた。
皮肉気な笑みを浮かべながらも、割れた窓から飛び立ち宣言する。

「蛙風情が何を言ってる? この紅魔館相手に脅しだと? 寝言は寝てから言え!」

そこにいるのは、決意を秘めた、ただ一人の人間だった。


+++


『交渉決裂、だね――』
「そもそも交渉の余地がないのよ、あなたは既に紅魔館を破壊した。それなら返礼をしなきゃ、無作法ってものでしょう?」
『いえいえお構いなく――』
「あいにくね、無理矢理にでもお礼するわよ」
『それは俗にいうお礼参りってやつじゃ――』
「違うわね、これは紅魔館では『礼儀正しい態度』って言うのよ」

咲夜は足を進めた。
湖の上を、なんの苦も無く歩く。
水面に、蛙とメイドが映し出された。

『そうなんだ。なら――』
「ええ、これ以上は――」

毛玉蛙が低く身構え。咲夜がナイフを出現させた。
一人と一匹の声が揃う。

『「言葉は無用! 弾幕あるのみ!!」』



――――そこからは超高速で事態が進んだ。
まず、ナイフが蛙の周囲に『出現』した。
跳びかかろうとする動きより、何倍も早い。
『くろわたさま』から見れば、攻撃直前にナイフで出来たドームに閉じ込められた感覚だ。
咲夜の掛け声と共に、それらは『閉じる』。
逃げ場所などありはしない、出口なんていう親切なものは付けられていない。
作ったとしても巨大な蛙の躰での突破は無理であったことだろう。
何も出来ないまま、ナイフ数千本に躰を貫かれ――――

「な!?」

――――ることは無かった。
紅魔館を貫いた舌と同じように、毛玉蛙は崩壊した。
不定形にゆらゆらと揺らめき、攻撃を無効化してしまう。
そう毛玉は平和主義者。風に流されるままの生き様。『くろわたさま』に強化された毛玉は、ナイフが纏う風にさえ流された。
ナイフは例外なく毛玉蛙を通過し、湖面を波立たせることしかしない。
唖然とする咲夜を、『くろわたさま』は見逃さなかった。
つぶらな瞳を光らせると、不定形な躰から幾つもの毛玉を飛ばす。
『くろわたさま』ほどではないが特別なもの。『弾丸を出せる毛玉』だった。
先ほどのお返しとばかりに咲夜の周囲にドーム状に展開。弾丸を盛大に吐き出す。

「くっ!」

それらを当然のように避けながらも、咲夜は困惑した。
己の攻撃が無意味であったのだ。
『攻撃を無効化』する相手に勝つことは不可能だ。
手詰まりというほどではないが、打てる手が大幅に減ってしまった。

『――――』

一方の『くろわたさま』の側も楽なわけでは無かった。
相手は攻撃のなにもかもを避けている。
放った弾幕は余裕で避けられ、飛ばした毛玉は瞬殺され、伸ばした舌は切断された。
時に別の場所に瞬間移動し、時に毛玉が激減する。
『絶対回避』――
こちらの『攻撃無効』に対して、相手が持っているのがそれだった。
とにかく攻撃が当たらない。
まるで処理速度をわざと遅くしてゲームをしてるへタレプレイヤーのような卑怯さだ。

(『だけど――』)

不利は敵も同じ。
無駄に弾幕の応酬をしているようで、『くろわたさま』はきっちり計算してた。
むしろ長期戦になれば、数で勝る毛玉が有利。スタミナはいくらでも、無尽蔵にある。
相手だって永久に『避け』られるはずはない、いつかはミスをする時が来る、と。

「くっ」

果たして、その時は訪れた。
しびれを切らしたメイド長が、無策とも思える突入をしたのだ。

(『やった!!』)

こころの中で快哉を叫びながら、全力で弾幕を繰り出す。
時を止めても避けられない、それこそ『攻撃無効』にでもしなければならないほどの弾幕量。
タイミング、威力、速度、全てが完璧だった。
上下左右、あらゆる角度から繰り出された渾身の攻撃だった。

『!?』

なのに――
それなのに――
完全にピンチである筈なのに――――
十六夜咲夜は嗤っていた。
とても楽しそうに。
とても可笑しそうに。
毛玉たちの無知を、過信を、失策を嘲る笑みだった。
会心の一手に嵌ってくれたことを賛える笑み。
その口から言葉が漏れる。
手元のスペルカードが力を乱舞させる。


――プライベート・スクウェア――


『空間』が広がる。
時間が歪む。
咲夜だけの世界が、すべてと切り離されてそこにある。
四方を囲む毛玉たちは『壁』を見た。
何色と表現できない、ただ空間の色としか言うことのできない『壁』。
すべての弾幕は、その壁に弾かれ消えた。

「はぁ!!」
『!!』

そして、弾くだけでは終らなかった。
その『絶対の壁』を引き連れたまま、咲夜はなお直進した。
高速回転するミキサーがそうであるように、周囲を削り壊しながら突き進む。
防御も反撃もできない、『絶対の一撃』だ。
空間を相手にしては、どんな構造物でも防御しきれない。
硬さなぞ、そこでは意味を消失する。

『ま、まだだ!!!』

『くろわたさま』は諦めなかった。
意外に往生際は悪い。
敵の攻撃範囲よりも更に広く、毛玉を拡散させようとした。
防御できないのであれば避ければいい、蛙の姿を崩し、ドーナッツ状に広がろうとしたのだ。
だが、そこに『待った』がかかった。
標的であった筈の氷精の声が、絶望的なまでに大きく響く。


――パーフェクトフリーズ!!!――


拡散に歯止めがかかる、これ以上広がることができない。動くこともできない。

「これで動けないでしょ!!」

紅魔館の窓中から、チルノが叫んだ。
巨大な氷の塊に閉じ込められ、一時的に動きを封じられる。
その一時は、あまりに重大な一時だった。

『あああああ!!!!!!』

絶望的な攻撃が、『くろわたさま』のすぐ目の前にまで迫っていた。


+++


「うわ……」

チルノは思わず呟いた。
予想外の破壊力だった。
チルノ自身が行使した力ではない、紅魔館メイド長が使った力のことだ。
まっすぐな、道ができていた。
湖が二つに分かたれ、その先の森にまで道は続いていた。
亀裂が余りに深すぎるのか、水がごうごうと音を立てて流れ込み、一向に満タンになる様子を見せない。
道の基点付近では、十六夜咲夜が跪き、肩で呼吸をしていた。
一応、空中に止まってはいるが、披露困憊であるようだった。
チルノの視線に気がつくと、彼女は力なく片手を上げ、口の端を吊り上げて微笑んだ。
チルノも微笑み返し、手をぶんぶん振る。
なんとなく、仲間意識のようなものが芽生えていた。


――後ろからコトリと、物音がした。
もう危険はないだろうとは思ったが、一応、振り返ると――


「あ、中国」


虚ろな瞳をした、いつもと様子の違う中国が、そこにいた。








執筆が遅くなったのも、無意味に話が長いのも、なんだか当初の予定から30度くらいずれた地点に突き進んでるのも、中国の出番が少なすぎなのも、咲夜さんが主役っぽいのも、『あれ? 中編とこの後の終編をつなげても意味通るっぽい。後編の存在意義ないじゃん』なんてことも――――

ぜんぶぜんぶ、多分、チルノが悪い!!

あー、遅くなりました。後編です。不安的中、終ってません。つづきがあります。
でも、本当にチルノを登場させたお陰で物語が脱線、脱輪、脱獄しました。
当初の予定では、中国クビ→毛玉が原因不明の大量発生→実は門番である中国がいなくなった為→中国の価値を再発見。みたいな『ちょっといい話』を狙ってたんですが、今となっては遥か彼方、どこにいったんだあのストーリー! って感じです。

ふと気がつくと、目的地を大きく外れ、現在どこにいるんだかさっぱりな航海士の気分です。
プロットとか、やっぱり大事な模様。
登場人物の行動、その矛盾を消すために、ここまで物語が変化するとは思いもしませんでした。
たとえばチルノ、そういえばチルノ、具体的にはチルノ。

てなわけで次は『終編』です。
そんな日本語は存在しないとかいう話は却下の方向で。
nonokosuの内部世界では『後編』の次は『終編』なのです。
nonokosu
http://nonokosu.nobody.jp/index.html
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コメント



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11.無評価いち読者削除
たった1人で毛玉の大群に立ち向かう咲夜さん、かっこ良すぎ。惚れる。
エセ刑事モノやってた前半部はどこへやら、って感じです。

>中国の価値を再発見。みたいな『ちょっといい話』を狙ってたんですが、
では、中国に新たな価値が見い出されることを祈りつつ、終編を待ちます。
……でも中国だからなぁ(ぉぃ)。
17.60shinsokku削除
大毛玉対咲夜さんの史上稀に見る大規模(?)弾幕戦が素敵ですね。
咲夜さんの瀟洒さは言うに及ばず、毛玉群の圧倒感がたまりません
いやぁ、大変面白かったです。終編を心持ちにしております。

・・・あれ、何か忘れているような・・・?
23.50Barragejunky削除
前中後と、どの編にもちゃんと山場があり読者を厭きさせない構成になっていて、読み進めるのが楽しくてなりません。
今回の見所はやはり咲夜さん大暴れですね。プライベートスクウェアを利用した空間断絶攻撃はなるほど、そんな攻撃もありかと納得してしまいました。
さあラストはどんな山が待っているのでしょうか。

ちなみにこれは咲夜とチルノが主役のバトルものでしたっけ?
何かが違っていた気がするのですが……
51.100名前が無い程度の能力削除
咲夜さんかっけええええええ!!
え?中国?いたっけ?
53.70名前が無い程度の能力削除
あの遊びは虐殺してたのか・・