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―0 序論「語り手を俯瞰する書き手 - Extra」―
幻想郷。日河岸の潟即ち東方に在りて、
普くユメの辿り着く先、世界の最外縁にして中心点。
北方の繁栄、西方の豊饒、南方の華厳。
かつて夢であったユメは、顕現より階梯を追われた幻想の徒は、
洋の東西を、天地の差を、大気と真空の境を問わず皆見えざる方舟に乗せられてヒガシノカタに漂着した。
アスガルド。高天原。ニライカナイ。天国。アルカディア。約束の地。
エル・ドラド。極楽浄土。パラ・ヘリオポリス。―――蓬莱。
分かたれた言葉と同じ数の名を持つこの『楽土』という概念は、
いずれにしても“彼の地”、遥か遠く常人には決して手の届かない世界とされた。
その存在自体が夢物語、幻想を包含する幻想という扱いを受け、
永劫の流れの出発点から確かにそこにあったというのに、
この場を認識し外から立ち入ることが出来た生命は、
全ての創めより長き験が刻まれた現世までに数えるほどしか居なかったのだ。
だがこの郷は、この実在する“幻想”の『楽土』は、
確かに何時如何なるトキであろうとこの場に在り、この場が有った。
星の表面積からすれば塵芥にも等しい狭窄された界面、
生命発端である深海と乖離した山林の奥の先の向こうの端、
それ自体はただ何の変哲も無い空間として、確固たる普通として存在していた。
そしてそこには、あらゆるパラダイムを超越し混交し捏ね上げたこの処には、
既にその外では死滅した物語が、誰に語られることも無く自嘲気味にひとりごちている。
全てが許されるが故に、何人も許しを乞う事無き不浄。
社会という一個の時空の皿から零れ落ちた雫、
あるいはビーカーの深部にただひっそりと凝った澱か。
澱は、掬った指の持ち主の目に、どう映るのだろうか。
蹲ってうねうねと沈むこれを指で掬い取って、誰もが同じ量、同じ形を象れるわけではない。
掬い手は救い手。これらの見放されたか自ずと逃げ出した物語にとって、
吟遊詩人、語り部、戯作家、小説屋と呼ばれる者は、
代え難い救世主か、でなければ忌むべき断罪者か脅威の取立人だろう。
今ココに騙られ、終いまで語られるこの小噺は、
人の世が否定したが故に産まれた死の先の界の物語。
そこに住む不可思議な人々の不気味ながら可笑しき話、
はてさて一体、どのように展開継続し、どのように転回し収束するのか。
此れは、自らの物語に少し疲れたトキ、俯瞰鳥瞰を嗜好する人へ向けた、
ほんの少しの余所見程度に読み解かれるための供物である。
***
春が来て 夏を過ぎ 秋を越え 冬が去って
―――また、春が来る。
四季は絶えず巡るけれど 宴を開けない季節など無いのだから
毎日が宴会でも いいじゃない。
*** 華胥の亡霊は遥けき昔日を夢見るか? ***
―1 ゆめはじめ―
夢を見た。
大きな大きな桜の下、女の子が幹を背もたれにしている。
長い髪が顔を隠していて表情は見えないが、どうやら居眠りをしているらしい。
その髪は、頭上に咲き乱れる桜に負けない見事な桜色。
遠目に見ると、まるで桜の親子が仲良く寄り添っているようで。
それが、何故だか私にはとても悲しい事のように思えた。
***
「お庭の桜、大分散ってしまいましたね」
縁側に座っている銀髪の少女が、控え目に杯を傾けながら言った。
「あら、まだ一本くらい満開のが残っているかもしれないわ」
お座敷で寝っ転がっている私も控え目に、一升瓶を傾けながら言う。
とある年の、とある春の、とある夜。
仄白い月明かりが、物の怪たちを妖しくも優しく照らす時刻。
私は布団の上で横になり、たった二人の酒席を楽しんでいた。
「ごく、ごく、ぷはー。
ああ、美味しいお酒ね」
「幽々子様、またそんな呑みかたを・・・。
貴重な品なのですから、もっと大事に扱ってくださいってば。
それにお行儀もよろしくありません」
「はーい。ぐびぐび」
「・・・はぁ」
「ぷはー。でも妖夢、ちょっと呑みにくいわね、このお酒」
「そうですか?口当たりも良いですし、むしろ飲みやすいほうかと」
「そうね。でも、寝転がって呑めないのよ」
「寝るか呑むか、どちらかになさってください」
「あら、あなたに言われたくはないわ」
「わ、私のせいなのですか・・・。まぁ、それは良いのですけれど、幽々子様。
どうか、座敷にお酒をお零しになられませんよう、お気をつけ下さいね」
幽々子。西行寺という(多分)由緒正しい名家のお嬢様。
言うまでも無いように思うけれど、一応説明すると私の事である。
ちなみにピッチピチの死人、長死にしてる亡霊だ。
白玉楼という幽冥の境を越えた先にある彼の世のお屋敷で、もう随分長いこと亡霊嬢をやっている。
人間だった頃の事はなーんにも覚えていないが、
特にそれが元でトラブルがあるわけでも無し。
平和なあの世でぐーたらと暮らす毎日である。
きっと、生前の私の行いが日頃から良かったのだろう。
ご褒美だわ私、とばかりに勢いよく酒を喇叭呑みする。
自分で言うのもなんだが、私は酒豪であり、無類の酒好きでもあるのだ。
調子に乗って流し込むくらいのペースで呑んでいたら、
とうとう垂直に傾けても一滴たりと出てこなくなった。
「空っぽだわ。不思議ね妖夢、私、このお酒まだ少ししか飲んでいないわ」
「少しって・・・私、その瓶から一分ほどしか徳利に頂いていないのですけど」
「不思議ね」
「・・・はぁ」
聴きなれた少女の溜息と彼女の立ち上がる気配を肴に、私はそのまま少しの間、天井を見つめて呆、としていた。
会話が途切れてお酒が喉を通る音が止むと、途端に世界が静かになってしまったように感じる。
耳を澄ませば、庭木がやや強い風を受けてさわさわとざわめく葉音と、
液体がぴちゃりと震える幽かな水音が聴こえてくる。
水音?雨も降っていないし、河なんて近くに三途の川があるくらい。
ということは、あの子はまだ最初の徳利にお酒を残しているのか。
「ふふ、ちびちびやるの、好きよねー、妖夢」聴こえないように独り言。
私は縁側に背を向けて寝転がったまま、大きく手を振り大声で「早く早くー」と子供っぽくせかしてみた。
すると「はいはい、ただいま」と声がして、数歩の足音の後、横になった私の目前に新たな一升瓶が置かれる。
「ご苦労様ー。妖夢もおかわりは?」と顔だけ向けて私は縁側の少女に問う。
妖夢の徳利が空いていないことには気付いていたのだけど―――、
いや、それゆえに確認したのだ。全部飲むけどいいかしら、という意味で。
予想のとおり、彼女は苦笑いしながら軽く片手を振り、
もう片方の手で徳利を指差して「まだ、徳利が空いていませんので・・・」と答えた。
この少女は私のお側付き兼庭師の魂魄妖夢。
姓が魂魄、名は妖夢。とても雅で妖しい字面だと思うが、
私は常々、この娘さんの名前としてはミスマッチこの上ないなぁ、と感じている。
人(魂魄)の身にて妖の夢を見る、という意味に取れるこの名前は、
半人半霊という特異な体質を持つこの少女の体を見事に現したものだ。
しかし、この娘ときたら。
幼い顔立ちにおかっぱの銀髪と可愛らしい外見。人間らしいまともな感性。
謹厳実直、有言だろうが不言だろうが実行する行動力と、
どこを取っても名に反した真面目さだ。
白玉楼にも現世にも、いまどきこんな真剣な奴はなかなかいない。
何が言いたいのかというと、真面目な子というのはつまり、からかうととても楽しい子ということである。
少しおふざけをするとすぐ何かしら顕著な反応が返ってきて見る者(私だけ)を飽きさせない。
私が妖夢いじりと名付けたこの遊びは本当に長らく続いている。
男の子は好きな女の子を苛める、という俗説があったように思うけど、
それと似たような感じだ。つまり、単に加害者が悪戯好きなだけ、ということで。
そういう意味では、よーむと間延びさせて呼んだ時の効果から、
どこか可愛らしくも間の抜けた語感が彼女にはピッタリなのだが。
ともあれ新たなお酒を手にした私は、目の前の大きな酒瓶をなんとなく観察してみた。
白い曇り硝子の瓶の腹に、何やら達筆ででかでかと書かれた札が貼ってある。
「んー、読みづらい・・・冥酒「一生必死の墨染桜」、でいいのかしらね、これ」
これはただの飾りではなく、酒の旨味を封印するための呪符だ。
この符の名が、そのまま酒の銘となっているのだろう。
酒造の匠が精一杯の妖力を込めて作ったもので、
一流の作などは利用次第では弾幕にもなるほどだとか。
そんな謂れを思い出しながら、
「液体一つに、ご大層なものよねぇ。液体だから一つじゃないけど」
なんて呟きつつ嬉々として呪符を剥がした。
すると次の瞬間、ポンという小気味良い音と共に何かが私の視界の外へと飛んでいった。
視界の外、私の背後、即ち庭の、縁側の方向。
私はビックリして一瞬止まってしまった。
何だろう今のは、と考えたのも束の間、酒瓶から蓋が無くなっているのを見て正体は判明した。
あの勢いなら、寝転がったままで手の届く範囲の外まで飛んで行ってしまっただろう。
振り向いて探すのも面倒だったが、どれそんな元気のいい蓋はどんな柄だったのかしらと気になったので、
妖夢に酒蓋取ってー、と頼もうとして振り向きかけたところに、
出し抜けに私の視界を少女のあどけない顔が覆った。
私は早とちりして、また妖夢にすまし顔で何かお説教されるのだわーと思ったのだが、
よく見ると彼女の額には赤味が差し、目尻には涙が浮かんでいる。
てっきり早々に酔っ払ったのだと思った私は何の気なしに、
「もう酔ったの妖夢。そんなに弱かったかしら」なんて口にしてから、
額の朱が酒気によるものではない事にようやく気付いた。
「いえ、酔いではなく、さ、酒蓋が・・・」
「皆まで言わない。でも、お酒の席の最中といっても不覚を取ったわね。
自業自得みたいなものだわ」
「酷いです~・・・あんな勢いで飛ぶなんて・・・」
符の封印を解いた反動で飛んだ酒蓋は、予想以上に物凄い勢いで撃ち出されていたようだ。
妖夢はこんななりでも冥界の要所である白玉楼を一人で守護する武芸者である。
その彼女が油断していたとはいえただ一直線に飛んできたちっぽけな酒蓋に直撃されたということに、
彼女の力量を知る私は少なからず衝撃を覚えた。
「妖怪の作ったお酒の入った酒瓶の蓋、ねぇ。長ったらしいわぁ。
おおかた、スペルカードの妖力を根にして生まれたんでしょうけど」
「え・・・じゃあ今のって、要するに体当たりですか?」
「あら、わかってるじゃない。で、どっちに飛んでいったかは?」
「あ、それはちょっと・・・額が痛むまで気付かなかったもので・・・。
庭の方へ高速で消えていったのは“集中して”見えたのですが・・・」
「どんな柄だったの?」
「それも・・・申し訳ありません」
妖夢の肌は、元々それほど血行がよろしくないせいか、
透き通るような白色をしているのだが、それが今はなお青くなってしまっている。
自分自身が不覚を取ったことよりも、そのせいで私に失望を与えたのではないかということを心配している様子だ。
あれは妖怪だったのですかとは聞かないあたり頭はきちんと働いているみたいだけど、
それを褒めては格好のいじりネタをフイにするというもの。
といって今は酒蓋の行方の方が気になるので、軽く流すと見せかけておいて心のメモにきっちり残し、
後々までのいじりネタとして保守しておく事にした。
「まぁ、いいわ。私の不注意もあることだし、この件は不問にするわね」
「ほっ・・・」心配しすぎ。安心した途端妖夢の顔に赤味が差した。
とはいえ、妖夢いじりの基本は上げて落とす。これは前段階の一言で、
本来ならこの後に無理難題をふっかけたりして妖夢を困らせ、
その反応を目で耳で楽しむところなのだが、今日は保留である。
「そのかわり、妖夢。ちょっとついていらっしゃい」
「え。と、どちらへ?」
「庭よ。酒蓋妖怪、一緒に探しましょう。満開の桜探しもしたいけど、
なによりなんだか、あの酒蓋の柄が気になってしょうがないの」
そう言って立ち上がった私は、まだ展開についていけていない様子の妖夢の手を引いて、
月明かりとそれが照らす桜色だけが支配する夜の桜花庭園に飛翔した。
*** つづく ***
さて、静かな出だしから始まりましたが、どんなお話になるのでしょうか。わくわく。
正直なところ、自分よりはずっと上手だと思います、地の文。
これで下手と言われたら私は……
>ゆゆ様は『よくわからん』『過去が哀しい』『天然ボケ』という、それはそれで美味しいものの器の割には主役を張れない、なんとも哀しいレッテルを~
ざくざくと心に突き刺さります。_| ̄|○
思いっきり貼り付けていますね私……
まあここは作者様に任せておけば、このお話が終わる頃には嫌が応にもゆゆ様がかっこよくなっていると信じております。
それでは次回もお待ちしています。