注意
独自設定あり
ややホラー?
それでも良いという方のみお読みください。
この先、二百由旬
私、魂魄妖夢はその日、白玉楼の廊下を歩いていた。目的地は幽々子様のお部屋。夕餉を届けにいくのである。
白楼剣を半霊に預け、長い廊下を進む。急ぎすぎれば中身はこぼれ、かといって慎重すぎると冷めてしまう。そのさじ加減に慣れてきたのは、果たして良いことなのだろうか。
ふと、中庭の方に視線を向ける。そろそろ秋も深まろうというのに、いくつかの桜が満開になっていた。先日紫様が贈呈してくださったそれは、顕界、それも幻想郷の外のものであるらしく、秋や冬に開花するのだそうだ。ずいぶん大きなコスモスねぇ、と幽々子様は笑っていた。かくいう私も、白い雪にさぞや映えるだろう紅色の花が咲き乱れるのを、密かに心待ちにしていたりする。
「まあ、手入れは大変そうだけど」
さあ、惚けているのはここまでだ。早くしなければ幽々子様が待ちくたびれてしまう。視線を戻し、私は心持ち早歩きで進み始めた。
大広間に差し掛かったところで、私は奇妙なものを見つけた。先ほど見回ったばかりの枯山水。その奥の塀のあたりに、数匹の蝶が飛び交っている。あれは……
「幽々子様の、反魂蝶……?」
おそらくはそうだろう。遠目からは桜の花びらにも見える色鮮やかな紅い蝶。美しいことは美しいが、明らかにこの世のものではない。だが、不思議なのはそこではない。
「なぜ……?」
幽々子様は気まぐれな方だ。風雅だからという理由で反魂蝶を飛ばすのも、まあありえないということはないだろう。だが、一年で最も食物の美味いこの時期の、もうすぐ夕食というこの時間帯であることを考慮に入れると、少々ありえない事である様な気がする。
そうこうするうちにも蝶は塀の向こうに消えていく。これまた妙だ。幽々子様の部屋に飛ぶのならともかく、庭の奥の方にいくのでは、蝶が見えなくなってしまう。だとすれば……。
「幽々子様は、庭の方にいるのか……?」
このままではせっかくの夕餉が冷めてしまうし、確かめねばなるまい。
白楼剣を持ち直し、代わりに半霊に夕餉を預ける。少しふらついたがしっかりと支えた。これならば問題ないだろう。半霊を幽々子様の部屋に向かわせると、私は庭へと駆け出した。
木々の間を駆け抜ける。最初はゆったり飛んでいるように見えた反魂蝶は、しかしある程度近づいたところで逃げ出すかのように速度を上げた。木と木のあいだをふわふわと移ろいながら飛ぶ為、追いにくいことこの上ない。それでも、蝶の向かう方向からなんとなく行方を悟った。
「このまま進むとすれば、行く先は西行妖か。だが幽々子様はなぜあそこに?」
考えようとしてすぐにやめた。そんなことはついてから直接聞けばいい。何より、ここで悩みに足を鈍らせれば、本当に反魂蝶を見失いかねない。
木々の狭間を駆け、
葉桜を散らし、
桜花を纏い、
流れ行く景色を置き去りに、
二百由旬の庭をひたすらに、
走る。
蝶を追って、童子のように。
走る。
蝶に遊ばれ、狂人のように。
走る。
走って、駆けて、たどり着いたその先。
そこにあったものに、私は言葉を失った。
西行妖。決して咲ききることのないはずの妖怪桜が、しかしその事実を裏切るかのようにいっぱいに花をつけている。そして、
桜の華の満開の下で、幽々子様が舞っている。
ふわり。
ゆらり。
時に激しく、時に緩やかに。
ゆらり。
ふわり。
幽々子様が舞っている。
ふわり。
ゆらり。
風に弄ばれるように、花に戯れるように。
ゆらり。
ふわり。
童女の如く、遊女の如く。
ふわり。
ゆらり。
幽々子様の周りを紅い蝶が飛び交う。その様はまるで、幽々子様自身が桜と化したかのようだ。
ゆらり。
ふわり。
幽々子様が舞っている。
まっている。
マッテイル。
―――どこからか、笙の音が聞こえる。
鼓を打つ音が響く。
琴の音が心を揺らす。
まるで祭囃子のようで、私はなんだか嬉しくなった。
目の前の踊り手が手を伸ばした。
踊りに誘ってくれている。
その手をとろうと歩き始める。
ふわりゆらりと視界が揺れる。足元もなんだかおぼつかない。
でも気にしない。だってこんなに楽しいのだから、悪いことなんてないだろう。
心が、思考が、千々に乱れて、何もかもがわからなくなる。
踊り手の前に立つ。ニコニコと、楽しそうに微笑みながら、目の前の女が歩み寄る。
女はそのまま、ゆっくりと私の首に手を伸ばす。
ふわり、と包まれる。その手は暖かくも冷たくもない。感じているはずなのにわからない。そこにいるはずなのに、誰もいない。
ふと、視界の端に紅い蝶が映る。それを見て、私は唐突に理解した。
ああ、そうか。女が楽しそうなのは。私がこんなに嬉しいのは。
私もまた、蝶になるから―――
視界がかすむ。おかしいなぁ。こんなに嬉しいのに。嬉しくてたまらないはずなのに。
涙があふれて、止まらない。
涙で歪む世界の中、蝶になるその瞬間を待とうとして。
「あら、だめよ」
そして。
「その子は、私のものなんだから」
り、ぃん。響き渡る鈴の音が、あらゆるものを両断した。
否、それは鈴の音ではない。鞘を奔る刃の音色。二百由旬すら無に還す、必滅を告げる宣告。
とたん、乱れていた思考が復活した。
世界が意味を取り戻す。私の目の前には、楼観剣を引き抜いた幽々子様と、幽々子様に斬られたのだろう、胸に大きな切り傷をつけ、そこから血の代わりに紅い蝶を噴きだす、幽々子様に似た何か。
ソレは斬られたことなど意も解さぬように、幽々子様、否、その奥にいる私に手を伸ばそうとして。
「あなたなんかには、あげないわ」
次の瞬間、再び幽々子様に切り裂かれ、無数の蝶となって四散した。
「あ……」
全身の力が抜け、私は思わず尻餅をついた。
がたがたと震えが止まらない。全身から冷や汗が吹き出る。
「まったく、だめじゃない妖夢。私の夕餉を半霊に持たせるなんて。自分の役目は自分で果たさないと」
「幽、々子、様……」
間違いない。今度こそ本物の幽々子様だ。暢気そうな表情。亡霊らしく低い体温。
ふと西行妖を見る。あれほど見事に咲き乱れていたはずの妖怪桜は、いつのまにか全ての花を落としていた。だがそれならば。
「あれは、一体……」
「魔よ」
間髪いれず、幽々子様は言い切った。
「魔、ですか?」
「ええ。桜の下は魔が通る。蝶を追いかけると魔に逝き合う。まして今は逢魔ヶ時。これだけ条件がそろったのなら、魔に遭遇してもおかしくない」
「……」
なるほど。ということは、おそらく最初に紅い蝶を見かけた時点で、私は魔に誘われていたのだろう。そして、もし幽々子様が来て下さらなければ、おそらくはあのまま……。
ぶるり。夜風によらぬ寒さが、私の身を震わせた。
「さあ、戻りましょう妖夢。私の夕餉が待っているわ」
「はい」
幽々子様の後を追おうとして立ち上がる。すると、それを見越したかのように幽々子様はこういった。
「そうそう妖夢。それはそれで綺麗だけど、早めに治療しておきなさい」
「え?」
何のことかわからないでいる私を見ると、幽々子様は懐から手鏡を取り出して突きつけた。
そこに映る私の首には、蝶のような赤い痣が、くっきりと浮かび上がっていた。
祭囃子は、もう聞こえない。
独自設定あり
ややホラー?
それでも良いという方のみお読みください。
この先、二百由旬
私、魂魄妖夢はその日、白玉楼の廊下を歩いていた。目的地は幽々子様のお部屋。夕餉を届けにいくのである。
白楼剣を半霊に預け、長い廊下を進む。急ぎすぎれば中身はこぼれ、かといって慎重すぎると冷めてしまう。そのさじ加減に慣れてきたのは、果たして良いことなのだろうか。
ふと、中庭の方に視線を向ける。そろそろ秋も深まろうというのに、いくつかの桜が満開になっていた。先日紫様が贈呈してくださったそれは、顕界、それも幻想郷の外のものであるらしく、秋や冬に開花するのだそうだ。ずいぶん大きなコスモスねぇ、と幽々子様は笑っていた。かくいう私も、白い雪にさぞや映えるだろう紅色の花が咲き乱れるのを、密かに心待ちにしていたりする。
「まあ、手入れは大変そうだけど」
さあ、惚けているのはここまでだ。早くしなければ幽々子様が待ちくたびれてしまう。視線を戻し、私は心持ち早歩きで進み始めた。
大広間に差し掛かったところで、私は奇妙なものを見つけた。先ほど見回ったばかりの枯山水。その奥の塀のあたりに、数匹の蝶が飛び交っている。あれは……
「幽々子様の、反魂蝶……?」
おそらくはそうだろう。遠目からは桜の花びらにも見える色鮮やかな紅い蝶。美しいことは美しいが、明らかにこの世のものではない。だが、不思議なのはそこではない。
「なぜ……?」
幽々子様は気まぐれな方だ。風雅だからという理由で反魂蝶を飛ばすのも、まあありえないということはないだろう。だが、一年で最も食物の美味いこの時期の、もうすぐ夕食というこの時間帯であることを考慮に入れると、少々ありえない事である様な気がする。
そうこうするうちにも蝶は塀の向こうに消えていく。これまた妙だ。幽々子様の部屋に飛ぶのならともかく、庭の奥の方にいくのでは、蝶が見えなくなってしまう。だとすれば……。
「幽々子様は、庭の方にいるのか……?」
このままではせっかくの夕餉が冷めてしまうし、確かめねばなるまい。
白楼剣を持ち直し、代わりに半霊に夕餉を預ける。少しふらついたがしっかりと支えた。これならば問題ないだろう。半霊を幽々子様の部屋に向かわせると、私は庭へと駆け出した。
木々の間を駆け抜ける。最初はゆったり飛んでいるように見えた反魂蝶は、しかしある程度近づいたところで逃げ出すかのように速度を上げた。木と木のあいだをふわふわと移ろいながら飛ぶ為、追いにくいことこの上ない。それでも、蝶の向かう方向からなんとなく行方を悟った。
「このまま進むとすれば、行く先は西行妖か。だが幽々子様はなぜあそこに?」
考えようとしてすぐにやめた。そんなことはついてから直接聞けばいい。何より、ここで悩みに足を鈍らせれば、本当に反魂蝶を見失いかねない。
木々の狭間を駆け、
葉桜を散らし、
桜花を纏い、
流れ行く景色を置き去りに、
二百由旬の庭をひたすらに、
走る。
蝶を追って、童子のように。
走る。
蝶に遊ばれ、狂人のように。
走る。
走って、駆けて、たどり着いたその先。
そこにあったものに、私は言葉を失った。
西行妖。決して咲ききることのないはずの妖怪桜が、しかしその事実を裏切るかのようにいっぱいに花をつけている。そして、
桜の華の満開の下で、幽々子様が舞っている。
ふわり。
ゆらり。
時に激しく、時に緩やかに。
ゆらり。
ふわり。
幽々子様が舞っている。
ふわり。
ゆらり。
風に弄ばれるように、花に戯れるように。
ゆらり。
ふわり。
童女の如く、遊女の如く。
ふわり。
ゆらり。
幽々子様の周りを紅い蝶が飛び交う。その様はまるで、幽々子様自身が桜と化したかのようだ。
ゆらり。
ふわり。
幽々子様が舞っている。
まっている。
マッテイル。
―――どこからか、笙の音が聞こえる。
鼓を打つ音が響く。
琴の音が心を揺らす。
まるで祭囃子のようで、私はなんだか嬉しくなった。
目の前の踊り手が手を伸ばした。
踊りに誘ってくれている。
その手をとろうと歩き始める。
ふわりゆらりと視界が揺れる。足元もなんだかおぼつかない。
でも気にしない。だってこんなに楽しいのだから、悪いことなんてないだろう。
心が、思考が、千々に乱れて、何もかもがわからなくなる。
踊り手の前に立つ。ニコニコと、楽しそうに微笑みながら、目の前の女が歩み寄る。
女はそのまま、ゆっくりと私の首に手を伸ばす。
ふわり、と包まれる。その手は暖かくも冷たくもない。感じているはずなのにわからない。そこにいるはずなのに、誰もいない。
ふと、視界の端に紅い蝶が映る。それを見て、私は唐突に理解した。
ああ、そうか。女が楽しそうなのは。私がこんなに嬉しいのは。
私もまた、蝶になるから―――
視界がかすむ。おかしいなぁ。こんなに嬉しいのに。嬉しくてたまらないはずなのに。
涙があふれて、止まらない。
涙で歪む世界の中、蝶になるその瞬間を待とうとして。
「あら、だめよ」
そして。
「その子は、私のものなんだから」
り、ぃん。響き渡る鈴の音が、あらゆるものを両断した。
否、それは鈴の音ではない。鞘を奔る刃の音色。二百由旬すら無に還す、必滅を告げる宣告。
とたん、乱れていた思考が復活した。
世界が意味を取り戻す。私の目の前には、楼観剣を引き抜いた幽々子様と、幽々子様に斬られたのだろう、胸に大きな切り傷をつけ、そこから血の代わりに紅い蝶を噴きだす、幽々子様に似た何か。
ソレは斬られたことなど意も解さぬように、幽々子様、否、その奥にいる私に手を伸ばそうとして。
「あなたなんかには、あげないわ」
次の瞬間、再び幽々子様に切り裂かれ、無数の蝶となって四散した。
「あ……」
全身の力が抜け、私は思わず尻餅をついた。
がたがたと震えが止まらない。全身から冷や汗が吹き出る。
「まったく、だめじゃない妖夢。私の夕餉を半霊に持たせるなんて。自分の役目は自分で果たさないと」
「幽、々子、様……」
間違いない。今度こそ本物の幽々子様だ。暢気そうな表情。亡霊らしく低い体温。
ふと西行妖を見る。あれほど見事に咲き乱れていたはずの妖怪桜は、いつのまにか全ての花を落としていた。だがそれならば。
「あれは、一体……」
「魔よ」
間髪いれず、幽々子様は言い切った。
「魔、ですか?」
「ええ。桜の下は魔が通る。蝶を追いかけると魔に逝き合う。まして今は逢魔ヶ時。これだけ条件がそろったのなら、魔に遭遇してもおかしくない」
「……」
なるほど。ということは、おそらく最初に紅い蝶を見かけた時点で、私は魔に誘われていたのだろう。そして、もし幽々子様が来て下さらなければ、おそらくはあのまま……。
ぶるり。夜風によらぬ寒さが、私の身を震わせた。
「さあ、戻りましょう妖夢。私の夕餉が待っているわ」
「はい」
幽々子様の後を追おうとして立ち上がる。すると、それを見越したかのように幽々子様はこういった。
「そうそう妖夢。それはそれで綺麗だけど、早めに治療しておきなさい」
「え?」
何のことかわからないでいる私を見ると、幽々子様は懐から手鏡を取り出して突きつけた。
そこに映る私の首には、蝶のような赤い痣が、くっきりと浮かび上がっていた。
祭囃子は、もう聞こえない。
まあ、主人公達と同じく近年の生まれなもんで、姉(兄)と妹(弟)が逆ですが
ただ、あのゲームをヒントにしたなら、片一方を魔じゃなく半霊にした方がよかったかな
私的には西行妖が呼んでいるようでした。
>私がこんなに嬉しいのは。
私もまた、蝶になるから―――
特にここ
美しくも妖しい空気がこちらまで伝わって来るようです。
あとがきまで綺麗に締まるのかと思ったらまた一本取られましたが…