作品集58にある前回のあらすじ)リリーのは怖い話じゃなくて痛い話だと思います!
茜色の陽の光。紫色に色付く空。茜と紫のまだらに塗り分けられた雲。
吹き込む涼風と引ける陽光に合わせて鈴虫も鳴き始めようかという頃合。
しかし、秋姉妹が住む神の家には吹き込むまでも涼しく、さらに虫の鈴の音も遠い。季節の色彩が薄く、転じて何の季節の色に染まる場所。
そこに、微かに響いてくる歌声。
「シリーズ第二段 妖々夢 私の登場 ステージ道中
代表曲 ナッシング 気分上々 スプリング……」
いつもなら神の力の働きで人っ子一人もいない神の家周辺、その神の家を目指す少女が一人、笑顔を浮かべて微かに聴こえる歌声に向かって飛んでいく。
「はっるはっるになっちゃった♪」
「はっるはっる 春ですよー♪」
「だけどちょっと 一緒に居させてよね♪」
「いいよちょっと 一緒に居ましょうね♪
強風警報みくびるな 油断してりゃ吹き飛ぶさ
一緒に居るのは雑節の仕様 それはいわゆる僅かな前兆
冬と去り行くレティ 春を告げに来るリリー
冬 春 コラボで吹き荒れる この強風
春一番!」
青い装束をまとうレティが一歩退いたところに、黒一色のドレスをまとうリリーが一歩前に出て、ばん、と見得を切る。
見詰める静葉と穣子は、しん、と静まった。その一瞬後で穣子がぱちぱちと拍手、遅れて静葉も拍手。
「やっぱり、リリーは歌上手いね」
「……本当、格好良い」
「えへへ~」
受ける賛辞に、リリーも顔を綻ばさずにはいられない。
「そうそう、黒くめかし込んだ所為でそこら辺の印象も強化されてるし。私なんて完璧にリリーちゃん引き立て役だもの」
レティの言葉に乗っかる穣子。
「あ、それ思った。かなり大人っぽくなったよね」
「言い過ぎだよ~」
黒いドレスで彩られたリリーは、自分への褒め言葉で蕩けそうになっている。
「……そうしていると、いつものリリーちゃんなんだけどね……」
小休憩。
静葉は自分も含めて全員に、お茶を振舞う。
全員が早速もらった湯飲みに口をつける。内三人の視線は自然と、黒い装いで静かにお茶を嗜む妖精に集まる。
口火はレティが切った。
「でも、実際印象違うよね」
「うん」
「……うん」
「ふぇ?」
三人が頷く中で置いてけぼりをくったリリーの顔は、あくまで間が抜けている。
そんなリリーを、レティは微笑むように、穣子は呆れるように、静葉は愛でるように眺める。
「リリーちゃん、試しに息を止めて私の指を見詰めてみて」
「ん、なんで?」
「いいから」
言う通り、呼吸を止めたリリーは、静葉と穣子の間を指し示すように伸びたレティの人差し指を見詰める。
そうして、口はむぎゅっと一文字に結ばれ、これでもかと大きく目を見開いたリリーは、わかりやすく顔をかちかちに強張らせて、頬を真っ赤にしてぷるぷると震えていた。
真っ先に穣子が噴き出した。
「あっははははははははは!リリー格好イイー」
これにはレティも穴があったら入りたい心境で、静葉も無言で苦笑い。
ただ、当のリリーは息を止めて必死にレティの指を凝視。そして真っ赤な顔はちょっとずつ蒼くなって……。
「ああー!リリーちゃん、もういい!もう息していいよ!」
「ぷは~……」
リリーが肩で息を繰り返すごとに顔の色も元に戻っていった。
「死ぬかと思った~。で、レティ、さっきのはなんだったの?」
「ん?ああ。目が強ければもっと良くなると思ったんだけど、付け焼刃ではどうにも」
穣子は必死に息を我慢して面白い顔になっていたリリーから、浮かない顔をしているレティを笑いものにした。
「あっははは、そりゃそうよ。春に関わることでなかったらリリーは輝かないし、その黒い衣装から表れているのは、純粋なリリーの、純粋に春を待ち焦がれる気持ちでしょ。
なら、その精神に沿ったことをさせないと、せっかくの格好良さも発揮されないってもんよ」
穣子のリリー評を前に、またも褒められていると理解してリリーは照れ笑い。そして、レティと、また姉の静葉も、激しく目をしばたたかせる。
「……穣子、どうしちゃったの……」
本気で心配する静葉。
「まさか偽者」
目を険しくするレティ。
「な、何よそれぇ!まるで普段の私が馬鹿みたいじゃない!」
「穣子はバカじゃないよぉ」
幼く可愛い面立ちのリリーが、真面目に反論するのを目の当たりにして、穣子は黙ってリリーを抱き締める。そして。
「お前等も少しはリリーを見習え!」
「冗談に決まっているじゃない。ねぇ?」
「…………うん」
すぐに冗談と切り返したレティはともかく、実の姉が答えるまでに、いつもより間があったことが、穣子には納得できない。
各人、お茶を飲んで一息ついた。
あぐらをかいて、腕を組み、うむうむと考え込んでいた穣子が「うん」とうなずいてから提案。
「この際だからさ、私達もイメージチェンジしてみない?手前味噌になるけどさ、私達ってその季節に限れば結構なものでしょ。それを鑑みたら、もっと違う印象を持たれてもいいと思うのよ。
例えば、今のリリーちゃんが春先に、目撃者に流し目で、かつ『ふっ』と鼻で笑って弾幕をばら撒いていったらどうよ?」
「……まず偽者であることを疑うわね」
姉の気持ちがいいくらいの即答ぶりに、穣子は言葉が詰まった。
「話の腰を折らないでよ。いや、でもまあ、今のは確かに例えが悪かったわ。
要するによ、私達はあまりにも与し易いと思われている、って言いたいの。そりゃ、親近感を持たれるのはいいことだけど、やっぱりそれはそれ、これはこれ、としないといけないと思うのよ」
「あの巫女を基準にしたら駄目よ~」
通り抜けたレティの言葉は、穣子の猛る心を削った。
「とにかく、私達は季節限定で、威厳とか、カリスマとか、もっとあってもいいでしょって話なの」
またもやレティが割り込む。
「別にいらないわよ。変に恨みを買ってそれ以外の季節でヤッテやろうだなんて執念を燃やされても面倒臭い事この上ないし」
「威嚇じゃなくて威厳なの!常時暴れまくるんじゃなくて、何かのきっかけで発動する、もう一人の荒ぶる私ってことよ」
尤も、穣子のこの力説もレティには届かない。
「毎年暴れている私への当て付け?」
「だから、いちいち話の腰折るな。つまり、一目でわかる本気の中でも最高に本気な私ってことよ」
レティが少し間をおいた。
「それを衣装から?」
「その通り」
静葉がぽつり。
「……勝負服?」
「そうとも言う」と、口を滑らした後で、穣子はハッとした。
穣子は姉を見る、静葉の妹を見る目にいつもと違う色。
「……穣子……」
「ね、姉さんが言わせたんじゃない!って、話の腰を折らないでって何度言わせたら分かるのよ」
すると、リリーが三人の会話の谷間に現れる。
「勝負服ってナニ?」
答えに悩む姉妹は差し置いてレティは即答。
「自分を一番素敵に見せる為のとっておきの服よ」
「それだー!」
穣子が乗っかった後で、静葉もゆっくりと頷く。
「……うん、それでいいね」
全体的に落ち着いてから。
リリーは立ち上がって胸を張り、高らかに宣言。
「よし、私は白だ!」
「……戻ってる」
間髪入れないレティは。
「なら、私は赤ね」
みんなの視線がレティに集まった。
「……紅白?」
「違うよ。真っ赤、赤一色。あと大きい袋も欲しいわね」
「わかった。それでみんなが寝静まった真夜中に、民家に忍び込んで……」
「子供を袋に放り込んで攫うの」
「待て」
即効で待ったを掛けた穣子は一息入れて。
「テーマは『一番素敵な私』でしょうが、なんでそんな血なまぐさい方にいくのよ!」
「冗談よ。そりゃまあ、髪を伸ばして、カボチャみたいなドロワをやめて、ヒラヒラでスケスケのドレス着て、青の口紅をでもつけて物憂えるような顔をして、雪の降る日限定で外を練り歩くとかすれば、イメージは変わるのでしょうけど。
でも、私はアクティブに冬を楽しみたいの。人目を楽しませるくらいなら、まず私が楽しむわ。それに、冬を謳歌する私が最も素敵な私、だから今のままが一番よ」
「おお~」
リリーがゆっくり手を叩く。いわゆる拍手。
「こら、なに結論出してるのよ!」
「……私は……」
「姉さんも今が一番だっていうの?」
静葉は眉をひそめる。
「……私は心行くまで紅葉に埋もれてみたいわ」
「は?」
「つまり、それが似合う着こなしをしたい、と」
レティの翻訳に静葉は、こくん、と頷いた。
そこでリリーが閃く。
「茶色ー」
「いくらなんでもそれは」
めげない。
「こげ茶ー」
「いや、だから」
「……いいかも」
妹の静葉は乗り気だ。
「ど、どこが良いの?」
「……寄りかかれば幹と一つ。寝そべれば大地のよう」
「同色の頭巾を被れば隠れ身の術が完成ね」
レティのイメージしている静葉は、無口で気配もなく微動だしない茶色の静葉が落ち葉に埋もれている図。
「いや、それ以前に野暮ったい田舎娘になりそうなんだけど」
穣子がイメージしている静葉は、たくし上げたもっさりした茶色のスカートに紅葉をもっさり溜めている図。
「……素朴でいいでしょ」
むすっと答える静葉。しかしレティは全く構うことなく。
「素朴なのはいいけど、素朴な静葉が道端でぐっすり寝ているのを見かけたら、行きずりの男共なんて皆して唇を奪いたがりそうね」
すかさず穣子が言い返す。
「そりゃあんたの文化圏の話でしょ」
リリーが再び閃いた。
「眠れる森の静葉と七色のリリーホワイト」
「リリー、いくらのんびり屋の姉さんでも絶対賑やか過ぎて安眠できないって」
「……そこまでのんびりしてない」
気を取り直してレティ。
「でも、眠れたら眠れたで、そこまで深い眠りとなると、やっぱりキスして起こす役が必要よね、寓話的に。もしかしてそれって私?その時だけ男装しろって」
「んな訳ないでしょ」
例によって否定する穣子、しかし。
「……逆じゃない。貴女が冬で、私が秋なら、するのは私、されるのは貴女よ」
「ね、姉さん?」
こうなるともう止まらない。経験でわかっていても、穣子は抗う。
「そういうことなら、さっき話したヒラヒラでスケスケのドレスで寝てようかな」
「レティ、なに、話に乗っかってるのよ」
「……キスは、刺激的なのでないとダメよね?」
「姉さん、どうだっていいわよ」
「当然でしょ。まあ、静葉から私はいいとして、私からリリーちゃんのつなぎには背徳の香がするねぇ」
「ああもう、いい加減にしなさい!」
レティと穣子は会話するのを止めて、穣子を見る。
「いつになく細かい横槍をいれてくるのね」
「……あれよ、この流れでいったら私の目を覚ますのは穣子の役目だから」
「な、なに言ってるのよ、姉さん」
静葉とレティ、四つの瞳にぎょろ、と睨まれて「違うの?」と詰め寄られた。
穣子は音を上げた。
「ち、違いません!そうです!それで正解です!全く、当たり前じゃない、姉妹でキスだなんて気持ち悪いわよ」
「……別に知らないのとキスする訳ではないわ」
「だ、だから姉さん……」
「そうよ、ねっとりしたキスぐらいで何よ」
「あんたねぇ~」
落ち着いたところでリリーが挙手。
「はーい、質問」
「リ、リリー?」
「私は誰にキスしたらいいの?」
「そ、それは……」
歯切れの悪い穣子。
「 わ た し よ ! 」
勢い良く、静寂を破壊する、叩きつけるように戸を開いたのは、これでもかと両腕広げた水平を引き伸ばす折り畳んだ日傘を構えて、口の端と目の端とがくっついて真ん丸を描くような笑顔と深緑色の短い髪を弾かせて、少女が立っている。
姓は風見、名は幽香、登場。
「リリーの口移しでたっぷりと注がれる春は私を目覚めさせ、そして目覚めを待つ穣子様には実りを強めるフラワーマスターの花咲く能力をたっぷり唇から注いでみせますわ!万が一、静葉様に粗相をしてもお許し下され~」
レティ、ゆっくりと立ち上がる。
「リリー、穣子様、静葉様ぁ、新しい季節の巡り方の予行演習をいたしま……」
幽香の視界いっぱいに、のっぺりとした顔のレティの姿が被さって、そのまま、レティが大きく振り回した拳が、視界の半分を塞ぐ。
その間に飛び込む幽香の左掌。それに包まれるレティの右拳。
押し合う腕力の緊張で震える手を挟んで、向こう側の相手に微笑みを投げかける幽香とレティ。
「あらら、『根性で来るな』ってあれだけ言えば氷精だって百回は理解してくれるけど、貴女の理解力のなさは幻想郷イチねぇ」
「うふふ、秋の御姉妹様やリリーに比べるとゴミみたいな存在感しかない物体が何をしてもカサカサ鳴っているようにしか記憶していませんわ」
レティが捻りを入れる右拳に対して、幽香は左掌に逆方向への捻りを加えて拮抗。
「あ、そう」
レティの笑みが薄まる。
「うん、そう」
幽香の笑顔がさらに偏る。
同時。
レティの振り回した左拳が幽香の脇腹に突き刺さる。幽香は自身の笑顔をレティの顔面に叩き付けた。
「く」の字に折れる二人。レティは頭から仰け反って幽香は腰から斜めに折れて。
しかし、先に動いたのは幽香。レティの右拳をさらに強く握り、そこから相手を一気に引き込んだ。
力任せに外へ引っ張り出されたレティは、幽香の腕力のされるがまま、右へ左へ雑巾のように空中で振り回された後、幽香の力強い大きな踏み込みと共にしたたかに地面へ打ち付けられた。
ずん、と鈍い音を立てて顔面から落ちたレティは、斜めに地面に突き刺さってからずっと、顔面で斜めに逆立ちをしたまま、ぴくりとも動かなかった。
あっけない、と幽香が思ったのも束の間、幽香は左腕の感覚がなく、握っていたレティの右拳を手放してもいた。見れば、肘の間接から左腕がこれでもかと捻れている。
幽香は理解した。振り回している間か、或いはそれより前かは定かではないが、レティは接触していた左掌から腕のある程度を寒気で侵して鈍感にした。その状態で力一杯叩きつける勢いに僅かな捻りを加えれば、鈍感な左腕は防衛行動を怠って、そのまま道連れ。
理解の一瞬後。幽香は右手の日傘を逆手に持ち、レティの後頭部に突き立てる。
が、それよりも早く、レティは両手で飛び退く。
幽香は地面を穿つ。やや距離を置いたところでレティは立ち上がる。
レティを見るため目を大きく見開いた幽香の顔は、笑うように歪んでいる。
幽香を前にして顔についた土を払うレティは、どこかのっぺりとした無表情な顔を晒す。
幽香の捻れた左腕。レティの据わらない首。
どちらも「そんなことはどうでもいい」と言わんばかりに、相手に襲い掛かった。
そんな有様を開きっぱなしの戸口から眺める秋の双女神と春を告げる妖精。
「本当、毎度毎度」
穣子は主語も述語も省いた台詞を感想にする。
「……全くね」
静葉は主語も述語も省いた同意。
そんな姉妹の隣でリリーは「あっ」と声を上げる。
突き立てた日傘の上、幽香が右腕一本で全身を垂直に伸ばして倒立。
一瞬遅れて、レティがその姿を凝視する。
同時に、巨木を二つ裂く落雷の如く落ちてきた幽香の踵がレティの眉間を打ち抜いた。
後頭部を打ち付けてなお、地面を跳ねたレティの体が威力の凄まじさを物語る。
攻撃直後、地面に尻をつけて座り込んだ姿勢のまま、レティの有様を確認した時の幽香の表情は虚ろと言えるくらい。しかし、幽香は右手で顔を拭うとすぐ、不敵ともいえる笑みが咲く。そして立ち上がり、小さい三人が並ぶ家の方へと向き直った。
「ふ、ふふ、もう少し、もう少しで、リリーから直に、そう直に!春を貰うことが出来る……」
愉悦のこぼれる幽香だが、彼女の体は何かにがっちりと捕まった。背後から伸びた二本の腕が腰の部位で一結び。固く結ばれた腕に見覚えのある幽香の脳裏に「レティ」の名がよぎった瞬間、幽香の体は後ろに飛んでいた。そして、自分の後頭部が地面に向かって落下していることに気付くのは、叩き付けられる直前であった。
どかん、と大きな音をたて、レティが抱えた幽香を真後ろに叩き付ける。さながら、陸上に妖怪の橋が架かる様子を目の当たりにした神様の反応は。
「うわ~」
「……あらまあ」
しかし、そのすぐ後に幽香の叫びとレティの唸り、打ち合う音が響いて、見ている側は早速呆れてみせた。
「終わらないねぇ」
「……うん、終わらないね」
ぼんやりと眺める神に対して、黒衣の春告精は。
「レティも幽香も優しいのに、なんでいつも喧嘩ばかりするんだろう?」
ただ心配そうにつぶやく。尤も、隣の姉妹は変わらず。
「どっちも一概に優しいって言えないけど」
「……それは言わないであげて」
その時。
腰を捻じり、瞬く間に、強烈に、幽香が振り抜いた日傘はレティの顔面を捉えた。その威力はレティを錐揉みに回りながら宙を舞わして、日傘自体も反動で二つに折れた。
為す術なく地面に倒れたレティと折れた日傘を見比べて、にんまりと笑った幽香は、折れた日傘を捨て、再び神の家に歩みを始める。
「ふぅ~……。ふふ、穣子様ぁ、お待ち下さい。この不肖、風見 幽香めが、豊穣の霊験の一助となります。くふ、ふ、つきましては静葉様、万が一、穣子様と間違えて静葉様にあの様な事をしてしまったとしても、それは阿呆な妖怪の粗相と流して下さいまし……」
言い終わらぬ内に、ざく、と嫌な音がした。確認するまでもなく、幽香の後頭部に折れた日傘が刺さっていた。
後頭部から血が吹き出ているのを実感している幽香は「誰が?」「何が?」などと考えるまでもなく、振り向きざまに拳を繰り出す。一瞬早く傘を手放したレティは、同じく拳を打ち込む。その瞬間、両者の拳は交差した。
血まみれ、泥まみれになりながらも一歩も引こうとしない妖怪二名の意地の張り合いを眺め続ける神二柱と妖精一羽。
「すごいね」
「……うん」
「あわ、あわわわわ、レティが、幽香が……」
変わらぬ温度差。
「いつも思うんだけどさ。幽香が熱心な氏子なのはいいんだけど、あの禍々しさはどうにかなんないかね」
「……無理よ、幽香だもの」
「よね~」
ぬるい会話を繰り広げる姉妹の目の前では、狂おしい程の激情がぶつかっていた。
太陽の様に光り輝く幽香の右手がレティの顔面を鷲掴み。その右腕を、寒気を孕むレティの両手が強く握り込む。
「ぅ遅ぉい!!!」
幽香の絶叫の後、光が、爆ぜる。
起きた突風が木々や家を激しく揺らし、茂みの上や隙間を一気に駆け抜けた。光の爆心地とその周辺の気温差が引き起こした風だった。
風に押され、顔面から白煙を上げるレティがよろよろと後ろに下がった後、大の字に倒れた。風に揺れるのはレティの顔から立ち上る白煙と、霜がびっしり掛かった右腕と捻じれて曲がった左腕、そして立ち尽くす幽香自身。
幽香は身じろぎすらしないレティを見下ろす。懸念があったから、そうしていた。そして、それは当たっていた。
幽香や家の辺りに流れる寒気を含んだ風が一箇所に流れ込んでいる。
顔から煙が立ち上るまま、レティは起き、そのまま立ち上がる。両手で顔面を覆う。手の向こうに寒気が流れて、上っていた白煙はみるみる消えていき、同時に、顔のほとんどを覆っていた火傷の黒が地肌の白に変わっていく。
幽香から立ち上る妖気が凍った右腕と左腕の血潮に熱が帯びる。右手を閉じて開いて動くかの確認。右手が左腕を掴む。左腕の捻じれを戻す為、ゆっくり回す。歯を食いしばり、捻じれの取れた左腕を思い切り真下に伸ばし、細かく右に左にと動かしながら折れた腕を押し込む。前方を望んだまま歯を食いしばり、無言で頬を引きつらせる幽香の顔は、どこか笑っているよう。そうして左腕をこれでもかと押し込んでから、右手を手放す。妖気のたぎりが左腕に強く働きかけ、左手の指が幽香の意識と繋がった。
風が弱まる。寒気が残る。拭うようにレティは顔を覆った両手をどける。応急処置を済ませて見せる、表情が無さ過ぎてのっぺりしているレティの顔に今も残る焦げた痕は、いわゆる『面』ではなく『太い線』をなし、そうして表れた白い面に伝う黒い線は、やや不恰好な隈取りにも見えた。
幽香は食いしばった歯を緩めて大きく息を吐く。目の前を通過する自身の白い吐息を見やると、いよいよ前方に控える相手への忌々しさをこれでもかと表情筋から噴き出させた。その顔は引きつる余り却って笑っている様に見えても、隈取りをする以上に感情を顕にしていた。
レティは静かに、幽香は堪える様に、言う。
「死ね」
対峙する妖怪の初手が交差する直前。
「やーめーてー!」
リリーが両者の間に飛び込んで、そして、まばゆいばかりの輝きを放つ。
その直後。
「ぐヴあああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」と、冬の妖怪の。
「ああ、らめぇぇぇぇぇぇぇぇ!」と、四季のフラワーマスターの。
絶叫と嬌声が響き渡った。
しばらく。
外に出た秋姉妹。リリーを抱いてかかる穣子、そして静葉が手を振ると周辺の陽気が涼しさに埋もれた。
「お疲れー」
「……うん」
穣子は話し相手を変えて。
「こら、リリー。春をダダ漏れにしちゃ駄目でしょ」
「ごめんなさい」
素直に謝るリリーを見取ってから静葉は助け船を出す。
「……それぐらいでいいでしょ」
「わかってるわよ。原因はこいつ等だし」
穣子が見下ろす先を、静葉もリリーも見詰める。
いるのは妖怪二匹。
前のめりに倒れて痙攣を繰り返すレティは、表情こそ伺えないが「うぐ」とか「おぐう」とかの漏れ出る声は苦悶そのもの。
「レティは急性春ショック」
その近く。仰向けにだらしなく転がる幽香は、潤んだ瞳と上気して茹できった顔を晒して、「咲いちゃう、わたし、咲いちゃう」などとうわ言を繰り返していた。
「……幽香は、急性春中毒?」
「トンでるでいいよ」
「レティも幽香もごめんなさい~」
穣子はリリーの頭を撫でつつ踵を返す。
「謝らなくていいの、やりすぎたコイツ等が悪いんだから。という訳で、あんた等、晩御飯抜きだから」
穣子は聞いているのか聞いていないのか全くわからない二人にそれだけ言うと、まっすぐ家に向かう。
「レティ、幽香、またね」
穣子に持っていかれるリリーは、家に入る直前に言葉を送った。
静葉は何も言わずに妹の後についていった。そして、最後に入った者の常として戸締りをしようとした時、すっかり暗くなった地面の上にみっともなく横たわる二人を改めて見ると、さすがに何かを言いたくなる衝動に駆られた。
「……長生きしてね」
そしてリリー、何という春パワー。
GJ、面白かったです!!
しかしリリーがとても良いですね。
面白かった。
名前の間違いを発見したので報告します。
>ただ、当のレティは必死に息を止めてレティの指を凝視。
この場面はリリーがレティの指を凝視しているはずなのに
レティ自身が自分の指を凝視してることになっちゃってますよ?
以上、報告でした。(礼
次回作にも期待です