幻想郷での季節の流れは明確だ。
春は暖かいし夏は暑いし秋は涼しいし冬は寒い。
異変でも起きればまた別かもしれないが、最近は本当に平和だ。
見回り役の私が言うんだから間違いない。
そして山の上というのは、麓と比べて季節の流れの度合いが激しい。
「暑い~」
そんなこんなで、私――犬走椛は見回りを終えて木々の間を飛んでいた。身体を流れる汗が気持ち悪い。今すぐに頭から、眼下の川へ飛び込みたくなる衝動に駆られる。
それをすれば、どこぞの河童に怒鳴られるか触られるか実験台にされそうなので自重する。暑さを避けるために飛び込んで逆に火照りでもすればまったくもって意味がない。
「暑い~~」
飛行しているために当たる風が気持ち良いが、それでも木々の隙間から照りつける日光はいかんともしがたい。流れ落ちる汗が風圧で吹き飛ばされていく辺り、尋常でない暑さだ。
「あちゅ・・・・・・」
もはや言葉にならなくなってきた。「暑い」と言っていると余計に暑く感じるななんて話もあるが、声に出していないともっと暑くなりそうだ。
そんな私の視界に、ようやく目当ての場所が見えてきた。
川へと流れ落ちる、巨大な滝。
目当ては滝そのものではない、その裏の洞窟。
「あぁ・・・・・・」
歓喜からか疲労からか、溜め息が出た。
「涼しい・・・・・・」
剣と盾を棚に置き、何も代わりが無いかを確かめる。
見回り役のための休憩室みたいなものだから、置いてあるものもそこまで多くはない。いくつかの布団といくつかの机、常温保存の酒瓶が数本、あとは将棋盤や読み物ぐらいしか置かれていない。
今は私以外には誰も居ない。だから少々行儀悪く、胸の前をはだけさせてもらう。
滝の裏の洞窟という最高の場所のため、涼しさはそんじょそこらの洞窟より数段上を言っている。
外とのあまりの落差に、急激に身体が冷えてきた。気持ちは良いが、これでは身体に悪い。持ち込んだタオルで汗を拭き取る。
その作業を入り口に背を向けて行っていたのが悪かったのか、私はその気配に気がつけなかった。
汗臭さのせいで嗅覚が一時鈍っていたのも、さらに状況を悪くした。
「あ・・・・・・」
「・・・・・・え?」
呆けたような声に振り返った視線の先、白黒の衣装に身を包んだ人間の姿。
その表情は声と同じように呆けていた。
そして私の状況は、服をはだけさせていて――
「うぅ・・・・・・酷いです」
「いやぁ・・・・・・すまん」
思わず棚から剣を取り上げようとしたら彼女――霧雨魔理沙は慌てて洞窟から出てくれた。着替えた後、呼びかけてみるとおずおずと入ってきた彼女が妙に印象深い。
どうやら洞窟に気配があったので入ってみたら、私があんな姿で居たもんだから思わず声が出てしまったらしい。気づけなかった私も私だし、悪気があったわけではないだろうからそれはもう良い。
しかし、何か用事でもあったのだろうか。
「文様に用事ですか? それでしたらこのまま山を登れば――」
「いや、そうじゃないんだ、今日はここに用事があってな」
先ほどのこともあってかうつむいて罰が悪そうに答えてくれる魔理沙さん。私に用事でもあるのだろうか。裸を見られた仲(?)ではあるが、別に彼女と親しい訳でもない。山の上に神社ができた後、たまに山でみかけることはあるがそれぐらいだ。
それとも――
「何か異変でもあったんですか?」
「それじゃあ――」
と言いかけて気がつく。彼女の顔がいかにも「涼し~」といった表情に包まれていることに。そして「ここに用事があってな」という一言。
これから導き出される結論はただ一つ。
「涼みにきたんですか?」
「そう、その通りだぜ!」
何というか・・・・・・彼女らしい用事だなと思った。
わざわざこんな山の上まで涼みに来るとは、どこか別の場所は無いのだろうか。
そこまで考えて、目の前の彼女の視線が一点に集中していることに気づく。
その視線をたどった先・・・・・・酒瓶があった。
仕事中に飲むことは禁じられているが、そうでなければ何時でも誰でも飲んで良いという決まりのもと持ち込まれた酒には、なぜか高級な物もある。
一本手にとって、それを持ち上げてみた。ずっしりとした重さが手に余る。
「・・・・・・飲みます?」
そう聞いた言葉に瞳を輝かせた魔理沙さんに、「むしろこっちが本命じゃないか」と突っ込むほど私は命知らずではなかった。
盗んでいかれるよりはましだと考えておこう。
「しかしここはほんとに涼しいな、羨ましいぜ」
「場所が良いんですよ場所が」
無造作に置かれていたコップを二つ取り出し、片方を魔理沙さんに渡す。
さっき適当に取り上げた酒を開け、まずは魔理沙さんにお酌をする。
「おう、サンキューな」
私が自分のを注ぐ前に魔理沙さんは一気にその一杯を空けた。
・・・・・・大丈夫かな、結構強いんだけどこれ。
そう思いながら注いだ一杯を私も飲み干す。
喉が焼けるように熱くなった。
「結構、きついな・・・・・・」
「ですね・・・・・・」
さすがに一気飲みは危険と判断したのか、注がれたお酒を今度はゆっくりと飲み始める彼女。私もそれに倣うことにした。
会話もなく、お互いちびちびとお酒を飲むだけ。
そんな空気は夏の暑さより嫌いだから、私は話しを切り出した。
「魔理沙さんって、強いんですね」
「んぅ、酒がか?」
早くも酔い始めているのか、彼女の顔は赤く染まり始めていた。かくいう私も、きっと同じような顔になっているだろう。
「違いますよ、弾幕ですよ弾幕」
「ああそうだな、私は強いんだぜ」
「ですよねぇ」
なんとなく気分が良くなってきた。疲れている時に高アルコールの酒なんて飲んだからだろうか。「酒は口を滑らかにする」とは誰の言葉だったろうか。
だが私が言ったことは本心だ。ただの人間が単独でこの山を登るのは難しい。それを彼女は、前にもやったことがある。実力は明白だ。
「ほんと、あの時は――」
懐かしい記憶。
山の上に神社が建って(現れて?)、博麗神社といざこざがあって、そしてやってきた巫女はあっさりと私を倒した。その時、私は油断していたのだろう。たかが人間ごときと、だから次に来た彼女には油断しなかった。なのに、
「あっさりとやられちゃいましたよね」
「悪かったな、別にお前にうらみは無かったんだぜ」
「そんなこと分かってますよ」
少々罰が悪そうな魔理沙さんに私は笑みを返す。
全てが終わった後で聞かされた話によれば、彼女に悪気があったわけではない。むしろ邪魔をした私こそ分が悪いが、そこは見回り役として勘弁してもらう。
「今でも思い出しますよ、あの弾幕は」
言葉通り、目を閉じれば脳裏にあの弾幕を思い浮かべることができる。直線的で美しく、力がこもった弾幕。
私に勝てる道理なんて無かった。
「むしろあこがれてるほどですよぉ・・・・・・」
おっと、思わず本音を漏らしてしまった。どうやらアルコールが回ってきたらしい。
だけど魔理沙さんも酔っているのか、笑って答えてくれた。
「私なんかにあこがれてもどうしようもないぜ、弟子はとらない主義でね」
「家事手伝いなんでもやりますよ~」
「じゃあお前が私の家にいってくれ、私はこの洞窟をもらう」
「それ涼みたいだけじゃないですか」
二人で笑いあいながら、お酒をどんどん空けていく。
いくら勝手に飲んでいいといってもさすがにこれは不味い気がする。
そう思いながらも私は次のお酒に手を伸ばしていた。
「あははは、やっぱうめぇなこれ」
「でしょでしょでしょぉ~、天狗の間でも人気なんですよ」
世界は回り洞窟が歪み滝の音が遠い。
立とうとすれば足がもつれ這おうとすれば身体を支えきれない。
残りの酒は二人の周りに転がっているから問題ないが。
「だけどこんなに飲んでだいじょおぶかぁ?」
「う~ん・・・・・・水でも入れときますかっ」
「おお、いいないいな。川だってあるし」
確かにこれだけの酒を二人で空けたのはいろいろと不味いだろう。
だが酔った二人にはそれすら分かっていない。水でごまかし切れるはずもないだろうに。
「だいたいさぁ、私は弾幕最強なんだぜ」
「ほんとですかぁっ?」
「吸血鬼だって亡霊だって神様だって倒しちゃうんだぜ」
「それはすごいですねぇぇ」
他愛も無い自慢話を素直に聞く椛に気を良くしたのか、魔理沙はさらに饒舌になっていく。
やれ紅い霧事件は私が居なければ解決しなかったとか、何でも壊せる友人が居るとか、ピッキングと泥棒の腕には自信があるとか。
ところどころ突っ込みどころのあるその自慢話を椛は憧憬をたたえた視線のまま聞き続ける。
その自慢話が、止まった。
「・・・・・・魔理沙さん?」
「でもなぁ、霊夢には勝てないんだよ」
先ほどまでの調子はどこへやら、いきなり素面に戻ったかのように――いやまるで二日酔いでも起こしたように表情が暗くなる。
思わず椛が息を呑んだ。
「こんだけ戦っても、霊夢にだけは勝てないんだよなぁ」
「魔理沙さん・・・・・・」
彼女の言葉通り、博麗霊夢という存在に霧雨魔理沙が勝ったことはない。もう少し幼い頃、記憶が定かでない頃は忘れてしまっているが、成長するにつれて二人の差は広がっていった。片や博麗の巫女、片や普通の魔法使い。
それは歴然とした差だった。
「悪い、辛気臭かったな」
にかっと笑って、コップの中身を飲み干す。口の端からこぼれた酒が服をぬらしていた。
それを見つめて・・・・・・椛は酌をする。
「大丈夫ですよ、魔理沙さんなら」
「そうかぁ?」
「はい! だって私があこがれてるんですから!」
何の根拠も道理もない言葉に、ぽかんと口を開けただらしのない表情で魔理沙は固まってしまった。
ややあってその口から笑いが漏れる。
「ああ、そうかもな」
「そうですよそうですよ~」
「ほんとお前良いやつだ、もう一杯飲め!」
「いっぱいなんて飲めませんよ~」
そういいながらも差し出されたコップに魔理沙は酒を注いでいく。酔った手つきと衰えた思考にコップから酒があふれ出す。
「何やってるんですかもぉ」
「あははははぁ」
外は紅く染まり始め、烏が昼の終わりを告げる。
だが宴はまだ終わりそうにない。
かけられた毛布を払いのけて、椛は起き上がる。
「うぅ・・・・・・気持ち悪い」
当然のことながら、意識を取り戻した彼女の第一声はそんなものだった。
頭を振り――それが与えた衝撃に顔をしかめながら辺りを見回す。
黒白の彼女の姿はもうない。あたり一面に転がった空き瓶の惨状が、途切れた記憶を補完する。
「やば・・・・・・」
気持ち悪さからではない、本能が知らせる危機的状況に彼女の顔は青ざめていた。
そして彼女は昼間と同じ失敗をする。
「もぉみぃじぃ?」
いつもならそんなことは有り得ない、だが今はアルコールの匂いに嗅覚がやられていた。不思議な既視感を椛は感じていた。
そのままの姿勢で、ゆっくりと振り返る。
そこには、満面の笑みと少しの青筋を額に浮かべた、射命丸文の姿があった。
「あ、あやさま・・・・・・」
ああ、彼女が毛布をかけてくれたんだなと、妙に落ち着いた思考が教えてくれる。
もう一度辺りを見回すと、無数に転がる空き瓶。
未開封の物は一つもなかった。
楽しい宴の後に彼女を待っていたのは、二日酔いと片付けと弁償(酒代)だった。
「ああ、今月のお小遣いがぁ・・・・・・」
「自業自得です!」
この部分を映像でリアルに想像してしまった。ちょっと椛に斬られてきます。
怒りながらも椛に毛布をかけてあげた文が可愛いなと思いました。
次も期待してますよ