_/ _/ _/ Prologue _/ _/ _/
青くて、大きくて、まあるい月の下で。
二人の妖怪が、連れ添って空を飛んでいた。
_/ _/ _/ 魔法の森 上空 PM8:24 _/ _/ _/
「ごめんね、ふーちゃん。
急に手伝ってほしいなんて無理言って……」
買い物袋を両手に提げて、夜雀の少女――ミスティアは振り返り、申し訳なさそうな声をかける。
ふーちゃんと呼ばれた、やや大人びた風貌の少女は、照れくさそうにはにかんだ。
「ううん、ミスティアのお願いだもん、私でよければいつだって力になるよ」
「……ありがとう」
はにかむふーちゃんに微笑み返して、再び前へと向き直る。
冷たい夜風が、少し火照った頬に気持ちいい。
青い月に照らされながら、二人は並んで飛んでいく。
ほの明るい夜空に、少女たちが身を躍らせるその様は、どこか現世離れした、幻想的な情景だった。
そうして、しばらくの時が過ぎて。
そんな情景をぶち壊しにする白黒が、絶叫とともに飛んできた。
「――――――う、わぁああぁぁあっ!?」
「えっ?」
「今のって……」
二人の間を割って、デタラメな格好ですっ飛んでいった黒い影。
一瞬遅れて振り向くと、そこには上下逆さまになって箒にしがみつく、魔理沙の必死な姿があった。
箒のコントロールを失っているのか、跨る箒は彼女を振り落とさんとばかりに無茶苦茶に暴れている。
宙返りするように回ったり、錐もみの格好で上昇したり、ポンコツ車のように跳ね回ったり。
ロデオさながらの状態のなか、魔理沙はなんとか箒を制御しようと、全神経を集中させて箒と格闘する。
――まあ、当然のことながら。
そんな状態では、前を見ることなんか、できなかったわけで。
――――Caved!!!!
「びっぐべん!?」
「ふ……ふーちゃんっ!!」
……うん、まあ、とりあえず。
今の状況を、わかりやすく説明すると。
箒 イズ ブッササリング 尻。
「うぅぅ……魔理沙の硬くて太いアレ……ごっつぁんでした……ガクッ」
「ふーちゃん!? ふーちゃあぁぁぁん!!」
ミスティアの悲痛な叫びが、夜の空にこだまする。
かくして、ふーちゃんは箒のオブジェと化したまま、永遠亭に担ぎ込まれることと相成ったのでした。
_/ _/ _/ 永遠亭 PM8:52 _/ _/ _/
「駄目じゃない、初心なネンネにあんなに激しいプレイなんかしちゃ」
「ぐっ!?」
ふーちゃんの診察を終えた永琳が、開口一番とんでもねーことをサラッとのたまった。
思わず麦茶を吹きそうになった魔理沙に対して、ミスティアは心外とばかりに眉をひそめて立ち上がる。
「違うわよ。あの娘とはまだ清い関係よ」
「ぶっ!!」
魔理沙、ノックアウト。
ミスティアの上げた斜め上の抗議がトドメとなって、今度こそ麦茶を吹いていた。
「あら? この間連れてきて、今夜いただくとか言ってた子じゃなかった?」
「だから鳥違いだってば。あの娘はフクロウ。この間の子はミミズクよ。
パンストを履いてるのがふーちゃんで、ガーターを着けてるのがみーちゃんって覚えればわかりやすいわよ」
頼むから、パッと見てわかる見分け方を教えてください。
「っていうかあなた、年上趣味なの? 前の子も今の子も、二人ともあなたよりは大人に見えるんだけど?」
「年上をリードしてあげるっていうインモラルさがいいんじゃない。 わっかんないかなぁ」
胸を叩いてむせる魔理沙を尻目に、永琳とミスティアは、放送コードギリギリのピンクいやりとりを平然と続けている。
気のせいか、ミスティアが夜の女王みたいに思えてきた。
ひとり蚊帳の外に置いていかれた魔理沙は、段々とエロス談義に打ち込み始める人間以外と宇宙人をただ遠目に眺めるのみ。
いつしかエロス談義はパンストとガーターはどちらがエロスか、という話に脱線し、侃々諤々の不毛な議論になだれ込む。
難易度と変態度の高い言い争いの果てに、結論として脚のラインこそがエロスだというシンパシーを見出したらしい。
満足げに笑顔を浮かべて握手して、バロムクロスさながらに腕を交差させて、性欲を持て余す! とハモる約二名。
「……頭に虫でも湧いてるんじゃねーのかこいつら」
魔理沙の漏らした呟きは、ひどく疲れたものだったそうな。
げんなりして壁によりかかる魔理沙に、ミスティアは先程とは打って変わって沈痛な面持ちで歩み寄ってきた。
しかし、その端々から取ってつけたようなざーとらしさがにじみ出る、どころかモロに溢れていたりする。
というか、目の前で目薬を差すのは何の冗談なのだろう。
「ふーちゃん、入院しなきゃいけないって……」
「……は? 入院?」
ミスティアの告げた言葉に、魔理沙は素っ頓狂な声を上げる。
入院が必要なほどの重傷だとは思えない……もとい、思いたくなかったからか、本当かよと聞き返す。
「本当よ。慣れてないとこにいきなり突っk「わーーーーっ!」裂k「だーーーっ!」」
永琳と話した時のノリのままにエラい事を口走りかけたミスティアの言葉を、魔理沙は慌てて遮った。
そんな態度に気を悪くしたのか、ミスティアは拗ねたように口を尖らせて腕を組む。
「少しは悪びれてよね。ふーちゃんが怪我したのだって、元はといえば魔理沙のせいなんだから」
「いや、なんつーか、さっきの今で悪びれろってほうが無理な気が。
それで、何日くらいの入院なんだ?」
とりあえず、話を変えないと……このままだとヤバい。いろんな意味で。
言い知れぬ危機感のまま、魔理沙は話の矛先をずらそうとけしかける。
誘導にあっさりと引っかかって、ミスティアは思惑通りに話を変えた。
「さっき診てもらったんだけど、全治一週間くらいかかるんだって。
えーりん印の『どんな怪我でも3日で治すかわりに、1週間甘い痺れが取れなくなる薬』を使ったっていってたから」
「なんだそのハイリスクノーリターンな薬は」
肩をずり落としながら、魔理沙は引きつりきった声を絞り出す。
怪我が早く治ったところで、副作用がくやしい……でも即入院! なクリムゾン効果じゃあ何の意味もない。
むしろ、エロ薬の副作用で怪我が治るってオチなんじゃないだろうか。
「あとは『どんな怪我でも一日で治るけど、3日間地獄の筋肉痛に苦しむ薬』とか、
『どんな怪我でも一週間で治るけど、10日間しもつかれしか食べたくなくなる薬』とかあったらしいけど」
「ここにはンな薬しかないんかい」
どうすれば、そんな珍妙キテレツ極まりない副作用の治療薬をこさえられるのだろう。
考えれば考えるほど、わざとやってるようにしか思えなくなってくる。
相手は、頭痛薬だと言って飲むと頭が痛くなる薬を出してくるような、いろいろと間違った天才なのだから。
「ふーちゃんが入院してる間、屋台はどうすればいいんだろ……。
ふーちゃんが屋台を手伝ってくれるはずだったのに……」
「それは、その、悪かった」
ミスティアは俯いて、ため息混じりに呟いた。
事故だったとはいえ当事者だ。 知らぬ存ぜぬを通せるわけもなく、魔理沙は素直に頭を下げる。
「一人じゃ人手が足りないのに……」
「……だから悪かったって」
平謝りの魔理沙に向かって、ミスティアは俯いたまま、ぎぎぃっ、と首を動かした。
前髪の影に隠れるその双眸が、キュピーンと擬音つきで光っているように感じたのは、果たしてただの気のせいか。
「誰か親切な人が手伝ってくれないかなぁー」
「……えーと」
「だれかしんせつなひとがてつだってくれないかなー」
「…………」
「だれかーしんせつなひとがーてつだってーくれないかなー」
魔理沙を凝視しながら、棒読み丸出しで聞こえよがしにくり返す。
そっぽを向いて、聞こえない振りをしてももう遅い。
目の前で頭を揺らしながら、ミスティアは何度も何度もぼーよみまくる。
「あぁそうだ今突然急用を思い出したぞ。じゃあ私はこれで。くれぐれも達者でな」
「待たんかい」
三十六計逃げるにしかず。しかしミスティア容赦せぬ。
くるりと背を向けた魔理沙の肩に手を掛けて、ぶら下がるようにしがみつく。
しがみつかれても、負けじと歯を食いしばって懸命に逃げようと足掻くものの、重みに負けて思うように進めない。
四苦八苦する魔理沙をあざ笑うかのように背中をよじ登り、耳元にまで口を寄せてきた。
「て~~~~つ~~~~だ~~~~え~~~~」
「怪奇現象みたいな脅迫するんじゃねえ!」
「手伝ってくれなかったら鳥インフルエンザ媒介すんぞこの野郎」
「どんな脅し文句だ!?」
「じゃあ夜な夜な枕元に立って、たて笛でダースベイダーのテーマ吹き続けてやる」
「ちょっと待てお前なんだそれ」
「しかも毎回ちょっとずつ間違えてやる」
「やめろ本当にそれだけはやめろ」
いつものことながら、結局脅しに屈してしまう魔理沙なのでした。
_/ _/ _/ みすてぃ屋 AM1:07 _/ _/ _/
そんなこんなで、ミスティアの屋台に店子として立つことになった魔理沙。
はじめのうちは慣れない仕事に戸惑ったものの、手馴れてしまえばなんのその。
三日、四日と仕事をこなして早五日、今日もまた最後の客を見送って、あくび交じりに大きく伸びた。
「っかぁ~、今日もこれで終わりだな」
「ええ、みすてぃ屋はね。
でも、まだまだ夜はこれから……むしろこれからが本番よ」
「……何?」
背伸びをする魔理沙に返しながら、ミスティアはちゃっちゃと手早く暖簾を仕舞いこむ。
屋台の裏側に暖簾を押し込むと、同じところから別の暖簾を引きずり出した。
「今からは、週に一度の深夜の部よ。
その名もステキ、酔いどれ屋台・ちんちん亭!」
「ち、ちんちん亭?」
けったいな屋号に戸惑う魔理沙を尻目に、ミスティアはてきぱきと深夜の部とやらの準備を進めていく。
暖簾を変えて、帽子を脱ぎ、髪をアップにまとめて、さらにはいつの間にか着物に着替えていた。
子供が無理をして大人ぶった格好をしているような、けれどどこかしら大人の落ち着きを漂わせているような。
一言には形容しがたい雰囲気を漂わせつつ、ミスティアは親指を突き立てると、自分を指さし胸を張る。
「そして私はママのミス涙!」
「ミス涙!?」
あいもかわらず、珍妙なネーミングセンスだった。
そんなこんなで準備を終えて、来客を待つ魔理沙とミスティア改めミス涙。
とは言うものの、真夜中ということもあってか、待てども待てども閑古鳥。
待ちくたびれて、あくびの一つも出ようかという頃合に、暖簾がはらりとめくられた。
「いらっしゃいませー」
「……邪魔をする」
暖簾をくぐって現れたのは、泣く子もビビる頭突きティーチャー、上白沢 慧音。
大きな帽子を脱ぎ置いて、まずは、と一杯ひっかける。
コップを空けてため息をつく慧音を見て取って、ミス涙が一升瓶を片手に話しかけた。
「お客さん、胸の中に抱えてるものがあるみたいだね。
ここはお酒を飲んで、悩みを吐き出して、すっきり明日を迎える所。
何も遠慮することはないよ、思い切って話してごらんね」
口調までもが姐さんっぽくなっていたり、着替えただけでこうも変われるものなんだろうか。
「……そう、だな。
では、ひとつ話をさせてもらおうか」
ミス涙に誘われるまま、慧音は小さく頷いた。
四方山話になってしまうかもしれないが――と前置きして、ゆっくり話しはじめる。
「私には、かけがえのない人がいるんだ。
……あぁいや、恋人とか、そんなんじゃないぞ? 彼女は、妹紅は親密な友人だ」
「愛人の間違いじゃない?」
「話の腰を折るな」
「それで、たまに妹紅の家に泊めてもらう事があってな……」
向かいからの茶々にも動じずに、慧音はそのまま話し続ける。
生真面目な彼女の性分からして、華麗に受け流したというのは考えにくい。
酒が入っているからか、話に入れ込んで、茶々にも気付かなかったのだろう。
「それで、たまに……ごくたまに、一緒に寝て、もこもこすることがある」
「やっぱり愛人だ」
「お前は少し黙ってろ」
「それで、何日前のことだったかな、妹紅ともこもこするための、牛さんスーツを買おうとして……。
でも、今月はもうヒヨコちゃんスーツやネコちゃんスーツを買っていて、懐がピンチだったんだ」
「……何?」
聞きなれない単語を耳にして、露骨に訝る魔理沙を余所に、慧音はコップを傾けた。
ほぅ、と、やけに艶っぽい息を漏らして、俯き加減に言葉を紡ぐ。
「我慢できればよかったんだが、どっこい牛さんスーツは現品限りの一品もので、これを逃せば次はない。
それで……、止むに止まれず、私は……牛さんスーツを経費で落としたんだ……」
「なるほどな。 買ったはいいが、良心の呵責に耐えられなくなった。 お前さんはそのことを悔いてると、そういうことか」
「それも、確かにある。だが……」
一拍置いて、続ける。
「そのことをスッパ抜かれてしまったんだ。あのブン屋に」
「……あー」
慧音は俯いたままで、今どんな表情を浮かべているのかはわからない。
それでも、わなわなと震える声と、肩とを見れば、何を思っているのかは察することができた。
あのゴシップ大好きパパラッチのことだ、また捏造スレスレの歪曲記事でもばら撒いたのだろう。
「それで、親御さんたちから事情を聞かせてくれと言われてな」
また、一拍。
酒が入っているとはいえ、なかなかどうして聞かせてくる。
話の続きを待ちわびて、魔理沙とミス涙は揃ってふむむと鼻を鳴らす。
「牛さんスーツを経費で落としたことの是非を問われて、……私も、気が動転していたのだろうかな。
これは教材だ、だから経費で落とすことくらい何の問題もないと……言ってしまって……」
「ちょっと待てお前なんだそれ」
「そのせいで……そのせいで、私は牛さんスーツやらウサギさんスーツやら
ひつじさんスーツを着て授業をしなければならなくなってしまったんだ!」
「自業自得だろうが!」
怪談から笑い話に持って行かれたような展開に、魔理沙は思わずツッコんだ。
きょとんとする慧音に向かい、咳払いをひとつして、ためらいがちに続けだす。
「つーか、あの……その。ごにょごにょ……な事をするために買った服なんか着ていけるのかよ。子供の授業に……」
「……霧雨の、お前は根本的な勘違いをしているぞ。エロい子め。
わんちゃんスーツやオタマちゃんスーツとは、顔だけが出る着ぐるみのことを言うのだ」
「……あん?」
「もこもこするというのはだな、心細くて泣きべそをかいてる妹紅を励ましてやる作法なのだよ。
私がスーツを着て、等身大もこもこ抱き枕になってやるのさ。
はじめは満月の日に尻尾を触らせてあげてたんだが、妹紅が心細い日に都合よく満月だとは限らないからな。
妹紅はさびしんぼうだから。心細い日は、私がすぐ傍に居て、もこもこしてやらなきゃ……うふ、うふふふふ……」
「えー……と……」
知らなくてもよかった世界を垣間見てしまい、二の句を失い頬を掻く。
見たままげんなりする魔理沙を余所に、酒の勢いも手伝ってか、慧音は顔を上げ、ついでに声も上擦らせる。
「つまるところだな、私は明日から、とっても愉快な格好をして授業を開かねばならんのだよ。
普通の授業は言うに及ばず、体育の時でもな。……ガチャピンか!? ガチャピンなのか私は!?」
「ちょっと待ておい落ち着けって!」
何かに火がついてしまったのか、制止する魔理沙を振り切るように、慧音は声のトーンを上げる。
「ああガチャピンだっていうなら受け入れてやろう。でっていう上等だッ!
着ぐるみティーチャーと仇名されようが知ったことか、誹謗中傷何するものぞッ!
だがガチャピンにはムックがいなくちゃだめじゃないか……誰が、誰が私のムックになってくれるんだぁぁぁ!!」
「黙れ阿呆!」
「はんぶらび!?」
魔理沙は思わず、手に持った一升瓶で慧音のどたまをぶち叩いていた。
なにやらか、知らず知らずのうちに、魔理沙自身もあの撲殺マニアに毒されつつあるのかもしれない。
背筋に薄ら寒いものを感じる一方で、小さく呻いただけで平然と居直る慧音にも肝を冷やした。
「……さすが慧音だ、なんともないぜ」
頭突きティーチャーは伊達じゃない! とでも言わんばかりの石頭っぷりだ。
幻想郷石頭コンテストを開いたとしたら、トップ3は堅いだろう。
「なんともなくはないのだがな。
いきなり殴っておきながらそれは、正直感心せんぞ?」
慧音は殴られた辺りをさすりながら、睨むように抗議のまなざしを向けてくる。
すまん、ついノリで。 と謝りながら片付けにかかる魔理沙を尻目に、ミス涙は静かな口調で話しかけた。
「確かに、数多の伝説を築き上げた、ガチャピンの中の人たち……その末席に加わるのも、あなたの自由ね」
「……お前、消されるぞ……」
秘密に触れた者には死あるのみですぞって、赤い雪男がゆってた。
「でも、それでは何の解決にもなりはしないでしょうね」
「何……? ならば今すぐ、英知を授けてみせろ!」
「それじゃあ、聞くけど。
あなたは何のために先生をしているの?」
「……え?」
不意に話を振られて、慧音は言葉を失った。
二の句を告げられないままの慧音に、ミス涙は変わらぬ調子で話を続ける。
「自分のためじゃない、誰かの笑顔のためでしょう?」
「そう……だ。 だから、私は」
「そう、だから、無理にスーツを着て授業をすることなんかないわ」
「……っ、だが、私はあれを教材だと言ってしまったし――――」
俯いて、言葉を詰まらせる。
逃げを打つことはできない。 でもどうすればいいかわからない。
やり場のない感情を抱えたまま、慧音はコップをあおり、そのまま塞ぎこんでしまった。
しばらく、重苦しい空気があたりに満ち満ちる。
自分で自分を追い詰めるばかりで、引くことができないまま途方に暮れる慧音を見かねて、再びミス涙が口を開いた。
「逆に考えればいいのよ。
あなたはもこもこスーツを教材だと言ったのでしょう?
なら、もこもこを授業に取り入れて、もこもこすることの素晴らしさを広めればいいじゃない」
「――――!!」
天啓を、得た。
慧音は大きく目を見開いて、弾かれたように顔を上げる。
「そう――か、そうだ。そうだな。
もこもこすることが如何に素晴らしいかを、みんなが知ってくれるのならば……こんなに嬉しいことはない」
「慧音? おい慧音ー?」
慧音はいたって真剣な眼差しで、たわ言にしか聞こえない呟きを漏らす。
肩を叩いて呼びかける魔理沙のことなどお構いなしに、帽子を掴み、がたん、と音を立てて立ち上がった。
「さっそく明日から、もこもこの素晴らしさを皆に啓蒙しよう。
まずは使うスーツの順番を決めなければ……こうしてはいられないぞ!
世話になったな、女将」
しゅたっ、と片手を小さく掲げ、すぐさま暖簾をくぐる慧音。
自信と使命感に満ち溢れるその姿には、もはや一抹の迷いも感じられない。
遠ざかっていく足音を耳にしながら、ミス涙は満足げに微笑んで呟いた。
「見つけたようね。自分の往くべき道を……」
「……私には、盛大に足ぃ踏み外したようにしか見えないんだが」
魔理沙の静かなツッコミは、しかし優雅にスルーされた。
それからほどなくして、二人目の客が訪れる。
暖簾をくぐって姿を現したのは、ある意味今回の元凶こと八意 永琳。
勝手知ったるなんとやら、とばかりに椅子に腰掛けながら、ミス涙達に声をかける。
「お邪魔するわね」
「いらっしゃー……って、こりゃまた珍しい顔だな」
「そうでもないわよ? 彼女はわりと常連よ」
魔理沙の言葉に横から返し、ミス涙はヤゴコロ、と書かれたウイスキーのボトルを手にして身を乗り出す。
ボトルキープをするほど入り浸っているのかと、呆れ半分、感心半分で向かいの永琳に目をやった。
「そうなのか……、でも、なんでまた」
「輝夜のことでね、ちょっと、相談したくて。 あ、いつものでね」
「輝夜の……? 惚気か?」
「違うわよ。
……輝夜はね、以前、ちょっと篭もり気味だったのよ」
受け取ったロックのグラスをカラン、と鳴らしつつ、永琳はどこか遠い目で話し始める。
テーブルに肘をついて話すその仕草は、端麗な容姿と相まって、ぞっとするような妖艶ささえ湛えていた。
「あぁ、なんか聞いたことがあるな」
「あれは一種の不可抗力だったわけだけれど、やっぱり輝夜もそのことに飽きていたようね。
それで、ちょっと身体を動かしたいってお願いされてね?
何日か前、まずは試しに、って、ラジオ体操をやらせてみたら、なんだか身体を動かすことにハマッちゃったらしいのよ……」
「いや、それはいいことじゃないのか?」
声のトーンを落とす永琳に、魔理沙はあっけらかんとした様子で返す。
何が気に障ったのか、永琳は険しい目つきで魔理沙をきっ、と睨み据えた。
「いいことなんかあるものですか!
それから筋トレに始まって、ブートキャンプやパワートレーニングにまで手を出して……。
今じゃすっかり日がな一日ジャージ着て、暇さえあれば身体を鍛える有様よ!」
「……えぇー」
「こんなつもりじゃなかったのに! パワフルで健康優良児な輝夜なんかいらないわ!
ラジオ体操第一半ばで息も絶え絶えになってへたりこむ、不健康でヘタレな輝夜を愛でていたかっただけなのに!
そしたら私が姫様ラジオ体操なんて野蛮なものよりももっと簡単で素晴らしい汗の流し方がございます
さあ私が手取り足取り腰取りわりと激しく濃密に心ゆくまでマントゥマンで教えて差し上げますわエフフフフって
これ以上ないくらい自然にかつ合法的にいただこうっていうぱーへくとな計略がすべて水の泡だわコンチクショウが!」
「うん、ツッコミどころは沢山あるが、とりあえず黙れ変態」
ほんのちょっぴり屈折した愛を語る永琳に、魔理沙は冷ややかな視線を投げかける。
そんな態度にカチンと来たのか、永琳は身を乗り出して口を尖らせた。
「わかっちゃいないわね。あなたは全っ然わかっちゃいないわ!
輝夜のヘタレた姿を見れば、ついムラッと来ていただきたくなるのが人情ってものでしょう!?」
「お前の複雑怪奇な性癖なんかどうでもいいわー!」
「ああもう輝夜、無様な輝夜! 私のエンジンは最初からフル回転よ! ぐややーぐややーぐやんがくっく!?」
「いいから黙れこのド変態!」
「んごっぐ……っぷは、いきなり何するのよ!」
暴走し始めた永琳の口に熱々のコンニャクをねじり込んで、声の限りに怒鳴りつける。
ねじり込まれたコンニャクを一息に丸呑みして、お返しとばかりに怒鳴り返す。
それらを皮切りにはじまったいがみ合いを、しかしミス涙は窘めることもなく、ただ黙々とコップを磨くのみ。
抗争がヒートアップしたのか、おでこをぶつけて睨みあう二人を横目に、磨き終えたコップを棚に戻す。
そして代わりに取り出したのは、一本のたて笛。
靴を鳴らしてリズムを取って――――
いろいろ挫けそうになるぴーぴこ音を、辺り一面に響かせた。
「……すまん。私が悪かった。本っ当に面目ない」
「私こそ悪かったわ……。だからお願いもうやめて」
虚ろな目でテーブルの上に身体を投げ出し、いかにも脱力しきった風体で、平謝りに謝る約二名。
これ以上あんな脱力音を聞かされたら、精神衛生上とことんよろしくない。
ダースベイダーのテーマ、マジ最強。
恐るべきぴーぴこ攻撃から立ち直って、ゆるゆると身を起こす永琳。
いまだに突っ伏したままの魔理沙のことはさておいて、途切れた話を続けだす。
「……とにかく、なんとしても輝夜の興味を移さなければいけないのよ」
「なんでそんなに必死になんだよ……健康優良児だっていいだろが……」
「駄目よ。それだけは絶対に駄目。
このまま輝夜が無闇に身体を鍛え続けて、深夜の怪しい通販番組並みのマッチョになったりしたらどうなることか……。
ああもう、考えただけで恐ろしいわっ!」
呟く魔理沙に返しながら、永琳は頭を抱え、この世の終わりのような顔で嘆きの声を叫ばせた。
うっかり想像してしまったマッチョな輝夜像をかき消さんと、束ねた髪を振り乱す。
だがしかし、一度脳裏に焼きついてしまったものは、簡単に消せるものではない。
浮かんでは消えるテルヨザマッチョの幻影に自家中毒でも起こしたのか、瞳孔さえも開きつつ、さらに頭を振りまくる。
「駄目よ駄目駄目! ガチムチマッチョは魔理沙一人で充うがんだ!?」
「誰がマッチョだ!?」
売られボイスに買いボイス。
永琳の叫んだ言葉に噛み付いて、再び炸裂一升瓶。
一度ならず二度までもやってしまったあたり、やっぱりあの撲殺ニートから悪影響を受けまくっているらしい。
しかしまあ、普通の人間ならばいざ知らず、相手は不死身の変態マッドサイエンティストだ。
何をしたところで、誰の良心も痛まない。
悪を憎んで人を憎まず、でも変態には容赦するな、サーチアンドデストロイだって昔の偉い人もゆってたことだし。
「痛たた……。いきなり何するのよ」
「ショック療法ってやつだぜ」
微妙に間違えてる気がしないでもないが、それでも正気に戻ったらしい。
頭をさする永琳を見て取って、内心ほっとしながら毒づいてみせる。
「少し違う気がするけど……まぁ、確かにアレは記憶から消えたけれどね……。
って考えたらまた思い出しちゃうわ! カットカットカット……!」
「なんでそこまでマッチョを嫌がってるのかわからんがな、
お前さんのとこの鈴仙だって、もとは軍人って話じゃないか。結構鍛えられてるんじゃないか?」
「やわらかいのは正義なの。すべすべなのも正義なのよぉぉ。
だからしなやかに引き締まった身体はいいの、でも無駄肉まみれの筋肉ダルマなんか絶対無理。もう犯罪よ犯罪!」
ディープでマニアックな寸評を述べたのち、手中の酒をぐっと一気に飲み干した。
どういう線引きなのかよくわからないが、本人の中ではどうしても譲れない絶対的な境界があるらしい。
さすがに変態という名の天才なだけのことはある。
「……あーもう、ついていけんわ」
疲れた声を絞り出し、おでこを押さえて腰を落とす。
ドロップアウトを宣言した魔理沙と入れ替わるようにして、ミス涙は身を乗り出した。
空になったグラスを引き上げて、新しいロックのグラスを代わりに置きつつ、永琳に話しかける。
「やわらかいのは正義……ね、なるほど確かに言えてるわ。けだし名言ね」
「そうでしょ!? あなたならわかってくれるわよね!」
「それはよくわかるわ。でもね……」
言葉を区切り、永琳の耳元にそっと口を寄せる。
「相手を自分の理想通りに育て上げる悦び……あなたも味わってみない?」
それは、悪魔の囁きだった。
あるいは、あまりにも濃密な、甘い毒。
永琳は息を呑み、虚空に視線を泳がせる。
「それ、は……」
一言、何かを言いかけたきり、言葉に詰まってしまう。
落ち着けずに手にしたロックのグラスが、掌の中で小さく揺れていた。
「試しに一度味わってみて?」
もう一度、囁く。
毒が、波紋のように広がっていく。
「でも……」
「意外と恍惚で、病み付きよ?」
迷う言葉を遮って、追い討ち。
その一言は、永琳の中でせめぎあっていた何かを、いともたやすく決壊させた。
「……オーケー、わかったわ。
輝夜を私の理想どおりに……、鍛え上げてみせる!」
「こっ、壊れたー!?」
椅子を蹴倒さんとばかりに立ち上がり、握り拳を振りかざしつつ、永琳は決意を露わにする。
消沈していた先程とはうって変わって、瞳にメラメラと燃える炎を灯してさえいた。
あまりの変わりように、魔理沙が思わずひっくり返ったのも頷けるというものだ。
「壊れてなんかいないわ。ただ、使命に目覚めただけ。
本当に、何を悩んでいたのかしら……。私が直々に輝夜を鍛えればいい、それだけのことだったのよ。
もちろん、やわらかくてしなやかでおいしそうですべすべな肉体にね!」
「なんか言い回しが妙にやらしくないか」
「そして、どうせ身体を鍛えるのなら、レスラーになるべきなのよ!」
「そうね。まさにその通りだわ!」
「なんで!?」
どういう思考回路をしていれば、身体を鍛えるのとレスラーになるのがイコールで結ばれるのだろう。
なんとかと天才は紙一重、とよく言われるが、今まさに魔理沙の目の前でその通りの光景が呈されていた。
困惑する魔理沙を置き去りにして、ミス涙と永琳は、暴走冷めやらぬままに話を続ける。
「目指すは唯一、最強のみね!」
「ええ、ルール無用の残虐ファイトなんて、朝飯どころか起床前よ!」
「トドメ技はもちろん、派手で豪華なKO技よね!」
「あ、ちょっと待って。その前にリングネームを決めないと」
「実はもう考えてあるの。マウンテン輝夜……っていうのはどうかしら?」
「……名前、センスねぇなぁ……」
相変わらず、異次元極まりないネーミングセンスだった。
なんというか、ホールドされたが最後、やたらめったら甘くて多いスパゲティを食わされそうな感じがする。
そんなぶっ飛んだ提案を、永琳は。
「OK、いただきだわ」
サムズアップをかましながら、すごくイイ笑顔で受け入れていた。
さすが宇宙センス。コズミックハンパねぇ。
「わかってくれたのね、永琳!」
「イエス・アイ・ドゥー!」
おかしなテンションで大声を張り上げつつ、いつかのようにバロムクロスる約二名。
取り残された魔理沙はというと、そっぽを向いておでんをつまみ、必死に他人の振りをしていたそうな。
「それじゃあ、これで失礼するわね。
さっそく明日から輝夜……マウンテン輝夜専用のトレーニングメニューを組んでみましょう。
いつの日かきっと、幻の大技、ひとりツームストンパイルドライバーを極めさせてみせるわ!」
「ええ。マウンテン輝夜のデビュー戦、楽しみに待ってるわ」
ツッコミどころ満載のコメントを残し、永琳はひとり家路につく。
にこやかに手を振るミス涙に見送られ、まだ見ぬ明日に思いを馳せて。
「……今、気付いたんだけどさ」
永琳が屋台を後にしてからしばらくして、魔理沙は不意に呟いた。
「あいつら蓬莱人だろ? トレーニングなんかしても、効果なんかあるもんかね」
「昔の哲学者もこう言ってるわ。細かいことを気にしてたら大きくなれないんだぜベイべ☆って」
「ンな哲学があってたまるか。つか細かくないだろ」
「だってほら、魔理沙ってば、そんなにツッコんでばっかりだから胸が大きくならんがくっく」
「やかましい」
熱々コンニャクもう一丁。
そんなこんなで、夜はとっぷりと暮れていくのでした。
「しっかし、意外な奴ばっかり来るもんだな」
慧音と永琳、二人の客を見送ってからこっち、またもや居座る閑古鳥。
暇に耐えかねたのか、椅子をぎしりと鳴らしながら、魔理沙はミス涙に話を振った。
「そうね、永琳はともかく、慧音は珍しかったかな。
でも、誰が来ようとも、私のやり方は変わらないよ。
押されたがってる背中があれば、そっと押してやるのが人情ってものだからね」
半眼を閉じて、感慨深く喋りながら、ミス涙はカウンターを拭いていく。
なんでこうも達観しているのだろう。
つーか、そっと背中を押すというよりは、思いっきり間違った方向に全力で突き飛ばしてるような気がする。
先の洗脳っぷりからして、足を掴んで向こうの世界に引きずり込んでいる、と言ってもいいかもしれない。
眉根を寄せて唸る魔理沙の耳に、小さな足音が飛び込んでくる。
お客さんか、と暖簾に目を向けてみれば、見知ったブン屋がそこにいた。
「なんか浮かない顔してるな。どうしたんだ?」
「ええ……まあ」
「あぁ、いらっしゃい。
お客さんも、随分胸に溜め込んでるものがありそうね。
まずは一杯どう? 惚気も愚痴もそれからね」
ミス涙に勧められるまま、文はコップを受け取り、一息に酒を流し込んだ。
大きなため息ひとつして、この際ですから……と、ことの仔細を語りだす。
それは、数日前のこと。
慧音が話していたことをなぞるように、文は言葉を紡いでいった。
「……で、あのハクタクが怪しい専門店で領収書を切っていたのをカメラに収めまして。
それで、思わぬネタを拾えたのが嬉しくて、じっとしてられなかったんですよ」
嬉しいことがあるとこう、何かムズムズしてきません? と、文は同意を求めるように付け足した。
多少なりとも見に覚えがあるのか、二人は揃って首を縦に振る。
「そこに、タイミング良くでっかい毛玉が飛んでたんです。
それで、ついつい遊びたくなっちゃいましてね?
超天狗タ・ツ・マ・キーーー! 超天狗スピーーーン! って毛玉を突き破ってたら……」
「……ちょ、超天狗?」
不意に飛び出た不思議ワードに、魔理沙はおうむ返しに聞き返した。
しかし、話に入れ込んでいるからなのか、文はそれに気付くことなく続きにかかる。
「誰もいないと思ってたのに、その一部始終を見られてたんですよ……。 椛に……」
「別にいいんじゃないか? そいつに見られたくらいなら」
この世の終わりとばかりに消沈する文に、フォローのつもりで声をかける。
すると、何故だか文は魔理沙を睨みつけ、大仰な身振りを交えて食ってかかってきた。
「よくないです! 全然よくないです!
あなたはモミーがどんだけ黒い子か知らないからそんな事が言えるんですよっ!」
「も、モミー? ってあいつ黒いのか? どこが?」
「黒いってのはアレです。楽太郎的な黒さですよ? ブラックストマックってことです」
訝る魔理沙に補足して、文はコップを傾ける。
少し話して、一杯やって。
何度もくり返すうちに酒気づいたのか、鼻を鳴らしつつぼやきだす。
「ちょっとモミーの盗撮写真を高値で取引しただけなのに……。
それからというもの、有形無形の嫌がらせを仕掛けてくるなんて酷すぎますよ!」
まったくもって無自覚な文の言葉に、ミス涙と魔理沙は顔を見合わせた。
お互いに思うところがあるのか、二人揃って言葉を濁す。
「だって……なぁ?」
「ねぇ?」
何をかいわんや、口には出さじ。
何度か盗撮の被害に遭っている身としては、呆れこそすれ、とても同情する気にはなれなかった。
「なんでですか! 盗撮は文化ですよ!? なにより私の生き甲斐なのに!」
「開き直るな!」
「じゃあ一日一枚盗撮写真を撮らないと死んじゃう謎の奇病にかかってるから止むを得ずってことにしましょうか? あぁん!?」
「今度は逆ギレかよ!」
魔理沙のツッコミを右から左に受け流し、文はそのまま塞ぎ込んだ。
突っ伏したまま、時々思い出したように酒をあおり、やがて大きなため息をつく。
「本当に、なんでこうなっちゃったんでしょう。 コマンダー! と言えばガデッサー! と返してくれる仲だったのに」
「……あえて突っ込まん」
ツッコミどころは丸見えだが、あえてツッコまないでおく。
押して駄目なら引いてみろ。 放置プレイも、時としては必要なのだ。
「……とにかく、毛玉の一件があってからというもの、モミーってば私のあだ名をコン・バトラー文(ブン)、
略してブンちゃんにしようって大々的なキャンペーンを始めやがったんですよ!?
私ゃー菅原文太ですかってのコンチクショウめがぁぁぁ!!」
「あーもう、絡むな絡むな」
酔って絡む文に辟易しつつ、両手をかざしてなだめすかす。
それが文のトサカに触れたのか、いきなり魔理沙の両肩をがしっと掴んで、がっくんがっくん揺さぶりだした。
「これが絡まずにいられますかっての!
あの腹黒モミーがどれだけの悪行を私にしてきたか、これっぽっちも知らないくせに!」
「ちょ、待て、おい、こら」
「念射に挑戦☆ とか言って愛用のカメラ殴り壊された私の気持ちだって分からないくせにぃぃっ!
モミーのどS! 壊し屋! 大魔王! 腹黒! やりすぎマスター! スマイリーキクチ!
六黒合体ブラックモミ~~~っ!」
噴出した怒りと恨みと鬱憤に動かされるまま、文は魔理沙の肩を揺さぶり続ける。
同時に叫ぶ罵詈雑言が、根深い恨みを如実に物語っていた。
てーか、最後のあたりははたして悪口なのだろーか。
「お客さん、後ろ後ろー」
「後ろぉ!? 後ろがどうかした……って……」
ミス涙の言葉に振り向いて、そしてそのまま凍りつく。
さっきは文のすぐ後ろ、今では文の目の前に。 立っていたのは他ならぬ、犬走 椛その人だった。
「私がどうかしたの? ブ――文ちゃん?」
ブンって言いかけた。この子今ブンって言いかけた。
「いえあの本日はお日柄もよく実に過ごしやすい日々で何よりですねと挨拶を交わしていただけでありまして
決して椛様のことを口汚く罵っていたりなんかしてはいないわけでしてええそりゃもう」
我に返ってすぐ、文は平伏して矢継ぎ早に言い訳を並べ立てる。
顔色を変えて口調はきっちりですます調、しかも様づけしているあたり、尋常でない怯えっぷりが伺える。
何をされれば、こうも根深いトラウマを植えつけられるのだろう。
有形無形の嫌がらせ、とやらがどれほど凄まじいものなのか、想像するだに恐ろしかった。
「文ちゃん、何言ってるの? 印刷所に帽子を忘れてったでしょ、これを届けに来ただけだよ?」
「あ、ありが……と……」
にこやかな笑顔で椛が差し出したのは、六角形の赤い帽子。
少し前、魔理沙が妖怪の山に訪れた時に被っていたものだろうか。
だがしかし、あの時とは微妙に形が違っていた。
長い飾り紐はなぜか短く切り取られて、斜め上を向いてピンと立っている。
その先には綿毛――――――ではなく、かもし顔のKE☆DA☆MAどもが刺さっていた。
「えっとあの椛さん?」
「ブンちゃぁぁぁん、毛玉好きなんでしょおぅ? 突き破っちゃうくらいぃぃ」
浮かべたのは、笑顔。
眩しいくらいの、満面の笑み。
だがしかし、その背後にうごめく暗黒が確かに見て取れた。
文は喉の奥で悲鳴を上げて、震えながらかくかく頷くのみ。
普段の慇懃さなど、今の文からはカケラも感じられなかった。
「それに、にとりちゃんに頼んでドリルも作ってもらってるから。
よかったね、スピンの威力上がるよ!」
「……そんなのいらない」
俯き加減にそっぽを向いて、声になるかならないかの、わずかな呟きを漏らす文。
せめてものささやかな抵抗を試みたその直後、お尻を思いっきりつねり上げられていた。
「ひぎゃぁっ!」
「んー、ブンちゃん何か言った? 聞こえないなぁー?」
椛は小首をかしげながら、聞き耳を立てる真似をしてみせる。
その一方で、つねるお尻をさらに全力でねじり回した。
「ひぐぎゅうううぅぅぅ!?」
「ほぉぉらぁぁぁ、ちゃぁぁんと大きな声出せるんだからぁ、大きな声で話そうね?」
文が目に涙を溜めて震えだしたのを見届けて、そこでようやく手を放す。
その目が、獲物をいたぶる肉食獣のそれであるように見えたのは、気のせいではないだろう。
「あ、そうそう、もう一つ見てもらいたい物があるんだけどね?」
お尻を押さえてしゃっくりあげる文に向かって、椛はまたも一方的に話しはじめる。
それはもはや会話と呼べるようなものではなく、宣告に近いものだった。
「ジャア~~ン! コン・バトラー文ポスター~~!」
てれれれっててー、と口ずさみながら懐から取り出したモノは、一枚のポスターだった。
そこには、文がものすごい勢いで毛玉を突き破っている様子がバッチリ描かれている。
『みたか必殺、超天狗スピン! 射命丸・コンバトラー・文』というチープな書き文字が、何故だか妙に馴染んで見えた。
「待て待て、射命丸・コンバトラー・文て何だ!? ミドルネーム!?」
あまりに前衛的なセンスに思わずツッコんだ魔理沙に向かい、ううん、ニックネーム! と返し、再び文に向き直る。
「これね、思ったよりもよくできたから、大量生産してそこらじゅうに貼り付けてきたの」
椛はにこやかな笑顔を崩すことなく、情け容赦のない、とんでもねーことを口走った。
下された宣告に、文は戦慄に顔を凍りつかせ、足早に席を立つ。
「夜が明けるまでにさぁ……全部、剥がせるといいねぇ?」
「うっうわぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーん!」
背中から投げかけられた声に、とうとう文は耐え切れず、泣き出しながら飛び去っていく。
夜のとばりに消えていった文を暖簾越しに見上げて、椛は含み笑いを漏らしていた。
「くすくすくす……、せいぜい頑張ってね、ブンちゃん」
「怖いから。含み笑いとか怖いから」
魔理沙の声に、椛ははた、と悪役ちっくな笑いを止める。
照れ隠しに笑いながら、頭を掻き掻き居直り正す。
「あー、ごめんごめん。つい、ね。
明日配る予定の新聞にポスターを折り込んであるとも知らずに、必死こいて剥がし回るんだろうなって思うと、どうしてもね」
「「うわぁ」」
この椛容赦ねぇ。
「それもね、配り終わる頃にポスターが入ってるってわかるようにしてあるの」
「うーわー……えげつないなぁ」
「だってほら、配った新聞を泣きじゃくりながら必死に回収して回るブンちゃんってさ……最高のピエロだと思わない?」
「お前の前世は大魔王かなんかか」
眩しいくらいにさわやかな笑顔から飛び出てきたのは、悪魔も腰を抜かすようなブラック計画。
味方につけると恐ろしく、敵に回すと面白い。 そんな他の妖怪連中とは明らかに格が違う。
下手に敵に回したが最後、穴の毛までもむしり取られそうな感じさえする。
「こんなのまだまだ序の口よ。
さーて、このあとブンちゃんにどんな仕返しをしてやろうかなぁ……」
「……何をするつもりなのかは、聞かないでおくぜ」
目を輝かせる椛に先んじて、一言。
「そうね、知らないほうが幸せな人生を送れるだろうし。……くく、ふくくくくく……」
「だから怖いっつうの」
「あー、とりあえず飲んだ飲んだ。冷やかしはお断りだよ」
含み笑いを続ける椛の目の前に、徳利を突き出すミス涙。
商魂たくましいのか、それともお茶を濁したいのか。
椛はそれを素直に受け取り、一杯やって――――、
そのままそこにぶち倒れ、ぴくりとも動かなくなった。
「……なぁ、これって」
「象も一撃コロリと評判の、えーりん印の睡眠薬よ」
魔理沙が向けた疑惑の眼差しを、ミス涙は笑顔でしれっと受け流した。
ブラックモミーの毒気に中てられたのか、心なしか笑顔が黒く見えたのは――――気のせいだろう。きっと。
つーか、毒じゃないだけマシだとはいえ、客商売で平然と一服盛るってのもどうかと。
クスリで昏睡した椛を適当なところに寝かしつけて、そろそろ看板か、と後片付けをはじめる二人。
そんな折、誰かが意気消沈して俯いたまま、暖簾をくぐって入ってきた。
「……まだ、やってる?」
「あ、えーと、もう看板で」
「えぇ、まだ大丈夫よ」
魔理沙の言葉を遮って、ミス涙が身を乗り出す。
火は落としちゃったけどね、と付け加えながら、小さなグラスを差し出した。
「……あれ、誰かと思えば穣子か」
「知り合い?」
ミス涙に頷いて、穣子のグラスに注いでやる。
秋口ともなればハイテンションになるはずなのに、今日はどうも様子がおかしい。
そのことについて尋ねてみると、返ってきたのは予想だにしないものだった。
「お姉ちゃんが……お姉ちゃんが、アホになっちゃったの……!!」
「「……はい?」」
突拍子もない穣子の言葉に、二人は揃って目を丸くする。
穣子はグラスに視線を落としたまま、ぽつり、ぽつりと話をしはじめた。
「何日か前に、西瓜を巡って、お姉ちゃんがリグルと対決してたのよ」
「……なんでリグルと?」
リグルといえば、あのリグルだろう。
それがなんで、西瓜を巡って静葉と対決しなくちゃならんのだろうか。
彼女は夏の化身とか夏の神とか、そんな大仰なものではないはずなのだが。
「わたしも不思議に思って、聞いてみたんだ。
そしたら、『なんかあのヒマワリ女は下手に近づいたら食われそうな気がするのよね。魔王的な意味で。
それにほらホタルは夏の風物詩、言わばリグルは夏の手先ってことじゃない!
だからリグルが相手でもオールオッケー、さあ、秋の権益を広めるための聖戦を繰り広げるのよ!』とか言ってたわ」
「その時点で十二分にアホだよ」
聖戦と書いてジハードって読むとイタいわよねって、ぱっちぇさんがゆってた。
「で、リグルとの対決に負けて帰ってくる途中で」
「結局負けてんのかい」
「……うん。 服の中、っていうか背中にいろんな蟲を入れられたみたいでね……。
ムカデとか、ヒルとか、毛虫とか、ゲジゲジとか、なんか腕くらいでっかいのが大量にまとわりついてたし……。
とにかくうぞうぞしたのがたくさん入ってたみたいで……お姉ちゃん、マジ泣きだったわ」
「……想像しちゃったじゃない……」
「リグル怖ぇー……」
穣子の生々しすぎる物言いに、嫌になるくらい鮮明に、その光景を想像してしまう。
誰だって、見ただけで怖気の走るような巨大虫にまとわりつかれたら、普通泣く。
相手を舐めてかかった報いだな、と言うにはあまりに気の毒だった。
「それで、お姉ちゃんが降参して、腰が抜けて立てないって言ったからおぶってあげたのよ。
あの時の涙目になってすがりつくお姉ちゃんったら、それだけでゴハン三杯はいけたわ。ええ。
で、その帰り道にバナナの皮を踏んだらそれが爆発して、二人で一緒に吹っ飛ばされて、
このまま頭から落ちたら死んじゃうかもしれないって思って、ついお姉ちゃんを盾にしてたの」
「ツッコミどころが多すぎてツッコめんわ!」
酒が回って変なことを口走っているのかとも思ったが、グラスの中身は減ってない。
とはいえ、素面でこんな支離滅裂な作り話を言ってるとは思えないし、思いたくもない。
とするとやっぱり全部事実ということになるのだが、それにしたって滅茶苦茶だ。
「そしたらお姉ちゃん、顔から地面に突き刺さって……。引き抜いたら、アホになっちゃってたのよ」
「………………あぁ、そうかい」
語られた恐るべき現実に、魔理沙は乾いた声を絞り出す。
チルノが超伝導のメカニズムを解明して、リニア技術を発明した。 とか言われたほうがまだ信じられるってもんだ。
しかし、事実は時として、どんな荒唐無稽な作り話でさえも笑顔で飛び越してしまうものだったりするのだからタチが悪い。
そして、それを今から身をもって知ることになるんだろうなー、などとは――――、
約1名ほど、うすうす感づいていた。
「お~~~い、芋子~~~」
遠くから響いてきた声に、穣子はぴくん、と体を震わせた。
「ちぃぃ、あれだけ頑丈に縛ってきたのにっ!」
露骨に舌打ちしながら毒づいて、屋台の外に躍り出る。
「……何?」
穣子の態度と言葉に不穏なものを感じ、何事なのかと首をかしげる。
様子を見るため表に出てみれば、身構える穣子の先に――――えーと、その、……アホが居た。
「ソレ」は何故だかジャージを着込み、首からギターを下げていた。
牛歩でテクテク屋台に近づいてきたと思いきや、いきなりルンルン気分でスキップし始める。
したら下げたギターにけっつまずいてブチ倒れ、起き上がりざまギターなんて辞めてやるよとか叫んで叩き壊しだす。
穣子の話を聞いていても、アレが静葉だなんて思えない。というか思いたくない。
「何あの……何?」
「お姉ちゃんよ……認めたくないけど」
戸惑う魔理沙に答えて、穣子は深い、深ーいため息をつく。
それを耳ざとく聞きつけて、静葉(ジャージ)はいきなり猛ダッシュ。 素早く穣子の後ろを取って、そのまま肩に手を回す。
「芋子、お姉ちゃんに向かって認めたくないとは何事かしらけしからん。
あんまりお姉ちゃんをバカにしてるとあれよ? ひねるよ? ひねって名前をひねり子にがぶすれい」
絡む静葉の顔面に、必殺の裏拳を叩き込み黙らせる。
なんだか裏拳が妙に手馴れているように見えたが、気のせいだろう。 多分。 きっと。 おそらく。
「ヌゥゥ~、芋子この野郎、よくも私のキュートな顔を傷物にしてくれやがったわねチクショウめ。
この恨みはいつか軍服着た老婆が竹槍で晴らしてくれるだろうさ!」
「じゃあわたしはその前に里中の老婆を根絶やしにしてくれるわ!」
「お前ら言ってることがムチャクチャすぎるぞ!」
果てしないたわ言を抜かす二人を、魔理沙はあらん限りの大声で怒鳴りつけた。
おばあちゃん頼みの神様とか、平気で根絶やし言う神様とか、なんかもう、根本からおかしい。
ツッコミどころがどうこうとかいう次元じゃない。
「何ぃー? 私の顔がキュートじゃないってのかこらぁ~」
「里中じゃぬるいって? 幻想郷中の老婆を狩れっていうのね、魔理沙のデストロイ!」
「そこじゃねぇ! 二人ともそこじゃねぇ!」
ツッコミにさらなるボケで返す。それが神様クォリティ。
わざとやってるんだとしたら相当なもんだ。 天然でも相当にアレだが。
頭を抱えてかぶりを振る魔理沙を尻目に、静葉と穣子が対峙する。
「とにかく許さない。 本気で許さないわ芋子。 生きて帰れると思わないことね!
芋子を亡き者にした暁には、芋子の体にジャム塗りたくってあたかも血管の中をジャムが流れていたかのようにしてくれるわ!」
「お姉ちゃん……、なんでそんなに怒ってるの?」
静葉は指をポキポキ鳴らして、溢れる憎しみを隠すこともなく穣子と相対する。
穣子の言葉を鼻先で笑い飛ばし、もったいぶった仕草で口を開いた。
「あんたにそそのかされたおかげで、ステキ蟲サウナにご案内だったからねぇ~……、
この恨みは重いわよ。 おまんじゅうをおごって貰うまでは消えることはないわ!」
「軽っ!? 無いも同然だろそれ!」
「……なんてこと……。 わたしたちはもう、後戻りできないようね」
「おごってやれよそれくらい」
おまんじゅうをおごるくらいなら、素手ゴロを選択したっていいじゃない。
問題は神様がンなチンピラまがいのことを平然とやってるってところだが、それも気にしなければ気にならないので大丈夫なのだ。
「さあ覚悟しなさい芋子。
今から始まるのは、凶器なし目潰しなし急所攻撃なし関節技なし投げ技なし絞め技なしのデスマッチよ!」
「お前どんだけ安全求めてんだ」
静葉は臨戦態勢を整えて、声高らかに制限ありまくりのデスマッチを宣言した。
いわゆるところの、安全第一デスマッチ。ここまで矛盾だらけなのも珍しい。
「えぇい黙らっしゃい! くらえ必殺静葉アターック!」
言うが早いか、静葉は両腕を顔の前で交差させ、穣子に向かって跳び掛る!
不意討ちに反応できず、驚く穣子に静葉が迫り――――、イマイチ届かずお腹から落ちていた。
「オゥブッ……、お、お腹打った……」
「飛べよ!」
「い、芋子コンチクショウ……、なんて卑怯な真似をしやがるの」
「いやそれただの自滅だろ」
「フフフッ……計画通り」
「なんで得意気なんだ!?」
この姉にして妹あり。
ボケのボケによる、ボケのためのボケ。
そこから織り成される怒涛のボケスパイラルは、多少のツッコミではびくともしない。
「おのれ芋子ー! こうなったら最終奥義よ!
トウッ! フライング・神様・ポセイドーーーン!」
さっきまで、お腹を押さえてのた打ち回っていたはずが、早々と立ち直って再び襲い掛かってくる。
しかし、自分でああ言ったからなのかわからないが、体当たりしか仕掛けてこないってのもどうかと。
「うっうわーお姉ちゃんが空中M字開脚なんて気色悪い体勢で襲い掛かってくるー」
「棒読み丸出しで言われてもなぁ」
「とゆーわけで魔理沙、身代わりになって!」
「お断りだ」
「どうして!? 殺せと言われれば殺して、死ねと言われれば死ぬのが人情ってものでしょう!?」
「ンな殺伐とした人情があってたまるか!」
どこぞの特殊部隊でもあるまいに、平然と恐ろしいことをのたまう穣子に、魔理沙は顔を引きつらせた。
さっきの根絶やし発言といい、実は穣子もあの時頭を打っていたんじゃないだろうか。
いくらなんでも、豊穣の神がこんなデストロイな性格であって欲しくない。
頭を押さえてため息ついて、ふと静葉の方へと目をやると。
いまだに空中M字開脚のまま、ゆっくり、実にゆっくりと落ちてくるところだった。
「ぉ~~~~~~~」
「お前もいつまで飛んでる気だ!」
ツッコミがてら、手近な石ころを拾って投げつける。
大人の拳くらいの石が、静葉のどたまめがけて飛んで行き――――
「びぐざむ」
狙い澄ましたかのように、頬にめしゃりとめり込んだ。
一発もらって体勢を崩したのか、ひっくり返って落ちていく。
落ちる静葉を前にして、穣子は無意味に勝ち誇り、これまた無意味に胸を張った。
「ふっ、思い知ったようねお姉ちゃん! これぞ必殺、断罪ストーンよ!」
「なんでお前が偉そうなんだ!?」
隣で怒鳴る魔理沙もスルーして、いきなりはじめる高笑い。
もしかしたら、本当に倒すべきはこいつだったのかもしれない。
今更そんなことを考えても、どうしたって後の祭りだった。
「ぁ~~~~~~~」
「だからいつまで落ちてるんだ!」
「もうやめてお姉ちゃん! もう魔理沙のツッコミポイントはゼロよ!」
「誰のせいだ誰の!」
ツッコミ疲れて、肩で息する魔理沙を余所に、今更グシャー。 と落ちる静葉。
足を上げて、振り下ろした反動で起きようとして起き上がれず、二、三度もっきんもっきんしたあと不貞寝する。
そのまま地面にのの字を書き続け、腕が届かなくなってきたくらいのところで、突然がばっと跳ね起きた。
「チクショウ、覚えてろよ芋子~~!
お前のかーちゃんマルチメディア~~~!!」
悪口なのかなんなのか。
よくわからない捨てゼリフを残して、どこかへ走り去っていく。
静葉の去ったそのあとに、穣子は取ってつけたような笑顔で魔理沙の手を取った。
「ありがとう魔理沙、あなたのおかげで無事にお姉ちゃんを追っ払えたわ。
でも、忘れないで。 人々に悪い心がある限り、いつか必ず第二第三のお姉ちゃんが現れるってことを……」
「……帰れ」
ようやく搾り出した声は、これ以上ないくらい疲れ切っていたのだそうな。
「終わったの?」
「……ああ、ようやくな」
精も魂も尽き果てて、疲れた体を引きずるように屋台に戻ってみれば、ミス涙が食器を籠に入れ終えたところだった。
閉店支度を整えて、本日最後の一仕事。
疲れた体にはいささか堪える仕事だが、決まりなのだから仕方ない。
籠を両手に抱えて、慎重に裏手の川まで下りていく。
適当な場所を見繕い、荷物を横に下ろしたところで、ぷかぷか流れてくる何かが目に付いた。
ゴミにしては大きすぎるし、なにやらか、人の形をしているようにも見える。
夜明け間際の暗がりでは判別がつかず、思わず眉をひそめて呟いた。
「何だ、ありゃ……土座衛門か?」
「水死体呼ばわりはー、ないんじゃないかしらー?」
「うどわっちゃ!?」
呟いた声に返されて、素っ頓狂な叫びを上げる。
暗闇に目を凝らして見てみれば、流れているのは雛だった。
照れ隠しに咳払いをひとつして。しゃがんで声をかけてみる。
「って、鍵の字か……。 驚かすな」
「私だって、流されたいときくらい……ある」
「……よくわからないんだが」
突拍子も無い話に、首をかしげて眉をひそめる。
そんな魔理沙を見て取って、雛は少し遠い目で話し始めた。
「昨日ね、困ってた里の子供を助けてあげたのよ」
「ほう」
「まあ、過程は大事でもないから飛ばすけどね。
そしたら、『ありがとう、えんがちょのおばさん!』って言われたの」
子供に悪意は無いのだろうが、雛の心中はいかばかりか。
遠い目のまま無表情で訥々と話されるのは、激昂されるよりもきついものがある。
雛はしばらく沈黙を保っていたものの、やがて小さく嘆息して、続ける。
「だから、ヤってやったわ」
「サラリと問題発言だよ!?」
「スポッ!って」
「『スポッ!』!?」
一体、子供は何をサれたのか。
字面とか擬音とかがいろいろ不適切なだけに、いらぬ心配をしてしまう。
「まぁ、それはわりとどうでもいいわ。 あれは……何日前のことだったかしらね」
「うん?」
「厄をね、たくさん抱えてたの。
気をつけてはいたんだけど、うっかり転んじゃって、その厄がみんなどこかに散っちゃって」
「それって……まさか」
雛の言葉に、何かを悟る。
「で、その散った厄を集めなおしたんだけど、もうほとんどの厄が誰かのところで弾けちゃってたのよね」
「……あぁ、やっぱりそうか。 そーゆーことか」
魔理沙は納得しながら脱力して、誰に言うでもなく呟いた。
今晩の客はみな、数日前に大変な目に遭った連中ばかり。
思い返してみれば、魔理沙自身も数日前に箒の暴走という憂き目に遭っている。
偶然にしては出来すぎていると思っていたが、わかってみれば当然のことだった。
「だから、自分を見つめなおすために、こうやって流されてるの。
かーわーのなーがーれーにみーをーまーかせー♪」
「いや、わけわからんから」
歌いはじめる雛に向かって、首を振りつつ手をヒラヒラ。
それにしても、川に流されるのと、自分を見つめなおすのとが、どうやって繋がるっていうのだろう。
なんとなく整然としているように思えるが、よく考えてみるとメチャクチャだ。
「でも、仰向けで流されてると、頭に石がぶつかって痛いのよ」
「なら体を回せばいいだろ」
「うつ伏せになったら、窒息して溺れちゃうじゃない」
「いやそーゆー意味じゃなくてだな」
「それとも必殺の雛ドリルで石を砕きながら進めってことかしら?」
「違うー!」
どこかで軸がぶれていて、ちっとも話が進まない。
足を下流に向けろと言いたいだけなのに、なんで雛ドリルなんてものが出てくるのだろう。
雛も静葉も穣子も、揃いも揃ってはっちゃけすぎだ。
「それじゃあ、また来週ー。
あでぃお~す・あみ~ご~~~」
頭を抱える魔理沙に向かい、立てた右手をぴこぴこ振って、そのまま下流に消えていく。
いつの間にか隣に来ていたミス涙が、その様子を眺めて、感慨深げに呟いた。
「ほら見て、雛が……流れていく……」
「なんかもう、どうでもいいわ」
青くて、大きくて、まあるい月の下で。
二人の妖怪が、連れ添って空を飛んでいた。
_/ _/ _/ 魔法の森 上空 PM8:24 _/ _/ _/
「ごめんね、ふーちゃん。
急に手伝ってほしいなんて無理言って……」
買い物袋を両手に提げて、夜雀の少女――ミスティアは振り返り、申し訳なさそうな声をかける。
ふーちゃんと呼ばれた、やや大人びた風貌の少女は、照れくさそうにはにかんだ。
「ううん、ミスティアのお願いだもん、私でよければいつだって力になるよ」
「……ありがとう」
はにかむふーちゃんに微笑み返して、再び前へと向き直る。
冷たい夜風が、少し火照った頬に気持ちいい。
青い月に照らされながら、二人は並んで飛んでいく。
ほの明るい夜空に、少女たちが身を躍らせるその様は、どこか現世離れした、幻想的な情景だった。
そうして、しばらくの時が過ぎて。
そんな情景をぶち壊しにする白黒が、絶叫とともに飛んできた。
「――――――う、わぁああぁぁあっ!?」
「えっ?」
「今のって……」
二人の間を割って、デタラメな格好ですっ飛んでいった黒い影。
一瞬遅れて振り向くと、そこには上下逆さまになって箒にしがみつく、魔理沙の必死な姿があった。
箒のコントロールを失っているのか、跨る箒は彼女を振り落とさんとばかりに無茶苦茶に暴れている。
宙返りするように回ったり、錐もみの格好で上昇したり、ポンコツ車のように跳ね回ったり。
ロデオさながらの状態のなか、魔理沙はなんとか箒を制御しようと、全神経を集中させて箒と格闘する。
――まあ、当然のことながら。
そんな状態では、前を見ることなんか、できなかったわけで。
――――Caved!!!!
「びっぐべん!?」
「ふ……ふーちゃんっ!!」
……うん、まあ、とりあえず。
今の状況を、わかりやすく説明すると。
箒 イズ ブッササリング 尻。
「うぅぅ……魔理沙の硬くて太いアレ……ごっつぁんでした……ガクッ」
「ふーちゃん!? ふーちゃあぁぁぁん!!」
ミスティアの悲痛な叫びが、夜の空にこだまする。
かくして、ふーちゃんは箒のオブジェと化したまま、永遠亭に担ぎ込まれることと相成ったのでした。
_/ _/ _/ 永遠亭 PM8:52 _/ _/ _/
「駄目じゃない、初心なネンネにあんなに激しいプレイなんかしちゃ」
「ぐっ!?」
ふーちゃんの診察を終えた永琳が、開口一番とんでもねーことをサラッとのたまった。
思わず麦茶を吹きそうになった魔理沙に対して、ミスティアは心外とばかりに眉をひそめて立ち上がる。
「違うわよ。あの娘とはまだ清い関係よ」
「ぶっ!!」
魔理沙、ノックアウト。
ミスティアの上げた斜め上の抗議がトドメとなって、今度こそ麦茶を吹いていた。
「あら? この間連れてきて、今夜いただくとか言ってた子じゃなかった?」
「だから鳥違いだってば。あの娘はフクロウ。この間の子はミミズクよ。
パンストを履いてるのがふーちゃんで、ガーターを着けてるのがみーちゃんって覚えればわかりやすいわよ」
頼むから、パッと見てわかる見分け方を教えてください。
「っていうかあなた、年上趣味なの? 前の子も今の子も、二人ともあなたよりは大人に見えるんだけど?」
「年上をリードしてあげるっていうインモラルさがいいんじゃない。 わっかんないかなぁ」
胸を叩いてむせる魔理沙を尻目に、永琳とミスティアは、放送コードギリギリのピンクいやりとりを平然と続けている。
気のせいか、ミスティアが夜の女王みたいに思えてきた。
ひとり蚊帳の外に置いていかれた魔理沙は、段々とエロス談義に打ち込み始める人間以外と宇宙人をただ遠目に眺めるのみ。
いつしかエロス談義はパンストとガーターはどちらがエロスか、という話に脱線し、侃々諤々の不毛な議論になだれ込む。
難易度と変態度の高い言い争いの果てに、結論として脚のラインこそがエロスだというシンパシーを見出したらしい。
満足げに笑顔を浮かべて握手して、バロムクロスさながらに腕を交差させて、性欲を持て余す! とハモる約二名。
「……頭に虫でも湧いてるんじゃねーのかこいつら」
魔理沙の漏らした呟きは、ひどく疲れたものだったそうな。
げんなりして壁によりかかる魔理沙に、ミスティアは先程とは打って変わって沈痛な面持ちで歩み寄ってきた。
しかし、その端々から取ってつけたようなざーとらしさがにじみ出る、どころかモロに溢れていたりする。
というか、目の前で目薬を差すのは何の冗談なのだろう。
「ふーちゃん、入院しなきゃいけないって……」
「……は? 入院?」
ミスティアの告げた言葉に、魔理沙は素っ頓狂な声を上げる。
入院が必要なほどの重傷だとは思えない……もとい、思いたくなかったからか、本当かよと聞き返す。
「本当よ。慣れてないとこにいきなり突っk「わーーーーっ!」裂k「だーーーっ!」」
永琳と話した時のノリのままにエラい事を口走りかけたミスティアの言葉を、魔理沙は慌てて遮った。
そんな態度に気を悪くしたのか、ミスティアは拗ねたように口を尖らせて腕を組む。
「少しは悪びれてよね。ふーちゃんが怪我したのだって、元はといえば魔理沙のせいなんだから」
「いや、なんつーか、さっきの今で悪びれろってほうが無理な気が。
それで、何日くらいの入院なんだ?」
とりあえず、話を変えないと……このままだとヤバい。いろんな意味で。
言い知れぬ危機感のまま、魔理沙は話の矛先をずらそうとけしかける。
誘導にあっさりと引っかかって、ミスティアは思惑通りに話を変えた。
「さっき診てもらったんだけど、全治一週間くらいかかるんだって。
えーりん印の『どんな怪我でも3日で治すかわりに、1週間甘い痺れが取れなくなる薬』を使ったっていってたから」
「なんだそのハイリスクノーリターンな薬は」
肩をずり落としながら、魔理沙は引きつりきった声を絞り出す。
怪我が早く治ったところで、副作用がくやしい……でも即入院! なクリムゾン効果じゃあ何の意味もない。
むしろ、エロ薬の副作用で怪我が治るってオチなんじゃないだろうか。
「あとは『どんな怪我でも一日で治るけど、3日間地獄の筋肉痛に苦しむ薬』とか、
『どんな怪我でも一週間で治るけど、10日間しもつかれしか食べたくなくなる薬』とかあったらしいけど」
「ここにはンな薬しかないんかい」
どうすれば、そんな珍妙キテレツ極まりない副作用の治療薬をこさえられるのだろう。
考えれば考えるほど、わざとやってるようにしか思えなくなってくる。
相手は、頭痛薬だと言って飲むと頭が痛くなる薬を出してくるような、いろいろと間違った天才なのだから。
「ふーちゃんが入院してる間、屋台はどうすればいいんだろ……。
ふーちゃんが屋台を手伝ってくれるはずだったのに……」
「それは、その、悪かった」
ミスティアは俯いて、ため息混じりに呟いた。
事故だったとはいえ当事者だ。 知らぬ存ぜぬを通せるわけもなく、魔理沙は素直に頭を下げる。
「一人じゃ人手が足りないのに……」
「……だから悪かったって」
平謝りの魔理沙に向かって、ミスティアは俯いたまま、ぎぎぃっ、と首を動かした。
前髪の影に隠れるその双眸が、キュピーンと擬音つきで光っているように感じたのは、果たしてただの気のせいか。
「誰か親切な人が手伝ってくれないかなぁー」
「……えーと」
「だれかしんせつなひとがてつだってくれないかなー」
「…………」
「だれかーしんせつなひとがーてつだってーくれないかなー」
魔理沙を凝視しながら、棒読み丸出しで聞こえよがしにくり返す。
そっぽを向いて、聞こえない振りをしてももう遅い。
目の前で頭を揺らしながら、ミスティアは何度も何度もぼーよみまくる。
「あぁそうだ今突然急用を思い出したぞ。じゃあ私はこれで。くれぐれも達者でな」
「待たんかい」
三十六計逃げるにしかず。しかしミスティア容赦せぬ。
くるりと背を向けた魔理沙の肩に手を掛けて、ぶら下がるようにしがみつく。
しがみつかれても、負けじと歯を食いしばって懸命に逃げようと足掻くものの、重みに負けて思うように進めない。
四苦八苦する魔理沙をあざ笑うかのように背中をよじ登り、耳元にまで口を寄せてきた。
「て~~~~つ~~~~だ~~~~え~~~~」
「怪奇現象みたいな脅迫するんじゃねえ!」
「手伝ってくれなかったら鳥インフルエンザ媒介すんぞこの野郎」
「どんな脅し文句だ!?」
「じゃあ夜な夜な枕元に立って、たて笛でダースベイダーのテーマ吹き続けてやる」
「ちょっと待てお前なんだそれ」
「しかも毎回ちょっとずつ間違えてやる」
「やめろ本当にそれだけはやめろ」
いつものことながら、結局脅しに屈してしまう魔理沙なのでした。
_/ _/ _/ みすてぃ屋 AM1:07 _/ _/ _/
そんなこんなで、ミスティアの屋台に店子として立つことになった魔理沙。
はじめのうちは慣れない仕事に戸惑ったものの、手馴れてしまえばなんのその。
三日、四日と仕事をこなして早五日、今日もまた最後の客を見送って、あくび交じりに大きく伸びた。
「っかぁ~、今日もこれで終わりだな」
「ええ、みすてぃ屋はね。
でも、まだまだ夜はこれから……むしろこれからが本番よ」
「……何?」
背伸びをする魔理沙に返しながら、ミスティアはちゃっちゃと手早く暖簾を仕舞いこむ。
屋台の裏側に暖簾を押し込むと、同じところから別の暖簾を引きずり出した。
「今からは、週に一度の深夜の部よ。
その名もステキ、酔いどれ屋台・ちんちん亭!」
「ち、ちんちん亭?」
けったいな屋号に戸惑う魔理沙を尻目に、ミスティアはてきぱきと深夜の部とやらの準備を進めていく。
暖簾を変えて、帽子を脱ぎ、髪をアップにまとめて、さらにはいつの間にか着物に着替えていた。
子供が無理をして大人ぶった格好をしているような、けれどどこかしら大人の落ち着きを漂わせているような。
一言には形容しがたい雰囲気を漂わせつつ、ミスティアは親指を突き立てると、自分を指さし胸を張る。
「そして私はママのミス涙!」
「ミス涙!?」
あいもかわらず、珍妙なネーミングセンスだった。
そんなこんなで準備を終えて、来客を待つ魔理沙とミスティア改めミス涙。
とは言うものの、真夜中ということもあってか、待てども待てども閑古鳥。
待ちくたびれて、あくびの一つも出ようかという頃合に、暖簾がはらりとめくられた。
「いらっしゃいませー」
「……邪魔をする」
暖簾をくぐって現れたのは、泣く子もビビる頭突きティーチャー、上白沢 慧音。
大きな帽子を脱ぎ置いて、まずは、と一杯ひっかける。
コップを空けてため息をつく慧音を見て取って、ミス涙が一升瓶を片手に話しかけた。
「お客さん、胸の中に抱えてるものがあるみたいだね。
ここはお酒を飲んで、悩みを吐き出して、すっきり明日を迎える所。
何も遠慮することはないよ、思い切って話してごらんね」
口調までもが姐さんっぽくなっていたり、着替えただけでこうも変われるものなんだろうか。
「……そう、だな。
では、ひとつ話をさせてもらおうか」
ミス涙に誘われるまま、慧音は小さく頷いた。
四方山話になってしまうかもしれないが――と前置きして、ゆっくり話しはじめる。
「私には、かけがえのない人がいるんだ。
……あぁいや、恋人とか、そんなんじゃないぞ? 彼女は、妹紅は親密な友人だ」
「愛人の間違いじゃない?」
「話の腰を折るな」
「それで、たまに妹紅の家に泊めてもらう事があってな……」
向かいからの茶々にも動じずに、慧音はそのまま話し続ける。
生真面目な彼女の性分からして、華麗に受け流したというのは考えにくい。
酒が入っているからか、話に入れ込んで、茶々にも気付かなかったのだろう。
「それで、たまに……ごくたまに、一緒に寝て、もこもこすることがある」
「やっぱり愛人だ」
「お前は少し黙ってろ」
「それで、何日前のことだったかな、妹紅ともこもこするための、牛さんスーツを買おうとして……。
でも、今月はもうヒヨコちゃんスーツやネコちゃんスーツを買っていて、懐がピンチだったんだ」
「……何?」
聞きなれない単語を耳にして、露骨に訝る魔理沙を余所に、慧音はコップを傾けた。
ほぅ、と、やけに艶っぽい息を漏らして、俯き加減に言葉を紡ぐ。
「我慢できればよかったんだが、どっこい牛さんスーツは現品限りの一品もので、これを逃せば次はない。
それで……、止むに止まれず、私は……牛さんスーツを経費で落としたんだ……」
「なるほどな。 買ったはいいが、良心の呵責に耐えられなくなった。 お前さんはそのことを悔いてると、そういうことか」
「それも、確かにある。だが……」
一拍置いて、続ける。
「そのことをスッパ抜かれてしまったんだ。あのブン屋に」
「……あー」
慧音は俯いたままで、今どんな表情を浮かべているのかはわからない。
それでも、わなわなと震える声と、肩とを見れば、何を思っているのかは察することができた。
あのゴシップ大好きパパラッチのことだ、また捏造スレスレの歪曲記事でもばら撒いたのだろう。
「それで、親御さんたちから事情を聞かせてくれと言われてな」
また、一拍。
酒が入っているとはいえ、なかなかどうして聞かせてくる。
話の続きを待ちわびて、魔理沙とミス涙は揃ってふむむと鼻を鳴らす。
「牛さんスーツを経費で落としたことの是非を問われて、……私も、気が動転していたのだろうかな。
これは教材だ、だから経費で落とすことくらい何の問題もないと……言ってしまって……」
「ちょっと待てお前なんだそれ」
「そのせいで……そのせいで、私は牛さんスーツやらウサギさんスーツやら
ひつじさんスーツを着て授業をしなければならなくなってしまったんだ!」
「自業自得だろうが!」
怪談から笑い話に持って行かれたような展開に、魔理沙は思わずツッコんだ。
きょとんとする慧音に向かい、咳払いをひとつして、ためらいがちに続けだす。
「つーか、あの……その。ごにょごにょ……な事をするために買った服なんか着ていけるのかよ。子供の授業に……」
「……霧雨の、お前は根本的な勘違いをしているぞ。エロい子め。
わんちゃんスーツやオタマちゃんスーツとは、顔だけが出る着ぐるみのことを言うのだ」
「……あん?」
「もこもこするというのはだな、心細くて泣きべそをかいてる妹紅を励ましてやる作法なのだよ。
私がスーツを着て、等身大もこもこ抱き枕になってやるのさ。
はじめは満月の日に尻尾を触らせてあげてたんだが、妹紅が心細い日に都合よく満月だとは限らないからな。
妹紅はさびしんぼうだから。心細い日は、私がすぐ傍に居て、もこもこしてやらなきゃ……うふ、うふふふふ……」
「えー……と……」
知らなくてもよかった世界を垣間見てしまい、二の句を失い頬を掻く。
見たままげんなりする魔理沙を余所に、酒の勢いも手伝ってか、慧音は顔を上げ、ついでに声も上擦らせる。
「つまるところだな、私は明日から、とっても愉快な格好をして授業を開かねばならんのだよ。
普通の授業は言うに及ばず、体育の時でもな。……ガチャピンか!? ガチャピンなのか私は!?」
「ちょっと待ておい落ち着けって!」
何かに火がついてしまったのか、制止する魔理沙を振り切るように、慧音は声のトーンを上げる。
「ああガチャピンだっていうなら受け入れてやろう。でっていう上等だッ!
着ぐるみティーチャーと仇名されようが知ったことか、誹謗中傷何するものぞッ!
だがガチャピンにはムックがいなくちゃだめじゃないか……誰が、誰が私のムックになってくれるんだぁぁぁ!!」
「黙れ阿呆!」
「はんぶらび!?」
魔理沙は思わず、手に持った一升瓶で慧音のどたまをぶち叩いていた。
なにやらか、知らず知らずのうちに、魔理沙自身もあの撲殺マニアに毒されつつあるのかもしれない。
背筋に薄ら寒いものを感じる一方で、小さく呻いただけで平然と居直る慧音にも肝を冷やした。
「……さすが慧音だ、なんともないぜ」
頭突きティーチャーは伊達じゃない! とでも言わんばかりの石頭っぷりだ。
幻想郷石頭コンテストを開いたとしたら、トップ3は堅いだろう。
「なんともなくはないのだがな。
いきなり殴っておきながらそれは、正直感心せんぞ?」
慧音は殴られた辺りをさすりながら、睨むように抗議のまなざしを向けてくる。
すまん、ついノリで。 と謝りながら片付けにかかる魔理沙を尻目に、ミス涙は静かな口調で話しかけた。
「確かに、数多の伝説を築き上げた、ガチャピンの中の人たち……その末席に加わるのも、あなたの自由ね」
「……お前、消されるぞ……」
秘密に触れた者には死あるのみですぞって、赤い雪男がゆってた。
「でも、それでは何の解決にもなりはしないでしょうね」
「何……? ならば今すぐ、英知を授けてみせろ!」
「それじゃあ、聞くけど。
あなたは何のために先生をしているの?」
「……え?」
不意に話を振られて、慧音は言葉を失った。
二の句を告げられないままの慧音に、ミス涙は変わらぬ調子で話を続ける。
「自分のためじゃない、誰かの笑顔のためでしょう?」
「そう……だ。 だから、私は」
「そう、だから、無理にスーツを着て授業をすることなんかないわ」
「……っ、だが、私はあれを教材だと言ってしまったし――――」
俯いて、言葉を詰まらせる。
逃げを打つことはできない。 でもどうすればいいかわからない。
やり場のない感情を抱えたまま、慧音はコップをあおり、そのまま塞ぎこんでしまった。
しばらく、重苦しい空気があたりに満ち満ちる。
自分で自分を追い詰めるばかりで、引くことができないまま途方に暮れる慧音を見かねて、再びミス涙が口を開いた。
「逆に考えればいいのよ。
あなたはもこもこスーツを教材だと言ったのでしょう?
なら、もこもこを授業に取り入れて、もこもこすることの素晴らしさを広めればいいじゃない」
「――――!!」
天啓を、得た。
慧音は大きく目を見開いて、弾かれたように顔を上げる。
「そう――か、そうだ。そうだな。
もこもこすることが如何に素晴らしいかを、みんなが知ってくれるのならば……こんなに嬉しいことはない」
「慧音? おい慧音ー?」
慧音はいたって真剣な眼差しで、たわ言にしか聞こえない呟きを漏らす。
肩を叩いて呼びかける魔理沙のことなどお構いなしに、帽子を掴み、がたん、と音を立てて立ち上がった。
「さっそく明日から、もこもこの素晴らしさを皆に啓蒙しよう。
まずは使うスーツの順番を決めなければ……こうしてはいられないぞ!
世話になったな、女将」
しゅたっ、と片手を小さく掲げ、すぐさま暖簾をくぐる慧音。
自信と使命感に満ち溢れるその姿には、もはや一抹の迷いも感じられない。
遠ざかっていく足音を耳にしながら、ミス涙は満足げに微笑んで呟いた。
「見つけたようね。自分の往くべき道を……」
「……私には、盛大に足ぃ踏み外したようにしか見えないんだが」
魔理沙の静かなツッコミは、しかし優雅にスルーされた。
それからほどなくして、二人目の客が訪れる。
暖簾をくぐって姿を現したのは、ある意味今回の元凶こと八意 永琳。
勝手知ったるなんとやら、とばかりに椅子に腰掛けながら、ミス涙達に声をかける。
「お邪魔するわね」
「いらっしゃー……って、こりゃまた珍しい顔だな」
「そうでもないわよ? 彼女はわりと常連よ」
魔理沙の言葉に横から返し、ミス涙はヤゴコロ、と書かれたウイスキーのボトルを手にして身を乗り出す。
ボトルキープをするほど入り浸っているのかと、呆れ半分、感心半分で向かいの永琳に目をやった。
「そうなのか……、でも、なんでまた」
「輝夜のことでね、ちょっと、相談したくて。 あ、いつものでね」
「輝夜の……? 惚気か?」
「違うわよ。
……輝夜はね、以前、ちょっと篭もり気味だったのよ」
受け取ったロックのグラスをカラン、と鳴らしつつ、永琳はどこか遠い目で話し始める。
テーブルに肘をついて話すその仕草は、端麗な容姿と相まって、ぞっとするような妖艶ささえ湛えていた。
「あぁ、なんか聞いたことがあるな」
「あれは一種の不可抗力だったわけだけれど、やっぱり輝夜もそのことに飽きていたようね。
それで、ちょっと身体を動かしたいってお願いされてね?
何日か前、まずは試しに、って、ラジオ体操をやらせてみたら、なんだか身体を動かすことにハマッちゃったらしいのよ……」
「いや、それはいいことじゃないのか?」
声のトーンを落とす永琳に、魔理沙はあっけらかんとした様子で返す。
何が気に障ったのか、永琳は険しい目つきで魔理沙をきっ、と睨み据えた。
「いいことなんかあるものですか!
それから筋トレに始まって、ブートキャンプやパワートレーニングにまで手を出して……。
今じゃすっかり日がな一日ジャージ着て、暇さえあれば身体を鍛える有様よ!」
「……えぇー」
「こんなつもりじゃなかったのに! パワフルで健康優良児な輝夜なんかいらないわ!
ラジオ体操第一半ばで息も絶え絶えになってへたりこむ、不健康でヘタレな輝夜を愛でていたかっただけなのに!
そしたら私が姫様ラジオ体操なんて野蛮なものよりももっと簡単で素晴らしい汗の流し方がございます
さあ私が手取り足取り腰取りわりと激しく濃密に心ゆくまでマントゥマンで教えて差し上げますわエフフフフって
これ以上ないくらい自然にかつ合法的にいただこうっていうぱーへくとな計略がすべて水の泡だわコンチクショウが!」
「うん、ツッコミどころは沢山あるが、とりあえず黙れ変態」
ほんのちょっぴり屈折した愛を語る永琳に、魔理沙は冷ややかな視線を投げかける。
そんな態度にカチンと来たのか、永琳は身を乗り出して口を尖らせた。
「わかっちゃいないわね。あなたは全っ然わかっちゃいないわ!
輝夜のヘタレた姿を見れば、ついムラッと来ていただきたくなるのが人情ってものでしょう!?」
「お前の複雑怪奇な性癖なんかどうでもいいわー!」
「ああもう輝夜、無様な輝夜! 私のエンジンは最初からフル回転よ! ぐややーぐややーぐやんがくっく!?」
「いいから黙れこのド変態!」
「んごっぐ……っぷは、いきなり何するのよ!」
暴走し始めた永琳の口に熱々のコンニャクをねじり込んで、声の限りに怒鳴りつける。
ねじり込まれたコンニャクを一息に丸呑みして、お返しとばかりに怒鳴り返す。
それらを皮切りにはじまったいがみ合いを、しかしミス涙は窘めることもなく、ただ黙々とコップを磨くのみ。
抗争がヒートアップしたのか、おでこをぶつけて睨みあう二人を横目に、磨き終えたコップを棚に戻す。
そして代わりに取り出したのは、一本のたて笛。
靴を鳴らしてリズムを取って――――
いろいろ挫けそうになるぴーぴこ音を、辺り一面に響かせた。
「……すまん。私が悪かった。本っ当に面目ない」
「私こそ悪かったわ……。だからお願いもうやめて」
虚ろな目でテーブルの上に身体を投げ出し、いかにも脱力しきった風体で、平謝りに謝る約二名。
これ以上あんな脱力音を聞かされたら、精神衛生上とことんよろしくない。
ダースベイダーのテーマ、マジ最強。
恐るべきぴーぴこ攻撃から立ち直って、ゆるゆると身を起こす永琳。
いまだに突っ伏したままの魔理沙のことはさておいて、途切れた話を続けだす。
「……とにかく、なんとしても輝夜の興味を移さなければいけないのよ」
「なんでそんなに必死になんだよ……健康優良児だっていいだろが……」
「駄目よ。それだけは絶対に駄目。
このまま輝夜が無闇に身体を鍛え続けて、深夜の怪しい通販番組並みのマッチョになったりしたらどうなることか……。
ああもう、考えただけで恐ろしいわっ!」
呟く魔理沙に返しながら、永琳は頭を抱え、この世の終わりのような顔で嘆きの声を叫ばせた。
うっかり想像してしまったマッチョな輝夜像をかき消さんと、束ねた髪を振り乱す。
だがしかし、一度脳裏に焼きついてしまったものは、簡単に消せるものではない。
浮かんでは消えるテルヨザマッチョの幻影に自家中毒でも起こしたのか、瞳孔さえも開きつつ、さらに頭を振りまくる。
「駄目よ駄目駄目! ガチムチマッチョは魔理沙一人で充うがんだ!?」
「誰がマッチョだ!?」
売られボイスに買いボイス。
永琳の叫んだ言葉に噛み付いて、再び炸裂一升瓶。
一度ならず二度までもやってしまったあたり、やっぱりあの撲殺ニートから悪影響を受けまくっているらしい。
しかしまあ、普通の人間ならばいざ知らず、相手は不死身の変態マッドサイエンティストだ。
何をしたところで、誰の良心も痛まない。
悪を憎んで人を憎まず、でも変態には容赦するな、サーチアンドデストロイだって昔の偉い人もゆってたことだし。
「痛たた……。いきなり何するのよ」
「ショック療法ってやつだぜ」
微妙に間違えてる気がしないでもないが、それでも正気に戻ったらしい。
頭をさする永琳を見て取って、内心ほっとしながら毒づいてみせる。
「少し違う気がするけど……まぁ、確かにアレは記憶から消えたけれどね……。
って考えたらまた思い出しちゃうわ! カットカットカット……!」
「なんでそこまでマッチョを嫌がってるのかわからんがな、
お前さんのとこの鈴仙だって、もとは軍人って話じゃないか。結構鍛えられてるんじゃないか?」
「やわらかいのは正義なの。すべすべなのも正義なのよぉぉ。
だからしなやかに引き締まった身体はいいの、でも無駄肉まみれの筋肉ダルマなんか絶対無理。もう犯罪よ犯罪!」
ディープでマニアックな寸評を述べたのち、手中の酒をぐっと一気に飲み干した。
どういう線引きなのかよくわからないが、本人の中ではどうしても譲れない絶対的な境界があるらしい。
さすがに変態という名の天才なだけのことはある。
「……あーもう、ついていけんわ」
疲れた声を絞り出し、おでこを押さえて腰を落とす。
ドロップアウトを宣言した魔理沙と入れ替わるようにして、ミス涙は身を乗り出した。
空になったグラスを引き上げて、新しいロックのグラスを代わりに置きつつ、永琳に話しかける。
「やわらかいのは正義……ね、なるほど確かに言えてるわ。けだし名言ね」
「そうでしょ!? あなたならわかってくれるわよね!」
「それはよくわかるわ。でもね……」
言葉を区切り、永琳の耳元にそっと口を寄せる。
「相手を自分の理想通りに育て上げる悦び……あなたも味わってみない?」
それは、悪魔の囁きだった。
あるいは、あまりにも濃密な、甘い毒。
永琳は息を呑み、虚空に視線を泳がせる。
「それ、は……」
一言、何かを言いかけたきり、言葉に詰まってしまう。
落ち着けずに手にしたロックのグラスが、掌の中で小さく揺れていた。
「試しに一度味わってみて?」
もう一度、囁く。
毒が、波紋のように広がっていく。
「でも……」
「意外と恍惚で、病み付きよ?」
迷う言葉を遮って、追い討ち。
その一言は、永琳の中でせめぎあっていた何かを、いともたやすく決壊させた。
「……オーケー、わかったわ。
輝夜を私の理想どおりに……、鍛え上げてみせる!」
「こっ、壊れたー!?」
椅子を蹴倒さんとばかりに立ち上がり、握り拳を振りかざしつつ、永琳は決意を露わにする。
消沈していた先程とはうって変わって、瞳にメラメラと燃える炎を灯してさえいた。
あまりの変わりように、魔理沙が思わずひっくり返ったのも頷けるというものだ。
「壊れてなんかいないわ。ただ、使命に目覚めただけ。
本当に、何を悩んでいたのかしら……。私が直々に輝夜を鍛えればいい、それだけのことだったのよ。
もちろん、やわらかくてしなやかでおいしそうですべすべな肉体にね!」
「なんか言い回しが妙にやらしくないか」
「そして、どうせ身体を鍛えるのなら、レスラーになるべきなのよ!」
「そうね。まさにその通りだわ!」
「なんで!?」
どういう思考回路をしていれば、身体を鍛えるのとレスラーになるのがイコールで結ばれるのだろう。
なんとかと天才は紙一重、とよく言われるが、今まさに魔理沙の目の前でその通りの光景が呈されていた。
困惑する魔理沙を置き去りにして、ミス涙と永琳は、暴走冷めやらぬままに話を続ける。
「目指すは唯一、最強のみね!」
「ええ、ルール無用の残虐ファイトなんて、朝飯どころか起床前よ!」
「トドメ技はもちろん、派手で豪華なKO技よね!」
「あ、ちょっと待って。その前にリングネームを決めないと」
「実はもう考えてあるの。マウンテン輝夜……っていうのはどうかしら?」
「……名前、センスねぇなぁ……」
相変わらず、異次元極まりないネーミングセンスだった。
なんというか、ホールドされたが最後、やたらめったら甘くて多いスパゲティを食わされそうな感じがする。
そんなぶっ飛んだ提案を、永琳は。
「OK、いただきだわ」
サムズアップをかましながら、すごくイイ笑顔で受け入れていた。
さすが宇宙センス。コズミックハンパねぇ。
「わかってくれたのね、永琳!」
「イエス・アイ・ドゥー!」
おかしなテンションで大声を張り上げつつ、いつかのようにバロムクロスる約二名。
取り残された魔理沙はというと、そっぽを向いておでんをつまみ、必死に他人の振りをしていたそうな。
「それじゃあ、これで失礼するわね。
さっそく明日から輝夜……マウンテン輝夜専用のトレーニングメニューを組んでみましょう。
いつの日かきっと、幻の大技、ひとりツームストンパイルドライバーを極めさせてみせるわ!」
「ええ。マウンテン輝夜のデビュー戦、楽しみに待ってるわ」
ツッコミどころ満載のコメントを残し、永琳はひとり家路につく。
にこやかに手を振るミス涙に見送られ、まだ見ぬ明日に思いを馳せて。
「……今、気付いたんだけどさ」
永琳が屋台を後にしてからしばらくして、魔理沙は不意に呟いた。
「あいつら蓬莱人だろ? トレーニングなんかしても、効果なんかあるもんかね」
「昔の哲学者もこう言ってるわ。細かいことを気にしてたら大きくなれないんだぜベイべ☆って」
「ンな哲学があってたまるか。つか細かくないだろ」
「だってほら、魔理沙ってば、そんなにツッコんでばっかりだから胸が大きくならんがくっく」
「やかましい」
熱々コンニャクもう一丁。
そんなこんなで、夜はとっぷりと暮れていくのでした。
「しっかし、意外な奴ばっかり来るもんだな」
慧音と永琳、二人の客を見送ってからこっち、またもや居座る閑古鳥。
暇に耐えかねたのか、椅子をぎしりと鳴らしながら、魔理沙はミス涙に話を振った。
「そうね、永琳はともかく、慧音は珍しかったかな。
でも、誰が来ようとも、私のやり方は変わらないよ。
押されたがってる背中があれば、そっと押してやるのが人情ってものだからね」
半眼を閉じて、感慨深く喋りながら、ミス涙はカウンターを拭いていく。
なんでこうも達観しているのだろう。
つーか、そっと背中を押すというよりは、思いっきり間違った方向に全力で突き飛ばしてるような気がする。
先の洗脳っぷりからして、足を掴んで向こうの世界に引きずり込んでいる、と言ってもいいかもしれない。
眉根を寄せて唸る魔理沙の耳に、小さな足音が飛び込んでくる。
お客さんか、と暖簾に目を向けてみれば、見知ったブン屋がそこにいた。
「なんか浮かない顔してるな。どうしたんだ?」
「ええ……まあ」
「あぁ、いらっしゃい。
お客さんも、随分胸に溜め込んでるものがありそうね。
まずは一杯どう? 惚気も愚痴もそれからね」
ミス涙に勧められるまま、文はコップを受け取り、一息に酒を流し込んだ。
大きなため息ひとつして、この際ですから……と、ことの仔細を語りだす。
それは、数日前のこと。
慧音が話していたことをなぞるように、文は言葉を紡いでいった。
「……で、あのハクタクが怪しい専門店で領収書を切っていたのをカメラに収めまして。
それで、思わぬネタを拾えたのが嬉しくて、じっとしてられなかったんですよ」
嬉しいことがあるとこう、何かムズムズしてきません? と、文は同意を求めるように付け足した。
多少なりとも見に覚えがあるのか、二人は揃って首を縦に振る。
「そこに、タイミング良くでっかい毛玉が飛んでたんです。
それで、ついつい遊びたくなっちゃいましてね?
超天狗タ・ツ・マ・キーーー! 超天狗スピーーーン! って毛玉を突き破ってたら……」
「……ちょ、超天狗?」
不意に飛び出た不思議ワードに、魔理沙はおうむ返しに聞き返した。
しかし、話に入れ込んでいるからなのか、文はそれに気付くことなく続きにかかる。
「誰もいないと思ってたのに、その一部始終を見られてたんですよ……。 椛に……」
「別にいいんじゃないか? そいつに見られたくらいなら」
この世の終わりとばかりに消沈する文に、フォローのつもりで声をかける。
すると、何故だか文は魔理沙を睨みつけ、大仰な身振りを交えて食ってかかってきた。
「よくないです! 全然よくないです!
あなたはモミーがどんだけ黒い子か知らないからそんな事が言えるんですよっ!」
「も、モミー? ってあいつ黒いのか? どこが?」
「黒いってのはアレです。楽太郎的な黒さですよ? ブラックストマックってことです」
訝る魔理沙に補足して、文はコップを傾ける。
少し話して、一杯やって。
何度もくり返すうちに酒気づいたのか、鼻を鳴らしつつぼやきだす。
「ちょっとモミーの盗撮写真を高値で取引しただけなのに……。
それからというもの、有形無形の嫌がらせを仕掛けてくるなんて酷すぎますよ!」
まったくもって無自覚な文の言葉に、ミス涙と魔理沙は顔を見合わせた。
お互いに思うところがあるのか、二人揃って言葉を濁す。
「だって……なぁ?」
「ねぇ?」
何をかいわんや、口には出さじ。
何度か盗撮の被害に遭っている身としては、呆れこそすれ、とても同情する気にはなれなかった。
「なんでですか! 盗撮は文化ですよ!? なにより私の生き甲斐なのに!」
「開き直るな!」
「じゃあ一日一枚盗撮写真を撮らないと死んじゃう謎の奇病にかかってるから止むを得ずってことにしましょうか? あぁん!?」
「今度は逆ギレかよ!」
魔理沙のツッコミを右から左に受け流し、文はそのまま塞ぎ込んだ。
突っ伏したまま、時々思い出したように酒をあおり、やがて大きなため息をつく。
「本当に、なんでこうなっちゃったんでしょう。 コマンダー! と言えばガデッサー! と返してくれる仲だったのに」
「……あえて突っ込まん」
ツッコミどころは丸見えだが、あえてツッコまないでおく。
押して駄目なら引いてみろ。 放置プレイも、時としては必要なのだ。
「……とにかく、毛玉の一件があってからというもの、モミーってば私のあだ名をコン・バトラー文(ブン)、
略してブンちゃんにしようって大々的なキャンペーンを始めやがったんですよ!?
私ゃー菅原文太ですかってのコンチクショウめがぁぁぁ!!」
「あーもう、絡むな絡むな」
酔って絡む文に辟易しつつ、両手をかざしてなだめすかす。
それが文のトサカに触れたのか、いきなり魔理沙の両肩をがしっと掴んで、がっくんがっくん揺さぶりだした。
「これが絡まずにいられますかっての!
あの腹黒モミーがどれだけの悪行を私にしてきたか、これっぽっちも知らないくせに!」
「ちょ、待て、おい、こら」
「念射に挑戦☆ とか言って愛用のカメラ殴り壊された私の気持ちだって分からないくせにぃぃっ!
モミーのどS! 壊し屋! 大魔王! 腹黒! やりすぎマスター! スマイリーキクチ!
六黒合体ブラックモミ~~~っ!」
噴出した怒りと恨みと鬱憤に動かされるまま、文は魔理沙の肩を揺さぶり続ける。
同時に叫ぶ罵詈雑言が、根深い恨みを如実に物語っていた。
てーか、最後のあたりははたして悪口なのだろーか。
「お客さん、後ろ後ろー」
「後ろぉ!? 後ろがどうかした……って……」
ミス涙の言葉に振り向いて、そしてそのまま凍りつく。
さっきは文のすぐ後ろ、今では文の目の前に。 立っていたのは他ならぬ、犬走 椛その人だった。
「私がどうかしたの? ブ――文ちゃん?」
ブンって言いかけた。この子今ブンって言いかけた。
「いえあの本日はお日柄もよく実に過ごしやすい日々で何よりですねと挨拶を交わしていただけでありまして
決して椛様のことを口汚く罵っていたりなんかしてはいないわけでしてええそりゃもう」
我に返ってすぐ、文は平伏して矢継ぎ早に言い訳を並べ立てる。
顔色を変えて口調はきっちりですます調、しかも様づけしているあたり、尋常でない怯えっぷりが伺える。
何をされれば、こうも根深いトラウマを植えつけられるのだろう。
有形無形の嫌がらせ、とやらがどれほど凄まじいものなのか、想像するだに恐ろしかった。
「文ちゃん、何言ってるの? 印刷所に帽子を忘れてったでしょ、これを届けに来ただけだよ?」
「あ、ありが……と……」
にこやかな笑顔で椛が差し出したのは、六角形の赤い帽子。
少し前、魔理沙が妖怪の山に訪れた時に被っていたものだろうか。
だがしかし、あの時とは微妙に形が違っていた。
長い飾り紐はなぜか短く切り取られて、斜め上を向いてピンと立っている。
その先には綿毛――――――ではなく、かもし顔のKE☆DA☆MAどもが刺さっていた。
「えっとあの椛さん?」
「ブンちゃぁぁぁん、毛玉好きなんでしょおぅ? 突き破っちゃうくらいぃぃ」
浮かべたのは、笑顔。
眩しいくらいの、満面の笑み。
だがしかし、その背後にうごめく暗黒が確かに見て取れた。
文は喉の奥で悲鳴を上げて、震えながらかくかく頷くのみ。
普段の慇懃さなど、今の文からはカケラも感じられなかった。
「それに、にとりちゃんに頼んでドリルも作ってもらってるから。
よかったね、スピンの威力上がるよ!」
「……そんなのいらない」
俯き加減にそっぽを向いて、声になるかならないかの、わずかな呟きを漏らす文。
せめてものささやかな抵抗を試みたその直後、お尻を思いっきりつねり上げられていた。
「ひぎゃぁっ!」
「んー、ブンちゃん何か言った? 聞こえないなぁー?」
椛は小首をかしげながら、聞き耳を立てる真似をしてみせる。
その一方で、つねるお尻をさらに全力でねじり回した。
「ひぐぎゅうううぅぅぅ!?」
「ほぉぉらぁぁぁ、ちゃぁぁんと大きな声出せるんだからぁ、大きな声で話そうね?」
文が目に涙を溜めて震えだしたのを見届けて、そこでようやく手を放す。
その目が、獲物をいたぶる肉食獣のそれであるように見えたのは、気のせいではないだろう。
「あ、そうそう、もう一つ見てもらいたい物があるんだけどね?」
お尻を押さえてしゃっくりあげる文に向かって、椛はまたも一方的に話しはじめる。
それはもはや会話と呼べるようなものではなく、宣告に近いものだった。
「ジャア~~ン! コン・バトラー文ポスター~~!」
てれれれっててー、と口ずさみながら懐から取り出したモノは、一枚のポスターだった。
そこには、文がものすごい勢いで毛玉を突き破っている様子がバッチリ描かれている。
『みたか必殺、超天狗スピン! 射命丸・コンバトラー・文』というチープな書き文字が、何故だか妙に馴染んで見えた。
「待て待て、射命丸・コンバトラー・文て何だ!? ミドルネーム!?」
あまりに前衛的なセンスに思わずツッコんだ魔理沙に向かい、ううん、ニックネーム! と返し、再び文に向き直る。
「これね、思ったよりもよくできたから、大量生産してそこらじゅうに貼り付けてきたの」
椛はにこやかな笑顔を崩すことなく、情け容赦のない、とんでもねーことを口走った。
下された宣告に、文は戦慄に顔を凍りつかせ、足早に席を立つ。
「夜が明けるまでにさぁ……全部、剥がせるといいねぇ?」
「うっうわぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーん!」
背中から投げかけられた声に、とうとう文は耐え切れず、泣き出しながら飛び去っていく。
夜のとばりに消えていった文を暖簾越しに見上げて、椛は含み笑いを漏らしていた。
「くすくすくす……、せいぜい頑張ってね、ブンちゃん」
「怖いから。含み笑いとか怖いから」
魔理沙の声に、椛ははた、と悪役ちっくな笑いを止める。
照れ隠しに笑いながら、頭を掻き掻き居直り正す。
「あー、ごめんごめん。つい、ね。
明日配る予定の新聞にポスターを折り込んであるとも知らずに、必死こいて剥がし回るんだろうなって思うと、どうしてもね」
「「うわぁ」」
この椛容赦ねぇ。
「それもね、配り終わる頃にポスターが入ってるってわかるようにしてあるの」
「うーわー……えげつないなぁ」
「だってほら、配った新聞を泣きじゃくりながら必死に回収して回るブンちゃんってさ……最高のピエロだと思わない?」
「お前の前世は大魔王かなんかか」
眩しいくらいにさわやかな笑顔から飛び出てきたのは、悪魔も腰を抜かすようなブラック計画。
味方につけると恐ろしく、敵に回すと面白い。 そんな他の妖怪連中とは明らかに格が違う。
下手に敵に回したが最後、穴の毛までもむしり取られそうな感じさえする。
「こんなのまだまだ序の口よ。
さーて、このあとブンちゃんにどんな仕返しをしてやろうかなぁ……」
「……何をするつもりなのかは、聞かないでおくぜ」
目を輝かせる椛に先んじて、一言。
「そうね、知らないほうが幸せな人生を送れるだろうし。……くく、ふくくくくく……」
「だから怖いっつうの」
「あー、とりあえず飲んだ飲んだ。冷やかしはお断りだよ」
含み笑いを続ける椛の目の前に、徳利を突き出すミス涙。
商魂たくましいのか、それともお茶を濁したいのか。
椛はそれを素直に受け取り、一杯やって――――、
そのままそこにぶち倒れ、ぴくりとも動かなくなった。
「……なぁ、これって」
「象も一撃コロリと評判の、えーりん印の睡眠薬よ」
魔理沙が向けた疑惑の眼差しを、ミス涙は笑顔でしれっと受け流した。
ブラックモミーの毒気に中てられたのか、心なしか笑顔が黒く見えたのは――――気のせいだろう。きっと。
つーか、毒じゃないだけマシだとはいえ、客商売で平然と一服盛るってのもどうかと。
クスリで昏睡した椛を適当なところに寝かしつけて、そろそろ看板か、と後片付けをはじめる二人。
そんな折、誰かが意気消沈して俯いたまま、暖簾をくぐって入ってきた。
「……まだ、やってる?」
「あ、えーと、もう看板で」
「えぇ、まだ大丈夫よ」
魔理沙の言葉を遮って、ミス涙が身を乗り出す。
火は落としちゃったけどね、と付け加えながら、小さなグラスを差し出した。
「……あれ、誰かと思えば穣子か」
「知り合い?」
ミス涙に頷いて、穣子のグラスに注いでやる。
秋口ともなればハイテンションになるはずなのに、今日はどうも様子がおかしい。
そのことについて尋ねてみると、返ってきたのは予想だにしないものだった。
「お姉ちゃんが……お姉ちゃんが、アホになっちゃったの……!!」
「「……はい?」」
突拍子もない穣子の言葉に、二人は揃って目を丸くする。
穣子はグラスに視線を落としたまま、ぽつり、ぽつりと話をしはじめた。
「何日か前に、西瓜を巡って、お姉ちゃんがリグルと対決してたのよ」
「……なんでリグルと?」
リグルといえば、あのリグルだろう。
それがなんで、西瓜を巡って静葉と対決しなくちゃならんのだろうか。
彼女は夏の化身とか夏の神とか、そんな大仰なものではないはずなのだが。
「わたしも不思議に思って、聞いてみたんだ。
そしたら、『なんかあのヒマワリ女は下手に近づいたら食われそうな気がするのよね。魔王的な意味で。
それにほらホタルは夏の風物詩、言わばリグルは夏の手先ってことじゃない!
だからリグルが相手でもオールオッケー、さあ、秋の権益を広めるための聖戦を繰り広げるのよ!』とか言ってたわ」
「その時点で十二分にアホだよ」
聖戦と書いてジハードって読むとイタいわよねって、ぱっちぇさんがゆってた。
「で、リグルとの対決に負けて帰ってくる途中で」
「結局負けてんのかい」
「……うん。 服の中、っていうか背中にいろんな蟲を入れられたみたいでね……。
ムカデとか、ヒルとか、毛虫とか、ゲジゲジとか、なんか腕くらいでっかいのが大量にまとわりついてたし……。
とにかくうぞうぞしたのがたくさん入ってたみたいで……お姉ちゃん、マジ泣きだったわ」
「……想像しちゃったじゃない……」
「リグル怖ぇー……」
穣子の生々しすぎる物言いに、嫌になるくらい鮮明に、その光景を想像してしまう。
誰だって、見ただけで怖気の走るような巨大虫にまとわりつかれたら、普通泣く。
相手を舐めてかかった報いだな、と言うにはあまりに気の毒だった。
「それで、お姉ちゃんが降参して、腰が抜けて立てないって言ったからおぶってあげたのよ。
あの時の涙目になってすがりつくお姉ちゃんったら、それだけでゴハン三杯はいけたわ。ええ。
で、その帰り道にバナナの皮を踏んだらそれが爆発して、二人で一緒に吹っ飛ばされて、
このまま頭から落ちたら死んじゃうかもしれないって思って、ついお姉ちゃんを盾にしてたの」
「ツッコミどころが多すぎてツッコめんわ!」
酒が回って変なことを口走っているのかとも思ったが、グラスの中身は減ってない。
とはいえ、素面でこんな支離滅裂な作り話を言ってるとは思えないし、思いたくもない。
とするとやっぱり全部事実ということになるのだが、それにしたって滅茶苦茶だ。
「そしたらお姉ちゃん、顔から地面に突き刺さって……。引き抜いたら、アホになっちゃってたのよ」
「………………あぁ、そうかい」
語られた恐るべき現実に、魔理沙は乾いた声を絞り出す。
チルノが超伝導のメカニズムを解明して、リニア技術を発明した。 とか言われたほうがまだ信じられるってもんだ。
しかし、事実は時として、どんな荒唐無稽な作り話でさえも笑顔で飛び越してしまうものだったりするのだからタチが悪い。
そして、それを今から身をもって知ることになるんだろうなー、などとは――――、
約1名ほど、うすうす感づいていた。
「お~~~い、芋子~~~」
遠くから響いてきた声に、穣子はぴくん、と体を震わせた。
「ちぃぃ、あれだけ頑丈に縛ってきたのにっ!」
露骨に舌打ちしながら毒づいて、屋台の外に躍り出る。
「……何?」
穣子の態度と言葉に不穏なものを感じ、何事なのかと首をかしげる。
様子を見るため表に出てみれば、身構える穣子の先に――――えーと、その、……アホが居た。
「ソレ」は何故だかジャージを着込み、首からギターを下げていた。
牛歩でテクテク屋台に近づいてきたと思いきや、いきなりルンルン気分でスキップし始める。
したら下げたギターにけっつまずいてブチ倒れ、起き上がりざまギターなんて辞めてやるよとか叫んで叩き壊しだす。
穣子の話を聞いていても、アレが静葉だなんて思えない。というか思いたくない。
「何あの……何?」
「お姉ちゃんよ……認めたくないけど」
戸惑う魔理沙に答えて、穣子は深い、深ーいため息をつく。
それを耳ざとく聞きつけて、静葉(ジャージ)はいきなり猛ダッシュ。 素早く穣子の後ろを取って、そのまま肩に手を回す。
「芋子、お姉ちゃんに向かって認めたくないとは何事かしらけしからん。
あんまりお姉ちゃんをバカにしてるとあれよ? ひねるよ? ひねって名前をひねり子にがぶすれい」
絡む静葉の顔面に、必殺の裏拳を叩き込み黙らせる。
なんだか裏拳が妙に手馴れているように見えたが、気のせいだろう。 多分。 きっと。 おそらく。
「ヌゥゥ~、芋子この野郎、よくも私のキュートな顔を傷物にしてくれやがったわねチクショウめ。
この恨みはいつか軍服着た老婆が竹槍で晴らしてくれるだろうさ!」
「じゃあわたしはその前に里中の老婆を根絶やしにしてくれるわ!」
「お前ら言ってることがムチャクチャすぎるぞ!」
果てしないたわ言を抜かす二人を、魔理沙はあらん限りの大声で怒鳴りつけた。
おばあちゃん頼みの神様とか、平気で根絶やし言う神様とか、なんかもう、根本からおかしい。
ツッコミどころがどうこうとかいう次元じゃない。
「何ぃー? 私の顔がキュートじゃないってのかこらぁ~」
「里中じゃぬるいって? 幻想郷中の老婆を狩れっていうのね、魔理沙のデストロイ!」
「そこじゃねぇ! 二人ともそこじゃねぇ!」
ツッコミにさらなるボケで返す。それが神様クォリティ。
わざとやってるんだとしたら相当なもんだ。 天然でも相当にアレだが。
頭を抱えてかぶりを振る魔理沙を尻目に、静葉と穣子が対峙する。
「とにかく許さない。 本気で許さないわ芋子。 生きて帰れると思わないことね!
芋子を亡き者にした暁には、芋子の体にジャム塗りたくってあたかも血管の中をジャムが流れていたかのようにしてくれるわ!」
「お姉ちゃん……、なんでそんなに怒ってるの?」
静葉は指をポキポキ鳴らして、溢れる憎しみを隠すこともなく穣子と相対する。
穣子の言葉を鼻先で笑い飛ばし、もったいぶった仕草で口を開いた。
「あんたにそそのかされたおかげで、ステキ蟲サウナにご案内だったからねぇ~……、
この恨みは重いわよ。 おまんじゅうをおごって貰うまでは消えることはないわ!」
「軽っ!? 無いも同然だろそれ!」
「……なんてこと……。 わたしたちはもう、後戻りできないようね」
「おごってやれよそれくらい」
おまんじゅうをおごるくらいなら、素手ゴロを選択したっていいじゃない。
問題は神様がンなチンピラまがいのことを平然とやってるってところだが、それも気にしなければ気にならないので大丈夫なのだ。
「さあ覚悟しなさい芋子。
今から始まるのは、凶器なし目潰しなし急所攻撃なし関節技なし投げ技なし絞め技なしのデスマッチよ!」
「お前どんだけ安全求めてんだ」
静葉は臨戦態勢を整えて、声高らかに制限ありまくりのデスマッチを宣言した。
いわゆるところの、安全第一デスマッチ。ここまで矛盾だらけなのも珍しい。
「えぇい黙らっしゃい! くらえ必殺静葉アターック!」
言うが早いか、静葉は両腕を顔の前で交差させ、穣子に向かって跳び掛る!
不意討ちに反応できず、驚く穣子に静葉が迫り――――、イマイチ届かずお腹から落ちていた。
「オゥブッ……、お、お腹打った……」
「飛べよ!」
「い、芋子コンチクショウ……、なんて卑怯な真似をしやがるの」
「いやそれただの自滅だろ」
「フフフッ……計画通り」
「なんで得意気なんだ!?」
この姉にして妹あり。
ボケのボケによる、ボケのためのボケ。
そこから織り成される怒涛のボケスパイラルは、多少のツッコミではびくともしない。
「おのれ芋子ー! こうなったら最終奥義よ!
トウッ! フライング・神様・ポセイドーーーン!」
さっきまで、お腹を押さえてのた打ち回っていたはずが、早々と立ち直って再び襲い掛かってくる。
しかし、自分でああ言ったからなのかわからないが、体当たりしか仕掛けてこないってのもどうかと。
「うっうわーお姉ちゃんが空中M字開脚なんて気色悪い体勢で襲い掛かってくるー」
「棒読み丸出しで言われてもなぁ」
「とゆーわけで魔理沙、身代わりになって!」
「お断りだ」
「どうして!? 殺せと言われれば殺して、死ねと言われれば死ぬのが人情ってものでしょう!?」
「ンな殺伐とした人情があってたまるか!」
どこぞの特殊部隊でもあるまいに、平然と恐ろしいことをのたまう穣子に、魔理沙は顔を引きつらせた。
さっきの根絶やし発言といい、実は穣子もあの時頭を打っていたんじゃないだろうか。
いくらなんでも、豊穣の神がこんなデストロイな性格であって欲しくない。
頭を押さえてため息ついて、ふと静葉の方へと目をやると。
いまだに空中M字開脚のまま、ゆっくり、実にゆっくりと落ちてくるところだった。
「ぉ~~~~~~~」
「お前もいつまで飛んでる気だ!」
ツッコミがてら、手近な石ころを拾って投げつける。
大人の拳くらいの石が、静葉のどたまめがけて飛んで行き――――
「びぐざむ」
狙い澄ましたかのように、頬にめしゃりとめり込んだ。
一発もらって体勢を崩したのか、ひっくり返って落ちていく。
落ちる静葉を前にして、穣子は無意味に勝ち誇り、これまた無意味に胸を張った。
「ふっ、思い知ったようねお姉ちゃん! これぞ必殺、断罪ストーンよ!」
「なんでお前が偉そうなんだ!?」
隣で怒鳴る魔理沙もスルーして、いきなりはじめる高笑い。
もしかしたら、本当に倒すべきはこいつだったのかもしれない。
今更そんなことを考えても、どうしたって後の祭りだった。
「ぁ~~~~~~~」
「だからいつまで落ちてるんだ!」
「もうやめてお姉ちゃん! もう魔理沙のツッコミポイントはゼロよ!」
「誰のせいだ誰の!」
ツッコミ疲れて、肩で息する魔理沙を余所に、今更グシャー。 と落ちる静葉。
足を上げて、振り下ろした反動で起きようとして起き上がれず、二、三度もっきんもっきんしたあと不貞寝する。
そのまま地面にのの字を書き続け、腕が届かなくなってきたくらいのところで、突然がばっと跳ね起きた。
「チクショウ、覚えてろよ芋子~~!
お前のかーちゃんマルチメディア~~~!!」
悪口なのかなんなのか。
よくわからない捨てゼリフを残して、どこかへ走り去っていく。
静葉の去ったそのあとに、穣子は取ってつけたような笑顔で魔理沙の手を取った。
「ありがとう魔理沙、あなたのおかげで無事にお姉ちゃんを追っ払えたわ。
でも、忘れないで。 人々に悪い心がある限り、いつか必ず第二第三のお姉ちゃんが現れるってことを……」
「……帰れ」
ようやく搾り出した声は、これ以上ないくらい疲れ切っていたのだそうな。
「終わったの?」
「……ああ、ようやくな」
精も魂も尽き果てて、疲れた体を引きずるように屋台に戻ってみれば、ミス涙が食器を籠に入れ終えたところだった。
閉店支度を整えて、本日最後の一仕事。
疲れた体にはいささか堪える仕事だが、決まりなのだから仕方ない。
籠を両手に抱えて、慎重に裏手の川まで下りていく。
適当な場所を見繕い、荷物を横に下ろしたところで、ぷかぷか流れてくる何かが目に付いた。
ゴミにしては大きすぎるし、なにやらか、人の形をしているようにも見える。
夜明け間際の暗がりでは判別がつかず、思わず眉をひそめて呟いた。
「何だ、ありゃ……土座衛門か?」
「水死体呼ばわりはー、ないんじゃないかしらー?」
「うどわっちゃ!?」
呟いた声に返されて、素っ頓狂な叫びを上げる。
暗闇に目を凝らして見てみれば、流れているのは雛だった。
照れ隠しに咳払いをひとつして。しゃがんで声をかけてみる。
「って、鍵の字か……。 驚かすな」
「私だって、流されたいときくらい……ある」
「……よくわからないんだが」
突拍子も無い話に、首をかしげて眉をひそめる。
そんな魔理沙を見て取って、雛は少し遠い目で話し始めた。
「昨日ね、困ってた里の子供を助けてあげたのよ」
「ほう」
「まあ、過程は大事でもないから飛ばすけどね。
そしたら、『ありがとう、えんがちょのおばさん!』って言われたの」
子供に悪意は無いのだろうが、雛の心中はいかばかりか。
遠い目のまま無表情で訥々と話されるのは、激昂されるよりもきついものがある。
雛はしばらく沈黙を保っていたものの、やがて小さく嘆息して、続ける。
「だから、ヤってやったわ」
「サラリと問題発言だよ!?」
「スポッ!って」
「『スポッ!』!?」
一体、子供は何をサれたのか。
字面とか擬音とかがいろいろ不適切なだけに、いらぬ心配をしてしまう。
「まぁ、それはわりとどうでもいいわ。 あれは……何日前のことだったかしらね」
「うん?」
「厄をね、たくさん抱えてたの。
気をつけてはいたんだけど、うっかり転んじゃって、その厄がみんなどこかに散っちゃって」
「それって……まさか」
雛の言葉に、何かを悟る。
「で、その散った厄を集めなおしたんだけど、もうほとんどの厄が誰かのところで弾けちゃってたのよね」
「……あぁ、やっぱりそうか。 そーゆーことか」
魔理沙は納得しながら脱力して、誰に言うでもなく呟いた。
今晩の客はみな、数日前に大変な目に遭った連中ばかり。
思い返してみれば、魔理沙自身も数日前に箒の暴走という憂き目に遭っている。
偶然にしては出来すぎていると思っていたが、わかってみれば当然のことだった。
「だから、自分を見つめなおすために、こうやって流されてるの。
かーわーのなーがーれーにみーをーまーかせー♪」
「いや、わけわからんから」
歌いはじめる雛に向かって、首を振りつつ手をヒラヒラ。
それにしても、川に流されるのと、自分を見つめなおすのとが、どうやって繋がるっていうのだろう。
なんとなく整然としているように思えるが、よく考えてみるとメチャクチャだ。
「でも、仰向けで流されてると、頭に石がぶつかって痛いのよ」
「なら体を回せばいいだろ」
「うつ伏せになったら、窒息して溺れちゃうじゃない」
「いやそーゆー意味じゃなくてだな」
「それとも必殺の雛ドリルで石を砕きながら進めってことかしら?」
「違うー!」
どこかで軸がぶれていて、ちっとも話が進まない。
足を下流に向けろと言いたいだけなのに、なんで雛ドリルなんてものが出てくるのだろう。
雛も静葉も穣子も、揃いも揃ってはっちゃけすぎだ。
「それじゃあ、また来週ー。
あでぃお~す・あみ~ご~~~」
頭を抱える魔理沙に向かい、立てた右手をぴこぴこ振って、そのまま下流に消えていく。
いつの間にか隣に来ていたミス涙が、その様子を眺めて、感慨深げに呟いた。
「ほら見て、雛が……流れていく……」
「なんかもう、どうでもいいわ」
オチがさらりとしすぎな気がするが笑わせてもらったよ
他にもキャラ崩壊すぐるとか言いたいことは歯の数ほどあるが
今回は勘弁してやらぁ
なんか詰め込みすぎた感じがします。
まあ知っているならどれだけきついかわかるか
色々とつっこみどころは多いが……笑った俺の負け。
その勢い、買った。
ミスティアにバーのママという新境地を見出せました。
個人的にみすちーのキャラが好きです。間違った方向に足を引っ張って、さらにジャイアントスイングで投げ飛ばしてる感じが。
ニコニコしてる感じが強いのでこう、素直に笑えなかったりしますがそこはそれ。
個人的に楽しめたので良かったです。
愉快だ・・・この連中、とても愉快だ。
このカオス具合にはこの点数の100倍をあげたい。
そして作者はどれだけ変質者顔なんだよと小一時間(略
と、思った。
このミスティアとはいい話ができそうだ。
何という素晴らしいカオス。魔理沙が不憫だがw