Coolier - 新生・東方創想話

重なる永命線、紡がれる記憶

2008/09/09 23:23:32
最終更新
サイズ
35.32KB
ページ数
1
閲覧数
634
評価数
2/16
POINT
700
Rate
8.53
永遠亭という屋敷には意外にも様々な趣向を凝らした部屋がいくつも存在しているものらしい。
てっきり似たような部屋が、それこそ永遠に続くのではないかと思わされるくらい、数え切れない
ほど並んでいるのではないかと思っていた。この先入観はむしろ、ここに至るまでに通ってきた
迷いの竹林に対する印象に近かった。竹の生長は早く、一晩で竹林の様子は変わってしまうもの
らしい。それこそ私の優れた記憶力をもってしても覚えるのが億劫になってしまうほどに。変化
しないものが無数に並ぶ様と常に変化し続けるものが無数に並ぶ様との間には、いかほどの違いが
あるだろうか? その差を論じようとしても、きりが無い。

兎にも角にも、地理に明るい案内人のおかげでこうして無事永遠亭の門戸をくぐり、私はその中の
特徴ある一室に座っている。辿りついて案内されたのは、小さな池を備えた庭に面している和室
だった。周りの襖、畳、壁面・・・・・・どれをとっても淡い緑。外から竹林の青さがにじみ出してきたかの
ようなその一室において、膝を折って背筋を伸ばしている私の前には、食器などを載せる懸盤が
常にはありえないものを伴っている。もっとも、そのありえないものを頼んだのは私なのだけれども・・・・・・
懸盤の上で湯気をくゆらせている、紅茶を注いだカップに一瞬目をやり、それから私は改めて
相対する人物を見る。
竹林の合間を縫って部屋まで注がれる、月の光に照らし出された艶のある黒い長髪。ゆったりとした
振袖を伴う濃い桜色の洋服、座して広がり波打つ臙脂色のスカート、それらの隙間からのぞく抜ける
ような白さの肌。人間らしくないお姫様、そう評したのはあの、里に最も近い天狗だったか。様々な
角度から見てその評価は実に的を射ていると思う。蓬莱山輝夜、それが目を閉じて紅茶の芳香を
愉しむその古風な姫君の名である。その容貌、佇まい、仕草、どれをとっても洗練されていて、品位に
満ち、しかしある意味芝居じみた不自然さがある。

「たまには紅茶も悪くないわね」

輝夜さん、は小さく呟きつつカップを静かに置いた。どうやら彼女は普段紅茶を嗜まないようだ。
確かに私の知る限り、周りを見渡してみればこの幻想郷で名高い連中はどちらかというと和風の
緑茶を好む傾向にある。紅茶を飲んでいるのはそれこそ西洋からの客人たる紅魔館の住人と、
魔法の森に居を構える人形使いくらいだろうか・・・・・・日本人の紅茶党が増えるにはまだまだ時間が
かかりそうだ。
などとつれづれ思考を流していると、輝夜さんがこちらをじっと見ていることに気付いた。慌てて
こちらも居住まいを正す。こちらが聞く姿勢をとるのを待っていたのか、私の気持ちの準備が整った
ところで彼女は口を開いた。

「ようこそ、歴史の止まる屋敷、永遠亭へ。幻想郷の記憶と謳われる貴女が、今宵、このような
場所にまで足を伸ばしたのは、いかなる用向きがあってのことかしら? この閉ざされた屋敷に
置き忘れられた、古の時代を書き写した書物をご所望? それとも求め聞きたいのは語り物? 
後者であれば、私としては張り合いがあるのだけれど」

いきなり長口上で始まったものだと思う。正直それらの情報には非常に惹かれるものを感じるのだが、
生憎と今日の用件はそこではない。永遠亭自体の、あるいはここに保管されてある物語については
いずれ日を改めて伺うとして・・・・・・私は頭を軽く下げる。

「まずは、突然の訪問にも関わらず貴女のようなやんごとなき方に迎えて頂いたことに、感謝を。
そして私の個人的な嗜好に合わせて頂いたことにも」
「構いませんわ。この永遠亭は見ての通り、静かで変化に乏しいところでしてね、だから外からの
客人が訪れる事に飢えておりますの。その方の作法に合わせるのもまた新鮮なものに感じられるわ」

顔をほころばせ、ティーカップを胸の前まで持ち上げ、茶碗を愛でるかのように指でなぞる。実に
上機嫌な様子だ。迎えられる客の側としてもこれほどの歓びをもたらしたというのなら心が安まると
いうもの。たとえこれから尋ねにくい話題を振ったとしても答えが得られることが充分に期待できる。
それでも・・・・・・
私は、この和やかな雰囲気が自分の言葉で儚くなってしまう可能性に僅か躊躇いつつも、本題を
口にした。

「今宵、私が求め聞くのは、貴女達自身のこと・・・・・・。蓬莱人、それが貴女達を呼び表すのにもっとも
適切であると聞き及びました。天人とは別の手段によって不老不死を体現した存在」

私は一度言葉を切り、輝夜さんの反応を窺う。変わらず、笑顔のままだ。凍りついたから、という
わけでもなさそうである。



とぉーん



竹を打つ小気味の良い音が庭からこの室内まで響き渡る。ししおどしが滞っていた水流を動かし、
元の位置に戻ったことを告げる音だ。その音を呼び水として、私は言葉を続ける。

「天人は頭上華萎を与えてくる死神を退ける事で自らの不死性を保っています。私の知る限り、不滅の
存在は天人くらいのものですが、しかし貴女達は天人とは呼ばれてはいない。天人と蓬莱人、この
二者を分かつ境界とは一体どのようなものなのでしょうか? 月の都の技術による賜物なのか、それとも
この屋敷の時間を滞らせる事でお迎えの死神を寄せ付けなかった結果なのか・・・・・・あれこれと興味の
向くままに考えを巡らせて来ましたが、納得のいく結論は得られていません」

月であれ、時間の止まったこの屋敷であれ、死神の届かない場所・・・・・・すなわち蓬莱、ということなの
だろうか? そういえば、この屋敷に住んでいないもう一人の蓬莱人はお迎えの死神にどう対処して
きたのだろうか? 話しているうちに疑問が湧いてきた。帰り道にでも尋ねてみようか、駄目元で。

「差支えがなければ、貴女達がいかにして不老不死たり得ているのかを教えて頂けないでしょうか?」

幻想郷縁起の為にこの場所を訪れるのはこれで二度目である。一度目の訪問の時には公開の時期が
間近であったために訊き逃していたこともいくつかはあった。それはそれで、断片的な情報から色々と
想像することが出来て楽しくはあったのだけれども、やはり後世に伝えていくからには正確な情報を
書き記さねばならない。たとえ真実が曖昧にされたとしても、真実に漸近するための努力を惜しむ
べきではない、私はそう思って彼女達と再び見える事にしたのだ。

その眼前の輝夜さんの笑顔が微妙な変化を見せる。何だろう・・・・・・ほのかに漂い始めたそれは・・・・・・快?
否、懐かしむような・・・・・・。私を見ているのに、私を見ていないような・・・・・・。魂を撫でられている、
そんなよく分からない感覚を覚えた。
輝夜さんの小さな頭がわずか傾く。切り揃えられた前髪の幕が彼女の目元を覆い隠した。ふと、口元が
動きを見せる。しかしそこから呟かれた囁きははっきりとは聞こえなかった。

そうでしたわね、貴方は懐かしい方だった人・・・・・・合っているだろうか?

「貴方は、それを手に入れた後、どのような永劫の生を歩まれるおつもりですの?」
「えっ?」

思考の途中で質問を挟まれたことに困惑する。話が飛躍している? 私は不死の仕組みを聞き求めたのに、
実現可能かどうかも分からないというのに、手に入れた後の話をされても困る。一応答えた方が良いの
だろうか? これが私の質問に対する返答の取っ掛かりなのかもしれないし。

「あ・・・・・・いや、別に不老不死になりたいからという理由で尋ねたわけではないのですよ。私はもうすでに
常人と同じ輪廻を巡ってはいない身ですし。そうですね・・・・・・訊き方に問題があったかもしれません。不老
不死になる方法ではなく、不老不死とはどのような様態であるのか、それを教えて頂きたいのですよ」

鳥は何故ああも自由に大空を羽ばたいていけるのか、竹は何故こうも早く生長することができるのか、
どれも不思議な現象だと思うし、かといってそれが分かったところで人間が真似できるとも思えない。
天人の真似でさえ非常に困難なのだから、彼等よりも人数の少ない蓬莱人になる方法など、想像も
つかないくらい困難に違いない。
輝夜さんが面を上げる。その目は確かに私を見ている。穏やかな笑みは先程から変わらない。

「ご免なさいね。今の貴女の答えが聞いてみたくって、つい話を飛躍させちゃったわ。大昔には
どこで小耳に挟み、しかも信じるに足ると思ったのか不老不死の方法を聞き求める輩がそれはもう
多くてね。だからふと訊いてみたくなったのよ、永遠の生をどう過ごすつもりなのかを。返ってくる
答えはどれもつまらないものばかりだったけれど」

笑みが混じった言葉を一区切り、それから輝夜さんは目を細めて口元を袖で覆い隠す。

「その中に一人、一風変わった方がいらっしゃいました。その方はこんな返答をしたのよ。

『どれだけ時間と労力をかけて知識を得たとしても、それらは死と共に全て無駄になってしまう。
それではこの己に与えられた才能は一体何の為にあったのか。全てを取りこぼさぬ器であっても
最後に砕けることでこぼしてしまうのでは全く意味が無い。だから己はまず決して壊れぬ器に
なりたいのだ。その上で、来し方行く末、森羅万象、全てを己という器に収めてみせる!』

その方は富や権力にも手を伸ばしていましたけど、一番のお目当ては知識にありました。全てに
おいて貪欲な方でしたのよ。勿論訊かれましたわ。先程貴女が尋ねたように、不老不死の身体に
ついても」
「だから私とその人を比較してみたくなった、というのですか・・・・・・」

軽く首肯してみせる輝夜さん。
普段の私ならば驚き呆れて、「凄い男もいたものですね。しかし、そんな男を私と並べて語らないで
下さい」という趣旨をオブラートに包んだ言葉を吐いたと思う。けど、どういうわけかその男を一笑に
付す気持ちが湧いてこなかった。代わりに覚えたのは、居心地の悪さ・・・・・・何となく、一度腰を
持ち上げて膝立ちになり、居住まいを正してみる。あ、また輝夜さんが袖を口元に持っていった。

「やはり貴女はあの方とは少し違うのですね。まぁ、立っている場所、過ごしている時が違うのですから
当然と言えば当然、ね」



とぉーん



まるで閑話休題の合図のように、ししおどしの音が部屋に響き渡る。渇きを潤すために、私は
ティーカップを傾けた。割と長々と放置していた気もするけど、紅茶はまだまだ心地よい熱さを
残していた。口内から鼻まで、芳香が染み渡っていく。
私がカップを置いたことを合図に、輝夜さんが言葉を紡ぎ始めた。

「では、貴女の質問にお答えしましょう。でも、物事を直接的に語ってしまうと味気のないものに
なってしまうから、色々と喩えを使わせて頂きますわ。ああ、分かりにくいところがあれば遠慮なく
声をかけて頂戴ね」
「わかりました。お気遣い痛み入ります。でも・・・・・・」

いいのだろうか、随分あっさりと答えてくれる気になっているようだが。私の怪訝そうな顔に
気づいたのか、輝夜さんの笑みが柔らかいものになる。

「別に私達の身体のことは是が非でも秘密にしなければならない、というわけではないのよ。既に
独力で解き明かしている者も存在しているし。あの人形使いはなかなかの幻視力だったわ。そうね、
彼女の言葉を借りて、私なりの表現で語るとしましょうか」

人形使い・・・・・・確かたまに里を訪れ、人形劇を披露している場面に出くわしたことがある。幻想郷
縁起で彼女の項を執筆する時にも人形繰りを見せてもらったが、まるで生きているかのように振舞う
人形達の演技に驚かされたものだった。彼女はなんでも自立した人形を作るために魂の研究をして
いたとか何とか、新聞で見た気がする。

「外をご覧になって」

彼女の淹れた紅茶は・・・・・・などと回想していたところで輝夜さんの言葉がかかり、慌てて視線を向ける。



とぉーん



開け放たれた襖の向こうに、小さな池、水が注がれていく途中のししおどし。地を這う、或いは岩を覆う
草花。外壁、瓦・・・・・・明るさに目を向ければ暗い紫の帳に真円を描く銀色と、直線・曲線を描く緑。
しばらくその「あはれ」なる光景に見入っていたが、一向に輝夜さんの二の句が告げられない。
・・・・・・喩えを使うということは、この中に不老不死の様態を示す物があるのだろうか? となると、
やはり・・・・・・
私は空の一点だけをじっと見つめる。すると笑みの混じった吐息と、はずれ、という悪戯っぽい囁きが
耳に入った。

「そういう間違えられ方をされると光栄なのだけれども、くすぐったくもあるわね。でも生憎と、私は
もう地を這う穢き民と同質。空に輝く尊き球は、我において浮雲のごとし、ね」

嘲るでもなく、寂しげでもなく、輝夜さんは笑う。後ろ髪を引かれるところなど何一つ無い、という
表情だ。その笑顔のまま、誇らしげに宣言する。

「私は、竹林なのよ」

成る程、確かに地に足が付いている。そして長寿の象徴でもある。でも、私が知っているのはその
くらいだ。後は、生長が早いということだろうか。いまいち不滅不尽のイメージが湧いてこない。

「ところで貴女は、地上に出ている竹は全て枝であるということをご存知?」
「そ、そうなんですか?」
「竹の茎は地中に縦横無尽に張り巡らされているのよ。そして地上に筍を伸ばし、やがてそれは枝と
なる」

輝夜さんはおもむろに袖の中に手を差し入れ、一本の古びた枝を取り出す。それは竹ではなく、何かの
木の枝のようだ・・・・・・見開かれた私の目に映ったそれを軽く抱く。

「地上に現れている枝は、風に倒されることもあれば、誰かに切り落とされることもある。火を
放たれれば燃やし尽くされることもあるでしょう。でもね、手の及ばぬ位置にある茎さえ無事ならば、
いずれまた地中から枝が伸びてきて、竹林は再び繁茂しますの」

私の須臾の瞬きの後、輝夜さんの腕に抱かれていた枝が花開き実を結んだ。百花繚乱、咲き誇るのは
こがね、しろがね、さんご、るり、はり、めのう、しゃこ・・・・・・絢爛豪華な七宝。古びた枝には似つかわしくない、
華美な装飾だと思った。まるでただの枝に、宝石を無理矢理くっつけていったような、作り物じみた
雰囲気がある。この枝が何なのか少し気をとられたが、私は本題を忘れはしなかった。

「貴女が不滅である、その理由は無限に枝を生み出す茎をその身に秘めているから、ということですか?」
「流石ね、そういうところは全く変わらないわね。暗愚ではない頭脳、物欲に暗まぬ目」

まただ、また輝夜さんの視線が私から逸れていないのに逸れる。一体何を見ているのだろう? 私の
身体には貴女が持っているような茎はないのですが。
・・・・・・ああ、でもちょっと羨ましいですね。簡単に肉体を用意できる程度の能力というのは。私の場合
時間をかけて閻魔様にお願いしなくてはならないのですから。

「念のため確認しておきたいのですが、この場合枝とは肉体、そして茎とは・・・・・・アリスさんを
引き合いに出したのですから、魂とかそういうもののこと、で合っているでしょうか? 貴女は無限に
自分の身体を生み出す事のできる御魂(みたま)を掌中に収めた、と。そしてその珠は決して欠ける
事も曇る事もない、誰の手も届かぬ望月」

輝夜さんは私の質問に軽く頷き、それからこれまでとは違う声色を発する。

「『まさにクローンね』永琳の言葉よ。何のことかは私も分かっていないのだけれども」
「・・・・・・あの人はいつもいきなり妙な横文字を飛ばしてきますからね、コラーゲンとか」
「違いないわ。ペーハーだの、ケチャだの、いきなり言われても返答に困るというのに」

意外なところでお互い意見の一致をみたため、二人して軽く噴き出す。私の場合さっきの輝夜さんの
物真似があまり似ていないと思ったから、でもあるのだが。



しゃらん、ちりん、からん



私がカップの中身を空ける一方、輝夜さんは手にしていた豪奢な枝を戯れに軽く振る。七宝が触れ合い、
それはまるで鈴を思わせる音を響かせる。何だか最初に相対したときに比べて随分とほぐれた態度に
なってきたような気がする。
さて、これで蓬莱人の不死性を説明する項を追加することができそうだ。原理としては私、いや阿礼の
選択したものよりも遥かに高等な手法であるようだ。一瞬で、自ずから、全く同じ肉体を再生させる魂。
月の技術の賜物だろうか。月都万象展の際にはそのような品は展示されていなかった以上、これは
秘宝中の秘宝というところだろう。

「失礼します。紅茶のおかわりをお持ち致しました」

閉ざされた襖からか細い声が放たれた。輝夜さんが枝を振るのをやめ、入りなさい、と小さく声を
かけると襖が静かに開かれる。目を向けると妖怪兎が二匹、ティーカップを載せた盆を隣において膝を
ついて畏まっている。彼女達はすぐに面を上げ、空になった輝夜さんと私のカップを回収し、新たな
芳香を残していった。そして一匹は空のカップを載せた盆を、もう一匹は輝夜さんからあの枝を、
それぞれ持ち去っていく。
そういえば、あの金銀細工を身に纏わせた古枝のことは放置したままだった。改めて好奇心を駆り
立てられたので、輝夜さんに尋ねてみることにした。

「さっきは本題からズレそうだったので無視していたのですけど、あの枝は一体何だったんですか?」

するとどうしたことか、輝夜さんの笑みが悪戯っぽいものに変わった。
・・・・・・また、私はやってしまったのだろうか? 自分の好奇心が仇となる、稗田の宿命とも言える、猫の
真似を。

「あの枝ですか? あれは優曇華という植物の枝を折り取って、先程話した殿方に求婚された際、難題
としてお送りしたものの変化した姿です」

先程の方、という言葉を聞いただけでまた全身が固まる。そんな私に、輝夜さんはよどみなく語りかけて
くる、不自然なほどに弾んだ調子で。

「優曇華とは権力者の穢れを吸って花開き実を結ぶ月の植物。その者の権力が大きければ大きいほど
美しく咲き乱れると言われていますの。色々と気の多いあの方には厄介な題目だったのでしょう。結局
彼は最高の権威者となる事はできず、私財の大半を投げうって煌びやかな装飾を施しはしましたけど、
本物の『蓬莱の玉の枝』には遠く及ばないものでした。まぁ、いくらなんでも植物に対して鉱物や貝殻などを
まぶされても、かえって不自然さが目立ちますわよねぇ・・・・・・あら、顔色が優れないみたいですけど、
大丈夫かしら?」
「いえ・・・・・・お構いなく」

初めて耳にする話に身体を熱くするという、なかなか味わえない体験が今まさに私の身に起こっている。
まるで親に記憶の不確かな赤ちゃんだった頃の話を聞かされている気分だ。他者の恥を我が事のように
感じるのは自分でも似たような経験をしている場合に限られると思うのだが、生憎と私にはそのような
記憶はない。御阿礼の子のお墨付きだ。その私が見ず知らずの男性のことをこうも近しく思うという
ことは・・・・・・



とぉーん



ここの庭にあるししおどしには何か不思議な力でもあるのか、音を聴くと目覚しい気分になる。ふと
輝夜さんの方に目を向けると、彼女は二杯目の紅茶を充分に堪能しているようだ。折角のお気遣いだし、
私も愉しむとしよう。ここの紅茶はあまり淹れられることがないにも関わらず、味は悪くない・・・・・・
うん、紅茶の匂いにも不思議な力が宿っていると思う。
双方、カップを懸盤に戻したところで、再び輝夜さんが口火を切った。

「さてさて、私のことを話すばかりでは不公平ですわよね? 貴女のことも聞きたいわ。確か優れた
記憶能力を持っているのよね。そして閻魔様の力を借りて、転生を繰り返して幻想郷縁起を書き連ねて
きた・・・・・・地上の民の工夫も大したものよね。まさかそんな方法で記憶を連綿と保ち続けてくるとは
驚きだわ」

両の手のひらを胸の前で合わせ、心底感心した様子で興奮気味にまくしたてる。その眼に宿るものは
・・・・・・ああ、私は本当こういう眼に弱いですね。ただただ純粋な好奇心を宿した瞳はいつ見ても私を
快くさせる。
私は弾む気持ちのまま、首を頷かせて先を促す。

「その貴女を見ていて確認したくなったのだけれども、記憶の座はどこにあるのかしら? 私はこの
肉体で永いこと生き続けてきて様々なことを見聞し、それを頭の中に留めているわ。けれども肉体を
取り替え続けてきた貴女・・・・・・達は昔のことを知る為には文字による記録に頼らなければならない
みたいね。このことが意味するのは、記憶はモノに宿る、でいいのかしら?」

へぇ、なかなかどうして、洞察力に優れたお姫様だ。
記録を後世に伝えるために、最初は口伝が行われてきた。これはいわば、人というモノを媒介にして
記憶を転写する作業だ。やがて文字が使われ始めることにより、記憶は別のモノに転写されるように
なった。この転写先のモノは、安定で失われにくいことが求められた。石板、木簡・竹簡、紙、
レコード・・・・・・外の世界ではもっと高度な媒体が使われていると本で読んだことがある。

「そういうことだと私は考えています。また特殊な例として、縁起物や曰く付きの品などがあります。
これらは所有者に訪れた禍福の記憶を貯めていくことで、未来決定に影響を与えられるようになるのです」

また純粋に、蓄積された情報はそれを分析することで、未来に対する予測ができることもあるだろう。
ツバメが低く飛ぶ、猫が顔を洗う等、最初に見たときには理解できずそのまま雨に打たれてしまった
記憶を糧に、次にこの現象を見たときには同じ轍を踏まないように傘を準備する。これは記憶が
未来を左右すると言っても過言ではあるまい。
輝夜さんは少し考えるように、或いは値踏みするように、袖を顎の下に持ち上げ、目を細めた。

「ふーん、じゃあ魂に記憶が宿ることはないのかしら? 貴女の魂は最初の代からずっと変化して
いないのよね? ただし肉体が異なるから昔の御阿礼の子達の記憶はない。でも・・・・・・その割には
先程からずっと、阿礼の話をするたびに貴女は面白い反応を見せてくれているのですけれど?」



とぉーん



やはりそういうことか。私の祖は遠い昔にこのお姫様と対面していたようだ。しかも不老不死を
求めて彼女の力を得ようとしていたとは。

「まぁ一つ可能性として考えられるのは、御阿礼の子の身体は閻魔様に用意してもらうとはいえ、
それらが全て稗田一族に由来していることでしょう。子が遺伝によって親の特徴を受け継いでいく
以上、今のこの肉体にも阿礼の記憶が幾分かは残っているのかもしれません。あとは、閻魔様が
用意してくれた肉体ですから、あの方達があえて何かしらの記憶を仕込んでいることも無い話では
ありませんね」
「あら、意外と素直に受け入れるのね。私の戯言は信じるに足るものだったのかしら?」
「あら、そこはインチキなのですか? 私は貴女の昔語りを聞いたときの自分の感覚から、貴女の
言葉には真実の響きがあると思ったのですが」

二人揃ってとぼけ顔を突き合わせる。やがて耐え切れなくなり、これまた二人同時に肩が震え始めた。

「聡明ね、貴女は。折角のとっておきの言葉を軽く流されるとは思わなかったわ」
「まぁ、そう考えれば私の居心地の悪さも、肉体が違っても記憶の残滓があるということも、辻褄が
合うと思ったからなんとなく予想がついたのですけどね。まだ納得はしきれていませんよ」

それにしても・・・・・・『この世の全てをこぼさぬ器に収めてみせる』だの、不死を求めて求婚したものの
あっけなく袖にされて更にみっともなくあがいてしまうだの・・・・・・我らが祖のことながら顔から火が出る
思いだ。しかし結局、閻魔様の力を借りて目的をある程度果たせてはいるようだ。
・・・・・・もしかして閻魔様にも何か多大なご迷惑をかけているのではないだろうか? 今度地獄を訪れる
ときにお詫び申し上げておこうかしら。
そうそう、輝夜さんの問いに答えるのを忘れるところだった。

「ちなみに、魂に記憶が宿るかどうかという質問ですが、私の結論は宿らない、です。人の魂魄は死後
幽霊の形で三途に行き、そこから天界・冥界・地獄のどこかへ辿り着きます。その過程において、記憶は
徐々に揮発していくと考えています」

河を渡っている間、その後の裁判の間にはまだ記憶が残っているというのは、是非曲直庁の方の証言から
類推したことだ。生憎と私では死者から情報を得ることは出来ない。

「そして幽霊には生前の人が示していた気質のみが残り、冥界に至った幽霊は成仏して天界に向かうか、
転生して再び此岸に生まれるかの二択となります。どちらの場合でも前世の記憶というものは残っては
いません。それは、新たに産まれた子供を見ていれば納得して頂けると思います」

天界の方は私では確認の仕様がありませんけどね。地獄に落とされた幽霊に関しては未知の領域です。

「以上から、記憶は安定した構造を持つモノに宿ると結論付けられます。姿形の儚い魂魄では、それを
維持することが出来ないのでしょう」



とぉーん



喉を乾かせた私は紅茶を最後の一滴まで飲み終えた。ゴールデンドロップ・・・・・・は、注ぐときの最後の
一滴でしたか。それから私は夜空の方に目を向ける。
おや、さっき月を見上げた時から位置が全く変わっていない。あれからもう随分と長いこと会話を連ねて
きたと思うのだが、もしかして今宵もあの時のように時間が止まっているのだろうか? 聞くところに
よると永遠亭の存在が明らかになった夜、その時と同様に。
輝夜さんの方を見ても、ただただ静かに微笑むのみ。その、曲線を描く唇が形を変化させる。

「興が乗るような夜は出来るだけ永く続いてほしいのだけれども、あまり長く虜にしていると悪いわね。
貴女のところの家人にも、外で苛立っているあの子にも」

そう言って輝夜さんは手を二拍、打ち鳴らした。訪れる沈黙、破ったのは一匹の妖怪兎の来訪。

「お呼びでしょうか、姫様」
「お客人がお帰りよ、とあの子に伝えて頂戴」

畏まりました、と答えて兎は廊下を歩いてゆく。それを見送っていた私の目に、月の位置が大きく
動いた夜空が映った。やはりこの屋敷の時間の流れは外界と切り離されていたようだ。それが再び
繋がったということは、今宵の非日常は終わりを告げたということか。
輝夜さんは居住まいを正し、私に向き直る。締めの挨拶を語るのだろう、私も直ちにそれに倣った。

「さてお客人、今宵は実に愉しい夜でしたわ。貴女は今まで出会った中で、最も甲斐のある聞き手。
出来ることならこれからも、好奇の心のおもむくままに、屋敷を訪ねて欲しいもの。されば次には
耳だけでなく、眼にも楽しき意匠を凝らせ、貴女を迎え入れましょう。どうかどうか、ご一考を」
「こちらこそ、本当に充実した夜を過ごすことが出来て感謝の言葉もありません。意外なところで
我らが祖に関する話も聞くことが出来ました。・・・・・・内容はどうあれ、私達のことを覚えてくれて
いる存在がいるというのは心強いものです。これでまた一つ、転生の憂鬱が解消された気分ですよ」

私の言葉を聞いて、輝夜さんが目線と前髪の幕を下げる。続く言葉は躊躇いがちに呟かれた。

「迷いを断ったであろう貴女達にこんな提案をするのは礼を欠いているかもしれないけど、もし
よろしければ、私がおまじないをかけて差し上げましょうか?」

何とも気に入られてしまったものだ。不老不死の月の秘宝・・・・・・なのか秘法なのか、それ自体には
非常に興味を惹かれるが、その向かう先が私となると、ちょっと遠慮したい。
私は静かに首を横に振る。

「今この時のように、人と人との別れは惜しいものです。また惜しまれることにこそ甲斐があると
私は考えています。それにその提案に浮気しちゃいますと、閻魔様に問い詰められてしまいますよ、
転生も成仏も許されずに」
「まぁ怖い」

両袖で口元を隠して持ち上げられた顔には、柔らかく細められた両の眼。

「わかりましたわ。それでは私も来訪と別離の起伏に甲斐を見出すことにしましょう。私は永遠に
朽ちぬ枝。好きな時にこの身に宿り、好きな時に羽ばたいてゆきなさいな、小さな渡り鳥さん」

輝夜さんの言葉が終わると同時に、私達はお互いに頭を垂れた。






千変万化、様々に風景を変える竹林の中を、睡魔に取り憑かれた頭を叱咤しながら歩いていく。
待っていた案内人によると、日付が変わるまで私達は話し込んでいたらしい。思い返してみれば
会談の際に眠気は襲って来なかった。それは気が奮っていたことだけが原因ではなく、時間が
外と切り離されていたことにも起因するのかもしれない。
幸いにして周囲が明るいため、本当に眠ってしまうことは無いとは思う。深夜のこの竹林が
明るいのは、先行している案内人のお蔭である。私は、赤々と燃え盛る炎に照らし出された、
案内人の白く輝く後頭部を見つめる。
藤原妹紅。この迷いの竹林に住み、迷い人を見つけては助け、また永遠亭に向かう人間の為の
護衛を営んでいる。そして・・・・・・永遠亭の外に住む蓬莱人。それ以外のことはベールに包まれて
いる。幻想郷縁起を執筆中、ほとんどの人妖から修正案を受けたが、彼女からの提案が一番
少なかった、むしろ皆無と言ってもよかった。彼女はあまり自分のことを語りたがらない。今も
私と肩を並べず歩いている。とはいえ、歩みの遅い私の足にはちゃんと合わせてくれているし、
なるべく竹の密度の薄い道を選んでくれてはいるのだが。

私としては、永遠亭の蓬莱人の加筆修正以外に、彼女のことも目的のうちに入れていた。残念
ながら往路の途中では話すきっかけが掴めなかった。でも何とかしてこの帰路の間には会話を
持ちたい、そう意気込んで目の前のベールのように繊細な白髪を窺っている。こうして気を
張ることで、眠気が少し解消されたように感じた。

会話のきっかけは、思わぬことに向こうからもたらされた。

「随分長いことあいつと話し込んでいたみたいだけど、何も変なことはされなかった?」
「え?」

驚いた。往路はこちらが永遠亭に向かう目的を伝えただけでそれ以降沈黙に支配されていたと
いうのに、まさか向こうから会話を始めてくれるとは。この機を逃すわけには行かない。私は慌てて
言葉を探す。

「いえその、今度の幻想郷縁起に加筆する項目について、色々と意見を交換していたのです。
その為に随分と時間が掛かってしまい、長々と待たせてしまったことをお詫びします」
「いいよ別に。私も屋敷に上がるように勧められたんだけど、断ったのはこっち。そしたら
どういう風の吹き回しか、兎が紅茶を届けにも来たしね。珍しいな、と思ったよ」

振り向きざま、笑みの混じった言葉が届けられる。私は輝夜さんの思いもよらぬ気遣いに感謝
したくなった。お蔭で会話の接ぎ穂が見えてきた。

「あ、紅茶をお願いしたのは私なのです。好物なもので。貴女の方にも届けられていたのですね。
・・・・・・その、お口に合いましたでしょうか?」
「うん。意外と良かった。たまには飲んでみるのも悪くないかもね」
「差し出がましいようですが、よろしければ私のお勧めの銘柄などを見繕いましょうか?」
「いや、そこまでしてもらうのは・・・・・・まぁ、聞くだけなら」

そう言って、妹紅さんは再び前を向く。私は足を急がせ、彼女の隣に並んだ。彼女は私の
突然の行動に、慌てたように明かりの位置を変える。それもそのはず、明かりとは、ただただ
むき出しの、燃え盛る炎の塊なのだから。

「永い夜の対談で、少し眠気が回っています。紛らわすために、話を続けてもよろしいでしょうか?」
「う、うん。いいよ」

少々強引だったかもしれない。でも彼女の横顔を覗き見るに、戸惑いはあれど不満そうな様子は
窺えない。私は言葉を続ける。

「今回私が幻想郷縁起に項目を追加しようとしたのは、蓬莱人についてです。月の技術によって、
天人とは異なる形態の不老不死を手にした人々。その仕組みについて色々と教えて頂きました」
「ふうん。変な、もとい変わったことに興味を持つのね。普通は蓬莱人になる方法に興味を持つ
もんじゃないの?」
「あはは、そんなこと書いちゃったら永遠亭に人が大挙して押し寄せて来ちゃいますよ・・・・・・
大昔には輝夜さんがそういう目に合ったみたいですけどね」
「あれ、そうなんだ・・・・・・そうか、あいつが多くの男から求婚されたって話の裏にはそういう事情が
あったのか」

そう呟いて、口元目元をわずかに緩める妹紅さん。その横顔に含まれているものは嘲りのような、
同情のような、安堵のような・・・・・・そして懐かしむような。

「まぁ、輝夜さんによると、私の祖もその男達の中に含まれていたみたいですけどね。恥ずかしい
話です」

照れ笑いを浮かべつつ後ろ頭を掻く私を、目を丸くして見つめる妹紅さん。何がそんなに彼女を
驚かせたのだろうか? 私が笑いを引っ込め、妹紅さんと同じ顔を向けると、彼女は目を覚ました
かのように慌てて視線を反らす。

「・・・・・・いや、その、私はあんたの先祖のことを笑えないな。別に私は輝夜に頭を下げてこうなった
わけじゃないんだけど、結局不老不死という言葉に誘惑されたのは確かだし」

そっぽを向かれてしまった。触れてはならない話題だったのだろうか? 妹紅さんと輝夜さんは
同じく蓬莱人であるのに、居を同じくしていないのにはやはり事情があるのか。
幻想郷縁起には許可が出ない限りプライベートな話まで記載するわけにはいかない。私は話題を
変えようと頭を巡らせる。でも、先に気まずい沈黙を破ってくれたのは妹紅さんの方だった。

「そういえば、あんたは何度も転生を繰り返しながら妖怪のことを調べ続けてきたんだってね。
それをまとめたのが幻想郷縁起、か。凄いな。でも、どうしてそんなことを何代にも渡って
続けてきたの?」

話題を幻想郷縁起のことに切り替えてくれた、そのことに何故か無性に胸が騒ぎ始める。戸惑い
つつも、それを表には出さず私は答えを返す。

「人々を妖怪の危険から遠ざけ、安心して生活を営むことが出来るように・・・・・・というのが、祖・
阿礼より一代後の阿一の言葉です。営々続けて千余年、私もその理念に則り編纂を進めていますが、
最近の幻想郷を見ていると既に目的は果たされてきているような気がしますね」

ただ、輝夜さんとの対談でも明かされたように、昔の記憶はほとんど残っていない。だから私は
阿礼がどうして閻魔様と契約してまでこの作業を始めようとしたのか、本当のところは分からない。
阿一の言葉も、輝夜さんから聞いた阿礼の人物像と合わない気がする。全知全能になるため不老
不死を求めた、と、人々を妖怪から守る為に百年単位の転生を繰り返すことにした、との間には
大きな隔たりがあるように感じられる。

「そうか。いいな、目標があるってのは。私ももっと早く見つけたかった、かな・・・・・・」

私の疑念を他所に、妹紅さんはポツリと呟く。眼を閉じて口元を緩めるその横顔は儚げで寂しげで、
でもどこか吹っ切れた様子に見えた。それから妹紅さんは魅入っていた私の方を向くと、足を止めた。
私も歩みを中断し、彼女に身体ごと向き直る。
直後、妹紅さんは炎を消した。辺りが完全な暗闇に包まれる。お互いの姿、表情などが全く掴めない。

「昔の私はね、こんな暗闇の中を“歩く”小鳥だったのさ。群れる仲間達からは疎まれ、天敵からは
狙われ、ずっと隠れる場所を転々として暮らしていたんだ」

喩え話。とはいえ彼女が自分のことを語ろうとしている。私は、自分の目的も忘れてただ求め聞く
姿勢を整えた。

「そうやって当て所なく彷徨っているうちに、鳥籠に捕らわれてしまったんだよ。生い茂る竹林で
できた鳥籠に。私はそこで暗い生き甲斐を見つけた。鳥籠を爪で破り嘴で引き裂き、手に
入れた炎で焼き尽くそうという。それを成し遂げることで初めて、私は飛び立てると。この暗い
呪縛から解き放たれるだろうと、そう信じて」

奇しくも、同じ表現。輝夜さんは自らをそれになぞらえた。では、妹紅さんの場合は・・・・・・?
妹紅さんは長い溜息を吐く、先程までの暗い激情を捨て去るかのように。

「勿論、そんなことは絶対に出来ない話だったんだけどね。おまけに、鳥籠だと思っていたこの
竹林も、明るくなった上で眼を凝らしてみればスカスカだったという落ちさ。全く、夜を照らす
炎を得たというのになお鳥目とは、呆れるばかりだったよ。一つ言い訳させてもらうなら、流石は
迷いの竹林、というところかしら」

妹紅さんは腕を空に向けてかざし、まばゆい炎を生み出した、ということがわかった。急に周りが
明るくなり、私は目蓋をわずかに下げる。私はこの光景が意味することを深読みする。

「永い夜が瞬きの間に明ける・・・・・・その時の話でしょうか?」

私の問いを受けて一瞬、意表を突かれた顔になり、やがてそれは力の抜けた笑みに変わる。

「うん、近い・・・・・・ね」

それから妹紅さんは歩き出す。目的地である人里へ。

「ま、今じゃ私も人間の里まで羽根を伸ばす・・・・・・程には溶け込めてないけど、足を伸ばすくらいは
するようになったよ。そこで新しい目的も見つけた。ここに住み続けているのは惰性、かな? 別に
捕らわれているわけじゃないとわかると、なんだかこのスカスカの鳥籠も居心地が良いと感じてね」

そう言い残して遠ざかっていく背中を眩んだままの眼で見ていると、何故だか無性にいとおしく
感じられた。胸が一杯になり、足が動かせない。

「はは、どうしたんだろうね。他人にここまで自分のことを喋るなんて。これはあれかな、あいつへの
対抗心がはたらいて・・・・・・ん?」

一向に足音が聴こえてこないとでも感じたのか、振り向く妹紅さん。その彼女に、私は混乱の冷めない
頭で突飛な言葉を放つ。

「あ、えと・・・・・・足がもうくたびれてしまって、その・・・・・・背負って頂けないでしょうか?」
「ああ、なるほどそういうこと。確かにもう夜も遅いし、稗田のお嬢さんにはこの道のりは長すぎたかな?
いいよ、待ってて」

小走りに戻ってきて、私の前にしゃがむ妹紅さん。かなり上にあった彼女の頭が、今は私の頭よりも
低い位置に来ている。



私は彼女の肩ではなく、その白く輝く髪に手を伸ばし、慈しむようにゆっくりと撫でた。
次に私が眼にしたのは、頬を染めながら距離を開けた妹紅さんの立ち姿。

「な、何をいきなり! どうしたのよ!?」
「え? あ・・・・・・す、すみません!」

慌てて伸ばしたままの腕を引っ込める。何故こんなことをしてしまったのか、いやそもそもどうして
彼女をしゃがませるような言葉を吐いたのか。先程の私は忘我の境地にあったというのに、ここまで
作為的な行動をしてしまっては、それを信じてもらえるかどうか、実に疑わしい。

「上手く説明できないのですが、貴女の話を聞いているうちに胸が熱くなってきて、それで、自分でも
よく分からないのですが無性に報いたい気持ちになって、でもその方法がどうしてこんな形に・・・・・・」

ああもう! 私は何を言っているのだろう? 両手で抱えて頭を振るも、先程からの困惑は一向に
落ち着かない。
その私を更なる渦中へと引き擦り込む事態が起きた。

「あ・・・・・・? わ、わわっ!」

妹紅さんが再び私の足元に舞い戻ったかと思うと、私は急な浮遊感に襲われた。気付いたときには私は
彼女の背に負われていた。偽りの要求の通りに。大きく揺れる自分の身体を何とか留めようと、必死で
彼女の肩を掴む。

「あのっ、そんなっ! お、降ろして下、さいっ」
「ふんっ、私はしてやられたら仕返しをする主義でねっ! それにこれは希望通りだろうに」
「あ、あれはその、違うんです! 多分、頭を撫でやすいように・・・・・・ひゃっ!」
「騙したのね、ますます許せないな! このまま一気に人里まで行くよっ」

妹紅さんは私の両脚をしっかりと把握して、駆ける足を速める。駄目だ、とても降ろしてくれそうな
様子ではない。私は彼女の肩を掴んだまま、途方に暮れた。そんな私に、不自然なまでの大声が
かけられる。

「・・・・・・あんたも分かってないみたいだけどっ、私も何だか分からないんだけど!」
「え?」
「悪くなかった、嬉しかった、くすぐったかった、なんだか目頭が熱くなった、鼻にツンときた!
・・・・・・ああ、私も上手く説明できないよっ」

お互い様、そうであると知らされて何だか急に身体から力が抜けていった。
全く、今日は自分のこの身体が自分のものではないかのような振る舞いばかりしてきたような気がする。
思い当たる節があるとすれば、受け継がれてきたこの肉体に宿る、或いは用意した方に仕込まれた、
記憶の所為なのだろうか?
・・・・・・ああ、駄目だ。自分で歩みをやめてしまったせいか、はたまた純白の紗沙で飾られたこの背中が
心地良いせいか、睡魔に頭を奪われてしまった。色々と考えるべき疑問が残ってしまったが、今宵これ
以上の考察は無理だろう。
睡眠は記憶の整理の為に行われ、夢はその作業風景だと本で読んだことがある。今はそれを信じて、
この状況に・・・・・・身を任せ・・・・・・






まわる、まわる、まわる、回るそれは黒い、艶のある、溝のある、円盤・・・・・・レコード?

ひびく、きこえる、わかる・・・・・・音、声、言葉・・・・・・二人の、対話。

「己は、己は妖怪を徹底的に調べ尽くした書を記そうと思います。己が愚かにも望んで得ずにすんだ
永劫の生、それを手にしてしまったあの哀れな娘の為に。人の輪にまつわれず、妖魅の危険の中を
歩まざるを得ない娘の為に」
「それが、これより貴方が積むべき」
「贖罪、です。善行などと呼ぶのはおこがましいでしょう。地獄に身を置く今の己にはこの言葉こそが
相応しい」
「貴方の罪は、人の身でありながら人を超えようと、あろうことかこの私に輪廻転生の法を破るよう
提案してきたこと」
「それが如何に不遜であったか、娘の姿を眼に頭に焼き付けられたことで身に沁みております。己は、
不老不死になれば万物に手が届くと信じていました。しかし、不老不死となった娘は全てを手から
こぼしてしまいました。己が身代わりの人の形のようなその姿をただこの眼に映すしか出来ぬこと、
己には、己には耐えられません」

針が溝をなぞる音がする。

「貴方に与えられた現世での時間は三十余年。その間の身体は、我々が細工を施したことによる影響で
惰弱な物。その限られた状況では娘に手を届かせられる可能性は皆無に等しい。それでも良いですか?」
「・・・・・・構いません。たとえ己の記す書が彼奴に読まれることが無いとしても、人々が妖魅に抗う術を
身につけていけば、彼奴の周りの妖魅が減ることになるかもしれない。己はただただその為だけに筆を
取り続けましょう。これより己は、生前の栄光ある名を捨て、戯れに作った名を称することにします」

針が溝をなぞる音がする。

「永遠に滅びぬ身であれば、全てを掴むことが出来る。その信念を貫き通すために、人の理を越え、
娘を救おうとする、か。ですが貴方の術は妖怪と変わりのない娘を更なる窮地に追い遣る可能性もある。
それを回避する方策・・・・・・人妖互いの理解を深め、過剰な拒否を取り払う・・・・・・貴方はこれを自ら
悟らなければなりません。ですがせめて、導き手は傍に置いてあげましょう。
・・・・・・お願いできますか、妖怪の賢者よ」

針が溝から離される。
ゆっくりとレコードが止まる。
蓄音機から取り外され、ジャケットに仕舞われる。
すべて、女性の手による行為。

貴女は・・・・・・






「・・・・・・ういえば、幻想郷縁起を読んだよ。それで、ちょっと聞きたいんだけど・・・・・・稗田? おい、
稗田の! ・・・・・・眠ってしまったか。・・・・・・行ってみようかな、今度、稗田の家まで」
●あとがき

永命線というものがあるとした場合、それはどこに刻まれ、どのような形をしているのでしょうか?
個人的には手のひらに、生命線が∞型になっている状態だと思っておきます。

コラーゲンのような絡まり合った三重らせん構造も捨てがたいですが、誰か一人除け者になっている
ような気がするのでこの案はナシで(そもそもこれじゃ個人の物ではなくなってるし)。
山野枯木
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.520簡易評価
2.100煉獄削除
良かったです。
阿求の雰囲気と輝夜の雰囲気が素敵でした。
二人の話も難しかったですが面白かったです。
最後の妹紅との会話も良かったです。
阿求の話は色々な事柄が含まれていて好きです。
13.80雨四光削除
そういえば妹紅のお父上と阿求は同じ人でしたっけ……