秋めく乾いた空気の午後。私――アリス・マーガトロイドは、仕事場の床下から彼らを引っ張り出した。それは霊夢や魔理沙や妖夢だった。勿論本物ではない。姿を模した人形だ。片手で八割掴める大きさ。作業台に並べて、肌に積もった土埃を落とす。
幻想郷で出会った殆どの者を、私は形にしているだろう。此の地の面々はよく笑い、よく嘲り、よく呆れ、よく生きる。合戦中の僅かな口角の歪みが、触れようか否かと迷う指先が、瞬きの一つ一つが、人形作りの参考になる。彼らの似姿を完成させる度に、匠に近付くのを感じる。
「とてもモデルには見せられないけれど」
相当に気持ち悪がられるだろう。それに、これらは所詮習作。粗が目立つので見せたくもない。
緩い三つ編みの上海人形が、綿棒で細かな部分の汚れを落としていく。
霊夢の人形は一体。袖の切り離された、紅白の巫女装束を着ている。肩部の剥き出しの関節が、人ならざる存在だと物語る。表情は無。円らな硝子の瞳は、正面の者を朧に見つめている。口元にはごく淡い珊瑚色で、一本線を入れたのみ。橙味の強い活発な肌色の中で、存在感のない目鼻が佇んでいた。これでも手を加え過ぎたくらいだ。博麗の巫女には特別がない。人妖神霊魔に獣、誰に対しても同じ在り様を見せる。それが彼女の最大の個性となっている。全ての人形の原型、ただの顔を霊夢は持っている。
魔理沙の人形は十体。蔵を探せばまだ見付かるはずだ。一番手近な一体は、真白い歯を見せて俗っぽく笑っている。顔の角度は斜め下。手元には紅魔館の魔法使い所有の古書。押しかけ強盗が成功した瞬間を形にしたものだ。彼女の個性は人形の枠には収まりがたい。同じ顔を見せることがない。毎秒打ち筋を変える棋士のよう。だからこそ遣り甲斐があり、アトリエには失敗作ばかりが溜まっていく。
妖夢の人形は一体。瞳には屈折率の特別高い蒼石を使っている。周囲の光や眺める方向によって、冬の水面のように様相を変える。嫌っているようにも潤んでいるようにも。尖った唇も、様々に受け取れる。睫毛の傾きはわざとばらけさせている。冥界の庭師は半人半霊、不安定そのもの。しかしその振れ幅は一体の人形の枠に落ち着く程度。不安定な状態で安定しているのだと思う。
他にも月面兎や、ラーメンみたいな髪のすきま妖怪や、特注の注連縄をつけた神様の人形が集合する。
混沌とした作業台に居ないのは、生まれつきの人形。鈴蘭畑の化け人形と、もう一つ。
「相変わらず悪趣味な人形ね」
「貴方が言えたことかしら」
窓辺の涼やかな声。十六夜咲夜。湖の彼方、紅の館で暮らすメイド。彼女もまた、人をなぞった品だった。
「どうしたの、またどこか故障したの」
ドアから入ってきた彼女は、右手を蝶のように振って見せた。外の世界の人形、否、任侠映画はこんな具合だろうか。小指が付け根から外れていた。切断面は平ら。紅魔館の凶暴な妹の仕業か、あるいは庭師に斬られたか。まあいい。
「座って。すぐに繋ぐわ。ついでにメンテナンスしましょう」
「お世話かけます」
濃紺の膝上スカートに、純白のエプロン姿で座っている。銀髪には枝毛の一本も、縮れの二本もない。
私は彼女の旅路を知らない。
いつ如何なる土地で生まれ、どんな魔法をかけられたのか。彼女は完璧な、限りなく人に近しい人形。人間同様に物を食べ、睡眠を取る。髪や爪が伸びる。温かい。閻魔すらも欺ける。その謂れを知れば、私の人形制作もまた一段と進化するはずなのだが。
常にはぐらかされている。
「貴方は何処から来たのかしらね」
「外の世界の多分やんごとない国から。目を焼くほどの紅蓮の薔薇庭園を見た覚えがあるわ。おそらく」
「貴方は誰の持ち物だったのかしらね」
「収集癖が祟って奥さんと娘に逃げられた古美術商の。貴女も気をつけてね」
外の世界には、嘘を吐くと鼻の伸びる人形があったはずだ。改造してそうしてやろうか。ううん、鼻なんて切ればいいだけ。もっと衝撃的な箇所が良いだろう。嘘の度に腰を太くするとか、胸をぺしゃんこにするとか。
「手が止まってるわよ」
「脳の動きが活発なのよ。貴方とは違って」
咲夜の脳に詰まっているのは、縞模様のビー玉と紅い原石、緩衝材の綿。開いて見たからわかる。大したことのない素材。なのに彼女は思考を巡らせ、瀟洒に生きている。操り糸はどこにも見えない。
小指の付け根に、ミリ間隔で魔法の糸を付けていく。円形の切断面には、植物の根から作った接着剤を。指先と完全に繋がるまでの補強だ。その上に、粘土を焼いて作った指を載せる。位置が定まったら縫合。糸の一本一本で指を固定する。拡大眼鏡をかけて、照明蝋燭を寄せての作業。咲夜の修理に使っている魔法の糸は、普段人形制作に用いているものよりも遥かに細い。目を離すとどこへ行ったのか分からなくなってしまう。
「あっちの太い糸使ったら」
「今話さないで」
人形の癖に呼吸までするんだから。糸が吐息で見えなくなったらどうしてくれる。
咲夜に細い糸を使うのは、私なりの気遣い。魔法の糸は接合が済めば消える。しかしそれまでは、水仕事や手仕事中に気になるだろうから。
呼吸を止めて、一気に針を操る。肺が軋む。背中に布が張り付く。
焼き菓子の匂いがした。咲夜が持ってきたバスケットの中身か。そんなありふれたお礼はいいから、秘密の一つでも話してくれればいいのに。職人の技は盗むものとは言うけれど、咲夜は見ても開いてもわからない。
「お疲れ様でした」
紅魔館製の紅茶は喉がひり付く濃さで、少し鉄のような臭いがした。お茶請けの杏ジャムクッキーは味こそ良いのだが、粉が人形と作業台に散る。
「嫌がらせのつもり?」
隣の居間に移ろうとすると、
「後で全部掃除するから。こっちがいいわ」
「嘘じゃないでしょうね。お嬢様の食事の支度があるから帰ります、なんて言いそう」
じゃあそうしましょうか。咲夜は十本の指でカップを支えて啜った。
窓は掌ほど開いて、狭く風を通している。外は何時までも、何時になっても暗い。時が止まっているかのよう。
生き人形の秘伝を教えない咲夜だが、時間操作の能力については以前話してくれた。何でも、人形の時間は常に止まったままで。自己の停止の領域を周辺にも広げることで、一切を止めているのだそうな。時の進行を早めたり遅らせたりは、停止の応用らしい。咲夜のことだ、嘘や適当を言っている可能性もあるが。
彼女は台に並ぶ幻想郷の住民を見ていた。色彩渦巻く人々の輪の中に、紅魔館の者を認める。レミリアの人形を引き寄せると、瞳の色が合わないと言い出した。
「もっと彩度の高い紅」
「服装とのバランスを考えるとその位が丁度いいのよ」
「じっくり見る機会がないだけでしょう」
じゃあお前が作れと言いたい。指摘が正しいのが悔しい。
「粗が目立つので見せられない」と言った人形達だが、咲夜に対しては見せても恥ずかしさを感じない。彼女もまた人の形だから。同族を紹介しているようなものだ。
「わかっているでしょうけど、貴方の人形は作らないわよ」
此処に居るのは「人」の形。自らを非創造物と認識している者の形。元から人形である存在は、改めて人形にはしない。咲夜は頷きながらも、おかしな理屈ねと漏らした。
「創造物かそうでないかなんて、主観でしか決められないのに」
外の世界のとある宗教では、人は皆神の創造物なのだという。
この人形は、いや人の偽物だからだろうか、時折哲学的な顔も見せる。
「なら、貴方の主観ではどちら? 人と思えば人になれるかもしれないわ」
それは人間から魔法使いへの進化にも似た話。食べずとも平気になり、肉体の成長を止めれば人間は魔法使いと名乗れる。けれどもすぐには実感がない。自らに生じた変化を徐々に理解して、客観的にも主観的にも魔法使いとなる。
咲夜はレミリアの人形を抱き上げると、紙のように白い頬を撫でた。
「人形がいいわ」
彼女の、咲夜の瞳には多色性の石が使われている。光を受ければ北国の海の青に、闇を受ければ残酷な赤に変わる。伏した目は後者。幼い吸血鬼の目の色にも似ていた。
それは永い旅路だったのだろう。どこから訪れたのかは思い出せない。
両の眼に、青と赤に沢山のものを映してきた。
灰と泥雪に埋もれた廃洋館があった。
何も見えない時間があった。
瞼の汚れを拭いてくれる人が居た。やがて動かなくなった。
褐色の煙と逃げ惑う人々を見た。みすぼらしかった。
自分の左腕を見た。肩と繋がっていなかった。
それから。
紅いあかい双眸。差し伸べられる薄っぺらな手。
「起き上がれないの? 何をぐずぐずしているの」
いざよう私。人形に自力で起き上がれなんて、惨い少女だ。
「立てるはずよ、あなたが望めば」
声は呪文かねじ巻きか。灯りに群がる醜い羽虫のように、煤けた私が起き上がる。
止まらない月時計に、針が与えられた。名前が、居場所が、服が、武器が、感情が投げ与えられた。
仕えるべき大切な人が生まれた。だから、
「何時までも共に在るために、人形でいたい。そんなところかしら」
咲夜はもう帰っていた。
粘土人形の素体が、窓向こうからの夜風を受けている。焼成と乾燥を繰り返し、強度は万全。そろそろ手を加えても良い頃合か。抱き上げてアトリエに移した。
用意したのは茜色の眼球。反射材の粉が混ぜ込まれていて、闇夜に映える。青なんて欠片もない。穏やかな輪郭の瞳に、目玉が収まる。鋭い色合いが白い肌を引き締めた。睫毛は過剰にならないように、口紅は笑みの形に。
銀の髪と縫い立てのメイド服を合わせ、様子を見る。毛先の調整。どうせ習作、なのに手指は微調整を重ねた。頬紅をうっすらはたいたり、瞳の裏に紙を貼ったり。
「難しいわね、貴方を真似るのは」
魔理沙人形と同じく、改良の必要がありそうだ。冷めて埃の浮いたお茶を啜る。
ふと咲夜の手を取った。立ち上がりはしない。とりあえず、彼女が慕うお嬢様の隣に置いてやった。寄り添うことは叶わない。レミリアの蝙蝠羽の所為。一歩引いて従う、普段の咲夜の出来上がり。
「何時までも共に在るために?」
私は朗らかに嘲笑う。
その心が何よりも人間臭いというのに。
どこまでも人間の彼女が、いつまで人の形に縋りついていられるか。
「――お茶にしましょうか」
席を立つ。咲夜の手作りの菓子が恋しかった。百年先にもまた味わえないものか。
ささやかな期待を胸に、私は人の世界に戻っていった。
咲夜さんが人形というのは面白いです。しかもそれが、違和感なく受け入れられるというのがまた、凄い。
それと、人形が人間になるかという行で、F・k・ディックの「電気羊はアンドロイドの夢を見るか」を思い出しました。
うん、哲学的だ。
人の世界に戻っていった、とは?アリスが我に帰ったことなのか、それとも本当にどこかに移行していたのか。
読解力がなくてすみません。
久しぶりにすごく気に入った作品に出会えました。
咲夜さん人形設定っていいですね。
多くは語られない、からこそなのでしょうか
確かに咲夜さんはドールのような雰囲気ありますものね
不気味で素敵でさわやか
三文字様
フィリップ・K・ディック氏の作品、ご紹介ありがとうございます。引き付けられる題名のものが沢山ありますね。今度読んでみようと思います。
14.の名前が無い程度の能力様
「人の世界に戻っていった」は、アリスのアトリエを人形の世界、その外を人の世界と見立ててのものです。唐突な表現でした、混乱させてしまって申し訳ありません。
ななし様
嬉しいお言葉、ありがとうございます。こういう咲夜さんはどうかな、と思って書いてみました。心の中に残ったのなら幸いです。
22.の名前が無い程度の能力様
描写や説明に過不足のある場合には、是非ご指摘ください。
ありかもしれない、と感じられたのならとても嬉しいです。
奇抜な発想であっても、そればかりを露骨に見せつけるのではなく、きれいに物語に溶け込ませているのがいつもながらお見事
能力や生い立ちの面白い解釈でした