――太陽の日差しが辺り一面に降り注ぐ中、私は今、一人で歩いている。
テクテク、テクテク、と。
入道雲を後ろに、辺り一面の向日葵畑に延びる一本道を進みながら。
私の事を知らない者がこの光景を見たら、きっと微笑ましく思うのだろう。
その眼には、周りで大きく咲き誇る向日葵達の半分程の背丈しかない子供が、精一杯背伸びをして大人用の日傘を差して歩いている姿が映るのだろうから。
ただ、その背中にコウモリの様な黒くて大きな羽が生えていなければ、だけれど。
そんな些末な事を考えながら、私は歩き続ける。
テクテク、テクテク、と。
私の事を良く知る者がこの光景を見たら、きっと首を傾げてこう言うだろう。
『貴女、なぜ飛ばないの?』と。
確かに空を飛んだ方が、何処へ行くのも簡単だ。
しかし、こうしてゆっくりと歩いてみて分かったのだが、日傘を上に傾けると視界いっぱいに広がる、吸い込まれそうな色をした青空を。
そこにアクセントとして加わる、千切れた綿飴みたいな白い雲と。
そして体中に感じる、本来は忌むべき太陽の暖かい温もりを、辺りから漂う草花の香りを、足の裏に伝わる土の感触を。
それら全てが一度に感じられる『歩く』と言う動作に、どうやら私はすっかり魅了されてしまったようだ。
吸血鬼がそんな事を言うなんて世も末ね。 と、縁起の良い二色が似合う彼女なら、皮肉の一つでもくれたことだろう。 一杯の緑茶と共に。
そこでフと、後ろを振り返る。
そこには先程と変わらぬ姿をした、大きな入道雲が浮かんでいる。
ほんの気紛れで。
その白い水滴の固まりに目掛けて弾幕を放ってみる。
私の魔力を含んだ大小様々な丸い弾は何者にも遮られる事も無く、するりと入道雲へと突き刺さり、色鮮やかな紅をその身へと取り込んだ。
それでも入道雲は何の動きも見せる事は無く、ただ自らの色を一つ足したままで空に浮かび続けていた。
まるでどこかの誰かみたいね。 と一人ゴチながら、止めていた足を再び動かした。
特に目的も無く歩き回っている内に辿り着いたのは、幻想郷でもかなりの実力を持つと言われている妖怪が棲む向日葵畑。
普段はこんな所までは出歩かない。
力を持つ妖怪同士が出会うと、待っているのは厄介事だと相場が決まっているからだ。
面倒臭いのは嫌だな、と思う。 けれど、そこまで理解していながらも、ここまで足を運んでしまった私は、やはりどこかいつもと違うらしい。
辺りに漂う強大な妖気を体にヒシヒシと感じつつ、しかし頭では全く関係の無い事を考えている。
頭の中がグチャグチャになっていながらも、少しずつ落ち着いてきたのだろう考えを一切合切捨て去り、一度ここまでの経緯を思い出す事にした。
どうしてこんな所に居るのだろう。
何故、ここに来る事になったんだろう。
それに、こうやってノンビリと一人で散歩などをしたのは、いつ以来だろう。
そこまで考えると、私はその思考の渦の更に奥底へと沈み込む為に、『少し前』の記憶の中へと意識を潜り込ませていった。
◇ ◇ ◇ ◇
――そうだ。 一番最初は咲夜だった。
これは最初から分かっていた事だった。
今日という日が来ると分かっていたからこそ、彼女も『準備』を終えていたのだろう。
朝の内に、メイド達への業務の引き継ぎも、館内の掃除も全て終わらせたらしい。
そうなる事が分かっていた私は、まず誰よりも先に彼女を労わねばと思い立ち、珍しく朝明かしをしてまで彼女を呼び付けた。
だけど――
そんな彼女に、御苦労様、と声をかける時間すらも私には与えられなかった。
扉をノックする音を確認し、入室の許可を与える。
失礼します、と部屋に入る咲夜。
彼女の顔を覗き込もうとした、その瞬間。
もう既に何度も味わった違和感。
テーブルの上に眼をやる。
紅茶と、置き手紙。
『 行って参ります 』
酷く簡素で簡潔な内容。 これだけを残し、次の瞬間には咲夜の気配は紅魔館内から完全に消え去っていた。
咲夜の消えた後を見てみると、『ダイヤのJ』『ハートのQ』2枚が、重なり合う様にして床に落ちている。
結局、 最後まで完全で瀟酒な態度を崩さない。
あれだけ豊かなユーモアのセンスがある従者は、幻想郷どころか外の世界をどれだけ探しても見つからないだろう。
そんな咲夜が残していった紅茶は、やっぱり私が大好きないつもの味だった。
――その次は、私の百年来の親友だった。
咲夜が居なくなり、孤独感にゾワゾワと包み込まれた私は、居ても立ってもいられずに、パチェの居る図書館へと足を運んだ。
彼女の所で読みもしない本を開きながら、紅茶でも飲んで、お菓子でも食べながらおかしな話でもしていれば。
きっと心も晴れるだろうと、そう思って。
図書館の扉を開けて先ず飛び込んできた物は、苦しそうな顔で咳き込むパチェを、必死で介抱する小悪魔の姿だった。
恐らくまた喘息の発作が起こったのだろう。 そのまま寝室へと連れて行かれる。
なに、暫くすれば治まる筈だ。 たまには一足遅いティータイムも良いものね。
などと、勝手に決めていた予定を止むなく変更した私は、パチェが眠るベッドの横に備えられた、小さなソファに腰を下ろす。
埃が時折舞い上がる以外、全く静止したこの時間。
永遠のお姫様が悪戯でもしたんじゃないかと、ここには居ない銀髪の少女が何処かでうっかり紅茶でも落として、慌てて時間を止めたんじゃないかと、
思わず勘ぐりたくなるようなこの動かない景色に、とりあえずは彼女の容態が安定するまでは傍に居よう。
と、余った時間の使い道を決定した。
そんな事を考えていた矢先の事だった。
再び発作を起こし、苦しそうに呻くパチェ。 医学の知識を持たない私にはどうしてやる事も出来ない。
慌てて駆けつけてきた小悪魔にぶつかられ、されどそのピンと張った空気のせいか何も言い返す事が出来ず、ただボーっとその光景を眺め続ける。
全てが停止していた私に向けて、発作が一時的に静まったパチェの口から、今この状態で一番聞きたくなかった言葉が発せられた。
『ごめんなさい、レミィ……あんまり体調が芳しくないみたい……
楽しみにしているのは分かっていたけれど、一足先に向こうで待っているわ……』
……ごめんね
「……ッ! ……ええ、そうね。じゃあとっとと行ってらっしゃい。
今から向こうに行ってしまえば、もう後の事なんて考えないで済むものね」
最後の一言を聞き、激昂してしまった私は、つい心にも無い様な悪態をついてしまった。
その時のパチェの顔は、もう最後に見たのは何十年前だろうか。
彼女の悲しむ顔は、今までに見たどの表情よりも、脳裏にこびり付いて離れない物だった。
そうして七曜の魔女と、それに付き添う様にして小悪魔も紅魔館から居なくなった。
◇ ◇ ◇ ◇
――結局、私の身近な者で館に残っているのは、私の妹と門番だけになってしまった。
館内では妖精メイド達が騒々しく動き回っている。
だけど、無音の世界。
外の世界の迷い人より、子供っぽいと評され、しかし思い切った色彩だと讃えられた、紅すぎる館。
でも、この赤より紅い眼に映るのは恋色の魔法使いを彷彿とさせるモノクロ。
自分の家だと言うのに、何故か居たたまれない気分に陥ってしまった私は、とにかく外へ出ようと思い至った。
外に出て、スッキリしよう。 散歩でもしていれば、きっと気分は良くなる、と。
そうして私は日傘を手に持ち、館から飛び出した。
「あら、お嬢様。 お出掛けですか?」
正門へと近づくと、こちらに気付いた門番から声をかけられる。
紅美鈴
紅魔館において、咲夜と並んで私が最も信用を置いている従者だ。
「これから少し散歩に出かけてくるわ。
後は任せたわよ。」
「かしこまりました。
虫一匹、いえ、鼠一匹通しません!」
相変わらず声だけはやる気に満ちた返事が返ってくる。
今だけ『元気』でも操っているんじゃないかと言う位に張り切った返事をする門番に、
されども嫌な気持ちも別段湧かず、そう、頑張ってね。 と一声掛けて、門を潜る事にした。
ああ、それと――
私は一つ肝心な事を忘れていた。 大事な大事な、私の可愛い妹の事。
「妹の面倒を見てやってね。 一人で居るのは退屈でしょうから」
「我不愿意」
「妹の面倒を見てやってね。 一人で居るのは退屈でしょうから」
「喜んで!」
分からないとでも思ったのかしら? 異国の言葉でお茶を濁そうとする彼女に少しお灸を据えてあげて、それから改めて聞き直す。
全く……でも、そんな彼女のお陰で、ちょっとだけ元気を取り戻す事ができた。
――ありがとう、美鈴。
「?」
訳が分からずに小首を傾げる華人小娘に、少しムズムズした感覚を覚えながらも、さて行こうか、と門の前を後にした。
◇ ◇ ◇ ◇
――――そうだ、思い出した。
今、私はひとりぼっちなんだ。 ひとりきりで、ずっとここまで歩いてきたんだ。
こんなに大事な事を、それでもこうやってすっかりと忘れ去っていられたのは、この景色があまりにも美しいからだろうか。
それとも、私の頭の中に単純で化学的な何かが足りないからだろか。
……でも、どっちでも良い事ね。
こんなにも空が蒼いのに。
そんな無粋な事を考えるなんて、太陽の光を遮ってくれている、あの優しい入道雲に失礼だわ。
少しの間だけ光の檻から抜け出すことができた私は、日傘を畳んでもう一度歩き出した。
向日葵畑に隠れ住む妖精達と軽く戯れながら、暫くすると入道雲のスキマから顔を覗かせてきた太陽を睨みつけ、再び日傘を差して先に進む。
そうして歩いて行くと、急に辺りの光景が広くなる。
私と妹が二人並んで手を繋いで歩いたら丁度良い幅になるんじゃないか、という位だった道がパァっと開けて、
東の果てにある神社の、そこの巫女がいつもダラダラしている居間位の、それよりちょっと広いんじゃないかと思う位の大きさの広場へと辿り着く。
そこで目にしたものは、真っ白なテーブルとチェアをお供に、向日葵を彷彿とさせる意匠の日傘をチェアに立て掛けた状態で、
一人ティータイムへと洒落込んでいるのであろう花の妖怪の、私と同じ紅い瞳を真ん丸にさせた顔であった。
「あら、誰かと思えば……」
貴女でしたのね、と柔和な笑みと共に言葉を送ってくる彼女に、されど警戒だけは怠らずに言葉を返す。
「ええ、お久しぶりね。 前の宴会以来かしら」
「そうね」
そう、気のない返事をした彼女は、又紅茶を口に含む。
ただそれだけで、別段何をするでもなく、一口。
また、一口。
私はその繰り返される挙動を、ヌッペリとした顔で、穴が空く程に見続けていた。
そうしてこれで三口目。
何も変わらないこの空間。 まるで私はここに咲く沢山の向日葵の一本にでもなったかのような錯覚に陥る。
彼女はそんな私の鬱屈した思いを感じ取ったのか、それとも何かの気紛れか、手に持っていたティーカップを優雅な動作でソーサーに置き、こちらに体を向ける。
その顔に先程よりも少し楽しげな成分を含ませながら、私に一言の招待状を投げ渡す。
「一緒にお茶でも如何です?」
その顔は相変わらず花でも咲いたかのような可憐さを保っていた。
◇ ◇ ◇ ◇
――――結局私は、彼女に誘われるままに予期せぬティーパーティーに出席することになってしまった。
テーブルを挟み、向かい合う様にして座る私達。 日傘は彼女に倣いチェアに立て掛ける。
警戒は解かず、されど意を決してチェアに腰掛けると、彼女は相変わらずニコニコとした顔で紅茶を淹れ始めた。
「良い香りでしょう? 稗田の娘から、以前の取材のお礼にと頂いた物なのよ」
と嬉しそうに語りだす彼女。
この瞬間だけを見た者には、とても彼女が凶悪な力を秘めた妖怪だとは思わないだろう。
紅茶を蒸している間に話を終えた彼女から、ホカホカのスコーンなんて洒落た物は無いけど、と紅茶の次に差し出された物は、取れたてそのままの向日葵の種だった。
しかし何も言い返す気力が、既に微塵も消え失せてしまっている私は、そんな事などお構い無しに殻ごと頬張る。
そして紅茶を口に含み、一気に流し込んだ。
「……美味しい」
思わず目が丸くなる。 口に含んだ瞬間に鼻を抜ける爽やかな香り。 それから徐々に広がってゆく自然の甘み。
流石に味の方は咲夜の淹れた紅茶ほどでは無い。 けれど、また彼女の淹れてくれた紅茶とは違う、不思議な感情が湧き上がってくる。
怖くて、それでも目を離せなくて。
もし太陽が飲み物だったのならば、きっとこんな味がするんだろう。
そんな訳の分からない考えが、だけど自然で。
「お気に召して頂けたようで光栄ですわ。 お嬢様」
どうやら私は余程おかしな顔をしていたのだろう。 風見幽香が笑いながらそんな事を宣った。
しかし、嗚呼――やっぱり私はまだおかしいのね。
そんな彼女に連られて笑ってしまった。
「知ってますか? 向日葵の花言葉」
唐突に話を振ってくる風見幽香。
「いいえ、知らないわ」
「眩しい位に辺りを照らし続ける『光輝』に満ちた人物。 そんな貴方の様になりたいと、羨望の念を抱き続ける『憧れ』
そしてそのものを表す様な姿を『崇拝』し、いつまでも『あなただけを見つめております』と、告白するの。
それは正しく『熱愛』と言っても良いかもしれないわね。」
目を瞑り、唄う様に言葉を紡いでいく。 滑らかに、されど優しく。
そんな彼女の詩に、私とは縁遠い言葉だわ。 などと茶々を入れて笑う。
「ええ、そうね。 全く正反対だわ」
「ハッキリ言われるとムカつくわね」
勿論、本気で怒りを感じている訳ではない。 彼女自身も只の言葉遊びを楽しんでいるだけだ。
寧ろ彼女には現時点において好意さえ抱いている。 だから――
「あら、ムカついたからってどうすると言うの?
小さな小さな吸血鬼さん」
「あら、やることは一つでしょ? お花の妖怪さん」
たまには面倒事の一つもいいかな、なんて。 思ってしまったり。
◇ ◇ ◇ ◇
――――地面に大の字になり、西へと還ってゆく太陽を日傘越しにジッと眺める。
やはり彼女は強い。 結局、彼女のチェックの上着を洗濯用の雑巾にすることが精一杯だった。
日傘を差しながらも、まぁ丁度良いハンデになるわね。 などと思っていた一時間前の自分を張り倒してやりたくなる。
しかしながら、心は何処までも澄みやかで。
今まで悩んでいた自分は彼女に撃ち落とされ、新しい自分がコンティニューされたのでは無いかと思う位に。
そんな事を考えていると、それまで遊びの後のティータイムへと洒落込んでいた幽香が、こちらへと近づいてきた。
そういえば、先程まで紅茶を飲みながら、何かを考えている様な素振りを見せていた。
此処に来たと言う事は、その考えが纏まったのだろう。 私の頭の手前に膝を折った彼女が口を開く。
「そうねぇ……アマリリスなんてどうかしら?
いや、貴方に合いそうな花を想像していたのよ。」
それは余りにも突拍子も無く。 思わず言葉を失ってしまう。
しかし、彼女はそれにも関わらずに話を続けた。
「貴方はとても誇り高く、その所為か見栄っ張りな部分が有るわね。
おしゃべりでやや怒りっぽい所も、とても『お嬢様』だなんて思えないわ。
それに……実は結構内気な所とかもね。
今日だってそう。 その悪い癖が出てしまったのでしょう?
だから貴方は此処に居る。 たった、一人で」
けれど、と話は続く。
「それでも、今までの貴方が取ってきた行動は、高潔で美しく、誰もが魅了されるものだった筈よ。
でなければ、我が儘な貴方には誰も付いてこない。
500年の歳月を、妹と二人、ずっと過ごしてきた筈よ。
こんなにも色鮮やかな世界を知らないで、ただ、紅と黒のみの世界で」
彼女の話は終わらない。 動くのも億劫な私は、ただ彼女の話を耳に入れる事に専念した。
「話は変わるけど、知っている? 私のこの傘。 もう何百年使い続けているかも忘れちゃったけどね。
この傘は幻想郷で唯一枯れない花なのよ。」
そう言い、左肩に抱える様に差した日傘をクルクルと回す。
「ずっと変わらずに、ずっと同じ姿で。 けれど、永遠に同じ姿を保ち続けるものなんてこの世には存在しないわ。
使っている内に持手は擦り減っていくし、色だってもうすっかり淡くなって。
だけど、太陽の光を沢山浴びたこの花は、向日葵にだって負けない輝きを手にしたわ。
万物は絶えず変化していく。 それは竹林に住むと言われる蓬莱人達も同じ。 髪を切れば短くなるし、美しい花や珍しいものを見れば心動かされる。
それが例え須臾の間の出来事でも、確かな変化と言えるわ。 そうして、どんどんと魅力的に成っていく。勿論、貴方にも同じ事が言えるわ。」
彼女は淡々と、しかしどこか懐かしい思い出でも語るかの様に話し掛ける。
「……ねぇ、不死の王女様。 貴方は確かに変わってきている筈よ。 より美しく、より気高く。
そんな綺麗な花が今にも枯れ果ててしまいそうになるなんて、私には見過ごす事が出来ないわ。
だから、ね? レミリア・スカーレット。 意地を張らないで、素直になって。
そして、もっと我が儘に、けれど気高く生きなさい。 そうすれば、もっともっと綺麗な花が咲く筈よ。
見る者全てが魅了される、決して現世では見る事が出来ない真っ紅なアマリリスがね」
……こんな事を思っては失礼だが、正直、意外だった。
彼女の事だから、てっきり落ち込んでいた私を格好の遊び道具だと思って誘ってきたのかと思っていた。
しかし、蓋を開いてみればそれは私の為で。
その事に気付いた時には、私の視界は既に歪んでいて。
全く何でこんなに愚かな事をしたのだろう。 一人で不満を溜め、一人で爆発して、挙げ句に知り合いを巻き込んで憂さ晴らしをして。
彼女に謝らなければ。
そう思った私は、あちこちが痛む体に鞭打ち、起き上がろうと肘を立てた所で、彼女が言葉を付け足してくる。
――だってそうでないと、摘む楽しみが無くなっちゃうじゃない
前言撤回。 こいつに謝る理由など紅茶の葉一枚程も無い。
すぐ近くで私を覗き込んでいる顔を引っ掻こうとするが、彼女は間一髪の所でスルリと立ち上がり、この場を立ち去ろうとする。
「ちょっと待ちなさいよ! コンティニューよコンティニュー!」
「残念ね。 ここはエキストラなのよ。 例外中の例外。 又の機会が有ったらその時にね、可愛いアマリリスさん」
何も言い返せなくなった私を見て、溜め息を一つ吐き、立ち去ろうとする足を止める幽香。
こちらを振り向き、子供に言い聞かせる様な声で私に話し掛けてくる。
「ひとつだけ覚えておきなさい、レミリア。 貴方はひとりぼっちじゃないわ。
紅魔館に、白玉楼に、永遠亭に。 互いに利用し合う仲だとしても、それは確かな繋がりよ。
花だって、他の植物や虫、それに動物を利用するわ。 そして、その対価として利用される事もある。
だけど、そのお陰で花達は未来を紡いでいく。 ずっとずっと、今も昔も、この幻想郷でも。
だから、誰かに頼りたい時は思いっきり頼りなさい。 そして、誰かに助けを求められた時は助けてあげなさい。
迷わないで、ただ真っ直ぐと進むの。 貴方の信じる道を。
それが今の貴方に積める善行よ……なんて、ね」
そう最後にいたずらっぽく言うと、再び振り向く。 今度こそお別れの時間が来たようだ。
「それじゃあ今度こそさようなら、レミリア・スカーレット。
貴方は後からゆっくり来なさい。」
「ええ、ありがとう、風見幽香。
私はもう少ししてから行く事にするわ」
それを言い終わった途端に、大量の花弁の嵐が巻き起こる。
次に目を開いた時には、優しい四季のフラワーマスターは、一切の気配を残す事なく消え去っていた。
――又、ね
そう、小さく呟いて立ち上がり、背中に大量に付いた砂粒と花弁とを叩き落とす。
もう迷う事は無い。 私は歩き続ける。 明日も明後日も。 いつまでも何処まででも。
今日と言う日に生まれた、一人の大切な友人との約束を胸に、私はもう一度歩き出した。
テクテク、テクテク、と。
先に行ってしまった友人達が待つ場所へと、私は歩き続けた。
向こうに着いたら何と言って謝ろうか。 そう、考えながら……
~after~
東の果てに位置する博麗神社。
日がトップリと沈んで暫くしてから、ようやく私は此処へと辿り着いた。
どうやら宴は既に白熱している様だ。
所々で喧噪と嬌声が上がっている。
若干の不安を覚えながらも、意を決して最後の石段を上り終える。
シ………ン と静まり返る境内。
やはりこんな私は受け入れられないのだろうか。
そんな不安感に襲われる。
しかし、それは全くの杞憂だった。
人混みを掻き分けてコチラへと向かってくる人影。
それは今、最も逢いたかった友人達の物だった。
「お待ちしておりました、お嬢様。
あちらへどうぞ。 宴の席も調っておりますわ…ってあら、どうなされたのですかその格好?」
「遅いわよレミィ。
泥遊びでもしてたのかしら?」
嗚呼、なんで、なんでまだ一日も経っていないと言うのに、こんなにも懐かしく感じるのだろう。
泣きそうな顔をしているのだろう私を見て、急に戸惑い始める二人。
しかし、そんなの関係無い。
ありったけの言葉を、大切な二人にぶつける。
やっと咲夜の苦労に報いる事が出来た。
やっとパチェに謝る事が出来た。
素直に、我が儘に、そして心の底から。
さぁ宴を楽しもう。 今夜はトコトン飲み明かそう。
桜の木の下で一人酒を飲む、羽織る上着の無くなった彼女も共に交えながら――――
テクテク、テクテク、と。
入道雲を後ろに、辺り一面の向日葵畑に延びる一本道を進みながら。
私の事を知らない者がこの光景を見たら、きっと微笑ましく思うのだろう。
その眼には、周りで大きく咲き誇る向日葵達の半分程の背丈しかない子供が、精一杯背伸びをして大人用の日傘を差して歩いている姿が映るのだろうから。
ただ、その背中にコウモリの様な黒くて大きな羽が生えていなければ、だけれど。
そんな些末な事を考えながら、私は歩き続ける。
テクテク、テクテク、と。
私の事を良く知る者がこの光景を見たら、きっと首を傾げてこう言うだろう。
『貴女、なぜ飛ばないの?』と。
確かに空を飛んだ方が、何処へ行くのも簡単だ。
しかし、こうしてゆっくりと歩いてみて分かったのだが、日傘を上に傾けると視界いっぱいに広がる、吸い込まれそうな色をした青空を。
そこにアクセントとして加わる、千切れた綿飴みたいな白い雲と。
そして体中に感じる、本来は忌むべき太陽の暖かい温もりを、辺りから漂う草花の香りを、足の裏に伝わる土の感触を。
それら全てが一度に感じられる『歩く』と言う動作に、どうやら私はすっかり魅了されてしまったようだ。
吸血鬼がそんな事を言うなんて世も末ね。 と、縁起の良い二色が似合う彼女なら、皮肉の一つでもくれたことだろう。 一杯の緑茶と共に。
そこでフと、後ろを振り返る。
そこには先程と変わらぬ姿をした、大きな入道雲が浮かんでいる。
ほんの気紛れで。
その白い水滴の固まりに目掛けて弾幕を放ってみる。
私の魔力を含んだ大小様々な丸い弾は何者にも遮られる事も無く、するりと入道雲へと突き刺さり、色鮮やかな紅をその身へと取り込んだ。
それでも入道雲は何の動きも見せる事は無く、ただ自らの色を一つ足したままで空に浮かび続けていた。
まるでどこかの誰かみたいね。 と一人ゴチながら、止めていた足を再び動かした。
特に目的も無く歩き回っている内に辿り着いたのは、幻想郷でもかなりの実力を持つと言われている妖怪が棲む向日葵畑。
普段はこんな所までは出歩かない。
力を持つ妖怪同士が出会うと、待っているのは厄介事だと相場が決まっているからだ。
面倒臭いのは嫌だな、と思う。 けれど、そこまで理解していながらも、ここまで足を運んでしまった私は、やはりどこかいつもと違うらしい。
辺りに漂う強大な妖気を体にヒシヒシと感じつつ、しかし頭では全く関係の無い事を考えている。
頭の中がグチャグチャになっていながらも、少しずつ落ち着いてきたのだろう考えを一切合切捨て去り、一度ここまでの経緯を思い出す事にした。
どうしてこんな所に居るのだろう。
何故、ここに来る事になったんだろう。
それに、こうやってノンビリと一人で散歩などをしたのは、いつ以来だろう。
そこまで考えると、私はその思考の渦の更に奥底へと沈み込む為に、『少し前』の記憶の中へと意識を潜り込ませていった。
◇ ◇ ◇ ◇
――そうだ。 一番最初は咲夜だった。
これは最初から分かっていた事だった。
今日という日が来ると分かっていたからこそ、彼女も『準備』を終えていたのだろう。
朝の内に、メイド達への業務の引き継ぎも、館内の掃除も全て終わらせたらしい。
そうなる事が分かっていた私は、まず誰よりも先に彼女を労わねばと思い立ち、珍しく朝明かしをしてまで彼女を呼び付けた。
だけど――
そんな彼女に、御苦労様、と声をかける時間すらも私には与えられなかった。
扉をノックする音を確認し、入室の許可を与える。
失礼します、と部屋に入る咲夜。
彼女の顔を覗き込もうとした、その瞬間。
もう既に何度も味わった違和感。
テーブルの上に眼をやる。
紅茶と、置き手紙。
『 行って参ります 』
酷く簡素で簡潔な内容。 これだけを残し、次の瞬間には咲夜の気配は紅魔館内から完全に消え去っていた。
咲夜の消えた後を見てみると、『ダイヤのJ』『ハートのQ』2枚が、重なり合う様にして床に落ちている。
結局、 最後まで完全で瀟酒な態度を崩さない。
あれだけ豊かなユーモアのセンスがある従者は、幻想郷どころか外の世界をどれだけ探しても見つからないだろう。
そんな咲夜が残していった紅茶は、やっぱり私が大好きないつもの味だった。
――その次は、私の百年来の親友だった。
咲夜が居なくなり、孤独感にゾワゾワと包み込まれた私は、居ても立ってもいられずに、パチェの居る図書館へと足を運んだ。
彼女の所で読みもしない本を開きながら、紅茶でも飲んで、お菓子でも食べながらおかしな話でもしていれば。
きっと心も晴れるだろうと、そう思って。
図書館の扉を開けて先ず飛び込んできた物は、苦しそうな顔で咳き込むパチェを、必死で介抱する小悪魔の姿だった。
恐らくまた喘息の発作が起こったのだろう。 そのまま寝室へと連れて行かれる。
なに、暫くすれば治まる筈だ。 たまには一足遅いティータイムも良いものね。
などと、勝手に決めていた予定を止むなく変更した私は、パチェが眠るベッドの横に備えられた、小さなソファに腰を下ろす。
埃が時折舞い上がる以外、全く静止したこの時間。
永遠のお姫様が悪戯でもしたんじゃないかと、ここには居ない銀髪の少女が何処かでうっかり紅茶でも落として、慌てて時間を止めたんじゃないかと、
思わず勘ぐりたくなるようなこの動かない景色に、とりあえずは彼女の容態が安定するまでは傍に居よう。
と、余った時間の使い道を決定した。
そんな事を考えていた矢先の事だった。
再び発作を起こし、苦しそうに呻くパチェ。 医学の知識を持たない私にはどうしてやる事も出来ない。
慌てて駆けつけてきた小悪魔にぶつかられ、されどそのピンと張った空気のせいか何も言い返す事が出来ず、ただボーっとその光景を眺め続ける。
全てが停止していた私に向けて、発作が一時的に静まったパチェの口から、今この状態で一番聞きたくなかった言葉が発せられた。
『ごめんなさい、レミィ……あんまり体調が芳しくないみたい……
楽しみにしているのは分かっていたけれど、一足先に向こうで待っているわ……』
……ごめんね
「……ッ! ……ええ、そうね。じゃあとっとと行ってらっしゃい。
今から向こうに行ってしまえば、もう後の事なんて考えないで済むものね」
最後の一言を聞き、激昂してしまった私は、つい心にも無い様な悪態をついてしまった。
その時のパチェの顔は、もう最後に見たのは何十年前だろうか。
彼女の悲しむ顔は、今までに見たどの表情よりも、脳裏にこびり付いて離れない物だった。
そうして七曜の魔女と、それに付き添う様にして小悪魔も紅魔館から居なくなった。
◇ ◇ ◇ ◇
――結局、私の身近な者で館に残っているのは、私の妹と門番だけになってしまった。
館内では妖精メイド達が騒々しく動き回っている。
だけど、無音の世界。
外の世界の迷い人より、子供っぽいと評され、しかし思い切った色彩だと讃えられた、紅すぎる館。
でも、この赤より紅い眼に映るのは恋色の魔法使いを彷彿とさせるモノクロ。
自分の家だと言うのに、何故か居たたまれない気分に陥ってしまった私は、とにかく外へ出ようと思い至った。
外に出て、スッキリしよう。 散歩でもしていれば、きっと気分は良くなる、と。
そうして私は日傘を手に持ち、館から飛び出した。
「あら、お嬢様。 お出掛けですか?」
正門へと近づくと、こちらに気付いた門番から声をかけられる。
紅美鈴
紅魔館において、咲夜と並んで私が最も信用を置いている従者だ。
「これから少し散歩に出かけてくるわ。
後は任せたわよ。」
「かしこまりました。
虫一匹、いえ、鼠一匹通しません!」
相変わらず声だけはやる気に満ちた返事が返ってくる。
今だけ『元気』でも操っているんじゃないかと言う位に張り切った返事をする門番に、
されども嫌な気持ちも別段湧かず、そう、頑張ってね。 と一声掛けて、門を潜る事にした。
ああ、それと――
私は一つ肝心な事を忘れていた。 大事な大事な、私の可愛い妹の事。
「妹の面倒を見てやってね。 一人で居るのは退屈でしょうから」
「我不愿意」
「妹の面倒を見てやってね。 一人で居るのは退屈でしょうから」
「喜んで!」
分からないとでも思ったのかしら? 異国の言葉でお茶を濁そうとする彼女に少しお灸を据えてあげて、それから改めて聞き直す。
全く……でも、そんな彼女のお陰で、ちょっとだけ元気を取り戻す事ができた。
――ありがとう、美鈴。
「?」
訳が分からずに小首を傾げる華人小娘に、少しムズムズした感覚を覚えながらも、さて行こうか、と門の前を後にした。
◇ ◇ ◇ ◇
――――そうだ、思い出した。
今、私はひとりぼっちなんだ。 ひとりきりで、ずっとここまで歩いてきたんだ。
こんなに大事な事を、それでもこうやってすっかりと忘れ去っていられたのは、この景色があまりにも美しいからだろうか。
それとも、私の頭の中に単純で化学的な何かが足りないからだろか。
……でも、どっちでも良い事ね。
こんなにも空が蒼いのに。
そんな無粋な事を考えるなんて、太陽の光を遮ってくれている、あの優しい入道雲に失礼だわ。
少しの間だけ光の檻から抜け出すことができた私は、日傘を畳んでもう一度歩き出した。
向日葵畑に隠れ住む妖精達と軽く戯れながら、暫くすると入道雲のスキマから顔を覗かせてきた太陽を睨みつけ、再び日傘を差して先に進む。
そうして歩いて行くと、急に辺りの光景が広くなる。
私と妹が二人並んで手を繋いで歩いたら丁度良い幅になるんじゃないか、という位だった道がパァっと開けて、
東の果てにある神社の、そこの巫女がいつもダラダラしている居間位の、それよりちょっと広いんじゃないかと思う位の大きさの広場へと辿り着く。
そこで目にしたものは、真っ白なテーブルとチェアをお供に、向日葵を彷彿とさせる意匠の日傘をチェアに立て掛けた状態で、
一人ティータイムへと洒落込んでいるのであろう花の妖怪の、私と同じ紅い瞳を真ん丸にさせた顔であった。
「あら、誰かと思えば……」
貴女でしたのね、と柔和な笑みと共に言葉を送ってくる彼女に、されど警戒だけは怠らずに言葉を返す。
「ええ、お久しぶりね。 前の宴会以来かしら」
「そうね」
そう、気のない返事をした彼女は、又紅茶を口に含む。
ただそれだけで、別段何をするでもなく、一口。
また、一口。
私はその繰り返される挙動を、ヌッペリとした顔で、穴が空く程に見続けていた。
そうしてこれで三口目。
何も変わらないこの空間。 まるで私はここに咲く沢山の向日葵の一本にでもなったかのような錯覚に陥る。
彼女はそんな私の鬱屈した思いを感じ取ったのか、それとも何かの気紛れか、手に持っていたティーカップを優雅な動作でソーサーに置き、こちらに体を向ける。
その顔に先程よりも少し楽しげな成分を含ませながら、私に一言の招待状を投げ渡す。
「一緒にお茶でも如何です?」
その顔は相変わらず花でも咲いたかのような可憐さを保っていた。
◇ ◇ ◇ ◇
――――結局私は、彼女に誘われるままに予期せぬティーパーティーに出席することになってしまった。
テーブルを挟み、向かい合う様にして座る私達。 日傘は彼女に倣いチェアに立て掛ける。
警戒は解かず、されど意を決してチェアに腰掛けると、彼女は相変わらずニコニコとした顔で紅茶を淹れ始めた。
「良い香りでしょう? 稗田の娘から、以前の取材のお礼にと頂いた物なのよ」
と嬉しそうに語りだす彼女。
この瞬間だけを見た者には、とても彼女が凶悪な力を秘めた妖怪だとは思わないだろう。
紅茶を蒸している間に話を終えた彼女から、ホカホカのスコーンなんて洒落た物は無いけど、と紅茶の次に差し出された物は、取れたてそのままの向日葵の種だった。
しかし何も言い返す気力が、既に微塵も消え失せてしまっている私は、そんな事などお構い無しに殻ごと頬張る。
そして紅茶を口に含み、一気に流し込んだ。
「……美味しい」
思わず目が丸くなる。 口に含んだ瞬間に鼻を抜ける爽やかな香り。 それから徐々に広がってゆく自然の甘み。
流石に味の方は咲夜の淹れた紅茶ほどでは無い。 けれど、また彼女の淹れてくれた紅茶とは違う、不思議な感情が湧き上がってくる。
怖くて、それでも目を離せなくて。
もし太陽が飲み物だったのならば、きっとこんな味がするんだろう。
そんな訳の分からない考えが、だけど自然で。
「お気に召して頂けたようで光栄ですわ。 お嬢様」
どうやら私は余程おかしな顔をしていたのだろう。 風見幽香が笑いながらそんな事を宣った。
しかし、嗚呼――やっぱり私はまだおかしいのね。
そんな彼女に連られて笑ってしまった。
「知ってますか? 向日葵の花言葉」
唐突に話を振ってくる風見幽香。
「いいえ、知らないわ」
「眩しい位に辺りを照らし続ける『光輝』に満ちた人物。 そんな貴方の様になりたいと、羨望の念を抱き続ける『憧れ』
そしてそのものを表す様な姿を『崇拝』し、いつまでも『あなただけを見つめております』と、告白するの。
それは正しく『熱愛』と言っても良いかもしれないわね。」
目を瞑り、唄う様に言葉を紡いでいく。 滑らかに、されど優しく。
そんな彼女の詩に、私とは縁遠い言葉だわ。 などと茶々を入れて笑う。
「ええ、そうね。 全く正反対だわ」
「ハッキリ言われるとムカつくわね」
勿論、本気で怒りを感じている訳ではない。 彼女自身も只の言葉遊びを楽しんでいるだけだ。
寧ろ彼女には現時点において好意さえ抱いている。 だから――
「あら、ムカついたからってどうすると言うの?
小さな小さな吸血鬼さん」
「あら、やることは一つでしょ? お花の妖怪さん」
たまには面倒事の一つもいいかな、なんて。 思ってしまったり。
◇ ◇ ◇ ◇
――――地面に大の字になり、西へと還ってゆく太陽を日傘越しにジッと眺める。
やはり彼女は強い。 結局、彼女のチェックの上着を洗濯用の雑巾にすることが精一杯だった。
日傘を差しながらも、まぁ丁度良いハンデになるわね。 などと思っていた一時間前の自分を張り倒してやりたくなる。
しかしながら、心は何処までも澄みやかで。
今まで悩んでいた自分は彼女に撃ち落とされ、新しい自分がコンティニューされたのでは無いかと思う位に。
そんな事を考えていると、それまで遊びの後のティータイムへと洒落込んでいた幽香が、こちらへと近づいてきた。
そういえば、先程まで紅茶を飲みながら、何かを考えている様な素振りを見せていた。
此処に来たと言う事は、その考えが纏まったのだろう。 私の頭の手前に膝を折った彼女が口を開く。
「そうねぇ……アマリリスなんてどうかしら?
いや、貴方に合いそうな花を想像していたのよ。」
それは余りにも突拍子も無く。 思わず言葉を失ってしまう。
しかし、彼女はそれにも関わらずに話を続けた。
「貴方はとても誇り高く、その所為か見栄っ張りな部分が有るわね。
おしゃべりでやや怒りっぽい所も、とても『お嬢様』だなんて思えないわ。
それに……実は結構内気な所とかもね。
今日だってそう。 その悪い癖が出てしまったのでしょう?
だから貴方は此処に居る。 たった、一人で」
けれど、と話は続く。
「それでも、今までの貴方が取ってきた行動は、高潔で美しく、誰もが魅了されるものだった筈よ。
でなければ、我が儘な貴方には誰も付いてこない。
500年の歳月を、妹と二人、ずっと過ごしてきた筈よ。
こんなにも色鮮やかな世界を知らないで、ただ、紅と黒のみの世界で」
彼女の話は終わらない。 動くのも億劫な私は、ただ彼女の話を耳に入れる事に専念した。
「話は変わるけど、知っている? 私のこの傘。 もう何百年使い続けているかも忘れちゃったけどね。
この傘は幻想郷で唯一枯れない花なのよ。」
そう言い、左肩に抱える様に差した日傘をクルクルと回す。
「ずっと変わらずに、ずっと同じ姿で。 けれど、永遠に同じ姿を保ち続けるものなんてこの世には存在しないわ。
使っている内に持手は擦り減っていくし、色だってもうすっかり淡くなって。
だけど、太陽の光を沢山浴びたこの花は、向日葵にだって負けない輝きを手にしたわ。
万物は絶えず変化していく。 それは竹林に住むと言われる蓬莱人達も同じ。 髪を切れば短くなるし、美しい花や珍しいものを見れば心動かされる。
それが例え須臾の間の出来事でも、確かな変化と言えるわ。 そうして、どんどんと魅力的に成っていく。勿論、貴方にも同じ事が言えるわ。」
彼女は淡々と、しかしどこか懐かしい思い出でも語るかの様に話し掛ける。
「……ねぇ、不死の王女様。 貴方は確かに変わってきている筈よ。 より美しく、より気高く。
そんな綺麗な花が今にも枯れ果ててしまいそうになるなんて、私には見過ごす事が出来ないわ。
だから、ね? レミリア・スカーレット。 意地を張らないで、素直になって。
そして、もっと我が儘に、けれど気高く生きなさい。 そうすれば、もっともっと綺麗な花が咲く筈よ。
見る者全てが魅了される、決して現世では見る事が出来ない真っ紅なアマリリスがね」
……こんな事を思っては失礼だが、正直、意外だった。
彼女の事だから、てっきり落ち込んでいた私を格好の遊び道具だと思って誘ってきたのかと思っていた。
しかし、蓋を開いてみればそれは私の為で。
その事に気付いた時には、私の視界は既に歪んでいて。
全く何でこんなに愚かな事をしたのだろう。 一人で不満を溜め、一人で爆発して、挙げ句に知り合いを巻き込んで憂さ晴らしをして。
彼女に謝らなければ。
そう思った私は、あちこちが痛む体に鞭打ち、起き上がろうと肘を立てた所で、彼女が言葉を付け足してくる。
――だってそうでないと、摘む楽しみが無くなっちゃうじゃない
前言撤回。 こいつに謝る理由など紅茶の葉一枚程も無い。
すぐ近くで私を覗き込んでいる顔を引っ掻こうとするが、彼女は間一髪の所でスルリと立ち上がり、この場を立ち去ろうとする。
「ちょっと待ちなさいよ! コンティニューよコンティニュー!」
「残念ね。 ここはエキストラなのよ。 例外中の例外。 又の機会が有ったらその時にね、可愛いアマリリスさん」
何も言い返せなくなった私を見て、溜め息を一つ吐き、立ち去ろうとする足を止める幽香。
こちらを振り向き、子供に言い聞かせる様な声で私に話し掛けてくる。
「ひとつだけ覚えておきなさい、レミリア。 貴方はひとりぼっちじゃないわ。
紅魔館に、白玉楼に、永遠亭に。 互いに利用し合う仲だとしても、それは確かな繋がりよ。
花だって、他の植物や虫、それに動物を利用するわ。 そして、その対価として利用される事もある。
だけど、そのお陰で花達は未来を紡いでいく。 ずっとずっと、今も昔も、この幻想郷でも。
だから、誰かに頼りたい時は思いっきり頼りなさい。 そして、誰かに助けを求められた時は助けてあげなさい。
迷わないで、ただ真っ直ぐと進むの。 貴方の信じる道を。
それが今の貴方に積める善行よ……なんて、ね」
そう最後にいたずらっぽく言うと、再び振り向く。 今度こそお別れの時間が来たようだ。
「それじゃあ今度こそさようなら、レミリア・スカーレット。
貴方は後からゆっくり来なさい。」
「ええ、ありがとう、風見幽香。
私はもう少ししてから行く事にするわ」
それを言い終わった途端に、大量の花弁の嵐が巻き起こる。
次に目を開いた時には、優しい四季のフラワーマスターは、一切の気配を残す事なく消え去っていた。
――又、ね
そう、小さく呟いて立ち上がり、背中に大量に付いた砂粒と花弁とを叩き落とす。
もう迷う事は無い。 私は歩き続ける。 明日も明後日も。 いつまでも何処まででも。
今日と言う日に生まれた、一人の大切な友人との約束を胸に、私はもう一度歩き出した。
テクテク、テクテク、と。
先に行ってしまった友人達が待つ場所へと、私は歩き続けた。
向こうに着いたら何と言って謝ろうか。 そう、考えながら……
~after~
東の果てに位置する博麗神社。
日がトップリと沈んで暫くしてから、ようやく私は此処へと辿り着いた。
どうやら宴は既に白熱している様だ。
所々で喧噪と嬌声が上がっている。
若干の不安を覚えながらも、意を決して最後の石段を上り終える。
シ………ン と静まり返る境内。
やはりこんな私は受け入れられないのだろうか。
そんな不安感に襲われる。
しかし、それは全くの杞憂だった。
人混みを掻き分けてコチラへと向かってくる人影。
それは今、最も逢いたかった友人達の物だった。
「お待ちしておりました、お嬢様。
あちらへどうぞ。 宴の席も調っておりますわ…ってあら、どうなされたのですかその格好?」
「遅いわよレミィ。
泥遊びでもしてたのかしら?」
嗚呼、なんで、なんでまだ一日も経っていないと言うのに、こんなにも懐かしく感じるのだろう。
泣きそうな顔をしているのだろう私を見て、急に戸惑い始める二人。
しかし、そんなの関係無い。
ありったけの言葉を、大切な二人にぶつける。
やっと咲夜の苦労に報いる事が出来た。
やっとパチェに謝る事が出来た。
素直に、我が儘に、そして心の底から。
さぁ宴を楽しもう。 今夜はトコトン飲み明かそう。
桜の木の下で一人酒を飲む、羽織る上着の無くなった彼女も共に交えながら――――
表現をぼかして読者に想像させるのはテクニックとしてよいと思いますが、投げっぱなしジャーマンはいただけないです。想像しだいでどうとでも取れるという文章はいい文章ではないと思います
。
大体AM7:00~PM7:00くらいの、全て同じ一日に起きた出来事です。
最初の方でそれなりに未来の話だと思わせようと考え、なるべく時間についての描写を入れず、
且つボヤけた表現のみにしておりました。
イメージ的には、AM6時から午前中いっぱいくらいが館での出来事、
お昼~5時位が散歩~風見幽香との弾幕ごっこを経て一旦別れ、
それから宴会へ……という感じです。
要は、置いてけぼりにされて寂しかったお嬢様のお話です。
美鈴については…今は内緒、と言う事でお願いします。
見事に引っかかってしまいました
あの曲はいいですね
しかし一つ前の曲とのギャップが・・・
いや、しかしこうも嬉しいのはなんでかな
やっぱりキャッキャウフフしてるのが幻想郷ですね
最後の部分で何となくほっとしたのは私だけではないはず