Coolier - 新生・東方創想話

木洩れ日の秘密

2008/09/06 09:00:51
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 夏。紅魔館の屋根屋根は、いつにもまして紅い。
 真午どき。日は中天にかかって高く、今日も暑さは並々ならぬ、雲はないし湿っぽいしで、どこもかしこも身が重い。虫とて葉とて、機敏に動くものはなく、塔のてっぺんではたらく大時計も、いつに変わらずぐったりと時を刻んでいる。それでも今日は風のあるのがまださいわい、館はどこもかしこも力いっぱい窓を開け放して、わずかばかりの涼を納れ、人っ子ひとりいない庭では、撫でつけられた芝生のうえで、ひっきりなしに熱が巻いていた。
 ――それらのけだるい時計の針や、渦巻く風が、ひととき止まる。
 広い明るみの庭の一角、館を真正面に見据えた正門をくぐって左手の、すこし小高くなったところに、ささやかな茂みがある。ちょうど一軒の家がすっぽりと収まってあまるほどの、孤島のような緑のかたまりだ。館を取りかこむ高い木々の林からぽつんとはなれているので、まるで枯山水の置石のように、それ自体、庭のひとつの景観になっていた――みなたいていは、景観と思っていた。なにがしの用で訪れる客たちも、紅魔館に朝晩を送る従者たちも、館の当主のお嬢様でさえ、そう思っていた。
 けれども近づいてよくよく見ると、装いは自然のままながら、すっとひとすじ中へとつづく道がある。そうして、もうだいぶ人が行き来したらしい、そのよく踏みならされた道を縫っていくと、せいの高い木が一本、日盛りの広がりに茂った枝を広げて、その涼しい陰には、まっしろなパラソルが立ててあるのだ。傘のおもては、葉の間をこぼれる日差しに文模様をなして、いかにも夏の木陰らしい。
 ――何の前触れもなく、たったいちど、さくと草の根を踏む音がした。時がまた、動きはじめたのだった。
「や、咲夜さん、いらっしゃい」
 パラソルとお揃いの、まっしろな椅子に座ったまま、美鈴は顔を上げた。背景に溶け込むようないつもの緑の服装に、長い茜色の髪をゆったりとたらして、午前の立ち仕事の報酬とばかり、さもさもくつろいでいる。
「遅くなってごめんなさいね」
 咲夜は、両手に運んできたトレイを丸テーブルに下ろすと、向かい側の椅子に腰を下ろした。こちらの椅子は、美鈴のものよりもずいぶんきれいに見えた。パラソルの下には、ちょうど机を挟んでふたりが座れるように、いつもふたつの椅子が用意されていた。けれども、ふだん使われるのは片方だけだった。ここは紅魔館の門番の、お気に入りの休憩所なのだ。今日はその場所を借りて、待ち合わせてふたりで昼をとる、ちょっとめずらしい日だった。
「待ちましたよ、お腹ぺこぺこです」
 そう言う彼女の待ち侘びた表情は、底抜けに明るい。そうして咲夜が、持っていた皿の覆いに手をかけると、待ったとばかり手を差し出して、んんと唸ると、
「ジャムとマーガリンのコッペパンに、いつものサンドイッチのセットと見ました。鶏肉と、タマゴハムとで半々ってところでしょうか。紅茶はシンプルにアールグレイ。デザートは、たしかいただきものの白桃がありましたね、あれでしょう」
「あきれるわ。でも、九十点」
「あら、何か間違いました?」
「白桃だけ」
「ふうむ。まさか、ウーロン茶ゼリーじゃないですよね。あれは失敗でしたよ」
「はいはい、もう作りません。まあ、デザートは、食後の楽しみでいいじゃない」
「それもそうです」
 覆いを外すと、まるで魔法かなにかのように、美鈴が口にした予言のメニューがそっくりそこへあらわれた。美鈴はしたり顔で、どうですご覧くださいと言わんばかり。そうして、咲夜がまだ紅茶の準備をしているあいだに、さっそくコッペパンにかじりついた。
 あたりは蝉の声で埋まっている。じいじい、じゅうじゅういう虫の音に交じって、時々ひひひと鳥も鳴く。そんな音たちにまぎれて、たわいのないことばがやりとりされる。サンドイッチはふたつずつなくなっていく。食後の紅茶に差しかかったときには、あたりはかっと明るくなった。真夏の昼の、真っ盛りだった。
「いよいよ暑くなりそうね」と咲夜は目を細めて、パラソルの外の、光と熱の世界を透かし見た。「つらかったら、午後は誰かと代わってもいいのよ」
「それはありがたいお話ですけど、この炎天下に一日じゅう立っていられる人が、私以外にいますかね」
「いないわね。でも、交代でなら」
「そですね。でもまだまだ平気ですよ。それに、なんてったって、私は、紅魔館の顔ですからね」えへんと得意げでいる。
「それは初耳だわ」と咲夜がまぜっかえしても、さしてはこたえたふうもなく、
「そう言わないでくださいよ。まあ、あと四度か五度暑くなったら、さすがの私も一日じゅうはつらいかもしれませんから、そのときはお願いします」
「そんなにはならないでしょう。あきれた体力ね」
「それだけが取り柄ですから」
「食べ物の勘もたいしたものよ」
「それ、褒めてるんですか?」
「半々」
 そういう咲夜のいいようにも、美鈴は、半分褒められれば上々とばかり、けろりとしているので、咲夜はいよいよあきれるのにも甲斐なくなって、
「でも私はなんだか、この暑さつづきで疲れちゃったわ」と語気をくずした。
「やっぱり、中も暑いですか」
「門ほどじゃないけれど。窓を開けたくらいじゃ、とても」
「ここも寒暖は案外きびしいところですよねえ」
「冬はまだ暖炉でなんとかなっても、夏のこの暑さばっかりは、どうにもね。パチュリー様がいろいろ頑張ってくれてはいるけれど、あんまり無理はさせられないわ」
「そういえば、いつも図書室は涼しいですね」
「お嬢様が入り浸りよ」
 いつか紅茶のポットが空になる。そうして、口休めに静かにしていると、しぜん落ちついたふたりのまわりに、ときどきそっとあたたかい風がやってきて、風上にすわる咲夜の首筋に触れた。垂らした髪がふわりと浮いて、また落ちた。咲夜は乱れた髪を撫でつけて、ふう、と笑い混じりの息をつくと、
「ほんとうに、たいへん」
 かたしたテーブルの真ん中に腕を置いて、その上に頭をくたりと投げ出した。そのいつになくくだけてあどけないしぐさに、美鈴は、ふいに期待を込めた色を浮かべて、
「あれ、今日はそんな気分ですか」
「そんな気分ね」
 そう言って、見上げた咲夜の子供子供した笑い顔に、
「なんだ、じゃあ、デザートはアップルパイですか」
 美鈴はからからと笑って、いよいよ嬉しそうに、デザートの覆いをつまみあげると、白い皿のうえには、ひとくちサイズのアップルパイがふたつ、ささやかに寄り添っている。ひとつをつまんで口に運ぶと、懐かしい味がした。そうして、咲夜の手が伸びるよりはやく、もうひとつを手にとると、取り損ねたその不満らしい視線にも平気な顔をして、それをけしかけるように、結んだ彼女の口元に寄せた。咲夜は黙って口を開けた。そうして、テーブルに頭をもたせたまま、もくもくと頬張った。
「咲夜さん、お行儀悪いですよ」
「そうね」
 美鈴は、その澄ました答え方が可笑しかったらしく、また、その投げ出された頭にいつもどおり手をのせたときの、眠気に誘われたような、安心したような目の伏せようが、なおなお可愛くて、可笑しくて、とうとうくすりとひとつ、笑いを洩らした。
 そうしていっとき、パラソルの下は静かになった。ただときどき手の動きにつれて、紅茶のカップがカタカタと音を立てた。そのカタカタという響き、風が吹けば飛んでしまう、かるい幻のような、夢のそこに消えていくような響きが、木の葉のあいだに滲んでいくと、それまで思い思いに鳴いていた虫々も、その意味をちゃんと心得ているかのように、いくらかやわらいだ音で、じいじい、じいじいと節を合わせて鳴きはじめた。そうして、茂みを満たす和音は、けれどもひとつも空へは逃げず、土に沁み込んでいった。日差しは増して、いっそうあたたかくなってきた。
 やがて、紅茶のカップが落ち着きをとりもどしたときには、もう咲夜は頭を腕から離して、ふたりとも、ふだんのつかれもなにもかも、いっぺんにとりもどしたような、えんりょのない心地よさのうちに顔を見かわしていた。
「元気、でました?」
「だいぶ。妙な癖がついたものね」
「いいと思いますよ。人間、こういうのも大切じゃないですか」
 そう、言い含めるようなことばは、いつも遠慮がちな彼女のことばらしからぬ、めずらしく力強く聞こえた。声にも、いつになく自信がこもっていた。
「そうかしら」
「そうですよ」
 時間が来た。またふたりの、各々の持ち場での、午後の仕事がはじまる。
「休憩ももうおしまいですね。ごちそうさまでした」
「ごちそうさま」
「さあ、ひきつづき頑張りますよ。咲夜さんも、しっかりしないと。ぼんやりしていてお嬢様に叱られたら、ことですよ」
 と、さっきまでの調子で声をかけると、咲夜は、済んだ食器をトレイに乗せながら、竦めるような眸をしてみせて、
「あら、あなただって、今月の仕事は褒められたものじゃないけれど。何回侵入を許したと思って?」
「ありゃ、もうメイド長モードですか。――それに、黒いのは勘弁してくださいよ。あれはどうしたって、私の管轄外です」
「冗談よ。午後もよろしく頼むわ。それじゃあね」
 そう言ってくるりと踵を返すと、それきりまた騒々しい夏の木陰だった。草を踏む音は、やはりいちどしか聞こえなかった。咲夜はきっと、ここへの出入りを誰にも見とがめられることなく、もう屋敷についているだろう。
 美鈴は、さっき手に絡んだ銀色の髪の、そのやわらかい感触が、なんだかいまになって懐かしくなった。そうして、脳裏にぼんやりと残る最後の彼女のうしろすがたが、いつしか、頭を撫でてやるといつもよろこんだ、アップルパイが大好きな女の子の、見なれた小さな背中に見えた。
「咲夜さんもここに来ると、咲夜ちゃんのころとちっとも変わりありませんねえ」
 けれども、見やるさなかの木洩れ日に、こっそり洩らしたそのたいせつな内緒は、ちゃんと木々の茂みに守られて、誰にも聞かれることなく、そっと蝉時雨に溶けて消えた。




美鈴が咲夜さんよりもゆっくり成長するとすると、昔は咲夜さんも美鈴お姉ちゃんとか呼んでたのかな。想像しだすと色んな感情がぐるぐるしてたまらなくなってくるのでそれはさておき、そんなふたりの内緒の一幅を、こっそり書かせてもらいました。
前回は多くの感想いただきました。たいへん嬉しいことです。コメントくださった方々と、ここまで読んでくださったあなたへ、ありがとうございました。
MS***
http://www.scn.or.tv/syzip/index.html
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コメント



0.1630簡易評価
2.70名前が無い程度の能力削除
ゆったり(ぐったり?)とした時間の流れを感じました。
もし咲夜が子どもの頃から紅魔館にいたら立場が逆だ
ったかもしれませんね。
6.100名前が無い程度の能力削除
ああ

これはいい。
32.80名前が無い程度の能力削除
いい雰囲気ですね・・・・。ただ投稿日があと1ヶ月早かったら完璧でした
38.1003削除
流れるような文体が、日常の一コマを描写したこの小説と本当に良くマッチしています。
いつかの時間にいつかの場所で、この会話がなされるのだと思わずにはいられません。