まだ空も白くなりかけのころ
辺りが朝もやで白く濁っているころ
足元の命が呼吸し、温度差で白い粒が葉から滴り落ちているころ
白い頭に白い耳、白い尻尾の天狗たちが
白い霧のような雲で覆われた山の表面に、ぽつぽつと現れ始める
白狼天狗は天狗社会のなかでも精鋭揃いだがやや地位が低く、山の見張りといった割と危険、かつ暇な仕事を担当する
それでも彼らはそれを不満に思うことはないし、他の天狗たちも別に彼らをアゴで使うようなことはしない
お互いに役割が決められているだけのことで、仲間意識が強いと言われる彼らに地位の上下などは、天魔や大天狗以下はほとんど無いようなものだった
・・・まぁ、個人では色々とあるようだが
「おはよう椛!こんな早くからご苦労さま」
「あ、おはようございます文さん。文さんこそ、今日はまたずいぶんとお早いですね?」
鴉天狗の新聞記者、射命丸 文の朝も早かった
早起きな白狼天狗の中でも特に早起きに自信のあった犬走 椛は、いつも夜遅くまで起きて作業をしている上司を尊敬していたが
それでもこんなに早起きができる上司に驚き、首を傾げつつも尊敬の眼差しを送った
「ふふん、私は気づいたの。いつもと違うネタが欲しければ、いつもと違う時間に行動すればいいってね。・・・どう?そう思わない?」
「た・・・確かに!文さん、すごいです!」
椛は天狗の中ではかなり若く、とても純粋だ
それゆえ純粋に文の考えをすごいと思って尻尾をパタパタさせながら、目を輝かせながら、「もっと褒めろ」と言わんばかりに空中でふんぞり返る文を称えたが
文の頭には「突撃、隣の寝起きドッキリ!ポロリもあるよ!」という至って短絡的な考えが浮かんでいた
(真面目な椛には黙っておこうっと)
「・・・よし、じゃあ日が昇らないうちに!椛、今日もちゃんと見張ってね。じゃあ行ってきます!」
「はい、行ってらっしゃい。お気をつけて!」
椛が言い終える前に、文の姿は見えなくなっていた
やっぱり速い・・・すごいなぁと文が向かったであろう方向をぽかんと見つめていた椛は、よしっ!と気合を入れなおす
今日もちゃんと見張ってね・・・か
「・・・うふふっ」
白狼天狗の朝は早い
いくら早起きとは言え、椛は早くから見張りをしているわけではない
幻想郷でこんな時間に起きている者などはそういないため、椛は滝の裏で詰め将棋をしながら本格的に仕事を開始するまでの時間を過ごしている
「ここをこう・・・で・・・あれ?違う・・・う~ん」
ぶつぶつと盤と睨めっこしながら過ごしていれば、その間に続々と他の白狼天狗が集まってくる
そうなると若い椛は横からちょっかいを出されたり、茶々を入れられたり、結局いつも将棋の時間はほんの僅かになってしまうが、それもまた椛が可愛がられている証拠である
そうこうしている間に白狼天狗の長がやってきて号令をかけ、白狼天狗、椛の一日が始まる
白狼天狗はその名の通り狼の血を引いており、聴覚や嗅覚に優れ見張り役にはもってこいだった
そして椛には「千里先まで見通す程度の能力」が備わっているため、山の正面にある滝、つまりは玄関口という重要なポジションが与えられていた
腕も立つため、基本的には一人で待機していることが多い
椛はそんな周りから期待されている自分の境遇を誇りに思い、鍛錬を積んでいつか必ず白狼を束ねる長になるという夢があった
「長に必要なのは腕よりもまず柔軟な戦術・・・」ということで、大将棋を始めたのだった
ただ仕事中にやるわけにもいかず、椛は千里眼を織り交ぜながらきょろきょろと辺りを見渡す
端から見ればその光景は「挙動不審な危ない子」に見えなくもないが、椛はいたって真面目に仕事をこなしているのだ
ふと、視界に美しい緑色が入る
山から降りてくるのは守矢神社の風祝、東風谷 早苗
彼女らが山に現れて間もない時期は、殆どの時間を神社付近の見張りに費やしていたが、風魔と直接和解して友好関係を保っている今は、そんな必要もなくなっていた
しかし仕事なので、椛は山から出て行く者には声をかけ、後の心配が無いかを確かめる
まあ、彼女に限って何かを起こすことなど無いだろうが
「おはようございます、早苗さん。」
「あ、椛さん。おはようございます。お勤めご苦労様」
お互いぺこりとお辞儀をし、顔を上げる
椛は早苗の笑顔の美しさに、顔を赤くした
「あの、お出かけですか?」
「あ、はい。実は昨日、お米を炊くの忘れて寝ちゃって・・・。だから上のお二人が起きる前に、里で早くからやってるお米屋さんに行こうと思って」
早苗もまた顔を赤くして苦笑いを浮かべた
こんな時でもやっぱり可愛いんだなぁ・・・と、椛もまたまた顔を染める
「わかりました。わざわざ呼び止めてしまってすみません。どうぞお気を付けて」
「いえいえそんな、お仕事熱心な証拠ですって。じゃあ、失礼します」
ぱたぱたと走っていく後ろ姿を見て椛は「やっぱり可愛くて綺麗で優しい人だなぁ」と息を漏らした
これでも一人の女の子、可愛くて綺麗で優しい女性には憧れる
これが文にバレたら色々と面倒なことになりそうだ
椛はまた辺りを見渡している
もうすっかり空は明るくなり、霧は晴れ、夜行性以外の妖怪等は続々と目覚めて活動を始めているだろう
これからが本当に仕事の始まり・・・と思った矢先、可愛くて綺麗で優しい早苗が帰ってきた
先ほどの苦笑いとは違い、ずいぶんとにこにこしている
「あ、お帰りなさい」
「はい、ただいま。椛さん、良かったらお一ついかがですか?」
「なんですか?・・・わぁ」
早苗は手に提げた袋から、葉に包まれた大きめのおはぎを取って「どうぞ」と椛に渡した
「ええ、いや、そんな頂くわけには・・・」
「いいんですって。お米屋さんが作りすぎちゃったからってくれたんですよ。・・・あ、もしかして仕事中だから・・・とか?」
手を振りながら遠慮する椛を見て、しゅんとする可愛くて綺麗で優しい早苗さん
それを真面目な椛が拒否などできるわけがなかった
「お仕事頑張って下さいね!」
「はい!ありがとうございます!いつか必ずお返ししますね!」
山へと帰って行く早苗を見送って、椛はおはぎを食べながら辺りを見渡す
「うわぁ・・・すごくおいしい」
朝からいいことあったなぁ
今度神社にお酒でも持っていこうと思いながら味わっていると、そこへ巡回中の白狼の長が通りかかった
ゲンコツを食らった頭をさすりながら、椛は辺りを見渡し続ける
「痛たた・・・ん?これは・・・」
辺りに急に霧が発生した
いや、発生というか・・・一塊で向こうから漂ってきたらしい
するとその霧はみるみる集束していき、そのまま人の形となって現れた
「・・・もう、この間は大きくなって来たり、その前は小さくなって来たり、あんまり驚かさないでくださいよ」
「あはは、ごめんごめん。じゃあ今度は大勢で来るよ」
霧の正体は鬼、伊吹 萃香だった
この小さな鬼も、以前は特に警戒していた者の一人だ
それは遥か昔に棲んでいたというこの山を奪い返しに来る可能性や、たった一人でもそれが可能な力を持つことを含めてのこと
しかし今はそんな気は無いらしく、山の天狗たちにも友好的、特に文などとはよく酒を交わしているらしく、敵意も今のところは感じない
椛も何度か文に付き合って、共に過ごしたこともあった
「こんにちは。文さんなら今はいませんが・・・」
「ああ、今日は違う。また天界へ行こうと思ってね」
「ああ、そうでしたか」
ここ最近、遂に萃香は天界にまで酒を飲みに行くようになったらしく、最近はよくここを通るようになっていた
「そ、だから今日も山は通るだけ。もういいでしょ?子犬ちゃん、いい加減めんどくさいんだけど」
「だ、誰がワンちゃんですか!」
「あははは、怒らない怒らない。私からしたらお前さんはまだまだ若すぎるんだよ。子犬も子犬さ」
「うぅ~」
ケラケラと笑う萃香を唸りながら尻尾を立てて威嚇する姿は、しかしどう見ても可愛らしい子犬だった
「お~よしよし。面倒だけどさ、風魔の旦那に怒られるのはあんたはもちろん、私だって嫌だもん。だからしょうがないよね~」
「ふ、風魔様・・・」
椛は白い体を青くさせて、逆立った尻尾もしんなりと折れた
しかしこの鬼にも怖いものがあったなんて驚きだ
「それじゃね~。・・・おっとそうだ、新聞屋に『今度は天界に誘うから大人しくしてろ』って伝えておいて」
「あ、はい、わかりました。お気を付けて」
萃香はこくこくと酒を飲みながら、山へと入っていった
自分は今まで文に誘われて萃香とも飲んだが、萃香から直接誘われたことはない
椛は自分にまだまだ一人前ではないのだということを言い聞かせ、仕事を再開した
太陽も昇りきり、時刻は昼を回っていた
天狗だってもちろんお腹は減る
特に白狼天狗は見た目どおり食欲旺盛で、椛も例に漏れずよく食べる
一旦滝の奥に引っ込み、いつもそこで昼休憩を取る
滝へ入ろうと飛んでいくと、下の滝つぼの方から何やら呼ぶ声が聞こえた
「おぉーい!椛さーん!!」
「あっ、にとりさん!こんにちはー!」
流れにそれとなく逆らいながら河童、河城 にとりが手を振りながら泳いできた
滝の裏に入ろうとした椛は方向を変え、滝つぼへと降りていく
「よいしょっと・・・。やぁ椛さん、お仕事お疲れさん!」
「こんにちは。いえいえ、今はちょうどお昼休みです」
水から上がってきたにとりの背には、いつものリュックの上からさらにおおきなカゴが背負われており、なにやら生臭くも新鮮な匂いがしている
「へへへ、もちろん知ってるよ。狙って来たんだから。今日は思いのほか大量でね、お仕事頑張る椛さんにもおすそわけに来たのだっ!」
「わぁ、いいんですか?ありがとうにとりさん!」
早苗とは違ってにとりとは日ごろからこういった具合に仲良くしており、将棋も打つ仲だ
椛は休憩中ということもあり、遠慮することなく背中の魚を頂くことにした
「・・・そういえば、最近はにとりさんの発明も評判が良くなってきたと聞きましたよ?・・・むぐむぐ」
「最近はって!うん、まぁ前よりは確かに買ってくれる人間も増えてきたよ。・・・若干だよ?前から多かったんだからね?あ、キュウリはダメです」
「ちぇ・・・。だけど、にとりさんの発明は本当すごいですよ。もっと評価されて然るべきと思いますけどね・・・。あっ・・・骨・・・けほけほ」
「ああ、はい水。だよねぇ!どうしてこう理解されないのかなぁ?見てよ、これは新発明なんだけど・・・ほら!ナント声ガ変ワル蝶ネクタイデ」
「あ、すいません、そろそろ時間みたいです」
昼の休憩はほんの僅かな時間
このように友人と他愛ない話をしていれば、さらに時間は短く感じる
椛は短くても、友達と会える日の昼休みが大好きだった
「よいしょ。それじゃあ椛さん、頑張ってね。今度は何も持たずに来るから、その時は勝負ということでひとつ」
「はい、次は負けませんからね」
今度は流れに乗っていくにとりを見送って、あと半日となった仕事を再開する
頭の中には、うっすらと以前負けた時の盤が浮かんでいた
「あれは・・・」
騒がしい気配を感じて千里眼で正面の森を見ていると、何やら三名ほどの妖怪・・・いや、妖精達がこっちに向かってくる
見たところ、どうやらここでも武器の出番はないようだ
「ついたー!やっぱりあたいが一番ね!さいきょう!」
「二番なのかー」
「うう・・・ひどいよルーミアちゃん、いきなり噛み付くなんて・・・」
妖精は氷精チルノと大ちゃんこと大妖精、加えて闇の妖怪ルーミアの三人が、どうやらここまで競争してきたようだった
「こんにちは。今日は何の用かな?」
椛も小柄なほうだが、この三人はもっと小柄
目線が合うように前かがみになって話しかける
「ん?・・・うわっ犬だ!ちょーでけぇ!!」
「でけー」
「ちょっと二人とも!前にも会ってるでしょ?えっと確か白龍天狗の・・・椛さんだよ!」
物凄く強そうな種族にされて、椛は内心「ちょっといいかも」と思っていた
しかし龍はさすがに行きすぎだよ
「白狼天狗、ね。前から言ってるけど、君達は山に入れるわけにはいかないよ?」
人間などは言わずもがな、この小さな子たちにもまた、山が危険なのには違いなかった
「あ、今日は違うんです!ただゴールにしてただけで・・・」
「ふん!じゃああんたを倒せばいいってことね!あたいったら天才!」
「チルノは天才かー」
「ちょっチルノちゃん!?」
「やれやれ・・・」
チルノは空に飛び上がり、弾幕を展開しようと気を張った
予想はしていたが、しかし椛は優しく、争いをあまり好まない
ましてやこんな小さな妖精相手に戦う気などさらさらなく
「チルノちゃん!これあげるから降りておいで!」
椛の掲げられた右手にはどこから出したのか、先ほどのにとりの魚を焼いたものが三つ串に刺されていた
「おおー!くれるのかー!?」
「あっ、こらルーミア!そこにいたら・・・」
「うわぁ、いいんですか?」
「うん、私はさっき食べたから。はい、どうぞ」
「・・・・・・・・・・あたいもー!」
やっぱり幼い子には食べ物が有効なのだなぁと思いつつ、嬉しそうに魚を食べる三人を、椛はにこにこと眺めていた
「椛さん、お魚ありがとうございました!」
「ありがとー。でも足りなかったー」
「・・・ふん!次はこうはいかないんだから!覚悟しときなさ・・・」
「チルノちゃん!お魚食べたんだから、ちゃんとお礼言わないとダメだよ!」
「チルノはありがと言えないのかー?」
「ぬぐ・・・ルーミアまで・・・!・・・あ・・・ありがとう!!・・・ほら!言えるに決まってんじゃん!」
気をつけてねと三人を見送った椛は、いつかは自分にもあんな子ができるのかと思うと、その日が待ち遠しく思えた
しかし今は、まだまだやりたいことやるべきことがたくさんある
母になるのはあと100年は後でも遅くないだろう
・・・なんにせよ子供は良いものだと、椛は大きく手を振るチルノを見て微笑んだ
陽は沈み始め、快晴だった空は鮮やかな赤色を写し出していた
しかし今日はまた騒がしい一日だなぁと思いながら夕空を眺めていると、薄暗い草陰から怪しい物音が
「!・・・あれ?こんばんは」
「・・・こ、こんばんは・・・椛さん」
草陰からカサカサ・・・もといガサガサと這い出てきたのは蛍の妖怪、リグル・ナイトバグ
見ると、何やらうつむいたまま手をもじもじさせている
「・・・どうしたんですか?リグルさん」
「・・・あ、あの・・・実は椛さんと、お・・・お話がしたくて・・・」
「お話?」
何をそんなに恥ずかしがっているのか椛にはわからなかったが、とりあえず座らせて話を聞くことにした
何度も言うが、椛は優しいのだ
「それで・・・どうしたんですか?」
「は・・・はい。あの・・・」
「無理はしなくていいんですよ。言いたくなければそれもよし、聞かせてくれるのなら待ちますよ」
リグルはその優しい声に胸を打たれたのか「・・・いえ!今、言います!」と首を横にも縦にも振った
「私・・・よく男の子みたいだとか言われてるんですけど、それが嫌で・・・」
「うん、うん」
「それで、どうしたら可愛い女の子に見えるのか、椛さんに伺いたくて!」
「うん・・・ええ!?い、いやいや、それならもっと可愛い方や綺麗な方はたくさんいるじゃないですか?なんで私に・・・?」
「・・・だって椛さんは髪も私みたいに短いし、服装も他の男の天狗さん達と同じのを着てるのに・・・それなのに一回も男の子みたいとか言われたことないでしょ?」
・・・確かに、私は決して自分を可愛いとかは思ったこともないが、だからといって「男の子みたい」とは言われた記憶がない
椛は自分がこんないかにも年頃の女の子のらしい相談を受けるとは夢にも思わず、頭をひねりながら考えた
「・・・つまり、私も男の子みたいな見た目なのに、どうしてリグルさんだけが・・・と、そういうことですね?」
「は・・・はい」
リグルは自分が少し悪いことを聞いてしまったように思えて、触覚がへなりと下を向いた
「うーん・・・私は本当に女の子らしくないからあまりお役に立つことは言えませんが、私はリグルさんのことはすごくかわいいと思いますけどね」
「そっ・・・!・・・そんなこと・・・ないですよ」
「いやいや、リグルさんはこんなに女の子らしい考えを持ってるじゃないですか。何を言われたって、リグルさんは可愛い女の子ですよ」
「・・・椛さん」
「私に断言できることはこれくらいです。もっと女の子らしくなりたいと言うのなら・・・申し訳ないですがそれは私の専門外です」
「・・・いいえ、私なんだか、すごく気持ちが楽になりました!そうだよね・・・私は正真正銘女の子!何を言われても気にすることなかったんですよね。ありがとう椛さん!」
リグルはふかぶかと頭を下げると、揚々と草むらへと消えていった
実際のところ、将来的に大きく強くなりたい椛はむしろ「男の子みたい」と言われるリグルが少し羨ましかった
しかしこんな自分を頼りにしてくれる者がいることを、椛は誇りに思った
嫌々やらされているわけではないが、普段は先輩や上司に使われる下っ端を自覚している椛には、なんだか妹ができた気分で自然と顔がほころんだ
「可愛い・・・かぁ・・・・・・・・・えへへへ」
だけどやっぱり可愛いと言われるのも嬉しいお年頃
どうも顔がニヤけたまま固まってしまって内心ちょっと焦ったが、嬉しいものは嬉しいのでしょうがない
頬を抱え尻尾をパタパタ、耳をピクピクさせて椛は大層ご満悦だったのだが・・・
椛はすっかり忘れていた
幻想郷最速の盗撮魔の存在を
そのとんでもなく愛らしい椛の顔は、一瞬の強い光と聞き覚えのある機械音にかき消された
「・・・あ」
「あやや、実にいい顔です!もう一枚いいですか?」
「文さん!お帰りなさい・・・じゃない!ちょっ・・・撮らないでくださいよ~!」
朝一番に出て行った文は、もう空が一部を紫色に染めるのみとなった頃に帰ってきた
仕事帰りだと言うのにこの元気はさすが妖怪・・・いや鴉天狗といったところだろう
「な~に嬉しそうな顔しちゃって!何か良いことあったのかな~椛~?」
「なな、なんでもないです!だからそれ返して~!」
「心配しなくても仕事用のは全部使い切っちゃったから、これは私のプライベート用。だから安心しなってば」
「ほ、ほんと・・・?」
涙目の椛が見たのは確かにいつも見ているのとは違う、小さな古いカメラだった
さっきからずっと言ってるとけど純粋な椛、それ以上は上司を信用することに・・・
いや、やっぱり信用できない
この人をそう簡単に信じてはいけない
椛が「嘘だっ!」と隙を付いてカメラを奪おうと身構えた瞬間、首筋から強烈な刺激が体を通り抜けた
「きゃうんっっっ!!」
「はーい。一本いかが?」
首筋から離された物は、なにやら飲み物のようだった
文は右手にも同じものを持って、にこにこと顔の前に掲げている
「びっくりしたー・・・。もう、なんですか?」
「ビールって言うお酒なんだって。霖之助さんから貰ったの。ほーら!遠慮しない!」
「わっ・・・と。あ、ありがとうございます」
飛んできたビールとやらはとても冷たく、蒸し暑い夜にはとても合いそうだと椛は思った
「・・・それじゃあ、お仕事お疲れさま!かんぱーい!!・・・・・っはぁー!美味しー!」
「う・・・・・」
「椛?どうしたの?」
「・・・苦いです」
「あははは!椛ったら子供ー!」
ビールとやらはとても苦く、椛はいつも飲んでいる果実酒との違いに驚いた
椛は酒が全て甘いものだと思っていたらしく、飲みかけのままビールを脇に置いた
文はあっという間に自分の缶を飲み干して「いらないんなら頂戴よ」という視線を椛に送っている
「あっ・・・はい、どうぞ」
「もったいないなー、お子様もみじはー」
椛はうう~と声を漏らしてうつむいた
その後しばらく、二人は今日一日の仕事がどんなものだったかを語り合っていた
椛は文が早起きした理由を知って顔を渋くしたが、魔理沙やアリスの寝顔を見せられてちょっと吹き出してしまっていた
文は椛が一日を嬉しそうに振り返っているのを微笑みながら聞き、時折頷きながらも部下の話を静かに聴いていたが、ふと口を開いた
「・・・平和だよね、ほんと」
「文さん?」
どこか遠くを見つめている文の横顔を、椛は怪訝そうに窺った
「いやね、ほんの数十年前にはこんな、見張りの白狼天狗が笑いながら一日を振り返るなんてあり得なかったなぁって」
「・・・私の前の・・・」
「あっ・・・と、ごめんごめん!いや、つい嬉しくてね。椛もこの仕事を本当に真面目にやってるんだなって」
「・・・・・はい。生涯を通すべき仕事だと思っています」
椛はパっと座っていた岩から降りて数歩進み、文に背中を向けて立つ格好となった
「・・・椛?」
文が「余計なこと言ったかな」と心配そうに首を傾げる
平和・・・か
昔の幻想郷、特にこの妖怪の山はほとんど無法地帯となり、よそ者は人間だろうと妖怪だろうと妖精だろうと、近づく者には容赦ない死が待っていた
それが今では人間が住み、鬼が通り、河童が立ち寄り、妖精が近づいてくるまでになった
それはあの結界のせいだけじゃなく、先代の白狼天狗たちが今まで山を命懸けで守ってきたから
その白狼天狗の名に恥じぬよう、先代たちに恥じぬよう、この山を守り抜くのが私達白狼天狗の遥か昔からの使命
山に棲む大切な人達、山に訪れる大切な人達、山の平和な日々
私はこの妖怪の山を命に代えても守り通す
私にはその使命が与えられているんだ・・・
椛は息を吸い込んだ
「・・・私!!白狼天狗 犬走 椛は!!命に代えてもこの大好きな山を!!そこに住む大好きな人達を守り抜くことを誓います!!!」
目を丸くしている文を椛は振り返り、顔を赤くしながら照れ笑いを浮かべた
「・・・やっぱり私って、子供ですよね」
「・・・・・ほんと子供なんだから。でも、あんたみたいな子供に私たちはバッチリ守られてるってわけ。あやや、こいつは一本取られました」
文は「ありがとう」と言い、椛の頭をくしゃくしゃと頭を撫でてやった
月も沈んで、空には何も見えないころ
真っ黒な空の端に、白く平たい光が指すころ
白い頭に白い耳、白い尻尾の天狗たちが
心に熱いものを秘めた、山の守護者が
ぽつりぽつりと消えていく
白狼天狗の夜は遅い
山の平和を守るため
白狼天狗の朝は早い
山の平和を守るため
辺りが朝もやで白く濁っているころ
足元の命が呼吸し、温度差で白い粒が葉から滴り落ちているころ
白い頭に白い耳、白い尻尾の天狗たちが
白い霧のような雲で覆われた山の表面に、ぽつぽつと現れ始める
白狼天狗は天狗社会のなかでも精鋭揃いだがやや地位が低く、山の見張りといった割と危険、かつ暇な仕事を担当する
それでも彼らはそれを不満に思うことはないし、他の天狗たちも別に彼らをアゴで使うようなことはしない
お互いに役割が決められているだけのことで、仲間意識が強いと言われる彼らに地位の上下などは、天魔や大天狗以下はほとんど無いようなものだった
・・・まぁ、個人では色々とあるようだが
「おはよう椛!こんな早くからご苦労さま」
「あ、おはようございます文さん。文さんこそ、今日はまたずいぶんとお早いですね?」
鴉天狗の新聞記者、射命丸 文の朝も早かった
早起きな白狼天狗の中でも特に早起きに自信のあった犬走 椛は、いつも夜遅くまで起きて作業をしている上司を尊敬していたが
それでもこんなに早起きができる上司に驚き、首を傾げつつも尊敬の眼差しを送った
「ふふん、私は気づいたの。いつもと違うネタが欲しければ、いつもと違う時間に行動すればいいってね。・・・どう?そう思わない?」
「た・・・確かに!文さん、すごいです!」
椛は天狗の中ではかなり若く、とても純粋だ
それゆえ純粋に文の考えをすごいと思って尻尾をパタパタさせながら、目を輝かせながら、「もっと褒めろ」と言わんばかりに空中でふんぞり返る文を称えたが
文の頭には「突撃、隣の寝起きドッキリ!ポロリもあるよ!」という至って短絡的な考えが浮かんでいた
(真面目な椛には黙っておこうっと)
「・・・よし、じゃあ日が昇らないうちに!椛、今日もちゃんと見張ってね。じゃあ行ってきます!」
「はい、行ってらっしゃい。お気をつけて!」
椛が言い終える前に、文の姿は見えなくなっていた
やっぱり速い・・・すごいなぁと文が向かったであろう方向をぽかんと見つめていた椛は、よしっ!と気合を入れなおす
今日もちゃんと見張ってね・・・か
「・・・うふふっ」
白狼天狗の朝は早い
いくら早起きとは言え、椛は早くから見張りをしているわけではない
幻想郷でこんな時間に起きている者などはそういないため、椛は滝の裏で詰め将棋をしながら本格的に仕事を開始するまでの時間を過ごしている
「ここをこう・・・で・・・あれ?違う・・・う~ん」
ぶつぶつと盤と睨めっこしながら過ごしていれば、その間に続々と他の白狼天狗が集まってくる
そうなると若い椛は横からちょっかいを出されたり、茶々を入れられたり、結局いつも将棋の時間はほんの僅かになってしまうが、それもまた椛が可愛がられている証拠である
そうこうしている間に白狼天狗の長がやってきて号令をかけ、白狼天狗、椛の一日が始まる
白狼天狗はその名の通り狼の血を引いており、聴覚や嗅覚に優れ見張り役にはもってこいだった
そして椛には「千里先まで見通す程度の能力」が備わっているため、山の正面にある滝、つまりは玄関口という重要なポジションが与えられていた
腕も立つため、基本的には一人で待機していることが多い
椛はそんな周りから期待されている自分の境遇を誇りに思い、鍛錬を積んでいつか必ず白狼を束ねる長になるという夢があった
「長に必要なのは腕よりもまず柔軟な戦術・・・」ということで、大将棋を始めたのだった
ただ仕事中にやるわけにもいかず、椛は千里眼を織り交ぜながらきょろきょろと辺りを見渡す
端から見ればその光景は「挙動不審な危ない子」に見えなくもないが、椛はいたって真面目に仕事をこなしているのだ
ふと、視界に美しい緑色が入る
山から降りてくるのは守矢神社の風祝、東風谷 早苗
彼女らが山に現れて間もない時期は、殆どの時間を神社付近の見張りに費やしていたが、風魔と直接和解して友好関係を保っている今は、そんな必要もなくなっていた
しかし仕事なので、椛は山から出て行く者には声をかけ、後の心配が無いかを確かめる
まあ、彼女に限って何かを起こすことなど無いだろうが
「おはようございます、早苗さん。」
「あ、椛さん。おはようございます。お勤めご苦労様」
お互いぺこりとお辞儀をし、顔を上げる
椛は早苗の笑顔の美しさに、顔を赤くした
「あの、お出かけですか?」
「あ、はい。実は昨日、お米を炊くの忘れて寝ちゃって・・・。だから上のお二人が起きる前に、里で早くからやってるお米屋さんに行こうと思って」
早苗もまた顔を赤くして苦笑いを浮かべた
こんな時でもやっぱり可愛いんだなぁ・・・と、椛もまたまた顔を染める
「わかりました。わざわざ呼び止めてしまってすみません。どうぞお気を付けて」
「いえいえそんな、お仕事熱心な証拠ですって。じゃあ、失礼します」
ぱたぱたと走っていく後ろ姿を見て椛は「やっぱり可愛くて綺麗で優しい人だなぁ」と息を漏らした
これでも一人の女の子、可愛くて綺麗で優しい女性には憧れる
これが文にバレたら色々と面倒なことになりそうだ
椛はまた辺りを見渡している
もうすっかり空は明るくなり、霧は晴れ、夜行性以外の妖怪等は続々と目覚めて活動を始めているだろう
これからが本当に仕事の始まり・・・と思った矢先、可愛くて綺麗で優しい早苗が帰ってきた
先ほどの苦笑いとは違い、ずいぶんとにこにこしている
「あ、お帰りなさい」
「はい、ただいま。椛さん、良かったらお一ついかがですか?」
「なんですか?・・・わぁ」
早苗は手に提げた袋から、葉に包まれた大きめのおはぎを取って「どうぞ」と椛に渡した
「ええ、いや、そんな頂くわけには・・・」
「いいんですって。お米屋さんが作りすぎちゃったからってくれたんですよ。・・・あ、もしかして仕事中だから・・・とか?」
手を振りながら遠慮する椛を見て、しゅんとする可愛くて綺麗で優しい早苗さん
それを真面目な椛が拒否などできるわけがなかった
「お仕事頑張って下さいね!」
「はい!ありがとうございます!いつか必ずお返ししますね!」
山へと帰って行く早苗を見送って、椛はおはぎを食べながら辺りを見渡す
「うわぁ・・・すごくおいしい」
朝からいいことあったなぁ
今度神社にお酒でも持っていこうと思いながら味わっていると、そこへ巡回中の白狼の長が通りかかった
ゲンコツを食らった頭をさすりながら、椛は辺りを見渡し続ける
「痛たた・・・ん?これは・・・」
辺りに急に霧が発生した
いや、発生というか・・・一塊で向こうから漂ってきたらしい
するとその霧はみるみる集束していき、そのまま人の形となって現れた
「・・・もう、この間は大きくなって来たり、その前は小さくなって来たり、あんまり驚かさないでくださいよ」
「あはは、ごめんごめん。じゃあ今度は大勢で来るよ」
霧の正体は鬼、伊吹 萃香だった
この小さな鬼も、以前は特に警戒していた者の一人だ
それは遥か昔に棲んでいたというこの山を奪い返しに来る可能性や、たった一人でもそれが可能な力を持つことを含めてのこと
しかし今はそんな気は無いらしく、山の天狗たちにも友好的、特に文などとはよく酒を交わしているらしく、敵意も今のところは感じない
椛も何度か文に付き合って、共に過ごしたこともあった
「こんにちは。文さんなら今はいませんが・・・」
「ああ、今日は違う。また天界へ行こうと思ってね」
「ああ、そうでしたか」
ここ最近、遂に萃香は天界にまで酒を飲みに行くようになったらしく、最近はよくここを通るようになっていた
「そ、だから今日も山は通るだけ。もういいでしょ?子犬ちゃん、いい加減めんどくさいんだけど」
「だ、誰がワンちゃんですか!」
「あははは、怒らない怒らない。私からしたらお前さんはまだまだ若すぎるんだよ。子犬も子犬さ」
「うぅ~」
ケラケラと笑う萃香を唸りながら尻尾を立てて威嚇する姿は、しかしどう見ても可愛らしい子犬だった
「お~よしよし。面倒だけどさ、風魔の旦那に怒られるのはあんたはもちろん、私だって嫌だもん。だからしょうがないよね~」
「ふ、風魔様・・・」
椛は白い体を青くさせて、逆立った尻尾もしんなりと折れた
しかしこの鬼にも怖いものがあったなんて驚きだ
「それじゃね~。・・・おっとそうだ、新聞屋に『今度は天界に誘うから大人しくしてろ』って伝えておいて」
「あ、はい、わかりました。お気を付けて」
萃香はこくこくと酒を飲みながら、山へと入っていった
自分は今まで文に誘われて萃香とも飲んだが、萃香から直接誘われたことはない
椛は自分にまだまだ一人前ではないのだということを言い聞かせ、仕事を再開した
太陽も昇りきり、時刻は昼を回っていた
天狗だってもちろんお腹は減る
特に白狼天狗は見た目どおり食欲旺盛で、椛も例に漏れずよく食べる
一旦滝の奥に引っ込み、いつもそこで昼休憩を取る
滝へ入ろうと飛んでいくと、下の滝つぼの方から何やら呼ぶ声が聞こえた
「おぉーい!椛さーん!!」
「あっ、にとりさん!こんにちはー!」
流れにそれとなく逆らいながら河童、河城 にとりが手を振りながら泳いできた
滝の裏に入ろうとした椛は方向を変え、滝つぼへと降りていく
「よいしょっと・・・。やぁ椛さん、お仕事お疲れさん!」
「こんにちは。いえいえ、今はちょうどお昼休みです」
水から上がってきたにとりの背には、いつものリュックの上からさらにおおきなカゴが背負われており、なにやら生臭くも新鮮な匂いがしている
「へへへ、もちろん知ってるよ。狙って来たんだから。今日は思いのほか大量でね、お仕事頑張る椛さんにもおすそわけに来たのだっ!」
「わぁ、いいんですか?ありがとうにとりさん!」
早苗とは違ってにとりとは日ごろからこういった具合に仲良くしており、将棋も打つ仲だ
椛は休憩中ということもあり、遠慮することなく背中の魚を頂くことにした
「・・・そういえば、最近はにとりさんの発明も評判が良くなってきたと聞きましたよ?・・・むぐむぐ」
「最近はって!うん、まぁ前よりは確かに買ってくれる人間も増えてきたよ。・・・若干だよ?前から多かったんだからね?あ、キュウリはダメです」
「ちぇ・・・。だけど、にとりさんの発明は本当すごいですよ。もっと評価されて然るべきと思いますけどね・・・。あっ・・・骨・・・けほけほ」
「ああ、はい水。だよねぇ!どうしてこう理解されないのかなぁ?見てよ、これは新発明なんだけど・・・ほら!ナント声ガ変ワル蝶ネクタイデ」
「あ、すいません、そろそろ時間みたいです」
昼の休憩はほんの僅かな時間
このように友人と他愛ない話をしていれば、さらに時間は短く感じる
椛は短くても、友達と会える日の昼休みが大好きだった
「よいしょ。それじゃあ椛さん、頑張ってね。今度は何も持たずに来るから、その時は勝負ということでひとつ」
「はい、次は負けませんからね」
今度は流れに乗っていくにとりを見送って、あと半日となった仕事を再開する
頭の中には、うっすらと以前負けた時の盤が浮かんでいた
「あれは・・・」
騒がしい気配を感じて千里眼で正面の森を見ていると、何やら三名ほどの妖怪・・・いや、妖精達がこっちに向かってくる
見たところ、どうやらここでも武器の出番はないようだ
「ついたー!やっぱりあたいが一番ね!さいきょう!」
「二番なのかー」
「うう・・・ひどいよルーミアちゃん、いきなり噛み付くなんて・・・」
妖精は氷精チルノと大ちゃんこと大妖精、加えて闇の妖怪ルーミアの三人が、どうやらここまで競争してきたようだった
「こんにちは。今日は何の用かな?」
椛も小柄なほうだが、この三人はもっと小柄
目線が合うように前かがみになって話しかける
「ん?・・・うわっ犬だ!ちょーでけぇ!!」
「でけー」
「ちょっと二人とも!前にも会ってるでしょ?えっと確か白龍天狗の・・・椛さんだよ!」
物凄く強そうな種族にされて、椛は内心「ちょっといいかも」と思っていた
しかし龍はさすがに行きすぎだよ
「白狼天狗、ね。前から言ってるけど、君達は山に入れるわけにはいかないよ?」
人間などは言わずもがな、この小さな子たちにもまた、山が危険なのには違いなかった
「あ、今日は違うんです!ただゴールにしてただけで・・・」
「ふん!じゃああんたを倒せばいいってことね!あたいったら天才!」
「チルノは天才かー」
「ちょっチルノちゃん!?」
「やれやれ・・・」
チルノは空に飛び上がり、弾幕を展開しようと気を張った
予想はしていたが、しかし椛は優しく、争いをあまり好まない
ましてやこんな小さな妖精相手に戦う気などさらさらなく
「チルノちゃん!これあげるから降りておいで!」
椛の掲げられた右手にはどこから出したのか、先ほどのにとりの魚を焼いたものが三つ串に刺されていた
「おおー!くれるのかー!?」
「あっ、こらルーミア!そこにいたら・・・」
「うわぁ、いいんですか?」
「うん、私はさっき食べたから。はい、どうぞ」
「・・・・・・・・・・あたいもー!」
やっぱり幼い子には食べ物が有効なのだなぁと思いつつ、嬉しそうに魚を食べる三人を、椛はにこにこと眺めていた
「椛さん、お魚ありがとうございました!」
「ありがとー。でも足りなかったー」
「・・・ふん!次はこうはいかないんだから!覚悟しときなさ・・・」
「チルノちゃん!お魚食べたんだから、ちゃんとお礼言わないとダメだよ!」
「チルノはありがと言えないのかー?」
「ぬぐ・・・ルーミアまで・・・!・・・あ・・・ありがとう!!・・・ほら!言えるに決まってんじゃん!」
気をつけてねと三人を見送った椛は、いつかは自分にもあんな子ができるのかと思うと、その日が待ち遠しく思えた
しかし今は、まだまだやりたいことやるべきことがたくさんある
母になるのはあと100年は後でも遅くないだろう
・・・なんにせよ子供は良いものだと、椛は大きく手を振るチルノを見て微笑んだ
陽は沈み始め、快晴だった空は鮮やかな赤色を写し出していた
しかし今日はまた騒がしい一日だなぁと思いながら夕空を眺めていると、薄暗い草陰から怪しい物音が
「!・・・あれ?こんばんは」
「・・・こ、こんばんは・・・椛さん」
草陰からカサカサ・・・もといガサガサと這い出てきたのは蛍の妖怪、リグル・ナイトバグ
見ると、何やらうつむいたまま手をもじもじさせている
「・・・どうしたんですか?リグルさん」
「・・・あ、あの・・・実は椛さんと、お・・・お話がしたくて・・・」
「お話?」
何をそんなに恥ずかしがっているのか椛にはわからなかったが、とりあえず座らせて話を聞くことにした
何度も言うが、椛は優しいのだ
「それで・・・どうしたんですか?」
「は・・・はい。あの・・・」
「無理はしなくていいんですよ。言いたくなければそれもよし、聞かせてくれるのなら待ちますよ」
リグルはその優しい声に胸を打たれたのか「・・・いえ!今、言います!」と首を横にも縦にも振った
「私・・・よく男の子みたいだとか言われてるんですけど、それが嫌で・・・」
「うん、うん」
「それで、どうしたら可愛い女の子に見えるのか、椛さんに伺いたくて!」
「うん・・・ええ!?い、いやいや、それならもっと可愛い方や綺麗な方はたくさんいるじゃないですか?なんで私に・・・?」
「・・・だって椛さんは髪も私みたいに短いし、服装も他の男の天狗さん達と同じのを着てるのに・・・それなのに一回も男の子みたいとか言われたことないでしょ?」
・・・確かに、私は決して自分を可愛いとかは思ったこともないが、だからといって「男の子みたい」とは言われた記憶がない
椛は自分がこんないかにも年頃の女の子のらしい相談を受けるとは夢にも思わず、頭をひねりながら考えた
「・・・つまり、私も男の子みたいな見た目なのに、どうしてリグルさんだけが・・・と、そういうことですね?」
「は・・・はい」
リグルは自分が少し悪いことを聞いてしまったように思えて、触覚がへなりと下を向いた
「うーん・・・私は本当に女の子らしくないからあまりお役に立つことは言えませんが、私はリグルさんのことはすごくかわいいと思いますけどね」
「そっ・・・!・・・そんなこと・・・ないですよ」
「いやいや、リグルさんはこんなに女の子らしい考えを持ってるじゃないですか。何を言われたって、リグルさんは可愛い女の子ですよ」
「・・・椛さん」
「私に断言できることはこれくらいです。もっと女の子らしくなりたいと言うのなら・・・申し訳ないですがそれは私の専門外です」
「・・・いいえ、私なんだか、すごく気持ちが楽になりました!そうだよね・・・私は正真正銘女の子!何を言われても気にすることなかったんですよね。ありがとう椛さん!」
リグルはふかぶかと頭を下げると、揚々と草むらへと消えていった
実際のところ、将来的に大きく強くなりたい椛はむしろ「男の子みたい」と言われるリグルが少し羨ましかった
しかしこんな自分を頼りにしてくれる者がいることを、椛は誇りに思った
嫌々やらされているわけではないが、普段は先輩や上司に使われる下っ端を自覚している椛には、なんだか妹ができた気分で自然と顔がほころんだ
「可愛い・・・かぁ・・・・・・・・・えへへへ」
だけどやっぱり可愛いと言われるのも嬉しいお年頃
どうも顔がニヤけたまま固まってしまって内心ちょっと焦ったが、嬉しいものは嬉しいのでしょうがない
頬を抱え尻尾をパタパタ、耳をピクピクさせて椛は大層ご満悦だったのだが・・・
椛はすっかり忘れていた
幻想郷最速の盗撮魔の存在を
そのとんでもなく愛らしい椛の顔は、一瞬の強い光と聞き覚えのある機械音にかき消された
「・・・あ」
「あやや、実にいい顔です!もう一枚いいですか?」
「文さん!お帰りなさい・・・じゃない!ちょっ・・・撮らないでくださいよ~!」
朝一番に出て行った文は、もう空が一部を紫色に染めるのみとなった頃に帰ってきた
仕事帰りだと言うのにこの元気はさすが妖怪・・・いや鴉天狗といったところだろう
「な~に嬉しそうな顔しちゃって!何か良いことあったのかな~椛~?」
「なな、なんでもないです!だからそれ返して~!」
「心配しなくても仕事用のは全部使い切っちゃったから、これは私のプライベート用。だから安心しなってば」
「ほ、ほんと・・・?」
涙目の椛が見たのは確かにいつも見ているのとは違う、小さな古いカメラだった
さっきからずっと言ってるとけど純粋な椛、それ以上は上司を信用することに・・・
いや、やっぱり信用できない
この人をそう簡単に信じてはいけない
椛が「嘘だっ!」と隙を付いてカメラを奪おうと身構えた瞬間、首筋から強烈な刺激が体を通り抜けた
「きゃうんっっっ!!」
「はーい。一本いかが?」
首筋から離された物は、なにやら飲み物のようだった
文は右手にも同じものを持って、にこにこと顔の前に掲げている
「びっくりしたー・・・。もう、なんですか?」
「ビールって言うお酒なんだって。霖之助さんから貰ったの。ほーら!遠慮しない!」
「わっ・・・と。あ、ありがとうございます」
飛んできたビールとやらはとても冷たく、蒸し暑い夜にはとても合いそうだと椛は思った
「・・・それじゃあ、お仕事お疲れさま!かんぱーい!!・・・・・っはぁー!美味しー!」
「う・・・・・」
「椛?どうしたの?」
「・・・苦いです」
「あははは!椛ったら子供ー!」
ビールとやらはとても苦く、椛はいつも飲んでいる果実酒との違いに驚いた
椛は酒が全て甘いものだと思っていたらしく、飲みかけのままビールを脇に置いた
文はあっという間に自分の缶を飲み干して「いらないんなら頂戴よ」という視線を椛に送っている
「あっ・・・はい、どうぞ」
「もったいないなー、お子様もみじはー」
椛はうう~と声を漏らしてうつむいた
その後しばらく、二人は今日一日の仕事がどんなものだったかを語り合っていた
椛は文が早起きした理由を知って顔を渋くしたが、魔理沙やアリスの寝顔を見せられてちょっと吹き出してしまっていた
文は椛が一日を嬉しそうに振り返っているのを微笑みながら聞き、時折頷きながらも部下の話を静かに聴いていたが、ふと口を開いた
「・・・平和だよね、ほんと」
「文さん?」
どこか遠くを見つめている文の横顔を、椛は怪訝そうに窺った
「いやね、ほんの数十年前にはこんな、見張りの白狼天狗が笑いながら一日を振り返るなんてあり得なかったなぁって」
「・・・私の前の・・・」
「あっ・・・と、ごめんごめん!いや、つい嬉しくてね。椛もこの仕事を本当に真面目にやってるんだなって」
「・・・・・はい。生涯を通すべき仕事だと思っています」
椛はパっと座っていた岩から降りて数歩進み、文に背中を向けて立つ格好となった
「・・・椛?」
文が「余計なこと言ったかな」と心配そうに首を傾げる
平和・・・か
昔の幻想郷、特にこの妖怪の山はほとんど無法地帯となり、よそ者は人間だろうと妖怪だろうと妖精だろうと、近づく者には容赦ない死が待っていた
それが今では人間が住み、鬼が通り、河童が立ち寄り、妖精が近づいてくるまでになった
それはあの結界のせいだけじゃなく、先代の白狼天狗たちが今まで山を命懸けで守ってきたから
その白狼天狗の名に恥じぬよう、先代たちに恥じぬよう、この山を守り抜くのが私達白狼天狗の遥か昔からの使命
山に棲む大切な人達、山に訪れる大切な人達、山の平和な日々
私はこの妖怪の山を命に代えても守り通す
私にはその使命が与えられているんだ・・・
椛は息を吸い込んだ
「・・・私!!白狼天狗 犬走 椛は!!命に代えてもこの大好きな山を!!そこに住む大好きな人達を守り抜くことを誓います!!!」
目を丸くしている文を椛は振り返り、顔を赤くしながら照れ笑いを浮かべた
「・・・やっぱり私って、子供ですよね」
「・・・・・ほんと子供なんだから。でも、あんたみたいな子供に私たちはバッチリ守られてるってわけ。あやや、こいつは一本取られました」
文は「ありがとう」と言い、椛の頭をくしゃくしゃと頭を撫でてやった
月も沈んで、空には何も見えないころ
真っ黒な空の端に、白く平たい光が指すころ
白い頭に白い耳、白い尻尾の天狗たちが
心に熱いものを秘めた、山の守護者が
ぽつりぽつりと消えていく
白狼天狗の夜は遅い
山の平和を守るため
白狼天狗の朝は早い
山の平和を守るため
お山の日常も良いものですね
椛の一日が描かれているお話ですね。
その日の間に色々な表情を見せてくれる椛が可愛かったです。
リグルと椛はちゃんと可愛い女の子だと思いますけどねぇ。
御二方(作者殿と椛)、これからもがんばって下さい!
あと個人的なことですが、つい最近まで夜遅くまで銃持って山の中の見回りの仕事をやってましたw
もみじもみもみもじもじもみじ
鼻血がでそうです
よい作品でした^^
早速、次回作を・・・・→