~†~
身体の調子がオカシイ。
気分が悪い。
焦燥感に駆られる。
イライラする。
意識に欠落がある。
視界がボヤける時がある。
昨日まで続いていた乾いた晴れ空は、身体の不調と共に曇天へと変化していった。
何か、幻想郷で異変が起こっている。
そんな気がする。
そんな予感がする。
そんな確信が胸を突く。
いつもは、私達にはまるで関係なく起こり、そして関係なく収束していく。
だけど、今回は違った。
この異変は幻想郷に異変を及ぼす。
この異変は私達に異変を及ぼす。
この異変は異変として存在してくる。
いや、影響があったのかどうか、今となっては分からない。
あれは、いったい何だったのか。
私はいったいどうなったのか。
狂おしいまでの生存本能だけに成ってしまった様な……
生存本能の成れの果て。
ただ生きるのみに執着した生き物。
だけど。
今となっては、何も分からない。
~†~
「魔法の森に入った人が帰らない?」
その日、上白沢慧音は里の人間からこの様な話を聞いた。
最初の人間は誰だったかは分からないが、魔法の森に入った人間が帰ってこないそうだ。
そして、行方不明かと探しに行った人間まで帰らない。
まさか全員が迷ってしまったとは考えにくいので、恐らく、妖怪の仕業だろう。
魔法の森に何か新しい妖怪が住み着いたのかもしれない。
もしそうならば、里の人間では手に余る事態といえる。
そこで、慧音へと話が廻ってきたのだった。
「新しい妖怪か。人間を積極的に襲う妖怪など最近は聞かないが……とにかく調べてみよう」
慧音の言葉に、相談に来た人物はひとまずは安心か、といった風に安堵の息を零した。
人間というのは本来、こんなにも弱い存在なのだ。
特に、未知のモノに対する恐怖心は並々ならぬものがある。
知識を得た人間は強い。
知恵を得た人間は強大だ。
しかし、何も知らない人間程弱い者は他に類を見ないだろう。
目端に白い布が入れば、幽霊かと驚く。
藪が騒がしく揺れれば、妖怪が自分を狙っていると驚く。
暗闇の奥底に、何者かが潜んでいると怖がる。
既知と未知の差を埋めるには、犠牲や長い時間が必要となる。
それを最小限で抑える為、上白沢慧音に白羽の矢が立ったという訳だ。
「それにしても……」
里の人間が帰った後、慧音は呟く。
「妙な天気だな」
空を見上げると、さっきまで曇っていた空が晴れていくところだった。
人間の里にいる時は何も異常を感じる事はないが、独りになった時に空を見上げると、必ず晴れている気がする。
しかも、空気がピリピリと乾燥するのだ。
「何か、異常でも起こっているのか……いつかの満月の夜のように……」
慧音は呟くように言葉を零す。
しかし、慧音はまだ気づいていなかった。
幻想郷に異変が起こっている事を。
その日、博麗神社が大破した事を。
慧音はまだ知らなかったのだ。
~†~
このままじゃ危ない。
このまま行けばきっと良くない。
現状は最悪を迎えようとしている。
そのはずだ。
こんなにも気分が最悪なのは、最悪だからだ。
生き延びなければ。
生きながらえなければ。
「はぁ…はぁ……はぁ…はぁ…………」
誰だ。
誰の息だ。
これは、私の息なのか。
それとも近くに誰かいるのか。
分からない。
分かっていない。
理解ができない。
何が。
何かが。
「はぁ、はぁ、……ぁ」
生きろ。
そう、生きなければならない。
生きろ。
そう、生き延びなければいけない。
イキロ。
生きろ。
イキロ。
イキロ。
~†~
いくら天気が晴れていようが、やはり森というだけに魔法の森は湿度を保っている。
散り落ちた葉は腐り、分解され、土へと還る。
水分を含んだ土は茸や苔を群生させる。
鬱蒼とした雰囲気は、どこか人を立ち入る事を禁じているようだ。
「それでも人間は入っていく。好奇心は猫をも殺すとは、この事だな」
慧音は森の入り口で嘆息した。
行方不明者の捜索も兼ねているので、徒歩で行く事にする。
上空を飛んでいては重要な何かを見落とす可能性もあるからだ。
「……ふむ。確かに異常だ」
森へと足を踏み入れた慧音は、森の様子がおかしい事に気づいた。
あまりにも森が静かなのだ。
いるはずのモノ達がいない。
小動物や妖精はおろか蟲の気配さえ無い。
ましてや妖怪の姿など感じられなかった。
「しかし、何も無いのなら、何事も無いはず」
火がなければ煙は立たない。
雨が降らなければ水は流れ無い。
原因がなければ、現象は無い。
歴史がなければ未来は無い。
ありとあらゆるモノには理由が存在する。
水が流れるのは、高い所から低い所へ流れるから。
火が燃えるのは、温度が高くなったから。
動物が群れるのは、種の生存率を高めるから。
人が生きるのは、歴史を紡ぐから。
妖怪が生きるのは、世界を楽しむから。
「何かあるはず……」
慧音は独り呟き、森の奥へと侵入していく。
魔法の森には二人の魔法使いが居たなと思い出す。
詳しい場所まで知らないが、運がよければ辿り着くだろう。
辺りを警戒しつつ、慧音は歩いていく。
~†~
生きろ!
生き延びろ!
守れ!
守りぬけ!
滅びてはいけない!
滅んではいけない!
増えろ!
群れろ!
それが私達に出来る最大の抵抗!
最大の防御!
最大の攻撃!
「死んでも増えろ! それが唯一の命令だ!」
その命令に黒き闇は身じろぎをする。
「決して孤独となるな! それが生きのびる手段だ!」
その命令に闇は、より闇へと成り果てる。
「気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。なんだこれ、なんなんだこれ。増えろ増えろ増えろ増えろ生きろ生きろ生きろ生きろ生きろ生きろ生きろ生きろ生きろ群れろ群れろ群れろ群れろ群れろ群れろ群れろ群れろ群れろ……うがあああアアアァ!!!」
焦燥感が限界に達する。
最後の命令は届いただろうか。
最後の願いは届いただろうか。
もう、何もかもに耐えられなくなったから、意識を繋ぐのをやめた。
この身体を、自分ではない誰かに預けた感覚。
誰か、代わりに耐えてください。
誰か、代わりに対処してください。
ダレカ、カワリニ……
~†~
「私は風の民ぃ~♪ 毎夜私は月の下~♪ 模倣じゃない私の人生~♪ 風の民族ぅ~ うぉうぉうぉうぉうぉぅぉ~~~~♪」
ミスティア・ローレライは唄歌いの妖怪。
昼間には滅多に出てこないが、たまにこうして昼間から歌っているのである。
大抵、そんな日は屋台がお休みだったりすので、楽しみにしている人や妖怪には残念だ。
軽快なリズムは古き妖怪達には疎まれてはいるが、最近の妖怪には受けが良い。
だから、そんなファンの為に、ミスティアは作曲と作詞を独りで行う。
誰にも聞かれないように、皆を驚かせる為に、皆に喜んで貰う為に、唄を歌う。
「ん~、なんか違うかなぁ~」
先程から歌詞を作りつつ、メロディに合わせて歌ってはいるが、なかなかの難産らしい。
ミスティアは腕を組んで、う~む、と唸った。
と、そこへ不協和音が聞こえてくる。
音楽とは程遠い、非常に聞き心地の悪い音。
耳障り。
まるで人を不快にさせる為だけに存在するような音の群れ。
音楽を楽しむ一人として、これだけ許せない。
そう言わんとばかりにミスティアが音の方へ振り返った瞬間、
「え?」
視界が闇に閉ざされる。
「は?」
この闇には覚えがある。
確か、ルーミアの闇だ。
こんな風に、視界が真っ暗になって何も見えなくなる。
年がら年中ふらふらと飛んでいる彼女の闇に入り込んでしまったらしい。
「ちょっとルーミア! ……あれ?」
文句の一つでも言おうとした瞬間、視界は元に戻り、世界に光が溢れる。
過ぎ去った黒い塊はかなりの速度で彼方へと飛び去っていく。
どうやら入り込んだのは、闇の端っこの方だったようだ。
しかし、不協和音は消えていなかった。
ミスティアはいまだ聞こえる耳障りな音の方へと振り返る。
「……ぁ」
目の前には先ほどの物より歪な、それでいて巨大な闇が口を広げていた。
今度の闇は、簡単に抜けれるようなものじゃなかった。
~†~
宵闇の妖怪。
そう呼ばれているルーミアは逃げていた。
いつもそうしているように、身体の周囲に闇を展開させてひたすら逃げていた。
木の枝にひっかかり、時には大きな枝で顔を打ちつけながらも、ひたすらに闇の中の自分の位置をひた隠す。
「な、なによあれ」
身体中を、枝がつけた引っかき傷だらけにしながらルーミアは逃げる。
空に逃げれば一瞬で追いつかれそうな勢い。
ルーミアは障害物の多い森を飛び抜ける。
「!?」
可視領域ギリギリに見えた木の幹を、絶妙な反射神経で避ける。
恐らく、木に当たり、速度が落ちた時がルーミアの最後だろう。
わざわざ闇の中に侵入してくる何かに追いつかれてしまう。
果たして、追いつかれると何をされるのか。
そんな事はルーミアには、知る由もなかった。
それでも、楽天的になんて考えていられない。
あの不協和音が良きモノだとは思えない。
声をかけても返事もしない、まるで何かが群れ集ったような何か。
そして、自ら闇に飛び込んでくるような何か。
「いったい、いったい何なのよー」
いつもは捕食する側。
いつもは自分が襲う側。
だが、今は追われる側。
どちらに逃げればいい?
どこに逃げればいい?
どこか安全な場所は?
答えなんて出ない。
答えなんて出るはずもない。
これは初めての経験なのだから。
そして、答えてくれる者など誰もいないから。
だからルーミアは本能のまま逃げる。
木々の間をジグザグに飛行する。
木の枝で頬が切れても止まらない。
木の枝でスカートが破れたって止まらない。
木の枝がお気に入りのリボンに引っかかっても止まらない。
「ちょっとルーミア!」
そのとき、誰かの声がした。
「だ、誰?」
ルーミアは思わず止まる。
「きゃあああああああああああああああああああ!!!」
そして聞こえる絶叫。
森全体を揺るがすかのような声に、ルーミアはビクリと身体を震わせた。
空中に、闇を展開したままルーミアは静かに耳を済ませる。
さっきの叫び声は、もう聞こえてこない。
だけど、少し離れたところから、何かの音が聞こえてくる。
何かが擦れるような音。
何かが寄り集まった音。
そして、耳障りな不協和音。
闇の中から、外の様子を知る唯一の手段である音。
でも、その音からは情報がつかめない。
分からない。
近くに何がいて、何が襲われていて、何が行われているのか。
分からない。
分からないから。
闇を開放した。
闇の中とは比べ物にならないほど眩しい光に目を細め、空を確認する。
太陽は隠れ、曇天の空。
今にも雨が降りそうな天気。
それでもルーミアには眩しい世界だった。
そして、音が聞こえた方角を確認する。
「……え?」
そこには闇があった。
もぞもぞと蠢く闇。
不協和音の塊が中空に浮いている。
「あたし?」
それが綺麗な球体の闇ならば、みんな宵闇の妖怪だと思うだろう。
でもその闇は歪んだりうねったりと、一定の形を保たない。
ルーミアが首を傾げていると、闇からポトリと何かが飛び出た。
羽根がついた奇抜なデザインの帽子……
何処かで見たことあった。
確か、そう……ミスティア・ローレライがこんな帽子を被っていなかっただろうか。
そう言えば、先程の叫び声はミスティアの声だったのではないだろうか。
「……い……けて……さ…い……やめ…………」
よく聞くと、不協和音の中に声が聞こえる。
ルーミアは、耳をすました。
「痛い助けてごめんなさいやめて痛い助けてごめんなさいやめてやめてやめて」
闇の中の声は、懇願していた。
闇に訴えていた。
闇に願っていた。
闇に謝っていた。
そして、次に聞こえてきたのを最後に、声は聞こえなくなった。
「食べないで食べないで食べない……で……」
ルーミアは慌てて逃げ出す。
闇がぞわりと動いたから。
こちらに向かって動き出したから。
「!?」
でも……枝がスカートに引っかかった。
「あ、いや、え?」
その一瞬が手遅れになってしまった。
スカートから顔をあげたときには、目の前いっぱいに暗闇が広がっていた。
自分の展開した闇じゃない。
なによりそれは闇じゃなかった。
近くで見たら、それが何か分かった。
「あ」
バクンと、闇はその顎を閉じた。
~†~
「きゃあああああああああああああああああああ!!!」
森を揺るがす悲鳴に、慧音は慌てて耳をそばだてる。
少女の甲高い声は、空気を揺るがし、反響し、慧音へと届く。
だが、辺り一面から反響してくる声に、上手く方向がつかめない。
「どっちだ!?」
直感。
恐らく初めに震えた空気の方角。
酷く曖昧な選択だが、何も行動しないよりもマシだ。
慧音は駆け出す。
走りながら、考える。
今の声は、誰の声だろうか。
里の人間からの情報では、行方不明者はみんな男性だと言う。
迷い込んだ少女でも居たか、はたまた妖怪か。
もしかしたら、こういう具合に餌を呼び寄せる妖怪なのかもしれない。
何せ弾幕が展開されていない。
幻想郷のルールを知らないモノ。
新しく幻想入りしてきた妖怪なのかもしれない。
もしかしたら、妖怪ではないのかもしれない。
「!?」
どうやら方角は合っていたようだ。
木々の間には、横たわるように少女が倒れている。
そして、木々の間で不気味に蠢く黒い塊。
「大丈夫か!?」
慧音は頭上の黒い塊に注意しながら横たわる少女を抱え上げ、その場から距離を取る。
黒の塊は慧音に興味があるように、ずずずと蠢いたり波打ったりしている。
「何なんだ、あれは……」
ある程度の距離を取ると、慧音は少女を地面へと下ろす。
「お前は、ミスティア・ローレライか」
「………痛い…よ…………」
少女の身体は欠けていた。
別に腕が無いとか下半身が無いとか、そういうハッキリと分かる欠損ではない。
ところどころ、無いのだ。
皮膚が。
まるで外側から食べられている途中の様な有様。
恐らく人間であれば、助かる状態とは思えない。
彼女が…ミスティアが妖怪だからこそ意識を保っていられるのだろう。
慧音は黒い塊に向き直る。
モゴモゴと動くそれを見て、慧音は気づく。
「食べている……のか?」
何か、そんな嫌な予感がした。
あの蠢く様子は、咀嚼の震え。
あの波打つ様子は、嚥下の震え。
だとしたら、いま、あれは、なにを、食べている?
「やめろ!」
弾幕を、一発打ち込む。
黒の塊はズワっと広がり、弾幕は当たる事なくすり抜けてしまった。
その代わり、ズルリと何かが塊から出てきた。
穴だらけになった黒い服に、赤いリボン。
それを身に着けていたと思われるモノは出てこない。
出てこない。
落ちてこない。
つまり、
という事は、
たった今、
食べ終わったという事、
なのか……
「お前は何だ!」
慧音の言葉に反応するかのように、黒の塊はゾワリと動く。
次なる獲物を見つけた様に。
慧音はスペルカードを提示する。
だが、相手はそれに乗ってこない。
やはり、幻想郷に入りたての妖怪か。
舌打ちしつつ、それでも慧音はスペルカードを顕現させた。
艶やかに広がる弾幕にまるで関心がないように、黒い塊はこちらへと向かってくる。
「ミスティア!」
慧音の言葉にミスティアは答えない。
意識を朦朧とさせたまま、痛い痛いと呟くだけだった。
慧音はミスティアを抱え上げ、上空へと飛び立つ。
「ッ!」
だが、すでに空は黒で覆われていた。
空へと向かっていたベクトルを無理やり地面へと向ける。
ミスティアをかばい、そのまま超低空飛行に切り替えた。
背中を少しだけかすりながら、慧音は本能的に方角を決めて飛び去った。
地面スレスレを背中向きに飛ぶのは、恐怖心が心臓を貫いてくる。
それに加えて、木々を避けなければならない。
ギリリと奥歯が唸る。
「ミスティア、アレは何だ!?」
「……あれ、……は……リ…る」
途切れ途切れにミスティアが話すが、聞き取れない。
その間にも、空を覆っていた黒が襲い掛かってくる。
一度、歪な球体になったあと、その身体を放射状に伸ばしてきた。
偶数弾でも奇数弾でもない。
ただただ慧音を捕らえようと伸ばす触手そのもの。
彩りなんてない、雅さなんてない、ましてやそこに意味なんてない。
これは、ただの食事だ。
私達は、餌なんだ。
「ふざけるなよ!」
二枚目のスペルカードを顕現。
弾幕の華が、触手を怯ませる。
更には、本体の動きも鈍った。
「今だ」
その隙をついて、慧音は上空へと逃げる。
しかし、その足に触手が纏わり付いた。
「しまっ……」
足に鋭い痛みがはしり、身体の制御を失う。
無意識に中空に手伸ばしてしまい、背負っていたミスティアを落としてしまった。
「あ……」
絶望を孕んだ少女の瞳が、慧音を見つめる。
何か、少女が言葉を発する前に……少女は闇へと消えた。
「や、やめ、」
慧音は、瞬時に判断する。
いや、この場合は思考停止だろうか。
ただ自分のミスを取り返す為に、自ら黒塊へと突入した。
「ぐっ!」
体を包む闇中でミスティアを確保する。
だが、侵食の方が速かったらしい。
肌が露出している部分を早速とばかりに食われていく。
ミスティアを抱えながらも、慧音はもがく。
その中で、不意に声を聞く。
「イキロフエロイキロフエロ……」
そちらへと視線を向けると、一対の目が居た。
紅く光るその瞳は、まるで意識を感じられない。
理性を保ってはいない。
正気ではない。
狂っている。
だが、こいつが。
こいつが。
「これが、こいつの正体……!?」
息も出来ないその空間で、弾幕を打ち込む。
しかし、そこまで届かない。
この闇が邪魔して弾幕が届かない。
その間にも、ジワジワと皮膚を食べられていく。
慧音は必死に弾幕を展開しながら外へと向かった。
「ふはぁ!」
何とか闇の外へと顔をだし、そのままの勢いで外に出る。
あまり高い所だったのが幸いで、そのまま地面へと落ちたが、軽い痛みだけで済んだ。
「はぁはぁはぁ……ん?」
食い破られ、全身がヒリヒリと痛む。
だが、そこを見て慧音は気づいた。
「蟲?」
自分の手を食べようとしていたのは、蟲だった。
黒い一匹の蟲。
慧音がその蟲を払うと、それは吸い込まれる様にして黒の塊の一部になった。
「……あれは、蟲の塊……なのか」
しかし、それが何だと言うのだろうか。
あれが蟲の塊だと理解した所で、慧音に対処方はなかった。
立ち上がろうとするのだが、痛みのせいなのか、それとも疲労の為か、上手くいかない。
ミスティアは完全に意識を失ったようだ。
ジリジリと近づいてくる黒塊に、慧音は立てないながらも退いていく。
黒塊が口を開く。
そこに見えたのは、先程の目。
およそ理性を保っている様には見えない、紅い目。
そして、そのモノの姿も見えた。
「な……」
慧音は知っていた。
その姿を知っていた。
黒いマントを羽織ったその姿を、慧音は知っていた。
「り、リグル!」
その少女は、リグル・ナイトバグ。
あらゆる蟲を操る、闇に蠢く光の蟲。
だが、いまや彼女の理性は働いていない。
まるで、そう……まるでただの妖怪。
人間を襲う為だけに存在しているかの様な、かつての存在。
そう、それは成れの果て。
「増えろ。絶滅してはならない。生きろ。滅んでは成らない。幻想郷が危ない。私達も危ない。このままでは危ない。養分を取れ。子を孕め。そして増えろ。生き延びろ。生きろ生きろイキロイキロいきろいきろイキろイきろいキロ」
それは、生存本能だった。
強者に立ち向かうために、女王の命令を遂行する為に群れは巨大な一個となった。
それは、生存本能だった。
少しでも生き残る可能性を増やすために、全てを喰らい、そして増え続けた。
それは、生存本能だった。
逃げ場の無い閉じられた世界で、逃げ場を探しさまよい続ける。
それは、生存本能だった。
自分を脅かす脅威を、脅威となりうる力を持つ物を倒すため、襲い掛かる!
何か念仏のように唱え続けるリグルに、慧音が出来た事といえば逃げる事だけだった。
ミスティアを置いて逃げないだけ、まだ理性があったのだろう。
慧音はミスティアを抱え上げ、走り出す。
恐怖が肉体を凌駕したのか、何とか走れている。
でも、すぐに転んだ。
慌てて立とうとする。
ミスティアを落としてしまった。
抱え上げる。
そして、そのまま逃げ―――
、
慧音の首筋にリグルの手が触れた。
「うわああああああ!!!」
襟元をつかまれ、引きずり倒される。
背中を打ち、肺の中の空気が一気に失われた。
「サァ、ミンナ」
リグルが肩を抑える。
たったそれだけの事で、動けない。
紅く染まった瞳が、こちらを射抜くように見ている。
たったそれだけの事で、動けない。
「クラエ、フエロ」
慧音は瞳を閉じた。
次に訪れる、恐怖の時間に。
恐らく、楽には死ねないだろう。
何千何万という蟲達に身体を少しづつ食べられていくのだ。
理性が保てる所まで地獄だろう。
だから、せめて、楽になれるようにと。
慧音は穏やかに瞳を閉じて、死を覚悟した。
~†~
「で、どうしてあなたは生きてるの?」
稗田家の一室。
筆をサラサラと動かしながら、稗田阿求は慧音に先を促した。
慧音は右手のカサブタをカリカリと掻きながら答える。
「どうしても何も、そこで終わったんだ」
慧音の答えに阿求は頭にハテナマークを3つばかり浮かべた。
「どういう事です?」
「私は目を閉じて、死を覚悟した。それもとびっきりに最悪な最後を。でも、それがいつまでたっても訪れやしない。恐る恐る目を開けたら、リグルがそこに倒れていたんだ。いつの間にか蟲もいなくなってた」
慧音の話に、阿求は「ふ~ん」と返事を返した。
「それで、急に空も晴れ渡っていったんだ。曇天の雲がパーっと晴れていったんだよ」
なるほど、と阿求は答える。
「恐らく異変が解決した瞬間だったと思いますよ。あなたは運が良かった。もう少し天人の我侭が続いていたら、あなたは今頃蟲のお腹の中でしたね」
阿求はにこやかに笑うが、慧音としては想像するだけでゾッとする。
しかも、生きるか死ぬかの瀬戸際だったのだ。
運が良かっただけという事実に、慧音は幻想郷の色んな神様に感謝した。
「それで、リグル・ナイトバグはどうしたの?」
「一応、介抱してやったよ。意識を取り戻した後は謝っていた。ごめんなさい、幻想郷の崩壊が近づいていたから、って言ってたけど?」
「えぇ。危なかったみたいですね」
阿求は何でもなかったかの様に答える。
実際には崩壊せずにこのまま存在しているのだ。
何でもないと言えば何でもないし、いつも通りと言えばいつも通り。
誰かが我侭で異変を起こし、どこかの誰かが異変を解決する。
今回は、それに巻き込まれただけなのだろう。
リグルも、被害者の一人という訳だろうか。
「きっと、蟲としての本能が働いたんでしょうね。環境の変化は自分達に一番ダメージがくる。そうなる前に、生き延びる為に、蟲達を集めて生存しようとしたんでしょうね」
「あぁ、そんな感じの事を言ってた。まったく……まるで悪夢だったよ」
慧音の言葉に、阿求はポンと手を打つ。
「悪夢って、外の世界の言葉でナイトメアっていうのがあるのよ。さしずめ、今回のリグル・ナイトバグは、リグル・ナイトメアって感じね。幻想郷縁起の番外編でも作るとしたら載せておきましょう」
と、サラサラと筆を動かした。
そんな様子を見て、慧音は苦笑にも似たため息をつき、出してもらったお茶をちょっと飲んだ。
「そういえば、行方不明の人たちは?」
阿求の言葉に、慧音は首を横に振った。
どうやら見つからなかったらしい。
リグルに聞いてみたのだが、意識を失い暴走状態になったのは今朝からで、それ以前に人間を襲ってはいないとの事だ。
慧音が里の人間から話を聞いたのが今日。
里の人間が行方不明になったのは、今日や昨日の話ではない。
つまり、リグルの話が正しければ、彼女は犯人ではないという事になる。
「いったい何処の誰の仕業なんだろうな」
慧音の言葉に、阿求は少しだけ悲しい笑顔を見せた。
部屋の隅の闇色から、少女がひょっこり顔を出す。
「あ、それ、わたしわたし」
「「え???」」
ナイトメア、終劇。
天変地異の前触れには昆虫の大量発生とかありますしね。あんな状態では理性よりも本能が勝っているのかもしれません。
本当はこのネタだけでも80点を入れようと思ったのですが……実は、途中に直感で蟲だと気づいてしまったのでこの点数。
あとミスティアは?
上手いこと作ってあるな~
面白かったです
ただルーミアがなんで無事だったか謎な分、マイナスということで
ましてや妖怪の姿など感じられなかった。
異変(リグルと蟲)に感づいたか、食われたか
感づいたんなら、なぜルーミアとミスティアは感づかなかったか
関係ないけど一言
ミスチーも使い魔たちを使用可なんだ
まあ、数だけでいうなら負けるだろうけどね
生存するための行い…それは仕方の無いことなのかもしれないですが……。
実際、緋想天の裏側ではこんなことがあったのかもしれないですね。
面白かったです。
もし、彼らが敵意を持って襲ってきたら、人間は勝てるでしょうか?昔の人は、そこら辺わかっていたのでしょうね。魔王にも蟲を選んでいるくらいですから。
ルーミアが助かったのは、彼女が『闇』だからと解釈してもよろしいのでしょうか?
作者の脳内設定って言われても・・・せめて示唆というか暗示させる部分を入れてくれないと、でないと、作者だけしか話が分りません
あと、ミスティアも