満月が照らす黒のカーテンの中を、紅い弾丸が飛んでゆく。
その禍々しい弾丸は、己の狂気を従えて、とある人間のもとへと飛んでゆく。
彼女はとても不器用で、愛するものを支配することしかできません。
狂気の妹は暗い地下室へと閉じ込められ、瀟洒な従者は運命の鎖に縛られて。
だからこそ、レミリア・スカーレットは博麗霊夢を殺すのでしょう。
博麗霊夢が博麗の巫女としての役目を終え、ただの女性になってから、妖怪たちは一人、また一人と去っていきました。
霊夢はそれを寂しくは思いませんでしたし、次代の巫女が頼もしく成長したことに誇りをおぼえていました。
八雲紫は、若い博麗の巫女をからかうのにご熱心。
隙間妖怪をどうすれば追い払えるのかと相談を受けたときは、さすがの霊夢も苦笑を禁じえませんでした。
里に下った霊夢は、里の守護者として迎え入れられ、不器用ながらも充実した毎日を過ごしていました。
ひとつ気がかりなのは、暇さえあれば訪れていたレミリア・スカーレットが、ある日を境にパッタリと姿を現さなくなったことでした。
彼女もまた去っていった妖怪の一人なのだろうと、霊夢は深く考えず、一人で住むには広い家で床につくのでした。
明日は上白沢慧音の代理で、教壇に立たなくてはいけないんですから。
風が切り裂かれる音に、妖精たちはざわめきます。
視界に入ればバラバラに引き裂かれるだろう。
それはきっと、火を見るよりも明らかでした。
能天気に歌う夜雀はその歌を止め、虫たちは一斉に鳴き止みました。
紅の弾丸が過ぎたあとは、まるで屍骸の転がる戦跡のような寂しさだけが残ります。
耳が痛くなりそうなぐらい、とてもとても静かでした。
◆
レミリア・スカーレットが目的地へ辿り着こうかというとき、視界の奥の奥に、立ち塞がるかのように立つ人影を見つけました。
明らかな敵意を向けてくるその人影は、醸し出す殺気とは裏腹に、優雅に微笑んでいました。
このレミリア・スカーレットが行く道を塞ぎ、あまつさえ、微笑むとは。
しかしそれと同時に、レミリアは強者の臭いも感じ取っていました。
この道を進むならば、きっと戦いは避けられない。
よくよくみれば、平たく障害物も見当たらないこの草原は、戦うにはうってつけの場所。
満月の照らす夜に、吸血鬼に挑んだことを後悔させてやろう。
レミリアはあくまで傲慢に、日傘を差した女の前へと降り立ちました。
「どけ」
「断りますわ」
レミリアは口の端を歪ませて、女――風見幽香は、愛しい人を見るようにして、微笑みは崩しませんでした。
そして彼女らは同時に、スペルカードを宙へ放り投げます。
スペルカードたちは力なく風に吹かれ、そのまま地面へとひらひらと舞い降りました。
瞬間、レミリアの体は紅い弾丸へと変わり、幽香へと体当たりを仕掛けます。
片手一本でレミリアの体を受け止めた幽香は、そのままレミリアの頭を握り潰そうとしましたが、ナイフのような鋭い爪が月の光に煌き、幽香の腕を飛ばしました。
驚愕と痛みに幽香はこれ以上ないぐらい嬉しそうに笑い、血の噴出している腕だった場所を、キツくキツく、千切った布で縛りました。
レミリアは奪った腕を天高く放り投げ、弾幕で文字通り、消し炭へと変えました。
「ああ、腑抜けの吸血鬼だと思っていたけれど、なかなかどうして」
「ほざけ、満月の夜に吸血鬼に挑む愚行を、死んで恥じるがいいさ」
余裕を崩さない幽香に、レミリアは牽制の弾幕を張りました。
スペルカードはお互いに放り投げてしまったのだから、決着はあくまで肉弾戦。
風に舞う桜の花のようにひらりと弾幕をかわしていく幽香は、片腕を失くした異様さも相まって酷く美しく。
しかし、レミリアにとってはハエが止まるぐらい、哀れな速度でした。
ああ面白い、嬲ってやろう。
レミリアは幽香を好敵手から、単なる獲物へと格下げしました。
ギリギリでかわせるように弾幕を調整しながら、ナイフの爪で浅く傷をつけていく。
幽香の体からボタボタと垂れる血が、いつしか草を、真っ赤に染めていました。
日傘はとうに骨が折れ、チェックの服はかろうじて、布の体裁を保つ程度までズタズタにされていました。
それでも幽香の瞳が爛々と輝いており、レミリアはそれを根拠のないものだと決め付けました。
まったく、相手は自分の動きに対応できていないじゃないか。
カタツムリのように緩慢なこの妖怪に、いったいどうやって負けると言うのか。
感じた強者の臭いは勘違い。
こんなに月が照らしているから、その光に当てられて、少しおかしくなってしまうのだ。
だからこんなに弱い妖怪が吸血鬼に楯突いて、私はこんなに弱い妖怪から、強者の臭いを感じ取ってしまったのだ。
くだらない、こんなことのために、私は時間を無為にしたのか。
レミリアは憤り、膂力を思いっきりに溜めました。
柔らかい体ごと突き破って、そのまま屍骸は、宵闇に潜む弱妖にでも食われれば良い。
きっと明日には、この妖怪と戦ったことを忘れているだろうし、思いだすこともない。
何故なら私には、これから霊夢を殺すという大事な仕事が残っているのだから。
レミリアは足元もおぼつかない幽香へと狙いを定め、再度自らの体を紅い弾丸へと変えて、腹に爪を突き立てようとしました。
「ようこそ、私の結界へ」
確かに幽香の体には爪が突き刺さり、彼女の口からはごぽりと血が零れましたが、嘲笑が後ろから聞こえるのです。
「ようやくあなたを捕まえた」
血の気の引いた顔で、幽香はレミリアの腕を捕まえました。
「あなたはすでに、私の内」
ズプリと、レミリアの腕を体のうちへと沈み込ませます。
「あなたを栄養にして、幽雅な花を咲かせましょうか」
地面に吸い込まれていた幽香の血が、赤い赤い、向日葵の花を無数に咲かせます。
それらは月の光を浴びて、血の色に染まりながら風に揺れて。
そして、向日葵の舞台の中心には、五体満足の幽香が微笑みながら立っていました。
目に光のなくなった、幽香だったものはレミリアに打ち捨てられ、地面に力なく横たわりました。
「幻術?」
「いいえ、紛れもなくこれが現実。なぜ生きている、だなんて野暮なことは聞かないで。
これぐらいで死んでいるようなら、私は伊達でも、最強だなんて名乗りませんもの。
ああでも、ちょっとだけ……。私は乱暴になるかもしれないわ」
そういって日傘を構えた幽香は、先ほど打ち倒された幽香と同じように優雅でした。
「踊りましょう、レミリア・スカーレット。こんなに月が明るいんですもの、まだまだ夜が終わるには早すぎるわ」
「はは……、面白い。私の嗅覚は間違っていなかったようね。もっと私を、楽しませなさい」
「ええ、でもあなたは少し、五月蝿いわ。足をもがせてくれないかしら」
そういうと、レミリアの右足へと植物が巻きつきました。
レミリアがそれを引きちぎろうと足を上げた瞬間、収束したレーザーが突き刺さり、そのまま右足を粉みじんに吹き飛ばしました。
「お笑いね、この程度で満月の晩の吸血鬼を止めるつもりなの?」
「ハンプティ・ダンプティが 塀の上♪ ハンプティ・ダンプティがおっこちた♪
王様の馬みんなと 王様の家来みんなでも♪ ハンプティを元に戻せなかった♪」
幽香が楽しそうに笑うと、同時にレミリアは頬を歪めました。
「ねぇ? 太陽で傷つけられた傷は、そう簡単には治りませんわ」
「ほざけ!!」
「お花は太陽の光を浴びて、育つのよ」
「うるさいうるさい!!」
「あら、怖くなったのかしら? 小さな王女さま?」
圧倒的な再生能力というアドバンテージが崩され、並外れた膂力を生かした攻撃を封じられる。
不気味に揺れる血の色の向日葵が、レミリアには弓矢を構えた兵隊のように見えました。
そしてその想像はあながち間違ってはいません。
「今度はあなたが踊る番よ、月の照る晩なんだから、楽しく踊ってね」
そういって幽香がレーザーを放つと、向日葵がそれを受け、乱反射を繰り返しはじめました。
今度はレミリアが踊る番、増やされるレーザーを必死で避け続け、幽香はそれを見て腹を抱えました。
「ああ面白い、仮にも夜の王が、こんなに無様だなんて……。でも、そろそろ飽きてきたかしら?」
次第に体力を削られていくレミリアに向けて、幽香は日傘を構えました。
「そろそろ退場してもらおうかしら、」
屍骸だった幽香がむくりと起き上がり、また同じように日傘を構えます。
「「消し飛びなさい」」
交差した光線が、向日葵の反射を受け、天へと打ちあがりました。
◆
霧雨魔理沙は博麗霊夢を裏切った。
彼女らが20台の半ばになろうかという頃、霧雨魔理沙はパチュリー・ノーレッジとアリス・マーガトロイドの誘いに乗り、人間を止めた。
霊夢は特に気にしていなかったようだけど、私にはなぜか、霊夢が酷く悲しげに見えたのだ。
数少ない人間の友人が、人間を辞めてしまった。
霊夢の周りには妖怪がたくさん寄ってきて、彼女の周りはいつも賑やかだった。
私はいつも、咲夜を連れて彼女に会いにいって、宴会になればみんなで集まって。
それでも霊夢はどこか寂しそうに見えて。
私は妖怪、霊夢は人間。
霊夢と魔理沙、二人が楽しそうに笑いあってる姿が脳裏に焼きついている。
私には決して見せてくれない表情だった。
霊夢が博麗の巫女を辞めてから、妖怪たちは一人、また一人と彼女から離れていった。
妖怪は、すべてに平等な、中立の立場だった博麗霊夢が好きだったから。
彼女が人間側に傾いてからは、お互い申し合わせることもなく、妖怪の日常へと帰っていった。
取り残されたのは、きっと私だけ。
咲夜は相変わらず、独身を貫いて私に尽くしてくれている。
守矢の風祝は、風の噂では次代の育成に励んでいるとか。
そして、博麗霊夢は、もう博麗霊夢であって博麗霊夢ではないのだ。
里に下って、新しい生活をはじめてしまった。
きっと彼女は、美しかった彼女は。
年を重ねて醜くなってしまうのだ。
だから、私は霊夢を殺す。
永遠に、私のものだ。
誰にも、渡しはしない。
◆
「目が覚めたかしら」
夜がさらに深くなったころ、レミリアはひざの上で目を覚ましました。
紅い瞳からは涙が零れていて、それをゴシゴシと擦って。
しばらく呆然として、まだ再生の始まっていない足と、ぼろ雑巾のようになった自分の体を眺めて、大きくため息をつきました。
「完敗」
「ええ」
短い言葉をかわして、まんまるのお月様を眺めると、馬鹿なことを考えていたと自嘲の笑みが零れた。
「本当に霊夢が殺したかったのなら、私を無視していけばよかったのに」
「そうね」
そしてまた、二人には無言の時間が訪れました。
まるで母親のように手をレミリアの頬に当てると、幽香は静かに語りだします。
「命を手折る権利なんて誰にもないわ。たとえ、それが見るに耐えないほど辛くなっても」
「そう」
「美しいから、生きているものって。それに枯れてしまっても、花は種を残して逝くもの」
そういうと、幽香は歌を歌い始めました。
それはとっても古臭いメロディーで、思わずレミリアは笑ってしまいました。
しかしどことなく懐かしいその音色に、眠りに誘われていきました。
「おやすみなさい、レミリア・スカーレット。また、幽闇に会いましょう」
そういうと、幽香はレミリアを花のクレイドルへと載せて、新たな戦いの場を求めて立ち去りました。
レミリアの傍らに、自らの日傘を添えて。
「ねぇ霊夢、あなたはこんなにも、愛されているのよ?」
ぽつりと漏らした言葉は、そのまま闇へと溶けていきました。
END
いつか来るだろう博霊霊夢の幻想郷の終わりの一つの姿として、とても面白い作品でした。
しかし、何故ああもいいタイミングで幽香が出てきたのか・・・
もう少しそのあたりの描写が欲しかったです。
次回作も期待
幽香とレミリアの人間への愛し方の違いがなんとも切ない。どっちも間違っていませんよ。妖怪的に考えて。
霊夢、今からでも遅くはない。幻夢館か紅魔館のお世話になるんだ。
彼女が出てくるのが一番適切なんだと思えました。
霊夢を殺そうとするのもレミリアだから合ってるだろうな。
実際、愛されているからこそレミリアも幽香もこういう行動に出たんでしょうね。
また違う幻想郷の未来が読めて面白かったです。
読めてよかった。
いい話だった。
短い中にも幽香、レミリアそれぞれの魅力がふんだんに詰まっております。
ラストシーンのセリフは幽香にしか言えない。
紫の描写がもう少しあってもよかったかな、とは思いました。
霊夢を巡ってレミリアと幽香が戦う。
不自然なようで自然なストーリーに感動しました。
すごく切なく、涙が出そうになりました。
しかし切ない話だ・・・
厭だねえ。