大妖精は湖でひなたぼっこの真っ最中でした。
夏は暑い。こんな簡単な論理に負けて、悔しくないのかと怒る人もいるでしょう。いやしかし、考えてみてください。夏は暑い。
じりじりと照りつける太陽から隠れ、木陰でのんびり大地と背中合わせ。いつもここでチルノと待ち合わせをしている大妖精ですが、今日ばかりは来て欲しくないという願いが心をよぎりました。
木陰>友情もまた真理。陰は万物に勝るのです。
けれども、そうそう上手くいないのが世の常。パンを落とせば、必ずピーナッツバターを塗った面がカーペットに接触します。
「大ちゃーん!」
自分を呼ぶ声。顔を見るまでもなく、それがチルノのものだとわかりました。
長い付き合い、これぐらいの芸当は出来て当たり前です。
ゆっくりと身体を起こし、待ってましたとばかりに顔を向ける。
そして、ゆっくりと身体を戻し、目を閉じます。夢だ。寝よう。
「ちょっと、何寝てんのよ!」
芸当とか、調子乗ってすいませんでした。
自分だけにしか見えない神様に謝りつつ、軽い現実逃避に陥る大妖精。
無理もありません。笑顔で手を振りながら、こちらへ走ってくる女性。
妖精でもなければ、妖怪でもない。
それはメイド服を着た人間で、紅魔館では十六夜咲夜と呼ばれていました。
何で?
理解不能です。どうして、メイドの咲夜が大ちゃんなどとフレンドリーな呼び方をしつつ走ってくるのか。それに、あの太陽も顔負けの無邪気な笑顔はどうしたことか。
それらの疑問を解決するのは、たった一つのシンプルな答え。
夢オチ。
そう考えた大妖精は、この歪んだ夢想から脱却する為に激しい惰眠を貪ることに決めたのです。頑張れ大妖精。負けるなぼくらの大妖精。
「もう、いいかげんに起きなさいよ!」
強引に引っ張られ、思わず開いた目蓋の向こうには少し怒った表情のメイドがいました。
ウェルカム、現実。ようこそこの歪んだ世界へ。
「夏だからって、いつまでもダラッとしてたら駄目よ。今日はなんだかあたいの調子も良いし、とことん遊ぶわよ!」
普段のチルノも元気ですけど、夏は冬より幾分か元気がありません。当然です。チルノは氷の妖精なので、暑いのは苦手なのです。
だから昨日はかき氷を食べたり、涼しそうな洞窟を探検したりと比較的大人しめの遊びに興じていました。
てっきり、今日もそんな感じになると思ったのに。
未来なんて分からないものです。
「えっと、あの、その、一つだけ訊いていい?」
勇気を振り絞って、恐る恐る尋ねてみます。口調こそチルノですが、ひょっとしたらメイドがそう振る舞っているだけかもしれません。
それで何を得られるのかは知りませんが、大方暑さで頭をやられたとかでしょう。
「紅魔館のメイドさん、ですよね?」
咲夜はニッコリ笑って、胸を張りました。
ああ、なんだ。やっぱりそうか。
安堵しようとした大妖精に、現実は容赦ありませんでした。
「残念だけど、あたいは紅魔館のメイドより最強よ!」
チルノでした。紛れもなく、確実に、十割十分チルノでした。
唖然として、口もきけない大妖精。後に彼女はこう語ります。あそこにカレンダーがあったら、今日が何日か確かめていました。
葉月は二十日。それは暑さも極上な、夏の物語でした。
軽めのナレーションを入れて一息ついた大妖精はまず、チルノを湖へ引っ張っていきました。
落として女神に交換して貰う為ではありません。現状を理解して貰う為です。
湖面に移された自分の顔を見て、チルノは驚きました。
「成長してる!」
モヤシだって遠慮して成長するのに十日はかかるというのに。
そもそも、成長とかそんなレベルの話ではありません。
むしろ変化です。
「ねえチルノちゃん、昨日何か変わったことしなかった?」
「変わったことねえ……」
腕を組むチルノ。腕の間からは、寄せてあげられた小振りなメロンが見え隠れしています。
ふと、視線を下げてみる。自分の胸はどうやらメロンの栽培に向いていないようです。
「そういえば、昨日お腹出して寝てた!」
それで咲夜に変わるなら、幻想郷の何割かは咲夜で占められることになるでしょう。
ドキッ、咲夜だらけの幻想郷。その筋のマニアにはたまらない光景です。
「もっと他にない? 変なものを食べたとか、変なとこに行ったとか」
「大ちゃんと別れた後に永遠亭へ行ったわよ。兎に追いかけられはしたけど、変わったことはしてないよ」
ふむ、と唸ります。
少なくともお腹を出して寝ていたよりかは、真実に近づけそうな話です。
幻想郷の異変原因のトップスリーは八雲紫、八意永琳の薬、霧雨魔理沙のキノコだそうで。天狗調べ。
例えば、永琳の薬によって変化させられたとか。そういった可能性が考えられます。
だとすると、解決するのもまた永琳の薬。出来ることなら物騒なのであの辺りには近づきたくなかったのですが、そうも言ってられません。
「チルノちゃん、永遠亭に行こう!」
「良いわよ。とうとう、あたしの必殺技を使うときが来たようね」
エターナルフォースブリザード。当たれば死ぬ。
かつて死にものぐるいの特訓で編み出し、あまりに危険すぎて封印したスペルカードです。
「永遠亭なんて目じゃないわ。この、エターナルフォースブリザード-easy-があれば!」
大妖精は心の中で呟きました。
当たれば死ぬ。当たらないけど。
「たのもーっ!」
「ちょっ!」
問答無用で道場破りしようとするチルノの口を、慌てて大妖精が押さえます。瀟洒な咲夜を妖精が御する光景は、見る人が見れば間違いなく吹き出したでしょう。
永遠亭にやってきたのはいいですが、本当に戦いを挑みにきたわけではないのです。
いつものチルノと大妖精なら追い返されて終わりですが、なにせ今のチルノは咲夜の姿をしています。
すわ紅魔館の討ち入りかと思われても仕方ありません。これで永遠亭と紅魔館の大戦が勃発しようものなら、歴史に名を刻むほどの重罪人になれたでしょうね。
「はいはい、何か御用です……か?」
現れたウドンゲは、大妖精と咲夜というミスマッチな二人を見て動きを止めます。
無理ないです。当の大妖精ですら、未だに戸惑っているのですから。
「あの、言いたいことは分かりますけど、とりあえず私たちの話を聞いてください」
「勝負よ!」
「うん、ちょっとチルノちゃんは黙っててくれるかな?」
優しく諭す大妖精に、ウドンゲが反応します。
「チルノ?」
「私達は、そのことでココへ来たんです」
ウドンゲが混乱しているうちに、まくし立てるように説明する大妖精。得てして、この手のお話は相手が混乱しているうちに話して主導権を握ってしまうに限ります。
「で、でも、私は特に何もしてないよ。そりゃあ、確かに昨日チルノを追い払いはしたけど。怪しげな薬品も使ってないし、スペカすら出してない」
困惑の色は見て取れますが、嘘を言ってる様子はありません。これがもう一人の兎なら、真顔で嘘をつけるから要注意なのですけど。
ウドンゲはそこまで器用ではないとか。とすると本当なのでしょう。
だとしたら、話はややこしくなってきます。
チルノは何故、咲夜になったのか。
「ひょっとして、ウドンゲさんも気づいていないうちに何か薬品が蔓延していたとか、そういうことは無いんですか?」
「それなら私たちにも影響が出るだろうし、多分ウチとは全く関係ないと思うんだけど……」
ただ、チルノの話によれば大妖精と別れてから立ち寄った場所はココしかないそうです。
「とりあえず、師匠に話を聞いてくるから。ちょっと待ってて」
ドタドタと屋敷の中へ戻っていくウドンゲ。
顔を真っ赤にしたチルノを見て、大妖精は言いました。
「チルノちゃん。息はしてもいいんだよ」
何度か忍び込んだことはあれど、永琳の部屋に入るのは初めてのことでした。
物珍しそうに周りを眺める大妖精。好奇心の疼く物が幾つもありますが、触る気にはなれません。
何が起こるか、わかったもんじゃないです。
「ふむ、確かに十六夜咲夜ね。正確に検査したわけじゃないけど、おそらくオリジナルとの相違はさほど無いと思うわ」
チルノを診察した永琳は、そう結論づけました。これで変装や幻覚といった可能性も潰えます。
やはりチルノは咲夜になってしまったようです。
改めて実感しても、やはり変。
「どういうことなんでしょうか、師匠?」
「薬や菌類の形跡も見られないし、ここは八雲紫の仕業を疑うところだけど……おそらくは単なる因果の歪みでしょうね」
聞き慣れない単語に、大妖精は首を傾げます。
「幻想郷にも一応の法則は存在している。それは外の世界のものとは微妙に違っているけれど、基本的な仕組みは同じよ。風が吹くから涼しい。太陽が照らすから暑い。ただ、幻想と現実が入り乱れる幻想郷では、稀にその法則が歪む時がある。起きえない因果が起き、有り得ない因果が有り得る。それを因果の歪みと呼ぶわけ」
説明を聞いてもさっぱりでした。
チルノは何度も頷いていますが、説明していない時でも頷いていました。
「要するに、これは単なる事故ってこと。何かしらの原因が、妖精をメイドに変えたのね」
それで、ようやく理解しました。
「じゃあ、チルノちゃんは元に戻らないんですか!」
「うーん、歪んだとはいえ因果は因果。何かしらの原因はあるはずだから、それが分かれば対処法が見つかるかもしれないわ」
しかし、それを教えて貰いにココへ来たのです。
どうやら、話はふりだしに戻ってしまったみたいでした。
「ここへ侵入しようとしたみたいだけど、その時のことを思い出せば何かヒントがあるかもしれないわよ」
「といっても、師匠。私もその場にいましたけど、特に何かあったわけじゃないですよ」
「当事者ほど盲目なのよ」
とは言ったものの、チルノから話を聞いていた大妖精にも何が原因なのか分かりません。
普通に侵入し、普通に見つかり、普通に追い払われただけなのです。
逃げる途中でどっかの部屋に突っ込んでしまったということもなければ、咲夜と一緒に階段から落ちたわけでもない。
ウドンゲやチルノから話を聞いた永琳も、同じ結論に達したようです。口を押さえ、考えこむように天井を見上げました。
「特段、咲夜に変化するような法則があるようには思えないわね。どんなに歪んでいようと、何かしら法則があるのは間違いないはずだけど……ウドンゲ、あなた咲夜と会ったりした?」
「いえ、かなり前に里で会ったきりです」
「ウドンゲと咲夜に関連性も無く、妖精にも無い。因果の歪みは関係ないとすれば、やっぱり八雲紫の仕業かしら。うーん、だとしたらもう私の領域じゃないわね……」
大妖精は顔をしかめました。
永遠亭に来るのも躊躇いましたが、八雲紫に会うのはそれ以上に躊躇いを覚えます。
大妖怪というだけでも怖じ気づくのに、この上なく胡散臭いのです。会いたくない気持ちも理解できます。
「大体、この兎が座薬なんかぶっ放すからいけないのよ。あたいじゃなかったら死んでたわ」
「被弾してたでしょうが。それと、座薬じゃないっての!」
「はいはい、私の部屋でもめない」
俄にヒートアップしかける二人を仲裁する永琳。
どうやら座薬という単語は、ウドンゲにとってあまり好ましくない言葉みたいです。
「マルキューなんて呼ばれてる奴に、私の通常弾を座薬なんて呼ばないで貰いたいわね」
「あたいはマルキューなんかじゃないもん!」
苦笑しながら、まあまあとチルノをなだめます。
すると、不意に永琳が尋ねました。
「ウドンゲ、マルキューって何? 聞いたことないんだけど」
ウドンゲは呆れた風に答えました。
「いつのまにか、一部の者達がこの妖精をことをそう呼ぶようになったんです。意味はわかりませんけど」
そして、意味は分からないけど怒るチルノ。彼女は彼女なりに、あの言葉から何か不愉快なものを感じ取っているようです。
火花を散らしながら、睨みあう二人。それを苦笑しながら見つめる大妖精。
と、永琳が口を開きました。
「ああ、そういうこと……」
全て分かった。そう言わんばかりの口調に、三人の視線が永琳に集中します。
「ウドンゲ、一つ確認しておくけどマルキューってのは文字にするとこう書くのよね?」
紙に書かれた⑨の文字。ウドンゲは頷き、永琳は頭を押さえます。
「因果が歪んでいるとはいえ、これはあまりにも……なんというか、無茶苦茶だわ」
そう言われても、他の三人には何のことだかさっぱりです。説明を求めるように見つめる三人に、永琳は苦い顔で筆を走らせました。
白い紙に書かれたのは、一つの数式。
それを見て、ああ、とウドンゲは声をあげます。
遅れて、大妖精も理解しました。
チルノは、最後まで分かりませんでした。
『9+389=398』
座薬がそんな素敵なものだとは尻ませんでした。
>「そういえば、昨日お腹出して寝てた!」
>それで咲夜に変わるなら、幻想郷の何割かは咲夜で占められることになるでしょう。
>ドキッ、咲夜だらけの幻想郷。その筋のマニアにはたまらない光景です。
ここで吹いたwww
↓ ↓ ↓
チルノ+座薬=咲夜
というわけですね。
作品に対してのコメントを忘れていました。
大妖精の視点なんて、珍しいですねぇ
次回作も期待
やっぱあんたいい感じにネジが飛んでるぜー!
ってレベルじゃねえぞこの発想wwww
『転校生』かよw
どうせチルノと咲夜が頭をぶつけて中身が入れ替わったとかいうオチだろうな、と
ありきたりな予想をしていた私が甘かったです。
『9+389=398』って、そんなアホな発想よく出てきますね。(←誉め言葉)
できれば本物の咲夜と対面してほしかったなぁw
チルノに戻すには座薬を抜けばいいんだよな…
ほら、怖くないからこっちにおいでウフフ
このくだらない(←誉め言葉)発想こそ八重結界氏の真骨頂。
楽しませていただきました。
完全に負けたと書いて完敗ですwwwww
咲夜さんどこいったんだとか元に戻れたのかとか置いといて、
オチで全てぶっ飛ばされましたwwwwwwwww
これってネタの次元を超えて発見だよなあ
流石は永琳て所か。
ぶっ飛んだ発想だwwwww
むぅ、ウマイですね。まさに座布団一枚ですよ~。
あと大妖精視点というのも良かったです♪
一体、貴方の脳内の何がどう作用し、何が降臨してこの着想を得たのですか?
最早発見に至るまでの思考の経緯が想像もできやしねえ……
マジで凄いっす。笑いすら出ずにひたすら感心してしまった。
声出して笑っちまったw
などと下らないことを言ってみたりw
ここまで引っ張ったネタ一個がそれって、すごくくだらないですw さすがですw
世界は広いぜ…www
このオチが読める者がどれ程いるというのか…w
どんな思考を通してこれを発見したのか知りたい。是非。
やもすれば一発ネタに終わりそうな話でも、こうも上手く持ってくるなんて普通できませんよ…
完敗ですw
しかし、ひなたぼっこは木陰で出来るもんなのか?w
因果どころかいろいろ歪んでそうです。
どうやってこの数式が思いついたのやら
考えすらしなかったよ・・・
これに気付いた筆者様と、この発想がまだ使われていなかった事に驚嘆です。
さあ次は1341398に挑戦ですね?
890016でもいいかも。
「で」抜けてますか?
神の発想ですな。 引き算は出来なそうだけど。
正直、尊敬に値する発見だと、切に思います。
相変わらずのセンス堪能させていただきましたw
文章自体も大ちゃんの一人称で楽しく読めました。
ヤマナシ、オチアリ、イミナシの軽快な作品でした。
やられたわ。
>昨日お腹出して寝てた
詳しく! その時点ではチルノでしたか?咲夜さんでしたか?
これはオチが読める方が異常www
リアルでこの言葉を言うとは思わなかった……
>ドキッ、咲夜だらけの幻想郷
その筋のものです。たまらんです。はい
歪みってレベルじゃねーぞw
まさかそういうこととは、一瞬頭ひねっちゃいました。
よく思いつくなぁ……
予想だにしないオチでした。
>>1-143
元ネタはコレだろうね
それの一文に座薬(389)+⑨(9)=咲夜(398)ってあるから探してみ。
元ネタをしってたため、なんだこれかと思ったので30点。いや、作品自体は良かったのですが……
流石です。文句なしで100点です。
でもそれをうまくネタにして書けるかどうかは別所
>173
俺もそれ連想したけど、ネタとしては別じゃね
マッチ棒1本動かすヤツだろ?
数式自体の発想はまあそんなにすごいわけじゃないけど、ここまで物語を読んでこれが来ると物凄い破壊力がが
ひたすらに笑わせていただきました。