「ちょっと雨宿りさせてくれてもいいじゃないか、ちょっと。こんぐらい開けて欲しいんだぜ」
魔理沙が肩をすくめて笑ったが、窓の向こうのアリスは笑わなかった。
「この間貸した本は?」
「ああ、あれは、あれなんだぜ。ここだ。胸の所に入ってる。中に入れてくれればすぐにでも出してご覧にいれるぜ。分かったら
玄関の鍵を開けるんだな。おお、雷まで来やがった」
「あら、そう。次からはその空っぽな胸か頭に本でも詰めてくるのね。あなたの家は近いんだし、何よりも私はあなたが」
アリスはガラスに息を吹きかけ
「き ら い」
と指で描いた。
雨はさらに激しく降り込め、雷は今にもとんがり帽子の先に落ちようとしている。
「ああ、そうかよ。分かったぜ、薄情者が。帰るよ、本が欲しかったら取りに来るんだな。私はまた借りに来るぜ」
魔理沙が雨に打たれながら空に舞い上がるのを見たアリスは満足そうに微笑むと手近な人形に塩を持って来させ、それを窓の外に丁寧に撒いた。
「うへ」
家に着いた魔理沙が帽子を取ると、中から水が溢れ出た。
その後、濡れた衣服を乾かすために素っ裸になりローブ一枚で屋内を徘徊していた彼女は強烈な頭痛と寒気に襲われた。例の薄情な金髪のせいである。そう思うと、魔理沙の頭に急激に血が上る。
魔理沙は震えながら上着を羽織ると、机の上に積まれていたパチュリー蔵書の一冊、「古今東西の二枚舌薬学」のとある項を開いて作業台に向かった。
数分後出来上がった赤色の奇妙なペーストに魔理沙も眉をひそめたが、良薬は口に苦し、と呟いて一気に飲み干しベッドの上に倒れ込んだ。
奇妙な夢を見ていた。
怒ったアリスに猫にされてしまう夢だった。
どうして自分が怒られているのかまでは分からないが、もの凄い剣幕で怒鳴るアリスに「猫はいやだ、猫はいやだ」と謝った。
しかし、アリスは許してくれない。そのままアリスの命令通りに掃除をし、肉球付きの不便な手で料理もした。
まだ、アリスは許してくれない。
アリスは面白がるように魔理沙の両前脚を掴み「猫ダンス」を強制した。
猫ダンスを踊れば元の姿に戻してやる、と言うのである。
そこで魔理沙は踊り始める。
「あ、それ。あ、それ。ねっこダンッス、ねっこダンッス」
やめてくれ、私は猫ダンスなんか踊りたくないんだ。猫ダンスだけは勘弁してくれ。
おあ、おあ、おあ、おあ。
ここで唐突に夢は終わる。
現実世界の魔理沙がベッドの上から転げ落ち、したたか腰を打ったのである。
眠気と同時に夢の事はすっぱり頭から消し飛んだ。
おあ、おあ、おあ。
どこからともなく猫の声が聞こえて来たが、夢などすっかり忘れてしまった彼女は気にも留めなかった。
薬が効いたか、頭の痛みは取れ、すこぶる快調であった。
魔理沙は大きく胴震いすると、首を傾げた。
どうにもこうにも部屋の様子がおかしい。
自分の部屋によく似た巨人の国に迷い込んでしまったかのような違和感がある。
寝ぼけているものか、と全身鏡の前に立った魔理沙は猫足立ちのまま、固まった。
鏡の中の白黒ぶち猫がくわっと目と口を見開いてこちらを見ている。
なあ、なあ、なあ。
魔理沙は酷く困惑した。猫になるなど、それこそ魔法のような話であり魔法書の中でさえ笑い話扱いである。
しかし、魔理沙はさして慌ててはいなかった。猫になって脳天気になったせいもあるかも知れないが、薬は効果が強ければ強い程長持ちしないものだと分かっていたし、どうせすぐに元に戻るだろうと踏んでいた。
今までもこれほど深刻ではないものの、尻尾が生えたりはしていたし、毎度三日もすれば自然に消えた。
しかしである。
腹が減った。しばらく家の中をうろついたものの食べ物が見当たらない。
あるにはあるが、天井近くの戸棚に格納されており猫の手では届かないのである。
三日もこのままでは餓死する。
魔理沙は黄色い吊り目で夜空を見上げたが、犬が星を見るようなもので本当にどうしようもない。
おわ。おあ、おおあ。
空腹に耐えかねた彼女は、苦渋の決断を下すと窓を押し開けて外に飛び出し、夜の森をひた走った。
アリスの家に駆け込むことにしたのである。元はと言えば全てあの人形師が悪いのだ。
アリスの家は近い。
そのためにいざこざも起きたし、緊張時にはお互いの家を爆破しかけたが、今に限っては嬉しいことこの上ない。
玄関はとてもでないが開けられなかった。
裏口も同様である。魔理沙は身軽な体を活かしてアリスの寝室の窓べりに飛び上がった。
そこには目と鼻の先に一人、人形と見つめ合いながらにやつくアリスの横顔があった。
「上海ちゃん、服が汚れてますよ。直しちゃいますね。あら、綺麗になった」
ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ。
魔理沙は何となく、アリスに友達が出来ない理由を理解した。
ガラスに肉球を強く押しつけると、アリスの体が跳ね上がりひどく驚いた様子でこちらを向いた。
しかし、彼女は「野良猫か」と言ったきりまた人形に向き直り彼女らとの会話を楽しみ始めた。
こちらにとっては死活問題である。
魔理沙はさらに強く窓を叩いた。
すると、急に窓が開き、バランスを崩した魔理沙は部屋のカーペットの上に落下した。
「うおっ、入ってきた。汚い」
つくづく癪に触る女である。
魔理沙は必死に前脚を上げ首を曲げて可愛らしいポーズを作ってみたが、途端、アリスに両脚を掴まれ抱え上げられた。
「猫鍋にしちゃる」
おあ、おあ、おおああ。
冗談ではない。これなら元に戻るまで家にいれば良かった。
魔理沙はもがいたが、アリスに敵うはずもなく押さえつけられてどこぞへ連れて行かれた。
風呂場であった。
「洗ってやる、洗ってやる」
アリスがいきなり服を脱ぎ始めた。
なあ。おああ。
このくそ暑い時期にも長袖を着込み、決して人目にさらすことの無い彼女の白い肌が露わになった。
いささか動揺したが逃げようにも逃げられず、魔理沙はひたすら脱衣所のドアを引っ掻いた。
「水は怖くないよう」
アリスが尻尾を掴み、魔理沙は悲鳴を上げながらずるずると風呂場の中に引きずり込まれて行った。
頭に湯をかけられながら、魔理沙は思った。
洗髪とは、これほどまでに嫌な物であっただろうか。
以前、家の前に来ていたしつこい野良猫に水をぶっかけたが、酷い事をした。
アリスは着やせする女だった。
アリスの手が魔理沙の頭を泡立てていく。
「うちに、猫用シャンプーはありません」
早く解放して欲しい、と思うもすぐに魔理沙はタライに載せられ、湯船に浮かべられた。
すぐ向かいにはアリスが入っている。
「どっから来たのかな」
魔理沙は噴き出した。
アリスのこの様な猫なで声などついぞ聞いたことがない。
適当に相づちを打つことにした。
なあ、なあ、なあお。
「野良猫め」
おああ。
「お腹空いてて、ここに来たのかな」
ビンゴである。必死に首を振ろうとしたが、それだと余りにも胡散臭く見えると思いまたもや相づちを打った。
おあ、おあ、おああ。
「減ってないのか」
この馬鹿が。興奮の余り総毛立った魔理沙はバランスを崩したちまち湯船の中に沈んだ。
「あ、大変」
ごぼごぼごぼ。
水をたらふく飲み、すっかり大人しくなった魔理沙がカーペットの上でぶすくれていると、アリスが何やらよく分からない液体を皿に入れて持ってきた。
「猫っぽく作ったけど食べられるかしら」
魔理沙は首を傾げてから、小さな皿の中をのぞき込んだ。
なるほど、よく冷まされた黄色いスープがなみなみと注がれている。
味覚も猫になったのかは分からなかったが、とにかくスープは旨かった。
アリスは近くの椅子に腰掛けたまま、食事の様子を観察している。
「美味しい、美味しい」
魔理沙が飲み干すと、アリスが皿を持って行った。
「はい、お粗末様でした」
以前何度かアリスと食事をしたことがあったが、彼女はいつも仏頂面で黙々と食べていた記憶がある。どうもアリスは人外に対して舌が回るらしい。
満腹になったところでいそいそと帰る算段を立て始めたものの、アリスは帰してくれなかった。
魔理沙はてっきり彼女がお人形遊びを再開するものと思っていたが、アリスは部屋に戻って来るとドアと窓を閉め、密室を作り上げてしまった。
なおお、なおお。
「今日は夜も遅いし泊まって行きなさい」
おああ。
「よしよし」
あああ。
魔理沙の胸中には一つ心配事があった。
薬の効果が切れる前にここを脱出しなければいけないのである。
そもそもここには腹を満たすためだけに寄ったのであり、ドッキリのためではないからして、飯を食えば用は無い。
ばれてしまっては色々と面倒なのである。
突如、アリスががしりと魔理沙の両前脚を掴んで「万歳」の格好をさせ、後ろ脚が床に着くか着かないかの状態を保たせた。
猫ダンスである。
「あ、それ。あ、それ。猫ダンス」
魔理沙は後ろ脚でバランスを取るべくおたおたとよろけては、支えられて元に戻る。
「あ、それ。あ、それ。ぶっち猫、白黒、猫ダンス」
ふと、魔理沙の頭に似たような光景がよぎったが、何しろ猫頭なのですぐに忘れた。
「猫、猫。今日も明日も猫ダンス」
一刻の後、ようやく猫ダンス道楽から解放された魔理沙はベッドの上に運ばれ、ぐったりと横たわった。
直後、灯りが消されて魔理沙の瞳孔が開いた。
薄い夏掛けが被せられ、隣にはアリスが横になろうとしている。
鍵のかかっていない窓を見て閃いた。アリスが寝たらこっそり押し開けて部屋を出ればいい。
そして、薬が切れたらまた何食わぬ顔をして「だぜ、だぜ」などとのたまえば一丁上がりである。
ところがである、「お休み。また明日」の後が長かった。
アリスの人外に対する愛情は魔理沙の予想を遙かに超えていたのだ。
暗闇の中、魔理沙は抱き寄せられ、撫でられ、転がされ、くすぐられ、危うく何度も眠りかけた。
まるで人形である。
こうがっちり掴まれていては流石の魔理沙も抜け出せない。
アリスが眠りに落ちる頃には、既に月が落ちかけていた。
外を見ると、多少夜目が効かなくなったように感じられる。
危なかった。もし、つられて眠っていれば翌朝には素っ裸で添い寝していたことであろう。
アリスの緩んだ腕の中から抜け出すと、魔理沙は窓の所までよじ登り静かに戸を開けた。
そして、窓べりから飛び降りると一目散に薄暗い森の中へと走って行った。
翌日の夕方、魔理沙はアリスの家を訪ねた。
言われた通り今まで借りていた本を全て引っ提げていった所、ようやく家に入ることを許可された。
魔理沙は台所にあった茶を勝手に入れて飲んでいたが、アリスはぼんやりと外を眺めていた。
「どうした」
「猫が昨日来たけど、すぐ逃げた」
「待ってるのか」
魔理沙の脳裏にいつぞやの饒舌なアリスが浮かんだ。
こいつは本当に人付き合いが出来ない奴だ。
「うーん」
「猫ってのは、自分勝手なものだろ。腹が減った時には来るし、満腹になれば遊んでもらいたいだけ遊んでもらって、それで飽きたら出て行って。そんなもんだよ。」
ふと口から出た。
「アリスには向いてないよ。飼うんなら犬がいいだろう。そっちのが合ってると思うぜ」
どっちにしろ、人形がいるだろうし。と思う。
「帰って来るものだとばかり思っていたから何か余計なことしようとしたみたい」
「何が」
「それ」
魔理沙が首を傾げると、アリスがテーブルの上を示した。
蝶番が一つ光っている。
「猫用入り口でも作ろうかと思って。無駄になったみたいね。やっぱり猫は駄目。あのふらふらした感じがどうにも」
「ふうん」
魔理沙は興味無い風を装って立ち上がった。
「帰るの?」
アリスはいかにも、不思議といった感じでいる。
「おかしいか?」
「この時間帯に来たからには、晩ご飯をせがむんだろうと思ってたから」
「止めろよ、猫じゃあるまいし。それにな、今日は食事のあてがあるんだ」
アリスはやれやれと、首を振った。
「博麗神社か紅魔館でしょ、いや、紅魔館ね。あそこなら豪勢な食事にありつけるから」
「ふむ。ま、そんなところだろうよ。ところで猫の件だが、あんまり束縛し過ぎるとあの手の動物は死ぬぜ。程々にな」
「戻って来そうにないけどね」
アリスはまだ窓の外を見ている。
ここまで他人に無関心であれば、気付きもしないはずだ。
「それと」
「何」
「猫なら、その内戻って来るだろうから作っておいても損は無いと思うぜ、通用口」
アリスは首を傾げた。
魔理沙は箒に跨ると、すぐに上昇していった。
みるみるアリスの家の屋根が小さくなっていく。
ついにそれが点程の大きさになった時魔理沙はずっと胸の奥に引っかかっていたことを吐き出した。
「気付けよ。猫好きめ」
行き先は自宅である。
魔理沙が肩をすくめて笑ったが、窓の向こうのアリスは笑わなかった。
「この間貸した本は?」
「ああ、あれは、あれなんだぜ。ここだ。胸の所に入ってる。中に入れてくれればすぐにでも出してご覧にいれるぜ。分かったら
玄関の鍵を開けるんだな。おお、雷まで来やがった」
「あら、そう。次からはその空っぽな胸か頭に本でも詰めてくるのね。あなたの家は近いんだし、何よりも私はあなたが」
アリスはガラスに息を吹きかけ
「き ら い」
と指で描いた。
雨はさらに激しく降り込め、雷は今にもとんがり帽子の先に落ちようとしている。
「ああ、そうかよ。分かったぜ、薄情者が。帰るよ、本が欲しかったら取りに来るんだな。私はまた借りに来るぜ」
魔理沙が雨に打たれながら空に舞い上がるのを見たアリスは満足そうに微笑むと手近な人形に塩を持って来させ、それを窓の外に丁寧に撒いた。
「うへ」
家に着いた魔理沙が帽子を取ると、中から水が溢れ出た。
その後、濡れた衣服を乾かすために素っ裸になりローブ一枚で屋内を徘徊していた彼女は強烈な頭痛と寒気に襲われた。例の薄情な金髪のせいである。そう思うと、魔理沙の頭に急激に血が上る。
魔理沙は震えながら上着を羽織ると、机の上に積まれていたパチュリー蔵書の一冊、「古今東西の二枚舌薬学」のとある項を開いて作業台に向かった。
数分後出来上がった赤色の奇妙なペーストに魔理沙も眉をひそめたが、良薬は口に苦し、と呟いて一気に飲み干しベッドの上に倒れ込んだ。
奇妙な夢を見ていた。
怒ったアリスに猫にされてしまう夢だった。
どうして自分が怒られているのかまでは分からないが、もの凄い剣幕で怒鳴るアリスに「猫はいやだ、猫はいやだ」と謝った。
しかし、アリスは許してくれない。そのままアリスの命令通りに掃除をし、肉球付きの不便な手で料理もした。
まだ、アリスは許してくれない。
アリスは面白がるように魔理沙の両前脚を掴み「猫ダンス」を強制した。
猫ダンスを踊れば元の姿に戻してやる、と言うのである。
そこで魔理沙は踊り始める。
「あ、それ。あ、それ。ねっこダンッス、ねっこダンッス」
やめてくれ、私は猫ダンスなんか踊りたくないんだ。猫ダンスだけは勘弁してくれ。
おあ、おあ、おあ、おあ。
ここで唐突に夢は終わる。
現実世界の魔理沙がベッドの上から転げ落ち、したたか腰を打ったのである。
眠気と同時に夢の事はすっぱり頭から消し飛んだ。
おあ、おあ、おあ。
どこからともなく猫の声が聞こえて来たが、夢などすっかり忘れてしまった彼女は気にも留めなかった。
薬が効いたか、頭の痛みは取れ、すこぶる快調であった。
魔理沙は大きく胴震いすると、首を傾げた。
どうにもこうにも部屋の様子がおかしい。
自分の部屋によく似た巨人の国に迷い込んでしまったかのような違和感がある。
寝ぼけているものか、と全身鏡の前に立った魔理沙は猫足立ちのまま、固まった。
鏡の中の白黒ぶち猫がくわっと目と口を見開いてこちらを見ている。
なあ、なあ、なあ。
魔理沙は酷く困惑した。猫になるなど、それこそ魔法のような話であり魔法書の中でさえ笑い話扱いである。
しかし、魔理沙はさして慌ててはいなかった。猫になって脳天気になったせいもあるかも知れないが、薬は効果が強ければ強い程長持ちしないものだと分かっていたし、どうせすぐに元に戻るだろうと踏んでいた。
今までもこれほど深刻ではないものの、尻尾が生えたりはしていたし、毎度三日もすれば自然に消えた。
しかしである。
腹が減った。しばらく家の中をうろついたものの食べ物が見当たらない。
あるにはあるが、天井近くの戸棚に格納されており猫の手では届かないのである。
三日もこのままでは餓死する。
魔理沙は黄色い吊り目で夜空を見上げたが、犬が星を見るようなもので本当にどうしようもない。
おわ。おあ、おおあ。
空腹に耐えかねた彼女は、苦渋の決断を下すと窓を押し開けて外に飛び出し、夜の森をひた走った。
アリスの家に駆け込むことにしたのである。元はと言えば全てあの人形師が悪いのだ。
アリスの家は近い。
そのためにいざこざも起きたし、緊張時にはお互いの家を爆破しかけたが、今に限っては嬉しいことこの上ない。
玄関はとてもでないが開けられなかった。
裏口も同様である。魔理沙は身軽な体を活かしてアリスの寝室の窓べりに飛び上がった。
そこには目と鼻の先に一人、人形と見つめ合いながらにやつくアリスの横顔があった。
「上海ちゃん、服が汚れてますよ。直しちゃいますね。あら、綺麗になった」
ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ。
魔理沙は何となく、アリスに友達が出来ない理由を理解した。
ガラスに肉球を強く押しつけると、アリスの体が跳ね上がりひどく驚いた様子でこちらを向いた。
しかし、彼女は「野良猫か」と言ったきりまた人形に向き直り彼女らとの会話を楽しみ始めた。
こちらにとっては死活問題である。
魔理沙はさらに強く窓を叩いた。
すると、急に窓が開き、バランスを崩した魔理沙は部屋のカーペットの上に落下した。
「うおっ、入ってきた。汚い」
つくづく癪に触る女である。
魔理沙は必死に前脚を上げ首を曲げて可愛らしいポーズを作ってみたが、途端、アリスに両脚を掴まれ抱え上げられた。
「猫鍋にしちゃる」
おあ、おあ、おおああ。
冗談ではない。これなら元に戻るまで家にいれば良かった。
魔理沙はもがいたが、アリスに敵うはずもなく押さえつけられてどこぞへ連れて行かれた。
風呂場であった。
「洗ってやる、洗ってやる」
アリスがいきなり服を脱ぎ始めた。
なあ。おああ。
このくそ暑い時期にも長袖を着込み、決して人目にさらすことの無い彼女の白い肌が露わになった。
いささか動揺したが逃げようにも逃げられず、魔理沙はひたすら脱衣所のドアを引っ掻いた。
「水は怖くないよう」
アリスが尻尾を掴み、魔理沙は悲鳴を上げながらずるずると風呂場の中に引きずり込まれて行った。
頭に湯をかけられながら、魔理沙は思った。
洗髪とは、これほどまでに嫌な物であっただろうか。
以前、家の前に来ていたしつこい野良猫に水をぶっかけたが、酷い事をした。
アリスは着やせする女だった。
アリスの手が魔理沙の頭を泡立てていく。
「うちに、猫用シャンプーはありません」
早く解放して欲しい、と思うもすぐに魔理沙はタライに載せられ、湯船に浮かべられた。
すぐ向かいにはアリスが入っている。
「どっから来たのかな」
魔理沙は噴き出した。
アリスのこの様な猫なで声などついぞ聞いたことがない。
適当に相づちを打つことにした。
なあ、なあ、なあお。
「野良猫め」
おああ。
「お腹空いてて、ここに来たのかな」
ビンゴである。必死に首を振ろうとしたが、それだと余りにも胡散臭く見えると思いまたもや相づちを打った。
おあ、おあ、おああ。
「減ってないのか」
この馬鹿が。興奮の余り総毛立った魔理沙はバランスを崩したちまち湯船の中に沈んだ。
「あ、大変」
ごぼごぼごぼ。
水をたらふく飲み、すっかり大人しくなった魔理沙がカーペットの上でぶすくれていると、アリスが何やらよく分からない液体を皿に入れて持ってきた。
「猫っぽく作ったけど食べられるかしら」
魔理沙は首を傾げてから、小さな皿の中をのぞき込んだ。
なるほど、よく冷まされた黄色いスープがなみなみと注がれている。
味覚も猫になったのかは分からなかったが、とにかくスープは旨かった。
アリスは近くの椅子に腰掛けたまま、食事の様子を観察している。
「美味しい、美味しい」
魔理沙が飲み干すと、アリスが皿を持って行った。
「はい、お粗末様でした」
以前何度かアリスと食事をしたことがあったが、彼女はいつも仏頂面で黙々と食べていた記憶がある。どうもアリスは人外に対して舌が回るらしい。
満腹になったところでいそいそと帰る算段を立て始めたものの、アリスは帰してくれなかった。
魔理沙はてっきり彼女がお人形遊びを再開するものと思っていたが、アリスは部屋に戻って来るとドアと窓を閉め、密室を作り上げてしまった。
なおお、なおお。
「今日は夜も遅いし泊まって行きなさい」
おああ。
「よしよし」
あああ。
魔理沙の胸中には一つ心配事があった。
薬の効果が切れる前にここを脱出しなければいけないのである。
そもそもここには腹を満たすためだけに寄ったのであり、ドッキリのためではないからして、飯を食えば用は無い。
ばれてしまっては色々と面倒なのである。
突如、アリスががしりと魔理沙の両前脚を掴んで「万歳」の格好をさせ、後ろ脚が床に着くか着かないかの状態を保たせた。
猫ダンスである。
「あ、それ。あ、それ。猫ダンス」
魔理沙は後ろ脚でバランスを取るべくおたおたとよろけては、支えられて元に戻る。
「あ、それ。あ、それ。ぶっち猫、白黒、猫ダンス」
ふと、魔理沙の頭に似たような光景がよぎったが、何しろ猫頭なのですぐに忘れた。
「猫、猫。今日も明日も猫ダンス」
一刻の後、ようやく猫ダンス道楽から解放された魔理沙はベッドの上に運ばれ、ぐったりと横たわった。
直後、灯りが消されて魔理沙の瞳孔が開いた。
薄い夏掛けが被せられ、隣にはアリスが横になろうとしている。
鍵のかかっていない窓を見て閃いた。アリスが寝たらこっそり押し開けて部屋を出ればいい。
そして、薬が切れたらまた何食わぬ顔をして「だぜ、だぜ」などとのたまえば一丁上がりである。
ところがである、「お休み。また明日」の後が長かった。
アリスの人外に対する愛情は魔理沙の予想を遙かに超えていたのだ。
暗闇の中、魔理沙は抱き寄せられ、撫でられ、転がされ、くすぐられ、危うく何度も眠りかけた。
まるで人形である。
こうがっちり掴まれていては流石の魔理沙も抜け出せない。
アリスが眠りに落ちる頃には、既に月が落ちかけていた。
外を見ると、多少夜目が効かなくなったように感じられる。
危なかった。もし、つられて眠っていれば翌朝には素っ裸で添い寝していたことであろう。
アリスの緩んだ腕の中から抜け出すと、魔理沙は窓の所までよじ登り静かに戸を開けた。
そして、窓べりから飛び降りると一目散に薄暗い森の中へと走って行った。
翌日の夕方、魔理沙はアリスの家を訪ねた。
言われた通り今まで借りていた本を全て引っ提げていった所、ようやく家に入ることを許可された。
魔理沙は台所にあった茶を勝手に入れて飲んでいたが、アリスはぼんやりと外を眺めていた。
「どうした」
「猫が昨日来たけど、すぐ逃げた」
「待ってるのか」
魔理沙の脳裏にいつぞやの饒舌なアリスが浮かんだ。
こいつは本当に人付き合いが出来ない奴だ。
「うーん」
「猫ってのは、自分勝手なものだろ。腹が減った時には来るし、満腹になれば遊んでもらいたいだけ遊んでもらって、それで飽きたら出て行って。そんなもんだよ。」
ふと口から出た。
「アリスには向いてないよ。飼うんなら犬がいいだろう。そっちのが合ってると思うぜ」
どっちにしろ、人形がいるだろうし。と思う。
「帰って来るものだとばかり思っていたから何か余計なことしようとしたみたい」
「何が」
「それ」
魔理沙が首を傾げると、アリスがテーブルの上を示した。
蝶番が一つ光っている。
「猫用入り口でも作ろうかと思って。無駄になったみたいね。やっぱり猫は駄目。あのふらふらした感じがどうにも」
「ふうん」
魔理沙は興味無い風を装って立ち上がった。
「帰るの?」
アリスはいかにも、不思議といった感じでいる。
「おかしいか?」
「この時間帯に来たからには、晩ご飯をせがむんだろうと思ってたから」
「止めろよ、猫じゃあるまいし。それにな、今日は食事のあてがあるんだ」
アリスはやれやれと、首を振った。
「博麗神社か紅魔館でしょ、いや、紅魔館ね。あそこなら豪勢な食事にありつけるから」
「ふむ。ま、そんなところだろうよ。ところで猫の件だが、あんまり束縛し過ぎるとあの手の動物は死ぬぜ。程々にな」
「戻って来そうにないけどね」
アリスはまだ窓の外を見ている。
ここまで他人に無関心であれば、気付きもしないはずだ。
「それと」
「何」
「猫なら、その内戻って来るだろうから作っておいても損は無いと思うぜ、通用口」
アリスは首を傾げた。
魔理沙は箒に跨ると、すぐに上昇していった。
みるみるアリスの家の屋根が小さくなっていく。
ついにそれが点程の大きさになった時魔理沙はずっと胸の奥に引っかかっていたことを吐き出した。
「気付けよ。猫好きめ」
行き先は自宅である。
魔理沙もなー。
面白かったです。魔理沙と猫魔理沙への対応のギャップが可愛らしいですね。
尺を長くして、アリスと猫魔理沙の関係を掘り下げて描いても面白いんじゃないかと思いました。
次回作も期待
続く…のかな?
淡々とした展開の仕方がいいですね。
オチがとても素敵だな思います。
>>1 妹様だからさ。
PCの前でリアルに「なるほど…」と呟いた私にレーヴァテインを!
落ちもいい。
次回作に期待します。
原作に近い雰囲気やちょっとした仕草が良い味を出しています
短い中に2人の距離感、性格を感じられ、
オチもついていたので楽しめました
こういうのは珍しいと思った。
妹様可愛いよ妹様
SS。
そしてバレたときに修羅場が・・・
それにしても題名見て一番最初に第二の爆弾を思い浮かべた俺はもう駄目だ。
この二人はこの距離感がいいのですよ
必要なこと以外しゃべらない
たまに軽口、みたいな
ほのぼのしてて癒されました
猫魔理沙飼いたいなあ
猫ダンスさせたいなあ
キャラが崩壊してるなんてとんでもない。
とても良い雰囲気で、心が暖かくなりますよ。
いやぁ~、でも、猫いいですよね♪
いいな、アリス。
こういうサッパリ気味な魔理沙とアリスも良いものですね。
例えるなら、ポン酢のようなサッパリ感。
台詞回しや描写がいちいち気に入ったよ。もし続きがあるなら楽しみに待ちます。
いかにも悪友というか腐れ縁というか、
そういうのを想像させてくれてよかったです。
猫魔理沙もアリスもかわいい。
知り合い以上友達未満的な。
ともあれこのアリス、いいなあ。淡々として。