夕焼けが、やけにまぶしかった。
つい今しがた、天にたかだかと昇り、得意げに大地を照らしていたはずの太陽が、
今日の役目を終わらそうと、地平線の向こう側へと消えようとしていた。
少しの間、状況が分からなかった彼女は、ようやく自分がふて寝をしていたことを思い出した。
心の中には、なにかが、ぽつりと立ち続けていた。
それでも、彼女はこのぬるりとしたまどろみから抜け出したくないのか、
ふて寝をした原因であるなにかが息苦しいのか、目に入ってきたそれを振り払うように体をごろりと動かした。
そして、ふと天井に出来ている大きな染みと目が合った。
何度も雨漏りをしてできあがったそれは、安っぽい木目と馴染んでどうともいえない不思議な表情をしていた。
いつも上に目がいけば、必ず視界に入ってくるその表情が今、なぜか気に入らなくて、それをじっとじっとにらみだした。いわれの無いにらみにも相手はなにも言わずにそれを受け止め続ける。
この不毛なにらめっこに、終止符を打ったのは当然、生きている方で。
莫迦らしくなったのか、くすくすと一人で笑いながら、彼女は相手から目を背ける。
彼らは相変わらず彼女を見つめ続けていた。
背けた先には作業用の座卓が居座っていて、黒檀で出来た四本足がしっかりと畳を踏みしめていた。
座卓の下には、作業用の筆やらゲラが、箱の中に無造作に放置されている。
座卓の上なんて見なくても分かる。これ以上酷い。
いいかげんに掃除しないとなぁ、なんて呟きながら自分が引き起こした惨状を見なかったことにする。
「狭い」
そして唐突に呟いた。四畳半ほどの小部屋だから当たり前なのだけれど、彼女はいつもより狭く感じた。
ただこれ以上大きい部屋は寝室としての六畳だけで、組織から提供されたこの家には、
それ以上大きい部屋は存在しなかった。
外に出ようかと窓を見ると、まぶしいだけだった夕焼けは、太陽が見えなくなったせいなのか、
優しい表情を見せていた。
それでも彼女は少し悩んだが、ふいに頷くと立ちあがって部屋を出て行った。
下駄を履いて部屋の外へ飛びだすと、心地のよい風が彼女の体を通り抜けていく。
その風たちに向かって、彼女はうーんと伸びをして、地面にその足をつけたままぐるぐると回りだす。
私は、この風なのだとも言いたげに。
やがて、風がやむと彼女は落下防止用の柵にもたれかかる。
長い間風雨にさらされて錆びつき、ほとんど意味をなしていないそれは、ギシッギシッと悲鳴を立てる。
もう少し、この柵に力をかければこの柵は折れてしまうかもしれない。
それでも彼女は、柵に身をあずけたまま、後ろから自分を照らす夕焼けを見つめる。
陽はほとんど落ちて、残っているのは鮮やかに残った光だった。
もうしばらくもしないうちに、夜がやってくるだろう。
きえゆく夕焼けをみていると心に佇んでいるなにかが、ふっと彼女にため息をつかせた。
なにをこんなに悩んでいるのだろう。たかだか、人間との遊びごとに負けたぐらいで、
負けたのは確かだけれど、もともとここを通す気で手加減をしていたのだから、当然のはずなのに。
彼女がそう考えて、すがたを消してみようとしてみるが、動かず、騒がず、まして消えることなくそれは心に立っている。
かぁという鳴き声に両隣を見てみると、いつからか数羽の鴉が柵の上で休息を取っていた。
鴉たちは思い思いのところに位置取り、一羽は動かず、一羽は鳴き、一羽は隣の鴉と戯れていた。
彼女は自分の腕をつっついてくる一羽の頭を撫でながら、ぽつねんと呟いた。
「いいね。お前たちは自由で」
自分で放ったその言葉で、彼女はようやく、自分の心に立っていたなにかが、ぐらりと動いたのが分かった。
あまりにも単純、そして、あまりにも昔、自分とは決別して、おいてきたはずの感情だった。
彼女が羨ましかったのだ。
なにかに縛られることもなく、なにかに臆することなく、ただ自由に天真に爛漫にこの世を飛び回っていることが、このうえなく羨ましかったのだ。
それを見た彼女は、組織に縛られ、組織が無ければ動くことができなくなるかもしれない、そんな疑心めいたかりそめの自由を謳歌している自分が哀しくなったのだ。
悔いて嘆いているわけではない、鴉から天狗になり、組織に属し、情報を集め、新聞を作り、こうして今を生きている。
ただ、彼女のまっすぐさに、そうまっすぐさに鴉だった頃に謳歌していた本当の自由が羨ましさとして顔を出しただけなのだ。
気づけば、心のそれは子どもがつくった砂の城のように消えていて、代わりに爽やかな、檸檬のような風が彼女の中を吹きぬけていく。
周りにいた鴉たちは、自分の住みかに帰ったのか、その姿は無く、彼女にこたえをくれた鴉だけが未だに翼を休めている。
羽をそっと撫でる。鴉はかぁかぁと甘えるように鳴き、羽をばさばさと伸ばす。
「さぁおまえも早く、家におかえり」
そう呟くと、その鴉は大きな羽を大きく開き、もういなくなった太陽目がけて帰っていった。彼女は、見えなくなるまで見送ると、自分の家に向かって歩き出した。
さぁ、今日のことを書かないといけない。なんといっても久々のビッグニュースだ。
徹夜になるけれど号外として、明日の朝には配ってしまおう。
そう算段をつけながら彼女は、文花帖を開きさらさらと、文字を書いていく。
そこにはこう書いてあった『白黒の魔女、山の神社に殴りこみ』と。
すでに一番星は空に輝いていた。
つい今しがた、天にたかだかと昇り、得意げに大地を照らしていたはずの太陽が、
今日の役目を終わらそうと、地平線の向こう側へと消えようとしていた。
少しの間、状況が分からなかった彼女は、ようやく自分がふて寝をしていたことを思い出した。
心の中には、なにかが、ぽつりと立ち続けていた。
それでも、彼女はこのぬるりとしたまどろみから抜け出したくないのか、
ふて寝をした原因であるなにかが息苦しいのか、目に入ってきたそれを振り払うように体をごろりと動かした。
そして、ふと天井に出来ている大きな染みと目が合った。
何度も雨漏りをしてできあがったそれは、安っぽい木目と馴染んでどうともいえない不思議な表情をしていた。
いつも上に目がいけば、必ず視界に入ってくるその表情が今、なぜか気に入らなくて、それをじっとじっとにらみだした。いわれの無いにらみにも相手はなにも言わずにそれを受け止め続ける。
この不毛なにらめっこに、終止符を打ったのは当然、生きている方で。
莫迦らしくなったのか、くすくすと一人で笑いながら、彼女は相手から目を背ける。
彼らは相変わらず彼女を見つめ続けていた。
背けた先には作業用の座卓が居座っていて、黒檀で出来た四本足がしっかりと畳を踏みしめていた。
座卓の下には、作業用の筆やらゲラが、箱の中に無造作に放置されている。
座卓の上なんて見なくても分かる。これ以上酷い。
いいかげんに掃除しないとなぁ、なんて呟きながら自分が引き起こした惨状を見なかったことにする。
「狭い」
そして唐突に呟いた。四畳半ほどの小部屋だから当たり前なのだけれど、彼女はいつもより狭く感じた。
ただこれ以上大きい部屋は寝室としての六畳だけで、組織から提供されたこの家には、
それ以上大きい部屋は存在しなかった。
外に出ようかと窓を見ると、まぶしいだけだった夕焼けは、太陽が見えなくなったせいなのか、
優しい表情を見せていた。
それでも彼女は少し悩んだが、ふいに頷くと立ちあがって部屋を出て行った。
下駄を履いて部屋の外へ飛びだすと、心地のよい風が彼女の体を通り抜けていく。
その風たちに向かって、彼女はうーんと伸びをして、地面にその足をつけたままぐるぐると回りだす。
私は、この風なのだとも言いたげに。
やがて、風がやむと彼女は落下防止用の柵にもたれかかる。
長い間風雨にさらされて錆びつき、ほとんど意味をなしていないそれは、ギシッギシッと悲鳴を立てる。
もう少し、この柵に力をかければこの柵は折れてしまうかもしれない。
それでも彼女は、柵に身をあずけたまま、後ろから自分を照らす夕焼けを見つめる。
陽はほとんど落ちて、残っているのは鮮やかに残った光だった。
もうしばらくもしないうちに、夜がやってくるだろう。
きえゆく夕焼けをみていると心に佇んでいるなにかが、ふっと彼女にため息をつかせた。
なにをこんなに悩んでいるのだろう。たかだか、人間との遊びごとに負けたぐらいで、
負けたのは確かだけれど、もともとここを通す気で手加減をしていたのだから、当然のはずなのに。
彼女がそう考えて、すがたを消してみようとしてみるが、動かず、騒がず、まして消えることなくそれは心に立っている。
かぁという鳴き声に両隣を見てみると、いつからか数羽の鴉が柵の上で休息を取っていた。
鴉たちは思い思いのところに位置取り、一羽は動かず、一羽は鳴き、一羽は隣の鴉と戯れていた。
彼女は自分の腕をつっついてくる一羽の頭を撫でながら、ぽつねんと呟いた。
「いいね。お前たちは自由で」
自分で放ったその言葉で、彼女はようやく、自分の心に立っていたなにかが、ぐらりと動いたのが分かった。
あまりにも単純、そして、あまりにも昔、自分とは決別して、おいてきたはずの感情だった。
彼女が羨ましかったのだ。
なにかに縛られることもなく、なにかに臆することなく、ただ自由に天真に爛漫にこの世を飛び回っていることが、このうえなく羨ましかったのだ。
それを見た彼女は、組織に縛られ、組織が無ければ動くことができなくなるかもしれない、そんな疑心めいたかりそめの自由を謳歌している自分が哀しくなったのだ。
悔いて嘆いているわけではない、鴉から天狗になり、組織に属し、情報を集め、新聞を作り、こうして今を生きている。
ただ、彼女のまっすぐさに、そうまっすぐさに鴉だった頃に謳歌していた本当の自由が羨ましさとして顔を出しただけなのだ。
気づけば、心のそれは子どもがつくった砂の城のように消えていて、代わりに爽やかな、檸檬のような風が彼女の中を吹きぬけていく。
周りにいた鴉たちは、自分の住みかに帰ったのか、その姿は無く、彼女にこたえをくれた鴉だけが未だに翼を休めている。
羽をそっと撫でる。鴉はかぁかぁと甘えるように鳴き、羽をばさばさと伸ばす。
「さぁおまえも早く、家におかえり」
そう呟くと、その鴉は大きな羽を大きく開き、もういなくなった太陽目がけて帰っていった。彼女は、見えなくなるまで見送ると、自分の家に向かって歩き出した。
さぁ、今日のことを書かないといけない。なんといっても久々のビッグニュースだ。
徹夜になるけれど号外として、明日の朝には配ってしまおう。
そう算段をつけながら彼女は、文花帖を開きさらさらと、文字を書いていく。
そこにはこう書いてあった『白黒の魔女、山の神社に殴りこみ』と。
すでに一番星は空に輝いていた。
でも、作品そのものは悪くないかと・・・
夕焼けの中の少女が目に浮かびます。