――――私は目の前の状況が理解出来なかった。
いつもの様に門番を吹っ飛ばし、いつもの様にパチュリーの文句を聞き流しながら図書館で本を借りて、後はいつもの様に帰るだけのはずだった。
いつもと違ったのは今日借りた本はとても面白そうだったから急いで帰ろうとしていた事、そのせいで廊下に偶然いた門番にぶつかりそうになった事。本当にただそれだけだったはず。
――――なのに、何でこんな事になっているんだ?
ぶつかる!! と思った瞬間、右腕が引っ張られて私の視界は反転した。
予想していた前からではなく背中から衝撃を受ける。受けた衝撃で肺から空気が押し出されて胸が苦しい。
いつの間にか目の前には私に馬乗りになり腕を振り下ろそうとする門番がいた。その時になってようやく私は門番に床へ叩き付けられた事に気付く。同時に門番の眼を見て私は金縛りにあった様に動けなくなった。
門番の眼は『私』、いや『人間』を見る眼じゃない。その眼が捉えているのは人間の形をした命、ただ刈り取られるだけの存在。その視線だけで私は存在を否定されたかの様な錯覚を受ける。
身体が動かない、いや、動けない。
蛇に睨みつけられた蛙のように固まったまま私は振り下ろされる美鈴の腕をただ見ている事しか出来なかった。
「美鈴!!」
叫び声と共に突如現れたナイフを門番は私に振り下ろそうとしていた腕で弾き飛ばす。
「あ……」
門番が振るった自分の腕と私を見て愕然とする。それと同時に叩き付けられていた殺気が霧散した。
ナイフで傷付いた門番の腕から垂れた血がぽたり、と私の顔に落ちる。
「魔理沙、大丈夫……とは言えなさそうね」
こちらに歩いて来た咲夜が私を見て溜息をつく。
咲夜の言葉を聞いて私の痛覚が思い出したように急に激しく痛みを訴えだす。
特に痛みが酷いのが右腕でしかも全く力が入らない、それに背骨も悲鳴を上げている。
「ああ……滅茶苦茶……痛いぜ」
「……一番の問題はそこじゃないのだけど、まあいいわ。
ほら、美鈴……いつまでも魔理沙の上に乗っているつもり?
私が魔理沙を医務室に運ぶから美鈴はパチュリー様を呼んできなさい」
「え……? でもそれなら私が……」
「いいから、呼んできなさい!!」
「あ……はい」
よろよろと私の上から退くと門番は図書館に向かって飛んで行った。
その後姿を見送った後、咲夜は私の横にしゃがみこむと怪我の状態を見る。
「右腕が折れている上に肩が外されているわね。
とりあえず肩をはめるから少し我慢しなさい」
「えっ? ちょ……いだ、いだだだぁ!!」
咲夜が私の右腕を持って肩をはめ込む。ごりっ、と嫌な音がしてとてつもない激痛が走った。
次に咲夜はスカーフを外すと折れた腕にナイフで固定して縛る。
「危ないんじゃないか? これ?」
「鞘に入っているから大丈夫よ。これ以外適当なものがないから我慢しなさい。
さて、まあ応急処置はこんなものね。一応訊くけど歩ける?」
「あー……無理」
床に叩き付けられたせいで背骨が痛い。正直起きるのも辛い。
「でしょうね、じゃあ背負うから掴まりなさい」
「悪いな……」
何とか身体を起こすと咲夜に掴まろうとする。
だが、右腕は使えないので中々うまく掴まれない。
散々手こずった上に何とか咲夜に背負ってもらう事に成功する。
「なあ咲夜……何で門番にパチュリーを呼びに行かせたんだ?
あいつが私を背負って、お前がパチュリーを呼びに行かせた方が効率的だろ?」
医務室に向かう途中に私は咲夜に訊ねる。
妖怪である門番の方が咲夜より力が強いのは明らかだ。
まさか咲夜にそれがわからないはずがないだろう。
「強がっているのかと思ったけど本当に気付いてないのね……」
咲夜がこちらを哀れむ様に見る。その言葉と表情になぜか心がざわつく。
「何……をだよ……?」
「貴女、さっきからずっと震えているのよ」
――――え?
「手、見てみなさい」
咲夜に言われるが侭に手を見る。
びっしょりと汗をかきぶるぶると震えている手がそこにあった。
「今はましになったみたいだけど、さっき美鈴が居た時は一瞬痙攣しているのかと思ったわよ。
美鈴は動揺して気付かなかったみたいだけどね。そんな状態なのに美鈴と二人にさせられるわけが無いでしょう」
そんな馬鹿な、この私が震えている?
門番が居た時はもっと酷かった? つまりそれは――――
「じゃ、何か? お前は私が門番を恐れているって言うのか?
私が、今まで何十回と戦って負けたことが無い、今日もあっさり吹き飛ばした門番を?」
「そう」
短く、きっぱりと咲夜は断言した。
「魔理沙、貴女はさっき初めて『紅美鈴』に対峙したのよ。
貴女が舐め切っている『ザル門番』ではなく、真の紅魔館の守護者にね」
「…………」
笑い飛ばしたかった。あいつが? 最高に笑える冗談だ、と。
だが私の震えと咲夜の真剣な表情がそれが嘘では無い事を物語っていた。
「着いたわ」
咲夜が医務室の扉を開くと、落ち込んだ様子の門番とだるそうにしているパチュリーが居た。
「……っ!!」
門番を見て私の手の震えが増した事がはっきりとわかる。
もう誤魔化しようが無かった。私は門番を恐れている。
レミリアにも、フランでさえ恐れなかった私がただの門番を……
「やれやれ……本当に貴女は面倒事を起こすわね、魔理沙。
居眠りしていた猫を起こして怪我するなんて馬鹿みたいよ」
パチュリーが気だるげに放った言葉が私に突き刺さる。
「パチュリー様、今回の事は私の方に非があります」
門番がパチュリーの言葉を咎めて私に向かって深々と頭を下げる。
「すみませんでした」
「……いいよ」
もう少しかける言葉はあった。第一原因は私が門番にぶつかりそうになった事だ。
だけど私は思うように言葉が出せなかった。今ほど自分が情けなくなった時は無い。
「……まあどうでもいいけどねそんな事。
これに懲りたら少しはここに侵入する事を控えて欲しいわ。
咲夜、早く魔理沙をベッドに寝かせなさい」
「かしこまりました」
咲夜が私を下ろしてベッドに寝かせるとパチュリーは治療魔法をかける。
魔力が浸透していくと共に痛みが和らいでいった。
「一応大方の怪我は治したけど、細かい部分までは治せないから1週間ぐらいは安静にしてなさい」
それだけ言うとさっさとパチュリーは出て行ってしまった。
「美鈴、ちょっと……」
咲夜は美鈴と部屋の隅に行って何かを耳打ちする。
「……わかりました、失礼します」
門番は咲夜に何か言いたそうだったが結局何も言わず、一礼して出て行った。
残った咲夜は椅子を出してきて座り、眼を瞑ってじっとしている。
「お前は仕事に戻らなくていいのか? 一番忙しそうなのに」
「大丈夫よ。代わりを頼んだから。
それに誰か居ないと貴女に何かあった時に困るでしょう?
今の貴女はろくに動く事も出来ないのだから」
そう言われると何も言えず、私はおとなしく寝る事にした。
しかし、いつまでたっても眠気がやって来ない。
どうしても頭から離れない事があった。
「なあ、咲夜」
「何?」
訊きたいのに切り出せなかった疑問をついに口にする。
「門番……いや『紅美鈴』って、何者なんだ?」
「何者……か。難しい質問ね」
咲夜が眼を開く。その眼は遠い過去を思い返しているみたいだった。
「幻想郷においては侵入者をろくに追い払う事も出来ないザル門番。
それ以前では……戦った侵入者全てを殺した紅魔館の血塗られた盾」
「殺し……た? あいつがか?」
「ええ、今の美鈴を見ると信じられないでしょうけど昔の美鈴は容赦なんて欠片も無かった。
紅魔館を護る為に、ただひたすらに侵入者を殺してその手を血で紅く染め続けた。
『紅魔館に侵入する』という事は『殺されに行く』と同義とまで言われる程に」
それを聞いてなぜ私がこれ程門番を恐いと思ったのかわかった気がした。
私は今まで死にそうになった事はあっても殺されそうになった事は無かったのだ。
レミリアは確かに強大な力を持っているが本気で私を殺す気は無い。
フランは死んでも構わないと思っているのかもしれないが明確な殺意は無い。
だが……あの時の美鈴は違う。確実に私の息の根を止める気で攻撃していた。
他人が私の命を消し去る事を望む。その殺意を私は恐れたのだ。
「……でも何で、そこまで恐れられた奴が幻想郷でザル門番になっているんだよ?」
「幻想郷でスペルカードルールが作られたから。美鈴はスペルカードルールを重んじているのよ」
咲夜がわずかに悲しげな表情を浮かべた気がした。
「弾幕戦が苦手だって事か?」
スペルカードルールで弱くなる理由はそれぐらいしか思いつかない。
「違う、確かに美鈴は遠距離戦はあまり得意では無い。
だけどただそれだけでやられるようなら、そもそも門番なんて任せない。
美鈴は弾幕戦で十分戦える技量を持っている。弾幕戦自体が問題なんじゃない。
本当に問題なのはスペルカードルールは『殺し合い』を否定している事よ。
強大な力を持つ妖怪が全力を出して多大な犠牲を出す事を防止する。
スペルカードルールを定めたのはその為でしょう?」
「……ああ。でも殺し合いじゃない事がそこまで問題なのか?
殺し合いであろうと無かろうと強い奴は強いんじゃないか?」
「大抵は確かにそう。だけど美鈴は例外なのよ」
咲夜はやるせない表情で溜息をつく。
「魔理沙、そもそも美鈴が貴女に怪我を負わせたのはなぜ?」
「え? まあ、わざとやったって感じじゃ無いよな。
私が急にぶつかって来たから多分反射的に……」
そこまで言って私は咲夜の言いたい事を悟る。そして門番がどれほど異常であるかも。
私が門番の前に現れてから咲夜が止めに入るまで数秒も無かっただろう。
その間に門番は私の腕を折り、肩を外し、背骨を痛めつけ、頭まで潰そうとしたのだ。
気付いていない状態からいきなり飛んで来た私を無意識レベルの行動で。
「あれが……? 反射的に取った行動であんな動きが出来るのかよ!?」
「それが美鈴の極めたもの。あらゆる攻撃に対し、一瞬で反撃に移り敵を殺す超反応。
殺し合いで美鈴の強みだったこの技は弾幕ごっこでは逆に大きな枷に変わってしまった。
この技のせいで美鈴は弾幕ごっこの時、力と反応を抑えるのに大きく意識を割かざるを得なくなった。
そんな状況で実力を発揮出来る訳が無い、その結果が今のザル門番よ、馬鹿みたいな話でしょう?」
笑い話の様に語る咲夜の表情は言葉とは裏腹にとても悔しそうだった。
「スペルカードルールが作られた時、私は従いたくなかった。
従ってしまったら美鈴がどうなるか容易に想像出来たから。
だけど他ならない美鈴本人が真っ先に賛成したのよ。
美鈴は笑って言ったわ『殺し合いが避けられるなんて最高じゃない』って。
全く皮肉な話よね。制約の大きい美鈴が喜んで、恩恵の大きい私が嫌がるなんて」
「……お前、意外と門番を大切にしてるんだな」
思ったよりずっと門番の事を考えている咲夜に私は驚きを隠せなかった。
「普段は上下関係を曖昧にしない為にああいう態度をしているのよ。
だけどね……本当はお嬢様と同じくらい美鈴の事を私は尊敬しているわ。
今の私はお嬢様と美鈴が居なかったら絶対に有り得なかったから」
「そう……か……」
それっきり私は黙り、頭まで布団を被った。
ショックだった。門番と咲夜の今まで知らなかった一面。
正直、私は門番の事を取るに足らない存在と思っていた。
だが実際はどうか、あっさりと私は殺す一歩手前まで痛めつけられた。
そう思うと悔しさと情けなさで胸がいっぱいになる。
門番……いやもう美鈴と呼ぶべきだろう。美鈴は少なくとも私を倒せる実力を持っている。
私は実力の発揮出来ない美鈴をぶちのめしていい気になっていただけだ。
それは驕り、物事の一面だけを捉えて自分が優れていると考える視野の狭い行い。
ならば、私のこれからするべき事は――――
それから1週間、私はレミリアの厚意により紅魔館で静養させてもらった。
一度だけ見舞いに来たレミリアに「災難だったわね」とやたらニヤニヤしながら言われたのが気になったがそれ以外は特に何も無く何とも退屈な日々だった。
どうにか右腕も動かせる様になったので私は考えていた目的を果たすために門に行く。
「あ……もう大丈夫? 魔理沙」
美鈴が私を見て声をかけてくる。
さすがにもう手は震えないがまだ少し圧迫感を感じてしまう。
しっかりしろ私、こんなんじゃあ目的が果たせない。
「ああ、もう完全復活だぜ」
内心を隠し、平然を装って話しを切り出す。
「まずはお前に二つ謝っておくぜ。
ぶつかりそうになったせいでえらい迷惑をかけてすまなかった。
それと私はお前を見誤っていた、今回の件でお前の認識を改めたぜ」
「いや、そんな、謝るのはこっちの方よ。
後、何か勘違いしてない? 私はそんな大した――――」
「だから門番、私と勝負しろ。手加減無しの『本気』でだ」
ぴくり、と美鈴の眉が動く。
「えっと、何でそうなるのかわからないんだけど」
「お前、私に対して今まで本気じゃなかっただろ?
そんな戦い、勝っても面白くも何とも無い。
だから今回は全力で来いって言ってるんだよ」
「心外ね、それだと私がいつも手を抜いてるみたいな言い方じゃない」
「抜いてるだろ。相手を殺さないように反応を抑え込んで戦う。
そんなの本気で戦っているなんてとても言えないぜ」
「……はあ、何で貴女がそれを知っているのよ。
全く、誰が余計な事を貴女に教えたんだか」
美鈴は疲れた顔で溜息をつく。
「それを知っているなら私がそうしている理由も知ってるでしょ?
そうでもしないとスペルカードルールなのに物騒過ぎるのよ。
悪いけどいくら言われてもやめるつもりはないから」
「頑固だな」
「何とでも言いなさい」
まあ、自分に不利なのを承知でやっている様な奴だ。
ただやめろと言っても聞かないのは分かっていたが。
「仕方ない、お前が本気を出さないのなら私も本気を出すわけには行かないぜ」
「はあ?」
美鈴が怪訝な顔をする。
「要はお前が反応を使う様な状況にならなければ抑える必要も無いだろ?」
「まあ、そうだけど……」
「だったら私は――――」
美鈴に本気を出させるにはこれしか思いつかなかった。
「――――弾幕を使わない」
「……え?」
「お前がスペルカードを使う。私がそれを回避する。
当たったら私の負け。全部避けきったら私の勝ち。
これなら、お前が攻撃を受ける恐れなんて無い。
お前が力を抑える必要なんて無い訳だ」
『弾幕はパワー』が信条で落とされる前に落とすのが私のスタイルだ。
そんな私に全くそぐわない、らしくない答え。
だが……私が変わるには丁度いい。
今回の件で私にはいろいろ驕りがある事に気付いた。
もし私の回避がもっと上手いなら美鈴とぶつからなかったかもしれないし、美鈴の攻撃に対処出来たかもしれない。
厄介な弾幕はマスタースパークで潰せる事がいつしか私の回避に対する向上心を減らしていた。
だがそれでは駄目だ。それでは今より更に強くなる事は出来ない。霊夢を超えられない。
ならば――――変わる。これは私が変わる為に必要な戦いだ。
「くっ……くくくくく……」
美鈴が突然笑い出す。
「くっ、くははっ!! あっはっはー!!
貴女馬鹿だよ。間違い無く。弾幕馬鹿。
わざわざ勝てるのに不利な状況にするなんて」
「不利な状況にしてるのはお互い様だろ?
私はフェアプレー精神に満ち溢れているんだぜ」
「ぷっ、くく……確かにそうかもね」
ようやく美鈴は笑う事をやめると不敵な笑みを浮かべる。
「じゃあ、そのフェアプレー精神に免じて一つ忠告してあげる」
美鈴はスペルカードを取り出して私に見せる。今まで私が使われた事の無いカード。
「せっかくだからいつもとは違うスペルを使わせてもらう。
本当はね、最近私も遠距離戦ばっかで飽き飽きしてたのよ。
でも近づく程、力を抑える必要があるからしょうがなかった。
覚悟しなさい――――このスペルは天狗でも落とせるわよ」
「へえ……なら、それをかわせたら天狗より私が上って事だな」
「くすっ、出来たらね、じゃあ……」
美鈴が空を飛ぶ。私も箒に乗り美鈴から少し離れて構える。
「行くよ!!」
――彩翔「飛花落葉」――
宣言と共に美鈴が急速にこちらに近づき飛び蹴りを放つ。
「うおっ!!」
振り切られた足から七色の弾幕がばらまかれる。
咄嗟に大きく横に逃げる。
「はあっ!!」
「ちょ……!!」
だがすぐさま美鈴は追撃を放ってくる。
動きが恐ろしく速い上に溜めが極めて短い。
「どうしたの? 遅い、遅いよ!!
それで幻想郷最速とか言われてたのかしら?」
「言って……くれるぜ!!」
くそ、これが本当のあいつか。ほとんど別人じゃないか。
悪態をつきながら私は自分が笑っているのを自覚する。
楽しい。久々に感じる燃え上がる様な高揚感。
「焦らなくても存分に見せてやるぜ!!
幻想郷最速と言われた私の本当の速さをな!!」
空が……青い。
風が地面に倒れている私を優しく撫でてくれる。
「あー……魔理沙、大丈夫?
忘れてたけど貴女病み上がりなんだよね?
ごめん、ちょっと調子に乗ってやりすぎた」
「いーや、このくらい全然大した事ないぜ」
心配そうな美鈴に私は笑って手を振る。
気持ちいいくらいの完敗だ。美鈴のスペルカードの強さは予想を超えていた。
私が速く動けば美鈴も更に速さを上げる。
前の弾幕が消える前に次々と弾幕を撃ってくる凶悪さ。
初めて見た私は制限時間の半分も保たずあっさり落とされた。
「よっと」
息を整えた私は勢いよく身体を起こす。
うっかり手をついてしまったせいで右腕が痛んだがそこは意地を張って誤魔化す。
「今日の所は私の負けだ。だが次は負けないぜ、じゃあな――――」
「待ちなさい」
帰ろうとした私の右腕を美鈴は掴む。そりゃもう思いっきり。
「痛っ――――!!」
「そんな事だろうと思ったわよ。
ほら、腕出しなさい。治癒功使うから」
どうやら誤魔化しは効かなかったようだ。
私がしぶしぶ右腕を出すと美鈴は手を淡く発光させて撫でる。
「力を抜いて、リラックスしなさい。
反発されると気が馴染まないから」
言われた通りに力を抜き、美鈴に撫でられるに任せる。
美鈴の暖かい手の感触を感じると共に腕の痛みが引いていく。
「ねえ、魔理沙……」
「ん?」
「何で、こんな勝負を持ちかけたの?
あんな事の後で私が恐くなかった?」
何気無く、唯の確認の様に美鈴は訊いて来た。
「――――正直、恐かったぜ」
認めるのは癪だが、隠しても無駄そうだったので素直に答える。
「まあそうよね。じゃあ何で?」
「やられっぱなしで済ますのは私の性分じゃない。
お前に恐怖を感じたなら、その恐怖を乗り越える。
単純にそうするべきだと考えただけだぜ」
そこまで言って私はもう美鈴に圧迫感を感じていない事に気付く。
それは多分美鈴の事を知ったからだ。
確かに美鈴は数多くの人を殺したのだろう。あの殺気の強烈さから想像はつく。
だがわざわざ反応を抑え込んでその結果私にぼこぼこにされていたのも美鈴だし、
久々に制限無しだからといって調子に乗って病み上がりの私を叩きのめしたのも美鈴。
つまり、殺しの部分は美鈴の一面ではあるが全てではない。
ただ私がこの前の事で美鈴をその一面でしか見れなくなっていただけだ。
「どれだけ意地っ張りなのよ、妖怪の存在意義を否定しているわね」
「幻想郷で一番妖怪らしくない奴がよく言う」
「ぷっ、確かにそれもそうね」
二人して笑う。
「これでいいわ。もう無茶な事やるんじゃないわよ」
「サンキュー、助かったぜ」
右腕を軽く振って問題無い事を確認すると箒に乗る。
「じゃあな、『美鈴』」
「ええ……ん? あれ今、貴女私の名前を……」
美鈴が首を傾げている間に私は紅魔館から飛び去った。
1週間ぶりに家に帰った私は鞄を開けて中身を出そうとして本が無い事に気付く。
「あっちゃー、そう言えば小悪魔に没収されたんだっけ」
面倒臭がりのパチュリーはともかく、小悪魔は私を見逃してくれる程甘くは無かった。
当然、持っていこうとした本は療養中に全部没収されてしまった。
「やれやれ、あの本は本気で欲しかったぜ」
そもそもあれを早く帰って読みたかったから急いだ結果、美鈴にぶつかったのだ。
「でも、まあ――――」
だが言う程残念な気持ちはしない。
「もっと面白いやつを見つけたからいっか」
あの本は美鈴を倒した時の賞品、とでも考えればいい。
「とりあえず……あいつのスペルカードの対策でも考えるか」
自然と笑みが漏れる。これからしばらく退屈しなさそうだ。
おまけ
レミリアと咲夜は紅魔館の窓から美鈴と魔理沙の様子を見ていた。
「ふふっ、どうやら魔理沙は美鈴にいい刺激を与えてくれたみたいね」
「……そうですね、これで美鈴が変わるのなら喜ばしい事です」
「そうね、なら何で貴女はそんな顔をしているのかしら咲夜?」
「……特に表情を変えたつもりはありませんが」
「変わってないから却っておかしいのよ。
美鈴が良い方向に変化したのなら喜ぶものでしょう?」
「……仕事中に無闇に表情を乱したりはしません。
それよりお嬢様、そろそろ仕事に戻りたいのですが」
「そう、なら好きにしなさい」
「……失礼します」
一礼して咲夜は立ち去っていった。
その姿を見送った後、レミリアは溜息をつく。
「……やれやれ、素直じゃないわね。
魔理沙が美鈴に変化を与えた事が悔しい癖に。
それに全く自分の事がわかっていない」
わずかに苛立ちを含んでレミリアは呟く。
「咲夜、紅く染まりきった美鈴の運命を変えれるのは貴女だけ。
美鈴が貴女に大きく影響を与えたという事は――――
貴女もまた美鈴に大きく影響を与える事が出来るのよ」
レミリアの呟きは誰にも聞かれる事は無かった。
いつもの様に門番を吹っ飛ばし、いつもの様にパチュリーの文句を聞き流しながら図書館で本を借りて、後はいつもの様に帰るだけのはずだった。
いつもと違ったのは今日借りた本はとても面白そうだったから急いで帰ろうとしていた事、そのせいで廊下に偶然いた門番にぶつかりそうになった事。本当にただそれだけだったはず。
――――なのに、何でこんな事になっているんだ?
ぶつかる!! と思った瞬間、右腕が引っ張られて私の視界は反転した。
予想していた前からではなく背中から衝撃を受ける。受けた衝撃で肺から空気が押し出されて胸が苦しい。
いつの間にか目の前には私に馬乗りになり腕を振り下ろそうとする門番がいた。その時になってようやく私は門番に床へ叩き付けられた事に気付く。同時に門番の眼を見て私は金縛りにあった様に動けなくなった。
門番の眼は『私』、いや『人間』を見る眼じゃない。その眼が捉えているのは人間の形をした命、ただ刈り取られるだけの存在。その視線だけで私は存在を否定されたかの様な錯覚を受ける。
身体が動かない、いや、動けない。
蛇に睨みつけられた蛙のように固まったまま私は振り下ろされる美鈴の腕をただ見ている事しか出来なかった。
「美鈴!!」
叫び声と共に突如現れたナイフを門番は私に振り下ろそうとしていた腕で弾き飛ばす。
「あ……」
門番が振るった自分の腕と私を見て愕然とする。それと同時に叩き付けられていた殺気が霧散した。
ナイフで傷付いた門番の腕から垂れた血がぽたり、と私の顔に落ちる。
「魔理沙、大丈夫……とは言えなさそうね」
こちらに歩いて来た咲夜が私を見て溜息をつく。
咲夜の言葉を聞いて私の痛覚が思い出したように急に激しく痛みを訴えだす。
特に痛みが酷いのが右腕でしかも全く力が入らない、それに背骨も悲鳴を上げている。
「ああ……滅茶苦茶……痛いぜ」
「……一番の問題はそこじゃないのだけど、まあいいわ。
ほら、美鈴……いつまでも魔理沙の上に乗っているつもり?
私が魔理沙を医務室に運ぶから美鈴はパチュリー様を呼んできなさい」
「え……? でもそれなら私が……」
「いいから、呼んできなさい!!」
「あ……はい」
よろよろと私の上から退くと門番は図書館に向かって飛んで行った。
その後姿を見送った後、咲夜は私の横にしゃがみこむと怪我の状態を見る。
「右腕が折れている上に肩が外されているわね。
とりあえず肩をはめるから少し我慢しなさい」
「えっ? ちょ……いだ、いだだだぁ!!」
咲夜が私の右腕を持って肩をはめ込む。ごりっ、と嫌な音がしてとてつもない激痛が走った。
次に咲夜はスカーフを外すと折れた腕にナイフで固定して縛る。
「危ないんじゃないか? これ?」
「鞘に入っているから大丈夫よ。これ以外適当なものがないから我慢しなさい。
さて、まあ応急処置はこんなものね。一応訊くけど歩ける?」
「あー……無理」
床に叩き付けられたせいで背骨が痛い。正直起きるのも辛い。
「でしょうね、じゃあ背負うから掴まりなさい」
「悪いな……」
何とか身体を起こすと咲夜に掴まろうとする。
だが、右腕は使えないので中々うまく掴まれない。
散々手こずった上に何とか咲夜に背負ってもらう事に成功する。
「なあ咲夜……何で門番にパチュリーを呼びに行かせたんだ?
あいつが私を背負って、お前がパチュリーを呼びに行かせた方が効率的だろ?」
医務室に向かう途中に私は咲夜に訊ねる。
妖怪である門番の方が咲夜より力が強いのは明らかだ。
まさか咲夜にそれがわからないはずがないだろう。
「強がっているのかと思ったけど本当に気付いてないのね……」
咲夜がこちらを哀れむ様に見る。その言葉と表情になぜか心がざわつく。
「何……をだよ……?」
「貴女、さっきからずっと震えているのよ」
――――え?
「手、見てみなさい」
咲夜に言われるが侭に手を見る。
びっしょりと汗をかきぶるぶると震えている手がそこにあった。
「今はましになったみたいだけど、さっき美鈴が居た時は一瞬痙攣しているのかと思ったわよ。
美鈴は動揺して気付かなかったみたいだけどね。そんな状態なのに美鈴と二人にさせられるわけが無いでしょう」
そんな馬鹿な、この私が震えている?
門番が居た時はもっと酷かった? つまりそれは――――
「じゃ、何か? お前は私が門番を恐れているって言うのか?
私が、今まで何十回と戦って負けたことが無い、今日もあっさり吹き飛ばした門番を?」
「そう」
短く、きっぱりと咲夜は断言した。
「魔理沙、貴女はさっき初めて『紅美鈴』に対峙したのよ。
貴女が舐め切っている『ザル門番』ではなく、真の紅魔館の守護者にね」
「…………」
笑い飛ばしたかった。あいつが? 最高に笑える冗談だ、と。
だが私の震えと咲夜の真剣な表情がそれが嘘では無い事を物語っていた。
「着いたわ」
咲夜が医務室の扉を開くと、落ち込んだ様子の門番とだるそうにしているパチュリーが居た。
「……っ!!」
門番を見て私の手の震えが増した事がはっきりとわかる。
もう誤魔化しようが無かった。私は門番を恐れている。
レミリアにも、フランでさえ恐れなかった私がただの門番を……
「やれやれ……本当に貴女は面倒事を起こすわね、魔理沙。
居眠りしていた猫を起こして怪我するなんて馬鹿みたいよ」
パチュリーが気だるげに放った言葉が私に突き刺さる。
「パチュリー様、今回の事は私の方に非があります」
門番がパチュリーの言葉を咎めて私に向かって深々と頭を下げる。
「すみませんでした」
「……いいよ」
もう少しかける言葉はあった。第一原因は私が門番にぶつかりそうになった事だ。
だけど私は思うように言葉が出せなかった。今ほど自分が情けなくなった時は無い。
「……まあどうでもいいけどねそんな事。
これに懲りたら少しはここに侵入する事を控えて欲しいわ。
咲夜、早く魔理沙をベッドに寝かせなさい」
「かしこまりました」
咲夜が私を下ろしてベッドに寝かせるとパチュリーは治療魔法をかける。
魔力が浸透していくと共に痛みが和らいでいった。
「一応大方の怪我は治したけど、細かい部分までは治せないから1週間ぐらいは安静にしてなさい」
それだけ言うとさっさとパチュリーは出て行ってしまった。
「美鈴、ちょっと……」
咲夜は美鈴と部屋の隅に行って何かを耳打ちする。
「……わかりました、失礼します」
門番は咲夜に何か言いたそうだったが結局何も言わず、一礼して出て行った。
残った咲夜は椅子を出してきて座り、眼を瞑ってじっとしている。
「お前は仕事に戻らなくていいのか? 一番忙しそうなのに」
「大丈夫よ。代わりを頼んだから。
それに誰か居ないと貴女に何かあった時に困るでしょう?
今の貴女はろくに動く事も出来ないのだから」
そう言われると何も言えず、私はおとなしく寝る事にした。
しかし、いつまでたっても眠気がやって来ない。
どうしても頭から離れない事があった。
「なあ、咲夜」
「何?」
訊きたいのに切り出せなかった疑問をついに口にする。
「門番……いや『紅美鈴』って、何者なんだ?」
「何者……か。難しい質問ね」
咲夜が眼を開く。その眼は遠い過去を思い返しているみたいだった。
「幻想郷においては侵入者をろくに追い払う事も出来ないザル門番。
それ以前では……戦った侵入者全てを殺した紅魔館の血塗られた盾」
「殺し……た? あいつがか?」
「ええ、今の美鈴を見ると信じられないでしょうけど昔の美鈴は容赦なんて欠片も無かった。
紅魔館を護る為に、ただひたすらに侵入者を殺してその手を血で紅く染め続けた。
『紅魔館に侵入する』という事は『殺されに行く』と同義とまで言われる程に」
それを聞いてなぜ私がこれ程門番を恐いと思ったのかわかった気がした。
私は今まで死にそうになった事はあっても殺されそうになった事は無かったのだ。
レミリアは確かに強大な力を持っているが本気で私を殺す気は無い。
フランは死んでも構わないと思っているのかもしれないが明確な殺意は無い。
だが……あの時の美鈴は違う。確実に私の息の根を止める気で攻撃していた。
他人が私の命を消し去る事を望む。その殺意を私は恐れたのだ。
「……でも何で、そこまで恐れられた奴が幻想郷でザル門番になっているんだよ?」
「幻想郷でスペルカードルールが作られたから。美鈴はスペルカードルールを重んじているのよ」
咲夜がわずかに悲しげな表情を浮かべた気がした。
「弾幕戦が苦手だって事か?」
スペルカードルールで弱くなる理由はそれぐらいしか思いつかない。
「違う、確かに美鈴は遠距離戦はあまり得意では無い。
だけどただそれだけでやられるようなら、そもそも門番なんて任せない。
美鈴は弾幕戦で十分戦える技量を持っている。弾幕戦自体が問題なんじゃない。
本当に問題なのはスペルカードルールは『殺し合い』を否定している事よ。
強大な力を持つ妖怪が全力を出して多大な犠牲を出す事を防止する。
スペルカードルールを定めたのはその為でしょう?」
「……ああ。でも殺し合いじゃない事がそこまで問題なのか?
殺し合いであろうと無かろうと強い奴は強いんじゃないか?」
「大抵は確かにそう。だけど美鈴は例外なのよ」
咲夜はやるせない表情で溜息をつく。
「魔理沙、そもそも美鈴が貴女に怪我を負わせたのはなぜ?」
「え? まあ、わざとやったって感じじゃ無いよな。
私が急にぶつかって来たから多分反射的に……」
そこまで言って私は咲夜の言いたい事を悟る。そして門番がどれほど異常であるかも。
私が門番の前に現れてから咲夜が止めに入るまで数秒も無かっただろう。
その間に門番は私の腕を折り、肩を外し、背骨を痛めつけ、頭まで潰そうとしたのだ。
気付いていない状態からいきなり飛んで来た私を無意識レベルの行動で。
「あれが……? 反射的に取った行動であんな動きが出来るのかよ!?」
「それが美鈴の極めたもの。あらゆる攻撃に対し、一瞬で反撃に移り敵を殺す超反応。
殺し合いで美鈴の強みだったこの技は弾幕ごっこでは逆に大きな枷に変わってしまった。
この技のせいで美鈴は弾幕ごっこの時、力と反応を抑えるのに大きく意識を割かざるを得なくなった。
そんな状況で実力を発揮出来る訳が無い、その結果が今のザル門番よ、馬鹿みたいな話でしょう?」
笑い話の様に語る咲夜の表情は言葉とは裏腹にとても悔しそうだった。
「スペルカードルールが作られた時、私は従いたくなかった。
従ってしまったら美鈴がどうなるか容易に想像出来たから。
だけど他ならない美鈴本人が真っ先に賛成したのよ。
美鈴は笑って言ったわ『殺し合いが避けられるなんて最高じゃない』って。
全く皮肉な話よね。制約の大きい美鈴が喜んで、恩恵の大きい私が嫌がるなんて」
「……お前、意外と門番を大切にしてるんだな」
思ったよりずっと門番の事を考えている咲夜に私は驚きを隠せなかった。
「普段は上下関係を曖昧にしない為にああいう態度をしているのよ。
だけどね……本当はお嬢様と同じくらい美鈴の事を私は尊敬しているわ。
今の私はお嬢様と美鈴が居なかったら絶対に有り得なかったから」
「そう……か……」
それっきり私は黙り、頭まで布団を被った。
ショックだった。門番と咲夜の今まで知らなかった一面。
正直、私は門番の事を取るに足らない存在と思っていた。
だが実際はどうか、あっさりと私は殺す一歩手前まで痛めつけられた。
そう思うと悔しさと情けなさで胸がいっぱいになる。
門番……いやもう美鈴と呼ぶべきだろう。美鈴は少なくとも私を倒せる実力を持っている。
私は実力の発揮出来ない美鈴をぶちのめしていい気になっていただけだ。
それは驕り、物事の一面だけを捉えて自分が優れていると考える視野の狭い行い。
ならば、私のこれからするべき事は――――
それから1週間、私はレミリアの厚意により紅魔館で静養させてもらった。
一度だけ見舞いに来たレミリアに「災難だったわね」とやたらニヤニヤしながら言われたのが気になったがそれ以外は特に何も無く何とも退屈な日々だった。
どうにか右腕も動かせる様になったので私は考えていた目的を果たすために門に行く。
「あ……もう大丈夫? 魔理沙」
美鈴が私を見て声をかけてくる。
さすがにもう手は震えないがまだ少し圧迫感を感じてしまう。
しっかりしろ私、こんなんじゃあ目的が果たせない。
「ああ、もう完全復活だぜ」
内心を隠し、平然を装って話しを切り出す。
「まずはお前に二つ謝っておくぜ。
ぶつかりそうになったせいでえらい迷惑をかけてすまなかった。
それと私はお前を見誤っていた、今回の件でお前の認識を改めたぜ」
「いや、そんな、謝るのはこっちの方よ。
後、何か勘違いしてない? 私はそんな大した――――」
「だから門番、私と勝負しろ。手加減無しの『本気』でだ」
ぴくり、と美鈴の眉が動く。
「えっと、何でそうなるのかわからないんだけど」
「お前、私に対して今まで本気じゃなかっただろ?
そんな戦い、勝っても面白くも何とも無い。
だから今回は全力で来いって言ってるんだよ」
「心外ね、それだと私がいつも手を抜いてるみたいな言い方じゃない」
「抜いてるだろ。相手を殺さないように反応を抑え込んで戦う。
そんなの本気で戦っているなんてとても言えないぜ」
「……はあ、何で貴女がそれを知っているのよ。
全く、誰が余計な事を貴女に教えたんだか」
美鈴は疲れた顔で溜息をつく。
「それを知っているなら私がそうしている理由も知ってるでしょ?
そうでもしないとスペルカードルールなのに物騒過ぎるのよ。
悪いけどいくら言われてもやめるつもりはないから」
「頑固だな」
「何とでも言いなさい」
まあ、自分に不利なのを承知でやっている様な奴だ。
ただやめろと言っても聞かないのは分かっていたが。
「仕方ない、お前が本気を出さないのなら私も本気を出すわけには行かないぜ」
「はあ?」
美鈴が怪訝な顔をする。
「要はお前が反応を使う様な状況にならなければ抑える必要も無いだろ?」
「まあ、そうだけど……」
「だったら私は――――」
美鈴に本気を出させるにはこれしか思いつかなかった。
「――――弾幕を使わない」
「……え?」
「お前がスペルカードを使う。私がそれを回避する。
当たったら私の負け。全部避けきったら私の勝ち。
これなら、お前が攻撃を受ける恐れなんて無い。
お前が力を抑える必要なんて無い訳だ」
『弾幕はパワー』が信条で落とされる前に落とすのが私のスタイルだ。
そんな私に全くそぐわない、らしくない答え。
だが……私が変わるには丁度いい。
今回の件で私にはいろいろ驕りがある事に気付いた。
もし私の回避がもっと上手いなら美鈴とぶつからなかったかもしれないし、美鈴の攻撃に対処出来たかもしれない。
厄介な弾幕はマスタースパークで潰せる事がいつしか私の回避に対する向上心を減らしていた。
だがそれでは駄目だ。それでは今より更に強くなる事は出来ない。霊夢を超えられない。
ならば――――変わる。これは私が変わる為に必要な戦いだ。
「くっ……くくくくく……」
美鈴が突然笑い出す。
「くっ、くははっ!! あっはっはー!!
貴女馬鹿だよ。間違い無く。弾幕馬鹿。
わざわざ勝てるのに不利な状況にするなんて」
「不利な状況にしてるのはお互い様だろ?
私はフェアプレー精神に満ち溢れているんだぜ」
「ぷっ、くく……確かにそうかもね」
ようやく美鈴は笑う事をやめると不敵な笑みを浮かべる。
「じゃあ、そのフェアプレー精神に免じて一つ忠告してあげる」
美鈴はスペルカードを取り出して私に見せる。今まで私が使われた事の無いカード。
「せっかくだからいつもとは違うスペルを使わせてもらう。
本当はね、最近私も遠距離戦ばっかで飽き飽きしてたのよ。
でも近づく程、力を抑える必要があるからしょうがなかった。
覚悟しなさい――――このスペルは天狗でも落とせるわよ」
「へえ……なら、それをかわせたら天狗より私が上って事だな」
「くすっ、出来たらね、じゃあ……」
美鈴が空を飛ぶ。私も箒に乗り美鈴から少し離れて構える。
「行くよ!!」
――彩翔「飛花落葉」――
宣言と共に美鈴が急速にこちらに近づき飛び蹴りを放つ。
「うおっ!!」
振り切られた足から七色の弾幕がばらまかれる。
咄嗟に大きく横に逃げる。
「はあっ!!」
「ちょ……!!」
だがすぐさま美鈴は追撃を放ってくる。
動きが恐ろしく速い上に溜めが極めて短い。
「どうしたの? 遅い、遅いよ!!
それで幻想郷最速とか言われてたのかしら?」
「言って……くれるぜ!!」
くそ、これが本当のあいつか。ほとんど別人じゃないか。
悪態をつきながら私は自分が笑っているのを自覚する。
楽しい。久々に感じる燃え上がる様な高揚感。
「焦らなくても存分に見せてやるぜ!!
幻想郷最速と言われた私の本当の速さをな!!」
空が……青い。
風が地面に倒れている私を優しく撫でてくれる。
「あー……魔理沙、大丈夫?
忘れてたけど貴女病み上がりなんだよね?
ごめん、ちょっと調子に乗ってやりすぎた」
「いーや、このくらい全然大した事ないぜ」
心配そうな美鈴に私は笑って手を振る。
気持ちいいくらいの完敗だ。美鈴のスペルカードの強さは予想を超えていた。
私が速く動けば美鈴も更に速さを上げる。
前の弾幕が消える前に次々と弾幕を撃ってくる凶悪さ。
初めて見た私は制限時間の半分も保たずあっさり落とされた。
「よっと」
息を整えた私は勢いよく身体を起こす。
うっかり手をついてしまったせいで右腕が痛んだがそこは意地を張って誤魔化す。
「今日の所は私の負けだ。だが次は負けないぜ、じゃあな――――」
「待ちなさい」
帰ろうとした私の右腕を美鈴は掴む。そりゃもう思いっきり。
「痛っ――――!!」
「そんな事だろうと思ったわよ。
ほら、腕出しなさい。治癒功使うから」
どうやら誤魔化しは効かなかったようだ。
私がしぶしぶ右腕を出すと美鈴は手を淡く発光させて撫でる。
「力を抜いて、リラックスしなさい。
反発されると気が馴染まないから」
言われた通りに力を抜き、美鈴に撫でられるに任せる。
美鈴の暖かい手の感触を感じると共に腕の痛みが引いていく。
「ねえ、魔理沙……」
「ん?」
「何で、こんな勝負を持ちかけたの?
あんな事の後で私が恐くなかった?」
何気無く、唯の確認の様に美鈴は訊いて来た。
「――――正直、恐かったぜ」
認めるのは癪だが、隠しても無駄そうだったので素直に答える。
「まあそうよね。じゃあ何で?」
「やられっぱなしで済ますのは私の性分じゃない。
お前に恐怖を感じたなら、その恐怖を乗り越える。
単純にそうするべきだと考えただけだぜ」
そこまで言って私はもう美鈴に圧迫感を感じていない事に気付く。
それは多分美鈴の事を知ったからだ。
確かに美鈴は数多くの人を殺したのだろう。あの殺気の強烈さから想像はつく。
だがわざわざ反応を抑え込んでその結果私にぼこぼこにされていたのも美鈴だし、
久々に制限無しだからといって調子に乗って病み上がりの私を叩きのめしたのも美鈴。
つまり、殺しの部分は美鈴の一面ではあるが全てではない。
ただ私がこの前の事で美鈴をその一面でしか見れなくなっていただけだ。
「どれだけ意地っ張りなのよ、妖怪の存在意義を否定しているわね」
「幻想郷で一番妖怪らしくない奴がよく言う」
「ぷっ、確かにそれもそうね」
二人して笑う。
「これでいいわ。もう無茶な事やるんじゃないわよ」
「サンキュー、助かったぜ」
右腕を軽く振って問題無い事を確認すると箒に乗る。
「じゃあな、『美鈴』」
「ええ……ん? あれ今、貴女私の名前を……」
美鈴が首を傾げている間に私は紅魔館から飛び去った。
1週間ぶりに家に帰った私は鞄を開けて中身を出そうとして本が無い事に気付く。
「あっちゃー、そう言えば小悪魔に没収されたんだっけ」
面倒臭がりのパチュリーはともかく、小悪魔は私を見逃してくれる程甘くは無かった。
当然、持っていこうとした本は療養中に全部没収されてしまった。
「やれやれ、あの本は本気で欲しかったぜ」
そもそもあれを早く帰って読みたかったから急いだ結果、美鈴にぶつかったのだ。
「でも、まあ――――」
だが言う程残念な気持ちはしない。
「もっと面白いやつを見つけたからいっか」
あの本は美鈴を倒した時の賞品、とでも考えればいい。
「とりあえず……あいつのスペルカードの対策でも考えるか」
自然と笑みが漏れる。これからしばらく退屈しなさそうだ。
おまけ
レミリアと咲夜は紅魔館の窓から美鈴と魔理沙の様子を見ていた。
「ふふっ、どうやら魔理沙は美鈴にいい刺激を与えてくれたみたいね」
「……そうですね、これで美鈴が変わるのなら喜ばしい事です」
「そうね、なら何で貴女はそんな顔をしているのかしら咲夜?」
「……特に表情を変えたつもりはありませんが」
「変わってないから却っておかしいのよ。
美鈴が良い方向に変化したのなら喜ぶものでしょう?」
「……仕事中に無闇に表情を乱したりはしません。
それよりお嬢様、そろそろ仕事に戻りたいのですが」
「そう、なら好きにしなさい」
「……失礼します」
一礼して咲夜は立ち去っていった。
その姿を見送った後、レミリアは溜息をつく。
「……やれやれ、素直じゃないわね。
魔理沙が美鈴に変化を与えた事が悔しい癖に。
それに全く自分の事がわかっていない」
わずかに苛立ちを含んでレミリアは呟く。
「咲夜、紅く染まりきった美鈴の運命を変えれるのは貴女だけ。
美鈴が貴女に大きく影響を与えたという事は――――
貴女もまた美鈴に大きく影響を与える事が出来るのよ」
レミリアの呟きは誰にも聞かれる事は無かった。
元ねたはスパイラルのあの人ですね。
でも面白かったです。
面白かったです
この解釈なら、美鈴が紅魔館の門番でも納得できます
悪く言えばありきたりですが…大好きです。
「ザルだなんてとんでもない!」とか言って周りに自身の恐怖体験を聞かせたりしてるんだろうか
強い美鈴の話は何度か見たことがありますが、この解釈は好きです。