月の無い、暗い夜。
月が出ていても暗い、森の奥。
其処で少女が見上げるは本日の主役。
其処で少女の周囲には本日の主役。
舞おう。
夜が終わるまで。
新しい月の誕生を祝おう。
さあ、今宵、一度限り。
――――同じ日は二度とやっては来ない。
◇ ◇ ◇
――――星が堕ちてくる。
勿論そんなことは無い。
けれども、近い。
手の届きそうなほど近くに在る星は、しかし遠い。
届く。
確信して、手を伸ばす。
天に伸びて、届いたような気がして、ぐっ、と握る。
開いた手の中にあったのは、夜天を彩る宝石などではなく。
ただ、自分の皮膚だった。
それを残念と思うこともなく、リグル・ナイトバグは飽きもせず空を見つめる。
そこにあるのは、幻か、それとも現か。
見上げる夜空は答えてくれず。
星は答えてはくれない。
星はそこにある。
幾千の時が過ぎようと。
幾万の時が過ぎようと。
幾億の時が過ぎようと。
変わらずにそこにある。
けっして届かない。
しかし、光は届く。
けっして触れることは出来ない。
けれど、見ることは出来る。
ならばそれでいい。
この優しい光は、静かに、この幻想の郷を覆うのだ。
――――ひゅう、と風が吹く。
しゃらん、しゃらん、と鈴のような音色を木々は紡ぐ。
風が彼女の緑色の髪の毛を弄び、撫上げ、循環する。
変わらない風。
彼女が今浴びた風は、廻り、廻る。
そうして、また一瞬だけ彼女の元へ戻り去って行く。
誰かの元へ行き、この世界の総てのものと、ほんの一瞬。
ほんの一瞬だけ、誰かと遊び去って行く。
風は変わらない。
曇り空であっても。
雨が降ろうと。
雪が舞おうとも。
たとえ、嵐だとしても。
風は何時だってそこにある。
どこにいたって、隣で舞ってくれるのだ。
あるいは、待ってくれるのだ。
◆ ◆ ◆
風が止み、静寂が支配を取り戻す。
静という空間。
星は変わらず見下ろすのみ。
向こうはこっちなんて見てはいない。
見る必要なんてない。
こっちが勝手に見るだけだ。
そこに羨望はない。
あるのは憧れ。
それは恋にも似た純粋な鼓動。
心臓は痛い程胸を圧迫し、それを彼女は心地良く感じる。
「――――さて」
彼女は移動を開始する。
あてもなく。
常に視線を夜空に向けて。
満開に咲いた星の瞬きを噛み締めるように。
あるいは堕ちてほしいと願うように。
ずっとそこに居てほしいと願うように。
ふらりふらりと森の上を飛ぶ。
視線は夜空。
障害物なんてない。
前方なんて見りゃしない。
危なっかしく。
目的地なんて考えない。
風に乗り、風の赴くがまま。
浮遊する。
飛行ではない。
風と遊び、浮くだけだ。
ぷかぷかと水の上を漂う葉っぱみたいに。
何処へ行こうかなんて考えない。
流れる先に地獄が待っていても、抵抗なんてしないだろう。
する気も起きないのだ。
何も考えてないから。
――――さらさら水の流れる音がする。
川が近い。
彼女はそう思うとともに、嬉しかった。
何故ならこの季節。
そこにはたくさんの――――
「……――」
――――地上の星が在る。
手の届かないほど遠くに在る星は、しかし近い。
優雅に舞う蛍。
橙色の軌跡。
深緑の軌跡。
群青の軌跡。
深紅の軌跡。
代わる代わるに飛び交い。
結び。
纏わり。
紡ぎ。
飛び去って行く。
繰り返し、繰り返し。
同じ行動を違う動作で。
繰り返し、繰り返す。
鮮やか過ぎる色彩は、されど綺麗だ。
普段は彼女が支配下に置いている蟲。
けれども今は違う。
自由自在。
在るがまま。
水面には星が映る。
遠くに在る星は目の前に在る。
近くに在る星は目の前に在る。
遥かにある宝石は今、此処に在る。
天上の星は水面で揺れる。
地上の星は水面で揺れる。
彼らはこの夜のみ共にある。
強すぎる月の光のない一年に一度の今夜。
今夜のみ。
彼らは次の夜には死んでしまう。
だから今夜。
新たな月の生まれる今。
今夜だけ。
一夜限りの宴。
――――楽しもう。この夜を。祝おう。この終焉を。
蟲の王が手を差し伸べる。
その手に数多の蛍が纏わり。
くるり、くるりと遊び、飛び、交差する。
逃げるように、からかうように。
楽しげに、表情などないのに、まるで笑うように。
それを見て、彼女は愛しげに微笑む。
そして、別れを惜しむように。
彼女は愛しげに彼らを撫でる。
そして、手を振り、優しく払う。
散る彼らに対して。
水面に堕ちた星に対して。
そして新たに新誕する月に対して。
彼女は恭しく礼をする。
それは、今夜の別れへの悲しみか。
それとも、生まれる月への空っぽの願いか。
それは彼女にとって、どうでもいいのかも知れない。
だってほら、呟いて、両手を広げる。
まるで、世界の大きさを表すように。
まるで、世界の小ささを表すように。
まるで、世界はこれっぽちと云うように。
まるで、世界は大き過ぎると云うように。
目に見える世界は、その手の中に。
目に見えない世界は、その手の外に。
彼女の世界は目の前に。
見守る世界に邪魔はなく。
彼女は手を伸ばす。
掴む為ではなく、触れる為に。
次の夜には死んでしまう彼らを離さない為に。
次の夜には死んでしまう彼らを送り出す為に。
彼女は手を伸ばす。
そこに意味もない。
けれども、懸命に伸ばす。
それは結局、無意味で。
呆れるほどに莫迦な行動だった。
それを咎めるものはない。
莫迦でも、無意味でも、それは彼女の幻想。
彼女にとって守りたい。
そして、行く先を見続けたい。
だから、彼女は手を下ろす。
無駄ではない。
彼女の抱いた幻想は常にそこにある。
彼女が忘れない限り消えやしない。
だから、彼女は問い掛ける。
「――――舞おう?」
その言葉に反応するかのように彼女の周りに集まる蛍。
彼女の周りで、嬉しげに廻る。
彼女の周りで、一層強く輝く。
嬉しげに廻るのは彼女の為。
強く輝くのは彼女の為。
ならば、彼女は彼らの為に舞おう。
ならば、彼女は彼らの為に詠おう。
くるり、と回転する。
風を切る音が柔らかく囁く。
蛍が追い駆ける。
光が追い駆ける。
星が追い駆ける。
最期を飾ろう。
この儚き、二つの星空の為に彼女は踊るのだ。
この儚き、二つの星空の為に彼女は詠うのだ。
この儚き、新たな月の誕生に彼女は誇るのだ。
――――舞い、詠おう。
この身は今。
彼らの為に在る。
[終]
私は夜に蛍を見れるほど幻想郷ではありませんが、
夜明けの太陽と月とか見て、不意にアイディアが浮かびます
かっこいい詩ですね、これ
しかし絵や文字にしようとすると出来ないんです
すごくもどかしいんです
なんとなくフッ・・・と何かを思いついたり情景が浮かんだりします。
しかし、それを絵にしようとすると・・・うう、画力の無さなのか表現力の無さなのか。
リグルのこの話・・・詩かな? とても素敵です。
いいなぁ…こういう感じの好きです。
何が言いたいかってーと、彼女ほどいじり甲斐のあるキャラもそうそういないと思うんですよね。
詩に対しては学のない自分は高評価をつけづらいのですが、なんか琴線に触れたのでー。
普段より丁寧に読んでいると、
頭の中に音や匂いや温度やなんやかんやが浮かんできました。
唐突に初夏の心地よい夜の森に放り出された気持ちです。
早く夏がこないかなぁ。こねえよなぁ。まだ2月だもの。