結局の所、パチュリー・ノーレッジは彼女に憧れていたのだ。容姿ではない。性格でもない。仕草でもない。その生き様に、在り方に、自分とは異なる、決して見過ごす事の出来ない価値観を、自分は見出していた。彼女は脇役だ。どこまで行っても主役になれない、可哀想な性にある。そして自分は奴に蹂躙され、しかし憎む事の出来ない、愚かしい脇役でもあった。
そんな愚か者が見た夢。諦観の先にあった、恋焦がれるほどの幻想。夢にまで見た美しい宝石を、パチュリー・ノーレッジは手に入れられる。そして、それを彼女にも、是非見てもらいたかったのだ。見てもらって、そして賞賛して欲しかった。思い違いであった、お前はすばらしい奴だ。天才だ。感謝してもしたりない。すばらしいものをありがとう――と。
手遅れであった自分が、報われる時。そんなシンデレラストーリーが、パチュリーにはビジョンとしてあった。
人間小娘程度に嫉妬する小さいパチュリー。知識に埋もれ智慧と魔法の化身でしかないパチュリー。極小の矮小の、そのまた更にくだらない、とるに足らないパチュリー。卑下されても揶揄されても理不尽とすら思わない程に、達観してしまったパチュリー。
度し難いまでの自分を救うものは、彼女からの賞賛だけだったのかもしれない。
「いらないね。見たくもない。感じたくもない。そんなオママゴト、一人でやれ」
何故理解出来ない。何故誉めてくれない。君は本当に、奪うだけのヒトなのか。何も与えてはくれないのか。見返りを求める事は、悪なのか。唯我独尊としてある事が、正義なのか。全くもって、この世の何処にも存在し得ない、珠玉の一を、君に、見せてあげられるのに。
「さぁはじめるわよ、パチュリー・ノーレッジ。貴女の夢が、とうとう叶う」
「……何かを、犠牲にして?」
「そう。何かを犠牲にして。貴女は新しくなった愛しい何かを、手に入れられる」
「そうよね、私は、魔女だものね」
「そう。貴女は七曜の魔女」
「そう……私は、所詮魔女なのね」
さやうなら さやうなら 憧れの君 また 逢う日まで
~第四障壁~
「なあ、ニュースみたか、ニュース」
「ニュースって言われても、どのニュースやら。一家惨殺事件? 誘拐事件? それとも政治?」
「今ニュースっていやぁ、連続失踪事件しかないだろう」
そんな事も知らないのかと、魔理沙は薄い胸を張って、文庫本を読むパチュリー・ノーレッジに自己主張した。基本的にメディアリテラシーの低い霧雨魔理沙にとって、口に出して言う程連日騒ぎ立てられている事件といえば、これしかない。事件の概要といえば、近頃自分達の住まう街で人間が消えているといったものだ。消えると言ってもただ消える訳ではなく、遺留品と血痕を残して、しかもそれ以降の足跡がない、という不可思議なものである。マスコミの話では、被害者をその場で刺突し、車で連れ去っているのだろうとされているが、そのような手間も証拠も残るようなやり方には疑問が噴出しており、目下警察が血眼になって犯人を捜索している。
「ああ。あの事件ね。魔理沙はミーハーね」
「だって、この街の事件だろう? 私等だって例外じゃないかもしれない。何せ狙われているのは若い子ばっかりみたいだしな」
「魔理沙なら大丈夫ね。狙われているのは若い子、といっても、みな大人しい人だったらしいし。それをいうと、私の方が危ないかしら」
「なんだい、その言い草。まるで私が落ち着きないように」
「本当の事でしょう。自分の身より寧ろ、近しい私を守ってね」
「めんどくさいぜ」
「ふふ、酷いヒトね」
量の多い紫の髪をかきあげて、パチュリーは笑う。魔理沙としてはもう少し反応が欲しい所ではあったのだが、そもそも自分より頭の良いコイツにそんな小手先事件簿を語っても期待通りには行くまい。多少面白くなかったが、とりあえず挨拶がてらの義務は果たせたので良しとする。寮では同室であるのに、わざわざこんな挨拶から入るあたりが、どうにも二人の生活に個人主義的差異が入り込んでいる事が垣間見えた。
現在三時間目の休憩。魔理沙は今ご出勤である。どうせワイドショーでもチラ見してきたのでしょう、というパチュリーの言葉があまりにも図星で、少し恥かしかった。常々朝のニュースも見れないほどの毎日が続いているからこそのネタ提供であったのだが、そうなりたくなければ朝ぐらいちゃんと起きろというものだった。自分でもその辺りは自覚しているので、反論はしない。
魔理沙はパチュリーの隣の席につくと、鞄を脇にかけて机にのさばる。何時間寝ても寝足りない。頭痛がとれず、ここ最近は休んだ気がしないのだ。毎日通う通学路が憂鬱でたまらない、というのは、健康優良児である自分にとっての屈辱でもある。勉強はそこそこだし、遅刻はしても休んだ事はないというのに、このままでは初病欠も間近だろう。
それにかわってパチュリーといえば、無遅刻無欠席。頭も良く成績は学年三位、容姿も良いときているものだから、全く不平等でならないと痛感させられる。何故こんなのが同じ学校で同じ寮で同じ教室で隣の席なのか。理由を知らなければ甚だ疑問であろう。
霧雨グループ会長の一人娘、霧雨魔理沙はこの私立東方大学付属高等学校の二年である。元は別のお嬢様学校で勉学に勤しんでいたが肌に合わず、これを理由に父親と喧嘩、あえなく転校、そして寮にぶち込まれたのである。パチュリー何某もまた魔理沙と同じ高校へ通っていたが、なんとこれを追いかけて、寮は同室へ強制的に入居し、学年主任を丸め込んで隣の席になったのである。
ぶったまげたのは魔理沙だけではなく、当時の同級生達もだった。何故あの不良娘を追っかける必要があるのか。パチュリーお姉様往かないで。パチュマリ萌え。等の声が多々あり、その批難の声は霧雨グループのインフォメーションカウンターにまで及び一悶着あった。
魔理沙としては、確かに驚きはしたものの、彼女を嫌ってはおらず、むしろ十年来の付き合いがあるからして、これを歓迎した。転校先の東方大学付属というのは、街一区画が全て学校施設となっている学園都市であり、この少子高齢化が進む中一極的に平均年齢が異常に低いという妖しげな奇跡を成し遂げている場所である。
「危ないといえば、夜道は危ないな。バイトの調子はどうなんだ。帰りは遅いみたいだし、労働基準法遵守してないんじゃないか、そこ」
「大丈夫よ。悪い仕事じゃあないし。ただ、同僚と多少険悪でね」
「しっかし、元貴族様がバイトとはね。世も末だ。序列ってそんなに悪いかね」
「時代よ時代。時代が物事の是非を決めるわ。何。それに私なんて遠縁だもの」
「とはいえ、仕送りはあるだろう。お前の通帳みたけど、ちょっと女子高生が持つには危ないぐらいの金額」
「い、いくら魔理沙でもヒトの通帳を見るのは感心しないわ。ま、まぁ。ほら。今のうち社会は知っておかないと」
「バイト代って、手渡しなのか。通帳に振り込みがないけど」
「めざといわね。そもそも、まだ一ヶ月勤務してないわ」
「ああ、そりゃそうだ」
やんごとなきお家柄のこのお嬢様なのだが、ここ最近は浮世に興味があるとの事で、夕方からはアルバイトに興じていた。家系云々を抜いても、父の実家は海外の資本家であり、鉱山持ちでトップクラスの大企業の娘であるのに、何故アルバイトなのか。多少変わり者であると魔理沙も認識していたのだが、甚だ解せない話であった。良く親が許可したものだと、感心するものでもある。魔理沙は独り立ち精神旺盛で、パチュリーがバイトを始める数年も前から親をせっついているのだが、どうしても許しがもらえない。幾ら不良娘でも大事な一人娘、するならバイトじゃあなく花嫁修業だ、というのがグループ会長である父、霧雨大二郎の見解だ。
「あら、同僚が来たわ。険悪な」
「おはよう魔理沙。最近体調悪いのかしら。幾ら遅くても、三時間目はなかったわよね」
「咲夜か。最近パチュリーが寝かせてくれなくてな」
「――ぶち殺すぞ、紫もやし」
「あんですってこの番犬属性……」
「まあまあ、そりゃ冗談だが、少し寝付きが悪いだけだぜ」
「そう。魔理沙が言うならそうね」
「アナタ、魔理沙は全肯定なのね」
瀟洒な同級生、十六夜咲夜が偉い短いスカートをひらひらさせながら現れる。パチュリー的には同僚兼ライバルで、魔理沙的にはとても便利な女友達だ。自覚があるのかないのか、銀色の髪に艶美な顔立ち、すらりとした体躯はそんじょそこらのオジョーサンとは訳が違うのであり、どうにもこうにもセーラー服があまりにも似合わない。一属性として設けられてすらいるこの制服というアクセントが、完膚なきまでに敗北している。色々とレベルが違うので周囲の人間達は近寄り難いとし、ある意味偶像化すらしている節があったが、魔理沙にはどこまでもあまりにも気さくでボケだった。本人曰く、隙なぞ見せていない、本当よ、らしいのだが、発言から窺えるその性格は絶対的に抜けていた。
「おおそうだ、そんな事よりさ、咲夜も聞いてくれよ。昨日もあったんだってな、失踪事件」
「最近巷で騒がしいあの事件かしら。そうね、怖いわね。魔理沙も気をつけて。なんなら、ボディーガードするわ。登下校からトイレの中まで。どうかしら。無償でいいわ。むしろ払うわ」
「遠慮しとくぜ。パチュリーにやってくれ」
「いやよ、咲夜になんて。気持ち悪い」
「超全面的に大否定。さっさと失踪すればいいのよ」
「お前も気をつけろよ」
「魔理沙に心配してもらうなんて、もう失踪してもいい」
「本末転倒だぜ」
「きもいー」
「うっさい死ね」
「どんだけ仲悪いんだお前等」
まあ、コイツラなら大丈夫だろう、そんな風に思わせる空気がある。明日は我が身、なんて言葉もあるが、霧雨魔理沙にとっては、近場の事件とはいえ他人事だ。まさかこのたくましい二人が消えてなくなるなぞ、想像もつかないし、自分に降りかかるとも考えられない。犯人がどのような鬼畜変態野郎だかは知れないが、所詮は対岸の火事である。
あるが、話題に出すだけの理由がないわけでも、ない。
「おいお前等座れ。座らんと頭突き殺す。比喩でなく。あ、霧雨は来なさい。可愛がってあげるから」
四時間目始業のチャイムが鳴ると同時に、担任であり歴史担当の女教師上白沢慧音がビッシリと決まったスーツ姿で現れる。その短いスカートから覗く扇情的なふとももは一体何を意味するのかは定かではなかったが、大概の場合この格好は、粛清の正装だ。
「こ、殺されるぜ」
一週間で三度。仏の顔はどうやら二度までらしい。牛頭天王は気が短いのか。なんとなしにそんな比喩が浮かんだ。
「霧雨、一応申し開いてみろ」
「はい。実は朝走って学校に向かっている最中、空を飛ぶお婆ちゃんをみたんです。わぁすげえ、婆ちゃんは空を飛べるんだ、と感動していた矢先、車に轢かれました。轢かれたと思ったら実は自分も空を飛んでおり、感動しておりましたらそのお婆ちゃんに再遭遇いたしまして、荷物が重いとの事でしたので持ってあげる事にしたのですが、そのお婆ちゃん実はお父さんだったんです」
「では、頭突きは五回だ」
「さよう……でっ!! いでっ!! ぶふっ!! あばらっ!! なんっ!! こつっ!! って一回多いっ!! おっ!! あたっ!」
「なんっ、でっ、遅刻、した、のかっ、ちゃん、と、説明っ、しなっ、さい」
「寝てました」
「死ね」
「なん!!」
暴力教師上白沢慧音による怒涛の頭突きは、霧雨魔理沙の脳を貫いた。細胞が幾つ死んだのか数えている内に意識は遠退いて行く。段々と楽園が見えてくる頃になり、やっとの事で解放された。ふらふらする頭だった何かを抑えて席に静々とつくと、そのままくたばる。本当に遠慮のない女だと毒づこうとしたが、さすがに次は本気で殺られかねないので黙る。この女、基本的に何に対しても平等だ。誉める時は誰であろうとトコトン(まずいほどに)誉めるが、怒る時は相手が銀河大統領であろうと(殺人を厭わぬようなカンジに)頭突きをかますであろう。そんな姿勢が民心、いや、生徒の心を掴んだのか、畏れられながらも慕われる、若いながらも敏腕の超教師である。響きがかけてあるのは、魔理沙の悪意だ。
「じゃあ始めるぞお馬鹿ども。昨日の続き、百五十七ページを開け」
だからなぜその短いスカートで足を組んで座る。一体何に誘いをかけているんだ、ここは女子高だぞ、なんてツッコミを入れたら最後、終いには貞操すら奪われかねない。三年の藤原と放課後にイチャネチョしている所を、同じ三年のパパラッチ射命丸何某にFされたばかりである。たぶんそういう性癖なのだろう。触らぬ神に祟りなし……ではあるのだが、如何せん、歴史の教科書は鞄のどこにも見当たらなかった。
「霧雨、放課後きなさい」
「初めてだから優しくしてほしいぜ」
「べぶふっ……ぶ、ぶふふふっ」
「ノーレッジもな」
かくして、そんな霧雨魔理沙の一日が今日も始った。
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ここに来てもう二ヶ月となる。ソリの合わない父から逃れ寮での生活を始めた為、現在は大変望ましい環境なのであるが、なかなかに難所が多い事に驚かされる。侍女がいない。ご飯は寮で当番制。パチュリーはイジメなのか優しさなのか、朝は起こしてもくれない。送り迎えなんてありえない。みんな挨拶がごきげんようじゃない。先生が暴力を振るう。一応部活に所属しないといけない。その代わりといってはなんだが、今まで行けなかった俗っぽいお店には入れるし、汚い言葉を使っても怒られないし、校則は緩いし、それなりのメリットはあった。
思い切り浮世離れした自分がどのようにこの空間を渡り歩いて行けるかと心配したものだが、そこそこ出来ていると自負している。元から口が達者であるし、あまりお嬢様らしからぬ空気が場に適応したのだろう。それに、筋金入りお嬢様としては引けを取らないパチュリーなのだが、これがまた俗っぽい。一度なんでそんなに慣れているのかと聞いた事があったが、話してはくれなかった。知らない事は大概彼女が教えてくれるし、疑問を投げかければ咲夜辺りがコンマ数秒で即座に正しいのか間違っているのか怪しい知識を吹き込んでくれる。
友人も以前より格段に増えた。機械のようにごきげんようしか言葉にしないような奴等ではなく、賞賛もすれば悪態も吐くような輩も複数人。先生というのはトイレに行かない、ゲップしない、嘘を吐かない、そんな超常現象的人間なのだとばかり思っていたのだが、どうやら同じ人間なのだと教えられてそれも驚いた。
「なあパチュリー」
「なぁに」
「お前夢って観る?」
「見るわ。私、フルカラーハイビジョンで見れるの」
「私は所謂活動写真館だぜ」
「あら、モダンね」
席をくっつけたパチュリーに対して、そんな質問を投げかける。確かに、生活環境の大幅な変化によって得た物も大きく、霧雨魔理沙本人も大変満足しているのであるが、転校してからというもの、普段あまり観なかった夢を観るようになっていた。具体的であり、しかし抽象的。大まかに言えば、まるで自分が別世界で生活しているような、気味の悪い話なのだ。全てが断片的で、登場人物達も様々。大概が人間ではないというのが特徴的だった。一体どのような心理から来る夢なのかと、フロイト先生に聞いてみたのだが、如何せんページを開いて五秒で眠気が露わになったので、致し方なくこの本マニアに聞く事となる。
「ふぅん。夢ねぇ。さぁ。私、あまりそういうの詳しくないわ」
「聞いて損したぜ」
「ただ、やっぱり環境の変化がそういう影響を与えているのかもね。ほら、現に疲れているみたいだし」
「そう、だよなぁ」
「そこ、五月蝿い」
「あい……」
慧音に叱られて縮こまる。パチュリーはくすくす笑って、そんな魔理沙を『可愛い』と言うのだから重傷だ。チラリと咲夜を観たら、鼻辺りをティッシュで抑えていた。自分はそこまで人を興奮させるような仕草をしただろうかと数秒深い思考に陥り、難しい事を考えると脳みそが沸騰するという脅威の事実を思い出して直ぐ止める。
ともかく、良い事はあったが、その代償としてこのような酷い夢見を覚えるようになっていた。ここ三日はその状態が顕著に実生活を脅かしており、悩みの種となっている。パチュリーへ事件のことを話したのも、これに無関係ではないからだ。
「なあパチュリー」
「なぁに」
「妖怪っていうのは、ヒトを食うのか」
「喰うわ。そう、喰うわね」
「今日はここまで。そこの二人は絶対放課後くるように。ブッチしたら独断と偏見で歴史のテストは零点だ」
「超行きます。行かせてください」
「魔理沙……イかせてくださいだなんて……はしたないわ」
「……もうやだこの二人」
慧音が項垂れると同時に、咲夜は貧血で倒れ、終業のチャイムが鳴った。委員長の号令と同時に、皆は思い思いの方向へと散って行く。昼休みである。マンモス学園である為、お昼ともなれば購買と食堂が人海と化し、弱きものはそこで進化を止め、強きものが陸へとあがって行くリアル四十六億年の世界と成り果てるのだ。この辺りはお嬢様の二人は理解し難かった。解ってはいるのだが、即座に動くような真似が出来ない。咲夜辺りは貧血から直ぐに復帰すると、瀟洒に人の壁を縫うように歩いて何処かへと去ってしまう。魔理沙としては、このような事象がまだ習慣化していないのに加えて、あまり激しい動きをしたくなかった。
「授業前より格段にダルそうね」
「ダルイぜー……なんかもうホント駄目かもしれない。パチュリー、どうしようだぜぇ」
「口調がイミフよ。そうね、ここに居て。何か買って来るから」
「その必要はないわ」
まだ離してもいない二つの机の上に、パンと弁当がごそっと、もっさりと堆く積み上げられる。魔理沙がパンのエッフェル塔やぁと叫んだのが早いか遅いか、開いた口に栄養ドリンクを流し込まれた。
「んくっ……んっ……あふっ……ぷぁっ」
「ふふ、何よその顔。嬉しそうにしちゃって……もっと飲みたいの? いいわ、飲ませてあげる……」
「な、なにしてんの咲夜あんたちょっと死になさいよ」
「小うるさいbeansproutね。敗北者は退きなさい」
もやしといいたいらしい。散々口にしている悪口だが、魔理沙からみるとそこまで萌やしでもないような気がした。いや、萌やしといえば萌やしなのかもしれないが、この場合悪意ある萌やしなのだろう。確かに引きこもっているイメージは何故か強いが、彼女は病気一つ知らない超健康優良児である。バイトで帰りも遅いというのに、疲れた顔一つ見せないのには驚かされるところだ。
「ぐぬぬ……ふん。いいわよいいわよ。勝手にやってればいいわ」
「はいはい。魔理沙、甘いものとか食べる?」
「う、うぅん。た、食べるが……おい、パチュリー」
「私、一人で食べるから」
「そ、そうかい」
「去るもの追わずよ、魔理沙」
なんだか良く解らないやり取りに敗北したらしいパチュリーは机をドンと叩いてこの場を立ち去って行く。自分といえば……とりあえず、朝も大して食べれなかった事もあり、目の前の甘いものなどがとても魅力的であった。
「やっと二人で話せる」
「そう、熱っぽい視線送るの止めてくれ。私はノーマルだぜ」
「いいじゃない。まあそれはいいとして、大分お疲れのようね。朝は少し元気に見えたけれど」
「うぅむ。なんだか気力をごっそりと持って行かれているカンジがあるな。ケーネセンセに頭突かれるし」
「大変遺憾だわ。もう遺憾の意の牛追い祭りよ」
「日本語で頼むぜ。あー、そうそう。お前にも話しておくかな」
「秘密を共有出来たりするのかしら。あ、食べながらにしましょ。貧血で倒れるわよ。特に私が」
「まったく」
カロリーの高そうなパンを有り難く頂戴しながら、最近の夢について語る。基本、ヒトに夢の話題を振る事ほど無意味なものはなく、答える側としても言葉を選んでしまうような事態になりかねないのだが、咲夜は至って真剣であった。それが魔理沙補正であるかないかは定かではなかったが、その眼差しはパチュリーに無い何かがある。
「夢は夢ね」
「その通りだ。悪いな、実の無い話で」
「ただ、そのヒトを喰う妖怪というのが、引っかかるわね。貴女が話す内容だと、まるで今起こっている事件のようだし。そうよね、食べるなら、遺留品だって邪魔だし」
「それが気になって、話題にしたんだ」
ヒトを食む妖。支離滅裂な夢の中で、これが非常に具体的で、メッセージ性を強く含んでいた。夢というのは、続きを見ないものだ。以前に何処かで見たことがある、というデジャヴも、所詮はどこか似通った要素があったというだけであり、夢の続編足り得ない。脳内にストーリーが構成され、それが消化されるなど、相当夢を操れるような夢想人でしかありえない話だろう。
「夢っていうのは、本人が持ちえる情報を元にして構成されるもの。きっと事件が衝撃的だったのね……ということにしましょう」
「なんだそれ」
「夢なら、追求してもしようがないわ。それより、休日は空いているかしら」
「何故だ?」
「何故って、デート」
「……物凄く忙しいぜ」
「そりゃまた残念」
……真剣にしていた割には、気の無い返事に多少の失望を催す。個人的には大問題だが、しかし他人からすればただの夢話。これも仕方がないとして、咲夜との会話を打ち切る。彼女とくれば、まるで美術品でも定めるかのような眼で此方を見ながら、栄養ドリンク(マムシ)片手にカレーパンを食んでいた。別に気持ち悪いとは思わないというか、自重はして頂きたいものであった。
十六夜咲夜。同級生で変人で美人。彼女と知り合ったのは言わずもがなこの教室である。突如現れた変な転校生二人に対し、妙な関心を抱いたらしく、最初は訳隔てなく双方ともに接していたのだが、やがて格差が現れた。どうにも、自分を痛く気に入ったらしく……パチュリーが邪魔で仕方がないとか。本人が言うのだから間違いないだろう。パチュリーもパチュリーで、大人しい癖に彼女とのやり取りとなると、いつも熱を上げる。
成績は魔理沙の上程度。本人は運動嫌いと言っていたが、その引き締まったからだは明らかに何かを嗜んでいるものであり、どうにもうそ臭い。思った事は口にして疑問を呈し、意見が噛み合わないとすれば敵と見なす。それを言ったら魔理沙など果てしなく歯車がずれている筈であったが、扱いにも差異はあるらしい。普段何をしているのか、今一掴み所が見出せない人物だ。
「お前さ。なんと言ったらいいのか。その、私のこと好きなの?」
「自意識過剰、なんていうはずもなく。そうよ、好きよ。何か?」
「何かって。色々問題だろう。私自身そういうのじゃないし、あんまりお前に興味もないぜ?」
「ないならないで別に。振り向かせればいいだけの話」
「じ、自信たっぷりなのな……」
「自信あるわ」
ニッコリと、邪悪な腹を隠すような光を持つ笑顔になる。本人はどこまで知っていて、何処までを知らないのか。自分というものを弁えている人間というのは、甚だ恐ろしいものがある。出来れば、弁えていない類であって欲しいものだと、節に願うのである。自覚なんて言葉があるが、生きて行く上でこれほど大事なものはないと、お嬢様な魔理沙も信じている。自分、己の分相応を知らずになんでも首を突っ込んだり、キャパ以上の物事を引き受けたり、そういう輩は往々にして自滅する。他人がそれである場合は、別段問題ない。しかし、咲夜の場合、これが自覚ある計算での行動であったりすると、何か彼女の前提が崩れてしまうようで、怖いのだ。
なんでも卒無くこなし、自信を持ち、強く前を見ている人間。それは魔理沙にとって非常に眩しい。眩しすぎる故、これにはそうであって欲しくは無い。最近、新しい環境故の戸惑いと疲れは、無茶をしている証拠でもある。そんな所に、こんな自我の強い輩が近寄ってきたら、もしかしたら間違いがあるかもしれない。間違いに乗せられてしまうかもしれない。
「ほどほどにな」
「ほどほどね。まずはあのムラサキをなんとかしないと」
「お前達、仲悪いよなぁ……なんで同じところで働いているんだ。というか、何してるんだ? パチュリーは答えてくれないし」
「ひみつのオシゴトよ。魔理沙には、まだ早いわ」
「ど、同級生だぜ」
「ちっさいし」
「お前がデカイんだよ」
またそうやって謎を作ってはぐらかす。どうにもこうにも、人間不信になりそうだ。
「そろそろ休憩も終わりね。あまったのは……犬のえさにでもしますか」
「もって帰るぜ。明日の朝ご飯にする。幾らだ?」
「おごりよ」
「奢られるほど困窮してないぜ」
「知ってるわよ。グループ会長の娘ですもんね」
「毎度有難う御座います。これ、うちの子会社の商品だ。ちなみに、この学校にも寄与してる。あと、寮もうちが建てたやつだ」
「う、ううん。金持ちっていうのは、なんだか恐れ入るわ。何が偉いわけじゃないんだけど」
「ごもっとも。偉いわけじゃないんだがね、今後ともうちをご贔屓に。私のお小遣いになるから」
次第に持ち直してきたモチベーション。このまま往けばなんとか一日は凌げるだろう。あとは、頭痛のタネのような二人の抗争が起きなければいいのだが、と思う。思うのだが、慧音先生の先約があるので、なんだか今日も駄目っぽかった。
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こうして過ごす毎日は、幸せなものであった。大した不自由もなく、新しい生活は希望があり、自分は相当に恵まれた人間なのだと自覚出来る。どうせ、大人になってしまえば一人娘故、経営者にされるか、婿を取るかのどちらかしかないのだ。好きなことをやって好きに生きられる自由が、愛しくある。そんな一時だからこそ、今を壊したくないという保守的な思いは強い。
『あの女』は、夢の中でなんと言い放っただろうか。日傘を差し、金の髪を風に晒し、たおやかな身のこなしで、自分に迫る彼女。彼女は妖怪だ。どうして、そんな妖怪なんて単語が頭に浮かんでくるのか。それすらも、意味は解らない。ただ、彼女が人を食む魔であるという事実が、薄ら寒くある。パチュリーにも咲夜にも伏せたが、自分は夢の中で喰われた人と、ニュースに映った被害者の顔を、一致させている。ニュースで観たから顔が一致している、ではなく、夢を観た後にニュースを見たら一致していた、が正しい。
何時の日か、その顔は自分になるのかもしれない。勿論、絵空事である。根拠もない。夢は夢、咲夜の言う通りだ。しかし不安はある。他人事でも、対岸の火事でも、飛び火するものは飛び火する。降りかかるものは降りかかる。あの女、あの妖怪が自分の前に現れる日。果して、自分はどのような反応が出来るのだろうか。そも、逃げられるものなのか。いや、逃げる逃げないの問題だろうか。
恐ろしくある。そして同時に、懐かしくもある。自分は、霧雨魔理沙は……彼女の名前を、知っているような、そんな気がした。
彼女は、間違いなく日常破壊者。自分の幸せを完膚なきまでに打ち砕く、おぞまじき『何か』だ。
「……りさ……魔理沙」
「んぁ」
「あら可愛い。ヨダレが垂れてるわ。もう放課後よ」
「……ふいてふいて」
「だだ、だらしないわね……い、いい、いいわ、ふ、拭いてあげる……ほら、顔をこちらに突き出して……ふふ、ふふふ」
「お前、咲夜と同じような反応するのな……」
「誰があのスカポンタンの淫売と同じよ」
「素に戻るのもはやいな……ああ、そうだ、慧音センセんとこ、いかなきゃあなぁ……」
「憂鬱そうね」
「霧雨魔理沙の憂鬱だぜ」
パチュリーは、そんな自分に対していつも変わらない。変な方向に曲がったりはするのだが、軸がぶれない。それは、咲夜にも言える。一体彼女達を支えているものはなんなのだろうかと、考えてみたりもする。相手が同じ状況にある訳ではないので、均等化して平均を出すなんて真似も出来ないが、各人の抱く『自分』というものに、強い興味はあった。
自分は、あまり自分が自分であるという確証をもてないでいる。霧雨魔理沙は霧雨魔理沙だ、とか、我思う故に我あり、とか。小難しい哲学的難題に取り組んでいるものでもない。ただ単純に、本当に自分はここに居て良いのか、本当に自分があるべき場所はここなのだろうかと、うら若き精神の奈落に落ちている節があった。これは別に今に始ったことではなく、モノゴコロがついた頃からの悩みである。
『お嬢様霧雨魔理沙』が『しっくりこない』のだ。
「職員室って、あんまり入りたい場所じゃあないよな」
「そうかしら。皆優しいけれど」
「成績優秀品行方正才色兼備の仏蘭西料理みたいな奴にゃ、そら優しいだろうさ」
「なんかこってりしてるわ」
「じゃあジンギスカンでいいぜ」
「腹が減る話題だな、いいから、入れ、お前等」
職員室の前で突っ立っていた所、バックアタックを取られる。思わずお尻を抑えた。物凄い怖気が走ったのはなんでか。解りもしない。とりあえずせっつかれて、教員用の休憩室にまで招かれる。生徒達曰く禁断の個人指導室。一体誰が噂した話題なのか、と思えば、そうそう三年の射命丸が、とパチュリーが答えをくれた。碌なもんじゃない。
慧音は一人掛けの椅子にどっかり座ると、さっさと座れと二人を促す。
「最近たるんどるな――と言いたい所なのだが、霧雨、お前大丈夫なのか?」
「と、申されますと」
「顔色がよくない。朝は遅刻。授業中も心ここにあらずであるし、普段の騒ぎようからするとおとなしすぎる。最近、ノーレッジと十六夜以外、誰と喋った? 寮生ぐらいだろう」
「あぐ……」
「良く観察していらっしゃいますね、先生は」
「だからお前も呼んだんだ、ノーレッジ。コイツ、なんだかんだと自分の事は親しい人間にしか喋らんだろう。徹底的に追求してやらんと、親御さんに顔がたたん。お前を預かる身としても、見過ごせん」
深い溜息を悩ましげに吐いて、慧音は腕組みを解く。俯き黙り込む自分に対して顔を上げさせ、その表情をマジマジと見つめてくる。なんだこれセクハラか、と無粋な突っ込みはなしにする。
「目のしたにクマがある。肌も多少荒れてる。ほら、小さいが吹きでものも出ている。唇はカサカサしているのを隠しているし。明らかに寝不足だ。ノーレッジ、同室としてどうだ」
「最近寝付けていないらしいです。私が思いますところ、たぶん環境の変化で本人も自覚がない疲れが出ているものだと思いますわ。先生がどこまで彼女をご存知か知りませんけれど、びっくりするほどの箱入りですの。朝から晩まで侍女つきで、周りの世話は全部人がやっていましたし、栄養からなにまで、全部管理されていましたから」
「――それはそれで疲れそうだが、生まれてからずっとなら、そっちが習慣か。というかノーレッジ、お前だってそうだろう」
「私は……ふふ」
「お前は、あまり突っ込まないほうが良さそうだ。突付きすぎるとヘビが出そうで」
「いやですわ」
「兎も角、霧雨。お前、何故医者に行かん。せめて保健室ぐらいは良いだろう。ウチの学校は無駄に金持ちだし、設備はあるぞ?」
「ほ、保健室はぁ……」
普通なら、保健室ぐらい良いだろう。女が大半を占めるこの学校、女の子の事情で保健室利用者が多い。今更誰も恥かしがるものでもないし、誰が邪推するものでもない。ただ、一度利用してからと言うもの、あの場所はカンベンして頂きたかった。あそこに行くぐらいならば、霧雨家お抱えの医者を呼ぶというものである。都合がつけばの話であるが。
「八意先生が苦手か。うむ、なんとなく、解る」
「教師が同意してどうするんですか」
「い、いや……生理的に何故か、物凄く。しかし、霧雨。疲れは溜めたってしょうがないぞ。お抱えの医者ぐらいいるのだろう。金持ちなんだから」
「いるっちゃいますがね……親父と喧嘩してるし……」
「それも心労の一端か。なるほど、良くわかった。無理に仲直りしろなんて言わないから、ちゃんと看てもらえ。今内線で八意先生に電話してみる。空いていたら、絶対に行けよ」
そういって備え付けの電話をとると、何度か言葉を交してきった。どうやらいるらしい。八意永琳。実家が小さな医院らしいがそちらは継がず、保健師資格をとって教育を志したとか。高等部の保健医となったのはつい最近の事だ。何事にも含みを加えて語るので、そのミステリアスな存在が諸学生に受けているとかなんとか。魔理沙としては、あれは絶対に何か裏でやっているに違いないと踏んでいる。どこか底が知れなくて、末恐ろしい。
「いる。お前だと言ったら歓迎していたぞ。もう放課後だから、顔を出すなら速めにな」
「えー……」
「行って来なさいよ。私も心配だわ」
「わ、わかったよ……八意センセって……あの軽薄な笑みが怖いんだぜ……」
「かならず行くように。ああそうだ、ノーレッジは別に話がある。魔理沙一人で行けよ」
「だそうよ。帰っちゃ駄目だからね」
「はいはい……おつかれさん」
一応、頭を下げて退出する。暴力ばかりの教師かと思っていたが、意外にも鋭い観察眼と気遣いに涙が出そうだ。色々と話題がある先生であるが、間違いなく生徒を心配しているのだろう。故に人気もある。慧音の言う通り、自分は結構酷い顔になっている。隠してはいるのだが、だめなものは駄目らしい。それを考えると、咲夜あたりはそんな意図もあったって自分に顔を寄せたのではないかと、思わされる。マジマジと人の顔を見る失礼な奴だと感じていたが……いや、これは買いかぶりすぎだ。あれはやっぱり変態である。同性云々でなく、存在が。
「はぁ」
高等部だけで三棟ほど校舎があり、ここは北校舎。保健室のある場所は東校舎である。放課後になって人も閑散としだした廊下に響く足音が妙に虚しい。遠くから聞こえる吹奏楽部の合奏、校庭から響く運動部の掛け声。時折沸き立つ文化部の談笑。まるで一つほど世界がずれて、別の階層から客観視しているような感覚がある。全部が全部作り物で、今立っている場所が本当に在るべき所であるのか、疑問になってしまう。
『自分はここにあるべきではない』『本当に心安らげる場所があるはず』そんな在りもしない幻想が、皆が隠しているだけで存在しえるのではないだろうかと。自分はそれが、顕著だ。
例えば、皆が知る著名人であれば、宮沢賢治なぞもそうだ。あれの夢想し続けた世界というのは、果てしなく現世から乖離している。彼はただ単に、メルヘンチックな脳みそだったのだろうか。いや、と魔理沙は思う。どうにもこうにも、アレを描くには、『観ないと』無理なのではないか。異世界に感応し、本物のマヨヒガを知っていた、暮らしていたのではないだろうか――――――なんて、そんなどうでも良い事が頭を過ぎる。
あほらしい、と自己批判。幻想世界は幻想作家がやっていればいい話。顕著だと言っても、他人と比べた事なんてない。人間は、現実を逃れる為や娯楽の為に夢想し、別世界を作り上げたりするではないか。そうして文学や絵本や劇や映像は、出来上がっているではないか。自分がここにいるべきではない、などと悩んだところで、答えなぞありえず、自分個人がそのような特殊な存在だったとしたら、世のクリエイター諸君は皆そんな存在になってしまうであろう。特殊人種のオンパレードはさぞかし疲弊する世界だ。
「疲れてんのかねぇ、わたしゃ」
「疲れてるかもね」
「うわっひゃあ」
後ろから、顔面を両手でわしっとつかまれる。顔が動かせないので顔は見れないが、この声と漂ってくる妖艶というか妖しげというか変な気配は、間違いなく八意永琳のものだ。
「遅いわよ。待ってたのに」
「なんだそりゃ。アンタってヒトは生徒にまるで待ちぼうけをくらった恋人みたいな言葉をわざわざありがたくも迷惑に言い放つのか」
「迷惑でしょ」
「迷惑だぜ」
「ほら、入りなさい。上白沢先生が『うちの霧雨が凄く体調が悪いみたいで……私心配で心配で……えぅえぅ』とか言うものだから、どの程度ぶち凹んでいるのかと思ったけれど、そうでもないわね」
「私、その電話きいてたが、んなこといっちょらんと思うぜ」
「テレパスよ」
「さよかい……」
くすくす笑う変人二号(年功序列ではなく、発見番号)に保健室へと連れ込まれる。妙に空気が合わない彼女は本当に遠慮したい部類の人間だ。どうも、何もかも見透かされているような、不愉快な気分になる。生徒曰くの噂がそうさせているのかというと、そうでもない。直に逢い、一言二言かわしてこその不快感。今さっきの虚妄とて、もしかしたら彼女は知っているのかもしれない……そう思わせる雰囲気が八意永琳にはある。噂では某国立大首席卒業者だとか、保健師以外にも医師免許他数種類の国家資格を持っているとか、尾ひれ背ひれついて敬われている。この歳でそれはないだろう、というのが魔理沙の見解であったが、底は知れないので完全に否定したりはしない。
「さて、そこに座って」
「はいはい」
白衣の彼女はデスクチェアに座ると、側からカルテを取り出した。医者の真似事かなんて突っ込むと、その都度生徒の体調をチェックして過去と照らし合わせる義務があると返された。その辺りは無知であるので、それ以上は言わない。だが、以前見せてもらったものはドイツ語で書かれていて、チンプンカンプンであったのを記憶している。やはり医者の真似事かもしれない。
「それで、どんな調子なのかしら。人が多い時は書いてもらうけど、今日は貴女一人だから問診ね」
「医者かお前は」
「先生にお前はないでしょう。上白沢先生は先生と呼ぶのに」
「世の中序列があるんだよ。私はお前さんをあんまり信用しとらん」
「前のが相当きいてるのね」
「あったりまえだろう……どこに生徒を全裸にする先生がいる。寝てる間に」
不快感とは別に、そんな過去もある。つい一ヶ月ほど前の出来事であり、忘れもしない。朝飯を抜く日々が続いていたので、体力不足からくる眩暈を覚えた魔理沙は一度世話になっている。補助食品をありがたく頂き、とりあえず寝てろとの事であったのでその通りにしていたのだが、眼を醒ます頃には服がなかった。むちゃくちゃである。何故脱がせたと問えば『肋骨が見えてる。これじゃ栄養不足にもなるわ。なに、ダイエット症候群? 女はもう少しお肉がついていたほうが魅力的よ』と、そんな女性論を語られた。別に脱がさんでも。
「周りより平均して小さいし、どの程度ガリガリなのか見てみたのよ。本当に運ばれるわよ、病院に」
「まったく……おかしな奴だぜ。だからここは嫌いなんだ……」
「はい。おかしいおかしい。それで、今日はどうしたのかしら。上白沢先生の話ではどうも体調が優れないようだ、と聞き及んでいるけれども、具体的にどうゆう症状なの。眩暈吐き気ダルさ熱っぽさどれ?」
「たぶん寝不足。眩暈、だるさ、あと多少の頭痛」
「生理は」
「一週間前終わった」
「痩せているし、不順だったりするの?」
「そうでもない」
「なんで眠れないのか、心当たりはある?」
「……ないな。ただ、眠りが浅い」
「そうね。あまり浅いと、脳が休まらないわ。しかし寝不足となると、日々の生活環境改善、としか助言できないわねぇ」
「私もそう考えたんだ。だからこんな所にこなかったし、医者にも行ってない」
永琳は数秒考える仕草を見せると、机の引出しから別のファイルと幾つかの薬瓶を取り出す。この間、この間こそが怪しい。人が体調優れないというのに、いつも浮かべている軽薄な笑みはより一層見下すようなものになり、大変生徒に不快感を与える。他の人間にはどうかと思うのだが、人気がある、という話からすると、もしかしたら自分にしかしないのかもしれない。
「心理テストでもするのか」
「医者じゃないわ」
「そうだな」
「うーん――夢とか、観る?」
「観るぜ」
「ならこれ、でいいかしらね」
といって、一つの薬瓶から小指の爪ほどの糖衣錠を取り出す。
「おいおい、薬はまずいだろ。ここは学校だぜ? アンタがそういう免許持ってたとしても……」
「腹薬とか、風邪薬の類よ」
「怪しい限りだぜ。瓶、見せてみろよ」
「疑い深いわねぇ。ほら」
「……なんだ、ビタミン剤か」
「そ。ビタミンB12。コンビニでも売ってるわ。貴女、魚とかレバー、好き?」
「あんまり。どちらかと言えば、野菜とか、キノコだぜ」
「血色良くないものね。たまには肉とか食べなさい。ニラレバ炒めなんかいいわ。ご飯も進むし」
「つまり、栄養とって寝ろ、と」
「あんまり辛いなら休む事もお勧めするわ。ああそうだ。夕食後もしくは夕食と一緒に摂取したほうが吸収されやすくて良いわ。だから、ここじゃあ飲まないでね」
「そうかい。じゃあまあ、そうするかね」
「そうそう。一応医師免許と栄養士と土木建築一級の資格持ってるのよ。だから少しは信用なさい」
「そんな超人、この世にいるのか」
「ここにいるわ」
ニコニコと。まったく、イライラする。もう二度とこないからなと悪態をつき、魔理沙は永琳に背を向ける。正直、あまり長い間これと同じ空気を吸いたくなかった。逆に具合が悪くなりそうである。もとより個人の事情をあまり話したがらない自分だからして、医者だろうと保健師だろうと、体調すらも語りたくない。他人と喋るには一向に構わないのだが、自分の晒している部分以外を読み取られ、勝手に『霧雨魔理沙像』を創られるのがどうにもいけ好かないのだ。故、自分としても相手から寄越される対価以外は望まないし受け取らない。払ったもの、受け取ったものが多ければ多いほど、『相手の中の自分』も『自分の中の相手』も、誇張されたり、それがきっかけで誇大妄想と成り果てたり、碌な事はないのだ。親しければいいだろう。なにせ親しければそれだけ自分が何者なのかがイメージとして固まる。しかし、あまり接する時間のない人間の場合、そのイメージが曖昧になったり偏ったりする、という話だ。
「ああそれと」
「なんだ」
「――夜道は気をつけなさい。妖怪が闊歩しているわ」
「……」
パタン、と、引き戸が閉まる。聞きなおすべきかとも思ったが、再びその戸を開いて、果して八意永琳がいるのかいないのか。今まで話していた人間が、八意永琳だったのか。確証を持って特定出来るかどうか、怪しい。今起こっている事件の、単なる比喩なのか。確かに、あれはまるで神隠し。妖怪の仕業といえば、そうだ。一体、それが今までの会話の前後と、なんの関連性があるのか。
いや……例えだとしたら、そう。別に、問題ではない。先生として生徒を心配しただけの話。
勿論それが、真っ当な先生であるなら、という前提があるが。あれが自分を心配しているとは、とても思えない。自分は掌に乗せられた小さい袋に入った栄養剤を見つめて、本当にこれを飲んで良いのか、そんな不安がある。
……まさか。まさかだ。幾ら怪しく、発言に含みがあろうとも、自分は生徒。彼女は先生。では、そんな可笑しい薬を手渡す筈も道理もない。自分の体調が悪化したのならば、不利益を被るのは向こうなのである。そう、今の発言とて、自分を心配しただけ。それに違いない。
今一定まらない自分の気持ちを落ち着かせながら、歩調を遅めてゆっくり歩く。夏も近しい時期だったが、もう外は夕暮れも終盤。太陽は他界している真っ最中。窓から望めるその光景は、一際幻想的であり、また奇しくも、まるで自分がここにいる存在ではないような、虚妄に囚われる。
嗚呼、と一つ溜息。ついで、栄養剤を握り締め、歩き出す。現状、現在、現時間、現存在。霧雨魔理沙はここにいるのだ。そこに嘘も冗談もない。個人の認識で来うるセカイはここにしかない。そして、自分を認める者は自分しか居らず、他にいるものでもない。
「……魔理沙、大丈夫……?」
例え、目の前に現れた彼女が、自分を霧雨魔理沙だと認識していようとも、そもそもが嘘であったならば、その限りにはないのだ。己とは己しか持ち得ない。自分を疑う事は即ち、自分を風化させる行ないだ。それだけは、やってはならない。
「パチュリー。待ってたのか」
「うん。なかなか校舎を出てこないから、心配したのだけれど」
「なあパチュリー」
「何かしら」
「お前は、お前だよな。そしてきっと私も私だ」
それは意味のない問い。
「そうよ、貴女は魔理沙。私はパチュリー。わたしが保障するわ」
それは意味のない答え。
「帰るか」
「今日の晩御飯の当番は、確か幽香さんだったわ」
「アイツの飯……か……」
「コンビニで、何か買いましょうかね」
「そうだな」
次第にずれて行く。何もかもがずれて行く。認識。変異。前兆。妄想。虚妄。逸脱。位相がずれてずれて、認識が外れて外れて、逸脱しきったその先に、自分はもしかしたら、何か新しいものが見えるのではないだろうか。夢は単なる不安から来る心労か? この、地に足がつかない感覚は、単なる妄想か? この、どうにもならない程のもどかしさは、ただのストレスだとでも言うのか。
冗談も大概にしてほしい。それこそ逆に、まさかである。後ろから何者かの足音が、魔理沙には聞こえるのだ。『こうあってはならない』『こうであるべきだ』そんな声が、自分には聞こえるのだ。
・
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・
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・
さあ、食べなさいよ。遠慮せずに。
悪魔の声が共同食堂部屋に響く。寮生達は目の前に並べられた……いや、繰り広げられた戦いの後の如き料理? 達を目の前にして息を呑んだ。天の恵みたる食材を、一体如何なる技巧を用いれば、このような散々たる有様に変貌せしめる事が可能なのか。それは紅かった。それは蒼かった。百姓が手塩にかけて育て上げた子供達が、まさしく蹂躙されている。
魔理沙の右隣に座る留学生のアリス・マーガトロイドは気が動転して『oh.これがジャパニーズサーガ……』などとのたまい、向いの席の秋姉妹は二人で皿を擦り付け合い、左隣のパチュリーは開いた口が塞がらず、魔理沙に唇で閉じてくれるよう懇願している。魔理沙は悟った。これは混乱魔法なのだと。このエグくみえる料理だって実は物凄いすばらしい料理なのだけれど、幽香が作ったという事実が刷り込みで見せている幻影なのではないか。
――んなわけねーだろ。
「幽香先輩」
「なに。感動して咽び泣きたい? いいわ、胸に飛び込んでお出でなさい」
「はい。咽び泣きながら、おもいっきり張っ倒したいからちょっと表でろ!!!」
「あぁん? 魔理沙、随分でかい口叩くわネェ……死にたいの?」
「これ喰ったほうが死ぬわっ!! 今日と言う今日は許さんっ!! いけ、パチュリー!!」
「私は日米で大人気の某モンスターじゃないわ」
「え、だって私、体調わるいんだぜ」
「ごちゃごちゃ五月蝿いわね。食べないなら私一人で食べるわよっ」
形のいいお尻を椅子に叩きつけ、彼女はデンと構える。大皿に盛られた料理のような何かをスプーンですくうと一口。
「……」
「なあお前、味見とかしないのかよ……どうだ、まずいだろう。当たり前だ。これ料理なのか。いや違う」
「意外といけるから、私自身がびっくりしてるのよ」
「自分で作ってまじぃって解ってて作るな!! というか自分で味を再確認するなっ!!」
「良いからちょっと食べてみなさいよ」
「パチュリー、頼んだ」
「えー……」
「今日は一緒に寝てやるぜ」
「その皿全部くださいまし」
哀れな子羊を焚きつけて煽る。我ながら自覚あってこのような発言をするのだから外道だ、と自己嫌悪しながらも、しかし命にはかえられなかった。幽香が馬鹿舌である可能性が大であるからして、危険な賭けは出来ない。なんで夕食で命を賭さねばならんのか。
「……あれ、これ結構普通ね」
「パチュリー、お前も馬鹿舌なのか……なあアリス、お前もちょっと食ってみろ」
「えぇ? だってこれ、フシギダネみたいな色してるし……」
「確かに不思議だ。だが待って欲しい。色が悪いからといって不味いとは限らないのでは?」
「いや、絶対オイシくないわよ……」
「確かめる前に決め付けるのは些か早計ではなかろうか。マガトロ氏の努力に期待するほかあるまい」
「う、うぅん……じゃ、じゃあ折角だから私は紅い皿を選ぶわ……」
曖昧な論調でアリスを責めたて、まだ不慣れらいし箸を進めさせる。なんて汚い人種なんだ自分はとせせら笑いながらアリスに対しては別になんの罪悪感もなかった。
「へいどうだいステイツ」
「あ、ママのミートパイよりおいしいわ」
「欧米か」
「そうよ」
「ええい、これだから外人二人は……普段から味濃いもんばっかり喰ってるから……秋二人は」
「もう食べてる」
「なんでか、食べれるわ」
「……」
「霧雨魔理沙破れたりね。これでも一応、練習したんだから。さああんたも食べなさいよ」
でかい胸を張る幽香が勝ち誇り、なんとも言えない敗北感に苛まれる。こんな現実嫌だったのだが、逃げても仕方がない。みんな黙々と食べているのだ。幾ら先の二人が馬鹿舌でも、寮内でも料理の腕に定評のある秋姉妹が食えるというのならば……きっと食べられるのだろう。
「なんでこれ青いんだぜ……」
「なんか通販でダイエット用着色料ってのがあったから」
「ああ、食欲減退する奴ね……ってそんなもん使うなよぜ……」
「口調おかしいわよ」
「可笑しくもなるぜ……」
「魔理沙、食べさせてあげましょうか。ほら、アーンしてアーン」
青い物体をスプーンですくい、口元にはこぶパチュリー。それがもっとまともなモノならアットホームな感じにも繕えたのだろうが、如何せん青い。ちらりと横を見れば、アリスが赤い皿を『これおいしいわ。お肉とお野菜の南北戦争よ』ともごもごやっている。
「どう?」
「なんで美味いんだろ……」
「ふふ」
そうして霧雨魔理沙は敗退した。
一悶着あり、気の休まる事のない食事を終える。幽香あたりは意外な評価に気を良くして、洗い物を一人で買って出た。相変わらず仲の悪そうな秋姉妹は口喧嘩しながら食堂を出て行き、アリスは食後のティータイムを楽しんでいる。自分とパチュリーといえば、何をするでもなく食堂に備え付けられたテレビに目をやり、時間を潰していた。
時間は十八時を回り、十九時に差し掛かっている。今日のパチュリーはフリーらしく、自分の小脇にくっついていた。シフトがバラバラなのかと問えば、不定期なのよと返される。元から社会体験の一環のようにしているバイトらしいので、お金云々は気にしていないだろう。というか、バイトで得られる一ヶ月分のお給金なんぞ、パチュリーの私服代にもならないので、当たり前だろう。
『はい今週も始りました歌ってバンバン。司会のタナリです』
共同冷蔵庫から引っ張り出してきたアイスを齧り、ぼけっとしたまま歌番組を見る。実家では考えられない生活だが、自分と言う人間は適応能力に優れているのか、今や一般人の日常的光景も意識せず再現出来るというものだ。これに何かしらのメリットがあるか、と言われると甚だ疑問だったが、問う奴もおるまい。
『今週のゲストは二回目の登場、アイドルデュオ プリーストのお二人です』
「お」
「どうしたの」
「ファンなんだ。この二人」
『こんばんは。プリーストのレイムです』
『サナエですー』
「ああ、最近メディア露出の多い。ネットでも話題ね」
「ネット環境なんてあったっけここ……」
そもそも自室にパソコンはなかった気がする。だが、そのあたりはパチュリーだ。もしかしたらノートパソコンに無線LANでも挿して隠し持っているのかもしれない。追求するとおかしなものまで掘り当てかねないので、触らない。
アイドルという存在がどのようなものなのか、あまり触れる機会がない故に具体像はつかめていなかったのだが、最近テレビを見るようになってやっと理解出来た。父は俗っぽいからやめなさいとしか言わないので、自宅ではニュース程度しか見られなかったのだが、このようなコンテンツがある事に驚かされて以来、益々父が悪魔に見えた。
プリーストはつい最近デビューした二人組で、この音楽不況にありながらデビューシングル『基本的にどうでもいい』は六十万枚を突破。セカンドシングル『まじで面倒』は百万枚を突破し、名実ともにミリオンアイドルとなって期待の新人である。
紅と白をイメージカラーとしたレイムはそれが素なのか演技なのか、本当に面倒くさそうでありながら、その怠惰な雰囲気とミステリアスさがあいまり、カルト的人気を呼び、蒼と白をイメージカラーとしたサナエはそんなレイムを繕うように頑張る姿が健気だ、という庇護欲をそそるキャラクターが人気を博している。
主に男性受けを狙ったものだったらしいが、気取らない素振りが女性にも受けて、魔理沙などもファンを名乗っている。
『懐かしいあの日あの時に~』
『いえなかった想いが悔しくて~』
「八十年代みたいね」
「私はよく知らないけれど。なんかあの二人を見てると、なんだろ」
「何?」
「変に懐かしくって」
アイドルなんてものに熱をあげたのはこれが初めてであるし、歌謡曲も殆ど知らない。CDだってこのシングル二枚しか持っていない。一体どのような心理的影響が及ぼされているかなど、解りもしないし考えた事もないが、ただどうしようもなく懐かしい気持ちだけが、自分の中にはあった。
『君は幸せになれると信じていたけれど』
『それが間違いだって気付いたの~』
「……」
「いい曲だろ?」
「そうね。古臭くて。悪くないわ」
「なんだい、それ」
「お風呂入るわ。先いいかしら」
「あいあい」
普段なら、もう少し反応があってもおかしくはないのだが、パチュリーの言葉に気がない。あまり自分の好きなものを押し付けるのも不躾だなと思い、それ以上の言葉はかけなかった。ただ、何かあれば一緒になって頷いてくれる普段の彼女からすると、不自然ではあった。
「魔理沙は」
「うん?」
「なんだか、つまらなそうね」
「……」
ティーカップを片したアリスが、ふと此方へと話し掛ける。親しい仲ではないのだが、同じ寮生として度々言葉は交わしている。だが、このような物言いをされるのは初めてであった。何故、何を想ってそう言葉を紡いだのか。自分は返答に困る。明らかに、自分という人間は、今を楽しんでいないのかもしれない。こうしてアイドルが歌う姿を見てウキウキするというよりも、ありえない、何か、ひどく、不確定な感情を求めている節がある。
歌は良いと思う。だが、世の中知りもしないものを懐かしいと言って好む人間も、少ないだろう。
「そう、かな」
「ううん。ごめん、そうおもっただけだから。おやすみ」
アリスはそういって出て行く。パチュリーの反応も薄かったが、アリスに至っては何か、言わなければいけないことを口にした、という発言の消化義務を感じた。誰かに言わされたのかとも考えてみるも、そんな面倒な事をする輩は周りにいない。皆、自分勝手である。
「なあ幽香センパイ」
「あぁによ」
「私って、つまらなそうか? 結構、楽しんでいると思うんだが。こっちに来て、色々な事があって、驚く所もあるけど、私ってそんなに不自然で、つまらなそうにしているだろうか?」
「難しい話は止して。私、そんなにあんたの事、観察してないわよ」
ごもっとも、と頷く。確かにその通りだ。皆が皆上白沢慧音のような観察眼を持ってきたら気味が悪い。一々多少の変化に突っ込まれていたら、気が気ではない。助言とは嬉しくもあるが、行き過ぎると単なる嫌がらせだ。なんでお前にそんなもん指摘されなきゃならんのか、嬉しくしてようと、憂鬱にしていようと、勝手ではないか。
「……まあ、あんまり気にしないことね。アリスがどういっても、あんたはあんたでしょ」
「含蓄あるお言葉痛み入るぜ」
「一個上なだけだって……あら」
「どうしたぃ」
「この薬、あんたの?」
大きな溜息を吐く幽香がふと見下ろした先。片付けた食器の傍に、小さい袋。
「ああ、私の」
「薬なんて飲むの? なに、本当に体調が悪いわけ?」
「ただのビタミン剤。眠れないって行ったら、保健の永琳が」
「はいはい。なるほど。これ、水」
「どーも」
解ったのか解らないのか。曖昧な返事をしてから、幽香がコップに水を汲んで差し出す。小さい糖衣。これを飲むのだ。飲むらしい。飲むのだが、なんだか妙に、勇気がいる。
「なあ、八意永琳ってさ」
「うん?」
「怪しいよな」
飲む。なんのつっかえもなく、水と一緒に流れて行く。
「確かに。あれはきっと、裏で何かしてるわ」
「お前もそう思うよな。そいつに渡されたものだから、だいぶ疑ってて」
「案外、ヤバイやつかも」
「じょ、冗談きついぜ」
「一応先生なんだから、ダイジョブでしょうけどね」
「だよな」
そう。別段と変化もない。当たり前だ。ただのビタミン剤。これで少しは寝るのが楽になるとおもえば、アイツに顔を出したのだって、安いものだ。あんな夢を観なくなれる。それは幸せだし、寝不足が実生活に影響を及ぼしている限りは、これが解消されるほど気の休まる話もない。疲れているだの、楽しくなさそうだの、散々言われているが、それも今日でオサラバだ。
夢。妖怪。たびたび心を揺るがす、郷愁と自己存在への疑問。
疲れているからこそ。そんな心労を煩うのである。
「もう寝ちゃいなさいよ。パチュリーがお風呂つかってるなら、うちの部屋のシャワー貸したげるわ」
「なんだ、へんに優しくて気持ち悪いぜ、幽香センパイ」
「そうかしらね。だってあんた、本当に疲れた顔してるし」
だから、それはもう、今日でお終い。
『いやー、レイムちゃんもサナエちゃんも、かわいいねー』
『はぁ。ありがとうございます』
『れ、れいむ、もう少しなんとかならないの……』
『『あはははははっ』』
「あら、ねえ、魔理沙?」
きょうで、おしまい。
『れいむちゃんは、やる気ないねぇ(笑)』
『はあ。そうでもありません』
『そ、そーよねぇ、あははは』
嗚呼 なつかしい こえがきこえる
・
・
・
・
・
「……何か、気がついているのかしら」
シャワーにあたりながら、一人ゴチる。ここ最近の霧雨魔理沙の行動と言動。そして体調の不良は、傍目から観れば体力低下とストレスから来るものだろう。自分もまた、意識しなければその理由で納得する。だが、魔理沙の観る夢というのはその連続性から、観ているものではなく、観せられているものに近いのではないだろうか。何が言いたいかといえば、そのような志向性を持つ意識への介入が、彼女を苦しめているのではないか、ということだ。
世には異世界に感応しだす人間がいる。海であったり、山であったり、人の夢見た理想郷であったり。もしかしたら自分は別世界の人間なのではないか。この不調は、不適合な社会にいるからこそなのではないだろうか、といったような虚妄の類だ。妄想と斬り捨てるのは簡単だが、これがその人間にとって真実であった場合、死に至る病である。
彼女に出会ったのはもう十年も前だ。大企業同士の会合につれて行かれた自分と、そこにいた魔理沙。同じ学校に通っているという事実が判明し、親同士が仲良くなり、自分達も自然と遊ぶようになった。
そう、彼女の殆どの人生を、自分は隣で見てきている。彼女は……少なくとも十年間は、人間だ。それ以前となると、解りえないが。ただ、こういう問題の場合、先祖がえりなどもある。数代前が人間ではない、もしくは別世界の存在であった場合、『ここを良しとしない』ようになる可能性も否定出来ない。
最近、霧雨家の軌跡を調査した。戦後の焼け野原に開かれた闇市を基盤として成り上がった家系で、創業者は曽祖父。その後祖父、次男坊であった父、と受け継がれ、現在に至る。この流れに何か不自然な点はないかと探ったが、これは見つからなかった。それを言ってしまえば、自分の家系の方がよっぽど怪しい。その何の変哲もない、地と汗と涙の結晶たる家系におかしな点はないが……霧雨魔理沙自身については、つっかかる部分があった。
魔理沙の生まれる一年前から九ヶ月前にかけて、父は大病を患い入院している。まさか、入院中に? というのが、小さくも一番の問題であった。
「一番としての可能性は、もらわれっこ」
孤児であった可能性。拾われた可能性。ここはまだ調査中であったが、確率的に高い。それ以前の先祖がえりとなると厄介だが……。
「妹様、何か気がつくところはないかしら」
――――風呂からあがり、バスタオルで体を拭きながら、そう『小さい生物』に話し掛ける。
『ないわね。常人と言われると怪しいけれど、かといって妖とも言い難い』
「そうよね。彼女、ただのお嬢様だものね」
『どうかなぁ。発言を紐解くに、かなり向こう側の世界を見ていると思うけれど』
「貴女達スカーレット姉妹が追う妖っていうのは、相当の力を持つのでしょう。夢に干渉出来たりするのかしら」
『可能ね、そのぐらいなら私達だって。お姉様ほど詳しくはないけれど、なんでも曖昧にしてしまう力があるらしいわ』
「曖昧、ね。魔理沙の精神状態なんて、きっとそれ」
『うん。魔理沙可愛いのに、あんな疲れた顔しちゃって、可哀想ね』
「あげないわよ」
『いじわるね。いいじゃない、少しぐらい血をもらっても』
「その格好だと多少デカイ蚊ね」
『むっかー』
この手乗りサイズの吸血鬼、フランドール・スカーレットには、一ヶ月ほど前に出会った。最初こそ驚いたが、話してみると奇想天外な話題のオンパレードであり、なかなかに面白い。今、自分という人間は彼女に協力する、という名目で、魔理沙の近辺を探るような真似をしていた。
東欧の奥地に住んでいたスカーレット姉妹であったが、突如現れた大妖に力を封じられ、こんな姿になってしまったらしい。敵が東の国へ逃れたと聞き及んだ二人はそれを追ってこの地にやってきたのだとか。詳しい事情は知らないが、面白そうなので付き合っている。タダの厄介ごとならばさっさと退散頂きたいのであるが、今回の連続失踪事件はその妖が関わっており、尚且つ魔理沙がその鍵を握っているのでは、と言うことから、無碍にはしてやれない。
「今日は何事もないといいけど」
『毎日襲う必要もないのだと思うわ。気配も残り香程度だし。そうだ、今度は此方から攻めてみましょうよ。魔理沙の友好関係なんてどう? かなり怪しいと思うわ』
「そうね、何時までも守りだと、咲夜さん達に先を越されてしまいそうだし」
『そうそう。お姉様ったら、争い事になるとムキになるから。仲が良いっていっても、勝負はいつも真剣なのよ』
バイト、というのは口実だ。追うモノが妖なのだから、活発になる夜はいそがしい。夜に出て行くとなると弊害が出る。疑われる。故に、バイト、という名目でこうしているのである。スカーレット姉妹本人達は力を封じられて身動きが取れないが、それ相応のキャパシティを有した存在、つまり、自分や十六夜咲夜などを媒体とすれば、それなりに力を振るう事が出来るとかなんとか。
協力というのはそのまま、妖退治、と言う事だ。
「ねえ、パチュリー? ちょっとあけて。魔理沙が」
「幽香先輩……? 妹様」
『あいあい隠れる隠れる』
「はい只今」
ドンドンと叩かれるドア。幽香の少しばかり焦った口調が気になる。扉を開くと、そこには魔理沙を背負った幽香がいた。思わず小首を傾げる。魔理沙はぐったりとしていて、意識がないようだ。気絶するほど疲労していたかと考えて、いやいやと頭を振る。先ほどだって幽香と小競り合いをしていたではないか。
「どうしたんです」
「薬を飲んだ後、直ぐに気を失って。脈はあるわ。貧血かしら」
「最近疲れた様子だったから。とりあえず、ベッドまで運んでくださいますか」
「ええ」
血の気が引き、顔色がよくない。呼吸は正常だが、全体から全く生気が感じられなかった。
「薬、というのは」
「八意の馬鹿からもらったビタミン剤を飲んだ後」
「ああ、そういえば、そんなものを……」
「まさか、ビタミン剤なんかで副作用なんて」
「あるはずがない。それじゃあ、ご飯食べられないわ」
「アレルギーとかは」
「彼女、あまり種類を食べないだけで、何でも食べるわ。十年も一緒にいるから解る」
「そう、よね。どうしようかしら」
「たぶん貧血ね。幽香センパイは戻ってもだいじょうぶ。私が面倒をみますわ」
「……じゃあ、お願い」
いつもいがみ合う割には、酷く心配そうな幽香を見送り、再び魔理沙の容態を見る。ビタミン剤といったか。それは偶然で、そのタイミングで貧血を起こしたのか。今一良く解らない。得体の知れない精神不安からの防衛機能として、意識を遮断したのだろうか。そんな弱い魔理沙は観たことがない。明らかに、その『ビタミン剤』が問題だろう。
保健室から出てきた後の魔理沙。あの現実を見ていない目は、何があったのか。少なくとも、保健室へ行く前の彼女は此方を見ていた。八意永琳が……いやいや……あれはただの先生では、なかっただろうか。
『パチュリー、魔理沙の中から、妖気を感じる』
「――なんですって?」
『薬といった?』
「ええ、保健の先生からもらったらしいけれど」
『今からじゃ手出しできないわね……といっても明日いるかどうか、も怪しい。そいつって、元から居た先生?』
「いいえ、ここ最近。私達が転校するのと同時期ぐらいに……ああ、こりゃ、くさいわね」
『ともかく、取り除かなきゃ。中に入ってみるわ』
「えちょ、そんな事できるの」
『まさか胃の中に入ったりしないわ。強い妖気が出ているのは、夢を観ているときもそう。今はその状態が顕著なの。普段なら見過ごせる程度だけれど、これはちょっとまずいわ』
「精神に介入するのね」
『頭が良いと話が伝わりやすくていいわ。私はここを引き受けるから、貴女は永琳を。場所、解る? 私が探ればいいのだけれど、今は緊急時』
「確か、この街で開業している医者の娘って」
『それも怪しいけど……』
「探してみるわ」
『お願い。お姉様には連絡しておくわ。たぶんそちらの方が早い』
フランは小さい光の弾になり、昏倒している魔理沙の中へと入って行く。こうなると、自分は祈るほかない。一番大事な所で何も出来ないというのは、歯がゆいものであった。
何故魔理沙が。何故、こんな異変に自分が巻き込まれ、魔理沙が巻き込まれているのか。面白がっていたはずなのだが、それは、やはりヴァーチャルとしての感覚で楽しんでいたからなのかもしれない。実際にこうして被害者を目の当たりにすると、辛いものがある。なにより、それが最愛の魔理沙である事実が、あまりにも痛い。
変な子だった。幾らお嬢様だといっても、どこまでも非常識で。夢見がちな子であったことも、覚えている。口は悪いが、彼女は間違いなく乙女で、他愛の無い夢を語っては自分はそうねそうねと頷いた。
まさか、そんな出来事さえも、現在に関わってくるなど……。
敵が見えない。幾度か交戦した『あの女』とて、実像が掴めていない。そこにまさか八意永琳なぞという、正体不明の存在が交わってくるとなると……考える事が、沢山あった。あのいけ好かない十六夜咲夜には負けまいと、意地を張っていたのだが、もしかしたら、もうそのようないがみ合いをしている場合ではないのかもしれない。こうしている間にも、犠牲者は増えている。
異界とは一体、何をさしているのか。それは単なる楽園幻想ではなく、確固として存在するものなのか。
――――――霧雨魔理沙は、今何を観ているのだろう。それは楽しいせかいなのだろうか、辛いセカイなのだろうか。日々人間や妖怪や幽霊が闊歩して酒をのみ歌い暮らしているのだろうかその意味は使命はあるのかはたして彼女達は幸せなのだろうかそれは永遠なのだろうか終わらない時間に時代なのだろうかいきとしいけるものたちすべてが幻想と成り果てた世はどこまでも怠惰でかわいらしく若々しく春をたのしんでいたのではなかっただろうかある霧の深い日ある春の来ない日ある夜のあけない日ある花が咲き誇る日ある秋の出来事ある月への幻想彼女彼女達の物語ははたしてどこへつづき至るというのか自分はその中にあったことはあっただろうかいやまさかそれはありえまいしりもしないせかいにいた記憶なぞあるはずがないとしょかんのほこりにむせていたのだからいつもせっしていたわけではないしああくやしいじぶんはもっとただしいせかいをつくれるのになぜなぜなぜなぜりかいしてもらえない有限のラクエンにはいつかしゅうえんがおとずれるというのになぜそれがわからないなぜりかいしないなぜ戦おうとするなぜなぜなぜ――――――――
「――――う、うん?」
……。
ぐるぐると、思考が回る。意味不明な言葉の羅列が脳内を巡回する。もしかしたら、フランが観ているものを、自分が感じとっているのかもしれない。知らない単語に理解など及ぶはずもないのだ。ただしかし、理解はし得ないが……所謂、魔理沙の言う所の、懐かしさだけは、郷愁だけは、何故か覚えがあった。
「――幻想郷」
フランを通じて、そのような単語が浮かぶ。その言葉はあまりにもどこまでも懐かしくて。手が震える理由がわからなくて。零れ落ちる涙が、ただただ、頬を伝った。
・
・
・
・
・
あのビジョンがなんであったのか。曖昧模糊な情報と、不確かな言葉。蠢動する心。沸き立つような想いと、震える精神。霧雨魔理沙が懊悩し煩悶とする自己への疑問、その核心部に触れた為であろうか。
――あまりにも深く尊い悲しみと、覚えのない後悔。
まるで一枚、見えるのに見えない、そんなヴェールに覆われているようである。確かにそこには、パチュリー・ノーレッジが至るべき確証がある筈なのに、形はしっかりとしていて、必ず手に出来る物である筈なのに。その幕を越える事が出来ない。
霧雨魔理沙は何を観ているのだ?
この流れる涙はなんだ。この果て無き郷愁はなんだ。思いを馳せるべき地などない。自分は都会から都会へと移った根っからの都会人だ。深い情を窶す程の里が、自分にある筈などない。それこそ、先祖がえりでも起こしたというのか。
自分はパチュリー・ノーレッジ。貴族の遠縁で、大企業の娘で、なんだか解らないけれど、へんな生物に魔法少女を半強制させられている、少しフィクションじみた、普通の女の子ではないか。小説が好きで。雑学が好きで。ジャパニーズサブカルチャーを好む、オタク気味の日陰者風の、健康優良児。それは、間違いなく。己を己と判断出来るのは己のみ。親や他人などではない。ここに居るからこそ自分なのであり『ココ以外の何処かに私がいる』なんて冗談は、自分には通じない。
――――お前は、お前だよな。そしてきっと私も私だ。
保障するといった。そう嘘をついた。当たり前だ。そんな保障、誰が出来るものか。他人が認識する自分なぞ、自分の一部分でしかない。親とて全部は理解出来ない。そして、自分すら疑問になってしまった人間は、自分すらも保障出来ない。
「はっ……はぁ……う……ぐっ……ぐずっ……」
熱くなる胸はどうあっても冷めず、自分の白い肉を焼く。混沌とし、収拾のつかなくなった脳みそは思考を破棄、理性よりも本能を優先し、防衛へと移行する。理解しようとすればするほどに、グラグラと脳は溶け出し心臓は張り裂けそうになる。
(今はまず……八意永琳を探さないと……!!)
考えるべき事は多々ある。思い悩むべき事は数多とある。だが、まずは魔理沙に手を掛けた相手を探さなければ。魔理沙がこの答えを持っているかもしれない。あの調子では、もしももありうる。フランを疑っている訳ではないが、最悪のケースを考えて動かねば、未来がない。
手に掴んだ制服を着こんで、表へと飛び出す。日はすっかりと落ち、辺りは人工の光が人家を照らしていた。空を見上げれば丸い月。星は隠れてみえやしない。これから夏だというのに酷く肌寒くて、憂鬱になる。髪だってまだ乾ききっていない。風邪をひいてしまうかもしれないが、その時は魔理沙にでも看病してもらえばいい。だから兎に角、目標を発見せねば。
しかし、果して永琳はどこにいるのか。探知はフランの役割だが、今はいない。自分個人が力を振るえない訳ではないが、敵の発見は彼女の役目だ。そうなると、姉のレミリアを頼れば良いのだが、しかしそれに接触するとなると、セットでアレがついてくる。確か、フランは連絡すると言ったはずだ。……いけ好かないが、今は形振りを構っていられない。携帯を取り出し、短縮ダイヤルを押す。フランが居ればこんな魔法少女らしからぬ通信機器に頼ったりはしないのだが、これも緊急時ゆえ。この辺りがリアリティに溢れていて、半端にファンタジーだ。
「……もしもし、パチュリーだけど」
『言いたい事は沢山あるけれど、今は共同でいいわ。あんの馬鹿女、叩きのめしてやる』
「咲夜、場所は」
『幻想町の五丁目』
「……随分と街の端ね」
『そこに広大な敷地があるでしょう。竹が生い茂っている』
「解った。此方は妹様が魔理沙に掛かりきりだから、行くには少し時間がかかるわ」
『――――待つから、早くきなさい』
「すまないわね」
『飛べ……ないのよね。まったく、半端な魔法少女よ』
「初めて貴女の意見に同意するわ」
幻想五丁目というと、この学園都市でいう中等部校舎があるあたりだ。高等部とは正反対に位置しており、寮のある場所からもだいぶ離れている。薄暗い路地を抜けて大通りに出るが、流して走ってもタクシー一つ通らない。公共交通機関は朝と夕方に集中している為、もうこの時間帯は一時間に一本しかこない。流石にイライラしてくる。魔法少女なら空の一つも飛べというのだが、羽となるべきフランがいない。大体、こんなファンタジーで出来ている癖に、なんで敵を目前としてバスの時刻表と睨めっこせねばならないのか。
大体がおかしい。なんだ魔法って。巫山戯るな。アニメや小説じゃあるまいに、日曜朝にやっているような変身ヒロインをこのギリギリの歳で演じねばならないとは……なんてメタフィクショナルな出来事に異議を唱えたところで、しかし現実は目の前にある。幾ら曖昧な思考が介入しようとも、この肺が苦しくなる辛さも、足に溜まる乳酸も、どうやったって『これはフィクション』なんて言えない。
「はっ……はあ……これで喘息だったら、死ねるわ……」
などとゴチてまた速度を速める。まだ走れる。まだ行ける。自分は健康優良児だ。体育だって休んだ事はない。むしろ、人並み以上だ。咲夜には負けるかも知れないが、魔理沙には勝っていると自負する。今こんな状態で誰かと身体能力を比べてもしようがないのであるが、真っ白になって行く頭を覚醒させる為にも、多少の思考が必要である。
ニキロ走り、やっと幻想町の二丁目に差し掛かった。駅伝でもさせる気か。人通りの多かった商店街を抜けて、路地へと入って行く。手元の携帯電話に配信されるGPSを見ながら、というのがまた物悲しい。ここに来てまだ二ヶ月。通っても居ない場所の地理までは把握していない。
敵を追い求めて、ノタノタと走って、果して相手は待ってくれているのだろうか。アニメ的場面転換が非常に欲しくなる。アレは便利だ。
「んああぁもうっ!!」
――――どうも先ほどから、細かい事を気にしすぎる。今の今まで、自分が『魔法少女』である事に対して、疑問など持っただろうか。いや、考え方を替えればまた違う。
ヒロイン達は、自分にカメラが当たっていると、自分が演じさせられていると、気にした事はないのだろうか?
(五月蝿い五月蝿い……だまれ私……考えてる暇があったら走れってのよ――!!)
これも先ほど感じた、魔理沙からの情報の影響なのだろうか。深みに嵌って、もしかしたら抜けなくなってしまうような疑問。魔理沙が話した、人を食む妖怪の話。自分が自分ではないのではないかという、浅はか極まりない、自己喪失。この答えを、誰かが持っているのでは。魔理沙は気がつき始めているのではないのか。自分もその一端を、担っているのではないか。
「ノーレッジさん!!」
「咲夜ッ!!」
とにかく、いまはとにかく。そんな状況に陥らせた、主犯を何とかせねばなるまい。経緯を考えるに、八意永琳が霧雨魔理沙に対し、何かしらのアクションを起こし、現状に持ち込んだことは確かなのだ。彼女の行動こそに真意があるなれば、ぶん殴って尋問するほかない。本当に何も知らない癖に、知ったような口を聞いて自分を繕う弱い魔理沙。なんの力もなくて、生きる智慧もなくて、それをただただひた隠す弱い魔理沙。そんな彼女をずっと支えてきたのは他でもない、自分なのだ。
一番大事な時に助けてやれなくて――何が、愛しい人だ。
「ここ、なの……? それにしても、随分早く相手の居場所が解ったわね」
「此方だってぼーっとしてる訳じゃないの。魔理沙があんな調子であったから、何者かが動きを見せていると、睨んでいたから」
それも唐突な話だ。というか都合が良すぎないだろうか。多少の疑いもあるが……もう一ヶ月近くこうしているのだから、ありうる話、なの、だろうたぶん。魔理沙が異界や妖に感応しているのではと睨んでいたのは、咲夜も同じなのだから。
「……え、竹林の、奥なの? けったいすぎる場所ね……」
「まあ、真っ当な奴じゃなさそうだし」
住宅地から少しばかり離れた場所一帯を覆い尽くす竹林。この裏側は裏山に通じている。そこを越えれば別の街だ。こんな辺鄙な場所に居を構えている……というのは、不自然であるし常識を疑う。そも、あれに常識云々が通じるとは思えないが。竹林の外周をしばらく歩くと、人が一人通って行けそうな小路を見つける。辺りは街灯も少なく、だいぶ薄暗くて不気味だ。咲夜は率先してズカズカと踏み入り、自分はその後ろをついて行く。
「ねえ、咲夜」
「なに」
「『あの女』と関係あると、思う?」
「勢力が二つだった場合違うでしょうね。でも、狙っているのが魔理沙なら、両方とも敵よ」
「ではその場合、何故保健室で何もしなかったのかしら」
「だから、ただ呆けていたわけじゃないわ」
「監視してたのね」
「貴女が離れちゃうから、仕方なく。八意も気がついて手を出せなかったんでしょう。以前は貴女が魔理沙を迎えに行ったわね」
「……そういえば、魔理沙は脱がされた、なんて言ってたわ」
「これは貴女の失態ね」
こればかりは言い返せない。咲夜の冷たい目線が刺さり、縮こまってしまう。確かに変な人間ではあったが、まさかこのようなかかわり方をしてくるとは予想だにしていなかっただけに、己の甘さが際立ってしまっている。魔理沙の不調がただの疲れから来るものではないと承知していて、けれど保健室に行って少しでも楽になれば……なんて想いがもう生温いのだ。
もう過ぎてしまった事をいつまでも悔いていても仕方が無い為、考えを切り替える。咲夜とて悩んでいるだけの人間なぞ足手まといだと思っているだろう。
「魔理沙を……さて、どうする気なのかしらね」
「それは本人にききましょうか」
異界を観、異界に思いを馳せ、葛藤する彼女に何か、秘められた可能性がある、という事なのだろうか。スカーレット姉妹が追う大妖の主眼は魔理沙であると確定しているが、八意永琳の場合、どこに通じているのか。魔理沙は今も夢を観ているのだろう。フランを通じて、その断片が度々脳内にフラッシュバックを起こすようにして、自分の記憶に介入してくる。
幻想郷。魔理沙が観る『自分のあるべき場所』。呼んで字の如くか。そこは幻想種の住まう場所なのだろうか。もしかしたら、マヨイガの一種である可能性もあるし、人々が夢見た桃源郷の別名なのかもしれない。
「幻想郷」
「――――? なに?」
「先ほどから、魔理沙の夢に介入した妹様を通じて、私に流れ込む記憶があるの」
「……幻想郷……なんだか、どこかで、きいたような、きかないような……」
「そうでしょう。私もなの。凄く懐かしい感じがして、でも、私そんな場所を知らない」
「そこが、魔理沙の夢見る『自分が自分であるべき場所』なのかしら」
本当にそろそろ、答えが欲しいものである。
『咲夜、何か来る』
「お嬢様……?」
竹林を歩み始めて十分。そこまで広い場所であったか、それとも同じ場所をぐるぐると回されていたか。定かではなかったが、風景の違った場所にたどり着く。まるで円のようにくり貫かれた、竹で覆われた舞台。四方二十メートル程度だろうか。今まで黙り込んでいたレミリアが顔をだし、警告する。
「なに、とは」
『なにかよ。アレの手下かしらね』
「手下なんて事はないわ。そう言うことになっているだけで、実質違うのよ、本当よ?」
それは自分達二人が気がつかぬ間に、目の前へと馳せ参じた。一点だけ、まるで月の加護を一身に受けるかのように光を浴びる黒く長い髪。その女が纏うものは高等部の制服であり、そして見覚えのある顔であった。ニコニコと微笑む顔は無垢で、しかし秘められた妖艶さはおぞましくもある。
「お話も佳境ね。だいぶ手違いがあるみたいだけれど、まあこの分なら貴女達二人分のストーリーくらい消化出来るかしら」
「何を言っているのかしら、この人……アニメの観過ぎ?」
「私に聞かないで。デンパちゃんなのよ、きっと」
『あまり私を完全否定するような発言はしないでくれるかい』
「――――あら、やだ。結構自覚があると思ったのだけれど、そうでもないのね。ならシナリオ混乱させても意味ないわ。ほらほら、私は貴女達の障害よ。良く有るでしょ、大きな敵と戦う前に出てくる小物。小物ってのも不愉快だけれど、倒さないとね」
蓬莱山輝夜。いつもは保健室に詰めている、幽霊クラスメイトだ。正直な所、パチュリーも咲夜も殆ど顔など見たことがない。言わば唐突すぎる登場である。とはいえ、敵と名乗る以上は戦う以外に道がない。コレがどのような意図を持ち自分達の前へ立ちはだかるのかは定かではないが、基本的にそんなもんはどうでもいい。邪魔するならぶちのめす。二人は意外と体育会系である。
「あんまり時間は食いたくないわ……」
『二手に分かれるのが得策だろう。どうする』
「じゃあ、ノーレッジさんが先に行って。私はなんだか、コイツをぶん殴らないといけないような気がする」
『……ふぅむ。なんだか、私もそのような気がしてならないわね』
「解った。では、お願いね、咲夜」
「あ、なるほど、パチュリー・ノーレッジのお話を取るのね。解ったわ、見逃してあげる」
先ほどからウダウダと抜かす蓬莱山輝夜を気にしつつも、大本を仕留める為先に進む。なんだって、ああいう怪しい輩はみな笑顔なのか。それは余裕なのか、もっと別の感情に由来するものなのか。パチュリーは判じかねた。
まるで自分達が物語の登場人物のように、彼女は語る。いや、シナリオというのは、八意永琳が作る策謀の道筋なのかもしれない。……とも考えるが、やはり何処かおかしい。先ほどの自分とて、そのような考えを持っていたではないか。
もしかしたらここが、全部作り物の世界なのかもしれない。自分達は役者で、誰かのシナリオに沿っているだけ。しかし、そうなるとだ。役者ではない本当の自分は何処にある? そんな物はない。それこそ、魔理沙の抱く悩みの根源にも近しい、答えの出ない答えだ。散々そんなものは虚妄でしかないと否定しきって、今更再考察する必要もない。あれはあの女の酔狂。
自分には戦う相手がいて、魔理沙がピンチで、解決する問題がある。それだけが、真実でいい――
「きたきた。待ちくたびれたわ」
「待っていたのなら、そちらから顔を出しなさいよ。もう走りつかれたわ」
「そうもいかないわよ。そういう話の構成に……あ、いや、なんでもないわ」
「……なんなのかしら。先ほどのアイツもだけれど、まるで自分達がお話の中にいるかのような発言をして」
「だから、なんでもないわよ。重要な事はそこではないでしょう。貴女は私を倒しにきた。魔理沙を救う為に」
「……」
――しかし、酷い違和感を感じる。自分がここに立っていることに、疑問をもってしまう。こいつは敵で、自分は魔法少女で。そんな構図が、だいぶ捻れている……歪になっている。
「彼女はどうかしら。今ごろ夢を観ていると思うけれど」
「観ているわ。目的は何。絶対に喋ってもらうわ」
「そんな事? 構わないわよ、別に」
生い茂る竹の陰から身を表す八意永琳。その姿は保健室の先生をしている時とかわらない。白衣を纏い、銀色の髪を一本に束ね、悠然と歩いて来る。違う所といえば、その手に弓矢がある事だろうか。
「霧雨魔理沙。その身に秘めた力は、八雲紫が失って久しい、異界への扉。別たれた異界への道程」
「……八雲紫。つまり、あの大妖の事ね」
「ええ。本当は私が直接魔理沙を開腹する予定だったのだけれど、貴女達の監視がどうにも緩まないから強硬手段に出た。それだけの話よ」
「――――貴女も、あの女の一味だと?」
「そう。私は雇われだけれどね。異界を解放して、この世界を妖で埋め尽くす。八雲紫はその一部しか、今は扱う事が出来ないでいる」
「異界ね。異界。つまり、魔理沙自身もまた、そちらの存在であると」
「そうよ。これから先、彼女が覚醒すれば、もう後戻りは出来ないわ」
「――なるほど。それが『幻想郷』なのね」
「そうそう妖怪郷――うん? なに、幻想? は、はぁ……? ちょっと、パチュリーさん何を。え、貴女、自意識があるの? 可笑しいわね、管理者権限は……あ、あらら?」
「に、日本語か英語かヒンドゥー語でお願いするわ」
決定的に、どうにもならないほどに、どこまでもどこまでも、絶対的にずれている。話が、噛み合っていない。
「メタフィクショナル度が増加してるのかしら……参ったわね」
「な、何? メタがなんですって?」
「……質問してもいいかしら」
「な、なんで敵に答えてやらなきゃならないのよ」
「まあまあ。貴女、自分が何者だか解るかしら」
「何者って、私はパチュリー・ノーレッジよ」
「そうじゃなくて……紅魔館とか、大図書館とか」
「それは、市の施設とか、迎賓館?」
「幻想郷って、なんだか解る?」
「知らないわよ、そんなけったいなもの。魔理沙の故郷なんでしょう?」
「……しかたない。とりあえず進めましょうか……さ、いいわ、攻撃してきて」
「は、はあ?」
八意永琳は両腕を開いて、攻撃するよう命じてくる。どこか悪い部分を打ったのか、夕飯にいけないものを食べたのか。言っている事の一つも理解出来ない。メタフィクショナルといえば、つまり登場人物達が演技者であるという自覚を持ったり、観客に語りかけたりするような劇や物語の手法の一つであるが……この場合、何と誰を指しているのか、さっぱりである。
とりあえず、攻撃しても構わん、というならば此方は否定する義理がないので、ぱっぱと攻撃することにする。こんな状態ではこっ恥かしい半裸になるような変身シーンもいらないような気がするので、フランから授かった真剣狩素敵『レーヴァンテイン』を出すだけで十分である。
「……こ、攻撃するわよ? いいのね? 倒しちゃうわよ? ……反撃しない?」
「しないから」
「ホント?」
「しないしない」
「じゃ……ええと、ろ、ロイヤルフレア!!!」
暗い竹林を照らす紅の光弾。ぐるぐると円を描き迫るそれは、状況が状況なればそれなりに格好がつくというものなのだが、相手にどうもやる気がない。かくいう自分も腰が引けている。炎の弾が永琳を包み込み、地獄の業火が焼き尽くす、とかなんとか……。
「やーらーれーたー」
明らかに何かの力を使って防いだように見えたのだが、永琳は巫山戯た断末魔らしきそれっぽいものをあげて地面にドサリと倒れる。
「うそつけっ」
「本当よ。じゃ、やられたから喋るわ。八雲紫は異世界の扉を開いて、世界を妖によって支配する気なのよー」
「なのよーって、もう少しマジメに話してよ。それ世界の危機よ」
「だって……大マジメにセカイなんていうの恥ずかしいわ」
「いや、恥かしいとかそういうのは良いわ。で、八雲紫は何処に居るの」
「神出鬼没って設定だったから、その内出てくるわよ」
「設定って貴女……ねえ、ちゃんと説明して。貴女達がやっていることは『ごっこ』なの? ごっこで人が死ぬの? 苦しむの? 冗談じゃないわよ!!」
「それには答えられないわ。じゃ、私は離脱するから、さようなら、またね」
「ちょ、ちょっと!! じゃあこれぐらい答えなさいっ」
「なによ」
「魔理沙は目を醒ますの!?」
「残念」
そうのたまって、八意永琳は闇夜に消え失せる。
どうにもならない虚しさだけが残った。奴等はまるで自分達が現実ではないような物言いをするし、行き成り倒せなどと語るし、本当に倒れて消えるし……ツッコミどころが多すぎて、逆に無気力になる。
「む、むきゅぅ……」
幻想郷というキーワードに驚いた節が見られた。それが魔理沙他を取り巻く現象の核心部であるような気が、するにはするのだが、しかしそれを口にした瞬間から、全体に捻れが生じるようになった。
自意識といったか。自覚といったか。
……本当は自分もまた、何かに演じさせられているだけの、演技者にすぎないと……そういうことなのか。もしかしたら、本当に第四の壁が存在して、向こう側では誰かが見て、楽しんでいるのではないだろうか。自分達は、朝のアニメのような、そんな存在なのでは?
「ああもうっ!! 誰か答えを寄越しなさいよっ!!」
こんな大声を荒げても、勿論、誰も答えてくれやしないのではあるが。
「ノーレッジさん――八意永琳は」
「その質問には非常に答え難いわ」
「はい? 倒したの、倒してないの」
「倒したというか、自ら倒れたというか……」
「ふぅむ、説明してくれるかしら」
永琳が『倒れた』後、そのまま引き返した場所には咲夜が居た。見た目は外傷もなく、かすり傷一つもないが、その顔は浮かない。自分が追った経緯を説明すると、咲夜も似たようなものね、と返した。
「アイツ、あ、永琳が戻れって言うから戻るわーって……何合かやり合ったけど、その手はどこか抜いたものであったし、私も本気になれなかったし……」
「彼女達、何か隠してるわ」
「そうね。でも、ちゃんと説明してくれるとも思えない。ねえ、お嬢様」
その話題を、小さなお嬢様へと振る。レミリアは幾許か考える素振りを見せると、地面に降りて枝を拾い、土に箇条書きをしはじめる。
「それは、なんです?」
『モノを考えようと思ったら、まず知りうる情報を整理しなきゃ駄目だ、アイツ等風にな』
「あいつ等風というと、つまり物語って事でしょうか」
『そう。ここが現実非現実なんて問題はおいといて、私等が奴等の掌で踊っていたと考える。私達は、不愉快だがつまりコマということだな。まず我々だが、もう一ヶ月近くこの街を舞台に戦いを繰り広げている。その中で出会った人間といえば、咲夜からするとパチュリーと魔理沙と私とフラン。パチュリーからすると、咲夜と私とフラン。この辺りが起承転結で言うところの起だ。そしてお前達二人が出会った、敵と思われるものは、「橙」と「藍」と「紫」召喚術の多用で異世界からひり出してきた妖を用いて幾度か襲ってきた。これが起承転結の承。その間に魔理沙の取り合いなんかしてたな。自分でいうのも可笑しいが、まるで学園コメディよ。しかも同性ってあたりがなんともだな』
「……酷くメタな話ですわ」
「なんて説明口調……」
咲夜が頭を抱えて狼狽する。まして、相方のお嬢様が突然『説明役』なんぞしだしたら、ますますこの世界が作り物なんじゃあないかと疑いたくなるだろう。かくいうパチュリー本人も、過去を追憶しながら、あまりにもイベント的な展開を想起し、同じく狼狽していた。
『まあ聞け。魔理沙の不可思議な言動と体調不良。そして思わぬところから沸いた敵、八意永琳の策謀と魔理沙の意識不明。で、それを倒しに現れた、お前とお前。無事倒して、そして首魁、八雲紫がどのような野望を企んでいるのか知る。これが起承転結の転。で、だ。お前達、そして私もだが、ここに酷い歪みを感じている。そうだな?』
「その通り、だわ。ああもう、魔理沙と同じで、自分が曖昧になる」
「本当に、誰かの掌ですわ」
『――うーむ。それでパチュリー、永琳はお前になんて質問したんだ?』
「ええ。コウマカンとか、ダイトショカン、とか、私が幻想郷って単語を出したら、そのように」
レミリアの質問に答える。すると一人と一匹は、お互い目を合わせてパチクリしだした。心当たりがあるのかと問えば、あるようなないような、と、曖昧な返事が返ってくる。
「そういえば、お嬢様って呼び方がすごい、シックリきますわ。この喋り方も。なにかしら、前世?」
「そういわれると、コウマカンもダイトショカンも、酷く馴染み深くて……コウマカンって、紅の魔の館で紅魔館、よね」
『咲夜はそのままだけど、パチュリーは寧ろパチェと呼んだ方が』
「ああ、私もなんだか、レミリアというよりもレミィと呼ぶとこう、何か型にしっかりはまるような……で、これが何か、意味あるのかしら……?」
暗い竹林で二人と一匹、頭にクエスチョンマークを四つも五つも浮かべて、小首を傾げる。これが捻れている、というものなのだろうか。確かに、今レミリアが説明したような流れから行くと、自分達がこんな問題で悩んでいる事自体が、まるでイレギュラーの如く感じられる。もし、もしだ。もし自分達が演技者だとしたならば、元の自分が何処かにある筈である。するとなれば、そんな意識のない自分達が、まさか演技者である筈がないのだ。この不確か、しかし気持ち悪い変化を、無意味と取るには些か無理があったが、『流れ』を読む場合、今時の空気を読む程度の能力を持つ場合、悩むべき問題ではないような気もする。いや、悩んでいても前に進まない気がする。
「その仮定のお話を話半分でも信じるなら、次は結、とうとう締めくくりな訳ですが……あ゛」
「なによ咲夜、瀟洒じゃないわね」
「パチュリー様……ぶふっ、違う。ノーレッジさんこそ健康的すぎて気持ち悪い……じゃなくて、ええと、そうよ。魔理沙はどーなっているの。締めくくりでしょ。最後でしょ。で、魔理沙は?」
「――そ、そーだったわ。永琳に聞いたら、目を醒まさないって……」
「な、なんでそんな重要な話を貴女はしないのよこのムラサキ萌やし!! ひきこもり!!」
「五月蝿いわね番犬!! 貴女達が余計な話振るから、忘れてたのよ!!」
『解ったから、フランに連絡をとればいいでしょ、パチェ……じゃなくてパチュリー』
「そ、そうね。そうね、レミィは賢明ね……」
何故自分達が態々こんな辺鄙な場所まで来ているのか、そんな現実が蔑ろにされる状況を味わい、そんなもん味わっている場合じゃあないとまた魔理沙を思い出す。どうにもこうにも、今まで通り、型にはまった動きが出来ない。シナリオに組み込まれている云々ではなく、論理だった展開にならない。
「妹様、魔理沙の様子は」
『……ナニコレ……これが異界……? なんだか凄く、懐かしくて……幻想郷って……』
「妹様はなんと?」
「また、幻想郷ですってさ」
『それは絶対に私達が求めている答えじゃあない。けど、私達全員が、気になっている。咲夜、パチュリー、急いで帰るわよ』
レミリアがそういうと、咲夜が携帯電話を取り出す。だから、通信機器が文明の利器というのは凄く悲しい。しかしその電話をした先というのを知って、ああ、文明の利器じゃなきゃ駄目なのだなと悟る。
『咲夜、どこに連絡したの』
「タクシー会社ですわ。ノーレッジさん、割り勘ね?」
「……全部出すわよ」
寮につく頃には既に二十二時を回っていた。
未だベッドに横たわり寝息を立てる魔理沙は、この非常時にありながらも自分の心を癒してくれるだけの存在力があった。この子の為ならば頑張れると、そう自分に言い聞かせて一ヶ月を生きて来た。いや、出会った頃からなのかもしれない。そこにどのような化学反応があったのかなんて、解りもしないが、しかしパチュリー・ノーレッジは同じような立場にありながら奔放で粗野で、けれど繊細な彼女の魅力にとり憑かれていた。咲夜がどのように彼女を想っているか。聞いた訳ではないが、なんとなく、解るつもりだ。引力じみた何かを、彼女は持っているから。
巫山戯て狂って何処か躓いたような現実。途方もない違和感と不自然さ。今まで明るかった場所が突如暗闇に包まれて、すべてを手探りに頼ってしまうような、不均等。そんな不安。
霧雨魔理沙は、今何処にいるのだろう。そこにいる彼女は、自分の知る霧雨魔理沙なのだろうか。何も出来ない彼女なんかではなくて、人に頼るような彼女なんかじゃなくて、負けず嫌いで、強くて、一人でなんでもしてしまうような、そんな霧雨魔理沙なんじゃなかろうか。
「私達は矢張り、演じているのかもしれないわね」
「私達が役者? じゃあ、本当の私達は何処にいるの。私は今の私しか知りえないわ」
「まるで宇宙の果てを考えるような話になるけれど……つまり、私達はココにいて、私は私しか知りえないけれど、その知りえない自分以外の誰かが、私達を知っているとしたら」
「意味が解らないわ」
「じゃあ試しに語りかけてみましょうか。ねぇ、そこに誰かいるの? 本当の私達を知っていて、今の私達を観て楽しんだり、馬鹿にしたり、怒ったり、違和感をもったり、しているのかしら。誰かいたら、答えて頂戴よ」
…………。
「ノーレッジさん、頭は大丈夫かしら」
「そうね。馬鹿だったわ。でも、魔理沙はきっとこんな気分なんじゃないかしら。自分に自信が持てなくて。自分のしている事が不自然で、誰かに見られているような気がして。そんな事に、ストレスを感じたり、しないかしら?」
「……だから、彼女はその幻想郷とかいう場所のニンゲンなのでしょう」
「そう。結局、彼女の場合はその通りだった。彼女は、本当にこの世界の住人ではなかった。でも、彼女が例外? 咲夜、貴女だってさっき、取りとめもない話に同意したじゃない。そんな事、初めてよ?」
「うっ――」
幻想郷。紅魔館。大図書館。お嬢様に妹様に、咲夜にパチェにレミィにフランに。じわじわと、言い知れない感情が湧きあがってくる。大切だけれど、懐かしいけれど、寄るべきものがなんだか解らない。そして、これを肯定してしまった日には、さてどうなるか。
自己が自己であると信じて来た人生そのものが、水泡に帰してしまう。こういってしまえば簡単に聞こえるが、つまり己の所以が仮想でしかなかった、今まで積んできた努力も想いも何もかもが、作り物であったと、そうなってしまう。果してそれに気がついた時、自分は自分で居られるだろうか。
これは最後の防衛線だ。これを越えたら、きっと自分は違うものになってしまう。
『パチュリー、パチュリー』
「あ、はい。妹様、どうされましたか」
頭の中に響く声。同時に、魔理沙の頭部から光の弾が湧出し、元の形へと戻る。
『疲れた……ああ、なんとか抑えるぐらいにはなったけれど、何時目を醒ますかは、解らないわ』
「お疲れ様です。それで、魔理沙の『夢』というのは、どのようなものだったんです」
『それについては、お姉様も交えて話をしたいの。勿論咲夜も。ちょっとばかり普通じゃあないわ』
「……長引きそうね。もうこんな時間だし、咲夜、どうする?」
「ここ、泊まれたりするかしら」
「貴女がここに居座るっていうのは甚だ不愉快――な、筈なのだけれど、今は何故か、そうでもないわ」
「――私も本当なら凄まじいまでにイラつく筈なのだけれど……そんな事を言い出したわ」
「解ったわ。それじゃあ、妹様、お願いして良いかしら」
咲夜の呼び出しに応じたレミリアが板張りの床にちょこんと腰を下ろし、その隣にフランが座る。咲夜とパチュリーはそれに対面する形で落ち着き、姿勢を正して構えた。フランが観たもの。自分が、自分達が本来は知り得るかもしれない夢の断片。生きとし生ける者達が生きていたとばかり思い込んでいたこの現実を、真実という鏡を通して、目の当たりにするのかもしれない。
ここはつまり、なんなのだ? あの女たちは、何を企んでいる? 魔理沙は、一体どうなっていて、誰なのか。
『魔理沙の夢見る場所は、幻想郷。ニンゲンと、ヨウカイと、ユウレイと、ヨウセイと、その他諸々が平凡に暮らす、平和な所よ』
フランドール・スカーレットは、小さな体を大きく使って、より事を伝えやすいよう、語り始める。
最後の防衛線は、まさに死地。死線の最中。自分という最大級の現実が、ガラガラと音を立てて崩れて行く。
~霧雨魔理沙、第四の壁に衝突~
その日、霧雨魔理沙は何となしに博麗神社へと訪れた。用件などない。自分の習慣として、この神社に居座る事が当たり前であったからだ。あまり、癒しや安楽を求めた事はないが、ただ彼女の横にいれば落ち着いたし、事件があれば真っ先に気が付ける。スキあらばこのライバルを追い落とそうとも考えていた。魔法を研究し、努力に努力を重ねて人を超越せしめようとする己は、普通にしていて普通以上のアイツが気に入らなかったし、けれど好ましかったのだ。
春も過ぎ去り、梅雨の頃。彼女はいつも通り、縁側で茶を嗜んでいた。直ぐに声をかけようとも思ったが、横から沸いて出た八雲紫を嫌い、遠目から伺う事にした。一言二言交すと、紫は直ぐにどこかへと消えてしまう。これを観届けてから、自分は霊夢へと近づく。
「なんの話してたんだ」
「魔理沙。別に、なんでもないわ」
「なんだい、そりゃ。隠すのかよ」
「魔理沙には関係ない話よ」
八雲紫との語らいで、しかし話せない内容というのは、酷く気がかりである。まさか何か結託しているのではないかと、不安になったことは確かだった。ただ、この巫女がそれ以上口を開くとも思えず、仕方なく引き下がる。
「最近は、異変も起きなくて暇だな」
「……起こられちゃ困るし、起こりもしないわ」
「どうした。紫と結託して、幻想郷の完全制圧でも目論んでるのか。恐ろしい巫女だぜ」
聞き出すことはやめるが、遠回しに攻め立てたりはする。あのいけ好かないバケモノが、霊夢になんの用事なのか。大概の場合、ろくなものじゃあない。
「ねえ、魔理沙。魔理沙は、もし幻想郷がなくなってしまうとなったら、どうする?」
「お前の口から聞くと、冗談にきこえんな。とはいえ、どんな状態になったらココが無くなるかなんて、想像もつかんが」
「この湯呑み」
そういって、霊夢は雨樋(あまどい)の出口に、湯呑みを置いてみせる。からっぽだった中身は、やがて雨水で溢れかえり、零れた。
「なんにでも、限界がある。この湯呑みにも、風呂桶にも、そして結界にも」
「……」
「私は、これでも一応結界守。そして、紫は幻想郷を展望して、見極めているわ」
「ま、まて。どういうこった。何が言いたい」
「だからね。詰め込んでしまうと、限界がきて、最後には、溢れてしまうって事」
じゃあどうする気なのだと聞けば、あの愉快な巫女が押し黙った。何時の間にか握り締めていた拳を開けば、汗でぐっしょりと濡れている。背中に張り付く服が、ひどく気持ち悪い。何より、陰鬱にするこの女が、一番に気持ちが悪かった。いつもの余裕はどこにいった。笑ってすませる気概はどこへ。それは果てしない切迫であり、そして、霧雨魔理沙が経験した事のない、未曾有の幻想郷危機の始まりだった。
これは悪夢なのだ。きっと、永琳が幻想郷に、胡蝶夢丸ナイトメアでも、ぶち込んだに違いない。幻想郷全体が悪夢を見ていて、自分も巻き込まれていて……そう思い、逃げるのは簡単だ。だが、立ち向かわねば何も始らないし終わらない。
イラつく顔ばかり見せる霊夢を張っ倒してみれば、抵抗すらしやがらない。話せといえば、まるで関を切ったように、べらべらと喋りだす始末。八雲紫に叱られるんだろうが、魔理沙としては知ったことではない。
止めなければ。ただ、それだけがあった。そこに深い思慮も考慮もない。霧雨魔理沙は気に入らないのだ。自分が自分であると正しく認識出来る世界を、勝手に改変される事実が、気に入らなかった。
そして、自分ならばそれを止める事が出来ると信じて疑わなかった。一部の奴等の勝手な計画で、自分の自由が奪われるなど、許せるはずもない。そして、そんな許せない事態は、自分こそが食い止められる。何度となく繰り返した幻想郷異変に首を突っ込んできた霧雨魔理沙が、こんなものに屈するはずがない。もしかしたら、これも異変の一種なのかもしれないのだ。だったら解決されるのが道理であるし、自分が出て行くのも道理。
……異変ならば、道理だ。だが、これは異変などでは、決してなかった。
「弾幕ごっこならいざ知らず。本気で敵うとでも? 貴女は脇役なのよ。霊夢が動かなきゃ、貴女の物語もない」
幽香の辛辣な言葉が身に刺さる。
「これで月とのシガラミから解放されるっていうのに、何で諦めなきゃならないの。そこは新しい世界なのでしょう。貴女だって聞いたでしょう。なら、何故否定する必要があるの。永遠亭はこの計画を是とするわ。貴女が非としようとも」
永琳の理屈が立て並べられる。
それが真実だったとしても、魔理沙は納得など行かない。それが最良だったとしても、魔理沙は頷かない。
「酷い有様だね。でも、守矢としても決まった事だ。信仰確保だけじゃあ、やっぱりどうにもならなかったんだから、仕方がない。早苗も、頷いてるよ。お前だって、逆らったって何にもなりゃしない。おとなしくしたらどうだ?」
神奈子は盃を傾けながら、そう笑う。本気の神様に敵うわけがない。知っている。知っているが、諦めるわけにはいかなかった。
「……ボロボロね。手加減されて尚それじゃあ、希望薄。そうでしょう。霧雨魔理沙。貴女は、一介の魔女でしかない。貴女は博麗霊夢という超存在の、隣にいるだけの存在にすぎない。彼女の意向が全てなの。彼女が向こうを向いたら、貴女だって向こうを見るしかありませんわ。気に入らない? 気に入らないでしょうけどね、私は壱千と三百年も昔から、このようになるよう、仕向けてきたのよ。単なる要素でしかない貴女が、歯向かえる義理がないの」
扇子を口元にあてて、八雲紫は冷たく言い放つ。
それが真実だとしても。それしか道がないとしても。例え自分が脇役だろうとも。単なる要素でしかなかろうとも。
「私は――私は気に入らない!! 私はここにしかないのに!! 霊夢は、あいつは泣いてたのに!! 誰かの意向に従うなんて、真っ平ごめんだ!! 私は私、アイツはアイツ、お前等が正しいと思う現実が全て正しいと思うな!! お前等の価値観を私に押し付けるな!! 霧雨魔理沙は霧雨魔理沙だ、脇役だろうが、端役だろうが、何の影響もないゴミだろうが!! 私はお前等の是を非とするからなっ!! 絶対、絶対首なんか、縦にふってやるもんかッッッッッッッ!!!!!!!」
半べそをかきながら。お気に入りの服もぼろぼろで。自慢の箒は梳かれてしまい。酷使しすぎた八卦炉は、完全無欠のヒヒイロカネすら欠損している。数度の真剣勝負に挑み、今生きていることが不思議であった。
自分は、本気で殺して掛かるほどの相手でもないということか。
ならばそれでもいい。舐めているなら、舐められているなりに、戦うしかない。狙うならもっと確実な奴を狙うしかない。神様では強すぎる。自然の権化では強すぎる。月人では強すぎる。境界の魔では強すぎる。だったら、一番属性が近しくて、勝率の高い相手を狙うべきだ。舐めるなら舐めろ。馬鹿にしろ。それで計画が潰れるなら、プライドなんて安いものだ。
「……」
「何よ、また来たの。本はもっていかないで……って、そんな様子じゃなさそうね」
「パチュリー。何も言わず、倒されてくれ」
自分でも酷い言い草だと思った。いつも酷い事をしているが、それでもまだ愛嬌はあったと、自負している。小悪党の自分に愛嬌も何もないとは思うし、パチュリーがどう受け取っているかも、考えた事なぞない。ただ、今回ばかりは、自分でもあきれるほどに、最低であった。必死になると、目の前が見えなくなる。自覚していながらも、しかし決して冷静ではない。
「……嫌よ。やっと巡ってきた機会ですもの。千年かけて用意するものを、八雲紫が用意してくれる。『新幻想郷』は、私の万感の想いが詰め込まれるの。七曜を有しながら生み出す事も出来ない己に嘆いて五十年。この喘息を憎らしく思って百年。こんな機会、あと何度ある事やら」
「お前の私利私欲なんて知った事か。私が気に入らないって言ってるんだ。やめてもらうぜ」
「そちらの私利私欲こそ知った事ではないわ。貴女は思考を停止している。この飽和状態となった幻想郷の命運は、もう尽きているのに。新しいものを嫌うのは、古風な魔法使いの貴女らしいけれどね。でも現実はもっと過酷よ。幻想郷は、このまま行けば終わる」
「そんなもん、解るかよ」
「解るわよ。自分勝手な人々が、何故協力すると思うの? エゴよ? エゴの塊たちが、それでも尚団結しなきゃいけなくなったこの現状を、貴女は否定するの、霧雨魔理沙。いいかしら。貴女は多分、新幻想郷の有用性に気がついていないから、反発するんだわ。あなたが望むなら、ちゃんと説明してあげるけれど?」
「いらないね。見たくもない。感じたくもない。そんなオママゴト、一人でやれ」
悲哀に彩られたパチュリー・ノーレッジの顔。そして吐き出される、希望という言葉。
霧雨魔理沙は負けたのだ。完膚なきまでに。誰一人にも、勝てなかった。悔しさの余り涙が溢れる。あちこち焼けて、爛れて、きっと酷い有様なのだろうと、黙認もせず、感覚だけを便りに、そう考える。哀れな格好で、惨めにやられて。殺してもらったほうが楽だというのに、けれど、パチュリー・ノーレッジは自分を生かすつもりでいた。
「貴女だって、一度目にすれば、その世界がどれだけすばらしいのか、理解出来るはず。一度全て忘れて……ね、その身で体験してみましょうよ。我々が作る、誰にも邪魔されない”史外”最後のユートピア。貴女がどれだけ否定しようとも、博麗霊夢だって、受け入れた事なの」
「……それが……本心だったのか……? なんで、霊夢は、私に計画を告白した……? 止めてもらいたかったからじゃ、ないのか。自分じゃあどうにもならないから、それが正しいって思ったけれど、自分自身はどうか解らなくて……私に、委ねたんじゃあないのか」
「……また博麗霊夢。そうよね、貴女はずっと、彼女といる。彼女に付き纏って、彼女と過ごして、彼女と思い出を作る。争うフリしてべたべたとまぁ、気持ち悪いったら、ありゃしない。誰にも縛られない霧雨魔理沙じゃあ、ないの?」
パチュリーはそう吐き捨てて、自分の頭に、手を翳す。
「結局貴女は私を何一つ認めてくれなかった。さようなら、霧雨魔理沙。私の憧れた自由人。反骨の貴女。また向こうで、逢いましょう」
途切れる視界。薄れる意識。断片化して行く自分。パチュリー・ノーレッジの、至福の笑顔。それが、自分の最後の記憶――――
『本当に困った人ね貴女は』
場面がかわって、呆然と立ち尽くす己だけがいる。真っ白なセカイには何一つ生み出されるものはなく、そこが空であると知らされた。突如現れたスリットに反応できず、目の前から湧出した八雲紫の笑顔が憎たらしくて、きっとへんな顔をしただろう。
「貴女は実に不適合ね。私としては、貴女みたいな人間は不必要なのだけれど。でも、巫女と魔女が貴女を欲しがるの」
「……」
「他の皆にも聞いてみたわ。そうしたら、やはり、貴女の居ないセカイは物足りないと言われた」
「……」
「だから、私は貴女を認めるわ。数多の可能性を秘めた、新しい幻想郷へ――――」
何を言っているのかさっぱり理解できなかったが、自分は認められたらしい。認められたくもないのに。自分には幻想郷しかないのに。なのに、コイツラときたら、自分を欲しがるのだ。霊夢、パチュリー。アリスや咲夜はなんといったのだろう。あんな奴等に必要とされるなんて、すごく気持ちが悪い。
「でも貴女の扱いは気をつけなくちゃ。ほら、こうしてね『シナリオを消化している最中であるのに』幻想郷の夢を観る。大変遺憾だわ。ここだってね。もっと別のお話を見るはずだったのに。ほんと、貴女は不愉快不愉快」
「……ちゃんと説明しろ。何が言いたい、紫」
「ああ、話が前後しちゃってて、理解不能? ならそれでもいい。これをもっと面白い話に発展できるか出来ないかは『ライター』の腕次第ね」
「――まて、おい、どういう――」
「まったく、不愉快不愉快。ここはシナリオの一部だというのに。貴女が観るはずの異界は、もっと別のものなのに。本当の異界の夢をみるなんて、どれだけあの不完全な楽園が好きだったのか。本当に、不愉快不愉快」
白い部屋が暗転する。目の前に広がる光景は、自分が生きる世界での出来事。あの女――八雲紫に、食われる人。そうだ、あの事件の犯人は、人を食む妖怪はアイツ。それと戦う、イザヨイサクヤとぱちゅりーのーれっじ。
「これが正規の夢。シナリオ通りの、貴女が異界と予知夢を垣間見るモノ。そして今後、私を見つけて、驚く為の伏線。なのに、ねぇ。永琳の薬が強すぎたのかしら、阿求の設定が悪いのかしら。幻想郷のナイトメアは、忘れてしまいなさい」
なにを、いっているのか。
「……忘れられるものか」
「そう……残念」
忘れられない。ふつふつと湧き上がる記憶。幻想の夢。本当の自分。
「あのセカイは、私の居るべき場所じゃあない」
「ご名答。でも、直ぐ終わってしまうわよ。また次のお話があるのだから。ここは創造性と可能性の世界。我々の創り上げた新幻想郷の本性。何度でも何度でも何度でも、様々な『貴女達』を繰り返す。それに、もう『修正』が来るわよ?」
それでも
「こんなセカイ、認めるもんか。私を勝手に、弄るんじゃあない」
「どうする気?」
「出て行く。こんな頭に来る場所、もう沢山だ」
「もう、貴女の知る幻想郷は、ないのよ?」
「――それでも」
「哀れ哀れ。抗いようもないのに抗おうとするその姿。微小にして極大を産もうとするその精神。与えられたものを非とし、自分を是とする愚かな思想。立ち向かっても意味がないのに。反骨っていうのは、ほとほと扱いに困るものね」
「霊夢は返してもらう。私も出て行く。お前がなんと言おうと、だ。私は霧雨魔理沙、女子高生なんかじゃあない。魔法使い、霧雨魔理沙だ。覚えとけ、この、くっっそ妖怪!!!!」
――そう。なら、仕方ないわね。
「……くそ」
目を醒ました時。霧雨魔理沙は霧雨魔理沙であった。
自分は霧雨グループのご息女でも普通の人間でも高校生でもなんでもない。幻想郷の、魔法の森に住む、白黒の、魔法使いだ。
ごちゃごちゃになった脳みそを整理しようとするが、しかし、真横で寝息を立てている、全ての張本人を見て驚き飛びのくのが先であった。何が幼馴染だ、巫山戯るな。怒り心頭のあまり、拳を握り締めて叩きつけようとする。だが、どうしてもそれが振り下ろせない。
「くそっ!!」
自分が寝ていたベッドを殴りつける。本来ならば何の躊躇もなく暴力を振るえたのかもしれない。ただ、この仮初の記憶が、それを絶対してはならないと、制止させる。十年という自分に刻まれた”設定”は、自覚した今でも身体を束縛している。
ここは本物の世界だ。ココの霧雨魔理沙が抱いていた『過去』が許可しない。そんなものは、誰かに与えられただけの虚妄であるのに。
すぐさまベッドを抜け出て箪笥から制服を取り出す。このピラピラした生地がなんともイラついたが、他に目ぼしい着物がない。ヨダレを垂らしてフロアに転がって寝ている十六夜咲夜を跨いで、さっさと表に出た。造られた過去はあれど、こんな場所に未練も思い入れもない。手に触れるもの、眼に見えるもの全てがカキワリに見えて吐き気がする。ここは本物なのだろう。本物だからこそ、だ。
抵抗して抵抗して反発して反発して、それでも駄目で結局連れてこられたこのセカイ。もう何度、奴のいう『物語』を繰り返したのか解らない。自覚出来ない。今まで自分に自信はなかったが、寧ろ気がつかないほうが幸せであったといえる。しかし、ここまで深く食い込んでしまってはしょうがない。自分は知ってしまったし思い出してしまった。
一体、そう、この狂った学園コメディ風の物語が、なんなのか。
時間を見れば夜中の三時をまわった頃。辺りは闇に包まれている。どこに行くあてもないが、あんな場所にはいられなかった。パチュリーは自分にトドメを刺した張本人である。同じ空気を吸うのもうざったい。かといって、あれを殴りつけたところで、この世界から出て行ける訳もない。この世界の仕組みは把握していないが、今は単なる『登場キャラクター』と化しているパチュリーをどうこうしても意味はないだろう。
ではどうするかといえば、八雲紫をどうにかするのが、一番と言える。先ほども、夢の中で遭遇したばかりだ。例えこの世界で登場キャラクターを演じていようとも、アイツの場合自我があるとみていい。むしろ、この世界を管理している側にあたるだろう。散々御託を並べ腐って己を否定した事実が許せない、という私怨もある。
だが、だ。恐らくは間違いなく、ストーリーから大外れしている自分がどのように奴にめぐり合う事ができるだろうか。このまま奴の意向に沿い、物語に追従したほうが、確実なのではなかろうか。
とは思うが、しかし八雲紫は『修正が来る』とのたまった。この世界がどのようにして動いているかなどは、全く皆目見当もつかないのだが……誰かが、筋書きを書いている、そして演じさせている、で間違いなかろう。そうなると……修正といえば……物語を正規の話に戻そうとする、強制力か何かだ。今のところそのようなものは感じないが、まだ影響が残っている為に魔法も使えない。歩いている間何度か飛ぼうとも試みたが巧く行かず、浮ける程度。手元に箒もなければ愛用の八卦炉もない。スペルカードなんて何処へやら。
影響下にある、ということは修正を受けやすい、と同義ではないのか。早期の離脱が好ましいが、そんな策はない。
世界の構造把握が先決であっても、答えてくれるような輩が居るとも限らない。基本的に、幻想郷最後に争った奴等は、絶対信用ならない。せめて力が戻るなら、話は違うのだが。
「……よく出来た世界だぜ。まさに神様の所業だな、なあ」
その足で街に出る。立派な「カキワリ」達が立派に聳えた、外の世界を模した場所。よくもまあ、これだけの資料を集めたものだと関心する。幾ら様々な世界が再現可能と言っても、情報がなければ構築出来まい。とはいえ、常識外れた輩が地球創世の真似事をなしたのだ。これぐらい、容易いのだろう。考えれば、自分が手だしをしなかった奴等もいるではないか。稗田阿求と、上白沢慧音だ。あれらは新しい幻想郷を作る上で必須ではなかった故に攻撃はしかけなかった。人質にとったところで、創世の歩みを止めたりはしなかっただろう。だが、その知識量は他の妖怪達よりも多かろう。歴史の把握と書記。これを倒して奴等を止める事が出来たなら、どれだけ楽だったか。
明滅する信号機。闇夜を醜悪に照らすネオン。脇道の水銀灯。ふと辺りを見回せば、まるで人が居ないことにきがつく。幾ら深夜とて、誰も出歩かないなぞ、ありえない。車が走っていないなぞ、今までの物語設定ではありえまい。
ふと、この街でシンボルになっているビルに備え付けられた大画面に紫電が走る。ぶつぶつと途切れた映像はその内、二人の『人間』を映し出した。自分がファンだ、という。一番愛してやまない、アイドル(偶像)。
「これが……そうかい。お前達が夢見た、新幻想郷。博麗霊夢の中身って訳か。巫山戯てるぜ」
終わりの見えた幻想郷を保つ為、八雲紫が認めた存在を内包した、完全なる、誰の文句も届かない、完全な楽園の正体。
「メタフィクショナル度増大による世界観崩壊回避の為」
明りも途絶え、月と星が廃墟の街と、そして見覚えのある少女を照らし出す。
「危険因子、霧雨魔理沙の制裁にかかる。罪状は『逸脱』刑罰は『制限』期間は『次の物語まで』」
嗚呼、歌が聞こえる。懐かしい声が聞こえる。そうそう、是非ともアイドル様に、お目にかかってみたかったのだ。
「よお、サナエ。一体何時の物語以来だ? 私には、さっぱり自覚なんてないがな。畜生め」
「貴女の存在は母体に影響を与える。管理権限者は貴女に異を唱えた」
「そうかい。ああ。魔法の一つでもできりゃあ、抗えるんだが……次は一体、何時自覚出来るかね、ここが作り物だってさ」
「出来ないわ。だって現実だもの。少しは、霊夢のことも考えてあげて、魔理沙」
「……ふん。神様の言いなりになった奴が、デカイ口を叩くぜ」
「貴女だって知ってたくせに。こんな方法しかなかったってね」
「……」
「だから、さようなら。次は自覚出来ないといいわね」
「とりあえず逃げ出してはみたものの……そうだな、監視されてるんじゃあ、しょうがない」
「おやすみなさい」
次の瞬間には、あの懐かしき弾幕が、霧雨魔理沙の視界を支配した。
つづく
そんな愚か者が見た夢。諦観の先にあった、恋焦がれるほどの幻想。夢にまで見た美しい宝石を、パチュリー・ノーレッジは手に入れられる。そして、それを彼女にも、是非見てもらいたかったのだ。見てもらって、そして賞賛して欲しかった。思い違いであった、お前はすばらしい奴だ。天才だ。感謝してもしたりない。すばらしいものをありがとう――と。
手遅れであった自分が、報われる時。そんなシンデレラストーリーが、パチュリーにはビジョンとしてあった。
人間小娘程度に嫉妬する小さいパチュリー。知識に埋もれ智慧と魔法の化身でしかないパチュリー。極小の矮小の、そのまた更にくだらない、とるに足らないパチュリー。卑下されても揶揄されても理不尽とすら思わない程に、達観してしまったパチュリー。
度し難いまでの自分を救うものは、彼女からの賞賛だけだったのかもしれない。
「いらないね。見たくもない。感じたくもない。そんなオママゴト、一人でやれ」
何故理解出来ない。何故誉めてくれない。君は本当に、奪うだけのヒトなのか。何も与えてはくれないのか。見返りを求める事は、悪なのか。唯我独尊としてある事が、正義なのか。全くもって、この世の何処にも存在し得ない、珠玉の一を、君に、見せてあげられるのに。
「さぁはじめるわよ、パチュリー・ノーレッジ。貴女の夢が、とうとう叶う」
「……何かを、犠牲にして?」
「そう。何かを犠牲にして。貴女は新しくなった愛しい何かを、手に入れられる」
「そうよね、私は、魔女だものね」
「そう。貴女は七曜の魔女」
「そう……私は、所詮魔女なのね」
さやうなら さやうなら 憧れの君 また 逢う日まで
~第四障壁~
「なあ、ニュースみたか、ニュース」
「ニュースって言われても、どのニュースやら。一家惨殺事件? 誘拐事件? それとも政治?」
「今ニュースっていやぁ、連続失踪事件しかないだろう」
そんな事も知らないのかと、魔理沙は薄い胸を張って、文庫本を読むパチュリー・ノーレッジに自己主張した。基本的にメディアリテラシーの低い霧雨魔理沙にとって、口に出して言う程連日騒ぎ立てられている事件といえば、これしかない。事件の概要といえば、近頃自分達の住まう街で人間が消えているといったものだ。消えると言ってもただ消える訳ではなく、遺留品と血痕を残して、しかもそれ以降の足跡がない、という不可思議なものである。マスコミの話では、被害者をその場で刺突し、車で連れ去っているのだろうとされているが、そのような手間も証拠も残るようなやり方には疑問が噴出しており、目下警察が血眼になって犯人を捜索している。
「ああ。あの事件ね。魔理沙はミーハーね」
「だって、この街の事件だろう? 私等だって例外じゃないかもしれない。何せ狙われているのは若い子ばっかりみたいだしな」
「魔理沙なら大丈夫ね。狙われているのは若い子、といっても、みな大人しい人だったらしいし。それをいうと、私の方が危ないかしら」
「なんだい、その言い草。まるで私が落ち着きないように」
「本当の事でしょう。自分の身より寧ろ、近しい私を守ってね」
「めんどくさいぜ」
「ふふ、酷いヒトね」
量の多い紫の髪をかきあげて、パチュリーは笑う。魔理沙としてはもう少し反応が欲しい所ではあったのだが、そもそも自分より頭の良いコイツにそんな小手先事件簿を語っても期待通りには行くまい。多少面白くなかったが、とりあえず挨拶がてらの義務は果たせたので良しとする。寮では同室であるのに、わざわざこんな挨拶から入るあたりが、どうにも二人の生活に個人主義的差異が入り込んでいる事が垣間見えた。
現在三時間目の休憩。魔理沙は今ご出勤である。どうせワイドショーでもチラ見してきたのでしょう、というパチュリーの言葉があまりにも図星で、少し恥かしかった。常々朝のニュースも見れないほどの毎日が続いているからこそのネタ提供であったのだが、そうなりたくなければ朝ぐらいちゃんと起きろというものだった。自分でもその辺りは自覚しているので、反論はしない。
魔理沙はパチュリーの隣の席につくと、鞄を脇にかけて机にのさばる。何時間寝ても寝足りない。頭痛がとれず、ここ最近は休んだ気がしないのだ。毎日通う通学路が憂鬱でたまらない、というのは、健康優良児である自分にとっての屈辱でもある。勉強はそこそこだし、遅刻はしても休んだ事はないというのに、このままでは初病欠も間近だろう。
それにかわってパチュリーといえば、無遅刻無欠席。頭も良く成績は学年三位、容姿も良いときているものだから、全く不平等でならないと痛感させられる。何故こんなのが同じ学校で同じ寮で同じ教室で隣の席なのか。理由を知らなければ甚だ疑問であろう。
霧雨グループ会長の一人娘、霧雨魔理沙はこの私立東方大学付属高等学校の二年である。元は別のお嬢様学校で勉学に勤しんでいたが肌に合わず、これを理由に父親と喧嘩、あえなく転校、そして寮にぶち込まれたのである。パチュリー何某もまた魔理沙と同じ高校へ通っていたが、なんとこれを追いかけて、寮は同室へ強制的に入居し、学年主任を丸め込んで隣の席になったのである。
ぶったまげたのは魔理沙だけではなく、当時の同級生達もだった。何故あの不良娘を追っかける必要があるのか。パチュリーお姉様往かないで。パチュマリ萌え。等の声が多々あり、その批難の声は霧雨グループのインフォメーションカウンターにまで及び一悶着あった。
魔理沙としては、確かに驚きはしたものの、彼女を嫌ってはおらず、むしろ十年来の付き合いがあるからして、これを歓迎した。転校先の東方大学付属というのは、街一区画が全て学校施設となっている学園都市であり、この少子高齢化が進む中一極的に平均年齢が異常に低いという妖しげな奇跡を成し遂げている場所である。
「危ないといえば、夜道は危ないな。バイトの調子はどうなんだ。帰りは遅いみたいだし、労働基準法遵守してないんじゃないか、そこ」
「大丈夫よ。悪い仕事じゃあないし。ただ、同僚と多少険悪でね」
「しっかし、元貴族様がバイトとはね。世も末だ。序列ってそんなに悪いかね」
「時代よ時代。時代が物事の是非を決めるわ。何。それに私なんて遠縁だもの」
「とはいえ、仕送りはあるだろう。お前の通帳みたけど、ちょっと女子高生が持つには危ないぐらいの金額」
「い、いくら魔理沙でもヒトの通帳を見るのは感心しないわ。ま、まぁ。ほら。今のうち社会は知っておかないと」
「バイト代って、手渡しなのか。通帳に振り込みがないけど」
「めざといわね。そもそも、まだ一ヶ月勤務してないわ」
「ああ、そりゃそうだ」
やんごとなきお家柄のこのお嬢様なのだが、ここ最近は浮世に興味があるとの事で、夕方からはアルバイトに興じていた。家系云々を抜いても、父の実家は海外の資本家であり、鉱山持ちでトップクラスの大企業の娘であるのに、何故アルバイトなのか。多少変わり者であると魔理沙も認識していたのだが、甚だ解せない話であった。良く親が許可したものだと、感心するものでもある。魔理沙は独り立ち精神旺盛で、パチュリーがバイトを始める数年も前から親をせっついているのだが、どうしても許しがもらえない。幾ら不良娘でも大事な一人娘、するならバイトじゃあなく花嫁修業だ、というのがグループ会長である父、霧雨大二郎の見解だ。
「あら、同僚が来たわ。険悪な」
「おはよう魔理沙。最近体調悪いのかしら。幾ら遅くても、三時間目はなかったわよね」
「咲夜か。最近パチュリーが寝かせてくれなくてな」
「――ぶち殺すぞ、紫もやし」
「あんですってこの番犬属性……」
「まあまあ、そりゃ冗談だが、少し寝付きが悪いだけだぜ」
「そう。魔理沙が言うならそうね」
「アナタ、魔理沙は全肯定なのね」
瀟洒な同級生、十六夜咲夜が偉い短いスカートをひらひらさせながら現れる。パチュリー的には同僚兼ライバルで、魔理沙的にはとても便利な女友達だ。自覚があるのかないのか、銀色の髪に艶美な顔立ち、すらりとした体躯はそんじょそこらのオジョーサンとは訳が違うのであり、どうにもこうにもセーラー服があまりにも似合わない。一属性として設けられてすらいるこの制服というアクセントが、完膚なきまでに敗北している。色々とレベルが違うので周囲の人間達は近寄り難いとし、ある意味偶像化すらしている節があったが、魔理沙にはどこまでもあまりにも気さくでボケだった。本人曰く、隙なぞ見せていない、本当よ、らしいのだが、発言から窺えるその性格は絶対的に抜けていた。
「おおそうだ、そんな事よりさ、咲夜も聞いてくれよ。昨日もあったんだってな、失踪事件」
「最近巷で騒がしいあの事件かしら。そうね、怖いわね。魔理沙も気をつけて。なんなら、ボディーガードするわ。登下校からトイレの中まで。どうかしら。無償でいいわ。むしろ払うわ」
「遠慮しとくぜ。パチュリーにやってくれ」
「いやよ、咲夜になんて。気持ち悪い」
「超全面的に大否定。さっさと失踪すればいいのよ」
「お前も気をつけろよ」
「魔理沙に心配してもらうなんて、もう失踪してもいい」
「本末転倒だぜ」
「きもいー」
「うっさい死ね」
「どんだけ仲悪いんだお前等」
まあ、コイツラなら大丈夫だろう、そんな風に思わせる空気がある。明日は我が身、なんて言葉もあるが、霧雨魔理沙にとっては、近場の事件とはいえ他人事だ。まさかこのたくましい二人が消えてなくなるなぞ、想像もつかないし、自分に降りかかるとも考えられない。犯人がどのような鬼畜変態野郎だかは知れないが、所詮は対岸の火事である。
あるが、話題に出すだけの理由がないわけでも、ない。
「おいお前等座れ。座らんと頭突き殺す。比喩でなく。あ、霧雨は来なさい。可愛がってあげるから」
四時間目始業のチャイムが鳴ると同時に、担任であり歴史担当の女教師上白沢慧音がビッシリと決まったスーツ姿で現れる。その短いスカートから覗く扇情的なふとももは一体何を意味するのかは定かではなかったが、大概の場合この格好は、粛清の正装だ。
「こ、殺されるぜ」
一週間で三度。仏の顔はどうやら二度までらしい。牛頭天王は気が短いのか。なんとなしにそんな比喩が浮かんだ。
「霧雨、一応申し開いてみろ」
「はい。実は朝走って学校に向かっている最中、空を飛ぶお婆ちゃんをみたんです。わぁすげえ、婆ちゃんは空を飛べるんだ、と感動していた矢先、車に轢かれました。轢かれたと思ったら実は自分も空を飛んでおり、感動しておりましたらそのお婆ちゃんに再遭遇いたしまして、荷物が重いとの事でしたので持ってあげる事にしたのですが、そのお婆ちゃん実はお父さんだったんです」
「では、頭突きは五回だ」
「さよう……でっ!! いでっ!! ぶふっ!! あばらっ!! なんっ!! こつっ!! って一回多いっ!! おっ!! あたっ!」
「なんっ、でっ、遅刻、した、のかっ、ちゃん、と、説明っ、しなっ、さい」
「寝てました」
「死ね」
「なん!!」
暴力教師上白沢慧音による怒涛の頭突きは、霧雨魔理沙の脳を貫いた。細胞が幾つ死んだのか数えている内に意識は遠退いて行く。段々と楽園が見えてくる頃になり、やっとの事で解放された。ふらふらする頭だった何かを抑えて席に静々とつくと、そのままくたばる。本当に遠慮のない女だと毒づこうとしたが、さすがに次は本気で殺られかねないので黙る。この女、基本的に何に対しても平等だ。誉める時は誰であろうとトコトン(まずいほどに)誉めるが、怒る時は相手が銀河大統領であろうと(殺人を厭わぬようなカンジに)頭突きをかますであろう。そんな姿勢が民心、いや、生徒の心を掴んだのか、畏れられながらも慕われる、若いながらも敏腕の超教師である。響きがかけてあるのは、魔理沙の悪意だ。
「じゃあ始めるぞお馬鹿ども。昨日の続き、百五十七ページを開け」
だからなぜその短いスカートで足を組んで座る。一体何に誘いをかけているんだ、ここは女子高だぞ、なんてツッコミを入れたら最後、終いには貞操すら奪われかねない。三年の藤原と放課後にイチャネチョしている所を、同じ三年のパパラッチ射命丸何某にFされたばかりである。たぶんそういう性癖なのだろう。触らぬ神に祟りなし……ではあるのだが、如何せん、歴史の教科書は鞄のどこにも見当たらなかった。
「霧雨、放課後きなさい」
「初めてだから優しくしてほしいぜ」
「べぶふっ……ぶ、ぶふふふっ」
「ノーレッジもな」
かくして、そんな霧雨魔理沙の一日が今日も始った。
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ここに来てもう二ヶ月となる。ソリの合わない父から逃れ寮での生活を始めた為、現在は大変望ましい環境なのであるが、なかなかに難所が多い事に驚かされる。侍女がいない。ご飯は寮で当番制。パチュリーはイジメなのか優しさなのか、朝は起こしてもくれない。送り迎えなんてありえない。みんな挨拶がごきげんようじゃない。先生が暴力を振るう。一応部活に所属しないといけない。その代わりといってはなんだが、今まで行けなかった俗っぽいお店には入れるし、汚い言葉を使っても怒られないし、校則は緩いし、それなりのメリットはあった。
思い切り浮世離れした自分がどのようにこの空間を渡り歩いて行けるかと心配したものだが、そこそこ出来ていると自負している。元から口が達者であるし、あまりお嬢様らしからぬ空気が場に適応したのだろう。それに、筋金入りお嬢様としては引けを取らないパチュリーなのだが、これがまた俗っぽい。一度なんでそんなに慣れているのかと聞いた事があったが、話してはくれなかった。知らない事は大概彼女が教えてくれるし、疑問を投げかければ咲夜辺りがコンマ数秒で即座に正しいのか間違っているのか怪しい知識を吹き込んでくれる。
友人も以前より格段に増えた。機械のようにごきげんようしか言葉にしないような奴等ではなく、賞賛もすれば悪態も吐くような輩も複数人。先生というのはトイレに行かない、ゲップしない、嘘を吐かない、そんな超常現象的人間なのだとばかり思っていたのだが、どうやら同じ人間なのだと教えられてそれも驚いた。
「なあパチュリー」
「なぁに」
「お前夢って観る?」
「見るわ。私、フルカラーハイビジョンで見れるの」
「私は所謂活動写真館だぜ」
「あら、モダンね」
席をくっつけたパチュリーに対して、そんな質問を投げかける。確かに、生活環境の大幅な変化によって得た物も大きく、霧雨魔理沙本人も大変満足しているのであるが、転校してからというもの、普段あまり観なかった夢を観るようになっていた。具体的であり、しかし抽象的。大まかに言えば、まるで自分が別世界で生活しているような、気味の悪い話なのだ。全てが断片的で、登場人物達も様々。大概が人間ではないというのが特徴的だった。一体どのような心理から来る夢なのかと、フロイト先生に聞いてみたのだが、如何せんページを開いて五秒で眠気が露わになったので、致し方なくこの本マニアに聞く事となる。
「ふぅん。夢ねぇ。さぁ。私、あまりそういうの詳しくないわ」
「聞いて損したぜ」
「ただ、やっぱり環境の変化がそういう影響を与えているのかもね。ほら、現に疲れているみたいだし」
「そう、だよなぁ」
「そこ、五月蝿い」
「あい……」
慧音に叱られて縮こまる。パチュリーはくすくす笑って、そんな魔理沙を『可愛い』と言うのだから重傷だ。チラリと咲夜を観たら、鼻辺りをティッシュで抑えていた。自分はそこまで人を興奮させるような仕草をしただろうかと数秒深い思考に陥り、難しい事を考えると脳みそが沸騰するという脅威の事実を思い出して直ぐ止める。
ともかく、良い事はあったが、その代償としてこのような酷い夢見を覚えるようになっていた。ここ三日はその状態が顕著に実生活を脅かしており、悩みの種となっている。パチュリーへ事件のことを話したのも、これに無関係ではないからだ。
「なあパチュリー」
「なぁに」
「妖怪っていうのは、ヒトを食うのか」
「喰うわ。そう、喰うわね」
「今日はここまで。そこの二人は絶対放課後くるように。ブッチしたら独断と偏見で歴史のテストは零点だ」
「超行きます。行かせてください」
「魔理沙……イかせてくださいだなんて……はしたないわ」
「……もうやだこの二人」
慧音が項垂れると同時に、咲夜は貧血で倒れ、終業のチャイムが鳴った。委員長の号令と同時に、皆は思い思いの方向へと散って行く。昼休みである。マンモス学園である為、お昼ともなれば購買と食堂が人海と化し、弱きものはそこで進化を止め、強きものが陸へとあがって行くリアル四十六億年の世界と成り果てるのだ。この辺りはお嬢様の二人は理解し難かった。解ってはいるのだが、即座に動くような真似が出来ない。咲夜辺りは貧血から直ぐに復帰すると、瀟洒に人の壁を縫うように歩いて何処かへと去ってしまう。魔理沙としては、このような事象がまだ習慣化していないのに加えて、あまり激しい動きをしたくなかった。
「授業前より格段にダルそうね」
「ダルイぜー……なんかもうホント駄目かもしれない。パチュリー、どうしようだぜぇ」
「口調がイミフよ。そうね、ここに居て。何か買って来るから」
「その必要はないわ」
まだ離してもいない二つの机の上に、パンと弁当がごそっと、もっさりと堆く積み上げられる。魔理沙がパンのエッフェル塔やぁと叫んだのが早いか遅いか、開いた口に栄養ドリンクを流し込まれた。
「んくっ……んっ……あふっ……ぷぁっ」
「ふふ、何よその顔。嬉しそうにしちゃって……もっと飲みたいの? いいわ、飲ませてあげる……」
「な、なにしてんの咲夜あんたちょっと死になさいよ」
「小うるさいbeansproutね。敗北者は退きなさい」
もやしといいたいらしい。散々口にしている悪口だが、魔理沙からみるとそこまで萌やしでもないような気がした。いや、萌やしといえば萌やしなのかもしれないが、この場合悪意ある萌やしなのだろう。確かに引きこもっているイメージは何故か強いが、彼女は病気一つ知らない超健康優良児である。バイトで帰りも遅いというのに、疲れた顔一つ見せないのには驚かされるところだ。
「ぐぬぬ……ふん。いいわよいいわよ。勝手にやってればいいわ」
「はいはい。魔理沙、甘いものとか食べる?」
「う、うぅん。た、食べるが……おい、パチュリー」
「私、一人で食べるから」
「そ、そうかい」
「去るもの追わずよ、魔理沙」
なんだか良く解らないやり取りに敗北したらしいパチュリーは机をドンと叩いてこの場を立ち去って行く。自分といえば……とりあえず、朝も大して食べれなかった事もあり、目の前の甘いものなどがとても魅力的であった。
「やっと二人で話せる」
「そう、熱っぽい視線送るの止めてくれ。私はノーマルだぜ」
「いいじゃない。まあそれはいいとして、大分お疲れのようね。朝は少し元気に見えたけれど」
「うぅむ。なんだか気力をごっそりと持って行かれているカンジがあるな。ケーネセンセに頭突かれるし」
「大変遺憾だわ。もう遺憾の意の牛追い祭りよ」
「日本語で頼むぜ。あー、そうそう。お前にも話しておくかな」
「秘密を共有出来たりするのかしら。あ、食べながらにしましょ。貧血で倒れるわよ。特に私が」
「まったく」
カロリーの高そうなパンを有り難く頂戴しながら、最近の夢について語る。基本、ヒトに夢の話題を振る事ほど無意味なものはなく、答える側としても言葉を選んでしまうような事態になりかねないのだが、咲夜は至って真剣であった。それが魔理沙補正であるかないかは定かではなかったが、その眼差しはパチュリーに無い何かがある。
「夢は夢ね」
「その通りだ。悪いな、実の無い話で」
「ただ、そのヒトを喰う妖怪というのが、引っかかるわね。貴女が話す内容だと、まるで今起こっている事件のようだし。そうよね、食べるなら、遺留品だって邪魔だし」
「それが気になって、話題にしたんだ」
ヒトを食む妖。支離滅裂な夢の中で、これが非常に具体的で、メッセージ性を強く含んでいた。夢というのは、続きを見ないものだ。以前に何処かで見たことがある、というデジャヴも、所詮はどこか似通った要素があったというだけであり、夢の続編足り得ない。脳内にストーリーが構成され、それが消化されるなど、相当夢を操れるような夢想人でしかありえない話だろう。
「夢っていうのは、本人が持ちえる情報を元にして構成されるもの。きっと事件が衝撃的だったのね……ということにしましょう」
「なんだそれ」
「夢なら、追求してもしようがないわ。それより、休日は空いているかしら」
「何故だ?」
「何故って、デート」
「……物凄く忙しいぜ」
「そりゃまた残念」
……真剣にしていた割には、気の無い返事に多少の失望を催す。個人的には大問題だが、しかし他人からすればただの夢話。これも仕方がないとして、咲夜との会話を打ち切る。彼女とくれば、まるで美術品でも定めるかのような眼で此方を見ながら、栄養ドリンク(マムシ)片手にカレーパンを食んでいた。別に気持ち悪いとは思わないというか、自重はして頂きたいものであった。
十六夜咲夜。同級生で変人で美人。彼女と知り合ったのは言わずもがなこの教室である。突如現れた変な転校生二人に対し、妙な関心を抱いたらしく、最初は訳隔てなく双方ともに接していたのだが、やがて格差が現れた。どうにも、自分を痛く気に入ったらしく……パチュリーが邪魔で仕方がないとか。本人が言うのだから間違いないだろう。パチュリーもパチュリーで、大人しい癖に彼女とのやり取りとなると、いつも熱を上げる。
成績は魔理沙の上程度。本人は運動嫌いと言っていたが、その引き締まったからだは明らかに何かを嗜んでいるものであり、どうにもうそ臭い。思った事は口にして疑問を呈し、意見が噛み合わないとすれば敵と見なす。それを言ったら魔理沙など果てしなく歯車がずれている筈であったが、扱いにも差異はあるらしい。普段何をしているのか、今一掴み所が見出せない人物だ。
「お前さ。なんと言ったらいいのか。その、私のこと好きなの?」
「自意識過剰、なんていうはずもなく。そうよ、好きよ。何か?」
「何かって。色々問題だろう。私自身そういうのじゃないし、あんまりお前に興味もないぜ?」
「ないならないで別に。振り向かせればいいだけの話」
「じ、自信たっぷりなのな……」
「自信あるわ」
ニッコリと、邪悪な腹を隠すような光を持つ笑顔になる。本人はどこまで知っていて、何処までを知らないのか。自分というものを弁えている人間というのは、甚だ恐ろしいものがある。出来れば、弁えていない類であって欲しいものだと、節に願うのである。自覚なんて言葉があるが、生きて行く上でこれほど大事なものはないと、お嬢様な魔理沙も信じている。自分、己の分相応を知らずになんでも首を突っ込んだり、キャパ以上の物事を引き受けたり、そういう輩は往々にして自滅する。他人がそれである場合は、別段問題ない。しかし、咲夜の場合、これが自覚ある計算での行動であったりすると、何か彼女の前提が崩れてしまうようで、怖いのだ。
なんでも卒無くこなし、自信を持ち、強く前を見ている人間。それは魔理沙にとって非常に眩しい。眩しすぎる故、これにはそうであって欲しくは無い。最近、新しい環境故の戸惑いと疲れは、無茶をしている証拠でもある。そんな所に、こんな自我の強い輩が近寄ってきたら、もしかしたら間違いがあるかもしれない。間違いに乗せられてしまうかもしれない。
「ほどほどにな」
「ほどほどね。まずはあのムラサキをなんとかしないと」
「お前達、仲悪いよなぁ……なんで同じところで働いているんだ。というか、何してるんだ? パチュリーは答えてくれないし」
「ひみつのオシゴトよ。魔理沙には、まだ早いわ」
「ど、同級生だぜ」
「ちっさいし」
「お前がデカイんだよ」
またそうやって謎を作ってはぐらかす。どうにもこうにも、人間不信になりそうだ。
「そろそろ休憩も終わりね。あまったのは……犬のえさにでもしますか」
「もって帰るぜ。明日の朝ご飯にする。幾らだ?」
「おごりよ」
「奢られるほど困窮してないぜ」
「知ってるわよ。グループ会長の娘ですもんね」
「毎度有難う御座います。これ、うちの子会社の商品だ。ちなみに、この学校にも寄与してる。あと、寮もうちが建てたやつだ」
「う、ううん。金持ちっていうのは、なんだか恐れ入るわ。何が偉いわけじゃないんだけど」
「ごもっとも。偉いわけじゃないんだがね、今後ともうちをご贔屓に。私のお小遣いになるから」
次第に持ち直してきたモチベーション。このまま往けばなんとか一日は凌げるだろう。あとは、頭痛のタネのような二人の抗争が起きなければいいのだが、と思う。思うのだが、慧音先生の先約があるので、なんだか今日も駄目っぽかった。
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こうして過ごす毎日は、幸せなものであった。大した不自由もなく、新しい生活は希望があり、自分は相当に恵まれた人間なのだと自覚出来る。どうせ、大人になってしまえば一人娘故、経営者にされるか、婿を取るかのどちらかしかないのだ。好きなことをやって好きに生きられる自由が、愛しくある。そんな一時だからこそ、今を壊したくないという保守的な思いは強い。
『あの女』は、夢の中でなんと言い放っただろうか。日傘を差し、金の髪を風に晒し、たおやかな身のこなしで、自分に迫る彼女。彼女は妖怪だ。どうして、そんな妖怪なんて単語が頭に浮かんでくるのか。それすらも、意味は解らない。ただ、彼女が人を食む魔であるという事実が、薄ら寒くある。パチュリーにも咲夜にも伏せたが、自分は夢の中で喰われた人と、ニュースに映った被害者の顔を、一致させている。ニュースで観たから顔が一致している、ではなく、夢を観た後にニュースを見たら一致していた、が正しい。
何時の日か、その顔は自分になるのかもしれない。勿論、絵空事である。根拠もない。夢は夢、咲夜の言う通りだ。しかし不安はある。他人事でも、対岸の火事でも、飛び火するものは飛び火する。降りかかるものは降りかかる。あの女、あの妖怪が自分の前に現れる日。果して、自分はどのような反応が出来るのだろうか。そも、逃げられるものなのか。いや、逃げる逃げないの問題だろうか。
恐ろしくある。そして同時に、懐かしくもある。自分は、霧雨魔理沙は……彼女の名前を、知っているような、そんな気がした。
彼女は、間違いなく日常破壊者。自分の幸せを完膚なきまでに打ち砕く、おぞまじき『何か』だ。
「……りさ……魔理沙」
「んぁ」
「あら可愛い。ヨダレが垂れてるわ。もう放課後よ」
「……ふいてふいて」
「だだ、だらしないわね……い、いい、いいわ、ふ、拭いてあげる……ほら、顔をこちらに突き出して……ふふ、ふふふ」
「お前、咲夜と同じような反応するのな……」
「誰があのスカポンタンの淫売と同じよ」
「素に戻るのもはやいな……ああ、そうだ、慧音センセんとこ、いかなきゃあなぁ……」
「憂鬱そうね」
「霧雨魔理沙の憂鬱だぜ」
パチュリーは、そんな自分に対していつも変わらない。変な方向に曲がったりはするのだが、軸がぶれない。それは、咲夜にも言える。一体彼女達を支えているものはなんなのだろうかと、考えてみたりもする。相手が同じ状況にある訳ではないので、均等化して平均を出すなんて真似も出来ないが、各人の抱く『自分』というものに、強い興味はあった。
自分は、あまり自分が自分であるという確証をもてないでいる。霧雨魔理沙は霧雨魔理沙だ、とか、我思う故に我あり、とか。小難しい哲学的難題に取り組んでいるものでもない。ただ単純に、本当に自分はここに居て良いのか、本当に自分があるべき場所はここなのだろうかと、うら若き精神の奈落に落ちている節があった。これは別に今に始ったことではなく、モノゴコロがついた頃からの悩みである。
『お嬢様霧雨魔理沙』が『しっくりこない』のだ。
「職員室って、あんまり入りたい場所じゃあないよな」
「そうかしら。皆優しいけれど」
「成績優秀品行方正才色兼備の仏蘭西料理みたいな奴にゃ、そら優しいだろうさ」
「なんかこってりしてるわ」
「じゃあジンギスカンでいいぜ」
「腹が減る話題だな、いいから、入れ、お前等」
職員室の前で突っ立っていた所、バックアタックを取られる。思わずお尻を抑えた。物凄い怖気が走ったのはなんでか。解りもしない。とりあえずせっつかれて、教員用の休憩室にまで招かれる。生徒達曰く禁断の個人指導室。一体誰が噂した話題なのか、と思えば、そうそう三年の射命丸が、とパチュリーが答えをくれた。碌なもんじゃない。
慧音は一人掛けの椅子にどっかり座ると、さっさと座れと二人を促す。
「最近たるんどるな――と言いたい所なのだが、霧雨、お前大丈夫なのか?」
「と、申されますと」
「顔色がよくない。朝は遅刻。授業中も心ここにあらずであるし、普段の騒ぎようからするとおとなしすぎる。最近、ノーレッジと十六夜以外、誰と喋った? 寮生ぐらいだろう」
「あぐ……」
「良く観察していらっしゃいますね、先生は」
「だからお前も呼んだんだ、ノーレッジ。コイツ、なんだかんだと自分の事は親しい人間にしか喋らんだろう。徹底的に追求してやらんと、親御さんに顔がたたん。お前を預かる身としても、見過ごせん」
深い溜息を悩ましげに吐いて、慧音は腕組みを解く。俯き黙り込む自分に対して顔を上げさせ、その表情をマジマジと見つめてくる。なんだこれセクハラか、と無粋な突っ込みはなしにする。
「目のしたにクマがある。肌も多少荒れてる。ほら、小さいが吹きでものも出ている。唇はカサカサしているのを隠しているし。明らかに寝不足だ。ノーレッジ、同室としてどうだ」
「最近寝付けていないらしいです。私が思いますところ、たぶん環境の変化で本人も自覚がない疲れが出ているものだと思いますわ。先生がどこまで彼女をご存知か知りませんけれど、びっくりするほどの箱入りですの。朝から晩まで侍女つきで、周りの世話は全部人がやっていましたし、栄養からなにまで、全部管理されていましたから」
「――それはそれで疲れそうだが、生まれてからずっとなら、そっちが習慣か。というかノーレッジ、お前だってそうだろう」
「私は……ふふ」
「お前は、あまり突っ込まないほうが良さそうだ。突付きすぎるとヘビが出そうで」
「いやですわ」
「兎も角、霧雨。お前、何故医者に行かん。せめて保健室ぐらいは良いだろう。ウチの学校は無駄に金持ちだし、設備はあるぞ?」
「ほ、保健室はぁ……」
普通なら、保健室ぐらい良いだろう。女が大半を占めるこの学校、女の子の事情で保健室利用者が多い。今更誰も恥かしがるものでもないし、誰が邪推するものでもない。ただ、一度利用してからと言うもの、あの場所はカンベンして頂きたかった。あそこに行くぐらいならば、霧雨家お抱えの医者を呼ぶというものである。都合がつけばの話であるが。
「八意先生が苦手か。うむ、なんとなく、解る」
「教師が同意してどうするんですか」
「い、いや……生理的に何故か、物凄く。しかし、霧雨。疲れは溜めたってしょうがないぞ。お抱えの医者ぐらいいるのだろう。金持ちなんだから」
「いるっちゃいますがね……親父と喧嘩してるし……」
「それも心労の一端か。なるほど、良くわかった。無理に仲直りしろなんて言わないから、ちゃんと看てもらえ。今内線で八意先生に電話してみる。空いていたら、絶対に行けよ」
そういって備え付けの電話をとると、何度か言葉を交してきった。どうやらいるらしい。八意永琳。実家が小さな医院らしいがそちらは継がず、保健師資格をとって教育を志したとか。高等部の保健医となったのはつい最近の事だ。何事にも含みを加えて語るので、そのミステリアスな存在が諸学生に受けているとかなんとか。魔理沙としては、あれは絶対に何か裏でやっているに違いないと踏んでいる。どこか底が知れなくて、末恐ろしい。
「いる。お前だと言ったら歓迎していたぞ。もう放課後だから、顔を出すなら速めにな」
「えー……」
「行って来なさいよ。私も心配だわ」
「わ、わかったよ……八意センセって……あの軽薄な笑みが怖いんだぜ……」
「かならず行くように。ああそうだ、ノーレッジは別に話がある。魔理沙一人で行けよ」
「だそうよ。帰っちゃ駄目だからね」
「はいはい……おつかれさん」
一応、頭を下げて退出する。暴力ばかりの教師かと思っていたが、意外にも鋭い観察眼と気遣いに涙が出そうだ。色々と話題がある先生であるが、間違いなく生徒を心配しているのだろう。故に人気もある。慧音の言う通り、自分は結構酷い顔になっている。隠してはいるのだが、だめなものは駄目らしい。それを考えると、咲夜あたりはそんな意図もあったって自分に顔を寄せたのではないかと、思わされる。マジマジと人の顔を見る失礼な奴だと感じていたが……いや、これは買いかぶりすぎだ。あれはやっぱり変態である。同性云々でなく、存在が。
「はぁ」
高等部だけで三棟ほど校舎があり、ここは北校舎。保健室のある場所は東校舎である。放課後になって人も閑散としだした廊下に響く足音が妙に虚しい。遠くから聞こえる吹奏楽部の合奏、校庭から響く運動部の掛け声。時折沸き立つ文化部の談笑。まるで一つほど世界がずれて、別の階層から客観視しているような感覚がある。全部が全部作り物で、今立っている場所が本当に在るべき所であるのか、疑問になってしまう。
『自分はここにあるべきではない』『本当に心安らげる場所があるはず』そんな在りもしない幻想が、皆が隠しているだけで存在しえるのではないだろうかと。自分はそれが、顕著だ。
例えば、皆が知る著名人であれば、宮沢賢治なぞもそうだ。あれの夢想し続けた世界というのは、果てしなく現世から乖離している。彼はただ単に、メルヘンチックな脳みそだったのだろうか。いや、と魔理沙は思う。どうにもこうにも、アレを描くには、『観ないと』無理なのではないか。異世界に感応し、本物のマヨヒガを知っていた、暮らしていたのではないだろうか――――――なんて、そんなどうでも良い事が頭を過ぎる。
あほらしい、と自己批判。幻想世界は幻想作家がやっていればいい話。顕著だと言っても、他人と比べた事なんてない。人間は、現実を逃れる為や娯楽の為に夢想し、別世界を作り上げたりするではないか。そうして文学や絵本や劇や映像は、出来上がっているではないか。自分がここにいるべきではない、などと悩んだところで、答えなぞありえず、自分個人がそのような特殊な存在だったとしたら、世のクリエイター諸君は皆そんな存在になってしまうであろう。特殊人種のオンパレードはさぞかし疲弊する世界だ。
「疲れてんのかねぇ、わたしゃ」
「疲れてるかもね」
「うわっひゃあ」
後ろから、顔面を両手でわしっとつかまれる。顔が動かせないので顔は見れないが、この声と漂ってくる妖艶というか妖しげというか変な気配は、間違いなく八意永琳のものだ。
「遅いわよ。待ってたのに」
「なんだそりゃ。アンタってヒトは生徒にまるで待ちぼうけをくらった恋人みたいな言葉をわざわざありがたくも迷惑に言い放つのか」
「迷惑でしょ」
「迷惑だぜ」
「ほら、入りなさい。上白沢先生が『うちの霧雨が凄く体調が悪いみたいで……私心配で心配で……えぅえぅ』とか言うものだから、どの程度ぶち凹んでいるのかと思ったけれど、そうでもないわね」
「私、その電話きいてたが、んなこといっちょらんと思うぜ」
「テレパスよ」
「さよかい……」
くすくす笑う変人二号(年功序列ではなく、発見番号)に保健室へと連れ込まれる。妙に空気が合わない彼女は本当に遠慮したい部類の人間だ。どうも、何もかも見透かされているような、不愉快な気分になる。生徒曰くの噂がそうさせているのかというと、そうでもない。直に逢い、一言二言かわしてこその不快感。今さっきの虚妄とて、もしかしたら彼女は知っているのかもしれない……そう思わせる雰囲気が八意永琳にはある。噂では某国立大首席卒業者だとか、保健師以外にも医師免許他数種類の国家資格を持っているとか、尾ひれ背ひれついて敬われている。この歳でそれはないだろう、というのが魔理沙の見解であったが、底は知れないので完全に否定したりはしない。
「さて、そこに座って」
「はいはい」
白衣の彼女はデスクチェアに座ると、側からカルテを取り出した。医者の真似事かなんて突っ込むと、その都度生徒の体調をチェックして過去と照らし合わせる義務があると返された。その辺りは無知であるので、それ以上は言わない。だが、以前見せてもらったものはドイツ語で書かれていて、チンプンカンプンであったのを記憶している。やはり医者の真似事かもしれない。
「それで、どんな調子なのかしら。人が多い時は書いてもらうけど、今日は貴女一人だから問診ね」
「医者かお前は」
「先生にお前はないでしょう。上白沢先生は先生と呼ぶのに」
「世の中序列があるんだよ。私はお前さんをあんまり信用しとらん」
「前のが相当きいてるのね」
「あったりまえだろう……どこに生徒を全裸にする先生がいる。寝てる間に」
不快感とは別に、そんな過去もある。つい一ヶ月ほど前の出来事であり、忘れもしない。朝飯を抜く日々が続いていたので、体力不足からくる眩暈を覚えた魔理沙は一度世話になっている。補助食品をありがたく頂き、とりあえず寝てろとの事であったのでその通りにしていたのだが、眼を醒ます頃には服がなかった。むちゃくちゃである。何故脱がせたと問えば『肋骨が見えてる。これじゃ栄養不足にもなるわ。なに、ダイエット症候群? 女はもう少しお肉がついていたほうが魅力的よ』と、そんな女性論を語られた。別に脱がさんでも。
「周りより平均して小さいし、どの程度ガリガリなのか見てみたのよ。本当に運ばれるわよ、病院に」
「まったく……おかしな奴だぜ。だからここは嫌いなんだ……」
「はい。おかしいおかしい。それで、今日はどうしたのかしら。上白沢先生の話ではどうも体調が優れないようだ、と聞き及んでいるけれども、具体的にどうゆう症状なの。眩暈吐き気ダルさ熱っぽさどれ?」
「たぶん寝不足。眩暈、だるさ、あと多少の頭痛」
「生理は」
「一週間前終わった」
「痩せているし、不順だったりするの?」
「そうでもない」
「なんで眠れないのか、心当たりはある?」
「……ないな。ただ、眠りが浅い」
「そうね。あまり浅いと、脳が休まらないわ。しかし寝不足となると、日々の生活環境改善、としか助言できないわねぇ」
「私もそう考えたんだ。だからこんな所にこなかったし、医者にも行ってない」
永琳は数秒考える仕草を見せると、机の引出しから別のファイルと幾つかの薬瓶を取り出す。この間、この間こそが怪しい。人が体調優れないというのに、いつも浮かべている軽薄な笑みはより一層見下すようなものになり、大変生徒に不快感を与える。他の人間にはどうかと思うのだが、人気がある、という話からすると、もしかしたら自分にしかしないのかもしれない。
「心理テストでもするのか」
「医者じゃないわ」
「そうだな」
「うーん――夢とか、観る?」
「観るぜ」
「ならこれ、でいいかしらね」
といって、一つの薬瓶から小指の爪ほどの糖衣錠を取り出す。
「おいおい、薬はまずいだろ。ここは学校だぜ? アンタがそういう免許持ってたとしても……」
「腹薬とか、風邪薬の類よ」
「怪しい限りだぜ。瓶、見せてみろよ」
「疑い深いわねぇ。ほら」
「……なんだ、ビタミン剤か」
「そ。ビタミンB12。コンビニでも売ってるわ。貴女、魚とかレバー、好き?」
「あんまり。どちらかと言えば、野菜とか、キノコだぜ」
「血色良くないものね。たまには肉とか食べなさい。ニラレバ炒めなんかいいわ。ご飯も進むし」
「つまり、栄養とって寝ろ、と」
「あんまり辛いなら休む事もお勧めするわ。ああそうだ。夕食後もしくは夕食と一緒に摂取したほうが吸収されやすくて良いわ。だから、ここじゃあ飲まないでね」
「そうかい。じゃあまあ、そうするかね」
「そうそう。一応医師免許と栄養士と土木建築一級の資格持ってるのよ。だから少しは信用なさい」
「そんな超人、この世にいるのか」
「ここにいるわ」
ニコニコと。まったく、イライラする。もう二度とこないからなと悪態をつき、魔理沙は永琳に背を向ける。正直、あまり長い間これと同じ空気を吸いたくなかった。逆に具合が悪くなりそうである。もとより個人の事情をあまり話したがらない自分だからして、医者だろうと保健師だろうと、体調すらも語りたくない。他人と喋るには一向に構わないのだが、自分の晒している部分以外を読み取られ、勝手に『霧雨魔理沙像』を創られるのがどうにもいけ好かないのだ。故、自分としても相手から寄越される対価以外は望まないし受け取らない。払ったもの、受け取ったものが多ければ多いほど、『相手の中の自分』も『自分の中の相手』も、誇張されたり、それがきっかけで誇大妄想と成り果てたり、碌な事はないのだ。親しければいいだろう。なにせ親しければそれだけ自分が何者なのかがイメージとして固まる。しかし、あまり接する時間のない人間の場合、そのイメージが曖昧になったり偏ったりする、という話だ。
「ああそれと」
「なんだ」
「――夜道は気をつけなさい。妖怪が闊歩しているわ」
「……」
パタン、と、引き戸が閉まる。聞きなおすべきかとも思ったが、再びその戸を開いて、果して八意永琳がいるのかいないのか。今まで話していた人間が、八意永琳だったのか。確証を持って特定出来るかどうか、怪しい。今起こっている事件の、単なる比喩なのか。確かに、あれはまるで神隠し。妖怪の仕業といえば、そうだ。一体、それが今までの会話の前後と、なんの関連性があるのか。
いや……例えだとしたら、そう。別に、問題ではない。先生として生徒を心配しただけの話。
勿論それが、真っ当な先生であるなら、という前提があるが。あれが自分を心配しているとは、とても思えない。自分は掌に乗せられた小さい袋に入った栄養剤を見つめて、本当にこれを飲んで良いのか、そんな不安がある。
……まさか。まさかだ。幾ら怪しく、発言に含みがあろうとも、自分は生徒。彼女は先生。では、そんな可笑しい薬を手渡す筈も道理もない。自分の体調が悪化したのならば、不利益を被るのは向こうなのである。そう、今の発言とて、自分を心配しただけ。それに違いない。
今一定まらない自分の気持ちを落ち着かせながら、歩調を遅めてゆっくり歩く。夏も近しい時期だったが、もう外は夕暮れも終盤。太陽は他界している真っ最中。窓から望めるその光景は、一際幻想的であり、また奇しくも、まるで自分がここにいる存在ではないような、虚妄に囚われる。
嗚呼、と一つ溜息。ついで、栄養剤を握り締め、歩き出す。現状、現在、現時間、現存在。霧雨魔理沙はここにいるのだ。そこに嘘も冗談もない。個人の認識で来うるセカイはここにしかない。そして、自分を認める者は自分しか居らず、他にいるものでもない。
「……魔理沙、大丈夫……?」
例え、目の前に現れた彼女が、自分を霧雨魔理沙だと認識していようとも、そもそもが嘘であったならば、その限りにはないのだ。己とは己しか持ち得ない。自分を疑う事は即ち、自分を風化させる行ないだ。それだけは、やってはならない。
「パチュリー。待ってたのか」
「うん。なかなか校舎を出てこないから、心配したのだけれど」
「なあパチュリー」
「何かしら」
「お前は、お前だよな。そしてきっと私も私だ」
それは意味のない問い。
「そうよ、貴女は魔理沙。私はパチュリー。わたしが保障するわ」
それは意味のない答え。
「帰るか」
「今日の晩御飯の当番は、確か幽香さんだったわ」
「アイツの飯……か……」
「コンビニで、何か買いましょうかね」
「そうだな」
次第にずれて行く。何もかもがずれて行く。認識。変異。前兆。妄想。虚妄。逸脱。位相がずれてずれて、認識が外れて外れて、逸脱しきったその先に、自分はもしかしたら、何か新しいものが見えるのではないだろうか。夢は単なる不安から来る心労か? この、地に足がつかない感覚は、単なる妄想か? この、どうにもならない程のもどかしさは、ただのストレスだとでも言うのか。
冗談も大概にしてほしい。それこそ逆に、まさかである。後ろから何者かの足音が、魔理沙には聞こえるのだ。『こうあってはならない』『こうであるべきだ』そんな声が、自分には聞こえるのだ。
・
・
・
・
・
さあ、食べなさいよ。遠慮せずに。
悪魔の声が共同食堂部屋に響く。寮生達は目の前に並べられた……いや、繰り広げられた戦いの後の如き料理? 達を目の前にして息を呑んだ。天の恵みたる食材を、一体如何なる技巧を用いれば、このような散々たる有様に変貌せしめる事が可能なのか。それは紅かった。それは蒼かった。百姓が手塩にかけて育て上げた子供達が、まさしく蹂躙されている。
魔理沙の右隣に座る留学生のアリス・マーガトロイドは気が動転して『oh.これがジャパニーズサーガ……』などとのたまい、向いの席の秋姉妹は二人で皿を擦り付け合い、左隣のパチュリーは開いた口が塞がらず、魔理沙に唇で閉じてくれるよう懇願している。魔理沙は悟った。これは混乱魔法なのだと。このエグくみえる料理だって実は物凄いすばらしい料理なのだけれど、幽香が作ったという事実が刷り込みで見せている幻影なのではないか。
――んなわけねーだろ。
「幽香先輩」
「なに。感動して咽び泣きたい? いいわ、胸に飛び込んでお出でなさい」
「はい。咽び泣きながら、おもいっきり張っ倒したいからちょっと表でろ!!!」
「あぁん? 魔理沙、随分でかい口叩くわネェ……死にたいの?」
「これ喰ったほうが死ぬわっ!! 今日と言う今日は許さんっ!! いけ、パチュリー!!」
「私は日米で大人気の某モンスターじゃないわ」
「え、だって私、体調わるいんだぜ」
「ごちゃごちゃ五月蝿いわね。食べないなら私一人で食べるわよっ」
形のいいお尻を椅子に叩きつけ、彼女はデンと構える。大皿に盛られた料理のような何かをスプーンですくうと一口。
「……」
「なあお前、味見とかしないのかよ……どうだ、まずいだろう。当たり前だ。これ料理なのか。いや違う」
「意外といけるから、私自身がびっくりしてるのよ」
「自分で作ってまじぃって解ってて作るな!! というか自分で味を再確認するなっ!!」
「良いからちょっと食べてみなさいよ」
「パチュリー、頼んだ」
「えー……」
「今日は一緒に寝てやるぜ」
「その皿全部くださいまし」
哀れな子羊を焚きつけて煽る。我ながら自覚あってこのような発言をするのだから外道だ、と自己嫌悪しながらも、しかし命にはかえられなかった。幽香が馬鹿舌である可能性が大であるからして、危険な賭けは出来ない。なんで夕食で命を賭さねばならんのか。
「……あれ、これ結構普通ね」
「パチュリー、お前も馬鹿舌なのか……なあアリス、お前もちょっと食ってみろ」
「えぇ? だってこれ、フシギダネみたいな色してるし……」
「確かに不思議だ。だが待って欲しい。色が悪いからといって不味いとは限らないのでは?」
「いや、絶対オイシくないわよ……」
「確かめる前に決め付けるのは些か早計ではなかろうか。マガトロ氏の努力に期待するほかあるまい」
「う、うぅん……じゃ、じゃあ折角だから私は紅い皿を選ぶわ……」
曖昧な論調でアリスを責めたて、まだ不慣れらいし箸を進めさせる。なんて汚い人種なんだ自分はとせせら笑いながらアリスに対しては別になんの罪悪感もなかった。
「へいどうだいステイツ」
「あ、ママのミートパイよりおいしいわ」
「欧米か」
「そうよ」
「ええい、これだから外人二人は……普段から味濃いもんばっかり喰ってるから……秋二人は」
「もう食べてる」
「なんでか、食べれるわ」
「……」
「霧雨魔理沙破れたりね。これでも一応、練習したんだから。さああんたも食べなさいよ」
でかい胸を張る幽香が勝ち誇り、なんとも言えない敗北感に苛まれる。こんな現実嫌だったのだが、逃げても仕方がない。みんな黙々と食べているのだ。幾ら先の二人が馬鹿舌でも、寮内でも料理の腕に定評のある秋姉妹が食えるというのならば……きっと食べられるのだろう。
「なんでこれ青いんだぜ……」
「なんか通販でダイエット用着色料ってのがあったから」
「ああ、食欲減退する奴ね……ってそんなもん使うなよぜ……」
「口調おかしいわよ」
「可笑しくもなるぜ……」
「魔理沙、食べさせてあげましょうか。ほら、アーンしてアーン」
青い物体をスプーンですくい、口元にはこぶパチュリー。それがもっとまともなモノならアットホームな感じにも繕えたのだろうが、如何せん青い。ちらりと横を見れば、アリスが赤い皿を『これおいしいわ。お肉とお野菜の南北戦争よ』ともごもごやっている。
「どう?」
「なんで美味いんだろ……」
「ふふ」
そうして霧雨魔理沙は敗退した。
一悶着あり、気の休まる事のない食事を終える。幽香あたりは意外な評価に気を良くして、洗い物を一人で買って出た。相変わらず仲の悪そうな秋姉妹は口喧嘩しながら食堂を出て行き、アリスは食後のティータイムを楽しんでいる。自分とパチュリーといえば、何をするでもなく食堂に備え付けられたテレビに目をやり、時間を潰していた。
時間は十八時を回り、十九時に差し掛かっている。今日のパチュリーはフリーらしく、自分の小脇にくっついていた。シフトがバラバラなのかと問えば、不定期なのよと返される。元から社会体験の一環のようにしているバイトらしいので、お金云々は気にしていないだろう。というか、バイトで得られる一ヶ月分のお給金なんぞ、パチュリーの私服代にもならないので、当たり前だろう。
『はい今週も始りました歌ってバンバン。司会のタナリです』
共同冷蔵庫から引っ張り出してきたアイスを齧り、ぼけっとしたまま歌番組を見る。実家では考えられない生活だが、自分と言う人間は適応能力に優れているのか、今や一般人の日常的光景も意識せず再現出来るというものだ。これに何かしらのメリットがあるか、と言われると甚だ疑問だったが、問う奴もおるまい。
『今週のゲストは二回目の登場、アイドルデュオ プリーストのお二人です』
「お」
「どうしたの」
「ファンなんだ。この二人」
『こんばんは。プリーストのレイムです』
『サナエですー』
「ああ、最近メディア露出の多い。ネットでも話題ね」
「ネット環境なんてあったっけここ……」
そもそも自室にパソコンはなかった気がする。だが、そのあたりはパチュリーだ。もしかしたらノートパソコンに無線LANでも挿して隠し持っているのかもしれない。追求するとおかしなものまで掘り当てかねないので、触らない。
アイドルという存在がどのようなものなのか、あまり触れる機会がない故に具体像はつかめていなかったのだが、最近テレビを見るようになってやっと理解出来た。父は俗っぽいからやめなさいとしか言わないので、自宅ではニュース程度しか見られなかったのだが、このようなコンテンツがある事に驚かされて以来、益々父が悪魔に見えた。
プリーストはつい最近デビューした二人組で、この音楽不況にありながらデビューシングル『基本的にどうでもいい』は六十万枚を突破。セカンドシングル『まじで面倒』は百万枚を突破し、名実ともにミリオンアイドルとなって期待の新人である。
紅と白をイメージカラーとしたレイムはそれが素なのか演技なのか、本当に面倒くさそうでありながら、その怠惰な雰囲気とミステリアスさがあいまり、カルト的人気を呼び、蒼と白をイメージカラーとしたサナエはそんなレイムを繕うように頑張る姿が健気だ、という庇護欲をそそるキャラクターが人気を博している。
主に男性受けを狙ったものだったらしいが、気取らない素振りが女性にも受けて、魔理沙などもファンを名乗っている。
『懐かしいあの日あの時に~』
『いえなかった想いが悔しくて~』
「八十年代みたいね」
「私はよく知らないけれど。なんかあの二人を見てると、なんだろ」
「何?」
「変に懐かしくって」
アイドルなんてものに熱をあげたのはこれが初めてであるし、歌謡曲も殆ど知らない。CDだってこのシングル二枚しか持っていない。一体どのような心理的影響が及ぼされているかなど、解りもしないし考えた事もないが、ただどうしようもなく懐かしい気持ちだけが、自分の中にはあった。
『君は幸せになれると信じていたけれど』
『それが間違いだって気付いたの~』
「……」
「いい曲だろ?」
「そうね。古臭くて。悪くないわ」
「なんだい、それ」
「お風呂入るわ。先いいかしら」
「あいあい」
普段なら、もう少し反応があってもおかしくはないのだが、パチュリーの言葉に気がない。あまり自分の好きなものを押し付けるのも不躾だなと思い、それ以上の言葉はかけなかった。ただ、何かあれば一緒になって頷いてくれる普段の彼女からすると、不自然ではあった。
「魔理沙は」
「うん?」
「なんだか、つまらなそうね」
「……」
ティーカップを片したアリスが、ふと此方へと話し掛ける。親しい仲ではないのだが、同じ寮生として度々言葉は交わしている。だが、このような物言いをされるのは初めてであった。何故、何を想ってそう言葉を紡いだのか。自分は返答に困る。明らかに、自分という人間は、今を楽しんでいないのかもしれない。こうしてアイドルが歌う姿を見てウキウキするというよりも、ありえない、何か、ひどく、不確定な感情を求めている節がある。
歌は良いと思う。だが、世の中知りもしないものを懐かしいと言って好む人間も、少ないだろう。
「そう、かな」
「ううん。ごめん、そうおもっただけだから。おやすみ」
アリスはそういって出て行く。パチュリーの反応も薄かったが、アリスに至っては何か、言わなければいけないことを口にした、という発言の消化義務を感じた。誰かに言わされたのかとも考えてみるも、そんな面倒な事をする輩は周りにいない。皆、自分勝手である。
「なあ幽香センパイ」
「あぁによ」
「私って、つまらなそうか? 結構、楽しんでいると思うんだが。こっちに来て、色々な事があって、驚く所もあるけど、私ってそんなに不自然で、つまらなそうにしているだろうか?」
「難しい話は止して。私、そんなにあんたの事、観察してないわよ」
ごもっとも、と頷く。確かにその通りだ。皆が皆上白沢慧音のような観察眼を持ってきたら気味が悪い。一々多少の変化に突っ込まれていたら、気が気ではない。助言とは嬉しくもあるが、行き過ぎると単なる嫌がらせだ。なんでお前にそんなもん指摘されなきゃならんのか、嬉しくしてようと、憂鬱にしていようと、勝手ではないか。
「……まあ、あんまり気にしないことね。アリスがどういっても、あんたはあんたでしょ」
「含蓄あるお言葉痛み入るぜ」
「一個上なだけだって……あら」
「どうしたぃ」
「この薬、あんたの?」
大きな溜息を吐く幽香がふと見下ろした先。片付けた食器の傍に、小さい袋。
「ああ、私の」
「薬なんて飲むの? なに、本当に体調が悪いわけ?」
「ただのビタミン剤。眠れないって行ったら、保健の永琳が」
「はいはい。なるほど。これ、水」
「どーも」
解ったのか解らないのか。曖昧な返事をしてから、幽香がコップに水を汲んで差し出す。小さい糖衣。これを飲むのだ。飲むらしい。飲むのだが、なんだか妙に、勇気がいる。
「なあ、八意永琳ってさ」
「うん?」
「怪しいよな」
飲む。なんのつっかえもなく、水と一緒に流れて行く。
「確かに。あれはきっと、裏で何かしてるわ」
「お前もそう思うよな。そいつに渡されたものだから、だいぶ疑ってて」
「案外、ヤバイやつかも」
「じょ、冗談きついぜ」
「一応先生なんだから、ダイジョブでしょうけどね」
「だよな」
そう。別段と変化もない。当たり前だ。ただのビタミン剤。これで少しは寝るのが楽になるとおもえば、アイツに顔を出したのだって、安いものだ。あんな夢を観なくなれる。それは幸せだし、寝不足が実生活に影響を及ぼしている限りは、これが解消されるほど気の休まる話もない。疲れているだの、楽しくなさそうだの、散々言われているが、それも今日でオサラバだ。
夢。妖怪。たびたび心を揺るがす、郷愁と自己存在への疑問。
疲れているからこそ。そんな心労を煩うのである。
「もう寝ちゃいなさいよ。パチュリーがお風呂つかってるなら、うちの部屋のシャワー貸したげるわ」
「なんだ、へんに優しくて気持ち悪いぜ、幽香センパイ」
「そうかしらね。だってあんた、本当に疲れた顔してるし」
だから、それはもう、今日でお終い。
『いやー、レイムちゃんもサナエちゃんも、かわいいねー』
『はぁ。ありがとうございます』
『れ、れいむ、もう少しなんとかならないの……』
『『あはははははっ』』
「あら、ねえ、魔理沙?」
きょうで、おしまい。
『れいむちゃんは、やる気ないねぇ(笑)』
『はあ。そうでもありません』
『そ、そーよねぇ、あははは』
嗚呼 なつかしい こえがきこえる
・
・
・
・
・
「……何か、気がついているのかしら」
シャワーにあたりながら、一人ゴチる。ここ最近の霧雨魔理沙の行動と言動。そして体調の不良は、傍目から観れば体力低下とストレスから来るものだろう。自分もまた、意識しなければその理由で納得する。だが、魔理沙の観る夢というのはその連続性から、観ているものではなく、観せられているものに近いのではないだろうか。何が言いたいかといえば、そのような志向性を持つ意識への介入が、彼女を苦しめているのではないか、ということだ。
世には異世界に感応しだす人間がいる。海であったり、山であったり、人の夢見た理想郷であったり。もしかしたら自分は別世界の人間なのではないか。この不調は、不適合な社会にいるからこそなのではないだろうか、といったような虚妄の類だ。妄想と斬り捨てるのは簡単だが、これがその人間にとって真実であった場合、死に至る病である。
彼女に出会ったのはもう十年も前だ。大企業同士の会合につれて行かれた自分と、そこにいた魔理沙。同じ学校に通っているという事実が判明し、親同士が仲良くなり、自分達も自然と遊ぶようになった。
そう、彼女の殆どの人生を、自分は隣で見てきている。彼女は……少なくとも十年間は、人間だ。それ以前となると、解りえないが。ただ、こういう問題の場合、先祖がえりなどもある。数代前が人間ではない、もしくは別世界の存在であった場合、『ここを良しとしない』ようになる可能性も否定出来ない。
最近、霧雨家の軌跡を調査した。戦後の焼け野原に開かれた闇市を基盤として成り上がった家系で、創業者は曽祖父。その後祖父、次男坊であった父、と受け継がれ、現在に至る。この流れに何か不自然な点はないかと探ったが、これは見つからなかった。それを言ってしまえば、自分の家系の方がよっぽど怪しい。その何の変哲もない、地と汗と涙の結晶たる家系におかしな点はないが……霧雨魔理沙自身については、つっかかる部分があった。
魔理沙の生まれる一年前から九ヶ月前にかけて、父は大病を患い入院している。まさか、入院中に? というのが、小さくも一番の問題であった。
「一番としての可能性は、もらわれっこ」
孤児であった可能性。拾われた可能性。ここはまだ調査中であったが、確率的に高い。それ以前の先祖がえりとなると厄介だが……。
「妹様、何か気がつくところはないかしら」
――――風呂からあがり、バスタオルで体を拭きながら、そう『小さい生物』に話し掛ける。
『ないわね。常人と言われると怪しいけれど、かといって妖とも言い難い』
「そうよね。彼女、ただのお嬢様だものね」
『どうかなぁ。発言を紐解くに、かなり向こう側の世界を見ていると思うけれど』
「貴女達スカーレット姉妹が追う妖っていうのは、相当の力を持つのでしょう。夢に干渉出来たりするのかしら」
『可能ね、そのぐらいなら私達だって。お姉様ほど詳しくはないけれど、なんでも曖昧にしてしまう力があるらしいわ』
「曖昧、ね。魔理沙の精神状態なんて、きっとそれ」
『うん。魔理沙可愛いのに、あんな疲れた顔しちゃって、可哀想ね』
「あげないわよ」
『いじわるね。いいじゃない、少しぐらい血をもらっても』
「その格好だと多少デカイ蚊ね」
『むっかー』
この手乗りサイズの吸血鬼、フランドール・スカーレットには、一ヶ月ほど前に出会った。最初こそ驚いたが、話してみると奇想天外な話題のオンパレードであり、なかなかに面白い。今、自分という人間は彼女に協力する、という名目で、魔理沙の近辺を探るような真似をしていた。
東欧の奥地に住んでいたスカーレット姉妹であったが、突如現れた大妖に力を封じられ、こんな姿になってしまったらしい。敵が東の国へ逃れたと聞き及んだ二人はそれを追ってこの地にやってきたのだとか。詳しい事情は知らないが、面白そうなので付き合っている。タダの厄介ごとならばさっさと退散頂きたいのであるが、今回の連続失踪事件はその妖が関わっており、尚且つ魔理沙がその鍵を握っているのでは、と言うことから、無碍にはしてやれない。
「今日は何事もないといいけど」
『毎日襲う必要もないのだと思うわ。気配も残り香程度だし。そうだ、今度は此方から攻めてみましょうよ。魔理沙の友好関係なんてどう? かなり怪しいと思うわ』
「そうね、何時までも守りだと、咲夜さん達に先を越されてしまいそうだし」
『そうそう。お姉様ったら、争い事になるとムキになるから。仲が良いっていっても、勝負はいつも真剣なのよ』
バイト、というのは口実だ。追うモノが妖なのだから、活発になる夜はいそがしい。夜に出て行くとなると弊害が出る。疑われる。故に、バイト、という名目でこうしているのである。スカーレット姉妹本人達は力を封じられて身動きが取れないが、それ相応のキャパシティを有した存在、つまり、自分や十六夜咲夜などを媒体とすれば、それなりに力を振るう事が出来るとかなんとか。
協力というのはそのまま、妖退治、と言う事だ。
「ねえ、パチュリー? ちょっとあけて。魔理沙が」
「幽香先輩……? 妹様」
『あいあい隠れる隠れる』
「はい只今」
ドンドンと叩かれるドア。幽香の少しばかり焦った口調が気になる。扉を開くと、そこには魔理沙を背負った幽香がいた。思わず小首を傾げる。魔理沙はぐったりとしていて、意識がないようだ。気絶するほど疲労していたかと考えて、いやいやと頭を振る。先ほどだって幽香と小競り合いをしていたではないか。
「どうしたんです」
「薬を飲んだ後、直ぐに気を失って。脈はあるわ。貧血かしら」
「最近疲れた様子だったから。とりあえず、ベッドまで運んでくださいますか」
「ええ」
血の気が引き、顔色がよくない。呼吸は正常だが、全体から全く生気が感じられなかった。
「薬、というのは」
「八意の馬鹿からもらったビタミン剤を飲んだ後」
「ああ、そういえば、そんなものを……」
「まさか、ビタミン剤なんかで副作用なんて」
「あるはずがない。それじゃあ、ご飯食べられないわ」
「アレルギーとかは」
「彼女、あまり種類を食べないだけで、何でも食べるわ。十年も一緒にいるから解る」
「そう、よね。どうしようかしら」
「たぶん貧血ね。幽香センパイは戻ってもだいじょうぶ。私が面倒をみますわ」
「……じゃあ、お願い」
いつもいがみ合う割には、酷く心配そうな幽香を見送り、再び魔理沙の容態を見る。ビタミン剤といったか。それは偶然で、そのタイミングで貧血を起こしたのか。今一良く解らない。得体の知れない精神不安からの防衛機能として、意識を遮断したのだろうか。そんな弱い魔理沙は観たことがない。明らかに、その『ビタミン剤』が問題だろう。
保健室から出てきた後の魔理沙。あの現実を見ていない目は、何があったのか。少なくとも、保健室へ行く前の彼女は此方を見ていた。八意永琳が……いやいや……あれはただの先生では、なかっただろうか。
『パチュリー、魔理沙の中から、妖気を感じる』
「――なんですって?」
『薬といった?』
「ええ、保健の先生からもらったらしいけれど」
『今からじゃ手出しできないわね……といっても明日いるかどうか、も怪しい。そいつって、元から居た先生?』
「いいえ、ここ最近。私達が転校するのと同時期ぐらいに……ああ、こりゃ、くさいわね」
『ともかく、取り除かなきゃ。中に入ってみるわ』
「えちょ、そんな事できるの」
『まさか胃の中に入ったりしないわ。強い妖気が出ているのは、夢を観ているときもそう。今はその状態が顕著なの。普段なら見過ごせる程度だけれど、これはちょっとまずいわ』
「精神に介入するのね」
『頭が良いと話が伝わりやすくていいわ。私はここを引き受けるから、貴女は永琳を。場所、解る? 私が探ればいいのだけれど、今は緊急時』
「確か、この街で開業している医者の娘って」
『それも怪しいけど……』
「探してみるわ」
『お願い。お姉様には連絡しておくわ。たぶんそちらの方が早い』
フランは小さい光の弾になり、昏倒している魔理沙の中へと入って行く。こうなると、自分は祈るほかない。一番大事な所で何も出来ないというのは、歯がゆいものであった。
何故魔理沙が。何故、こんな異変に自分が巻き込まれ、魔理沙が巻き込まれているのか。面白がっていたはずなのだが、それは、やはりヴァーチャルとしての感覚で楽しんでいたからなのかもしれない。実際にこうして被害者を目の当たりにすると、辛いものがある。なにより、それが最愛の魔理沙である事実が、あまりにも痛い。
変な子だった。幾らお嬢様だといっても、どこまでも非常識で。夢見がちな子であったことも、覚えている。口は悪いが、彼女は間違いなく乙女で、他愛の無い夢を語っては自分はそうねそうねと頷いた。
まさか、そんな出来事さえも、現在に関わってくるなど……。
敵が見えない。幾度か交戦した『あの女』とて、実像が掴めていない。そこにまさか八意永琳なぞという、正体不明の存在が交わってくるとなると……考える事が、沢山あった。あのいけ好かない十六夜咲夜には負けまいと、意地を張っていたのだが、もしかしたら、もうそのようないがみ合いをしている場合ではないのかもしれない。こうしている間にも、犠牲者は増えている。
異界とは一体、何をさしているのか。それは単なる楽園幻想ではなく、確固として存在するものなのか。
――――――霧雨魔理沙は、今何を観ているのだろう。それは楽しいせかいなのだろうか、辛いセカイなのだろうか。日々人間や妖怪や幽霊が闊歩して酒をのみ歌い暮らしているのだろうかその意味は使命はあるのかはたして彼女達は幸せなのだろうかそれは永遠なのだろうか終わらない時間に時代なのだろうかいきとしいけるものたちすべてが幻想と成り果てた世はどこまでも怠惰でかわいらしく若々しく春をたのしんでいたのではなかっただろうかある霧の深い日ある春の来ない日ある夜のあけない日ある花が咲き誇る日ある秋の出来事ある月への幻想彼女彼女達の物語ははたしてどこへつづき至るというのか自分はその中にあったことはあっただろうかいやまさかそれはありえまいしりもしないせかいにいた記憶なぞあるはずがないとしょかんのほこりにむせていたのだからいつもせっしていたわけではないしああくやしいじぶんはもっとただしいせかいをつくれるのになぜなぜなぜなぜりかいしてもらえない有限のラクエンにはいつかしゅうえんがおとずれるというのになぜそれがわからないなぜりかいしないなぜ戦おうとするなぜなぜなぜ――――――――
「――――う、うん?」
……。
ぐるぐると、思考が回る。意味不明な言葉の羅列が脳内を巡回する。もしかしたら、フランが観ているものを、自分が感じとっているのかもしれない。知らない単語に理解など及ぶはずもないのだ。ただしかし、理解はし得ないが……所謂、魔理沙の言う所の、懐かしさだけは、郷愁だけは、何故か覚えがあった。
「――幻想郷」
フランを通じて、そのような単語が浮かぶ。その言葉はあまりにもどこまでも懐かしくて。手が震える理由がわからなくて。零れ落ちる涙が、ただただ、頬を伝った。
・
・
・
・
・
あのビジョンがなんであったのか。曖昧模糊な情報と、不確かな言葉。蠢動する心。沸き立つような想いと、震える精神。霧雨魔理沙が懊悩し煩悶とする自己への疑問、その核心部に触れた為であろうか。
――あまりにも深く尊い悲しみと、覚えのない後悔。
まるで一枚、見えるのに見えない、そんなヴェールに覆われているようである。確かにそこには、パチュリー・ノーレッジが至るべき確証がある筈なのに、形はしっかりとしていて、必ず手に出来る物である筈なのに。その幕を越える事が出来ない。
霧雨魔理沙は何を観ているのだ?
この流れる涙はなんだ。この果て無き郷愁はなんだ。思いを馳せるべき地などない。自分は都会から都会へと移った根っからの都会人だ。深い情を窶す程の里が、自分にある筈などない。それこそ、先祖がえりでも起こしたというのか。
自分はパチュリー・ノーレッジ。貴族の遠縁で、大企業の娘で、なんだか解らないけれど、へんな生物に魔法少女を半強制させられている、少しフィクションじみた、普通の女の子ではないか。小説が好きで。雑学が好きで。ジャパニーズサブカルチャーを好む、オタク気味の日陰者風の、健康優良児。それは、間違いなく。己を己と判断出来るのは己のみ。親や他人などではない。ここに居るからこそ自分なのであり『ココ以外の何処かに私がいる』なんて冗談は、自分には通じない。
――――お前は、お前だよな。そしてきっと私も私だ。
保障するといった。そう嘘をついた。当たり前だ。そんな保障、誰が出来るものか。他人が認識する自分なぞ、自分の一部分でしかない。親とて全部は理解出来ない。そして、自分すら疑問になってしまった人間は、自分すらも保障出来ない。
「はっ……はぁ……う……ぐっ……ぐずっ……」
熱くなる胸はどうあっても冷めず、自分の白い肉を焼く。混沌とし、収拾のつかなくなった脳みそは思考を破棄、理性よりも本能を優先し、防衛へと移行する。理解しようとすればするほどに、グラグラと脳は溶け出し心臓は張り裂けそうになる。
(今はまず……八意永琳を探さないと……!!)
考えるべき事は多々ある。思い悩むべき事は数多とある。だが、まずは魔理沙に手を掛けた相手を探さなければ。魔理沙がこの答えを持っているかもしれない。あの調子では、もしももありうる。フランを疑っている訳ではないが、最悪のケースを考えて動かねば、未来がない。
手に掴んだ制服を着こんで、表へと飛び出す。日はすっかりと落ち、辺りは人工の光が人家を照らしていた。空を見上げれば丸い月。星は隠れてみえやしない。これから夏だというのに酷く肌寒くて、憂鬱になる。髪だってまだ乾ききっていない。風邪をひいてしまうかもしれないが、その時は魔理沙にでも看病してもらえばいい。だから兎に角、目標を発見せねば。
しかし、果して永琳はどこにいるのか。探知はフランの役割だが、今はいない。自分個人が力を振るえない訳ではないが、敵の発見は彼女の役目だ。そうなると、姉のレミリアを頼れば良いのだが、しかしそれに接触するとなると、セットでアレがついてくる。確か、フランは連絡すると言ったはずだ。……いけ好かないが、今は形振りを構っていられない。携帯を取り出し、短縮ダイヤルを押す。フランが居ればこんな魔法少女らしからぬ通信機器に頼ったりはしないのだが、これも緊急時ゆえ。この辺りがリアリティに溢れていて、半端にファンタジーだ。
「……もしもし、パチュリーだけど」
『言いたい事は沢山あるけれど、今は共同でいいわ。あんの馬鹿女、叩きのめしてやる』
「咲夜、場所は」
『幻想町の五丁目』
「……随分と街の端ね」
『そこに広大な敷地があるでしょう。竹が生い茂っている』
「解った。此方は妹様が魔理沙に掛かりきりだから、行くには少し時間がかかるわ」
『――――待つから、早くきなさい』
「すまないわね」
『飛べ……ないのよね。まったく、半端な魔法少女よ』
「初めて貴女の意見に同意するわ」
幻想五丁目というと、この学園都市でいう中等部校舎があるあたりだ。高等部とは正反対に位置しており、寮のある場所からもだいぶ離れている。薄暗い路地を抜けて大通りに出るが、流して走ってもタクシー一つ通らない。公共交通機関は朝と夕方に集中している為、もうこの時間帯は一時間に一本しかこない。流石にイライラしてくる。魔法少女なら空の一つも飛べというのだが、羽となるべきフランがいない。大体、こんなファンタジーで出来ている癖に、なんで敵を目前としてバスの時刻表と睨めっこせねばならないのか。
大体がおかしい。なんだ魔法って。巫山戯るな。アニメや小説じゃあるまいに、日曜朝にやっているような変身ヒロインをこのギリギリの歳で演じねばならないとは……なんてメタフィクショナルな出来事に異議を唱えたところで、しかし現実は目の前にある。幾ら曖昧な思考が介入しようとも、この肺が苦しくなる辛さも、足に溜まる乳酸も、どうやったって『これはフィクション』なんて言えない。
「はっ……はあ……これで喘息だったら、死ねるわ……」
などとゴチてまた速度を速める。まだ走れる。まだ行ける。自分は健康優良児だ。体育だって休んだ事はない。むしろ、人並み以上だ。咲夜には負けるかも知れないが、魔理沙には勝っていると自負する。今こんな状態で誰かと身体能力を比べてもしようがないのであるが、真っ白になって行く頭を覚醒させる為にも、多少の思考が必要である。
ニキロ走り、やっと幻想町の二丁目に差し掛かった。駅伝でもさせる気か。人通りの多かった商店街を抜けて、路地へと入って行く。手元の携帯電話に配信されるGPSを見ながら、というのがまた物悲しい。ここに来てまだ二ヶ月。通っても居ない場所の地理までは把握していない。
敵を追い求めて、ノタノタと走って、果して相手は待ってくれているのだろうか。アニメ的場面転換が非常に欲しくなる。アレは便利だ。
「んああぁもうっ!!」
――――どうも先ほどから、細かい事を気にしすぎる。今の今まで、自分が『魔法少女』である事に対して、疑問など持っただろうか。いや、考え方を替えればまた違う。
ヒロイン達は、自分にカメラが当たっていると、自分が演じさせられていると、気にした事はないのだろうか?
(五月蝿い五月蝿い……だまれ私……考えてる暇があったら走れってのよ――!!)
これも先ほど感じた、魔理沙からの情報の影響なのだろうか。深みに嵌って、もしかしたら抜けなくなってしまうような疑問。魔理沙が話した、人を食む妖怪の話。自分が自分ではないのではないかという、浅はか極まりない、自己喪失。この答えを、誰かが持っているのでは。魔理沙は気がつき始めているのではないのか。自分もその一端を、担っているのではないか。
「ノーレッジさん!!」
「咲夜ッ!!」
とにかく、いまはとにかく。そんな状況に陥らせた、主犯を何とかせねばなるまい。経緯を考えるに、八意永琳が霧雨魔理沙に対し、何かしらのアクションを起こし、現状に持ち込んだことは確かなのだ。彼女の行動こそに真意があるなれば、ぶん殴って尋問するほかない。本当に何も知らない癖に、知ったような口を聞いて自分を繕う弱い魔理沙。なんの力もなくて、生きる智慧もなくて、それをただただひた隠す弱い魔理沙。そんな彼女をずっと支えてきたのは他でもない、自分なのだ。
一番大事な時に助けてやれなくて――何が、愛しい人だ。
「ここ、なの……? それにしても、随分早く相手の居場所が解ったわね」
「此方だってぼーっとしてる訳じゃないの。魔理沙があんな調子であったから、何者かが動きを見せていると、睨んでいたから」
それも唐突な話だ。というか都合が良すぎないだろうか。多少の疑いもあるが……もう一ヶ月近くこうしているのだから、ありうる話、なの、だろうたぶん。魔理沙が異界や妖に感応しているのではと睨んでいたのは、咲夜も同じなのだから。
「……え、竹林の、奥なの? けったいすぎる場所ね……」
「まあ、真っ当な奴じゃなさそうだし」
住宅地から少しばかり離れた場所一帯を覆い尽くす竹林。この裏側は裏山に通じている。そこを越えれば別の街だ。こんな辺鄙な場所に居を構えている……というのは、不自然であるし常識を疑う。そも、あれに常識云々が通じるとは思えないが。竹林の外周をしばらく歩くと、人が一人通って行けそうな小路を見つける。辺りは街灯も少なく、だいぶ薄暗くて不気味だ。咲夜は率先してズカズカと踏み入り、自分はその後ろをついて行く。
「ねえ、咲夜」
「なに」
「『あの女』と関係あると、思う?」
「勢力が二つだった場合違うでしょうね。でも、狙っているのが魔理沙なら、両方とも敵よ」
「ではその場合、何故保健室で何もしなかったのかしら」
「だから、ただ呆けていたわけじゃないわ」
「監視してたのね」
「貴女が離れちゃうから、仕方なく。八意も気がついて手を出せなかったんでしょう。以前は貴女が魔理沙を迎えに行ったわね」
「……そういえば、魔理沙は脱がされた、なんて言ってたわ」
「これは貴女の失態ね」
こればかりは言い返せない。咲夜の冷たい目線が刺さり、縮こまってしまう。確かに変な人間ではあったが、まさかこのようなかかわり方をしてくるとは予想だにしていなかっただけに、己の甘さが際立ってしまっている。魔理沙の不調がただの疲れから来るものではないと承知していて、けれど保健室に行って少しでも楽になれば……なんて想いがもう生温いのだ。
もう過ぎてしまった事をいつまでも悔いていても仕方が無い為、考えを切り替える。咲夜とて悩んでいるだけの人間なぞ足手まといだと思っているだろう。
「魔理沙を……さて、どうする気なのかしらね」
「それは本人にききましょうか」
異界を観、異界に思いを馳せ、葛藤する彼女に何か、秘められた可能性がある、という事なのだろうか。スカーレット姉妹が追う大妖の主眼は魔理沙であると確定しているが、八意永琳の場合、どこに通じているのか。魔理沙は今も夢を観ているのだろう。フランを通じて、その断片が度々脳内にフラッシュバックを起こすようにして、自分の記憶に介入してくる。
幻想郷。魔理沙が観る『自分のあるべき場所』。呼んで字の如くか。そこは幻想種の住まう場所なのだろうか。もしかしたら、マヨイガの一種である可能性もあるし、人々が夢見た桃源郷の別名なのかもしれない。
「幻想郷」
「――――? なに?」
「先ほどから、魔理沙の夢に介入した妹様を通じて、私に流れ込む記憶があるの」
「……幻想郷……なんだか、どこかで、きいたような、きかないような……」
「そうでしょう。私もなの。凄く懐かしい感じがして、でも、私そんな場所を知らない」
「そこが、魔理沙の夢見る『自分が自分であるべき場所』なのかしら」
本当にそろそろ、答えが欲しいものである。
『咲夜、何か来る』
「お嬢様……?」
竹林を歩み始めて十分。そこまで広い場所であったか、それとも同じ場所をぐるぐると回されていたか。定かではなかったが、風景の違った場所にたどり着く。まるで円のようにくり貫かれた、竹で覆われた舞台。四方二十メートル程度だろうか。今まで黙り込んでいたレミリアが顔をだし、警告する。
「なに、とは」
『なにかよ。アレの手下かしらね』
「手下なんて事はないわ。そう言うことになっているだけで、実質違うのよ、本当よ?」
それは自分達二人が気がつかぬ間に、目の前へと馳せ参じた。一点だけ、まるで月の加護を一身に受けるかのように光を浴びる黒く長い髪。その女が纏うものは高等部の制服であり、そして見覚えのある顔であった。ニコニコと微笑む顔は無垢で、しかし秘められた妖艶さはおぞましくもある。
「お話も佳境ね。だいぶ手違いがあるみたいだけれど、まあこの分なら貴女達二人分のストーリーくらい消化出来るかしら」
「何を言っているのかしら、この人……アニメの観過ぎ?」
「私に聞かないで。デンパちゃんなのよ、きっと」
『あまり私を完全否定するような発言はしないでくれるかい』
「――――あら、やだ。結構自覚があると思ったのだけれど、そうでもないのね。ならシナリオ混乱させても意味ないわ。ほらほら、私は貴女達の障害よ。良く有るでしょ、大きな敵と戦う前に出てくる小物。小物ってのも不愉快だけれど、倒さないとね」
蓬莱山輝夜。いつもは保健室に詰めている、幽霊クラスメイトだ。正直な所、パチュリーも咲夜も殆ど顔など見たことがない。言わば唐突すぎる登場である。とはいえ、敵と名乗る以上は戦う以外に道がない。コレがどのような意図を持ち自分達の前へ立ちはだかるのかは定かではないが、基本的にそんなもんはどうでもいい。邪魔するならぶちのめす。二人は意外と体育会系である。
「あんまり時間は食いたくないわ……」
『二手に分かれるのが得策だろう。どうする』
「じゃあ、ノーレッジさんが先に行って。私はなんだか、コイツをぶん殴らないといけないような気がする」
『……ふぅむ。なんだか、私もそのような気がしてならないわね』
「解った。では、お願いね、咲夜」
「あ、なるほど、パチュリー・ノーレッジのお話を取るのね。解ったわ、見逃してあげる」
先ほどからウダウダと抜かす蓬莱山輝夜を気にしつつも、大本を仕留める為先に進む。なんだって、ああいう怪しい輩はみな笑顔なのか。それは余裕なのか、もっと別の感情に由来するものなのか。パチュリーは判じかねた。
まるで自分達が物語の登場人物のように、彼女は語る。いや、シナリオというのは、八意永琳が作る策謀の道筋なのかもしれない。……とも考えるが、やはり何処かおかしい。先ほどの自分とて、そのような考えを持っていたではないか。
もしかしたらここが、全部作り物の世界なのかもしれない。自分達は役者で、誰かのシナリオに沿っているだけ。しかし、そうなるとだ。役者ではない本当の自分は何処にある? そんな物はない。それこそ、魔理沙の抱く悩みの根源にも近しい、答えの出ない答えだ。散々そんなものは虚妄でしかないと否定しきって、今更再考察する必要もない。あれはあの女の酔狂。
自分には戦う相手がいて、魔理沙がピンチで、解決する問題がある。それだけが、真実でいい――
「きたきた。待ちくたびれたわ」
「待っていたのなら、そちらから顔を出しなさいよ。もう走りつかれたわ」
「そうもいかないわよ。そういう話の構成に……あ、いや、なんでもないわ」
「……なんなのかしら。先ほどのアイツもだけれど、まるで自分達がお話の中にいるかのような発言をして」
「だから、なんでもないわよ。重要な事はそこではないでしょう。貴女は私を倒しにきた。魔理沙を救う為に」
「……」
――しかし、酷い違和感を感じる。自分がここに立っていることに、疑問をもってしまう。こいつは敵で、自分は魔法少女で。そんな構図が、だいぶ捻れている……歪になっている。
「彼女はどうかしら。今ごろ夢を観ていると思うけれど」
「観ているわ。目的は何。絶対に喋ってもらうわ」
「そんな事? 構わないわよ、別に」
生い茂る竹の陰から身を表す八意永琳。その姿は保健室の先生をしている時とかわらない。白衣を纏い、銀色の髪を一本に束ね、悠然と歩いて来る。違う所といえば、その手に弓矢がある事だろうか。
「霧雨魔理沙。その身に秘めた力は、八雲紫が失って久しい、異界への扉。別たれた異界への道程」
「……八雲紫。つまり、あの大妖の事ね」
「ええ。本当は私が直接魔理沙を開腹する予定だったのだけれど、貴女達の監視がどうにも緩まないから強硬手段に出た。それだけの話よ」
「――――貴女も、あの女の一味だと?」
「そう。私は雇われだけれどね。異界を解放して、この世界を妖で埋め尽くす。八雲紫はその一部しか、今は扱う事が出来ないでいる」
「異界ね。異界。つまり、魔理沙自身もまた、そちらの存在であると」
「そうよ。これから先、彼女が覚醒すれば、もう後戻りは出来ないわ」
「――なるほど。それが『幻想郷』なのね」
「そうそう妖怪郷――うん? なに、幻想? は、はぁ……? ちょっと、パチュリーさん何を。え、貴女、自意識があるの? 可笑しいわね、管理者権限は……あ、あらら?」
「に、日本語か英語かヒンドゥー語でお願いするわ」
決定的に、どうにもならないほどに、どこまでもどこまでも、絶対的にずれている。話が、噛み合っていない。
「メタフィクショナル度が増加してるのかしら……参ったわね」
「な、何? メタがなんですって?」
「……質問してもいいかしら」
「な、なんで敵に答えてやらなきゃならないのよ」
「まあまあ。貴女、自分が何者だか解るかしら」
「何者って、私はパチュリー・ノーレッジよ」
「そうじゃなくて……紅魔館とか、大図書館とか」
「それは、市の施設とか、迎賓館?」
「幻想郷って、なんだか解る?」
「知らないわよ、そんなけったいなもの。魔理沙の故郷なんでしょう?」
「……しかたない。とりあえず進めましょうか……さ、いいわ、攻撃してきて」
「は、はあ?」
八意永琳は両腕を開いて、攻撃するよう命じてくる。どこか悪い部分を打ったのか、夕飯にいけないものを食べたのか。言っている事の一つも理解出来ない。メタフィクショナルといえば、つまり登場人物達が演技者であるという自覚を持ったり、観客に語りかけたりするような劇や物語の手法の一つであるが……この場合、何と誰を指しているのか、さっぱりである。
とりあえず、攻撃しても構わん、というならば此方は否定する義理がないので、ぱっぱと攻撃することにする。こんな状態ではこっ恥かしい半裸になるような変身シーンもいらないような気がするので、フランから授かった真剣狩素敵『レーヴァンテイン』を出すだけで十分である。
「……こ、攻撃するわよ? いいのね? 倒しちゃうわよ? ……反撃しない?」
「しないから」
「ホント?」
「しないしない」
「じゃ……ええと、ろ、ロイヤルフレア!!!」
暗い竹林を照らす紅の光弾。ぐるぐると円を描き迫るそれは、状況が状況なればそれなりに格好がつくというものなのだが、相手にどうもやる気がない。かくいう自分も腰が引けている。炎の弾が永琳を包み込み、地獄の業火が焼き尽くす、とかなんとか……。
「やーらーれーたー」
明らかに何かの力を使って防いだように見えたのだが、永琳は巫山戯た断末魔らしきそれっぽいものをあげて地面にドサリと倒れる。
「うそつけっ」
「本当よ。じゃ、やられたから喋るわ。八雲紫は異世界の扉を開いて、世界を妖によって支配する気なのよー」
「なのよーって、もう少しマジメに話してよ。それ世界の危機よ」
「だって……大マジメにセカイなんていうの恥ずかしいわ」
「いや、恥かしいとかそういうのは良いわ。で、八雲紫は何処に居るの」
「神出鬼没って設定だったから、その内出てくるわよ」
「設定って貴女……ねえ、ちゃんと説明して。貴女達がやっていることは『ごっこ』なの? ごっこで人が死ぬの? 苦しむの? 冗談じゃないわよ!!」
「それには答えられないわ。じゃ、私は離脱するから、さようなら、またね」
「ちょ、ちょっと!! じゃあこれぐらい答えなさいっ」
「なによ」
「魔理沙は目を醒ますの!?」
「残念」
そうのたまって、八意永琳は闇夜に消え失せる。
どうにもならない虚しさだけが残った。奴等はまるで自分達が現実ではないような物言いをするし、行き成り倒せなどと語るし、本当に倒れて消えるし……ツッコミどころが多すぎて、逆に無気力になる。
「む、むきゅぅ……」
幻想郷というキーワードに驚いた節が見られた。それが魔理沙他を取り巻く現象の核心部であるような気が、するにはするのだが、しかしそれを口にした瞬間から、全体に捻れが生じるようになった。
自意識といったか。自覚といったか。
……本当は自分もまた、何かに演じさせられているだけの、演技者にすぎないと……そういうことなのか。もしかしたら、本当に第四の壁が存在して、向こう側では誰かが見て、楽しんでいるのではないだろうか。自分達は、朝のアニメのような、そんな存在なのでは?
「ああもうっ!! 誰か答えを寄越しなさいよっ!!」
こんな大声を荒げても、勿論、誰も答えてくれやしないのではあるが。
「ノーレッジさん――八意永琳は」
「その質問には非常に答え難いわ」
「はい? 倒したの、倒してないの」
「倒したというか、自ら倒れたというか……」
「ふぅむ、説明してくれるかしら」
永琳が『倒れた』後、そのまま引き返した場所には咲夜が居た。見た目は外傷もなく、かすり傷一つもないが、その顔は浮かない。自分が追った経緯を説明すると、咲夜も似たようなものね、と返した。
「アイツ、あ、永琳が戻れって言うから戻るわーって……何合かやり合ったけど、その手はどこか抜いたものであったし、私も本気になれなかったし……」
「彼女達、何か隠してるわ」
「そうね。でも、ちゃんと説明してくれるとも思えない。ねえ、お嬢様」
その話題を、小さなお嬢様へと振る。レミリアは幾許か考える素振りを見せると、地面に降りて枝を拾い、土に箇条書きをしはじめる。
「それは、なんです?」
『モノを考えようと思ったら、まず知りうる情報を整理しなきゃ駄目だ、アイツ等風にな』
「あいつ等風というと、つまり物語って事でしょうか」
『そう。ここが現実非現実なんて問題はおいといて、私等が奴等の掌で踊っていたと考える。私達は、不愉快だがつまりコマということだな。まず我々だが、もう一ヶ月近くこの街を舞台に戦いを繰り広げている。その中で出会った人間といえば、咲夜からするとパチュリーと魔理沙と私とフラン。パチュリーからすると、咲夜と私とフラン。この辺りが起承転結で言うところの起だ。そしてお前達二人が出会った、敵と思われるものは、「橙」と「藍」と「紫」召喚術の多用で異世界からひり出してきた妖を用いて幾度か襲ってきた。これが起承転結の承。その間に魔理沙の取り合いなんかしてたな。自分でいうのも可笑しいが、まるで学園コメディよ。しかも同性ってあたりがなんともだな』
「……酷くメタな話ですわ」
「なんて説明口調……」
咲夜が頭を抱えて狼狽する。まして、相方のお嬢様が突然『説明役』なんぞしだしたら、ますますこの世界が作り物なんじゃあないかと疑いたくなるだろう。かくいうパチュリー本人も、過去を追憶しながら、あまりにもイベント的な展開を想起し、同じく狼狽していた。
『まあ聞け。魔理沙の不可思議な言動と体調不良。そして思わぬところから沸いた敵、八意永琳の策謀と魔理沙の意識不明。で、それを倒しに現れた、お前とお前。無事倒して、そして首魁、八雲紫がどのような野望を企んでいるのか知る。これが起承転結の転。で、だ。お前達、そして私もだが、ここに酷い歪みを感じている。そうだな?』
「その通り、だわ。ああもう、魔理沙と同じで、自分が曖昧になる」
「本当に、誰かの掌ですわ」
『――うーむ。それでパチュリー、永琳はお前になんて質問したんだ?』
「ええ。コウマカンとか、ダイトショカン、とか、私が幻想郷って単語を出したら、そのように」
レミリアの質問に答える。すると一人と一匹は、お互い目を合わせてパチクリしだした。心当たりがあるのかと問えば、あるようなないような、と、曖昧な返事が返ってくる。
「そういえば、お嬢様って呼び方がすごい、シックリきますわ。この喋り方も。なにかしら、前世?」
「そういわれると、コウマカンもダイトショカンも、酷く馴染み深くて……コウマカンって、紅の魔の館で紅魔館、よね」
『咲夜はそのままだけど、パチュリーは寧ろパチェと呼んだ方が』
「ああ、私もなんだか、レミリアというよりもレミィと呼ぶとこう、何か型にしっかりはまるような……で、これが何か、意味あるのかしら……?」
暗い竹林で二人と一匹、頭にクエスチョンマークを四つも五つも浮かべて、小首を傾げる。これが捻れている、というものなのだろうか。確かに、今レミリアが説明したような流れから行くと、自分達がこんな問題で悩んでいる事自体が、まるでイレギュラーの如く感じられる。もし、もしだ。もし自分達が演技者だとしたならば、元の自分が何処かにある筈である。するとなれば、そんな意識のない自分達が、まさか演技者である筈がないのだ。この不確か、しかし気持ち悪い変化を、無意味と取るには些か無理があったが、『流れ』を読む場合、今時の空気を読む程度の能力を持つ場合、悩むべき問題ではないような気もする。いや、悩んでいても前に進まない気がする。
「その仮定のお話を話半分でも信じるなら、次は結、とうとう締めくくりな訳ですが……あ゛」
「なによ咲夜、瀟洒じゃないわね」
「パチュリー様……ぶふっ、違う。ノーレッジさんこそ健康的すぎて気持ち悪い……じゃなくて、ええと、そうよ。魔理沙はどーなっているの。締めくくりでしょ。最後でしょ。で、魔理沙は?」
「――そ、そーだったわ。永琳に聞いたら、目を醒まさないって……」
「な、なんでそんな重要な話を貴女はしないのよこのムラサキ萌やし!! ひきこもり!!」
「五月蝿いわね番犬!! 貴女達が余計な話振るから、忘れてたのよ!!」
『解ったから、フランに連絡をとればいいでしょ、パチェ……じゃなくてパチュリー』
「そ、そうね。そうね、レミィは賢明ね……」
何故自分達が態々こんな辺鄙な場所まで来ているのか、そんな現実が蔑ろにされる状況を味わい、そんなもん味わっている場合じゃあないとまた魔理沙を思い出す。どうにもこうにも、今まで通り、型にはまった動きが出来ない。シナリオに組み込まれている云々ではなく、論理だった展開にならない。
「妹様、魔理沙の様子は」
『……ナニコレ……これが異界……? なんだか凄く、懐かしくて……幻想郷って……』
「妹様はなんと?」
「また、幻想郷ですってさ」
『それは絶対に私達が求めている答えじゃあない。けど、私達全員が、気になっている。咲夜、パチュリー、急いで帰るわよ』
レミリアがそういうと、咲夜が携帯電話を取り出す。だから、通信機器が文明の利器というのは凄く悲しい。しかしその電話をした先というのを知って、ああ、文明の利器じゃなきゃ駄目なのだなと悟る。
『咲夜、どこに連絡したの』
「タクシー会社ですわ。ノーレッジさん、割り勘ね?」
「……全部出すわよ」
寮につく頃には既に二十二時を回っていた。
未だベッドに横たわり寝息を立てる魔理沙は、この非常時にありながらも自分の心を癒してくれるだけの存在力があった。この子の為ならば頑張れると、そう自分に言い聞かせて一ヶ月を生きて来た。いや、出会った頃からなのかもしれない。そこにどのような化学反応があったのかなんて、解りもしないが、しかしパチュリー・ノーレッジは同じような立場にありながら奔放で粗野で、けれど繊細な彼女の魅力にとり憑かれていた。咲夜がどのように彼女を想っているか。聞いた訳ではないが、なんとなく、解るつもりだ。引力じみた何かを、彼女は持っているから。
巫山戯て狂って何処か躓いたような現実。途方もない違和感と不自然さ。今まで明るかった場所が突如暗闇に包まれて、すべてを手探りに頼ってしまうような、不均等。そんな不安。
霧雨魔理沙は、今何処にいるのだろう。そこにいる彼女は、自分の知る霧雨魔理沙なのだろうか。何も出来ない彼女なんかではなくて、人に頼るような彼女なんかじゃなくて、負けず嫌いで、強くて、一人でなんでもしてしまうような、そんな霧雨魔理沙なんじゃなかろうか。
「私達は矢張り、演じているのかもしれないわね」
「私達が役者? じゃあ、本当の私達は何処にいるの。私は今の私しか知りえないわ」
「まるで宇宙の果てを考えるような話になるけれど……つまり、私達はココにいて、私は私しか知りえないけれど、その知りえない自分以外の誰かが、私達を知っているとしたら」
「意味が解らないわ」
「じゃあ試しに語りかけてみましょうか。ねぇ、そこに誰かいるの? 本当の私達を知っていて、今の私達を観て楽しんだり、馬鹿にしたり、怒ったり、違和感をもったり、しているのかしら。誰かいたら、答えて頂戴よ」
…………。
「ノーレッジさん、頭は大丈夫かしら」
「そうね。馬鹿だったわ。でも、魔理沙はきっとこんな気分なんじゃないかしら。自分に自信が持てなくて。自分のしている事が不自然で、誰かに見られているような気がして。そんな事に、ストレスを感じたり、しないかしら?」
「……だから、彼女はその幻想郷とかいう場所のニンゲンなのでしょう」
「そう。結局、彼女の場合はその通りだった。彼女は、本当にこの世界の住人ではなかった。でも、彼女が例外? 咲夜、貴女だってさっき、取りとめもない話に同意したじゃない。そんな事、初めてよ?」
「うっ――」
幻想郷。紅魔館。大図書館。お嬢様に妹様に、咲夜にパチェにレミィにフランに。じわじわと、言い知れない感情が湧きあがってくる。大切だけれど、懐かしいけれど、寄るべきものがなんだか解らない。そして、これを肯定してしまった日には、さてどうなるか。
自己が自己であると信じて来た人生そのものが、水泡に帰してしまう。こういってしまえば簡単に聞こえるが、つまり己の所以が仮想でしかなかった、今まで積んできた努力も想いも何もかもが、作り物であったと、そうなってしまう。果してそれに気がついた時、自分は自分で居られるだろうか。
これは最後の防衛線だ。これを越えたら、きっと自分は違うものになってしまう。
『パチュリー、パチュリー』
「あ、はい。妹様、どうされましたか」
頭の中に響く声。同時に、魔理沙の頭部から光の弾が湧出し、元の形へと戻る。
『疲れた……ああ、なんとか抑えるぐらいにはなったけれど、何時目を醒ますかは、解らないわ』
「お疲れ様です。それで、魔理沙の『夢』というのは、どのようなものだったんです」
『それについては、お姉様も交えて話をしたいの。勿論咲夜も。ちょっとばかり普通じゃあないわ』
「……長引きそうね。もうこんな時間だし、咲夜、どうする?」
「ここ、泊まれたりするかしら」
「貴女がここに居座るっていうのは甚だ不愉快――な、筈なのだけれど、今は何故か、そうでもないわ」
「――私も本当なら凄まじいまでにイラつく筈なのだけれど……そんな事を言い出したわ」
「解ったわ。それじゃあ、妹様、お願いして良いかしら」
咲夜の呼び出しに応じたレミリアが板張りの床にちょこんと腰を下ろし、その隣にフランが座る。咲夜とパチュリーはそれに対面する形で落ち着き、姿勢を正して構えた。フランが観たもの。自分が、自分達が本来は知り得るかもしれない夢の断片。生きとし生ける者達が生きていたとばかり思い込んでいたこの現実を、真実という鏡を通して、目の当たりにするのかもしれない。
ここはつまり、なんなのだ? あの女たちは、何を企んでいる? 魔理沙は、一体どうなっていて、誰なのか。
『魔理沙の夢見る場所は、幻想郷。ニンゲンと、ヨウカイと、ユウレイと、ヨウセイと、その他諸々が平凡に暮らす、平和な所よ』
フランドール・スカーレットは、小さな体を大きく使って、より事を伝えやすいよう、語り始める。
最後の防衛線は、まさに死地。死線の最中。自分という最大級の現実が、ガラガラと音を立てて崩れて行く。
~霧雨魔理沙、第四の壁に衝突~
その日、霧雨魔理沙は何となしに博麗神社へと訪れた。用件などない。自分の習慣として、この神社に居座る事が当たり前であったからだ。あまり、癒しや安楽を求めた事はないが、ただ彼女の横にいれば落ち着いたし、事件があれば真っ先に気が付ける。スキあらばこのライバルを追い落とそうとも考えていた。魔法を研究し、努力に努力を重ねて人を超越せしめようとする己は、普通にしていて普通以上のアイツが気に入らなかったし、けれど好ましかったのだ。
春も過ぎ去り、梅雨の頃。彼女はいつも通り、縁側で茶を嗜んでいた。直ぐに声をかけようとも思ったが、横から沸いて出た八雲紫を嫌い、遠目から伺う事にした。一言二言交すと、紫は直ぐにどこかへと消えてしまう。これを観届けてから、自分は霊夢へと近づく。
「なんの話してたんだ」
「魔理沙。別に、なんでもないわ」
「なんだい、そりゃ。隠すのかよ」
「魔理沙には関係ない話よ」
八雲紫との語らいで、しかし話せない内容というのは、酷く気がかりである。まさか何か結託しているのではないかと、不安になったことは確かだった。ただ、この巫女がそれ以上口を開くとも思えず、仕方なく引き下がる。
「最近は、異変も起きなくて暇だな」
「……起こられちゃ困るし、起こりもしないわ」
「どうした。紫と結託して、幻想郷の完全制圧でも目論んでるのか。恐ろしい巫女だぜ」
聞き出すことはやめるが、遠回しに攻め立てたりはする。あのいけ好かないバケモノが、霊夢になんの用事なのか。大概の場合、ろくなものじゃあない。
「ねえ、魔理沙。魔理沙は、もし幻想郷がなくなってしまうとなったら、どうする?」
「お前の口から聞くと、冗談にきこえんな。とはいえ、どんな状態になったらココが無くなるかなんて、想像もつかんが」
「この湯呑み」
そういって、霊夢は雨樋(あまどい)の出口に、湯呑みを置いてみせる。からっぽだった中身は、やがて雨水で溢れかえり、零れた。
「なんにでも、限界がある。この湯呑みにも、風呂桶にも、そして結界にも」
「……」
「私は、これでも一応結界守。そして、紫は幻想郷を展望して、見極めているわ」
「ま、まて。どういうこった。何が言いたい」
「だからね。詰め込んでしまうと、限界がきて、最後には、溢れてしまうって事」
じゃあどうする気なのだと聞けば、あの愉快な巫女が押し黙った。何時の間にか握り締めていた拳を開けば、汗でぐっしょりと濡れている。背中に張り付く服が、ひどく気持ち悪い。何より、陰鬱にするこの女が、一番に気持ちが悪かった。いつもの余裕はどこにいった。笑ってすませる気概はどこへ。それは果てしない切迫であり、そして、霧雨魔理沙が経験した事のない、未曾有の幻想郷危機の始まりだった。
これは悪夢なのだ。きっと、永琳が幻想郷に、胡蝶夢丸ナイトメアでも、ぶち込んだに違いない。幻想郷全体が悪夢を見ていて、自分も巻き込まれていて……そう思い、逃げるのは簡単だ。だが、立ち向かわねば何も始らないし終わらない。
イラつく顔ばかり見せる霊夢を張っ倒してみれば、抵抗すらしやがらない。話せといえば、まるで関を切ったように、べらべらと喋りだす始末。八雲紫に叱られるんだろうが、魔理沙としては知ったことではない。
止めなければ。ただ、それだけがあった。そこに深い思慮も考慮もない。霧雨魔理沙は気に入らないのだ。自分が自分であると正しく認識出来る世界を、勝手に改変される事実が、気に入らなかった。
そして、自分ならばそれを止める事が出来ると信じて疑わなかった。一部の奴等の勝手な計画で、自分の自由が奪われるなど、許せるはずもない。そして、そんな許せない事態は、自分こそが食い止められる。何度となく繰り返した幻想郷異変に首を突っ込んできた霧雨魔理沙が、こんなものに屈するはずがない。もしかしたら、これも異変の一種なのかもしれないのだ。だったら解決されるのが道理であるし、自分が出て行くのも道理。
……異変ならば、道理だ。だが、これは異変などでは、決してなかった。
「弾幕ごっこならいざ知らず。本気で敵うとでも? 貴女は脇役なのよ。霊夢が動かなきゃ、貴女の物語もない」
幽香の辛辣な言葉が身に刺さる。
「これで月とのシガラミから解放されるっていうのに、何で諦めなきゃならないの。そこは新しい世界なのでしょう。貴女だって聞いたでしょう。なら、何故否定する必要があるの。永遠亭はこの計画を是とするわ。貴女が非としようとも」
永琳の理屈が立て並べられる。
それが真実だったとしても、魔理沙は納得など行かない。それが最良だったとしても、魔理沙は頷かない。
「酷い有様だね。でも、守矢としても決まった事だ。信仰確保だけじゃあ、やっぱりどうにもならなかったんだから、仕方がない。早苗も、頷いてるよ。お前だって、逆らったって何にもなりゃしない。おとなしくしたらどうだ?」
神奈子は盃を傾けながら、そう笑う。本気の神様に敵うわけがない。知っている。知っているが、諦めるわけにはいかなかった。
「……ボロボロね。手加減されて尚それじゃあ、希望薄。そうでしょう。霧雨魔理沙。貴女は、一介の魔女でしかない。貴女は博麗霊夢という超存在の、隣にいるだけの存在にすぎない。彼女の意向が全てなの。彼女が向こうを向いたら、貴女だって向こうを見るしかありませんわ。気に入らない? 気に入らないでしょうけどね、私は壱千と三百年も昔から、このようになるよう、仕向けてきたのよ。単なる要素でしかない貴女が、歯向かえる義理がないの」
扇子を口元にあてて、八雲紫は冷たく言い放つ。
それが真実だとしても。それしか道がないとしても。例え自分が脇役だろうとも。単なる要素でしかなかろうとも。
「私は――私は気に入らない!! 私はここにしかないのに!! 霊夢は、あいつは泣いてたのに!! 誰かの意向に従うなんて、真っ平ごめんだ!! 私は私、アイツはアイツ、お前等が正しいと思う現実が全て正しいと思うな!! お前等の価値観を私に押し付けるな!! 霧雨魔理沙は霧雨魔理沙だ、脇役だろうが、端役だろうが、何の影響もないゴミだろうが!! 私はお前等の是を非とするからなっ!! 絶対、絶対首なんか、縦にふってやるもんかッッッッッッッ!!!!!!!」
半べそをかきながら。お気に入りの服もぼろぼろで。自慢の箒は梳かれてしまい。酷使しすぎた八卦炉は、完全無欠のヒヒイロカネすら欠損している。数度の真剣勝負に挑み、今生きていることが不思議であった。
自分は、本気で殺して掛かるほどの相手でもないということか。
ならばそれでもいい。舐めているなら、舐められているなりに、戦うしかない。狙うならもっと確実な奴を狙うしかない。神様では強すぎる。自然の権化では強すぎる。月人では強すぎる。境界の魔では強すぎる。だったら、一番属性が近しくて、勝率の高い相手を狙うべきだ。舐めるなら舐めろ。馬鹿にしろ。それで計画が潰れるなら、プライドなんて安いものだ。
「……」
「何よ、また来たの。本はもっていかないで……って、そんな様子じゃなさそうね」
「パチュリー。何も言わず、倒されてくれ」
自分でも酷い言い草だと思った。いつも酷い事をしているが、それでもまだ愛嬌はあったと、自負している。小悪党の自分に愛嬌も何もないとは思うし、パチュリーがどう受け取っているかも、考えた事なぞない。ただ、今回ばかりは、自分でもあきれるほどに、最低であった。必死になると、目の前が見えなくなる。自覚していながらも、しかし決して冷静ではない。
「……嫌よ。やっと巡ってきた機会ですもの。千年かけて用意するものを、八雲紫が用意してくれる。『新幻想郷』は、私の万感の想いが詰め込まれるの。七曜を有しながら生み出す事も出来ない己に嘆いて五十年。この喘息を憎らしく思って百年。こんな機会、あと何度ある事やら」
「お前の私利私欲なんて知った事か。私が気に入らないって言ってるんだ。やめてもらうぜ」
「そちらの私利私欲こそ知った事ではないわ。貴女は思考を停止している。この飽和状態となった幻想郷の命運は、もう尽きているのに。新しいものを嫌うのは、古風な魔法使いの貴女らしいけれどね。でも現実はもっと過酷よ。幻想郷は、このまま行けば終わる」
「そんなもん、解るかよ」
「解るわよ。自分勝手な人々が、何故協力すると思うの? エゴよ? エゴの塊たちが、それでも尚団結しなきゃいけなくなったこの現状を、貴女は否定するの、霧雨魔理沙。いいかしら。貴女は多分、新幻想郷の有用性に気がついていないから、反発するんだわ。あなたが望むなら、ちゃんと説明してあげるけれど?」
「いらないね。見たくもない。感じたくもない。そんなオママゴト、一人でやれ」
悲哀に彩られたパチュリー・ノーレッジの顔。そして吐き出される、希望という言葉。
霧雨魔理沙は負けたのだ。完膚なきまでに。誰一人にも、勝てなかった。悔しさの余り涙が溢れる。あちこち焼けて、爛れて、きっと酷い有様なのだろうと、黙認もせず、感覚だけを便りに、そう考える。哀れな格好で、惨めにやられて。殺してもらったほうが楽だというのに、けれど、パチュリー・ノーレッジは自分を生かすつもりでいた。
「貴女だって、一度目にすれば、その世界がどれだけすばらしいのか、理解出来るはず。一度全て忘れて……ね、その身で体験してみましょうよ。我々が作る、誰にも邪魔されない”史外”最後のユートピア。貴女がどれだけ否定しようとも、博麗霊夢だって、受け入れた事なの」
「……それが……本心だったのか……? なんで、霊夢は、私に計画を告白した……? 止めてもらいたかったからじゃ、ないのか。自分じゃあどうにもならないから、それが正しいって思ったけれど、自分自身はどうか解らなくて……私に、委ねたんじゃあないのか」
「……また博麗霊夢。そうよね、貴女はずっと、彼女といる。彼女に付き纏って、彼女と過ごして、彼女と思い出を作る。争うフリしてべたべたとまぁ、気持ち悪いったら、ありゃしない。誰にも縛られない霧雨魔理沙じゃあ、ないの?」
パチュリーはそう吐き捨てて、自分の頭に、手を翳す。
「結局貴女は私を何一つ認めてくれなかった。さようなら、霧雨魔理沙。私の憧れた自由人。反骨の貴女。また向こうで、逢いましょう」
途切れる視界。薄れる意識。断片化して行く自分。パチュリー・ノーレッジの、至福の笑顔。それが、自分の最後の記憶――――
『本当に困った人ね貴女は』
場面がかわって、呆然と立ち尽くす己だけがいる。真っ白なセカイには何一つ生み出されるものはなく、そこが空であると知らされた。突如現れたスリットに反応できず、目の前から湧出した八雲紫の笑顔が憎たらしくて、きっとへんな顔をしただろう。
「貴女は実に不適合ね。私としては、貴女みたいな人間は不必要なのだけれど。でも、巫女と魔女が貴女を欲しがるの」
「……」
「他の皆にも聞いてみたわ。そうしたら、やはり、貴女の居ないセカイは物足りないと言われた」
「……」
「だから、私は貴女を認めるわ。数多の可能性を秘めた、新しい幻想郷へ――――」
何を言っているのかさっぱり理解できなかったが、自分は認められたらしい。認められたくもないのに。自分には幻想郷しかないのに。なのに、コイツラときたら、自分を欲しがるのだ。霊夢、パチュリー。アリスや咲夜はなんといったのだろう。あんな奴等に必要とされるなんて、すごく気持ちが悪い。
「でも貴女の扱いは気をつけなくちゃ。ほら、こうしてね『シナリオを消化している最中であるのに』幻想郷の夢を観る。大変遺憾だわ。ここだってね。もっと別のお話を見るはずだったのに。ほんと、貴女は不愉快不愉快」
「……ちゃんと説明しろ。何が言いたい、紫」
「ああ、話が前後しちゃってて、理解不能? ならそれでもいい。これをもっと面白い話に発展できるか出来ないかは『ライター』の腕次第ね」
「――まて、おい、どういう――」
「まったく、不愉快不愉快。ここはシナリオの一部だというのに。貴女が観るはずの異界は、もっと別のものなのに。本当の異界の夢をみるなんて、どれだけあの不完全な楽園が好きだったのか。本当に、不愉快不愉快」
白い部屋が暗転する。目の前に広がる光景は、自分が生きる世界での出来事。あの女――八雲紫に、食われる人。そうだ、あの事件の犯人は、人を食む妖怪はアイツ。それと戦う、イザヨイサクヤとぱちゅりーのーれっじ。
「これが正規の夢。シナリオ通りの、貴女が異界と予知夢を垣間見るモノ。そして今後、私を見つけて、驚く為の伏線。なのに、ねぇ。永琳の薬が強すぎたのかしら、阿求の設定が悪いのかしら。幻想郷のナイトメアは、忘れてしまいなさい」
なにを、いっているのか。
「……忘れられるものか」
「そう……残念」
忘れられない。ふつふつと湧き上がる記憶。幻想の夢。本当の自分。
「あのセカイは、私の居るべき場所じゃあない」
「ご名答。でも、直ぐ終わってしまうわよ。また次のお話があるのだから。ここは創造性と可能性の世界。我々の創り上げた新幻想郷の本性。何度でも何度でも何度でも、様々な『貴女達』を繰り返す。それに、もう『修正』が来るわよ?」
それでも
「こんなセカイ、認めるもんか。私を勝手に、弄るんじゃあない」
「どうする気?」
「出て行く。こんな頭に来る場所、もう沢山だ」
「もう、貴女の知る幻想郷は、ないのよ?」
「――それでも」
「哀れ哀れ。抗いようもないのに抗おうとするその姿。微小にして極大を産もうとするその精神。与えられたものを非とし、自分を是とする愚かな思想。立ち向かっても意味がないのに。反骨っていうのは、ほとほと扱いに困るものね」
「霊夢は返してもらう。私も出て行く。お前がなんと言おうと、だ。私は霧雨魔理沙、女子高生なんかじゃあない。魔法使い、霧雨魔理沙だ。覚えとけ、この、くっっそ妖怪!!!!」
――そう。なら、仕方ないわね。
「……くそ」
目を醒ました時。霧雨魔理沙は霧雨魔理沙であった。
自分は霧雨グループのご息女でも普通の人間でも高校生でもなんでもない。幻想郷の、魔法の森に住む、白黒の、魔法使いだ。
ごちゃごちゃになった脳みそを整理しようとするが、しかし、真横で寝息を立てている、全ての張本人を見て驚き飛びのくのが先であった。何が幼馴染だ、巫山戯るな。怒り心頭のあまり、拳を握り締めて叩きつけようとする。だが、どうしてもそれが振り下ろせない。
「くそっ!!」
自分が寝ていたベッドを殴りつける。本来ならば何の躊躇もなく暴力を振るえたのかもしれない。ただ、この仮初の記憶が、それを絶対してはならないと、制止させる。十年という自分に刻まれた”設定”は、自覚した今でも身体を束縛している。
ここは本物の世界だ。ココの霧雨魔理沙が抱いていた『過去』が許可しない。そんなものは、誰かに与えられただけの虚妄であるのに。
すぐさまベッドを抜け出て箪笥から制服を取り出す。このピラピラした生地がなんともイラついたが、他に目ぼしい着物がない。ヨダレを垂らしてフロアに転がって寝ている十六夜咲夜を跨いで、さっさと表に出た。造られた過去はあれど、こんな場所に未練も思い入れもない。手に触れるもの、眼に見えるもの全てがカキワリに見えて吐き気がする。ここは本物なのだろう。本物だからこそ、だ。
抵抗して抵抗して反発して反発して、それでも駄目で結局連れてこられたこのセカイ。もう何度、奴のいう『物語』を繰り返したのか解らない。自覚出来ない。今まで自分に自信はなかったが、寧ろ気がつかないほうが幸せであったといえる。しかし、ここまで深く食い込んでしまってはしょうがない。自分は知ってしまったし思い出してしまった。
一体、そう、この狂った学園コメディ風の物語が、なんなのか。
時間を見れば夜中の三時をまわった頃。辺りは闇に包まれている。どこに行くあてもないが、あんな場所にはいられなかった。パチュリーは自分にトドメを刺した張本人である。同じ空気を吸うのもうざったい。かといって、あれを殴りつけたところで、この世界から出て行ける訳もない。この世界の仕組みは把握していないが、今は単なる『登場キャラクター』と化しているパチュリーをどうこうしても意味はないだろう。
ではどうするかといえば、八雲紫をどうにかするのが、一番と言える。先ほども、夢の中で遭遇したばかりだ。例えこの世界で登場キャラクターを演じていようとも、アイツの場合自我があるとみていい。むしろ、この世界を管理している側にあたるだろう。散々御託を並べ腐って己を否定した事実が許せない、という私怨もある。
だが、だ。恐らくは間違いなく、ストーリーから大外れしている自分がどのように奴にめぐり合う事ができるだろうか。このまま奴の意向に沿い、物語に追従したほうが、確実なのではなかろうか。
とは思うが、しかし八雲紫は『修正が来る』とのたまった。この世界がどのようにして動いているかなどは、全く皆目見当もつかないのだが……誰かが、筋書きを書いている、そして演じさせている、で間違いなかろう。そうなると……修正といえば……物語を正規の話に戻そうとする、強制力か何かだ。今のところそのようなものは感じないが、まだ影響が残っている為に魔法も使えない。歩いている間何度か飛ぼうとも試みたが巧く行かず、浮ける程度。手元に箒もなければ愛用の八卦炉もない。スペルカードなんて何処へやら。
影響下にある、ということは修正を受けやすい、と同義ではないのか。早期の離脱が好ましいが、そんな策はない。
世界の構造把握が先決であっても、答えてくれるような輩が居るとも限らない。基本的に、幻想郷最後に争った奴等は、絶対信用ならない。せめて力が戻るなら、話は違うのだが。
「……よく出来た世界だぜ。まさに神様の所業だな、なあ」
その足で街に出る。立派な「カキワリ」達が立派に聳えた、外の世界を模した場所。よくもまあ、これだけの資料を集めたものだと関心する。幾ら様々な世界が再現可能と言っても、情報がなければ構築出来まい。とはいえ、常識外れた輩が地球創世の真似事をなしたのだ。これぐらい、容易いのだろう。考えれば、自分が手だしをしなかった奴等もいるではないか。稗田阿求と、上白沢慧音だ。あれらは新しい幻想郷を作る上で必須ではなかった故に攻撃はしかけなかった。人質にとったところで、創世の歩みを止めたりはしなかっただろう。だが、その知識量は他の妖怪達よりも多かろう。歴史の把握と書記。これを倒して奴等を止める事が出来たなら、どれだけ楽だったか。
明滅する信号機。闇夜を醜悪に照らすネオン。脇道の水銀灯。ふと辺りを見回せば、まるで人が居ないことにきがつく。幾ら深夜とて、誰も出歩かないなぞ、ありえない。車が走っていないなぞ、今までの物語設定ではありえまい。
ふと、この街でシンボルになっているビルに備え付けられた大画面に紫電が走る。ぶつぶつと途切れた映像はその内、二人の『人間』を映し出した。自分がファンだ、という。一番愛してやまない、アイドル(偶像)。
「これが……そうかい。お前達が夢見た、新幻想郷。博麗霊夢の中身って訳か。巫山戯てるぜ」
終わりの見えた幻想郷を保つ為、八雲紫が認めた存在を内包した、完全なる、誰の文句も届かない、完全な楽園の正体。
「メタフィクショナル度増大による世界観崩壊回避の為」
明りも途絶え、月と星が廃墟の街と、そして見覚えのある少女を照らし出す。
「危険因子、霧雨魔理沙の制裁にかかる。罪状は『逸脱』刑罰は『制限』期間は『次の物語まで』」
嗚呼、歌が聞こえる。懐かしい声が聞こえる。そうそう、是非ともアイドル様に、お目にかかってみたかったのだ。
「よお、サナエ。一体何時の物語以来だ? 私には、さっぱり自覚なんてないがな。畜生め」
「貴女の存在は母体に影響を与える。管理権限者は貴女に異を唱えた」
「そうかい。ああ。魔法の一つでもできりゃあ、抗えるんだが……次は一体、何時自覚出来るかね、ここが作り物だってさ」
「出来ないわ。だって現実だもの。少しは、霊夢のことも考えてあげて、魔理沙」
「……ふん。神様の言いなりになった奴が、デカイ口を叩くぜ」
「貴女だって知ってたくせに。こんな方法しかなかったってね」
「……」
「だから、さようなら。次は自覚出来ないといいわね」
「とりあえず逃げ出してはみたものの……そうだな、監視されてるんじゃあ、しょうがない」
「おやすみなさい」
次の瞬間には、あの懐かしき弾幕が、霧雨魔理沙の視界を支配した。
つづく
前編で気付いた分の誤字を以下に。
>口元のはこぶパチュリー。
口元に、かと
>確か、フランは連絡すると行った
言った、かと
>霊夢を張った押してみれば
張っ倒してみれば、かと
>もしかしたら、これも異変の一緒
異変と一緒 か 異変の一種 かと
>今まで自分に自身はなかったが
自信、かと
>幻想郷最後に争った奴等
幻想郷で最後に か 幻想郷の最期 かと
結滞すぎる場所ね(中編含め何箇所か) →けったい、もしくは、ケッタイ
悩んでいる事事態が →悩んでいる事自体
お持ち帰り!!
面白いです。次行ってきます。
地でも組まされてるけど次があるなら他の相手と組めるといいね…
懐かしきかな山口弁