注)射命丸 文がチルノの居候という設定がございますが、それはちょっとした仕様です。なお、居候をする羽目になった事件は作品集48「約一名を除いて全く笑えない話」で、さらに劇中の盗み食い事件は作品集49「レティの名産品」です。二つ合わせても15分くらいで読める物なので、ご興味を持たれた方は何卒よろしくお願いします。
あと、劇中は冬です。あしからず。
来る者は拒まず、去る者は追わず。それがここ、紅魔館の習わしである。
といっても、ここの館の主は気紛れで、狡賢くて、その上ほぼ無敵ときているので、好んでこんなのと一緒に居たがる奴は、きっと頭がおかしいのだろう。
もちろん、私も含めて。
本当の意味で退屈はしないが、そんな連中ばかりだと『あいすくりーむ』一つ、すんなり食べられない。
刻限は正午をかなり回って、日の光が最も強くなる頃。葉の落ちた焦げ茶色の山が続く中、燦々と輝く太陽と、湖からの照り返しの、二重の光で眩しいくらいに際立つ、赤が一つ。
その赤は、青く輝く湖を前に、黒を含んだきつい赤の洋館、紅魔館。
その紅魔館の一室にて。
テーブルを前に座る少女。なびかせる空色の髪は、小さな肩と背に畳まれた蝙蝠の羽にかかっている。生気のない蒼白い肌に小さく幼い体躯、それに不釣合いな鋭利な光輝を放つ赤色の瞳。紅魔館当主、レミリア・スカーレット。
レミリアの右斜め向かい。肩からどっさり垂れる淡い紫の髪、色素の薄い白い肌と華奢すぎる体の線に加えて今にも閉じそうな目蓋。しかし、着席する姿は背筋一本通っていて、妙に人形じみた造形美をかもし出す少女、パチュリー・ノーレッジ。
レミリアの左、パチュリーのほぼ向かい。二人の前に小皿とスプーンを並べるのは、銀色の髪を肩近くで大雑把に揃えた少女。静かな眼差しで小皿を並べてから引き下がっての佇まいは、自身の気配を調度品の一つに変えるメイド、十六夜 咲夜。
レミリアの右、パチュリーの左。咲夜と入れ違い、小皿の隣にカップを並べ、肩まで掛かる朱色の髪を遊ばせる少女は、足首までスカートと長い袖で手首まで覆い隠した黒を基調の硬い装い。並べてから一歩引いて静かに直立するのは、名前とは言えぬ小悪魔と呼ばれる少女の生き物。
そんな四人がいる部屋の出入り口にはもぞもぞする人影が一つ。
レミリアは小皿のスプーンを手に取る。小皿にそびえる乳白色の山と、そこに深いクレバスが走るように濃い赤紫の斑が横たわる。スプーンが、白の山と赤紫のクレバスを割る。これはラズベリーの『あいすくりーむ』。
パチュリーはカップに手を伸ばす。並々と注がれた黒色を掻き回すように、カップを半回転。暗い水鏡が乱れて、湯気の中の香にパチュリーは鼻腔をくすぐられる。満たされていたのはコーヒー。
一口する前に、パチュリーは一言。
「うちの司書も呼びつけて何をするかと思ったら、こんな用事とはね」
熱い苦味と酸味を口に含むパチュリー。
「最後の『あいすくりーむ』の味を滅多なモノでとばされたくないだけよ」
冷たい甘味を口に頬張るレミリア。
「今日はいつにも増してすごかったらしいけど」
尋ねた後で『あいすくりーむ』を一口頬張るパチュリー。
「記憶がとんでいるわ」
お茶を濁す、ならぬコーヒーで問答を濁すレミリア。
代わって答えたのは、レミリアの傍らに立つ咲夜。
「今日は血の再現しようと思いました」
「ああ、思い出した」
レミリアは思い出した後味を忘れる為、べー、と舌を出して空気にさらす。
その態度でパチュリーは閃いた。
「もしかして酸化鉄?」
「そのもしかしてよ」
親友の苦々しく歪んだ顔を前に、パチュリーは少し苦笑い。その後に出てくる言葉は一つだけ。
「ご愁傷様」
レミリアは空気で後味を消すことを諦めて、コーヒーの苦味で後味を喉の奥に流し込むことにした。
パチュリーもコーヒーの熱い苦味の喉に通す。
二人同時に熱くて苦い一時を味わってから『あいすくりーむ』を一口。冷たくて甘い味に舌鼓を打った後で二人は目配せ。そして小声で。
「ところでレミィ、いつまで無視すればいいの」
「ずっとよ」
しかし、ひそひそと話す二人の視界の端から、誰かさんがいなくなった。
その直後。
「わっ」と、大きな声が部屋の出入り口から響いた。
その方に目を向けるレミリアとパチュリー。
現れたのは、レミリアと瓜二つの丸みある面立ちと小さく幼い体格に蒼を含んだ白い肌、そこまではレミリアと瓜二つだが、ふわふわとしたレモン色の髪を垂らして鋭利なダイヤが連なる羽じみたものを背負ったところが異なる少女、レミリアの妹、フランドール・スカーレット。
レミリアは、物陰から引きずり出された妹と、時間を止めてその背後に回りこんだ咲夜の姿を見る。
「……咲夜」
フランドールの向こう側にいる咲夜はきょとんとした顔。
「まずかったでしょうか?」
思い直して。
「いや、いいわ」
レミリアは改めてフランドールを見る。
「何の用なの、フラン」
フランドールはレミリアとパチュリーの手前に目を移す。
「あ、『あいすくりーむ』が、食べたい」
レミリアは見せ付けるように大きなため息。
「フラン、貴女は自分の分を食べきった筈よ」
「一口でいいから」
「ダメ」
にべもなく、実妹の要求を突っぱねるレミリア。実姉の叩き付ける言い様に、奥歯を噛みつつ目を吊り上げるフランドール。
「フラン、よく聞きなさい。私やパチェは満ち足りるを知り、少しずつ食べてきたから、今日で最後の一皿になるわ。でも、貴女は食べたい時に食べたいだけ食べたから、早くになくなった。わかるわね」
「……うん」
フランドールの目尻の険しさが抜けていく。それを見取ったレミリアは、さらに畳み掛ける。
「ねぇ、フラン、貴女は『食らう』はすれど『味わう』という行為に欠けているわ。私達、吸血鬼にとって『食』はほぼ嗜好品、つまり楽しむということでしかない。
そして、私達はこの幻想郷の新興貴族ともいうべき存在。この『あいすくりーむ』を楽しむ態度一つ取っても、夜の王を名乗る私達の品格を計られているのよ」
滔々と背筋を伸ばして語るレミリアと、聞いていくうちに肩を落としていくフランドール。そんなやりとりを右から左に流している風を装うパチュリーは、心の中で叫ぶ。
『よく言う』
コーヒーに目を落としたパチュリーは、琥珀色の水面に映る自分の見ながら考える。
(その『あいすくりーむ』を一両日中に、しかも誰にも分けずの丸々平らげそうなのはレミィでしょうに。
初めて『あいすくりーむ』をもらった日、大妖精が言った「みなさんでお召し上がり下さい」という台詞をたまたまフランも一緒に聞いていたからこそ、こうして主立った面子も『あいすくりーむ』を食すことができる訳だけれど。
皆で分けると言った手前、それを守ったら守ったで、レミィにしてみたら問題が出てきたのよね。私が日課の紅茶(今日はコーヒーだったけど)のデザートに『あいすくりーむ』を用意したら、食の細い私に合わせてレミィも食べる量を抑えた。その理由が、私が目の前で『あいすくりーむ』を美味しそうに食べるのは生殺しだとか何とか。
吸血鬼のくせに生殺しって何よ。それより、私ってそんなに『あいすくりーむ』を美味しそうに食べていたのかしら)
「まあ、それでも、自分の口にするにも関心を持つようになったのはいいことよ」
「むー」
レミリアの物言いにいちいち頬を膨らますフランドール、『本当によくいう』という台詞を奥歯で噛み砕いたパチュリー。
説教に夢中なレミリアに気取られぬように、小悪魔はパチュリーに耳打ち。
「ノーレッジ女史。作り置きのコーヒーゼリーをフランドール様にお分けしてもよろしいでしょうか?」
小声で答えるパチュリー。
「それならレミィに言って頂戴」
小悪魔はパチュリーの見えない位置で眉をひそめる。
「お言葉ですが、お館様のお許しは頂けないと思います」
するとパチュリーは事も無げに。
「そうなったら私が勝手にやったってことにしていいわ」
「……はい」
パチュリーの耳元から離れる小悪魔、パチュリーはそれから『あいすくりーむ』に手をつけつつ、隣に注意を移す。
「いい。私達は幻想郷の中でも特に強い力を持ち、かつ最も新しい眷族、故に如何なる些細な行動さえも計られていることはさっきも説明したけど……」
熱心な説教は途切れることなく続いていた。思ってもいないことを尤もらしく語る親友に呆れつつも感心してから、パチュリーは割り込む。
「それぐらいにしたら、『あいすくりーむ』、溶けるわよ」
その一言でひるんだレミリアの元に、隣に控える咲夜の言葉が滑り込む。
「お嬢様、妹様の『あいすくりーむ』なら一食分、残っております」
言葉の意味を掴み損ねたレミリアとフランドール、そしてパチュリーと小悪魔の視線が咲夜に集まった。
「どういうこと」
口火を切ったのはレミリア。
「正確に言いますと、妹様の『あいすくりーむ』が一食分、増えました」
「だから、どういうことよ」
「いえ、メイリンが『妹様が欲しがるようなら差し上げても構わない』と言いましたもので」
咲夜の答えを聞くなりレミリアは額に手を当て、大きく頭を振る。頭痛に悩む大袈裟なジェスチュア。
「全く、うちの門番ときたら、変に甘やかすことだけ上手になってどうするのよ」
「では、やめさせますか?」
レミリアはそれも首を横に振って答える。
「まぁ、いいわ、好きになさい」
「はい。では、今すぐ御用意致します」
隣で咲夜が深々と頭を下げて答えた瞬間、その部屋から姿形が掻き消えた。咲夜は時を止めている間に部屋を出た。
「ま、待ってよ」
瞬く間にいなくなった相手を追って、フランドールが部屋から出て行く。
残された三人。
「上手くいかないものね」
視線はコーヒーと『あいすくりーむ』に残したまま、パチュリーは言葉だけをレミリアに送る。
「お互いにね」
レミリアはパチュリーの言葉に答えた後で小悪魔に目配せ。
小悪魔は目を逸らした。
同じ頃、紅魔館をすっかり飲み込める広さの湖を飛んで越える一行がいた。
「ふっふっふっ、主人を含めて紅魔館のみんながあたいを褒め称える声が聞こえてくるようね」
水色の髪に低い身長に少ない等身の、氷の羽を広げる少女、チルノが、満面というより不敵な笑みを浮かべている。
「んもう。チルノちゃん、頑張ったのはチルノちゃんだけじゃないよ」
チルノと同じくらいの等身と同じように小さな羽根を生やした少女が、たしなめつつも並んで飛ぶ、とりあえず大妖精と呼ばれている。
「まあまあ。でも、チルノちゃんはとても頑張ったのは事実だから、それくらい自信を持ってもいいと思うわ」
湖の水面に背を向け、下から真上へ正面を向けてチルノと大妖精にそう話しかけるのは、この二人より二つ高い等身を持ち、羽を持たずに飛行する白銀の髪の女性の名は、レティ・ホワイトロック。
「ふふん」と、鼻をならしたチルノの少し後ろから、申し訳なく響く声。
「あ、あのぉ、私も頑張ったし、今も頑張っているから、その、一口でいいから『あいすくりーむ』食べたいなぁ~」
レティとほぼ同じ等身の、カラスの羽を広げた少女、射命丸 文は、一本の縄で繋がり、連なった群れなす壷を器用に引き連れて飛んでいる。
そんな労力をたっぷり使っている文へのチルノの返答は。
「絶対だめ」
「そこをなんとか」
速度を上げて並んだ文は、うるんだ自分の涙目を見せ付ける。だが、そんな文に対して、チルノはあからさまに笑顔を崩して目尻と眉間に皴をつくって歪んだ口元から当て付けるように歯軋り。
「いそーろーの分際で家主たるあたいの留守の間に手作り『あいすくりーむ』をまるまる一壷分食い尽くしてまだ足りないというのか、あぁん?」
文は小粒の涙を零しながら。
「だから私は無実なんですよぉ~。私が戻ってきた時にはもうなくなっていたんですぅ~」
高度を上げてチルノと文の間に割り込んだレティは、そのまま二人の間を取り持つ。
「チルノちゃん、笑って笑って。その顔のままで紅魔館に行くつもり?」
冷や水を浴びて怒りが鈍ったチルノ。それに感激する文だが、レティの冷や水は文にも向けられる。
「でも、文ちゃんの言う通りだとしても、外から誰かが入ってきたとか、もしくはベットの下から這い出たという証拠がないとね」
文の涙は大粒に。
「嘘じゃないんです」
すると、沈黙を守っていた大妖精がちょっとだけ口を挟む。
「……あの、文さん、正直に話せばチルノちゃんも許してくれるよと思うよ」
「大妖精さんまでぇぇぇ」
気落ちしてスピードまで落ちてきた文。
「災難ね。天狗が普段から嘘ばかりついているから、いざという時に信じてもらえないのよね」
レティから浴びせられる同情とも嫌味とも取れる物言いに心労が過負荷気味の文は、力がないながらも言い返す。
「私は嘘ついたことなんて一度だってないですよ……」
「おい、いそーろー」
わざわざ呼び止められたので身構える文。しかし、チルノの表情に怒りは微塵もなく、いつもの、いや、いつもより静かな顔を、むしろ哀れむような顔を覗かせる。
「お前、バカだから注意しとくけど、嘘をついていないってのが一番の嘘だ」
「ぎゃふん」
文は心からひっくり返った。勢い、壷を持った縄を手放した。
「あっ」
誰が口にしたではないが、全員が呆気にとられた瞬間、一本繋がった壷は空で蛇行しながら落ちていく。
そんな彼女達の眼下、湖面の水色を切り裂くように火色を靡かせた深緑の何かが一閃。落下する壷の群れと交差し、その壷等と共に一気に垂直へ、つまりはチルノ達の元にぐんぐんと近付き、急停止。
長い髪を火色に彩り、深緑の装いで身を包む、胸元以外はなだらかに引き締まった長身の女性が、チルノ達四人の囲いの中心で滞空しつつ、緩い眼光でぐるりと一周ばかり見渡す。そして、目に見えて考え込んだ後に、一つも欠けなかった壷の群れをしっかり繋ぎとめた縄の端をチルノに手渡す。
「ありがとう、メイリン」
壷達の危機を救い、チルノから礼を受け取ったのは、紅魔館の門番、紅 美鈴(ホン メイリン)。
「メイリンさん凄い」
「本当、天狗もかくや、って早業だったわ」
チルノに続いて大妖精、レティと、メイリンを褒め称える。
「あ、いや、いいんですよ、そんなにお礼をいわなくても。うちの客人を助けるのも門番の仕事ですし、当たり前のことですから」
こうしてメイリンを中心に出来上がった輪。それから弾かれたところにいる文は、小声で申し訳なさそうに、「あの……」と声をかけるが、笑顔以外の何かで引きつるチルノの顔が向けられた。
押し黙った文に、レティはそっと言葉を差し入れる。
「あとにした方がいいわよ」
文は、沈黙で肯定とした。
後ろ二人のやりとりとは別に、先の妖精二人と門番はと言うと。
「ところで、そのたくさん持ってきた壷は何ですか?」
「『あいすくりーむ』だ」
チルノが断言した後で、メイリンは壷の一つ一つを見遣って再度尋ねる。
「本当に?」
輪に戻ってきたレティが代わりに答える。
「本当よ。この前、お土産に頂いた食材がいっぱいあったから、あと一つか二つ『あいすくりーむ』を作ってお返ししないと割りが合わないので、いざ作ってみたらこの惨状。でも、うちのチルノちゃんの提案で全部持ってくることにしたのよ」
「ふふーん」
胸を張るチルノを、メイリンは横目に見た。
「あいや。これは確かに驚きました。きっとお嬢様も驚きになりますし、お喜びにもなります。では早速、紅魔館にいきましょう」
メイリンは、紅魔館の方に正面を向けた。
「よーし、それじゃ紅魔館まで競争だー」
「チルノちゃん、壷」
大妖精に言われて気が付いた。
「いけない、いけない」
チルノはゆっくり、紅魔館に飛んでいった。それに合わせてメイリンも大妖精もレティも文も、ゆっくり飛んでいく。
紅魔館の一部屋。
銀色の小さいスプーンの上には、しんなりと溶け掛かった乳白色にラズベリーの赤紫を含んだ『あいすくりーむ』が横たわる。レミリアはそれをゆっくりと、口に運ぶ。
一口。
舌で転がす。
唾液と絡まる。
静かに、喉を通す。
後には、ため息にも似た吐息。
来冬までの別れを惜しみつつ、最後の一口を味わいつくすレミリア。傍らのパチュリーもコーヒーを楽しむだけだった。そんな二人の間で、小悪魔は使い終わった食器の片付けをしている。
「失礼します、お嬢様」
しめやかな一時が流れていた最中、歩いて部屋に現れた咲夜は、そんな静かな雰囲気とは真逆であった。
「どうしたの、咲夜」
「ええ、実は……」
そして語られる、かくがくしかじか。
一瞬、瞳孔が開いていたレミリアは、コーヒーを一気に飲み干して立ち上がる。
「わかったわ。すぐ行く」
「早いわね」
かく言うパチュリーもコーヒーを一気に飲み下して起立する。
レミリアは咲夜とパチュリーを引きつれ、部屋から出て行った。そして、小悪魔は一人、カラのコーヒーカップを盆に乗せ、片付けをする。
客間。
壷。
ずらり。
全て『あいすくりーむ』。
レミリアは客間に乗り込んで早々、壷の群れを目の当たりにして硬直し、おもむろに天を仰ぐ。
同室で待っていたチルノは声を上げる。
「おーい。遊びにきたぞー」
チルノの不躾な物言いを遮る大妖精。
「んもう、チルノちゃん。すいません、スカーレットお嬢様。今日はこの前のお返しにと、伺いました」
しかし、レミリアは挨拶も何もなく、そのまま。
「どうしたんでしょ」
「さあ」
小声で意見を交換する文とレティ。
一方、パチュリーには、親友がどういう心境でこういう行動に出ているのか、大方の予想はついていた。一言でいうと、悩んでいる。
(今まで、もらった『あいすくりーむ』は「みんなで分ける」で済ませていたけど、今回は勝手が違う。それは物量。比べるまでもなく、これが例年とは圧倒的物量差であることなど明々白々。
これまでなら一人の分量など高がしれて、食の細い私に合わせても七食分がやっと。しかし、今回は今まで通りに分けても、一人頭何壷分という分量で『沢山』割り振られる。そう、文字通り『沢山』だ。
レミィが自制という緊張状態を保てたのも少量という事実が裏にあればこそ。しかし、今回は『あいすくりーむ』の残量に油断してあと一口、もう一口と食べていき、気がつけば私一人で『あいすくりーむ』を楽しむ様子をレミィが眺める事態など、容易に想像が付くというもの。最悪、今日のことを反省したフランが適量で嗜むことを実践でもして今日と逆のことにでもなろうものなら目も当てられない。
レミィにもその自覚はあるでしょう。そして、レミィ、この苦難を前にどんな結論を下そうとも、私は受け入れるわ。でもね、私の『あいすくりーむ』は何があろうとも分けるつもりはないから、絶対よ)
天井を見上げたままのレミリアは、その姿勢のまま尋ねる。
「ちなみに何味」
「美味しい味」
無視して、レティの解説が即座に入る。
「チーズケーキ風味……にしようと思ったら作っている内に、まずレアっぽくしようかベイクドっぽくしようか迷って、それからチーズ味に重きをおくかケーキ味で攻めるか迷って、さらに味の強弱もままならなくて、気付いたらこんな量になってしまった、と」
説明を受けている内に、天を仰いでいた筈のレミリアはレティを正面から見る。
そんなレミリアの横顔を見つつ、パチュリーは小声の独り言。
「今日中に全部の味を試さないと気が済まないって顔しているけど、まさか舌の根が乾かぬ内に前言を撤回したりはしないわよね」
咲夜がその独り言を拾う。
「まさか、お嬢様に限ってそれはありません」
そうまとまった二人の会話にも、しっかり聞き耳を立てていたレミリアは、すっかり欲求と自制の泥沼に嵌まり込んだ。
パチュリー同様、レミリアのそういう苦悩は察する咲夜は一考の後、一歩踏み込んで、レティに話を振る。
「思うに、レティさんが先程おっしゃっていた『あいすくりーむ』の味がしっくりこなかった理由は、『あいすくりーむ』の味をチーズケーキの味に近づけていても、食感が『あいすくりーむ』のままだから、ではないでしょうか?」
藪から棒に何を?誰かがそう口にするよりも先に、レティは頷いた。
「ああ、なるほど。それなら気付かず舌触りの微差を埋めようとして泥沼にもなるわね」
「ですからいっそのこと、その『あいすくりーむ』でタルトを作ってみてはどうでしょう」
「名案、なのかなぁ。味はそのままケーキになりそうだけど」
「そこについては、私も軽々に物は言えません。残念ながら本物のチーズケーキに劣る組み合わせもあるでしょう。しかし、『あいすくりーむ』の特性と噛み合ってより美味しくなる物もありましょう。ただ、こればかりは実際に作ってみないとわかりませんし、よろしければ私も含め、皆さんで試食をしたいのですが」
「いいわよ、それぐらい。みんなはどう」
レティから唐突にお鉢が回ってきたので各々で答える。
「いーよ、別に」
「私もです」
「え、えっと居候の身ですし、やりたくないとごねる真似はしません。出来れば、一口くらい、あ、いえ、なんでもないです……」
各人に温度差はあっても、チルノと大妖精と文、それとレティは、『あいすくりーむ』タルト作りの賛成を得られた。
そして咲夜が。
「パチュリー様は?」
「私もなの?まぁ、別に構わないけど」
最後に、咲夜はレミリアに向き直る。
「恐れながら、主人に頼むような筋合ではないと重々承知の上で申し上げます。今回の『あいすくりーむ』のタルトは、まず何よりもお嬢様を喜ばすことが第一、泣き言になりますが『あいすくりーむ』は私の手に余ります。故に、ご気分を害することがなければ、お嬢様にも試食に参加をして味を確かめて頂きたいのですが?」
自分の至らなさを前面に出した咲夜の申し出。
それに対してレミリアは、より深い決意を示す。
「それならタルトは全部一口タルトにして妖精メイド達も参加の大試食会よ!」
普通に驚くレティと文、意味を掴み兼ねたチルノは大妖精に説明を求める。そして、目と口を丸くして絵に描いたような仰天をしている咲夜とパチュリー。
妙な空気感の沈黙を切り裂くのは、きっちり空気を読みきったレミリアの命令。
「決行は今日の夕食後!いいわね!」
改めて申し付けられて咲夜は瞬きを二つで調子を取り戻す。
「御意」
レミリアに頭を下げた後で、咲夜はレティに向き直る。
「と、言うことですのでご協力お願いします」
「ええ、いいわよ。これはこれで面白そうだし。ね、チルノちゃん」
レティに振られたチルノは、大妖精からの説明を切り上げて応じる。
「つ、つまり、あたいがもっと褒め称えられる訳でしょ。仕方ないなぁ、やってやろう」
そして大妖精も。
「えっと、あの、は、はい。わかりました」
それほど表情の変わっていない面子の中で、一人にんまりと笑う文。
「うふふ、私もお手伝いはしますよ。居候の私に選択権なんてありませんし、もちろんその後の大試食会にも参加しない訳にもいきませんし~。うふふ、うふふ……」
咲夜は四人に柔らかい笑顔を投げかける。
「それでは第一厨房に行きましょう。あそこが一番大きいですから」
咲夜の案内で客間から出て行く客人四人。
それを見送って客間に残ったレミリアとパチュリー。
「頑張ったわね」
パチュリーの言葉に対して、レミリアは露骨に嫌な顔をする。
「嫌味?今日みたいなフルコースの後じゃ、二日だって細々とやっていけそうにないからやらせるだけよ」
パチュリーは笑いながら手を振る。
「違う違う。言い換えるわ、格好良かった。動機は何であれ、皆に『あいすくりーむ』を大盤振る舞いするのは格好良かったわ」
すると、レミリアは益々嫌な顔。
「何言ってるの。私が格好良いなんて当たり前じゃない」
「そう、ねぇ……」
小さな厨房で一人、後片付けをしている小悪魔は、厨房の外から届く妖精メイド達のおしゃべりに耳を傾ける。
そのメイド達の談笑の中身は。
「本当だって、今晩みんなで『あいすくりーむ』を食べるんだって」
「その話、出所がチルノって時点で絶望的なんだけど」
「でもさ、あいつって大袈裟に言うことはあっても根も葉もない嘘なんてつかないよね」
「じゃあ、ほら、あれだ。くじ引きで当てた人の取り分を減らして、当たる人が増えましたってするだけじゃないの?」
「プラス。咲夜さん、メイリンさん、小悪魔さんの辞退組の常連に加えてパチュリー様も辞退を表明!」
「そしてぇ!まさかまさかのお嬢様と妹様も口に合わなかったことを理由に辞退を表明!」
「そんな重大な決意を促すオ・ト・ナ・な『あいすくりーむ』の味はぁ!」
「 わ さ び ! 」
「………」
「………」
とても静かになった。
「………いらないなぁ」
「………いらないねぇ」
「待って、『プラス』あたりから嘘だから」
「いや、その一個前からでしょ」
「でもさ、今回は酷かったなぁ」
「そうだね、咲夜さんは普通に興味を持って辞退しなかったし、小悪魔さんはコーヒーゼリーと絡めることを覚えて辞退せず、辞退したメイリンさんはその後くじで当てて、事実上辞退者ゼロ、だったもんねぇ」
小悪魔の耳に、話し声以外の音、駆けて来る足音が入ってきた。
「で、でで、伝令、伝令、伝令ぇぇぇ!」
「どうしたの」
「第一厨房に案内されるチルノ一行を確認!壷を持って移動中、壷の数は両手に余る程であります!」
「え、両手だから二個?」
「違うであります!自分の指で数えられない位であります!」
「十、突・破!」
「イエェェェェェエイ!」
「待て、事実確認が先だ!」
「よぉし、ではいざ行かん!第一厨房へ!」
遠ざかっていく足音。
片付けの終わった小悪魔は今の話を聞いて、このままパチュリーのところに戻るか、チルノと大妖精に声を掛けてから戻るかに頭を悩ませた。すると、厨房の出入り口で、ちらちらと中を伺う人物がいることを知り、彼女に声を掛ける。
「どうかなさいましたか、フランドール様」
「えっと、その、あの……」
フランドールの歯切れが悪い。そこで、小悪魔は自分なりに解釈する。
「ああ、メイリン門番長から頂いた『あいすくりーむ』がまだなのですね。今すぐ咲夜婦長を呼びに行きますので、少しお待ち下さい」
「い、いいの、食べないから。それより、パチュリーはどこ?」
小悪魔は、自分を呼び止めてパチュリーを探すフランドールを訝しんだ。
「ノーレッジ女史なら、お館様と一緒にいると思います」
「お姉様と、一緒なんだ……」
小悪魔は話が見えないので、あえてわかりきったことを訊いてみる。
「『あいすくりーむ』がいらないんですか?」
「違うよ。欲しいよ。でも……」
「でも?」
「食べる前に、何したらいいのかな?」
要領を得ない。
「何したらいいのか……わからない、よね」
再確認したフランドールの言葉を、小悪魔は自分なりに主語と修飾語を想像して補強する。そうして組み立てた文章を元に、改めて問いかける。
「フランドール様。誰に、ですか?」
「メイリンに」
必死にメイリンの名を口にしたフランドール、小悪魔はこれで確信した。
「『ありがとう』と、お礼を言えば良いと思います」
「だ、だめ。それだけじゃ、ダメ……だと、思う……」
それだけでも本当に充分だ、という言葉を小悪魔は飲み込んで、フランドールの気持ちを汲む。
「フランドール様。第一厨房に行きましょう」
「でも……」
「勘違いなさらずに、第一厨房には大妖精さんとチルノさんがおります」
「来てるの?」
あんな大きな声のおしゃべりさえも耳に入っていなかったことを小悪魔は知るが、それも飲み込んだ。
「はい。あのお二人なら、今の私よりも心強いでしょう」
「うん、わかった」
調理台が等間隔で整然と並ぶ、十人二十人は入れる部屋、第一厨房に入ってすぐのことだった。
「ねぇ、私は新しい『あいすくりーむ』を作ってもいいかしら」
レティはそんなことを言い出した。
「あら。構いませんけど、またどうして」
咲夜は答える。
「一口タルトにするのならそれ用の味付けに挑戦してみたくなってね。できれば、こことは別に一部屋借りて、そこを冷凍状態にして使いたいんだけど」
「そういうことでしたらご自由にどうぞ。タルト台はお任せください」
そこでチルノも発言。
「それじゃ、あたい達はレティの手伝いだね」
「そうですね。できれば、文さんを借りたいのですが」
ほとんど即答で返した咲夜の言葉に、チルノは同じく即答で。
「別にいいよ。あんま役に立たないけど」
そんな風に話がまとまってすぐのこと。
「すいませーん」
声と一緒にひょっこり顔を出したのはメイリン。
「咲夜さんはここにいますか?」
「あらメイリン、仕事をサボって摘み食いかしら」
「やめてくださいよ、冗談でもそういうこというの。お嬢様の耳にでも入れば、ことの真偽など二の次でお仕置きされちゃいます」
「それなら大丈夫よ。お嬢様は今、パチュリー様と夕食まで暇を潰されているわ。それで、本当に何の用なの?」
「いえね、妖精メイド達が騒がしいものですから、何かあったのかなって」
咲夜は台所に並んだ壷の群れを指で差しつつ。
「夕食後に紅魔館全員参加で『あいすくりーむ』大試食会をやるのよ」
「それは豪儀な」
「ただ、難儀も多そうよ。で、用はそれだけかしら」
「そうですね、難儀が多そうというのなら……」
ふと考え込むメイリン。
すると、きゃあきゃあと声が聞こえるなり、その声の主達、妖精メイド達が津波のごとく押し寄せて、同じことを口にする。
「『あいすくりーむ』食べ放題って本当でしょうか!?」
咲夜はあまりの間の悪さに呆れて、即答することを忘れた。
「早速きた」
咲夜の内心を代弁したメイリンの言葉の後に、胸を張ったチルノの言葉が被さる。
「全部あたいのお陰だ」
物証を目の前にして妖精メイドは手を叩いて騒ぎ合う。
「で、早速こじれましたね」
メイリンの的確な解説。持ち直した咲夜が手を叩きながら張った声を妖精メイド達に叩きつける。
「貴女達、騒がない!ここをどこだと思っているの!」
妖精達を叱り付けた一瞬後で、メイリン。
「ところで咲夜さん、前に作った火を噴くくせに親の仇みたいに甘いヤツはどこにあります?今日のことで使おうと思うんですけど」
「蔵に置いてあるわ。何に使うか知らないけど、少し寝かせておいた所為ですごいことになっているわよ、アレ」
「咲夜さんが『すごいこと』と言うくらいですから、相当すごいことになっているんでしょうね」
誰に聞かせるでもない軽い冗談、しかし、返ってきたのは鋭利な視線。
「覚えておくわよ、メイリン」
ひけた腰と同じように視線を外して応じる。
「やだなぁ、冗談ですよ」
そそくさと立ち去るメイリン。
見送ってから。
「さて。咲夜さん、私達も新作に取り掛かりたいのですけど。
ねぇ、みんな」
レティの目配せに気付いたチルノは、同時に、妖精メイド達の、宝石のようにきらきら輝く羨望の眼差しも知る。
「そうだなぁ。あたいが本気になれば新作の一つや二つがよゆーってところを見せ付けておかないとな」
「チルノちゃんってば」
「いいじゃないですか、大妖精さん。私も居候の身として、よく作り、よく食べるという責務を全うします」
文の発する文言は殊勝以外何物でもないものの、目の輝きは妖精メイド達と全く同じ。
改めてレティから咲夜に。
「私達もこんなんだけどお願いね」
咲夜も観念する。
「少々お待ちを」
妖精メイド達に向き直る。
「さ、まずは貴方達……」という咲夜の言葉は遮られる。
「すいません。こちらに咲夜婦長はおいででしょうか?」
そういって厨房に顔を出したのは小悪魔。
「今度は何?」
「あ、いえ、チルノ達を探しているのです」といった小悪魔に、妖精メイドの垣根の向こうから、チルノは手を振って応える。
「あ、すいません。見つけました」
そういって話を切り上げる小悪魔。
「さ、貴女達は私の指示を聴きなさい」
「は~い」
随分と素直な妖精メイド達に、むしろ不安を覚えつつ、咲夜はくどくど説明を始める。
その頃、目当ての相手を見つけた小悪魔は。
「大妖精、チルノ、こんにちは。実は少しお話があって」
「話ですか?」と口にしたところで大妖精はレティを見る。
「気にしなくていいわよ」
「いいの」
聞いてきたのはチルノ。
「いいわよ。多分、あちらの貴人のことでしょうから」
レティが見た先に目をやるチルノ、厨房の出入り口から中を伺っていたフランドールが、咄嗟に首を引っ込めた。
何か言おうとする小悪魔の、また、真剣に説明に耳を傾ける妖精メイド達の横を抜け、チルノは厨房の出入口まで行き、そこから顔を出す。その時、再度、中を伺おうとしたフランドールと目が合った。
「どったの?」
口が回らないフランドール。その間に大妖精もやって来て、続いて小悪魔、あと、大きな動きこそないが、レティと文の視線がそこに集中していた。
たくさんの視線から逃げるように顔を引っ込めながら、フランドールは声を絞り出す。
「その、聞いてほしいことがあるんだけど……」
チルノはすぐにレティへ向き直っては駆け寄る。
「ごめん、あたいと大ちゃん、急用できた」
「そう、なら、仕様がないわね」
「ごめん」
「いいのよ。『あいすくりーむ』は一人でも作れるから。ほら、待たせないで行ってらっしゃい」
「うん」
レティと文が見守る中、チルノは再び厨房の出入り口へ行き、そこで大妖精、小悪魔、フランドールの四人で少し話し合った後、そのまま厨房から出て行った。
居残った文はレティに、念のために尋ねる。
「付いていったら、まずいですよね」
「あら、行かないの?てっきり、面白そうだから付いていくと思ったのに」
「邪魔したら悪いし」
「そう、それなら……」
二人の会話を両断する咲夜の叫び。
「貴女がいたわ!」
妖精メイドへの説明をしていた筈の咲夜が飛び込んできた。視線は文に注がれている。
「わ、私が、なん、ですか?」
「監督をして頂戴」
「か、かんとくぅ?」
文は思わず上ずった声で聞き返した。
「そう。いつもは私一人でどうにか出来るけど、今日の催しはうちのメイド達も妙に張り切っているから逆に心配でね。信じられないようなミスをやらかないか不安なのよ。
そこで、私の意図を正確に把握して妖精メイド達に目を光らすことのできる人材。つまり、今現在の第一厨房内で最も有能な貴女にしか任せられないわ」
「や、やめてくださいよぉ、そんなヨイショしなくたって。お願いされれば朝飯前にこなしてみせますって」
「では、貴女もミーティングに参加して」
「はいはい」
咲夜に連れられて妖精達の輪に加わる文の後ろ姿を見たレティは、こっそりつぶやく。
「……ちょっと、チルノちゃんに似てきたわね」
人の手の届く高さを超えて、最早建築物として高くそびえ立つ本棚。段の全てにしっかりと本が詰められていることもあって、その質感は絶壁と呼べる程。それ等は、人がすれ違える程度の間隔をあけて、一つ、二つ、三つと、縦に、横に、律儀に僅かなズレもなく整列する。
そして、長方形に区切られて居並ぶ木と紙の絶壁は、果てにある同じ大きさの物体が遠近法の関係で人差し指で弾けるくらいに小さく見えるまで、どの方向にも延々と続いていた。
初見の者には「紅魔館よりも広いのでは?」と正常な感覚を持てるか否かを試す図書館に、蝙蝠の羽をぱたぱたと羽ばたかせるレミリアは、本の背表紙と睨めっこしたりしなかったりしながら、本棚の最上段付近をうろうろと飛び回っている。
「暇よね」
レミリアから遠く離れて、ソファーに腰を落ち着けるパチュリーは、机の上に自身の胸板よりも分厚い本を開いて熟読の片手間に答える。
「そうね」
パチュリーの気の抜けた応対など、レミリアは気にも留めない。
「で、どれが面白いの?」
「大体面白いよ」
あまりにも適当な物言いをレミリアは右から左に流して。
「私の好きそうなのはどれ?」
「大体読んだわよ、貴女」
適当な言い方に聞こえても、それは的確な意見だった。
「何、読んでるの?」
「読めない小説」
レミリアは宙で一旦止まり、パチュリーの元に飛んでいく。
別段、広くもない部屋でのこと。
レティは言う。
「私が言うのもなんだけど、こんなところで油を売っていていいの?」
咲夜は答える。
「ああ、気にしないで。私は料理の監督だからあっちとこっちで往復よ」
「ふぅん」
聞くだけ聞いて、話半分な風に答えるレティ。また、咲夜も気にする素振りはなく、レティの手腕を眺めている。
すりこぎでかき混ぜられるボールの中のクリームに、レティは息を吹きかけると、クリームは粘りを増してすりこぎに絡まってくるが、レティはそれを掻き分けるように力強くぐいっとかき混ぜる。
そして、吹きかけてはかき混ぜるを繰り返す様子と、合わせて、ボールの中身が『あいすくりーむ』になっていく過程を眺める咲夜。
「そうやって作るの。これじゃ作り方を盗むのは無理ね」
「そうでもないわよ。ゆっくり凍らせて、しっとりかき回す忍耐力があれば、『あいすくりーむ』を作ることは難しくないわ」
こともなげに言い放つレティに、苦笑いを零さずにはおれない咲夜。
「言うは易いけど、『凍らせて終わり』じゃなくて『凍っていく間に手を加えて作る』お菓子である以上、寒い中で目も手も離せないというのは忍耐力もそうだけど、体力的にも大変よ。幻想郷広しといえど、手作りの美味しい『あいすくりーむ』を作れるのは貴女だけよ」
苦笑いを微笑みで返すレティ。
「ふふ、買い被らないで、寒い妖怪だから色々と手間を省けるだけよ。作り方そのものは簡単だから、手間さえ惜しまなければ誰でも作れるわ」
すると、咲夜の笑みから苦味が抜けた。
「それなら、作り方を知っている氷精が居ればそれなりの『あいすくりーむ』は作れる、と」
レティの表情から少し笑みは脱色気味。
「どうかしらね。それについては不安の方が強いわ」
すると、咲夜は口の端を頬の端に寄せて、誰の目にでもわかる笑顔を作った。
「ここだけの話、私も」
小さな厨房から、力強くも可愛らしい声が響く。
「『あいすくりーむ』のお礼は『あいすくりーむ』で返す!フラン特製サイキョー『あいすくりーむ』を作るぞー!」
「おー!」
拳を振り上げたフランドール。
「お、おー……」
遅れて大妖精も拳を上げた。
「声が小さーい!」
「お、おー」
チルノがうんうんと頷く。
「ただいまー。茶葉とかコーヒー豆とか色々片付けたよ」
「こーちゃん、ご苦労」
小悪魔は大妖精の隣に控える。二人から少し離れて、フランドールがいて、台一つ挟んでチルノが立つ。
そして、フランドールが立つ調理台の上には、まな板、包丁、計量スプーン、計量カップ、おろし金、すりこぎ、麺棒、鍋、ざる、ボール、すり鉢、他にも料理用の重しや紙など色々揃っている。
四人とも上背が低いにもかかわらず、狭く感じさせるこの厨房は、小悪魔がコーヒーカップ等を片付ていた厨房だった。
「まずは牛乳と砂糖で基礎をべんきょーだ」
「よし、掛かって来い」
麺棒を棍棒の如く、上段に構えたフランドール。
「あ、あの……」
「ダメ、大ちゃん。それにこーちゃんも聞いて。まず初心者には好きなようにやらせて、それから間違いを直していくのがいいんだ!」
黙っていた小悪魔には、チルノの言うそれが、誰か受け売りであることは容易に想像出来た。また、大妖精の言わんとしていたことは、間違い以前の間違いである、と小悪魔はわかっていたが、それは言い出せなかった。
そうこうしている内に、チルノはボールに牛乳を並々注いで砂糖を投げ入れる。
「まずは牛乳と砂糖をボールに移して、そんで……ちぇりやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
瞬間、ボールに霜が掛かり、凍った牛乳の容積はボールから溢れ出た。
「フラン、後はこれをかき混ぜて『あいすくりーむ』にするんだ」
鼻息荒く突き出された氷牛乳のボールを受け取ったフランドールは、右手でボールの端を掴み、左手に握られた麺棒を高々と掲げる。そして。
「とい!とい!とーい!」
フランはボールの中の頑強な氷に向かって、何度も麺棒を叩きつける。それを真正面から、険しい顔で腕組みの仁王立ちで見守るチルノ。
ちなみに、大妖精と小悪魔は、目前で起こっているこの出来事を、遠い彼岸の出来事を見るような目で見守っていた。
酒瓶一つを持って、日課である紅魔館の庭を巡るメイリンは、庭で賑々しく談笑しながらテーブルを並べ、クロスを重ねる作業中の妖精メイド達と遭遇。眺めてしばらくすると。
「あんまり気張ってやんなくていいよ、時間はたっぷりあるから」
「はーい」
メイリンは、そういう指示を出しているのが文と気付いて彼女に接近。
「あら、文さん、精が出ますね。ところで、何をしているのですか?」
「試食会会場作り」
はっきりと言い切った文に、メイリンは聞き返す。
「いえ、文さんが、ですよ」
「私?私は現場監督です。間違いが起こらないように目を光らせています」
言われた後で、庭での作業風景を横目に見るメイリン。
「……まぁ、文さんが現場監督なら間違いではない、ですね」
そんなメイリンの呟きも、文は目ざとく見付けたメイリンが持つ酒瓶への興味で聞き流していた。
「それが、さっき厨房で言っていた『すごいこと』になっているブツですね」
「もしかして、飲んでみたいんですか?」
またもや聞き返すメイリン。
「いやぁ~、仕事中ですから、そんなだらけた真似は出来ませんけど、でも気付けの一杯なら作業効率も上がるというもんでして」
にたにたと笑う文の口から零れるのはあまりにも遠回しな催促で、メイリンは少し考えた後で酒瓶を持ち直す。
「ちょっとだけですよ」
「手酌で失礼」
珍酒を期待して上機嫌の文は両手で受け皿を作ってみるが、栓を空けた酒瓶の口から漏れる匂いはあまりに強烈で、それだけで悪酔しそうだった。
そして、文から出た言葉が。
「なにこれ……」
驚く文の手に酒を注ぎつつ、メイリンは念を押す。
「ちゃんと飲んでね~」
そんな風に念を押すわりには、酒は手酌でも漏れないくらいの全くの少量。ただ、濁っていて、何か浮いていて、臭いが強くて、どうやら酒らしい物。
言った手前、文は今更止める訳にもいかず、さらに居候を始めてからというもの飲酒量は減る、もとい減らされる一方という事情と相俟って、こうなれば飲める内に飲むだけ飲んでやる、と決意を固めた文は一気に飲み干す。
味はよくわからなかった、味覚が感知できる範囲を超えていて、それでも表現するなら痙攣。ただ、胸が焼ける感覚が喉の奥まで昇ってきて、ねっとりと粘り気を含んだような糖分が五臓六腑にべたつきながらお腹に落ちた。喉が焼けて、お腹が重くて、声が出ない。
事情がわかっているので、メイリンは返答を待たずに手持ちの酒の説明を始める。
「簡単にいうと、度数の高いお酒にわざわざ辛さを隠し味にして甘味を足した物です。ただ、匙加減の桁が外れすぎていた上にそれらが合わさっての相乗効果は、今、文さんが体験した通りです」
説明からしばらく、文は顔色を三色に変化させつつ、ぜーはーぜーはーと深呼吸。
「これは、すごい。いや、その、えーと……駄目だ、他の言葉が飛んじゃった。ほんのちょっと現役を離れただけでこの体たらく、情けない」
「なんの現役ですか。まぁ、そんなに落ち込むこともないですよ。『あいすくりーむ』を味わう日程とも重なっていたというのもありますが、これはお嬢様も避けて通ったシロモノです。全身が異常を訴えたとしても、おかしくもなんともないですよ」
「う~ん、まさに劇物」
「あはは。ある意味、気付けには最適ですね」
「はは……、確かに。それじゃ、お互い自分の仕事に戻って頑張りましょうか」
大声で笑い飛ばしたメイリンに、乾いた笑いで返すことしかできない文。
「ええ。それじゃ、また」
メイリンは酒瓶の栓を塞ぎなおしてから去っていく。文はとりあえず手を振った。
ただ、文は新聞記者の現役からも退いていたせいか、はたまた酒の効果が強烈すぎたせいか、結局その酒を何に使うのか、という部分を聞かないまま別れてしまった。
余念なく『あいすくりーむ』作りに勤しむレティの隣に突如として現れた咲夜は、出てくるなり質問。
「一口タルトの台、それなりの数が焼けてきたけど、どうする?」
「どうって、ああ、そういうこと。
台の熱が取れたら、すぐにでも『あいすくりーむ』を詰めてもいいけど、タルトを冷凍保存する為の入れ物はあるかしら。夕食まではここに置いてもいいけど、試食会の間のそう長い時間でなくとも、『あいすくりーむ』を出しっぱなしにはしておけないわ」
「入れ物か。確かに考えてなかったなぁ」
「密閉した壷ほどでなくてもいいから、それなりに密閉しているもの。私達の方で寒気や冷気を込めるから、妖力に抵抗がないのをお願いね」
「タンスとかバスケットでもいいかしら」
「閉じられるならどちらでも構わないわ」
そうして着実に進む二人のいる、この半冷凍室に。
「咲夜ふちょおおおおおおおおおおおおおお!」
と、顔を腫らし、また痣を作った小悪魔が飛び込んで来た。
「小悪魔?ど、どうしたの、その顔?」
小悪魔は取り合わず。
「も、申し訳ございません。咲夜婦長、絶対に、絶ぇっ対に怒らずに聞いて下さい。ほんのしばらくの間ですから、レティさんをお借りしたいのですが」
「……とりあえず理由を言いなさい」
小悪魔は『あいすくりーむ』を譲って貰ったフランドールがメイリンにお礼をしたいといい、チルノの発案で『あいすくりーむ』作りを始めたところまで説明。
「そこまではよかったのですが、今やチルノが氷を作って、フランドール様が叩き割る。最早、何をやっているか御本人達もよくわかっていないような有様で。ですからレティさん、何卒、事態の収拾をお願いします」
黙って聞いていたレティから一つ質問。
「最初に凍らせたのは砂糖を混ぜた牛乳でいいのよね」
「はい」
「二回目以降は?」
「え?えっと。確か勿体無いとかでチルノが作った氷です」
頭の中をゆっくり整理するような間の後で、レティは断言する。
「なら、心配しなくてもいいわよ。あの子はちゃんと教えているわ」
「いや、ですから、その、一目だけでも現場を……」
「いやよ。第一、あの子なりに手順を踏んでいるし、多分、問題ないわ。一度戻って。それで、にっちもさっちも行かなくなったら、私を呼んで頂戴」
小悪魔は咲夜に助け舟を求めるが、咲夜は肩をすくめるだけだった。
小悪魔は諦めた。
図書館には、パチュリーが本をめくる音だけが残る。
レミリアは、彼女の後ろから手を回し、紫の髪に自分の顔を埋める。
髪の中で、髪の匂いを嗅ぐ。
そのまま本を読み続ける。
レミリアの鼻先が、パチュリーのうなじをくすぐった。
「レミィ、夕食前よ」
ちくり。
その頃、フランドールが『あいすくりーむ』作りに格闘している小さな厨房では。
穴だらけの壁、足元に散乱する器具やら壁の破片などなど。台の上に氷の塊。その前に額から血を流しつつ仁王立ちのチルノ、氷一つ挟んだ対面には氷を睨み付けるフランドール。
「はいあー」
フランドールの気合と共に氷の爆発。粉微塵となった氷の粒は部屋中に舞って風に流されていく。台の上には何も残らない。
その有様にフランドールは目を伏せる。
「やっぱり、ダメだ……」
「バカ!」
ぱちん、と音をたてて、チルノは弱音を吐いたフランドールを平手で打った。
しかし。
「なにすんだ!」
どかん、と反射的に思い切りフランドールに張り返されて、チルノは吹っ飛んだ。
青一色に見える程の回転をする風切る風車となってかつ、弾丸と見紛うチルノに、顔を腫らした大妖精が横っ飛びで飛びついた。が、しかし、勢いに巻き込まれて一緒に飛んでいく。
その行く先、しょんぼりして戻ってきた小悪魔が顔を出したところに、猛回転する二人が直撃。そして、妖精二人と小悪魔一人を飲み込んだ特大弾は壁を一枚打ち抜いてからやっと、勢いが消えた。
きらきらと舞う氷の粒と壁の瓦礫に彩られて折り重なったチルノと大妖精と小悪魔を目の当たりにしたフランドールは、口籠もりながら。
「あ、えーと……、大丈夫?」
折り重なる三人の一番下でつぶれている小悪魔。
「……やっぱり、どうにもなりませんよ」
尤も、そんなレティへの恨み言など耳に入らないチルノは、即座に立ち上がって一気にフランドールの前まで飛んでいく。
「まだ元気があるんだねー、んだったら再挑戦!」
凍気が空気を張り詰め、さらに凝縮。再び台の上に氷の塊を叩き付ける。
「でも、出来ないよ」
「なに、やめるの?」
「違うよ、作りたいよ。でも、出来ないの。氷をいくらどかーんってやっても『あいすくりーむ』が作れないの」
うつむいたフランドール。
今更?そう叫びたい小悪魔と大妖精。
すると、チルノは。
「そうだよ。フランがいくらどかーんってやっても『あいすくりーむ』は作れないよ」と平然と言ってのける。
「そ、そんな」
崩れ落ちるフランドール。
それに駆け寄る小悪魔。
「フランドール様、お気を確かに」
ところが、この時の大妖精は首を傾げた。
構わず、チルノの力強い語りが続く。
「確かに『あいすくりーむ』は作れない。でも、あたいはフランでも作れる氷菓子の作り方は知ってるよ」
「ほんと?」
チルノに向けて頭を上げるフランドール。表情は消えていたが、瞳には小さく、きらりと輝くものがあった。
そのフランドールの落ちた体の陰で、チルノを睨め上げる小悪魔の瞳は少しの不快感で濁っていた。
他方、誰の目にも留まっていない大妖精は密かに手を叩いて、一人納得してみせる。
そして、フランドールの前にそびえるチルノは、血塗れのまま胸を張る。
「うん。だから、まずは、どかーん、ってしすぎないこと」
小悪魔と大妖精、秘めた感情は違っても、今からスタートという事実には少しうんざりしていた。
「わかった!ぼかーん、ってやってみる」
希望いっぱいのフランドール。
「よぉーし、やってみろ!」
そう言い切ったチルノのお陰で、今は本当にスタートなのか、という不安が追加された大妖精と小悪魔。しかし、あえてそれは口にしない。
簡易半冷凍室。
木ベラを使って一口タルトに『あいすくりーむ』を詰める咲夜。
「あら、そんなことが」
出来上がったばかりの『あいすくりーむ』が入ったボールを咲夜の隣に置くレティ。
「そう。氷の塊をどういじったって『あいすくりーむ』は出来ないってことを理解してもらいたくね。正直、少し意地の悪い方法だったわ。でも、三ヶ月くらいかけて自力で答えを見つけた時のチルノちゃんの喜びようったらなかったわね」
「で、今はそれを真似ている、と」
「多分ね。落とし所は壊しているだけじゃ『あいすくりーむ』は作れないかしらね」
レティも木ベラに持ち替えて、タルトに『あいすくりーむ』を詰める手伝いを始める。
「くすくす……」
「あら、怒らないの?」
「まさか。身内とはいえ、他人の為に何かをしようとしている妹様が、その中でご自分のやり方や能力の限界を学ばれるのはとても素晴らしいことです」
「受け売りも多そうけど」
レティの軽口じみた懸念を聞いている間も、咲夜は流れるようにタルトへ『あいすくりーむ』を詰めていく。
「みんな何かしらの受け売りです。ただ、自分用の改良が加わって全く違って見えるだけです」
レティもタルトに『あいすくりーむ』を詰めていく。
「人間らしい物言いね」
「あら、妖怪でもそうではありませんの?」
レティの手が止まった。一口タルトに目を落としたまま。
咲夜の作業音しか聞こえない時間と空間。この時、レティは寒気の乱れを感じ、咲夜はレティが背後を気にする気配を察する。
「……どうかしらね」
それだけ言って、レティは手を動かし始める。咲夜は変わらぬ速さで手を動かし続ける。
そして、二人の間に文が沸いて出る。
「文ちゃん、何か用」
タルト作りに勤しむ二人に歩いて近づく文は、目をらんらんと輝かせながら。
「あー、いえいえ、続けて下さい。何やら含蓄のあるお話が続いているようなので、私は聞き役に回ります。ささ、どうぞ、どうぞ」
声色だけでも好奇心のほどが透けて見える台詞の後で、レティの唇から小さくため息が零れる。咲夜はそれを横目で見る。
レティは作業を中断して振り返る。
「どうでもいいけど、試食会場の準備はどうなったの?」
「任せてください。みんながやる気を出してくれるからもうすぐ終わります。その途中報告です」
文は太鼓判で判を押すように自分の胸を叩いて答える。
「あ、そう」
それだけ言うと、レティは再びタルトに『あいすくりーむ』を詰める作業に合流する。
変わって、動かす手と姿勢をそのままに、咲夜は応対する。
「へぇ、めずらしくやる気なのね。逆に不安になるわ」
「はっはっは、ご心配には及びません。野外の寒さなんて一目で吹っ飛ぶくらいのをこしらえてみせますって」
すると、今度は咲夜が手を止めて振り返り、文をじぃっと見詰める。
「冗談よね」
愉快さをまるっきり感じない咲夜の物言いと瞳。
「え?何が、です?」
しかし、文の全く心当たりがない様子は言葉にも顔にも出ていた。
すっかり冷えきった視線を投げかける咲夜は、同じくらい冷めた言葉をぶつける。
「頼んだのは屋内よ」
文、目を白黒させてから。
「え?ええ!」
文の落ち着くのを待たず、咲夜は畳み掛ける。
「どこまで出来ている」
「は、八割く……」
言い終わるのを待ってもいられない。
「レティさん、私はこれから外に行ってきます」
返答を待たず、咲夜の存在は部屋から消えた。
「はい、行ってらっしゃい」
咲夜が消えた後の送る言葉は、寒い部屋に消えた。
その後で。
「あ、あの、私は何を……」
「……じゃ、手伝って」
紅魔館の正門を背に、雲を数えて時間を潰すメイリン。両手には何も持っていない。
「暇っていいですね」
独りつぶやくメイリン。だが、その時、察した気配が彼女を正面に向けさせる。
メイリンの見る先に、小さな人影。湖から照り返す光がその人影をゆらゆら揺らす。
近づいて来る人影がはっきりとした像を結び始める。しかし、それでもふらふら揺れている。それは千鳥足だから。
もっと近づいて、具体的に見えた相手は、メイリンの半分くらいの身長と、それに見合った細い体の少女。しかし、たっぷりと蓄えた髪から二の腕よりも太く長い角を二本生やしている。
この少女、鬼、伊吹 萃香。歩くごとに酒を飲んで酔いに磨きをかけ、メイリンにぷらぷらと手を振りながら無造作に寄ってくる。
「うぇっぷ。おーい、なんか楽しいことすんのかー」
微笑にため息が混じるメイリン。
「熱気を嗅ぎ付けてきましたか。でも、身内だけで楽しみたいからお引取り下さい」
「おう、それじゃ、お勤めご苦労さん」
ぷらぷら振っていた手を適当に上下に振って労った後で、萃香はそのまま通り過ぎようとする。しかし、鬼の行く手をメイリンが塞ぐ。
「おい、どかねぇなら、でけぇおっぱいから乳を搾り尽くすぞ」
飲兵衛が振りっぱなしのだらしない手が伸びる。メイリンは伸びてきた手に自分の手を添えて、軽く握り込む。
萃香の、飲んだくれて閉じかけた目が、意思を以って据わる。
「何しているのか、わかってる」
萃香は腹の奥から響かせる声を、わざわざ小さい声量で絞り出す。
そして今、メイリンは手に圧力を受ける。
「ええ、ここからでも気を放つことは出来ます」
メイリンは表情も声色も変えず、いつも通り応じる。
しかし今、萃香は掌に熱を感じる。
「私が握り潰すか、お前が撃ち抜くか」
「あの、そんな物騒なものではなくて、もっと簡単な勝負しません?弾幕ナシで、先にイイのを一発入れた方が勝ち、でどうでしょう」
真意を見極めるように睨み付ける萃香。自分の本音を表すように目を見開くメイリン。
遠くに喧騒、妖精メイド達の声。
果たして、萃香は握っていた手を外に振り切り、ひょうたんを腰に収めた、同時にメイリンの手を振り解きもした。
「あんたが負けたら、騒いだ後にあんたを持ち帰ろうかな」
幼い萃香の顔には、唇だけを歪ませた笑みが刻まれる。
「わかりました。私が勝ったら、それ相応のことはしてもらいますよ」
メイリンも笑う、ただ、にっこりと。
そして、互いに正面の相手を見据えながら、一歩、二歩、三歩、後ろに下がる。
五、六、七歩目で、止まる。
見合う。目から全身を見る。
拳を軽く丸める。
呼吸が浅くなる。
館の喧騒。けれど、耳に入らない。
踏み込みに地面を擦る音。今や焼ける程の音色。
じわりと、萃香の姿勢が前に傾いていく。
それを見取ったメイリンから。
「そんなに出たいんですか、お酒でないのに」
萃香は目を剥いた。
それはメイリンの言葉が萃香の心の奥に入り込んだ一瞬に、メイリンもまた、緩く見える一足跳びで萃香の間合いに入り込んだ。
殺気のない動きに萃香が出遅れた。
狙うは返しの一撃。飛んできたメイリンの一撃は手刀、頭突き、何でもいいから叩き潰せば、イイのを貰った事にはならない。
勢い、速さ、それが込められた全てを力で叩き落す構えを取った萃香に、メイリンは速さも勢いも何も無いままに両手を伸ばす。それはどうしようか、萃香が悩む刹那の間に、小さい両肩にメイリンの両手がそっと手を置かれた。
それから、静止。
迎撃の態勢のままで固まる萃香。
やわらく触れたまま動かないメイリンから。
「まだ、イイのはいれてませんけど……」
萃香は思う。
後ろに押される。前に倒される。下に落とされる。上に引っこ抜かれる。その後で、イイのを叩き込まれる。どうしても、先手は譲ってしまう。
なら、出てくる言葉一つだけ。
「……参った」
「はい」
メイリンは触れた時と同じように手を離す。
それからすぐ、萃香は真後ろに倒れて、大の字に寝転んだ。
「約束だ。さあ、煮て食うなり焼いて食うなり好きにしろ」
観念して目を閉じて、次を待つ萃香。
だが、待てど暮らせど、メイリンからの沙汰はない。
堪らず。
「どうした。仮にも鬼との殴り合いで勝ったんだ、敬意を持ってどんな無茶でも聞いてやるぞ」
しかし、何もない。
なんでだろう、と目を開けて体を起こした萃香。いつの間にか正門の裏手を漁って一升瓶を持ち、ニコニコ笑うメイリンが目に入る。
「酒?」
「はい。お酒です」
メイリンはそう言いながら萃香の目の前まで来て、屈んで同じ低さに目線を合わせてから一升瓶を差し出す。
萃香は手渡された後で。
「私に?」
「もちろん」
萃香は一升瓶を前に、眉をひそめる、首を傾ける、頭を掻く、そして最後に聞き返す。
「毒とか、入ってる」
「いえ、『凄い』お酒です。凄すぎて口に合うのが鬼ぐらいしかいないと思うので」
にこやかに語るメイリンを前に、萃香もとやかく言うのをやめて渡された酒瓶を眺める。
「ふーん。どれどれ」
メイリンがあっという間もなく、萃香は酒瓶の栓を抜いた。その次の瞬間にはもう、鼻に突き刺さる臭いの結界が組まれていた。
何度か嗅いだことのあるメイリンでも慣れずに少し強張るにも関わらず、萃香は涼しい顔で飲み口から中を覗き込んで、間を置かず、飲み口をくわえて、ぐいっと上に傾ける。
ごくん。
ごくん。
二口、喉を通った後、酒瓶の傾きを下に。そして、飲み口から解放された萃香の唇から飛び出した第一声は。
「まずい!……もう一杯」
そう言って再び異臭の源で喉を潤すこと二口。
「ほんと、まずい!」
しかし、口は緩んで、つられるように目は蕩け、鼻はらんらんと歌っている。
「信じられねぇくらい下品な味だな、こいつは」
栓を閉めつつ、改めてメイリンと向き合う。
「いいよ、なんでも言いな。こいつの分も込みで願い事、聞いてやるよ」
「そうですね。まず、このまま黙って帰って頂くのと、あと萃香さんの散らす力で他の来客がないようにして頂くので、勝った分とお酒の分でちょうど二つですね」
すると、萃香はすこし酔いが覚めた様子で口を開く。
「おい。ちょっと待て、宴会に乱入させろ、お前を持ち帰らせろ、これで私の願い事は二つ分。お前が最後に寄越した酒の分が入ってないよ」
「いやだなぁ、その前に私が手前勝手に決めたルールを呑んでくれたじゃないですか。あれを一つ分で、私のお願い事は計三つですよ」
メイリンの笑い飛ばすような物言いに、萃香は苛立つ。
「ルール分なんてお願い事に入らないっての。大体、鬼相手に素手でやり合おうって時点でどうかしてるんだから、ルール分は、そうハンデよ、ハンデ。という訳だから、なんかお願い事があるなら言ってごらん」
今度はメイリンが頬を掻く。
「う~ん、お嬢様にご相談しないとなんとも」
「相談?何言ってるの?駄目に決まってるでしょ」
「な、なんで、ですか」
真顔で聞き返すメイリンの目の前で、大きなため息を漏らした後で萃香は立ち上がり、屈んでいるメイリンに詰め寄る。
「お願い事は館のことばかりで、私を負かした本人の至極個人的なお願い事は何もないのか、って言ってるんだよ!」
メイリンは萃香に合わせて立ち上がりつつ、考え込む。笑顔がなりをひそめた表情は真剣に考えている証だった。
そして出た答えは。
「やっぱり私はいいですよ」
「だったら、お前を持ち帰る!」
即答にして、あまりな内容にメイリンはたじろいだ。
「な、なんでそうなるんですか?」
「黙れ!三つの内二つしか願い事を言わないってのなら、余った一つ分は私の要求が通るってことだから、お前の至極個人的なお願い事を言わない限り、私はお前を持ち帰る!」
「そんな無体な?!じゃ、じゃあ、私を攫わないで下さい」
咄嗟に出たメイリンのお願いに萃香は一時停止、ついでに表情がまるまる消えている。
「ふぅ」
一息ついた萃香は、貰った酒瓶を地面に置く。
「くぅのー!」
気合と一瞬の早業、萃香の両手がメイリンの乳房をぎゅっと鷲掴み。
これも早業で萃香の手を振り解いて飛び退いたメイリン。
両手を突き出したままの萃香に、両腕で胸を覆い隠したメイリンは叫ぶ。
「な、何するんですか!萃香さんのエッチぃ!」
「うっせい!今のはデモンストレーション。攫った後は恥辱を中心になぶるからそのつもりでいろ!そんな目に遭いたくなかったらさっさと願い事を言え!」
理屈など二の次で、勢いで全てを貫き通そうとする萃香。
仕方なしに必死に考えるメイリンは、何度も萃香の顔を窺っては、あさっての方向に視線を投げては思案を続ける。
しかし、そうする内に、メイリンの様子は変わっていった。
顔を窺っていただけなのが、いつの間にやら目を合わすようになり、あさっての方向を見にいくだけだった視線は、ぎこちない仕草で萃香との目線を逸らす類に変わった。最もおかしいのはメイリンの表情、悩んで思考がこんがらがった苦悶を滑稽なくらいに滲ませていたのに、今はわかっているが故に困惑しているとでも言いたげな表情をしている。
また、顔で変化があったのはそれだけではない。目を合わせる都度、メイリンの頬は紅潮していき、決意を固めてしっかり萃香と向かう頃には、頬のそれは髪のそれよりもずっと赤かった。
そして、メイリンは。
「す、萃香さんがそうい……あ、いえ、えと、わ、私、萃香さんと、キス、しま…じゃなくて、したい、です……」
そんなお願いを、メイリンは顔を真っ赤にしながら、何とか口にした。
だから、萃香は、笑顔で、メイリンに、びんた。
直立していたメイリンは、地面に接していた足の裏を支点にして横倒し、これ以上ない勢いの所為で左半分が地面に埋まる。
萃香はさらにメイリンの胸ぐらを掴んでメイリンを地面から引っ張り出す。この時、メイリンは思い知る、萃香は笑っていたのではなく、それぐらい顔が怒りに引きつっていただけだった、と。
「正直に答えろ、絶対怒らないから。お前、私のことをどう思った?」
メイリンは申し訳なさそうに。
「萃香さんは、私の事が好きなのかなって」
萃香の表情筋が歪みのあまり千切れるのではないかと、メイリンが心配した直後。
「あほかー!」と、怒号が響いた。
これにより、紅魔館の正門側の窓ガラスが七枚割れ、湖はさざ波が立った。
それから、メイリンの耳が聞こえるようになってから、萃香はここぞと問い詰める。
「よーく聞け!お・ま・え・が・そーゆー風に私を求めるってンなら、今すぐにでも言われるがまま痴態を晒す『紅 美鈴の可愛い伊吹 萃香』になってやるさ!
だが、勘違いの中身もさることながら、よりにもよって勝った側のお前が、負けた側の私を気遣って、私と接吻してあげるのがお願いだとぉ、面と向かってここまで鬼を馬鹿にしてくれるとは幻想郷に戻ってきて初めてじゃねーか、あぁん!」
「すいませんすいませんすいません、出来心なんです、悪気はなかったんです、すいませんすいませんすいません……」
「だから謝る暇があったら願い事を言えってのがわかんねーのか」
すると、メイリンは沈んだ顔に、さらに申し訳なそうな表情も重ね塗り。
「あるにはあるんですけど……」
「なんでもいい、言ってみろ」
言った後で、萃香は投げやりすぎた自分の物言いに少し反省。もっとも、メイリンは気付くことなく。
「館の今日の催し、外でやるようなものとは思えないのに、外で用意してるから、もし間違いだったら、中の準備、手伝って、ほしいんです……けど…」
何かされる覚悟を決めているメイリンだが、聞くなり萃香はメイリンを投げ捨てる。
思っていたよりも軽い仕打ちに驚いたメイリンは、萃香の姿を探す。そこには、がに股でどかどか紅魔館に歩いていく萃香の後ろ姿があった。
正門を通り抜ける萃香は、メイリンに聞こえないように。
「くそ、切実なお願いをちゃちゃっと片付けて度肝を抜く、ってーのも鬼の楽しみだっつーのに。もっと我欲をぶちまけろってんだよ。張り合いのねぇ」
その時。
「同感ね」
声がした、正門の裏から。しかし、萃香が振り返って見ても、そこには誰も居ない。
小さな厨房にて。
微弱な光のベールに包まれる台の上、頭二つ分はある大きな氷。
光のベールの内側、フランドールが氷に手をかざす。
ベールの外側、フランドールの右に小悪魔、左に大妖精、対面にチルノが、同じように手をかざしている。
フランドールはその手を、ぎゅっと、握る。
氷の爆発。光のベールはあっさり破れて、チルノ、大妖精、小悪魔が吹っ飛ぶ。フランドールもまた、かざした手に無数の切り傷。
もんどりうって倒れてもなお即座に立ち上がった小悪魔の第一声は。
「大事ないですかフランドール様」
「平気」
フランドールの傷は即座に塞がる。
「パワーがありすぎます」
大妖精の言葉にうなずきながら、フランドールは感覚を一つ一つ探る。
「そう、糸を一本一本裂くように」
「よし。んじゃ、新しい氷作るよ」
チルノが宙に作った氷を台に叩きつける。フランドールは、氷に集中していた。
簡易冷凍室に戻ってきた咲夜。
「おかえり、タルトは私達で大体すませておいたから」
すぐに答えが返ってこない、咲夜との雑談に興じていたレティはそれに気付いた。ただ、文がそれに気付く訳もなかった。
「それで咲夜さん、外の……」
文は、咲夜に睨まれる。
「いつまでもこんなところで油を売ってないで早く仕事に戻りなさい!」
「は、はいぃ!……ぅう、怒鳴られてばっか」
咲夜の激しい剣幕に追い立てられ、部屋から出て行く文。
その様子を見ていたレティは、ぽつり。
「ちゃんとやった子を怒鳴り散らすのが貴女のやり方?」
レティに鋭い視線を投げつける寸前、咲夜は大きく息を吐いて脱力、こうして視線の棘を抜いてからレティに応える。
「……いやななじり方しないで下さい、お願いですから」
「何に怒っているのか知らないけど、自覚があるなら謝っといてね、あれ、チルノちゃんの居候なんだから」
「心得ております」
本が居並び、薄い光量で室内を照らす図書室。
本を抱いてソファーの上に横たわるパチュリーは言った。
「静かね」
彼女の爪先の向こうに座るレミリアも言った。
「それなりに、ね」
会話が途切れる。
聞こえてくる、紙が擦れる音よりも小さい外の音。
レミリアはソファーから立つ。パチュリーは横になったまま、すぐそこで体と羽を伸ばすレミリアの背中に話しかける
「そういえば、夕食会とか色々あったわね」
レミリアは声の方に向き直る。
「出られる?」
逡巡する間があった。
「やめとく。大事をとって休む」
噛み締める間があった。
「じゃ、私は楽しんでくるわ」
ただし、次に間はなかった。
「行ってらっしゃい」
肩を落として館内を歩く文。その向こうから、縄でつながれて、やや正方形のシルエットを形作った五棹のタンスが、幼い女の子そのものの女の子に背負われて近づいてくる。
面識のある文は、真っ先にその少女の名を呼ぶ。
「萃香さん、何をしているんですか?」
「ああ、元・ブン屋か。約束でね、屋内の宴会準備を手伝っているんだ」
「それじゃ、萃香さんも今日の試食会に出席するんですか?」
「いや、出ない。そーゆー約束だし、タダ酒の出ない催しには興味ないし」
「はは、らしいというか、なんというか」
「にしても、なんでかねぇ。外で準備していたモンを中でやるのは?」
「なんで、でしょうね」
文は口籠もった。尤も、萃香は気にもせず。
「ところで、妖精の使い走りになったと聞いたが、噂なんて当てになんないな、吸血鬼の女中をやってるんだから」
「え、ええ、まあ、そういうことで」
「あら、いいことを聞いたわ」
間近に聞こえた三人目の声に、文と萃香の視線が集まる。目元に怪しい色をにじませて微笑むレミリアがそこに立っている。
硬直して動きが止まった文に、レミリアは早速命令。
「着替え、手伝え。ちなみに粗相したら、ただじゃ済まさないから」
「ひ、ひぇぇぇ~」
「なんか立て込んでるみたいだから仕事戻るわ」
「萃香さん、行かないでぇ~」
しかし、文の願いむなしく、萃香は離れていき、間をおかずレミリアに頭をわし掴みにされた。
小さな厨房でのこと。そこで、音のない破壊が行われた。
少女の手がかざされてからしばらく、一つの大きな氷の塊が、まるでたっぷりの水を含んだ風船を割ったように、破裂した途端、滴のような氷の粒が台の上に降り注いで、あっという間に氷の平地を作った。
「できた……」
手をかざした少女、フランドールは、伸ばした手で氷の砂を摘む。細かく小さい氷の粒は、フランドールの指から零れ落ちていく。
フランドールは両手で氷の砂山から掬った粒を、勢いそのままに宙へ投げ飛ばす。全部がキラキラ輝きながら、ゆっくり舞い降りてくる。
「できた、できた、できたー!」
「よっしゃー!さっすがフラン」
真っ先に喜びを分かち合うチルノ。しかし、小悪魔は素直に喜んではいない。
「フランドール様、おめでとうございます。ですが、出来上がった氷でそのようなことをなさるのは……」
そんな小悪魔の懸念を、大妖精は払拭する。
「いいの。その氷は練習用で、埃とかゴミとか混じっているから美味しくないから」
「え?それじゃ、美味しいかき氷は?」
「大丈夫。ろ過した水で氷を作ればいいだけだから」
その時、氷と戯れるフランドールの手が止まった。
「それ、本当」
「はい?」
大妖精と小悪魔は、自分達に向けられた言葉とは気付かなかった。
「何が何が?」
チルノが乗ってきたので、フランドールは質問する相手をチルノに変える。
「美味しい水で美味しい氷を作るって話」
「うん、そうだよ」
「だったらさ、美味しい飲み物で作った氷なら、美味しいかき氷になるんだよね」
「必ずしも美味しくなる訳じゃないけど……」
大妖精のささやく様な意見も。
「よし!それ、やってみよう!」と、声を上げたチルノの勢いの前にかき消された。
今度はフランドールが乗っかる。
「それなら作りっぱなしの紅茶があったから、それ使おう」
小悪魔は、『作りっぱなしの紅茶』という単語に、何かが引っ掛かった。が、しかし。
「まかせとけー!」
やはり、チルノの勢いが押し流していった。
零れるくらい光溢れる大広間。
袖もスカートも短く、厚みも少ない、より軽い衣装のレミリアは、背後に五棹のタンス、正面のテーブルには二口で食べきれるサンドイッチとほぼ緑単色のサラダが並ぶ。眼下のあっさりしすぎた夕食は、今夜の主役が誰かを物語る。ホールの両壁際で控える妖精メイド達は、声も漏らさず、直立でレミリアを見つめる。
そして、レミリア。
「長い話をしては興も削がれるでしょう、だから一言だけ……」
息を吸う。
「楽しめ!」
大音量のステレオでホールを揺らす、「はーい」の声。
器に盛られ、ほんのり薄紅色に色付いた細かい氷が作る、小さな山。その山はねっとりとしたガムシロップに包まれて、細かい氷の煌めきと、シロップの滑らかな輝きが冴える。それが四つ、盆の上に並ぶ。
「かんせーい!」
額から流血のチルノの宣言。
「やったー!」
顔が腫れ上がった大妖精の歓声。
「おめでとうございます、フランドール様!」
同じく顔が腫れた小悪魔の祝辞。
「うんうん……」
綺麗な顔のフランドールは何度も頷きながら、何度も噛み締める。
そして、フランドールの伸びた手はチルノと大妖精を包む。
「あの、チルノ、大ちゃん、本当に、ありがとう」
「どういたしまして」
「こんなの朝飯前だよ。ほら、早く行った。あたいはレティと一緒に行くから」
フランドールは握っていた手をカキ氷の乗ったお盆に持ち替える。
「うん。行こう、小悪魔」
「はい!」
勢いよく出て行った二人。彼等の足が遠ざかって、あんまり聞こえなくなった後で、チルノは直立姿勢のまま、倒れた。
髪や羽や服の所々が少し焦げている文が、息を切らせながら館を彷徨う。
「やっと、『あいすくりーむ』が食べれる」
そう自分に言い聞かせた文が通路を曲がると、同じく曲がろうとしてきた小悪魔とフランドールの二人と鉢合わせ。
「あ、チルノのとこのいそーろー」
「文さんですか?すいませんが……」
「もう勘弁してくださぁい!」
文は途端にうずくまってしまった。
小悪魔は戸惑い、フランドールにしてみればどうでもいい。
「な、なんですか、ノーレッジ女史がどちらにおいでか伺おうとしただけなのに」
フランドールはともかく、小悪魔が大妖精と同じくらい無害な存在であることを、文は思い出した。そして目に入った小悪魔の顔は、ぼこぼこ。
「こ、ここ、小悪魔さん。どーしたんですか、その顔ぉ?」
「それはいいですから、ノーレッジ女史はどこですか?」
「あ、え~と、図書館で寝ているみたいなことを、レミリアさんは言っていました」
小悪魔は腕組みをして考え、一人で納得。
「……ああ、そういうことですか。
すいません、フランドール様。ノーレッジ女史の分は私が持っていきますので、フランドール様は夕食会場へ」
「ん、わかった」
自分のことをあんまり気にしてもいない二人の態度に、文は落ち着きをとり戻した。
「その、うちのご主人様ってどこでしょう?一人で『あいすくりーむ』を食べたら色々言われそうだから探しているんですけど」
「それならここの突き当たりを右、左、右のまっすぐ右手にあるお茶用の厨房にいますよ」
「そうですか、ありがとうございます」
力なく遠ざかっていく文の後ろ姿に不安は拭えない小悪魔だが、今は自分のやるべきことを優先する。
カキ氷を一つ手にとって。
「では、フランドール様、私はノーレッジ女史に届けにまいります」
「あ、ちょっと」
呼び止められて、足を止める。
「手伝ってくれて、ありがとう」
「……はい」
ホールで、皿に盛ったサラダを食べ終えたメイリンは、壁に背を預けて、夕食会兼試食会の、特にタンス前での賑わいを眺めている。
刹那のこと。皿に音、目を落とせば並ぶのは、ごろんと転がる大きなおにぎり。目を上げて直ぐ、咲夜の険しい視線とかち合った。
「咲夜さん」
「作ってあげたわ。食べなさい」
「ありがとうございます。『あいすくりーむ』もいいんですが、やっぱり別腹扱いにしないと体が受け付けないようでして」
メイリンはお礼と一緒に作った満面の笑みをそのままに、おにぎりを頬張る。
鼻でため息をした咲夜。
「メイリン、これだけは言わせてもらうわ。身内に変な気遣いをするのはやめて」
食べる手を止めて。
「あの、変な気遣いってなんでしょう?」
言い換える。
「もう少し我が侭を言いなさい」
「言ったって聞き入れてくれないじゃないですか」
「それでも言いなさい。いいわね」
「その、よくわかりませんけど、心配かけてすいません」
その態度を改めて欲しいが、怒鳴るのはやめた。
「せめて、最後までゆっくり楽しみなさい」
「あ、それならわかります」
メイリンから離れた咲夜は、主であるレミリアの姿を探す。しかし、見付かったのは咲夜の方。
「咲夜、探したわよ」
「申し訳ございません、お嬢様」
「侘びはいいから頼まれて頂戴」
「何でしょう」
「パチェが来られないから、あの子の『あいすくりーむ』の取り分、確保しといて」
すると、咲夜は少し考えた。
「お嬢様、夕食前というのに」
「聞こえないわよ咲夜。でも、ちゃんと申し付けておいたからね」
「……御意」
ベッドの上で、チルノは目を覚ます。
暗い。それでも、枕元にいる相手くらいはわかる。
「大ちゃん」
「あ、チルノちゃん。よかった」
大妖精が安堵のため息を漏らすのと同じころ。
「ただいまー」
「ただいま戻りました」
チルノは頭だけ起こす。
「レティ、いそーろー」
チルノの目に映るレティはサラダとサンドイッチが乗った大皿を、文は水の張った桶を持って部屋に入ってきた。
「ここ、どこ」
レティが、大妖精の佇むすぐ近くの机の上に料理を並べながら答える。
「紅魔館よ。一部屋貸して貰ったの。それにしても、大ちゃんから聞いたわよ、頑張ったわね」
「うん」
すると、レティと大妖精がいる反対側の枕元に回り込んだ文は、桶を置いてタオルを絞る。
「レティさん、変に誉めたりしない方がいいです。あんな危ないこと、天狗だったら絶対にしません」
文はそういうと、絞ったタオルを折り畳み、チルノの額に置く。そんな文に、チルノは。
「ねぇ」
「なんですか」
「『あいすくりーむ』、食べに行かないの?」
文は言葉に詰まったが、すぐに切り返す。
「一人で行って、後でそのことをぐちぐち言われるのは嫌ですからね」
ベッドの中のチルノは、ぽつりと一言。
「怒んないよ。楽しみにしてたの、知ってるし」
「あら、嬉しいこと言ってくれますね。でも、こういう催しはみんなで楽しむのが一番なんです。それに私、胡散臭いで通ってはいても、薄情で通ってはいませんから」
「ごめん」
「謝るなら私じゃなくて、そっち」
文はベッドの反対側を指差した。
「大ちゃん」
すぐそこにある、見慣れた顔の、腫れた顔。チルノは手を伸ばして、大妖精の腫れた目尻から頬を撫でる。
「大ちゃん、ごめん。あたいの思いつきに巻き込んじゃって」
すると、大妖精は親指と人差し指で輪っかを作って、チルノの額を弾いた。
チルノはしめった打撃音を響かせた額を押さえる。
「これでお相子」
「え、でも……」と、いい終わらぬ内に、大妖精の肩口からレティが顔と一緒に口を挟む。
「ところでチルノちゃん、夕食はどうする」
チルノから見て頭上にその皿が並んでいる。
「ごめん、今はいいや」
「そう」
チルノは視線をすぐ隣に移す。
「ねぇ、大ちゃん。余ったの、どこ」
「ここにあるよ」
レティが並べた皿に除けられて隅に追いやられた小さなガラスの器に手を伸ばし、紅茶のカキ氷を手に取る大妖精。
「いそーろー、それ、レティと一緒に食べていいよ」
レティと文の視線が大妖精の手の上に集まる。
「私達が食べていいんですか」
「うん。試食であたい達は一口二口食べたし、それに今、味とかよくわかんないし、口もしみるし、味がわかる人に食べて欲しいの」
「チルノさん」
腫れて片目が塞がったチルノの瞳を見つめる文。それに代わって、レティは大妖精が手にしているカキ氷の器をその手に包み込む。
「一個しかないけど、あたいとフランと大ちゃんとこーちゃんと四人で作ったのだから」
「わかった。有難く頂戴する」
そうして、レティはスプーンで切り崩した紅茶のカキ氷を口に含む。そっと目を閉じて、カキ氷を舌の上で転がす。
目を開けたレティは、またスプーンで掬って、今度はチルノの上を越えて文に届ける。文は開けた口でスプーンを受け取った後、レティから差し出されたカキ氷の器も受け取る。
その後で、レティは真下のチルノと目を合わせ、満面の笑み。
「本当に、頑張ったのね」
「うん」
チルノはうなずくと、すぐに目を閉じた。チルノは、再び眠った。
それを見守った後で、レティは視線を大妖精に向ける。
「大ちゃんも一緒に作っていたのよね」
「え?はい」
「貴女も横になったらどうかな」
そこに飛び込んできたのは文の言葉。
「そうですよ。大妖精さん、大事をとってそうしましょう」
「でも」
「まあまあ、私達で一人ずつ看病するし、氷菓子ならこのカキ氷で充分よね、文ちゃん」
「え、ええ、まあ」
「なら、そうさせてもらいます」
押し切られた大妖精はチルノの隣に横になる。間もなく、大妖精も眠った。
二人が眠ったのを確認してから、レティと文は互いに見合う。
「さて、どうしたものか」
レティはそういってカキ氷を見る。
「はい、どうしたものか」
文も、カキ氷を見る。
紅茶のカキ氷の器を持った小悪魔は図書館を訪れて、ソファーに深く腰掛けるパチュリーに近付く。彼女の近くの机には、サラダとサンドイッチの乗った大皿が一つと、大きなバスケットが一つあった。
「ノーレッジ女史」
「あ、小悪魔。よかった、貴女を待っていたのよ」
「はい。で、あの、この料理は、一体なんでしょう……」
「咲夜が持ってきてくれたのよ、って」
その時、パチュリーは小悪魔の持っているカキ氷を見つける。
「それは?」
「フランドール様からです。『色々とありがとう』だ、そうですよ」
「あら、珍しい。というより、初めての経験かしら」
「その為に厨房一つ潰してしまいましたけど」
苦笑いの小悪魔。
「いいんじゃない。レミィも怒ることはないわ」
微笑むパチュリー。
「そうだとよろしいのですが」
引き摺る小悪魔に、パチュリーは命じる。
「ねぇ、コーヒーを淹れて」
「え?ですが、お時間的には」
「いいから、楽しみたいのよ、両方」
パチュリーは紅茶のカキ氷を指で叩きながら言った。
会場出入り口付近で中の様子を伺っているフランドール、用事を済ませた帰りでそんな後ろ姿を見掛けた咲夜は、そのまま尋ねる。
「どうなさいました?」
ゆっくり振り返ったフランドールは、言葉を詰まらせながら答える。
「あ、あの、メイリンとお姉様、どこ?」
フランドールが向き直って、盆の上に乗った三つのカキ氷の存在に気付いた咲夜は、「ああ」と唸ってから。
「そういうことでしたら、御三人でゆっくりできるよう別室をセッティングします」
「待って」
咲夜は服の裾を掴まれた。
「一つは咲夜の、なの」
「私の?」
それから咲夜は考えた。
「わかりました。お嬢様には私が届けておきます。カップ一つなら、目立ちませんよ」
「うん」
カキ氷二つが乗った盆を受け取って踵を返した咲夜に。
「待って咲夜」
「はい、なんでしょう」
フランドールは一度伏せた目を上げてから。
「あの、いつも、ありがとう」
「……はい、どういたしまして」
「お嬢様」
「あら、咲夜。私は新作を持ってくるようには言ってないわ」
「仰せ付かった用事は済ませてあります。これは妹様の用事です」
「フランの?」
「はい」
口を動かしながらも、盆の上のカキ氷を一つ、レミリアに手渡す。
「妹様の手作りです。それと伝言も承りました『たまにありがとう、お姉様』です」
レミリアは、妹の作ったカキ氷をまじまじ見つめる。
「咲夜も」
「はい」
笑顔で答える咲夜は、一言付け加える。
「こればっかりは欲しいとおっしゃられても差し上げませんので、あしからず」
「言わないわよ。そこまで我が侭ではないわ」
伏せ目でカキ氷を突き出すフランドール。その相手はただただ目を丸くしている。
「メイリン、『あいすくりーむ』ありがとう。これ、お返し」
「これを、私に?」
フランドールはうなずく。
「ありがとうございます。ああ、なんか、食べるのが勿体ないなぁ」
「た、食べて、お願い」
必死なフランドールにメイリンは恐縮する。
「あ、すいません、変な言い回しで。もちろん、おいしく頂きます」
そして同時に、レミリアが、咲夜が、パチュリーが、メイリンが、スプーンで掬ったカキ氷を口に含む。
全員の口の中、ガムシロップの味も紅茶の味も突き破って、錆びた鉄の味が爆発した。
”「その、うちのご主人様ってどこでしょう?一人でを食べたら色々言われそうだから探しているんですけど」”
誤字なのかな?
とてもよかったです。
次回にも期待してます!
あえて血を鉄の味と表現するところが何とも。
文がチルノの居候っていうのは、「仕様」ですよね。
でも、話全体からすると、そんなことどーでもよくなってしまいましたが。
まあそれはともかく、よく頑張った、四人とも!
味は・・・レミリアは錆びた鉄の味は苦にならなくても、大量のガムシロと作りっぱなしの紅茶はきついかな(苦笑
でも、食べたいと思わせるね!
すっごく面白かった!
さあ!それでは夜伽のほうで西瓜のめーりん攫い話を書く作業に入ってくれ!
そして文はヘタレイヴン街道まっしぐら!
意外と多かったのでちょっと欝。
疲れたので、次はもっと短いやつにします。
台無し感が素敵。
いいはなしだなー。
額血まみれなのに、頑張ってるよなあ……。
レティさんのあいすくりーむ食べたい。
タルトにしても美味いんだろうなー。