スキマから出ると、古ぼけたお屋敷の前だった。その大きさに圧倒され、思わず顔を見上げてしまう。
「すごい大きい」
玄関の側に立っている石造の柱に植物のつたが絡みついている。庭の雑草は伸び放題だ。
「お母さん、このお屋敷汚いね!」
わたしから少し遅れて母がスキマから現れる。その母に言った。
「そうね、でも昔は吸血鬼も住んでいて、とても綺麗な館だったのよ」
「ふ~んそうなんだ、じゃあ今その吸血鬼さんはどうしているの?」
なにげなくした質問に母は少し動揺したような素振りを見せ、声の調子が低くなった。
「……あなたが生まれた頃にいなくなってしまったわ。さあ、そんなことよりはやく中に入りましょう」
「うん」
母と手をつないで、廃墟のような、幽霊が潜んでいるような館にわたしは足を踏み入れた。
なぜかこのお屋敷には窓があまりないようで、昼間だというのに薄暗い。母と手をつないでいなければ、とてもじゃないが進む気になれない。
天井は剥がれ、壁にはひびが入り、クモの巣がそこらじゅうに見える。そんな場所を母と2人で徘徊する。
長い廊下にはいくつもの扉が同じ間隔をたもちながら並んでいる。
「う~ん、どの部屋だったかしら」
そう言いながら、母は頭を掻いて困ったような表情を浮かべる。
わたしは母に探し物があるからついて来てほしいと言われたから一緒についてきたのだ。
しかしまさか、このような恐怖の館をうろつくことになるとは思っておらず「じゃあ手分けして探しましょう」という母の発言には軽く気絶しそうになった。
結局、わたしは勇気を奮い立たせるように拳を握り締め、体を縮めながら暗い廊下をひとりで歩いている。
振り返ると長い廊下の奥は真っ暗でなにも見えない。その暗闇がわたしをじっと見つめている。
闇が迫ってくるようような妄想をしてしまい恐怖心が爆発した。一番近い扉に飛びつきドアを開け、中に入ると乱暴に閉めた。
「ああ、怖かった」
一息ついて気持ちを落ち着かせる。わたしが偶然選んだ部屋はとても広い。
高そうな椅子のほこりをどけて、そこに座り部屋を観察する。床に落ちているお皿やティーカップ、よくわからない記号で書かれた謎の本などが、
以前このお屋敷にだれかが住んでいたことを証明している。ベットもやたらと豪華で派手である。もしかしたら館の主の部屋だったのもかもしれない。
吸血鬼が住んでいたお屋敷なのだから主もやはり吸血鬼で、ひとりで住んでいたのだろうか。それとも人も一緒に暮らしていたのだろうか。
しかし今この館は寂れ、朽ち果てている。住人はいったいどこに行ってしまったのだろうかと考えると背筋がぞくりとした。
幽霊になって館を徘徊していると想像してしまったのだ。
先ほどまではなんとも思わなかった部屋の隅の薄暗さや、時間に取り残されてしまい針がまったく動いていない時計などから妙な気配を感じる。
それらがわたしを不安にさせる。
「は、はやくこの部屋から出よう」
そう言って、扉に向かおうと立ち上がった時に、それが目に入った。それは写真であり、わたしの興味を強くひきつけた。
枠に入れられ保管されている。この部屋の持ち主にとって大切なものだったのだろうか。
机に置かれたそれを手に取った。神社の前で撮った写真のようだが大勢が写っているせいで屋根の部分しか見えていない。
撮影に参加した人達はそれぞれが個性的な服装をしていて面白い。
大昔の写真なのだから当然見たことが無い人物ばかりが写っている。だがよく見ると、知っている人の姿があった。母である。
紅白色の巫女服を着た少女の後ろで大きな傘を差しながら微笑んでいる。
その時、ピアノの音色が聞こえた。反射的に体がびくりと震えた。
わたしは音のする方へと足を向けた。もしもこれが幽霊のしわざで、ピアノが勝手に動いて演奏しているところを目撃するならトラウマになってしまうだろう。
だがわたしは迷いなく音色をたどる。母が弾いているのだと確信している。なぜなら母がこの館で探しているものとはピアノであると知っているからだ。
優雅な旋律に導かれある扉のドアを開ける。やはり母がピアノを演奏していた。
「お母さん!」
そう呼ぶと、母は指の動きを止めて温かい微笑をわたしに向けた。
「こっちにいらっしゃい」
母が自分のとなりの場所をぽんぽんと叩きながら言った。そのピアノの椅子は横に長く、一度に4人は座れそうだ。
わたしはそばまで移動して母の横に腰を下ろした。母が演奏を再開する。
洞窟のように薄暗く、静かで冷たい部屋に、弾むように軽やかで、心に染み込む美しい旋律が、涼やかに流れた。
曲を奏でながら、母が物語を語る。それはそれは、聞いたことも見たこともない幻想的な物語だった。
無愛想な巫女と自分勝手な魔法使いが、さまざまな妖怪達と戦い異変を解決する物語である。
わがままな紅い吸血鬼のお話、桜の木と幽霊のかわいそうなお話、月のお姫様が満月を隠してしまうお話、神様達が引越しをするお話、
そのどれもがわたしの心をみごとに躍らせてくれる魅力的なものだった。
もしかしてと思い、先ほど発見した写真を母に見せた。
「この写真はさっき見つけたんだけど、そのお話の主人公の2人ってこの真中に写ってる紅白色のお姉ちゃんと黒白色のお姉ちゃんなの?」
「ええその通りよ」
母は目を細めてそれをじっと眺めた。写真ではなくその奥にあるものを見ているようだった。
「私が持っていた1枚は処分してしまったからこの写真を見るのは久し振りよ。懐かしいわ」
「どうして捨てちゃったの?」
「持っていてもいずれ消えてしまうからよ……でも、よくこの2人だとわかったわね」
「お母さんが弾いている曲と物語を想像していたら自然とイメージが湧いてきたの、主人公を想像した姿がこの2人によく似ていたわ」
「私が奏でた音楽はこの幻想郷の歴史を表していたのよ、それでこの世界の住人を音で表現しているからイメージすることができたのね」
鍵盤に置かれた指がまた踊り始めた。母は目を閉じて演奏していた。きっと曲から感じる幻想を見ているのだろう。わたしもそれに倣って目を閉じた。
地下室に閉じ込められている女の子、うっすらとだけ覚えている母の狐の式神、死ぬことのできない少女、変な帽子を被った蛙の神様。
そんな姿がぼんやりと頭に浮かんだ。
母の指が滑らかにすべり、まるで独り言のようにつぶやいた。
「世界は音から創られる」
「えっ?」とわたしは聞き返して目を開いた。母はまだ閉じている。
「すべての生き物はつねに曲を奏でているわ、生まれた時からずっと歌っているの。
みんなみんな自分の音楽を持っているのよ」
「みんな歌っている?」
「そうよ。私たちは楽器なのよ。そのひとつひとつが触れ合ったり重なったりして巨大な力をもつ音楽になる」
「じゃあお母さんも楽器なの?」
「ええそうよ私は楽器よ、それにあなたもね」と母は言った。
わたしは腕を組んで首をひねった。これはきっと母からのなぞかけなのだと思った。
母を叩けば太鼓のように音が鳴るのだろうか。わたしの腕に息を吹き込めば笛のような音が鳴るのだろうか。
そんなわけがない。そんなことはありえない。
まったく答えが浮かばないわたしを母は小さく笑った。そして演奏を止め、わたしの体を強く抱きしめた。
突然のことで慌ててしまったがすぐに落ち着き答えがわかった。安心感で満たされている胸に顔をうずめると母の音楽が聞こえてきたのだ。
「どうかしら私の音は」
「うん、この音わたしは大好き、聞いているととても懐かしい気持ちになるわ」
母の心臓はリズムよく動いている。その音は、確かに彼女の命が奏でる音楽だった。
「心臓は生まれた瞬間から歌い続ける命の楽器。それがあるかぎり生き物は曲を創ることをやめない。
たとえ死んでしまってもその楽譜が残っていれば、それを演奏することができれば彼らはまた蘇る。
そうやって歴史は繰り返していくのよ、特にこの世界はね」
部屋の壁にはひびが広がり、床はちりとほこりで埋もれ、元々どんな色をしていたのかわからない。
風はまったく感じられない。
母はゆっくりと幻想郷の未来を語り始めた。
近い将来、生き物だけではなくあらゆるものも消えてしまうだろう。
人が創った建造物はもちろん山や森、川も草原も、空や地面さえもいずれ消滅してしまうだろう。
自分の心臓も動きを止めて私の曲は完成するだろうと。
「そんな、みんないなくなちゃうの」
泣きそうな顔になっているわたしを安心させるように、母は背中をさすってくれる。
「心配しなくても大丈夫よ、ただ演奏者が私からあなたに代わるだけなんだから」
「わ、わたし……?」
「そう、気が遠くなるほど長い長い幻想郷曲、私はその一部でしかないのよ。
終わりがこなければ曲は完成しないのだからこれはしかたがないことなの。
でも、そこからまた続けることはできる。曲を演奏してしまったら、また新しい曲を創ればいいのよ」
母が自分の膝の上に乗るようにわたしを促した。当然それに従う。柔らかいかくていい匂いのする素敵な椅子である。
「私はとても綺麗な曲を体験することができたわ。もう思い残すことは無い。
次の幻想曲はあなたが自分で紡ぎなさい」
わたしは小さく頷いた。膝の上に乗っていては母の顔を見ることはできない。
けれども母が微笑を浮かべているとわかる。
きっとそれは、死期を悟った安らかさと、自分の楽器が奏でたこの世界が消えてしまう思いがこもった、寂しい笑顔にちがいない。
「お母さんひとつお願いがあるの」
「なに?」
「お母さんの曲が聞きたいな」
「私の音楽は幻想郷そのものよ、だから弾くことはできないわ。それにまだ終わりが訪れていないから、弾いてもきっと変な曲に
なってしまうわ」
「いいの! それでも聞きたいの!」
「はいはい」
母の、白く長い指がピアノの上で踊りだす。白と黒のステージを軽やかに駆けめぐる。
わたしは目を閉じてそれを聞いた。その曲は、母の心臓が歌っていた音楽であった。
温かくてどこか寂しさを感じる。今の母の気持ちを表しているようだった。
目を閉じていたからなのか、和やかな音程がそうさせたのか、強烈な眠気がわたしを襲った。目の前の黒いピアノが薄く見えてくる。
その時、母に名前を呼ばれた気がして視線を上に向けた。霊夢の顔がそこにあった。
「ちょっと紫! あんたいつまで寝てるのよ!」
「んあ!?」
上半身を勢いよく起こす。赤い夕焼けが私の顔を照らしている。眩しい光を腕で遮り、迷惑そうな顔をしている霊夢に尋ねた。
「ここどこ?」
「博麗神社に決まってるでしょ。もうボケたのかしら」
周囲を見渡すと確かに博麗神社だった。自分が縁側にいることを確認して霊夢にチョップを叩きこむ。
不鮮明になっている記憶をたどる。ぼやけていた脳がようやく動きはじめる。
そうだ、私は宴会をしにここに訪れたのだ。自分勝手な黒白の魔法使いやわがままな吸血鬼たちと一緒に騒いだ。
幽々子と昔の思い出話をしているうちにお酒がまわってきて……そこからまったく覚えていない。
「どうして今頃になって起こすのよ」
「あんたの式神が無理に起こすと機嫌が悪いからそのままほっといてくれって言ったのよ」
「あの狐め、主人を放置するとはいい度胸だわ。油揚げ全部食べてやる」
「やってることがまるで子供ね」
子供。……そう子供だ。きっとそうなんだ。いつまでたってもそうなのだ。
「ところでどんな夢見てたのよ、あんた寝顔ころころ変わって面白かったわ」
「ちょっと昔を回想していただけよ、藍のせいだけれど世話になったわね」
そう言って、私は霊夢に向けて手を差し出した。なんのまねだと彼女の顔が言っているが気にしない。
怪訝な表情を浮かべながら霊夢も手を差し出し、握手をかわした。
少し混乱している彼女を楽しそうに観察して、また宴会をしましょうと言い残し、私は空に浮かび上がった。
夕日が世界を照らしている。視界すべてに、赤く染め上げられた地上が広がっている。艶かしいほどの絶景である。
この幻想郷は私の音楽で創られてはいない。
全て母のコピーである。
私はいつまでたっても子供であった。あの魅力的な、聞いたことも見たこともない幻想物語を忘れることができなかった。
その世界に入りたい、その世界の住人たちと一緒に遊びたい。思いは日々、強くなっていった。
気がつけばこうなっていた。戻すことはやはりむりだった。
もしかしたら母はこれを狙っていたのかもしれないと思う。自分の生きた世界が消滅してしまうことを、許すことができなかったのかもしれない。
彼女は私に自分の音楽を紡ぎなさいと言ったがおそらくそれは嘘だろう。
本当にそう思っていたのならわざわざ私に曲や話を聞かせるようなことはしない。
私はまんまと母の思惑どおりに行動してしまったのかもしれない。そう考えてしまう。
しかし私はそれをうれしく思う。後悔はどこにもなく、ただ感謝している。
彼女が生きていた世界を、彼女が愛していた幻想郷を、こうして再現することができたのだから。
でも、この世界もいずれ消えるのだろう。私の楽器もいつか歌うのをやめ、次の世代に世界を託す時がくるのだろう。
その時、私は母のような行動をとってしまうかもしれない。今の私には彼女の気持ちが痛いほどよくわかるのだから。
どうかこの楽園が、途絶えることなく回り続けることを願う。
幻想曲よ永遠に歌え。
、
「すごい大きい」
玄関の側に立っている石造の柱に植物のつたが絡みついている。庭の雑草は伸び放題だ。
「お母さん、このお屋敷汚いね!」
わたしから少し遅れて母がスキマから現れる。その母に言った。
「そうね、でも昔は吸血鬼も住んでいて、とても綺麗な館だったのよ」
「ふ~んそうなんだ、じゃあ今その吸血鬼さんはどうしているの?」
なにげなくした質問に母は少し動揺したような素振りを見せ、声の調子が低くなった。
「……あなたが生まれた頃にいなくなってしまったわ。さあ、そんなことよりはやく中に入りましょう」
「うん」
母と手をつないで、廃墟のような、幽霊が潜んでいるような館にわたしは足を踏み入れた。
なぜかこのお屋敷には窓があまりないようで、昼間だというのに薄暗い。母と手をつないでいなければ、とてもじゃないが進む気になれない。
天井は剥がれ、壁にはひびが入り、クモの巣がそこらじゅうに見える。そんな場所を母と2人で徘徊する。
長い廊下にはいくつもの扉が同じ間隔をたもちながら並んでいる。
「う~ん、どの部屋だったかしら」
そう言いながら、母は頭を掻いて困ったような表情を浮かべる。
わたしは母に探し物があるからついて来てほしいと言われたから一緒についてきたのだ。
しかしまさか、このような恐怖の館をうろつくことになるとは思っておらず「じゃあ手分けして探しましょう」という母の発言には軽く気絶しそうになった。
結局、わたしは勇気を奮い立たせるように拳を握り締め、体を縮めながら暗い廊下をひとりで歩いている。
振り返ると長い廊下の奥は真っ暗でなにも見えない。その暗闇がわたしをじっと見つめている。
闇が迫ってくるようような妄想をしてしまい恐怖心が爆発した。一番近い扉に飛びつきドアを開け、中に入ると乱暴に閉めた。
「ああ、怖かった」
一息ついて気持ちを落ち着かせる。わたしが偶然選んだ部屋はとても広い。
高そうな椅子のほこりをどけて、そこに座り部屋を観察する。床に落ちているお皿やティーカップ、よくわからない記号で書かれた謎の本などが、
以前このお屋敷にだれかが住んでいたことを証明している。ベットもやたらと豪華で派手である。もしかしたら館の主の部屋だったのもかもしれない。
吸血鬼が住んでいたお屋敷なのだから主もやはり吸血鬼で、ひとりで住んでいたのだろうか。それとも人も一緒に暮らしていたのだろうか。
しかし今この館は寂れ、朽ち果てている。住人はいったいどこに行ってしまったのだろうかと考えると背筋がぞくりとした。
幽霊になって館を徘徊していると想像してしまったのだ。
先ほどまではなんとも思わなかった部屋の隅の薄暗さや、時間に取り残されてしまい針がまったく動いていない時計などから妙な気配を感じる。
それらがわたしを不安にさせる。
「は、はやくこの部屋から出よう」
そう言って、扉に向かおうと立ち上がった時に、それが目に入った。それは写真であり、わたしの興味を強くひきつけた。
枠に入れられ保管されている。この部屋の持ち主にとって大切なものだったのだろうか。
机に置かれたそれを手に取った。神社の前で撮った写真のようだが大勢が写っているせいで屋根の部分しか見えていない。
撮影に参加した人達はそれぞれが個性的な服装をしていて面白い。
大昔の写真なのだから当然見たことが無い人物ばかりが写っている。だがよく見ると、知っている人の姿があった。母である。
紅白色の巫女服を着た少女の後ろで大きな傘を差しながら微笑んでいる。
その時、ピアノの音色が聞こえた。反射的に体がびくりと震えた。
わたしは音のする方へと足を向けた。もしもこれが幽霊のしわざで、ピアノが勝手に動いて演奏しているところを目撃するならトラウマになってしまうだろう。
だがわたしは迷いなく音色をたどる。母が弾いているのだと確信している。なぜなら母がこの館で探しているものとはピアノであると知っているからだ。
優雅な旋律に導かれある扉のドアを開ける。やはり母がピアノを演奏していた。
「お母さん!」
そう呼ぶと、母は指の動きを止めて温かい微笑をわたしに向けた。
「こっちにいらっしゃい」
母が自分のとなりの場所をぽんぽんと叩きながら言った。そのピアノの椅子は横に長く、一度に4人は座れそうだ。
わたしはそばまで移動して母の横に腰を下ろした。母が演奏を再開する。
洞窟のように薄暗く、静かで冷たい部屋に、弾むように軽やかで、心に染み込む美しい旋律が、涼やかに流れた。
曲を奏でながら、母が物語を語る。それはそれは、聞いたことも見たこともない幻想的な物語だった。
無愛想な巫女と自分勝手な魔法使いが、さまざまな妖怪達と戦い異変を解決する物語である。
わがままな紅い吸血鬼のお話、桜の木と幽霊のかわいそうなお話、月のお姫様が満月を隠してしまうお話、神様達が引越しをするお話、
そのどれもがわたしの心をみごとに躍らせてくれる魅力的なものだった。
もしかしてと思い、先ほど発見した写真を母に見せた。
「この写真はさっき見つけたんだけど、そのお話の主人公の2人ってこの真中に写ってる紅白色のお姉ちゃんと黒白色のお姉ちゃんなの?」
「ええその通りよ」
母は目を細めてそれをじっと眺めた。写真ではなくその奥にあるものを見ているようだった。
「私が持っていた1枚は処分してしまったからこの写真を見るのは久し振りよ。懐かしいわ」
「どうして捨てちゃったの?」
「持っていてもいずれ消えてしまうからよ……でも、よくこの2人だとわかったわね」
「お母さんが弾いている曲と物語を想像していたら自然とイメージが湧いてきたの、主人公を想像した姿がこの2人によく似ていたわ」
「私が奏でた音楽はこの幻想郷の歴史を表していたのよ、それでこの世界の住人を音で表現しているからイメージすることができたのね」
鍵盤に置かれた指がまた踊り始めた。母は目を閉じて演奏していた。きっと曲から感じる幻想を見ているのだろう。わたしもそれに倣って目を閉じた。
地下室に閉じ込められている女の子、うっすらとだけ覚えている母の狐の式神、死ぬことのできない少女、変な帽子を被った蛙の神様。
そんな姿がぼんやりと頭に浮かんだ。
母の指が滑らかにすべり、まるで独り言のようにつぶやいた。
「世界は音から創られる」
「えっ?」とわたしは聞き返して目を開いた。母はまだ閉じている。
「すべての生き物はつねに曲を奏でているわ、生まれた時からずっと歌っているの。
みんなみんな自分の音楽を持っているのよ」
「みんな歌っている?」
「そうよ。私たちは楽器なのよ。そのひとつひとつが触れ合ったり重なったりして巨大な力をもつ音楽になる」
「じゃあお母さんも楽器なの?」
「ええそうよ私は楽器よ、それにあなたもね」と母は言った。
わたしは腕を組んで首をひねった。これはきっと母からのなぞかけなのだと思った。
母を叩けば太鼓のように音が鳴るのだろうか。わたしの腕に息を吹き込めば笛のような音が鳴るのだろうか。
そんなわけがない。そんなことはありえない。
まったく答えが浮かばないわたしを母は小さく笑った。そして演奏を止め、わたしの体を強く抱きしめた。
突然のことで慌ててしまったがすぐに落ち着き答えがわかった。安心感で満たされている胸に顔をうずめると母の音楽が聞こえてきたのだ。
「どうかしら私の音は」
「うん、この音わたしは大好き、聞いているととても懐かしい気持ちになるわ」
母の心臓はリズムよく動いている。その音は、確かに彼女の命が奏でる音楽だった。
「心臓は生まれた瞬間から歌い続ける命の楽器。それがあるかぎり生き物は曲を創ることをやめない。
たとえ死んでしまってもその楽譜が残っていれば、それを演奏することができれば彼らはまた蘇る。
そうやって歴史は繰り返していくのよ、特にこの世界はね」
部屋の壁にはひびが広がり、床はちりとほこりで埋もれ、元々どんな色をしていたのかわからない。
風はまったく感じられない。
母はゆっくりと幻想郷の未来を語り始めた。
近い将来、生き物だけではなくあらゆるものも消えてしまうだろう。
人が創った建造物はもちろん山や森、川も草原も、空や地面さえもいずれ消滅してしまうだろう。
自分の心臓も動きを止めて私の曲は完成するだろうと。
「そんな、みんないなくなちゃうの」
泣きそうな顔になっているわたしを安心させるように、母は背中をさすってくれる。
「心配しなくても大丈夫よ、ただ演奏者が私からあなたに代わるだけなんだから」
「わ、わたし……?」
「そう、気が遠くなるほど長い長い幻想郷曲、私はその一部でしかないのよ。
終わりがこなければ曲は完成しないのだからこれはしかたがないことなの。
でも、そこからまた続けることはできる。曲を演奏してしまったら、また新しい曲を創ればいいのよ」
母が自分の膝の上に乗るようにわたしを促した。当然それに従う。柔らかいかくていい匂いのする素敵な椅子である。
「私はとても綺麗な曲を体験することができたわ。もう思い残すことは無い。
次の幻想曲はあなたが自分で紡ぎなさい」
わたしは小さく頷いた。膝の上に乗っていては母の顔を見ることはできない。
けれども母が微笑を浮かべているとわかる。
きっとそれは、死期を悟った安らかさと、自分の楽器が奏でたこの世界が消えてしまう思いがこもった、寂しい笑顔にちがいない。
「お母さんひとつお願いがあるの」
「なに?」
「お母さんの曲が聞きたいな」
「私の音楽は幻想郷そのものよ、だから弾くことはできないわ。それにまだ終わりが訪れていないから、弾いてもきっと変な曲に
なってしまうわ」
「いいの! それでも聞きたいの!」
「はいはい」
母の、白く長い指がピアノの上で踊りだす。白と黒のステージを軽やかに駆けめぐる。
わたしは目を閉じてそれを聞いた。その曲は、母の心臓が歌っていた音楽であった。
温かくてどこか寂しさを感じる。今の母の気持ちを表しているようだった。
目を閉じていたからなのか、和やかな音程がそうさせたのか、強烈な眠気がわたしを襲った。目の前の黒いピアノが薄く見えてくる。
その時、母に名前を呼ばれた気がして視線を上に向けた。霊夢の顔がそこにあった。
「ちょっと紫! あんたいつまで寝てるのよ!」
「んあ!?」
上半身を勢いよく起こす。赤い夕焼けが私の顔を照らしている。眩しい光を腕で遮り、迷惑そうな顔をしている霊夢に尋ねた。
「ここどこ?」
「博麗神社に決まってるでしょ。もうボケたのかしら」
周囲を見渡すと確かに博麗神社だった。自分が縁側にいることを確認して霊夢にチョップを叩きこむ。
不鮮明になっている記憶をたどる。ぼやけていた脳がようやく動きはじめる。
そうだ、私は宴会をしにここに訪れたのだ。自分勝手な黒白の魔法使いやわがままな吸血鬼たちと一緒に騒いだ。
幽々子と昔の思い出話をしているうちにお酒がまわってきて……そこからまったく覚えていない。
「どうして今頃になって起こすのよ」
「あんたの式神が無理に起こすと機嫌が悪いからそのままほっといてくれって言ったのよ」
「あの狐め、主人を放置するとはいい度胸だわ。油揚げ全部食べてやる」
「やってることがまるで子供ね」
子供。……そう子供だ。きっとそうなんだ。いつまでたってもそうなのだ。
「ところでどんな夢見てたのよ、あんた寝顔ころころ変わって面白かったわ」
「ちょっと昔を回想していただけよ、藍のせいだけれど世話になったわね」
そう言って、私は霊夢に向けて手を差し出した。なんのまねだと彼女の顔が言っているが気にしない。
怪訝な表情を浮かべながら霊夢も手を差し出し、握手をかわした。
少し混乱している彼女を楽しそうに観察して、また宴会をしましょうと言い残し、私は空に浮かび上がった。
夕日が世界を照らしている。視界すべてに、赤く染め上げられた地上が広がっている。艶かしいほどの絶景である。
この幻想郷は私の音楽で創られてはいない。
全て母のコピーである。
私はいつまでたっても子供であった。あの魅力的な、聞いたことも見たこともない幻想物語を忘れることができなかった。
その世界に入りたい、その世界の住人たちと一緒に遊びたい。思いは日々、強くなっていった。
気がつけばこうなっていた。戻すことはやはりむりだった。
もしかしたら母はこれを狙っていたのかもしれないと思う。自分の生きた世界が消滅してしまうことを、許すことができなかったのかもしれない。
彼女は私に自分の音楽を紡ぎなさいと言ったがおそらくそれは嘘だろう。
本当にそう思っていたのならわざわざ私に曲や話を聞かせるようなことはしない。
私はまんまと母の思惑どおりに行動してしまったのかもしれない。そう考えてしまう。
しかし私はそれをうれしく思う。後悔はどこにもなく、ただ感謝している。
彼女が生きていた世界を、彼女が愛していた幻想郷を、こうして再現することができたのだから。
でも、この世界もいずれ消えるのだろう。私の楽器もいつか歌うのをやめ、次の世代に世界を託す時がくるのだろう。
その時、私は母のような行動をとってしまうかもしれない。今の私には彼女の気持ちが痛いほどよくわかるのだから。
どうかこの楽園が、途絶えることなく回り続けることを願う。
幻想曲よ永遠に歌え。
、
しかもそれがミスディレクションの理由にもなってる。いいな。
創っているいたら→創っていたら
ですかね。それはさておきこれは良作。
前半をすっかり誤認したと思っていましたが…これって何代目の八雲でも成立する話なんですね…
代々八雲紫が
どこか不思議な感じのする面白いお話でした。
たしかにホラーでもシリアスでもないですよね。
こんなちょっとダークなほのぼのが大好きです。
音楽との話は馴染みますね。霊夢なら雅楽器を演奏してそうな感じもします。
たとえ幻想郷が滅びても記憶がある限り幻想郷は何度でも甦る
世界が滅び、幻想郷を紡ぐものがいなくなるまで幻想郷は存在する
幻想郷は幻想となったものが行く場所
我々が生きる今が幻想となる時代もいずれ来る
そうなったとき、妖怪やその他の幻想たちはどこへ行くことになるんでしょうね
幻想郷の近代化が進めば幻想郷からも妖怪たちは排除されることになる
現実世界と同じように・・・
そうなったとき、八雲紫が取る行動のような気がしました
一旦書いたものには責任を持つべきでした。
作者さんが修正された以上、あれだけ目立つ長文は余計ではと思い消してしまいました。
今後はこんなことが無いよう、考えてコメントするようにします。
度々の書き込み失礼しました。これからの作品も楽しみにしています。