守矢神社の祭の日
灯りに満ちた境内に
人と太鼓と笛の声
神社にまします神様は
鳥居の上に腰掛けて
酒を片手に祭を眺める
* * * *
カラン……カラン……カラン……
石畳の上を小さな下駄がさまよっている。
下駄の主は小学校に上がるかどうかといった歳の男の子である。
今夜はお祭りだ。いつもは少し怖くもある神社が、面白そうな屋台でいっぱいになって、
笛や太鼓の音が賑やかに囃し立てる。
しかし、男の子の胸は不安でいっぱいだった。
「おかあさん」
周りは知らない人ばかりで、男の子の声に答える者はいない。
親と一緒にいた時はあれほど楽しかったお祭りなのに、一人になったら心細くてたまらない。
屋台の光も雑踏も祭囃子も変わりはないが、まるで別世界である。
「おかあさん」
もう一度声を上げるが、結果は同じだった。
(どうしよう……)
歩き疲れた男の子は、膝を抱えて座り込んだ。
(下駄が汚れてる)
男の子は、下駄に土が付いている事に気が付いた。
今日、生まれて初めて下駄を履いた。
少し歩きにくいが、カラカラと音が鳴るのが楽しいので、男の子はさっそく下駄を気に入っていたのだ。
土を払おうと手を伸ばした時である。
「キミ、迷子?」
声の主の顔を見上げると、男の子はそのまま固まってしまった。
女の子が可愛かったからではない。
金髪が珍しかったからでもない。
「帽子に目が付いてる」
帽子の上部に目のような物が付いていたのだ。
「ああ、これ? 格好いいでしょ」
と、女の子が自慢げに帽子に手をやると、帽子の目玉がにゅるりと動いた。
「……お化け?」
「一応、神様なんだけどなあ」
女の子は一転して肩を落とした。
どん、どん、どん。
祭囃子が聞こえている。
「お姉ちゃん、誰?」
「私は洩矢諏訪子。『洩矢さま』って言ってわかるのかな?」
「モリヤサマ?」
「わからないか。まあ良いや。今日はお父さんとお母さんと来たの?」
男の子は頷いた。
「じゃあ、一緒に捜そうか」
諏訪子は男の子の手を取って歩き出した。
カラン、カラン、カラン。
男の子が歩く度に下駄が鳴る。
歩き方がおぼつかない事に諏訪子は気が付いた。
「もしかして、下駄を履いたの初めて?」
「うん」
「ま、慣れると普通に歩けるようになるよ。歩くとカラカラ鳴って楽しいでしょ」
「うん」
「あはは、あんまり楽しそうじゃないね。大丈夫、案内所に行けばお父さんお母さんに会えるよ―――」
諏訪子と男の子はしばらく歩きながら話をした。
その間、ずっと男の子は不安そうな顔で下を向いていた。
「……駄目だなあ、そんな顔してたら」
諏訪子は足を止めて男の子の方に振り返った。
「お祭りはね、楽しいものなんだよ。だから楽しまないと」
と、男の子の肩に手を乗せて続けた。
「特別に凄い物を見せてあげるわ。空を見て」
男の子は諏訪子に促されて上を見た。雲一つ無い星空に、白い光の帯がぼんやりと輝いている。
「この神社は、天の川がわりと綺麗に見えるのよ。でも、もっと綺麗になるよ。見てて」
諏訪子は得意げになって言った。
しばらくすると天の川に変化が現れた。
白い輝きが徐々に強くなってきた。それだけではない。天の川が波打つように動き始めた。
少しずつ、天の川の白い帯の動きが大きくなっていく。
男の子は口を開けて星空の異変を見つめている。
「さあ、これからよ」
諏訪子の声に合わせて、星という星が流れ始めた。
「うわっ! 流れ星!」
男の子は叫んだ。
大小様々な星が、次から次へと地に向かって流れ落ちる。
空の星はいずれ全て落ちて無くなってしまうのだろうか。いや、無くならない。
動きが激しくなるにつれ、天の川は『しぶき』を上げるようになっていたからだ。
天の川の『しぶき』が、新しい星々として輝き、流れ落ちる。今や間断なく上がり続ける『しぶき』が、
新たな星を次々と生み出しているので、星は決して無くなることなく流れ続けるのである。
「すごい! 星!」
幻想的でダイナミックな奇跡が起こっている間、男の子は興奮して言葉にならない言葉を出し続けた―――
* * * *
境内は大混乱に陥っていた。
天に向かって叫ぶ人、立ちつくす人、逃げ出す人、写真を撮る人、何が起こったのか聞き回る人、
願い事を唱え続ける人―――
わずか数分の出来事とはいえ、星空が、何の前触れもなく、想像もできないような激動を見せたのだから当たり前である。
守矢神社の巫女でさえ、真っ青な顔で泣きそうになりながら頭を抱えている。
案内所に息子を捜しに来ていた父親と母親も、今は元通りになっている星空を、呆然と見つめていた。
「おかあさん」
どんっ、と勢いよく足に抱きついてきたのは、捜していた我が子だった。
「ああっ! あんた、どこに行ってたの!」
母親は、しゃがんで「大丈夫?」「怪我とかしてない?」などと声をかけた。
「星がドバーってね! 流れてね!」
息子は両手を振りながら、見てきた事を必死で伝えている。どうやら怪我の心配はなさそうである。
父親が近づいてきて、頭にポン、と手を乗せた。
「お前、よく一人でここまで来れたな」
「一人じゃないよ。モリヤサマが一緒に―――」
「ああああっ! やっぱり!」
巫女の少女が悲鳴を上げた。もはやへたり込んでしまっている。顔色も悪化しているようである。
巫女は息子に向かって聞いた。
「キミ、洩矢さまに会ったの?」
「うん」
息子の返事を聞くと、巫女は深いため息をついて黙り込んでしまった。
巫女には聞けそうにないので、父親は息子に聞いた。
「モリヤサマって誰?」
「帽子に目が付いててね、目が動くんだよ」
「な、なんだそりゃ。お化けか? ―――痛てっ!」
後頭部に石が飛んできた。振り返ったが、犯人らしき人は見あたらなかった。
「洩矢さまは当神社の神様です」
頭を抱えたままの巫女が絞り出すような声で答えた。
「さっきの星空の異変も、洩矢さまの仕業です」
この発言は爆弾だった。周りの人々の間にざわめきが走った。
巫女はすぐに失言に気づいて口をふさいだが、手遅れだった。大勢の人に問いつめられて揉みくちゃにされてしまった。
「か、神様?」
両親は、信じられないといった表情で息子を見つめた。
(この子は、本当に神様に会ったのかしら……)
「でね、モリヤサマは女の子で―――」
息子は無邪気にモリヤサマの事を説明していた。
* * * *
夏の夜のお祭りで
天の川が降り注ぐ
守矢神社のモリヤサマ
少女の姿で迷子を守る
―――かくしてモリヤサマの伝承がひとつ生まれましたとさ。
(了)
灯りに満ちた境内に
人と太鼓と笛の声
神社にまします神様は
鳥居の上に腰掛けて
酒を片手に祭を眺める
* * * *
カラン……カラン……カラン……
石畳の上を小さな下駄がさまよっている。
下駄の主は小学校に上がるかどうかといった歳の男の子である。
今夜はお祭りだ。いつもは少し怖くもある神社が、面白そうな屋台でいっぱいになって、
笛や太鼓の音が賑やかに囃し立てる。
しかし、男の子の胸は不安でいっぱいだった。
「おかあさん」
周りは知らない人ばかりで、男の子の声に答える者はいない。
親と一緒にいた時はあれほど楽しかったお祭りなのに、一人になったら心細くてたまらない。
屋台の光も雑踏も祭囃子も変わりはないが、まるで別世界である。
「おかあさん」
もう一度声を上げるが、結果は同じだった。
(どうしよう……)
歩き疲れた男の子は、膝を抱えて座り込んだ。
(下駄が汚れてる)
男の子は、下駄に土が付いている事に気が付いた。
今日、生まれて初めて下駄を履いた。
少し歩きにくいが、カラカラと音が鳴るのが楽しいので、男の子はさっそく下駄を気に入っていたのだ。
土を払おうと手を伸ばした時である。
「キミ、迷子?」
声の主の顔を見上げると、男の子はそのまま固まってしまった。
女の子が可愛かったからではない。
金髪が珍しかったからでもない。
「帽子に目が付いてる」
帽子の上部に目のような物が付いていたのだ。
「ああ、これ? 格好いいでしょ」
と、女の子が自慢げに帽子に手をやると、帽子の目玉がにゅるりと動いた。
「……お化け?」
「一応、神様なんだけどなあ」
女の子は一転して肩を落とした。
どん、どん、どん。
祭囃子が聞こえている。
「お姉ちゃん、誰?」
「私は洩矢諏訪子。『洩矢さま』って言ってわかるのかな?」
「モリヤサマ?」
「わからないか。まあ良いや。今日はお父さんとお母さんと来たの?」
男の子は頷いた。
「じゃあ、一緒に捜そうか」
諏訪子は男の子の手を取って歩き出した。
カラン、カラン、カラン。
男の子が歩く度に下駄が鳴る。
歩き方がおぼつかない事に諏訪子は気が付いた。
「もしかして、下駄を履いたの初めて?」
「うん」
「ま、慣れると普通に歩けるようになるよ。歩くとカラカラ鳴って楽しいでしょ」
「うん」
「あはは、あんまり楽しそうじゃないね。大丈夫、案内所に行けばお父さんお母さんに会えるよ―――」
諏訪子と男の子はしばらく歩きながら話をした。
その間、ずっと男の子は不安そうな顔で下を向いていた。
「……駄目だなあ、そんな顔してたら」
諏訪子は足を止めて男の子の方に振り返った。
「お祭りはね、楽しいものなんだよ。だから楽しまないと」
と、男の子の肩に手を乗せて続けた。
「特別に凄い物を見せてあげるわ。空を見て」
男の子は諏訪子に促されて上を見た。雲一つ無い星空に、白い光の帯がぼんやりと輝いている。
「この神社は、天の川がわりと綺麗に見えるのよ。でも、もっと綺麗になるよ。見てて」
諏訪子は得意げになって言った。
しばらくすると天の川に変化が現れた。
白い輝きが徐々に強くなってきた。それだけではない。天の川が波打つように動き始めた。
少しずつ、天の川の白い帯の動きが大きくなっていく。
男の子は口を開けて星空の異変を見つめている。
「さあ、これからよ」
諏訪子の声に合わせて、星という星が流れ始めた。
「うわっ! 流れ星!」
男の子は叫んだ。
大小様々な星が、次から次へと地に向かって流れ落ちる。
空の星はいずれ全て落ちて無くなってしまうのだろうか。いや、無くならない。
動きが激しくなるにつれ、天の川は『しぶき』を上げるようになっていたからだ。
天の川の『しぶき』が、新しい星々として輝き、流れ落ちる。今や間断なく上がり続ける『しぶき』が、
新たな星を次々と生み出しているので、星は決して無くなることなく流れ続けるのである。
「すごい! 星!」
幻想的でダイナミックな奇跡が起こっている間、男の子は興奮して言葉にならない言葉を出し続けた―――
* * * *
境内は大混乱に陥っていた。
天に向かって叫ぶ人、立ちつくす人、逃げ出す人、写真を撮る人、何が起こったのか聞き回る人、
願い事を唱え続ける人―――
わずか数分の出来事とはいえ、星空が、何の前触れもなく、想像もできないような激動を見せたのだから当たり前である。
守矢神社の巫女でさえ、真っ青な顔で泣きそうになりながら頭を抱えている。
案内所に息子を捜しに来ていた父親と母親も、今は元通りになっている星空を、呆然と見つめていた。
「おかあさん」
どんっ、と勢いよく足に抱きついてきたのは、捜していた我が子だった。
「ああっ! あんた、どこに行ってたの!」
母親は、しゃがんで「大丈夫?」「怪我とかしてない?」などと声をかけた。
「星がドバーってね! 流れてね!」
息子は両手を振りながら、見てきた事を必死で伝えている。どうやら怪我の心配はなさそうである。
父親が近づいてきて、頭にポン、と手を乗せた。
「お前、よく一人でここまで来れたな」
「一人じゃないよ。モリヤサマが一緒に―――」
「ああああっ! やっぱり!」
巫女の少女が悲鳴を上げた。もはやへたり込んでしまっている。顔色も悪化しているようである。
巫女は息子に向かって聞いた。
「キミ、洩矢さまに会ったの?」
「うん」
息子の返事を聞くと、巫女は深いため息をついて黙り込んでしまった。
巫女には聞けそうにないので、父親は息子に聞いた。
「モリヤサマって誰?」
「帽子に目が付いててね、目が動くんだよ」
「な、なんだそりゃ。お化けか? ―――痛てっ!」
後頭部に石が飛んできた。振り返ったが、犯人らしき人は見あたらなかった。
「洩矢さまは当神社の神様です」
頭を抱えたままの巫女が絞り出すような声で答えた。
「さっきの星空の異変も、洩矢さまの仕業です」
この発言は爆弾だった。周りの人々の間にざわめきが走った。
巫女はすぐに失言に気づいて口をふさいだが、手遅れだった。大勢の人に問いつめられて揉みくちゃにされてしまった。
「か、神様?」
両親は、信じられないといった表情で息子を見つめた。
(この子は、本当に神様に会ったのかしら……)
「でね、モリヤサマは女の子で―――」
息子は無邪気にモリヤサマの事を説明していた。
* * * *
夏の夜のお祭りで
天の川が降り注ぐ
守矢神社のモリヤサマ
少女の姿で迷子を守る
―――かくしてモリヤサマの伝承がひとつ生まれましたとさ。
(了)
神奈子様は俗だなあ
どう見ても近所のがk…もとい可愛い妹って感じだからなぁ。
なんてしっとりとくるお話。大好き。