※地霊殿ネタ(体験版の範疇ではありますが)です。ネタバレが嫌な方は即座に戻るを。
※若干二次設定気味でもありますので、そういうのが苦手な方も。
※姉御大好きです。
鬼。
それは嘗て妖怪の山に住んでいた、最も力を持った妖怪。
その中でも、特に力の強かった4人は、山の四天王と呼ばれた存在だった。
…私も、その内の1人だ。
まあ、それは嘗ての話。今は地底の旧地獄で暮らしている私には、もうあまり意味を持たない称号。
地中には山なんてものはないし、此処に住んでいる連中はみんな、忌み嫌われた能力を持つものばかり。
鬼の私がそんな連中に後れを取るとは思わないが、下手に刺激して騒ぎを起こしたくもない。
「…おっ、今日は雪か…。」
手に杯を持ち、私は雪の降る地獄街道で酒を煽る。
どうして地底に雪が降るのかはよく判らない。まあ、冬なんだから雪は降ってくれた方がいいが。
雪景色の中、こうして静かに酒を飲むのも、また一興だ。
「…くくっ…。…一人で、か…。」
…自然に笑いが漏れる。自嘲気味た笑いが。
…ああ、ちょっと前までは、隣に誰かいた気がするんだけどなぁ…。
見た目はちっこいけど、私と同じ鬼。密度を操る力を持った、小さな鬼が…。
「…あんたは、今何をしてるんだい…?…萃香…。」
厚い地表の向こう、外の世界へと出て行ってしまったあんたも、今こうして雪を見ているのかい…?
* * * * * *
「…萃香、今なんて言った…?」
その日、私は萃香と2人で酒を飲んでいた。
山の四天王とは言え、別に何時も4人一緒にいるわけではない。
都合が悪ければ席を外す事もある。その日も、他の2人はちょっとした事で席を外していた。
…ただ、そんな私と2人だけの時に、まさか萃香がそんな事を言うとは、夢にも思わなかった…。
「…あれ?おかしいな、聞こえてないはずはないよね、勇儀。」
無限に酒が湧く瓢箪を持ち、萃香は酒を飲み続ける。
…聞こえてないはずは、ない。確かに、私は今言った事は聞き取っていた。
…だが、理解が出来なかった。というより、理解したくなかった…。
「私は地上に戻るよ。」
もう一度、萃香は静かにそう言う。
…地上に、戻る…?
鬼はもう何百年も前に、人間を見限って、地底へとその身をおいた。
今ではきっと、外の世界では鬼の存在なんか忘れている事だろう。
私たちとしても、もう人間との関係なんてどうでもよかった。
人間は卑劣な手段で私たちを陥れた。そんな人間なんか、もう私は興味はない。
…なのに、萃香は…。
「…何を言ってるんだよ、萃香…。」
…萃香は、私達から離れるというのか?
私達を捨てて、人間を取るというのか…?
「…もう決めたんだよ。私は、もう一度人間の姿を見に行きたい。
私達が地底に来てから、もう何百年も経った。…いい加減、人間は私達の事を忘れているだろうね…。」
そうだ、私達の事なんか人間はとっくに忘れている。
だから、今更外に出る必要なんてないじゃないか。
今更外に戻ったところで、どうせ人間は私達と戯れる術なんか持ってはいないだろう。
…そして、どうせ昔に逆戻りだ。人間は、また私達を陥れるだけだ。
「…勇儀。私は、もう一度だけ人間を信じてみたい。もう一度、鬼と人との絆を取り戻してみたい。
私がそれに上手くいったら…。…また、一緒に山に登ろう、みんなで。」
私の眼を、静かで、悲しげで、それでも何処か優しさを含んだ、普段の萃香からはちょっと想像も出来ない表情で見つめる。
…萃香は、本気で地上に戻ろうとしている。酒の戯れでの、冗談なんかではない。
「…私達を、捨てるのか…?…仲間を捨てて、人間を取るのか…?」
こんな事は言いたくなかった。だけど、言わなくてはならない気がした。
萃香とはもう何百年も共に過ごしてきた存在。
…そんな萃香に、私は何処か別の所へ行って欲しくはなかった。これからも、ずっと友でいたかった。
だから…、…私は、萃香を止めたかった…。
「…そういう訳じゃないよ。あんたとは、これからもずっと仲間でいたい。
そのために、私は鬼が地上に戻れる、そんな人間の“意識”を作りに行く。…みんなで、地上に戻るんだよ…。」
…どうして、そんな事を言うのだろう…。
これじゃ、止めてる私の方が悪者じゃないか…。
全ての鬼の事を考えて、1人で地上に戻るとする萃香。
今更地上に未練はない、地上に戻る必要なんかないと言う私…。
…どっちが正しいかなんて、そんなの萃香に決まってる。私は正しい事は言っていない。
鬼のために、そして人間のために動こうとしている萃香を、私は個人的な理由で止めようとしているのだから…。
…だけど、それでも…。
「…いいじゃないか、別に。今はみんな、地底の暮らしに満足してるんだ。
今更地上に戻らなくても、今までどおり地底で暮らしたって問題はないだろ?」
それでも、私は萃香に此処を離れて欲しくはなかった。
何百年の付き合いの友を、そう簡単に地上へ送り出せるはずもなかった。
「それに、昔も人間は卑劣な手段で私達を陥れたんだ。
時代が進んだ今、前以上に卑劣な事をしてくるかもしれない。幾らあんたが強いったって、そんなのは危険だ!」
勿論、私は本気で言っているわけではない。
萃香の力は私も認めている。幾ら人間が多少は進化しているだろうとは言え、萃香がそんなのに後れを取るとは思わない。
…ただ、萃香を止めるための口実は、何でもいいから捻り出したかった。ただそれだけだ…。
「…大丈夫、それはないよ。外の世界の友人から、地上の事はちょくちょく聞いてるから。
…尤も、胡散臭い奴だから、ちょっと信用には欠けるところもあるけどね。」
くっ…。…誰だよ、そんな余計な事吹き込んだ奴は…。
段々と、私にも反撃する言葉がなくなってくる。
「…勇儀、判ってもらえないかな。確かにちょっとの間逢えなくなるけれど、上手くいけばまた地上に戻れるんだよ?」
…私としても、萃香の気持ちは判ってやりたい。
だけど、それでも…。…私は…。
「…行くなよ、萃香…。」
…私は、萃香に地底にいて欲しかった。
「…ごめん、勇儀…。…みんなにも謝っておいて…。」
それだけ言って、萃香は静かに立ち上がる。
…萃香、私にそんな事を言わせるのか…?…他の鬼だって、あの2人だって、きっと反対する…。
私達はそもそも、外の世界には干渉しない約束で地底に都市を築いた。
私達は、今更地上に出る事なんて許されない。
そんな中、無理矢理でも外に行こうって言うなら、地底の妖怪全員を敵にするかもしれないんだぞ…?
「…明後日の朝にはもういない から…。…じゃあね、勇儀…。」
…この時、私が去り行く萃香に声を掛けてやれたら、また何か変わっていたのだろうか…。
仲間に離れて欲しくないという感情をもっと言う事が出来れば、少しは萃香の心を動かせたのだろうか…。
私が素直に「萃香に傍にいて欲しい。」と言えれば、萃香は地上には行かなかったのだろうか…。
今となってはもう判らないけれど…。
…私は、萃香の決意と自分の思いとの狭間で、ただ苦しむ事しか出来なかった…。
* * * * * *
…その次の日の、時間的には寅の刻と卯の刻の境。私は地獄街道に入り口に立っていた。
誰にも、萃香が地底からいなくなるということは話していない。
話す必要はない。だって、私は…。
「…あれ、勇儀、やっぱりバレバレだった?」
…と、ようやく待ち人が現れてくれた。
「明後日の朝にはいない、って言ってたからね…。…多分、この時間に出るんだとは思ってたよ…。」
鬼は嘘を嫌う。それは萃香とて同じだ。
だから、萃香は嘘にならないよう、それでも時間を特定しづらいようにそう言ったのだろう。
朝にはいない、と言う事は、夜中あるいは明け方にはまだいるという事。
…その時間が、萃香が地上に行く時間なのだという事…。
「…あんたが、私が地上に行くのを反対してるみたいだったから…。
…ひょっとしたら、って思ったんだ。私が地上に行こうとするなら…。」
…流石萃香、よく判っている。
私は今でも、萃香の言い分を認めていない。地上に行くことなんか、許さない。
私は萃香に、地底にいて欲しい。それが元、山の四天王、そして萃香の友である、星熊勇儀の意思。
「…ああ、無理やりでも止める。それが、私達のやり方だろ?」
鬼は自分でも呆れるくらい好戦的。それは鬼の性質である。
話しても判ってくれそうにないなら…。…その時は、この拳で、この身体で、語り合えばいい。
「…そうだねぇ。最後の思い出には、丁度いいかもね…。」
…萃香はそう言うが、私は最後の思い出になんかさせる気はない。
この場で萃香を叩きのめして、地底にずっといさせてやる。
そして、萃香が「何で止めるんだよぉ!」とか言って、私に突っかかってきて、またその時は戦う。
…そうした関係でもいい。仲間というのは、ライバルでもあるのだから。
「萃香、あんたを地上には行かせられない。
如何しても地上に出たいって言うなら…。…その意思を、私に見せてみろ!」
私は拳を構える。
今更萃香が意志を曲げるとは思わないし、私のこの誘いを断るとも思わない。
…もうこれ以上は、言葉なんていらないはずだ…。
「…じゃあ、見せてやるよ!私の意思を!私の力を!その身に刻みつけてやるよ!!」
その言葉と共に、萃香の身体が霧と化して行く。
萃香は密と疎を操る力を持つ。身体を霧のように分解し、大気に紛れる事も。
…ただ、私は何度も萃香の戦いを見ている。何度も、萃香と共に戦っている。そして、萃香とも戦っている。
確かに霧化した萃香に攻撃を加える事は出来ないけれど…。
「……。」
私は静かに、タイミングを計る。
必ず、萃香はもう一度現れる。ただその時を、静かに…。
「…そこかッ!!」
私はほんの少しだけ身を動かし、それと同時に後ろから飛び出してきた萃香の腕を掴む。
「くっ…!!」
そして、掴んだ萃香の身体をブン投げる。一本背負いで。
霧化した萃香は、確かに物理的な攻撃ではダメージを与える事は出来ない。
だけど、それは萃香も同じ。気化した萃香は、そのままでは敵にダメージを与えられない。
だから、攻撃をする際は身体の一部は必ず元に戻る。私は、そこだけを狙えばいい。
「萃香、その程度の子供騙しで私に勝てると思うな!あんたの覚悟はその程度か!!」
倒れた萃香に、私はそう言い放つ。
この程度の覚悟で地上に戻るというのであれば、それこそ私は許しはしない。この場で叩きのめす。
…勿論、本気で萃香の覚悟がその程度だとは、思っていないが…。
「ふふっ…。…流石は勇儀だね…。…でも、あまり気を取られすぎない方がいいよ?」
萃香がそう言った瞬間、私の後ろから強烈な突風が吹く。
…いや、風が吹いたわけではない。風が、大気が、引き寄せられている…。
「符の参『追儺返しブラックホール』!!」
スペルカードか…!近年、妖怪と人間との関係を繋ぐために作られた…!
萃香の正面に作られた黒い球体、ブラックホールが、私の身体を吸い寄せる。
「…っ!!なめ…るなぁ!!!!」
拳を握り、ブラックホールへと突っ込む。
ブラックホールへと引き寄せられる物体が私の身体を裂いていくが、そんな事は気にせずに。
私は全てを吸い込む黒い球体を、力の限り殴りつけた。
バキイィィッ!!!!
…と、軽快な音がして、その後にひび割れる黒い球体。
やっぱり、ブラックホールに許容以上の力を叩き込めば、壊す事は出来るみたいだ。
ブラックホールとは言え、所詮はスペルカードが作り出したもの。
人間にも破れるように出来ていなくては、その意味を果たさない。私の“力”は、ブラックホールを上回る事は出来た。
…ただ、それでもちょっと力は使いすぎたかもしれないが…。
「…やるね、勇儀。じゃあ次はこれで行くよ!!」
あくまで萃香はスペルカードで挑んでくるようだ。
確かに、鬼が外の世界に戻るという事は、それだけでも十分な“異変”に値するだろう。
地底とは言え、外の世界の情報が全く入ってこないわけではない。
スペルカードがどういう意図で作られたのかくらいは、私だって知っている。
…萃香は、私でスペルカードの実験も行っているという事か。
…いいだろう、受けてやる。萃香の覚悟を、私に見せてみろ!
「鬼神『ミッシングパープルパワー』!!」
と、萃香はスペルの名を宣言すると、その身体を一気に巨大化させる。
なるほど、さっきの霧化とは反対に、自分の存在を逆に強くしたのか…。
面白い。巨大化して、力も恐らく跳ね上がっていることだろう。
私は四天王の中でも、力の勇儀と呼ばれるほどに怪力には特化した存在。
純粋な力比べならば…、…負けはしない!!
「はあっ!!!!」
私は飛び上がり、萃香の懐目掛けて飛び込む。
巨大化している分、動きは大回りになる。その分だけ遅れが出るはず…。
それだけの時間が有れば、私のスピードなら萃香に拳を入れられる…。
…そう思ったのだが、次の瞬間、私の視界は萃香の掌で埋まってしまった。
「なっ…!!」
状況を判断する前に、私の身体は強烈な痛みと共に宙を舞った。
早い…!!力も格段に上がっているし、その上攻撃のスピードは小さい時と変わらず…。
…つまり、その巨体としてはかなりの高速だ。これは、想像以上に厄介かもしれない…。
「くくっ…!面白い!!じゃあ、真っ向勝負で力比べと行こうじゃないか!!」
私はもう一度、萃香へと突っ込む。
今の攻撃で、大方萃香のスピードは把握できた。
全体的な動きはともかく、腕を振るスピードなんかは変わっていない。
…それさえ意識すれば、付いていけない速さではない。
「受けて立つよ、その勝負!!」
巨大化萃香は私に対して、真っ直ぐに拳を向ける。
その拳に対して、私も真っ向から拳をぶつける。
バキイィッ!!!!
萃香と私の拳がぶつかり合い、大きな音を立てる。
私の全身全霊の拳は、萃香の巨大な腕を弾き返していた。
…ただ、私の拳も猛烈に痛かった。骨に皹くらいは入ったかもしれない。
「喰らえッ!!!!」
拳を弾かれ、よろけた萃香の腹目掛けて、もう一度拳を叩き込む。
今度は反応出来なかったのか、私の拳は萃香の腹へのめり込んだ。
「がはっ…!!」
萃香の苦しそうな声が聞こえたが、構わず私は上を向き…。
「止めだッ!!!!」
萃香の顎に、力の限りの拳を叩き込んだ…。
萃香の巨体は宙へと浮き、ドスンと大きな音を立てて倒れる。
そして、萃香の身体は次第にもとの小さな身体へと戻っていった。
…勝った…のか…?
…いや、まだだ。萃香の力を、そして信念を考えれば、こんな物で終わるはずが無い。
「痛たたたッ…。…勇儀、やっぱり強いね…。」
むくりと起き上がり、口から漏れた血を拭う萃香。
…やっぱり、萃香を倒すには、必殺の一撃でも打ち込まない限りは無理か…。
…だけど、あれを使わなくてはならないのか…?
同じ元、山の四天王である萃香に…。…共に同じ時を過ごした萃香に、あの技を…。
「…萃香、まだ戦うのか?そこまでして、お前は外の世界に行きたいのか…?」
…最後に、もう一度だけ問う。
もし萃香の信念が変わらないというのであれば、私は今度こそ、本気で萃香を倒しに行く。
だけど、これ以上萃香にこの拳を使いたくないのも事実だった…。
「…私の思いは変わらないよ。…みんなで、4人でもう一度、山に行きたい。
4人でもう一度、外の世界に出たい。もう一度、あの頃に戻ってみたい。
…勇儀、あんたに私は止めさせない…。…勇儀にも、もう一度月の光を見せてあげたいから…。」
…萃香の意思は、やっぱり変わらないか…。
月の光…。…私達には、もう忘れて久しい物。妖怪の力の源となる、大いなる存在。
…確かに、私ももう一度それを見てみたい。それは、萃香に共感する。
萃香が本当に外の世界を変えてくれるのであれば…。…少しだけ、それに乗ってもいいかな、と思えてきた…。
…でも、私の思いも変わらない。
それ以上に、私は萃香に傍にいて欲しい。今になって、1人でも仲間が欠けてほしくはない。
だから萃香、あんたの決意を見せて欲しい。
あんたが本気で外へと出たいのであれば、この私を納得させてくれ。その拳で!その身体で!!
「いくよ勇儀!!符の壱『投擲の天岩戸』!!」
萃香が飛び上がり、腕をぐるぐると回し始めたかと思うと、その腕に辺りの岩が集まって行く。
萃香の能力で、辺りの岩が集められているのか…。
「喰らえッ!!」
萃香の身の丈の倍くらいの巨大な岩になったところで、それを私へと投げ込んでくる。
ただ、その程度の工夫が無い攻撃で、私が止められるとでも思っているのか…?
「はあッ!!」
飛んでくる岩に対して、私は拳を叩き込む。
幾ら萃香の力を纏っているとは言え、所詮はただの岩。鬼の怪力には無駄に等しい。
案の定、岩は私の身体に何のダメージを与える事もなく砕け散った。
…だが、その次の瞬間に、私は足を萃香の腕に掴まれていた…。
「…!!…しまった…!!」
「遅いよ!!今度こそ喰らえッ!!」
世界が物凄い勢いで回転する。普段酒を飲んでいる頭には辛い攻撃だ。
足を掴まれた私は、萃香の腕にぶんぶんと振り回された後に、地面に叩きつけられた。
「がっ…!!」
肺から血が逆流してくるのを感じる。
初撃の岩は、私から萃香の姿を確認出来なくさせるためのものだったのか…。
萃香の小さい身体を隠すには、あの岩は充分すぎた。
岩を投げると共に、萃香はその岩の後ろにピッタリとくっ付いて、私が岩を破壊するのを誘っていたのだろう。
…私が素直に避けていたら…。…いや、萃香はそんな事は考えなかっただろう。
私が萃香を良く知っているように、萃香も私の事を良く知っている。
目の前の岩に対して、私が避けるなんて事はしない、力で粉砕しに来るという事を…。
「けほっ…、…やってくれるじゃないか、萃香…。」
今度は私が、口から漏れた血を手で拭う。
今のはかなりのダメージだ。予想外のダメージを負ってしまった…。
ただ、これでまた五分五分だ。萃香にも、ミッシングパープルパワーを破られた時のダメージがあるのだから。
「勇儀こそ、やっぱり強いじゃん。こんなに楽しい勝負は久々だよ…!」
楽しい…?
…そうか、楽しいんだ。やっぱり。
私も楽しんでいる。この勝負を。鬼と鬼との、力のぶつかり合いを。
本当に、自分でも呆れる。この鬼の血という物を。こんな時まで、勝負事を楽しんでいるという事を。
だけど…、…それでいいのかもしれない。
だって、私達は鬼なのだから。そういう種族なのだから。
「…ああ、私も久しぶりだよ…!だから、もっともっと楽しもうじゃないか!!」
立ち上がり、私は萃香めがけて突進する。
私はまだスペルカードを持たない。私の武器は、この拳だけ。それが最大の武器。
それで構わない。それが私なのだから。怪力乱神を持つ、この私の本当の戦い方だ。
「じゃあ、もっともっと行くよ!!酔符『鬼縛りの術』!!!!」
萃香は鎖を振り回し、私へと投げる。
名前で何となく判る。恐らく、これは私を拘束するためのもの…。
確かに、拳を封じられては私は殆ど無力になるだろう。
だったら…、…捕まらなければいい。
私は鎖の動きを見切り、上空へと飛ぶ。
上からなら、例え鎖の軌道を変えられたとしても、その動きを見られる。
人間だったら上空に飛ぶと動きは取れなくなるが、空を翔られる私には関係のない話。
「喰らいなッ!!」
鎖をかわした私は、一気に急降下して、萃香の脳天目掛けて拳を振り下ろす。
しかし、流石に萃香もそう易々と攻撃を当てさせてはくれなかった。
私の拳を寸前までひきつけて、萃香はその身を僅かにそらしてかわす。
流石に振り下ろした拳の軌道を急に変えられるほど、私は器用ではない。
そもそも、そんな事をしたって威力はかなり落ちる。無駄な攻撃だ。
なので、私は一度地面に着地してから、すぐさま萃香に向き直り、もう一度拳を叩き込もうとする。
…だが、その時見た萃香の不気味な笑みに、一瞬だけ私は拳を止めてしまい…。
「掛かったね!!酔夢『施餓鬼縛りの術』!!!!」
それが隙となり、私は二発目の鎖をかわす事が出来なかった。
しまった、最初から『鬼縛りの術』はただの見せ技だったのか…!
私が空に避け、そこから攻撃を入れることを予測して…。…そして、そこを狙って…。
「あんたの霊力、そのまま頂くよ!!」
私の身体に、まるで落雷が走るような感覚が襲った。
「くああぁっ…!!」
私の霊力が、鎖を通して奪われていくのを感じる。
拙い、このままでは萃香に力を全て奪われる…。
どうにかしようにも、身体に全く力が入らない。それもそのはず、霊力が失われていっているのだから。
…畜生、私はこれで負けるのか…?
此処で萃香に敗れて、私は萃香を止められずに、私達は3人になってしまうのか…?
何百年もの長い付き合いだったのに、此処でその絆が終わってしまうのかもしれないのに…?
萃香のことは信じている。だけど、ひょっとしたら、これが最後になってしまうかもしれないのに…?
…行って欲しくない。
…離れて欲しくない。
…萃香を止めたい。
…そして何より…。
…萃香に…勝ちたい!!
「…ッ…がああぁぁ!!!!」
パキイイィィィ…ン!!!!
萃香の鎖が、砕け散る音が聞こえる。
それと共に、私の身体に霊力が多少だが戻る。
「なっ…!!鎖が…!?」
萃香が驚いている隙に、私は間合いを一気に詰める。
…もう、此処しかない。
相手が萃香だからって、関係ない。
私は萃香に勝ちたい。負けたくない。
…萃香、これで倒れてくれ…!!
「はぁっ!!!!」
ドスッ、っと萃香の腹から鈍い音が響く。
私の右手は、確かに萃香の身体を捉えていた。
だが、これで終わりじゃない。これは、まだ一歩目 …。
「二歩目!!!!」
一歩踏み込み、今度は左手で同じと事に拳を入れる。
しかし、まだ。まだ萃香は倒れないだろう。これはまだ予備動作なのだから。
…次こそが、真の一撃…。
「四天王奥義…!!」
…萃香。私は、あんたの事を友だと思っている。
だから…。…あんたに外に行って欲しくはない。
…だけど、もしあんたがこれに耐えて、外に行った時は…。…そっちの連中と仲良くしてくれ。
地底に戻ってくる必要はないさ。外の連中も、私達には手を出せない決まりなんだから…。
私達は、私たちで生きて行く…。…だから、その時は…。
「『三歩必殺』!!!!」
ドゴンッ!!!!と、大きな音を立てて、私の右手は萃香の腹へとめり込む。
バキバキと、私の腕の骨と、萃香の肋骨が折れる音が響く。
…この程度、別にすぐに治る。だが、問題なのは…。
「…勇儀…。」
…私の拳の先から、萃香の小さな声が聞こえる…。
見れば、萃香は私に向けて、スペルカードを構えていた。
…ああ、やっぱり。『施餓鬼縛りの術』を破った時点で、とうに私の霊力は尽きていた。
霊力がカラの状態で撃った私の奥義なんて、逆に私の力を吸い取って霊力を回復した萃香に、通じるハズもなかった…。
「…勇儀、楽しかったよ…。…じゃあね…。」
…萃香の目から、涙が溢れていた。
もうそれだけで、私は全てがどうでも良く思えてしまった。
鬼は涙なんか流さない。それほど強い妖怪なのだから。
萃香の涙なんて、いや、鬼の涙なんてものを、私はこの時初めて見た。
…もうそれだけで…。…充分だった…。
「…じゃあな、萃香…。」
最後に、私もそれだけ言い残す。
…あれ、何だろう。目の下が熱く…。
私の視界が、萃香の姿が、少しずつ滲んでいく。
…ああ、これが、泣くって感覚なのか…。
…ありがとう…。…最後に、こんな感覚を教えてくれて…。
…さよならだ、私の仲間にして、最高のライバルだった、伊吹萃香…。
―― 鬼火『超高密度燐火術』 … …
* * * * * *
目が覚めたとき、私は地獄街道の入り口に倒れていた。
時間的には、そう長い時間気絶していたわけではないだろう。多分四半刻ほど…。
…だけど、辺りを見回しても、萃香の姿は見えなかった。
「…もう行ったのか…。」
身体全身が痛い。全く萃香の奴、最後の攻撃を、あんな至近距離で盛大にぶっ放すなんて…。
…これは、暫くは休んでないと駄目だな…。…暫くは、禁酒もするかな…。
…ああ、本当に行ってしまったんだな、萃香…。
もう逢えないのか…?…もう、私達はずっと3人で、あんたはずっと1人なのか…?
…いや、信じよう。例え離れていても、私達はずっと4人一緒だ…。
例えもう帰ってこなくても、私はあんたの事を忘れない。
だから、あんたもずっと覚えていてくれ。私たちの事を。仲間の事を。
そうすれば、私達の心はずっと一つだ…。
「…ははっ…。…元気でな、萃香…。」
もう聞こえないだろうが、私は友に向かって、最後の言葉を送る。
私は結局、最初から萃香が地上に行くことなんか、別にどうでもよかったのかもしれない。
本当に萃香を止めたかったならば、最初から奥義を使えばよかった。あんな、最後の最後まで取っておく必要はなかった。
だけど、私はそれをしなかった。最後の最後まで、萃香との戦いの理由を忘れるまで、使わなかった。
…私は、最後に萃香と戦いたかっただけなのかもしれない。
地上に行ってしまう萃香と、まさにあいつの言ったとおり、最後の思い出を作りたかったから…。
…私は、自分の技を尽くして戦った。手加減は一切抜きで、本当の勝負をした。
…そして、私は負けた。萃香に敗れたのだ…。
…強くなったなぁ、萃香…。
「…畜生…。」
また、目の下が熱くなって、目から涙が零れた。
悔しい。萃香に負けたのが、たまらなく悔しかった。
ああ悔しいよ。鬼が悔しがって何が悪い。鬼が泣いて何が悪い…。
今だけは、泣く事にする。自分の感情に、素直になる。
…萃香、あんたは地上に行っても…。…そうして、強くあり続けるか…?
…だったら私も、強くあり続けてやる…。…今よりも、もっと強くなってやる…。
だから萃香、次に逢う事があったら…。
…絶対に、私が勝たせてもらうからな…!!
* * * * * *
「…ははっ、懐かしい事を…。」
あれから数年、私は1人で酒を飲む事が多くなった気がする。
誰かと一緒に酒を飲むと、如何しても萃香の事を思い出してしまうからだ。
私の中で、それほどまでに萃香の存在は大きかったのか…。
…萃香がいなくなってから、私は初めてその事に気付いた…。
あれから、スペルカードも何枚か作ってみた。
私は萃香のスペルに敗れた。萃香の新たな武器に、私は敗北した。
だから次は、同じ武器を持って戦ってみたい。この拳と、そしてスペルカードを使って、萃香と戦いたい。
…さて、そろそろ行くか。どうも、地底に人間が入り込んでいるらしい。
土蜘蛛と橋姫が既に負けているんだとか。これは、ちょっとは楽しめるかもしれない。
折角なので、スペルカードも持っていくか。実戦でのテストはあまりした事がないからな…。
その人間は、確かに強かった。
紅白の衣を纏った、黒髪の…、…巫女だろうか?
私も楽しむだけの戦い、杯の酒を一滴も零さない、という枷を強いているものの、それでも強い。
「気に入った!もっと楽しませてあげるから、駄目になるまでついてきなよ!」
「あんたと酒呑んでいく気は無いんだけど。」
気に入った。これは本当に気に入った。
この巫女は強い。鬼と対立できる人間など、一体どれくらいぶりだろうか?
久々に心が踊る。もっと、もっと楽しませてあげるよ人間。
そして、私をもっと楽しませて!!
「うぎぎ。目の前をちょろちょろと邪魔よ!」
私の攻撃も、他の地霊たちの攻撃も物ともしない紅白の巫女。
素晴らしい。この巫女なら、本気で戦ったって私達と渡り合えるんじゃないか…?
今の外の世界には、こんな奴もいるのか…。
「あらあら、つれないねぇ。地上の奴らが降りてくる事なんて殆ど無いのに。」
…萃香、あんたの判断は正しかったね。
あんたがこの世界を出て行ってまで、たどり着いた世界は…。
…とても、面白そうじゃないか…。
(おう!誰かと思ったら勇儀じゃないか。久しぶり!)
…えっ?今の声は?
今までの巫女の声とは、若干違った気がするけれど…。
「あん?私を知ってるって、貴方…何者?」
何か、とても懐かしい声…。
…この声は…。
(私だよ私。暫く地上に遊びに行ってたからって 忘れて貰っちゃ困るねぇ。)
…ッ!!!!
…間違いない、この声は…。
「その酔っぱらった声…もしかして萃香!?」
(また、あんたらと四人で山登りたいねぇ)
私の問に対して、萃香の声はそう答える。
…間違いない、萃香だ。忘れるはずも無い。
「あれまぁ、随分と様変わりしちゃって… まるで人間の巫女の様よ?いつからそんな趣味になっちゃったのさ。」
萃香は巫女の趣味に走ったのか。姿も大分変わってるし、まさかそんな趣味があるとは…。
「知るか。あんたが話している相手は私じゃないわ」
…と、声がまたさっきの巫女の物へと戻る。
「うん?萃香は何処に行った?」
辺りを見回してみても、萃香の姿は見えない。
そもそも、この巫女から感じるのは間違いなく人間の力。鬼のそれじゃない。
「あいつは地上にいるよ。何?あいつと知り合いなの?」
…ああ、成る程。私はようやく理解する。
つまり、萃香は最初から此処にはいないのか。
「地上?ああ、その珠から聞こえてきているのか」
巫女の周りに有る幾つもの陰陽玉、それを通して萃香の声が聞こえてきたのか。
…ああ、全く、萃香の奴、こんな面白そうな人間と知り合いになってたのか…。
「知り合いって事は、あんたも鬼なのね?」
巫女がそう訊ねてくる。
鬼は嘘をつかない。だから、聞かれた事には素直に答える事にする。
「もちろん。私は萃香と同じ山の四天王の一人、力の勇儀。 ま、山っていっても今は山に居ないけどね。」
「ふーん。で、あんたらが地上を攻めようっていうの?」
私が素直に事情を話すと、巫女はまるで表情を変えずに、どうでも良いという様に聞き流す。
全く、無重力な奴だ。人間の癖に空を飛んでるし、今更だけど。
…それにしても、今の発言はなかなか傑作だ。意味がまるで判らない。
「あはははは!何で今更地上を攻める必要があるのよ。
地獄だったここも今や我々の楽園。地上の賢者達にも感謝しているよ。邪魔も入らないしね。」
今更地上を攻める気は、私には無い。
それは萃香に任せたのだ。鬼がまた、地上に戻れる世界を作ってもらう事。
例えそれが上手くいかなくても、私はもう、それを運命だと思って諦める事にしている。
…ただ、本当はその心算だったのだけれど…。
…なんだか、その私の考えすら、覆してもいいような気がしてきた。
だって、目の前にいるじゃないか。こんなに面白そうな人間が。
私たちが望んで止まなかった、鬼と渡り合える人間。それが、今私の目の前にいる。
「それより、あんた!人間の癖に強いし、萃香とも知り合いみたいだし、久しぶりにわくわくしてきたよ!」
この感じ、まるで萃香と最後に戦った時みたいだ。
素晴らしい、これほどの力を持つ人間がいる地上に、私は少しずつ、興味が湧いてきた…。
「…どうして私の周りはこんな奴ばかり集まってくるのよ。」
巫女はどうもやる気じゃないらしいが、それでも私と戦ってもらう。
恐らく、萃香の力も借りて此処まで来ているのだろう。陰陽玉といちいち通信をしている所から判断して。
…だったら、これは私と巫女、二人だけの戦いではない。
萃香、あんたにも、私の新しい力を見せてやる…。
…そして、その中で私は決める。私も、地上に行くかどうかを。
…萃香、あんたの顔を、もう一度見れるかどうかを…!!
…さあ、始めよう!!鬼と人間の、忘れ去られた戦いを!!!!
※若干二次設定気味でもありますので、そういうのが苦手な方も。
※姉御大好きです。
鬼。
それは嘗て妖怪の山に住んでいた、最も力を持った妖怪。
その中でも、特に力の強かった4人は、山の四天王と呼ばれた存在だった。
…私も、その内の1人だ。
まあ、それは嘗ての話。今は地底の旧地獄で暮らしている私には、もうあまり意味を持たない称号。
地中には山なんてものはないし、此処に住んでいる連中はみんな、忌み嫌われた能力を持つものばかり。
鬼の私がそんな連中に後れを取るとは思わないが、下手に刺激して騒ぎを起こしたくもない。
「…おっ、今日は雪か…。」
手に杯を持ち、私は雪の降る地獄街道で酒を煽る。
どうして地底に雪が降るのかはよく判らない。まあ、冬なんだから雪は降ってくれた方がいいが。
雪景色の中、こうして静かに酒を飲むのも、また一興だ。
「…くくっ…。…一人で、か…。」
…自然に笑いが漏れる。自嘲気味た笑いが。
…ああ、ちょっと前までは、隣に誰かいた気がするんだけどなぁ…。
見た目はちっこいけど、私と同じ鬼。密度を操る力を持った、小さな鬼が…。
「…あんたは、今何をしてるんだい…?…萃香…。」
厚い地表の向こう、外の世界へと出て行ってしまったあんたも、今こうして雪を見ているのかい…?
* * * * * *
「…萃香、今なんて言った…?」
その日、私は萃香と2人で酒を飲んでいた。
山の四天王とは言え、別に何時も4人一緒にいるわけではない。
都合が悪ければ席を外す事もある。その日も、他の2人はちょっとした事で席を外していた。
…ただ、そんな私と2人だけの時に、まさか萃香がそんな事を言うとは、夢にも思わなかった…。
「…あれ?おかしいな、聞こえてないはずはないよね、勇儀。」
無限に酒が湧く瓢箪を持ち、萃香は酒を飲み続ける。
…聞こえてないはずは、ない。確かに、私は今言った事は聞き取っていた。
…だが、理解が出来なかった。というより、理解したくなかった…。
「私は地上に戻るよ。」
もう一度、萃香は静かにそう言う。
…地上に、戻る…?
鬼はもう何百年も前に、人間を見限って、地底へとその身をおいた。
今ではきっと、外の世界では鬼の存在なんか忘れている事だろう。
私たちとしても、もう人間との関係なんてどうでもよかった。
人間は卑劣な手段で私たちを陥れた。そんな人間なんか、もう私は興味はない。
…なのに、萃香は…。
「…何を言ってるんだよ、萃香…。」
…萃香は、私達から離れるというのか?
私達を捨てて、人間を取るというのか…?
「…もう決めたんだよ。私は、もう一度人間の姿を見に行きたい。
私達が地底に来てから、もう何百年も経った。…いい加減、人間は私達の事を忘れているだろうね…。」
そうだ、私達の事なんか人間はとっくに忘れている。
だから、今更外に出る必要なんてないじゃないか。
今更外に戻ったところで、どうせ人間は私達と戯れる術なんか持ってはいないだろう。
…そして、どうせ昔に逆戻りだ。人間は、また私達を陥れるだけだ。
「…勇儀。私は、もう一度だけ人間を信じてみたい。もう一度、鬼と人との絆を取り戻してみたい。
私がそれに上手くいったら…。…また、一緒に山に登ろう、みんなで。」
私の眼を、静かで、悲しげで、それでも何処か優しさを含んだ、普段の萃香からはちょっと想像も出来ない表情で見つめる。
…萃香は、本気で地上に戻ろうとしている。酒の戯れでの、冗談なんかではない。
「…私達を、捨てるのか…?…仲間を捨てて、人間を取るのか…?」
こんな事は言いたくなかった。だけど、言わなくてはならない気がした。
萃香とはもう何百年も共に過ごしてきた存在。
…そんな萃香に、私は何処か別の所へ行って欲しくはなかった。これからも、ずっと友でいたかった。
だから…、…私は、萃香を止めたかった…。
「…そういう訳じゃないよ。あんたとは、これからもずっと仲間でいたい。
そのために、私は鬼が地上に戻れる、そんな人間の“意識”を作りに行く。…みんなで、地上に戻るんだよ…。」
…どうして、そんな事を言うのだろう…。
これじゃ、止めてる私の方が悪者じゃないか…。
全ての鬼の事を考えて、1人で地上に戻るとする萃香。
今更地上に未練はない、地上に戻る必要なんかないと言う私…。
…どっちが正しいかなんて、そんなの萃香に決まってる。私は正しい事は言っていない。
鬼のために、そして人間のために動こうとしている萃香を、私は個人的な理由で止めようとしているのだから…。
…だけど、それでも…。
「…いいじゃないか、別に。今はみんな、地底の暮らしに満足してるんだ。
今更地上に戻らなくても、今までどおり地底で暮らしたって問題はないだろ?」
それでも、私は萃香に此処を離れて欲しくはなかった。
何百年の付き合いの友を、そう簡単に地上へ送り出せるはずもなかった。
「それに、昔も人間は卑劣な手段で私達を陥れたんだ。
時代が進んだ今、前以上に卑劣な事をしてくるかもしれない。幾らあんたが強いったって、そんなのは危険だ!」
勿論、私は本気で言っているわけではない。
萃香の力は私も認めている。幾ら人間が多少は進化しているだろうとは言え、萃香がそんなのに後れを取るとは思わない。
…ただ、萃香を止めるための口実は、何でもいいから捻り出したかった。ただそれだけだ…。
「…大丈夫、それはないよ。外の世界の友人から、地上の事はちょくちょく聞いてるから。
…尤も、胡散臭い奴だから、ちょっと信用には欠けるところもあるけどね。」
くっ…。…誰だよ、そんな余計な事吹き込んだ奴は…。
段々と、私にも反撃する言葉がなくなってくる。
「…勇儀、判ってもらえないかな。確かにちょっとの間逢えなくなるけれど、上手くいけばまた地上に戻れるんだよ?」
…私としても、萃香の気持ちは判ってやりたい。
だけど、それでも…。…私は…。
「…行くなよ、萃香…。」
…私は、萃香に地底にいて欲しかった。
「…ごめん、勇儀…。…みんなにも謝っておいて…。」
それだけ言って、萃香は静かに立ち上がる。
…萃香、私にそんな事を言わせるのか…?…他の鬼だって、あの2人だって、きっと反対する…。
私達はそもそも、外の世界には干渉しない約束で地底に都市を築いた。
私達は、今更地上に出る事なんて許されない。
そんな中、無理矢理でも外に行こうって言うなら、地底の妖怪全員を敵にするかもしれないんだぞ…?
「…明後日の朝には
…この時、私が去り行く萃香に声を掛けてやれたら、また何か変わっていたのだろうか…。
仲間に離れて欲しくないという感情をもっと言う事が出来れば、少しは萃香の心を動かせたのだろうか…。
私が素直に「萃香に傍にいて欲しい。」と言えれば、萃香は地上には行かなかったのだろうか…。
今となってはもう判らないけれど…。
…私は、萃香の決意と自分の思いとの狭間で、ただ苦しむ事しか出来なかった…。
* * * * * *
…その次の日の、時間的には寅の刻と卯の刻の境。私は地獄街道に入り口に立っていた。
誰にも、萃香が地底からいなくなるということは話していない。
話す必要はない。だって、私は…。
「…あれ、勇儀、やっぱりバレバレだった?」
…と、ようやく待ち人が現れてくれた。
「明後日の朝にはいない、って言ってたからね…。…多分、この時間に出るんだとは思ってたよ…。」
鬼は嘘を嫌う。それは萃香とて同じだ。
だから、萃香は嘘にならないよう、それでも時間を特定しづらいようにそう言ったのだろう。
朝にはいない、と言う事は、夜中あるいは明け方にはまだいるという事。
…その時間が、萃香が地上に行く時間なのだという事…。
「…あんたが、私が地上に行くのを反対してるみたいだったから…。
…ひょっとしたら、って思ったんだ。私が地上に行こうとするなら…。」
…流石萃香、よく判っている。
私は今でも、萃香の言い分を認めていない。地上に行くことなんか、許さない。
私は萃香に、地底にいて欲しい。それが元、山の四天王、そして萃香の友である、星熊勇儀の意思。
「…ああ、無理やりでも止める。それが、私達のやり方だろ?」
鬼は自分でも呆れるくらい好戦的。それは鬼の性質である。
話しても判ってくれそうにないなら…。…その時は、この拳で、この身体で、語り合えばいい。
「…そうだねぇ。最後の思い出には、丁度いいかもね…。」
…萃香はそう言うが、私は最後の思い出になんかさせる気はない。
この場で萃香を叩きのめして、地底にずっといさせてやる。
そして、萃香が「何で止めるんだよぉ!」とか言って、私に突っかかってきて、またその時は戦う。
…そうした関係でもいい。仲間というのは、ライバルでもあるのだから。
「萃香、あんたを地上には行かせられない。
如何しても地上に出たいって言うなら…。…その意思を、私に見せてみろ!」
私は拳を構える。
今更萃香が意志を曲げるとは思わないし、私のこの誘いを断るとも思わない。
…もうこれ以上は、言葉なんていらないはずだ…。
「…じゃあ、見せてやるよ!私の意思を!私の力を!その身に刻みつけてやるよ!!」
その言葉と共に、萃香の身体が霧と化して行く。
萃香は密と疎を操る力を持つ。身体を霧のように分解し、大気に紛れる事も。
…ただ、私は何度も萃香の戦いを見ている。何度も、萃香と共に戦っている。そして、萃香とも戦っている。
確かに霧化した萃香に攻撃を加える事は出来ないけれど…。
「……。」
私は静かに、タイミングを計る。
必ず、萃香はもう一度現れる。ただその時を、静かに…。
「…そこかッ!!」
私はほんの少しだけ身を動かし、それと同時に後ろから飛び出してきた萃香の腕を掴む。
「くっ…!!」
そして、掴んだ萃香の身体をブン投げる。一本背負いで。
霧化した萃香は、確かに物理的な攻撃ではダメージを与える事は出来ない。
だけど、それは萃香も同じ。気化した萃香は、そのままでは敵にダメージを与えられない。
だから、攻撃をする際は身体の一部は必ず元に戻る。私は、そこだけを狙えばいい。
「萃香、その程度の子供騙しで私に勝てると思うな!あんたの覚悟はその程度か!!」
倒れた萃香に、私はそう言い放つ。
この程度の覚悟で地上に戻るというのであれば、それこそ私は許しはしない。この場で叩きのめす。
…勿論、本気で萃香の覚悟がその程度だとは、思っていないが…。
「ふふっ…。…流石は勇儀だね…。…でも、あまり気を取られすぎない方がいいよ?」
萃香がそう言った瞬間、私の後ろから強烈な突風が吹く。
…いや、風が吹いたわけではない。風が、大気が、引き寄せられている…。
「符の参『追儺返しブラックホール』!!」
スペルカードか…!近年、妖怪と人間との関係を繋ぐために作られた…!
萃香の正面に作られた黒い球体、ブラックホールが、私の身体を吸い寄せる。
「…っ!!なめ…るなぁ!!!!」
拳を握り、ブラックホールへと突っ込む。
ブラックホールへと引き寄せられる物体が私の身体を裂いていくが、そんな事は気にせずに。
私は全てを吸い込む黒い球体を、力の限り殴りつけた。
バキイィィッ!!!!
…と、軽快な音がして、その後にひび割れる黒い球体。
やっぱり、ブラックホールに許容以上の力を叩き込めば、壊す事は出来るみたいだ。
ブラックホールとは言え、所詮はスペルカードが作り出したもの。
人間にも破れるように出来ていなくては、その意味を果たさない。私の“力”は、ブラックホールを上回る事は出来た。
…ただ、それでもちょっと力は使いすぎたかもしれないが…。
「…やるね、勇儀。じゃあ次はこれで行くよ!!」
あくまで萃香はスペルカードで挑んでくるようだ。
確かに、鬼が外の世界に戻るという事は、それだけでも十分な“異変”に値するだろう。
地底とは言え、外の世界の情報が全く入ってこないわけではない。
スペルカードがどういう意図で作られたのかくらいは、私だって知っている。
…萃香は、私でスペルカードの実験も行っているという事か。
…いいだろう、受けてやる。萃香の覚悟を、私に見せてみろ!
「鬼神『ミッシングパープルパワー』!!」
と、萃香はスペルの名を宣言すると、その身体を一気に巨大化させる。
なるほど、さっきの霧化とは反対に、自分の存在を逆に強くしたのか…。
面白い。巨大化して、力も恐らく跳ね上がっていることだろう。
私は四天王の中でも、力の勇儀と呼ばれるほどに怪力には特化した存在。
純粋な力比べならば…、…負けはしない!!
「はあっ!!!!」
私は飛び上がり、萃香の懐目掛けて飛び込む。
巨大化している分、動きは大回りになる。その分だけ遅れが出るはず…。
それだけの時間が有れば、私のスピードなら萃香に拳を入れられる…。
…そう思ったのだが、次の瞬間、私の視界は萃香の掌で埋まってしまった。
「なっ…!!」
状況を判断する前に、私の身体は強烈な痛みと共に宙を舞った。
早い…!!力も格段に上がっているし、その上攻撃のスピードは小さい時と変わらず…。
…つまり、その巨体としてはかなりの高速だ。これは、想像以上に厄介かもしれない…。
「くくっ…!面白い!!じゃあ、真っ向勝負で力比べと行こうじゃないか!!」
私はもう一度、萃香へと突っ込む。
今の攻撃で、大方萃香のスピードは把握できた。
全体的な動きはともかく、腕を振るスピードなんかは変わっていない。
…それさえ意識すれば、付いていけない速さではない。
「受けて立つよ、その勝負!!」
巨大化萃香は私に対して、真っ直ぐに拳を向ける。
その拳に対して、私も真っ向から拳をぶつける。
バキイィッ!!!!
萃香と私の拳がぶつかり合い、大きな音を立てる。
私の全身全霊の拳は、萃香の巨大な腕を弾き返していた。
…ただ、私の拳も猛烈に痛かった。骨に皹くらいは入ったかもしれない。
「喰らえッ!!!!」
拳を弾かれ、よろけた萃香の腹目掛けて、もう一度拳を叩き込む。
今度は反応出来なかったのか、私の拳は萃香の腹へのめり込んだ。
「がはっ…!!」
萃香の苦しそうな声が聞こえたが、構わず私は上を向き…。
「止めだッ!!!!」
萃香の顎に、力の限りの拳を叩き込んだ…。
萃香の巨体は宙へと浮き、ドスンと大きな音を立てて倒れる。
そして、萃香の身体は次第にもとの小さな身体へと戻っていった。
…勝った…のか…?
…いや、まだだ。萃香の力を、そして信念を考えれば、こんな物で終わるはずが無い。
「痛たたたッ…。…勇儀、やっぱり強いね…。」
むくりと起き上がり、口から漏れた血を拭う萃香。
…やっぱり、萃香を倒すには、必殺の一撃でも打ち込まない限りは無理か…。
…だけど、あれを使わなくてはならないのか…?
同じ元、山の四天王である萃香に…。…共に同じ時を過ごした萃香に、あの技を…。
「…萃香、まだ戦うのか?そこまでして、お前は外の世界に行きたいのか…?」
…最後に、もう一度だけ問う。
もし萃香の信念が変わらないというのであれば、私は今度こそ、本気で萃香を倒しに行く。
だけど、これ以上萃香にこの拳を使いたくないのも事実だった…。
「…私の思いは変わらないよ。…みんなで、4人でもう一度、山に行きたい。
4人でもう一度、外の世界に出たい。もう一度、あの頃に戻ってみたい。
…勇儀、あんたに私は止めさせない…。…勇儀にも、もう一度月の光を見せてあげたいから…。」
…萃香の意思は、やっぱり変わらないか…。
月の光…。…私達には、もう忘れて久しい物。妖怪の力の源となる、大いなる存在。
…確かに、私ももう一度それを見てみたい。それは、萃香に共感する。
萃香が本当に外の世界を変えてくれるのであれば…。…少しだけ、それに乗ってもいいかな、と思えてきた…。
…でも、私の思いも変わらない。
それ以上に、私は萃香に傍にいて欲しい。今になって、1人でも仲間が欠けてほしくはない。
だから萃香、あんたの決意を見せて欲しい。
あんたが本気で外へと出たいのであれば、この私を納得させてくれ。その拳で!その身体で!!
「いくよ勇儀!!符の壱『投擲の天岩戸』!!」
萃香が飛び上がり、腕をぐるぐると回し始めたかと思うと、その腕に辺りの岩が集まって行く。
萃香の能力で、辺りの岩が集められているのか…。
「喰らえッ!!」
萃香の身の丈の倍くらいの巨大な岩になったところで、それを私へと投げ込んでくる。
ただ、その程度の工夫が無い攻撃で、私が止められるとでも思っているのか…?
「はあッ!!」
飛んでくる岩に対して、私は拳を叩き込む。
幾ら萃香の力を纏っているとは言え、所詮はただの岩。鬼の怪力には無駄に等しい。
案の定、岩は私の身体に何のダメージを与える事もなく砕け散った。
…だが、その次の瞬間に、私は足を萃香の腕に掴まれていた…。
「…!!…しまった…!!」
「遅いよ!!今度こそ喰らえッ!!」
世界が物凄い勢いで回転する。普段酒を飲んでいる頭には辛い攻撃だ。
足を掴まれた私は、萃香の腕にぶんぶんと振り回された後に、地面に叩きつけられた。
「がっ…!!」
肺から血が逆流してくるのを感じる。
初撃の岩は、私から萃香の姿を確認出来なくさせるためのものだったのか…。
萃香の小さい身体を隠すには、あの岩は充分すぎた。
岩を投げると共に、萃香はその岩の後ろにピッタリとくっ付いて、私が岩を破壊するのを誘っていたのだろう。
…私が素直に避けていたら…。…いや、萃香はそんな事は考えなかっただろう。
私が萃香を良く知っているように、萃香も私の事を良く知っている。
目の前の岩に対して、私が避けるなんて事はしない、力で粉砕しに来るという事を…。
「けほっ…、…やってくれるじゃないか、萃香…。」
今度は私が、口から漏れた血を手で拭う。
今のはかなりのダメージだ。予想外のダメージを負ってしまった…。
ただ、これでまた五分五分だ。萃香にも、ミッシングパープルパワーを破られた時のダメージがあるのだから。
「勇儀こそ、やっぱり強いじゃん。こんなに楽しい勝負は久々だよ…!」
楽しい…?
…そうか、楽しいんだ。やっぱり。
私も楽しんでいる。この勝負を。鬼と鬼との、力のぶつかり合いを。
本当に、自分でも呆れる。この鬼の血という物を。こんな時まで、勝負事を楽しんでいるという事を。
だけど…、…それでいいのかもしれない。
だって、私達は鬼なのだから。そういう種族なのだから。
「…ああ、私も久しぶりだよ…!だから、もっともっと楽しもうじゃないか!!」
立ち上がり、私は萃香めがけて突進する。
私はまだスペルカードを持たない。私の武器は、この拳だけ。それが最大の武器。
それで構わない。それが私なのだから。怪力乱神を持つ、この私の本当の戦い方だ。
「じゃあ、もっともっと行くよ!!酔符『鬼縛りの術』!!!!」
萃香は鎖を振り回し、私へと投げる。
名前で何となく判る。恐らく、これは私を拘束するためのもの…。
確かに、拳を封じられては私は殆ど無力になるだろう。
だったら…、…捕まらなければいい。
私は鎖の動きを見切り、上空へと飛ぶ。
上からなら、例え鎖の軌道を変えられたとしても、その動きを見られる。
人間だったら上空に飛ぶと動きは取れなくなるが、空を翔られる私には関係のない話。
「喰らいなッ!!」
鎖をかわした私は、一気に急降下して、萃香の脳天目掛けて拳を振り下ろす。
しかし、流石に萃香もそう易々と攻撃を当てさせてはくれなかった。
私の拳を寸前までひきつけて、萃香はその身を僅かにそらしてかわす。
流石に振り下ろした拳の軌道を急に変えられるほど、私は器用ではない。
そもそも、そんな事をしたって威力はかなり落ちる。無駄な攻撃だ。
なので、私は一度地面に着地してから、すぐさま萃香に向き直り、もう一度拳を叩き込もうとする。
…だが、その時見た萃香の不気味な笑みに、一瞬だけ私は拳を止めてしまい…。
「掛かったね!!酔夢『施餓鬼縛りの術』!!!!」
それが隙となり、私は二発目の鎖をかわす事が出来なかった。
しまった、最初から『鬼縛りの術』はただの見せ技だったのか…!
私が空に避け、そこから攻撃を入れることを予測して…。…そして、そこを狙って…。
「あんたの霊力、そのまま頂くよ!!」
私の身体に、まるで落雷が走るような感覚が襲った。
「くああぁっ…!!」
私の霊力が、鎖を通して奪われていくのを感じる。
拙い、このままでは萃香に力を全て奪われる…。
どうにかしようにも、身体に全く力が入らない。それもそのはず、霊力が失われていっているのだから。
…畜生、私はこれで負けるのか…?
此処で萃香に敗れて、私は萃香を止められずに、私達は3人になってしまうのか…?
何百年もの長い付き合いだったのに、此処でその絆が終わってしまうのかもしれないのに…?
萃香のことは信じている。だけど、ひょっとしたら、これが最後になってしまうかもしれないのに…?
…行って欲しくない。
…離れて欲しくない。
…萃香を止めたい。
…そして何より…。
…萃香に…勝ちたい!!
「…ッ…がああぁぁ!!!!」
パキイイィィィ…ン!!!!
萃香の鎖が、砕け散る音が聞こえる。
それと共に、私の身体に霊力が多少だが戻る。
「なっ…!!鎖が…!?」
萃香が驚いている隙に、私は間合いを一気に詰める。
…もう、此処しかない。
相手が萃香だからって、関係ない。
私は萃香に勝ちたい。負けたくない。
…萃香、これで倒れてくれ…!!
「はぁっ!!!!」
ドスッ、っと萃香の腹から鈍い音が響く。
私の右手は、確かに萃香の身体を捉えていた。
だが、これで終わりじゃない。これは、まだ
「二歩目!!!!」
一歩踏み込み、今度は左手で同じと事に拳を入れる。
しかし、まだ。まだ萃香は倒れないだろう。これはまだ予備動作なのだから。
…次こそが、真の一撃…。
「四天王奥義…!!」
…萃香。私は、あんたの事を友だと思っている。
だから…。…あんたに外に行って欲しくはない。
…だけど、もしあんたがこれに耐えて、外に行った時は…。…そっちの連中と仲良くしてくれ。
地底に戻ってくる必要はないさ。外の連中も、私達には手を出せない決まりなんだから…。
私達は、私たちで生きて行く…。…だから、その時は…。
「『三歩必殺』!!!!」
ドゴンッ!!!!と、大きな音を立てて、私の右手は萃香の腹へとめり込む。
バキバキと、私の腕の骨と、萃香の肋骨が折れる音が響く。
…この程度、別にすぐに治る。だが、問題なのは…。
「…勇儀…。」
…私の拳の先から、萃香の小さな声が聞こえる…。
見れば、萃香は私に向けて、スペルカードを構えていた。
…ああ、やっぱり。『施餓鬼縛りの術』を破った時点で、とうに私の霊力は尽きていた。
霊力がカラの状態で撃った私の奥義なんて、逆に私の力を吸い取って霊力を回復した萃香に、通じるハズもなかった…。
「…勇儀、楽しかったよ…。…じゃあね…。」
…萃香の目から、涙が溢れていた。
もうそれだけで、私は全てがどうでも良く思えてしまった。
鬼は涙なんか流さない。それほど強い妖怪なのだから。
萃香の涙なんて、いや、鬼の涙なんてものを、私はこの時初めて見た。
…もうそれだけで…。…充分だった…。
「…じゃあな、萃香…。」
最後に、私もそれだけ言い残す。
…あれ、何だろう。目の下が熱く…。
私の視界が、萃香の姿が、少しずつ滲んでいく。
…ああ、これが、泣くって感覚なのか…。
…ありがとう…。…最後に、こんな感覚を教えてくれて…。
…さよならだ、私の仲間にして、最高のライバルだった、伊吹萃香…。
―― 鬼火『超高密度燐火術』 … …
* * * * * *
目が覚めたとき、私は地獄街道の入り口に倒れていた。
時間的には、そう長い時間気絶していたわけではないだろう。多分四半刻ほど…。
…だけど、辺りを見回しても、萃香の姿は見えなかった。
「…もう行ったのか…。」
身体全身が痛い。全く萃香の奴、最後の攻撃を、あんな至近距離で盛大にぶっ放すなんて…。
…これは、暫くは休んでないと駄目だな…。…暫くは、禁酒もするかな…。
…ああ、本当に行ってしまったんだな、萃香…。
もう逢えないのか…?…もう、私達はずっと3人で、あんたはずっと1人なのか…?
…いや、信じよう。例え離れていても、私達はずっと4人一緒だ…。
例えもう帰ってこなくても、私はあんたの事を忘れない。
だから、あんたもずっと覚えていてくれ。私たちの事を。仲間の事を。
そうすれば、私達の心はずっと一つだ…。
「…ははっ…。…元気でな、萃香…。」
もう聞こえないだろうが、私は友に向かって、最後の言葉を送る。
私は結局、最初から萃香が地上に行くことなんか、別にどうでもよかったのかもしれない。
本当に萃香を止めたかったならば、最初から奥義を使えばよかった。あんな、最後の最後まで取っておく必要はなかった。
だけど、私はそれをしなかった。最後の最後まで、萃香との戦いの理由を忘れるまで、使わなかった。
…私は、最後に萃香と戦いたかっただけなのかもしれない。
地上に行ってしまう萃香と、まさにあいつの言ったとおり、最後の思い出を作りたかったから…。
…私は、自分の技を尽くして戦った。手加減は一切抜きで、本当の勝負をした。
…そして、私は負けた。萃香に敗れたのだ…。
…強くなったなぁ、萃香…。
「…畜生…。」
また、目の下が熱くなって、目から涙が零れた。
悔しい。萃香に負けたのが、たまらなく悔しかった。
ああ悔しいよ。鬼が悔しがって何が悪い。鬼が泣いて何が悪い…。
今だけは、泣く事にする。自分の感情に、素直になる。
…萃香、あんたは地上に行っても…。…そうして、強くあり続けるか…?
…だったら私も、強くあり続けてやる…。…今よりも、もっと強くなってやる…。
だから萃香、次に逢う事があったら…。
…絶対に、私が勝たせてもらうからな…!!
* * * * * *
「…ははっ、懐かしい事を…。」
あれから数年、私は1人で酒を飲む事が多くなった気がする。
誰かと一緒に酒を飲むと、如何しても萃香の事を思い出してしまうからだ。
私の中で、それほどまでに萃香の存在は大きかったのか…。
…萃香がいなくなってから、私は初めてその事に気付いた…。
あれから、スペルカードも何枚か作ってみた。
私は萃香のスペルに敗れた。萃香の新たな武器に、私は敗北した。
だから次は、同じ武器を持って戦ってみたい。この拳と、そしてスペルカードを使って、萃香と戦いたい。
…さて、そろそろ行くか。どうも、地底に人間が入り込んでいるらしい。
土蜘蛛と橋姫が既に負けているんだとか。これは、ちょっとは楽しめるかもしれない。
折角なので、スペルカードも持っていくか。実戦でのテストはあまりした事がないからな…。
その人間は、確かに強かった。
紅白の衣を纏った、黒髪の…、…巫女だろうか?
私も楽しむだけの戦い、杯の酒を一滴も零さない、という枷を強いているものの、それでも強い。
「気に入った!もっと楽しませてあげるから、駄目になるまでついてきなよ!」
「あんたと酒呑んでいく気は無いんだけど。」
気に入った。これは本当に気に入った。
この巫女は強い。鬼と対立できる人間など、一体どれくらいぶりだろうか?
久々に心が踊る。もっと、もっと楽しませてあげるよ人間。
そして、私をもっと楽しませて!!
「うぎぎ。目の前をちょろちょろと邪魔よ!」
私の攻撃も、他の地霊たちの攻撃も物ともしない紅白の巫女。
素晴らしい。この巫女なら、本気で戦ったって私達と渡り合えるんじゃないか…?
今の外の世界には、こんな奴もいるのか…。
「あらあら、つれないねぇ。地上の奴らが降りてくる事なんて殆ど無いのに。」
…萃香、あんたの判断は正しかったね。
あんたがこの世界を出て行ってまで、たどり着いた世界は…。
…とても、面白そうじゃないか…。
(おう!誰かと思ったら勇儀じゃないか。久しぶり!)
…えっ?今の声は?
今までの巫女の声とは、若干違った気がするけれど…。
「あん?私を知ってるって、貴方…何者?」
何か、とても懐かしい声…。
…この声は…。
(私だよ私。暫く地上に遊びに行ってたからって 忘れて貰っちゃ困るねぇ。)
…ッ!!!!
…間違いない、この声は…。
「その酔っぱらった声…もしかして萃香!?」
(また、あんたらと四人で山登りたいねぇ)
私の問に対して、萃香の声はそう答える。
…間違いない、萃香だ。忘れるはずも無い。
「あれまぁ、随分と様変わりしちゃって… まるで人間の巫女の様よ?いつからそんな趣味になっちゃったのさ。」
萃香は巫女の趣味に走ったのか。姿も大分変わってるし、まさかそんな趣味があるとは…。
「知るか。あんたが話している相手は私じゃないわ」
…と、声がまたさっきの巫女の物へと戻る。
「うん?萃香は何処に行った?」
辺りを見回してみても、萃香の姿は見えない。
そもそも、この巫女から感じるのは間違いなく人間の力。鬼のそれじゃない。
「あいつは地上にいるよ。何?あいつと知り合いなの?」
…ああ、成る程。私はようやく理解する。
つまり、萃香は最初から此処にはいないのか。
「地上?ああ、その珠から聞こえてきているのか」
巫女の周りに有る幾つもの陰陽玉、それを通して萃香の声が聞こえてきたのか。
…ああ、全く、萃香の奴、こんな面白そうな人間と知り合いになってたのか…。
「知り合いって事は、あんたも鬼なのね?」
巫女がそう訊ねてくる。
鬼は嘘をつかない。だから、聞かれた事には素直に答える事にする。
「もちろん。私は萃香と同じ山の四天王の一人、力の勇儀。 ま、山っていっても今は山に居ないけどね。」
「ふーん。で、あんたらが地上を攻めようっていうの?」
私が素直に事情を話すと、巫女はまるで表情を変えずに、どうでも良いという様に聞き流す。
全く、無重力な奴だ。人間の癖に空を飛んでるし、今更だけど。
…それにしても、今の発言はなかなか傑作だ。意味がまるで判らない。
「あはははは!何で今更地上を攻める必要があるのよ。
地獄だったここも今や我々の楽園。地上の賢者達にも感謝しているよ。邪魔も入らないしね。」
今更地上を攻める気は、私には無い。
それは萃香に任せたのだ。鬼がまた、地上に戻れる世界を作ってもらう事。
例えそれが上手くいかなくても、私はもう、それを運命だと思って諦める事にしている。
…ただ、本当はその心算だったのだけれど…。
…なんだか、その私の考えすら、覆してもいいような気がしてきた。
だって、目の前にいるじゃないか。こんなに面白そうな人間が。
私たちが望んで止まなかった、鬼と渡り合える人間。それが、今私の目の前にいる。
「それより、あんた!人間の癖に強いし、萃香とも知り合いみたいだし、久しぶりにわくわくしてきたよ!」
この感じ、まるで萃香と最後に戦った時みたいだ。
素晴らしい、これほどの力を持つ人間がいる地上に、私は少しずつ、興味が湧いてきた…。
「…どうして私の周りはこんな奴ばかり集まってくるのよ。」
巫女はどうもやる気じゃないらしいが、それでも私と戦ってもらう。
恐らく、萃香の力も借りて此処まで来ているのだろう。陰陽玉といちいち通信をしている所から判断して。
…だったら、これは私と巫女、二人だけの戦いではない。
萃香、あんたにも、私の新しい力を見せてやる…。
…そして、その中で私は決める。私も、地上に行くかどうかを。
…萃香、あんたの顔を、もう一度見れるかどうかを…!!
…さあ、始めよう!!鬼と人間の、忘れ去られた戦いを!!!!
ちょっと強引過ぎる。