――貴方にとってはそれも、いつも通りの日常風景。
七夕を翌日に控えた、のどかな昼下がり。
見上げれば突き抜けるような青空が広がり、本格的な夏の到来を感じさせてくれます。
貴方は今日も、いつものように気が向いては境内の掃除をしつつ、縁側でお茶を啜っています。
降り注ぐ日差しが、人間である貴方には少々厳しいのでしょう。自然と休憩の時間ばかりが長くなるのは、仕方がないのかも知れません。
今も貴方は、縁側に腰掛けてぼんやりと休んでいます。既に半刻が経過していました
時折吹き抜ける風が気持ち良いのか、貴方はそれを、まぶたを下ろしてその身に受けていました。
穏やかに流れる時間。それは、いつもと何ら変わることのない午後のひととき。
今日も、このまま何も起こらずに一日が過ぎていくのだろう、と。
きっと、そう思っていたのでしょう。だから、不意の来客に貴方は湯飲みを取り落としそうになりました。
訪れたのがいつもの白黒魔法使いや新聞記者の天狗であれば、貴方は決して驚きはしなかったでしょう。
しかし今、鳥居の向こう、博麗神社へと到る長い長い石段からひょっこりと姿を覗かせたのは、里の子供たちと、彼ら彼女らの保護者、上白沢慧音でした。
掃除をしていたのならともかく、本殿の縁側でゆったりとお茶を啜っていたとあっては、貴方も体裁が悪いのでしょう。
だから珍しいことに貴方は、石段を上り切ってひと息つく彼らへと、自ら声掛けに向かいました。
一応の掃除が行き届いていることを確認しつつ、貴方は子供たちの前へと歩み寄ります。
けれど、貴方が口を開く前に発せられたのは、こんにちは、という、彼らの元気な挨拶でした。
貴方も慌てて挨拶を返しますが、そのように礼儀正しい相手と接することがほとんどないためか、どうしても笑顔が少し引きつってしまいます。
けれど、子供たちにはそんなことを気にする様子は感じられず。
紅白の衣装を身に纏った巫女という存在を、初めて目にしたのでしょう。彼らは輝くような瞳で、貴方のことを見つめているのでした。
挨拶もそこそこにして慧音に用向きを訊ねると、自分たちはただ単に参拝に訪れただけ、とのことです。
そして子供たちの方を向き直り、それに明日は七夕だからな、と付け加えます。
見ると、彼らの手にはそれぞれ、笹や、短冊や、七夕飾りに使うであろう折り紙の類が握られていました。
慧音曰く、願いごとを書いた短冊は、翌日に神社で燃やすものであるらしく。
お焚き上げと言い、そうやって願いごとを浄化して、天へ届ける――とのことでした。
要するに慧音は、神社の者である貴方にお焚き上げの仕事を依頼しているのです。
最近になって、里の人間が少しずつ参拝に訪れるようになったというのは、本当のことであるようでした。
お焚き上げを頼まれてくれるだろうかと、敬意を込めて礼をする慧音に対して。
貴方は、快く了解の返事をしました。
合わせて参拝までしてくれるのですから、貴方にとってはそれこそ願ったりだったのでしょう。
あらためて頭を下げる慧音と、ありがとうを言う子供たち。
貴方は少々照れつつも、今度は自然な笑顔を返すことが出来ていました。
しかし貴方は、あんたたちの為ならたとえ忙しくても引き受けるわよ、などと調子に乗ってしまったのがいけません。
本当は、いつも暇なのでしょう? ――慧音から速やかに、そう突っ込まれてしまうのでした。
*
神社を訪ねたということで、慧音と子供たちは、まず最初に参拝を行なうことにしました。
神社という場所に来るのが初めてな子供たちにとって、参拝の仕方など、分かるはずがありません。
そこで貴方はまず、参拝の作法を教えることにしました。
ひとくちに作法と言っても、手の清め方、境内の歩き方、神前での礼儀など、多岐にわたります。
貴方はひとつひとつの作法を、時折笑いを交えつつ、楽しげに教えていきます。
ただ拝殿の前で、お賽銭弾むとご利益あるわよー、などと言った時だけは、冗談めかしつつも貴方の目はちょっとだけ本気でした。
もっとも、子供たちはそれも面白い冗談の一つとして受け取っただけのようですが。
ちなみに、手水舎で清めるのは手だけだけど、本来は全身清めるものなのよ――などと言ってみんなに水をかぶせようとしていた時はさすがに慧音に止められていました。
貴方はあくまでフリだけだと言っていましたが、ちょっとお堅い性格の彼女には通じなかったようでした。
そんな風に笑わせつつも、貴方は締めるところは締めています。
神前で二拝二拍手一拝の作法を示す時は、凛とした身のこなしを見せ。
普段の教育のたまものか、そういう時は子供たちも、貴方の教えをしっかりと身に着けようとしていました。
子供たちも、最初から教わったとおりの作法はもちろん出来ませんが、貴方もそれをいちいち注意したりはしません。
大事なのは、その心がけ――そのことを、貴方はよく知っているのですから。
そうやって、お参りの作法を丁寧に教える貴方は、まさに神社の巫女さんそのもので。
それは、これまでの博麗神社では見られなかった光景。
けれど、これからの博麗神社ではごくありふれた光景――になるのかも知れません。
参拝を終える頃には、子供たちはすっかり貴方に懐いていました。
それゆえ、一緒に遊ぼうと誘われることは、ごく自然なことと言えるでしょう。
霊夢おねえちゃん、などと呼ばれるたびに、貴方はついつい目尻を下げてしまいます。
子供たちにとって、今の貴方はまさに、神社の優しいおねえちゃん、なのでした。
貴方の方も子供たちを気に入ったのか、自ら遊びの提案をしていました。
貴方は母屋から、やや大きめの巾着袋を1つ、持って来ます。
その中から出て来たものは、沢山の、子供の手の平サイズのもの。
お手玉です。
子供たちの反応は様々で、少し出来ると言う子もいれば、初めて見る子もいました。
慧音もお手玉には多少の心得があるようで、貴方の提案した遊びに感心しているようでした。
お手玉を知らない子のために、貴方はまず、お手本を見せることにしました。
さっきまでは笑顔だったその表情を、貴方はちょっとだけ引き締めます。
両の手には、合わせて3つのお手玉。
みんなの視線が集まる中、お手玉を投げ上げ。
3つのお手玉は、貴方の手によって見事にくるくると回り始めました。
子供たちからは歓声が上がり、貴方は器用にお手玉を回し続けます。
シャン、シャン、シャン
シャン、シャン、シャン
ひとつ、ひとつ、またひとつ。
貴方がお手玉を回すたびに、小気味良い音が皆の耳に届けられます。
鈴のように軽やかなその音色は、高く高く、天を目指すかのように、晴れ渡った空へと吸い込まれてゆくのです。
それは、静寂に包まれた神社の雰囲気とも相まって、どこか神聖な儀式であるかのように聞こえるのでした。
貴方が手を止めてひと息つくと、子供たちからあらためて歓声が上がります。
貴方はそんな風に、誰かから賞賛されることなど普段はほとんどないのでしょう。子供たちの尊敬のまなざしに、ちょっとだけ頬が紅潮しています。
さりとて、いつまでも照れているわけにもいかず。
貴方は、子供たちにお手玉を教えることにしました。
お手玉を3つ回すのには、かなりの練習が必要です。
そのため貴方はまず、子供たちに1つずつのお手玉を渡して、手の動きを練習させることにしました。
右手のお手玉を投げ上げて左手でそれを受け、さらに左手から右手へと渡す。
貴方はそのお手本を見せながら、お手玉の基本となる動きを教えていきます。
その動きが身に付いたら、次は2つのお手玉で同じ動きをする。それに慣れたら、今度は3個に。――そうやって、次第に数を増やしていくのだと、貴方は諭すように教えていきました。
貴方の上手なお手玉の技を目の当たりにしたからでしょう。子供たちも、貴方の教えを夢中になって聞いています。
そうやって子供たちの相手をする貴方は、まるで先生みたいで。
慧音から、寺子屋の先生に誘われるほどの、面倒見の良さでした。
そうしてしばらくの間、博麗神社には、楽しげな子供たちの歓声と、お手玉の軽快な音が鳴り渡っているのでした。
*
お手玉遊びで疲れた後は、慧音が差し入れに用意した、羊羹とお茶でひと息ついて。
そしてようやく、今日の目的である、七夕の飾り付けが始まりました。
縁側に並べられたのは、沢山の折り紙と、願いごとを書くための短冊。
慧音の指導のもとで、まず折り紙を使って七夕飾りが作られることになりました。
貴方も、子供たちと一緒になって飾り作りに参加します。
1枚の折り紙を丸めて筒状にし、片側から切れ込みを入れると、吹き流しが出来上がり、
折り紙を2回折りたたんで、両側から切れ込みを入れて広げると、あみ飾りが出来上がり、
細長く切った折り紙で、輪っかを作ってたくさん繋ぐと、輪っか飾りが出来上がる。
里で先生をしているだけあって、慧音は色々な飾りの作り方を知っていました。
子供たちは、飾りがひとつ出来上がるたびに、嬉しそうに次から次へと貴方や慧音に見せて来ます。
赤や、青や、黄色の紙で作られた、色鮮やかな七夕飾り。貴方の飾り付けが追いつかないくらい、彼らは夢中になって作り続け。
用意された笹は、あっという間に華やかな飾りで彩られてゆくのでした。
飾り付けを終えると、いよいよ短冊に願いごとを書く段になりました。
貴方は色とりどりの短冊を、ひとりひとりに手渡します。
子供たちは短冊を手にすると、誰もがすぐに願いごとを書き始めました。
――お団子をいっぱいたべたい
――せがたかくなりますように
――けいね先生のしゅくだいが少なくなりますように
貴方は、そのひとつひとつを見せてもらいます。
真面目な願いごとも、いかにも子供っぽい願いごとも、ちょっと贅沢な願いごとも。
貴方は、それらをきちんとお星様に届けることを、ひとりひとりに約束していきます。
ただし、『れいむおねえちゃんとけっこんしたい』などとちょっとふざけて書いた男の子には、それはもう怖いくらいの笑顔で書き直しを命じていましたが。
本当に、色んな願いがある中で。
貴方は、とある一つの願いごとを目にして、嬉しそうに頬を緩めていました。
――れいむおねえちゃんみたいにお手玉がうまくなりますように
それを書いたのは、今日やって来た子供たちの中でも小さい方。まだ10にもなっていないような、おかっぱ頭のかわいらしい女の子でした。
控えめな子であるらしく、貴方に願いごとを見てもらう時は、とても恥ずかしそうにしていました。
貴方は笑顔で、その子の頭を撫でてやります。きっと叶うわよ、と。
女の子も、笑顔で頷いていました。
願いごとを最後に笹にくくり付けたのは、慧音でした。
そのままお手本になりそうなほどの丁寧な楷書で書かれた文字からは、彼女の実直な性格と、願いへの確かな想いを感じることが出来ます。
――皆がずっと平穏に暮らしていけますように
それは平凡でありながら、長く人里を守り続けている、彼女らしい願いごとなのでした。
全ての短冊を付け終えた後、貴方は、霊夢おねえちゃんも願いごとを書かないの? と子供たちに訊かれました。みんな、貴方が何も書いていないことに気付いていたようです。
しかし貴方はやんわりと断ります。――私は、みんなの願いを届けるのが役目だから、と。
強いて言うなら、みんなの願いが届きますように、というのが私の願いごとだから、と貴方は言います。
もちろん、巫女さんだって普通に願いごとをしても構わないわけで、だからそれは、方便に過ぎないのでしょう。
それでほとんどの子供は納得したようですが、1人だけ、不服を唱える子がいました。
それじゃあ、霊夢おねえちゃんがかわいそう、と。
それは先程、お手玉の願いごとを書いていた女の子でした。
彼女は余っていた短冊を手に取って、真剣な表情のまま、何かを書き記していきます。
そうして、新たな願いごとがしたためられた短冊が完成して。
彼女はやや強張った面持ちで、貴方にその短冊を手渡しました。
――れいむおねえちゃんがしあわせになれますように
思いもよらない願いごとを見せられて、貴方は言葉を失ってしまいました。
それはそうでしょう。貴方たちは互いに、今日初めて知り合った関係に過ぎません。
にもかかわらず、そんな相手から幸せを願ってもらえたのですから、反応に窮するのも仕方のないことでしょう。
女の子は、どこか不安そうな表情で貴方のことを見つめ続け、貴方の返事を待っているようでした。
ひとしきり思いをめぐらせたのちに、貴方は、そんな彼女と同じ背丈までかがんで、真っ直ぐに目を合わせます。
そして、慈しむように彼女のことを見つめながら。
けれど、貴方は言うのです。――この願いごとは、空に届けることは出来ない、と。
貴方の言葉が意外なものだったのでしょう。今度は彼女の方が絶句してしまいます。
言葉はなくとも、その瞳が、どうして? と言っていました。
自らの想いが裏切られたと思ったのでしょう。彼女の瞳にはみるみるうちに涙が溜まっていってしまい。
それでも、せめて泣くまいと、彼女は耐えに耐えている――そのことは、歯を食いしばったその様子から明らかでした。
悲しみの表情が色濃く映る彼女に対して、その彼女を見つめる貴方の瞳は、あくまで優しさに満ちていて。
しばしの間見つめ合ってから、貴方は、彼女に両腕を差し伸べてその身を抱き寄せます。
戸惑う彼女をよそに、貴方はその頭をぽんぽんと撫でたあと、ぎゅっと抱き締めてやり。
――だって、この願いごとは、もう叶ってしまったのだから。
こんな願いごとをしてくれる子がいてくれて、私はもう、幸せなのだから――と。
女の子の小さな身体をその腕に包み込んだまま。
貴方は、噛んで含めるようにして、そう言ったのでした。
――つ、と。
それは流れ星のように、音もなく、そして真っ直ぐに。
ひとすじの涙が、女の子の頬をすべり落ちていきました。
それは、悲しみではなく安堵からくる涙で。
女の子は、貴方の腕の中で、表情を和らげて泣いているのでした。
小さくしゃくりあげる女の子の背中を、貴方は愛おしむようむ撫でてやりながら、
――ありがとね。
と、それだけを言って。
女の子が泣き止むまで、ずっと抱き締めているのでした。
*
日もすっかり暮れてしまった、夜の博麗神社。貴方は1人、いつものように縁側に座ってお茶を啜っています。
どこか遠い目をしている貴方の視線の先には、七夕の夜にぴったりの、きれいな天の川が流れていました。
貴方は、お茶を味わう時と同じような穏やかな表情で、天の川を眺めています。
それは、子供たちとの約束なのでした。
――日暮れ時が近づいて、子供たちがそろそろ帰らなければならなくなって。
彼らは皆そろって、貴方との別れを惜しんでいました。
なにも、今生のお別れというわけではありませんが、博麗神社はそう頻繁に訪ねられる場所ではありません。
子供たちからすれば、貴方とまた会えることを保障するものは何もないのです。
せめて、夜まで待って天の川を一緒に眺めたい――子供たちは口々にそう言います。
しかし、夜中になってから帰るのでは危険が伴うために、それは出来ない。それが幻想郷なのです。
だから貴方は約束をしました。みんなが里で天の川を見ている時、私もここで天の川を見ている――と。
それなら、一緒に天の川を眺めることが出来ると、貴方は言いました。
絶対だよ、と何度も念を押す子供たちに、貴方は同じだけ頷いているのでした。
そして貴方はもうひとつ、約束をしていました。
帰り際に、先ほどのお手玉の女の子から、やっぱり霊夢おねえちゃんも何かお願いごとをして欲しい、と言われてしまったのです。
さすがの貴方も、根負けしたかたちで了承していました。
ただし、みんなが帰ってから、という条件付きで。
どうして? と当然の疑問を呈する子供たちに対し、子供には言えないオトナな願いごとをするからよ、などと、貴方はお姉さんぶるのです。
当然、子供たちから不満が漏れますが、オトナのヒミツ、などと、ちっとも大人ではない胸を張って答えていました。
そうやって貴方は最後までおどけて見せ、子供たちを楽しませていました。
もちろん、お手玉の女の子もみんなと一緒に笑っていて。
その頃にはもう、涙はすっかり乾いているのでした。
貴方はあらためて、たくさんの短冊が吊るされた笹を見やります。
そこに込められた願いごとを思い出しているのでしょう。貴方は思わず目を細めてしまいます。
貴方の手元には、霊夢おねえちゃんの分、と言われて渡された、1枚の短冊。
それを受け取った時、貴方はどこかこそばゆいような表情をしていました。
約束したとおり、貴方も願いごとを書き記し。
それを笹に吊るし終えると、貴方は満足したように腰に手を当て、よしよしと頷きます。
――明日もまた、今日のような日でありますように
それが、貴方の書いた願いごとでした。
今日のような日。それは、参拝客が現れたことを差しているのか、それとも、何一つ異変も異常もなかったことを差しているのか。
それは、貴方にしか分かりません。
もしかしたら、貴方自身も分かっていないのかも知れません。
ただ、貴方は恐らく、今日という日が。
白黒魔法使いがちょっかいを出しに来た日であっても、
宴会でどんちゃん騒ぎをした日であっても、
ただ一人、黙々と掃除に明け暮れた日であっても。
その願いを夜空に託すことでしょう。
だからそれはある意味で、願いごとですらないのかも知れません。
けれど、すべては在るがまま――そんな信条を持つ、貴方らしい願いごとなのでした。
貴方はまた縁側に腰掛け直し、あらためて夜空を見上げます。
貴方はいつもそうやって、縁側でその日最後のお茶を啜るのです。
それは、貴方が今日まで幾度となく繰り返してきた、いつも通りの日常風景。
でも、今の貴方が見せる横顔は、いつもよりも少しだけ、幸せそうなのでした。
そのまましばらくぼんやりとしていた貴方はやがて、おもむろに立ち上がって伸びをします。
それもまた、いつも通りの行いで。
貴方はそうやって、博麗の巫女という肩書きを下ろし、床へと就くのです。
明日もまた、今日のような穏やかな一日が訪れるのでしょう。
貴方は、それを確信しているかのような表情で、母屋へと入ってゆきます。
楽園の素敵な巫女たる貴方の一日は、そうして終わりを告げるのでした。
七夕を翌日に控えた、のどかな昼下がり。
見上げれば突き抜けるような青空が広がり、本格的な夏の到来を感じさせてくれます。
貴方は今日も、いつものように気が向いては境内の掃除をしつつ、縁側でお茶を啜っています。
降り注ぐ日差しが、人間である貴方には少々厳しいのでしょう。自然と休憩の時間ばかりが長くなるのは、仕方がないのかも知れません。
今も貴方は、縁側に腰掛けてぼんやりと休んでいます。既に半刻が経過していました
時折吹き抜ける風が気持ち良いのか、貴方はそれを、まぶたを下ろしてその身に受けていました。
穏やかに流れる時間。それは、いつもと何ら変わることのない午後のひととき。
今日も、このまま何も起こらずに一日が過ぎていくのだろう、と。
きっと、そう思っていたのでしょう。だから、不意の来客に貴方は湯飲みを取り落としそうになりました。
訪れたのがいつもの白黒魔法使いや新聞記者の天狗であれば、貴方は決して驚きはしなかったでしょう。
しかし今、鳥居の向こう、博麗神社へと到る長い長い石段からひょっこりと姿を覗かせたのは、里の子供たちと、彼ら彼女らの保護者、上白沢慧音でした。
掃除をしていたのならともかく、本殿の縁側でゆったりとお茶を啜っていたとあっては、貴方も体裁が悪いのでしょう。
だから珍しいことに貴方は、石段を上り切ってひと息つく彼らへと、自ら声掛けに向かいました。
一応の掃除が行き届いていることを確認しつつ、貴方は子供たちの前へと歩み寄ります。
けれど、貴方が口を開く前に発せられたのは、こんにちは、という、彼らの元気な挨拶でした。
貴方も慌てて挨拶を返しますが、そのように礼儀正しい相手と接することがほとんどないためか、どうしても笑顔が少し引きつってしまいます。
けれど、子供たちにはそんなことを気にする様子は感じられず。
紅白の衣装を身に纏った巫女という存在を、初めて目にしたのでしょう。彼らは輝くような瞳で、貴方のことを見つめているのでした。
挨拶もそこそこにして慧音に用向きを訊ねると、自分たちはただ単に参拝に訪れただけ、とのことです。
そして子供たちの方を向き直り、それに明日は七夕だからな、と付け加えます。
見ると、彼らの手にはそれぞれ、笹や、短冊や、七夕飾りに使うであろう折り紙の類が握られていました。
慧音曰く、願いごとを書いた短冊は、翌日に神社で燃やすものであるらしく。
お焚き上げと言い、そうやって願いごとを浄化して、天へ届ける――とのことでした。
要するに慧音は、神社の者である貴方にお焚き上げの仕事を依頼しているのです。
最近になって、里の人間が少しずつ参拝に訪れるようになったというのは、本当のことであるようでした。
お焚き上げを頼まれてくれるだろうかと、敬意を込めて礼をする慧音に対して。
貴方は、快く了解の返事をしました。
合わせて参拝までしてくれるのですから、貴方にとってはそれこそ願ったりだったのでしょう。
あらためて頭を下げる慧音と、ありがとうを言う子供たち。
貴方は少々照れつつも、今度は自然な笑顔を返すことが出来ていました。
しかし貴方は、あんたたちの為ならたとえ忙しくても引き受けるわよ、などと調子に乗ってしまったのがいけません。
本当は、いつも暇なのでしょう? ――慧音から速やかに、そう突っ込まれてしまうのでした。
*
神社を訪ねたということで、慧音と子供たちは、まず最初に参拝を行なうことにしました。
神社という場所に来るのが初めてな子供たちにとって、参拝の仕方など、分かるはずがありません。
そこで貴方はまず、参拝の作法を教えることにしました。
ひとくちに作法と言っても、手の清め方、境内の歩き方、神前での礼儀など、多岐にわたります。
貴方はひとつひとつの作法を、時折笑いを交えつつ、楽しげに教えていきます。
ただ拝殿の前で、お賽銭弾むとご利益あるわよー、などと言った時だけは、冗談めかしつつも貴方の目はちょっとだけ本気でした。
もっとも、子供たちはそれも面白い冗談の一つとして受け取っただけのようですが。
ちなみに、手水舎で清めるのは手だけだけど、本来は全身清めるものなのよ――などと言ってみんなに水をかぶせようとしていた時はさすがに慧音に止められていました。
貴方はあくまでフリだけだと言っていましたが、ちょっとお堅い性格の彼女には通じなかったようでした。
そんな風に笑わせつつも、貴方は締めるところは締めています。
神前で二拝二拍手一拝の作法を示す時は、凛とした身のこなしを見せ。
普段の教育のたまものか、そういう時は子供たちも、貴方の教えをしっかりと身に着けようとしていました。
子供たちも、最初から教わったとおりの作法はもちろん出来ませんが、貴方もそれをいちいち注意したりはしません。
大事なのは、その心がけ――そのことを、貴方はよく知っているのですから。
そうやって、お参りの作法を丁寧に教える貴方は、まさに神社の巫女さんそのもので。
それは、これまでの博麗神社では見られなかった光景。
けれど、これからの博麗神社ではごくありふれた光景――になるのかも知れません。
参拝を終える頃には、子供たちはすっかり貴方に懐いていました。
それゆえ、一緒に遊ぼうと誘われることは、ごく自然なことと言えるでしょう。
霊夢おねえちゃん、などと呼ばれるたびに、貴方はついつい目尻を下げてしまいます。
子供たちにとって、今の貴方はまさに、神社の優しいおねえちゃん、なのでした。
貴方の方も子供たちを気に入ったのか、自ら遊びの提案をしていました。
貴方は母屋から、やや大きめの巾着袋を1つ、持って来ます。
その中から出て来たものは、沢山の、子供の手の平サイズのもの。
お手玉です。
子供たちの反応は様々で、少し出来ると言う子もいれば、初めて見る子もいました。
慧音もお手玉には多少の心得があるようで、貴方の提案した遊びに感心しているようでした。
お手玉を知らない子のために、貴方はまず、お手本を見せることにしました。
さっきまでは笑顔だったその表情を、貴方はちょっとだけ引き締めます。
両の手には、合わせて3つのお手玉。
みんなの視線が集まる中、お手玉を投げ上げ。
3つのお手玉は、貴方の手によって見事にくるくると回り始めました。
子供たちからは歓声が上がり、貴方は器用にお手玉を回し続けます。
シャン、シャン、シャン
シャン、シャン、シャン
ひとつ、ひとつ、またひとつ。
貴方がお手玉を回すたびに、小気味良い音が皆の耳に届けられます。
鈴のように軽やかなその音色は、高く高く、天を目指すかのように、晴れ渡った空へと吸い込まれてゆくのです。
それは、静寂に包まれた神社の雰囲気とも相まって、どこか神聖な儀式であるかのように聞こえるのでした。
貴方が手を止めてひと息つくと、子供たちからあらためて歓声が上がります。
貴方はそんな風に、誰かから賞賛されることなど普段はほとんどないのでしょう。子供たちの尊敬のまなざしに、ちょっとだけ頬が紅潮しています。
さりとて、いつまでも照れているわけにもいかず。
貴方は、子供たちにお手玉を教えることにしました。
お手玉を3つ回すのには、かなりの練習が必要です。
そのため貴方はまず、子供たちに1つずつのお手玉を渡して、手の動きを練習させることにしました。
右手のお手玉を投げ上げて左手でそれを受け、さらに左手から右手へと渡す。
貴方はそのお手本を見せながら、お手玉の基本となる動きを教えていきます。
その動きが身に付いたら、次は2つのお手玉で同じ動きをする。それに慣れたら、今度は3個に。――そうやって、次第に数を増やしていくのだと、貴方は諭すように教えていきました。
貴方の上手なお手玉の技を目の当たりにしたからでしょう。子供たちも、貴方の教えを夢中になって聞いています。
そうやって子供たちの相手をする貴方は、まるで先生みたいで。
慧音から、寺子屋の先生に誘われるほどの、面倒見の良さでした。
そうしてしばらくの間、博麗神社には、楽しげな子供たちの歓声と、お手玉の軽快な音が鳴り渡っているのでした。
*
お手玉遊びで疲れた後は、慧音が差し入れに用意した、羊羹とお茶でひと息ついて。
そしてようやく、今日の目的である、七夕の飾り付けが始まりました。
縁側に並べられたのは、沢山の折り紙と、願いごとを書くための短冊。
慧音の指導のもとで、まず折り紙を使って七夕飾りが作られることになりました。
貴方も、子供たちと一緒になって飾り作りに参加します。
1枚の折り紙を丸めて筒状にし、片側から切れ込みを入れると、吹き流しが出来上がり、
折り紙を2回折りたたんで、両側から切れ込みを入れて広げると、あみ飾りが出来上がり、
細長く切った折り紙で、輪っかを作ってたくさん繋ぐと、輪っか飾りが出来上がる。
里で先生をしているだけあって、慧音は色々な飾りの作り方を知っていました。
子供たちは、飾りがひとつ出来上がるたびに、嬉しそうに次から次へと貴方や慧音に見せて来ます。
赤や、青や、黄色の紙で作られた、色鮮やかな七夕飾り。貴方の飾り付けが追いつかないくらい、彼らは夢中になって作り続け。
用意された笹は、あっという間に華やかな飾りで彩られてゆくのでした。
飾り付けを終えると、いよいよ短冊に願いごとを書く段になりました。
貴方は色とりどりの短冊を、ひとりひとりに手渡します。
子供たちは短冊を手にすると、誰もがすぐに願いごとを書き始めました。
――お団子をいっぱいたべたい
――せがたかくなりますように
――けいね先生のしゅくだいが少なくなりますように
貴方は、そのひとつひとつを見せてもらいます。
真面目な願いごとも、いかにも子供っぽい願いごとも、ちょっと贅沢な願いごとも。
貴方は、それらをきちんとお星様に届けることを、ひとりひとりに約束していきます。
ただし、『れいむおねえちゃんとけっこんしたい』などとちょっとふざけて書いた男の子には、それはもう怖いくらいの笑顔で書き直しを命じていましたが。
本当に、色んな願いがある中で。
貴方は、とある一つの願いごとを目にして、嬉しそうに頬を緩めていました。
――れいむおねえちゃんみたいにお手玉がうまくなりますように
それを書いたのは、今日やって来た子供たちの中でも小さい方。まだ10にもなっていないような、おかっぱ頭のかわいらしい女の子でした。
控えめな子であるらしく、貴方に願いごとを見てもらう時は、とても恥ずかしそうにしていました。
貴方は笑顔で、その子の頭を撫でてやります。きっと叶うわよ、と。
女の子も、笑顔で頷いていました。
願いごとを最後に笹にくくり付けたのは、慧音でした。
そのままお手本になりそうなほどの丁寧な楷書で書かれた文字からは、彼女の実直な性格と、願いへの確かな想いを感じることが出来ます。
――皆がずっと平穏に暮らしていけますように
それは平凡でありながら、長く人里を守り続けている、彼女らしい願いごとなのでした。
全ての短冊を付け終えた後、貴方は、霊夢おねえちゃんも願いごとを書かないの? と子供たちに訊かれました。みんな、貴方が何も書いていないことに気付いていたようです。
しかし貴方はやんわりと断ります。――私は、みんなの願いを届けるのが役目だから、と。
強いて言うなら、みんなの願いが届きますように、というのが私の願いごとだから、と貴方は言います。
もちろん、巫女さんだって普通に願いごとをしても構わないわけで、だからそれは、方便に過ぎないのでしょう。
それでほとんどの子供は納得したようですが、1人だけ、不服を唱える子がいました。
それじゃあ、霊夢おねえちゃんがかわいそう、と。
それは先程、お手玉の願いごとを書いていた女の子でした。
彼女は余っていた短冊を手に取って、真剣な表情のまま、何かを書き記していきます。
そうして、新たな願いごとがしたためられた短冊が完成して。
彼女はやや強張った面持ちで、貴方にその短冊を手渡しました。
――れいむおねえちゃんがしあわせになれますように
思いもよらない願いごとを見せられて、貴方は言葉を失ってしまいました。
それはそうでしょう。貴方たちは互いに、今日初めて知り合った関係に過ぎません。
にもかかわらず、そんな相手から幸せを願ってもらえたのですから、反応に窮するのも仕方のないことでしょう。
女の子は、どこか不安そうな表情で貴方のことを見つめ続け、貴方の返事を待っているようでした。
ひとしきり思いをめぐらせたのちに、貴方は、そんな彼女と同じ背丈までかがんで、真っ直ぐに目を合わせます。
そして、慈しむように彼女のことを見つめながら。
けれど、貴方は言うのです。――この願いごとは、空に届けることは出来ない、と。
貴方の言葉が意外なものだったのでしょう。今度は彼女の方が絶句してしまいます。
言葉はなくとも、その瞳が、どうして? と言っていました。
自らの想いが裏切られたと思ったのでしょう。彼女の瞳にはみるみるうちに涙が溜まっていってしまい。
それでも、せめて泣くまいと、彼女は耐えに耐えている――そのことは、歯を食いしばったその様子から明らかでした。
悲しみの表情が色濃く映る彼女に対して、その彼女を見つめる貴方の瞳は、あくまで優しさに満ちていて。
しばしの間見つめ合ってから、貴方は、彼女に両腕を差し伸べてその身を抱き寄せます。
戸惑う彼女をよそに、貴方はその頭をぽんぽんと撫でたあと、ぎゅっと抱き締めてやり。
――だって、この願いごとは、もう叶ってしまったのだから。
こんな願いごとをしてくれる子がいてくれて、私はもう、幸せなのだから――と。
女の子の小さな身体をその腕に包み込んだまま。
貴方は、噛んで含めるようにして、そう言ったのでした。
――つ、と。
それは流れ星のように、音もなく、そして真っ直ぐに。
ひとすじの涙が、女の子の頬をすべり落ちていきました。
それは、悲しみではなく安堵からくる涙で。
女の子は、貴方の腕の中で、表情を和らげて泣いているのでした。
小さくしゃくりあげる女の子の背中を、貴方は愛おしむようむ撫でてやりながら、
――ありがとね。
と、それだけを言って。
女の子が泣き止むまで、ずっと抱き締めているのでした。
*
日もすっかり暮れてしまった、夜の博麗神社。貴方は1人、いつものように縁側に座ってお茶を啜っています。
どこか遠い目をしている貴方の視線の先には、七夕の夜にぴったりの、きれいな天の川が流れていました。
貴方は、お茶を味わう時と同じような穏やかな表情で、天の川を眺めています。
それは、子供たちとの約束なのでした。
――日暮れ時が近づいて、子供たちがそろそろ帰らなければならなくなって。
彼らは皆そろって、貴方との別れを惜しんでいました。
なにも、今生のお別れというわけではありませんが、博麗神社はそう頻繁に訪ねられる場所ではありません。
子供たちからすれば、貴方とまた会えることを保障するものは何もないのです。
せめて、夜まで待って天の川を一緒に眺めたい――子供たちは口々にそう言います。
しかし、夜中になってから帰るのでは危険が伴うために、それは出来ない。それが幻想郷なのです。
だから貴方は約束をしました。みんなが里で天の川を見ている時、私もここで天の川を見ている――と。
それなら、一緒に天の川を眺めることが出来ると、貴方は言いました。
絶対だよ、と何度も念を押す子供たちに、貴方は同じだけ頷いているのでした。
そして貴方はもうひとつ、約束をしていました。
帰り際に、先ほどのお手玉の女の子から、やっぱり霊夢おねえちゃんも何かお願いごとをして欲しい、と言われてしまったのです。
さすがの貴方も、根負けしたかたちで了承していました。
ただし、みんなが帰ってから、という条件付きで。
どうして? と当然の疑問を呈する子供たちに対し、子供には言えないオトナな願いごとをするからよ、などと、貴方はお姉さんぶるのです。
当然、子供たちから不満が漏れますが、オトナのヒミツ、などと、ちっとも大人ではない胸を張って答えていました。
そうやって貴方は最後までおどけて見せ、子供たちを楽しませていました。
もちろん、お手玉の女の子もみんなと一緒に笑っていて。
その頃にはもう、涙はすっかり乾いているのでした。
貴方はあらためて、たくさんの短冊が吊るされた笹を見やります。
そこに込められた願いごとを思い出しているのでしょう。貴方は思わず目を細めてしまいます。
貴方の手元には、霊夢おねえちゃんの分、と言われて渡された、1枚の短冊。
それを受け取った時、貴方はどこかこそばゆいような表情をしていました。
約束したとおり、貴方も願いごとを書き記し。
それを笹に吊るし終えると、貴方は満足したように腰に手を当て、よしよしと頷きます。
――明日もまた、今日のような日でありますように
それが、貴方の書いた願いごとでした。
今日のような日。それは、参拝客が現れたことを差しているのか、それとも、何一つ異変も異常もなかったことを差しているのか。
それは、貴方にしか分かりません。
もしかしたら、貴方自身も分かっていないのかも知れません。
ただ、貴方は恐らく、今日という日が。
白黒魔法使いがちょっかいを出しに来た日であっても、
宴会でどんちゃん騒ぎをした日であっても、
ただ一人、黙々と掃除に明け暮れた日であっても。
その願いを夜空に託すことでしょう。
だからそれはある意味で、願いごとですらないのかも知れません。
けれど、すべては在るがまま――そんな信条を持つ、貴方らしい願いごとなのでした。
貴方はまた縁側に腰掛け直し、あらためて夜空を見上げます。
貴方はいつもそうやって、縁側でその日最後のお茶を啜るのです。
それは、貴方が今日まで幾度となく繰り返してきた、いつも通りの日常風景。
でも、今の貴方が見せる横顔は、いつもよりも少しだけ、幸せそうなのでした。
そのまましばらくぼんやりとしていた貴方はやがて、おもむろに立ち上がって伸びをします。
それもまた、いつも通りの行いで。
貴方はそうやって、博麗の巫女という肩書きを下ろし、床へと就くのです。
明日もまた、今日のような穏やかな一日が訪れるのでしょう。
貴方は、それを確信しているかのような表情で、母屋へと入ってゆきます。
楽園の素敵な巫女たる貴方の一日は、そうして終わりを告げるのでした。
ほのぼのと、しんみりと、心温まる博麗神社もたまにはいいなあ。
素敵な霊夢をありがとう。
こんな霊夢はなにかほっとしますね。
平穏な幻想郷と素敵な巫女に乾杯
「れいむおねえちゃんとけっこんしたい」
ヤマやオチなど!どうでもいいのだぁぁぁぁぁぁっ!
霊夢と子供の交流、良い雰囲気と程よい余韻。ほっこりとした気持ちになれました。
いいもん、読ましていただきました。
明日も 良い日。
巫女であり、女の子であり、おねいちゃんでもあるのね。
こういう話は大好きです。
いいお姉さん霊夢でした。
ですが、最後に語り手が誰だったのか知りたかったです。
何にしろ良い作品を有難うございます。
ってばっちゃが言ってた