Coolier - 新生・東方創想話

バックストーリー 【パチュリー・ノーレッジ】

2008/07/14 12:34:02
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※注意※
・キャラ崩壊
・作者の偏見

















目を開くと、透明な真円が見える
眼球を動かし、蒸気で曇った円錐のフラスコの中の温い培養液に浮かびながら、私は目覚めた。
衣服をまとわず、ただ紫の濡れた長い髪が水面に広がり肩から腕に水気を含んではりついている。
体を起こそうとすると、浮力に反発して足は下へ沈み頭だけを水面に浮かべた。手を伸ばしプカプカと浮かんでいると、なにやら足の裏が温かい。
大きく息を吸って培養液の中に潜ってみると、フラスコの底は暖かく、気泡が溜まる底の中心の向こう側にはアルコールランプの炎がゆらゆらと揺れているのが見えた。
水面に上がり息を吐き出すと、先程の透明な真円の出口が見える。頭は重く顔は火照り、再び温い培養液に体を預けて浮かんでいると、眠たくなり、目を閉じた。




次に意識が戻ったのは、なにやらフラスコの外から人の話し声が聞こえてきた時だった。
瞼を開き、再び透明な真円をぼやけた頭で見ていると、コンコンと何かがフラスコを揺らした。
見るとそこには巨大な人間の瞳がフラスコの向こう側からこちらを覗きこんでいた。
驚いた私は必死に水面をかき分け、フラスコの反対側の壁に背中を貼りつけた。

「こら、いたずらをするんじゃない。」
「あ、すいません。」
「おとなしく釜を洗って来い。」
「はい。」

巨大な目がフラスコから徐々に曇りながら離れ、ぼやけた姿が部屋のドアから出て行っても、私はまだ恐怖に体を震わせていた。
すると今度は、違う人影がフラスコの前に現れた。
影はこちらを見ると、何かに気がつき急ぎ足で近づいてきた。
巨大な手がフラスコの口をつかんだのかフラスコは大きく揺れて、私は培養液の中で必死にもがいていた。
外の顔に怯えながら、意識は遠のいていった。



次に目覚めたのは、フラスコの温かさとは違うぬくもりが包む中だった。
上体を起こし辺りを見回すとそこは誰かの部屋の大きなベッドの上だった。窓からは日が差し込み、部屋の壁紙にはハートのかわいらしい模様が施され、椅子には首から綿のはみ出したぬいぐるみが座っている。布団をめくり自分の体を見ると、真っ白できれいなネグリジェを着ていた。
ここはどこだろうか?先程のフラスコから見えていた部屋ではない。
突然、部屋のドアを叩く音がした。めくった布団を引き戻し顔を半分だしていると、ドアが開きトレイを持った一人の少年が立っていた。

「ほんとだ、起きてる。」

少年は私を見て、小さくほほ笑むと真っすぐ部屋のテーブルの上にトレイを置き歩みよってくる。
伸ばした手にビクリと体を揺らし目を瞑ると、手を私の頭に乗せた。

「うわぁ、本物みたいだ。さすが師匠だ。」

すると今度は私の髪を掴み鼻に近づけて匂いを嗅ぎだした。
私はただ、彼の一挙一動に怯えていた。それに気づいたのか、彼は掴んでいた髪をとっさに放した。

「ごめん、驚かせちゃったね。そこに朝食を置いたから、食べたら一階の研究室に来て。」

そういうと彼は急ぎ足で部屋から出て行った。

朝食・・・。
私は朝食なんてものを食べたことがないはずなのに何故か、それがどのような役割を果たし、私の唾液腺を刺激しているのかわかる。
この部屋も初めて見たのになぜか私がここにいるのが当り前のように感じる。
ベッドから降りて椅子のぬいぐるみを静かに下ろし、テーブルに向かい朝食に手を伸ばす。
パンの味、スープの味、食器の使い方。私は戸惑うことなく朝食を済ませ、そのまま部屋を出て、階段へ向う。

私は歩くたびにふわふわと揺れるネグリジェを気にしながら、一階の研究室と書かれたドアに向かった。
研究室のドアを開けると、三角や丸いフラスコやよくわからない実験器具が部屋の天井近くまでしっかり配置されていて、黄色や緑、青や赤の色とりどりの液体がフラスコの中で泡だったり、白い煙を上げていた。
奥の方に進むと先ほどの少年と大きな机と椅子の背もたれがこちらを向いていた。

「師匠、来ましたよ。」

少年が椅子に向かって喋ると椅子はひとりでに動き、椅子の裏から一人の背の高い老人が現れた。
立ち上がった老人は大きな二つの目で私を見ると、蓄えた口髭を震わせ口を開けた。

「さぁ、こちらに来なさい。」

老人は再び椅子に座り見えなくなった。言われたとおりに椅子の横に立つと、老人は座りながら私の体を慎重に観察し、ネグリジェの裾をまくり腕を顔の近くに持ち上げてまじまじと見る。

「あの・・・。」
「アンジェラ。」

老人は腕を放し、私を見ると皺だらけの顔をさらに歪めて微笑みかけた。
アンジェラ?それが私の名前?
老人は机の方に振り返り、置いてあった紙切れを少年に渡した。

「今日はアンジェラにこれを教えなさい。」

少年は紙切れを受け取るとわかりましたと返事をした。

「おいで。」

少年は私の手を引いて、部屋のドアへ向かった。

廊下に出ると彼は渡された紙に目を通し、まずは一階かと独り言をつぶやき、廊下を一人で歩きだした。私はネグリジェのままそれについて行く。

「あの・・・。」
「なに?」
「私の名前はアンジェラなの?」
「そうだよ。よろしくアンジェラ。僕の名前はニコル。」
「そう・・・。よろしくニコル。」

彼は手を差し出したが、どうしていいかわからなかった。それを悟ったのか彼は私の手を取り、自分の手に握らせた。

「それじゃまずは図書館から教えようか。」
「ねえ、ここは、なに?」
「ここは師匠の研究所だよ。まだ生まれたばかりだからわからないことがいっぱいなんだね。」
「生まれた?・・・私が?」

彼の言っていることが全く理解できないまま、静かに彼の後ろを歩いて行く。
考えるのではなく体が息のしかた、声のだしかた、廊下の歩き方を知っている。
下を向いたまま歩いていると、いつのまにか廊下の突き当りの背の高い扉の前に立っていた。

「ここがこの研究所の図書館だよ。過去の研究日誌から世界中から集められた先人達の叡智がここにあるんだ。」
「センジンって・・・だれ?」
「んー、昔の人たちかな。」

彼はゆっくりと扉を引き開けるとカビ臭い空気が漂うとともに、そこは“部屋”と呼ぶには広すぎる空間があった。
日の光が入らないためか図書館の奥行きは広く暗くて壁は見えない。数え切れない本棚が並び、天井は高く左右の壁から伸びる渡り廊下は三階まである。
私はこの壮大な光景にただ啞然としていた。

「驚いた?僕もまだここにある本をすべてまだ読破してないんだ。」
「すごい・・・。」

一歩足を踏み入れただけですべてを飲み込まれそうな空間に私の心はすでに飲み込まれていた。

「師匠が本を持って来いと言われたらここに取りに来るんだよ。」
「・・・うん。」
「それじゃ図書館は終わり。」

彼はまたゆっくりと扉を閉めて、渡された紙に目を通した。
私は扉が閉まってからも今見た光景に釘づけになっていた。

「次は調理室と食糧庫だよ、行くよ?」

彼の言葉が耳に入って、歩きだしている彼の後を急ぎ足で追いかけた。

調理室に入ると、調理台の上にフライパンや鍋が置いてあった。

「ここが調理室だよ。食事は一日三食決められた時間に作るんだ。」
「私、・・・料理なんて作れないわ。」
「大丈夫、僕が教えるよ。」
そういって彼は奥のもうひとつのドアを開けて入って行った。
「ここが食糧庫、町で買った食糧はここに保存するんだ。」
「・・・町はどこにあるの?」

すると彼は何度も取り出しては戻してすでにくしゃくしゃになった紙を再び取り出してえーとといいながら見る。

「町はまた今度教えるよ。次は貯蔵室だよ。」

彼は食糧庫のドアを閉めて、調理室を出て行く。遅れないように私も急いで部屋を出た。

「貯蔵室は師匠が実験に使う材料や薬品を置いてるんだ。」
「実験ってなにをするの?」
「薬を作ったり、鉱物を精錬したりするんだよ。」
「なんで?」
「なぜって師匠はこの国の錬金術師だからさ。」
「錬金術師?」
「そう、師匠は偉い錬金術師なんだ。」

なぜか誇らしげに彼は言いながら貯蔵室のドアを開くと同時に生臭い異臭が鼻についた。

「師匠が実験を始めるときはここから指定されたものを持ってくるんだよ。」
「嫌な、においね。」
「うん、一応師匠の作った保存液とかに浸してるんだけど、今一番新しく入った材料が大きくてね。」

部屋の中を見ると、棚には瓶に入った植物の葉や枝、液体に漬けられたなんだかわからない生物などが並んでいた。
ふと部屋の隅に立てかけられた棚と同じぐらいの高さの長方形の大きな木箱が目に入った。

「あの箱はなに?」
「あぁ、あれがそうだよ、師匠自らが持ってきた材料で僕は一切触らせて貰えないから何が入っているのかわからないんだ。先生は妖精とか精霊の一種だからと言ってたけど。」

そういって再び彼は紙を取り出し、次の場所を確認する。

「次は大研究室だ。」
「だい・・・まだ研究室があるの?」
「うん、でも大研究室はさっき師匠がいた研究室とは比べ物にならないよ。」

彼は何故か楽しそうに部屋を出る。
廊下に出ると向こうの突き当りにいままでの木製の扉とは違う鉄製の扉がそこにあった。

「待って、今鍵を開けるから。」

彼はポケットから鍵を取り出し、鍵を外すと力一杯扉を押し開けた。
そこには図書館ほどではないが広く大きな窓がある部屋があった。

「すごいだろ。この国で一番大きい釜なんだ。」

床は石詰めで、素足で歩くとひんやり冷たかった。目の前には二階まで届くほど巨大な釜が静かに傾いていた。

「主に、鉱物の錬金や卑金属を扱うときに使うんだ。もう十年近く使ってないらしいけど、時間があるときはこの手入れをするのも仕事だよ。」
「・・・大きいわね。」

国で一番大きい釜よりも、自分の足の裏が冷たいのがいやで早くこの部屋から出たかったが、彼はしばらく釜を眺めていた。

「ねぇ・・・次はどこにいくの?」
「うん。次は二階だよ。」

私は自分がなぜここにいて、なぜ彼の言う通りにしているのかが、いまさらだったが疑問になってきた。

「ねぇ、・・・なぜこんなことをしなきゃいけないの?」
すると重い鉄製の扉を閉めて鍵をかけていた彼は目を丸くしていた。
「なぜって、僕たちは従者だからさ。」
「従者?」
「ようするに召使いなのさ、師匠の。」

彼はさも当たり前のように言って廊下を進む。
従者?召使い?よくわからない。
私はきっと私が思っているよりもずっと何も知らないのだろう。ただ今は彼の後ろをついて歩くことしかできなかった。












↑                                             ↓












次の日、私は朝からニコルとともに町に行くことになっていた。
ベッドから起き上がり部屋のキャビネットを開けると中には様々な洋服がかけられていた。どれを着ていいか迷ったが、彼を待たせているので結局ネグリジェにカーディガンを羽織り、やわらかい生地の帽子を被るだけにした。
玄関には彼がすでに靴を履いて立っていた。急ぎ足でそこらへんにある靴を履くと不思議にもサイズはぴったりだった。
研究所の扉を開けて外に出ると、室内で想像していた日の光の何倍も空はまぶしかったため太陽を凝視していると、ふらりと倒れそうになると彼は私の肩をつかんだ。

「大丈夫?」
「・・・うん、ちょっと太陽がまぶしくて。」
「師匠が作る太陽はもっとまぶしいよ。」
「え?」

一瞬耳を疑ったが、どうやら師匠はこの国の“偉い錬金術師”らしいので太陽ぐらい作るのは簡単なのだろうと、あえて問いたださなかった。

研究所のある丘を降りて少し歩き、町に入り、市場がある広場に出ると多くの人の賑わいに私は驚いた。
いろいろな人々が縦横無尽に動き、集まっては会話や、簡単にできた屋根の下では見たことのない植物の実や生物の欠片を何かと交換している。

「そんなにきょろきょろしてると笑われるよ。」
「だって、こんなに人がいるのよ?あなたは驚かないの?」
「僕も初めて見た時は驚いたよ、世界中の人々がここにいるんじゃないかって。」

彼は自分で書いたのか汚い字で書いた買い出しのリストを取り出した。

「まずは今日の食材を買って、そのあと実験の材料を買って・・・。」
「買い物は毎日するの?」
「ん?実験が始まらないうちは毎日買い物するけど、実験が始まれば終わるまで研究所から何日も出れないから、その時はしないよ。」
「実験は何日もかかるの?」
「その内容にもよるけど、師匠の話じゃ半年もかかった実験が過去にあったって聞いたことがあるよ。」
「実験って大変なのね。」

私が未だ経験していない“実験”というものを想像していると彼は辺りを見回していた。

「それじゃまず野菜を買おうか。」

彼は買い物かごを肩にかけると私の手を取り、人込みの中を歩きだした。
買い物の最中も彼はお店の人たちに絶えず笑顔で話しかけ、和気藹々と買い物を済ませて行った。普通に道を歩いていても知り合いなのか何回も声をかけられていた。調子はどうだ、師匠は元気かと尋ねられるたび彼は笑顔でそれに応えていた。
今日の食材も実験の材料もほとんど買い終わると彼はある提案をした。

「そうだ。」
「なに?」
「君も買い物してみる?」
「今してるじゃない。」
「そうじゃなくて、君も商品を買ってみたら?」
「私、できないわ。」
「だから今やってみるんだよ。」

彼の笑顔に押され、私はお財布と買い出しのリストを渡された。

「大丈夫、ちゃんと一緒にいるから。」

彼が普通にさっきまでやっていたことが果たして私にはできるだろうか。
知らない人に話しかけて、しかも笑顔で会話なんて自分が笑顔になっているかすらわからないのに。

「どうすればいいの?」
「最後の薬草を買いに行こう。」

彼に背中を押され、薬草を取り扱っている店の前に来た。

「いらっしゃい、お嬢さんなににします?」

大柄の店員に話しかけられた瞬間、頭が真っ白になってしまった。

「あ、あ・・・あの。」
店員は私の後ろに気づき声をかけた。

「ニコルじゃないか。久しぶりだね。実験は終わった?」

ニコルは私の肩から顔を出し気づかれたーと小さくつぶやいて微笑みかけてきた。

「えぇええ、無事成功しました。まぁ師匠にかかれば簡単ですよ。」
「それはよかった。で、こちらのお嬢さんは?」
「あーこの子。ちょっと遠い親戚の子で。」
すると店員は顔をよせて私の顔を窺う。

「お嬢さん、お名前は?」

自分の名前なら言えると思い、私が口を開けようとするとニコルが先に大きい声を出した。

「あー、名前、この子の名前はえーと、その・・・。」

ニコルの目が泳いでいる。何かを見つけたのかハッと顔を上げた。

「パチュリー!この子はパチュリーっていうんですよ。」
「パチュリーちゃんかぁ、よろしくねぇ。」

私はわけがわからずただ下を向いていると、並んだ商品の中に《パチュリー 50》と札のついた商品があった。

「それじゃ、これとこれください。」
「はい毎度。先生にもよろしく言っといてね。」

店を離れ、不思議に思った私は彼に話しかけた。

「私の名前はアンジェラじゃないの?」

すると彼は買った物が入ったカゴの中を確認しながら言った。

「師匠に言われたんだ。人前では『アンジェラ』の名前は出すなって。」
「なんで?」
「わからないけど、師匠の言ったことは絶対正しいよ。それよりアンジェラ、買い物できなかったね。」
「・・・ごめんなさい。」

すると彼は私の頭を軽く撫でた。

「大丈夫だよ。僕も最初はできなかったし。」

彼は私の手をつなぎ、前後に軽く振り回しながら研究所への丘を上った。



研究所に着くと彼はその足で調理室へ向かい、私もそれについて行く。
すると彼はいきなり立ち止ったため、私は彼の背中に鼻をぶつけた。
彼は思い出したように振り向いた。

「今日はまだ料理を教えることにはなっていないんだ。」

私は鼻を押さえながら答えた。

「別に今からでも私は覚えられるわ。」
「師匠から君には今日は買い物の仕方だけを教えるように言われているんだ。」
「それじゃ私はどうすればいいの?」
「うーん、図書館で本とか読む?」

図書館という言葉が耳に入った瞬間、あの壮大な光景がまた脳裏によみがえり胸を躍らせた。

「図書館に行きたい。」
「それじゃあ、僕は調理室にいるから、一人で本を読んでていいよ。」
「あなたは来てくれないの?」
「僕は昼食を作らないといけないから行けないよ。できあがったら呼びに行くから。」

私はわかったわと返事をして、図書館へ向かった。


図書館の扉を開けると、高い天井と以前と変わりなく数多くの棚が鎮座している。
扉を開けたまま図書館の光景に足を踏み入れると、まず目の前の本が乱雑に置かれた棚が目にはいった。
いったいこの図書館にはどんな本たちが眠っているのだろうか。
本棚に手を伸ばして、一冊の本を取り出す。『生命の神秘』と書かれた表紙を見て、違和感を覚えた。

なぜ私は文字を知っているのだろうか。誰にも教わった記憶がないのに、本のタイトルから書かれた年号、著者の名前まで理解できる。彼は、私はまだ生まれたばかりだと言っていた。

本の表紙を開き、ペラペラとめくると人間の赤ん坊の挿絵が書かれたページが現れた。
絵の横には《生まれたばかりの人間》と書いている。
本から目を離し、自分の体を見てみる。絵とは違う自分の体。
再び本のページをめくると、次のページには幼い少年から成長していく全裸の男性の挿絵がついていた。小さい子供が徐々に身長を伸ばして、最後には逞しい肉体を持っていた。ニコルは真ん中らへんかしらと再び自分の体を見る。


ふと背後に気配を感じて振り向くと、入口にこの国の一番偉い錬金術師が小脇に本を抱え立っていた。


「アンジェラ。なにをしている?」

私は老人の低い声を聞いて、自分が何か悪いことをしたのかと本を閉じた。
老人は静かに歩み寄る。

「さっそく勉強か、アンジェラ、君は優秀だな。もうすぐ昼食ができあがる。読みたい本があれば、部屋に持っていってもいい。図書館の扉は明けっ放しにするものではないよ。」

私はゆっくりと低く響く老人のやさしいはずの𠮟責に怯えていた。
老人は私から目を離すと持っていた本を本棚に戻し、図書館から出て行った。
独り残された私は本を抱きしめて震えていた。
他人に対してこれほど恐怖を覚えたのは初めてだった。買い物をした店員や町を歩いていた人々に対して持つものとはわけがちがう。なぜこれほどまでに彼が怖いのか、頭ではなく体が彼を拒絶した。
すると広すぎる図書館で独りでいることが心細くなってきた。
私は本棚から適当に数冊の本を手に取り、急ぎ足で図書館を出ては自分の部屋に向かった。


部屋に入り、ベッドに数冊の本を置いてそのうちの一冊を手に取り、ベッドに腰掛ける。
手に取った本は軽く埃が貼りついていて表紙には《聖書》と書いていた。
さっそくベッドに仰向けに寝そべり、読み始めた。
内容は神様への感謝や神の偉業、生命の尊さ人間の愚かさを綴っていた。

世界にはこんなにも偉い人がいるとは知らなかったが、神様という人がどんな人なのかというよりも、
人間が生まれてから成長して家庭を持ち希望を持ちそして、家族に看取られながら神の元へいく話に興味を持った。
人はいつか死ぬ。死とはいったいどんなものだろうか。死者の世界とはどんなところだろうか。神様がいて、死者が大勢いる世界、天国と地獄。
聖書の最後の方をペラペラと流し読み、読み終わると今度は違う分厚い本に手を伸ばす。次に手に取った本の表紙には《神聖喜劇 ダンテ》と書いてあった。内容は一人の男が地獄へ行く叙事詩が書いてあった。

本の第一部まで読んだところで部屋のドアからノックが聞こえた。
立ち上がりゆっくりドアを開けると昼食のトレイを持ったニコルが立っていた。

「昼食だよ。」

彼のいつもの笑顔を見ていると、本に書いているように彼がいつの日か目の前からいなくなることを考えてみた。
すると怖くてたまらなくなり思わず彼の胸に飛び込み抱きついた。
彼はトレイをとっさに持ち上げて、私と昼食の衝突を防いだ。

「どうしたの?大丈夫?」

胸に沈めた顔を上げて、彼を見上げながら質問した。

「あなたはいつか死んでしまうの?」

彼は少し驚き、困った顔をしていると。またあの笑顔が表情に戻った。

「大丈夫だよ、そんな簡単には死なないよ。」

私はそっと彼から手を離すと、彼は持ち上げたトレイを下ろし、部屋に入りテーブルに昼食を置く。
彼はベッドの上に置かれた本を見てなにかに納得した顔をしていた。

「聖書を読んだんだね。」

私はドアを閉めて彼の置いた昼食の前に座り、彼の顔を見る。彼は部屋の隅からもう一つの椅子を運び、テーブルの前に座った。

「聖書はおもしろかった?」
「・・・手紙の内容ばかりだったけど、神様はそんなに偉いの?」

ゆっくり昼食のパンをつかみ、小さく食べる。

「どうだろう、人間を作ったのは神様だし、世界を作ったのも神様だしね。」
「神様は世界も作ったの?」
「旧約聖書の方にはそう書いてるよ。それより昨日、朝食のトレイを片付けてなかったね。」

彼は真剣な顔で私の顔を窺う。そういえば昨日朝食を摂ったあとそのまま研究室へ向かったのを思い出した。

「・・・ごめんなさい。」
「昨日、夕食を持って行ったら君が眠ってたから僕が片付けたんだ。それからさっき図書館の扉が開きっぱなしだったよ。」

私はさっき急いで図書館から出てきたのを思い出した。

「・・・ごめんなさい。」

私は彼に怒られると思い、下を見てうなだれているといつものように頭を軽く撫でた。

「そんなに怖がらなくていいよ、次は気をつければいいんだからさ。」

顔をあげると、またいつもの笑顔があった。
昼食を食べ終わり、立ち上がりトレイを持ち上げる私を彼は手の平を見せ静止させた。

「僕が持ってくよ。」
「でも・・・。」
「いいよ、さっきちゃんと謝ったんだし、今日は僕が持っていくから、次からは君が持ってくればいい。まだ読んでない本もあるだろ?ゆっくり本を読んでいていいよ。」

彼は笑顔でトレイを受け取り、部屋から出て行った。

私は彼に申し訳ないなと思いながら、ベッドにうつ伏せに寝ころび、さっきとはまた違う分厚い本を手に取った。
本の表紙には《世界の妖精、怪物図鑑》と書かれていた。
分厚い本のページをめくると、一番最初の見出しに世界の精霊についての記述があった。
それぞれの記述には挿絵もついていたので読みやすく、私はその本を食い入るように読みだした。



ふと時間も忘れて本に没頭していると、窓の外からなにやら聞いたことの無い物音がした。
今見ていたページを開いたまま裏返してベッドに置き、窓を開けて玄関を眺めると、数人の騎士と馬が見えた。
玄関から出てきたニコルが彼らにお辞儀をすると騎士の一人が何やら手紙のようなものを渡している。
ニコルは再びお辞儀をすると、騎士たちはそれぞれ馬に乗り、町の方へ降りて行った。
私は窓から離れ、そのまま一階へ向かった。


一階に降りると、ちょうど研究室からニコルが出てきた。手には手紙が無い。小走りで彼に近づく。

「ニコル。」
「あれ、どうしたの?」
「さっきの手紙はなあに?あの人たちは?」

彼は数回まばたきをして、とぼけた顔をして見てたの?と言った。

「あれは国軍からの手紙だよ。」
「国軍?」
「この国を守る人達だよ。」
「手紙の中身は?」
「中身は読んでないけど、多分またこの国で恐れられてる吸血鬼の件だと思うんだ。」
「吸血鬼?」
「人間の血を飲む悪魔だよ。以前も吸血鬼に対抗する武器や薬の生成を依頼されたことがあったんだ。その時は師匠のお力で何とかこの国から追い出すことができたんだけど。どうしたの?」
「いえ・・、『手紙』というものを見てみたかっただけ。」
「そっか、それじゃあ今度手紙が来たら君に受け取ってもらうよ。」

そういうと彼は調理室の方へ向かった。私は手紙というものを見れなく残念だったが、黙って階段を上り、部屋に入った。
ベッドに寝転び、先ほどの《世界の妖精・怪物図鑑》をまた裏返すと、本のずっと先のページにしおりとして使う赤い紐がはみ出していた。紐を引きながらそのページを開くと“吸血鬼”の文字が目に入った。さっき聞いたばかりの言葉に驚き、のめりこむように読みだした。














↑                                       ↓










夜。
夕食をすませ、トレイをしっかり調理室まで持っていくと、皿を洗っていたニコルがこちらを見てよくできましたと言ってくれた。
私は一言、ごちそうさまと言うと、彼はおやすみなさいと言ってくれたので私もおやすみなさいと返して調理室を後にした。

部屋に戻りベッドの上に置かれたランプに火を灯し、散らかった本の中、読み終わった《世界の妖精・怪物》の本をどかしてその下にあった本を手に取った。
表紙には《錬金術のすべて》と書かれていた。さっそく本を開き目を通すと、最初の文章には“すべての錬金術師たちの偉業と叡智に捧げる”と書いてあった。
なぜ錬金術師はこう偉いのかと疑問符が浮かんだが、それはこれからわかると思い、そのまま読み出した。
「万物融解液」や「生命のエリクシル」などわけのわからない記述ばかりであったが、この本も挿絵がついていたので飽きることなく読むことができた。


本を半分ほど読み終え、疲れた首を動かしてると突然、背後に何かの気配を感じ後ろを見た。
そこにはランプの淡い光に映し出された知らない女の子がこちらを眺めて立っていた。
いつのまにこの部屋にいたのかわからず私はただ驚き、彼女の方に素早く体を向けた。

「だれ?」
「こんばんわ。」
「・・・いつからそこにいたの?」
「あなたがいつまでも気づかないから、気づくまでずっと待ってたのよ。」

彼女はピンクのネグリジェのような格好をして、小さな口からは鋭く尖った牙が二本見える。
背中の後ろには黒い羽のようなものが両肩からはみ出している。

「悪魔?」
「そんな野蛮なものじゃないわ。」
「どうやってこの部屋に入ったの?」
「窓が開きっぱなしだったからそこからはいったのよ。」

見ると、昼間開けた窓から風が入りカーテンに静かに揺らしていた。
すると彼女はゆっくりと近づき、私の顔を見てクスクスと笑い出した。

「申し遅れたわ。私の名前はレミリア・スカーレット。誇り高き吸血鬼よ。」

吸血鬼?
なぜ吸血鬼が私の部屋にいるのだろうか。
昼に呼んだ本では吸血鬼とは人が少ない農村や家畜などを襲うと書いてたのに。

「あなたの名前は?」

名前を聞かれ、私は躊躇していると彼女は突拍子も無く全く違う名前を口にした。

「パチュリー、っていうのねあなた。」
「違うわ、私は・・・。」
「あら、おかしいわね。私にはあなたの名前がパチュリーに見えるけど・・・。ところで。」

彼女はベッドに膝をつき、布団に上がり徐々に近寄ってきた。

「今日この国の騎士団がここに手紙を送ったはずなんだけど、ご存じないかしら?」

彼女は幼い顔とは不釣り合いの力のある眼で私の目を見つめてきた。

「手紙はきたけど、中身は見てないわ。」

彼女はあらそう、と私を見つめたまま首を傾けると、足を放り出しベッドに腰をかけた。

「あなたは私が怖くないの?」
「・・・あんまり。」
「珍しいわね、私を見た人間はみんな叫び声を上げてあわてて逃げだすのに。」

恐怖というよりも、図鑑に載っていた怪物が目の前にいる好奇心が私を冷静にさせていた。

「あなたは人間の血を飲むの?」
「私は小食だからあまり飲まないわ。」
「いままで何人の血を吸ったの?」
「あなたは今まで食べてきたパンの枚数を覚えている?」

私はゆっくり指を折って数える。彼女はそれをみてまたクスクスと笑う。

「・・・三枚よ。」
「あら、あなたも小食なの?」
「わたしは生まれたばかりなの。」
「生まれた?」

彼女は私の顔を再びじっと見つめる。

「あぁあなた・・・ホムンクルスなのね。」
「ホムン?・・・なに?」
「あら、どうでもいいことだったわ。今日はここの錬金術師の偵察にきたのだけど、彼は今なにをしているかわかる?」

ふと昼のおそろしい老人のことを思い出したためか、鳥肌が立った。

「何をしているかなんて、わからないわ。少なくともまだ実験は始まっていないと思うけど。」
「まだ始まっていないのね。わかったわ。」

そういうと彼女は窓の前に移動して、外を見上げた。

「今日は帰るわ、またね、生まれたばかりの妖精さん。」

彼女は私に軽くほほ笑むと、一瞬で黒くなり、何匹もの蝙蝠に変身すると群れをなして窓からパタパタと出て行った。



「図鑑の通りだわ。」
私は今頃になって目の前に本物の吸血鬼が現れたことを理解すると、枕を抱きしめて興奮していた。
図鑑にはもっと凶暴そうに描かれていたのに、普通の女の子みたいな吸血鬼もいる。これは新しい発見だと、抱きしめた枕をさらに締め付けて顔を沈めた。ランプの灯を消して布団に入ってからも興奮は冷めやまなかった。
ほかにはどんな習性があるのだろう。図鑑には吸血鬼の少女は載っていないのだからまだ知られていない習性を持っているに違いないと、いろいろな想像をしながらいつしか眠りに落ちていった。











暑い日差しが開いた窓から入り込み、まどろみの中、起き上がる。
何やら一階の方からカン、カンと金属を打ち付ける音がかすかに聞こえてきた。
なんだろうと思い、布団から起き上がり、部屋を出る。
階段を降りる毎に音は大きくなり、一階の廊下ではその音がうるさいぐらい反響していた。
音はどうやら大研究室から響いている。ねぼけた頭で大研究室への廊下を進み、鉄製の大きな扉の前に立つと、音が鳴り止んだ。そっと手を伸ばすと、扉はひとりでに開き、中から額に汗をかいた薄着のニコルが出てきた。

「あれ?」
「おはよおニコル。」

彼は私の顔を見ると、うれしそうに話しだした。

「ついに始まるよ。」
「えぇ?」
「実験だよ。実験。」
「じっけん?」

私はまだ完全に眠りから覚めていないのか彼の言っていることが把握できなかった。

「師匠がまた吸血鬼を追い払う兵器を作るんだって。」
「へーき?」

彼は釜が動くとこが初めて見れるとか、師匠曰く十数年ぶりの大きな実験になるなどと説明をしてきたが、やはりよくわからず、ただうん、うん、と目を半分開けて相槌を打つことしかできなかった。

「とりあえず、今から朝食つくるから部屋で待ってて。」

彼は楽しそうに歩きながら廊下の奥に消えた。
私は言われたように階段を昇り、部屋へ戻ってまたベッドに寝転んだ。



ふたたび目を覚ますと、部屋のテーブルの上にはいつもの朝食が置かれていた。
彼は朝食をテーブルに置いてすぐ部屋から出て行ったのだろうか、部屋は自分と朝食以外、朝の風景となんら変わらずにいた。
ベッドから降りて、テーブルに向かい朝食に手をつける。
きっと実験が始まるということは、買い物もしなくなるので多分彼はこれから忙しくなるのだろう。空っぽになった食器の乗ったトレイを持ち上げ部屋を出ると、また金属を打ち付ける音が一階から聞こえてきた。階段を降りて誰もいない調理室へ入りトレイを調理台の上に置く。
廊下に出ると絶えず音は一定の間隔を置いて鳴り響いていた。
大研究室へ向かい、鉄製のドアに手を伸ばし押してみたがびくともしない。彼でさえあんなに力を入れて開けていた扉なのだから私の力で開かないことはわかりきっていたことだった。
私はどうすればいいのだろう。いつものように『今日はアレを教えるよ。』と言ってくれる人がいなくなるとこんなにも寂しいものとは知らなかった。


仕方なく私は一人で図書館に向かった。ここまで来ると音も聞こえてこないのか、誰もいない静かな図書館で本を数冊手にとっては小脇に抱えると、廊下に出て開けっ放しの扉をゆっくり閉めた。


部屋に戻り、持ってきた数冊の本をベッドに並べてみる。その中からおもしろそうな本を選んで手に取り、いつものようにベッドに寝転び読み始める。本のタイトルは《ユートピア》と書かれていた。面白そうな本を選んだはずだったがタイトルの割には面白くなく、結局この本が何を言いたいのかわからなかった。

読み終わるとまた違う本を手に取り読みだす。また読み終わると違う本を読みだす。
活字が網膜に貼りつくようにただひたすら本を読んでいると、いつしか時間は過ぎて外は夕闇が空を覆っていき部屋もいつのまにか暗くなり、本の文字が読めなくなっていった。
本から目を離し、ランプに灯を点けるといまだに一階から金属の音が聞こえていた。
ずっと本を読んでいたためか不思議なことに空腹は感じなかったが、こんなにも一日中行う実験とは一体どんなものなのかと、今読んでいた本にしおりの紐を挟み、昨日読んでいた《錬金術のすべて》に手を伸ばした。
適当にページをめくり、《鉱物・卑金属》の項目を開いた。
初めに出てきた【オリハルコンの生成】を見ていると、ガタッと部屋の中で音がした。
ビクリと音の方を見ると、昨日の吸血鬼の少女が綿のはみ出したぬいぐるみを抱きしめて立っていた。








   




↑                                            ↓










「また来たの?」

私は彼女の方を見ながら本を閉じた。

「また来たの。」

彼女は抱きしめていたぬいぐるみをぶら下げて歩み寄る。

「始まったみたいね。」
「なにが?」
「私たちに対抗する兵器をつくってるんでしょ?」

そういえばと朝彼がそんなことを言っていたことを思い出すと、彼女はまた私を見てクスクス笑う。

「なにもしらないのね。」
「・・・ごめんなさい。」

どうやら私は、自分に非があるようなことを言われると反射的に謝る癖があるらしい。

「でも今回はだめね。」
「なんで?」
「人工太陽なんてそう簡単には作れないのよ。」

そういって彼女は手に持ったぬいぐるみをベッドの下に置き。ベッドの端に並べたままになっていた数冊の本をみつめた。
私は、彼と買い物に行った日に彼が言っていた冗談を思い出した。

「これを読むといいわ。」

彼女が手に取った本を受け取る。他の本に比べて薄く傷んでいるその本の表紙には《研究日誌》と書いてあった。
私はどうやら図書館から適当に持ってきた本に混じって研究日誌を持って来ていたようだ。

「これになにが?」
「人間の愚かさよ。」

彼女はそうゆうと静かに部屋の奥の椅子に座った。
研究日誌を開くと、汚い手書きの文章が並び図形や球体の絵が描いてある。

【人工超光源装置】
必要な材料はダイナモ石、オリハルコン、王水、サラマンダーの尻尾、処女の血・・・。


パラパラとページをめくると、化学式や計算表、そこから先の文章の内容はどうやら研究日誌というよりも日記のようなものだった。




『9月10日
アンジェラ・・・。わたしはお前のことを心から愛している。妻に先立たれ、いつもひとりで遊んでいるお前をみていると正直心が痛む。
お前の遊び相手を造る予定だったが、どうやら間に合いそうにない。錬金術師の名誉と誇りにかけてこの実験を成功させなくてはならない。』


『12月13日
人工太陽は無事完成した。これでこの国の錬金術師としての誇りは守られた。娘の命と引き換えに私は国を救ったのだ。
これはなにものにも換えられない偉業であろう。娘の遊び相手に造ったホムンクルスはニコルと名付けた。召使いとして使おうと思う。』

『2月5日
今日また町で吸血鬼の噂を聞いた。どうやら彼等はまだ死滅してはいないようだ。
被害が拡大する前に、また人工太陽の材料を集めなくてはならない。』

『4月25日
鉱物はあらかた揃ったが、肝心の生物が揃わない。町で買った他の娘で試しても、合成させる前に肉体が溶けて消滅してしまう。
もうすでに10人ほど試してたがやはりうまくいかない。アンジェラの時はうまくいったのに。』




日記はここで終わっていた。


「これは?」
「錬金術なんてものは結局、神様の真似をして精霊が宿る物質から新しい物質や生物を造ったりする技術なのに、他の生物や同じ人間を材料として屠殺するとは愚かだと思わない?それで何が得られるというの?富と名誉?人間としての誇りを蔑ろにしてまで何故それに拘るのかしら。」
「彼は自分の子供を・・・・。」

私は、私に名付けられた誰かの名前を口にしていた。



突然、部屋のドアをドンドンと力強く叩く音がした。
吸血鬼は瞬時に闇に解けて、気配を消しこの部屋からいなくなった。

「アンジェラ。」

心臓を叩きつけるようにドアの向こうから老人の声がする。全身の血液が引いて行くのがわかる。

「起きているか?」

そういってドアが開くと、そこにはランプを片手に持った老人が立っていた。
光に照らされた老人の姿に私はさらに恐怖した。

「さあ、こちらに来なさい。」

背の高い老人は手を差し伸べて部屋に入ってきた。
私はベッドの上で彼の顔を見ながら恐怖に体を硬直させていた。

突如、老人の背後から消えたはずの吸血鬼が現れ、彼の首に咬みついた。老人は咬まれて恐ろしいうめき声をあげながら吸血鬼を肩にのせたまま部屋の中で暴れだした。いくら揺さぶっても吸血鬼は彼の首にしっかり牙が食い込み離れない。

私はふと我に返り、転びそうになりながら慌てて部屋から飛び出した。

「アンジェラ!!」

老人の声を背中で聞きながら階段をものすごい速度で駆け降りる。
一階の廊下に足を着くと、二階から高い炸裂音とともに閃光で閃き、階段の踊り場まで照らした。

私は走るたびに心臓が胸を叩くのを感じながら、窓からかすかに入る月明かりの照らす廊下を走った。
大研究室の鉄製の扉が見えて、思いっきりドアを叩いて彼の名前を呼んだ。
そこではじめて、いつのまにか朝から鳴り止まなかったはずの金属を打ち付ける音が聞こえないことに気づいた。
扉に耳をあて、中の様子を窺うが物音一つしない。
ここにはいないと思い、扉を離れ、再び彼の名前を叫びながら走った。
恐怖と孤独で私は涙を流し、走りながらも足が震え、叫んでいたはずの彼の名前もいつのまにか力無い喚き声になった。

ふと向こうの方で、憤死するのではないかという声で老人が私の名前を呼んでいるのに気がついた。
このままでは捕まってしまう!
どこかに隠れないと!
走ることを止め、近くのドアに入り薄暗い部屋の隅にうずくまった。息を殺そうとして、無理やり息を止めようとすると胸が痛くなった。
自分の息を除いて、この部屋は異様なまでに静かだった。

ふとどこかで嗅いだ独特の異臭が鼻についた。

「アンジェラ・・・。」

心臓が胸から飛び出しそうになった。近くから老人の声が聞こえる。
部屋の隅から、今入ってきたドアを見ると、少し開いたドアの隙間から廊下の窓から差し込む月明かりが見えた。

「何故逃げるのだ・・・。」

月明かりが見えなくなったかと思うと、背の高い真っ黒な影が黒く濡れた首元を手で押さえてながら部屋に入ってきた。

「さみしがり屋のお前を有効的に使っているのだ・・・。またお母さんに会いたいだろう?」

私は背中を壁に当て、ただ後ろへ後ろへとずりずりと体を押し付けた。

すると足に何かが当たる感触と、バタンと何かが倒れる音がした。
部屋の隅に立てかけられた背の高い細長い木箱の板が外れ、目の前に倒れていた。

なにかがもたれかかってきた。
それを見て私は戦慄した。

紫の長い髪とボロボロの皮と骨のようにやせ細った少女の死体だった。

「ヒッ!!」

眼球は無く、ただ眼窩に穴が開き、皮膚は所々黒ずんでいる。

「・・・アンジェラ・・・。」

老人が小さくうめき声を上げたと思うと、胸元を突き破り血に染まった小さな手首が突き出していた。
手首が胸元に戻っていくと老人は前のめりに倒れ、その後ろから両目を固く瞑った吸血鬼の少女が現れた。

「そんなに娘が恋しければ、ネクロマンサーにでも転職すればいいのに。」

私は腰が抜けて立ち上がれず、ガクガクと震え、呼吸も整わずヒッ・・ヒッ・・と変な声を出していた。
吸血鬼の少女は倒れた老人の背中へ手を入れて、赤い塊を取り出しては上を向いて口を開けながら塊から滴る液体を口に落して飲んでいた。
私はそれが老人の心臓だとわかったとき、視界は完全に真っ暗になり気絶した。














気がつくと、私は朝日の差し込む自分の部屋のベッドの上にいた。
ベッドの上には昨日持ってきた本が散らばっていた。
辺りを見渡すと、部屋の中にはテーブルの残骸が転がり、背もたれを無くした椅子や、扉を無くしたキャビネット、床には夥しいほどの血痕があった。

ああ、夢じゃなかった・・・。
私はベッドから降りて部屋のドアに向かうが、部屋にはドアは無く廊下にドアが倒れていた。
私は壁をつかみながら部屋から廊下に出ると、一階への階段を下りた。
廊下を歩くと壁が所々破壊されていて、窓ガラスが割れて破片が散らかり床には血痕がたまに見えた。
朝の静寂の中、歩きながら彼の名前を呼んでみるが返事はなく、ミシミシと自分の体重でかすかに軋む床の音がやけにうるさく聞こえるだけだった。
血痕が大量に落ちている部屋の前で立ち止まり、中をのぞいてみたが二つの死体が昨日のまま残されているだけで、彼の姿は見当たらなかった。

「ニコル、どこぉ?」

ふらふらと歩くと、廊下の突き当りに鉄製のドアが一枚倒れていた。
怪力を持ってしてこじ開けられたのか、ドアはひしゃげて原型を留めてはいなかった。
大研究室に入ると、この国で一番大きい釜の下に一人の少年が倒れていた。

「ニコル!!」

私は駆け寄り、少年の頭を起こすと彼の顔にはかつての少年とは思えないまるで老人のような深い皺が刻まれていた。
目の位置にある皺が開き、少年はゆっくり言葉を発した。

「あれ?アンジェラ。おはよう。」
「どうしたのニコル!?」

少年は床に手をついて立ち上がろうとするが、バランスを崩しふわりと倒れた。

「なんだか、体が、すごくだるいんだ。悪いけど、肩を貸してくれないか?」

私は彼のしわしわの腕をうなじに回し、立ち上がると、予想以上に軽い彼の体重に驚いた。

「師匠は、もう起きているかな?」

私は返事をせずにあなたの部屋はどこ?と尋ねて、彼の部屋へ向かった。



彼の部屋のドアを開けると、窓とベッドだけがそこにあり、ほかには何もなかった。
彼をベッドに乗せて、横に寝かせる。
皺々の体からはかつての少年の健康的な肉体も溌溂な生気も感じられなかった。

「今が何時かわかるかい?」

言葉を発するたびにごろごろと喉を鳴らす彼を見て、私は彼が人間ではないことを思い出した。

「わからないわ、ちょっとまってて・・・。」

これ以上話すと涙がこぼれそうになったので、急いで部屋を後にした。
何故彼はあんな風になってしまったのか、どうすれば元に戻るのか、全く見当がつかず狼狽していると、昨日読んだ研究日誌のことを思い出した。

二階に上がり再び廊下に転がったドアをまたいで部屋に入り、研究日誌を手に取り、背もたれの無い椅子に座り読みだす。
だが彼がアンジェラの遊び相手のために作られたホムンクルスであるということ以外、どこにも彼を元に戻す方法は記されていなかった。

研究日誌を持ったまま、一階に戻り図書館へ向かう。
図書館に入り、手当たり次第に《ホムンクルス》と名のつく書物を手にとっては図書館の前の廊下に運び、廊下にそのまま座り込んで読んだ。

どれもこれもホムンクルスを比喩としての社会批判や物語の話ばかりであったが、持ってきた本の中に一冊だけ《ホムンクルスの作り方》と題された本があった。
内容を見ると、フラスコに人間の精液を入れて密閉し腐敗させ、それに毎日人間の血液を与えて作ると書かれていた。
またホムンクルスは生まれながらあらゆる知識を持っているとも書いていた。

私が知りたいのはこんなことではないと本を閉じる。
ふと彼の様子が気になり、本を一冊だけ持ったまま彼の部屋へ向かった。

彼の部屋に入ると、一瞬目の錯覚かと思ったがベッドが大きくなったのではなかった。
彼は確実に、先ほどよりも縮んでいた。
まるで生まれたばかりの子供のような大きさになりながらも、体の皺は消えることはなくさらに拍車がかっていた。まるで年老いた赤ん坊のようになった彼は私に気づいたのか、こちらの方を向いた。

「アンジェラ・・?」
「ニコル、どうすればいいの?どうしたら元に戻るの?」

彼の傍らに寄り添い、膝をついて尋ねるが、多分を答えを持ち合わせていないのだろう。

「師匠が、お亡くなりになったんだ。僕は師匠の精子から作られたホムンクルスだから、師匠が死んでも生きられるようには作られなかったんだと思う。」

それを聞いた瞬間、あの笑顔が二度と見れなくなることを想像した。

「あなたは死んでしまうの?」

「きっと、・・もう話せなくなる。」

「どうすればいいの?わたしは何をすればいいの?」

「パチュリー・・・。」


「へ?」



「・・・。」



彼の最後の言葉を聞きながら涙ぐんでいると、もはや赤子よりも小さい皺の塊になった彼はゆっくりと目を閉じた。
涙が頬を伝い落ちて行く。


もし今、彼を元通りにできる人間が現れるなら、実験の材料だろうがなんだろうが何をしてもいいと思った。
今なら国で一番偉い錬金術師にさえも、泣いて縋ったかもしれない。
だが彼を元通りにできる人がいなくなった今、さらに上には誰がいるというのだろう。

神様?

私は両手を互いに握り、泣きながら窓の外の空を見た。



「神様。彼は今、私の目の前で息絶えようとしています。」

「彼はやさしいです。とても親切です。私が間違いを起こしても笑顔でそれを許してくれます。」

自分が言った言葉ひとつひとつに涙をこぼしながら、彼のことを思った。

「主人には忠実な従者で、力無い私には優しく清らかな心で接し、決して疑いの心を持たず、町の人々にも愛嬌を持ち、彼の笑顔は誰の心にも癒しを与えます。」

自分が今していることが、とても頼りなく、情けなく、無力であることを感じながら、それでも手を下ろすことはできなかった。

「だから、神様・・・。」

「おねがいです!彼をつれてかないで!!」



ベッドに肘をつき、祈りを言い終わっても手を崩すことはできず、いるかどうかもわからない神様という人に再び彼の蘇生をただ願った。
ピクリとも動かない彼の体をできるだけ視界には入れず、ただ窓の向こうの白い世界を想像しながら、祈った。



祈りつかれて眠ってしまったのか、外は日が沈み、私はベッドに顎を乗せて両手を握ったまますっかり薄暗くなった彼の部屋で目を覚ました。
彼を見ると、もはやそれは肉の塊となり、黒く変色してシーツの上を転がっていた。
私は流した涙で自分の頬が硬くなっているのを確かめると、静かに、誰もいない部屋を出た。


暗い廊下に出ると、向こうに吸血鬼の少女がこちらをむいて立っていた。
私は無言で彼女に近づき、彼女の顔を見つめた。



「わたしは、どうしたらいいの。」

「そんなに目を赤くして、一日中泣いていたのね。」

「どうしたらいいの?」

「自分で決めるといいわ。」

「たとえば・・?」

「なんでもよ、彼の後を追ってもいいし、独りで生きることもできるわ。なんなら私と一緒に来る?」

「・・・吸血鬼になればいいの?」


「それもおもしろそうだけど、私の遊び相手なら大歓迎よ。」



「・・・・面白そうね。」


ああ。神様はきっと彼のかわりに彼女を差し出したのかもしれない。

すると彼女は手を出した。私はしばらくその手を見つめるとゆっくりと手を伸ばし、彼女の手を握った。










「よろしくパチュリー。私はレミリア。レミリア・スカーレット。誇り高き吸血鬼よ。」




「・・・よろしく、レミリア。」
今回二度目の投稿になります。
ちょっと書く時間を言い訳に無茶した感があります。
今回パチュリーを泣かせました。


酷評でお願いします。
顧みる者
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コメント



0.260簡易評価
1.100鍼羅削除
GJ!2作とも読みましたがとても素晴らしいです
紫にパチュリー・・・・・・次は誰になるんでしょうか。


自分としては咲夜さんがいいと思いm(ry
6.無評価名前が無い程度の能力削除
2なども付け足されていない全く同じタイトルはちょっと
7.50名前が無い程度の能力削除
>ああ。神様はきっと彼のかわりに彼女を差し出したのかもしれない。
少々無理矢理感が否めない。間接的とはいえ、二コルを殺したのはレミリアだし
8.60名前が無い程度の能力削除
で、死なないパチュリーは誰の処女の血でできているのかが不思議です。
アンジェラの原型はもうミイラなんですよね?
11.50名前が無い程度の能力削除
もうすでに一回タイトル変えられたようですが、数字以外はどうでしょう?
すごく単純な例としては、パチュリー編とか
まあ、表現は作者の工夫で
14.80名前が無い程度の能力削除
二作とも読みました!GJ!
キャラの過去話は、作者によってかなり違うものになりますから(キャラに対するイメージとかも)
読んでるほうも色々と想像できたり……

タイトルについてですが
話が続いているというわけでは無いので、
数字よりもキャラ名で~編とか、そのキャラを連想させる言葉とかをつかうといいのでは?
15.10名前が無い程度の能力削除
残念。