ネズミにも嫌われてしまったのだろうか。薄暗く、湿った地下室でわたしはふとそう思った。
鉄のベットの上でひざを抱えて座っていると、そんな暗い考えばかりが浮かんでくる。
つねに深い闇に包まれている中で耳を澄ます、やはりネズミの気配は感じられない。
長い年月をかけて、地層のように蓄積した暗闇がいつしか意志をもち、わたしの体に少しずつしみこんでいく。それは水のごとく、わたしの心を侵食していく。
そのせいで、わたしの考えが悪いほうにばかりいくのではないかと、手をあごにもっていき、悩んだポーズをとってみる。そんなくだらない黒い妄想をして時間をつぶす。
ベットの側に机があり、ろうそくが置かれている。マッチで火をつけてみた。淡い光りが顔を照らし、わたしの体にまとわりついていた影が、拭い去られたように感じる。
弱々しく輝く炎を眺め、せっかく火をつけたのだし、影絵でもつくってみようと思った。両手で犬の形をとる。
「ワオーン。ワオーン」
石の壁に大きな犬の姿が浮かび上がった。小指を動かし、口をぱくぱくと開かせる。
生き物がよりつこうとしない暗くて静かな地下室に、わたしの声がひとり寂しく反響した。
しばらく影絵で遊んでいると、音が聞こえて動きを止めた。誰かがこの地下室の扉を開けたのだ。
人間では動かすこともできないほどの質量をもつ重くて厚い扉が、老人のうめき声のような錆びれた音を闇に響かせながら、ゆっくりと開く。
扉を開けると、暗闇に吸い込まれるように、階段が螺旋状にうずまいている。
一段一段と、石段を確かめるように踏む音がテンポよく聞こえる。
わたしの位置からでは、誰が入ってきたのか視認することはできない。だが、特定することは簡単だった。
あの扉を開けることができるのはこの館にわたしともうひとりしかいない。
階段をおりる足音が、やんだ。
「フラン、体調はどうかしら」
レミリアお姉さまが腕を組んで立っている。その声は常に優雅で、自信に溢れていた。
「大丈夫、いつもどおりよ」
「そう、それはよかったわ」
大抵の時間をわたしは地下室で過ごす。しかし、夜の間だけは別である。
騒がしいメイド達が寝静まり、静寂だけが支配する寂しい時間。それがわたしの遊び場だった。
お姉さまは、毎晩この部屋に訪れ、自由の時間を知らせてくれる。
今日はパチュリーの所にいって絵本でも読んでもらおうかな。そんなことを考えていると、お姉さまが口を開いた。
「フラン、今日はちょっと遊ぶ前について来てほしい所があるの、いいかしら」
「う、うん。わかった」
尋ねられ、わたしは短くうなずいた。断る理由などなく、言うとおりにしたほうがいいと強く思った。
お姉さまはわたしの答えに満足げに笑みを浮かべ、振り返り、階段をのぼっていく。
後を追うために腰をあげた。鉄のベットのきしむ音を聞きながら、一息でろうそくの火を吹き消した。わたしの影が闇と同化した。
お姉さまの背中を見ながら静かな廊下を歩く。壁には同じ間隔を保ちながら、扉とランプがならんでいる。
敷き詰められた赤い絨毯が足裏をやさしく受け止め、足音さえ吸収する。
長い廊下を私達は音もなく移動した。
「ついたわ、ここよ」
足を止めて扉のプレートに視線を向けた。実験室と書かれていた。
「ここってパチュリーの……」
「そうよ、さあ入りましょう」
お姉さまが扉を開けて室内に踏み込んだ。わたしも遅れないようにその後に続いた。
この部屋にはとにかく物が多い。魔法の実験に使うと思われる道具などが、あちらこちらに無造作に置かれており、見渡す限り本で溢れかえっている。
図書館から持ってきた魔道書が天井に触れんばかりに高くつまれているのだ。
それでも一応、床が見える道らしきものがあるので、そこを通って奥に進む。
中央に大きな木製の机があり、その上は、ある程度片付けられている。その側のイスにパチュリーが座っていた。
「来たわね、でも本当にいいの?」
「もちろんよ」
心配そうな顔で言ったパチュリーに対して、お姉さまは自信に満ちた顔で答えた。
「あなたじゃないわ。フランに聞いたのよ」
「えっ、わたし?」
何もわかっていないわたしの表情を見て察したのか、彼女はお姉さまに視線を向ける。
「レミィ、まさかあなたこんな重大なこと、まだフランに説明していないの?」
「今するから問題ないわ」とお姉さま。
まるで紅茶でもすするような優雅な口調だった。
パチュリーは口を開きかけたが、あきらめたようにため息をついた。
「まあいいわ。とにかくフラン、これからおこなうことはあなたの人生に大きく関わることだからよく聞いて、考えるのよ」
どんなことをするのかわからないが、私は短くうなずいた。
パチュリーが机に置かれていたひとつの壜に手を伸ばす。その透明な小壜には赤い液体が入っていた。
「この薬はレミリアの協力のもと、私が創りあげた秘薬よ。簡単に効果を説明すると飲んだ人物の能力に干渉、影響を与えることができる。
つまりこの薬をあなたが飲めば、全てを破壊するなんていう物騒な力を抑えることができるのかもしれない」
パチュリーは壜のふたを開けた。言葉は続く。
「でもこの薬は、未完成と言ってもさしつかえないほどのものよ。
やっとできたのはこの1本だけ、だから生体実験もできないし副作用もわからない。最悪の場合、死ぬことだってありえる。
創っておいておかしいけれど、こんな危険な薬、フランに使わせたくはないわ」
それまで黙って聞いていたお姉さまが口を開き、わたしに顔を向けた。
「毒を以って毒を制す。よく考えなさいフラン。これは自分を変えるチャンスなのよ。うまくいけばすべてが楽しくなるのよ」
「レミィ、毒は人を殺すのよ」
「あら、なら大丈夫ね。フランは吸血鬼だから」
わたしは壜をじっと見つめた。お姉さまの言うとおりこれはチャンスだと思った。
うす暗さと寂しさが支配するあの部屋を出ることができるのかもしれない。
死への恐怖は不思議と感じなかった。恐ろしさや怖いといった感情は、地下室の暗闇が取り去ってしまったのだろうか。
「その薬、飲むわ」
答えると、2人の視線がわたしに注目した。
「本当に、いいのね?」
不安げな顔でパチュリーが小壜を差し出す。心配してくれることに感謝して、それを受け取る。
2人に見守られて、わたしは一気に薬を飲んだ。
ねっとりとした液体がのどを通り、体に染み渡っていくのを感じる。そしてわたしは膝をついた。
火のついたマッチを飲み込んでしまったようにのどが焼ける。叫ぼうとしても、カエルの鳴き声みたいなにぶい声しか出ない。
焦るように体温が上昇し、不気味なほど汗が噴き出た。
お姉さまとパチュリーが口を大きく開けて何かを言っているが、わたしの耳にはいっさい音が入ってこない。
苦しみで顔が歪み、我慢できずに力を解放した。
机や壁、魔法の道具や本をすべて巻き込み破壊した。側にいた2人が無事ですむわけがない。
ごめんなさい、お姉さま、パチュリー。それだけを思い、全身の熱が疲労感に変わり、わたしは力尽きた。
意識が目覚めるとわたしはベットの上にいた。体をおこして周囲を見渡す。ぼやけていた視界が時間と共にはれていく。
ここはお姉さまの部屋だった。何が起こったのか思い出そうとして、あの薬のことが頭に浮かんだ。
しかし、記憶が不鮮明であまりよくわからない。だが、わたしが能力を使ってしまったことだけは、はっきりと覚えていた。
「あら、起きたのねフラン。体調はどうかしら」
パチュリーだった。怪我をしているふうでもなく、いつもどおりの姿をしている。
わたしが暴れたのはただの夢だったのだろうか。
「目覚めてすぐで悪いけれど昨日のことで話しがあるわ。私の研究室に来てちょうだい」
声が低く、口調は淡々としている。その声色がわたしを不安にさせる。やはりあれは夢や幻覚などではなく実際に起こったことなのだ。
パチュリーに連れられて研究室に足を向ける。
現実とわかり、どうしても気になっていることを尋ねた。
「お姉さまは……その……元気なのかな?」
「ええ、大丈夫よ。私と同じようにどこも怪我なんてしてないわ。今、ひとりで外出しているぐらいだから心配しなくてもいいわよ」
その言葉にわたしは安堵した。考えてみればお姉さまは吸血鬼なのだからそれほど気にしなくてもよかったのかもしれない。
しかし、どうしてパチュリーまで無事なのだろうか。
「さあ、ついたわ」
パチュリーがドアノブをひねり扉を開けた。
どれだけ悲惨な状態になっているのかとひやひやしていた。だが、その予想はよいほうに裏切られた。
「なっ、何で……?」
目の前に綺麗にかたづけられた正しい研究室の姿があった。以前の物置と勘違いしてしまうような、ごちゃごちゃとした雰囲気はどこにも見あたらない。
一晩でこんなことができるのはあのメイドしかいない。
「そっか、咲夜がやってくれたんだ」
「いえ、ちがうわ、メイド達にはこの部屋のものを触らないように言いつけてあるもの」
「じゃあ……もしかしてパチュリー?」
「私がこんなことできるわけないでしょ、あそこまで汚くした犯人は誰だと思っているの」
「そっか、それじゃあいった誰が……」
「あなたよフラン」
「えっ」
「あなたがこの部屋を片付けた……いえ、再構築したのよ」
わたしはパチュリーと廊下を歩いていた。
この廊下は館内の裏側で、日陰が当たらない。そのため裏庭が見えるように窓ガラスがつけられている。
「あなたの力の爆発を門番は聞いているわ。それに、その音や振動で目を覚ましたメイド達もいるのよ。彼女達はすぐに音のするほうに向かった。
でもそこで不思議なことが起きた。彼女達はいったいどの部屋であんな爆発が起こったのかわからなかったのよ。
そして私が実験に失敗したんじゃないかと思ったメイドが研究室の扉を開けて私達を発見した……」
パチュリーは立ち止まり窓の外を眺めた。わたしもそれにならい動きを止めた。
「研究室も私もレミィも確かにあなたに攻撃された。それは覚えているわ。
でも、気がついたときには2人とも無傷で、おまけに部屋はすでに片付けられた後だった。
当然メイド達は何も知らない。つまり気を失っていた私達3人のうちの誰かが何かをやったとしか考えられないのよ」
「その何かって……」
「ある仮説を立ててみるとすんなりと理解することができるわ。
昨夜の薬があなたの能力、全てを破壊する力を全てを再生させる力に変化させたんじゃないかって」
わたしは思わず自分の両手をひらき、眺めた。
壊すことしかできないこの危険な能力が、まったく逆の能力に変わるだなんてそんなことが本当にあるのだろうか。
「今からそれを試してみましょ、フランちょっと離れなさい」
パチュリーが窓ガラスに向かって手をかざした。何をするのかがわかり、わたしは慌てて耳をふさいで側を飛びのいた。
彼女の口が細かく動き、石が当たったように窓が吹き飛ぶ。
音は聞こえなかったが脳内でガラスの割れる音が響いた。
「もし私の予想どうりならこの窓を直すことができるはずよ」
わたしにそんなことができるのか疑問だったが、とにかくやってみるしかない。手のひらを窓に向けて、力の波動を送る。
いままで同じように、壊すことをイメージした。
すると廊下に飛び散ったガラスの破片が震えだした。次に浮かび、生きているように動き始める。
そして元の位置に収まるとぴたりと止まる。
まるで破壊された瞬間の時間を巻き戻して見ているように思えた。
「す、すごい……」
自分の能力に驚き感嘆の声をもらしていると背後に気配を感じた。振り向くと咲夜が立っていた。
「今この辺でガラスが割れるような音がしませんでした?」
わたしが口を開こうとするとパチュリーに手で遮られた。
「さあ、知らないわ。昨日もおかしなことが起きているからもしかしたら幽霊でもいるのかしら」
「吸血鬼の館に幽霊がでるとは思えませんが……フラン様は何か知りませんか?」
「し、知らないよ」
そう答えると咲夜は不思議そうに首を傾げながら戻っていた。
パチュリーが口に指を立てて笑っていた。わたしも真似をして、人差し指を口元にもってきて笑った。女同士の秘密のサインだった。
部屋に戻ってこれからのことを考えた。能力は確かに変化していた。
まるでコインのように、表が裏にひっくりかえったようにまったく逆の力に変化している。
これまでのわたしの人生とまったく違った生き方が、これからはできるのではないかと思った。そう考えると頬が緩んだ。
次の日、わたしはお姉さまにたたき起こされたされた。
手を強引にひっぱられて、引きずられるように廊下を移動する。眠気眼をさすりながら言った。
「まだお昼だよ~」
「何言ってるの、しっかりしてフラン。もう人間達はとっくに活動しているのよ」
「わたしは吸血鬼だよ~」
「さあ、準備はいいフラン」
ようやく意識が覚醒しはじめ、自分が玄関の扉にいることに気づいた。
お姉さまの隣に咲夜が傘を広げて立っている。2人は入れそうな大きな傘だ。
「もしかしてわたし外に出るの?」
「ええそうよ」とお姉さま。
「でも日光が……」
「大丈夫よその為に大きめな日傘を用意したから、さあ行くわよ」
お姉さまが盛大に扉を開け、外の空気がなだれのように入り込む。
咲夜がすぐに日傘を広げたのでわたしは安心した。だが、すぐに体が強張り、心が乱れた。
目の前に見たこともないほどの大勢の人間達がいた。全員の瞳がわたし達に集中し、いきなり注目され何が何だかわからず狼狽して不安になる。
そんなわたしの両肩に、緊張からほぐすかのように背後から誰かの手がおかれた。見上げるとパチュリーの顔があった。
「レミィ、またあなたフランに何も説明してないわね」
「そんなの必要ないわ、私とフランは以心伝心の仲だもの」
「そう思っているのはあんただけよ、フランとりあえずこれを読みなさい」
パチュリーから手渡された1枚の紙を見る。赤いナイチンゲールの誕生と大きく書かれた文字が目に飛び込んできた。
あの事件でわたしの能力が、全てを再生させる力に変化したのではないかとパチュリーは推測した。その話を聞いてお姉さまにあるアイデアが浮かび、行動に出た。
天狗のところに出向き、紅魔館に来ればどんな怪我も病気も治すことができるという内容の記事を書けと脅し、今日の朝、人里に新聞をばらまいた。
「その結果がこれよ。朝っぱらから大勢の人間が押しかけてきて何事かと思ったわ。
500年も生きているんだからもっと計画的に行動してほしいものね」
嫌味っぽく言うパチュリーの言葉を、お姉さまはどこ吹く風といったように聞き流す。
お姉さまはわたしの横に立ち、人間達に顔に目を向けながら静かな声で言った。
「今までのあなたは人々から避けられ、嫌われるような生き物だったわ。
圧倒的で、畏怖の対象になるような破壊することしかできない能力がその原因だった。でも、今日からは違うわ。
フラン、よく見なさい。ここにいる人達はみんなあなたの力を必要としているのよ。
あなたの能力で多くの苦しみを取り去ることができるのよ。
フランドールは今日から生まれ変わる。あなたの力を見せつけてやりなさい」
お姉さまが、わたしにやさしい瞳を投げかける。
「できるわねフラン」
大きくうなずいて答えた。
「うん、わかったよお姉さま。わたしやるよ」
この能力を使うかどうか、考える時間なんていらなかった。わたしの力を必要としてくれる人々がいるのなら、その人達の為に生かしたい。
素直にそう思った。
それは強制や義務とも違う、純粋で単純な気持ちだった。
医者に見てもらうだけの財産がなかったり、治すことのできないような病気にかかった人々がここには集まっている。
やはり、どんな傷や怪我を治すことができるだなんて本当なのだろうかと半信半疑だった。目を見ればそれがすぐにわかった。
わたしは右腕を骨折したという人間の男に力を送って治療した。その人が、突然痛みが消えた右腕に不思議そうな目を向けて、歓喜の声をあげる。
すると、周りの人々も同じように歓声をあげて、喜び驚いていた。
わたしはその大声にびっくりしてしまったが、とても嬉しく感じた。
咲夜と美鈴がうまく対処してくれたおかげで治療はとどこおりなく進んだ。こうして見ると性別や年齢も関係なく多くの人が傷を負って苦しんでいる。
しかし、ここにいる人間は人里の一部の姿に過ぎないのだろう。わたしの狭い視野では小さな世界しか見ることができない。
本当はもっと大勢の人々が傷つき、うめいているのだ。
少しでも助けたい。
全員は無理だけれど、わたしのこの小さな手で支えることのできる人達を、苦痛から救ってあげたい。
痛みから解放され、感謝の言葉と共に心からの笑顔を浮かべてくれる人を見ていると、そんな気分になり力が湧いた。わたしこそがあなたたちに感謝をしたい。
夕方になった。とりあえず今日のところはこの辺で終わりにすることに決まり、まだ治療を受けていない人は残念そうな顔をしていたが、
明日もおこなうかもしれないと知ると、うれしそうな表情で人里に帰っていった。
お姉さま達はこれからのことについて話し合いをすると言って奥の部屋に引っ込んでしまった。
わたしは日傘をさしながら庭のベンチに座る。こんなに多くの人間と会ったのは初めてのことで少し疲れてしまった。
赤い日差しが、紅い館を照らしている。夕日はどうして血の色をしているのかと考えていると、わたしの足を誰かがさすった。
足元に視線を落とすと、知らない生き物がにゃ~にゃ~と鳴いていた。そいつを両手で抱きかかえる。
「フラン、それはネコよ」
そう言いながら、パチュリーはわたしの横に腰をおろした。そんなに不思議そうな顔をしていたのだろうか。
「話し合いは終わったの?」
「あれは会議とか話し合いとは言わないわね。ただレミィの意見を聞くだけの集まりよ」
小さな苦笑を浮かべるパチュリー。言葉は続き、少し真面目な口調になった。
「結局、明日も今日みたいに人間達を治療することに決まったわ。でもね、私の気持ちとしては反対よ。
まだどんな副作用があるのかもわからない、本来ならあなたは部屋で安静にしていなければいけない状態だもの。
それに本人の気持ちをまだ聞いてないわ、フランあなたはどうしたいの」
「……わたしは、あっ、この子怪我してる」
ネコの後ろ足に切り傷があり、毛に紅い血が滲んでいた。痛くないようにそっと傷に触れて、力を流した。
「これでもう大丈夫よ」
「フラン、その力を使っている時ってどんな感覚なの」
「前と同じかな」
「そう、同じ感覚か…それはそうよね……つまり……」
夕日の色が血を連想させて少し小腹がすいた。ネコがわたしに視線を送る。もしかして、この子もお腹をすかせているのかもしれない。
「ねえパチュリー、ネコって何を食べるのかな」
「えっ、そうね牛乳でいいんじゃないかしら」
「じゃあ取ってくるね」とわたしは言って台所へと足を向けた。
お皿に牛乳を入れてネコの前に差し出した。匂いを嗅いだり、前足で少しだけ触ったりして用心していたが、
食べ物だと理解したのか小さなベロで牛乳を口にはこんだ。
そのようすをわたしとパチュリーはやさしく見守った。
「パチュリーはわたしが今日みたいなことをするのに反対なのね」
「まあね、やっぱり製作者の立場から言うとあまりあなたに負担をかけたくないの、あの薬は不安定なものだから」
「いくらお姉さまでもパチュリーが本気で反対したら考えてくれると思うんだけど……」
パチュリーは遠くを眺めた。夕日を見ているふうでもなく、昔を思い出しているように見えた。
「あの薬にはねレミィの血が入っているの」
ネコは相変わらず牛乳を舐めている。その背中をなでながら静かに話を聞いた。
「いつだったか尋ねてきたの、フランの能力を消す方法はないかって。
私はきっぱりと言ったわ、そんなことはできないって、生まれついての特徴や能力はその人物の存在そのもに深く関わることだから、
なくすことなんかできないって。そうしたら次の日、今度はこう聞いてきたの、能力を抑えるたり変化させることはできないかって。
私は言ったわ。一時的に抑えることはできるけれど変化は難しい、能力はその個体の象徴でもあるからそれを歪めることは運命に逆らうことでもあるのよって。
でも、答えを聞いてレミィは笑ったわ。
そして腕をつきだしてこう言ったの。それなら私の血を使って頂戴。私の運命を変える血で、あの子のくさりを外してほしいって」
わたしは自分の手に視線を移した。お姉さまの血がわたしの体に流れている。
「レミィが今日みたいなことをやり始めたのは、たぶんあなたのことをもっと多くの人に知ってもらいたかったからだと思うの。
ちょっと強引だけれどレミィなりにフランのことを考えての行動、だからもう少しだけ私も付き合おうかなって気分になったのよ」
「わたしもお姉さまの気持ちがわかる。だからそれに答えたいと思うの。それにわたしは今日を絶対に忘れない。
あんなに大勢の人がわたしの力を必要としてくれた。それがとても嬉しいの。
お姉さまには本当に感謝しているわ。今まで以上に好きになったわ」
「あら、相思相愛ね」
パチュリーにそう言われると急に恥ずかしくなった。夕日に照らされたわけではないのに、顔が赤くなるのを感じる。
「パチュリー、お姉さまにはこれね」
わたしは人差し指を口にあてる。
笑いながらも、パチュリーは指を口元に移動させた。お互いの顔を見て、私達はくすくす笑った。
そんな2人のようすをネコは不思議そうに眺めていた。
地下室のベットでわたしは今日のことを思い返していた。
大勢の人に感謝をされた。中にはわたしを拝む人までいた。吸血鬼を拝むのは何かおかしい気がするけれど、心に力が湧いてくるのを感じた。
明日も今日みたいに過ごすことができたらきっと楽しいに違いない。こんな毎日がこれからも続いてほしい。
そう願いつつ、夢の世界に飛び込んだ。
そういえば、いつかパチュリーが言っていた。この世界には元に戻ろうとする力がある。
その力が人知れず働き、脱線してしまった人を正しい道に修正する。
これが世界の法則。
それはきっと運命というものではないかとわたしは思う。
だからそれはしかたがないことだと考える。
どうしようもないことなんだと思うことにする。
そうしないと、わたしが壊れてしまいそうだったから。
次の日の朝、わたしは庭にいた。
うれしいことがあるとわかっていると、何故か早く目が覚めるのだ。
強い朝日を傘で遮断した。澄んだ空気が肺をきれいに掃除する。気持ちがよかった。
台所からもってきたお皿に、同じく冷蔵庫からとってきた牛乳をそそいだ。甘い香りが鼻腔を刺激する。
この匂いに刺激されたのはわたしだけではないようだ。
どこからともなくネコが現われた。
わたしが手招きをすると。走って近寄ってきた。だが、突然転んだ。
どうしたのだろうかと側によると、ネコの片足がちぎれていた。
その足は昨日わたしが治療をした足だった。
慌ててわたしは、ネコの怪我を治してあげようとした。傷口に向かって力を流す。すると、ネコは小さくうめいて動かなくなってしまった。
触ってみると、とても冷たかった。
わたしには何が起こったのか理解できなかった。混乱するわたしの耳に高い音が届いた。上を見上げると窓ガラスが割れていた。
その窓は、一昨日パチュリーが壊しわたしが直した窓と位置が同じであった。
わたしは自分の手を眺めた。もしかしてと思い、近くの木に向かって力を飛ばした。破壊の波動が木をへし折った。
能力が元に戻っていた。しかし、ただ戻るだけでなかった。
今まで再生として使っていた力を、まるでなかったことにするかのように、破壊の力が逆流していた。
大きな爆発音が館に響いた。
あの夜、わたしが力を解放した時の破壊音だ。停止されていたあの事件が今、再生した。
きっとお姉さまやパチュリーも、なかったことにされた怪我が復活しているのだ。
いや、あの2人だけではない、昨日治療した全ての人間がこのネコのようになっているのかもしれない。胸が痛んだ。
ネコの体を両手でつつみ、壁の隅に移動させ、素手で地面に穴を掘った。
穴を掘りながら考えた。
どうしてこんなことが起きたのだろうか。どうしてわたしなのだろうか。
あの薬を飲まなければ今日は変わっていたのだろうか。
飲んだとしても、あの暗い地下室でじっとしていればよかったのだろうか。
考えが複雑に絡まり頭が重く感じる。そしてある言葉が浮かんだ。運命だ。
お姉さまの血が入れられた運命に影響を与えるあの薬。
わたしが、決められた道を勝手にいじってしまったから世界が怒ってしまったのだ。
だから修正した。
裏返ってしまったコインをまた表に戻したのだ。
世界から与えられた力を否定してはいけない。
わたしはフランだ。わたしがフランである限り、全てを破壊する能力から逃げることはできない。
だからこうして、力が追いかけてきたのだ。捕まえにきたのだ。
手を止めて、穴にネコを入れた。その上からやさしく土をかぶせる。
自分の両手は見ると茶色に汚れていた。そういえば最後にこんなに土を触ったのはいつだったかと思い返した。
お姉さま、パチュリー、昨日わたしに感謝をしてくれた人達。
わたしの犠牲者のことを思うと息を止めたように胸が苦しくなり、頭がぼやけた。
でも、わたしの力ではどうすることもできなかった。世界の流れの前ではこの能力さえ無力なのだ。
これはしかたがないことなんだ。
世界がそうなっていたのだ。ならばそれに従うしかない。運命には逆らえないのだから。
そう考えると気持ちが落ち着いた。捻じ曲げられた心が少しずつ和らいでいく。
わたしはこの時ほど運命という言葉を便利に思ったことはない。
だが、頭をあざむくことはできても心を納得させることはできなかった。
汚れた手のひらにぽつぽつと滴が落ちた。
空を見上げても雨が降っているわけではない。その水滴は頬を伝って、わたしのあごから流れていた。
わたしは泣いていた。
「ごめんなさい」
、
鉄のベットの上でひざを抱えて座っていると、そんな暗い考えばかりが浮かんでくる。
つねに深い闇に包まれている中で耳を澄ます、やはりネズミの気配は感じられない。
長い年月をかけて、地層のように蓄積した暗闇がいつしか意志をもち、わたしの体に少しずつしみこんでいく。それは水のごとく、わたしの心を侵食していく。
そのせいで、わたしの考えが悪いほうにばかりいくのではないかと、手をあごにもっていき、悩んだポーズをとってみる。そんなくだらない黒い妄想をして時間をつぶす。
ベットの側に机があり、ろうそくが置かれている。マッチで火をつけてみた。淡い光りが顔を照らし、わたしの体にまとわりついていた影が、拭い去られたように感じる。
弱々しく輝く炎を眺め、せっかく火をつけたのだし、影絵でもつくってみようと思った。両手で犬の形をとる。
「ワオーン。ワオーン」
石の壁に大きな犬の姿が浮かび上がった。小指を動かし、口をぱくぱくと開かせる。
生き物がよりつこうとしない暗くて静かな地下室に、わたしの声がひとり寂しく反響した。
しばらく影絵で遊んでいると、音が聞こえて動きを止めた。誰かがこの地下室の扉を開けたのだ。
人間では動かすこともできないほどの質量をもつ重くて厚い扉が、老人のうめき声のような錆びれた音を闇に響かせながら、ゆっくりと開く。
扉を開けると、暗闇に吸い込まれるように、階段が螺旋状にうずまいている。
一段一段と、石段を確かめるように踏む音がテンポよく聞こえる。
わたしの位置からでは、誰が入ってきたのか視認することはできない。だが、特定することは簡単だった。
あの扉を開けることができるのはこの館にわたしともうひとりしかいない。
階段をおりる足音が、やんだ。
「フラン、体調はどうかしら」
レミリアお姉さまが腕を組んで立っている。その声は常に優雅で、自信に溢れていた。
「大丈夫、いつもどおりよ」
「そう、それはよかったわ」
大抵の時間をわたしは地下室で過ごす。しかし、夜の間だけは別である。
騒がしいメイド達が寝静まり、静寂だけが支配する寂しい時間。それがわたしの遊び場だった。
お姉さまは、毎晩この部屋に訪れ、自由の時間を知らせてくれる。
今日はパチュリーの所にいって絵本でも読んでもらおうかな。そんなことを考えていると、お姉さまが口を開いた。
「フラン、今日はちょっと遊ぶ前について来てほしい所があるの、いいかしら」
「う、うん。わかった」
尋ねられ、わたしは短くうなずいた。断る理由などなく、言うとおりにしたほうがいいと強く思った。
お姉さまはわたしの答えに満足げに笑みを浮かべ、振り返り、階段をのぼっていく。
後を追うために腰をあげた。鉄のベットのきしむ音を聞きながら、一息でろうそくの火を吹き消した。わたしの影が闇と同化した。
お姉さまの背中を見ながら静かな廊下を歩く。壁には同じ間隔を保ちながら、扉とランプがならんでいる。
敷き詰められた赤い絨毯が足裏をやさしく受け止め、足音さえ吸収する。
長い廊下を私達は音もなく移動した。
「ついたわ、ここよ」
足を止めて扉のプレートに視線を向けた。実験室と書かれていた。
「ここってパチュリーの……」
「そうよ、さあ入りましょう」
お姉さまが扉を開けて室内に踏み込んだ。わたしも遅れないようにその後に続いた。
この部屋にはとにかく物が多い。魔法の実験に使うと思われる道具などが、あちらこちらに無造作に置かれており、見渡す限り本で溢れかえっている。
図書館から持ってきた魔道書が天井に触れんばかりに高くつまれているのだ。
それでも一応、床が見える道らしきものがあるので、そこを通って奥に進む。
中央に大きな木製の机があり、その上は、ある程度片付けられている。その側のイスにパチュリーが座っていた。
「来たわね、でも本当にいいの?」
「もちろんよ」
心配そうな顔で言ったパチュリーに対して、お姉さまは自信に満ちた顔で答えた。
「あなたじゃないわ。フランに聞いたのよ」
「えっ、わたし?」
何もわかっていないわたしの表情を見て察したのか、彼女はお姉さまに視線を向ける。
「レミィ、まさかあなたこんな重大なこと、まだフランに説明していないの?」
「今するから問題ないわ」とお姉さま。
まるで紅茶でもすするような優雅な口調だった。
パチュリーは口を開きかけたが、あきらめたようにため息をついた。
「まあいいわ。とにかくフラン、これからおこなうことはあなたの人生に大きく関わることだからよく聞いて、考えるのよ」
どんなことをするのかわからないが、私は短くうなずいた。
パチュリーが机に置かれていたひとつの壜に手を伸ばす。その透明な小壜には赤い液体が入っていた。
「この薬はレミリアの協力のもと、私が創りあげた秘薬よ。簡単に効果を説明すると飲んだ人物の能力に干渉、影響を与えることができる。
つまりこの薬をあなたが飲めば、全てを破壊するなんていう物騒な力を抑えることができるのかもしれない」
パチュリーは壜のふたを開けた。言葉は続く。
「でもこの薬は、未完成と言ってもさしつかえないほどのものよ。
やっとできたのはこの1本だけ、だから生体実験もできないし副作用もわからない。最悪の場合、死ぬことだってありえる。
創っておいておかしいけれど、こんな危険な薬、フランに使わせたくはないわ」
それまで黙って聞いていたお姉さまが口を開き、わたしに顔を向けた。
「毒を以って毒を制す。よく考えなさいフラン。これは自分を変えるチャンスなのよ。うまくいけばすべてが楽しくなるのよ」
「レミィ、毒は人を殺すのよ」
「あら、なら大丈夫ね。フランは吸血鬼だから」
わたしは壜をじっと見つめた。お姉さまの言うとおりこれはチャンスだと思った。
うす暗さと寂しさが支配するあの部屋を出ることができるのかもしれない。
死への恐怖は不思議と感じなかった。恐ろしさや怖いといった感情は、地下室の暗闇が取り去ってしまったのだろうか。
「その薬、飲むわ」
答えると、2人の視線がわたしに注目した。
「本当に、いいのね?」
不安げな顔でパチュリーが小壜を差し出す。心配してくれることに感謝して、それを受け取る。
2人に見守られて、わたしは一気に薬を飲んだ。
ねっとりとした液体がのどを通り、体に染み渡っていくのを感じる。そしてわたしは膝をついた。
火のついたマッチを飲み込んでしまったようにのどが焼ける。叫ぼうとしても、カエルの鳴き声みたいなにぶい声しか出ない。
焦るように体温が上昇し、不気味なほど汗が噴き出た。
お姉さまとパチュリーが口を大きく開けて何かを言っているが、わたしの耳にはいっさい音が入ってこない。
苦しみで顔が歪み、我慢できずに力を解放した。
机や壁、魔法の道具や本をすべて巻き込み破壊した。側にいた2人が無事ですむわけがない。
ごめんなさい、お姉さま、パチュリー。それだけを思い、全身の熱が疲労感に変わり、わたしは力尽きた。
意識が目覚めるとわたしはベットの上にいた。体をおこして周囲を見渡す。ぼやけていた視界が時間と共にはれていく。
ここはお姉さまの部屋だった。何が起こったのか思い出そうとして、あの薬のことが頭に浮かんだ。
しかし、記憶が不鮮明であまりよくわからない。だが、わたしが能力を使ってしまったことだけは、はっきりと覚えていた。
「あら、起きたのねフラン。体調はどうかしら」
パチュリーだった。怪我をしているふうでもなく、いつもどおりの姿をしている。
わたしが暴れたのはただの夢だったのだろうか。
「目覚めてすぐで悪いけれど昨日のことで話しがあるわ。私の研究室に来てちょうだい」
声が低く、口調は淡々としている。その声色がわたしを不安にさせる。やはりあれは夢や幻覚などではなく実際に起こったことなのだ。
パチュリーに連れられて研究室に足を向ける。
現実とわかり、どうしても気になっていることを尋ねた。
「お姉さまは……その……元気なのかな?」
「ええ、大丈夫よ。私と同じようにどこも怪我なんてしてないわ。今、ひとりで外出しているぐらいだから心配しなくてもいいわよ」
その言葉にわたしは安堵した。考えてみればお姉さまは吸血鬼なのだからそれほど気にしなくてもよかったのかもしれない。
しかし、どうしてパチュリーまで無事なのだろうか。
「さあ、ついたわ」
パチュリーがドアノブをひねり扉を開けた。
どれだけ悲惨な状態になっているのかとひやひやしていた。だが、その予想はよいほうに裏切られた。
「なっ、何で……?」
目の前に綺麗にかたづけられた正しい研究室の姿があった。以前の物置と勘違いしてしまうような、ごちゃごちゃとした雰囲気はどこにも見あたらない。
一晩でこんなことができるのはあのメイドしかいない。
「そっか、咲夜がやってくれたんだ」
「いえ、ちがうわ、メイド達にはこの部屋のものを触らないように言いつけてあるもの」
「じゃあ……もしかしてパチュリー?」
「私がこんなことできるわけないでしょ、あそこまで汚くした犯人は誰だと思っているの」
「そっか、それじゃあいった誰が……」
「あなたよフラン」
「えっ」
「あなたがこの部屋を片付けた……いえ、再構築したのよ」
わたしはパチュリーと廊下を歩いていた。
この廊下は館内の裏側で、日陰が当たらない。そのため裏庭が見えるように窓ガラスがつけられている。
「あなたの力の爆発を門番は聞いているわ。それに、その音や振動で目を覚ましたメイド達もいるのよ。彼女達はすぐに音のするほうに向かった。
でもそこで不思議なことが起きた。彼女達はいったいどの部屋であんな爆発が起こったのかわからなかったのよ。
そして私が実験に失敗したんじゃないかと思ったメイドが研究室の扉を開けて私達を発見した……」
パチュリーは立ち止まり窓の外を眺めた。わたしもそれにならい動きを止めた。
「研究室も私もレミィも確かにあなたに攻撃された。それは覚えているわ。
でも、気がついたときには2人とも無傷で、おまけに部屋はすでに片付けられた後だった。
当然メイド達は何も知らない。つまり気を失っていた私達3人のうちの誰かが何かをやったとしか考えられないのよ」
「その何かって……」
「ある仮説を立ててみるとすんなりと理解することができるわ。
昨夜の薬があなたの能力、全てを破壊する力を全てを再生させる力に変化させたんじゃないかって」
わたしは思わず自分の両手をひらき、眺めた。
壊すことしかできないこの危険な能力が、まったく逆の能力に変わるだなんてそんなことが本当にあるのだろうか。
「今からそれを試してみましょ、フランちょっと離れなさい」
パチュリーが窓ガラスに向かって手をかざした。何をするのかがわかり、わたしは慌てて耳をふさいで側を飛びのいた。
彼女の口が細かく動き、石が当たったように窓が吹き飛ぶ。
音は聞こえなかったが脳内でガラスの割れる音が響いた。
「もし私の予想どうりならこの窓を直すことができるはずよ」
わたしにそんなことができるのか疑問だったが、とにかくやってみるしかない。手のひらを窓に向けて、力の波動を送る。
いままで同じように、壊すことをイメージした。
すると廊下に飛び散ったガラスの破片が震えだした。次に浮かび、生きているように動き始める。
そして元の位置に収まるとぴたりと止まる。
まるで破壊された瞬間の時間を巻き戻して見ているように思えた。
「す、すごい……」
自分の能力に驚き感嘆の声をもらしていると背後に気配を感じた。振り向くと咲夜が立っていた。
「今この辺でガラスが割れるような音がしませんでした?」
わたしが口を開こうとするとパチュリーに手で遮られた。
「さあ、知らないわ。昨日もおかしなことが起きているからもしかしたら幽霊でもいるのかしら」
「吸血鬼の館に幽霊がでるとは思えませんが……フラン様は何か知りませんか?」
「し、知らないよ」
そう答えると咲夜は不思議そうに首を傾げながら戻っていた。
パチュリーが口に指を立てて笑っていた。わたしも真似をして、人差し指を口元にもってきて笑った。女同士の秘密のサインだった。
部屋に戻ってこれからのことを考えた。能力は確かに変化していた。
まるでコインのように、表が裏にひっくりかえったようにまったく逆の力に変化している。
これまでのわたしの人生とまったく違った生き方が、これからはできるのではないかと思った。そう考えると頬が緩んだ。
次の日、わたしはお姉さまにたたき起こされたされた。
手を強引にひっぱられて、引きずられるように廊下を移動する。眠気眼をさすりながら言った。
「まだお昼だよ~」
「何言ってるの、しっかりしてフラン。もう人間達はとっくに活動しているのよ」
「わたしは吸血鬼だよ~」
「さあ、準備はいいフラン」
ようやく意識が覚醒しはじめ、自分が玄関の扉にいることに気づいた。
お姉さまの隣に咲夜が傘を広げて立っている。2人は入れそうな大きな傘だ。
「もしかしてわたし外に出るの?」
「ええそうよ」とお姉さま。
「でも日光が……」
「大丈夫よその為に大きめな日傘を用意したから、さあ行くわよ」
お姉さまが盛大に扉を開け、外の空気がなだれのように入り込む。
咲夜がすぐに日傘を広げたのでわたしは安心した。だが、すぐに体が強張り、心が乱れた。
目の前に見たこともないほどの大勢の人間達がいた。全員の瞳がわたし達に集中し、いきなり注目され何が何だかわからず狼狽して不安になる。
そんなわたしの両肩に、緊張からほぐすかのように背後から誰かの手がおかれた。見上げるとパチュリーの顔があった。
「レミィ、またあなたフランに何も説明してないわね」
「そんなの必要ないわ、私とフランは以心伝心の仲だもの」
「そう思っているのはあんただけよ、フランとりあえずこれを読みなさい」
パチュリーから手渡された1枚の紙を見る。赤いナイチンゲールの誕生と大きく書かれた文字が目に飛び込んできた。
あの事件でわたしの能力が、全てを再生させる力に変化したのではないかとパチュリーは推測した。その話を聞いてお姉さまにあるアイデアが浮かび、行動に出た。
天狗のところに出向き、紅魔館に来ればどんな怪我も病気も治すことができるという内容の記事を書けと脅し、今日の朝、人里に新聞をばらまいた。
「その結果がこれよ。朝っぱらから大勢の人間が押しかけてきて何事かと思ったわ。
500年も生きているんだからもっと計画的に行動してほしいものね」
嫌味っぽく言うパチュリーの言葉を、お姉さまはどこ吹く風といったように聞き流す。
お姉さまはわたしの横に立ち、人間達に顔に目を向けながら静かな声で言った。
「今までのあなたは人々から避けられ、嫌われるような生き物だったわ。
圧倒的で、畏怖の対象になるような破壊することしかできない能力がその原因だった。でも、今日からは違うわ。
フラン、よく見なさい。ここにいる人達はみんなあなたの力を必要としているのよ。
あなたの能力で多くの苦しみを取り去ることができるのよ。
フランドールは今日から生まれ変わる。あなたの力を見せつけてやりなさい」
お姉さまが、わたしにやさしい瞳を投げかける。
「できるわねフラン」
大きくうなずいて答えた。
「うん、わかったよお姉さま。わたしやるよ」
この能力を使うかどうか、考える時間なんていらなかった。わたしの力を必要としてくれる人々がいるのなら、その人達の為に生かしたい。
素直にそう思った。
それは強制や義務とも違う、純粋で単純な気持ちだった。
医者に見てもらうだけの財産がなかったり、治すことのできないような病気にかかった人々がここには集まっている。
やはり、どんな傷や怪我を治すことができるだなんて本当なのだろうかと半信半疑だった。目を見ればそれがすぐにわかった。
わたしは右腕を骨折したという人間の男に力を送って治療した。その人が、突然痛みが消えた右腕に不思議そうな目を向けて、歓喜の声をあげる。
すると、周りの人々も同じように歓声をあげて、喜び驚いていた。
わたしはその大声にびっくりしてしまったが、とても嬉しく感じた。
咲夜と美鈴がうまく対処してくれたおかげで治療はとどこおりなく進んだ。こうして見ると性別や年齢も関係なく多くの人が傷を負って苦しんでいる。
しかし、ここにいる人間は人里の一部の姿に過ぎないのだろう。わたしの狭い視野では小さな世界しか見ることができない。
本当はもっと大勢の人々が傷つき、うめいているのだ。
少しでも助けたい。
全員は無理だけれど、わたしのこの小さな手で支えることのできる人達を、苦痛から救ってあげたい。
痛みから解放され、感謝の言葉と共に心からの笑顔を浮かべてくれる人を見ていると、そんな気分になり力が湧いた。わたしこそがあなたたちに感謝をしたい。
夕方になった。とりあえず今日のところはこの辺で終わりにすることに決まり、まだ治療を受けていない人は残念そうな顔をしていたが、
明日もおこなうかもしれないと知ると、うれしそうな表情で人里に帰っていった。
お姉さま達はこれからのことについて話し合いをすると言って奥の部屋に引っ込んでしまった。
わたしは日傘をさしながら庭のベンチに座る。こんなに多くの人間と会ったのは初めてのことで少し疲れてしまった。
赤い日差しが、紅い館を照らしている。夕日はどうして血の色をしているのかと考えていると、わたしの足を誰かがさすった。
足元に視線を落とすと、知らない生き物がにゃ~にゃ~と鳴いていた。そいつを両手で抱きかかえる。
「フラン、それはネコよ」
そう言いながら、パチュリーはわたしの横に腰をおろした。そんなに不思議そうな顔をしていたのだろうか。
「話し合いは終わったの?」
「あれは会議とか話し合いとは言わないわね。ただレミィの意見を聞くだけの集まりよ」
小さな苦笑を浮かべるパチュリー。言葉は続き、少し真面目な口調になった。
「結局、明日も今日みたいに人間達を治療することに決まったわ。でもね、私の気持ちとしては反対よ。
まだどんな副作用があるのかもわからない、本来ならあなたは部屋で安静にしていなければいけない状態だもの。
それに本人の気持ちをまだ聞いてないわ、フランあなたはどうしたいの」
「……わたしは、あっ、この子怪我してる」
ネコの後ろ足に切り傷があり、毛に紅い血が滲んでいた。痛くないようにそっと傷に触れて、力を流した。
「これでもう大丈夫よ」
「フラン、その力を使っている時ってどんな感覚なの」
「前と同じかな」
「そう、同じ感覚か…それはそうよね……つまり……」
夕日の色が血を連想させて少し小腹がすいた。ネコがわたしに視線を送る。もしかして、この子もお腹をすかせているのかもしれない。
「ねえパチュリー、ネコって何を食べるのかな」
「えっ、そうね牛乳でいいんじゃないかしら」
「じゃあ取ってくるね」とわたしは言って台所へと足を向けた。
お皿に牛乳を入れてネコの前に差し出した。匂いを嗅いだり、前足で少しだけ触ったりして用心していたが、
食べ物だと理解したのか小さなベロで牛乳を口にはこんだ。
そのようすをわたしとパチュリーはやさしく見守った。
「パチュリーはわたしが今日みたいなことをするのに反対なのね」
「まあね、やっぱり製作者の立場から言うとあまりあなたに負担をかけたくないの、あの薬は不安定なものだから」
「いくらお姉さまでもパチュリーが本気で反対したら考えてくれると思うんだけど……」
パチュリーは遠くを眺めた。夕日を見ているふうでもなく、昔を思い出しているように見えた。
「あの薬にはねレミィの血が入っているの」
ネコは相変わらず牛乳を舐めている。その背中をなでながら静かに話を聞いた。
「いつだったか尋ねてきたの、フランの能力を消す方法はないかって。
私はきっぱりと言ったわ、そんなことはできないって、生まれついての特徴や能力はその人物の存在そのもに深く関わることだから、
なくすことなんかできないって。そうしたら次の日、今度はこう聞いてきたの、能力を抑えるたり変化させることはできないかって。
私は言ったわ。一時的に抑えることはできるけれど変化は難しい、能力はその個体の象徴でもあるからそれを歪めることは運命に逆らうことでもあるのよって。
でも、答えを聞いてレミィは笑ったわ。
そして腕をつきだしてこう言ったの。それなら私の血を使って頂戴。私の運命を変える血で、あの子のくさりを外してほしいって」
わたしは自分の手に視線を移した。お姉さまの血がわたしの体に流れている。
「レミィが今日みたいなことをやり始めたのは、たぶんあなたのことをもっと多くの人に知ってもらいたかったからだと思うの。
ちょっと強引だけれどレミィなりにフランのことを考えての行動、だからもう少しだけ私も付き合おうかなって気分になったのよ」
「わたしもお姉さまの気持ちがわかる。だからそれに答えたいと思うの。それにわたしは今日を絶対に忘れない。
あんなに大勢の人がわたしの力を必要としてくれた。それがとても嬉しいの。
お姉さまには本当に感謝しているわ。今まで以上に好きになったわ」
「あら、相思相愛ね」
パチュリーにそう言われると急に恥ずかしくなった。夕日に照らされたわけではないのに、顔が赤くなるのを感じる。
「パチュリー、お姉さまにはこれね」
わたしは人差し指を口にあてる。
笑いながらも、パチュリーは指を口元に移動させた。お互いの顔を見て、私達はくすくす笑った。
そんな2人のようすをネコは不思議そうに眺めていた。
地下室のベットでわたしは今日のことを思い返していた。
大勢の人に感謝をされた。中にはわたしを拝む人までいた。吸血鬼を拝むのは何かおかしい気がするけれど、心に力が湧いてくるのを感じた。
明日も今日みたいに過ごすことができたらきっと楽しいに違いない。こんな毎日がこれからも続いてほしい。
そう願いつつ、夢の世界に飛び込んだ。
そういえば、いつかパチュリーが言っていた。この世界には元に戻ろうとする力がある。
その力が人知れず働き、脱線してしまった人を正しい道に修正する。
これが世界の法則。
それはきっと運命というものではないかとわたしは思う。
だからそれはしかたがないことだと考える。
どうしようもないことなんだと思うことにする。
そうしないと、わたしが壊れてしまいそうだったから。
次の日の朝、わたしは庭にいた。
うれしいことがあるとわかっていると、何故か早く目が覚めるのだ。
強い朝日を傘で遮断した。澄んだ空気が肺をきれいに掃除する。気持ちがよかった。
台所からもってきたお皿に、同じく冷蔵庫からとってきた牛乳をそそいだ。甘い香りが鼻腔を刺激する。
この匂いに刺激されたのはわたしだけではないようだ。
どこからともなくネコが現われた。
わたしが手招きをすると。走って近寄ってきた。だが、突然転んだ。
どうしたのだろうかと側によると、ネコの片足がちぎれていた。
その足は昨日わたしが治療をした足だった。
慌ててわたしは、ネコの怪我を治してあげようとした。傷口に向かって力を流す。すると、ネコは小さくうめいて動かなくなってしまった。
触ってみると、とても冷たかった。
わたしには何が起こったのか理解できなかった。混乱するわたしの耳に高い音が届いた。上を見上げると窓ガラスが割れていた。
その窓は、一昨日パチュリーが壊しわたしが直した窓と位置が同じであった。
わたしは自分の手を眺めた。もしかしてと思い、近くの木に向かって力を飛ばした。破壊の波動が木をへし折った。
能力が元に戻っていた。しかし、ただ戻るだけでなかった。
今まで再生として使っていた力を、まるでなかったことにするかのように、破壊の力が逆流していた。
大きな爆発音が館に響いた。
あの夜、わたしが力を解放した時の破壊音だ。停止されていたあの事件が今、再生した。
きっとお姉さまやパチュリーも、なかったことにされた怪我が復活しているのだ。
いや、あの2人だけではない、昨日治療した全ての人間がこのネコのようになっているのかもしれない。胸が痛んだ。
ネコの体を両手でつつみ、壁の隅に移動させ、素手で地面に穴を掘った。
穴を掘りながら考えた。
どうしてこんなことが起きたのだろうか。どうしてわたしなのだろうか。
あの薬を飲まなければ今日は変わっていたのだろうか。
飲んだとしても、あの暗い地下室でじっとしていればよかったのだろうか。
考えが複雑に絡まり頭が重く感じる。そしてある言葉が浮かんだ。運命だ。
お姉さまの血が入れられた運命に影響を与えるあの薬。
わたしが、決められた道を勝手にいじってしまったから世界が怒ってしまったのだ。
だから修正した。
裏返ってしまったコインをまた表に戻したのだ。
世界から与えられた力を否定してはいけない。
わたしはフランだ。わたしがフランである限り、全てを破壊する能力から逃げることはできない。
だからこうして、力が追いかけてきたのだ。捕まえにきたのだ。
手を止めて、穴にネコを入れた。その上からやさしく土をかぶせる。
自分の両手は見ると茶色に汚れていた。そういえば最後にこんなに土を触ったのはいつだったかと思い返した。
お姉さま、パチュリー、昨日わたしに感謝をしてくれた人達。
わたしの犠牲者のことを思うと息を止めたように胸が苦しくなり、頭がぼやけた。
でも、わたしの力ではどうすることもできなかった。世界の流れの前ではこの能力さえ無力なのだ。
これはしかたがないことなんだ。
世界がそうなっていたのだ。ならばそれに従うしかない。運命には逆らえないのだから。
そう考えると気持ちが落ち着いた。捻じ曲げられた心が少しずつ和らいでいく。
わたしはこの時ほど運命という言葉を便利に思ったことはない。
だが、頭をあざむくことはできても心を納得させることはできなかった。
汚れた手のひらにぽつぽつと滴が落ちた。
空を見上げても雨が降っているわけではない。その水滴は頬を伝って、わたしのあごから流れていた。
わたしは泣いていた。
「ごめんなさい」
、
続編を期待してしまいます。
里の人たち・・・。
フランのこの後も気になるしレミリアの真理状況も非常に気になります
出来れば続編希望
ハッピーエンドで終わらせてやってくれよ
フランちゃん可哀想
ううううそでいいから夢オチと言ってよダーリン
やれやれだぜ。
まさかこんな落ちになるとは・・・
続編を希望しませう
続きを書くおつもりならぜひ。
ふらぁぁぁぁぁぁぁん(ノД`、).゚*.
面白かったです。ナイス鬱でした
バッドエンドは嫌いですがこれはこの締め方でよかったと思います。
流石にその人物の持つ設定上の能力を改変しちゃったら、
「ぼくの考えたフラン」な話だけで終わってしまっていたでしょう。
スッキリしない(続きを読みたくなる)読後感込みでGJと言わざるを得ない。
リアルに「えっ!?」とか大声で叫んじゃったじゃないですか。
なんという……。 面白かったけどさ。
欝だねフランちゃんかわいそうに。心優しいのに力に引き摺られてる、そんなイメージ。
良い作品をありがとうございます。
何か違う落ちがあるのかと思って読んでみたけど、まさか投げっぱなしとはね。
BADENDとか鬱ENDとかそんな風ではなくただただ波風立てたいだけの中途半端
としか評価出来ませんでした、続きがあるなら是非。
悪魔が人助けを積極的に行ってるときに物凄い違和感があったが
窓が再び割れた音を聞いて悪魔っぽく微笑んでるレミリアを幻視した。
これってレミリアがフランを悪魔として調教する話なんじゃないの?
続編に激しく期待します
ふと「待てよ。この作者、ルーミアの人じゃないか」と思い出してしまい、
それから先はどんなバッドエンドが待ってるのかと震えながら読んでいました。
変に身構えたせいか、思ったほど凄惨な終わり方じゃないのでちょっと残念。
個人的にはもっと激しい鬱ENDでもよかった気がします。
無論、鬱的悲劇的に終わっているのが悪いと言う意味ではなく。
映画や演劇のラストシーンがこうだったら、観客は、
( ゚Д゚)ポカーン
ですよ。
もし、小説だから許されると作者氏がお考えなのでしたら、何も
言うことはありません。
ただ酷い作品だと思いました。
これから凄惨な事実を確認せざるを得ない、
本当に、希望を奪われたフランちゃんの
これからを予想させる終わり方でした。
万人受けだとは到底言えないようですが、
個人的には素晴らしい表現だと思います。
紅魔館には運命を操れる者がいますからねえ、気づいてあげれたのではと・・・