※鬱っぽいです
霊夢が死んだ。
そう藍から聞いた時は、私が冬眠から覚めた時だった。
妖怪に襲われて、発見された時にはもう体中食べ尽くされていたらしい。嘗て博麗の巫女として名を馳せた霊夢としては、あまりにも信じられないような、その力の面影すら見せない程綺麗に食べられていたそうだ。
それは恐らく真実で、きっと彼女はわざと抵抗しなかったのだろうと私は思う。
以前彼女は言った。
「……ねぇ、紫」
「何? 眼鏡なら机の上にあるわよ」
「私たち、すっかり年をとったわね」
何を莫迦なことを、そう言おうとして顔を上げた。霊夢の顔が視界に入る。
泣きそうな表情だった。
今までどんなことがあっても、気丈に振る舞ってきた霊夢が。血も涙もないという言葉がこの上ない位似合う人物だった、と言ったら酷だろうが、確かに霊夢はただの一度も泣きはしなかった。
唯一の人間の友人と言える霧雨魔理沙が実験の失敗により死亡した時も、泣かなかったこの子が。
私はひどく狼狽した。
「あぁ、そういうんじゃないわよ……ただね、昔がちょっと懐かしくなっただけ」
「……昔?」
「ええ。私と貴女が出逢った、それ程昔のお話」
私にとっては今すぐにでも思い出せるくらいのことだったが、霊夢にとっては大昔の話なのだろう。人間と妖怪では時間の流れ方からして違う。霊夢は続けた。
「あの頃は私もただの生意気な子供で……あぁ、魔理沙もいたわね。とっても元気な子だった」
「その割には強かったけど? 私ですら負かしたじゃない」
くすりと霊夢は笑う。
「あんなおふざけのゲームで勝ち負けだなんて……まぁそんなことはどうでもいいわ。とにかく私たちは若かった」
肯く。話の腰を折られたくはないのだろう。黙って続きを聞くことにする。
「けど、今はどうかしら。特に私、ね。目も悪くなって、手ぶらじゃ満足に歩くことすら適わない。妖怪退治なんか以ての外。孫も無事に産まれて幸せなことこの上ないけれど、……衰えたことは確か。若々しさなんか微塵の欠片もない。ただ萎びているだけの婆さんでしかなくなってしまったわけ。……そう思わない、紫?」
「……そうね。確かに貴女は衰えた。見るからに力を失い、凡人どころかそれ以下の活動しかできない。……それが?」
いつの間にか霊夢の涙は流れるのを止めていた。いや、最初から滲む程度だったから流れてなどはいなかったか。ただ薄らと頬に流れ落ちた跡が付いている。その顔を歪ませて、霊夢は言った。
「でしょう? 私は今やただの人間。……だから、できることなら、私は人間らしく死にたいかなぁ、って……」
「霊夢」
相手の瞳を睨みつける。死ぬだのどうこうの話は、霊夢の口からは聞きたくなかったからだ。
しかしそれを意にも介さずに、霊夢は淡々と続けた。
「いえ、別に老衰とかで死にたいって言ってるんじゃないの。それ程までに幸福な終焉は望んでいない。でもせめて、そう、例えば妖怪に襲われるとか……『以前の私』ではまず有り得なかった、普通の人なら有り得る原因で死にたいの」
「…………」
霊夢は特別だった。妖怪には滅法強く、まず敵う者など誰一人……一匹? ……としていないとまで言えるほどだった。
そこまで行くと最早人間ではない。妖怪だ。
霊夢は老け衰えて、ようやく人間へと戻れたのである。
人間にとって、殊の外幻想郷に住んでいる者にとって他の者と違うことがどれ程恐ろしいか。霊夢もまた例外ではあるまいに。
運命、とでも言うべきなのかしら。彼女の生い立ちがそうさせなかった。幻想郷唯一の神社管理人として、他の者と隔たりを持っていなくてはならなかった。
それはつまり、『普通』であることの否定。
最初から特別な意味を持たされた彼女にとって、普通という言葉がどれ程甘美なものであったか。私には知る由もない。
……時間の経過が、その望みを叶えた。望みが叶った今だからこそ、彼女はそのまま、普通の人として一生を終えたいと言っているのだ。
「……分かってくれなくてもいいわ。ただ、私はそう考えていたってことを覚えていてほしい。きっと、他の誰もそれを認めてくれないから」
霊夢の周囲の者は皆一様に『普通』だ。確かにそれまでの仕事を継いではいるが、その功績は人間のできる範疇を超えていない。霊夢は偉大すぎた。特別すぎた。それだけの話だ。
「……ごめんなさい。本当はこんな話をするつもりじゃなかったのよ。お萩食べる? 作ってきたの」
「そうね……頂くわ」
私がそう言った時の霊夢の笑顔は、少しだけ昔の面影を残していた。
あれから二十年。もうそんなにも時間は経っていたのか。少しだけ驚く。
そこまでの時間を掛けて、ようやく霊夢は最後の望みを叶えたのだ。本来ならば、望まなくても叶うような願いを。
特別を強要されることは、それだけで辛い。
……ここまで冷静に分析しておいて、やっと私は霊夢が死んでしまった悲しみに気付いた。
「そう……霊夢が……そう……」
特別落ち込むわけでもない、ただ少しだけ悲しくて。
今まで一緒だった友達が、また一人減ってしまったことを知って。
私は、少しだけ泣いた。
それから私はまた眠りに入った。泣き疲れた、とでも言えばいいだろうか。ただ何となく起きていたくなかっただけだ。
久し振りに藍に自分の泣いている姿を見せてしまったこともある。普段横柄に振る舞っているだけに、ただ泣いてしまったこと、それが恥ずかしかった。
次に起きたのは夏。藍の泣きごとを寝惚けた頭で聞き過ごしていた。
「本当に……心配したんですから、もう起きないかと思って……」
「そんなこと、あるわけないじゃないの……黙ってあなたを遺していくつもりはないわ。安心なさいな」
「はい……はい……」
昔から変わっていない。ちょっとでも困ったことがあると、藍はすぐに泣き虫になってしまう。悪い癖ね。
藍の頭を撫でながら、そんなことを思った。
でも、藍の予想はあながち外れていないのかもしれない。
近いうちに私は死ぬ。きっと。
それは予想ではなく確信だった。きっと人間においての『近いうち』に私は死ぬだろう。
何故だろうか? そんなことを確信できるほどの判断材料など私の頭の中にはない。でも、何となく、と言えばいいのかしら。そんな気はした。
そもそも霊夢が死んだと聞いてから不貞寝した時。あの時から私の寿命は驚くほど速く消耗されていったのだと思う。それから目覚めた時の気だるさ、悲しみ、共に感じたことのないほどの強い感情だった。
友人を一人失うことがこれほどまでに負担だなんて――いえ、霊夢が私にとって特別すぎたのかしら。
……あらあら。これじゃあ、私まで霊夢に特別であることを強要していたんじゃない。
莫迦莫迦しい。
全くもって莫迦莫迦しい。霊夢は自分を騙しながらも、そうやって耐えてきたというのに。
私はそれに負ぶさり、更に霊夢に負担を掛けた。それが霊夢の歪みに拍車を掛ける。
そもそも普通であるならば『普通』であることを望んだりはしない。それを望むのは『特別』か『異常』だけだ。霊夢はそのどちらでもあり、どちらでもなかった。
何にも属さない、それが霊夢。なのに誰もが分類しようとして、私までもがそれを強要して。
だから霊夢は歪んだのよ。
だって、妖怪に食べられたいなんて奴が普通な訳ないじゃない。異常よ異常。何が老いて普通になったやら。その思想が既に破綻しているじゃない。
誰がそうさせたのかしらね。全員よ。村人よ。関わった者よ。私よ。
嗚呼、なんて傲慢。なんて横柄。自分がそうさせたのに、その責任を他の大多数に回そうだなんて。責任転嫁なんて生易しいものじゃないわね。磔刑にされてもおかしくはないわ。
「……紫様」
え?
「ご自分を傷つけるのはお止め下さい。もっとご自愛下さい。もう、……」
藍はそこで言葉を切る。我慢していたものが吐き出されるかのように泣き出してしまった。全く、いい加減に泣き虫からは卒業してほしいわ。
溜め息をついて俯く。下半身が視界に入る。血塗れだった。
今現在、私は布団に入って藍の手当てを受けていた。
私も無茶をしたものだわ。お腹の中がもうぐっちょんぐっちょんよ。あー気分悪い。
なんでこんなことしたのかしらね。死のうとでもしたのかしら。どっちにしろ変わらないというのに。わけのわからないことばかり並べ立てて、ねぇ。…………。
……あぁ、そうだった、私が死ぬ理由、かしら。そんなことを考えていた気がする。いつの間にやら話がそれてったわね。
多分、私はもう必要とされなくなったから。
私がここに在る意味、それは幻想郷のバランスの均衡。始めの頃なんか何をすればいいのかも分からず、ただボーっとしてたわねぇ。
それでも幻想郷は育ち、私が適当な結界を周囲に張り、そこを限界として幻想郷は膨張し続けた。
そして止まる。そこが幻想郷の領土。そこの部分だけ奇麗に切り取られ、決して自分から変わろうとはせず、何事も受け入れ、何事も追わず、何事もただ放置していた。それが幻想郷だった。
つまり、最初からバランサーなど必要はなかった。現に私は何もしていない。ただ一人で心配し、結果がいつの間にか出ていたのを後で知るのみだった。
いや、正式には私が必要なかっただけかもしれない。私には新しい発想が生み出せない。だってただの見張り役でしかないから。
そうすることを義務付けられ、意味を与えられた。幻想郷の監視。私はそれ以上でも以下でもなく、ただ見張るだけしか能がなかった。
それだけの存在に何の意味がある? いや、意味はある。監視すること。しかしそれ以外にはない。つまりはなくても同じ。
必要でないなら、存在価値はない。ゴミ箱にゴミを捨てるようなものね。私はゴミと化してしまった。何も生み出せない、ただのガラクタ。
あーあ。……こうして振り返ると、頑張ったこと全てが無駄になったように思える。
救いと言えば藍と橙がいることくらいかしら。……私がいなくなったら、私への忠誠心も失ってしまうのだろうけど。所詮は式。与えた意味が意味をなさなければそれは式としては成り立たない。
でも、もし式が剥がれたとしても、あの子たちには別の道がある。本来の動物としての道だ。今現在の式としての意味は私が与えたもの。本来の意味ではない。
動物に戻れば本来の意味がその身に宿る。それこそが一番の幸せなんじゃないかしら。そう思わない、藍?
「……そんな悲しいことを仰らないで下さい。私は紫様の式であることを誇りに思い、最上の幸せと感じております」
「嬉しいわねぇ……本当、よく出来た子よ、貴女は」
式が式を作ることは容易いことではない。だが藍はやってのけた。必要なのは素質や才能だけではない、藍だからこそできたと言うべきなのかもしれない。
できたらこの子に私の意志を継いでもらいたかったのだけれど……それも必要ないみたいだし、いっそのこと全部任せるべきか。
「ねぇ藍、貴女、どうしたい?」
「……と、仰いますと?」
「このままだと、私はきっともうじき死ぬ。いや、その前にもう消えると言ったほうが正しいでしょう。その後、どうしたいかって意味」
一瞬だけ悲しそうな顔をした後、すぐに藍は答えた。
「……わかりません。紫様のいない生活自体が想像に及びません。私は、そのようなことを考えるだけでも……」
「オーケーオーケー。別にそれでどうしようってこともないんだから」
早く答えた割には芸がない。……まぁそれも、藍らしいと言えばらしいか。
きっと答えられないだろうことも予想はできていた。だから、考えても始まりはしないのだ。
それに、どう答えようとも私が取るべき行動は決まっていた。
全ては私のいなくなった後から始まる。私の与り知れぬところで、まだ話は続いて行くのだ。
でも、ただ消えるだけでは芸がない。それではこの物語の主人公が私であった意味が何もないじゃないか。
そう、せめて最後には私らしく。
境界を弄る。弄るのは『私という存在』の境界。
「……じゃあね藍。今までお疲れ様。できたら、私のことを覚えていてくれると嬉しいのだけど」
無理だ。私の存在を抹消するのに、覚えていられるわけがない。次の瞬間にはそもそも存在していなかったことになるのだから。
でも、こうやって最期まで慕われるのも、……悪くないわね。
さて、往きましょうか。この先の物語へ。
さようなら、藍。さようなら、幻想郷。
さようなら、私。
「……あれ、私は今まで何を……」
私は寝室で一人正座していた。ふと気が付いたらそうしていたのだ。理由は分からない。……夢遊病というやつか?
……それにしても、何だか酷く悲しかったような、……泣いていた? 私が? 何故?
懐から手鏡を引っ張り出し顔を見る。確かに目は赤く腫れ、頬には涙の跡が幾筋か残っていた。
いやいや、そんなことに気を取られている暇はない。そろそろご主人が起きてくる頃だ。さっさと動かないと……。
「……ってご主人って誰だ。そんなものはいないぞ。どうした私、しっかりしろ」
そうだ仕事。私の本来の仕事があるじゃないか。まだ全部見終わってないぞ、気を緩めてはいけないのだ。
何しろこれが初仕事。幻想郷の均衡を保つなんて、そんな大役、ミスは許されないんだからな。…………。
……何故だろう。とても寂しくて、とても悲しい。
紫はただ消えただけ。彼女にだって意味はあった。その存在自体に意味があった。
紫はただ消えただけ。親しかった友人を失ったがために、気を違えてしまった。
紫はただ消えただけ。消えてしまっても大丈夫。幻想郷にはまだ代わりがいる。
紫はただ消えただけ。でも、彼女の代わりは誰もいない。
まあ、これからも頑張ってくださいな
まぁ管理者が特定個人に入れ込んだりすることがどれだけ愚かな事かは、紫様が一番良く知ってると思うんだけどな。
管理者としての責任や、ゆゆ様という友人もいることを無視しているしね。
そして愚かしい、自殺に至るのは極限まで追い詰められた時。この作品は死を軽く考えてます。
極限状態だというのに死に方を考えてる余裕がある。言動も至って正常。他人を心配する余裕まである。
自傷行為も悲しみを演出するための演技臭いし、本当に悲しんでいるのか疑問です。
これからも期待しております。
後は大体前の方々の感想と同じです。
次回、応援してますよ。
ここで前読んだ作品のせいかも知れないんだけど。
内容は兎も角、文章はしっかり出来ていると思います。
次回に期待します。
俺は好き
批評なんかに影響されず自分のスタンスで行ってほしい
焦らず持ち味を活かしてください
というか東方SSの数からして似た作品が出るのは仕方ないかと
何はともあれ次回作に期待です。
読んでいて面白かったです。
これからも作品作りがんばってくださいね。
そういうのをいくつか書いたし、結構感情移入してしまった。
でもやっぱり霊夢も紫も幸せになって欲しいなぁ。