博麗霊夢は飛んでいた。
貴重な純米大吟醸の原酒一升瓶と、紅のお猪口を二つほど風呂敷に包んでぶら下げている。
腰には小さな白い一合徳利がくくりつけられていた。
目下に広がるは彼岸花の絨毯。そして花の無い桜の下で惰眠を貪るのは怠惰な死神。
霊夢が死神の横に降り立つと、彼女は大きな欠伸をしながら起き上がった。
「あれ?巫女じゃん。珍しい」
「ちょっとつきあってよ」
「お?おお、そいつはなんとも素敵な土産物だねぇ!」
霊夢が風呂敷を突き出すと、小野塚小町は目を光らせて飛び起きた。
小町の横に腰を下ろし、中間で風呂敷を広げる。
お猪口を手渡すと、陽気に声を上げた。
「結構な代物じゃないか。酒自慢かい?」
「ううん。これはただの手土産よ。自家製のお神酒。
これ呑んでいいから、話に付き合って欲しいの」
「話?」
霊夢の口調は普段以上に淡々としていた。
気負いしている訳でも無く、上機嫌に絡みに来た訳でもなければ悲観して自殺に来た訳でもない。
ただ考えることができたから、参考程度に少し話をしたかっただけだった。
霊夢から酒を注いでもらう間、小町は丹念に観察していた。
「話ってなにさ?」
「私、天人になるかもしれない」
「へ……え?」
うっかりお猪口を落としそうになり、あわてて拾い上げる小町に、
「そんなに驚くことじゃないでしょ」、と苦笑しながら、ちびちびと酒を煽った。
「死ぬのが怖くなったのかい?」
「そうじゃないけど、天子から……ほら、天気の異変起こした……」
「知ってる」
「そう、ならいいわ。素質あるからちょっと頑張れば簡単になれるんだって。
なるって言っても、博麗の巫女としての務めが終わってからだけどね」
「確かに、性格だけで言えば、お前さんは天人みたいなもんだからねえ」
「あんたに言われたくないわ」
「とまあ、性格診断は置いといて。天人と死神の関係はあいつから聞いたのかい?」
「だから来たの」
「へえ。それはそれは」
天人は迎えに来た死神を追い払ってその寿命を延ばしているという。
小町が杯を煽ると、今までの怠けた態度はどこへやら、
目を鋭く光らせ、刺し殺さんばかりの視線を霊夢に投げかける。
「あたいのところに来たってことは、将来に備えての力試しってところじゃないか?」
「ん?」
「受けて立つよ。少し運動もしなくちゃ体が腐っちまうから」
独特の形をした鎌がきちりと音を立てる。
静かな死神の威嚇を、霊夢はそよ風とでも言わんばかりに受け流した。
「別に何もしないわよ」
「ありゃりゃ」
小町は溜め息を吐くと、再び杯を煽った。早くも怠惰な死神へと戻っていた。
「あんたが本気で嫌がったら、めんどくさいから止めようと思ってただけよ」
「あたいはただの船頭で、お迎えに行く死神は別にいるからどうでもいいんだけど……
お勧めはしないねぇ。色々と面倒だし。
と言っても、あたいたち……あたいや映姫様は人間の人生に直接干渉なんてできないから、
せいぜい口出しや説教をする程度だ。好きにしな」
「ふーん」
「そもそもあたいの言葉でお前さんが考え直すとは思えん」
「まあね」
「威張るな」
「ところで、あんたらって死なない?」
「死なないよ。もう死んでるようなもんだし。
幽霊や亡霊なんかとはちょっと違うけど」
「じゃあ、死ぬ心配をしなくていいのね。死が無いってどんな感じ?」
「どんな感じって……聞くのは間違いってもんだ。
死神は生物としての輪を外れてるからね。
自分にも他人にも、生や死への倫理観や人生観なんてもんは無いのさ。
生きられるなら生かす、死んだなら送るだけだ」
「参考にならないなあ」
「人間止めてでも長生きしたければ、美味い酒の呑み方を覚えるんだね。
酒を美味しく呑めるなら人生は一生安泰だよ。
それにしてもこれ、美味いねぇ。こんな美味い酒に下手な肴は無粋だよね、うんうん。
美味い酒には綺麗な花とどうでもいい与太話で肴は十分」
「おやじくさいわよ、あんた」
小町が四度目の催促をするも、霊夢が取った行動は、徳利を振って空をアピールし、
突き出されたお猪口を回収するだけだった。
「ええっ!もう仕舞いかい!?まだお猪口三杯しか呑んでないのに!」
「今日の私は珍しく忙しいの。じゃあね」
「ああ、ちょいと待ち。今度あたいがそっちに言ったら、その酒を瓶に詰めて用意しといてくれよ。
たまには頭の固い上司をそいつで柔らかくしたいんでね」
「残念だけど、この一本で限界よ。
普通に出すお神酒なら分けてあげてもいいわ。あんたが本当に暇なときにね」
手早く一升瓶を包み込むと、足早に飛び去った。
「ま、しっかり悩みな」
残念そうに見上げながらも、小町の視線は優しかった。
***
「寝言を言う暇があったら布教活動でもしたらどうですか?」
「来る者拒まず、去る者追わずが私の主義なの」
参道を掃除中だった東風谷早苗は憤慨した。
神奈子のような神霊を目指すならまだいいとしても、
安易な道を選んで天人になる霊夢の態度が早苗には許せなかった。
「別にお役目が終わった後だからいいじゃない。ほとんど誰も困らないでしょ」
「困る困らないの問題ではありません。
才能と実力を持ってるのに、そんな怠惰な選択で無駄遣いしてしまう、
その不真面目な態度に呆れているんです。
巫女たるもの、死ぬまで、いいえ、死してなお神に仕えるのが当然でしょう」
「いいじゃない早苗。私は賛成だよ。霊夢が天人になれば、もっと一緒に酒が呑めるし」
「ほら、神様のお墨付き」
「洩矢様はもう少し神としての威厳を持ってください」
「堅いなあ。行き遅れるよ?」
「行き遅れで結構です。行く気なんてまだまださらさらありませんから」
賽銭箱の横で霊夢の酌を受け取る洩矢諏訪子はけらけらと笑った。
守矢神社の主、八坂神奈子は新たな信仰獲得のために天界を訪問中だった。
「神奈子も不運だねえ。こんな美味い酒を逃すなんて。
天界なんて桃くらいしかないのにね。早苗もどう?ちょっと呑む?」
「仕事中です」
「別に酒を呑みながら仕事しても構わないよ。
どうせここに来る人間なんて、巫女が酒を呑んでようが、みんな気に止めないよ」
「私は宴会と祭事以外は大抵呑まないけどね」
「二対一。洩矢様の負けですね」
「堅いなあ。巫女も蛙のように柔軟な体を持つべきだよ」
諏訪子と霊夢は差し入れの柿を同時に食べて、同時に酒を呑んだ。
程よく熟した柿の甘みと、喉を焦がさんばかりの度数を持った原酒との相性は、思いのほか良かった。
「そもそも早苗だって、いつか人間じゃなくなるしね」
「え!?」
霊夢が驚くと、早苗は気まずそうに後ろを向いて離れていった。
やや顔が紅潮しているのは見間違いではないだろう。
「妖怪にでもなるの?」
「違う違う、神格化するのよ。早苗は真面目だからねえ。
力もあるし、修行も怠けない。信仰も少しづつ増えてきてるし、このままなら、
早苗はいずれ現人神になり、そしていつか私達と同じ神にまで至るでしょう。
まだまだ修行不足だから、いつ実現するか知らないけどさ」
「さっき結婚勧めてたじゃない」
「神だって結婚するよ」
「あ、そうだった。あんたがちっとも神っぽくないから、つい忘れてたわ」
「霊夢も言うか。幻想郷の巫女共はみんな辛辣だねえ」
霊夢はふむ、と頷くと、早苗を呼び戻した。
「あんた、神になりたいの?」
「そりゃ、まあ、そうですね」
「どうして?」
「どうしてって……巫女が神に近づきたいと思ってはいけませんか?」
「それだけじゃないでしょ。
あんたの性格だったら、もっと堂々としててもいいのにさあ、どうして恥ずかしがるわけ?」
「ええと……そのですね……」
歯切れの悪い返事をすると、諏訪子はおかしそうに笑った。
「私が代わりに教えてしんぜよう」
「諏訪子様!」
「どうどう早苗。神に仕える者がみだりに神様に逆らってはいけないよ。
理由くらい教えてあげればいいじゃない。減るもんじゃあるまいし」
諏訪子は空のお猪口を霊夢に預けると、空中に飛び上がって一回転し、早苗の背中に飛び乗った。
「早苗が神に至る理由はね、親孝行さ」
「ああ、なるほど」
きりのいい時間まで世間話をした後、最後の柿を口に詰め、霊夢は荷物をまとめた。
霊夢が飛び立った後も、早苗はずっと顔を赤くしたままだった。
***
正午ごろ。霊夢は魚の焼ける匂いに釣られて竹林にやってきた。
塩焼きにした魚は酒との相性が抜群である。
「あはははは。喧嘩売ってるなら買うよ?」
「ちっとも売ってないから。だけどお金は欲しいわね」
「とりあえず、おおよそお前の考えるとおりだよ」
藤原妹紅は腹を立てた。永遠を生きる身となって苦しむ蓬莱人に対して、
「死なないってどんな感じ?」などと聞かれたら、嬉しい顔をするはずがない。
「長生きしてどうするつもりよ?」
「さあ。本当に長生きになってから考えるつもりだけど」
「その程度の考えだったら止めといたほうがいい。
長く生きるはいいけど、人間っていうのは、いざ死にたいとなったら、
よっぽどの事が起こらない限り自分から死ねない生き物よ」
妹紅は遠い目をしてお猪口の酒を煽った。
「どの程度の考えだったら長生きしてもいいのかしら?」
「さあね。少なくとも、長寿してる奴は皆が皆のんべんだらりと過ごしているわけじゃないよ。
大抵は皆何かしらの目的を持っているわ。
はっきりした目的も無いまま無駄に生きれば、そいつは生物とは呼べないね。
もっとも、そういう種族が天人ってやつみたいだけど」
「目的かあ」
妹紅が串焼きにした魚を霊夢に差し出した。
焼けた魚を口で身を剥がすようにして食べる。
塩加減も焼き加減も、霊夢の腕では到底及ばない領域だった。
何千、何万と繰り返してきた結果だろう。
「お前だって、博麗の巫女をやってるから、今までよろしく生きてるじゃない。
今日よりもっと美味しい料理を食べたい。今日よりもっと強くなりたい。今日よりもっと色々なものを知りたい。
中身なんて何でもいい。くだらなくても、ちっぽけでもいい。
とにかく目的を持ってみてから決めなさい」
「じゃあ世界征服でも企んでみようかしら」
「私が普通に暮らせるなら、お前に征服された世界に住んでみてもいいけどね」
「征服した暁には、神社に来たら必ずお賽銭を入れることと、
誰かが私の代わりに神社の掃除をすることと、私にお茶を淹れることを強制するわ」
「頑張れ。絶対無理だから」
妹紅は煙管を取り出し、煙草を詰めてふかし始めた。
火種は指先一つあれば事足りた。
「あんたの生きる目的ってのは分かりやすいわね」
「まあねえ。それなりに生きがいだし」
「居なくなったらどうするの?」
「もちろん別の目的を見つけるよ。
この体を治す方法とか、釣りと煙草と酒以外の楽しみを探すとか。
それこそ時間は無限にあるから。
まあ、あいつが居なくなるなんて考えたこともないけどね。
居なくなったら、草の根分けてでも探し出して、私の恨みが晴れるまで何度でもぶっとばしてやるのよ」
***
一升瓶の中身はだいぶ軽くなっていた。
霊夢の酔いもそれなりに進んでいた。
ぐらぐらと揺れ動く視界の中で、人間の里にある稗田邸に立ち寄った。
当主の稗田阿求は、自分の書斎に霊夢を招き入れ、適当な酒の肴を見繕わせた。
「どうして長く生きようとしないのか、ですか?」
「だって、あんたの仕事って妖怪図鑑を纏めることでしょ?
長く生きたほうが新しい発見をしやすいもんじゃないの?」
「別に縁起の編纂に命をかけている訳じゃありませんし。
霊夢さんだって、ずっと博麗の巫女でいたい訳じゃないでしょう?」
「できれば働かずに暮らしたいわねえ」
「理想ですが、現実は甘くないです。
もし私が不老長寿になったら、里の皆さんや家の者は私の頭や名前を最大限に活用して金儲けを企むでしょう。
なにせ私は有名人ですから、適当に本を書いて出版していれば売れるのです。
私は一生、本を書く奴隷になるでしょうね。
体が弱いので誰か世話係がいないと生きていけませんし」
「妙に生々しい話をしてくれるわね」
「人間、誰しも楽をしたいものなのですよ。
しかし、楽をした分だけ、他の誰かが苦労しなければならないのです。
という訳なので、私は今の状態を保っていたいですね」
体が小さくて酒の回りが早いのか、阿求の顔は既に赤みを帯びていた。
そして普段よりも気持ち饒舌になっていた。
「ですが、長寿になりたいと思うことは、やっぱり何度かありましたね。
現世でしか得られない物は、少し多すぎる」
互いのお猪口を動かす手が止まった。
阿求はお猪口の水面を見つめていた。
霊夢もまた自分のお猪口を見つめていた。
「寂しくないと言えば嘘になります。
ですが、今代の私は、妖怪という良き隣人関係に恵まれました。
私を覚え続ける者は少ないでしょうが、私を思い出してくれる者もまた少なくないでしょう」
阿求はお猪口を一気に煽った。
「霊夢さんが何を思って天人を目指すのか知りませんが、お互いに人間の身として生まれたことは誇って然るべきです。
今までも、そしてこれからも、人間として培う経験は、何物にも換えられませんから」
「じゃあ、私が天人になるのは、稗田阿求としては反対ってことかしら」
「いえ、どちらかといえば歓迎しますよ。
私、阿求のことを覚えてくださる方が増えますし、次代の私もまた喜ぶでしょうからね。
もし貴方が天人になったなら、次の代でまたこうしてお酒でも呑み交わしましょうよ」
霊夢は答えられなかった。
見たことも無い阿求の笑顔に、僅かな合間だけ見とれていた。
「……割と人気者ねえ、私ってば」
「人気者ですよ。信仰はあまりないですけど」
「もっと賽銭入れるように、里の連中に言ってやってよ」
「それは無駄でしょう。貴方が神社から妖怪を寄せ付けないなら話は別ですが」
「だってあいつら追い出してもすぐに来るんだもん。
面倒なんだよなあ、宴会の片付けとか。私も早苗みたいな巫女を雇おうかしら。
ああ、咲夜もいいわね。あいつ何でもできそうだし。
妖夢は……客が怖がるからダメね。全部人間だったら使いやすいのになあ」
「もっと働け、ぐうたら巫女」
***
日が沈んできた。夜は妖怪たちの時間である。
そして、ここに最も夜を喜ぶ妖怪、もとい吸血鬼が一匹。
「乾杯」
「かんぱぁい」
霊夢とレミリア・スカーレットは、お猪口とワイングラスをかち合わせた。
ワイングラスの中身は、もちろん濃厚な赤ワイン。
居心地の良かった稗田邸で少し呑みすぎた霊夢は、既にほろ酔いを通り越していた。
「天人ねえ。霊夢もアレみたいになっちゃうんだ」
「アレは特殊なの。他の天人は割とつまらないみたいね。
それと、まだなると決めたわけでもない」
「ふーん。天人の血って不味いらしいのよね。変な物ばっかり食べてるせいよ」
「桃の出来は中々ですよ、レミリア様」
咲夜が一人分の夕食と一人分の軽食を持って現れた。
霊夢は今まで溜まってきた酒と様々なおつまみを腹に入れたせいで、あまりお腹が空いていなかった。
「桃と生ハムの冷製カッペリーニ(パスタ)でございます。
こちらは桃生ハム咲夜アレンジでございます」
レミリアの前にパスタを、霊夢の前に桃生ハムの皿を置いた。
桃生ハムにはオリーブオイルや胡椒らしき調味料が振りかかっていて、怪しげな光沢を放っていた。
霊夢が訝しげに皿を眺める中、レミリアは不満げに言った。
「私のパスタに咲夜アレンジは無いの?」
「霊夢のこれは味見もしていない、ただの間に合わせです。
毒見をさせるわけにはまいりません。
主人に安定した美味しさを提供するのは従者の務めなのですよ」
「私はいいんかい」
「急な訪問ではこれが精一杯。食べないなら別にいいわよ」
「や、食べる食べる」
一口頬張る。
生ハムの塩気と桃の甘味が絶妙なバランスを醸し出し、各々の旨味を調味料が引き立てていた。
咄嗟に「美味しい」と叫んでしまうのも無理は無い。
ただ料理の自己主張が強すぎて、自分の酒とは全然合わなかった。
残念に思いつつ、ハムと桃をより分けて食べることにした。
「ところでレミリア。あんた咲夜を吸血鬼にしないの?」
レミリアはすすり上げていたパスタを途中で止めた。
そして咲夜を見てから飲み込んだ。
「だって咲夜って、あんたからしてみればすごい便利な人間でしょ。
吸血鬼なり何なりにしちゃえば、ずっと咲夜を置いていられるわよ?」
「だってさ、咲夜。なりたいなら吸ってもあげてもいいけど」
「吸血鬼になると洗濯物が干せませんし、水仕事ができなくなるので却下いたしますわ」
「よく考えたら厄介なのが増えるわね。ごめん、今のなし。
でも、咲夜は長生きしたいって思ったことあるでしょ?
吸血鬼じゃなくてもさあ、蓬莱の薬とかシャンハイの薬とか、
その辺のアレげな薬とか、欲しいとか思わなかった?」
「今でも思ってるわよ。
偶然でうっかり妖怪になっちゃった、なんてトラブルは大歓迎だから。
不運なら諦めがつくし」
「自分で努力はしないのね」
「したいと思っても時間が許さないでしょうねぇ。
私の能力を持ってしても足りないと思う時があるんだから。
……私は今の自分が一番好きなの。
できるなら、人間としてこれからも死ぬまで生きていたいわね」
「人間にこだわらなくてもいいんじゃないの?」
「たしかに、給仕をするだけなら蓬莱人でも可能だわ。
でも、私にも人間として守らなくちゃいけないものがあるの」
「?」
「私が今まで生きていた中で唯一愛した、ただ二人の人間のために、私はまだ人間をやっているのよ」
咲夜の言葉を理解できずに固まる霊夢に、レミリアはやれやれと嘆息した。
「プライドの問題よ、霊夢。理屈じゃないの。
霊夢だってあるでしょ。守るべき自分のルールってやつが。
咲夜のルールは、主である私でさえ干渉できない、頑固な代物なのよ」
「ルールねえ……毎日欠かさずお茶を飲むことくらいかなあ」
「霊夢らしいね」
「何よ、悪い?どうせそんなに深く考えて生きてませんよーだ」
「深く考える必要なんて無いわ。
霊夢は霊夢、咲夜は咲夜。そして私はレミリア・スカーレットでいいんじゃない?」
霊夢は頬をかきながら、徳利の中を空にした。
霊夢の顔は酒やその他諸々の要素で林檎飴のように赤くなっていた。
「咲夜」
「なに?」
「駆けつけ一杯」
「お酒は苦手よ」
「知ってる。まあ、お礼をしたい気分なのよ。桃生ハムの」
余ったお猪口に酒を注ぎ、差し出した。
咲夜が困ったようにレミリアを見ると、レミリアは笑って頷いた。
「霊夢がお礼なんて、珍しい光景だわ。
咲夜。そこに着席を許可する。たまには無礼講も悪くない」
「はあ。では、失礼します」
霊夢からお猪口を受け取り、席に座った。
霊夢とレミリアが、それぞれお猪口とワイングラスを掲げると、咲夜も遅れてお猪口を上げた。
『乾杯』
お猪口二つとワイングラスが、きぃん、と鳴いた。
***
日は暮れ、夜はそろそろと更けていく。
札から放たれる明かりを頼りに、蛇行しつつ飛行しながら、霊夢は我が家に舞い戻った。
靴を縁側の外に脱ぎ捨て、直接茶の間から進入する。
「お、やっと戻ってきたぜ」
茶の間では、神社ではすっかり馴染みの霧雨魔理沙が机の上に酒を広げていた。
「……あんたねえ、不法侵入よ」
「鍵のかかっていない家があったら入りたくなるだろ、普通」
「どこの世界よ。あーあ、鍵を壊さない奴とか、鍵が意味ある奴と知り合いたかったなあ」
霊夢は机に一升瓶を置くと、ぐるりと回ってバランスを崩して倒れこみ、
空中で減速しつつ、仰向けになって魔理沙の膝に頭を乗せた。
「お?」
「休憩きゅうけい。ちょっと休ませて」
「この酒を呑ませてくれるならな。さっきから銘酒の匂いがぷんぷんするぜ」
「今日で空にするわよ」
「おう、任せろ」
霊夢が欠伸をすると、移ったように魔理沙も大きく欠伸をした。
「ねえ魔理沙」
「んー?」
「人間やめて魔法使いになったのってどんな感じ?」
「あー……そうだなあ……」
魔理沙は机に顎を乗せた。
「あんまり変わらんな。でも成長しないから髪が伸びないんだ。
夏は暑っ苦しかったぜ。今までみたいにすっぱり切れないし」
「不便ねえ」
「それ以外は概ね快適だぜ。今までできなかった無茶も簡単にできるし」
「ふーん」
「捨虫の魔法も捨食の魔法も、覚えてからまだ半年しか経ってないんだ、
そうすぐに自覚できるもんかよ」
「やっぱそんなもんよね」
「お前はどうなんだ?例の件、受けるのか?」
「まだ魔理沙には話してないでしょ。誰に聞いたのよ」
「誰でもいいじゃないか。どうせいつかは耳に入る話だ」
「それもそうね。まあいっか。
んー……すぐには決められないから、参考程度にいろいろ話を聞いて回ったけど、
はっきり言って、あんまり役に立たなかったような、役に立ったような」
「はっきり言ってないぜ」
「どっちにしろ、焦る必要はないかなあ。先の話なんだし」
よっ、と声を上げて霊夢は起き上がった。
晴れ晴れとした笑顔で魔理沙の正面に座りなおした。
「休憩終わり。片すわよ」
「よしきた」
眠気で閉じかけていた魔理沙の目に力が戻った。
一つの徳利になみなみと酒を注ぐ。そして徳利から二つのお猪口へ移した。
霊夢はお猪口を掲げた。魔理沙もお猪口を掲げる。
無言のまま、二人とも一気に呑み干した。
「うえ、なんだこりゃ」
魔理沙は度数の高さに耐えかねて舌を突き出した。
「きついでしょ。お子様な魔理沙には早かったかもね」
「お前の舌がおかしいんだよ」
霊夢は魔理沙の様子を見て笑った。魔理沙は低く唸って霊夢を睨んだ。
そして、もう一杯だけ呑んでから、霊夢は気付く。
「それにしても美味しいわね、このお酒」
不思議と最高の一杯を呑んだ気分であったことに。
貴重な純米大吟醸の原酒一升瓶と、紅のお猪口を二つほど風呂敷に包んでぶら下げている。
腰には小さな白い一合徳利がくくりつけられていた。
目下に広がるは彼岸花の絨毯。そして花の無い桜の下で惰眠を貪るのは怠惰な死神。
霊夢が死神の横に降り立つと、彼女は大きな欠伸をしながら起き上がった。
「あれ?巫女じゃん。珍しい」
「ちょっとつきあってよ」
「お?おお、そいつはなんとも素敵な土産物だねぇ!」
霊夢が風呂敷を突き出すと、小野塚小町は目を光らせて飛び起きた。
小町の横に腰を下ろし、中間で風呂敷を広げる。
お猪口を手渡すと、陽気に声を上げた。
「結構な代物じゃないか。酒自慢かい?」
「ううん。これはただの手土産よ。自家製のお神酒。
これ呑んでいいから、話に付き合って欲しいの」
「話?」
霊夢の口調は普段以上に淡々としていた。
気負いしている訳でも無く、上機嫌に絡みに来た訳でもなければ悲観して自殺に来た訳でもない。
ただ考えることができたから、参考程度に少し話をしたかっただけだった。
霊夢から酒を注いでもらう間、小町は丹念に観察していた。
「話ってなにさ?」
「私、天人になるかもしれない」
「へ……え?」
うっかりお猪口を落としそうになり、あわてて拾い上げる小町に、
「そんなに驚くことじゃないでしょ」、と苦笑しながら、ちびちびと酒を煽った。
「死ぬのが怖くなったのかい?」
「そうじゃないけど、天子から……ほら、天気の異変起こした……」
「知ってる」
「そう、ならいいわ。素質あるからちょっと頑張れば簡単になれるんだって。
なるって言っても、博麗の巫女としての務めが終わってからだけどね」
「確かに、性格だけで言えば、お前さんは天人みたいなもんだからねえ」
「あんたに言われたくないわ」
「とまあ、性格診断は置いといて。天人と死神の関係はあいつから聞いたのかい?」
「だから来たの」
「へえ。それはそれは」
天人は迎えに来た死神を追い払ってその寿命を延ばしているという。
小町が杯を煽ると、今までの怠けた態度はどこへやら、
目を鋭く光らせ、刺し殺さんばかりの視線を霊夢に投げかける。
「あたいのところに来たってことは、将来に備えての力試しってところじゃないか?」
「ん?」
「受けて立つよ。少し運動もしなくちゃ体が腐っちまうから」
独特の形をした鎌がきちりと音を立てる。
静かな死神の威嚇を、霊夢はそよ風とでも言わんばかりに受け流した。
「別に何もしないわよ」
「ありゃりゃ」
小町は溜め息を吐くと、再び杯を煽った。早くも怠惰な死神へと戻っていた。
「あんたが本気で嫌がったら、めんどくさいから止めようと思ってただけよ」
「あたいはただの船頭で、お迎えに行く死神は別にいるからどうでもいいんだけど……
お勧めはしないねぇ。色々と面倒だし。
と言っても、あたいたち……あたいや映姫様は人間の人生に直接干渉なんてできないから、
せいぜい口出しや説教をする程度だ。好きにしな」
「ふーん」
「そもそもあたいの言葉でお前さんが考え直すとは思えん」
「まあね」
「威張るな」
「ところで、あんたらって死なない?」
「死なないよ。もう死んでるようなもんだし。
幽霊や亡霊なんかとはちょっと違うけど」
「じゃあ、死ぬ心配をしなくていいのね。死が無いってどんな感じ?」
「どんな感じって……聞くのは間違いってもんだ。
死神は生物としての輪を外れてるからね。
自分にも他人にも、生や死への倫理観や人生観なんてもんは無いのさ。
生きられるなら生かす、死んだなら送るだけだ」
「参考にならないなあ」
「人間止めてでも長生きしたければ、美味い酒の呑み方を覚えるんだね。
酒を美味しく呑めるなら人生は一生安泰だよ。
それにしてもこれ、美味いねぇ。こんな美味い酒に下手な肴は無粋だよね、うんうん。
美味い酒には綺麗な花とどうでもいい与太話で肴は十分」
「おやじくさいわよ、あんた」
小町が四度目の催促をするも、霊夢が取った行動は、徳利を振って空をアピールし、
突き出されたお猪口を回収するだけだった。
「ええっ!もう仕舞いかい!?まだお猪口三杯しか呑んでないのに!」
「今日の私は珍しく忙しいの。じゃあね」
「ああ、ちょいと待ち。今度あたいがそっちに言ったら、その酒を瓶に詰めて用意しといてくれよ。
たまには頭の固い上司をそいつで柔らかくしたいんでね」
「残念だけど、この一本で限界よ。
普通に出すお神酒なら分けてあげてもいいわ。あんたが本当に暇なときにね」
手早く一升瓶を包み込むと、足早に飛び去った。
「ま、しっかり悩みな」
残念そうに見上げながらも、小町の視線は優しかった。
***
「寝言を言う暇があったら布教活動でもしたらどうですか?」
「来る者拒まず、去る者追わずが私の主義なの」
参道を掃除中だった東風谷早苗は憤慨した。
神奈子のような神霊を目指すならまだいいとしても、
安易な道を選んで天人になる霊夢の態度が早苗には許せなかった。
「別にお役目が終わった後だからいいじゃない。ほとんど誰も困らないでしょ」
「困る困らないの問題ではありません。
才能と実力を持ってるのに、そんな怠惰な選択で無駄遣いしてしまう、
その不真面目な態度に呆れているんです。
巫女たるもの、死ぬまで、いいえ、死してなお神に仕えるのが当然でしょう」
「いいじゃない早苗。私は賛成だよ。霊夢が天人になれば、もっと一緒に酒が呑めるし」
「ほら、神様のお墨付き」
「洩矢様はもう少し神としての威厳を持ってください」
「堅いなあ。行き遅れるよ?」
「行き遅れで結構です。行く気なんてまだまださらさらありませんから」
賽銭箱の横で霊夢の酌を受け取る洩矢諏訪子はけらけらと笑った。
守矢神社の主、八坂神奈子は新たな信仰獲得のために天界を訪問中だった。
「神奈子も不運だねえ。こんな美味い酒を逃すなんて。
天界なんて桃くらいしかないのにね。早苗もどう?ちょっと呑む?」
「仕事中です」
「別に酒を呑みながら仕事しても構わないよ。
どうせここに来る人間なんて、巫女が酒を呑んでようが、みんな気に止めないよ」
「私は宴会と祭事以外は大抵呑まないけどね」
「二対一。洩矢様の負けですね」
「堅いなあ。巫女も蛙のように柔軟な体を持つべきだよ」
諏訪子と霊夢は差し入れの柿を同時に食べて、同時に酒を呑んだ。
程よく熟した柿の甘みと、喉を焦がさんばかりの度数を持った原酒との相性は、思いのほか良かった。
「そもそも早苗だって、いつか人間じゃなくなるしね」
「え!?」
霊夢が驚くと、早苗は気まずそうに後ろを向いて離れていった。
やや顔が紅潮しているのは見間違いではないだろう。
「妖怪にでもなるの?」
「違う違う、神格化するのよ。早苗は真面目だからねえ。
力もあるし、修行も怠けない。信仰も少しづつ増えてきてるし、このままなら、
早苗はいずれ現人神になり、そしていつか私達と同じ神にまで至るでしょう。
まだまだ修行不足だから、いつ実現するか知らないけどさ」
「さっき結婚勧めてたじゃない」
「神だって結婚するよ」
「あ、そうだった。あんたがちっとも神っぽくないから、つい忘れてたわ」
「霊夢も言うか。幻想郷の巫女共はみんな辛辣だねえ」
霊夢はふむ、と頷くと、早苗を呼び戻した。
「あんた、神になりたいの?」
「そりゃ、まあ、そうですね」
「どうして?」
「どうしてって……巫女が神に近づきたいと思ってはいけませんか?」
「それだけじゃないでしょ。
あんたの性格だったら、もっと堂々としててもいいのにさあ、どうして恥ずかしがるわけ?」
「ええと……そのですね……」
歯切れの悪い返事をすると、諏訪子はおかしそうに笑った。
「私が代わりに教えてしんぜよう」
「諏訪子様!」
「どうどう早苗。神に仕える者がみだりに神様に逆らってはいけないよ。
理由くらい教えてあげればいいじゃない。減るもんじゃあるまいし」
諏訪子は空のお猪口を霊夢に預けると、空中に飛び上がって一回転し、早苗の背中に飛び乗った。
「早苗が神に至る理由はね、親孝行さ」
「ああ、なるほど」
きりのいい時間まで世間話をした後、最後の柿を口に詰め、霊夢は荷物をまとめた。
霊夢が飛び立った後も、早苗はずっと顔を赤くしたままだった。
***
正午ごろ。霊夢は魚の焼ける匂いに釣られて竹林にやってきた。
塩焼きにした魚は酒との相性が抜群である。
「あはははは。喧嘩売ってるなら買うよ?」
「ちっとも売ってないから。だけどお金は欲しいわね」
「とりあえず、おおよそお前の考えるとおりだよ」
藤原妹紅は腹を立てた。永遠を生きる身となって苦しむ蓬莱人に対して、
「死なないってどんな感じ?」などと聞かれたら、嬉しい顔をするはずがない。
「長生きしてどうするつもりよ?」
「さあ。本当に長生きになってから考えるつもりだけど」
「その程度の考えだったら止めといたほうがいい。
長く生きるはいいけど、人間っていうのは、いざ死にたいとなったら、
よっぽどの事が起こらない限り自分から死ねない生き物よ」
妹紅は遠い目をしてお猪口の酒を煽った。
「どの程度の考えだったら長生きしてもいいのかしら?」
「さあね。少なくとも、長寿してる奴は皆が皆のんべんだらりと過ごしているわけじゃないよ。
大抵は皆何かしらの目的を持っているわ。
はっきりした目的も無いまま無駄に生きれば、そいつは生物とは呼べないね。
もっとも、そういう種族が天人ってやつみたいだけど」
「目的かあ」
妹紅が串焼きにした魚を霊夢に差し出した。
焼けた魚を口で身を剥がすようにして食べる。
塩加減も焼き加減も、霊夢の腕では到底及ばない領域だった。
何千、何万と繰り返してきた結果だろう。
「お前だって、博麗の巫女をやってるから、今までよろしく生きてるじゃない。
今日よりもっと美味しい料理を食べたい。今日よりもっと強くなりたい。今日よりもっと色々なものを知りたい。
中身なんて何でもいい。くだらなくても、ちっぽけでもいい。
とにかく目的を持ってみてから決めなさい」
「じゃあ世界征服でも企んでみようかしら」
「私が普通に暮らせるなら、お前に征服された世界に住んでみてもいいけどね」
「征服した暁には、神社に来たら必ずお賽銭を入れることと、
誰かが私の代わりに神社の掃除をすることと、私にお茶を淹れることを強制するわ」
「頑張れ。絶対無理だから」
妹紅は煙管を取り出し、煙草を詰めてふかし始めた。
火種は指先一つあれば事足りた。
「あんたの生きる目的ってのは分かりやすいわね」
「まあねえ。それなりに生きがいだし」
「居なくなったらどうするの?」
「もちろん別の目的を見つけるよ。
この体を治す方法とか、釣りと煙草と酒以外の楽しみを探すとか。
それこそ時間は無限にあるから。
まあ、あいつが居なくなるなんて考えたこともないけどね。
居なくなったら、草の根分けてでも探し出して、私の恨みが晴れるまで何度でもぶっとばしてやるのよ」
***
一升瓶の中身はだいぶ軽くなっていた。
霊夢の酔いもそれなりに進んでいた。
ぐらぐらと揺れ動く視界の中で、人間の里にある稗田邸に立ち寄った。
当主の稗田阿求は、自分の書斎に霊夢を招き入れ、適当な酒の肴を見繕わせた。
「どうして長く生きようとしないのか、ですか?」
「だって、あんたの仕事って妖怪図鑑を纏めることでしょ?
長く生きたほうが新しい発見をしやすいもんじゃないの?」
「別に縁起の編纂に命をかけている訳じゃありませんし。
霊夢さんだって、ずっと博麗の巫女でいたい訳じゃないでしょう?」
「できれば働かずに暮らしたいわねえ」
「理想ですが、現実は甘くないです。
もし私が不老長寿になったら、里の皆さんや家の者は私の頭や名前を最大限に活用して金儲けを企むでしょう。
なにせ私は有名人ですから、適当に本を書いて出版していれば売れるのです。
私は一生、本を書く奴隷になるでしょうね。
体が弱いので誰か世話係がいないと生きていけませんし」
「妙に生々しい話をしてくれるわね」
「人間、誰しも楽をしたいものなのですよ。
しかし、楽をした分だけ、他の誰かが苦労しなければならないのです。
という訳なので、私は今の状態を保っていたいですね」
体が小さくて酒の回りが早いのか、阿求の顔は既に赤みを帯びていた。
そして普段よりも気持ち饒舌になっていた。
「ですが、長寿になりたいと思うことは、やっぱり何度かありましたね。
現世でしか得られない物は、少し多すぎる」
互いのお猪口を動かす手が止まった。
阿求はお猪口の水面を見つめていた。
霊夢もまた自分のお猪口を見つめていた。
「寂しくないと言えば嘘になります。
ですが、今代の私は、妖怪という良き隣人関係に恵まれました。
私を覚え続ける者は少ないでしょうが、私を思い出してくれる者もまた少なくないでしょう」
阿求はお猪口を一気に煽った。
「霊夢さんが何を思って天人を目指すのか知りませんが、お互いに人間の身として生まれたことは誇って然るべきです。
今までも、そしてこれからも、人間として培う経験は、何物にも換えられませんから」
「じゃあ、私が天人になるのは、稗田阿求としては反対ってことかしら」
「いえ、どちらかといえば歓迎しますよ。
私、阿求のことを覚えてくださる方が増えますし、次代の私もまた喜ぶでしょうからね。
もし貴方が天人になったなら、次の代でまたこうしてお酒でも呑み交わしましょうよ」
霊夢は答えられなかった。
見たことも無い阿求の笑顔に、僅かな合間だけ見とれていた。
「……割と人気者ねえ、私ってば」
「人気者ですよ。信仰はあまりないですけど」
「もっと賽銭入れるように、里の連中に言ってやってよ」
「それは無駄でしょう。貴方が神社から妖怪を寄せ付けないなら話は別ですが」
「だってあいつら追い出してもすぐに来るんだもん。
面倒なんだよなあ、宴会の片付けとか。私も早苗みたいな巫女を雇おうかしら。
ああ、咲夜もいいわね。あいつ何でもできそうだし。
妖夢は……客が怖がるからダメね。全部人間だったら使いやすいのになあ」
「もっと働け、ぐうたら巫女」
***
日が沈んできた。夜は妖怪たちの時間である。
そして、ここに最も夜を喜ぶ妖怪、もとい吸血鬼が一匹。
「乾杯」
「かんぱぁい」
霊夢とレミリア・スカーレットは、お猪口とワイングラスをかち合わせた。
ワイングラスの中身は、もちろん濃厚な赤ワイン。
居心地の良かった稗田邸で少し呑みすぎた霊夢は、既にほろ酔いを通り越していた。
「天人ねえ。霊夢もアレみたいになっちゃうんだ」
「アレは特殊なの。他の天人は割とつまらないみたいね。
それと、まだなると決めたわけでもない」
「ふーん。天人の血って不味いらしいのよね。変な物ばっかり食べてるせいよ」
「桃の出来は中々ですよ、レミリア様」
咲夜が一人分の夕食と一人分の軽食を持って現れた。
霊夢は今まで溜まってきた酒と様々なおつまみを腹に入れたせいで、あまりお腹が空いていなかった。
「桃と生ハムの冷製カッペリーニ(パスタ)でございます。
こちらは桃生ハム咲夜アレンジでございます」
レミリアの前にパスタを、霊夢の前に桃生ハムの皿を置いた。
桃生ハムにはオリーブオイルや胡椒らしき調味料が振りかかっていて、怪しげな光沢を放っていた。
霊夢が訝しげに皿を眺める中、レミリアは不満げに言った。
「私のパスタに咲夜アレンジは無いの?」
「霊夢のこれは味見もしていない、ただの間に合わせです。
毒見をさせるわけにはまいりません。
主人に安定した美味しさを提供するのは従者の務めなのですよ」
「私はいいんかい」
「急な訪問ではこれが精一杯。食べないなら別にいいわよ」
「や、食べる食べる」
一口頬張る。
生ハムの塩気と桃の甘味が絶妙なバランスを醸し出し、各々の旨味を調味料が引き立てていた。
咄嗟に「美味しい」と叫んでしまうのも無理は無い。
ただ料理の自己主張が強すぎて、自分の酒とは全然合わなかった。
残念に思いつつ、ハムと桃をより分けて食べることにした。
「ところでレミリア。あんた咲夜を吸血鬼にしないの?」
レミリアはすすり上げていたパスタを途中で止めた。
そして咲夜を見てから飲み込んだ。
「だって咲夜って、あんたからしてみればすごい便利な人間でしょ。
吸血鬼なり何なりにしちゃえば、ずっと咲夜を置いていられるわよ?」
「だってさ、咲夜。なりたいなら吸ってもあげてもいいけど」
「吸血鬼になると洗濯物が干せませんし、水仕事ができなくなるので却下いたしますわ」
「よく考えたら厄介なのが増えるわね。ごめん、今のなし。
でも、咲夜は長生きしたいって思ったことあるでしょ?
吸血鬼じゃなくてもさあ、蓬莱の薬とかシャンハイの薬とか、
その辺のアレげな薬とか、欲しいとか思わなかった?」
「今でも思ってるわよ。
偶然でうっかり妖怪になっちゃった、なんてトラブルは大歓迎だから。
不運なら諦めがつくし」
「自分で努力はしないのね」
「したいと思っても時間が許さないでしょうねぇ。
私の能力を持ってしても足りないと思う時があるんだから。
……私は今の自分が一番好きなの。
できるなら、人間としてこれからも死ぬまで生きていたいわね」
「人間にこだわらなくてもいいんじゃないの?」
「たしかに、給仕をするだけなら蓬莱人でも可能だわ。
でも、私にも人間として守らなくちゃいけないものがあるの」
「?」
「私が今まで生きていた中で唯一愛した、ただ二人の人間のために、私はまだ人間をやっているのよ」
咲夜の言葉を理解できずに固まる霊夢に、レミリアはやれやれと嘆息した。
「プライドの問題よ、霊夢。理屈じゃないの。
霊夢だってあるでしょ。守るべき自分のルールってやつが。
咲夜のルールは、主である私でさえ干渉できない、頑固な代物なのよ」
「ルールねえ……毎日欠かさずお茶を飲むことくらいかなあ」
「霊夢らしいね」
「何よ、悪い?どうせそんなに深く考えて生きてませんよーだ」
「深く考える必要なんて無いわ。
霊夢は霊夢、咲夜は咲夜。そして私はレミリア・スカーレットでいいんじゃない?」
霊夢は頬をかきながら、徳利の中を空にした。
霊夢の顔は酒やその他諸々の要素で林檎飴のように赤くなっていた。
「咲夜」
「なに?」
「駆けつけ一杯」
「お酒は苦手よ」
「知ってる。まあ、お礼をしたい気分なのよ。桃生ハムの」
余ったお猪口に酒を注ぎ、差し出した。
咲夜が困ったようにレミリアを見ると、レミリアは笑って頷いた。
「霊夢がお礼なんて、珍しい光景だわ。
咲夜。そこに着席を許可する。たまには無礼講も悪くない」
「はあ。では、失礼します」
霊夢からお猪口を受け取り、席に座った。
霊夢とレミリアが、それぞれお猪口とワイングラスを掲げると、咲夜も遅れてお猪口を上げた。
『乾杯』
お猪口二つとワイングラスが、きぃん、と鳴いた。
***
日は暮れ、夜はそろそろと更けていく。
札から放たれる明かりを頼りに、蛇行しつつ飛行しながら、霊夢は我が家に舞い戻った。
靴を縁側の外に脱ぎ捨て、直接茶の間から進入する。
「お、やっと戻ってきたぜ」
茶の間では、神社ではすっかり馴染みの霧雨魔理沙が机の上に酒を広げていた。
「……あんたねえ、不法侵入よ」
「鍵のかかっていない家があったら入りたくなるだろ、普通」
「どこの世界よ。あーあ、鍵を壊さない奴とか、鍵が意味ある奴と知り合いたかったなあ」
霊夢は机に一升瓶を置くと、ぐるりと回ってバランスを崩して倒れこみ、
空中で減速しつつ、仰向けになって魔理沙の膝に頭を乗せた。
「お?」
「休憩きゅうけい。ちょっと休ませて」
「この酒を呑ませてくれるならな。さっきから銘酒の匂いがぷんぷんするぜ」
「今日で空にするわよ」
「おう、任せろ」
霊夢が欠伸をすると、移ったように魔理沙も大きく欠伸をした。
「ねえ魔理沙」
「んー?」
「人間やめて魔法使いになったのってどんな感じ?」
「あー……そうだなあ……」
魔理沙は机に顎を乗せた。
「あんまり変わらんな。でも成長しないから髪が伸びないんだ。
夏は暑っ苦しかったぜ。今までみたいにすっぱり切れないし」
「不便ねえ」
「それ以外は概ね快適だぜ。今までできなかった無茶も簡単にできるし」
「ふーん」
「捨虫の魔法も捨食の魔法も、覚えてからまだ半年しか経ってないんだ、
そうすぐに自覚できるもんかよ」
「やっぱそんなもんよね」
「お前はどうなんだ?例の件、受けるのか?」
「まだ魔理沙には話してないでしょ。誰に聞いたのよ」
「誰でもいいじゃないか。どうせいつかは耳に入る話だ」
「それもそうね。まあいっか。
んー……すぐには決められないから、参考程度にいろいろ話を聞いて回ったけど、
はっきり言って、あんまり役に立たなかったような、役に立ったような」
「はっきり言ってないぜ」
「どっちにしろ、焦る必要はないかなあ。先の話なんだし」
よっ、と声を上げて霊夢は起き上がった。
晴れ晴れとした笑顔で魔理沙の正面に座りなおした。
「休憩終わり。片すわよ」
「よしきた」
眠気で閉じかけていた魔理沙の目に力が戻った。
一つの徳利になみなみと酒を注ぐ。そして徳利から二つのお猪口へ移した。
霊夢はお猪口を掲げた。魔理沙もお猪口を掲げる。
無言のまま、二人とも一気に呑み干した。
「うえ、なんだこりゃ」
魔理沙は度数の高さに耐えかねて舌を突き出した。
「きついでしょ。お子様な魔理沙には早かったかもね」
「お前の舌がおかしいんだよ」
霊夢は魔理沙の様子を見て笑った。魔理沙は低く唸って霊夢を睨んだ。
そして、もう一杯だけ呑んでから、霊夢は気付く。
「それにしても美味しいわね、このお酒」
不思議と最高の一杯を呑んだ気分であったことに。
唐突な設定を話の中心に据えているので、随所に強引な展開が見られるように感じます。
言いつつ、本人がどうもどっか無関心ぽいのがらしいと言えばらしいですね。
でもある意味天子以上にややこしい天人になりそうな気もする。
ふと魔理沙と呑んだ最高の一杯のことを思い出し、そう言えばまだまだ飲み足りない気がすると考えた霊夢は
目の前の邪魔な死神を蹴散らし、とっておきのお酒を持って魔理沙の所に向かうのだった。
自分はこんな感じの天人END希望かなー。人間のまま死ぬのもらしいとは思うけど。
まあ、命というか人生ですが
余り長生きできない上に、転生の術は寿命の尽きる何年も前から準備しなければならないのですが
何かこの文読んでると、作者はそこら辺を分ってないような
天人になるということにも縛られないのではないでしょうか
天人になることに悩んでいそうでそうでないのが彼女らしいなあ。
もしもなったらどうなるのか続きが気になる
あっきゅんの思想や置かれた立場はちょっとお話の内容とは違うと思いますよ…。
ゆったりとした時間の流れを感じれました。
読み進めていくごとに、口の中にお酒の味が広がっていく錯覚♪
私にはすっごいほのぼの空間な作品ですよ~
原作の受け取り方にしても個々人で変わるものですが、魔理沙が「魔法使いになった後」などのオリ設定も混じっているのでその辺の注意書きは入ってれば読者も読みやすいかと。
そして何より魔理沙の存在が彼女の中で大きいことを感じさせてくれる作品でした。
タイトルでアンサイクロペディアの神主様を思い出しました。
どんなに短い作品でもやはり出だしは重要なので、読み手を引きつける文章にした方がよろしいです。
霊夢は飛んでいた。だけでは逆に読む気が削がれます。
幻想郷の解釈はひとそれぞれだから面白いというのはありますが、やはりかけはなれてしまうのはちょっとどうかと
霊夢らしいふわふわした会話がとてもよかったです。
ただそれだと阿求が普通に生きてるのが不自然だし、簡単に捨虫出来るとは思えないんですけど。
話はゆったりしていてとても好みなんですが所々?になるところがあるのが残念でなりません。
100を付けたいけどマイナスって事で。
次回作で何の説明もなく魔理沙が種族魔法使いになっていても別に驚きませなんだ。
霊夢らしいなと思いつつ、魔理沙がすでに妖怪化してるという展開で納得。
魔理沙とのやりとりが淡白な感もするけど、逆にそれが分かり合ってる感がして良かった。
上で納得って書いたけど、作中で天人希望する理由は明言されてない訳だけど、逆に
それが余韻になってると思う。
咲夜さんが吸血鬼にならない理由に納得w
かなり面白かったです こういう考えもあるんだなっておもた
死ぬ小説も悲しいけど誰も死なないのも何か悲しい
全体として、5W1Hの要素が欠けています
平たく言えば起承転結の起の部分がないので、読み物としての出来は非常に悪いです
文章構成は何も起承転結だけではありませんが、読み物には必要最低限のルールというものがありますし、まずはそこを見直すべきであると思います
設定の解釈は人それぞれなので、霊夢→天人や阿求の概念をどう捉えるかは問題ないのですが、それを裏付けて読者を納得させられる作り方をしていなければ、作品としては未完成でしょう
答えは読み手それぞれとありますが、それは上記の事を曖昧に終わらせて表現する、ということでは決してありません
次回に期待です
かの芥川龍之介も言っていますが、小説の面白さというのは、
必ずしも筋立て=ストーリーに依存するものではないんですよね。
で、私は「面白い!」と感じましたので、満点を捧げさせて頂きます。
無論それを全て使うとは限らないけど、この作品においては大体東方の世界観に則って書かれているとおもいますし、
東方SSを読みに来る人はその人物、世界観を把握してるのが大半なので、「起」の部分としてはこれで十分だと思う。
・・・・・・という独り言をボヤきつつ、とても面白い話でした。
個人的には魔理沙はずっと人間のままでいるんじゃないかな~と思っていましたが、
案外あっさり魔法使いになってしまう事もありそうだなと、このお話を読んでなんとなくそう感じました。
まあ少なくとも私は楽しめました。
捨虫の術も捨食の術もまだ体得してません。