「ねぇ、メリー。今日は七夕ね」
「え、今日だっけ?」
「そうよ。今日は七の重なる双七。夜空の星が川になる日」
「……そう。でも」
二人は喫茶店から空を見上げる。
「「あいにくの雨だけどね」」
空はどんよりと曇り、ぽつりぽつりと雨が窓を叩いていた。
ガラス張りで外のよく見える喫茶店。逆に言えば外から丸見えなわけだが、まぁそんな喫茶店の、それも窓に一番近い場所に、メリーことマエリベリー=ハーンと宇佐見蓮子は腰を下ろした。今、ようやく飲み物の注文を終えたところである。
「ふぅ、あっつい」
そう言うと、蓮子は頭頂部を鷲掴みにして帽子を取ると、そのまま帽子のつばで自分を扇いだ。
今は正午。午前にしか授業がなかったので、二人は喫茶店でランチでも、ということにしたのである。
そんな時間なので、そもそも星の見えるハズもないが、恐らくは夜になっても晴れないだろうと二人は思い、空を見上げては憂鬱な気持ちになっていた。
二人と同じ気持ちなのか、喫茶店で休む人、外を急ぎ足で歩み去って行く人の表情は曇っている。単に雨が鬱陶しいのかもしれないが、風情がないので天の川が見れないからだろうと勝手に二人は解釈した。
「ねぇ、メリー。雨が降ってるとさ、織り姫と彦星って会えないんだって」
「そうなの? 空の川に地球の天気が関係してるんだ」
「というか、向こうが洪水で会えない二人の流した涙が、こっちで雨になってるんだって」
「……ロマンティックだけど、こう蒸し暑い日の雨と思うと、なんだか素直に同情できないわね」
そう言いながら、メリーは氷の入った水を啜る。対して蓮子は、もらったおしぼりで堂々と顔を拭いた。
ちょっと強めにゴシゴシと顔を拭くと、ぷはーっとばかりに蓮子はおしぼりを顔から外す。
「あーっ、生き返る」
「天国へようこそ」
「えっと、天国っていうには服が雨と汗で濡れてて気持ち悪いわ」
「じゃあ、現世ね」
「うぅ、そう考えると微妙な世ね」
そんな話で、二人はくすくすと笑う。
だんだんと喫茶店の空調が身に染みてきて、二人の汗も引いていく。と同時に、ちょっとした肌寒ささえ覚えた。
「……少しホットにすれば良かったと後悔」
蓮子のオーダーはアイスコーヒー。
「冷房がどの程度効いていて、私たちがどの程度濡れているのか。そこをしっかり考えないから」
メリーのオーダーは、ホットのロイヤルミルクティー。
「さ、先に言ってくれない?」
「ごめんね。私の一口上げるから」
くすくすと笑うメリーに、蓮子は少しばかり引きつった苦笑い浮かべる。何故この友人は、どうでも良い場面で悪戯をしようとするのだろうか。苦笑いは、そんな思いからであった。
「おー。晴れじゃないけど晴れた」
帽子を改めて被り、喫茶店を飛び出した蓮子の第一声である。
「あ、雨あがってる」
現在、午後三時過ぎ。昼食を食べ終え、皿にもう一杯の茶を飲んでから、二人は会計を済ませたところだ。
まだ雲はあるが、そこそこ降っていた雨はいつの間にやら止んでいた。窓ガラスが雨粒だらけで、降っているのかが中からでは良く判らなかったのだ。
「ねぇ、メリー。天の川見えるかな?」
「うーん」
まだ空は見えない。雲もそこそこ厚そうで、どうかなぁとメリーは首を捻る。
空を見て正確な時間を測れる蓮子であったが、さすがに気象予想はできないようである。
「んー、まだ傘差してる人多いね。止んだばかりなのかな」
と、突然蓮子が周囲を見渡しながらそう言った。
「あ、本当。結構多いわね」
「ふふ、何か気づいていない人たちよりも、自分たちが鋭敏になった気分」
「逆で、私たちが気づいていない雨が降っているだけだったりして」
「いっ!」
メリーの言葉に反応して、蓮子は手を少し振りつつ、目をこらしてみる。だが、手でも目でも、雨らしいものを感じることはできなかった。
「……降ってないよね?」
「たぶんね」
またも、くすりくすりとメリーは笑う。この子は、などと思いつつ、蓮子は帽子ごと頭を掻いた。
「でも、もしかしたら、傘を差している人は雨を感じているかもしれないわよ」
「どういうこと?」
「偶然見えているけど、本当は雨の降っている別の世界の人なのかも」
「なに、境界が見えたの!」
「え、あぁ、違う違う。見えてない。もしかしたら、って話」
「なんだー」
咄嗟の期待が結構大きかったらしく、随分と大げさに落胆した蓮子は、肩を落とし、手にする傘を杖のようにして歩き始めた。
が、それも長くは続かず、ハッとして蓮子は背筋を伸ばした。
「あ、私ちょっとたい焼き買ってくる」
「えっ?」
「メリーはカスタード?」
「あ、うん」
「了解ー」
メリーの言葉を聞いた直後、蓮子は既に駆け出す姿勢であった。そして訊いた直後、返答の内容に関わらず、行列のできているたい焼き屋目指して軽い足取りで駆けていってしまった。
「……食べるかどうかをまず訊いて欲しかったかなぁ」
結構お腹いっぱいのメリーであった。
蓮子が並んだ行列がなかなか進まないのを離れたところから見守りつつ、メリーは空を見上げる。
「それにしても、天の川か」
見えない空の、見えない星の川。想像すると、それは何かを隔てる壁のように思えてくる。
通り過ぎていく様々な人たちを見やりながら、思わずにはいられない。
「一年間真面目に働いて逢えるのなら、真面目に働くわよね」
自分を織り姫に重ね、彦星として浮かぶ夢の中の登場人物たち。飄々としてて、自由で、狡賢いくせに、やたらと無邪気な人たち。
酷く鮮明なあの夢の中の人たちに、もしも逢えるのなら何でもするのに、とメリーは思う。
「逢いたいなぁ」
自然と、口から素直な言葉がこぼれてしまう。
「……あら。逢えるわよ、私たちなら」
と、真横を通り過ぎる女性の口から、そんな言葉が響く。
一瞬だけメリーは反応できなかったが、すぐにその言葉の意味を理解する。
「えっ!」
そして勢いよく振り向くが、そこには誰もいなかった。
一瞬だけ記憶に入り込んだのは、不思議な傘を差した、派手目の着物を着た女性。それはどこか、見覚えのあった女性。
内心に焦りが生まれる。今逢えたのは誰か。そう思うと、駆け出そうと体が動く。
「あれ、どうしたの変な顔して」
と、そんなメリーの肩に蓮子の手が置かれた。
「あっ」
次の瞬間、メリーは自分の中にあった不思議な気配が、音もなく抜けてしまうのを感じた。
「……あぁ」
「どしたの?」
酷く疲れた気分になりながら、正体の判らない無念に襲われるメリー。そんなメリーを見て、どうしたのだろうと首を傾げつつたい焼きを食べる蓮子。
しばらくメリーは沈黙しており、普段通りの状態になるには、蓮子が買った自分用のたい焼き三つを頬張るまでの時間が掛かった。
やがて二人は駅に着く。別々の方角に帰るために、二人はここで分かれることになる。
その駅構内で、七夕用に小さな笹と短冊が用意されていた。
「へぇ。こんなのあったんだ」
「あれ、メリー気づかなかった? 朝からあったよ」
「そうだった?」
実は本日、メリーは寝坊につき、駅構内を見渡す余裕なんてなかったのである。
蓮子は少しうずうずとしてから、すぐに笹に駆け寄ると、短冊を片っ端から読み始めた。
「おー。正義のヒーローか。あ、結婚とか合格とか色々書いてあるよ」
「人の願い事をマジマジ見るものじゃないでしょ」
と言いつつも、メリーもなんだかんだでチラチラと眺めていた。
しばらくして他人の願い事を満喫したのか、笹の周りを一周して戻ってきた蓮子が口を開く。
「私たちも書こうか」
その目は、ひたすら無邪気に輝いていた。
「え? あぁ、そうね。書きましょう」
とはいえ、興味はあるので、メリーもそれには素直に同意する。
しかし、いざ書くとなると少しだけ悩んでしまう。色々と願いたいことがあり、揃ってなかなか絞れなかったのである。
「ねぇ、メリー。なんて書く?」
「んー」
決めかねているのか、難しい顔でメリーは唸る。その一方で、自分の書くことを決めた蓮子の表情は晴れ晴れとしている。
「私は決めたよ。幻想郷を発見する。これ以外ないでしょ」
「あー、それいいわね」
「でしょ。メリーもそうしなよ」
「んー」
そう書こうかなぁと、心が揺れた直後、不意に今一番の願い事が浮かんだ。
「……よしっ」
と、浮かぶや否や筆は踊る。すぐさま、思った通りのことがそこに書かれていた。
満足げにそれを眺めていると、それをひょいっと蓮子が奪う。
「どれどれ。おっ?」
「あ、ちょっと蓮子」
奪い取った戦利品をしげしげと眺めてから、にたぁっと蓮子は笑う。
「ほうほう。遂にメリーも、こういうことに興味を持つようになりましたかぁ」
「え?」
一瞬だけきょとんとしてから、自分の書いた願い事を、蓮子がどう解釈したのかを悟った。
「ち、違うの蓮子!」
「あはははっ、照れない照れない」
「も、もぅ!」
メリーがばたばたと奪い返そうと暴れるが、それをひらりと蓮子はかわし、さっさと笹に結びつけてしまった。
「やー、やー。叶うといいねぇ」
「だから違うんだって」
「夏は恋の季節ですよ。わー、次に会う時が楽しみになってきた」
「蓮子ぉ! いい加減にしないと怒るよ!」
「あははっ。それじゃ、またねぇ」
笹に、新しく結ばれた願い事二つ。
『幻想郷に辿り着けますように 秘封倶楽部』
『私の彦星に逢えますように 機織り娘』
けど、『逢えるのなら何でもするのに』の結果、蓮子が彦星になっちゃわなければいいけどね
さすが猫
天の川=大結界の向こうの彦星=幻想郷を垣間みる秘封倶楽部は
天の川の星(外界と幻想の境界上にある存在)なのかもしれない。とか思いながら読んだ。