「あぁ、今年は豊作だなぁ」
「まったくだ。これも山の神様と穣子さまのおかげだ」
「本当になぁ」
「今年も収穫祭にお招きしなければな」
「あぁ・・・」
「ん? どうした?」
「また姉妹で来なさるのかね、と思ってな」
「あぁ。あの姉神さまも顔は見せに来るだろうな。しかしあの姉神さまは名をなんといったっけ」
「何だったかなぁ」
「くれはだかしずはだかなんだかでなかったか。で、その姉神さまがどうした」
「いやぁ・・・。あの方は何の神さまじゃろうかと思ってな。特に何をするわけでもなく穣子さまについてだけおる。
こんな事言っちゃぁなんだが、俺はちょっと気味が悪くてなぁ」
「くわばらくわばら、神さまにそんな事言うものでないだよ」
「あぁまったくだ。しかし本当に何の神さまなんだか」
「・・・おっと、噂をすれば影。あれは穣子さまでないか」
「拝みにいこうか」
「拝みにいこうさ」
天高く馬肥ゆる秋。澄み切った空の下、一人の少女が里の外へと向かっていた。
背負った籠には秋の実りが山となっている。少女は村長に今年の収穫祭の時期を聞き、帰り道。その来る道すがら
帰る道すがら人々から感謝の声と共に沢山の作物やら猟の成果やらを頂いた結果だ。ちなみに籠まで貰い物である。
なぜかを問えば答えは簡単、少女は神さまだからだ。
少女の名は『秋 穣子』という。この幻想郷に八百万の数いる神の中で、司るものは豊穣。そのため人々からの
信奉は篤く、特にこの時期であればそこここのお社の神よりもよほど人々から愛されている存在である。
そんな愛され女神さまは甘い甘い柿を片手にてくてくと歩いている・・・ようでその実足は宙に浮いていた。自分たちの
小さな社に飛んで帰ることもできるのだが、彼女はじっくり秋を楽しむ神さまであった。
先に社を穣子”たち”の、と表したように、その社にはもう一柱の神さまが祀られている。今は里の外れで待っている
その神さまに合流するための道を、穣子はふよふよと浮き進んでいるのだ。手にした柿が芯だけになったころ、
待たせたひとの影が見えてきた。
道祖神の祠の横にしゃがみこみ、草笛を吹いている少女。その真っ赤な服も髪飾りも紅葉をモチーフとしており、
まさに彼女こそ紅葉を司る神にして、穣子の姉『秋 静葉』である。妹から漂う秋の実りの香りに、草笛から口を離した。
「ごめんね、お姉ちゃん。待った?」
その言葉にううん、と首を横に振る静葉。
「じゃあ、帰ろっか」
こくりと頷いた姉とともに、秋の空へと身を翻す。高い空が二つの影を包み込んでいった。
秋の神のためのお社が二人の住居だ。ただ人々は豊穣の神様のためのお社と呼ぶことが多い。二人にとっては
小さいながらも楽しい我が家、といったところだろう。
「いただきまーす」
いただきます、と手を合わせて二人の夕餉。今日の当番は静葉でメインは栗の炊き込みご飯。ふんわりとした
香りが食卓に広がった。箸ですくい、口の中に放り込むとしっかりと白米にも味が移って全体に甘い甘い味がした。
「おいしいよ、お姉ちゃん!」
こぼれ落ちそうな笑みを浮かべる穣子。それを受けて対面に座る静葉は名前の通り静かな、しかし優しげな
笑みを返した。贅沢ではないけれどあったかい食卓に、姉妹の会話が弾む。といっても穣子が一方的に喋り、静葉が
頷き返事をするといった形だが、彼女達にはそれが自然なのである。
今日の話題は里での次の収穫祭。
「ちょうど一週間後にあるってことだけど、お姉ちゃんも行くよね?」
姉の箸が止まった。妹の言葉にじっと動かなくなり、かろうじて視線だけが向けられる。静葉は寂しさと終焉の
象徴でもある。その眼に象徴そのままのような感情が見え隠れしていた。それに気付いた穣子が息を呑むのと
同じくして、静葉の瞳が閉じられた。
静葉がこくりと小さく頷く。それで穣子は
「・・・じゃあ、一緒に行こうね」
としか言えなくなってしまった。会話と一緒にご飯がなくなり、二人の夜が更けていく。
「じゃあ、ランプ消すね、お姉ちゃん」
うん、と小さな肯定の声。穣子がふぅと小さく息を吹きかけると、ランプの灯は身悶えするようにくねり、白い煙を
残して消えた。一瞬でお社が闇に染まり、窓からの月明かりだけが二人を照らす。
「・・・おやすみなさい」
同じ言葉が暗がりに小さく響いた。光が消え、部屋を支配するのは音。秋を謳歌する様々な虫たちの声が
聞こえる。どこかでリグルがタクトでも握っているのだろうか。しばらくしてそのコンサートに静葉の小さな寝息が混じる。
聞きながら穣子は眠れないでいた。闇に想うのは、愛しい愛しい姉のこと。
目をつぶれば二つの風景のぐるぐる巡り。明るい日の下での里の皆の笑顔と姉の寂しそうな表情。それは決して
交じり合うことはない。静葉は穣子の事を愛している。里の人々も穣子を愛している。だが、里の人が静葉の事を
愛しているという話は聞かない。ほとんどの人間は静葉を穣子の姉神であるとしか知らないし、紅葉を司る神と
知っていたとしても、反応は穣子に対してのものと比べようにならないほど冷淡だ。しかしそれもわからない話ではない。
人間というものはわかりやすく恩恵を与えてくれる存在を殊の他ありがたがる。穣子自身がその最もたるものだ。
豊穣の神という事だけで人々は彼女を敬い奉る。毎年の収穫祭に呼ばれるのも彼女の恩恵を願うからであり、
昼のような奉納物も感謝の念で贈られたものだ。更に言うなら彼女の機嫌を損ねないようにと願う畏怖の念も
少々あるだろう。
だが、秋に紅葉が深まったとて、人々はその美しさを感じ入りはするがしょせんそこまでしか思わない。ゆえに人々は
静葉を見てもどうも思わない。・・・穣子にはその事がどうにも歯がゆくてたまらないでいる。静葉の力こそが、この
里のサイクルを支えているというのに。
穣子が田畑の稲や苗に、来る実りの時に向かってよく育てと声をかければ豊穣が約束される。それと同じように
静葉も、山に入り、秋が来たよと木々に語ればその葉は万色を織り成していく。お互いが植物に対して働きかけを
行う力があるのだが、もし仮にその力を使うのをやめたらどうなるか。
穣子の場合、ただ単に豊穣が約束されないだけだ。人々が実りに向かってたゆまぬ努力を惜しむことなければ、
多少の凶作でも乗り切れるだろう。静葉の場合はどうだろうか。紅葉が来なくなる、つまり木々は葉を落とさず
青々としたままの姿を続けることになる。それが静かな滅びを引き起こすことを、多くの人々は知らない。
木々が紅葉するのは、来たる冬への備えだ。秋になったことを知り冬を乗り切る力を溜める樹もあるし、葉を落とし
土に返して養分とすることで生き残りの道を選ぶ樹もある。静葉がそれらを知らせずに、紅葉なく冬となり雪が
降れば、木々は青い葉のまま驚きのうちに弱り果て、死ぬこととなるだろう。
木々が死ねば、当然山が死ぬ。山が死ねばそこから流れ出す川が死ぬ。川が死ねばその水で生活する生物達の
命にかかわってくるだろう。その生物には当然里の人々が含まれている。その命全てを背負って、田畑よりも遥かに
広い範囲の山々全てに紅葉を告げるために静葉という神は存在しているのだ。そのことを、人々は知らない。
知らないまま穣子のおまけとして、静葉を見ている。
穣子は夕餉の姉の様子を思い出す。きっと姉だってもっと人々と触れ合いたいのだ。しかし穣子自身と違い、
人々からの敬愛を向けられないのを知って身を引いているのだろう。穣子にはそれがたまらなく辛かった。
その夜はそんな思いを深めながら、穣子もいつしか眠りの中へと落ちていった。
静葉が目を閉じて楓の幹に手を当て呟く。秋が来たよ、と。その言葉に楓は風に葉を躍らせ、一葉を赤く染めあげた。
いい子、と優しげにその幹を撫でて、次の樹へと向かっていく。そんな姉の背をじっと見つめる穣子。煩悶の夜から
すでに四日も経っている。秋の深まりと共に、穣子は心の苦しみも深まっているような気に捕らわれていた。
彼女らの名を冠したこの季節に、真に忙しいのは姉神のほう。実りを祝うだけの穣子は暇があればいつもこうして
姉の側にいる。いとおしげに木々に向かい、真摯に自らの仕事をし続ける姉の姿を見れば見るほど、狂おしい
切なさに穣子の胸は締め付けられるようだ。姉がいくら真面目に神としての仕事を全うしても、誰も賛辞を贈ることも
なければ畏怖を抱くこともない。それでも姉は、里の命を背負って静かに、そして真っ直ぐに使命を果たし続ける。
だからこそ、辛い。
山一つを一日かけて紅葉に染めて、静葉は小さく息を吐く。己の能力を総動員しているのだから疲れないわけがない。
「お姉ちゃん?」
心配する穣子の声に、大丈夫、と小さな返事。夏でもないのに頬を汗が伝い、穣子に振り向けば疲れ混じりの
微笑みと、帰ろ、と穣子にしか聞こえない声。それで穣子の心の堰は、抑えきれない姉への思いで決壊してしまう。
家路につく空へと向かおうとした姉の背に、ついに
「・・・静葉お姉ちゃん!」
思いは大きな呼び声となって溢れてしまった。きょとんとした表情で穣子に向き直る静葉。穣子はそれと対照的な、
今にも泣きそうな表情である。
「・・・お姉ちゃん、私、もう我慢できないよ・・・」
一つ一つの言葉を喉の奥から搾り出すように、涙目の穣子。妹のこの表情の理由が解らないのと、こんな悲しそうな
姿を最後に見たのがいつか覚えてないほどだから、静葉もどうしていいかわからず困り果てる。困り果てて、
ともかく妹の言葉に耳を傾けようと思った。そして弾ける穣子の声。
「お姉ちゃんが! お姉ちゃんが里の人の賞賛を受けるべきだわ! いつもいつもいつもいつも私にだけ・・・私ばっかり
愛されても・・・、全然・・・嬉しくない・・・。だ、だからお姉ちゃん、今から里に行こ! 行って・・・お姉ちゃんこそ
里の皆を守ってるんだって言おう! そうすれば・・・」
「いいのよ、穣子」
優しく、しっかりとした静葉の声。今度は穣子がきょとんとする番だった。姉の顔にはいつも以上に優しい笑みがある。
「いいの。私はそんな事しなくても、十分幸せ」
なにが幸せなんだろう。穣子にはわからない。そんな愛しい妹の、悲しみと驚きと惑いを等しくした様に、くすりと笑う
静葉。
「悩んでたのね、穣子。けど、もういいのよ」
「・・・どうして?」
「あなたに里の人からの祝福があるように、私には、ほら」
そう言うと静葉は、両の手を天に掲げた。 それが合図とばかりに、辺り全ての木々たちがいっせいに、赤、黄、茶、
温かい色々の紅葉を雨のように降らす。期を見計らったように吹いた涼しい秋風がそれらを静葉の周りに舞わす。
自らもくるりと優雅にターンを一度決め、
「・・・木々たちの、山の祝福があるから。私は幸せよ」
万葉の影から、笑顔で告げた。その声と表情を見て穣子は悟る。姉の幸せで満たされた心と、もう悩む必要が
なくなったことを。
穣子は泣き笑いの表情で姉を抱きしめ、静葉はそんな妹の頭を優しく撫でた。
Sisters-Compeer.”対等の-姉妹”。
たとえ祝福する相手が違っても、彼女達は等しく秋を司る神である。今日からは穣子は秋の実りを姉に遠慮なく
自慢するだろう。今日からは静葉も紅葉の舞を穣子に見せつけるだろう。収穫祭には二人して行き、心の底から
楽しんでやると二人して思う。そして等しく、愛のこもった笑みで秋を美しく彩るのだ。
「姉神さまのことだけれどな」
「おぉ、穣子さまの姉神さま」
「静葉さまのことだけれどもな。おいらはむかぁし、山の中で出会ったことがあるんだ」
「ほぉ、それで?」
「幼い心でもそりゃぁべっぴんさんだと思うてな。けどそれより驚いたのは、静葉さまが木に手をかざすとな、それまで
青々としてた葉がいっぺんに赤く染まって」
「ほぉ、そりゃすごい」
「それで、おいらを見てにっこりと笑ったんだなぁ」
「でも、それだけだろう?」
「・・・いんや。それから先、おいらが秋の山に入るときに、晴れてて欲しいと思えばお天道様が出て、雨が降って
欲しいと願えば雨が降る。ありゃぁきっと静葉さまのお力なんだろうなぁ」
「そりゃぁすごいな」
「あぁ、だからうちらは幸せだよ。すばらしい神さま二人がすぐ側にいらっしゃるんだからなぁ」
「ありがたやありがたや」
「ありがたやありがたや」
……悪ふざけはこのくらいにして(ぉ
大事なことほど目に見えにくい。感服いたしました。
情景描写もすばらしかった。思わず眼が湿ってしまいました!想像の礎があるとやはり違いますなぁ……。
クライマックスで静葉が初めて『声』を発した時、作者氏の意図に
気付いて感嘆しましたよ。
ただ、そのパートにおいてのみ彼女が普通に喋っていることが、
それまで無口を貫いてきた効果を薄れさせている気がします。
話せるのなら最初からそうすればいいのに、と意地悪なツッコミを
思いつきましたしw
「私はそんな事しなくても、十分幸せ」
の一言だけを言わせて、あとは地文で意思を伝える形式に戻せば、
より静葉のキャラが引き立ったのではないでしょうか?
ともかく、良いお話をご馳走様でした。
> 静葉ねぇにはセリフを地の分でがんばってもらいました。
「地の文」では?
幻想郷一の神様さ!
作者さんありがとうありがとう作者さん。
秋返せー!!
ところでお姉さんキャラって以外といたりするもんだ。
・大ちゃん
・レティ
・スッパテンコー
・衣子
静葉を最後のほうまで地の文だけでいっていたのも静葉の魅力を引き出していたと思います。
穣子も姉を想う心が素敵でした。
読んでいると静葉の秋を告げる仕事をしている風景と、穣子のそんな姉を見ている風景が
頭の中に出てくるほどでした。
素敵な作品でした。 面白かったです!
と、まあ戯れ言はこのくらいにして…
秋姉妹中心のSSは初めて読みましたが…面白かったです。解りやすい描写で情景が頭の中にありありと思い浮かべることが出来ましたし
あと落ちの爺さんがGJすぎました(笑)
>可笑しな考えのせいで落ち葉焚きができなくなりました
この可笑しな考えというのは、二酸化炭素だかダイオキシンだかがどうのこうのってやつね
静葉姉の新しいアプローチになりました
ここにまたよいSSが加わったことをうれしく思います。
いいねー。
山の木々に救われた。オチでもっと救われた。その後にタイトルをみるとwww
良い意味で
とても爽やかなSSです。
文章は読みやすく、中弛みもせずにすっきりと読みきる事が出来ました。
絶対にコメディだと思ったのにw
しかしこんな騙しなら幾らでもあって欲しい
綺麗な作品で読んでて更に申し訳なさがあふれてきてしまった。
秋姉妹良いよ秋姉妹
たぶん誤字 あと書きの「地の分でがんばってもらいました」
あんまりこの姉妹のSS書いてる人が少ないからか感慨もひとしおです
実のところ結構俺設定全開のところもあるんですけど、それでも静葉ねぇは、静葉ねぇはうわぁぁぁぁ
・・・失礼、取り乱しました。
・静葉を魅力的に書こうと思ったら穣子までなんかいい感じになりました。要約すると、この姉妹最高。
・最後まで喋らせない・・・というのも手だと思ったんですが、それはねぇ(w
・タイトルは・・・実のところというとシスターコンペアの略ではありますが、しかしシスターズ・コンプレックスでも話の
意味合い的には間違ってないかも、とは。
・秋姉妹の話にハズレなし、って結構昔から言われてますんで、自分が泥を塗るわけにはいかずハァハァしました。
結構タイトルで釣ってしまった気もしますが、しかし、読んで下さって感謝ひとしおです。それでは、また。
ちゃんと見てくれてますねぇ。
紅葉が舞い散る様子が、目の前に見えるような文章が大好きです。
一作家としても、非常に参考になりました。ありがとうございます。
白さん、あなたのジャスティスよくわかります。
いいですねぇ大人な静葉。クールですねぇ。
最後には村人も静葉姉のことを想ってくれたのがすごくホッとしました。
やはり秋姉妹の話はとてもノスタルジックでいいですね。普遍的で、とても情緒のある物語でした。面白かったです。