オリキャラ主人公の、嫌な話です。
苦手な人はご注意ください。
先生に手紙を書こうと思った。
先生には、話したいことが多すぎる。
おそらくは、会って話したところで、私の思いを―――私たちの思いを―――正しく伝えることはできないだろう。
だから、手紙だ。
そう考え、筆をとったものの……。
『拝啓、長雨の候……』
まず、時節のあいさつに迷う。
……いや。
本当は、何から書けば良いのか迷っているのだ。
「先生への手紙」
先生は、私達夫婦の恩人であった。
実質的な仲人と言っても良い。
先生がいなければ、しがない農家の三男坊であった私は、妻と結婚することはなかっただろう。
妻は、守矢神社の巫女であった。
正しくは、風祝という。
当時の妻は、信仰の礎たらんと使命感に燃えているところがあった。
その思いは、おそらくは正しいものであったのだろうが、当時の私、そして私の周囲の人間から見れば、やはりそれは異質なものだった。
当時から妻は美しかったが、なおのことそれが妻の異質性を際立たせていた。
私も、周囲の人間も、彼女を遠巻きに眺めるばかりであったのだ。
そんな彼女を、私に直接引き合わせてくれたのが、他ならぬ先生であった。
先生の意図としては、浮世離れした彼女の感覚を、良い方向に修正できれば、と考えてのことであったらしい。
だから正確に言えば、引き合わされたのは私だけではない。
周囲の同年代の人間が、彼女を紹介された。
先生の意図したとおり、彼らは彼女の良き友人となった。
だが一つ、先生の意図せぬ誤算があり、それは紹介された人間のうちただ一人私が、彼女に激しく恋をしたことであった。
一人の人間として私の目の前に現れた彼女は、ころころと表情の良く変わる、とても愛らしい少女であった。
それでいて、その生まれが強いた使命を微塵も疑わぬ、儚げな少女であった。
そうして、私とは違う世界を感じる、遠い少女でもあった。
結局、妻の何が当時の私をそんなにも惹きつけたのか、今もって分からない。
恋とはそのようなものなのかもしれない。
分からないと言えば、恋に落ちた当時の私の行動力も、今の私からすれば我ながら分からない。
もともと私はどちらかと言えばおとなしい性質であり、色恋沙汰にもさほど興味を持てない人間であったのだ。
それが彼女を見初めてからというもの、数え切れない恋文を認め、機会を見つけては足繁く彼女の元へ通った。
幾度も失敗と挫折を重ねたが、その時の私のヴァイタリティは、自分でも信じられないほどであった。
彼女の反応に一喜一憂し、周囲の助言や忠告にも耳を貸さず、ただひたすら己の熱情に従い―――。
つまるところ、私は「押しの一手」により、彼女を娶ることに成功したようなものだった。
妻の家柄は特殊に過ぎたこともあり、決して万人から祝福された結婚ではなかった。
ただ、先生は、とても喜んでくれた。
私たち二人の前途を、祈ってくれた。
私は先生の期待を裏切らぬよう、そうして何より、妻を幸せに出来るよう、懸命に良き伴侶たらんと努力した。
婿養子として妻の家に入った私は、守矢神社の宮司として勤めを果たす必要があり、これも必死に勉強した。
そして、存分に妻を愛した。
妻は結婚当初、幸せであってくれた、と思う。
だが、そのうち私たちの間に、ある懸念が生まれた
それは、二人の間になかなか子供ができなかったことである。
ともすれば、己より風祝の家系を重んじがちな妻にとって、子供ができない、ということはひどくつらいことであったのだ。
そうして妻の心労は、すなわち私の心労であり、いつしか二人の生活には影が差すようになっていった。
私たちは子供を作るために、あらゆる手段を講じ、そうしてそのための努力をした。
最初はなかなか結果に結びつかなかった。
あせりは苛立ちを呼び、互いが責任を己に帰するものと考え、互いがそれを根拠も無く否定しあう、不毛な日々が続いた。
私たち夫婦の関係は、次第に磨耗していった。
それだけに、妻が懐妊したときは本当に嬉しかった。
その時の妻は、既に出産には少なからぬ危険を伴う年齢となっていたが、私も妻もその危険性を一も二もなく引き受けた。
妻は私以上の喜びようで、日々大きくなるお腹をさすりながら、まだ見ぬ我が子についてあれこれ私と語りあった。
私も、これで全ての問題が解決すると思った。
結婚当初の楽しい日々が、再び帰ってくると信じていたのだ。
結局、死産であった。
妻の命に別状はなかったものの、彼女の身体と心には取り返しのつかない大きな傷が残された。
胎児の死と、もはや子供の産めない体となったことを知らされた妻の絶望は、いかばかりであったことか。
私はこの出来事を通して、自分の弱さを思い知ることになる。
真につらいのは妻であったはずなのに、私は悲しみの深さに耐え切れなかった。
当初は身も世も無く泣き喚いた。
そうして、人を遠ざけ幾日も酒に溺れた。
本来ならば、私こそが妻を励まし、その支えにならなければならないのにも関わらず。
だから、立ち直ったのは妻のほうが先だった。
後になって知ったことだが、そこには妻の友人や、先生の尽力があったらしい。
そうしておそらくは、信仰者としての妻の強さが、彼女を土壇場で支えたのだろう。
まったく情けない限りの話だが、私は妻に励まされ、そして引きずられるようにして、何年もかけてゆっくりと回復していった。
そうしてようやく今に至って、周囲を省みることができるようになった。
ここに至るまで、十数年かかったことになる。
結局は、時間こそが私を、そして妻を癒すことの出来る唯一のものであったのだ。
―――先日、妻が子犬を連れて帰ってきた。
何でも、先生に「ペットでも飼ったらどうか」と薦められたらしい。
妻はこの子犬を、それはもう大層に可愛がっている。
私はこの時、先生が私たちのことを、ずっと見守っていてくれたことに気が付いた。
先生は、私たちが傷を受け入れないことには、私たちの真の回復はありえないことを知っていたのだ。
「受け入れる」……私たちにとって、それはすなわち諦めることであった。
生まれるはずであった子供を。
先生には伝えなければならない。
私たちが、傷を受け入れたことを。
私たちが諦めと共に、第二の人生を歩み始めることを決意したことを。
そのための、手紙を書かなければならない。
犬の名前は「サナエ」と言う。
それは、かつて生まれてくるはずだった娘に、名付けようと二人で決めていた名前であった。
私たちは、確かに諦めたのだ。
苦手な人はご注意ください。
先生に手紙を書こうと思った。
先生には、話したいことが多すぎる。
おそらくは、会って話したところで、私の思いを―――私たちの思いを―――正しく伝えることはできないだろう。
だから、手紙だ。
そう考え、筆をとったものの……。
『拝啓、長雨の候……』
まず、時節のあいさつに迷う。
……いや。
本当は、何から書けば良いのか迷っているのだ。
「先生への手紙」
先生は、私達夫婦の恩人であった。
実質的な仲人と言っても良い。
先生がいなければ、しがない農家の三男坊であった私は、妻と結婚することはなかっただろう。
妻は、守矢神社の巫女であった。
正しくは、風祝という。
当時の妻は、信仰の礎たらんと使命感に燃えているところがあった。
その思いは、おそらくは正しいものであったのだろうが、当時の私、そして私の周囲の人間から見れば、やはりそれは異質なものだった。
当時から妻は美しかったが、なおのことそれが妻の異質性を際立たせていた。
私も、周囲の人間も、彼女を遠巻きに眺めるばかりであったのだ。
そんな彼女を、私に直接引き合わせてくれたのが、他ならぬ先生であった。
先生の意図としては、浮世離れした彼女の感覚を、良い方向に修正できれば、と考えてのことであったらしい。
だから正確に言えば、引き合わされたのは私だけではない。
周囲の同年代の人間が、彼女を紹介された。
先生の意図したとおり、彼らは彼女の良き友人となった。
だが一つ、先生の意図せぬ誤算があり、それは紹介された人間のうちただ一人私が、彼女に激しく恋をしたことであった。
一人の人間として私の目の前に現れた彼女は、ころころと表情の良く変わる、とても愛らしい少女であった。
それでいて、その生まれが強いた使命を微塵も疑わぬ、儚げな少女であった。
そうして、私とは違う世界を感じる、遠い少女でもあった。
結局、妻の何が当時の私をそんなにも惹きつけたのか、今もって分からない。
恋とはそのようなものなのかもしれない。
分からないと言えば、恋に落ちた当時の私の行動力も、今の私からすれば我ながら分からない。
もともと私はどちらかと言えばおとなしい性質であり、色恋沙汰にもさほど興味を持てない人間であったのだ。
それが彼女を見初めてからというもの、数え切れない恋文を認め、機会を見つけては足繁く彼女の元へ通った。
幾度も失敗と挫折を重ねたが、その時の私のヴァイタリティは、自分でも信じられないほどであった。
彼女の反応に一喜一憂し、周囲の助言や忠告にも耳を貸さず、ただひたすら己の熱情に従い―――。
つまるところ、私は「押しの一手」により、彼女を娶ることに成功したようなものだった。
妻の家柄は特殊に過ぎたこともあり、決して万人から祝福された結婚ではなかった。
ただ、先生は、とても喜んでくれた。
私たち二人の前途を、祈ってくれた。
私は先生の期待を裏切らぬよう、そうして何より、妻を幸せに出来るよう、懸命に良き伴侶たらんと努力した。
婿養子として妻の家に入った私は、守矢神社の宮司として勤めを果たす必要があり、これも必死に勉強した。
そして、存分に妻を愛した。
妻は結婚当初、幸せであってくれた、と思う。
だが、そのうち私たちの間に、ある懸念が生まれた
それは、二人の間になかなか子供ができなかったことである。
ともすれば、己より風祝の家系を重んじがちな妻にとって、子供ができない、ということはひどくつらいことであったのだ。
そうして妻の心労は、すなわち私の心労であり、いつしか二人の生活には影が差すようになっていった。
私たちは子供を作るために、あらゆる手段を講じ、そうしてそのための努力をした。
最初はなかなか結果に結びつかなかった。
あせりは苛立ちを呼び、互いが責任を己に帰するものと考え、互いがそれを根拠も無く否定しあう、不毛な日々が続いた。
私たち夫婦の関係は、次第に磨耗していった。
それだけに、妻が懐妊したときは本当に嬉しかった。
その時の妻は、既に出産には少なからぬ危険を伴う年齢となっていたが、私も妻もその危険性を一も二もなく引き受けた。
妻は私以上の喜びようで、日々大きくなるお腹をさすりながら、まだ見ぬ我が子についてあれこれ私と語りあった。
私も、これで全ての問題が解決すると思った。
結婚当初の楽しい日々が、再び帰ってくると信じていたのだ。
結局、死産であった。
妻の命に別状はなかったものの、彼女の身体と心には取り返しのつかない大きな傷が残された。
胎児の死と、もはや子供の産めない体となったことを知らされた妻の絶望は、いかばかりであったことか。
私はこの出来事を通して、自分の弱さを思い知ることになる。
真につらいのは妻であったはずなのに、私は悲しみの深さに耐え切れなかった。
当初は身も世も無く泣き喚いた。
そうして、人を遠ざけ幾日も酒に溺れた。
本来ならば、私こそが妻を励まし、その支えにならなければならないのにも関わらず。
だから、立ち直ったのは妻のほうが先だった。
後になって知ったことだが、そこには妻の友人や、先生の尽力があったらしい。
そうしておそらくは、信仰者としての妻の強さが、彼女を土壇場で支えたのだろう。
まったく情けない限りの話だが、私は妻に励まされ、そして引きずられるようにして、何年もかけてゆっくりと回復していった。
そうしてようやく今に至って、周囲を省みることができるようになった。
ここに至るまで、十数年かかったことになる。
結局は、時間こそが私を、そして妻を癒すことの出来る唯一のものであったのだ。
―――先日、妻が子犬を連れて帰ってきた。
何でも、先生に「ペットでも飼ったらどうか」と薦められたらしい。
妻はこの子犬を、それはもう大層に可愛がっている。
私はこの時、先生が私たちのことを、ずっと見守っていてくれたことに気が付いた。
先生は、私たちが傷を受け入れないことには、私たちの真の回復はありえないことを知っていたのだ。
「受け入れる」……私たちにとって、それはすなわち諦めることであった。
生まれるはずであった子供を。
先生には伝えなければならない。
私たちが、傷を受け入れたことを。
私たちが諦めと共に、第二の人生を歩み始めることを決意したことを。
そのための、手紙を書かなければならない。
犬の名前は「サナエ」と言う。
それは、かつて生まれてくるはずだった娘に、名付けようと二人で決めていた名前であった。
私たちは、確かに諦めたのだ。
ところで分かりにくかったというか、この話の「妻」は早苗?それとも早苗の母の話?
とり方によってはどっちにも見えるなあ。
早苗さんは本当は生まれてくることが出来ずに幻想になった、という話?
理解できていないけれど、面白かったです。
騙されたぜ。
死産で幻想入りって発想はなかった…
でもそうすると少し現代の知識があるっていう矛盾があるけど…両親の愛がそれを回避してるんですね、わかります。
御柱二人が幻想入り真の理由がこのままでは早苗さんが独りになってしまうから……とかだと考えてしまって更に泣いた。
つまり死して神に成り得たって事ですね。自己完結しときます
でも、そんな事はどうでもいいんでしょう。
よかったです。
子宝に恵まれなかったのは巫女の子どもが必要とされなかったからですかね?
もうちょっと具体的な先生の得体の知れなさみたいなのがあるとよかったかも?
理解するのに少々時間が掛かったが
「なるほど」と思った。
現実と幻想の辻褄合わせって言う発想はすごいと思います。