ずいぶんと静かな世界でした。
けっこう寒くって私は脚だとか羽根だとかが、かじかんでしまっています。
真昼間の、お天道様が幅を利かせていらっしゃるような時分にはまだそれでもマシなのですが、そのお天道様がどこかにお隠れになって代わりにお月様が顔をのぞかせるとなると、これが一気に寒くなる――そんな頃合いのようです。地面の下にいたころ仲間たちから聞いていたのとは、ずいぶんと感じが違っているようです。
「あなたもさあ、なんていうかその、間が悪いよねえ」
前を歩く女の子がそう言いました。
女の子はリグルさんというのだそうです。
奇麗な子です。葉っぱみたいな緑の髪をしておりまして、私あまりものごとの美醜なんかは分からないクチなのですが、それでも彼女のことは美しいなあと思ったのです。
でもどうして貴女はそんな寂しそうな顔で笑うのでしょうか? 私にはそれがとうと分からないのです。
ちっぽけな私に分かることなどたかが知れているのでしょうが、それでも貴女はもっと明るい顔をしている方が似合うと思うのですよ。
「ああ、ごめん。ちょっとばかりね、考え事をしていたの」
もう一度、彼女は笑いました。
今度は陰りのない普通の笑顔でしたので、ああよかったと私は安堵しました。
「いっしょに来る?」
そう言われました。
そういえばこの辺りには私の仲間もいないようですし、またこれといってやることもありませんでしたから、私は言われたとおり彼女についていくことにしたのでした。それにもう少し彼女といっしょにいたいとも思いましたので。
最初に行き着いたのは太陽の畑というところでした。
あたり一面向日葵さんだらけで、まるで金色の湖のようです。向日葵さんて私ははじめて見たのですが、いいものですね。眩しいですし、目がくらみますけども。
リグルさんはその向日葵さんらの間を縫って歩いていきます。
それにしてもどうして皆さん揃いも揃ってこちらを向いているのでしょうか? ひょっとして私、なにか粗相をしてしまいましたでしょうか?
「花っていうのは太陽の方を向くものなの。別に私たちを見ているんじゃなくて、偶さか私たちの方に太陽があったというだけだよ」
そういうものなのでしょうか。
言われて振り返ってみましたら、確かに向日葵さん方はこっちなんか見てはいませんでした。と言いますか、むしろそっぽを向いています。
向日葵さんらはどことなく姿かたちがお天道様に似ています。
もしかしたらお天道様の親戚か何かなのではないでしょうか? だからお天道様の方ばかりを見ている――そう言いましたらリグルさん、可笑しそうに笑いました。
「なんか幽香が言いそう、そのセリフ」
ゆうか、というのは誰なのでしょうか?
「『実は向日葵というのは太陽の子どもなのです。だからこうして親たる太陽の方を向こうとするのですよ』……あははっ、言いそう。幽香ってのはね、ここの辺りに住んでるこわ~い」
「妖怪、ですわ」
「そうそう、妖怪――へ?」
「ふふふ、面白い物真似よねえ。もう一度やって下さるかしら?」
いつの間にやらリグルさんの後ろに立ちはだかっていたのは、リグルさんとおんなじような髪の色をした女性でした。手には何やら白い花のような形をした道具を持っております。
「ひぇぇ」
リグルさん素っ頓狂な声を上げます。まあ仕方がないかとも思います。
と言いますのも、現れた女性はこれが見るからにいじめっ子然としておりまして、獲物を見つけたと言わんばかりの素敵な笑顔を浮かべていらして――対するリグルさんはこれがどうにもそういう方に好かれそうな雰囲気をぷんぷんと醸し出しているのです。噛み合わせは良いですが、相性はとても悪そうなのです。
「逃げろ~!」
リグルさん、私を連れて一目散に飛んでいきました。
◇
「今年は遅刻者が出たのね……」
飛び去っていく虫の王を見送りながら風見幽香はそう呟いた。
その周りではつい先ほどまで鮮やかな黄金色を見せていた向日葵たちが、みるみる内に萎れていく。
「あれが最後の一匹か」
◇
無数に木々の連なった山は緑で覆われておりまして、なんとも爽やかで、鮮やかで、生命力とでもいうのでしょうか、そういうようなものを感じさせるのです。そういえばリグルさんの髪も同じ色なのです。
夏というのは良いものですね。
これでもっと暖かければ言うことはなかったのですが……昨日まではまだそこそこ暖かくもあったのですが、今日はとても寒くて、昼間っから震えてばかりいます。
己にとって己の体が自由でないというのは、結構もどかしいものがあります。文句を言ってみたところでせんのないことですが、できることならば自在でありたかった――そう思います。
「あなたは歌わないの?」
仲間と出会いましたら歌いますよ。
私、こう見えてなかなか空気が読める奴なのです。仲間が見つかるまでは見境なく歌を歌ったりはいたしません。
それにどうにも寒くって、あまり良い声が出せそうにないのですよ。歌になりえない、できそこないの声など貴女に聞かせたくはないのです。
「そう……でも私は聞きたいわ」
またしてもリグルさんは悲しそうな目をして笑いました。
ひょっとして、私のせいなのでしょうか? もしそうなら理由を言って下されば――
「そろそろ、かしら? 今年はまた随分と遅れたのね」
穏やかな、けれどもどうにも良く通る感じの声がしました。なぜでしょうか、私はほんの一瞬ですがこの山自体が声を発したような気がしたのです。
薄ら緑色の服を着た女性が、樹陰の中を歩いて参ります。
辺りに溶け込むような色合いのその服は、なんだが変わったデザインをしています。どうやら木の葉を模してつくられたもののようなのですが――ひょっとすると本当に葉っぱをつなぎ合わせて出来た服なのかもしれません。私の眼では判然としないのですが。
「静葉さん……」
絞り出すかのように、リグルさんが女性の名を呼びました。
それにしても――どんどん寒くなっていきます……
◇
人里の、中央広場付近に設けられた物見櫓――上白沢慧音は寺子屋の生徒たちを連れてその櫓の上に登っていた。
「そろそろでしょうか? 穣子様」
慧音が隣にいる少女に話しかける。
「たぶんね。お姉ちゃんたら、あんまりアピールとかしないから……だもんで私が宣伝しなきゃいけなくなるのよね」
少女――秋穣子はため息交じりでそう答えた。
子どもたちはといえば、やや待ちくたびれたのか少し漫ろな様子である。
「延期は三年ぶり、でしたか?」
外の世界では気候の変動等に伴って、秋という季節が消えつつあるのだという。
そしてその分だけ幻想郷の秋は年々長く、深く、そして鮮やかになっている。
「ええ。今年は遅刻者がいるから」
幻想郷の秋の訪れ方には二つのパターンがある、
一つは外の世界と同じく、少しずつ少しずつ深まっていくというもの。これが通常の年のこと。
そしてもう一つが今年のような――『遅刻者』が出た場合のこと。
「遅刻者が出たなら、リグルの奴は……」
「あの子も不器用よね。もっと要領良く――どう足掻いてもどうにもならないことからは、目を背けてしまえば良いのに」
「あれはそういう――王ですから」
◇
寒いです。
体ががちがちと震えて、ちっとも言うことを聞きません。
夏というのは暖かなものであるのだと、土の下にいた頃には聞いていましたが――実際はこんなにも寒い季節だったのですね。
土中で七年を過ごしたあの仲間たち――顔も知らない彼ら彼女らもまた、この寒さを耐え忍んでいるのでしょうか。どおりで仲間の声がちっともしないわけです。こう寒くては、歌など歌えますまい。
ああ、目が霞む――どうも、もう長くはないようです。
なんだかあっという間でした。土の下にいる時間はあれほど長かったというのに、這い出てみれば一瞬でした。
世界はもっと賑々しく、暖かなものだとばかり――まったく違っていました。間違っていました。この場所は、とても、寂しい。
このような寂寞に出会うために、私は暗い土の中で七年耐えたのでしょうか?
その二千五百日ばかりの時間に意味はあったのでしょうか?
「……歌を聞かせて」
またしてもリグルさんは悲しそうな顔をしてそう言います。
無理です。すごく寒いのです。もう歌う余力など私には――
「少しでいいんだ。歌って」
歌と呼べるようなものは出ませんよ?
「構わない。ただ、声が聞きたいの」
分かりました、歌いましょう。
ただ一つ、お願いがあります。
「なに?」
悲しい顔は見たくないのです。
笑ってください。貴女はそっちの方が似合っているのです。
太陽のように、向日葵のように、明るく――
「……分かったよ」
そう言うとリグルさんは笑いました。
素敵な笑みでした。
ああ良かった、私の七年は無駄ではなかった――そう思いました。
そして私は、歌を――
◇
「始まった!」
櫓の上の子どもたちが歓声を上げる。
その視界の先では緑色をした山が、まるで染料でも流し込んだかのようにその色を変えていく。
黄色。朱色。そして山が血を流しているかのような、冴え冴えとした赤色。
山頂が染まり、山腹が染まり、裾野も同じように染まって、鮮やかで美しく、しかしどことなく悲しげな秋の極彩が広がっていく。
「山殺し、か」
慧音が呟く。
彩りは山の端を伝い、やがて他の山々へも伝播していく。
「山ごろし?」
子どもたちの一人がきょとんとした顔をした。
「冬に枯れた山の植物たちは、春にまた再生する――それは分かるな?」
確かめるように、諭すように、慧音が言う。
「しかし、だ。再生というからには、当然一回滅ばなければならないんだ。次の年の春に山が再生し、山が山として在り続けていくには――」
「山は一度死ななければならない。滅んで、生まれ変わらなければならない――そのシステムの内の滅びの方を司るのが、秋静葉。私の姉」
穣子はどことなく誇らしげにして、慧音の説明を引き継いだ。
そうこうしているうちに幻想郷のほとんどが紅葉の彩りに包まれて、外の世界では無くなりつつあるという秋の季節が訪れたのだった。
◇
先ほどまで緑に覆われていた山は、今は赤く染まっている。
役割を終えた秋静葉の服も、薄い緑から紅葉の色へと変化していた。
「ごめんね、虫の王」
そう言うと静葉は紅葉の内に溶けるようにして、その姿を消した。
後に残されたのは、濃緑色の髪をした蛍の少女。うつむいて、その身体を震わせている。
「聞いたから……」
頬を伝う一筋の涙。
「貴女の歌は、私がちゃんと聞いたから」
彼女の掌中には、つい先ほど短く一声歌って、そして散り果てた仲間の姿。
それは小さな一匹の、夏に遅刻してしまった蝉の亡骸だった。
本編ではすっげえ陽気なんだけどなあ。まあ冬がくると暗くなるというし、夏の時もシリアスいっぱいなのかもしれませんな
これは秋姉妹をさらに好きになる程度の能力を持った小説だ。
リグルの在り方も好きだなぁ。優しさをいっぱい感じた。
今までどっちかと言うと豊穣の方ばかりクローズアップされてきたけど、この見方は新鮮だ。
作者さんの自然への視点も、秋姉妹のとらえ方もリグルの王っぷりもみんないいです。
(同じ題材でこうまで違うかと枕で涙を濡らしてもいいですか(無理
今年は、遅刻した子は見ておりません。
作者様の願いが叶ったのでしょうか。
とても良いお話でした。
こういう雰囲気、大好きです。
良い話でした
静葉姉さんは冬寄りの秋。
何より、何より。
やさしいリグルが好きになりそうです。
蝉のキャラクターもユーモラスで面白く、それだけに物悲しかった。
そのせいもあってか、最後のリグル嬢に思わず感情移入してしまって辛いです。
リグルが優しくて、いいですね