ふみよむつきひ
「気が付いた?」
目を開けてみると、見知らぬ部屋の中で寝ていた。
自分の目の前にあるのが女性の顔だということに気付くのに、しばらく時間がかかった。
とっさに起き上がろうとして体を動かし、背中にずきっとした痛みを覚える。
「まだ動かない方がいい」
少年は痛みに顔をしかめながら、言われたとおり再び床に伏せった。
ぼやけていた視界がだんだんとくっきりしてくる。
彼は目をぱちくりとしばたいて、改めて目の前の女性の容姿を確認した。そして受けた驚きのために自分の目を疑う。
白く、どこまでも白く、この世のものとは思えないほどの美しくそして長い髪。
それが目の前のやはり淡雪のように白い肌の周りを飾っていた。
その肌の中心には、赤く輝く濡れた宝石のような瞳があった。
吸い込まれるような、透き通った、優しさと知性を称えた色が自分を見つめている。
青い色の着物に似た風変わりな衣装。エキゾチックな風体をしたその女性は少女と言ってよい若さの外見だ。
美しい少女だった。
いくつぐらいだろうかと少年は探る。外見の異彩さからか、年齢が簡単に予想できなかった。
「怪我をしていたから。一応は手当てをしたけど、完全に治るにはもうしばらく時間がかかる」
少年は床に伏せったまま、辺りを見回してみる。
少女の体の背景を確認する。畳敷きの広い部屋の中に居ることに気づいた。
十畳ほどの空間だ。自分はその部屋の中央に敷かれた布団に寝ている。
足元の方向を見ると床の間があって、書院造の違い棚が設けられている。その隣には掛け軸が飾られていた。
純和風の木造家屋の中。落ち付いた、しっとりとした雰囲気。
部屋の右手には障子戸があり、光の加減から朝か昼時であることが分かる。
室内が薄暗いのは灯りをつけていないせいだった。そもそも天井に電灯自体がなかった。
部屋の様子をおおざっぱに把握したあと、少年は自分がどこにいるのか聞こうと思った。
何度か口をぱくぱくとさせて予行演習してから、少年は声を発した。
「ここは?」
「ここは私の住みかだよ。沢で倒れていた君を拾ってから、三日になる」
「三日……僕はそんなに寝ていたんですか?」
少年はぼんやりとした様子でそう答える。
まだ夢の中にいるような心持ちがする。
「私の名前は上白沢慧音」
カミシラサワ、ケイネ。
頭の中で少女が言った単語を反復してみる。
ケイネさんか。
変わった名前だと彼は思った。
「君の名前は?」
「僕?」
そう言われて少年は頭の中を探り、やがて自分の名前が口に出せないことに気づいた。
一瞬真っ白になった。記憶喪失なんて小説や漫画の中だけの話だと思っていたので、気が動転して脳みそがかきまぜられたみたいな気分になる。
その後すぐに恐怖を感じて冷汗をかく。
自分がどこから来た何者なのか全く思い出せない。それは実際に体験してみると実に笑えない状況だった。
せめて名前だけでも思い出そうと考え、必死で頭をこねくり回して目的の単語を探そうとするが、全然うまくいかない。
「名前が思い出せない?」
慧音と名乗った女性に、少年はありのままを答えた。
「なるほど。そういう病気は聞いたことがある。……だけどまあ、一時的なものかもしれないね。
精神的に混乱していると、人間はそのときだけ記憶が欠落すると言う。少し落ち着くまで、ここでゆっくりしていきなさい」
柔らかい調子でそう言うと、少女は近くにあった木桶にかけていた手ぬぐいを取った。
それで少年の顔に付いた汗を拭きとっていく。
優しくゆっくりとした、柔らかい手使いが心地良い。
少年は夢見心地で自分の世話をしてくれている少女の様子を眺めていた。
所作のひとつひとつが整っていて綺麗だ。
一通り拭き終ると、彼女は木桶を持って立ち上がり、静かに部屋の隅へ歩いていく。
次の間に通じていたふすまを開けると、一度少年の寝ている方角へ振り向く。
「私は隣にいるから、何かあったら呼んでね」
少女はそう言った後、音もなくすっとふすまを閉じた。
少女の柔らかな態度と優しい声は、少年を安心させる効果があった。
落ち着いた気持ちになった少年は、疲れのためにまた眠った。
*
いくらか時間が過ぎて、少年は再び目を覚ました。
今度は先ほどより意識がしっかりしている。
起き上がってみる。体の痛みが嘘のように引いていた。
少年は布団から出て立ち上がる。
部屋の中が暗かったので、障子を開いて外を見てみることにした。
外はすぐ縁側になっていてその下には水路があり、透き通った綺麗な水が流れていた。
その先には手入れの行き届いた小さな庭があった。
こんもりと葉を着た植木と生垣で囲まれているために、周りの景色は見えなかったが、陽は既に傾いて空が夕暮れ色に染まっていた。
少年は縁側を歩き出した。
左右に延びる縁側は思ったより長く、自分のいる場所がかなりの大きさの屋敷であることが分かった。
そのまま縁側を歩いて屋敷をぐるっと回ると、玄関と思われる土間へ入った。
屋敷の奥の方へ目を向けると、長くて暗い廊下が続いていたが、人陰は見当たらなかった。
土間には靴が何足か置かれていた。その中に一足見覚えのあるものを見つけた。
他の記憶は思いだせないが、なぜかそれが自分の履いていた靴だということは分かった。
形やデザインも他の靴とは異なっている。
少年はその靴を履いて外へ出た。
玄関から続いている石畳を通って、屋敷の正面と思われる茅葺きの門をくぐる。
突然、目の中に見慣れない新鮮さが飛び込んできた。
視界の中一面を埋め尽くす蒼い草木の群れが見えた。
屋敷の前には舗装されていない土の道がずっと続いており、その傍らにはみずみずしく伸びた草花が茂っている。
また道の脇には小川があって、そこから続くせせらぎが、屋敷の隣に接した小さな小屋に備え付けられていた水車を回していた。
道の先を見ると水の張られた田んぼがすぐ近くの森まで続いており、遠い空には黒い山々の向こうに、橙色の夕焼けが空を焦がしている。
そこには手つかずの自然が広がっていた。
見るものが見れば、それが一昔前の、日本の片田舎の風景であることが分かっただろう。
少年は季節の感覚も忘れていたので、それがちょうど五月の若葉が芽吹く季節の、夕暮れの景色であるということも分からなかった。
少年はこういった景色を生で見たことがなかった。
彼にとってそれらは、全て映像や書籍の中でしか体験したことのない光景だった。
「起きれるようになったのだね」
声をかけられて、後ろを振り向く。
美しく小鳥の鳴き声のように澄んだ声。こういう声にはいくらか切ない気分にさせられる作用がある。少年も、弱く胸を締めつけられたような気分になった。
屋敷の玄関に先ほど慧音と名乗った少女が出てきていた。
「どうやら術が効いたみたいだね」
「術?」
慧音は少年の立っていた門の下まで歩いてくる。
「随分田舎だから、びっくりしたでしょう?」
「あ……いえ、そんなことはないです。とてもきれいな景色だから、驚きました」
「調子も良いようだから、しばらくあたりを散歩してみる?」
慧音は手を後ろ手に組んで、首を少し傾けながら、花の咲いたような微笑を浮かべてそう言った。
茶目っけがある。
少年はそれを見て思わず頬を赤らめた。
「うん?」
不思議そうに微笑みながら、慧音は少年の顔を覗きこんでくる。
ぶんぶんと首を縦に振り、高速でうなずく。
二人は屋敷の前の路地を歩きだした。
一緒に並んで歩いていると、少年はすぐに慧音を意識して心臓が高鳴った。
だけど慧音はどこ吹く風といった感じで、平静そうな顔をしている。
足取りは軽やかで颯爽としていて、まるで宙に浮きながら進んでいるみたいだ。
来ている蒼い服の模様や、頭に乗せた羽飾りから、少年は一匹の美しい孔雀の姿を連想した。
何にしても、例えるとしたらとても気高くて綺麗な生き物だろうと少年は続けて考える。
屋敷の周りは小川状の堀と、丁寧に手入れされた生垣に囲まれていた。
住んでいた建物の他にいくつかの棟があったが、それらは現在使用していないと慧音が説明した。
「ここには、他に誰か住んでいないのですか?」
「随分昔から、私一人で暮らしてる」
慧音はぽつりとそれだけ言った。
不思議に思って少年は続けて聞いてみる。
「ここは一体……ここは僕の知っている時代とは随分違うような気がします。何と言うのでしょうか。文明の水準が随分昔の……」
「君は歳の割に利発だね」
そう言った慧音はまっすぐに少年の顔をのぞきこんでくる。
ほめられたようだったし、また見つめられたので気恥しく、少年は自分の顔が火照って熱くなるのを感じた。
外見は自分より少し年上の、とびきり美しい少女だ。
少年はすぐに慧音に好意を抱くようになった。同時に好奇心も湧いてきた。彼女は一体どういう人間何だろうか、
「ここは一種の隠し里のようなものなんだ。時代から隔離された。明治期に外の世界から切り離された場所だったんだ」
「そんな場所が……」
「俄には信じがたい話だと思うよ。まるで……そうだね。君たちの世界の、小説や漫画に出てくるようなお話だからね」
「いえ、信じられるような気がします。この里、どこか他の場所とは違う雰囲気が……と言っても、僕の知っている……思い出せる限りの場所と比べてなんですけど。なんていうかその、まるで時が止まってしまっているみたいな印象を受けました」
「ここはその昔マヨイガと呼ばれていた場所。今はもとの主はいなくなって、私が管理をしていたのだけどね。ここの主とは知り会いだったんだ」
「その人はどこへ行ったんですか?」
そう聞くと、慧音は黙りこくった。
しばらくして歩みを止めて立ち止まり、
「遠い旅に出た」
無表情のままポツリと言う。
「旅……。慧音さんはその人の帰りを?」
「ああ、待っているんだよ。私たち妖怪は人とは違って長生きするから。いつまででも待つことができる」
「え……今何と」
慧音がふと漏らした単語に、少年は反応した。
ヨウカイ……? 確かにそう言った。
日常生活では余り聞き覚えのない、昔のお伽話に出てくるような単語だ。
「ふむ。妖怪を見るのは初めて?」
「えっと……ごめんなさい、よくわかりません」
「冗談で言っているわけではないんだよ。大昔の日本には、ちゃんと妖怪が住んでいたんだ。私はその生き残り、だね。君も雪女や座敷童子の話は聞いたことがあるでしょう? それとも、外の世界はそういう話でさえも語り継がなくなってしまったのかしら?」
「いえ、それは聞いたことがありますが……」
「隠し里に、そこに住んでいる妖怪。まあ、突拍子もないからねえ。信じられないのも無理はないか。その成り行きについてもおいおい……」
その時足元でにゃあ、という鳴き声がした。
「あ、猫」
道の脇の草むらから黒い塊が飛び出してきた。もこもことした毛をまとった小さな黒猫だった。
頭には磯巾着みたいな形の帽子をかぶっている。
「やあ橙。そういえばお前がいたね。おいで」
慧音がしゃがんで両手を差し出すと、黒猫は彼女の腕の中に飛び込んできた。
「変わった猫ですね? 帽子をかぶっている」
「この子は前のここの主人の飼い猫だったんだよ。この帽子はその主人があげたものだから。ずっと着けているんだね」
慧音は猫を抱かえると、優しそうにその黒猫の体をなでた。
表情はまた柔らかな笑みに変わっていた。
「飼い主が居なくなる前も、居なくなってからも、この子はずっとこの場所で留守番をしていたんだ」
猫は首筋を伸ばし、うにゃうにゃと鳴き、自分の可愛さをアピールするみたいに前足をまごの手のようにくにゃっと曲げてみせた。
「触ってみる?」
「え、はい」
少年は慧音から猫を受け取った。
暖かく、綺麗な毛並みが半袖から出た手に当って心地良い。
そっとなでてやると、猫は腕の中で気持ち良さそうにごろごろと寝息を立てた。
「その、前の飼い主というのも」
「そう。私と同じ、妖怪。とても偉大な人物だった。妖怪を人物と呼ぶのもおかしいかもしれないけど、やはり人物だ。周りの妖怪たちを束ねていてね。その妖怪の力で、このマヨイガは一種外界から外れたような場所になっているんだ。私が今ここでこうして暮らしていけるのも、彼女のおかげだね」
慧音は昔馴染みのことを語っているはずなのに、どこか淡々とした感情のこもっていない様子だった。
少年はそれを不思議に思ったが、尋ねにくい雰囲気だったので黙っていた。
少年と慧音はそのまま屋敷の周りの田畑やあぜ道などを見て回った。
里は周囲をほとんど山に囲まれているようだった。
一か所だけ、谷が開けた部分があって、マヨイガの前から続く一本の道が、そこにまっすぐに続いていた。
おそらくはそれが外へ通じる道につながっているのだろう。少年はそう考えた。
「この道の先には何があるのですか?」
「ああ、あの道は行き止まりなんだ。崖になっているだけだよ」
崖になっている。
そう言われても釈然としなかった。
てっきり、目の前にある道が外へ通じるただ一つのルートだと思ったのだが。
他に道らしいものもないし、一本しかないこの道が行き止まりだとするなら、この里から出るにはどこへ行けば良いと言うのだろう。
周りの山を通っていけというのだろうか。
他にも不思議に感じることがあった。
この道の先には、何かがあるような気がする。そんな気がした。
少年は、慧音が行き止まりだといったその道に、得体の知れない空気を感じていた。
悪い予感もした。まるで、そこへ行ったら全てが壊れてしまうような。根拠はないが、そんな予感がした。
なぜそんな空想をするのか、それ自体も謎なのだが。
しかし自分に親切にしてくれている慧音の言葉を疑う理由も見つからなかった。
それにしても慧音は随分不思議な女性だ。
自分のことを妖怪と呼び、外見はとても若いのに、人里離れた山奥でたった一人で暮らしている。
しかしそれ以外は、少年にとっての理想的な女性像を体現しているといっても過言でなかった。
妖怪と言えば、昔から人を化かしたり、ひどいものになれば人間を攫って食らうということは少年も昔話の中で聞いて知っていたが、慧音にはそんなおどろおどろしさはまったく感じなかった。
まだ知り合って間もないが、慧音の知性的で穏やかな物腰や、会話の節々から感じる優しく思いやりのある性格が、そういった妖怪らしさを感じさせなかった。なにより彼女はとても人間くさい。初対面だし上手く説明もできないが、少年は慧音に対して会ってすぐにそういう印象を抱いていた。
慧音は料理も抜群に上手で、家事も全般にこなした。
屋敷に帰り、夜になって出された夕餉は、見た目は質素だったが抜群に美味しかった。
「口に合うかな?」
食卓で向い合せに座った慧音が、卓袱台の上に手をのせ、身を少し控え目に乗り出して聞いてくる。
箸をつけて食事を口に運んだあと、少年はじっとしていた。
それは少年の知らない味だったから、驚いていたのだ。
それは本当は知っていなければいけないはずの味だった。
少年は暖かい家庭の味というものを知らなかった。だから、思わずこぼれたのだ。
「そんな……泣くほどのものでもないでしょう」
「美味しい、です。こんな美味しいものは食べたことがない」
「お、大げさだね。おかわりだけは一杯あるから、遠慮なく言ってください」
「はい。いただきます」
「私も誰かと一緒に食事をすることなんて、久々だからちょっと緊張してしまっているみたい」
はにかみながら慧音は少年の手から茶碗を受け取った。
傍らに置いていたお櫃を開け、しゃもじを使ってご飯をぺたぺたとよそう。
こんもりとしたほかほかのご飯がお茶碗一杯に盛られて、少年の前に出された。
少年は涙を拭いて鼻をすすりながら、塩味のするそのご飯を本当に美味しそうに食べた。
*
何日かしても記憶が戻らない。
少年は自分の名前だけでなく、自分についてのことをほとんど何も思い出せなかった。
自分がどこから来たのか、いったい何者なのか、どこへ行こうとしていたのか。
そういった記憶をひねり出そうとすると、おぼろげに断片的なイメージが浮かんではくるのだが、詳しくその描像をつかもうとして、頭の中に手を伸ばすと決まって頭痛がする。
それでもそのうち思い出して目の間に靄がかかったみたいなこの状態もいつかは晴れるだろうと考え、不安を抱えながらも少年はそのまま日々の生活を送っていた。
とは言うものの、ただ黙って慧音の世話を受けているのも申し訳ないので、少年は慧音がいつもやっているらしい野良仕事を手伝うことにした。
マヨイガの裏手の山側に、良く整理された畑があった。少年はそこに案内されて、鍬を一本預かる。
「まずはこの山から耕していこうか」
ざくりざくりと畑にできた土の尾根の一つに鍬を入れていく。
慣れない畑仕事は、想像以上の重労働だった。
思うように鍬が地面に刺さらない。雑草の根を断とうと思っても、硬くてはじかれてしまう。まるで石みたいだった。
くたくたになって精も根も尽き果ててきたころに、別の仕事を終えた慧音が少年の前にやって来た。
「苦労しているみたいだね」
「はい、難しいです。慣れていないから」
「まあちょっと見ていなさい」
慧音は少年が地面に突き立てた鍬を片手でひょいと取って、それを持った。
軽いしぐさ。慣れた手つきで鍬を差し、土を掘り起こす。掘り起こされた土を見れば、少年が耕した場所とは色も形も違っているのが一目で分かった。こちらの方が断然ほぐれていて、作物も育ちやすそうだし、乱れがほとんどなく一本調子になっている。
「あまり力を入れるのは良くない。腰に意識を集中して、バランスをうまくとって梃子の原理でひっくり返すんだ」
そう言ってまた慧音は少年に鍬をひょいと手渡す。農作業の仕種であると言うのに、慧音は随分格好良く見えた。なんであれ熟達したものの動作は格好良く見えるのだろうか。
「さあ、もう一度やってみなさい」
やってみせ、言って聞かせてさせてみて、と言うことだろうか。と言う事は次は。
言われた助言は何となくしかわからなかったが、慧音のやっていた様子を真似てもう一度やってみる。
「そうそう、その調子。なかなか飲み込みがいいね」
やっぱり褒められた。
まるで先生みたいな口調と教育手順だ。誰かに何かを教えることが手慣れている様子。
確かに慧音のアドバイスは適切だった。言われた通りにやっているとようやくコツがつかめてきた。
何も聞かないで自己流でやっていた時より断然良い。
少年はおかげでその仕事を楽しむことができた。
待ち遠しい休憩の時間になり、畑の隣にあった菜の花の咲く草むらに疲れた腰を下ろす。
そこで慧音といっしょに昼食を食べた。
塩味のついたおにぎりをぱくついていると、慧音が農作物についていろいろな話をしてくれた。
慧音は大根や白菜といった野菜の他にも、色々な作物を育てていた。
マヨイガは基本的に明治期に隔離された場所であるが、質の良い品種や新しい野菜の種などを適宜取り入れてきたのだと言う。
ただ、それも現在ではできなくなってしまったと慧音は語った。
「どうしてですか?」
「込み入った事情なんだけどね。うまく外の世界との行き来ができなくなったんだ。すぐに外の世界に出ることができれば、君を送り返してあげることもできるんだけど……今は道が閉じていてね」
「道? 外の世界に通じる道があるのですか?」
あの場所の他に、そう言おうとしたが、なぜか言ってはいけないような気がして、その言葉をひっこめた。
「北の山中を分け入ったところに洞窟がある。そこが外の世界へ通じる通路になっていたんだけど……今は閉じているんだ」
「なぜ閉じてしまったのですか?」
「わからない。あそこは不思議な場所で、昔から開いたり閉じたりしていたんだ。また何かの拍子に開くかもしれないな。山仕事の最中に時々見に行くから、開いたら教えてあげるよ」
そういった話をしてから、ずっと時間が流れた。
何日も過ぎた。
少年がふと思い出し、今日は開いていましたか、と聞くと慧音は、いや、まだ閉じたままだ。おかしいな、こんなに長い間閉じているということは今までなかったのだが。と言う。
そんなことが何度も繰り返された。
そうこうしているうちに、マヨイガでの生活が少年にとって当たり前のようになっていった。当然少年は慧音の物言いを不思議に思っていたが、その感情を自ら押し殺すようにしていた。目先の生活の楽しさにのめり込んでしまっていたのかもしれない。
マヨイガのある里の中では、少年にとって落ち着いた時間が流れていたのだ。
そして少年は、日々の単調ではあっても安定した生活というものを楽しむことができる者だった。
自分の名前はいまだに思いだせなかったが、不都合はなかった。
名前の代わりに、慧音は少年のことを「君」と呼んだ。この里には慧音と少年意外に他に誰もいないのだから、それで十分事足りた。
マヨイガは不思議な場所で、通常なら山奥では不足しがちな食材を手に入れることができた。
例えば塩や醤油や味噌などの調味料だ。
だいたい塩などは海かもしくは岩塩などがないと採ることができない。山奥で隔離されているのであれば当然望みようもない。
だがマヨイガはこういったものが勝手に湧いてくるのだ。
その不可思議について少年が尋ねると、慧音はマヨイガ自体も妖怪のようなものだからと説明した。
少年は慧音の話をほとんど鵜呑みにするようになっていたし、既に慧音からいくつか妖術や法力のようなものを見せてもらっていたので、そのような非科学的な説明も抵抗なく受け入れることができた。
「便利ですねえ」
「だろう。これも前の主のおかげだ」
「すごい人ですね」
「ああ。いくら感謝しても足りない。もしかしたら……彼女は、ここは最初からこのために」
「え?」
「いや、何でもないんだ。こっちの話」
時々慧音は少年にはわからないことを思い出しているようだった。
*
また何日か過ぎた。
農作業も体になじんできた。いつもくたくたになるまで働いて、食事を取り、慧音とわずかの間歓談した後風呂に入って寝る。
そんな生活の繰り返しだった。
少年と慧音は互いのプライバシーを守りつつ、マヨイガの設備を共有して使っていた。
とはいえ二人で一つ屋根の下で暮らしているのだから、たまたまお互いのやろうとしていることがバッティングすることも起こりうる。思わぬ偶発時というやつ。
ある時、少年が風呂に入ろうと思って脱衣場の引き戸を引くと、目の前に動く白いものが見えたことがあった。
丸くて白くてやわらかそうで、すべすべとしていてそうで、締まるところが締まっている。
それが女性の生まれたままの姿を横から見たものだと気付くのに、少年はしばしの時間を要した。
スレンダーだけど出るとこは出ている申し分のない体型だったのだ。
「「………!」」
目を見開いた慧音の固まった顔が見える。
二人で顔を見合せて絶句する。
慧音は一瞬身をこわばらせたが、すぐに素早い動作で脇の籠に置いていた布を取って自分の体に巻く。
少年はあまりの出来事に硬直したままだった。
「こら……ずっとそうしていられると、困る……」
眉をしかめながら慧音がそう言った。
「あ、あ、う、あれ?」
慌てて少年は引き戸をがたがたと閉めようとするが、引っかかってうまく閉められない。
これは違うんです、のぞこうと思ったわけでは決してなくて、必死で弁解しようとするが、声にならない。
「ご、ごめんなさい!!」
結局引き戸を閉めるのもあきらめて、そのままそそくさと退散することにして首を引っ込めた。
「もう!」
そう言った後、ふくれっつらをした慧音の頬も真っ赤だった。
交代で湯船を使っている時に、先ほど見たものを思い出してやはり頭の中がもやもやした。
風呂から上がって、寝床の中に入った後もずっと同じことを考えていた。
そう言えば一緒に暮らしていてしばらく時間が経っていたし、慧音の態度は凛としていてある種男性的ですらあったので、それで忘れていた。
慧音だって女性だ。彼女の外見は自分よりも少し年上の女の子だ。
それとも妖怪だから人間とは違うのだろうか。外見と実年齢が異なっているかもしれない。
だけど、頭の中身はどうなのだろうか。
自分が脱衣場で彼女の裸を目にした時の、彼女の赤らんだ顔を思い出す。
恥じらいに頬を染めた顔。少女の顔だ。あんな表情もするのか。良く考えたら、今彼女は隣の部屋で寝ているのだ。
そう考えていると、また胸がどきどきとして来て自分の顔も赤くなって、声にならない声を出しながら少年は布団の中に潜り込む。表現できないもどかしさが胸の内にあった。彼にとっても、こんなに長い間一人の異性と一緒に暮らすなどということは、初めての体験だった。
それから、だんだんと少年は慧音のことを女性として意識するようになっていった。
*
慧音は定期的に屋敷を掃除していた。多くはそれは週末に行われる。
ともすれば毎日の生活に変化の無いマヨイガでは、日付の感覚を失いがちであるが、歴史に詳しい慧音は暦を覚えていて自分でつけていた。
今日がその日だと言うので、少年も手伝いを買って出て、手わけをして掃除をすることにした。
マヨイガは合掌造りという古い建築様式で建てられている。
もともとこのような建物は大家族が住むためのものであり、二人で暮らすには広く、掃除もとても時間がかかりそうだった。
屋敷の全部を見ていたらとてもではないが、一日では終わらないので、一つの部屋を重点的に片付けたいと慧音が提案した。
その日慧音が指定した部屋は、書物がたくさん保管されている倉庫のような部屋だった。
部屋の入口の木戸を開けて中を見ると、棚がいくつも置かれ、大量の書籍や巻物や紙箱が乱雑にしまわれていた。慧音が言うには、本来は書斎であるのだが、いつもはここで書きものをしないので、もっぱら本の保管用に使っているという。
閉め切られていてしばらく使っていないというので、薄暗く部屋中に埃が積もっていた。
「これは、大変そうですね」
「そうだね。君が来なかったら、ここを掃除しようとは思わなかったよ。実はちょっとここを使う用事ができてね。そのついでに、どうせなら掃除して片付けてしまおうと思ったんだ」
箒やはたきやバケツ、何枚かの雑巾など持ってきた掃除用具を部屋の前の床に置きながら慧音は言った。
それから二人は部屋の掃除を一緒にすることになった。
陣頭指揮は当然慧音が行った。彼女に指示されたとおりに、少年は部屋に乱雑に置かれていた本や箱を一つ一つ取り出して紐で縛っていく。
だんだんと奥にあった品物が廊下に運び出されて、部屋の中が片付いてきた。
最後に一番奥の窓際にあった箱を少年が抱えて外に出そうとする。
随分と重い。中身がぎっしりと詰まっている。何が入っているのだろうか。
「重そうだね、気をつけてね」
思わずへっぴり腰になっていたらしく、慧音に心配される。
「大丈夫、あれ?」
慧音の忠告に気を取られたせいか、死角ができていた。入口の角にあった壷にがつんと思い切り脛をぶつけた。
その拍子に少年は箱を取り落とす。
「あっ、しまった」
部屋と廊下の境目に、箱の中身が盛大に床に散らばった。どどどと雪崩落ちてきた箱の中身は、たくさんの習字道具と、いくつかの紙箱だった。
その紙箱も蓋が取れて中身が出てきている。箱の中には拙い字で書かれた和紙が何枚も重ねられていた。
「懐かしいものがでてきたな」
「これは誰かの書き取りの練習みたいですね」
「それは昔の生徒が書いたものなんだ、すっかり忘れていたよ……」
「生徒? 慧音さんは教師をしていたのですか?」
「とても古い記憶だね。でも今でも覚えている。昔はこの里にも子供たちが一杯いて、私は寺子屋のまねごとみたいなものをやっていたんだ。いつも子供たちは元気でね。相手をするのが大変だった」
そう言っている慧音の顔はとても懐かしそうなだったが、ふいに陰りが見えた。
なんだか少し悲しそうな微笑にも見える。気のせいだろうか。
「子供が好きだったんですね」
「うん、そうなんだ。さて、仕事を続けようか」
散らばった箱の中身をまとめて、荷物の運び出しは終わったが、まだ仕事は半分残っている。これから、部屋の中の埃を取り除いて棚や机を清掃した後、まとめた荷物を運び入れて整理する。
残りの作業は丸一日かかった。
取りかかる前はほこりだらけだった部屋が、立派な書斎に早変わりした。
その次の日の朝だった。休日と決めていた午前中に、慧音が少年を呼んだ。
前日掃除した書斎に少年を読んで、机の上に何冊かの本を置いて見せた。
糸で綴られた古書だ。表紙にはやはり古い書体で漢字が書いてあるが、達筆すぎてちょっと読めなかった。
ページをめくってみると中身は普通の書体で書かれており、昔言葉や仮名づかいが混じっているものの、何とか読み進められそうだ。
「これは?」
「これは幻想郷縁起といってね。幻想郷と呼ばれる隠し里について書かれた本だよ」
「隠し里? マヨイガではないのですか?」
「昔はマヨイガも幻想郷につながっていたんだ。今ではもう、その郷自体が忘れ去られてしまったので、行くことができないんだよ。この本は妖怪の歴史について書かれている。幻想郷は、妖怪の棲む郷だったから。これを読めば、君も以前私の言っていたことがわかると思う」
「これを僕に?」
「日中暇だろう? 読み物があったら良いと思って持って来たんだ。昨日の掃除のついでに見つけたから」
「ありがとうございます。気を使ってくれて」
「他人行儀はよしなさいよ。もう二週間も一つ屋根の下で暮らしているんだから」
何気ない一言なのだろうが、それでも少年の顔は赤くなった。
少年は慧音からもらった本を読んでみた。
幻想郷縁起。古事記を記した、稗田阿礼の後類が編纂した幻想郷と呼ばれる隠し里の履歴を綴った書物。
そしてそれに付随したいくつかの伝記が十数巻の冊子になっていた。
幻想郷は、大昔から日の本の国に存在した妖怪妖精が住む辺境の地だった。
明治期に術者が集って、その地域一帯を結界で囲い、外界から隔離した。
伝記には、本紀には語られていない小説仕立ての物語が連ねられていた。
少年は特にその伝記の方にのめりこみ、夢中になってページをめくった。
幻想郷の登場人物の英雄譚。
ある日を境に、彩りがぐんと増していく。
幻想郷に起こった数々の異変。それを解決した巫女と、彼女を取り巻く多くの人妖のお話。
起伏と独創性に富んだ物語。一種の御伽噺、フェアリーテイルのようなものだろうと少年は解釈した。
「どうだい?」
「読みました。あ、いえ。まだ読んでいる途中ですけど。とても素晴らしい物語です。登場人物の誰にも魅力があって」
「それは、よかった。著者もきっと喜んでいる。勧めた方としても誇らしいよ。他に何か気づいたことはあるかい?」
「えーと、この伝記の方なんですけど……後半からは、別の人が書いているように思えました」
「驚いた。わかるんだね?」
「特に、この妹紅という人物には作者が特別な思い入れを抱いているように感じました。描写がとても丁寧で……」
「そ、そうかな」
それを聞いて慧音はほんの少しうろたえた後、にこやかに笑った。
「慧音さんも出てきた。慧音さんは、ワーハクタクという妖怪なんですね」
「ああ、うん」
「人間の近くに住んで助けながら、人間の歴史を古くから見守ってきた半獣。この本に書いてある通りなら、慧音さんは、本当に人間が好きなんですね」
「うん。人間達の歴史は本当に興味深い。よく人間は弱くて、すぐ欲望に流されるって言うけど、私はそうじゃないと思う。人間には素晴らしい文化があるし、ちゃんと自分たちを制御できる強さを持っていると思うんだ」
「ええ、僕もそう思います」
「妖怪も人間がいなかったら生まれなかった。人間達が必要だと思ってくれたから、そこにいると想像したから空想の存在である妖怪は生まれたの。私は、人間が妖怪の母だと思っているんです。だから人間達のことが知りたかった。私たちを育んでくれた人間たちの歴史を知りたかったんです」
「それで里に下りてきて、寺子屋をやったりしていたんですか」
「子供の頃から関わると言う事は、私にとってはその人間の一生を見ていくということになるからね」
少年にはなんとなく分かっていた。この幻想郷縁起の作者は稗田阿礼とその後類とされているが、伝記の方は途中から別の人が書いている。それは慧音ではないかと少年は思った。
慧音も昔は幻想郷に住んでいた。そこで見聞きしていた事物や、知人や友人達のことを伝記として記したのではないか。
その少年の予想は当たっていた。妹紅は慧音にとって一番親しくしていた人物だったので、彼女のことを書く時はなるべく熱が入らないように心がけていたのだが、やはりある程度の読者には伝わってしまったのだ。
それから慧音は午後の空いている時間に、少年に歴史を教えるようになった。
少年もそれを聞きたがったし、慧音も歴史を司るという己の存在意義から、語る相手を必要としていた。
慧音の語る言葉は時に外の世界の古い歴史であり、また幻想郷の歴史であり、幻想郷も含めた世界の伝説でもあった。
慧音は良い教師だった。とても手慣れた調子で物事を語り、自分の言葉と意見を持っていた。
少年はすぐに慧音の話にのめり込んだ。
少年は外の世界で高度な教育を受けていた様子があったが、それでもいくらか慧音の知識の方が上だった。
歴史だけでも何なので、数学や国語なども教えて欲しいと頼んだ。
やがてその時間は家庭教師を受けているような時間になってきた。机に二人で座って、メモ代わりに和紙を広げて、まるで教師の個人レッスンを受けているのとそっくりだった。
少年が質問をして、慧音が指摘をしようとして体を机の上に伸ばした時に、かがみこんだので少年の目に彼女の胸元が見えた。
彼女はブラジャーのような下着をつけていないようだった。
少年はまた頭が真っ赤になり、意識的にその場所を見ないように心掛ける。だけど慧音は何度も同じしぐさをするので、やはり目がちらちらと行ってしまう。
「こら、よそ見していないで集中しなさい」
そうして慧音に気づかれて怒られる。
どの場所を見ていたか慧音は気付いていないみたいだ。
だからなおさら、そんな想像ばかりしている自分に罪悪感を覚えるのだった。
*
植えて、育み、それを食す。
少年は慧音とともに、人の歴史と同じ行為を繰り返していた。
慧音は田植えもして稲を育てていたので、少年もそれを手伝った。
夏の匂いが強くなっている晩だった。
夕食を終えてふと外の景色を見てみると、太陽の南中高度が高くなっていたため、まだ空が少し明るかった。
慧音が散歩をしようと言うので、少年はそれについて行った。
道の向こうの田を見ると、少年が苦労して植えた穂は青々と実っていて、その周りを何万匹もの蛍が行きかっていた。
やはり少年はそういうものを見たことが無かった。
地上の星々が農村の夜を美しく飾り立てていた。
「うわあ」
「綺麗だろう。毎年見ている私も飽きないよ」
しばらくその光景を二人で並んで眺めていた。
蛍の光はゆっくりと暗い水の上を漂っていく。
虫の音が草むらから聞こえてくる。まだ秋の夜長ではないというのに、せっかちな物が土からでてきてしまったのだろうか。
「幻想郷とつながっていた時には、もっと広い場所があって、もっとたくさんの蛍が見られたんだ。蛍の妖怪がいてね」
「あの本に書いてありましたね」
「そうそう。彼女が蛍を操って、おかしな動きをさせていた。蛍の光で文字を書いたりね。そこまですると、ちょっと風情がなくなるなあと思っていたもんだけど、今となると懐かしいなあ」
「いつ頃から幻想郷へ行けなくなってしまったんですか?」
「外の世界の年月で言うと、五十年ぐらい前かな」
「そんなに……やっぱり、幻想郷が懐かしいですか?」
「それは生まれた場所だもの。でも気にしないで。古い時代の話だから。ここに一人で取り残された時は悲しかったけど、今では君もいるしね」
「え……」
言葉の意味にきょとんとして、やがて気付いて嬉しいと同時にとても気恥しくなった。
*
夜、寝床に入ると、少年の頭の中には悪夢の光景があった。
焼けただれた人々が、うめき声をあげながら少年の目の前を行進していく。
見上げれば灰色の空。落ちてくる黒い雨。聳え立つ煤だらけの建造物。
廃墟の中で少年がうなだれて座っていると、一人の兵士が、少年の所にプラスチックのパックに入った食糧を持ってきてくれた。
彼が甲斐がいしく自分の保護者の役をやってくれていた人物であることに、少年は夢の中で気づいていた。
場面が変わって急に人の流れがあわただしくなる。
先ほどの兵士が重そうな銃器を背負って建物の外に出ていこうとしている。
少年はその兵士にすがりついて、何事かをわめいた。おそらく、行かないでほしいと訴えているのだろう。
兵士は優しく微笑んで、何かを少年に伝えた。
その言葉が聞こえない。昔聞いたはずの言葉なのに。大切な、大事な言葉だったはずだ。
少年は何とかして、その言葉を思い出そうとした。
そこで目が覚めた。
布団の中で汗をかいていた。
外から鈴虫の鳴く声が聞こえた。今日は慧音と一緒に稲刈りを終えたところだった。
二人ともくたくたになって、食事を終えるとすぐに寝てしまった。
置きあがって、隣の部屋へ続く襖をすっと開ける。
部屋の中心には布団が敷かれていて、そこに慧音の白い髪が見えた。
耳をすますと、すうすうという小さな寝息が聞こえた。ぐっすり眠っているようだ。
少年は彼女を起こさないように、そっと襖を閉めた。
もう一度布団の中に入り、仰向けになって、先ほど見ていた夢を思い出す。
彼の記憶はまだ不鮮明なままだった。
少年は、元来た世界はあまり自分にとって良い場所ではないのだろうと思っていた。
だからあまり記憶を思い出せないのだろうし、幽かに浮かんでくる暗いイメージや、いつも見る悪夢の印象から、余計に記憶を思い出したくない。
だんだんと外の世界に対する興味が薄れていっていた。
その上、マヨイガでの生活は少年にとって安らぎの時間だったのだ。
美しくて優しくて、智恵に溢れた少女と共に過ごす、人間らしい生活。これ以上のものがあるだろうかと少年は考える。
淡々とした日々の生活、だけど少年にとってそれは最良のものだった。
少年はだんだんと外へ出るという意思を薄れさせていった。
*
また幾日かが過ぎ、中秋の名月が夜空を飾るころになった。
その日の晩は、夜の間中、黄色い月が空を照らしていた。
慧音がお月見をしようと言うので、夕方から二人は準備をすることにした。
団子を練り、台にそなえる。すすきの穂を取ってきて飾る。
準備が整った後で、慧音は蔵から清酒を取り出してきて、杯につぎ、それを飲んだ。
「慧音さんって成人していたんですか?」
「女性に年齢を聞くんじゃないよ」
慧音のすねたような口調が面白かったので、少年は笑った。
満月の下で慧音が少年に杯を渡した。
「え、僕は飲めませんよ」
「心配するな。甘酒だよ。一人で飲むのは退屈だから、付き合ってもらうよ」
「いただきます」
杯を飲み干す。
「綺麗な月ですね」
「うん、雲も良い具合に出ているね」
無言で月を見ていた。
二人だけの時間が流れていた。思えばこの数ヶ月間、ずっと慧音と少年は二人きりだった。
虫の音色だけが響く里で、縁側に座り、隣には着物姿の美しい慧音が座ってくれている。
幸せだと少年は感じた。このような形の幸せを、自分は今まで感じたことがあったのだろうか。
ふと、何度か夢で見た悪夢を思い出す。
例えようのない記憶と言う名の影が手を伸ばして自分をとらえようとする時、いつも慧音の優しい声が聞こえて目を覚ます。
少年は昔から離れて今の時だけが欲しくなっていた。
他に何が必要だろうか。
他に何を望むことがあるだろうか。
心の中に暖かい月の光が流れ込んできている。
夜風が吹いて、首の長い壺に入れていたすすきの穂が揺れた。
「さて……」
しばらくしてほろ酔い加減になったところで慧音はすっと立ち上がり、縁側の置き石にあった自分の履物をはいた。
そうして少年に背を向けたままで、首をちょっとまわして彼の方を向いてまた口を開いた。
「私が妖怪と人間の間の子であることは前に話たね?」
「はい」
「今日は、君に私の本当の姿を見てもらいたいんだ」
そう言うと、慧音は縁側の置き石の上から庭の真ん中に出た。
そこで立ち止まり、背筋を伸ばす。
夜空の群雲の隙間から降りてくる魔力の月光が、彼女の全身に降り注いだ。
美しい光景だった。降り注ぐ月光が光の粉になって慧音の体を優しく装飾している。
ふと気付くと、慧音の頭には、水牛のようなまっすぐな二本の角があった。
「今はもう意識的に抑えることができるようになったけど、月光を浴びると、本当の姿になるんだ。これが私の妖怪としての本当の姿」
もっとおどろおどろしい姿になると思っていたので、少年は拍子抜けした。
そしてすぐに、慧音の様子の変化に感嘆のうめきを漏らした。
「きれいです。とても」
「世辞は言わなくていいよ。気味が悪いと言われたこともあるんだから」
「本当です。気味が悪いだなんて、見る人がうがった考え方をしたんです。たぶん、自然のものだからそう感じるのだと思う……上手く言えないけど、とてもきれいです」
慧音はほっとしたような、ちょっと複雑な表情をした。
それから慧音は縁側まで戻ってきて、少年のすぐ隣に腰かけた。
二人はそのままの姿勢で、しばらく満月を見つめていた。
どれくらい時間が過ぎただろうか。
ふと、慧音がゆっくりと、少年の肩によりかかってきた。
酔っているのだろうか、と少年は慧音の顔をのぞき見る。
頬が上気していてうっすらと赤みが差し、やはり酔っているのだろうと思ったが、その顔に幸せそうな笑みをみとめて、心がときめく。
ふわりとした風が、彼女の柔らかい白い髪を波のように流し、それが少年の鼻先で一瞬だけ踊った。
肩にかかる重みと暖かな体温が心地良く、感じたことのない香りが鼻をくすぐった。
夢のような一時だった。
夜は深く、星は踊り、月の光が海の波紋のかわりに二人に打ち寄せていた。
まるで渚に二人でいるようだと思った。
少年は、できればこのまま時が止まってしまえばよいと思った。
*
稲を積む作業も終わり、少し肌寒い季節、落葉の風が香る頃になった。
慧音と少年の仲は良好だったが、まだまだ恋人未満、友人以上とかろうじて言えるぐらいの関係。
だけどそんな時分が実は一番楽しいのかもしれない。
仲の良い異性との作業は楽しく、仕事もはかどる。
数ヶ月間丁寧に教えてもらったので、少年もマヨイガでのことをかなり覚えて、今では慧音も安心して仕事をまかせることができた。今日も共同で作業を終え、二人でその日摘み取った収穫物を持って屋敷へ帰るために畑を出るところだった。先を行こうとする慧音を少年が呼びとめる。
「持ちますよ」
「あ、ありがとう」
申し訳なさそうに慧音はちょっとはにかみながら自分の籠を少年に差し出す。
「大丈夫? 重いよ」
手を出そうとして引っ込めながら心配そうにそう言う。
「こ、これぐらい平気です」
実際重かったが、男の沽券みたいなものを見せなければと少年は少々古臭く考えたかもしれない。
血管を少し浮きだたせながら、二人分の荷物を持つ。
どうにも慧音の持っていた荷物の方が重い。良く考えたら慧音は人間ではなく妖怪だ。
今まで農作業の合間に何度も彼女の様子を観察してきたから知っていたが、慧音は華奢なのに自分より腕力がある。
だから本来、荷物を肩代わりしてあげる必要なんてないのかもしれない。むしろ自分が持ってもらった方が効率が良いのではないか。
それでも慧音は少年に親切にしてもらったのが嬉しいようだった。
ハミングしながら後手に手を組み、軽やかな足取りで少年のすぐ側を歩いていく。
二人は歓談しながら仲良く畑の畔道を歩いた。
そしてマヨイガの屋敷の前に差し掛かった時だった。
慧音が急に歩みを止めた。
突っ立ったまま、前を見ている。
急にどうしたのだろう。家に入らないのだろうか。何をしているのだろう。
そう思って少年も慧音の視線の先に目をやってみる。
その方向は、あの道のある方角だ。慧音がいつか、この先は崖になっていて行き止まりになっていると言った方角。
「慧音さん? どうしたんです?」
不思議に思って少年は尋ねてみた。慧音は返事をしない。
少年は慧音の顔を覗いてみた。
見たことの無いものを見つけて少年は驚いた。
今まで慧音はそんな顔をしたことはなかった。
こんな表情を見ることになるとは思わなかった。
慧音の顔に浮かんでいた表情。
それは絶望の表情だった。
*
次の日から急に慧音がよそよそしくなった。
言葉使いがぎこちなくなり、少年の近くに立つのを避けるようになった。
最初は気のせいだろうと思ったが、ある時彼女の腕を取ろうとすると、慧音がとっさに腕を引っ込めるということがあった。
そんな出来事で確信した。明らかに慧音は、意識して少年を遠ざけるようにしている。
少年は気が気でなかった。一体どういうことなのだろうか。
わけがわからないまま、だんだんと慧音の態度は露骨になって行った。
そんなある時、慧音がマヨイガの一角にある暗い部屋の隅で、まぶたを濡らしていたことがあった。
少年はそれに気づいて驚いた。明かりもつけずに、何か箱のようなものを前にして、その前でしとしとと泣いている。
少年は近づいてそっと聞いてみる。
「どうして泣いているの?」
「なんでもないよ。君には関係ない」
鼻をすすり、涙を拭いながら慧音がぴしゃりと言った。
声にきつい調子が混じっていた。若干拒絶するような。
「そんなこと言わないでください。慧音さんが泣いていると僕は悲しいんです」
「君が優しい子だってことはよく知っているけど、これについては放っておいてほしいんだ」
そう言うなり立ち上がり、泣き晴らした顔を手で押さえて、慧音は部屋を出ていく。
すれ違いざまに、慧音が抱えていたものには見覚えがあった。
それはあの書き取りの練習用紙が入れられた紙箱だった。
昔を懐かしんで泣いていたのだろうか?
慧音が野良作業の途中にいなくなることが多くなった。
少年は気になって聞いてみるのだが、
「慧音さんはいつもどこへ行っているんですか?」
「私の後をつけてきたりしないように。でないと」
きつい調子だった。きっとした表情で、念を押すように、
「私は君の元を去らねばいけなくなる」
正体を見たら自分の元から去ってしまう。
まるで鶴の恩返しのような話だと思った。
そんな風に言われれば、余計に気になる。
少年は慧音のことが気になって気になって仕方がなかった。
彼女は何か悩んでいる。だけど、自分には打ち明けてくれない。
慧音のために何かしてあげたいと思っていた。自分では力になれないのだろうか。
いったい彼女は何にそんなに悩んで落ち込んでいるのか。
おそらくあの道の先に、慧音を悩ませる何かがあるのではないか。少年はそう考えた。
とある日の夕食の後、思い立って少年は慧音に聞いてみたことがある。
「慧音さん、何か悩みがあるんでしょう?」
しばらくもじもじと切り出すタイミングを迷った後、慧音が茶碗を置いた時を見計らって、一番率直な言葉で聞いた。
慧音は禅を前にうつむき加減で、黙ったままだ。
「どうして相談してくれないのです?」
「君には関係ないからだよ」
「どうしてそんな言い方をするんですか」
それきり慧音は黙りこくって返事をしてくれなかった。
残っていた夕飯を掻き込んで、そそくさと片付けをした後、寝るとだけ言って自室にこもってしまった。
慧音の物言いやそっけない態度は、少年の心をさいなんだ。その態度には現在、怒りすら感じられるようになっていた。
どうして急に慧音は態度を一変させたのだろう? これまでは、あんなに親しく接してくれたのに。
少年にはわけがわからなかった。
自分は何か悪いことをしたのだろうか?
泣いていたことや、悩みについて色々と詮索しすぎたのがいけなかったのだろうか?
いや、それ以前から慧音の様子はおかしくなっていた。
唐突に自分に対する接し方を変えたのは、やはりあの日、あの道で立ち止まって、慧音の肩が落ち込んだように見えた日からだ。
その次の日もあまり会話がなかった。
挨拶をしても、ああ、と連れない返事が返ってくるだけ。
いつもやっている毎日の作業の合間にも、少年は慧音に何度か声をかけるのだが、上の空。
そして昼ごろ、少年は作業中に慧音の姿を見失った。
気づくと、畑で先ほどまで離れた場所でエンドウ豆の竿を手入れしていた慧音の姿が忽然と消えていた。
ぐるぐるとあたりを見回してみてもいない。いつの間に居なくなったのか。
と思ったら、畑から出てあぜ道を歩いていく慧音の姿がちらっと見えた。
どこへ行くと言うのだろう。
少年は慧音を追った。少し離れながら、彼女に気づかれないように後を付けた。
すぐに声を掛ければいいのに。自分はなぜ隠れているのだろう。
答えは知っていた。慧音は何かを隠している。だから、自分はこっそり彼女の秘密が知りたいのだ。
彼女が何で悩んでいるのか、どうして急に自分に冷たくなったのか、その答えが知りたかった。
そのまま慧音の歩いて行った方角へ行く。先ほどは確かに捉えたと思ったのに、すぐに姿が見えなくなった。
少年は慧音の姿を探して首を回す。
目に入ってくるのは、既に見なれた野山の光景だけだ。
もうすっかり秋が深まり、美しい光景がマヨイガのある里を彩っていた。
その時、足元からにゃあ、という声が聞こえた。見下してみる。
見覚えのある帽子。黒い四足のふさふさした毛並み。
橙だった。
少年が少しあっけにとられて橙を見ていると、猫は土のでこぼこ道をとことこと歩きだした。
「橙? どこへ行くんだい? そっちは」
橙が歩いて行った先は、慧音に行き止まりだと言われた道だった。
「そっちは……」
橙がいるのは予兆のように感じられた。慧音はまたこの道の先に行ったのではないか。
では、ここを進んでいけば慧音がいつも何をしているのか、彼女の秘密がわかるかもしれない。
しかし、ついてくるなと言われた。約束を破ることになる。おまけに先ほどからの自分の行為は、まるでのぞき見だ。若干の罪悪感が心に浮かぶ。
唾を飲み込む。それでも好奇心が湧いてくる。答えが、理由が知りたい。
この道の先には、何かがある。
この里に来た日から感じていた、まるでどこか止まってしまったような雰囲気。それはこの道の先から漂ってくるのだった。
そうして少年は足を踏み出してしまった。
一歩踏み出せば、もうはずみがついて止まらなかった。
橙の後を追いかける。結構早い。
歩を進めるたびに、だんだんと違和感が強まって行った。
周りの景色はそれほど違いを見せないのだが、何かがおかしい。肌にひしひしと、異質な空気を感じる。
自分は何をしているのだろう。慧音に言われた。この道の先は崖になっていて行き止まりだ。
そんなことは最初から信じていなかった。薄々は感づいていた。この道の先に何があるか。
閉ざされたマヨイガ。幻想郷と縁の深いマヨイガの、ただ一本の道の先に通じているべき場所は、どこであるべきか。誰でも一度はそれを想像するだろう。
道は少しカーブし出した。橙は最初普通に歩いていたが、そのうち駆け足になってきた。自然、後を追う少年の足も速くなる。そしてカーブの先を曲がりきった時、そこは小高い丘の上になっていて、眼下に景色が開けていた。下っていく傾斜の草原に、一本の道がずっと先まで続いている。
そこで見つけた。見覚えのある白い髪。蒼い服を着た後ろ姿が、草原の中に続く一本道を歩きその景色に溶け込んでいこうとしている。
「慧音さん?」
呼びかけても距離が遠いから届かないだろう。少年は坂を下りて、慧音を追った。
予感がしていた。大分前から。
もともと壊れることを前提とされていた夢だったのかもしれない。
夢はいつかは覚めると決まっているから夢なのだ。
これは現実ではなく、陰の夢だ。
朝の光に照らされて霧消する霞のように。陰はいつかは現実の光の元にさらされて消える運命。
そんなことを考えながら、慧音の遠い背中を追って少年は歩いた。
思えばいつも自分は誰かの背中を追っているような気がした。
気付かれないようにしながらも、かなり急いで駆け足で歩いているはずなのに、一行に前を行く人間との距離が縮まらない。
慧音の肩は落ち込んで、まるで重い荷物を抱えているかのようだ。何がそんなに彼女を落ち込ませると言うのだろう。少年は歩みの途中途中に、これまでのことを思い返した。慧音と過ごした他愛のない日常生活。
とても満ち足りた時間であったことに気づいた。自分は記憶が思い出せなかったが、あんなに幸せな想いは、今までに一度も味わったことがないことを断言できた。
そうして少年は慧音の後を追って小一時間ほど歩いた。
道の先にあったのは、綺麗に整備された人間の里だった。いつの間にか慧音の姿をまた見失っていたが、少年は里に入ってみることにした。
里の門をくぐると、異国情緒の溢れた建物が並んでいて、すぐにそれらの傍らに大勢の人間達がいることに気づいた。
時刻は正午ごろ、太陽が弱冠傾いて秋晴れの空から心地の良い日差しを投げかけてきている。その下の市場には、人々がごった返している。
正確には、固まったままの人間だったが。
里を入ったところにある市場には、群衆と呼んでも良いくらいの人が居たが、誰ひとりとして動いているものはいなかった。
奇妙な光景だった。余りにも自然な仕種をしながら全員固まっているので、少年は最初、自分の認識が遅れて他の人の動作が遅く感じられているのだと勘違いした。
だが、目を凝らしてみても周りの人間達が動き出すことはなかった。
固まっている。まるで群像のオブジェだった。唖然として声にならないうめきをもらす。
少年は狼狽しながらも、そのうちの一つ、若い男の彫像を触ってみることにした。
肩のあたりに右手をそっと置いてみる。
今までにない感触を感じて、驚いてすぐに手を引っ込めた。
それからもう一度触ってみる。
反動も感じないし、温度もない。だが、押しても引いてもびくともしなかった。
よくよく観察すれば、バランスもどこか不均衡なのに、倒れることもなく固まっている。
周囲にありえないほどの異質な感覚を感じる。押しつぶされそうなほどの違和感が少年を包み込んだ。
マヨイガから出て里に通じる道に入った時に感じた違和感は、この里の中に入って最高潮になっていた。
やがて少年はそういう感覚を受ける原因に気付いた。
止まっている。
この郷は全てが止まっているのだ。
市場に集まった人間達だけではない。風が止まっている。風に匂いが無い。空気に味が無い。
本来なら漂っているはずの、あたり一面に咲いている花や草の香りが無い。
音もない。
流れる小川のせせらぎの音、風が吹いて草花が擦れる音、小鳥や虫達の鳴き声。
普通なら聞こえてきて良いはずの自然のもたらす音の全てが、無い。
みんな、みんな止まっている。
少年は呆然としながら、里の中を歩いた。
ふと、里の一角に広めの区画を持つ開けた建物があるのを見つけた。
門の端からのぞいてみると、敷地の中に子供たちが集まっている。
正確には、以前は子供達だったはずの像がたくさん立っている。
着物を羽織ったおかっぱ頭の女の子が部屋の奥の教師机に座って、眉を釣りあげて、生徒たちを嗜めるように手を振り上げた仕種のままで固まっている。
廊下には笑い顔で駆けていく男の子と、それにぷりぷりと腹を立てた表情で追いかける女の子、の像。
そしてその男の子と女の子は、駆けているから、そのままで固まってしまったから……ごくわずかではあったが、宙に浮いていた。
気が狂いそうになる光景だった。全て止まって凍りついているのだ。
昼下がりの一時が、そのまま凍りついて石像か絵画になってしまったような光景だった。
いったい、ここは何なのか。
少年にはある程度の見当が付いていた。
慧音のくれたあの本に書かれていた内容とあまりにも酷似している。
だがこの状態はいったい何なのだ。別世界と言って済ませるには、あまりにも異質すぎる。
ここはまるっきり生きた人間の住む場所ではないじゃないか。
人、人、人。
像、像、像。
皆止まっている、止まっている……止まってしまったままの里……。
まるで作者が書くのをあきらめてしまった物語の世界の中のように……。
それは悪夢の世界だった。
少年はふらつく足取りをかろうじて支えながら、寺子屋と思わしき建物を出て、そのまま里の中を彷徨った。
進んでいる間、意識が朦朧とし、現実の中にいる自信がなくなり、頭がぐるぐると回ってどこに立っているのか分からなくなった。
市場の中をよたよたと歩き、ふらついて肉屋の店先に止まっていた人の像の一つに思い切りぶつかったが、やはりその像はびくともせず、形容しがたい感触がするだけだった。
帰ろうと思ったが道がわからず、めまいから息が荒くなり、やがてぶらぶらと人里の境を出て、里を離れて野原の道を歩いた。
頭上の陽は一向にかげることがなかった。
空さえも止まったままなのだということに気付くのに、さほどの時間はいらなかった。
やがて、田や畑もなくなって、本当に道と森と原っぱだけの場所に出た。
そこに唐突に、一本の鳥居が立っているのに気づいた。
はっとなる。鳥居の奥には木の影になった階段がずっと続いている。
予感がした。この上には何かがある。
大股で息せききって階段を駆け上がる。
鳥居といえば神社だ。神社といえば巫女。鳥居、神社、巫女。
そう、慧音に見せてもらった幻想郷縁起に出てきた。
幻想郷の異変を解決する役目を背負った巫女が、まぼろしの郷の最果てにある神社に住んでいる。
この止まってしまった場所が、おそらくは幻想郷なのだろうということは、少年も気が付いていた。
きっとこの階段をのぼった先に、何か手掛かりが。
荒くなった息を整える。
頂上にあったのは、やはり森に隠れた小さな小さな神社だった。
すぐに境内にいくつかの人影があるのに気づいた。
皆少女だ。
体のあちこちに、不思議なものが付いている。
恐れていた通り、やはりここの者たちもみな止まっていた。
狛犬の側の石畳の上に、狐の尻尾のようなものをたくさんつけた女性が宙に浮かんだまま固まっていた。
ふとその女性の像に視線が止まった。
「にゃあ」
目線の下の方から猫の鳴き声がした。
女性の足元に帽子をかぶった黒猫がいた。
橙だ。
橙は女性の足元にすがりつくようにしている。
最初は爪を立てているように見えたが、何かを訴えるように、しきりに前足で女性の像を触っている。
なあなあ、と猫の鳴き声が聞こえたが、その音の響きもどこか不自然な気がした。
少年は茫然としながら辺りをぐるっと見回して観察した。
神社の拝殿のすぐ前に、巫女服のような紅白の衣装を着た少女と、白黒のエプロンドレスに鍔の広い魔女の被るような帽子を身につけた金髪の少女がいた。
その隣に真っ白な長い髪の毛と、赤いモンペに似たズボンを履いた少女が立っている。
境内には色とりどりの衣装を身にまとった少女の像が、十ばかり立っていた。
その中でも、ひときわ目を引く像がある。
境内の真ん中より少し右手に、見つめ合ったまま固まっている二人の少女の像があった。
さほど他の像と変わらない装束であったが、なぜか目立った。
羽根の生えた女の子が、両の手のひらを自分の方に向けて胸の高さまで上げ、うろたえるような、申し訳なさそうな表情をしている。
白とピンクが混ざった、西洋風のフリルが一杯付いた可愛い服を着ている、が、その女の子の下半身はスカートの部分から下が、うっすらとしていて透明になり、消えかかっていた。
その前では、メイド服に身を包んだ女性が苦悶の表情を浮かべ、両足を肩幅にし、両手を左右一杯に広げていた。
注意して見てみたあと、その周囲を見回してみると、なぜ二人の像が目立つのかが分かった。
境内にいた皆がその二人の方に視線を向けている形になっていたのだ。
奇妙な光景だった。
異様な光景だった。
まるで何か事件が起きた後、そのまま固まってしまった、そんな風に少年は感じた。
「その異変は唐突に起こったのです」
後ろから綺麗な声がした。
少年が振り向くと、うつむいたまま立っている慧音がいた。
いつの間に、自分に追いついたのだろうか。いつから自分の後ろに立っていたのだろう。
「いえ、この郷に住む者にとっては唐突な出来事でしたが、それは予定調和のようなものだったのでしょう。
いずれ十分起こりえるものだったのです」
そうやって慧音は語り出した。
約束を破って、後を付けてきてしまったことを咎められると思った。
が、慧音はそうはしなかった。
だけど、そうされるよりももっと悪い予感がした。
語りながら、慧音はゆっくりと少年の方へ歩いてくる。
「あなたも解っている通り、ここは幻想郷という場所です。この郷は外の世界に住んでいる人間の幻想からできています。
人々皆の頭の中にある共有の幻想。魂に刻みこまれた泡沫の夢です。
だから、この郷は結界で隔離されていても外の世界とは無縁でいられない。
もし、外の世界の人間が幻想を抱かなくなれば、人々の忘れ去られた記憶であるこの郷も消えてしまう」
少年はいぶかしんだ。
幻想になった郷。言われたことを反芻し、考えた。
少年が読んだ、幻想郷縁起にも同じことが書いてあった。
それが正しいのであれば、今現在のこの郷の状況と照らし合わせると。
止まっていた人々。太陽。自然。
境内で消えかかっている蝙蝠羽根の少女。
外の人間達が、幻想を抱かなくなれば?
外の人間達が、幻想を抱かなくなるには?
ずきりと頭が痛む。遠い記憶。忘れようとしていた記憶がにじみ出してくる。
「……大きな戦争があったのだと聞いています。それは、通常なら起るはずのない戦いでした。
人間達はどこかで道を取り違えてしまったのですね。
人々が死に絶え、信じるもの、必要とする者がいなくなったので、やがてこの郷は消えるはずだった」
戦争。
その言葉に衝撃を受け、額にじっとりと汗が滲む。
同時に頭の中でかちかちと歯車が一致するような音が聞こえた。
マヨイガの生活の中で、時折悪夢で見ていたあの風景との一致。
自分は何を忘れようとしていたのか。何を忘れたかったのか。
「そんなに、そんなにひどいのですか?」
やはり外の世界のことが気になって少年は問い返した。自分はそこからやってきたのだから当然だ。
「……多くの都市が焼かれたそうです。人間達が文明の果てに作りだしたあの破局的な力。
それを投げ合って、外の世界の国々はお互いに殺し合ったのです。
たくさんの命が失われたその出来事は一瞬のうちに起こったようです。だから」
慧音は言葉を区切ると、歩いていき境内の中心にあった羽根の生えた少女の像、その肩に手を置いた。
触れられても服についていたフリルは少しも揺れなかった。
少年もだんだんと昔の記憶を思い出していた。自分がどこにいたかを。
戦争。都市が焼かれて灰になった。それは、自分の見てきた記憶ではないのか。
黒い廃墟の群れや、あわただしく行動する兵士たちや、暗がりの中でうずくまっている自分のイメージ。
それらがフラッシュバックして少年の頭の中で万華鏡のようにくるくると回る。
その回転がだんだんと早くなり、一瞬目もくらむような光に変わった。
直後、少年は盲が開けて急速に現実に引き戻されたような感覚を味わう。
背筋に寒いものが走る。忘れていた記憶が蘇ってきた。
自分がどこから来た何者なのか。
どんな人生を送ってきたのか。
「その異変は突然起こりました。人間や妖怪などの種族を問わず、郷にいた者たちが次々に姿を消していったのです。
ちょうど今ここで消えかかっている彼女のように、ある日を境に、唐突に消えていったものが何人もいます。
この郷には不思議な、超常の力を持った人間や妖怪が大勢いました。そんなものたちでも、この異変には成す術がなかった。
幻想の力も、幻想を思い描く人々がいなくなってしまえば、何の意味もなくなってしまうのです」
それは、私たちの住む現代の地球とほとんどそっくりで、どこか少し異なった世界のお話。
その世界では、人々は自分たちの欲望と恐怖を制御することができなかったのだ。
それで、その世界は一度滅びてしまった。
少年はその滅びた世界からやってきた、最後の人間の一人だった。
「このメイドは、この女の子の従者なのです。
彼女も特別な力を持っていた。それは、時間と空間を自由に操る程度の能力」
慧音は視線を少女の目の前に立っていたメイド服姿の女性に移して言った。
少年は幻想郷縁起に書いてあったことごとを思い出す。
時間と空間を操る能力を持った悪魔の従者。
目の前の像は、本に書いてあった記述のとおりの姿をしている。
「その力を使って、彼女は最後に抗った。
皆でこの境内、当時妖怪たちが集まる精神的な中心のような場所でした。
この場所に集まって皆で対策を考えようとしていた時でした。この、蝙蝠の羽根のついた女の子の体が消えそうになったのは。
あるじが消えそうになったときに、メイドは自分の力を使って、この郷の時間を止めたのです」
「郷の……時間」
とても不可思議な物言いだった。郷全体の時間を止める? そんなことが可能なのだろうか。
だけどある程度は肯定しなければならなかった。
目の前に、実際そのような効果を及ぼされたと思われる実例が広がっていたのだから。
「それ以来、動いているものは私だけになってしまった」
「あなたは、あなたはどうして止まっていないのですか? どうして一人だけ消えないで」
「私は特別だったのです。このメイドも分かっていたから、私の時間だけは止めなかった。
いや、もしかしたら私の時間を止めることは、もともとできなかったのかも。
本当は、私も、自分のことをただの妖怪の一人だと思っていたのですが……。私は他の妖怪とは違っていたのです。
時が止まったとしても、そのもの自体は、止まっているという歴史を刻み続けているから」
慧音はそこで言葉を区切り、息を大きく吸い込み、目を静かに閉じてまた開けてそれから
「私は白沢という歴史を司る妖怪でした。そして妖怪というのは、自然や事物の化粧なのです。
私はこの郷が刻んだ歴史そのものだったのです。記憶の具現が、私という存在。
だから、外の世界が幻想を忘れても、しばらくは私は残っていた、そして」
慧音はまっすぐに少年の瞳を見た。一秒たりとも目をそらしてはいけないと決めたみたいにずっとまっすぐに。
彼女はこれから決定的なことを話そうとしているのだ。それを話すために準備をするために、時間を必要としていた。
……実際にその時間が流れた。
時は止まっていたのだが、ともかくも間があった。
いくらかの二人の沈黙の後に慧音は切り出した。
「運命を視る者たちが、時を聴く者たちが教えてくれました。
私には役目があったのです。私にはあなたにお願いするという役目があったのです」
「お願い?」
少年は、頭上に茹だるような暑さを感じていた。
郷の上空の日差しは凍結して、温度はさほどでもないはずなのに、彼の額には汗が浮かんでいた。
少年は薄目をかろうじて開けていた。
本当はつぶってしまいたかったのだけど。
しばしの沈黙の間に少年は考えた。
幻想を忘れてしまった外の世界に必要なものは何か。
自分はこの郷の中で、これまでいったい何をしていたか。
「あなたに幻想郷の物語をお聞かせしたのは、あなたにそれを外に伝えてもらうためです」
わかりかけていた事を、直接少女の口から断言されて少年はうめいた。
そして悩んだ。
なぜ先ほどから慧音は敬語で話していたのだろうか。
それがずっと気になっていた。
そんな風に他人行儀に話してほしくなかった。
今までのように、二人で閉ざされた里で暮らしていた時のように、普通に話してほしかった。
少年は、改まった慧音の物言いを拒絶の意思表示と感じていたのだ。
少年は、慧音が好きだった。
とてもとても、言葉にできないくらい彼女のことが好きになっていた。
できるなら、彼女の夫となって、ずっとこの郷で彼女を支え続けていきたい。そんな夢さえ抱いていたのだ。
なのに慧音は自分を外の世界へ送り出すという。
もはや忘れ去られた郷の物語の、語り部となれと言っている。
聞けば外はとてもひどい状態だそうじゃないか。本当に自分以外に生きている人間などいるのだろうか。
「あの、あのマヨイガという場所、あそこはなぜ時間が止まっていないのですか?」
「あの場所は、幻想郷であって幻想郷ではないからです。あそこは外の世界と幻想郷の中間にある場所なのです。あれが残っていたおかげで、私は……あなたを、あなたと……」
「そう、なんですか……」
どうでも良いことだった。質問したのは、つぶされそうになる心の重圧を、目先の仕事でそらしたかっただけなのだ。
少年にはもっと大きな問題があった。
少年は突きつけられた現実に我慢できなくなり、やはり少しの間目を閉じた。
そうしてその間に、色々なことを考えた。
謎は残ったが、大筋は理解していた。
おそらく、まだ少しは外の世界に人間が生きているのだろう。
そしてその数は、それほど多くはないが、かろうじて増えていけるほど。
だけど幻想郷のことを知っている人間がいない。
正確に何が引き金になったのかは解らないが、外の世界の人間達が死滅したことによって、幻想郷は存続していくために必要な、決定的な何かを失ってしまったのだ。
慧音は最初から、自分を利用するつもりで……この幻想郷を救う目的のために、自分を引きとめていた。
幻想郷縁起を読ませて、幻想郷の歴史を覚えてもらって、それを外へ伝えさせるために。
彼女は幻想を増殖させるための、メッセンジャーを探していたのだ。
自分の救いたい人たちのことを知っている人間を増やすために。
憎まなかったと言えば、嘘になる。
少年は自分の恋について考えたのだ。
夢のようないつかの満月の一夜を思い返して、そのような幻想を与えた少女を恨んだ。
だから、しばらく目をつぶって考えていた。
苦悩して苦悶して苦虫をかみつぶして、葛藤や怒りや憎しみや、浮かんでくるさまざまな負の想念と苦闘していた。
だけど、目を開けてみると、そこに立っているのはやっぱり悲しみだったのだ。
時の止まった郷で、昔は友達だった偶像を眺めている妖怪の少女が見えた。
「分かっています」
慧音は胸に両手を当ててうつむいた。
少年には、慧音の目に滲んでいる物が、今にもこぼれそうなその輝きが見えた。
幻想郷を知る人間が完全にいなくなってしまったら、その記憶である彼女はどうなるのだろう?
完全に、人々の心の中から幻想郷の記憶の痕跡すら消え去ってしまったら?
きっと……きっと、彼女も消えてしまうのだろう。そう思った。
「ひどい、とても酷い女であることは……だから私は、あなたにそうして欲しいとは言えない。私はあなたの望むようにしようと思います」
また顔をあげて、目に涙をいっぱいにためながら、慧音は少年の方へ訴えかけた。
少年はその慧音の顔を見て驚いた。
涙をためて我慢しているから、頬と鼻が真っ赤だった。
いつものたたずまいとは程遠い、鼻水が少し垂れて、崩れる寸前のくちゃくちゃな顔だ。
だから尚更、壊れそうになるくらいに美しかった。
慧音がなぜたびたび郷を訪れていたのか。少年はその理由を知らなかった。
慧音は、少年を送りだすことを躊躇していたのだ。
幻想郷縁起を少年に読ませて以降、慧音は半年近くも、彼に真実を打ち明けるべきかどうかで思い悩んでいた。
満月の夜の後に、少年に対して好意を寄せるようになってからは、それ以上の仲になることを恐れて彼を遠ざけるようにさえした。
慧音は少年との生活に愛着を覚え始めていたのだ。
その生活にのめりこんで、自分の使命を忘れてしまうのではないかと怖かった。
決意を思い出すために、止まってしまった郷へ行って昔を思い返していた。
日を追うごとに、その回数が頻繁になっていたのだ。
それらの想いを込めて少女は少年の前に立っていた。
少年が心の機微を読む力に欠けていたのは、仕方のないことだったのだろう。
少年は慧音の気持ちを知らなかったし、彼ははまだ幼かったから。
彼女の自分に対する想いを裏付ける、確かな言葉が欲しかった。
だけど、直接は聞けなかった。
だから少年は、ひとつだけ聞いてしまった。
「慧音さん、ひとつだけ、ひとつだけ教えてください。ずっと疑問に思っていた。あなたが僕よりずっと長く生きているということは、知っています。でも、今まで、あなたはなんというかその、まるで」
「なんでしょう?」
「妖怪は人間よりずっと長生きすると……僕も学びました。だから、人間の年齢に直して言ってください」
「はい。聞いてください」
「あなたはいくつですか?」
その質問の後、少し間があった。
少年は慧音がわずかに微笑んだように思った。
「私は十六歳です」
十六歳。
少年は自分の中の疑問が氷解していく印象を覚えた。
ああ、そうだったのだ。
慧音も自分と同じ想いを抱いていたのだ。
少年の目には、忘れ去られた郷の、忘れ去られた幻想の景色の中を駆けていく銀髪の少女が見えた。
宝石のような自然の光を浴び、若さに溢れ、みずみずしく輝いている少女。
未来が素晴らしいものであること、世界が人間達の善意に満ちたものであることを信じて疑わず、多くの人々に囲まれて、多くの友達に囲まれて、花の咲いたような笑顔を振りまいている少女。
恋の甘酸っぱさへの憧れと、打算や計算から縁遠い純真さを保ったまま、いつか運命の理想の恋人に出会えると夢見る若葉の少女。
それが今は、時の止まった死んでしまった世界で、以前は友達だった偶像を眺めながら一人で孤独に消えていく。
自分の運命に泣き腫らしている、まだ幼さの残る十六歳の少女だ。
彼女には友達と過ごす時間が必要だ。
彼女には嘆きの物語は必要ない。
彼女が大切にしていた、優しい先生と元気な生徒達という関係。
彼女の愛した人間達とのふれあいの日々が、彼女に必要なものだ。
それを与えてあげられるのは、今、自分しかいなかった。
それを奪って彼女を独り占めする権利が、自分にあるだろうか?
ここに残ると言えば、慧音は付き添ってくれるだろう。
慧音の存在が尽きるその時まで、自分を愛してくれるだろう。
十六歳の恋する少女の愛を、一身に受けることができる。
だけど、本当にそれが自分のするべきことなのだろうか?
敵の攻撃におびえながら、地中のシェルターで過ごした生活の中で、一人の兵士が自分の世話をしてくれた。
その兵士は自分なりの哲理を持っていて、少年にそれを教えてくれた。
記憶を取り戻した今、少年はその言葉をありありと思い出せた。
それは、男は女を愛し、それを守るために生きるものだということ。
自分に優しくしてくれた大切な人達のために、懸命に働くべきだということ。
そんな古臭くカビの生えた信条を、幼かった少年は一生を通して貫くべき価値のある言葉とし、胸に刻みこんでいた。
少年は生まれたのちに、分別と紳士であることを学んだものであった。
戦火に怯えた幼少の時代を過ごし、決して幸福とは言えない生涯を送ってきたが、その中でさえ、他人を憎悪したり羨んだり、または自分の欲望のままに他人を傷つけることを、悪だと学んでいた。
その信条に従って自分が今するべきこと。
それは、優しい思い出をくれた慧音のために、できる限りのことをするということじゃないか?
少年は自分にそう言い聞かせる。
……だけど、それは耐え難い選択でもあったのだ。
それは思春期の少年が、美しい少女の愛を打ち捨てて行かなければならないということだった。
教わった理想、それは確かに美しいけど、現実のつらさはそんな綺麗事で補えるものではなかった。
少年もくちゃくちゃになった。
別れを想像して情けなく、涙をぼろぼろと流し、顔をしわくちゃにして、うえっという嗚咽の声をもらした。
別れるのがつらくてつらくて……そんな汚い顔を好きな子に見られるのが嫌だったので、ずっとうつむいていた。
すぐに背を向けて涙を見られないようにした。
好きな人のために、自分を犠牲にしなきゃいけないだって? いったいぜんたい、大好きな人にしてあげられる最良のことが、その人の元から去ることだなんて、本当にそんなことがあるだろうか?
それでも少年は、愛する人のために、何をしなければいけないかを考えたのだ。
慧音のためだけではない……この幻想の郷を守るために……いや、自分が知っているのは慧音だけだったから、やっぱり慧音のために何をするべきかを考えるのだ。
慧音に着せてもらった着物の袖で涙と鼻水を拭きながら、ぐずぐず言いながら、鼻水を啜りながら。
そして、また悩む。
悩み抜いた末に、少年は、決断した。
目の前に居る、自分と同じ気持ちを抱いた少女のために。
何をするべきかを、選び取ったのだ。
そうして契約は成された。
少年は郷を出ることに決めた。
*
少年と慧音はそれから少しして、境内を離れ、一緒にマヨイガに帰った。
泣き腫らした顔を引きずって、気まずい沈黙を引きずって。
帰り道の途中も、帰って屋敷に入ってからも、ずっと二人の間に会話はなかった。
マヨイガに帰りついた時には既に夕方になっていた。
屋敷に入ると、慧音はいつもの通りに夕食の準備をした。
最後の晩餐はそのまま無言で続けられた。
静かな時間の中で、少年は慧音が作ってくれた最後の食事を噛み締めた。
半ばまで食事が進んだところで、少年が口を開いた。
「明日、ここを発とうと思います」
「はい」
慧音も静かに答えた。
「では、里の出口までお見送りします」
「いいえ……この屋敷で別れましょう。道を教えてください。ここからは一人で行きたいのです」
「……はい」
「おやすみなさい」
*
明くる朝、少年は屋敷を出た。
門をくぐり、マヨイガを後にして慧音が教えてくれた山の中の洞窟を目指すことにした。
十月の黄昏の国を、朝日の黄金色に染まる郷を、美しい紅葉が燃える日本の原風景の中を、少年は歩き、教えられた出口へ向かった。
史を詠んだ永の月日は終わり、明けて今朝は別れ行く。
浮かんでくる綺麗だった思い出の数々を押し殺して少年は歩を進める。
見送る少女の声が背後から聞こえた。
「さようなら、さようなら……」
半分涙声で
「どうかお元気で。あなたの歴史が陽の光に満ちたものでありますように」
それでも笑顔の声だった。
シェルターの外の世界が見たくて、周囲の静止を振り切って数か月ぶりに外に出た時のことだった。
最後の攻撃があったときに、爆発を避けるためにそのトンネルに逃げ込んだことを、少年はようやく思い出していた。
炸裂した爆弾がもたらした轟音で鼓膜が麻痺し、爆風で頭を打ち付けたショックで朦朧としながらそのトンネルを通った。
ぼんやりとした意識の中で、おそらくは自分の住んでいたシェルターは、あの爆撃で跡形もなく吹き飛ばされたのだろうということを悟って、絶望的な気分を味わったことも。
その時歩きながら、子供の時分に映像記録で見たような、美しい自然に囲まれた山間の理想郷を想像していたことも思い出した。
そういう場所にたどり着きたいと願った。不毛な戦いから逃れて、安らぎの時間が欲しいと望んだ。
そうしてトンネルを出た時には、目の前に緑の山野が広がっていたのだ。
慧音が以前言っていた外に通じる洞窟とは、廃線になった鉄道のトンネルだった。
すっかり錆付いて赤茶けたレールや、半分腐り落ちた枕木が地面に敷設され、トンネルの奥深くまでずっと続いていた。
トンネルの中は灯りなど一切なく、レールが足につかえて歩きにくかった。
道行きの一歩一歩に、彼女の面影が浮かんできては少年の心を苦しめた。
一歩一歩前へ進むと言う事は、一歩一歩少女の愛から遠ざかるということだった。
やがて入ってきた方向とは反対側に、弱い陽の光で縁取られた出口が見えてきた。
少年は、灰色の空の下、元居た世界へ辿り着いた。
焼けただれ罅割れだらけのアスファルトの道の先に、以前は都市だったものの残骸が黒く軒を並べているのが見えた。
今まで見ていた緑に溢れた国の景色とはとても対照的だった。
夢想の世界を離れて、現実の地平へと出たのだ。
これから彼はこの場所で生きていく。
トンネルの中を振り返ってみると、暗闇が広がっているだけだった。
そのトンネルをもう一度入って行ったとしても、もうあの空夢のような国へは通じていないのだと言うことを、少年は悟った。
そこで改めて、少年はもう一度少女に別れを告げた。
目をつぶり、少し前まで続いていた夢の思い出を心に浮かべた後、自分の初恋に別れを告げた。
さようなら、慧音。
あなたの歴史が、優しい思い出で満ちたものでありますように。
そう心の中でつぶやいた。
さようなら、慧音。
あなたの未来が幸せの笑顔で一杯になりますように。
心の中で遠い幻想の郷へ向けて祈った。
聞こえないはずの言葉は、ちゃんと相手に届いただろうか。
そして少年は振り向いて、両目を開いて歩きだした。
彼がトンネルの方角を振りかえることは、もう二度と無いだろう。
*
*
*
Sevral Years later...
『とまるも ゆくも かぎりとて かたみに おもう ちよろずの』
夜になりゆく空の下の街路を、幾人かの人々が歩いている。
煙突から湧き出た白い煙が、星霜をゆるやかに区切ってゆく。
冷たい気温のために澄んだ空には満開の星々が溢れている。
こんな夜には大人たちも、夜更かししている子供たちを口うるさくして叱ったりなんてことはしない。
これは、やがて日が過ぎ季節が過ぎ、時が満ちて、一つの世界が破滅の淵から立ち直り、人々が戦火の傷痕をようやく過去のものとし、ちょうど街の灯と呼ばれるものを復興させた頃のことだ。
暖炉の火がともり、星のまたたきが窓ガラスを通して室内に流れ込んでいる夜のこと。
町はずれの一件家の中、暖かい火の隣のソファで、一人の老人が腰をかけて本を読んでいる。
そこへ彼の孫がやってくる。
孫はかまってほしそうに、しきりに老人の腕をとってせがむ。
老人は孫にせかされて、お話をしてあげることにした。
彼は今まで読んでいた本を閉じて、傍らにすがりついている孫の小さな頭をなでる。
彼はこれから、一番得意なお話を孫に聞かせてあげるつもりだ。
もう何度も語っていて暗記しているので、そらで語れる物語――
「ではこれから、幻想郷についての物語をしよう」
そうして彼は、自分の口から滔々と音を漏らし始める。
それは、色づきゆく幻想の物語の数々だ。
老人は確信している。
それらが語られている間は、それらを聴く者たちがいる限りは、少女達が生きていることを。
あのまぼろしの郷で詠んだ物語に出てきた、光輝く幻想の少女たちが、活き活きとしたその生を謳歌していることを。
そしてその輪の中に、一人の少女の面影が加わっていくのが見える。
しなやかで長い手足をまっすぐに延ばし、蒼い服を着て歩いていく。
流れる銀髪の中から突き出た二本の象牙、ちょうど今窓に積り出した初雪の色の肌。
恋の予感を感じさせる潤んだ紅いルビーの瞳と桜色の唇。
彼女だけは、物語ではない実際の記憶だ。
老人が姿を目で見て、声を耳で聞いて、手で触れ、肩を寄せ合った少女。
自分にかけがえのない安らぎの時間をくれた少女の記憶。
今でも思い出の中に、崩れることのない不滅の理想として、きらめいている青春のひととき。
老人は人々に彼女のことを、彼女の望んだそのお話を、何度も何度も繰り返し、聞かせてきた。
自分の見たものと聞いたものとを、ずっと、語り聞かせてきた。
そしてその行為は、これまでも、これからもずっと続く。
そうすることによって彼は、自分の中の記録を尚いっそう完璧なものへと補っていく。
かつて少年だった老人は、そうやって幻想のことを想う。
かつて夢見る少年であり、今もその夢を忘れずにいる老人は、そうやって、史(ふみ)を詠む。
心の端をいくつかの言葉に乗せて、幸くとばかりに。
一人の少女の面影を詠んでいく。
自分が恋した少女の姿を心に浮かべながら。
了
「気が付いた?」
目を開けてみると、見知らぬ部屋の中で寝ていた。
自分の目の前にあるのが女性の顔だということに気付くのに、しばらく時間がかかった。
とっさに起き上がろうとして体を動かし、背中にずきっとした痛みを覚える。
「まだ動かない方がいい」
少年は痛みに顔をしかめながら、言われたとおり再び床に伏せった。
ぼやけていた視界がだんだんとくっきりしてくる。
彼は目をぱちくりとしばたいて、改めて目の前の女性の容姿を確認した。そして受けた驚きのために自分の目を疑う。
白く、どこまでも白く、この世のものとは思えないほどの美しくそして長い髪。
それが目の前のやはり淡雪のように白い肌の周りを飾っていた。
その肌の中心には、赤く輝く濡れた宝石のような瞳があった。
吸い込まれるような、透き通った、優しさと知性を称えた色が自分を見つめている。
青い色の着物に似た風変わりな衣装。エキゾチックな風体をしたその女性は少女と言ってよい若さの外見だ。
美しい少女だった。
いくつぐらいだろうかと少年は探る。外見の異彩さからか、年齢が簡単に予想できなかった。
「怪我をしていたから。一応は手当てをしたけど、完全に治るにはもうしばらく時間がかかる」
少年は床に伏せったまま、辺りを見回してみる。
少女の体の背景を確認する。畳敷きの広い部屋の中に居ることに気づいた。
十畳ほどの空間だ。自分はその部屋の中央に敷かれた布団に寝ている。
足元の方向を見ると床の間があって、書院造の違い棚が設けられている。その隣には掛け軸が飾られていた。
純和風の木造家屋の中。落ち付いた、しっとりとした雰囲気。
部屋の右手には障子戸があり、光の加減から朝か昼時であることが分かる。
室内が薄暗いのは灯りをつけていないせいだった。そもそも天井に電灯自体がなかった。
部屋の様子をおおざっぱに把握したあと、少年は自分がどこにいるのか聞こうと思った。
何度か口をぱくぱくとさせて予行演習してから、少年は声を発した。
「ここは?」
「ここは私の住みかだよ。沢で倒れていた君を拾ってから、三日になる」
「三日……僕はそんなに寝ていたんですか?」
少年はぼんやりとした様子でそう答える。
まだ夢の中にいるような心持ちがする。
「私の名前は上白沢慧音」
カミシラサワ、ケイネ。
頭の中で少女が言った単語を反復してみる。
ケイネさんか。
変わった名前だと彼は思った。
「君の名前は?」
「僕?」
そう言われて少年は頭の中を探り、やがて自分の名前が口に出せないことに気づいた。
一瞬真っ白になった。記憶喪失なんて小説や漫画の中だけの話だと思っていたので、気が動転して脳みそがかきまぜられたみたいな気分になる。
その後すぐに恐怖を感じて冷汗をかく。
自分がどこから来た何者なのか全く思い出せない。それは実際に体験してみると実に笑えない状況だった。
せめて名前だけでも思い出そうと考え、必死で頭をこねくり回して目的の単語を探そうとするが、全然うまくいかない。
「名前が思い出せない?」
慧音と名乗った女性に、少年はありのままを答えた。
「なるほど。そういう病気は聞いたことがある。……だけどまあ、一時的なものかもしれないね。
精神的に混乱していると、人間はそのときだけ記憶が欠落すると言う。少し落ち着くまで、ここでゆっくりしていきなさい」
柔らかい調子でそう言うと、少女は近くにあった木桶にかけていた手ぬぐいを取った。
それで少年の顔に付いた汗を拭きとっていく。
優しくゆっくりとした、柔らかい手使いが心地良い。
少年は夢見心地で自分の世話をしてくれている少女の様子を眺めていた。
所作のひとつひとつが整っていて綺麗だ。
一通り拭き終ると、彼女は木桶を持って立ち上がり、静かに部屋の隅へ歩いていく。
次の間に通じていたふすまを開けると、一度少年の寝ている方角へ振り向く。
「私は隣にいるから、何かあったら呼んでね」
少女はそう言った後、音もなくすっとふすまを閉じた。
少女の柔らかな態度と優しい声は、少年を安心させる効果があった。
落ち着いた気持ちになった少年は、疲れのためにまた眠った。
*
いくらか時間が過ぎて、少年は再び目を覚ました。
今度は先ほどより意識がしっかりしている。
起き上がってみる。体の痛みが嘘のように引いていた。
少年は布団から出て立ち上がる。
部屋の中が暗かったので、障子を開いて外を見てみることにした。
外はすぐ縁側になっていてその下には水路があり、透き通った綺麗な水が流れていた。
その先には手入れの行き届いた小さな庭があった。
こんもりと葉を着た植木と生垣で囲まれているために、周りの景色は見えなかったが、陽は既に傾いて空が夕暮れ色に染まっていた。
少年は縁側を歩き出した。
左右に延びる縁側は思ったより長く、自分のいる場所がかなりの大きさの屋敷であることが分かった。
そのまま縁側を歩いて屋敷をぐるっと回ると、玄関と思われる土間へ入った。
屋敷の奥の方へ目を向けると、長くて暗い廊下が続いていたが、人陰は見当たらなかった。
土間には靴が何足か置かれていた。その中に一足見覚えのあるものを見つけた。
他の記憶は思いだせないが、なぜかそれが自分の履いていた靴だということは分かった。
形やデザインも他の靴とは異なっている。
少年はその靴を履いて外へ出た。
玄関から続いている石畳を通って、屋敷の正面と思われる茅葺きの門をくぐる。
突然、目の中に見慣れない新鮮さが飛び込んできた。
視界の中一面を埋め尽くす蒼い草木の群れが見えた。
屋敷の前には舗装されていない土の道がずっと続いており、その傍らにはみずみずしく伸びた草花が茂っている。
また道の脇には小川があって、そこから続くせせらぎが、屋敷の隣に接した小さな小屋に備え付けられていた水車を回していた。
道の先を見ると水の張られた田んぼがすぐ近くの森まで続いており、遠い空には黒い山々の向こうに、橙色の夕焼けが空を焦がしている。
そこには手つかずの自然が広がっていた。
見るものが見れば、それが一昔前の、日本の片田舎の風景であることが分かっただろう。
少年は季節の感覚も忘れていたので、それがちょうど五月の若葉が芽吹く季節の、夕暮れの景色であるということも分からなかった。
少年はこういった景色を生で見たことがなかった。
彼にとってそれらは、全て映像や書籍の中でしか体験したことのない光景だった。
「起きれるようになったのだね」
声をかけられて、後ろを振り向く。
美しく小鳥の鳴き声のように澄んだ声。こういう声にはいくらか切ない気分にさせられる作用がある。少年も、弱く胸を締めつけられたような気分になった。
屋敷の玄関に先ほど慧音と名乗った少女が出てきていた。
「どうやら術が効いたみたいだね」
「術?」
慧音は少年の立っていた門の下まで歩いてくる。
「随分田舎だから、びっくりしたでしょう?」
「あ……いえ、そんなことはないです。とてもきれいな景色だから、驚きました」
「調子も良いようだから、しばらくあたりを散歩してみる?」
慧音は手を後ろ手に組んで、首を少し傾けながら、花の咲いたような微笑を浮かべてそう言った。
茶目っけがある。
少年はそれを見て思わず頬を赤らめた。
「うん?」
不思議そうに微笑みながら、慧音は少年の顔を覗きこんでくる。
ぶんぶんと首を縦に振り、高速でうなずく。
二人は屋敷の前の路地を歩きだした。
一緒に並んで歩いていると、少年はすぐに慧音を意識して心臓が高鳴った。
だけど慧音はどこ吹く風といった感じで、平静そうな顔をしている。
足取りは軽やかで颯爽としていて、まるで宙に浮きながら進んでいるみたいだ。
来ている蒼い服の模様や、頭に乗せた羽飾りから、少年は一匹の美しい孔雀の姿を連想した。
何にしても、例えるとしたらとても気高くて綺麗な生き物だろうと少年は続けて考える。
屋敷の周りは小川状の堀と、丁寧に手入れされた生垣に囲まれていた。
住んでいた建物の他にいくつかの棟があったが、それらは現在使用していないと慧音が説明した。
「ここには、他に誰か住んでいないのですか?」
「随分昔から、私一人で暮らしてる」
慧音はぽつりとそれだけ言った。
不思議に思って少年は続けて聞いてみる。
「ここは一体……ここは僕の知っている時代とは随分違うような気がします。何と言うのでしょうか。文明の水準が随分昔の……」
「君は歳の割に利発だね」
そう言った慧音はまっすぐに少年の顔をのぞきこんでくる。
ほめられたようだったし、また見つめられたので気恥しく、少年は自分の顔が火照って熱くなるのを感じた。
外見は自分より少し年上の、とびきり美しい少女だ。
少年はすぐに慧音に好意を抱くようになった。同時に好奇心も湧いてきた。彼女は一体どういう人間何だろうか、
「ここは一種の隠し里のようなものなんだ。時代から隔離された。明治期に外の世界から切り離された場所だったんだ」
「そんな場所が……」
「俄には信じがたい話だと思うよ。まるで……そうだね。君たちの世界の、小説や漫画に出てくるようなお話だからね」
「いえ、信じられるような気がします。この里、どこか他の場所とは違う雰囲気が……と言っても、僕の知っている……思い出せる限りの場所と比べてなんですけど。なんていうかその、まるで時が止まってしまっているみたいな印象を受けました」
「ここはその昔マヨイガと呼ばれていた場所。今はもとの主はいなくなって、私が管理をしていたのだけどね。ここの主とは知り会いだったんだ」
「その人はどこへ行ったんですか?」
そう聞くと、慧音は黙りこくった。
しばらくして歩みを止めて立ち止まり、
「遠い旅に出た」
無表情のままポツリと言う。
「旅……。慧音さんはその人の帰りを?」
「ああ、待っているんだよ。私たち妖怪は人とは違って長生きするから。いつまででも待つことができる」
「え……今何と」
慧音がふと漏らした単語に、少年は反応した。
ヨウカイ……? 確かにそう言った。
日常生活では余り聞き覚えのない、昔のお伽話に出てくるような単語だ。
「ふむ。妖怪を見るのは初めて?」
「えっと……ごめんなさい、よくわかりません」
「冗談で言っているわけではないんだよ。大昔の日本には、ちゃんと妖怪が住んでいたんだ。私はその生き残り、だね。君も雪女や座敷童子の話は聞いたことがあるでしょう? それとも、外の世界はそういう話でさえも語り継がなくなってしまったのかしら?」
「いえ、それは聞いたことがありますが……」
「隠し里に、そこに住んでいる妖怪。まあ、突拍子もないからねえ。信じられないのも無理はないか。その成り行きについてもおいおい……」
その時足元でにゃあ、という鳴き声がした。
「あ、猫」
道の脇の草むらから黒い塊が飛び出してきた。もこもことした毛をまとった小さな黒猫だった。
頭には磯巾着みたいな形の帽子をかぶっている。
「やあ橙。そういえばお前がいたね。おいで」
慧音がしゃがんで両手を差し出すと、黒猫は彼女の腕の中に飛び込んできた。
「変わった猫ですね? 帽子をかぶっている」
「この子は前のここの主人の飼い猫だったんだよ。この帽子はその主人があげたものだから。ずっと着けているんだね」
慧音は猫を抱かえると、優しそうにその黒猫の体をなでた。
表情はまた柔らかな笑みに変わっていた。
「飼い主が居なくなる前も、居なくなってからも、この子はずっとこの場所で留守番をしていたんだ」
猫は首筋を伸ばし、うにゃうにゃと鳴き、自分の可愛さをアピールするみたいに前足をまごの手のようにくにゃっと曲げてみせた。
「触ってみる?」
「え、はい」
少年は慧音から猫を受け取った。
暖かく、綺麗な毛並みが半袖から出た手に当って心地良い。
そっとなでてやると、猫は腕の中で気持ち良さそうにごろごろと寝息を立てた。
「その、前の飼い主というのも」
「そう。私と同じ、妖怪。とても偉大な人物だった。妖怪を人物と呼ぶのもおかしいかもしれないけど、やはり人物だ。周りの妖怪たちを束ねていてね。その妖怪の力で、このマヨイガは一種外界から外れたような場所になっているんだ。私が今ここでこうして暮らしていけるのも、彼女のおかげだね」
慧音は昔馴染みのことを語っているはずなのに、どこか淡々とした感情のこもっていない様子だった。
少年はそれを不思議に思ったが、尋ねにくい雰囲気だったので黙っていた。
少年と慧音はそのまま屋敷の周りの田畑やあぜ道などを見て回った。
里は周囲をほとんど山に囲まれているようだった。
一か所だけ、谷が開けた部分があって、マヨイガの前から続く一本の道が、そこにまっすぐに続いていた。
おそらくはそれが外へ通じる道につながっているのだろう。少年はそう考えた。
「この道の先には何があるのですか?」
「ああ、あの道は行き止まりなんだ。崖になっているだけだよ」
崖になっている。
そう言われても釈然としなかった。
てっきり、目の前にある道が外へ通じるただ一つのルートだと思ったのだが。
他に道らしいものもないし、一本しかないこの道が行き止まりだとするなら、この里から出るにはどこへ行けば良いと言うのだろう。
周りの山を通っていけというのだろうか。
他にも不思議に感じることがあった。
この道の先には、何かがあるような気がする。そんな気がした。
少年は、慧音が行き止まりだといったその道に、得体の知れない空気を感じていた。
悪い予感もした。まるで、そこへ行ったら全てが壊れてしまうような。根拠はないが、そんな予感がした。
なぜそんな空想をするのか、それ自体も謎なのだが。
しかし自分に親切にしてくれている慧音の言葉を疑う理由も見つからなかった。
それにしても慧音は随分不思議な女性だ。
自分のことを妖怪と呼び、外見はとても若いのに、人里離れた山奥でたった一人で暮らしている。
しかしそれ以外は、少年にとっての理想的な女性像を体現しているといっても過言でなかった。
妖怪と言えば、昔から人を化かしたり、ひどいものになれば人間を攫って食らうということは少年も昔話の中で聞いて知っていたが、慧音にはそんなおどろおどろしさはまったく感じなかった。
まだ知り合って間もないが、慧音の知性的で穏やかな物腰や、会話の節々から感じる優しく思いやりのある性格が、そういった妖怪らしさを感じさせなかった。なにより彼女はとても人間くさい。初対面だし上手く説明もできないが、少年は慧音に対して会ってすぐにそういう印象を抱いていた。
慧音は料理も抜群に上手で、家事も全般にこなした。
屋敷に帰り、夜になって出された夕餉は、見た目は質素だったが抜群に美味しかった。
「口に合うかな?」
食卓で向い合せに座った慧音が、卓袱台の上に手をのせ、身を少し控え目に乗り出して聞いてくる。
箸をつけて食事を口に運んだあと、少年はじっとしていた。
それは少年の知らない味だったから、驚いていたのだ。
それは本当は知っていなければいけないはずの味だった。
少年は暖かい家庭の味というものを知らなかった。だから、思わずこぼれたのだ。
「そんな……泣くほどのものでもないでしょう」
「美味しい、です。こんな美味しいものは食べたことがない」
「お、大げさだね。おかわりだけは一杯あるから、遠慮なく言ってください」
「はい。いただきます」
「私も誰かと一緒に食事をすることなんて、久々だからちょっと緊張してしまっているみたい」
はにかみながら慧音は少年の手から茶碗を受け取った。
傍らに置いていたお櫃を開け、しゃもじを使ってご飯をぺたぺたとよそう。
こんもりとしたほかほかのご飯がお茶碗一杯に盛られて、少年の前に出された。
少年は涙を拭いて鼻をすすりながら、塩味のするそのご飯を本当に美味しそうに食べた。
*
何日かしても記憶が戻らない。
少年は自分の名前だけでなく、自分についてのことをほとんど何も思い出せなかった。
自分がどこから来たのか、いったい何者なのか、どこへ行こうとしていたのか。
そういった記憶をひねり出そうとすると、おぼろげに断片的なイメージが浮かんではくるのだが、詳しくその描像をつかもうとして、頭の中に手を伸ばすと決まって頭痛がする。
それでもそのうち思い出して目の間に靄がかかったみたいなこの状態もいつかは晴れるだろうと考え、不安を抱えながらも少年はそのまま日々の生活を送っていた。
とは言うものの、ただ黙って慧音の世話を受けているのも申し訳ないので、少年は慧音がいつもやっているらしい野良仕事を手伝うことにした。
マヨイガの裏手の山側に、良く整理された畑があった。少年はそこに案内されて、鍬を一本預かる。
「まずはこの山から耕していこうか」
ざくりざくりと畑にできた土の尾根の一つに鍬を入れていく。
慣れない畑仕事は、想像以上の重労働だった。
思うように鍬が地面に刺さらない。雑草の根を断とうと思っても、硬くてはじかれてしまう。まるで石みたいだった。
くたくたになって精も根も尽き果ててきたころに、別の仕事を終えた慧音が少年の前にやって来た。
「苦労しているみたいだね」
「はい、難しいです。慣れていないから」
「まあちょっと見ていなさい」
慧音は少年が地面に突き立てた鍬を片手でひょいと取って、それを持った。
軽いしぐさ。慣れた手つきで鍬を差し、土を掘り起こす。掘り起こされた土を見れば、少年が耕した場所とは色も形も違っているのが一目で分かった。こちらの方が断然ほぐれていて、作物も育ちやすそうだし、乱れがほとんどなく一本調子になっている。
「あまり力を入れるのは良くない。腰に意識を集中して、バランスをうまくとって梃子の原理でひっくり返すんだ」
そう言ってまた慧音は少年に鍬をひょいと手渡す。農作業の仕種であると言うのに、慧音は随分格好良く見えた。なんであれ熟達したものの動作は格好良く見えるのだろうか。
「さあ、もう一度やってみなさい」
やってみせ、言って聞かせてさせてみて、と言うことだろうか。と言う事は次は。
言われた助言は何となくしかわからなかったが、慧音のやっていた様子を真似てもう一度やってみる。
「そうそう、その調子。なかなか飲み込みがいいね」
やっぱり褒められた。
まるで先生みたいな口調と教育手順だ。誰かに何かを教えることが手慣れている様子。
確かに慧音のアドバイスは適切だった。言われた通りにやっているとようやくコツがつかめてきた。
何も聞かないで自己流でやっていた時より断然良い。
少年はおかげでその仕事を楽しむことができた。
待ち遠しい休憩の時間になり、畑の隣にあった菜の花の咲く草むらに疲れた腰を下ろす。
そこで慧音といっしょに昼食を食べた。
塩味のついたおにぎりをぱくついていると、慧音が農作物についていろいろな話をしてくれた。
慧音は大根や白菜といった野菜の他にも、色々な作物を育てていた。
マヨイガは基本的に明治期に隔離された場所であるが、質の良い品種や新しい野菜の種などを適宜取り入れてきたのだと言う。
ただ、それも現在ではできなくなってしまったと慧音は語った。
「どうしてですか?」
「込み入った事情なんだけどね。うまく外の世界との行き来ができなくなったんだ。すぐに外の世界に出ることができれば、君を送り返してあげることもできるんだけど……今は道が閉じていてね」
「道? 外の世界に通じる道があるのですか?」
あの場所の他に、そう言おうとしたが、なぜか言ってはいけないような気がして、その言葉をひっこめた。
「北の山中を分け入ったところに洞窟がある。そこが外の世界へ通じる通路になっていたんだけど……今は閉じているんだ」
「なぜ閉じてしまったのですか?」
「わからない。あそこは不思議な場所で、昔から開いたり閉じたりしていたんだ。また何かの拍子に開くかもしれないな。山仕事の最中に時々見に行くから、開いたら教えてあげるよ」
そういった話をしてから、ずっと時間が流れた。
何日も過ぎた。
少年がふと思い出し、今日は開いていましたか、と聞くと慧音は、いや、まだ閉じたままだ。おかしいな、こんなに長い間閉じているということは今までなかったのだが。と言う。
そんなことが何度も繰り返された。
そうこうしているうちに、マヨイガでの生活が少年にとって当たり前のようになっていった。当然少年は慧音の物言いを不思議に思っていたが、その感情を自ら押し殺すようにしていた。目先の生活の楽しさにのめり込んでしまっていたのかもしれない。
マヨイガのある里の中では、少年にとって落ち着いた時間が流れていたのだ。
そして少年は、日々の単調ではあっても安定した生活というものを楽しむことができる者だった。
自分の名前はいまだに思いだせなかったが、不都合はなかった。
名前の代わりに、慧音は少年のことを「君」と呼んだ。この里には慧音と少年意外に他に誰もいないのだから、それで十分事足りた。
マヨイガは不思議な場所で、通常なら山奥では不足しがちな食材を手に入れることができた。
例えば塩や醤油や味噌などの調味料だ。
だいたい塩などは海かもしくは岩塩などがないと採ることができない。山奥で隔離されているのであれば当然望みようもない。
だがマヨイガはこういったものが勝手に湧いてくるのだ。
その不可思議について少年が尋ねると、慧音はマヨイガ自体も妖怪のようなものだからと説明した。
少年は慧音の話をほとんど鵜呑みにするようになっていたし、既に慧音からいくつか妖術や法力のようなものを見せてもらっていたので、そのような非科学的な説明も抵抗なく受け入れることができた。
「便利ですねえ」
「だろう。これも前の主のおかげだ」
「すごい人ですね」
「ああ。いくら感謝しても足りない。もしかしたら……彼女は、ここは最初からこのために」
「え?」
「いや、何でもないんだ。こっちの話」
時々慧音は少年にはわからないことを思い出しているようだった。
*
また何日か過ぎた。
農作業も体になじんできた。いつもくたくたになるまで働いて、食事を取り、慧音とわずかの間歓談した後風呂に入って寝る。
そんな生活の繰り返しだった。
少年と慧音は互いのプライバシーを守りつつ、マヨイガの設備を共有して使っていた。
とはいえ二人で一つ屋根の下で暮らしているのだから、たまたまお互いのやろうとしていることがバッティングすることも起こりうる。思わぬ偶発時というやつ。
ある時、少年が風呂に入ろうと思って脱衣場の引き戸を引くと、目の前に動く白いものが見えたことがあった。
丸くて白くてやわらかそうで、すべすべとしていてそうで、締まるところが締まっている。
それが女性の生まれたままの姿を横から見たものだと気付くのに、少年はしばしの時間を要した。
スレンダーだけど出るとこは出ている申し分のない体型だったのだ。
「「………!」」
目を見開いた慧音の固まった顔が見える。
二人で顔を見合せて絶句する。
慧音は一瞬身をこわばらせたが、すぐに素早い動作で脇の籠に置いていた布を取って自分の体に巻く。
少年はあまりの出来事に硬直したままだった。
「こら……ずっとそうしていられると、困る……」
眉をしかめながら慧音がそう言った。
「あ、あ、う、あれ?」
慌てて少年は引き戸をがたがたと閉めようとするが、引っかかってうまく閉められない。
これは違うんです、のぞこうと思ったわけでは決してなくて、必死で弁解しようとするが、声にならない。
「ご、ごめんなさい!!」
結局引き戸を閉めるのもあきらめて、そのままそそくさと退散することにして首を引っ込めた。
「もう!」
そう言った後、ふくれっつらをした慧音の頬も真っ赤だった。
交代で湯船を使っている時に、先ほど見たものを思い出してやはり頭の中がもやもやした。
風呂から上がって、寝床の中に入った後もずっと同じことを考えていた。
そう言えば一緒に暮らしていてしばらく時間が経っていたし、慧音の態度は凛としていてある種男性的ですらあったので、それで忘れていた。
慧音だって女性だ。彼女の外見は自分よりも少し年上の女の子だ。
それとも妖怪だから人間とは違うのだろうか。外見と実年齢が異なっているかもしれない。
だけど、頭の中身はどうなのだろうか。
自分が脱衣場で彼女の裸を目にした時の、彼女の赤らんだ顔を思い出す。
恥じらいに頬を染めた顔。少女の顔だ。あんな表情もするのか。良く考えたら、今彼女は隣の部屋で寝ているのだ。
そう考えていると、また胸がどきどきとして来て自分の顔も赤くなって、声にならない声を出しながら少年は布団の中に潜り込む。表現できないもどかしさが胸の内にあった。彼にとっても、こんなに長い間一人の異性と一緒に暮らすなどということは、初めての体験だった。
それから、だんだんと少年は慧音のことを女性として意識するようになっていった。
*
慧音は定期的に屋敷を掃除していた。多くはそれは週末に行われる。
ともすれば毎日の生活に変化の無いマヨイガでは、日付の感覚を失いがちであるが、歴史に詳しい慧音は暦を覚えていて自分でつけていた。
今日がその日だと言うので、少年も手伝いを買って出て、手わけをして掃除をすることにした。
マヨイガは合掌造りという古い建築様式で建てられている。
もともとこのような建物は大家族が住むためのものであり、二人で暮らすには広く、掃除もとても時間がかかりそうだった。
屋敷の全部を見ていたらとてもではないが、一日では終わらないので、一つの部屋を重点的に片付けたいと慧音が提案した。
その日慧音が指定した部屋は、書物がたくさん保管されている倉庫のような部屋だった。
部屋の入口の木戸を開けて中を見ると、棚がいくつも置かれ、大量の書籍や巻物や紙箱が乱雑にしまわれていた。慧音が言うには、本来は書斎であるのだが、いつもはここで書きものをしないので、もっぱら本の保管用に使っているという。
閉め切られていてしばらく使っていないというので、薄暗く部屋中に埃が積もっていた。
「これは、大変そうですね」
「そうだね。君が来なかったら、ここを掃除しようとは思わなかったよ。実はちょっとここを使う用事ができてね。そのついでに、どうせなら掃除して片付けてしまおうと思ったんだ」
箒やはたきやバケツ、何枚かの雑巾など持ってきた掃除用具を部屋の前の床に置きながら慧音は言った。
それから二人は部屋の掃除を一緒にすることになった。
陣頭指揮は当然慧音が行った。彼女に指示されたとおりに、少年は部屋に乱雑に置かれていた本や箱を一つ一つ取り出して紐で縛っていく。
だんだんと奥にあった品物が廊下に運び出されて、部屋の中が片付いてきた。
最後に一番奥の窓際にあった箱を少年が抱えて外に出そうとする。
随分と重い。中身がぎっしりと詰まっている。何が入っているのだろうか。
「重そうだね、気をつけてね」
思わずへっぴり腰になっていたらしく、慧音に心配される。
「大丈夫、あれ?」
慧音の忠告に気を取られたせいか、死角ができていた。入口の角にあった壷にがつんと思い切り脛をぶつけた。
その拍子に少年は箱を取り落とす。
「あっ、しまった」
部屋と廊下の境目に、箱の中身が盛大に床に散らばった。どどどと雪崩落ちてきた箱の中身は、たくさんの習字道具と、いくつかの紙箱だった。
その紙箱も蓋が取れて中身が出てきている。箱の中には拙い字で書かれた和紙が何枚も重ねられていた。
「懐かしいものがでてきたな」
「これは誰かの書き取りの練習みたいですね」
「それは昔の生徒が書いたものなんだ、すっかり忘れていたよ……」
「生徒? 慧音さんは教師をしていたのですか?」
「とても古い記憶だね。でも今でも覚えている。昔はこの里にも子供たちが一杯いて、私は寺子屋のまねごとみたいなものをやっていたんだ。いつも子供たちは元気でね。相手をするのが大変だった」
そう言っている慧音の顔はとても懐かしそうなだったが、ふいに陰りが見えた。
なんだか少し悲しそうな微笑にも見える。気のせいだろうか。
「子供が好きだったんですね」
「うん、そうなんだ。さて、仕事を続けようか」
散らばった箱の中身をまとめて、荷物の運び出しは終わったが、まだ仕事は半分残っている。これから、部屋の中の埃を取り除いて棚や机を清掃した後、まとめた荷物を運び入れて整理する。
残りの作業は丸一日かかった。
取りかかる前はほこりだらけだった部屋が、立派な書斎に早変わりした。
その次の日の朝だった。休日と決めていた午前中に、慧音が少年を呼んだ。
前日掃除した書斎に少年を読んで、机の上に何冊かの本を置いて見せた。
糸で綴られた古書だ。表紙にはやはり古い書体で漢字が書いてあるが、達筆すぎてちょっと読めなかった。
ページをめくってみると中身は普通の書体で書かれており、昔言葉や仮名づかいが混じっているものの、何とか読み進められそうだ。
「これは?」
「これは幻想郷縁起といってね。幻想郷と呼ばれる隠し里について書かれた本だよ」
「隠し里? マヨイガではないのですか?」
「昔はマヨイガも幻想郷につながっていたんだ。今ではもう、その郷自体が忘れ去られてしまったので、行くことができないんだよ。この本は妖怪の歴史について書かれている。幻想郷は、妖怪の棲む郷だったから。これを読めば、君も以前私の言っていたことがわかると思う」
「これを僕に?」
「日中暇だろう? 読み物があったら良いと思って持って来たんだ。昨日の掃除のついでに見つけたから」
「ありがとうございます。気を使ってくれて」
「他人行儀はよしなさいよ。もう二週間も一つ屋根の下で暮らしているんだから」
何気ない一言なのだろうが、それでも少年の顔は赤くなった。
少年は慧音からもらった本を読んでみた。
幻想郷縁起。古事記を記した、稗田阿礼の後類が編纂した幻想郷と呼ばれる隠し里の履歴を綴った書物。
そしてそれに付随したいくつかの伝記が十数巻の冊子になっていた。
幻想郷は、大昔から日の本の国に存在した妖怪妖精が住む辺境の地だった。
明治期に術者が集って、その地域一帯を結界で囲い、外界から隔離した。
伝記には、本紀には語られていない小説仕立ての物語が連ねられていた。
少年は特にその伝記の方にのめりこみ、夢中になってページをめくった。
幻想郷の登場人物の英雄譚。
ある日を境に、彩りがぐんと増していく。
幻想郷に起こった数々の異変。それを解決した巫女と、彼女を取り巻く多くの人妖のお話。
起伏と独創性に富んだ物語。一種の御伽噺、フェアリーテイルのようなものだろうと少年は解釈した。
「どうだい?」
「読みました。あ、いえ。まだ読んでいる途中ですけど。とても素晴らしい物語です。登場人物の誰にも魅力があって」
「それは、よかった。著者もきっと喜んでいる。勧めた方としても誇らしいよ。他に何か気づいたことはあるかい?」
「えーと、この伝記の方なんですけど……後半からは、別の人が書いているように思えました」
「驚いた。わかるんだね?」
「特に、この妹紅という人物には作者が特別な思い入れを抱いているように感じました。描写がとても丁寧で……」
「そ、そうかな」
それを聞いて慧音はほんの少しうろたえた後、にこやかに笑った。
「慧音さんも出てきた。慧音さんは、ワーハクタクという妖怪なんですね」
「ああ、うん」
「人間の近くに住んで助けながら、人間の歴史を古くから見守ってきた半獣。この本に書いてある通りなら、慧音さんは、本当に人間が好きなんですね」
「うん。人間達の歴史は本当に興味深い。よく人間は弱くて、すぐ欲望に流されるって言うけど、私はそうじゃないと思う。人間には素晴らしい文化があるし、ちゃんと自分たちを制御できる強さを持っていると思うんだ」
「ええ、僕もそう思います」
「妖怪も人間がいなかったら生まれなかった。人間達が必要だと思ってくれたから、そこにいると想像したから空想の存在である妖怪は生まれたの。私は、人間が妖怪の母だと思っているんです。だから人間達のことが知りたかった。私たちを育んでくれた人間たちの歴史を知りたかったんです」
「それで里に下りてきて、寺子屋をやったりしていたんですか」
「子供の頃から関わると言う事は、私にとってはその人間の一生を見ていくということになるからね」
少年にはなんとなく分かっていた。この幻想郷縁起の作者は稗田阿礼とその後類とされているが、伝記の方は途中から別の人が書いている。それは慧音ではないかと少年は思った。
慧音も昔は幻想郷に住んでいた。そこで見聞きしていた事物や、知人や友人達のことを伝記として記したのではないか。
その少年の予想は当たっていた。妹紅は慧音にとって一番親しくしていた人物だったので、彼女のことを書く時はなるべく熱が入らないように心がけていたのだが、やはりある程度の読者には伝わってしまったのだ。
それから慧音は午後の空いている時間に、少年に歴史を教えるようになった。
少年もそれを聞きたがったし、慧音も歴史を司るという己の存在意義から、語る相手を必要としていた。
慧音の語る言葉は時に外の世界の古い歴史であり、また幻想郷の歴史であり、幻想郷も含めた世界の伝説でもあった。
慧音は良い教師だった。とても手慣れた調子で物事を語り、自分の言葉と意見を持っていた。
少年はすぐに慧音の話にのめり込んだ。
少年は外の世界で高度な教育を受けていた様子があったが、それでもいくらか慧音の知識の方が上だった。
歴史だけでも何なので、数学や国語なども教えて欲しいと頼んだ。
やがてその時間は家庭教師を受けているような時間になってきた。机に二人で座って、メモ代わりに和紙を広げて、まるで教師の個人レッスンを受けているのとそっくりだった。
少年が質問をして、慧音が指摘をしようとして体を机の上に伸ばした時に、かがみこんだので少年の目に彼女の胸元が見えた。
彼女はブラジャーのような下着をつけていないようだった。
少年はまた頭が真っ赤になり、意識的にその場所を見ないように心掛ける。だけど慧音は何度も同じしぐさをするので、やはり目がちらちらと行ってしまう。
「こら、よそ見していないで集中しなさい」
そうして慧音に気づかれて怒られる。
どの場所を見ていたか慧音は気付いていないみたいだ。
だからなおさら、そんな想像ばかりしている自分に罪悪感を覚えるのだった。
*
植えて、育み、それを食す。
少年は慧音とともに、人の歴史と同じ行為を繰り返していた。
慧音は田植えもして稲を育てていたので、少年もそれを手伝った。
夏の匂いが強くなっている晩だった。
夕食を終えてふと外の景色を見てみると、太陽の南中高度が高くなっていたため、まだ空が少し明るかった。
慧音が散歩をしようと言うので、少年はそれについて行った。
道の向こうの田を見ると、少年が苦労して植えた穂は青々と実っていて、その周りを何万匹もの蛍が行きかっていた。
やはり少年はそういうものを見たことが無かった。
地上の星々が農村の夜を美しく飾り立てていた。
「うわあ」
「綺麗だろう。毎年見ている私も飽きないよ」
しばらくその光景を二人で並んで眺めていた。
蛍の光はゆっくりと暗い水の上を漂っていく。
虫の音が草むらから聞こえてくる。まだ秋の夜長ではないというのに、せっかちな物が土からでてきてしまったのだろうか。
「幻想郷とつながっていた時には、もっと広い場所があって、もっとたくさんの蛍が見られたんだ。蛍の妖怪がいてね」
「あの本に書いてありましたね」
「そうそう。彼女が蛍を操って、おかしな動きをさせていた。蛍の光で文字を書いたりね。そこまですると、ちょっと風情がなくなるなあと思っていたもんだけど、今となると懐かしいなあ」
「いつ頃から幻想郷へ行けなくなってしまったんですか?」
「外の世界の年月で言うと、五十年ぐらい前かな」
「そんなに……やっぱり、幻想郷が懐かしいですか?」
「それは生まれた場所だもの。でも気にしないで。古い時代の話だから。ここに一人で取り残された時は悲しかったけど、今では君もいるしね」
「え……」
言葉の意味にきょとんとして、やがて気付いて嬉しいと同時にとても気恥しくなった。
*
夜、寝床に入ると、少年の頭の中には悪夢の光景があった。
焼けただれた人々が、うめき声をあげながら少年の目の前を行進していく。
見上げれば灰色の空。落ちてくる黒い雨。聳え立つ煤だらけの建造物。
廃墟の中で少年がうなだれて座っていると、一人の兵士が、少年の所にプラスチックのパックに入った食糧を持ってきてくれた。
彼が甲斐がいしく自分の保護者の役をやってくれていた人物であることに、少年は夢の中で気づいていた。
場面が変わって急に人の流れがあわただしくなる。
先ほどの兵士が重そうな銃器を背負って建物の外に出ていこうとしている。
少年はその兵士にすがりついて、何事かをわめいた。おそらく、行かないでほしいと訴えているのだろう。
兵士は優しく微笑んで、何かを少年に伝えた。
その言葉が聞こえない。昔聞いたはずの言葉なのに。大切な、大事な言葉だったはずだ。
少年は何とかして、その言葉を思い出そうとした。
そこで目が覚めた。
布団の中で汗をかいていた。
外から鈴虫の鳴く声が聞こえた。今日は慧音と一緒に稲刈りを終えたところだった。
二人ともくたくたになって、食事を終えるとすぐに寝てしまった。
置きあがって、隣の部屋へ続く襖をすっと開ける。
部屋の中心には布団が敷かれていて、そこに慧音の白い髪が見えた。
耳をすますと、すうすうという小さな寝息が聞こえた。ぐっすり眠っているようだ。
少年は彼女を起こさないように、そっと襖を閉めた。
もう一度布団の中に入り、仰向けになって、先ほど見ていた夢を思い出す。
彼の記憶はまだ不鮮明なままだった。
少年は、元来た世界はあまり自分にとって良い場所ではないのだろうと思っていた。
だからあまり記憶を思い出せないのだろうし、幽かに浮かんでくる暗いイメージや、いつも見る悪夢の印象から、余計に記憶を思い出したくない。
だんだんと外の世界に対する興味が薄れていっていた。
その上、マヨイガでの生活は少年にとって安らぎの時間だったのだ。
美しくて優しくて、智恵に溢れた少女と共に過ごす、人間らしい生活。これ以上のものがあるだろうかと少年は考える。
淡々とした日々の生活、だけど少年にとってそれは最良のものだった。
少年はだんだんと外へ出るという意思を薄れさせていった。
*
また幾日かが過ぎ、中秋の名月が夜空を飾るころになった。
その日の晩は、夜の間中、黄色い月が空を照らしていた。
慧音がお月見をしようと言うので、夕方から二人は準備をすることにした。
団子を練り、台にそなえる。すすきの穂を取ってきて飾る。
準備が整った後で、慧音は蔵から清酒を取り出してきて、杯につぎ、それを飲んだ。
「慧音さんって成人していたんですか?」
「女性に年齢を聞くんじゃないよ」
慧音のすねたような口調が面白かったので、少年は笑った。
満月の下で慧音が少年に杯を渡した。
「え、僕は飲めませんよ」
「心配するな。甘酒だよ。一人で飲むのは退屈だから、付き合ってもらうよ」
「いただきます」
杯を飲み干す。
「綺麗な月ですね」
「うん、雲も良い具合に出ているね」
無言で月を見ていた。
二人だけの時間が流れていた。思えばこの数ヶ月間、ずっと慧音と少年は二人きりだった。
虫の音色だけが響く里で、縁側に座り、隣には着物姿の美しい慧音が座ってくれている。
幸せだと少年は感じた。このような形の幸せを、自分は今まで感じたことがあったのだろうか。
ふと、何度か夢で見た悪夢を思い出す。
例えようのない記憶と言う名の影が手を伸ばして自分をとらえようとする時、いつも慧音の優しい声が聞こえて目を覚ます。
少年は昔から離れて今の時だけが欲しくなっていた。
他に何が必要だろうか。
他に何を望むことがあるだろうか。
心の中に暖かい月の光が流れ込んできている。
夜風が吹いて、首の長い壺に入れていたすすきの穂が揺れた。
「さて……」
しばらくしてほろ酔い加減になったところで慧音はすっと立ち上がり、縁側の置き石にあった自分の履物をはいた。
そうして少年に背を向けたままで、首をちょっとまわして彼の方を向いてまた口を開いた。
「私が妖怪と人間の間の子であることは前に話たね?」
「はい」
「今日は、君に私の本当の姿を見てもらいたいんだ」
そう言うと、慧音は縁側の置き石の上から庭の真ん中に出た。
そこで立ち止まり、背筋を伸ばす。
夜空の群雲の隙間から降りてくる魔力の月光が、彼女の全身に降り注いだ。
美しい光景だった。降り注ぐ月光が光の粉になって慧音の体を優しく装飾している。
ふと気付くと、慧音の頭には、水牛のようなまっすぐな二本の角があった。
「今はもう意識的に抑えることができるようになったけど、月光を浴びると、本当の姿になるんだ。これが私の妖怪としての本当の姿」
もっとおどろおどろしい姿になると思っていたので、少年は拍子抜けした。
そしてすぐに、慧音の様子の変化に感嘆のうめきを漏らした。
「きれいです。とても」
「世辞は言わなくていいよ。気味が悪いと言われたこともあるんだから」
「本当です。気味が悪いだなんて、見る人がうがった考え方をしたんです。たぶん、自然のものだからそう感じるのだと思う……上手く言えないけど、とてもきれいです」
慧音はほっとしたような、ちょっと複雑な表情をした。
それから慧音は縁側まで戻ってきて、少年のすぐ隣に腰かけた。
二人はそのままの姿勢で、しばらく満月を見つめていた。
どれくらい時間が過ぎただろうか。
ふと、慧音がゆっくりと、少年の肩によりかかってきた。
酔っているのだろうか、と少年は慧音の顔をのぞき見る。
頬が上気していてうっすらと赤みが差し、やはり酔っているのだろうと思ったが、その顔に幸せそうな笑みをみとめて、心がときめく。
ふわりとした風が、彼女の柔らかい白い髪を波のように流し、それが少年の鼻先で一瞬だけ踊った。
肩にかかる重みと暖かな体温が心地良く、感じたことのない香りが鼻をくすぐった。
夢のような一時だった。
夜は深く、星は踊り、月の光が海の波紋のかわりに二人に打ち寄せていた。
まるで渚に二人でいるようだと思った。
少年は、できればこのまま時が止まってしまえばよいと思った。
*
稲を積む作業も終わり、少し肌寒い季節、落葉の風が香る頃になった。
慧音と少年の仲は良好だったが、まだまだ恋人未満、友人以上とかろうじて言えるぐらいの関係。
だけどそんな時分が実は一番楽しいのかもしれない。
仲の良い異性との作業は楽しく、仕事もはかどる。
数ヶ月間丁寧に教えてもらったので、少年もマヨイガでのことをかなり覚えて、今では慧音も安心して仕事をまかせることができた。今日も共同で作業を終え、二人でその日摘み取った収穫物を持って屋敷へ帰るために畑を出るところだった。先を行こうとする慧音を少年が呼びとめる。
「持ちますよ」
「あ、ありがとう」
申し訳なさそうに慧音はちょっとはにかみながら自分の籠を少年に差し出す。
「大丈夫? 重いよ」
手を出そうとして引っ込めながら心配そうにそう言う。
「こ、これぐらい平気です」
実際重かったが、男の沽券みたいなものを見せなければと少年は少々古臭く考えたかもしれない。
血管を少し浮きだたせながら、二人分の荷物を持つ。
どうにも慧音の持っていた荷物の方が重い。良く考えたら慧音は人間ではなく妖怪だ。
今まで農作業の合間に何度も彼女の様子を観察してきたから知っていたが、慧音は華奢なのに自分より腕力がある。
だから本来、荷物を肩代わりしてあげる必要なんてないのかもしれない。むしろ自分が持ってもらった方が効率が良いのではないか。
それでも慧音は少年に親切にしてもらったのが嬉しいようだった。
ハミングしながら後手に手を組み、軽やかな足取りで少年のすぐ側を歩いていく。
二人は歓談しながら仲良く畑の畔道を歩いた。
そしてマヨイガの屋敷の前に差し掛かった時だった。
慧音が急に歩みを止めた。
突っ立ったまま、前を見ている。
急にどうしたのだろう。家に入らないのだろうか。何をしているのだろう。
そう思って少年も慧音の視線の先に目をやってみる。
その方向は、あの道のある方角だ。慧音がいつか、この先は崖になっていて行き止まりになっていると言った方角。
「慧音さん? どうしたんです?」
不思議に思って少年は尋ねてみた。慧音は返事をしない。
少年は慧音の顔を覗いてみた。
見たことの無いものを見つけて少年は驚いた。
今まで慧音はそんな顔をしたことはなかった。
こんな表情を見ることになるとは思わなかった。
慧音の顔に浮かんでいた表情。
それは絶望の表情だった。
*
次の日から急に慧音がよそよそしくなった。
言葉使いがぎこちなくなり、少年の近くに立つのを避けるようになった。
最初は気のせいだろうと思ったが、ある時彼女の腕を取ろうとすると、慧音がとっさに腕を引っ込めるということがあった。
そんな出来事で確信した。明らかに慧音は、意識して少年を遠ざけるようにしている。
少年は気が気でなかった。一体どういうことなのだろうか。
わけがわからないまま、だんだんと慧音の態度は露骨になって行った。
そんなある時、慧音がマヨイガの一角にある暗い部屋の隅で、まぶたを濡らしていたことがあった。
少年はそれに気づいて驚いた。明かりもつけずに、何か箱のようなものを前にして、その前でしとしとと泣いている。
少年は近づいてそっと聞いてみる。
「どうして泣いているの?」
「なんでもないよ。君には関係ない」
鼻をすすり、涙を拭いながら慧音がぴしゃりと言った。
声にきつい調子が混じっていた。若干拒絶するような。
「そんなこと言わないでください。慧音さんが泣いていると僕は悲しいんです」
「君が優しい子だってことはよく知っているけど、これについては放っておいてほしいんだ」
そう言うなり立ち上がり、泣き晴らした顔を手で押さえて、慧音は部屋を出ていく。
すれ違いざまに、慧音が抱えていたものには見覚えがあった。
それはあの書き取りの練習用紙が入れられた紙箱だった。
昔を懐かしんで泣いていたのだろうか?
慧音が野良作業の途中にいなくなることが多くなった。
少年は気になって聞いてみるのだが、
「慧音さんはいつもどこへ行っているんですか?」
「私の後をつけてきたりしないように。でないと」
きつい調子だった。きっとした表情で、念を押すように、
「私は君の元を去らねばいけなくなる」
正体を見たら自分の元から去ってしまう。
まるで鶴の恩返しのような話だと思った。
そんな風に言われれば、余計に気になる。
少年は慧音のことが気になって気になって仕方がなかった。
彼女は何か悩んでいる。だけど、自分には打ち明けてくれない。
慧音のために何かしてあげたいと思っていた。自分では力になれないのだろうか。
いったい彼女は何にそんなに悩んで落ち込んでいるのか。
おそらくあの道の先に、慧音を悩ませる何かがあるのではないか。少年はそう考えた。
とある日の夕食の後、思い立って少年は慧音に聞いてみたことがある。
「慧音さん、何か悩みがあるんでしょう?」
しばらくもじもじと切り出すタイミングを迷った後、慧音が茶碗を置いた時を見計らって、一番率直な言葉で聞いた。
慧音は禅を前にうつむき加減で、黙ったままだ。
「どうして相談してくれないのです?」
「君には関係ないからだよ」
「どうしてそんな言い方をするんですか」
それきり慧音は黙りこくって返事をしてくれなかった。
残っていた夕飯を掻き込んで、そそくさと片付けをした後、寝るとだけ言って自室にこもってしまった。
慧音の物言いやそっけない態度は、少年の心をさいなんだ。その態度には現在、怒りすら感じられるようになっていた。
どうして急に慧音は態度を一変させたのだろう? これまでは、あんなに親しく接してくれたのに。
少年にはわけがわからなかった。
自分は何か悪いことをしたのだろうか?
泣いていたことや、悩みについて色々と詮索しすぎたのがいけなかったのだろうか?
いや、それ以前から慧音の様子はおかしくなっていた。
唐突に自分に対する接し方を変えたのは、やはりあの日、あの道で立ち止まって、慧音の肩が落ち込んだように見えた日からだ。
その次の日もあまり会話がなかった。
挨拶をしても、ああ、と連れない返事が返ってくるだけ。
いつもやっている毎日の作業の合間にも、少年は慧音に何度か声をかけるのだが、上の空。
そして昼ごろ、少年は作業中に慧音の姿を見失った。
気づくと、畑で先ほどまで離れた場所でエンドウ豆の竿を手入れしていた慧音の姿が忽然と消えていた。
ぐるぐるとあたりを見回してみてもいない。いつの間に居なくなったのか。
と思ったら、畑から出てあぜ道を歩いていく慧音の姿がちらっと見えた。
どこへ行くと言うのだろう。
少年は慧音を追った。少し離れながら、彼女に気づかれないように後を付けた。
すぐに声を掛ければいいのに。自分はなぜ隠れているのだろう。
答えは知っていた。慧音は何かを隠している。だから、自分はこっそり彼女の秘密が知りたいのだ。
彼女が何で悩んでいるのか、どうして急に自分に冷たくなったのか、その答えが知りたかった。
そのまま慧音の歩いて行った方角へ行く。先ほどは確かに捉えたと思ったのに、すぐに姿が見えなくなった。
少年は慧音の姿を探して首を回す。
目に入ってくるのは、既に見なれた野山の光景だけだ。
もうすっかり秋が深まり、美しい光景がマヨイガのある里を彩っていた。
その時、足元からにゃあ、という声が聞こえた。見下してみる。
見覚えのある帽子。黒い四足のふさふさした毛並み。
橙だった。
少年が少しあっけにとられて橙を見ていると、猫は土のでこぼこ道をとことこと歩きだした。
「橙? どこへ行くんだい? そっちは」
橙が歩いて行った先は、慧音に行き止まりだと言われた道だった。
「そっちは……」
橙がいるのは予兆のように感じられた。慧音はまたこの道の先に行ったのではないか。
では、ここを進んでいけば慧音がいつも何をしているのか、彼女の秘密がわかるかもしれない。
しかし、ついてくるなと言われた。約束を破ることになる。おまけに先ほどからの自分の行為は、まるでのぞき見だ。若干の罪悪感が心に浮かぶ。
唾を飲み込む。それでも好奇心が湧いてくる。答えが、理由が知りたい。
この道の先には、何かがある。
この里に来た日から感じていた、まるでどこか止まってしまったような雰囲気。それはこの道の先から漂ってくるのだった。
そうして少年は足を踏み出してしまった。
一歩踏み出せば、もうはずみがついて止まらなかった。
橙の後を追いかける。結構早い。
歩を進めるたびに、だんだんと違和感が強まって行った。
周りの景色はそれほど違いを見せないのだが、何かがおかしい。肌にひしひしと、異質な空気を感じる。
自分は何をしているのだろう。慧音に言われた。この道の先は崖になっていて行き止まりだ。
そんなことは最初から信じていなかった。薄々は感づいていた。この道の先に何があるか。
閉ざされたマヨイガ。幻想郷と縁の深いマヨイガの、ただ一本の道の先に通じているべき場所は、どこであるべきか。誰でも一度はそれを想像するだろう。
道は少しカーブし出した。橙は最初普通に歩いていたが、そのうち駆け足になってきた。自然、後を追う少年の足も速くなる。そしてカーブの先を曲がりきった時、そこは小高い丘の上になっていて、眼下に景色が開けていた。下っていく傾斜の草原に、一本の道がずっと先まで続いている。
そこで見つけた。見覚えのある白い髪。蒼い服を着た後ろ姿が、草原の中に続く一本道を歩きその景色に溶け込んでいこうとしている。
「慧音さん?」
呼びかけても距離が遠いから届かないだろう。少年は坂を下りて、慧音を追った。
予感がしていた。大分前から。
もともと壊れることを前提とされていた夢だったのかもしれない。
夢はいつかは覚めると決まっているから夢なのだ。
これは現実ではなく、陰の夢だ。
朝の光に照らされて霧消する霞のように。陰はいつかは現実の光の元にさらされて消える運命。
そんなことを考えながら、慧音の遠い背中を追って少年は歩いた。
思えばいつも自分は誰かの背中を追っているような気がした。
気付かれないようにしながらも、かなり急いで駆け足で歩いているはずなのに、一行に前を行く人間との距離が縮まらない。
慧音の肩は落ち込んで、まるで重い荷物を抱えているかのようだ。何がそんなに彼女を落ち込ませると言うのだろう。少年は歩みの途中途中に、これまでのことを思い返した。慧音と過ごした他愛のない日常生活。
とても満ち足りた時間であったことに気づいた。自分は記憶が思い出せなかったが、あんなに幸せな想いは、今までに一度も味わったことがないことを断言できた。
そうして少年は慧音の後を追って小一時間ほど歩いた。
道の先にあったのは、綺麗に整備された人間の里だった。いつの間にか慧音の姿をまた見失っていたが、少年は里に入ってみることにした。
里の門をくぐると、異国情緒の溢れた建物が並んでいて、すぐにそれらの傍らに大勢の人間達がいることに気づいた。
時刻は正午ごろ、太陽が弱冠傾いて秋晴れの空から心地の良い日差しを投げかけてきている。その下の市場には、人々がごった返している。
正確には、固まったままの人間だったが。
里を入ったところにある市場には、群衆と呼んでも良いくらいの人が居たが、誰ひとりとして動いているものはいなかった。
奇妙な光景だった。余りにも自然な仕種をしながら全員固まっているので、少年は最初、自分の認識が遅れて他の人の動作が遅く感じられているのだと勘違いした。
だが、目を凝らしてみても周りの人間達が動き出すことはなかった。
固まっている。まるで群像のオブジェだった。唖然として声にならないうめきをもらす。
少年は狼狽しながらも、そのうちの一つ、若い男の彫像を触ってみることにした。
肩のあたりに右手をそっと置いてみる。
今までにない感触を感じて、驚いてすぐに手を引っ込めた。
それからもう一度触ってみる。
反動も感じないし、温度もない。だが、押しても引いてもびくともしなかった。
よくよく観察すれば、バランスもどこか不均衡なのに、倒れることもなく固まっている。
周囲にありえないほどの異質な感覚を感じる。押しつぶされそうなほどの違和感が少年を包み込んだ。
マヨイガから出て里に通じる道に入った時に感じた違和感は、この里の中に入って最高潮になっていた。
やがて少年はそういう感覚を受ける原因に気付いた。
止まっている。
この郷は全てが止まっているのだ。
市場に集まった人間達だけではない。風が止まっている。風に匂いが無い。空気に味が無い。
本来なら漂っているはずの、あたり一面に咲いている花や草の香りが無い。
音もない。
流れる小川のせせらぎの音、風が吹いて草花が擦れる音、小鳥や虫達の鳴き声。
普通なら聞こえてきて良いはずの自然のもたらす音の全てが、無い。
みんな、みんな止まっている。
少年は呆然としながら、里の中を歩いた。
ふと、里の一角に広めの区画を持つ開けた建物があるのを見つけた。
門の端からのぞいてみると、敷地の中に子供たちが集まっている。
正確には、以前は子供達だったはずの像がたくさん立っている。
着物を羽織ったおかっぱ頭の女の子が部屋の奥の教師机に座って、眉を釣りあげて、生徒たちを嗜めるように手を振り上げた仕種のままで固まっている。
廊下には笑い顔で駆けていく男の子と、それにぷりぷりと腹を立てた表情で追いかける女の子、の像。
そしてその男の子と女の子は、駆けているから、そのままで固まってしまったから……ごくわずかではあったが、宙に浮いていた。
気が狂いそうになる光景だった。全て止まって凍りついているのだ。
昼下がりの一時が、そのまま凍りついて石像か絵画になってしまったような光景だった。
いったい、ここは何なのか。
少年にはある程度の見当が付いていた。
慧音のくれたあの本に書かれていた内容とあまりにも酷似している。
だがこの状態はいったい何なのだ。別世界と言って済ませるには、あまりにも異質すぎる。
ここはまるっきり生きた人間の住む場所ではないじゃないか。
人、人、人。
像、像、像。
皆止まっている、止まっている……止まってしまったままの里……。
まるで作者が書くのをあきらめてしまった物語の世界の中のように……。
それは悪夢の世界だった。
少年はふらつく足取りをかろうじて支えながら、寺子屋と思わしき建物を出て、そのまま里の中を彷徨った。
進んでいる間、意識が朦朧とし、現実の中にいる自信がなくなり、頭がぐるぐると回ってどこに立っているのか分からなくなった。
市場の中をよたよたと歩き、ふらついて肉屋の店先に止まっていた人の像の一つに思い切りぶつかったが、やはりその像はびくともせず、形容しがたい感触がするだけだった。
帰ろうと思ったが道がわからず、めまいから息が荒くなり、やがてぶらぶらと人里の境を出て、里を離れて野原の道を歩いた。
頭上の陽は一向にかげることがなかった。
空さえも止まったままなのだということに気付くのに、さほどの時間はいらなかった。
やがて、田や畑もなくなって、本当に道と森と原っぱだけの場所に出た。
そこに唐突に、一本の鳥居が立っているのに気づいた。
はっとなる。鳥居の奥には木の影になった階段がずっと続いている。
予感がした。この上には何かがある。
大股で息せききって階段を駆け上がる。
鳥居といえば神社だ。神社といえば巫女。鳥居、神社、巫女。
そう、慧音に見せてもらった幻想郷縁起に出てきた。
幻想郷の異変を解決する役目を背負った巫女が、まぼろしの郷の最果てにある神社に住んでいる。
この止まってしまった場所が、おそらくは幻想郷なのだろうということは、少年も気が付いていた。
きっとこの階段をのぼった先に、何か手掛かりが。
荒くなった息を整える。
頂上にあったのは、やはり森に隠れた小さな小さな神社だった。
すぐに境内にいくつかの人影があるのに気づいた。
皆少女だ。
体のあちこちに、不思議なものが付いている。
恐れていた通り、やはりここの者たちもみな止まっていた。
狛犬の側の石畳の上に、狐の尻尾のようなものをたくさんつけた女性が宙に浮かんだまま固まっていた。
ふとその女性の像に視線が止まった。
「にゃあ」
目線の下の方から猫の鳴き声がした。
女性の足元に帽子をかぶった黒猫がいた。
橙だ。
橙は女性の足元にすがりつくようにしている。
最初は爪を立てているように見えたが、何かを訴えるように、しきりに前足で女性の像を触っている。
なあなあ、と猫の鳴き声が聞こえたが、その音の響きもどこか不自然な気がした。
少年は茫然としながら辺りをぐるっと見回して観察した。
神社の拝殿のすぐ前に、巫女服のような紅白の衣装を着た少女と、白黒のエプロンドレスに鍔の広い魔女の被るような帽子を身につけた金髪の少女がいた。
その隣に真っ白な長い髪の毛と、赤いモンペに似たズボンを履いた少女が立っている。
境内には色とりどりの衣装を身にまとった少女の像が、十ばかり立っていた。
その中でも、ひときわ目を引く像がある。
境内の真ん中より少し右手に、見つめ合ったまま固まっている二人の少女の像があった。
さほど他の像と変わらない装束であったが、なぜか目立った。
羽根の生えた女の子が、両の手のひらを自分の方に向けて胸の高さまで上げ、うろたえるような、申し訳なさそうな表情をしている。
白とピンクが混ざった、西洋風のフリルが一杯付いた可愛い服を着ている、が、その女の子の下半身はスカートの部分から下が、うっすらとしていて透明になり、消えかかっていた。
その前では、メイド服に身を包んだ女性が苦悶の表情を浮かべ、両足を肩幅にし、両手を左右一杯に広げていた。
注意して見てみたあと、その周囲を見回してみると、なぜ二人の像が目立つのかが分かった。
境内にいた皆がその二人の方に視線を向けている形になっていたのだ。
奇妙な光景だった。
異様な光景だった。
まるで何か事件が起きた後、そのまま固まってしまった、そんな風に少年は感じた。
「その異変は唐突に起こったのです」
後ろから綺麗な声がした。
少年が振り向くと、うつむいたまま立っている慧音がいた。
いつの間に、自分に追いついたのだろうか。いつから自分の後ろに立っていたのだろう。
「いえ、この郷に住む者にとっては唐突な出来事でしたが、それは予定調和のようなものだったのでしょう。
いずれ十分起こりえるものだったのです」
そうやって慧音は語り出した。
約束を破って、後を付けてきてしまったことを咎められると思った。
が、慧音はそうはしなかった。
だけど、そうされるよりももっと悪い予感がした。
語りながら、慧音はゆっくりと少年の方へ歩いてくる。
「あなたも解っている通り、ここは幻想郷という場所です。この郷は外の世界に住んでいる人間の幻想からできています。
人々皆の頭の中にある共有の幻想。魂に刻みこまれた泡沫の夢です。
だから、この郷は結界で隔離されていても外の世界とは無縁でいられない。
もし、外の世界の人間が幻想を抱かなくなれば、人々の忘れ去られた記憶であるこの郷も消えてしまう」
少年はいぶかしんだ。
幻想になった郷。言われたことを反芻し、考えた。
少年が読んだ、幻想郷縁起にも同じことが書いてあった。
それが正しいのであれば、今現在のこの郷の状況と照らし合わせると。
止まっていた人々。太陽。自然。
境内で消えかかっている蝙蝠羽根の少女。
外の人間達が、幻想を抱かなくなれば?
外の人間達が、幻想を抱かなくなるには?
ずきりと頭が痛む。遠い記憶。忘れようとしていた記憶がにじみ出してくる。
「……大きな戦争があったのだと聞いています。それは、通常なら起るはずのない戦いでした。
人間達はどこかで道を取り違えてしまったのですね。
人々が死に絶え、信じるもの、必要とする者がいなくなったので、やがてこの郷は消えるはずだった」
戦争。
その言葉に衝撃を受け、額にじっとりと汗が滲む。
同時に頭の中でかちかちと歯車が一致するような音が聞こえた。
マヨイガの生活の中で、時折悪夢で見ていたあの風景との一致。
自分は何を忘れようとしていたのか。何を忘れたかったのか。
「そんなに、そんなにひどいのですか?」
やはり外の世界のことが気になって少年は問い返した。自分はそこからやってきたのだから当然だ。
「……多くの都市が焼かれたそうです。人間達が文明の果てに作りだしたあの破局的な力。
それを投げ合って、外の世界の国々はお互いに殺し合ったのです。
たくさんの命が失われたその出来事は一瞬のうちに起こったようです。だから」
慧音は言葉を区切ると、歩いていき境内の中心にあった羽根の生えた少女の像、その肩に手を置いた。
触れられても服についていたフリルは少しも揺れなかった。
少年もだんだんと昔の記憶を思い出していた。自分がどこにいたかを。
戦争。都市が焼かれて灰になった。それは、自分の見てきた記憶ではないのか。
黒い廃墟の群れや、あわただしく行動する兵士たちや、暗がりの中でうずくまっている自分のイメージ。
それらがフラッシュバックして少年の頭の中で万華鏡のようにくるくると回る。
その回転がだんだんと早くなり、一瞬目もくらむような光に変わった。
直後、少年は盲が開けて急速に現実に引き戻されたような感覚を味わう。
背筋に寒いものが走る。忘れていた記憶が蘇ってきた。
自分がどこから来た何者なのか。
どんな人生を送ってきたのか。
「その異変は突然起こりました。人間や妖怪などの種族を問わず、郷にいた者たちが次々に姿を消していったのです。
ちょうど今ここで消えかかっている彼女のように、ある日を境に、唐突に消えていったものが何人もいます。
この郷には不思議な、超常の力を持った人間や妖怪が大勢いました。そんなものたちでも、この異変には成す術がなかった。
幻想の力も、幻想を思い描く人々がいなくなってしまえば、何の意味もなくなってしまうのです」
それは、私たちの住む現代の地球とほとんどそっくりで、どこか少し異なった世界のお話。
その世界では、人々は自分たちの欲望と恐怖を制御することができなかったのだ。
それで、その世界は一度滅びてしまった。
少年はその滅びた世界からやってきた、最後の人間の一人だった。
「このメイドは、この女の子の従者なのです。
彼女も特別な力を持っていた。それは、時間と空間を自由に操る程度の能力」
慧音は視線を少女の目の前に立っていたメイド服姿の女性に移して言った。
少年は幻想郷縁起に書いてあったことごとを思い出す。
時間と空間を操る能力を持った悪魔の従者。
目の前の像は、本に書いてあった記述のとおりの姿をしている。
「その力を使って、彼女は最後に抗った。
皆でこの境内、当時妖怪たちが集まる精神的な中心のような場所でした。
この場所に集まって皆で対策を考えようとしていた時でした。この、蝙蝠の羽根のついた女の子の体が消えそうになったのは。
あるじが消えそうになったときに、メイドは自分の力を使って、この郷の時間を止めたのです」
「郷の……時間」
とても不可思議な物言いだった。郷全体の時間を止める? そんなことが可能なのだろうか。
だけどある程度は肯定しなければならなかった。
目の前に、実際そのような効果を及ぼされたと思われる実例が広がっていたのだから。
「それ以来、動いているものは私だけになってしまった」
「あなたは、あなたはどうして止まっていないのですか? どうして一人だけ消えないで」
「私は特別だったのです。このメイドも分かっていたから、私の時間だけは止めなかった。
いや、もしかしたら私の時間を止めることは、もともとできなかったのかも。
本当は、私も、自分のことをただの妖怪の一人だと思っていたのですが……。私は他の妖怪とは違っていたのです。
時が止まったとしても、そのもの自体は、止まっているという歴史を刻み続けているから」
慧音はそこで言葉を区切り、息を大きく吸い込み、目を静かに閉じてまた開けてそれから
「私は白沢という歴史を司る妖怪でした。そして妖怪というのは、自然や事物の化粧なのです。
私はこの郷が刻んだ歴史そのものだったのです。記憶の具現が、私という存在。
だから、外の世界が幻想を忘れても、しばらくは私は残っていた、そして」
慧音はまっすぐに少年の瞳を見た。一秒たりとも目をそらしてはいけないと決めたみたいにずっとまっすぐに。
彼女はこれから決定的なことを話そうとしているのだ。それを話すために準備をするために、時間を必要としていた。
……実際にその時間が流れた。
時は止まっていたのだが、ともかくも間があった。
いくらかの二人の沈黙の後に慧音は切り出した。
「運命を視る者たちが、時を聴く者たちが教えてくれました。
私には役目があったのです。私にはあなたにお願いするという役目があったのです」
「お願い?」
少年は、頭上に茹だるような暑さを感じていた。
郷の上空の日差しは凍結して、温度はさほどでもないはずなのに、彼の額には汗が浮かんでいた。
少年は薄目をかろうじて開けていた。
本当はつぶってしまいたかったのだけど。
しばしの沈黙の間に少年は考えた。
幻想を忘れてしまった外の世界に必要なものは何か。
自分はこの郷の中で、これまでいったい何をしていたか。
「あなたに幻想郷の物語をお聞かせしたのは、あなたにそれを外に伝えてもらうためです」
わかりかけていた事を、直接少女の口から断言されて少年はうめいた。
そして悩んだ。
なぜ先ほどから慧音は敬語で話していたのだろうか。
それがずっと気になっていた。
そんな風に他人行儀に話してほしくなかった。
今までのように、二人で閉ざされた里で暮らしていた時のように、普通に話してほしかった。
少年は、改まった慧音の物言いを拒絶の意思表示と感じていたのだ。
少年は、慧音が好きだった。
とてもとても、言葉にできないくらい彼女のことが好きになっていた。
できるなら、彼女の夫となって、ずっとこの郷で彼女を支え続けていきたい。そんな夢さえ抱いていたのだ。
なのに慧音は自分を外の世界へ送り出すという。
もはや忘れ去られた郷の物語の、語り部となれと言っている。
聞けば外はとてもひどい状態だそうじゃないか。本当に自分以外に生きている人間などいるのだろうか。
「あの、あのマヨイガという場所、あそこはなぜ時間が止まっていないのですか?」
「あの場所は、幻想郷であって幻想郷ではないからです。あそこは外の世界と幻想郷の中間にある場所なのです。あれが残っていたおかげで、私は……あなたを、あなたと……」
「そう、なんですか……」
どうでも良いことだった。質問したのは、つぶされそうになる心の重圧を、目先の仕事でそらしたかっただけなのだ。
少年にはもっと大きな問題があった。
少年は突きつけられた現実に我慢できなくなり、やはり少しの間目を閉じた。
そうしてその間に、色々なことを考えた。
謎は残ったが、大筋は理解していた。
おそらく、まだ少しは外の世界に人間が生きているのだろう。
そしてその数は、それほど多くはないが、かろうじて増えていけるほど。
だけど幻想郷のことを知っている人間がいない。
正確に何が引き金になったのかは解らないが、外の世界の人間達が死滅したことによって、幻想郷は存続していくために必要な、決定的な何かを失ってしまったのだ。
慧音は最初から、自分を利用するつもりで……この幻想郷を救う目的のために、自分を引きとめていた。
幻想郷縁起を読ませて、幻想郷の歴史を覚えてもらって、それを外へ伝えさせるために。
彼女は幻想を増殖させるための、メッセンジャーを探していたのだ。
自分の救いたい人たちのことを知っている人間を増やすために。
憎まなかったと言えば、嘘になる。
少年は自分の恋について考えたのだ。
夢のようないつかの満月の一夜を思い返して、そのような幻想を与えた少女を恨んだ。
だから、しばらく目をつぶって考えていた。
苦悩して苦悶して苦虫をかみつぶして、葛藤や怒りや憎しみや、浮かんでくるさまざまな負の想念と苦闘していた。
だけど、目を開けてみると、そこに立っているのはやっぱり悲しみだったのだ。
時の止まった郷で、昔は友達だった偶像を眺めている妖怪の少女が見えた。
「分かっています」
慧音は胸に両手を当ててうつむいた。
少年には、慧音の目に滲んでいる物が、今にもこぼれそうなその輝きが見えた。
幻想郷を知る人間が完全にいなくなってしまったら、その記憶である彼女はどうなるのだろう?
完全に、人々の心の中から幻想郷の記憶の痕跡すら消え去ってしまったら?
きっと……きっと、彼女も消えてしまうのだろう。そう思った。
「ひどい、とても酷い女であることは……だから私は、あなたにそうして欲しいとは言えない。私はあなたの望むようにしようと思います」
また顔をあげて、目に涙をいっぱいにためながら、慧音は少年の方へ訴えかけた。
少年はその慧音の顔を見て驚いた。
涙をためて我慢しているから、頬と鼻が真っ赤だった。
いつものたたずまいとは程遠い、鼻水が少し垂れて、崩れる寸前のくちゃくちゃな顔だ。
だから尚更、壊れそうになるくらいに美しかった。
慧音がなぜたびたび郷を訪れていたのか。少年はその理由を知らなかった。
慧音は、少年を送りだすことを躊躇していたのだ。
幻想郷縁起を少年に読ませて以降、慧音は半年近くも、彼に真実を打ち明けるべきかどうかで思い悩んでいた。
満月の夜の後に、少年に対して好意を寄せるようになってからは、それ以上の仲になることを恐れて彼を遠ざけるようにさえした。
慧音は少年との生活に愛着を覚え始めていたのだ。
その生活にのめりこんで、自分の使命を忘れてしまうのではないかと怖かった。
決意を思い出すために、止まってしまった郷へ行って昔を思い返していた。
日を追うごとに、その回数が頻繁になっていたのだ。
それらの想いを込めて少女は少年の前に立っていた。
少年が心の機微を読む力に欠けていたのは、仕方のないことだったのだろう。
少年は慧音の気持ちを知らなかったし、彼ははまだ幼かったから。
彼女の自分に対する想いを裏付ける、確かな言葉が欲しかった。
だけど、直接は聞けなかった。
だから少年は、ひとつだけ聞いてしまった。
「慧音さん、ひとつだけ、ひとつだけ教えてください。ずっと疑問に思っていた。あなたが僕よりずっと長く生きているということは、知っています。でも、今まで、あなたはなんというかその、まるで」
「なんでしょう?」
「妖怪は人間よりずっと長生きすると……僕も学びました。だから、人間の年齢に直して言ってください」
「はい。聞いてください」
「あなたはいくつですか?」
その質問の後、少し間があった。
少年は慧音がわずかに微笑んだように思った。
「私は十六歳です」
十六歳。
少年は自分の中の疑問が氷解していく印象を覚えた。
ああ、そうだったのだ。
慧音も自分と同じ想いを抱いていたのだ。
少年の目には、忘れ去られた郷の、忘れ去られた幻想の景色の中を駆けていく銀髪の少女が見えた。
宝石のような自然の光を浴び、若さに溢れ、みずみずしく輝いている少女。
未来が素晴らしいものであること、世界が人間達の善意に満ちたものであることを信じて疑わず、多くの人々に囲まれて、多くの友達に囲まれて、花の咲いたような笑顔を振りまいている少女。
恋の甘酸っぱさへの憧れと、打算や計算から縁遠い純真さを保ったまま、いつか運命の理想の恋人に出会えると夢見る若葉の少女。
それが今は、時の止まった死んでしまった世界で、以前は友達だった偶像を眺めながら一人で孤独に消えていく。
自分の運命に泣き腫らしている、まだ幼さの残る十六歳の少女だ。
彼女には友達と過ごす時間が必要だ。
彼女には嘆きの物語は必要ない。
彼女が大切にしていた、優しい先生と元気な生徒達という関係。
彼女の愛した人間達とのふれあいの日々が、彼女に必要なものだ。
それを与えてあげられるのは、今、自分しかいなかった。
それを奪って彼女を独り占めする権利が、自分にあるだろうか?
ここに残ると言えば、慧音は付き添ってくれるだろう。
慧音の存在が尽きるその時まで、自分を愛してくれるだろう。
十六歳の恋する少女の愛を、一身に受けることができる。
だけど、本当にそれが自分のするべきことなのだろうか?
敵の攻撃におびえながら、地中のシェルターで過ごした生活の中で、一人の兵士が自分の世話をしてくれた。
その兵士は自分なりの哲理を持っていて、少年にそれを教えてくれた。
記憶を取り戻した今、少年はその言葉をありありと思い出せた。
それは、男は女を愛し、それを守るために生きるものだということ。
自分に優しくしてくれた大切な人達のために、懸命に働くべきだということ。
そんな古臭くカビの生えた信条を、幼かった少年は一生を通して貫くべき価値のある言葉とし、胸に刻みこんでいた。
少年は生まれたのちに、分別と紳士であることを学んだものであった。
戦火に怯えた幼少の時代を過ごし、決して幸福とは言えない生涯を送ってきたが、その中でさえ、他人を憎悪したり羨んだり、または自分の欲望のままに他人を傷つけることを、悪だと学んでいた。
その信条に従って自分が今するべきこと。
それは、優しい思い出をくれた慧音のために、できる限りのことをするということじゃないか?
少年は自分にそう言い聞かせる。
……だけど、それは耐え難い選択でもあったのだ。
それは思春期の少年が、美しい少女の愛を打ち捨てて行かなければならないということだった。
教わった理想、それは確かに美しいけど、現実のつらさはそんな綺麗事で補えるものではなかった。
少年もくちゃくちゃになった。
別れを想像して情けなく、涙をぼろぼろと流し、顔をしわくちゃにして、うえっという嗚咽の声をもらした。
別れるのがつらくてつらくて……そんな汚い顔を好きな子に見られるのが嫌だったので、ずっとうつむいていた。
すぐに背を向けて涙を見られないようにした。
好きな人のために、自分を犠牲にしなきゃいけないだって? いったいぜんたい、大好きな人にしてあげられる最良のことが、その人の元から去ることだなんて、本当にそんなことがあるだろうか?
それでも少年は、愛する人のために、何をしなければいけないかを考えたのだ。
慧音のためだけではない……この幻想の郷を守るために……いや、自分が知っているのは慧音だけだったから、やっぱり慧音のために何をするべきかを考えるのだ。
慧音に着せてもらった着物の袖で涙と鼻水を拭きながら、ぐずぐず言いながら、鼻水を啜りながら。
そして、また悩む。
悩み抜いた末に、少年は、決断した。
目の前に居る、自分と同じ気持ちを抱いた少女のために。
何をするべきかを、選び取ったのだ。
そうして契約は成された。
少年は郷を出ることに決めた。
*
少年と慧音はそれから少しして、境内を離れ、一緒にマヨイガに帰った。
泣き腫らした顔を引きずって、気まずい沈黙を引きずって。
帰り道の途中も、帰って屋敷に入ってからも、ずっと二人の間に会話はなかった。
マヨイガに帰りついた時には既に夕方になっていた。
屋敷に入ると、慧音はいつもの通りに夕食の準備をした。
最後の晩餐はそのまま無言で続けられた。
静かな時間の中で、少年は慧音が作ってくれた最後の食事を噛み締めた。
半ばまで食事が進んだところで、少年が口を開いた。
「明日、ここを発とうと思います」
「はい」
慧音も静かに答えた。
「では、里の出口までお見送りします」
「いいえ……この屋敷で別れましょう。道を教えてください。ここからは一人で行きたいのです」
「……はい」
「おやすみなさい」
*
明くる朝、少年は屋敷を出た。
門をくぐり、マヨイガを後にして慧音が教えてくれた山の中の洞窟を目指すことにした。
十月の黄昏の国を、朝日の黄金色に染まる郷を、美しい紅葉が燃える日本の原風景の中を、少年は歩き、教えられた出口へ向かった。
史を詠んだ永の月日は終わり、明けて今朝は別れ行く。
浮かんでくる綺麗だった思い出の数々を押し殺して少年は歩を進める。
見送る少女の声が背後から聞こえた。
「さようなら、さようなら……」
半分涙声で
「どうかお元気で。あなたの歴史が陽の光に満ちたものでありますように」
それでも笑顔の声だった。
シェルターの外の世界が見たくて、周囲の静止を振り切って数か月ぶりに外に出た時のことだった。
最後の攻撃があったときに、爆発を避けるためにそのトンネルに逃げ込んだことを、少年はようやく思い出していた。
炸裂した爆弾がもたらした轟音で鼓膜が麻痺し、爆風で頭を打ち付けたショックで朦朧としながらそのトンネルを通った。
ぼんやりとした意識の中で、おそらくは自分の住んでいたシェルターは、あの爆撃で跡形もなく吹き飛ばされたのだろうということを悟って、絶望的な気分を味わったことも。
その時歩きながら、子供の時分に映像記録で見たような、美しい自然に囲まれた山間の理想郷を想像していたことも思い出した。
そういう場所にたどり着きたいと願った。不毛な戦いから逃れて、安らぎの時間が欲しいと望んだ。
そうしてトンネルを出た時には、目の前に緑の山野が広がっていたのだ。
慧音が以前言っていた外に通じる洞窟とは、廃線になった鉄道のトンネルだった。
すっかり錆付いて赤茶けたレールや、半分腐り落ちた枕木が地面に敷設され、トンネルの奥深くまでずっと続いていた。
トンネルの中は灯りなど一切なく、レールが足につかえて歩きにくかった。
道行きの一歩一歩に、彼女の面影が浮かんできては少年の心を苦しめた。
一歩一歩前へ進むと言う事は、一歩一歩少女の愛から遠ざかるということだった。
やがて入ってきた方向とは反対側に、弱い陽の光で縁取られた出口が見えてきた。
少年は、灰色の空の下、元居た世界へ辿り着いた。
焼けただれ罅割れだらけのアスファルトの道の先に、以前は都市だったものの残骸が黒く軒を並べているのが見えた。
今まで見ていた緑に溢れた国の景色とはとても対照的だった。
夢想の世界を離れて、現実の地平へと出たのだ。
これから彼はこの場所で生きていく。
トンネルの中を振り返ってみると、暗闇が広がっているだけだった。
そのトンネルをもう一度入って行ったとしても、もうあの空夢のような国へは通じていないのだと言うことを、少年は悟った。
そこで改めて、少年はもう一度少女に別れを告げた。
目をつぶり、少し前まで続いていた夢の思い出を心に浮かべた後、自分の初恋に別れを告げた。
さようなら、慧音。
あなたの歴史が、優しい思い出で満ちたものでありますように。
そう心の中でつぶやいた。
さようなら、慧音。
あなたの未来が幸せの笑顔で一杯になりますように。
心の中で遠い幻想の郷へ向けて祈った。
聞こえないはずの言葉は、ちゃんと相手に届いただろうか。
そして少年は振り向いて、両目を開いて歩きだした。
彼がトンネルの方角を振りかえることは、もう二度と無いだろう。
*
*
*
Sevral Years later...
『とまるも ゆくも かぎりとて かたみに おもう ちよろずの』
夜になりゆく空の下の街路を、幾人かの人々が歩いている。
煙突から湧き出た白い煙が、星霜をゆるやかに区切ってゆく。
冷たい気温のために澄んだ空には満開の星々が溢れている。
こんな夜には大人たちも、夜更かししている子供たちを口うるさくして叱ったりなんてことはしない。
これは、やがて日が過ぎ季節が過ぎ、時が満ちて、一つの世界が破滅の淵から立ち直り、人々が戦火の傷痕をようやく過去のものとし、ちょうど街の灯と呼ばれるものを復興させた頃のことだ。
暖炉の火がともり、星のまたたきが窓ガラスを通して室内に流れ込んでいる夜のこと。
町はずれの一件家の中、暖かい火の隣のソファで、一人の老人が腰をかけて本を読んでいる。
そこへ彼の孫がやってくる。
孫はかまってほしそうに、しきりに老人の腕をとってせがむ。
老人は孫にせかされて、お話をしてあげることにした。
彼は今まで読んでいた本を閉じて、傍らにすがりついている孫の小さな頭をなでる。
彼はこれから、一番得意なお話を孫に聞かせてあげるつもりだ。
もう何度も語っていて暗記しているので、そらで語れる物語――
「ではこれから、幻想郷についての物語をしよう」
そうして彼は、自分の口から滔々と音を漏らし始める。
それは、色づきゆく幻想の物語の数々だ。
老人は確信している。
それらが語られている間は、それらを聴く者たちがいる限りは、少女達が生きていることを。
あのまぼろしの郷で詠んだ物語に出てきた、光輝く幻想の少女たちが、活き活きとしたその生を謳歌していることを。
そしてその輪の中に、一人の少女の面影が加わっていくのが見える。
しなやかで長い手足をまっすぐに延ばし、蒼い服を着て歩いていく。
流れる銀髪の中から突き出た二本の象牙、ちょうど今窓に積り出した初雪の色の肌。
恋の予感を感じさせる潤んだ紅いルビーの瞳と桜色の唇。
彼女だけは、物語ではない実際の記憶だ。
老人が姿を目で見て、声を耳で聞いて、手で触れ、肩を寄せ合った少女。
自分にかけがえのない安らぎの時間をくれた少女の記憶。
今でも思い出の中に、崩れることのない不滅の理想として、きらめいている青春のひととき。
老人は人々に彼女のことを、彼女の望んだそのお話を、何度も何度も繰り返し、聞かせてきた。
自分の見たものと聞いたものとを、ずっと、語り聞かせてきた。
そしてその行為は、これまでも、これからもずっと続く。
そうすることによって彼は、自分の中の記録を尚いっそう完璧なものへと補っていく。
かつて少年だった老人は、そうやって幻想のことを想う。
かつて夢見る少年であり、今もその夢を忘れずにいる老人は、そうやって、史(ふみ)を詠む。
心の端をいくつかの言葉に乗せて、幸くとばかりに。
一人の少女の面影を詠んでいく。
自分が恋した少女の姿を心に浮かべながら。
了
とても興味深く、新鮮な話でした。
乙女なけーねになんだか感動した。
ところで何で橙は無事だったんだろうか?
幻想郷はどっちかというと外で必要なくなったもの(幻想となったもの)が幻想郷に入り込むシステムだったように思うが、まあ捉え方はそれぞれだしちょっと改変したということならこの言い方は野暮か。
次にも期待。
いつかそんな時が訪れるんだろうか
最後にもう一度。
素晴らしい作品だった。
その調和が心地いいやるせなさを感じさせました。読了感が素晴らしいの一言。
感想だけで、この点を送ります。
それと、忘れません。命続く限り。
誤字 上白沢慧音
澤
情景や心情の描写の量もくどくなく、物足りなくもなく、絶妙です!
綺麗なお話をありがとうございました。
でも東方Projectの幻想郷は地球に在ってほしいと思う。
オマージュ元が分かるような分からないような。
たまにはこういう雰囲気のお話も良いなと思いました。
慧音がとても可愛かったです。
思いを馳せる人が居る限り、幻想郷は永遠に。
咲夜が何を思い、時を止めたのかと想像するといい感じに体温が冷えました。
ただ、もう少し短いと嬉しかったです。
けーねさん16歳だったのかー そーなのかー!
もっと少年と慧音にお喋りしてもらいたかったです。いや、聞いてみたかったので。
咲夜さんのは最後の抵抗だったというわけですか。
主のためならばどんなことでもやってのけるだろう完全な彼女に未来を。