※本SSは、過去の拙作『わたしのいたいばしょ』『はふりび』等と一部の設定を共有していますが、
天子と衣玖が博麗神社に(何故か)居候中という点だけ押さえていただければ特に問題ありません。
霊早とかいくてんとか、そういったものにアレルギー症状が出る方は、摂取量に注意して服用してくださいませ。
あと糖分と煩悩がやや多めのつもりですので、洗面器くらいはあった方がいいかもしれません。
【Scene.01 空を飛ぶ腋の人】
ふよふよと、幻想郷の空を人が飛んでいる。
そのこと自体は特にこれといって奇異な事象ではなく、かの地ではたまに、場所によっては頻繁に目撃されるありふれたものだ。
カテゴリを人間から人型へと範囲を広げればその頻度はさらに増加するだろうし、妖精や毛玉の類ともなれば街角で猫を見かけるような程度で遭遇する。
つまりはまあ、その程度のものだった。
「~~~~♪ ふ~んふ~ん~~」
鼻歌である。
夜雀の如き特殊効果とは無縁、かといって騒霊ほど精神に影響を及ぼすかといえばさにあらず、音程も割とまちまちであり、単に気分でそうしているに過ぎない。
時折調子はずれになるのは、当人が音痴だからというわけではない……と思われる。多分。
「陽射しが厳しいですねー」
言の葉の割に暑さでまいっている様子も特になく、空飛ぶ人間、東風谷早苗は呟く。
それもその筈、飛行中であれば自然と風を受けるし、あらかじめ肩や腋など露出部分にはヤゴコロ印の日焼け止めを塗布済みだ。
加えて、彼女の艶やかな翠の髪の上に乗っかった帽子を見れば、大方のところはお察し頂けよう。
風と日除け、それだけ出来れば、真夏の陽射しの下での行動もさほど苦にはならない。
形こそ割と一般的な麦わら帽子風味ながら、淡い黄色に謎っぽい球体が二つほどくっついているのはもはや、やむを得ぬ仕様という奴である。
「あ、見えてきました」
未だ距離はあるが、眼下の大地の一角に、太陽光を浴びて真新しい朱を照り返す鳥居が現れた。
ついでながら、単独行の際に独り言が多くなるのは別に彼女だけの癖ではなく、幻想郷の少女らは多くがそうである。
別に早苗だけがそういうわけではないこと、誤解のなきようお願いする。
「霊夢さん、いるといいんですけど」
傍目にも結構浮かれ気味の風祝。
大事そうに抱えた大きなクーラーボックスと昼ちょっと前という時間から、彼女の目的がどこらあたりにあるかは大方察していただけると思う。
ちなみに、彼女の家族にあたる神お二方については、さる事情により置き去りというかお留守番というか、そんな感じだった。
「……文さん、糖尿病にならないと良いんですが」
ちらりと後ろ、つまりは彼女の家たる守矢神社を含む山の方向を振り返ってちょっとだけ心配そうに呟いた。
【Scene.02 新婚さん いらっしゃいます】
「…………」
正座のまま、清く正しい報道記者の鴉天狗は、手元の洗面器にさらさらと砂を吐き続けていた。
「でね、あの時の神奈子ったら凄かったの。オンバシラ背中に生やしたまんまずんずん戦場を私の前まで歩いてきてね、すっと手を伸ばして『だったら、お前の信仰も私が守る』……ってきゃ――――――っ」
「だっ、誰がそんなこと言ったのよ!」
「え……? それじゃあ……あれって嘘、だったの?」
「う゛……い、いや、その……そ、そんなわけないでしょう!」
「……ほんと?」
「ほ、本当よ本当! 神……いいえ、天地に誓って偽りなどないわ!」
「えへへー、神奈子ー」
「あー……もう、しょうがないケロちゃんねぇ」
「あ、それでねそれでね」
間断なく襲いかかってくる糖分の大連隊の前に、射命丸文の意識は既にその大半が常闇へと撤退していた。
それでもなお、右手だけは供のカラスが咥える文花帖へと、さりげなく果敢に神々の談話を書き留め続けているのは、まさしく生まれ持ったブン屋魂のなせるワザだろう。
震える左手が湯飲みを取り、中身を一気に喉へと流し込む。
本来なら程好い渋みと苦味によって成立しているはずの日本茶が、里のカフェの金魚鉢パフェもかくやという糖分を伴った風味で彼女の味覚と胃袋を苛んだ。
南蛮の人間たちは緑茶に砂糖を入れると聞いたが、彼らもこのサッカリン顔負けの甘味を前にしては閉口するに違いない。
「それでね、ヤマトのおじょーひんな神どもを前にして、こう……神奈子ってば力強くわたしを抱き上げちゃってさ、それで何て言ったと思う?」
「ちょ、諏訪子ちょい待ち! そんなところまで話さなくてもいいでしょ!?」
「えー……だって聞きたいって言ったのはそこのブン屋の方じゃないー。それとも、ひょっとして神奈子は……嫌?」
「……い、嫌じゃ、ないけど……昔の話じゃない」
「えー」
「それにその、恥ずかしい、し……」
「……にふふふ」
「……何よそのつぶれた蝦蟇みたいな笑いは」
「それでね、神奈子ったらさー」
「ああもう言うなってば!」
「『たった今からこいつは私のものだ!』って、きゃ――――――――っ!!」
「うううう………」
ついさっき水分が通り抜けたハズの文の口から、再び出所不明原因明確の砂糖がざらりざらりとあらわれ洗面器へと溜まっていく。
一人で山を揺るがさんばかりに黄色い声をあげる神と、羞恥とその他諸々で赤面したもう一方の神の対座で、文は自分の下半身が砂糖で埋まっていることにようやく気付いた。
(……なんで、あんなことを聞いてしまったのでしょう)
荒涼とした意識の大地に、そんな呟きが木霊する。
今日も今日とて、朝から文はネタ探しに近場からと守矢神社を訪れたのだが、いつものごとく仲の良い神々をからかうつもりで、ほんの出来心で、ポロっと口にした一言がまさかこんな事態を呼ぶとは。
『へえ……それでは、お二人の馴れ初めなどお聞かせ頂いても構いませんか? 主に後学のために』
照れるか、話すにしたって当たり障りのないことだと思っていた。
てっきり、神奈子が恥ずかしがって話さず、諏訪子が話すのも止めるだろうと、そう思っていた。
ところが現実はどうだ。
照れたり文句を言ったりこそするが、神奈子は抑止力としての効果を最初っから失い『うれしはずかし諏訪大戦むかしばなし』は、既に六度目のリフレインに突入している。
「あの時の大和の連中の顔ったらなかったなぁ。神奈子ってほら、結構人気あったからさ、血相変えて止めようとするのも何人か居たんだけどね」
「ううう……す、諏訪子、ちょっと休憩しない? ほら、喋りっぱなしで疲れたでしょ?」
「ぜーんぜん! 神奈子と初めて会った時の話をするのに疲れるわけないよっ」
「うっ!(ずきゅーん、ぴろぴろぴろぴろ)」
妙な効果音が鳴って、神奈子のはじらいと諏訪子への好感度が80ポイントほど上昇したらしかった。
もっとも、それだってとっくに上限に達しているに違いないのだが。
【Scene.03 新造神社の昼どき】
「すみませーん」
ひとまず、境内に降り立った早苗はそこらへんに向かって挨拶してみた。
応答、なし。
「……留守、かな?」
季節は夏の盛り。基本的にこの神社唯一の住人である博麗霊夢は、あまりそこらに出掛けることをしないし、この季節は尚更だ。
「縁側で溶けてたりして」
苦笑しながら本殿の横を通り、裏へと回る。
夏場にかぎらず大して境内の掃除もしない霊夢は、縁側が定位置だからだ。
特に季節が夏の場合、縁側周辺でべちょりと寝そべっているのが定番と言っても良い。
「あ」
と、回りきらないうちに縁側に人影を認めた。案の定べちょりと寝そべっているらしい。
頬が緩み、うきうき気分で声をかけ――
「霊夢さ―――あれ?」
ようとして、対象が楽園の素敵な腋巫女でないことに気付いて止まった。
「くー……うにゅー……」
「……あれ?」
その人影は、蒼くて長い髪をばらりと縁側に広げ、なにやら岩っぽい色合いのものを枕に寝息を立てている。
傍らにはぞんざいに放り出されたビームサーベル(早苗視点)らしきもの。
「えっと……確か、天人の」
比那名居天子。種族、天人。
それが、現在ただいま博麗神社の縁側に寝そべっている少女の素性である。
宴会等でここのところ顔を合わせていたから、その程度の情報は早苗にもあった。
「……れいむさーん」
小声で屋内へと呼びかけてみるが、返答も気配もない。
「しょうがないですね」
とりあえず、履物を揃えて脱ぐとふよりと浮いて天子を飛び越え、畳の上にクーラーボックスを置いた。
念のために奥を一通り見て回るが、台所にも、風呂場にも目当ての人物は居ない模様。
「お出かけ中ですか……」
ちょっと残念そうに呟く。
さて困った。元々アポイントメントなどあってなきが如しの幻想郷である。
早苗もここのところの習慣からつい霊夢が居るものと思って来てしまったわけだが、いざ不在となるとどうしたものか時間を持て余す。
場合によると湖の桃……もとい紅魔館等に赴き帰りが遅くなる可能性も存在するから、どこかで切り上げなければならなくなるかもしれない。
といって――
「今はちょっと、帰りたくないですし……」
たっぷりと苦笑成分を顔に貼り付けひとりごちる。
この若い身空で、糖尿病なんて冗談じゃない。
【Scene.04 砂糖菓子のフォークロア】
「それでねそれでね、大和の連中に神奈子ったらこんなこと言うんだよ? 『あんたら軟弱なヤマトの男より、気概のある幼女を選ぶッ!!』てね、もうもう、ね、すごいよね!」
「諏訪子……お、お願いだから、もうそこらへんに」
「えー、だってここからいいとこじゃない」
「いや、自分の若さゆえのあやまちが、ちょっと心に……」
「え? ……あやまちって、神奈子、ひょっとして後悔……してるの?」
「い!? いやいやいや! そんなことないよ!」
「……ほんとう?」
「ほ、本当だってば! ああもうほら、止めないから好きに話しなって!」
「あ、うん、それじゃ」
「…………」
無意識の記者魂でなお右手のペンを動かしながら、文の虚ろな視線が少し離れたところの白い山を一つ、確認した。
それは、たまたま境内で鉢合わせ、ついでで巻き込んでしまった谷かっぱ、河城のにとりの慣れの果てだった。
いや正確には、その山の下に埋もれてるだけなのだろうが、大方のところでは間違っていないだろう。
砂糖攻めの方が、塩の塊になって滅ぶよりはマシだと思う。多分。
「それでもう大和の連中泡食っちゃってさー、世継ぎがどうとか、子供がどうとか血迷って口走ったもんだから、神奈子が『馬鹿にするな、神同士だぞ! ガキこさえるくらい朝飯前だ!!』なぁーんて言っちゃってね!」
「あ、あれは売り言葉に買い言葉で、つい……」
「……でもね」
「……え?」
「嬉しかったんだよ、すごく」
「あ……」
嗚呼、列島におわします799万とんで9998の神様の誰でも構いません。私を助けて下さい。
自力での退路を断たれている文は、生まれて初めて、心の底から神に祈った。
その退路、つまり守矢神社の境内というと、いささか異様な状況を見せていた。
どこから現れたのか小は犬猫から大は大人ほどのサイズの蝦蟇が、自分たちの身の丈に合わせたオンバシラを携え、境内を埋め尽くさんばかりに整然と並んでいるではないか。
各自が葉っぱの傘で陽射しを遮り、改造学ランや『弾幕上等』などと書かれたタスキにハチマキを装備し、おまけにやや小さい蝦蟇が補給の水筒を配って回るという鉄壁の布陣だった。
どこのどいつが仕組んだのかは知らないが、異様なことこの上ない。
「ほ、ほら、わたしってさ、土着神の頂点ってことになってるから、そんな風に対等に見てくれる相手って初めてだったし……だから、すごく……嬉しかったんだよ」
「…………」
「え、えへへ……やっぱり、ちょっと恥ずかしいねぇ」
「そ、そうね……でも」
「あ……」
「諏訪子」
「ん……神奈子」
(ああもう、この状況見えてるでしょうに、助けてくださいよ椛)
既に吐いた砂が自分の胸元までを埋めていた事に気付いて、文は願う。
力を失った彼女の右手がペンを落とした時、既に供のカラスは文花帖を残して飛び去っていた。無常だが、彼ないし彼女を責める事は誰にも出来まい。
………………
…………
……
「すみません文さま。無理です」
そして、神社からいささかばかり離れた九天の滝上空約二十メートルに滞空しながら、椛は砂に埋もれて見えなくなった文に背を向け、全てを見なかったことにした。
【Scene.05 天の娘と神の娘と】
さて、砂糖生産がひと段落した神社から、いま一方の神社に視点を戻そう。
風祝の到着よりおよそ30分が経過したが、縁側に寝っ転がる天人娘に目覚める気配はこれっぽっちもなかった。
その間、早苗が何をしていたかというと。
「うにゅー……すぴゃー……」
「……あ、これ枕なんだ」
天子の頭の下にある要石らしきものが枕(低反発)であることに気付いたり。
「くー……すー……」
「天人って、風邪引いたりしないんでしたっけ」
お節介なのか世話好きなのか、天子にタオルケットをかけてやったり。
「すぴょー……むぬにゅあー……」
「あ、冷蔵庫に入れてこようっと」
クーラーボックスの中身を冷蔵庫に移し変えたり。
ついでながら、冷蔵庫というのは早苗がそう言っているだけで、実際は結界で冷気が逃げないように括られた、サイズ的には家庭用の冷蔵庫にほぼ等しい箱のことだ。
ちなみに、冷気の補充は月に一度、湖近くでよく見かけるアレとかをふんじばって一晩吊るしておけばいいらしい。人間って怖い。
「くー……うにゃー……」
「……それにしても、気持ち良さそうに寝てますね」
よほど熟睡しているらしく、風邪が通れば耐え切れないほどではない暑さの中、天子は寝返りをひとつ。
そんな様子をいいかげんすることもなくなった早苗は苦笑して見やっている。
「すぴょー……」
「…………」
と、不意に早苗が視線を固定した。
時折むにょむにょと横槍が入るものの、基本的には規則正しく上下している天人娘のそれ、絶壁、または大平原と称される胸板にじっと、視線を注ぐ。
「くー……すぴー……」
「……勝った」
何が。と聞く者も居ないが、小さく誇らしげに早苗は宣言した。
「むぬにゅー……しぴゃー……」
「それにしても、どうしてこう、幻想郷のパワーバランスの上の方の人って……あ、えっと、人以外と人ってこんなんなんでしょうね」
こんなん、とはまあ要するに、自分より幾らか幼い天子の外見を指してのものである。
紅い館の姉妹しかり、彼岸の裁判長しかり、そして自分のところの神の片方しかり、他にも色々と。
ほとんどは外見の数十倍から、下手をすれば数百倍の実年齢だったりするのでアレでアレだ。
「……可愛いですし」
「にゅー……すぴー……うにゅうにゅ~」
むにむにと、寝っ転がっている天子のほっぺたを突付くと、さすがに少し寝苦しそうに唸ったが、起きることはなかった。
にへら、と早苗の頬が盛大に緩む。その視線はおおむね日向ぼっこをしてる犬や猫を愛でる時のそれに近い。
「……ふふふ」
「うー……すぴー……うにゅにゅー……すぴゃー」
つんつん、むにむにと天子のほっぺたを弄る早苗。
反応の可愛らしさと面白さについつい熱中してしまう。
しかし、いかに熟睡しているとはいえ、それだけされれば当然目も醒める訳で。
「………あ」
「にゅ……うん? うー……?」
「……えっと」
「……うー?」
むくりと起き上がった半眼の寝ぼけマナコが、早苗の視線と交錯し、やがて上下にうようよと動いてから、また正面で向き合う。
「…………ん?」
「あ、えっと、お……おはようございます?」
「あー……おはよう、早かったね……えっと、霊夢?」
「人を腋で判断しないで下さいっ!」
つい反射的に、低反発要石枕で寝ぼけ天人の頭をしばいてしまった。
着々と幻想郷の空気に馴染みつつある自分を、悲しむべきか喜ぶべきか、早苗の悩みの種は尽きない。
【Scene.06 天人はお留守番中】
「あはは、ごめんごめーん。腋が見えたからてっきり霊夢かと思っちゃって」
「だれも彼も腋見るなり人のことを巫女だ巫女だって、何ですか、巫女=腋いえむしろ腋=巫女なんですか?」
「んー、たぶん後者だよね」
「はあ……まあ、もう慣れちゃいましたけどね、2Pとか言われるのにも」
慣れって怖い。
「あー、で今日はどうしたの? また霊夢のとこに通い妻?」
「か、かよっ……!? ああああああの、別にそんなんじゃあ……」
「……分かりやすいのねーあんたって」
「あ、あー……うー……」
ぷしゅーと一瞬にして真夏の太陽が顔負けするほど真っ赤になる早苗。
おーあついあついなどと自分の帽子であおぐ天子だが、顔がニヤニヤしているあたり楽しんでいるのは明らかだ。
「はいはい、ごちそうさまごちそうさま」
「そ、そういうつもりじゃ……」
「ん、何? 霊夢のこと嫌いなの?」
「それは……その……」
好きか嫌いかなんて二択は強引もいいところだが、まあそれは置いておくにしても、どっちかと聞かれれば嫌いなわけなどないわけで。
「す、好きといえば確かに、そうかもしれませんけど……」
「ほうほう」
「けど……その……」
幻想郷的価値観や倫理観が浸透しつつある今日この頃とはいえ、早苗のそれらには今も「外界」的な部分が根強い。
そんな彼女にとってオンナノコかけるオンナノコ、なんて図式は主にタカラヅカとか少女漫画とかの世界の話であり、こう、何と言うか、いざ現実に目の前に降臨されるとどうしても当惑が先に立ってしまう。
日頃神々のそれっぽい光景を身近で見るだけに、少々の疑問とそれなりの違和感とが今も彼女の中で同居していた。
「確かにその、霊夢さんって綺麗ですし、やるときはカッコいいですし、素敵……だと思います」
「ま、グータラだけどねー」
「……グータラですけどね」
以前『普段駄目っぽい人がかっこいいところを見せるとどうして惚れるのか』的な話題が守矢の食卓にのぼった事があったが、どこか憮然とした風の神奈子とやけに同意してくれていた諏訪子の対比が示す意味を、今の早苗なら、なんとなく分かる気がした。
「あ、えっと……そういえば、比那名居さん? はどうして博麗神社に?」
「……ん? ああ、私?」
「あ、あれ? ひょっとして名前、間違えちゃいました?」
「いんにゃ。あー……出来たら下の名前ので呼んでくれた方がいいかなー。ああ、天子様とか天子お姉様とか、麗しの天子さまーとか好きなので良いわよ」
神々しさのかけらもなく言い張る天子に、早苗は既視感に近いものを感じながら苦笑する。
「……それじゃあ、えっと、天子さんで」
「ちぇー」
「ちぇーって」
「……ちっ、しょうがないなー、それで我慢したげるよ。ふふん、最近の私はフトコロが広いんだから」
見事に広そうな大平原を反らしえへんと威張った。
「えーっと、それで天子さんはどうしてここに?」
「……実はちょっとあって、居候中だったり?」
「どうして疑問形なんですか……って、え? 居候?」
「うん。だから今は留守番中なのだよ」
言われて室内を見渡すと、確かに、普段見慣れない生活用品がそこらに転がってたり整理して置かれているのが目に入った。
そういえば、さっき天子をどついた要石枕も初めて見る代物だ。
「居候……また、どうしてですか?」
「んーまあ、ほら、アレよ、ちょっと色々あったのよ」
「色々……? ひょっとして、この間神社が地震で倒壊したのと何か関係が……」
「あーあー、うん、まあ、そんなとこかなー」
露骨に視線をそらす天子。
あまりに露骨過ぎて突っ込む気をそがれた早苗はふと、室内に無造作に転がっているものの他に、丁寧にまとめて整理して置かれているものの方に目を留めた。
転がっているのは主に居候中とのたまう天子のものらしいが、それら整理されているのは、明らかに天子と違う人物の持ち物に思われた。
といって、家主の霊夢が見えるところに置いておくほど余分なものをほいほい持っているわけでも、また置くとして整理するかというというとまたそれは違うことを早苗も知っていたから、自然、察せられる事は一つだった。
「あの、天子さん」
「んー?」
「ひょっとしてなんですけど、天子さんの他に、もうお一人くらい居候してますか?」
「へ? あ、あー、うん、衣玖も一緒だよ」
「衣玖さん、っていうと……えっと、確か龍宮の使いの?」
「そうそう」
「はあ」
と、早苗は小首をかしげる。
風の噂――妖怪の山在住の彼女にとって、こういう時の主たる情報源というのはまさに風の鴉天狗だったりするのだが――によれば、先日の地震騒動以来見かけるようになったこの天人といま一人の龍宮の使いとは、例えば紅魔館のメイド長とプチっ娘吸血鬼や、あるいは冥界の庭師と亡霊嬢がそうであるような関係ではないらしいと聞いていたからだった。
さてそこまで聞いて良いものかどうか、と早苗がちょっぴり悩んだのを察した、わけもなく、解答は勝手に相手の方から発せられた。
「衣玖も面倒見が良いっていうか義理堅いっていうかさー、父様やなんかの依頼なんてとーっくに無効になってるのに、私には監視役が必要でしょうとかなんとか言ってくっ付いて来て、そのくせ今日なんて『ちょっと仕事が』とか何とか言ってほったらかしだよ? まったくもー、律儀なんだか暢気なんだか……って、何よ」
「あ、いえ、なんとなく」
「……何よー、言いなさいよ」
「その、なんだか天子さんが嬉しそうに見えたので、つい」
「う、嬉しいわけないでしょ! ようやく退屈な天界から晴れて解放されたっていうのに、監視付きなのよ? いっ……いくら衣玖だからって、その、監視役には違いないんだから、嬉しいとか楽しいとかそんなことは……えっと、その」
ああもう何この天人。と、早苗は心の中でシャウトする。
頬を染めて俯き加減で人差し指をつんつんしないで下さい、どこの愛玩動物ですか。
「そ、そうよ! 衣玖は監視役なんだから、その、監視されてる身としては一緒にいてくれて嬉しいなとか、世話焼きのくせに暢気でちょっとお茶目だったりする衣玖を見てると楽しいなとか、そんなこと全然っ、全然ないんだからね!」
「…………」
「……なっ、何よー」
駄目だった。いくら理性と良識の現人神東風谷早苗でも、耐えられる限界というものがある。
そしてこの目の前の、ぷぅと真っ赤なほっぺたを膨らませて上目遣いで睨んでくる天人は、ボーダーブレイクには十分すぎた。
何だこのかりちゅま天人。
「ぷっ……ぷくくく……あ、あは、あはははは」
「ちょ、ちょっと! 今のどこにそんな笑う話があったのよ!」
「ごっ……ごめんなさい、でも、くくく……あはははははは」
「笑うなー!」
「は、はひ……ご、ごめんな……くっ……くくくくく」
「うー!」
ぷいっと擬音つきでそっぽを向く天子。
早苗は勝手に踊りまわる肺とあちこちの筋肉を必死で制御し、目尻の涙をようやっと拭って、言った。
「て、天子さん」
「……何よ」
「つまり、天子さんは、衣玖さんのことが大好きなんですよね」
「だ……誰がっ!」
「あれ、それじゃあ嫌いなんですか?」
「むぐっ……」
固まる。
どうやら勢い任せであっても、嫌いと断言できるほど自分の感情を把握していないわけでは無いらしかった。
まあ、かといって『きっ、嫌いに決まってるでしょ!』などと赤い顔でぷんすかぷんなどと言われれば、それはそれでアレではある。
「むー!」
ぼふんと要石枕に突っ伏して天子は唸るが、顔は隠せても耳まで隠せていないことの微笑ましさと言ったらない。
そんな天子を見ながら、早苗はなんとなく自分の色んな部分がほぐれて、不意に楽になった気がした。
「……天子さん」
「……なーにーよー」
どろどろどろと応じる天子に再び噴き出しかけるが、どうにかこらえる。
ちょっと真面目なことを言おうというのだし、ここは辛抱せねば。
「あのですね」
「……んー?」
「私、霊夢さんのこと……やっぱり好きかも、しれません」
「あっそ……って、はぇ?」
「あ、その、えっと……そういう『好き』なのかは、ちょっとまだ、良く分かりませんけど、でもその……間違いじゃないかなって、思います」
「……どうしたのよ、急に」
「ええと、何と言いますか、天子さんを見てたら何となく、そうなのかなって感じがして」
「……ふーん」
「だから、天子さんは衣玖さんを好きでいてあげてくださいね」
「なッ……ど、どどどうしてそこに戻るのよ!?」
「だってほら、霊夢さんは競争率が激しいんですから、これ以上ライバルが増えたら困ります」
「あー……」
「……ふふっ」
「……あはははは」
夏の昼真っ盛り。
そこだけ暑熱が払われたような神社の屋根の下で、少女ふたりが、風鈴のように笑う。
………………
…………
……
「いいですなぁ、若いというのは」
その声を遠くに、神社近くの池で一匹の亀がそう嘆じたというが、あいにく目撃者はいなかった。
【Scene.07 死闘!天界式調理法VS守矢風クッキング】
「さて、というわけで」
「というわけで」
「お昼ごはんをつくります」
「わー」
ぱちぱちと、普段の服の上から蒼白のエプロンをつけた天子が拍手。
一方の早苗は紅白二色エプロンにプラスいつもの蒼白二色、本来は霊夢のものを着ているためやや色合い的に厳しいが、天子が霊夢のエプロンを着けることを強硬に拒んだのは他ならぬ早苗であるから、色彩感覚はこの際二の次だった。
「とりあえずお素麺がありましたので、メインはこれでいきましょう」
「おー」
「霊夢さんがいつ帰って来るか分かりませんので、霊夢さんの分は茹でずにとって置きます。あ、衣玖さんの分はどうしましょう?」
「んーと、確か衣玖は夕方になるって言ってた」
「では、元々結構量があるみたいですので、私たちの分だけ作ってしまいましょう」
「わー」
「まずはお湯を沸かします」
「任せて!」
「……ってちょっと待って下さい」
「はぇ?」
心底不思議そうに早苗を見返す天子。
その手元では、かまどに満タンまで突っ込まれた薪が今まさに点火の時を待っていた。待っているように、見える。
「……多すぎますよ、それじゃ」
「え、だって料理は火力だってこの前白黒が」
「美鈴さんの言なら信用できますが、魔理沙さんの場合は弾幕と同じ発想なので却下します」
「……そうなの?」
「それに、そんなにギッシリ詰めこんだら逆に火がつきにくくなりますよ。火というのは酸素が十分ないとちゃんと燃えてくれないんです」
「でも一杯あった方が早く沸騰するんじゃない?」
「それはそうですけど、お素麺を入れた後も強火じゃすぐに吹きこぼれちゃいますから、沸騰する前に火のピークを過ぎるくらいで良いんですよ」
「なるほどー」
「なので、この大きさの薪なら3、4本で……あ、焚き付けに木っ端か何かありませんか?」
「あ、ほいほい」
「はい……ってこれ、文々。新聞ですね」
「文々。新聞だね。霊夢もいつも使ってるって言ってたよ」
「……ごめんなさい、文さん」
「? 何してるの?」
「いえ……ちょっとザンゲを」
「?」
この光景を九天の滝上空二十メートルの地点から偶然目撃した椛は、再び全てを見なかったことにした。
「さて、沸騰するまでの間に」
「何するの?」
「出汁はこんなこともあろうかと作ってきてありますので、薬味をいくつか用意しましょう。麺だけじゃさすがに味気ないですし」
「うんうん」
「といっても……」
ちら、と先ほど中身を充填する際に見た冷蔵庫の備蓄分を反芻する。
「まあ、ネギときゅうりくらいですか」
「へ? きゅうり入れるの? 素麺に?」
「冷やし中華に合わせるのはよくあるんですが、お素麺にもけっこういけますよ。千切りにしちゃうんです」
「ほほー」
「あ、卵も持って来てますから、錦糸卵も出来ますね」
「おおー」
先ほどから早苗の組み上げていく献立に感嘆することしきりの天子。
その視線が微妙にくすぐったい。
「えっと、それじゃ天子さんは、ネギときゅうりをお願いします」
「……へ? 私?」
「? そうですよ。私は錦糸卵とお素麺の面倒を見ますので、ざくっと切っちゃって下さい」
「……えー、と」
「どうかしました?」
「え? あー、いや、ううん、何でもないよ、ザクっとね、ザクっと」
「はい、ザクっとお願いします」
話しながらも、早苗は沸騰待ちの鍋をかけたかまどの火種を隣に移し、一方でフライパンにごく薄く油を引きながら卵を二つ三つと割っていく。その手際は実にスムーズだ。
ついでに、火を移すのにはまたしても文々。新聞の切れっ端が使われたが、早苗はそのことを気にするラインを既に通過していた。
さて、一方の天子は、というと……
「……えいっ」
たんっ。
洗ったネギの根っこのところを大上段に振りかぶり振り下ろした包丁で切り落とす。見るからに危なっかしいというか、そもそも両手持ちという時点で包丁の扱い方ではない。
たかがネギを切るのに、二倍の攻撃力が果たしてどれほどの役に立つというのか。ランタン持ったアイツだって片手持ちではないか。
「……えっと、天子さん?」
「な、何? 今っ、手が離せないんだけどっ……ていっ」
卵をしゃかしゃか溶きながら苦笑しつつ問う早苗と、ぶん、すとん、ぶん、すとんとネギを切っていく真剣な面持ちの天子は対照的に過ぎる。
それでもきちんと薄めの小口切りになっているあたりに微妙な才能を感じないでもないが、さしあたってネギの小口切りに要求されるのは家事技能レベル1くらいのものであって、決して両手持ちのアビリティではない。二刀流でもオーバースペックだろう。
「ふんっ……とおっ……」
「えーと……まあ、いっか」
「ていっ……やあっ……」
「あ、フライパンあったまったかな」
薄く溶き卵をフライパンに落とし、火が通ったらすぐさま上げる。その繰り返しで早苗は素早く数枚の薄焼き卵を積み重ねていった。
その間も、天子はネギとの一騎討ちに全身全霊をかけている。見ててちょっと楽しい。
「こうして見ると、素麺のつけ合わせっていうより、ちょっとクレープみたいですね」
「く……くれー、ぷっ? ……ていっ」
「あ、えっと、外の世界の食べ物……というよりおやつですね。果物や野菜をクリームと一緒にこんな感じの生地に挟んで食べるんです」
「やあっ……そ、それって……とぅっ……美味しい?」
「美味しいですよ。あ、今度作ってみましょうか。材料は揃うと思いますし」
「そ……それはっ、楽しみっ、ねっ……たあっ」
「…………まあ、いっか」
もう一本包丁を取り出し、重ねた薄焼き卵をやや太目に切っていく早苗。
本来の錦糸卵はミリ単位に細く細く切るものだが、メインが素麺なので、それよりはやや太い方が食感の差を楽しめるだろう。
「うん、こんなものかな?」
「こっちも終わったー!」
「あ、ご苦労様です」
「ふふん、こっ、こんなの軽い軽い!」
「……あはは」
かくして、綺麗に切り揃えられたネギと錦糸卵は完成した。
結果だけを見れば等価だが、過程の愉快さではネギを調理した側に色々とボーナスがあるに違いない。主にエンターテイメント的な意味で。
【Scene.08 矛盾】
「それでは次は」
「……ごくり」
「きゅうりを切ってもらいます。私はそろそろお湯が湧きそうなのでお素麺を茹でますから……天子さん、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫……たぶん」
多分と申したか。
「……えっと、それじゃあお願いしますね」
「ま、任せなさいっ!」
そして再び両手持ち。
挑むはまな板の上の鯉ならぬ、青々としたキューカンバーだ。大地の恵みをふんだんに蓄えたグリーンが目に優しい。
「…………」
「な、何よ」
「……いえ、まあ、頑張って下さい」
「ふ、ふふふふふ、いっ……言われるまでもないわっ!」
そして再び高々とヤッパを振り上げる天人。
「チェストぉぉぉぉぉぉぉ!!」
ぶん、とん、ごろん。
きゅうりは切断を免れるため、ごろりんと転がって刃の力を逸らした。
「あ……あれ?」
「……あはは」
当然といえば当然で、ネギと違って径の太いきゅうりは、まな板の上でも良く転がる。
そのため、片手で抑えて転がらないようにしながら切るのが、きゅうりに限らず料理の基本技能だ。
まあ、超上級者になれば片手で振るった包丁やらナイフで一瞬にして調理可能かもしれないが、天子はビギナーもビギナーだし、早苗もそこそこ熟練者ではあるがその域ではない。
以前、風で似たようなことをしようとして、周辺まで切り刻んだ苦い思い出が早苗の脳裏にちらついた。
「く、も、もう一度っ! てぇりぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ぶん、とん、ごろん。
馬もろとも敵将の首を狙う戦国武士並に凄まじい天子の気合は、再びベジタブルな回避に阻まれた。
「う、ぬぬぬぬ……っ」
「あ、あの……天子さん」
「……な、何よっ」
脱力感と噴出しそうな笑いを同時に堪えるという苦行の果てに、早苗はようやくモノノフ天子に突っ込みを入れた。
「片手でも十分切れますから、左手できゅうりを押さえながら切ったら良いですよ」
「ぐ、む……し、知ってたわよ! ただ、ちょっと……そう! 達人の境地に挑戦してただけよっ!!」
「~~~~くっ!!」
多分、いや間違いなく本気で言ってるらしい天子。
早苗は咄嗟に顔を背け、宝永の大噴火もかくやという勢いで腹の底からせり上がって来た爆笑の奔流を全力で押し止める。
「? どしたの、大丈夫?」
「えっ……ええっ、だ、だだ大丈ぅ夫、です、よ?」
ぶるぶると両肩を震わせて早苗はその衝動を何とか押さえ込む事に成功したが、かなりきわどい判定だった。ありていに言えばダイスの判定であやうくピンゾロを叩きかけたときのような危うさがあった。
「あ、押さえてる方の手を切らないように注意してくださいね」
「ふん、大丈夫よ。天人の体っていうのは、そこらの刃物じゃ針ほどの穴もあかないようになってるんだから」
「あ、そうなんですか」
「そうよ、だからこのくらい大丈夫!」
とは言うものの、にっくきウリ科を押さえ込んだ左手は猫の手、なわけもなく平手で危なっかしいことこの上ないが、まあそういう皮膚強度なら問題あるまいと、早苗は鍋の湯の具合を確認するため蓋を開ける。
もうちょっとかな、なんてぼんやり考えながら、ある言い忘れに気づく。
「あ、そうだ天子さん。きゅうりは千切りに――」
「往生せいぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
どしゅ。
「千切りに……しないと」
「…………」
さていきなりだが、皆様は矛盾の故事をご存知のことと思う。いや、別にオリジナルの矛盾でなくとも、要塞主砲で要塞の外壁を撃たしめれば果たしていかん、みたいにアレンジされたのでも良い。基本の意味は通じるだろう。
天人の体は、確かに通常の刃物程度は通さないが、しかし、通常の刃物が天人のパワーで襲い掛かってきた場合は、果たしてどうだろうか。
その答えが、ふたりの眼前に展開されていた。
「……えっと」
「…………」
幸い、ハムをつまみ食いしようとして指が落ちた、なんてところまでは至らず、親指の付け根にほんの1、2cmほど先端が刺さった所で止まったのは、やはり天人ボディの防御性能のお陰だったろう。
だがまあ、痛いものは、痛い。
「―――ぴぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!??」
「あわわわわわわわわわわわわ!? って、と、とりあえず包丁を抜いて下さい!」
ぴゅーっ。
「うわわわわわわ、血が血がっ!」
「ふぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
「と、とりあえず止血です止血!! って、え、天人も止血からなのかな……ま、まあとにかく!」
どたばた、がたんがたん、わーぎゃーぴーぴー。
………………
…………
……
「いいですなぁ、若いというのは」
その声を遠くに、神社近くの池で一匹の亀がそう嘆じたというが、あいにく今度も目撃者はいなかった。
【Scene.09 奥様は】
「えっと……まあ、きゅうりの千切りは私がやっちゃいますね?」
「えぅぅぅぅぅぅぅー……」
「だ、大丈夫ですよ! 誰でも最初は上手くいかないものなんです!」
「……ほんとに?」
「……その、全てが失敗に転がるような致命的かつ天災的な才能でもなければ、大丈夫……だと思いますけど」
「うぅぅぅぅぅぅぅー……」
「え、えーと、その……」
と、そんな感じに膝を抱えた天子と会話しつつも、早苗の手元はとんとんときゅうりを斜め切りにし、それを数枚重ねて今度は千切りにと澱みなく展開している。
「……あのさ」
「はい?」
「早苗は、やっぱりその……料理の出来ない女の子って、駄目だと思う?」
「へ?」
ととん。一瞬、きゅうりを切るリズムが乱れ、危うく指を持っていかれるところだった。
それが意外と言えば意外な天子の質問のせいなのか、それとも記憶にある限り初めて彼女が自分の名前を呼んだからなのかは判然としないが。
「えっと……どうしたんですか、急に」
「……だって、私、ヘタクソだし。ごはんはいつも衣玖か霊夢が作ってくれるし……」
「あ、えーと……」
「見捨てられちゃったり、嫌われちゃったりするのかな……」
「……大丈夫、だと思いますよ」
「……ほんとに?」
さすがに包丁を使いながら振り向くわけにはいかないが、後ろで座っている天子の表情に、早苗には何となく察しがついた。
きっとまあ、アレだ、雨の日に捨てられた猫を拾ってきた子供みたいな顔をしてるんじゃないだろうか。
「天子さんは料理したことって、ありました?」
「……ううん、ぜんぜん。天人になったのはまだ小さい時だったし、天界じゃ料理ってのがそもそもほとんど無いし、あっても作ってもらってたし……」
「やったことないことが、すぐに出来ることなんてそんなに無いですよ」
「……そう、なのかな」
「まあ……たまに霊夢さんみたいな、やったことなくても勘でどうにでもなるって人はいますけど、そんな人は本当に稀です。私だって、こんな風になるまで、何度も指を切っちゃったりしましたし」
まだ、包丁も満足に扱えなかった頃の自分を思い出す。
意地を張って、無理をやって、親代わりと言っても良い神様ふたりをよく困らせたり、慌てさせたりしていたものだ。
「それに、料理が出来る出来ないで、嫌いになるとか見捨てるとか、そういうのも人それぞれですし」
「……そう、なのかな」
「それとも、衣玖さんってそんな人ですか? 料理の出来ない子を嫌いになっちゃったりするような」
「ち、違うよ! 違う……と思う」
「それなら大丈夫ですよ」
お互いに顔は見えていない。
早苗は依然きゅうりに向かっていたし、天子は天子で早苗の背中が見えるだけだ。
それでも、早苗が優しく微笑んでいることは何となく伝わった。
早苗はかたかたと待ちかねたように蓋を鳴らし始めた鍋へ、素麺を入れていく。
「それに、本当に覚えたいなら、少しずつ覚えていけばいいじゃないですか」
「……出来る、かな?」
「大丈夫ですよ。それに、ひょっとしたら凄い才能があるかもしれないですし」
「天災的な?」
「ええ、天才的な」
「……ぷっ」
「ふふ」
「あははは……」
顔も見ないで互いに笑った。
「あ、素麺も茹で上がったみたいですね」
「それじゃ私やる!」
「え、でも傷は……」
「もう塞がったから大丈夫! いっくよー、せぇのっ!」
じゅっ。
「…………」
「…………」
「―――ぴぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!??」
「あわわわわわわわわわわわわわわわ、ななな何で素手でお鍋掴むんですか!! しかも何故か胴をがっしり!?」
「だだだって、この間あのスキマババアが『外の世界には素手で熱湯の中のゆで卵を取れる人がいる』って言ってたからぁぁぁぁ!!」
「それは火星人か魔女のお話です! ってあああああああ、とにかく冷やして! 冷やしてー!!」
「ふぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
本日の実験結果。
天人の体は丈夫だが、感覚は常人のそれであり、痛いものは痛い、熱いものは熱い。
(ヤゴコロ製薬、試薬臨床実験レポートより抜萃)
【Scene.10 雨天決行のシエスタ】
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまっ」
混迷と動乱の時代を経て、少女達は安息の時を迎えていた。
などと表すと大仰だが、実際には混沌とした調理時間からまったりとした食後へシフトしただけの話だ。
「おいしかったねー」
「おいしかったですねー」
のほほんとした空気が流れる。
つい小1時間ほど前の修羅場が嘘のようだった。
と、穏やかな空気に混じって大口をあけた天子があくびをひとつ。
「……ふわぁ」
「ふふ、眠くなっちゃいました?」
「……んー、おなかいっぱいになったからねー」
「後片付けは私がやっちゃいますから、休んでていいですよ」
「いーやー……」
「……あはは」
抵抗を試みる天子だが、満腹と眠気の波状攻撃の前にはいささか無理があるのか、ごろんと寝っ転がってうごうごするのが関の山だった。
「さっきたくさん手伝ってもらいましたから、天子さんは休んでて下さいって」
「……ちーがーうー」
「え?」
「食べた後すぐ寝るとー、ハクタクになるってー」
「えー……と、ちなみに聞きますけど、それは誰が?」
「衣玖ー」
「…………大丈夫、だと思いますよ、多分」
苦笑する早苗の中で、衣玖の人物像に「ちょっとだけお茶目さん?」の注意書きが加わったのは言うまでもない。
「……あれ、雷?」
「……んぅー?」
「天子さん?」
遠くの空のかすかな唸りに早苗が首をかしげると、天子は寝そべったままずりんずりんと縁側まで這って行くと、ごろりんと仰向けになって空を見る。
ちょっとだけイモムシみたいだと思った。
「んむむー……思ってたよりちょっと早かったかなー」
「天気予報ですか?」
「まー、そんなとこかな……夕方には上がるよー……むにゃ」
「……もしかして寝言?」
「うにゅー……すぴー……」
「……あはは」
苦笑3割、微笑7割で笑ってから、器用に二人分の食器をひょいひょいと持って台所へ移動した。
いくらも経たない内に、遠くから近付いてきた雨音がすぐさま周囲の音を上書きしていく。
「あ、もう降ってきたんだ……」
さあさあと、炊事場の窓から見える景色がモノトーンに塗り替えられる。
「……そういえば、洗濯物とか大丈夫なんでしょうか?」
見える範囲に干されている様子はないが、仮に干してあったとしてももう遅いか。
少し調子外れの鼻歌混じりに手際よく食器を洗うと、半分ほど残ったネギと千切りきゅうりと錦糸卵を冷蔵庫へ。
「これだけ残ってれば、お素麺茹でるだけで食べられますからね」
言いつつ、残り作業を確認。
食器は完了、鍋も洗った。ちょっと胴体に手形が付いているのが痛々しいのか微笑ましいのかびみょんなところではあるだろうが。
「……あ、これ忘れてた」
と、短時間ながら激務を耐え抜いたまな板を洗う。
「にしても」
洗いながら、しげしげとその不思議な色合いのまな板を見た。
自分が担当した錦糸卵やきゅうり戦の後半はともかく、天子が力いっぱい包丁を何度も振り下ろしていたのに、大して傷が付いた様子もない。
「……木じゃないですよね、でも合成樹脂とかでもないみたいですし」
白とクリーム色の中間のような、鈍い光沢を放つ金属製に見えるまな板。
特殊な魔法素材か何かだろうか。ふと、側面に銘らしきものが彫ってあるのを発見する。
「? あ、何か書いてありますね、ええっと何なに……ガンダニウ――」
反射的に投げ捨てた。
傷一つつかなかったので、仕方なく綺麗に洗った。
【Scene.11 雨宿られる道具屋】
「ごめんください」
「……おや、いらっしゃい」
魔法の森の端っこの店で、珍しく訪れた礼儀正しい客への応対は残念ながら半歩遅れた。
よもやこんな雨天で客など、と思って読書に没頭していたあたり、商売人としての店主の資質にはいささかならず疑問の余地がある。
「おや、確か貴女は……」
「衣玖です、永江の。先日は宴会でお世話になりまして」
「ああ、あの時の」
店主、森近霖之助の交友関係はさして広いとも言えないが、たまに神社等の宴会に引っ張り出される関係上、人数はともかく質と種族の幅はちょっとしたものだ。
今しがた水滴を払いながら入ってきた彼女、永江衣玖が龍宮の使いであることも、その好例だろう。
「すみません、特に必要なものはないのですが……」
「ああ、構わないよ。僕としては礼儀正しい訪問者はお客でなくてもありがたいんだ」
「……はあ」
「世の中には、店というものの正しい利用法を無視する輩も意外と多くてね」
「おや、そいつは聞き捨てならんな。私がいつこの店を不正利用したって言うんだ?」
「あら」
「よ」
ひょこっと、店の奥から出てきたのは、少しクセのある金髪と最近衣玖も識別のコツをつかんできた白黒二色。
衣玖はしばし白黒、霧雨魔理沙に視線を固定し、霖之助に移動させ、また魔理沙に霖之助にと往復して、口元に手をやってから、言った。
「……ひょっとして、お邪魔でしたか?」
「どこのどういう空気を読んだかは知らないけど、彼女もただの雨宿りだよ」
「まあ、そういうことだな」
「あ、なるほど」
見れば、魔法使いの髪もどこか湿っているように見えるし、何より髪の上にいつもの帽子が乗っかっていないから、おそらくそういうことなのだろう。
衣玖がそこまで空気を読んだ時点で、奥からさらにもう一人、見知った人間が顔を見せた。
「……霖之助さん、このお茶もらうわよ――って、あれ、何だあんたも雨宿り?」
「あら、霊夢さんもいらしたんですか。お昼には神社に戻ってたはずでは?」
「里で買出ししてたらこいつに捕まっちゃってね、そのままずるずる時間を食ってたら雨に降られたのよ」
「霊夢……状況説明はいいが、人の頭にお盆をのせるのは感心できないぜ」
「お盆じゃないわよ」
「じゃあ今私の頭の上にあるのは何だ」
「お盆と急須と湯のみ」
「ああそうかい」
「僕の所のものであることには、変わりないんだけどね」
「……ん?」
「どうしたんだい、魔理沙」
「……こーりん、ちょっとむこう向いてろ」
「? いきなりどうしたんだ」
「いいから、向けって言ってるだろ」
突然のドスの聞いた声に押され、やれやれといった風で示された方向、つまり女性陣全員に背を向ける。
「どしたのよ魔理沙」
「永江サンよ、いいからさっさとこっち来い」
「はい?」
「来いって言ってるだろ」
「どうしたんだ魔理沙、そんなに興奮し――」
「こーりんはこっち見んな!」
「……ああ」
ようやく衣玖も気付いた。空気を読むのが少し遅かったらしい。
「それでは、ちょっとお邪魔します」
「はいはい、どうぞー」
「家主は僕なんだが……」
「だーかーら! こっち見んな!! こーりんは黙って店番、いいな!」
「いいなも何もここは僕の店で……」
ぎゃーぎゃーと喚く魔理沙が衣玖を店の奥へと引っ張り込んだ。
苦笑しながら店側と奥との境界の引き戸を閉めて霊夢も引っ込み、店には霖之助だけになる。
『どうしたのよ魔理沙、あんなに興奮して』
『いや、その……何だ、全てはこいつが悪い!』
『は?』
『あ、すみません。気付かなかったもので』
『だ、大体だな、そんなぱっつんぱっつんでしかも濡れた格好で男の前に居て恥ずかしくないのか!?』
『あー……そういうこと』
『そう言われましても、雲の中で仕事をする時はいつもこんな感じですし……』
『ともかく、さっさと着替えてそれ乾かせ!』
『え、ちょっと、そんな無理矢理……きゃぁ!?』
『うはははは! よいではないかーよいではないかー!』
「…………」
なるほど。と声に出さず納得する。
この場合、気付いた妹分の性徴いやいや成長を喜ぶべきか、それとも己の朴念仁っぷりに悲しむべきか、微妙なところだった。
「……眼福しそこねたかな」
ごん。
ぽつりと呟いた霖之助の後頭部に、前ぶれもなく重い重い衝撃が走った。
スローモーションになった世界の中、かけていた眼鏡が酷くじれったい曲線を描いてかたーんとカウンターに落下する。
「…………」
手をやって衝撃の原因を掴み、目の前に持って来た。
陰陽玉だった。
「……霊夢――」
「振り向いたら次は鬼神玉ね」
「…………」
黙然とカウンターに陰陽玉を置き、眼鏡をかけなおして読書を再開する。
途端に後方で響く姦しい、かどうかは少し微妙な声。
『くっそぅ、どうしてこうどいつもこいつもいい身体してるんだ!? 詐欺だ! 反則だ!』
『あの、ちょ、どうして私がこんな謂れのない仕打ちを! やぁ!? れ、霊夢さん! この人何とかして下さい!』
『……はぁ、お茶が美味しいわ』
『あ、ちょ、ちょっと! 自分で脱げますから!』
『五月蝿い! 大人しく脱がされろー!』
『は、羽衣をとられたら私っ……!』
『ええいそれは天女で龍宮の使いじゃないだろう!』
『人種差別です!』
『それがどうした!!』
「……屋根に穴は開けないでくれると嬉しいんだが」
「あ、大丈夫よ。夕方で止むって居候中の予報士が言ってたから」
「…………」
それが慰めになるか。
【Scene.12 水玉模様の昼下がり】
「…………ふぅ」
「すぴょー……うにゃー……」
洗い物を済ませ、洗濯物がないことを確かめると、風祝はすることがなくなった。
再び幸せそうな寝息を立てている天人と同じように眠れば良いのだが、半端な眠気はぼんやりとさせる以上の効果をもたらしてはくれない。
結局、頬杖を付いたままなんとなく雨の降る外を眺めている。
「……霊夢さん、遅いなぁ」
「むにゅー……」
さして強くないとはいえ雨が降っているから、おそらく適当なところで雨宿りをしているのだろうけど。
「すぴゃー……」
「……はぁ」
べちゃりと卓に突っ伏す。
意識を持っていくほどではないが、気力を損なうには十分なけだるい感じがじわじわとメンタルを蚕食していく。
滑らかな木目の感触が冷たくて気持ち良かった。
「うむー……」
「うにゅー……」
寝言と唸り。
しとしとと降る雨の音をバックに、ゆるやかな時間が流れる。
「…………」
「……むにゅむにゃー」
「……え?」
気付けば、ごろごろと転がってきた天子が早苗の足の上に頭をのっけていた。
自然、膝枕に近い格好になってしまう。
「うにゅー……」
「……しょうがないですね」
苦笑してから、不安定にならないようにそっと頭の位置を調節してやると、天子は寝心地良さそうにきゅっと早苗の服の裾を掴む。
「すー……すぴー……」
「あー……ちょっと、私も眠くなってきちゃった……かなぁ」
とろん、と瞼が重力に負ける。
単調な雨音が眠気を増幅させ、視界が狭くなる。
早苗はかくんかくんと落ちかける首を何度も元に戻そうとしていたが、一度大きくひと漕ぎすると、やがて寝息が二人分になった。
「すー……すー……」
「うにゅー……すぴー……」
………………
…………
……
「……まったくこいつらと来たら」
「まあまあ、気持ち良さそうに寝てますし、起こしてしまうのもかわいそうですよ」
夕刻、雨が止んでから帰宅した巫女と龍宮の使いは、仲良く並んで眠る天の娘と神の娘を目撃した。
「はあ、昼間っからどんないい夢見てるのかしらね、羨ましいわ」
「ふふふ……」
そんな風にぼやく霊夢も、実際日中から寝ていることが割りとあるのだが、そこには突っ込まない衣玖だった。
もっとも、その衣玖にしてみたところで、暇な日は似たようなものだったりするのだが。
【Scene.13 星の灯りの夜想曲】
本来の住人の数から言えば何倍も多く、しかしピークからすればごくささやかな人口密度の、夜の博麗神社。
龍宮の使い、永江衣玖は昼間とは打って変わって涼しい風にあたりながら、縁側でぼんやりしていた。
夕方頃まで降り続いていた雨の残り香が、かすかな湿り気とともにあたりの空気に漂っている。
「ふぅ」
ひと息。
一日の終りが近付く時間、それほどではないとは言え、体のところどころにたゆたっている気だるさを感じた。
『ほらほら、洗った奴からさっさと拭いてって!』
『わわわ、わかってるわよっ!』
「……ふふふ」
台所の方から聞こえる、賑やかな後片付けの声は、家主と居候天人のそれである。
本日の博麗神社の夕餉は、普段よりいささか豪華なものが並んだ。
早苗が持って来た食材と人里で霊夢が買い出してきたそれぞれが供され、昼の素麺の残りも並んだ。
ディナーに素麺など、と言うなかれ、暑い日の締めくくりには結構悪くない。
もっとも、ナスや南瓜といった夏の幸が並んだことよりも、一同にとっては天子が『私も手伝う!』などと言い出したことの方が、よほど重大事に違いなかった。
結果的に言ってしまえば、天子を除く三人でやった方がおそらくずっと早く準備は終わっただろうし、ドタバタも少なかったことだろう。
それでも、早苗と衣玖は天子のアレな心意気を汲んであれやこれやとフォローをし、仕舞いには霊夢までが口出しを始める始末だった。
そのお陰か、夕餉の支度が終わる頃には、天子はネコの手と乱切りをマスターするに至っていた。
食卓に並んだもののうち、やや不恰好ながらそれなりに様になっていたいくつかの料理の大元は、そんな彼女の手による。
そして『昼間は出来なかったもん!』などと言い出して後片付けを買って出たのも、他ならぬ天子だった。
人数がいても効率が変わらないというので、いちおうお客様な早苗を真っ先に風呂に押し込み、衣玖を縁側に放り出すその意気込みは、いささか新鮮すぎて逆に戸惑う。
『……どう?』
『…………』
『…………』
『……ふぅ、ま、合格かしらね』
『ほんと!?』
『はいはい、私はお茶淹れるから、向こうで湯飲みでも用意してなさい』
『ん、任せといてよ!』
どたどたと慌しい足音が夜の神社に響く。
「あ、衣玖、もうちょっと待っててね、今お茶いれるから!」
「はい、ありがとうございます」
「えへへー」
しかし、にこやかに答える衣玖の心中に、ひとつ気がかりがあるとすれば……
「……ふむ」
視線を足元の地面に落とす。光の加減で判然としないが、手に持った小枝で何か地面にかりかりと書いているようだった。
「お先に上がりましたー」
「あ、早苗ー」
「冷めない内に天子さんたちもどうぞ」
「あ、うん。えっと……?」
「先に入っちゃって良いわよ。私は後でゆっくりと入るわ」
「ん、わかったよ霊夢」
「…………ふぅ」
後ろの会話を聞きつつ、再度小枝で何事か書き加える衣玖。
やがて小枝をぽいと投げやって、どこか深刻げに考え込むその背後に忍び寄って飛びつく影ひとつ。
「いーくっ」
「わ! あ、天子様……どうしました?」
「えっとね……えーと」
「?」
「お風呂、一緒に入らない?」
「は、えっと……お風呂、ですか?」
「うん」
ちらりと見物人の方を見ると、霊夢は露骨にニヤニヤしながら、早苗は微笑で天界組のやり取りを眺めている。
「……だめ?」
「しょうがないですね、天子様もまだまだお子様なんですから」
「むむ、お子様じゃないもん」
「それではお一人で入りますか?」
「……一時間だけお子様でいい」
後ろから抱き着いて、さらに上目遣いなんて高等技能に抗するすべを、衣玖は行使する気になれなかった。
多少なりとからかうような口調は、一応のポーズみたいなものだ。
「それでは、先に行っていて下さい。私もすぐに行きますから」
「ん、わかった!」
どたどたと遠ざかっていく足音。
ゆっくり立ち上がり、衣玖もそれを追う。
と、不意に立ち止まり、団扇で火照った顔に風を当てている早苗に視線を送った。
微妙に色々なオーラの混ざった視線に、早苗がちょっと怯む。
「? どうか、しました?」
「あ、いえ、なんでもありません。ありませんが……」
「……?」
「えっと……」
羽衣を脱ぎ、手元にまとめながら少し考え、それからにっこり微笑んでずずいと早苗に近付いた。
その衣玖の、言い知れぬ迫力に押されて早苗が畳の上を半メートルほど後退する。
「……早苗さん」
「は、はははい、なんでしょう?」
「負けませんから」
「……はい?」
「それだけです。では霊夢さん、お先にお風呂頂きますね」
「はいはい」
すたすたと立ち去る衣玖。
その様はいつもと変わらぬようで、どこかいつもと違うようにも見えた。
「……な、何だったんですか?」
「さあ? ずっと何か書いてたみたいだったけど」
「え? どこにですか?」
「縁側の地面」
「?」
奇妙に思って縁側に出る。
「……んー?」
暗がりでよく判らないが、乾ききっていない柔らかな地面に、幾つか文字が書いてあった。
ありていに言えば、『正』の字で何かを計算していたらしい。
「えーと……『れ:18 さ:23 い:20』かな? 何だろ、これ」
「ははーん」
「うわ! れ、霊夢さん!?」
突然真横で発せられた声に驚いて振り向くと、いつの間にそこに移動したのか、湯飲みを持った霊夢が座って同じ地面を見ていた。
「い、いきなりびっくりするじゃないですか。えっと……『ははーん』って霊夢さん、これが何だか分かるんですか?」
「わからなくもないわね。でもまあ、大したことじゃないわよ」
「へ?」
ずずずずーと、こともなげに茶を一口。
「……えーと、良く分かりません」
「あ、そ」
「あ、そって、ヒントくらい下さいよ」
「んー……そうねぇ」
視線をしばし夜空にやってから「私なら」と前置いて続ける。
「だいたいどの数字も小さくなるんじゃないかしらね」
「へ? は?」
「で、早苗の場合はまあ、どれも大き目かな。『れ』が他のに比べて多いかも知れないわね」
「……良く分からないです」
「大したことじゃないもの」
「……霊夢さん」
「何?」
「ひょっとして、からかって楽しんでます?」
「それなりに」
「うー……」
………………
…………
……
「ねぇ衣玖?」
「はい、なんでしょう?」
「さっきから何か難しい顔してるみたいなんだけど……何か悩み事とかあるの?」
「悩み事……ですか? いえ、特にはありませんが」
「ほんとにー?」
「ほんとです。さ、頭流しますよ。目を瞑って下さい」
「わぷっ」
ざばーと頭から少々手荒にお湯をかける。
ぷるぷると可愛らしく顔を振る天子は、けれどもどこか不満げだった。
「むー……なんか嘘っぽい」
「そんなに気になりますか?」
「うん。いつもとちょっと違う気がする」
「……ふむ」
二人、背中合わせに湯船に浸かる。
「……ねえってば」
「……いえ、本当になんでもありませんので」
「むー……」
唸りながらうりうりと背中で押してくるが、すぐに飽きてもたれかかってきた。
「……私に出来ることなら、してあげるよ?」
「……では、お言葉に甘えまして」
「うんうん」
「あと三回」
「……へっ?」
「あと三回、名前を呼んで下さい」
「名前って、衣玖の?」
「はい、あと二回です。そうしたら、すっきりいつもの私になりますので。ああ、連呼しちゃ駄目ですよ、色々とアレですから」
「衣玖……なんか変だよ?」
「はい、あと一回」
「変だってばー」
「あと一回です」
「い、衣玖ーお願いだから正気に戻ってぇ~」
「はい、戻りました」
「…………」
「…………」
肩越しに視線を交わす。
互いに十秒、二十秒と身動きもせず、湯気と水面だけが互いの視界でゆらゆらと動いていた。
「……ぷっ」
「……ふふっ」
やがてほぼ同時に、不思議な可笑しさに噴き出す。
「あははははっ」
「ふふふふふっ」
真新しい、以前より少し広くなった神社の風呂場に、ふたりの笑いが響いて広がっていく。
………………
…………
……
さて、こちらはきゃいきゃいといった感じで風呂場から響く声を聞いている方の二人。
「……遅い」
「……ですねぇ」
「むー、眠い。私もー寝る」
「わ、駄目ですよ霊夢さん。女の子は不潔にしちゃいけませんって」
「眠いー」
「駄目ですってー」
「……じゃあさ」
「え……はい?」
「私寝るから、早苗、あいつら出たら私の体洗っといて」
さりげない爆弾を半分以上寝こけた言葉に包んで投下する巫女。
「は、え……えええええええ!?」
「んー、何よー?」
「え、いや、だって、その、えっと! じょ、じじじじょ冗談……ですよね?」
「……んむー」
「……(ごくり)」
「……んぬー」
「ほっ……本気にしちゃい、ます、よ?」
「……んー……」
全身が心臓になったみたいにバックンバックン言いながら、早苗は、すぐ横で座ったまま寝ようとしている霊夢に手を伸ばし―――
「……なんてね?」
「ぴぎゃ!?」
いきなり眼を開けた霊夢にめいっぱい驚いた。
「れ、れれれれれ霊夢さん! え、えとこれはそのあの……」
「……ほんと、早苗って反応が正直で面白いわね」
「あー……うー……」
『あー、いいお湯だったねー』
『ええ。あ、霊夢さん、お待たせしましたー』
「ん、分かったわー」
「あ……」
風呂場からの声にすっと立ち上がる霊夢へ、手を伸ばしかけて引っ込めて、でもやっぱり伸ばして袖の端っこを掴んだ。
一瞬おやといった顔をした霊夢だったが、すぐさま意地悪な笑いを浮かべる。
「……なーに?」
「え、えっと……その……」
「んー……ねえ、早苗」
「はっ、はひっ!?」
「何だか随分汗かいちゃってるわよ」
「へっ? あ……」
短時間で緊張したりバックンバックンしたりあれこれなったからだろうか、額にも汗にも、暗くても分かるほど汗をかいてしまっている。
「折角お風呂入ったのに、それじゃ気持ち悪いでしょ」
「え、あ、はい……その……」
「んー……ねえ天子ー」
『なにー?』
「お湯ってどのくらい残ってるー?」
『んー、あんまり残ってないかもー』
「だって」
「……へ?」
「といって、追い炊きするのも面倒だしねぇ」
するりと、早苗の手から掴んでいた袖が抜けた。
二歩、三歩と遠ざかってから、楽園の巫女は、振り返って素敵に微笑み、言った。
「……一緒に、入る?」
「あ――」
だから、早苗も立った。
立って、巫女のすぐ傍まで近付いてもう一度、今度は袖じゃなくて手を取って、精一杯の勇気を出して――
「――はいっ」
麓の神社の夜は、まだまだ始まったばかり。
衣玖×天子、霊夢×早苗ごちそうさまです。
幻想入りしてたんですね、ガンダニウム合金・・・。
さて体内を中和するために袋塩を飲んできますノシ
ところでガンダニウムではなくガンダリウムだったかと思います。
長くてピリッとした作品も好きですが、こういった何でもない一日みたいなのも大好きです。
えーっと早苗が霊夢の紅白エプロンを天子に着られたくなくて、天子が蒼白エプロンを着けてたということは、
きっとこの蒼白エプロンは博麗神社に常備されているということだろうから……おっと危ない口の端から砂が。
>雲の中で仕事をする時はいつもこんな感じですし……
現人衣玖神がここにおわす……
絶壁かわいすぎてニヨニヨしてきます
衣玖さんがぱっつんぱっつんだと分かってすぐ夢想した自身に乾杯。
面白かったが個人的には衣玖さんはもうちょっと甘さ控えめの方がいいかなー。
ガンダニウmまな板よりそれに何度も叩きつけられたのに切れ味を維持した包丁が凄いな。
いっくてん!いっくてん!
しかし序盤のうれしはずかし諏訪戦争がもっと読みたかったと思った自分はおかしいのだろうか?男前な神奈子様が最高です。
そして嫉妬してるいくさんがかわいくて仕方なかった。
はぅぅ
あとGJ
もちろん違ったわけですががが。
さりげないところで嫉妬してる衣玖さんが可愛い。ニヨニヨw
何故か零式斬艦刀のアニメが脳内再生させました
ガンダニウmまな板じゃなかったらきっと床まで真っ二つにしたかもw
無理な催促はしたくないですが、次回作も楽しみにしてます
ちょこちょこ出てきた椛に乾杯www
早天とな? 早天だと? ありかと思ったら、やっぱりいくてんだった
しかし、どうして緋想に出なかったんだ、守矢神社ーッ!
甘いものは別腹なので、幾らでもOKです。
ご馳走様でした。
まあ、一番甘かったのはかなすわですけどw
じゃなかった、欲情……でもなかった。可愛らしいと思うんですよ!!(力説)
あと天子は防御力はひたすら頑丈でも、通ったダメージには貧弱なイメージありますよね。
良質の砂糖ごちそうさまでした
ガンダニウム→W
豆知識な!
それにしても甘い
ところで衣玖が可愛い。そして誰か文を助けてやってください。
ここの性質上評価されにくいですが、自分は境郷も好きですよ。
ところで、ガイエスブルクはごてごてしててカッコ悪いと思うのですがどうでしょう?
ムラっと来ました、どうしてくれる
>799万とんで9998
とんで? ああ、あややの頭のネジがですね。