『それ』は生も死も全てがペテンだ。何とも不死身で無敵で不敗で最強で馬鹿馬鹿しい。
―或る少佐、吸血鬼を指して曰く
******
―三日前。
突如出現した紅い無限霧の影響で、紅魔館は外界から完全に隔絶された。
原因となったのは、パチュリーが行った実験(の失敗)とも噂されているが、真相は定かではない。
そして無限霧の出現と同時に、紅魔館からはレミリアの姿が消えた。
突如起こった怪異に、住民はただ陰鬱な表情を浮かべ、晴れる事が無い窓の外を眺めるだけだった。だが。
その中で一人、今日も館の中を歩き、救いの手を差し伸べる者がいた。
「気分が暗くなった時は明るい本を読みましょうっ!」
それは図書館に住んでいる小悪魔だった。暗く落ち込んだ周囲の者を元気づけるように、笑顔を振りまきながらおすすめの本を押しつけていく。
押しつけられた側は、不思議と明るさを取り戻し、各々の仕事へと戻って行く。それを安心した様に見送る小悪魔は、
内心、すごく罪悪感で一杯だった。それはもう、冷や汗だらだらだった。
―時は無限霧が発生する直前に遡る。
「ふふ…ふふふ…」
不気味な笑顔を浮かべたパチュリーが、何やら虹色に揺れる液体が入った試験管を振っていた。
危ない。凄く危険だ。近寄ってはいけない。そう直感した小悪魔は360度、魔女から離れる向きに方向転換し、
「それを言うなら180度よ。プールで銃殺されたくなかったら覚えておきなさい。さて、貴女に仕事を上げるわ」
それを見透かした様にパチュリーが目の前に立ちはだかる。どうやって移動したのかは謎だ。
「これをレミィの飲み物にこっそり入れてきなさい」
そう言って、絶える事なく色を変え続ける謎の液体が入った試験管を小悪魔に差し出した。
どう考えても碌な事にはならない。むしろ最悪の想像の、さらにその少し斜め上を行く出来事が起こりそうな気がする。と言うか、起こる。絶対に。
だから小悪魔は、
「きょ、拒否したいのですが…」
と、意を決して、でも怖いから目を逸らして、パチュリーに告げた。
「そう、じゃあこれは貴女が飲む?蒼天のスーパー無敵国士無双の薬28號~さようなら、バーバラ。愛しているよ~」
絶対に嫌だった。何が何だかよく分からない事が起きる予感がする。物凄い理不尽な出来事が。それにしても、バーバラって誰だ?
「この前どこぞの兎が投げ捨てていった薬の残りを改良したのよ。我ながら最高の出来だわ」
人の飲み残しを飲めと!?そうツッコミを入れたいのを小悪魔は必死で我慢する。全ては我が身可愛さの為に。
ツッコミを入れたら、飲まされる。だから迂闊な事はしない。プロはそんなミスをしないのだ。この域に達するまで、今までに被った被害を思い返し、小悪魔は心の中で涙を流した。
「分かりました…やりますっ!」
半ば、と言うより完璧に自暴自棄になりながら、小悪魔はそれでも希望を失わない。
館の主、レミリア・スカーレットは吸血鬼だ。自分よりも余程強い力を持っている。多寡が薬程度でどうにかなる筈がない、と。そう思っているのだ。そう思いたいのだ。
そうだったらいいな。うん。きっとそうだよ。心の中で自分を励ましつつ、小悪魔はミッションを遂行した。
そして…
それから三日経った今現在。
無限の霧に包まれ、外界との接触を遮断された紅魔館で、小悪魔はせめて住人が希望を失わないように、物凄い罪悪感に襲われながら笑顔を振り撒いていた。
******
そして今日も小悪魔は屋敷を歩く。狂ってしまった世界の中で、自らの罪を贖う為に。
周囲の人を救う為だけに歩き続ける。それが自らに課せられた使命だと信じて。
小悪魔はある部屋の前に立った。
異変が起きてから毎日、彼女はこの部屋を訪れている。せめて、少しでも力になれる様に。
ノックをして、扉を開く。その先には、この屋敷の現状を示す様な光景が広がっていた。
「お嬢様ー!どうして私を置いて行ってしまわれたんですかー!うわああああああああああああああん!」
「さ、咲夜さん落ち着いて…あ、またそんなに飲んだら体に悪いですよ…ほら服着ましょう風邪ひいちゃいますから…ね?ああ暴れないでくださいっ」
阿鼻叫喚の図だった。服は散乱しベッドは乱れカーペットは水浸しになり下着姿で泣き崩れ酒に溺れる●●さん(プライバシーとか名誉とか保護の為に伏せ字)を健気に介抱する門番。
今日も力になれる事はない。きっとない。無いったら無い。そう断定し、小悪魔は静かに扉を閉めた。
******
「困ったわね」
と、図書館の主であるパチュリー・ノーレッジは呟いた。
「レミィが見つからないんじゃ、薬の効果が発揮されたのかどうか分からないわ…」
「一目瞭然じゃないですか!窓の外を見てください外をっ!」
「あら小悪魔、いたの?外?」
パチュリーが億劫そうに本から目を離し、窓の外へ視線を向ける。
「無限霧…主に魔道実験による公害として発生する、内部の時間・存在・幻想を狂わせる霧。脱出、侵入は非常に困難。最後に確認されたのはインガノックと呼ばれる都市を覆ったもの。…し、自然発生するのは珍しいわね」
「もしかして…今気付いたんですか?」
既に霧が発生してから三日経っている。一度でも外を見れば普通は気付く。
「き、きっと自然発生よ。珍しいって言っても、一億年に一度くらいは起こる可能性が0.1%くらいあるのよ。薬の所為じゃないわ。たぶん」
珍しいとかそういうレベルじゃなかった。
「どう考えてもあの薬の所為じゃないですかああああああああ!どうするんですかこれ!?ここで朽ち果てるのを待つだけですかっ!?」
「落ち着きなさい。自然発生じゃなければ高確率でレミィが引き起こした現象、だから元凶を捕えれば簡単に収束するわ」
全ての元凶は貴女です。そう言いたいのを気力で堪えて小悪魔は頷いた。
「で、でもレミリア様の姿はどこにも…」
「そうね、まず見つけないと。手伝いなさい小悪魔」
いやです。とは、言えるわけがなかった。
******
「それで」
がちゃがちゃ、と鎖が音を立てた。
「何で私が拘束されてるんですか!?ってああもういないっ!?」
小悪魔は十字架に磔にされていた。尤も、流石に手足に釘を打ち込む様な惨い有様ではなく、ただ鎖で体を固定されているだけである。
(これはレミィを誘い出す餌よ。囮になってくれて感謝するわ)
小悪魔の頭の中に声が響く。いわゆる念話を使ってパチュリーが話しかけてきたのだ。
「囮にするなんて一言も説明してなかったですよね!?」
(大丈夫、何かあったら一分で駆けつけるわ。あ、紅茶のお代わりお願い)
「一分って結構遠いですよ!?しかも何か寛いでませんか!?そんな余裕があるならお願いですからもっと近くで…あ!今クッキー食べた!」
念話なのに咀嚼音が伝わっていた。不思議だった。
(十字架と言うのは本来聖人こそが磔にされるべき物。それに悪魔が掲げられるのはとても冒涜的なの。そしてナイト・ウォーカーはそういうシンボルに集まりやすいのよ)
今頃ちゃんとした説明で返された。小悪魔は泣いた。
現在、彼女は大図書館の中央部、普段はテーブルが並べられ、パチュリーが本を片手に寛いでいる場所で拘束されていた。ちなみに、机や椅子などを片づけたのは小悪魔自身である。
つまり自分は墓穴を掘ったのだ。そう理解して小悪魔は鬱になった。
嘆息し、がっくりと視線を下げる。その時。
視界の端に、蠢く物があった。
大図書館には、いや、紅魔館には、主の性質上、昼間であってもどこかに暗闇がある。その上、深い霧に包まれ太陽すら視認出来ない現在にあっては、暗闇は勢力を増し、闇に慣れた住人にさえも不安の影を落とす。
闇の中に何かがいる気がする、と多くの者が噂していた。しかしそれは住人の不安からくる影の様な物だと思っていた。
だが果たして、それは本当に不安が落とす無形の影なのか。本当に自身の、或いは誰かの心の中から、一滴だけ外界へ出た、無力な闇の雫であるのか。
違う。そう小悪魔は断定する。気配を感じ取ったからだ。
確かに、ヒトは恐怖によって何かの気配を錯覚する事はある。怯える者の心の形によって、怪物であり、幽霊であり、悪魔に変化するそれは、だが自身が闇に属するものである小悪魔には無縁の感覚だ。
血の匂いを孕んだ、闇の住人(ナイト・ウォーカー)の気配。首を巡らせても、決して視界の中心に捉える事は出来ず、ただそれは視界の端で蠢く。
蠢きながら、ゆっくりと、近づいてきている。
まずい、と小悪魔は直感する。いつから、どこから来たのかはわからないが、今相対しているのは真正の邪悪である。
幸いにして、小悪魔の周囲は照明によって明るい。闇に住まう者は光の下に出てくるのを極端に嫌う傾向がある。パチュリーに助けを求める時間は充分にあるかと思われた。
念話を用いて、助けを呼ぶ。常に視界の端を追いかけながら。
助けを呼ぶ。何度も呼ぶ。蠢く何かは、決してその姿を捉えさせない。
何度も何度も。
呼ぶが、返事はない。
(Zzz…)
いや、慎重に探ると、微かに寝息の様な反応が返ってきた。様な、ではなく、寝息だった。念話なのに伝わるのは不思議だった。
(…えええええええええええ!?この流れでっ!?これがホラーだったら私食べられちゃいますよ!?起きてくださいパチュリー様っ!起きてー!!)
(…んぅ?何?)
(出ました!何か出ましたー!!)
凄く曖昧だった。
(何?漏らした?仕方のない子ねぇ)
パチュリーは寝ぼけていた。
(漏らしませんよ!?そうじゃなくて、何か寄ってきたんですっ!)
(もう来たの?てっきり一ヶ月くらい掛かるかと思ったのに)
(あの…もしかして一ヶ月放置する予定でした?)
(…今助けに行くわ!待ってなさい小悪魔!)
(質問に答えてくれないっ!?)
むしろ自分の上司が真正の邪悪だった。小悪魔はまた泣きたくなった。
視界の端の影が距離を詰める。存在感が強まり、影が形を作り始める。
人の形をした影が、煌々と燃える光の下に姿を現した。
「がおーたべちゃうぞー」
小悪魔は、こんな時どんな表情をすればいいのか分からなかった。ごめんなさい、と誰にでもなく心の中で謝った。
「あの…レミリア様、何をしているんでしょうか?」
恐る恐ると言うか仕方なくと言うかもうどうにでもなれと言うかそんな感情が複雑に入り混じった調子で小悪魔が目の前に現れた人物に訊ねる。
現れたのは、紛れもなくこの館の主だった。何故影に潜んでいたのかは…謎だった。
「ああ…何て、何て素晴らしいのかしら…十字架に悪魔が磔にされるなんて…凄く冒涜的で素敵だわ…うっとり」
レミリアはその問いを完全に無視した。どうやら十字架と小悪魔の組み合わせが非常に気に入ったらしく、うっとりとか口に出して言っていた。普通は言わない。
と言うか、本当にツボに入るのか、これが。同じ様な属性の生き物なのに、小悪魔には全然理解できなかった。
闇に連なる生き物、もしくは死に物の神秘に心を馳せたその時。
鎖が緩み、小悪魔は十字架から解放された。
「ああ…私のうっとりが…」
(…もしかして流行っているのでしょうか?うっとり)
と、小悪魔は自分の知識を疑った。図書館での流行と言えば新しい魔術の研究くらいしかないのだ。世俗に疎くなるのも当然である。
ちなみに、図書館での最新の流行はabraxasと言う異形の神を召喚する術式の開発である。途中でどうしても銀鍵の操作権限が必要となり、頓挫してしまったが。
「こんにちは、レミリアさん」
パチュリーが小悪魔の前に着地する。鎖を解いたのも彼女だ。
「何か用かな?」
「犯人ですか?」
「そのとウりよ」
「そうですかありがとう無限霧すごいですね」
「それほどでもない」
「矢張り犯人だったわね。しかも無限霧すごいのに謙虚にそれほどでもないと言ったわ」
「は、はぁ…」
小悪魔にはよく分からない会話だった。
「さて、早速捕まえさせてもらうわよ」
パチュリーが手を上にあげると、それを合図にして周囲に数多の魔方陣が浮かび上がる。
基本の五芒、六芒。空間魔術に用いられる正多面体を基本とする複雑な方陣。時空魔術に用いられる超立方体。
それらの魔方陣に共通して関連付けられた意味は。
―流水。
膨大な量の水が顕現する。生成され、召喚され、可能性を現わされ、図書館に充ちた流水が狙う先はただ一点。
レミリア・スカーレット。狂ってしまった館の主だ。
そして、
赫焉たる光が周囲を照らす。光源は狙われた吸血鬼。その光は全ての可能性にこう囁きかける。
諦めろ。諦めろ。諦めろ。
可能性が否定された。運命の名の下に。
全ての魔方陣は霧散し、流水は幻となって消えた。
「喝采はない。当然の事ね」
(…小悪魔、私が時間を稼いでる間に本を持ってきなさい。題名は…)
(…わかりました!気をつけてくださいっ)
小悪魔が本棚へと走る。その背を見送ったパチュリーは、レミリアに向きなおり、
「悪いけれど…手加減は出来ないわよ」
と言った。
******
小悪魔は記憶を探りながら本棚の合間を走りぬける。幾千、幾万、或いは幾億に達する蔵書の中の一冊を探して。
それはこの図書館に十万三千冊存在する禁書の内、最上位に位置する魔導書の一つ。
人間の皮膚で装丁された外道典籍。魔道を歩む者にすら受け入れられない狂気の塊。外宇宙から齎された禁忌。
題名は…
Cthat Aquadingen
―水神クタアト―
(思い出した…!)
確か数年前に、綻んでいた…いや、食い破られようとしていた封印を施し直した筈だ。保管場所は、
(い-1753…ってかなり遠いですよ!?)
本棚の上を飛び、施された封印処置を解除し、図書館の中心に戻る…その全行程を終えるまで…二分、いや三分はかかるだろう、と小悪魔は推定する。
それまで、どうか無事で…。今までに受けた仕打ちも忘れ、優しい司書はそう祈った。
******
―新しい運命操作術についての考察。
赫光を放ち、光に触れた可能性に対する否定を行う術である。
光の前では、100%以下の可能性は全て否定される、と推測される。故に、有り得た可能性の上に立脚する通常の魔術が通じる余地はない。
攻略法…物理攻撃による殲滅、もしくは通常ではない魔術―禁忌・レベルA以上―による攻撃。
さて、とパチュリーは思考する。
魔導書が手元にない以上、時間稼ぎには肉弾戦を以て当たらなければならない。
だが相手は吸血鬼であり、こちらは喘息持ちの引きこもりである。魔術によるアシストを加味しても、全身黒タイツとバッタ仮面くらいの差があるだろう。
「仕方ないわね」
そう言うとパチュリーは薬を取り出した。
「咲夜の失敗から一応改良はしたけれど…貴女の分のデータがないからちょっと不安だわ」
その頃の小悪魔。
「!?今何か聞き捨てならない事実がどこかで暴露された様な…でも知らなくて良い事も世の中にはある様な…何このやりきれない感情ー!?」
知っても知らなくても結局気苦労が絶えない小悪魔はさておき。
パチュリーが薬…赫炎のスーパー無敵国士無双の薬28號デザート仕様~喝采せよ!喝采せよ!~を飲み干した。ちなみに砂漠仕様ではなく、とろける様に甘い仕様である。
「…パチェ、もう攻撃してもよろしいかしら?」
「待っててくれてありがとうレミィ。どうぞ遠慮な…」
返事を最後まで待つ事なく、レミリアが残像を残して動く。吸血鬼の圧倒的な身体能力を駆使しての移動。
移動先は…パチュリーの背後だ。
背後からの、力任せの腕振り、としか形容しようがない一撃を、パチュリーは上半身を前に倒す事で避けた。
「せっかちになったわね。いえ、元からだったかしら?」
続いて脚を狙った一撃。従来のパチュリーの身体能力であれば、かわす事が出来ない連携。
だがしかし、レミリアの腕は再び空を切った。パチュリーは…信じられない事に、バク宙してレミリアの背後に着地した。それを薬の効果と判断し、レミリアが次の行動に移るまでが0.02秒。
次の行動とは、0.04秒後に襲い来る打撃に対する防御である。
掌底。背後から、手と足を同調させ、床を踏み割る様な勢いと共に放たれるその技は、紛れもなく支那式の拳法の流れを汲んでいた。
通常の速度・筋力に加え、体当たりそのままの力が掌の面積だけに集中する破壊の技。基本にして至極。吸血鬼とて、無防備にくらえばただでは済まない。
とはいえ、内臓を潰すだけで吸血鬼がどうこうなる訳でもないから、食らうと痛い、以上の意味は持たないのだが。
レミリアの防御は適当だった。この場合、相応しい、とか、適している、とかそう意味ではなく、主にテキトーとかそういう感じで表わされる方である。
攻撃を正面で迎える為に回転し、攻撃の軌道上に腕を置く。だがその腕は掌底の衝撃を伝える事はなく…
パチュリーの手に、掴まれた。
レミリアが引き込まれる流れと、パチュリーが踏み込む流れが一つの体重移動の下に行われる。腰を支点とする左右の体重移動は、空手からの派生か。
左右・上下・前後の体重移動がただ一つの目的の下、美しく調和し、大きな流れを作る。
即ち、
一撃必殺。
まずい、防御を、とレミリアが判断し、行動に移ろうとした瞬間には、もう遅かった。
体の中で、弾ける様な衝撃が伝わってきた。痛覚を遮断、体を霧にして続く攻撃から逃げ、大きく距離を取る。
無防備な腹部に命中したその一撃は、人間相手であれば間違いなく必殺となった筈だ。直撃を受けた個所の内臓は間違いなく破裂、或いは機能を停止するだろう。
だが吸血鬼に対しては、『痛い』以上の意味を持ち得ない。そしてそれすらもレミリアは遮断、故に今の攻撃による損害は0と言って良い。
既に臓器の修復は完了した。魔法や魔術などの干渉でつけられた傷ではない以上、霧から体を再構築した時点で全ての傷は癒える。
結局は結果が見えている戦いだ。レミリアが何度パチュリーの一撃を受けようと、ダメージは0。対してパチュリーはレミリアの攻撃を一度受け損ねただけで倒れる。
吸血鬼とはそう言う物だ。理不尽の塊だ。何とも不死身で無敵で不敗で最強で馬鹿馬鹿しい。
だがそれでも、パチュリーは諦めない。打倒する手段ならある。ならば後は粛々とそうするだけだ。
そう、こんな時にぴったりの言葉がある。ナイト・ウォーカーと対峙し、それでも諦めない者が掲げる言葉が。
「Amen」
…尤も、パチュリーは基督教など全く信じていなかったが。有用なのは魔術的な象徴だけで後は取るに足らない物としか捉えていない。
再びレミリアが仕掛ける。速さと強さに任せた真っ直ぐ向かう右ストレート。一般人であれば例え心を読んでいてもどうにもならない速さ。
けれど、今のパチュリーはクスリでゴキゲンだった。体を半身にして、放たれた攻撃に優しく腕を添えて…
次の瞬間、レミリアは凄まじい勢いで床に叩きつけられ、それでも勢いは死なずにゴロゴロと転がり、かなり離れた本棚に衝突してようやく止まり、降り注いだ本の山に埋もれた。
山積みになった本が、暴風に巻き上げられる。その中心では傷一つないレミリアが笑っている。
「素晴らしいわパチェ。門番に勝るとも劣らない体術、加えて貴女には魔術もある。今の貴女は、恐らく幻想郷でも五本の指に入る強さでしょうね」
レミリアの周りで炎が巻き起こる。吸血鬼の感情に誘発された炎が見せる表情は…嘲笑だ。
「けれど残念ね…私は」
炎が拡散すると同時に、薬で加速しているパチュリーの認識を越える速さで、レミリアの姿が消えた。
「幻想郷で一番強いのよ」
頭上から羽を使った攻撃。貰えば上半身が吹き飛ぶ。いや、狂ってしまった吸血鬼が見る未来では、最早その運命は確定していた。
ビジョン通りにパチュリーの上半身を捉え、吹き飛ばしたレミリアが着地する。そして彼女は信じられない物を見た。
パチュリーの下半身が、水となって爆ぜた。
偽物…寸前まで…否、当たった瞬間までは本物だった。ならばこれは、運命操作の領域。だがレミリアは当然その様な事はしていない。
「間に…合いました…」
声のした方に視線を向けると、そこには魔導書を手にした小悪魔がいた。
…運命を捻じ曲げた?たかが小悪魔が?そんな筈はない。そんな事は起こり得ない筈だ。いや、ならば誰が?
レミリアの頭で渦巻く疑念。それらは、小悪魔が手にした魔導書のタイトルを読み取った瞬間氷解し…同時に警鐘を鳴らす。
Cthat Aquadingen
―水神クタアト―
成程、これだけの魔導書の力を借りれば、小悪魔でもあの程度の干渉は起こせるかも知れない。ほぼ全ての霊力と引き換えに、だが。
そっと、パチュリーが小悪魔の頭を撫で、本を取り上げる。同時に、力を使い果たした小悪魔がその場にへたり込んだ。
「ありがとう小悪魔。これから吸血鬼退治の続きをするのだけれど、貴女も手伝う?」
「…遠慮…して…おきます」
息も絶え絶えに小悪魔が返事をした。
「そう、じゃあ続きをしましょうか、レミィ」
魔導書を手にしたパチュリーが、高速詠唱に入る。例え元が人語であろうと聞きとれない速さだが、紡がれているのは人語ではない。
ただの人間が、あやふやな発音で紡ぐだけで大きな災厄が起きる魔導書。ならばパチュリーが、限りなく元に近い発音で紡いだ時のそれは…
吸血鬼の背中を悪寒が走る。止めなくてはならない。止めなければ、自分は滅びる。恐怖に突き動かされたレミリアが走る。今までで一番の速度で。
(とった…!)
10mの距離を、刹那の速さで飛び越えて、吸血鬼が腕を振るう。その腕がパチュリーの首を捉える直前…
「遅い」
奇妙な紋様が浮かび上がり、攻撃を阻んだ。レミリアはすかさず解析の体制に入り、今自らの腕を止めている魔術に介入しようとしたが…
紋様の細部は全て理解出来る。だが全体を理解しようとすると、思考が崩壊する。理解できない。理解できない。理解できない。
奇妙だ。矛盾している。否、細部を全て突き合わせても矛盾はしていない。だが全体として見るとひどくぐにゃりと歪んで、刻々と姿を変え…
詠唱が、終了している。ようやくレミリアは気付く。先ほどのは高速詠唱ではなく、複合詠唱だ。異界の言葉を、意識下と無意識下、さらに言葉と魔方陣で同時に展開していたのだ。
―赫光。可能性を否定する光が吸血鬼の体から放たれる。
消えろ、消えろ、消えろ。
可能性は果てよ、願いは失せよ、希望は落ちよ。
レミリアの周りの無機物が消滅していく。100%以上の可能性にすら影響する、余りにも強い否定を受けて…
それでもパチュリーは、微塵も揺らがない。
「喚くな」
この魔術はこの世界に依存しない、別世界の法則である。故に、最早レミリアの光は届かない。
「我が魔導書、―水神クタアト―。私は貴女にこう言うわ…【ン・カイの翼よ、引き千切れ】」
顕現する莫大な量の水。いや、それらを果たして水と言って良い物か。
この世界のどんな邪悪より尚邪悪、この世界に生きる者は触れてはならない禁忌の集合体、怨嗟と怨念と妄執とが水と言う形態を得て歓喜に狂乱するさま。
その邪悪に、レミリアは強固な結界を幾重にも張る事で対抗した。
いや、対抗、とは正しい表現ではない。迫りくる滅びをただ引き延ばすのは対抗とは言わない。それは延命だ。
どうにかして対抗しなければならない。だがどうやって?目の前で荒れ狂う異界の法則に対し、レミリアは完全に無力だった。
目の前で、荒れ狂う、法則。レミリアの意識に何か、銀色に光る物が見えた。レミリアは、それらを、観測し、観察し、傍観し、取りこめば、それらに、影響を、あたえ…
レミリアの理性が拡張される。狂っていた理性が、より狂っていく。黄金螺旋を昇り、誰かの愛の形の果てに、鍵を開けてコンクリートの屋上へ辿り着き、虚空へ足を踏み出して、地面へトマトケチャップをぶちまける。
―至った。そうレミリアは【存在0-非存在+?以前(虚0居る<有る>)】した。
光が、再びレミリアの体から放たれる。その光の色は、
透明な、白。
墜えよ、潰えよ、終えよ。
その光は、外なる邪悪に、届いた。
水が、法則が、紋様が、銀の鍵が、九つ目の門が、霧散した。
勝利した。如何なパチュリーと言えど、あの規模の術を立て続けに放つ事は出来まい。そうレミリアが安堵した瞬間、
「待っていたわ。貴女ならきっとあの術も破る、その確信があった」
パチュリーの姿が、レミリアの至近にあった。
失念していた。今のパチュリーには体術もあるのだ。今の彼女は魔術と同時に仕掛ける事が出来る。だが、彼女が操る物理攻撃では吸血鬼を害する事は…
(…属性付与-エンチャント-…!)
パチュリーの腕に絡みつく水龍。それは清浄な水気が巡る象徴だ。吸血鬼とはいえ、いや、吸血鬼だからこそ、これを受けてしまってはいけない。
(…防御…間に合わ…)
レミリアの思考はそこで一瞬途切れた。
「かは…っ…!」
…そして、苦しげに吐き出された声は、パチュリーの物だった。
パチュリーの腕は確かに無防備なレミリアの腹部を捉え、水気は体を駆け巡った。だが…
「パチェ…病さえなければ…」
最後の瞬間、レミリアが敗北を悟った瞬間、パチュリーが飲んだ薬の効果が切れたのだ。その結果、体は病の影響下に戻り、拳は十分な威力を喪失し…
もしもあと数秒、いや、あと数瞬効果が持続していれば、レミリアは間違いなく倒れていただろう。事実、彼女の目にはその未来が映っていた。
運命が変わったのは…悪趣味な外なる宇宙の影響が微かに残っていたからか。
とどめを差す為にレミリアが腕を振り上げる。そして…
「今よ小悪魔ッ!」
「はいっ!」
パチュリーの合図に呼応する小悪魔の声。今攻撃を受ければ、今度こそ倒れる、それほどまでに弱っていたレミリアは、防御の為に背後に向きなおると、
その視線の先、10mほど遠くで、小悪魔が十字を切りながら南無阿弥陀仏と熱心に祈っていた。
何に祈っているのかよく分からなかったが、それを見たレミリアがその部分について思いを馳せてしまった事を考えると、期せずして小悪魔はかなり上等なアシストをしていたのだった。
「…?…しまっ…!」
「バンク・ヴェドゴニア。解凍・コード・モーラ」
不気味な呟きが背後から聞こえた。
「【灰は灰に、塵は塵に!】」
慌ててパチュリーに向きなおったレミリアの目に飛び込んできたのは、何処から出てきたのかわからない巨大なハンマーと、それで頭を強打される未来だった。
「ひ…ひきょう…もの…」
ぱたり。ついに吸血鬼は倒れた。
…何ともアレな方法によって。と小悪魔は心の中で付け足した。
「レミィ、正義は勝つのよ。必ずね」
汚れを払いながらパチュリーが言った段になって、余りにも色々疲れた小悪魔は、あんまりな現実から速やかに逃避する為、その場で寝た。
******
紅魔館に光が戻った。
と言っても、構造的にそれほど光は差し込まないので、実質的には大増量(当社比)くらいだったが、たったそれだけの光でも館に住む者たちの心を明るくしてくれた。
別に大増量の文句を疑ってるわけではないですごめんなさいすみません許してください、と小悪魔は見えない誰かに謝りながら、パチュリーに申しつけられた紅茶のお代わりを運んでいた。
当のパチュリーはと言えば、図書館に籠りきりで何やら怪しい工作をしていた。昨日、木工用ボンドとガラスを大量に仕入れさせられたが、一体何に使うつもりなのだろうか。
「うふ、うふ、うふふふふふ…」
その不気味な笑い声を耳にした瞬間、小悪魔はもうすぐあれらが何に使われたのかを知る機会が来る事を理解して、紅茶を放り出して逃げたい気持ちでいっぱいになった。
いや、そんな事はしない。逃げたら、自分の身に降りかかってくる。プロはそんなミスをしないのだ。いや、結局降りかかってくるなら同じだ。逃げてしまえ。アマチュアになれ小悪魔。
葛藤している間にも、無意識下に刷り込まれた奴隷根性によって小悪魔の足は勝手に進み、目的地へ辿り着いてしまった。
「丁度いい所に来たわ。さあ、これをこっそり美鈴に着せてきなさい」
こっそり着せる、とはどうすればいいのでしょうか?結構真剣に小悪魔は悩んだ。
「名づけて天人養成ギプス!この前会った天人くずれを参考にしたの。これをつければ黄金の鉄の塊の様な肉体が手に入るわ。たぶん」
見た目が明らかにバネだった。どこにガラスと木工用ボンドが使われたのかわからない。あとそれをこっそり着せるのは無理です。そう言いたいのを小悪魔は鋼の様な精神力で堪えた。
「あら、貴女が着たいのかしら?」
絶対にいやだった。小悪魔は空になったボンドの容器を片付けながら、大げさに否定のジェスチャーをした。
「が、頑張って着せてきますっ!」
門番もそれなりに強いとは言え、今回以上に酷い出来事なんてそうそう起こる訳がない。
きっと起こらない。起こらないといいな。起こらないでくださいお願いします。小悪魔は心の中で祈った。
…一ヶ月後、紅魔館は今回以上の深刻な驚異に襲われるのだが。
けれどもこれは別の物語、いつかまた、別の機会に話すとしよう。
******
―或る少佐、吸血鬼を指して曰く
******
―三日前。
突如出現した紅い無限霧の影響で、紅魔館は外界から完全に隔絶された。
原因となったのは、パチュリーが行った実験(の失敗)とも噂されているが、真相は定かではない。
そして無限霧の出現と同時に、紅魔館からはレミリアの姿が消えた。
突如起こった怪異に、住民はただ陰鬱な表情を浮かべ、晴れる事が無い窓の外を眺めるだけだった。だが。
その中で一人、今日も館の中を歩き、救いの手を差し伸べる者がいた。
「気分が暗くなった時は明るい本を読みましょうっ!」
それは図書館に住んでいる小悪魔だった。暗く落ち込んだ周囲の者を元気づけるように、笑顔を振りまきながらおすすめの本を押しつけていく。
押しつけられた側は、不思議と明るさを取り戻し、各々の仕事へと戻って行く。それを安心した様に見送る小悪魔は、
内心、すごく罪悪感で一杯だった。それはもう、冷や汗だらだらだった。
―時は無限霧が発生する直前に遡る。
「ふふ…ふふふ…」
不気味な笑顔を浮かべたパチュリーが、何やら虹色に揺れる液体が入った試験管を振っていた。
危ない。凄く危険だ。近寄ってはいけない。そう直感した小悪魔は360度、魔女から離れる向きに方向転換し、
「それを言うなら180度よ。プールで銃殺されたくなかったら覚えておきなさい。さて、貴女に仕事を上げるわ」
それを見透かした様にパチュリーが目の前に立ちはだかる。どうやって移動したのかは謎だ。
「これをレミィの飲み物にこっそり入れてきなさい」
そう言って、絶える事なく色を変え続ける謎の液体が入った試験管を小悪魔に差し出した。
どう考えても碌な事にはならない。むしろ最悪の想像の、さらにその少し斜め上を行く出来事が起こりそうな気がする。と言うか、起こる。絶対に。
だから小悪魔は、
「きょ、拒否したいのですが…」
と、意を決して、でも怖いから目を逸らして、パチュリーに告げた。
「そう、じゃあこれは貴女が飲む?蒼天のスーパー無敵国士無双の薬28號~さようなら、バーバラ。愛しているよ~」
絶対に嫌だった。何が何だかよく分からない事が起きる予感がする。物凄い理不尽な出来事が。それにしても、バーバラって誰だ?
「この前どこぞの兎が投げ捨てていった薬の残りを改良したのよ。我ながら最高の出来だわ」
人の飲み残しを飲めと!?そうツッコミを入れたいのを小悪魔は必死で我慢する。全ては我が身可愛さの為に。
ツッコミを入れたら、飲まされる。だから迂闊な事はしない。プロはそんなミスをしないのだ。この域に達するまで、今までに被った被害を思い返し、小悪魔は心の中で涙を流した。
「分かりました…やりますっ!」
半ば、と言うより完璧に自暴自棄になりながら、小悪魔はそれでも希望を失わない。
館の主、レミリア・スカーレットは吸血鬼だ。自分よりも余程強い力を持っている。多寡が薬程度でどうにかなる筈がない、と。そう思っているのだ。そう思いたいのだ。
そうだったらいいな。うん。きっとそうだよ。心の中で自分を励ましつつ、小悪魔はミッションを遂行した。
そして…
それから三日経った今現在。
無限の霧に包まれ、外界との接触を遮断された紅魔館で、小悪魔はせめて住人が希望を失わないように、物凄い罪悪感に襲われながら笑顔を振り撒いていた。
******
そして今日も小悪魔は屋敷を歩く。狂ってしまった世界の中で、自らの罪を贖う為に。
周囲の人を救う為だけに歩き続ける。それが自らに課せられた使命だと信じて。
小悪魔はある部屋の前に立った。
異変が起きてから毎日、彼女はこの部屋を訪れている。せめて、少しでも力になれる様に。
ノックをして、扉を開く。その先には、この屋敷の現状を示す様な光景が広がっていた。
「お嬢様ー!どうして私を置いて行ってしまわれたんですかー!うわああああああああああああああん!」
「さ、咲夜さん落ち着いて…あ、またそんなに飲んだら体に悪いですよ…ほら服着ましょう風邪ひいちゃいますから…ね?ああ暴れないでくださいっ」
阿鼻叫喚の図だった。服は散乱しベッドは乱れカーペットは水浸しになり下着姿で泣き崩れ酒に溺れる●●さん(プライバシーとか名誉とか保護の為に伏せ字)を健気に介抱する門番。
今日も力になれる事はない。きっとない。無いったら無い。そう断定し、小悪魔は静かに扉を閉めた。
******
「困ったわね」
と、図書館の主であるパチュリー・ノーレッジは呟いた。
「レミィが見つからないんじゃ、薬の効果が発揮されたのかどうか分からないわ…」
「一目瞭然じゃないですか!窓の外を見てください外をっ!」
「あら小悪魔、いたの?外?」
パチュリーが億劫そうに本から目を離し、窓の外へ視線を向ける。
「無限霧…主に魔道実験による公害として発生する、内部の時間・存在・幻想を狂わせる霧。脱出、侵入は非常に困難。最後に確認されたのはインガノックと呼ばれる都市を覆ったもの。…し、自然発生するのは珍しいわね」
「もしかして…今気付いたんですか?」
既に霧が発生してから三日経っている。一度でも外を見れば普通は気付く。
「き、きっと自然発生よ。珍しいって言っても、一億年に一度くらいは起こる可能性が0.1%くらいあるのよ。薬の所為じゃないわ。たぶん」
珍しいとかそういうレベルじゃなかった。
「どう考えてもあの薬の所為じゃないですかああああああああ!どうするんですかこれ!?ここで朽ち果てるのを待つだけですかっ!?」
「落ち着きなさい。自然発生じゃなければ高確率でレミィが引き起こした現象、だから元凶を捕えれば簡単に収束するわ」
全ての元凶は貴女です。そう言いたいのを気力で堪えて小悪魔は頷いた。
「で、でもレミリア様の姿はどこにも…」
「そうね、まず見つけないと。手伝いなさい小悪魔」
いやです。とは、言えるわけがなかった。
******
「それで」
がちゃがちゃ、と鎖が音を立てた。
「何で私が拘束されてるんですか!?ってああもういないっ!?」
小悪魔は十字架に磔にされていた。尤も、流石に手足に釘を打ち込む様な惨い有様ではなく、ただ鎖で体を固定されているだけである。
(これはレミィを誘い出す餌よ。囮になってくれて感謝するわ)
小悪魔の頭の中に声が響く。いわゆる念話を使ってパチュリーが話しかけてきたのだ。
「囮にするなんて一言も説明してなかったですよね!?」
(大丈夫、何かあったら一分で駆けつけるわ。あ、紅茶のお代わりお願い)
「一分って結構遠いですよ!?しかも何か寛いでませんか!?そんな余裕があるならお願いですからもっと近くで…あ!今クッキー食べた!」
念話なのに咀嚼音が伝わっていた。不思議だった。
(十字架と言うのは本来聖人こそが磔にされるべき物。それに悪魔が掲げられるのはとても冒涜的なの。そしてナイト・ウォーカーはそういうシンボルに集まりやすいのよ)
今頃ちゃんとした説明で返された。小悪魔は泣いた。
現在、彼女は大図書館の中央部、普段はテーブルが並べられ、パチュリーが本を片手に寛いでいる場所で拘束されていた。ちなみに、机や椅子などを片づけたのは小悪魔自身である。
つまり自分は墓穴を掘ったのだ。そう理解して小悪魔は鬱になった。
嘆息し、がっくりと視線を下げる。その時。
視界の端に、蠢く物があった。
大図書館には、いや、紅魔館には、主の性質上、昼間であってもどこかに暗闇がある。その上、深い霧に包まれ太陽すら視認出来ない現在にあっては、暗闇は勢力を増し、闇に慣れた住人にさえも不安の影を落とす。
闇の中に何かがいる気がする、と多くの者が噂していた。しかしそれは住人の不安からくる影の様な物だと思っていた。
だが果たして、それは本当に不安が落とす無形の影なのか。本当に自身の、或いは誰かの心の中から、一滴だけ外界へ出た、無力な闇の雫であるのか。
違う。そう小悪魔は断定する。気配を感じ取ったからだ。
確かに、ヒトは恐怖によって何かの気配を錯覚する事はある。怯える者の心の形によって、怪物であり、幽霊であり、悪魔に変化するそれは、だが自身が闇に属するものである小悪魔には無縁の感覚だ。
血の匂いを孕んだ、闇の住人(ナイト・ウォーカー)の気配。首を巡らせても、決して視界の中心に捉える事は出来ず、ただそれは視界の端で蠢く。
蠢きながら、ゆっくりと、近づいてきている。
まずい、と小悪魔は直感する。いつから、どこから来たのかはわからないが、今相対しているのは真正の邪悪である。
幸いにして、小悪魔の周囲は照明によって明るい。闇に住まう者は光の下に出てくるのを極端に嫌う傾向がある。パチュリーに助けを求める時間は充分にあるかと思われた。
念話を用いて、助けを呼ぶ。常に視界の端を追いかけながら。
助けを呼ぶ。何度も呼ぶ。蠢く何かは、決してその姿を捉えさせない。
何度も何度も。
呼ぶが、返事はない。
(Zzz…)
いや、慎重に探ると、微かに寝息の様な反応が返ってきた。様な、ではなく、寝息だった。念話なのに伝わるのは不思議だった。
(…えええええええええええ!?この流れでっ!?これがホラーだったら私食べられちゃいますよ!?起きてくださいパチュリー様っ!起きてー!!)
(…んぅ?何?)
(出ました!何か出ましたー!!)
凄く曖昧だった。
(何?漏らした?仕方のない子ねぇ)
パチュリーは寝ぼけていた。
(漏らしませんよ!?そうじゃなくて、何か寄ってきたんですっ!)
(もう来たの?てっきり一ヶ月くらい掛かるかと思ったのに)
(あの…もしかして一ヶ月放置する予定でした?)
(…今助けに行くわ!待ってなさい小悪魔!)
(質問に答えてくれないっ!?)
むしろ自分の上司が真正の邪悪だった。小悪魔はまた泣きたくなった。
視界の端の影が距離を詰める。存在感が強まり、影が形を作り始める。
人の形をした影が、煌々と燃える光の下に姿を現した。
「がおーたべちゃうぞー」
小悪魔は、こんな時どんな表情をすればいいのか分からなかった。ごめんなさい、と誰にでもなく心の中で謝った。
「あの…レミリア様、何をしているんでしょうか?」
恐る恐ると言うか仕方なくと言うかもうどうにでもなれと言うかそんな感情が複雑に入り混じった調子で小悪魔が目の前に現れた人物に訊ねる。
現れたのは、紛れもなくこの館の主だった。何故影に潜んでいたのかは…謎だった。
「ああ…何て、何て素晴らしいのかしら…十字架に悪魔が磔にされるなんて…凄く冒涜的で素敵だわ…うっとり」
レミリアはその問いを完全に無視した。どうやら十字架と小悪魔の組み合わせが非常に気に入ったらしく、うっとりとか口に出して言っていた。普通は言わない。
と言うか、本当にツボに入るのか、これが。同じ様な属性の生き物なのに、小悪魔には全然理解できなかった。
闇に連なる生き物、もしくは死に物の神秘に心を馳せたその時。
鎖が緩み、小悪魔は十字架から解放された。
「ああ…私のうっとりが…」
(…もしかして流行っているのでしょうか?うっとり)
と、小悪魔は自分の知識を疑った。図書館での流行と言えば新しい魔術の研究くらいしかないのだ。世俗に疎くなるのも当然である。
ちなみに、図書館での最新の流行はabraxasと言う異形の神を召喚する術式の開発である。途中でどうしても銀鍵の操作権限が必要となり、頓挫してしまったが。
「こんにちは、レミリアさん」
パチュリーが小悪魔の前に着地する。鎖を解いたのも彼女だ。
「何か用かな?」
「犯人ですか?」
「そのとウりよ」
「そうですかありがとう無限霧すごいですね」
「それほどでもない」
「矢張り犯人だったわね。しかも無限霧すごいのに謙虚にそれほどでもないと言ったわ」
「は、はぁ…」
小悪魔にはよく分からない会話だった。
「さて、早速捕まえさせてもらうわよ」
パチュリーが手を上にあげると、それを合図にして周囲に数多の魔方陣が浮かび上がる。
基本の五芒、六芒。空間魔術に用いられる正多面体を基本とする複雑な方陣。時空魔術に用いられる超立方体。
それらの魔方陣に共通して関連付けられた意味は。
―流水。
膨大な量の水が顕現する。生成され、召喚され、可能性を現わされ、図書館に充ちた流水が狙う先はただ一点。
レミリア・スカーレット。狂ってしまった館の主だ。
そして、
赫焉たる光が周囲を照らす。光源は狙われた吸血鬼。その光は全ての可能性にこう囁きかける。
諦めろ。諦めろ。諦めろ。
可能性が否定された。運命の名の下に。
全ての魔方陣は霧散し、流水は幻となって消えた。
「喝采はない。当然の事ね」
(…小悪魔、私が時間を稼いでる間に本を持ってきなさい。題名は…)
(…わかりました!気をつけてくださいっ)
小悪魔が本棚へと走る。その背を見送ったパチュリーは、レミリアに向きなおり、
「悪いけれど…手加減は出来ないわよ」
と言った。
******
小悪魔は記憶を探りながら本棚の合間を走りぬける。幾千、幾万、或いは幾億に達する蔵書の中の一冊を探して。
それはこの図書館に十万三千冊存在する禁書の内、最上位に位置する魔導書の一つ。
人間の皮膚で装丁された外道典籍。魔道を歩む者にすら受け入れられない狂気の塊。外宇宙から齎された禁忌。
題名は…
Cthat Aquadingen
―水神クタアト―
(思い出した…!)
確か数年前に、綻んでいた…いや、食い破られようとしていた封印を施し直した筈だ。保管場所は、
(い-1753…ってかなり遠いですよ!?)
本棚の上を飛び、施された封印処置を解除し、図書館の中心に戻る…その全行程を終えるまで…二分、いや三分はかかるだろう、と小悪魔は推定する。
それまで、どうか無事で…。今までに受けた仕打ちも忘れ、優しい司書はそう祈った。
******
―新しい運命操作術についての考察。
赫光を放ち、光に触れた可能性に対する否定を行う術である。
光の前では、100%以下の可能性は全て否定される、と推測される。故に、有り得た可能性の上に立脚する通常の魔術が通じる余地はない。
攻略法…物理攻撃による殲滅、もしくは通常ではない魔術―禁忌・レベルA以上―による攻撃。
さて、とパチュリーは思考する。
魔導書が手元にない以上、時間稼ぎには肉弾戦を以て当たらなければならない。
だが相手は吸血鬼であり、こちらは喘息持ちの引きこもりである。魔術によるアシストを加味しても、全身黒タイツとバッタ仮面くらいの差があるだろう。
「仕方ないわね」
そう言うとパチュリーは薬を取り出した。
「咲夜の失敗から一応改良はしたけれど…貴女の分のデータがないからちょっと不安だわ」
その頃の小悪魔。
「!?今何か聞き捨てならない事実がどこかで暴露された様な…でも知らなくて良い事も世の中にはある様な…何このやりきれない感情ー!?」
知っても知らなくても結局気苦労が絶えない小悪魔はさておき。
パチュリーが薬…赫炎のスーパー無敵国士無双の薬28號デザート仕様~喝采せよ!喝采せよ!~を飲み干した。ちなみに砂漠仕様ではなく、とろける様に甘い仕様である。
「…パチェ、もう攻撃してもよろしいかしら?」
「待っててくれてありがとうレミィ。どうぞ遠慮な…」
返事を最後まで待つ事なく、レミリアが残像を残して動く。吸血鬼の圧倒的な身体能力を駆使しての移動。
移動先は…パチュリーの背後だ。
背後からの、力任せの腕振り、としか形容しようがない一撃を、パチュリーは上半身を前に倒す事で避けた。
「せっかちになったわね。いえ、元からだったかしら?」
続いて脚を狙った一撃。従来のパチュリーの身体能力であれば、かわす事が出来ない連携。
だがしかし、レミリアの腕は再び空を切った。パチュリーは…信じられない事に、バク宙してレミリアの背後に着地した。それを薬の効果と判断し、レミリアが次の行動に移るまでが0.02秒。
次の行動とは、0.04秒後に襲い来る打撃に対する防御である。
掌底。背後から、手と足を同調させ、床を踏み割る様な勢いと共に放たれるその技は、紛れもなく支那式の拳法の流れを汲んでいた。
通常の速度・筋力に加え、体当たりそのままの力が掌の面積だけに集中する破壊の技。基本にして至極。吸血鬼とて、無防備にくらえばただでは済まない。
とはいえ、内臓を潰すだけで吸血鬼がどうこうなる訳でもないから、食らうと痛い、以上の意味は持たないのだが。
レミリアの防御は適当だった。この場合、相応しい、とか、適している、とかそう意味ではなく、主にテキトーとかそういう感じで表わされる方である。
攻撃を正面で迎える為に回転し、攻撃の軌道上に腕を置く。だがその腕は掌底の衝撃を伝える事はなく…
パチュリーの手に、掴まれた。
レミリアが引き込まれる流れと、パチュリーが踏み込む流れが一つの体重移動の下に行われる。腰を支点とする左右の体重移動は、空手からの派生か。
左右・上下・前後の体重移動がただ一つの目的の下、美しく調和し、大きな流れを作る。
即ち、
一撃必殺。
まずい、防御を、とレミリアが判断し、行動に移ろうとした瞬間には、もう遅かった。
体の中で、弾ける様な衝撃が伝わってきた。痛覚を遮断、体を霧にして続く攻撃から逃げ、大きく距離を取る。
無防備な腹部に命中したその一撃は、人間相手であれば間違いなく必殺となった筈だ。直撃を受けた個所の内臓は間違いなく破裂、或いは機能を停止するだろう。
だが吸血鬼に対しては、『痛い』以上の意味を持ち得ない。そしてそれすらもレミリアは遮断、故に今の攻撃による損害は0と言って良い。
既に臓器の修復は完了した。魔法や魔術などの干渉でつけられた傷ではない以上、霧から体を再構築した時点で全ての傷は癒える。
結局は結果が見えている戦いだ。レミリアが何度パチュリーの一撃を受けようと、ダメージは0。対してパチュリーはレミリアの攻撃を一度受け損ねただけで倒れる。
吸血鬼とはそう言う物だ。理不尽の塊だ。何とも不死身で無敵で不敗で最強で馬鹿馬鹿しい。
だがそれでも、パチュリーは諦めない。打倒する手段ならある。ならば後は粛々とそうするだけだ。
そう、こんな時にぴったりの言葉がある。ナイト・ウォーカーと対峙し、それでも諦めない者が掲げる言葉が。
「Amen」
…尤も、パチュリーは基督教など全く信じていなかったが。有用なのは魔術的な象徴だけで後は取るに足らない物としか捉えていない。
再びレミリアが仕掛ける。速さと強さに任せた真っ直ぐ向かう右ストレート。一般人であれば例え心を読んでいてもどうにもならない速さ。
けれど、今のパチュリーはクスリでゴキゲンだった。体を半身にして、放たれた攻撃に優しく腕を添えて…
次の瞬間、レミリアは凄まじい勢いで床に叩きつけられ、それでも勢いは死なずにゴロゴロと転がり、かなり離れた本棚に衝突してようやく止まり、降り注いだ本の山に埋もれた。
山積みになった本が、暴風に巻き上げられる。その中心では傷一つないレミリアが笑っている。
「素晴らしいわパチェ。門番に勝るとも劣らない体術、加えて貴女には魔術もある。今の貴女は、恐らく幻想郷でも五本の指に入る強さでしょうね」
レミリアの周りで炎が巻き起こる。吸血鬼の感情に誘発された炎が見せる表情は…嘲笑だ。
「けれど残念ね…私は」
炎が拡散すると同時に、薬で加速しているパチュリーの認識を越える速さで、レミリアの姿が消えた。
「幻想郷で一番強いのよ」
頭上から羽を使った攻撃。貰えば上半身が吹き飛ぶ。いや、狂ってしまった吸血鬼が見る未来では、最早その運命は確定していた。
ビジョン通りにパチュリーの上半身を捉え、吹き飛ばしたレミリアが着地する。そして彼女は信じられない物を見た。
パチュリーの下半身が、水となって爆ぜた。
偽物…寸前まで…否、当たった瞬間までは本物だった。ならばこれは、運命操作の領域。だがレミリアは当然その様な事はしていない。
「間に…合いました…」
声のした方に視線を向けると、そこには魔導書を手にした小悪魔がいた。
…運命を捻じ曲げた?たかが小悪魔が?そんな筈はない。そんな事は起こり得ない筈だ。いや、ならば誰が?
レミリアの頭で渦巻く疑念。それらは、小悪魔が手にした魔導書のタイトルを読み取った瞬間氷解し…同時に警鐘を鳴らす。
Cthat Aquadingen
―水神クタアト―
成程、これだけの魔導書の力を借りれば、小悪魔でもあの程度の干渉は起こせるかも知れない。ほぼ全ての霊力と引き換えに、だが。
そっと、パチュリーが小悪魔の頭を撫で、本を取り上げる。同時に、力を使い果たした小悪魔がその場にへたり込んだ。
「ありがとう小悪魔。これから吸血鬼退治の続きをするのだけれど、貴女も手伝う?」
「…遠慮…して…おきます」
息も絶え絶えに小悪魔が返事をした。
「そう、じゃあ続きをしましょうか、レミィ」
魔導書を手にしたパチュリーが、高速詠唱に入る。例え元が人語であろうと聞きとれない速さだが、紡がれているのは人語ではない。
ただの人間が、あやふやな発音で紡ぐだけで大きな災厄が起きる魔導書。ならばパチュリーが、限りなく元に近い発音で紡いだ時のそれは…
吸血鬼の背中を悪寒が走る。止めなくてはならない。止めなければ、自分は滅びる。恐怖に突き動かされたレミリアが走る。今までで一番の速度で。
(とった…!)
10mの距離を、刹那の速さで飛び越えて、吸血鬼が腕を振るう。その腕がパチュリーの首を捉える直前…
「遅い」
奇妙な紋様が浮かび上がり、攻撃を阻んだ。レミリアはすかさず解析の体制に入り、今自らの腕を止めている魔術に介入しようとしたが…
紋様の細部は全て理解出来る。だが全体を理解しようとすると、思考が崩壊する。理解できない。理解できない。理解できない。
奇妙だ。矛盾している。否、細部を全て突き合わせても矛盾はしていない。だが全体として見るとひどくぐにゃりと歪んで、刻々と姿を変え…
詠唱が、終了している。ようやくレミリアは気付く。先ほどのは高速詠唱ではなく、複合詠唱だ。異界の言葉を、意識下と無意識下、さらに言葉と魔方陣で同時に展開していたのだ。
―赫光。可能性を否定する光が吸血鬼の体から放たれる。
消えろ、消えろ、消えろ。
可能性は果てよ、願いは失せよ、希望は落ちよ。
レミリアの周りの無機物が消滅していく。100%以上の可能性にすら影響する、余りにも強い否定を受けて…
それでもパチュリーは、微塵も揺らがない。
「喚くな」
この魔術はこの世界に依存しない、別世界の法則である。故に、最早レミリアの光は届かない。
「我が魔導書、―水神クタアト―。私は貴女にこう言うわ…【ン・カイの翼よ、引き千切れ】」
顕現する莫大な量の水。いや、それらを果たして水と言って良い物か。
この世界のどんな邪悪より尚邪悪、この世界に生きる者は触れてはならない禁忌の集合体、怨嗟と怨念と妄執とが水と言う形態を得て歓喜に狂乱するさま。
その邪悪に、レミリアは強固な結界を幾重にも張る事で対抗した。
いや、対抗、とは正しい表現ではない。迫りくる滅びをただ引き延ばすのは対抗とは言わない。それは延命だ。
どうにかして対抗しなければならない。だがどうやって?目の前で荒れ狂う異界の法則に対し、レミリアは完全に無力だった。
目の前で、荒れ狂う、法則。レミリアの意識に何か、銀色に光る物が見えた。レミリアは、それらを、観測し、観察し、傍観し、取りこめば、それらに、影響を、あたえ…
レミリアの理性が拡張される。狂っていた理性が、より狂っていく。黄金螺旋を昇り、誰かの愛の形の果てに、鍵を開けてコンクリートの屋上へ辿り着き、虚空へ足を踏み出して、地面へトマトケチャップをぶちまける。
―至った。そうレミリアは【存在0-非存在+?以前(虚0居る<有る>)】した。
光が、再びレミリアの体から放たれる。その光の色は、
透明な、白。
墜えよ、潰えよ、終えよ。
その光は、外なる邪悪に、届いた。
水が、法則が、紋様が、銀の鍵が、九つ目の門が、霧散した。
勝利した。如何なパチュリーと言えど、あの規模の術を立て続けに放つ事は出来まい。そうレミリアが安堵した瞬間、
「待っていたわ。貴女ならきっとあの術も破る、その確信があった」
パチュリーの姿が、レミリアの至近にあった。
失念していた。今のパチュリーには体術もあるのだ。今の彼女は魔術と同時に仕掛ける事が出来る。だが、彼女が操る物理攻撃では吸血鬼を害する事は…
(…属性付与-エンチャント-…!)
パチュリーの腕に絡みつく水龍。それは清浄な水気が巡る象徴だ。吸血鬼とはいえ、いや、吸血鬼だからこそ、これを受けてしまってはいけない。
(…防御…間に合わ…)
レミリアの思考はそこで一瞬途切れた。
「かは…っ…!」
…そして、苦しげに吐き出された声は、パチュリーの物だった。
パチュリーの腕は確かに無防備なレミリアの腹部を捉え、水気は体を駆け巡った。だが…
「パチェ…病さえなければ…」
最後の瞬間、レミリアが敗北を悟った瞬間、パチュリーが飲んだ薬の効果が切れたのだ。その結果、体は病の影響下に戻り、拳は十分な威力を喪失し…
もしもあと数秒、いや、あと数瞬効果が持続していれば、レミリアは間違いなく倒れていただろう。事実、彼女の目にはその未来が映っていた。
運命が変わったのは…悪趣味な外なる宇宙の影響が微かに残っていたからか。
とどめを差す為にレミリアが腕を振り上げる。そして…
「今よ小悪魔ッ!」
「はいっ!」
パチュリーの合図に呼応する小悪魔の声。今攻撃を受ければ、今度こそ倒れる、それほどまでに弱っていたレミリアは、防御の為に背後に向きなおると、
その視線の先、10mほど遠くで、小悪魔が十字を切りながら南無阿弥陀仏と熱心に祈っていた。
何に祈っているのかよく分からなかったが、それを見たレミリアがその部分について思いを馳せてしまった事を考えると、期せずして小悪魔はかなり上等なアシストをしていたのだった。
「…?…しまっ…!」
「バンク・ヴェドゴニア。解凍・コード・モーラ」
不気味な呟きが背後から聞こえた。
「【灰は灰に、塵は塵に!】」
慌ててパチュリーに向きなおったレミリアの目に飛び込んできたのは、何処から出てきたのかわからない巨大なハンマーと、それで頭を強打される未来だった。
「ひ…ひきょう…もの…」
ぱたり。ついに吸血鬼は倒れた。
…何ともアレな方法によって。と小悪魔は心の中で付け足した。
「レミィ、正義は勝つのよ。必ずね」
汚れを払いながらパチュリーが言った段になって、余りにも色々疲れた小悪魔は、あんまりな現実から速やかに逃避する為、その場で寝た。
******
紅魔館に光が戻った。
と言っても、構造的にそれほど光は差し込まないので、実質的には大増量(当社比)くらいだったが、たったそれだけの光でも館に住む者たちの心を明るくしてくれた。
別に大増量の文句を疑ってるわけではないですごめんなさいすみません許してください、と小悪魔は見えない誰かに謝りながら、パチュリーに申しつけられた紅茶のお代わりを運んでいた。
当のパチュリーはと言えば、図書館に籠りきりで何やら怪しい工作をしていた。昨日、木工用ボンドとガラスを大量に仕入れさせられたが、一体何に使うつもりなのだろうか。
「うふ、うふ、うふふふふふ…」
その不気味な笑い声を耳にした瞬間、小悪魔はもうすぐあれらが何に使われたのかを知る機会が来る事を理解して、紅茶を放り出して逃げたい気持ちでいっぱいになった。
いや、そんな事はしない。逃げたら、自分の身に降りかかってくる。プロはそんなミスをしないのだ。いや、結局降りかかってくるなら同じだ。逃げてしまえ。アマチュアになれ小悪魔。
葛藤している間にも、無意識下に刷り込まれた奴隷根性によって小悪魔の足は勝手に進み、目的地へ辿り着いてしまった。
「丁度いい所に来たわ。さあ、これをこっそり美鈴に着せてきなさい」
こっそり着せる、とはどうすればいいのでしょうか?結構真剣に小悪魔は悩んだ。
「名づけて天人養成ギプス!この前会った天人くずれを参考にしたの。これをつければ黄金の鉄の塊の様な肉体が手に入るわ。たぶん」
見た目が明らかにバネだった。どこにガラスと木工用ボンドが使われたのかわからない。あとそれをこっそり着せるのは無理です。そう言いたいのを小悪魔は鋼の様な精神力で堪えた。
「あら、貴女が着たいのかしら?」
絶対にいやだった。小悪魔は空になったボンドの容器を片付けながら、大げさに否定のジェスチャーをした。
「が、頑張って着せてきますっ!」
門番もそれなりに強いとは言え、今回以上に酷い出来事なんてそうそう起こる訳がない。
きっと起こらない。起こらないといいな。起こらないでくださいお願いします。小悪魔は心の中で祈った。
…一ヶ月後、紅魔館は今回以上の深刻な驚異に襲われるのだが。
けれどもこれは別の物語、いつかまた、別の機会に話すとしよう。
******
展開というか・・・私には追いつけなかったです。
ネタも解りませんでしたが、面白くないとは感じませんでしたけど・・・・。
ただまっすぐ進んだような感じでした。
多分そういう意図なのかとは思いますが、そこはかとなく中二病のかほりがしました…
>黄金の鉄の塊の様な肉体
…? どっちですか?
既に名前呼んでるw
ちとカオスな感じですなw
すばらしいカオスをありがとう。
人を選ぶにもほどがあるんじゃないかな
少なくとも私にはそこそこネタが分かった、だから楽しめた、そういうわけでこの点で
みなぎ作品的なごちゃまぜテイストも感じられて面白かった