ある日のこと。
幻想郷の片端にある、誰も知らない――はずだったんですけど、何か最近、人が大勢来るようになってにぎやかになりました。何か一部は、私たちのことを勘違いしているみたいなんですけど、私の尊敬する人が『それもまた一興』とか言うので、何にも……え? 私は誰か、って? そんなの言わなくても……あ、はーい! 今いきまーす!――竹林の奥。
さやさやと鳴る、竹の梢の音色が優美かつ幽玄の雰囲気を醸し出す、ここ、永遠亭にて。
――今、まさに、Dead or Deadの雨が降る。
「さあ、始めましょうか」
「あああああああ! あ、あの、姫様! そんなことは私たちがやりますから、どうか、お部屋に戻って何もせず、ただ静かに日々を過ごしてはいただけませんか!?」
「そ、そうです!
それに、姫様ほど高貴なお方が、そんな、台所に立つなんて無謀……じゃなくて、大それたことはおやりになりませんよう!」
「わ、私たちが作るご飯が不満ですか!?
わかりました! それならば、この身を捨てて……!」
「うさぎAちゃん! 死なないでー!」
「誰か、誰か永琳様を呼んできて! 早く! 大至急! マッハで! 音速で!」
「音速と聞いて本を頂きに参上したぜ!」
「これあげるから出てって!」
「……………あれ?」
「それじゃ、まずは……!」
「ひぃぃぃぃぃぃ!」
「総員、待避、待避ー! 可能な限り、全速力で遠くに逃げるのよー!」
「敵に後ろは見せない! 厨房を守るものに後退はないのよ!」
「じゃあ何で後ろに下がってるのよ!」
「何言ってるの! 後ろに向かって全速前進してるだけじゃない!」
「こうなったら死なばもろともー!」
「……えーっと……。
これ、何の騒ぎだ?」
静か。
その言葉がふさわしい永遠の竹林に、その日、大きな大きなキノコ雲と、巫女が『すわ! 異変か! あ、だけど、お茶とおせんべい食べてから』と、相変わらず畳の上でごろごろする轟音が響き渡ったのは、そのすぐ後のことだった。
「えーっと……。
ねぇ、永琳。あなた、私に料理を教えなさい」
吹き飛んだ厨房。
黒こげになった廊下。
跡形をなしていない障子や窓その他諸々。
その光景を、右手で左腕の肘を支えて、その左手を頬に当てるという『どこかのお母さん』を連想させる姿勢で眺めていた彼女へと、後ろから声がかけられる。
「お料理……ですか?」
振り返った顔は、いつも通りの、おっとりとした柔和な笑顔。
ただし、こめかみが引きつっていて、一本から二本ほど、青筋も浮かんでいる。
「……その……。
何で鍋って爆発するのかしら? あれって爆発物? と言うか、鍋ってそんなに危険だったのね。妹紅の家に仕掛けてこようかしら」
「姫様。そもそも、鍋は調理器具であって、本来的な使い方をするのなら、決して、このような爆弾テロには使われないものなのですよ」
うふふ、と笑う彼女の顔。
それは、とっても……。
「……い、生きてる……? みんな……」
「……辛うじて……」
「だけど……このまま死んだ方がマシかも……」
と、部屋の片隅で呻きつつも、てきぱきと後かたづけを始めているうさぎ達が『今宵、降るのは血の雨か』を連想させるほど、恐怖を内包した笑顔だった。
それに気づいてか、それとも知らずか。まぁ、知らずというのは徹底した阿呆であるからして、それはないだろうと誰もが思っているのだが、『いや、だけど、姫様だからなぁ』という失礼な考えを思い浮かべてしまう輩なのであるのも確かでありまして。
「そもそも、姫。
どうして、今日になって、いきなりお料理など? 食べたいものがあるのでしたら、私に言ってくだされば作りますよ」
材料があるものならば、と限定するセリフを忘れない彼女――ここ、永遠亭の表の主、八意永琳は言った。相変わらず、笑みがちょっぴり引きつったままで。
内心では、『どうお説教しようかしら。うふふふふ』なのは間違いないだろう。
「う~ん……。
まぁ、正直なところを言うと、私も女として、家事の一つや二つは学んでおいた方がいいかな、と思うの」
その辺りで、いい加減、目の前の女性が怒っているのに気がついたのか、彼女を見つめていた爆破魔は居住まいと声音をただした。
ちなみに彼女、蓬莱山輝夜という永遠亭の裏の主である。そして、目の前の女性は彼女の従者であるはずなのだが、今や誰しもが、『永琳>輝夜』を信じて疑わない程度の存在感の持ち主だったりするのだが、まぁ、それはともあれ。
「……あら」
その一言に、永琳の顔が『意外だわ』という風に変わった。
彼女は、組んでいた腕をほどいて――要するに、左手で顔を押さえるのではなく、右手で押さえる形に変えて――「どうしたんですか? 藪から棒に」と訊ねた。
「べ、別に理由なんてないわよ。
ただ、ここの主として、部下や従者に対して恥ずかしくない立ち居振る舞いと気品が必要だと思っただけで……」
「あらあらまあまあ……」
それはまた意外だわ、と言わんばかりの顔だった。
と言うか、従者にそこまでの視線を向けられている輝夜が、ある意味、哀れではあるのだが、とりあえず、それを気にしても、今は仕方がない。
「そうだったんですか……。
けれど、そんな決意をしているのでしたら、何も直接、厨房に赴かず、私のところに来てくだされば……」
暗に「そうしたら、この惨劇は防げたかもしれない」と言外につぶやく永琳の言葉に、『……だって……』と輝夜。
「……何か、それって恥ずかしいじゃない?
仮にも、永遠亭の主と言われている、この私が『お願いします』だなんて」
それをやる恥と、こうやって厨房根こそぎ吹っ飛ばして、以後、従者達に『厨房クラッシャー』などというあだ名をささやかれることになるであろう恥と、果たしてどっちが不名誉なのか、永琳は小一時間悩みそうになった。しかし、一応、使えるべき主人が人差し指をくにくにやってるのを見て、『困ったわねぇ』と言わんばかりにため息をつく。
「料理……ですか。
簡単なこととは言いませんけど……。
……姫はどんな料理を作りたいんですか?」
「別に、そんな難しいものを作りたいわけじゃないのよ。
せいぜい、ご飯とおみそ汁、焼き魚くらいで……」
「庶民的ですね」
しかし、その庶民的なものが、『ご飯』の基本である。
博麗の巫女に曰く。
『一膳一汁一菜をなめるな。ご飯もろくに炊けず、おみそ汁も美味しく出来ず、付け合わせの一品すら用意できない奴が包丁を握るなど、食事に対する冒涜と知るがいい』
――彼女のこの言葉は、今や、全幻想郷中の女性が知っているほどの名言である。それほど、これら、基本の三品は重要なのだ。それに挑戦しようとする輝夜は、一番手軽な、だが、一番難易度の高い壁に向かって、これから、命綱なしのフリークライミングを始めようとするくらい、チャレンジャースピリットにみなぎる『挑戦者』なのである。
「っていうか、そんな簡単なものすら、未だにまともに作れていないとか、情けないと思わない? 私、思うわ。
だからこそ、これからは、『姫だからと言って、出てくるのを待つ』人間から脱却するのよ!」
ぐぐっ、と拳を握り込み、ごごごごごっ、と背中に炎を背負って、彼女は宣言した。思わず、永琳はぱちぱちと拍手をしてから、『それならば』と一礼する。
「わかりました。
この、月の頭脳たる八意永琳。姫様のために、持てる知識と知恵の全てを使い、必ずや、姫様がお料理を作れるようにして差し上げます」
「助かるわ、永琳!」
美しい、主人と従者の愛の言葉。
彼女たちは互いに手を取り合い、固く、その先の約束を誓い合った。真っ黒に焦げた厨房の中に、今、誓いの花が咲いたのだ。
全ての、それを見るもの達が涙する中、誰かがつぶやく。
「……っていうか、永琳さまって、悪気なくひどいこと言うよね」
その程度のことのためだけに、月の頭脳が全力にならなければならないほどの輝夜という存在。
果たして、それにカリスマというものを見いだせるのかというと……やっぱり、絶対に無理なのだった。
「……で」
「さあ、イナバ!」
ぽつーん、と所在なげに立ちつくすうさみみ少女。彼女は鈴仙・優曇華院・イナバ。近頃は本名よりも『うどんげ』の愛称の方が有名になりつつある、ここ、永遠亭の苦労人一号生筆頭である。
「……その……姫? あの、何で私が……?」
「知らない。永琳が、『うどんげならば、必ずや』って言ってくれたのだもの」
それってつまり、私が、また無理難題を押しつけられたんじゃなかろうか、と鈴仙は思った。もちろん、間違いではない。
「それに、あなたも料理、得意でしょ?」
「それは……得意と言えば得意ですけど……」
よく、うさぎの子供達の面倒を見ている彼女は、その付き合いで、彼女たちのために料理を作ったりすることもしょっちゅうだ。最近だと、何だかそんな自分に満足感を覚えているらしく、包丁を握って厨房に立つ鈴仙の顔にも笑顔が浮かぶことがしょっちゅうなのだが、まぁ、それはともあれ。
「じゃあ、私に料理を教えるくらい、朝飯前よね」
ふん、と鼻を鳴らして、輝夜。
まぁ、そりゃ朝飯前ではあるけど……、と鈴仙はつぶやく。実際、料理を教えてください、と言ってくるうさぎ達に料理を教えることもあるからだ。
しかし、である。
「………………」
朝方の騒動を、鈴仙は思い出す。
師匠のお使いで外に出て、帰ってきた矢先に、永遠亭の一角を吹っ飛ばした爆発。それをなしたのが、この輝夜であり、しかも爆発の原因は『火にかけられた鍋』であるのだと言うのだから。
一体、どんなことしたんですかあんたは、と思いつつも、敬愛する師匠に応えて。
そして……。
「……私は、鍋爆破魔に、どうやって料理を教えたらいいんだろう……」
そんな、誰にも解けない永久の難題を突きつけられてしまったわけである。
これ、姫の新しいスペカになるんじゃないだろうか。『爆符 ホーロー鍋』とか何とか。
そんな失礼なことを考えてしまいつつも、『無理です出来ません』と言えば、自分はどんな目に遭わされるか。色んな意味で、尻尾とうさみみが縮こまってしまうのは間違いない。
「……えっと。
最初に聞きますけど、どんなものを作りたいんですか?」
「ご飯とおみそ汁と焼き魚」
「……はあ」
てっきり、かくかくしかじかたる何かよくわからない、自分には絶対に作ることの出来ない満漢全席っぽいものを作れるようにしろ、と言われることを覚悟していた鈴仙は、内心、ほっと胸をなで下ろす。
それなら、まぁ、多分、何とかなるだろう。
爆発にさえ気をつければ、多分。
……そもそも、『何で料理したら鍋が爆発するんだよ』という根本的な問題からは、鈴仙は、完全に目を背けるようだった。
「じゃ、あの、わかりました。
私に出来る範囲で、鋭意、努力させて頂きますね」
「ええ。期待しているわ」
……これって本来、言う人間が逆なんじゃないだろうか。
そう思いつつも、鈴仙は、「じゃ、最初はご飯にしましょう」と笑顔を浮かべた。
用意するものは、当たり前だが、お米である。この前、竹林の外に住むおじいさんが『病気を治してくれたお礼です』と言って持ってきた、『美味しい!』と評判のお米を用意して。
「お米をとぐ時は、力の入れ方に注意してくださいね。あんまり力を入れるとお米が割れちゃいますし、入れないと、全くとげてなくてぬかが残ってしまいますから」
「ふぅん……」
水が冷たい、と言う不満を口にしながらも、輝夜の手際は、なかなか大したものだ。しゃかしゃかという、気持ちのいい音が響き渡る。
なお、彼女たちがいる場所は、永遠亭の中に仮設で用意された小さな厨房。メインの厨房は、現在、うさぎ達が永琳の指揮下の元、全力で復旧作業中である。
「それで、とぎ汁を流す時は、お米を流さないように注意して……。そうそう、掌を下に当てて……」
「なかなか難しいわね……」
それでも、ぽつぽつとお米を落としてしまう輝夜に微笑ましいものを覚えながら、鈴仙は、『これなら、結構、行けるんじゃないかな?』と思っていた。困難はあることには違いないだろうが、それでも、輝夜の『困難さ』は常識的なものだ。料理の『り』の字も知らない、文字通り、はじめてのおりょうり(ひらがななのに他意はない)に挑む相手に料理を教えているのだと思えば手軽なものだ、と彼女は笑う。
「じゃあ、次、おみそ汁ですね」
お米を竈の火にかけて、次なる難題へ。
用意したるはお豆腐。これも、今朝方、うさぎの一人(一羽、のが正しいかもしれない)が近くの村から買ってきた『美味しい』代物である。
「それでは、包丁を持ってくださいね」
「はいはい」
「包丁を握る時は……」
片手に見本たる包丁を握って振り返り、鈴仙の笑顔は停止した。
「……姫……」
「何?」
「……何で……平手に構えてるんですか……?」
「え? これって普通じゃない?」
普通じゃねぇよ、バカ野郎。
内心で、鈴仙は、思いっきりつぶやいた。どこぞのサウザンドオータムさんもびっくりなくらいの勢いでつぶやいた。
普通、包丁というものは、食材などを切る時に使うものである。平手に構えた包丁で、どうやってそれをやるというのだ。
「……違います、姫。包丁は……」
「こっちの方が手軽に刺さるじゃない」
知ってますよ、バカ野郎。
もう一度、バカ野郎を繰り返す、我らが鈴仙ちゃん。
んなこと知ってますよ、私だって看護士さんやってるんですよ。そうやった方が、手軽に隙間を通って、手軽に奥深くまでずぶって行きますよ。
だけどね、お姫様。今、やってるの料理ですよ? 殺人ショーじゃないんですよ? その辺のこと、理解してますか、バカ野郎。
三度目の『バカ野郎』をつぶやいたところで、大きなため息をついて、
「……こうやって持つんです」
食材に対して、垂直に刃を当てるという、『包丁の正しい使い方』を見せる鈴仙に、輝夜は『……へぇ』と声を上げた。
「……そんな使い方もあるのね」
これが正しい使い方です、バカ野郎。
――四度目。
「まぁ……とりあえずですね。
こうやって、利き腕と反対の手で食材を押さえて、垂直に刃を当てて、おろします。また、引いて切ることのないように。危ないですから」
「うーん……」
とんとんとん、とリズミカルに手を動かしていく鈴仙と違い、輝夜のものは不器用そのもの。と言うか、どうにも殺意がこもっているように見えて仕方がない。包丁の間違った使い方を正しいとデフォで思いこんでいる奴だから、まぁ、その辺りは仕方ないのかもしれないから。
「いたっ!」
やっぱり、やったか。
鈴仙が見ている前で指を切ってしまう輝夜に、『まぁ、仕方ないな』と肩をすくめる。自分もそれをやらかしたのだから。
「ちょっと待っていてくださいね、今、絆創膏……」
「別にいいわよ」
ああ、そう言えばそうでしたね、あなた不死身でしたね。っつか、料理を作る現場でリザレクションしてるんじゃないよ、バカ野郎。
五度目。
「……気をつけてくださいね……」
「わかったわよ。いくらでも治るとはいえ、痛い思いをするのはいやだもの」
変に真面目なところが、逆に扱いづらい。
鈴仙は思う。
どうしたものかな、と肩をすくめてから、『まぁ、本人が真面目にやろうとしてるんだから、私も頑張らないとな』と苦笑して。
「それじゃ、次ですけど……」
「ん? 今日は鈴仙殿はいらっしゃらないのですか?」
「ああ、うどんげでしたら、今、向こうの方で姫に料理を教えていますよ」
「輝夜殿が?」
この頃、ここ、永遠亭の一角を使って、とある試みが行われている。
月の頭脳を自負し、同時に、幻想郷で一番の『お医者さん』であることを誰も疑わない八意永琳女史が筆頭となって立ち上げた病院、その名も『八意永琳医療相談所』である。
人間の里からも多くの人々を迎え入れての、この医療相談所は日頃、大盛況であり、その人間の里に医療相談所の存在を伝えて回っている人物も、近頃は多く足を運んできている。
「またどうして?」
その人物である、彼女、上白沢慧音は出されたお茶を飲みながら『それはまた意外だな』とつぶやいた。
「失礼かもしれないが、輝夜殿は、どちらかというと食事が出来てくるのを座して待っている方が似合っていると思っていたのだが……」
「姫も、何やら心変わりがあったようですよ」
「ふむ……。
まぁ、高貴な人物というのは、姿を見せないというのも一つのカリスマを形成するものと言われているが……。しかし、こうして、親しみやすい『高貴な人物』というのもいいのかもしれないな」
「そうですね。
どこかの館のお嬢様みたい……」
「いや、あれは……」
そこまで言って言葉の止まる永琳と、その彼女の姿を思い浮かべて、同じように言葉に詰まる慧音の二人。
あれも、自分で自分のことを『高貴』と表現し、一応、周りからも、『まぁ、その表現にも間違いはないな』と思われてはいるのだが、どの辺りにカリスマがあるのか、最近、わかりづらくなってきたという点において非常に定評がある類であるからだ。
「……まぁ、それはともあれとして」
「……うむ」
「それで、一応、私も忙しいですから。うどんげに、ちょっと手伝いを頼んでいるんです」
「なるほど。
確かに、永琳殿は、多くの患者達を診ないといけないからな。
……そう言えば、近頃はどれくらい?」
「一日に百人を下ることが少なくなりました」
「腕のいい医者は繁盛するものだが、さりとて、医者が繁盛するような世の中、少々、首をかしげてしまいたくなるな」
人の不幸につけこむようで、とつぶやく慧音。
しかし、そうした類の店と人間がいなければ回らないのも、この世の中である。それを享受するという意味で、彼女は、ただ静かに湯飲みを傾ける。
「けれど、輝夜殿には感心するよ。
妹紅も、それくらい、自分に対しての向上心があれば……」
直後。
「……今のは?」
どっごーん、という、遠雷のような音が響き渡り、びりびりと空気が振動する。すっ、と衣擦れの音を立て、油断なく、辺りを見回しながら慧音は立ち上がった。
しかし、対する永琳はと言うと涼しい顔のまま、さらさらと、手元のカルテを書き込んでいる。
「永琳殿、今の音は?」
「また、姫の料理が失敗したのでしょう」
「そうか……その程度の……」
そこで、慧音さん、しばらく沈黙。
かちこちかちこち、と時計の秒針が時を刻む中、ゆっくりと、彼女は永琳から外へと首を回して、つぶやく。
「……料理が……失敗……?」
「はい」
「……いや、今のはどう聞いても爆音……」
「姫が料理を失敗すると鍋が爆発するんです」
「……は?」
鍋が爆発? 料理で? 何で?
さすがの知識人の頭の中にも、山のようなはてなマークが浮かんでは消えていく。と言うか、どうして料理を作っていて鍋が爆発するんだ。爆発物でも煮込んだのか? それとも、爆発物を焼こうとしたのか? いや、それ以前に、鍋ってそう言う用途に使うものじゃないはずでは?
そんな、当たり前の疑問が浮かんでは消えていく中、慧音は、こほん、と咳払いをする。
「その……永琳殿。
もしかして、永琳殿が鈴仙殿に輝夜殿を任せた理由は……」
「さあ、次の患者さんを診ないと」
「あ、いや、そのだな、これは結構、重要だと思うからあえて言わせてもらいたいのだが……」
「あらあら大変、忙しいわ忙しいわ」
「ち、ちょっとストップ、永琳殿! 振り返りざまに鏃を向けないでくれ!」
「あらあらうふふ」
「それは禁止だ、禁止ー!」
ひょんっ、どすっ!
「うふふふふ」
「……わ、私は不死身じゃないんだから、当たったら死ぬしかないんだが……」
すんでの所で回避したおかげで直撃は避けたものの、自分の顔の横、わずか一ミリ程度の空間に突き刺さる矢に、慧音も顔と声を引きつらせる。そして、その慧音を無視して、永琳は、文字通り、逃げるようにふすまの向こうへと消えていった。
「……鈴仙殿……相変わらず、大変なようだな……」
と言うか、そろそろ離反か下克上でも出していてもおかしくないんじゃなかろうか、彼女は。
そう思いながらも、『いや、だけど、彼女にその根性があるはずはないな』というところに、結局、結論は落ち着いてしまう。
慧音は、何とかかんとか立ち上がり、永琳の部屋を後にして、永遠亭を歩いていく。そうして、歩いていくうちに、もくもくと黒煙の立ち上る空間へと辿り着き、沈黙する。
「……ねぇ、イナバ。どうして、私が鍋を火にかけると爆発するのかしら?」
「知りませんよ、バカ野郎!」
ついに言葉に出たようです、うどんげちゃん。
「……困ったわね、これでおしゃかにした鍋が十個を越えてしまったわ」
「と言うか、いい加減、私、命の危険を感じますよ!? 何で、料理をするのに命かけないといけないんですか!? その辺り、教えてくださいよ、バカ野郎!」
もうすでに『姫』とすら呼んでもらえなくなっているのだが、それもさもありなん、というところか。
その辺りの空間一帯を眺めて、慧音は思う。
……こりゃ、完全に、永琳殿は鈴仙殿に役目を押しつけたんだな、と。
「う~ん……何がいけないのかしら……?
火力は問題ないし、鍋も問題ないはずよね。となると……食材?」
いや、単に、そこはあなたの腕前だと思うぞ、バカ野郎。
と、ついに慧音にすら『バカ野郎』と思われてしまう輝夜さまは、ふぅ、とため息をついた。
「……やっぱり、私には料理は無理なのかしら」
ここで、全力全開、首を縦に振ってやれば、恐らく、この騒動は終わるのだろう。終わるのだろうが、そんなことを、鈴仙が出来るはずもない。
彼女は、そこで慌てて『い、いや、そんなことないですよ、バカ野郎姫!』と、バカ野郎と姫を融合させた、新しい生命体の名前を口にしてフォローに入る。
「大丈夫です! 姫なら、きっと出来ますから!」
「本当にそう思う?」
「いや全z……じゃなくて、は、はい!」
「……殴ろうかしら」
主にスペカで、とおもむろに取り出すでっかくて重たそうな御石の鉢を前に、鈴仙は顔を青くして飛びすさる。
「あー……こほん」
そこで、慧音は咳払いをした。
それで、二人は慧音の存在に気がついたのか、彼女の方を振り返る。
「あ、け、慧音さん! 助かりましたっ!」
「……いや、私の存在を、地獄に垂らされた蜘蛛の糸みたいに言われてもな……」
「あら、何の用? また、あの不死鳥バカの挑戦状でも持ってきたのかしら?」
「私はメッセンジャーではないぞ、輝夜殿。
単に、今日は、この病院に初めて来る人の案内役を務めてきただけさ」
「あ、そう。
……で、イナバ。続きなんだけど」
「うぅ~……もうやだよぅ……。料理で妖夢ちゃんに会いに行きたくないよぅ……」
……三途の川を渡りかけたようだな。
慧音が顔を引きつらせる中、涙だくだく流しながら、鈴仙は再び、輝夜と共に厨房(もう崩壊しているが)に立つ。その後ろ姿は、色々な意味ですすけている上に、死を覚悟していた。
哀れだな、とは思うのだが、それなら私が代わりに、とは言い出せない。死にたくないからだ。人間、誰しも、命は大切なのである。
「……さて、私は帰るか……」
「ええっ!? そこで帰るんですか!? 手伝ってくれないんですか!?」
「すまん、鈴仙殿。私も用事があってだな」
「うらぎりものー!」
「さあ、イナバ。続きを始めるわよ」
「もうやだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
背中に響き渡る鈴仙の悲鳴。
それを聞きながら、慧音は歩み往く。頑張ってくれ、鈴仙殿。そう、無責任な言葉を投げかけながら。
「と言うか」
永琳の手伝いをしている看護士うさぎが言った。
「どうして、輝夜さま、いきなり『料理を作る』なんて言い出したんでしょうね」
「あらあら?」
片手にカルテを持って、それを眺めていた永琳が、彼女の方へと振り返る。
「だって、そうじゃないですか?
これまで、あの方が、どんなことであれ『料理を作る』なんて言い出したことないですし。
大抵、永琳さまに『えいりーん、ごはんまだー?』って」
「……そうね」
そう言う方が、輝夜らしい。
そう思っていたのは紛れもない事実である。
何せ、輝夜は、一応とはいえここの主なのだ。その主たる人物のために働くのが、永琳を初めとした永遠亭のメンツである。主が率先して動き、そこに部下がついて行くというのも、また一つの主従関係ではあるのだが、輝夜の場合、これは当てはまらないと考えるべきだろう。
彼女は姫だ。
お姫様は、いつでも殿上に座して、これこれをしろ、と命令をする方が似合っているのである。
今の彼女は、言ってしまうのは悪いが、輝夜らしくないと言う他ないだろう。
「心変わりをするにしても唐突だし。きっと、何かあるんだとは思うんですけど」
「そうねぇ……。
でも、何があったにせよ、それが姫の意思であるのなら、私たちが逆らう理由もないでしょう?」
「まぁ、永琳さまが、それでよしと思っているのでしたら、私たちはそれについて行くだけですから」
「あらあら」
それはつまり、『永琳さまに一生ついて行きます!』という宣言だったりするのだが。
そこまで信用してもらって嬉しいのと同時、どうにも輝夜の影が薄いことが、ちょっぴり悩みだったりするのも永琳である。
「けれど、鈴仙さま、大変ですね」
「そうね」
「……言っちゃ悪いんですけど、アレって押しつけたんですよね?」
「う~ん……。
まぁ、私もお仕事が忙しいし」
やっぱり否定はしなかった。
うさぎの顔に、汗一筋。
「それに、うどんげにもいい勉強になるんじゃないかと思ってね」
「勉強……ですか?」
「無理難題に挑んで、時には投げ出す勇気も必要、って……」
「そ、それはまた……」
それはつまり、永琳も、輝夜が料理を美味しく作るのは無理だと判断していると言うことだ。
この、月の頭脳と呼ばれる天災(ある意味、誤字ではない)にも、不可能なことはあった、ということである。
「け、けど、ほら!
鈴仙さまって、すごく献身的な人だし、姫様も、頑張れば出来る子ですし!」
「……けどねぇ。
う~ん……」
まずい、永琳さまが不安になっている。これはやばい。どれくらいやばいかっていうと本気と書いてマジと読むほどやばい。
それくらい、今の、この永遠亭の状況はピンチと言うことだ。このまま輝夜をほったらかしておいたら、それこそ、文字通り、この建物が幻想郷から消えてなくなるほどに。
料理一つで壊滅する建物って言うのもまた微妙だが、しかし、あの爆発の破壊力を見ればそうも言っていられないのが現状。
どうするべきか。
それは、とりもなおさず、輝夜から包丁と鍋を取り上げること。
だが、出来るか? 自分たちに。
もしも、あの爆発する鍋を構えられたら、それこそ、何人の死人が出るかわからない。爆発する鍋を相手にして死亡、なんて恥ずかしくて歴史そのものを消去してもらわなければ、それこそ未来永劫、いつまでだって迷える魂になってしまう。そんなのはいやだ。主に恥をさらす的な意味で。
――と、よくわからないことを彼女が考えていた、その時である。
「永琳!」
いるわね!? と言わんばかりにふすまを開けて、くだんの人物が登場した。
その身を飾る美しいお召し物は見るも無惨に煤けて破れ、顔も汚れ放題。だが、妙に、その表情は生き生きとしていた。
永琳が振り返る。その顔には『もう、無理だと判断したのね……』という、諦めとも安堵とも取れる表情が浮かんでいる。
しかし、次の瞬間。
「出来たわっ!」
びしぃっ! と輝夜が突き出したお盆を前に、そのおっとりさんの顔が変わっていく。
「こ……こんな……!?」
そこには、つやつやに炊きあがった白いご飯、ほどよくみその香りを漂わせるおみそ汁、そして、いい具合に焼き跡がつき、いらない脂が落ちた焼き魚がある。
永琳は、何度も何度も、輝夜と、その手のお盆とを視線で往復し、つぶやく。
「……この天才にも計り知れないことが、この世に、まだあったのね……」
「……ひでぇ」
ぼそっ、と思わずうさぎがつぶやくほどに、その一言は、あらゆる意味で手加減がなかった。
しかし、それが聞こえなかったらしい輝夜は『私だってやれば出来るのよ!』と腕組みをする。ちなみに、その後ろでは『……師匠……私……やりましたよ……』と、鈴仙が真っ白になって燃え尽きていた。「立て! 立つんだ、鈴仙ーっ!」という誰かの絶叫が響き渡る中、永琳の手は、差し出された箸へと伸びる。
そして、恐る恐る、輝夜が作ってきたご飯を口にして、一言。
「……不可能を可能にしたんですね……姫……」
「だからひでぇって。あんた」
もう、ツッコミをすることも無意味かも知れないと思いつつも、鈴仙というツッコミ役がいない今、ツッコミを担当できるのは自分しかいないという責任感から、うさぎの彼女はつぶやいた。
「これでもう、私は料理オンチなどではない! そうよね、永琳!」
「ええ! よく頑張りました、姫!」
「……あの、鈴仙さまの功績は……」
「長かったわ……。
これまでに吹っ飛ばした鍋の数は優に三十個……へし折った包丁は数本……イナバに言われた『バカ野郎』は数えるのもバカらしいくらい……」
数えていたらしい。どうやら。
その後ろで、鈴仙が横に倒れて、『……ああ……私……もうすぐ死ぬのね……』ないい笑顔を浮かべているのだが、ともあれ。
「これで、私も、一人前ね!」
「はい! お見事です、姫!」
「……永琳さま、そろそろノってあげるのもおしまいにしたほうが……」
まぁ、言っても無駄だろうな、特にこの人の場合。
何だかツッコミをするのもバカらしくなったらしい彼女は、大きなため息と共に、「誰かー、鈴仙さまを集中治療室にー」と、声を上げたのだった。
そして、三日後のことである。
「……何だよ、輝夜。呼び出し、って。
あたしゃ、眠いぞ、っと……。今日はお前と遊んでやるつもりもないし……」
大あくびをしながら、不機嫌な眼差しで目の前を見据える彼女――妹紅に、不敵な笑みと共に輝夜は宣言する。
「……言ったわね? 妹紅」
「あん?」
「あなたは以前、私に言ったわ。
料理の一つも出来ない箱入り娘の世間知らずのバカ野郎、ってね……」
「あー……そう言えば、言ったかもしれないなぁ。そんなこと」
「……確かに、あなたの指摘は間違いではなかったわ」
自分が歩んできた苦難の道のりが、輝夜の脳裏に去来する。
その、辛く苦しい道のりの果てに辿り着いたゴール――それを、彼女はついに天に向かってかざす。
「だけど、私はもう、あの時のままの私じゃない!
もうすでに、完璧なご飯を作れるようになったわ! あなたごときに負けるはずもないわね、妹紅!」
ふっふっふ、という不敵な笑みと共に取り出した、美味しそうな朝ご飯セット一式を見て、妹紅は一言。
「え? お前、あんなのでむきになんの? バカじゃね?」
「霊夢殿。あの異変を止めには行かないのか?」
「朝ご飯食べ終わったらね」
「……そりゃそうか……」
幻想郷の彼方に乱打される、とてつもない爆発の嵐。それを、幻想郷の当たり前の光景として見つめる慧音は、差し出されたお茶をすすった。
その爆発の中、見たことのある人物が、黒こげになって何度も何度も空を飛んでいるのも見たような気もするのだが――、
「……妹紅。そりゃ、お前が悪いぞ……絶対……」
そうつぶやくことしか、今の慧音には出来なかったのだった。
幻想郷の片端にある、誰も知らない――はずだったんですけど、何か最近、人が大勢来るようになってにぎやかになりました。何か一部は、私たちのことを勘違いしているみたいなんですけど、私の尊敬する人が『それもまた一興』とか言うので、何にも……え? 私は誰か、って? そんなの言わなくても……あ、はーい! 今いきまーす!――竹林の奥。
さやさやと鳴る、竹の梢の音色が優美かつ幽玄の雰囲気を醸し出す、ここ、永遠亭にて。
――今、まさに、Dead or Deadの雨が降る。
「さあ、始めましょうか」
「あああああああ! あ、あの、姫様! そんなことは私たちがやりますから、どうか、お部屋に戻って何もせず、ただ静かに日々を過ごしてはいただけませんか!?」
「そ、そうです!
それに、姫様ほど高貴なお方が、そんな、台所に立つなんて無謀……じゃなくて、大それたことはおやりになりませんよう!」
「わ、私たちが作るご飯が不満ですか!?
わかりました! それならば、この身を捨てて……!」
「うさぎAちゃん! 死なないでー!」
「誰か、誰か永琳様を呼んできて! 早く! 大至急! マッハで! 音速で!」
「音速と聞いて本を頂きに参上したぜ!」
「これあげるから出てって!」
「……………あれ?」
「それじゃ、まずは……!」
「ひぃぃぃぃぃぃ!」
「総員、待避、待避ー! 可能な限り、全速力で遠くに逃げるのよー!」
「敵に後ろは見せない! 厨房を守るものに後退はないのよ!」
「じゃあ何で後ろに下がってるのよ!」
「何言ってるの! 後ろに向かって全速前進してるだけじゃない!」
「こうなったら死なばもろともー!」
「……えーっと……。
これ、何の騒ぎだ?」
静か。
その言葉がふさわしい永遠の竹林に、その日、大きな大きなキノコ雲と、巫女が『すわ! 異変か! あ、だけど、お茶とおせんべい食べてから』と、相変わらず畳の上でごろごろする轟音が響き渡ったのは、そのすぐ後のことだった。
「えーっと……。
ねぇ、永琳。あなた、私に料理を教えなさい」
吹き飛んだ厨房。
黒こげになった廊下。
跡形をなしていない障子や窓その他諸々。
その光景を、右手で左腕の肘を支えて、その左手を頬に当てるという『どこかのお母さん』を連想させる姿勢で眺めていた彼女へと、後ろから声がかけられる。
「お料理……ですか?」
振り返った顔は、いつも通りの、おっとりとした柔和な笑顔。
ただし、こめかみが引きつっていて、一本から二本ほど、青筋も浮かんでいる。
「……その……。
何で鍋って爆発するのかしら? あれって爆発物? と言うか、鍋ってそんなに危険だったのね。妹紅の家に仕掛けてこようかしら」
「姫様。そもそも、鍋は調理器具であって、本来的な使い方をするのなら、決して、このような爆弾テロには使われないものなのですよ」
うふふ、と笑う彼女の顔。
それは、とっても……。
「……い、生きてる……? みんな……」
「……辛うじて……」
「だけど……このまま死んだ方がマシかも……」
と、部屋の片隅で呻きつつも、てきぱきと後かたづけを始めているうさぎ達が『今宵、降るのは血の雨か』を連想させるほど、恐怖を内包した笑顔だった。
それに気づいてか、それとも知らずか。まぁ、知らずというのは徹底した阿呆であるからして、それはないだろうと誰もが思っているのだが、『いや、だけど、姫様だからなぁ』という失礼な考えを思い浮かべてしまう輩なのであるのも確かでありまして。
「そもそも、姫。
どうして、今日になって、いきなりお料理など? 食べたいものがあるのでしたら、私に言ってくだされば作りますよ」
材料があるものならば、と限定するセリフを忘れない彼女――ここ、永遠亭の表の主、八意永琳は言った。相変わらず、笑みがちょっぴり引きつったままで。
内心では、『どうお説教しようかしら。うふふふふ』なのは間違いないだろう。
「う~ん……。
まぁ、正直なところを言うと、私も女として、家事の一つや二つは学んでおいた方がいいかな、と思うの」
その辺りで、いい加減、目の前の女性が怒っているのに気がついたのか、彼女を見つめていた爆破魔は居住まいと声音をただした。
ちなみに彼女、蓬莱山輝夜という永遠亭の裏の主である。そして、目の前の女性は彼女の従者であるはずなのだが、今や誰しもが、『永琳>輝夜』を信じて疑わない程度の存在感の持ち主だったりするのだが、まぁ、それはともあれ。
「……あら」
その一言に、永琳の顔が『意外だわ』という風に変わった。
彼女は、組んでいた腕をほどいて――要するに、左手で顔を押さえるのではなく、右手で押さえる形に変えて――「どうしたんですか? 藪から棒に」と訊ねた。
「べ、別に理由なんてないわよ。
ただ、ここの主として、部下や従者に対して恥ずかしくない立ち居振る舞いと気品が必要だと思っただけで……」
「あらあらまあまあ……」
それはまた意外だわ、と言わんばかりの顔だった。
と言うか、従者にそこまでの視線を向けられている輝夜が、ある意味、哀れではあるのだが、とりあえず、それを気にしても、今は仕方がない。
「そうだったんですか……。
けれど、そんな決意をしているのでしたら、何も直接、厨房に赴かず、私のところに来てくだされば……」
暗に「そうしたら、この惨劇は防げたかもしれない」と言外につぶやく永琳の言葉に、『……だって……』と輝夜。
「……何か、それって恥ずかしいじゃない?
仮にも、永遠亭の主と言われている、この私が『お願いします』だなんて」
それをやる恥と、こうやって厨房根こそぎ吹っ飛ばして、以後、従者達に『厨房クラッシャー』などというあだ名をささやかれることになるであろう恥と、果たしてどっちが不名誉なのか、永琳は小一時間悩みそうになった。しかし、一応、使えるべき主人が人差し指をくにくにやってるのを見て、『困ったわねぇ』と言わんばかりにため息をつく。
「料理……ですか。
簡単なこととは言いませんけど……。
……姫はどんな料理を作りたいんですか?」
「別に、そんな難しいものを作りたいわけじゃないのよ。
せいぜい、ご飯とおみそ汁、焼き魚くらいで……」
「庶民的ですね」
しかし、その庶民的なものが、『ご飯』の基本である。
博麗の巫女に曰く。
『一膳一汁一菜をなめるな。ご飯もろくに炊けず、おみそ汁も美味しく出来ず、付け合わせの一品すら用意できない奴が包丁を握るなど、食事に対する冒涜と知るがいい』
――彼女のこの言葉は、今や、全幻想郷中の女性が知っているほどの名言である。それほど、これら、基本の三品は重要なのだ。それに挑戦しようとする輝夜は、一番手軽な、だが、一番難易度の高い壁に向かって、これから、命綱なしのフリークライミングを始めようとするくらい、チャレンジャースピリットにみなぎる『挑戦者』なのである。
「っていうか、そんな簡単なものすら、未だにまともに作れていないとか、情けないと思わない? 私、思うわ。
だからこそ、これからは、『姫だからと言って、出てくるのを待つ』人間から脱却するのよ!」
ぐぐっ、と拳を握り込み、ごごごごごっ、と背中に炎を背負って、彼女は宣言した。思わず、永琳はぱちぱちと拍手をしてから、『それならば』と一礼する。
「わかりました。
この、月の頭脳たる八意永琳。姫様のために、持てる知識と知恵の全てを使い、必ずや、姫様がお料理を作れるようにして差し上げます」
「助かるわ、永琳!」
美しい、主人と従者の愛の言葉。
彼女たちは互いに手を取り合い、固く、その先の約束を誓い合った。真っ黒に焦げた厨房の中に、今、誓いの花が咲いたのだ。
全ての、それを見るもの達が涙する中、誰かがつぶやく。
「……っていうか、永琳さまって、悪気なくひどいこと言うよね」
その程度のことのためだけに、月の頭脳が全力にならなければならないほどの輝夜という存在。
果たして、それにカリスマというものを見いだせるのかというと……やっぱり、絶対に無理なのだった。
「……で」
「さあ、イナバ!」
ぽつーん、と所在なげに立ちつくすうさみみ少女。彼女は鈴仙・優曇華院・イナバ。近頃は本名よりも『うどんげ』の愛称の方が有名になりつつある、ここ、永遠亭の苦労人一号生筆頭である。
「……その……姫? あの、何で私が……?」
「知らない。永琳が、『うどんげならば、必ずや』って言ってくれたのだもの」
それってつまり、私が、また無理難題を押しつけられたんじゃなかろうか、と鈴仙は思った。もちろん、間違いではない。
「それに、あなたも料理、得意でしょ?」
「それは……得意と言えば得意ですけど……」
よく、うさぎの子供達の面倒を見ている彼女は、その付き合いで、彼女たちのために料理を作ったりすることもしょっちゅうだ。最近だと、何だかそんな自分に満足感を覚えているらしく、包丁を握って厨房に立つ鈴仙の顔にも笑顔が浮かぶことがしょっちゅうなのだが、まぁ、それはともあれ。
「じゃあ、私に料理を教えるくらい、朝飯前よね」
ふん、と鼻を鳴らして、輝夜。
まぁ、そりゃ朝飯前ではあるけど……、と鈴仙はつぶやく。実際、料理を教えてください、と言ってくるうさぎ達に料理を教えることもあるからだ。
しかし、である。
「………………」
朝方の騒動を、鈴仙は思い出す。
師匠のお使いで外に出て、帰ってきた矢先に、永遠亭の一角を吹っ飛ばした爆発。それをなしたのが、この輝夜であり、しかも爆発の原因は『火にかけられた鍋』であるのだと言うのだから。
一体、どんなことしたんですかあんたは、と思いつつも、敬愛する師匠に応えて。
そして……。
「……私は、鍋爆破魔に、どうやって料理を教えたらいいんだろう……」
そんな、誰にも解けない永久の難題を突きつけられてしまったわけである。
これ、姫の新しいスペカになるんじゃないだろうか。『爆符 ホーロー鍋』とか何とか。
そんな失礼なことを考えてしまいつつも、『無理です出来ません』と言えば、自分はどんな目に遭わされるか。色んな意味で、尻尾とうさみみが縮こまってしまうのは間違いない。
「……えっと。
最初に聞きますけど、どんなものを作りたいんですか?」
「ご飯とおみそ汁と焼き魚」
「……はあ」
てっきり、かくかくしかじかたる何かよくわからない、自分には絶対に作ることの出来ない満漢全席っぽいものを作れるようにしろ、と言われることを覚悟していた鈴仙は、内心、ほっと胸をなで下ろす。
それなら、まぁ、多分、何とかなるだろう。
爆発にさえ気をつければ、多分。
……そもそも、『何で料理したら鍋が爆発するんだよ』という根本的な問題からは、鈴仙は、完全に目を背けるようだった。
「じゃ、あの、わかりました。
私に出来る範囲で、鋭意、努力させて頂きますね」
「ええ。期待しているわ」
……これって本来、言う人間が逆なんじゃないだろうか。
そう思いつつも、鈴仙は、「じゃ、最初はご飯にしましょう」と笑顔を浮かべた。
用意するものは、当たり前だが、お米である。この前、竹林の外に住むおじいさんが『病気を治してくれたお礼です』と言って持ってきた、『美味しい!』と評判のお米を用意して。
「お米をとぐ時は、力の入れ方に注意してくださいね。あんまり力を入れるとお米が割れちゃいますし、入れないと、全くとげてなくてぬかが残ってしまいますから」
「ふぅん……」
水が冷たい、と言う不満を口にしながらも、輝夜の手際は、なかなか大したものだ。しゃかしゃかという、気持ちのいい音が響き渡る。
なお、彼女たちがいる場所は、永遠亭の中に仮設で用意された小さな厨房。メインの厨房は、現在、うさぎ達が永琳の指揮下の元、全力で復旧作業中である。
「それで、とぎ汁を流す時は、お米を流さないように注意して……。そうそう、掌を下に当てて……」
「なかなか難しいわね……」
それでも、ぽつぽつとお米を落としてしまう輝夜に微笑ましいものを覚えながら、鈴仙は、『これなら、結構、行けるんじゃないかな?』と思っていた。困難はあることには違いないだろうが、それでも、輝夜の『困難さ』は常識的なものだ。料理の『り』の字も知らない、文字通り、はじめてのおりょうり(ひらがななのに他意はない)に挑む相手に料理を教えているのだと思えば手軽なものだ、と彼女は笑う。
「じゃあ、次、おみそ汁ですね」
お米を竈の火にかけて、次なる難題へ。
用意したるはお豆腐。これも、今朝方、うさぎの一人(一羽、のが正しいかもしれない)が近くの村から買ってきた『美味しい』代物である。
「それでは、包丁を持ってくださいね」
「はいはい」
「包丁を握る時は……」
片手に見本たる包丁を握って振り返り、鈴仙の笑顔は停止した。
「……姫……」
「何?」
「……何で……平手に構えてるんですか……?」
「え? これって普通じゃない?」
普通じゃねぇよ、バカ野郎。
内心で、鈴仙は、思いっきりつぶやいた。どこぞのサウザンドオータムさんもびっくりなくらいの勢いでつぶやいた。
普通、包丁というものは、食材などを切る時に使うものである。平手に構えた包丁で、どうやってそれをやるというのだ。
「……違います、姫。包丁は……」
「こっちの方が手軽に刺さるじゃない」
知ってますよ、バカ野郎。
もう一度、バカ野郎を繰り返す、我らが鈴仙ちゃん。
んなこと知ってますよ、私だって看護士さんやってるんですよ。そうやった方が、手軽に隙間を通って、手軽に奥深くまでずぶって行きますよ。
だけどね、お姫様。今、やってるの料理ですよ? 殺人ショーじゃないんですよ? その辺のこと、理解してますか、バカ野郎。
三度目の『バカ野郎』をつぶやいたところで、大きなため息をついて、
「……こうやって持つんです」
食材に対して、垂直に刃を当てるという、『包丁の正しい使い方』を見せる鈴仙に、輝夜は『……へぇ』と声を上げた。
「……そんな使い方もあるのね」
これが正しい使い方です、バカ野郎。
――四度目。
「まぁ……とりあえずですね。
こうやって、利き腕と反対の手で食材を押さえて、垂直に刃を当てて、おろします。また、引いて切ることのないように。危ないですから」
「うーん……」
とんとんとん、とリズミカルに手を動かしていく鈴仙と違い、輝夜のものは不器用そのもの。と言うか、どうにも殺意がこもっているように見えて仕方がない。包丁の間違った使い方を正しいとデフォで思いこんでいる奴だから、まぁ、その辺りは仕方ないのかもしれないから。
「いたっ!」
やっぱり、やったか。
鈴仙が見ている前で指を切ってしまう輝夜に、『まぁ、仕方ないな』と肩をすくめる。自分もそれをやらかしたのだから。
「ちょっと待っていてくださいね、今、絆創膏……」
「別にいいわよ」
ああ、そう言えばそうでしたね、あなた不死身でしたね。っつか、料理を作る現場でリザレクションしてるんじゃないよ、バカ野郎。
五度目。
「……気をつけてくださいね……」
「わかったわよ。いくらでも治るとはいえ、痛い思いをするのはいやだもの」
変に真面目なところが、逆に扱いづらい。
鈴仙は思う。
どうしたものかな、と肩をすくめてから、『まぁ、本人が真面目にやろうとしてるんだから、私も頑張らないとな』と苦笑して。
「それじゃ、次ですけど……」
「ん? 今日は鈴仙殿はいらっしゃらないのですか?」
「ああ、うどんげでしたら、今、向こうの方で姫に料理を教えていますよ」
「輝夜殿が?」
この頃、ここ、永遠亭の一角を使って、とある試みが行われている。
月の頭脳を自負し、同時に、幻想郷で一番の『お医者さん』であることを誰も疑わない八意永琳女史が筆頭となって立ち上げた病院、その名も『八意永琳医療相談所』である。
人間の里からも多くの人々を迎え入れての、この医療相談所は日頃、大盛況であり、その人間の里に医療相談所の存在を伝えて回っている人物も、近頃は多く足を運んできている。
「またどうして?」
その人物である、彼女、上白沢慧音は出されたお茶を飲みながら『それはまた意外だな』とつぶやいた。
「失礼かもしれないが、輝夜殿は、どちらかというと食事が出来てくるのを座して待っている方が似合っていると思っていたのだが……」
「姫も、何やら心変わりがあったようですよ」
「ふむ……。
まぁ、高貴な人物というのは、姿を見せないというのも一つのカリスマを形成するものと言われているが……。しかし、こうして、親しみやすい『高貴な人物』というのもいいのかもしれないな」
「そうですね。
どこかの館のお嬢様みたい……」
「いや、あれは……」
そこまで言って言葉の止まる永琳と、その彼女の姿を思い浮かべて、同じように言葉に詰まる慧音の二人。
あれも、自分で自分のことを『高貴』と表現し、一応、周りからも、『まぁ、その表現にも間違いはないな』と思われてはいるのだが、どの辺りにカリスマがあるのか、最近、わかりづらくなってきたという点において非常に定評がある類であるからだ。
「……まぁ、それはともあれとして」
「……うむ」
「それで、一応、私も忙しいですから。うどんげに、ちょっと手伝いを頼んでいるんです」
「なるほど。
確かに、永琳殿は、多くの患者達を診ないといけないからな。
……そう言えば、近頃はどれくらい?」
「一日に百人を下ることが少なくなりました」
「腕のいい医者は繁盛するものだが、さりとて、医者が繁盛するような世の中、少々、首をかしげてしまいたくなるな」
人の不幸につけこむようで、とつぶやく慧音。
しかし、そうした類の店と人間がいなければ回らないのも、この世の中である。それを享受するという意味で、彼女は、ただ静かに湯飲みを傾ける。
「けれど、輝夜殿には感心するよ。
妹紅も、それくらい、自分に対しての向上心があれば……」
直後。
「……今のは?」
どっごーん、という、遠雷のような音が響き渡り、びりびりと空気が振動する。すっ、と衣擦れの音を立て、油断なく、辺りを見回しながら慧音は立ち上がった。
しかし、対する永琳はと言うと涼しい顔のまま、さらさらと、手元のカルテを書き込んでいる。
「永琳殿、今の音は?」
「また、姫の料理が失敗したのでしょう」
「そうか……その程度の……」
そこで、慧音さん、しばらく沈黙。
かちこちかちこち、と時計の秒針が時を刻む中、ゆっくりと、彼女は永琳から外へと首を回して、つぶやく。
「……料理が……失敗……?」
「はい」
「……いや、今のはどう聞いても爆音……」
「姫が料理を失敗すると鍋が爆発するんです」
「……は?」
鍋が爆発? 料理で? 何で?
さすがの知識人の頭の中にも、山のようなはてなマークが浮かんでは消えていく。と言うか、どうして料理を作っていて鍋が爆発するんだ。爆発物でも煮込んだのか? それとも、爆発物を焼こうとしたのか? いや、それ以前に、鍋ってそう言う用途に使うものじゃないはずでは?
そんな、当たり前の疑問が浮かんでは消えていく中、慧音は、こほん、と咳払いをする。
「その……永琳殿。
もしかして、永琳殿が鈴仙殿に輝夜殿を任せた理由は……」
「さあ、次の患者さんを診ないと」
「あ、いや、そのだな、これは結構、重要だと思うからあえて言わせてもらいたいのだが……」
「あらあら大変、忙しいわ忙しいわ」
「ち、ちょっとストップ、永琳殿! 振り返りざまに鏃を向けないでくれ!」
「あらあらうふふ」
「それは禁止だ、禁止ー!」
ひょんっ、どすっ!
「うふふふふ」
「……わ、私は不死身じゃないんだから、当たったら死ぬしかないんだが……」
すんでの所で回避したおかげで直撃は避けたものの、自分の顔の横、わずか一ミリ程度の空間に突き刺さる矢に、慧音も顔と声を引きつらせる。そして、その慧音を無視して、永琳は、文字通り、逃げるようにふすまの向こうへと消えていった。
「……鈴仙殿……相変わらず、大変なようだな……」
と言うか、そろそろ離反か下克上でも出していてもおかしくないんじゃなかろうか、彼女は。
そう思いながらも、『いや、だけど、彼女にその根性があるはずはないな』というところに、結局、結論は落ち着いてしまう。
慧音は、何とかかんとか立ち上がり、永琳の部屋を後にして、永遠亭を歩いていく。そうして、歩いていくうちに、もくもくと黒煙の立ち上る空間へと辿り着き、沈黙する。
「……ねぇ、イナバ。どうして、私が鍋を火にかけると爆発するのかしら?」
「知りませんよ、バカ野郎!」
ついに言葉に出たようです、うどんげちゃん。
「……困ったわね、これでおしゃかにした鍋が十個を越えてしまったわ」
「と言うか、いい加減、私、命の危険を感じますよ!? 何で、料理をするのに命かけないといけないんですか!? その辺り、教えてくださいよ、バカ野郎!」
もうすでに『姫』とすら呼んでもらえなくなっているのだが、それもさもありなん、というところか。
その辺りの空間一帯を眺めて、慧音は思う。
……こりゃ、完全に、永琳殿は鈴仙殿に役目を押しつけたんだな、と。
「う~ん……何がいけないのかしら……?
火力は問題ないし、鍋も問題ないはずよね。となると……食材?」
いや、単に、そこはあなたの腕前だと思うぞ、バカ野郎。
と、ついに慧音にすら『バカ野郎』と思われてしまう輝夜さまは、ふぅ、とため息をついた。
「……やっぱり、私には料理は無理なのかしら」
ここで、全力全開、首を縦に振ってやれば、恐らく、この騒動は終わるのだろう。終わるのだろうが、そんなことを、鈴仙が出来るはずもない。
彼女は、そこで慌てて『い、いや、そんなことないですよ、バカ野郎姫!』と、バカ野郎と姫を融合させた、新しい生命体の名前を口にしてフォローに入る。
「大丈夫です! 姫なら、きっと出来ますから!」
「本当にそう思う?」
「いや全z……じゃなくて、は、はい!」
「……殴ろうかしら」
主にスペカで、とおもむろに取り出すでっかくて重たそうな御石の鉢を前に、鈴仙は顔を青くして飛びすさる。
「あー……こほん」
そこで、慧音は咳払いをした。
それで、二人は慧音の存在に気がついたのか、彼女の方を振り返る。
「あ、け、慧音さん! 助かりましたっ!」
「……いや、私の存在を、地獄に垂らされた蜘蛛の糸みたいに言われてもな……」
「あら、何の用? また、あの不死鳥バカの挑戦状でも持ってきたのかしら?」
「私はメッセンジャーではないぞ、輝夜殿。
単に、今日は、この病院に初めて来る人の案内役を務めてきただけさ」
「あ、そう。
……で、イナバ。続きなんだけど」
「うぅ~……もうやだよぅ……。料理で妖夢ちゃんに会いに行きたくないよぅ……」
……三途の川を渡りかけたようだな。
慧音が顔を引きつらせる中、涙だくだく流しながら、鈴仙は再び、輝夜と共に厨房(もう崩壊しているが)に立つ。その後ろ姿は、色々な意味ですすけている上に、死を覚悟していた。
哀れだな、とは思うのだが、それなら私が代わりに、とは言い出せない。死にたくないからだ。人間、誰しも、命は大切なのである。
「……さて、私は帰るか……」
「ええっ!? そこで帰るんですか!? 手伝ってくれないんですか!?」
「すまん、鈴仙殿。私も用事があってだな」
「うらぎりものー!」
「さあ、イナバ。続きを始めるわよ」
「もうやだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
背中に響き渡る鈴仙の悲鳴。
それを聞きながら、慧音は歩み往く。頑張ってくれ、鈴仙殿。そう、無責任な言葉を投げかけながら。
「と言うか」
永琳の手伝いをしている看護士うさぎが言った。
「どうして、輝夜さま、いきなり『料理を作る』なんて言い出したんでしょうね」
「あらあら?」
片手にカルテを持って、それを眺めていた永琳が、彼女の方へと振り返る。
「だって、そうじゃないですか?
これまで、あの方が、どんなことであれ『料理を作る』なんて言い出したことないですし。
大抵、永琳さまに『えいりーん、ごはんまだー?』って」
「……そうね」
そう言う方が、輝夜らしい。
そう思っていたのは紛れもない事実である。
何せ、輝夜は、一応とはいえここの主なのだ。その主たる人物のために働くのが、永琳を初めとした永遠亭のメンツである。主が率先して動き、そこに部下がついて行くというのも、また一つの主従関係ではあるのだが、輝夜の場合、これは当てはまらないと考えるべきだろう。
彼女は姫だ。
お姫様は、いつでも殿上に座して、これこれをしろ、と命令をする方が似合っているのである。
今の彼女は、言ってしまうのは悪いが、輝夜らしくないと言う他ないだろう。
「心変わりをするにしても唐突だし。きっと、何かあるんだとは思うんですけど」
「そうねぇ……。
でも、何があったにせよ、それが姫の意思であるのなら、私たちが逆らう理由もないでしょう?」
「まぁ、永琳さまが、それでよしと思っているのでしたら、私たちはそれについて行くだけですから」
「あらあら」
それはつまり、『永琳さまに一生ついて行きます!』という宣言だったりするのだが。
そこまで信用してもらって嬉しいのと同時、どうにも輝夜の影が薄いことが、ちょっぴり悩みだったりするのも永琳である。
「けれど、鈴仙さま、大変ですね」
「そうね」
「……言っちゃ悪いんですけど、アレって押しつけたんですよね?」
「う~ん……。
まぁ、私もお仕事が忙しいし」
やっぱり否定はしなかった。
うさぎの顔に、汗一筋。
「それに、うどんげにもいい勉強になるんじゃないかと思ってね」
「勉強……ですか?」
「無理難題に挑んで、時には投げ出す勇気も必要、って……」
「そ、それはまた……」
それはつまり、永琳も、輝夜が料理を美味しく作るのは無理だと判断していると言うことだ。
この、月の頭脳と呼ばれる天災(ある意味、誤字ではない)にも、不可能なことはあった、ということである。
「け、けど、ほら!
鈴仙さまって、すごく献身的な人だし、姫様も、頑張れば出来る子ですし!」
「……けどねぇ。
う~ん……」
まずい、永琳さまが不安になっている。これはやばい。どれくらいやばいかっていうと本気と書いてマジと読むほどやばい。
それくらい、今の、この永遠亭の状況はピンチと言うことだ。このまま輝夜をほったらかしておいたら、それこそ、文字通り、この建物が幻想郷から消えてなくなるほどに。
料理一つで壊滅する建物って言うのもまた微妙だが、しかし、あの爆発の破壊力を見ればそうも言っていられないのが現状。
どうするべきか。
それは、とりもなおさず、輝夜から包丁と鍋を取り上げること。
だが、出来るか? 自分たちに。
もしも、あの爆発する鍋を構えられたら、それこそ、何人の死人が出るかわからない。爆発する鍋を相手にして死亡、なんて恥ずかしくて歴史そのものを消去してもらわなければ、それこそ未来永劫、いつまでだって迷える魂になってしまう。そんなのはいやだ。主に恥をさらす的な意味で。
――と、よくわからないことを彼女が考えていた、その時である。
「永琳!」
いるわね!? と言わんばかりにふすまを開けて、くだんの人物が登場した。
その身を飾る美しいお召し物は見るも無惨に煤けて破れ、顔も汚れ放題。だが、妙に、その表情は生き生きとしていた。
永琳が振り返る。その顔には『もう、無理だと判断したのね……』という、諦めとも安堵とも取れる表情が浮かんでいる。
しかし、次の瞬間。
「出来たわっ!」
びしぃっ! と輝夜が突き出したお盆を前に、そのおっとりさんの顔が変わっていく。
「こ……こんな……!?」
そこには、つやつやに炊きあがった白いご飯、ほどよくみその香りを漂わせるおみそ汁、そして、いい具合に焼き跡がつき、いらない脂が落ちた焼き魚がある。
永琳は、何度も何度も、輝夜と、その手のお盆とを視線で往復し、つぶやく。
「……この天才にも計り知れないことが、この世に、まだあったのね……」
「……ひでぇ」
ぼそっ、と思わずうさぎがつぶやくほどに、その一言は、あらゆる意味で手加減がなかった。
しかし、それが聞こえなかったらしい輝夜は『私だってやれば出来るのよ!』と腕組みをする。ちなみに、その後ろでは『……師匠……私……やりましたよ……』と、鈴仙が真っ白になって燃え尽きていた。「立て! 立つんだ、鈴仙ーっ!」という誰かの絶叫が響き渡る中、永琳の手は、差し出された箸へと伸びる。
そして、恐る恐る、輝夜が作ってきたご飯を口にして、一言。
「……不可能を可能にしたんですね……姫……」
「だからひでぇって。あんた」
もう、ツッコミをすることも無意味かも知れないと思いつつも、鈴仙というツッコミ役がいない今、ツッコミを担当できるのは自分しかいないという責任感から、うさぎの彼女はつぶやいた。
「これでもう、私は料理オンチなどではない! そうよね、永琳!」
「ええ! よく頑張りました、姫!」
「……あの、鈴仙さまの功績は……」
「長かったわ……。
これまでに吹っ飛ばした鍋の数は優に三十個……へし折った包丁は数本……イナバに言われた『バカ野郎』は数えるのもバカらしいくらい……」
数えていたらしい。どうやら。
その後ろで、鈴仙が横に倒れて、『……ああ……私……もうすぐ死ぬのね……』ないい笑顔を浮かべているのだが、ともあれ。
「これで、私も、一人前ね!」
「はい! お見事です、姫!」
「……永琳さま、そろそろノってあげるのもおしまいにしたほうが……」
まぁ、言っても無駄だろうな、特にこの人の場合。
何だかツッコミをするのもバカらしくなったらしい彼女は、大きなため息と共に、「誰かー、鈴仙さまを集中治療室にー」と、声を上げたのだった。
そして、三日後のことである。
「……何だよ、輝夜。呼び出し、って。
あたしゃ、眠いぞ、っと……。今日はお前と遊んでやるつもりもないし……」
大あくびをしながら、不機嫌な眼差しで目の前を見据える彼女――妹紅に、不敵な笑みと共に輝夜は宣言する。
「……言ったわね? 妹紅」
「あん?」
「あなたは以前、私に言ったわ。
料理の一つも出来ない箱入り娘の世間知らずのバカ野郎、ってね……」
「あー……そう言えば、言ったかもしれないなぁ。そんなこと」
「……確かに、あなたの指摘は間違いではなかったわ」
自分が歩んできた苦難の道のりが、輝夜の脳裏に去来する。
その、辛く苦しい道のりの果てに辿り着いたゴール――それを、彼女はついに天に向かってかざす。
「だけど、私はもう、あの時のままの私じゃない!
もうすでに、完璧なご飯を作れるようになったわ! あなたごときに負けるはずもないわね、妹紅!」
ふっふっふ、という不敵な笑みと共に取り出した、美味しそうな朝ご飯セット一式を見て、妹紅は一言。
「え? お前、あんなのでむきになんの? バカじゃね?」
「霊夢殿。あの異変を止めには行かないのか?」
「朝ご飯食べ終わったらね」
「……そりゃそうか……」
幻想郷の彼方に乱打される、とてつもない爆発の嵐。それを、幻想郷の当たり前の光景として見つめる慧音は、差し出されたお茶をすすった。
その爆発の中、見たことのある人物が、黒こげになって何度も何度も空を飛んでいるのも見たような気もするのだが――、
「……妹紅。そりゃ、お前が悪いぞ……絶対……」
そうつぶやくことしか、今の慧音には出来なかったのだった。
巫女は良いこと言った!「一汁一膳一菜」は基本ってとても良いこと言った!
うどんげ頑張れー「ちりちりちりちり・・・・」
なんていうかうどんげの努力を全否定する言葉だなぁ
電波送れないからここに書いてかわりに送ってもらおう。
うどんげがんばれ! というかすでに頑張ってるから、むしろお疲れ様のほうがいいのか?
よくがんばった! 感動した!
にしても妹紅がひどすぎるw
妹紅ひどすぎやがなw
とりあえずうどんげに合唱、輝夜に同情。
うどんげちゃん、電波届いた?
んで、うどんげさん…同情しきれないほどご愁傷様です。爆符攻略おめでとう。
輝夜に「鍋を爆破する程度の能力」が加わった!
誰がこのネタわかるというのか
妹紅はうどんげの苦労を知った方がいいかもしれないが、姫にはあまり謝らなくていい気が凄くする。
鈴仙、料理教室を開こう?
きっと楽だよ。今の鈴仙なら。