*オリキャラやそれっぽいのが嫌い、或いは好きじゃないという方へ、
「名前のみ公式設定に存在するキャラクター」が複数登場します。
また、天界や要石、地震等の、いわゆる緋想天の成分についてかなり無茶な解釈や、
本来の設定を意図的に無視したりしている部分が割とあったりします。
一応いくてんかもしれませんが、いくてんじゃないかもしれません。
例によって頭カラッポ推奨です。
【其の一】
「……はぁ」
何度目になるか分からない溜め息をひとつ。
寒くも暑くもない天界の空気は、瞬く間に私の吐き出した憂鬱を飲み込み希釈してしまう。
本日も晴天なり。天界の天気はいつだって極楽だ。
「あー、だるい」
愚痴る。これも何度目になるか、数えるのも面倒だった。
見渡すのはおよそ16畳ほどの和室。文机に本棚に、床に散らかった様々なもの――概ね、最近になって下界、つまり幻想郷であれやこれやと買い集めたりした――に、あとは箪笥と姿見があるくらいの、簡素かつ雑然とした部屋。
それが今の、私こと比那名居天子が唯一好きに出来る空間だった。
「……退屈」
修行も自覚もへったくれもなく、子供の時分に家族ぐるみのおまけで天人になった私にすれば、天界は常にそういう世界だった。
ここの所、つまりは幻想郷のあいつやそいつと関わる機会を持ってからというもの、その感想はよりいっそう強くなっている。
「退屈で死ぬー」
寝っ転んだ姿勢のまま足でだすんだすんと畳を蹴る。無駄な労力は使いたくなかったが、他にすることもさして無い。
第一、天人は兎などと違って寂しいからって死んだりしない、怖いのはお迎え役の死神くらいだ。船頭死神にもまれに怖いのが居るが。
だかといって天界の退屈を甘受出来るかといえば、少なくとも私に限ってはそうじゃない。
「……はぁ」
ずりずりと部屋の中央の卓まで這っていって、皿に盛られた桃をひとつ取る。
天界で食事といえば概ねこの超ドーピングピーチであり、これさえ食べておけば体は丈夫になるし、飢えや渇きとも無縁なのはありがたいと言えばありがたい。
ありがたいが――
「飽きた」
半分ほど齧った所で皿に戻した。
先だっての一連の騒ぎの最中からこの部屋に押し込まれるまでの間、宴会だの何だので数々の料理を経験してきた舌には、天界御用達の常用食である桃は水分補給と腹を膨らませる以上の効能はないに等しい。
「あー、八目鰻食べたいなー。霊夢んとこの貧相な朝食でも可ー」
またも愚痴る。
遊びたい盛りに天人となり、それ以後長い長い間天界暮らしをしてきた身であるから、当然食に対する意識や記憶はあんまり無い。
それだけに、屋台の八目鰻であれ、宴会翌日の神社で振舞われる質素な朝餉であれ、メイドや庭師や兎あたりが腕を振るったごちそうであれ、料理と表現しうるものは全てが新鮮だった。
「うー……」
天界は有頂天、比那名居の屋敷にある私の部屋は、単に私にあてがわれた部屋であるというだけで、別段の愛着もあるわけじゃない。
むしろ、退屈しか存在しないという点において、牢獄も同様だ。
「……みんな、どうしてるのかなぁ」
バランス要石にもたれかかってゆらゆらしながら呟いた。
私、比那名居天子が、この部屋に閉じ込められて既に六日目。
ありていに言えば、軟禁されているのだ。
【其の二】
ことの発端がいつか、なんて言われればそれは当然、私が異変を起こそうと思い立って緋想の剣を比那名居の家の蔵から持ち出した、あの日からだろう。
その日以来、比那名居の家には戻っていなかった。
神社を地震で倒壊させ、次から次へとやってくる規格外の人間やら妖怪やらと弾幕に興じ、宴会に行く日々のねぐらになったのが、前々から家出に備えて用意していた庵だった。
日中はたいがい地上を眺めていたし、客があればそいつと遊ぶし、あの鬼、萃香が宴会場と称して土地を借りてからはそこへ行くことも増えた。
そのための、単に寝るためだけの場所としては、その粗末な庵は十分過ぎたし、そんな事が気にならないほど楽しい日々が続いた。
あの日までは。
その日、私は白黒い魔法使いに連れられ、幻想郷の人里にある人物を尋ねていた。彼女の名前は稗田阿求。私も(主に異変関連のノウハウを学ぶのに)お世話になった幻想郷縁起の執筆者である。
かの書物には天人に関する記述はあったものの、これまで個体が確認されていなかったため詳細なことは分かっていなかったらしい。それでまあ、魔理沙の誘いもあって、わざわざ情報を提供してやろうと出向いたのだ。
そのこと自体は別に問題はなかった。問題なのは、ひとしきりの話を終えて先に触れた庵に帰り着いた、その時である。
見るからに位の高そうな天人が、護衛役らしきのを2、3人引き連れて庵の前にいた。
『比那名居んとこの天子だの?』
明らかに、私がそうだと知った上での確認みたいなものだったのだろう。
なんとなく覚えのあるそのおっさんを見て感じた嫌な予感から反射的に踵を返した私の前に、さらに厄介なのが現れた。
『天子』
『……』
最悪だった。なんでここに居るのか、なんてベタベタなことを聞く気にもなれなかった。
そもそも、いくら広いと言ったって天界も無限じゃない。
地上と関わって騒ぎを起こし、天女を引きつれ神社再建に動いたり宴会を開いたり、天人としてあまりに目立つイレギュラーな行動のオンパレードだった私の所在なんて、とうの昔に掴んでいたに違いない。
それでも、あの日あの時まで放って置いたのはどういう理由だったのか見当もつかないが、ともあれ、しばらく顔も見なかった――私的に言えば二度と見なくても構わなかった――両親が、つまり比那名居の現当主とその妻が、そこに居た。
『話に聞いた通り、結構なお転婆のようだのお』
『……お恥ずかしい限りです』
呑気にのたまいやがったおっさんに父は静かに応じ、そのことから思い至った。どこか見覚えのあるその天人が何者か。
『これ天子、何をしている。名居様にご挨拶のひとつもせんか』
『…………』
名居様。または名居守。
地震を司る天人、大村守に遣えていた一族で、幻想郷一帯の地震に関する諸々を引きうけ、その後神霊としての格を得て天界に引っ張り上げられた元地上の民。
比那名居、つまり私の一家の上司にあたる、上級クラスの天人。
『良い、よい。元々そういうつもりで出向いたのではないからな』
『……は』
好々爺然とした笑みで父の口を封じた名居守は、そのまま私に向き直って言った。
『比那名居天子、お主を連れ帰るぞ、良いな?』
『…………』
形式上、同意を求める問いかけはその実、有無を言わせぬ強制だった。
抵抗することも出来ただろうけれど、両親はともかく、名居守とその引き連れてきた面子は間違いなく荒事向きの天人、あるいは腕っ節に自信のある仙人あたりだ。
緋想の剣を持っていたといっても、私ひとりでどうこう出来るものじゃないくらいすぐに分かった。
そしてやむなく比那名居の家に連行され、部屋に押し込められるに至った訳だ。
………
「あー! 腹立つー!」
思い出すんじゃなかった。
蔵で埃を被らせてたくせに、父はもっともらしく緋想の剣を取り上げていったし、母は母で終始無言だった。
しかも偉そうに出張ってきた割に、名居守自身はあれ以来これっぽっちも姿を見ない。
「……ちくしょー」
私は部屋に引き篭もってるわけだが、別に出られないわけじゃない。
だが、今現在比那名居の家は例の名居守の手の者が複数で常に監視していて、廊下に出るだけでもあからさまな視線を感じるし、第一部屋から出れば自然、父や母と顔を合わせねばならなくなる。それが嫌だった。
かくして見事ヒキコモリと相成った私は、日に日につのるフラストレーションを持て余して愚痴ったりじたばたするしかなかったのだ。
【其の三】
不意に、廊下と部屋とを隔てる障子の向こうに人影が現れた。
控えめに障子を叩き(おそらくノックのつもりなんだろう)聞き慣れた声がした。
「……総領娘様?」
「なに? 鍵はかけたくてもかからないんだから、好きに入ってきなさいよ」
「……では、失礼します」
しなやかな身ごなしで入ってきたのは、先だっての一件以来頻繁に顔を合わせるようになった竜宮の使い。
「あんたも毎日毎日ご苦労さんね。監視役ってのも面倒でしょ。あ、それともクソオヤジを殴り倒す棍棒でも持ってきてくれた?」
「まあ、名居様や比那名居の総領様には日頃それなりにお世話になってますから。それから残念ですが、棍棒はありません」
「あっそ」
礼儀正しく帽子を脱ぎ、永江衣玖は既に定番になりつつある応答を交わす。
元々さしたる親交があったわけではないのだが、先日の一件で何かと関わりあいになってしまったからか、彼女は私の監視役にあてられていた。
もっとも、正確には引き篭もってストレスを溜めてる私の相手をしろとか、どうせそんなところだろうけど。
「で、私は何時になったら出られるのよ」
「さあ」
「さあって」
「名居様も総領様も、特に何も言われませんし、私がどうこう口出しできるものでもありませんから」
「むぅ……」
正論だった。
衣玖はあくまで監視役として他に適当なのがいないから引っ張ってこられただけであり、私の軟禁諸々の処分に直接関わったわけじゃないのだ。
そもそも監視役とはいえ、こうして顔見知りと話しをする時間があるというだけでも、結構寛大な処置なのだろうとは思うけど。
「そう長いことでもない、とは仰っておられましたけど」
「ほんとに?」
「確約はしかねますが……それに、本当にすぐ出たいのであれば、名居様や総領様に素直に謝ればよろしいかと」
「……それは嫌」
「でしたら、少しくらいは我慢なさって下さいね」
「にゅー……」
衣玖との会話がつまらないわけではないし、何よりもひとりであれこれとぶちぶちしてるよりずっとマシだった。
だが、それでも一定以上にはけっして出すぎない衣玖が相手では、発散するにも限界というものがある。
「あ、そうだ。ねえ、次に来るときは萃香でも連れて来てよ」
「はあ、萃香さんを、ですか?」
「そ。霧になってそこらへんに居るなら呼べば良いんだけど、そうでもないみたいだから」
「うーん……」
「何よ」
「いえ、そういえばここのところ、萃香さんを見てないものですから」
「え……」
「最後にお会いしたのは、えっと……十日近く前だったかと」
それなら私にも覚えがある。たまたま衣玖と萃香が例の宴会場で呑んでいる所に私も居合わせたのだ。それが最後。
「ああ、そういえば」
「え、何なに!?」
「確か、久しぶりに同族に会えそうだから、地下に行くとかどうとか……」
「地下ぁ?」
地下ってあの地下? 地価じゃなくて?
「何それ」
「私もよくは……ここ数日はずっと天界に居るものですから」
「あー、そうだったわね」
衣玖は私が軟禁されたその日から毎日顔を見ている。つまり、天界以外へ行っていないという点で情報量としては私と大差ない。
もともと活発な方ではないし、天界にいたって地上の情報なんてろくに入って来ないから、当然と言えば当然か。
「にゅー……」
「……そんなに退屈ですか」
「当たり前でしょー」
「私としましてはいい機会なので、総領娘様には多少、慎みとか我慢とかいうものを覚えて頂きたい所ですが」
「あははは、ごめん無理」
「…………はぁ」
マリアナ海溝より深い溜め息をつく衣玖。
「……それでは、今日はそろそろ失礼しますね」
「あ……」
すいと立ち上がった衣玖を見上げて出た間抜けな声に、至極怪訝な顔をされた。
「どうかしましたか?」
「あ、えっと……な、何でもない、よ?」
「……何でもない、という顔と声じゃありませんよ」
「うー……」
情けない。
情けないが、実際衣玖が居なくなれば、退屈だしつまらないし、その、何と言うか、ありていに言えば寂しいことも無くはないのだ。
そんな私の心中なんぞお見通し、とでも言わんばかりに衣玖は柔和に微笑んで告げる。
「明日もちゃんと来ますから」
「そんなこと、誰も言ってないじゃない」
「あら、それでは来なくてもよろしいので?」
「う……」
「ふふふ」
返事に窮した私を見て、今度こそ衣玖が声を立てて笑った。ええい笑うなぱっつんぱっつんめ、くそう。
「ちゃんと大人しくしてて下さいね?」
「……努力はしてみる」
「はい、それでは天子様、また明日」
「んー……はぇ?」
その微妙な差異に気付いて素っ頓狂な声を上げた私にもう一度微笑んで、衣玖の姿が障子の向こうへ消えた。
すぐに影も見えなくなったから、そのまま飛んで行ったのだろう。
「……また、明日ー」
なんとはなしに、衣玖の立ち去った障子にむけてぴらぴらと手を振ってみた。
振ってから、何となくワケの分からない衝動に駆られてバランス要石に思いっきりよっかかってごろんごろんと床を転がる。
「てんしさま、かぁ……にへっ」
ちょっと新鮮なその音感に、にへらと緩む頬。
悔しいといえば悔しいが、確かに衣玖が来てくれるのは、私のフラストレーションを発散させるのにお手頃らしかった。
【其の四】
そんな具合でにへへとかくふふとか緩みっぱなしな天子から、直線距離にして一由旬どころか半マイルと離れていない比那名居家の一角。
「……で、ぬしのところのじゃじゃ馬っ娘はどうしておるね」
「はぁ……それが、部屋からもとんと出て参りません」
「はっはっは、噂に違わぬヘソマガリよのぅ、比那名居の?」
「は……まことに、困り者でして」
お察しの通り、天子の父である比那名居の当主と、その上司たる名居守のふたりである。
互いの間には碁盤がこそ置かれていたが、盤上は既に決しており、ふたりの、少なくとも父の方の意識は会話へと向いていた。
「まぁ、アレはアレで人気者だがの」
「……らしいですな」
「うん? ぬしも知っておったか? 日頃屋敷篭りで世情には疎いと思っておったが」
「私や妻が出歩かないからといって、他の者達の出入りを止めるわけにもいきませぬ故」
「おぅ、そうだったの」
からからと笑う、扇子片手にあぐらの名居守に対し、比那名居の方はあくまで正座を崩していない。
それがそのまま、この天界における見かけの力関係の現われでもあった。
「……だが、あのままでは少々いかん」
「……はい」
「久米の仙人の例を出すまでもなく、迂闊な欲を持ち続ければ天人とて危うい。まあもっとも、ここのじゃじゃ馬は仙人を落っことす側かもしれんがの」
「困ったものです」
久米の仙人。言わずと知れた今昔物語に登場する仙人であり、川辺で洗い物をしていた娘のふくらはぎに欲情して神通力を失った、いささかとほほな仙人である。
「で、比那名居のには何ぞ妙案の十なり百なりあるかの?」
「それほどの数はありませんが……名居様も、同じことを考えておられるのではないかと」
「ふむん……」
言って、名居守はトン!と扇子で碁盤を叩く。
たちまち、白黒の曼陀羅を描いていた盤上の石たちがざらざらりと動き、名居守と比那名居当主の側へそれぞれの色が小山を成した。
「最善、あるいは天界として正しいと言われるあり様は、他から突っ込まれる前に白黒をつける事なんだがの。特に、彼岸の是非曲直庁あたりはこういった事に五月蝿いでな、四季の嬢ちゃんなんぞが出てくれば余計ことややこしゅうなる」
「はい」
「だが、儂はどうもコレが好かん。ぬしもそうかの?」
「…………」
即答を避け、天子の父は一度傍らの盆から茶を取り、ゆっくりと一口すすると盆に戻した。
音が立つか立たないか分からないほどのその動作一つで、盤上の小山ふたつがふたつともざらりと崩れ、再び混ざり合って黒と白のタペストリーを織り成す。
「私は、白黒つけるにせよ、このまま成り行きを続けるにせよ、決めるのはあの子にやらせたく思います」
「ふむん。ま、儂もだいたいが所で同感だの」
盆から、こちらは酒をなみなみと満たした枡を取る名居守。
「大村守や御崎守のトコでもあの娘っ子は存外に評判でな、なんのかのと何処の天人にとってもアレは一服の清涼剤よ」
「……それほどとは知りませんでした」
「欲を捨てたと言うても、刺激に飢えるんは腹が減るんと本質では似たようなものよ。やれ天人やれ仙人と言えど、人の字が入っておる以上、捨てたつもりで捨てきれるモンでもないわな」
「はい」
「あの娘はちっとそれが大きすぎる程度のものよ。ま、永江のの言い草ではないが、もうちっとの自制と自省ってとこかのぅ」
「……おおむね、同感です」
空になった湯呑みに茶を注ごうとして、急須が空であることに気付く。
誰か呼ぼうと比那名居当主が鈴を取り上げるよりも早く、名居守が湯飲みに自らの酒を注いだ。
にやりと笑みかける上司に僅かに頭を下げてから、それに口をつけた。
「しかし、今のままではいけません」
「うむ」
「かといって、今のあの子では、なかなかにそういった方へ動かないのも事実」
「うむ」
「揺さぶってみよう、とお考えですか、名居様は」
「ふむん。ま、天界としてそれなりの処置をってとこかの。異論はあるかい?」
「……いえ」
「ほう……」
白髯をなでつけ、興味深げに自分を見やる視線に、当主はやや遅れて気がついた。
「……何か」
「いやいや、案外、自信が有り気なのでな」
「……いちおう、あの子は私の娘ですから」
「ふっほっほ。違いない。……要るかの?」
「いただきます」
揃って湯呑みと枡を傾け、上司はにやりと、部下はやや控えめに笑いあった。
【其の五】
「……え?」
「…………」
翌日、昼。
前日の約束どおりに訪ねてきた竜宮の使い、永江衣玖は、普段より少し強ばった顔で、天子にそれを告げた。
「な、なによ……それ」
「……お伝えしたとおりです。総領娘様」
「……冗談!」
思ってもみなかったその言葉に、天子の語彙は一時的に枯渇したかのようで、その一言を言い切るのがやっとだった。
「冗談などではありません……名居様が、博麗神社に安置した要石の引き揚げを決定なさいました。期日は三日後の正午」
「は…………っ!!」
どしん。
衣玖が予報を出す間もなく、一度きりの少し大きな揺れが、天界の一角を揺らした。
茶碗の一つくらい割れたかもしれませんね、と、衣玖は現実逃避にやや近い思考の中で呟く。
「総領娘様」
「…………なんで、なんでっ!」
「当然と言えば当然の処置です。名居様……名居守は、幻想郷一帯の地震を管轄するのが役目。その中には当然、地鎮のための要石の管理も含まれます」
「そんなことくらい知ってるわよ!!」
「ご存知なのでしたら……ご理解下さい。それに名居様の命は、その部下である比那名居の、さらに娘に過ぎない貴女様の気まぐれより優先されるのは当然……」
「衣玖ッ!!!」
がっと、自分より頭一つ分近く背の高い衣玖の襟首を掴む。その拍子で衣玖の帽子が長いリボンを揺らしながら畳の上に落ちる。
天子のもとを訪ねるなり、帽子も脱がず、座ることもなく話題を切り出した衣玖の心中を察するには、今の天子の動揺は大きすぎた。
「ねえ……私の軟禁がもうすぐ解かれるってそういう意味? ねえっ!?」
「…………」
「何とか言ってよ!!」
「…………」
「何とか言いなさいよ……何か言ってよ、ねぇ……言ってよ衣玖……」
「……すみません」
「ッ!!」
視線を合わせることもなく、ただそれだけを答えた衣玖を、天子は乱暴に解放した。
「……もういい、わかった。帰って」
「…………」
背を向けてそれだけを言った天子に複雑な視線を向けてから、衣玖は帽子を拾い上げ、二度三度と埃を払って被りなおす。
「……天子様」
「…………」
「天子様」
「……やめて」
「天子様、聞いて下さい」
「やめてったら!!」
癇癪気味に畳を打ち付けた天子の両手に応じて、また小さな揺れがあたりを襲う。
「……ここからは、天界の住人としてではなく、竜宮の使い、永江の衣玖としての言葉です」
「……え」
突然、それまで抑揚を欠いていた衣玖の口調が、普段のものに戻った。
「要石が抜かれれば、恐らく小さくない地震が幻想郷を襲うでしょう」
「…………は」
「規模は推定でマグニチュード6.5以上。要石が抜かれ震源になる神社のみならず、多くの建造物に被害が出る他、地形が変わるほどの崩落等が発生する危険性もあります」
「え、ちょ、ちょっと待って! どういうことよ!!」
慌てて振り向いた天子の背筋を冷たいモノがぬるりと這い降りていく。
衣玖の目は、かつて見た事が無いほど、本気だった。
「今回は事態が事態ですので、規模にはかなりの誤差が含まれます。極端な場合、マグニチュード8クラスが発生することも否定できません。仮にそうなった場合、人的ないし建造物への被害は――」
「だっ、だから! ちょっと待ってったら!!」
「……何でしょう?」
「要石が抜かれれば地震が起きるのは分かるよ? でもそんなすぐに、そんな大きなのが起きるなんておかしいわよ!」
「…………」
「もしかして、名居のクソジジイのせいなの?」
「いえ、違います」
「だったら何で!」
「…………」
「衣玖、ねえ……答えて!」
あるいは、詰め寄る天子は衣玖の表情で既に察していたのかもしれなかったし、衣玖にもその事は分かっていた。
けれど、だからこそ、答えなければいけないこともある。
「……貴女の所為です、天子様」
「…………」
とす、と半ば予想していたはずの答えに、天子の両膝が落ちた。
「ご存知ないかもしれませんが、元々幻想郷はしばらくの間、大きな地震に見舞われていませんでした。その為、周囲の地中に蓄積された歪み、エネルギーはかなりのレベルに達しています」
手元にアンチョコでもあるのではないか、そう疑いたくなるほど、澱みなく説明を続ける衣玖。
「そこへ来て、先日の天子様のお戯れ。宏観現象である緋色の雲は、予報と観測を主とする竜宮の使い、つまり私が出るほどごくごく自然なものでした」
「…………」
「緋色の雲と地震は、必ずしも一方通行の関係とは限りません。雲が出れば地震が起き、地震が起るのであれば雲が現れます。揺れの前に出る雲は、警告であると同時に、地霊への号令でもあるのです」
「それじゃ……まさか」
「天子様が気質を萃めて作った雲は、天子様が起こす地震の前ぶれであるとともに、地中のエネルギーを励起させる知らせとなりました」
しかし、博麗神社を倒壊させたごくささやかなものを除けば、地震は結局起きなかった。
否、起こされなかった。
「一度励起された地中のエネルギーは、要石をもってしても簡単に鎮まるものではありません。いえ、むしろ発散寸前に再び抑え込まれた分、ひとたび重しが抜ければ、次に解放されるエネルギーはより活発に、凶暴になる可能性が高くなります」
「あ……う……」
「……つまり、そういうことです。総領娘様」
「あ…………」
呆と話を聞いていた天子の目はどこか虚ろだったが、天子の意識は、確かにその事実を認識していた。
「私の……せい?」
「…………ええ、はい、そうです」
「―――――――」
ぎゅう、と拳を握り、俯いて小刻みに震える天子。
…泣いているのだろうか。かすかな、本当にかすかな嗚咽を、衣玖の耳は捉えた。
「……失礼します」
耐え切れなかったのか、逃げ出すように天子の部屋を後にした。
「……やだ」
「…………」
「……やだ……いやだよ。そんなのやだよう……ぅ……っく」
「…………」
障子を通した後ろから漏れてくる声を、衣玖は聞かなかったことにした。
【其の六】
「……これでご満足ですか、比那名居様?」
「すまんな、永江の」
「そう思っておられるのなら、次からはご自分でお願いしますね」
「……言葉もない」
天子の部屋からそう離れていない廊下の突き当たり、衣玖と比那名居現当主はあたりをはばかるように声を交わしていた。
「……それにしても、本当によろしかったのですか?」
「……ん? 何がだね?」
「天子さ……いえ、総領娘様は相当に堪えていたご様子だったのですが。あれで本当に、比那名居様の思惑通りに運ぶのでしょうか」
「大丈夫だよ、多分」
「多分、ですか」
衣玖から向けられる視線に込められた非難の微粒子にさすがに気付いたのか、比那名居当主は苦笑して付け加える。
「ははは……心配は無用だよ、永江の。これしきで参る子なら、私たちもこんなに苦労していないさ」
「そう、でしょうか」
「大丈夫だよ。何しろ、私たちの娘だから」
「はあ……」
今ひとつ釈然としないものを感じた衣玖だったが、これ以上会話を続けても得るものは少ないと思ったのか、会釈して踵を返す。
「? どこへ、永江の」
「下に降ります。といっても、雲海までですが」
「雲海……まさか」
「そのまさかです。こういった人為の兆候さえ感じ取るのですから、自然とは恐ろしいものですね」
「緋色の雲……」
僅かに頷くだけで衣玖はそれを肯定した。
「現在の濃度は基準のおよそ15倍、過去にほとんど例のないほどの急速な発生です。こちらの都合にわざわざ合わせて出てくれるなんて、ありがたくて泣けてきます」
「……このまま行けば、幻想郷は大惨事か」
「比那名居様」
「む?」
見れば、いつの間にか振り返った衣玖が、人差し指だけをぴんと立てている。
「お信じになるのでしょう? 総領娘様を」
「そう、だったな」
「……私も」
「うん?」
「私も信じます。私の、これから三日ほどの仕事が無駄となるように」
「それは、奇特な信心だな、永江の」
「……そうかもしれませんね」
苦笑と微笑の混ざった、いささか複雑な笑みを浮かべて衣玖はそう言った。
「私も最近になって気付きました。こと私たち竜宮の使いに関して言うなら、この仕事が無駄に、何事もなく終わってくれるのが一番だと」
「違いない」
比那名居当主もまた似たような笑みを返すと、衣玖は今度こそ飛び立ち、屋敷からやや高度を取ってからはるか下の雲海へと姿を消した。
【其の七】
「ん……んぅ?」
天子がまどろみの沼から意識を釣り上げると、既に外は暗く、およそ天気の存在しない天界の数少ない変化である夜が帳を落としていた。
「やだな……泣き疲れて寝ちゃってたのか……」
もそりと要石クッションから身を起こす。昼間っから寝こけていたため眠気は無いが、気分は最悪もいいところだ。
「……はぁ」
沈黙に数秒と耐え切れず、最悪の気分が溜め息になって漏れる。
天界の、比那名居の屋敷に居て愉快な気分だったことは覚えている限り無いに等しいが、かといってここまで鬱々とした気分になるのも珍しい。
ほんの一週間前までの、あの何という事のない騒がしいだけの日々が妙に懐かしく思えた。
「……うー」
ぐしぐしと、眠気覚ましにかこつけて目を擦る。
と、その目が月明かりに照らされる障子の向こうの人影を捉えた。
「……母様?」
薄く、そっと障子を開ける。まだ低い月からの光に細長く照らされ庭に立つ、自分よりすこし大きい位の人影。
母、比那名居夫人がそこに居た。
青白い光源に半身をさらしながら、どこか物憂げな表情で、天子から見て右、南へじっと視線を遣っている。
逆光になっていてはっきりとは見えないが、四十路に至らずして天人に成り上がったその身は、同性である天子から見ても十分に美しかった。
「……あれ?」
が、死から逃れ、不老であるはずの母の横顔の、逆光さえ透かして見える疲れの色に、天子は僅かな疑問を持つ。
それが何であるかを考えながら母の視線を追った先に、はるか下界から立ち昇る一筋の雲。
「緋色の、雲……」
人為さえ嗅ぎ取り、あらゆるものの智の及ばぬ自然の体現が、はるか天空の水瓶を乾す龍のように、そこにあった。
闇色の夜空に、禍々しいまでの緋色。
その光景に息を飲み、強ばった天子の手が障子を押して、かたん、と鳴らした。
「天子?」
「わ……!」
反射的に障子を閉じ、背を向けて座り込む。
バクバクと急に活発になった鼓動を抑えるように胸に手を当て、深呼吸…しようとして、近付いてくる、玉砂利を踏みしめる音にまた鼓動が跳ねた。
「…………」
「…………」
音が近付いて、止んで、廊下を二歩、三歩とさらに近付いてきた気配は、そこで近付くのを終えた。
全身で、傍から見ればこっけいなほどに身構えた天子は、やがて背中に、障子越しのかすかな重みを感じた。
「……え」
ゆっくり首だけで振り返ってみると、障子戸一枚隔てて、端然と座した影がひとつ。
連れ戻されてから、いやそれ以上に、ここしばらく記憶にないほど近く、母が居た。
「……眠れないの?」
「う……うん」
短い、そのくせじれったいほどの沈黙を経て、かけられた穏やかな声に、思わず応じる。
「緋色の雲が、出ているわね。命の気質ではない、天然自然の気質が生んだ緋色の雲」
「……うん」
「私たちが、天候を操りながらも支配できない理由が、なんとなく分かる気がするわね。自然には…かなわない」
「…………」
「大地が目覚めるわ、かつてないほどに強く、荒々しく」
「…………」
「何人の命が失われるかしら。どれだけの生き物の生命が散り、大地は、どれだけその在り様を変えるのかしら」
「…………っ」
耳を塞ぎたかった。
それが、全て自分のせいだと言外に言われているようで、実際その通りだったとしても、平然と聞き流すには天子は知りすぎていた。
例えば、人里。
天界に比べ豊富なのは食ぐらい。
欲と寿命のある普通の人間が沢山いて、たまに妖怪や妖精が混じっていて、そのくせどこか楽しそうな場所。
例えば、妖怪の山。
天狗と河童と神々と、その他諸々が秩序を持って暮らす場所。
人間よりはるかに優れた社会と技術を持ちながら、けれどお祭り騒ぎとなるとこぞってただの酒飲み軍団と化す、割と楽しそうな場所。
例えば、博麗神社。
規格外の人間と、妖怪と、その他諸々の宴会場。
常に百鬼夜行のような、騒がしくも楽しい場所。
他にも、他にも。
行った事のない場所がまだある。行きたい場所も、まだたくさんある。
それが、変わる。変わってしまう。
彼女の直接の知り合いに、地震で命を落とすようなやわな連中はそう居ないだろう。
けれど、彼女らの周りは、否応なしに変わってしまう。周りが変われば、彼女たちも変わってしまう。
変えるのは天災ではない、人災だ。
比那名居天子の所為で起こる、人災だ。
そのことが、今の天子には言い様のないほどに重たかった。
「……私は」
「うん?」
「私は、どうしたらいいの……?」
「…………」
ぎゅっと、強く抱き寄せた膝に押し出されるように、そんな弱音を口にした。
以前の、幻想郷を単に眺めていただけの天子であれば、他の天人たちと同じように、そんなことは気にしなかっただろう。
だが、知ってしまったのだ。
『異変』だけが楽しいのではない。
彼女が羨んで起こした『異変』は、幻想郷の住人達にとってみればいささか騒がしい程度の、日常の一部、一握のスパイスに過ぎない。
天人たちが捨て去り、天子自身望むと望まざるとに関わらず、捨てざるを得なかった地上の日常。そのごく一部。
裏返せば、そのただの日常でさえ天子にとっては魅力的に過ぎた。
ただの宴会、ただの日々。
妖怪でも魔女でも鬼でも人間でも、適当に話をして、それなりに弾幕をする。
そんな幻想郷の日常を、今度の地震は破壊するかもしれない。
今度の地震は『異変』ではなく、限りなく人為に近い『天災』なのだから。
要するに天子は、嫌なのだ。
異変でもないただの地震で、あの楽しい地上の日常の風景が変わってしまう事が。
だから怖かった。それが自分の所為だということが、たまらなく怖いと感じた。
そして、その怖さが、常にない弱気を彼女の中に生んでいた。
「…………」
「…………」
沈黙。
障子の向こう側のそれは、かすかな驚きを含んでいたようだった。
ややあって、ふぅと溜め息を一つ挟んでから、簡潔な返答があった。
「知らないわ」
「……え」
「私は天子ではないから、何をすれば良いのか、なんて分からないし、知らないわ」
「な――」
「聞けば、求めれば、いつでも答えが与えられるとは限らないのよ。貴女が何をすれば良いのか、それは貴女の問題だもの。与えられただけの答えでは意味は無いわ」
言い切られる。
常ならぬ弱気のやったこととはいえ、すがった藁ににべもなく突き放されて、天子は絶句した。
「こうすれば良いかもね、って私が言う事も出来るけど、今の貴女じゃそれをそのままやりかねないわ。他人に言われたことをほいほいそのままやってれば、考えなくて良いから楽だもの」
「…………」
「だから、私は知らないわ」
「あっ……」
すっと、背中越しの気配が立ち上がる。
思わず振り返って見上げた目を、障子越しに見下ろされた気がした。
「それじゃあね、おやすみ」
「あ……う……」
ろくな返事も出来ぬ天子を置き去りに、足音は去っていった。
いつの間にかその方向に手を伸ばしていて、それがどこか妙に悔しくて……
「――――!!」
ばぁん、と、思いっきり障子を開け放ち、そのよく分からない衝動と勢いのままに裸足で庭に駆け出す。
頑丈とは言っても感覚自体は通常人と変わらない足の裏が、いきなりの過剰労働に痛覚で応じるが、それも無視。
「っく!! ……うぁ……!」
庭の中ほどに辿りつくや、不平たらたらの両足でめいっぱい玉砂利を踏みしめ、全身に力を込めて――
「……ぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
吠えた。叫んだ。喚いた。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
積もりに積もって、溜まりに溜まった色々なものを、吐き出すように、押し出すように、流し出すように。
「―――――ぅうああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」
長く長く、慟哭のように、儚げに、荒々しく咆哮した。
蒼色の髪を青白い月明かりに曝すその様は、全身で唸る獣にも見えて、例えばここに鴉天狗がいれば無言のままシャッターを切っただろう、そんな言い知れぬ美しさがあった。
「――――は……っ、はぁ……っ! はぁ……はぁ……!!」
何秒、何十秒、ひょっとしたら何分も何十分も、その姿勢のまま夜の色の空に浮かぶ月を見上げていたのかもしれなかった。
気付けば目尻に涙が残っていた。もしかしたら泣きながら叫んでいたのだろうか。構うもんか。
じゃりりと、再び裸足に過剰な労働を強いて砂利を踏み鳴らし、そちらを向く。
「…………」
あたかも卑小な地上の命たちを見下ろすように、或いは、全てに対して超越した眼差しを注ぐように、竜神の姿をした緋色の雲。
少し潤んで赤くなった目で、挑むように雲を見上げた。
そも、雲が何かを答えるわけでもない。けれど天子には、その雲竜がさも、己の挑戦を待っていたかのようにさえ見えた。
「……負けるもんか」
小さく強く、呟く。
それが、彼女の宣戦布告だった。
【其の八】
それからの時間は、あっという間だった。
期日が迫っていたこと、そして天子自身の意地から、取れる手段は少ない。
故に基本の戦略は、ただ一つ。
『要石を抜かせない』
それだけだった。
おそらく、自分が博麗神社再建の時に動かした天女たちも、同様に軟禁されていると考えるべきだろう。
となれば事実上、戦力は自分きりだ。
引き揚げにどれだけの人数が動くのかは分からないが、名居守とはいえ天人のすること、面倒な儀礼役の天人と護衛役の仙人或いは天人が数人ずつの構成になる可能性が高かった。
その場合、正面切ってやりあうとして、自分の身ひとつでは不安が大きい。
『やっぱ、剣が要るなぁ』
緋想の剣。
天人にしか扱えない、相手の弱点を必ず突く剣。
他のことについてはよく知らないが、それでも通常装備程度の天人や仙人相手なら百人力といって差し支えない。
取り上げられたとはいえ、アレが比那名居家から別に移されているとは考えにくかった。
『……あった』
果たして、剣は懲りもせず蔵の同じ場所に置かれていた。だが、持ち出せば当然自分の仕業とバレてしまう。
要石引き揚げの期日まで間がある内に持ち出すのは危険が大きいと判断して、そっと自分の部屋に戻った。
移動には大昔に探検してそれっきりだった屋根裏と床下のルートを活用する。基本的に部屋に閉じこもってると見せかけて、その実屋敷のほぼ全域は自分のテリトリーだ。
命令で警戒に当たってる程度の名居のクソジジイの連中に負けるものか。
『あとは……っと』
ついでに、こちらは持ち出しても目立たないと判断して取ってきた書を広げる。
勉強嫌いの自分がろくすっぽ見ようともしなかったそれらの書は、比那名居家の役目、つまり要石関連のことが書き記されたものだった。
衣玖から聞かされて初めて気が付いたように、要石や地震について、勉強させられたけど忘れたか、そもそも知らない事がまだある可能性があった。
『要石を抜かせないだけじゃ、何も変わんない』
一度撃退すれば、しばらくは大人しくなるだろう。
だが、何度も何度も要石を狙う天人とやり合うのは天子としても面倒だし、腹が立つ。
何らかの理由をつけて、要石の引き揚げを諦めさせる事が出来ないか。天子が考えたのは、その方法を探ることだった。
「何度も何度も衣玖を地震警戒警報に働かせちゃうのもかわいそうだしねー」
冗談めかしてひとりごちる。
その衣玖は、あれ以来顔を見せない。おそらく、あの緋色の雲を観測し、地上で警戒を呼びかけているのだろう。
「……衣玖、か」
竜宮の使い、永江衣玖。
自分が起こしたあの騒ぎの以前にも、何度か天界で顔を合わせたりしていたのかもしれない。
普段は彼女も天界に住んでいるし、自分は良かれ悪しかれ天界では昔から有名だ。どこかで面識をもった可能性はあるだろう。
……だが。
あれ以来、ただの不良天人と竜宮の使いだった二人は、何かと関わり合いを持つようになった。
好き勝手気侭に振舞う自分と、暢気な割りにどこか面倒見の良い衣玖。
怒らせてしまうことも多いけれど、何だかんだで仲が悪いわけではない、と思う。
この関係を何と言うべきなのか、時々考える事がある。
天界のご近所さん、ある種の腐れ縁、それとも……友達?
「…………」
友達、というものが、天子には良く分からなかった。
何せ比那名居家のひとり娘である。天人になる前はそれこそ箱入りだったし、なってからは年の近い――外見的な意味で――相手は天女たちの中にも居たが、天人にはいなかった。
ひとり高い地位にいることが奔放と自分勝手を助長するとすれば、天子は紛れもなくそうだった。
衣玖も無論、そうではない。
竜宮の使いは天界に住むとはいえ妖怪に過ぎない。天子と対等ではないのだ。
「……けど」
と思う。
友が対等を前提条件とするなら、幻想郷の、あの光景は何なのだろうか。
妖怪、天狗、河童、神、人間、魔女、吸血鬼、鬼、幽霊……あれらが一同に会し、共に酒を呑み、騒ぐ、あれは何なのだろう。
「~~~~~~、いけないいけない」
頭を乱暴に振って思考を中断する。今はそれを考える余裕はない。
「? あれ……」
そんな時、ふと適当に繰った書の文字が目に入る。
「……これ?」
二日目の夜が、更けようとしていた。
【其の九】
「…………」
ひょこ、と廊下の天井裏から天子の頭がさかさまに突き出る。
落ちないように帽子を片手で押さえながら、慎重に周囲を見回す。
「……よーし」
一度引っ込んでから姿勢を変え、足から廊下に音も無く着地するや近付いてくる足音に気付くと、今度は素早く床板を外してその下へと潜る。
およそ十秒後、頭の上を誰かが通り過ぎていったことを確認すると、音と気配を殺しながら床下での移動を開始。
「次は……こっちか」
そこらの柱や基礎に書きつけられている矢印や記号を見ながら方向を確認。
どれもこれもかなり古びていて、中には掠れてほとんど判別できなくなっているものまであるが、周囲のもので補完して情報をフォロー。
「まっさか、これ書いた時はこんな事に使うなんて思わなかったなぁ」
天人になり上がり天界に住むようになってすぐの頃、まだ天界というものに物珍しさを感じていたかつての自分の遺産だ。
家人の誰も知りようがないだろうが、比那名居屋敷の天井裏と床下と壁の隙間は、天子専用の隠し通路のオンパレードと化している。
「……っととと」
気配を感じて一旦移動を中止。
おそらく名居守の部下らしい、軽装ながられっきとした武装をよろった、二人組みの天人だか仙人だかがすぐ上の廊下を歩いていく。
「……いよいよ今日だな」
「ああ、ようやくオツトメも終りってわけだ。酒が恋しいね」
「しかし大丈夫なのかな、総領娘様は。今日だってのは知ってるんだろう?」
「大丈夫なんじゃないのかね。三日前のアレからとんと大人しいし、箱入りだから不貞腐れてるだけだろうよ」
「かねぇ……」
「……なわけないでしょ、ぶぁーか」
近付いて遠ざかる話し声に、音声未満の呟きで悪態をひとつ叩いてから移動再開。
いくらも行かない内に目的地が見えてきた。
「第一段階最終関門にとうちゃーくっと」
言うまでもなく、緋想の剣が収められた蔵である。
蔵というだけあり、屋敷の棟からはやや離れたところに位置するため、これまでの床下だの天井裏だのの手は通じない。
「……右よーし」
見回りらしい天人が向こう側の建物の影に入るのを慎重に見送る。
「……左よーし」
人影なし。
人数の関係で、屋敷周辺の見回りに穴があるのはこの二日間でしっかり確認させてもらった。
「……上よーし」
未確認飛行人も物体もなし。
遮蔽物に乏しく見通しの良い蔵の周囲は、特に空からの索敵に対して脆弱だ。念には念を入れて二度、三度と確認する。
「いざ……ごぅっ」
小さく気合を入れて蔵に駆け寄る。
正面の扉は鍵がかかっていて突破に時間がかかるため、狙うは明り取り用の窓の向かって右の手前から四番目。
先だって自分が緋想の剣を持ち出すときに鍵を壊したのがそのままになっているのだ。
真下からぴょんこと飛び上がって縁を掴むや、可能な限り静粛に迅速に窓を開け、周りも見ずに小柄な体を押し込み後ろ手で窓を閉めて着地。
ここまで来ると両手を広げてポーズをとる余裕さえあった。10点満点。
「みっしょんこんぷりーとー」
小さいが誇らしげな宣言。
しばらくそのまま耳を澄ませてみるが、外から特にこれといって声は聞こえてこない。見つからずに侵入できたようだった。
「ちょろいわねー、さてさて、剣をっと」
ここで剣を取ったら警報が、などということもない。
安置用の台座に置かれているだけの緋想の剣をひょいと取り、適当に素振りをしてみる。うん、本物だ。多分。
「ぃよし、それじゃ早速――」
「早速……なんだね、天子?」
「な……!?」
【其の十】
予想してなかったわけではない。
蔵がガチガチに固められてるとか、伏兵とか、天子もそれらの可能性を考えなかったわけではない。
だからといって、まさか父が、比那名居当主が自らその役を買って出るなんて展開はさすがに想定外だった。
「やっぱり、待ち伏せされてたか」
「当然だろう」
「……ふん」
「お前には到底及ばんが、私だって気配くらい消せるさ」
蔵の天井近くまで積まれた葛篭の塔の影から、腕組みをした父が姿を現した。
「……どいて」
「緋想の剣をどうするつもりだ、天子」
「分かりきってるくせに」
「今度は軟禁程度では済まんかも知れんぞ。下手をすれば仙人、いや通常人への強制降格もあり得る」
「……知るもんか、そんなこと」
「そうなっても構わないと?」
「違う」
懐から、ついでに返して行くつもりだった書を取り出す。
それが何であるか察したらしい父の目が少し細くなった。
「それは……」
「要石の解説書と取説ってとこかな、色々と勉強になったわ」
「…………」
「要石は引き上げさせないし、私だっておいそれと堕ちてやるつもりもない。どっちもなんとかする」
「ほう……なんとか、とは?」
「地鎮祭による地霊力の昇華と、禊による要石を通じた地中の歪みの解消と発散」
「…………」
「天人や仙人は、修行を怠ったりすると神通力を失う。要石は要石で、ただ地面に刺さってるだけじゃ、地中の歪みを抑える以上の事はできない」
長いようで短い二日余りの間、書と首っ丈で考えたことだった。多分、生涯で一番真剣に考えた時間だっただろう。
「だから私が要石を管理する。地鎮祭をやって荒ぶる地霊を沈め地中の気を昇華して、要石をミソいで歪みを取る。これで両方解決する」
「……本気かね」
「本気よ。ちょー本気」
「天人は天界に居るものだ。地上で要石の管理をするなど、本分と外れる」
「何が本分よ。天人が地上で要石の管理をやっちゃいけない、なんて何処にも書いてないし、誰も言っちゃいない。それに私は不良天人。今更どうこう言われたって痛くも痒くもない」
「……ふむ」
「要石を通じて地鎮を行い、要石を通じて歪みを取り除けば、抜かれても地震が起きることもなくなる。これで万事が万事に万々歳よ」
ヒュン、と緋想の剣の切っ先を父に向ける。生まれて初めてのことだ。
「分かったらどいて。でないと無理矢理押し通るわよ!」
「…………」
天子の背筋をいやな汗が伝っていく。
こんなのでも親は親だ。出来れば手荒な真似なんてしたくはないが、時間もある。あまり露骨に時間を稼ぐようであれば、やらざるを得ない。
そんな彼女の心中を知ってか知らずか、顎に手を当て、父は何事か考え込んでいる様子だった。
一歩踏み出して、もう一度押す。
「……どいて」
「天子」
「……なによ」
「なぜ、そこまでこだわる?」
「……は?」
「どうして、そこまで地上にこだわる? 我ら天人は、天界で穏やかに暮らしておれば良い。地上がどうなろうが、それが誰のせいだろうが、気にせぬのが天人だろう?」
「…………」
「違うか?」
確かに、父の言い分はもっともだった。
天人は天界で暢気に、気ままに不老の正を楽しみ、たまに気まぐれで地上に降りては傍迷惑な忠言を一方的にくれてやる以外に、地上と関わりを持つことはない。
だが……
「……違う」
「ふむ?」
「私は、ただ私のやったことの後始末をしに行くだけよ。それに……」
「それに?」
「私がそうするのは、これからも私が楽しみたいから。地上で楽しく遊びたいから。ただ、それだけ」
「…………」
「ほら、自分勝手で暢気な天人らしい理由でしょ? 私は自分がそうしたいから行くの。だから……」
「…………」
少し引きつりながら、精一杯暢気な笑顔をつくって、あらためて緋想の剣を突きつけながら言った。
「さあ、どいて! でないと――」
「……わかった。行くと良い」
「でないと……へ?」
出し抜けに、父が笑った。苦笑の成分をいくらか含みながらも、どこか嬉しそうに。
「どうした? 行くのだろう。ならば行けば良い」
「え……あれ?」
拍子抜けしたように、緋想の剣を上げていた腕が降りる。
「……いい、の?」
「行けば良い、と言っただろう?」
今度は困ったように、また笑う父。
「お前がそこまで考えて出した結論なら、止める理由もない。自分の好きなようにやってみなさい、天子」
「……あ、う、うん」
「鍵は開いている。窓から、なんて真似はお前に似合ってるが、できれば程ほどにしておいてくれるとありがたいな」
「ん…………」
どこか釈然としないものを抱えながら、父の傍を通り過ぎ、扉に手をかけたところで、天子が止まった。
開けようと手を伸ばして、引っ込めて、さらに少し考えてから振り返る。
「どうした?」
「……ねえ、何で? どうして止めないの?」
「ふむ……」
「ついこの間まで、あんなに五月蝿く言ってたじゃない。天人らしくしろーって……ねえ、どうして?」
「……天子、お前は天人を、どう思う?」
「は? え、っと……?」
不意の問いかけに固まる。
「えー、っと……天界に住む連中で、修行の果てになった割にはなんかぼんやりしてて、正直生きてて楽しいのかなーって、思うけど……?」
「そうだな。同感だ」
「へ?」
「天人は本来、人間から仙人、そして天人と、長い修行を経てなるものだ。天人になるまでに、人間としても仙人としても、長い時間を生きている」
「……うん」
「だが私たち、名居様と共に天人に成り上がった者たちは違う。仙人としての時間が無かったばかりでなく、天人になるという前提で人間としての時間を生きたこともほとんどなかった。まあ、その結果が不良天人呼ばわりだったわけだがな」
「……そう、だね」
不良天人。それは何も天子だけの呼ばれ方ではなく、比那名居の一族全体が、程度の差こそあれそう呼ばれていた。
「それでも、私たちは何とか天人らしくあろうとした。他の、生粋の天人たちを真似て、見習って、不良呼ばわりをなんとかしようと必死になった」
「…………」
「思えば、誰も彼もが浮かれていたのだな。修行も何もなく、いきなりに天人になれたことに。不良呼ばわりされても、いちおう天人には違いないのだから」
「……うん」
「そして、一番幼かったお前が、天人になってしまうことでどうなるのか……。そのことを考える者は、誰も居なかった。私やあれを含めて」
「……へ、わ、私?」
「ああ……」
父の顔から笑みが消え、目を伏せる。
そして、その面差しに先夜の母と同じ微妙な疲れの色があるのを、天子も見た。
「天人は、長い修行の果てになるものだ。欲を捨てるために長い時をかける。いきなり天人になった我々大人たちが、天人らしくあろう、とこれだけ苦労しているのだ。本来天人になる過程で、自覚し、認め、その上で捨てなければならない『欲』を良く知りもしない子供のまま、お前はいきなり天人になった。……なってしまった」
「…………」
「きっと、お前が一番辛かったのだろうな。欲を捨てろと言われて、知りもしないのに捨てられるわけもない。お前は、人間としてそれを十分知る前に、天人になったのだから」
「あ………」
「ははは……私は、父親失格だろうな。こんな、こんな簡単なことに気付くのに、随分と長い時間をかけてしまった。すまない」
「――――っ」
何を今更と、言おうとした。言いたかった。きっと、この胸の内のもやもやしたものがなければ言っていたに違いない。
けれど結局言わずに、言えずに、天子は背を向けて、緋想の剣の柄を、両手でぎゅっと握り締めた。
「だから天子、お前は自分の決めたことを、自分の好きなようにやればいい。さっき自分で言ったように、やればいい」
「…………うん」
「おっと、つい話し込んでしまったな……すまん」
「大丈夫。時間は、まだ少しあるから」
「ああ、だが急ぐといい」
「うん」
今度こそ扉に手をかけ、ゆっくりと押し開く。薄暗かった蔵に外光が差し込んで不意に明るくなった。
逆光の向こうに進む娘を目を細めて見ながら、比那名居当主は声をかける。
「たまには、顔を見せに来なさい。お前が何処に行こうと、何者になろうと、ここはお前の家なのだから」
「ねえ……大丈夫?」
「ああ、心配ない心配ない。こう見えても、お前の父さんは仕事と言い訳は一人前以上だからな」
「うん……ありがと、父様」
そして、彼女は飛び立った。
「……父様、か。ははは、いつ以来だろうなぁ、そう呼ばれたのは。おっと!」
頬を緩め、顎を撫でる。
やがて遠くで複数の叫び声があってから、一つ大きな振動が蔵だけでなく屋敷全体を揺らし、比那名居当主は崩れてくる葛篭や棚から慌てて身をかわして蔵の外へと出た。
その姿を見て、近くにいた警護役が駆け寄ってくる。
「あ! 比那名居様! 総領娘様が!!」
「ん? ああ、そうだろうね」
「は……あ!? くっ、蔵が!? 比那名居様、何をなさっておいでだったのです!?」
「いやいや、緋想の剣を持ち逃げされてしまったよ。我が娘ながら、とんだお転婆だなぁ」
「何を暢気な……」
「ああいや、悪かったね。名居様には私のほうで話をしておくから」
「しかし!」
「頼むよ。……父親として、行かせてやりたいんだ」
「は、はあ……」
目を細めて蒼天を見上げ、ゆっくりと顎を撫でる。
最後に見た、逆光の中の娘は、ずいぶんと頼もしく、また美しくなったように感じたが、多分に贔屓目が入っていることを自覚しながら、父親はそれを修正しようとは思わなかった。
と、不意に後ろに慣れ親しんだ気配を感じる。
「ああ、遅かったね。あの子は行ってしまったよ?」
「知っています」
長年。本当に長年連れ添った妻が、そこに居た。簡潔な返答にやや渋い顔になる。
「何だ。知っていたのなら見送りにでも来れば良かったものを……」
「ちゃんと廊下から見送りましたよ。背中を」
「ふむ……」
「それに、言いたいことは大体あなたが言って下さったようですから」
「ふむ……ん、おい?」
「まったく、なにが『仕事と言い訳は一人前以上』ですか。そんな口は、たくらみごとが顔に出ないようになってから仰って下さいな。あんな猿芝居で謀れるのはあの子くらいのものですよ」
「……言葉もない」
「まったくです」
にべもなく言い放たれて、夫は顎と頭を同時に撫でて、思わず身構え連れ合いをぎょっと見た。
「……いやちょっと待て。まさか全部見てたんじゃあ、ないだろうな?」
「まさか。そんな出歯亀みたいなことしませんよ、みっともない」
「それじゃ何で……」
「貴方の言いそうなことくらい、大体お見通しです。それに顔に出てたのはここのところずっとでしたから」
「む、う……言葉もない」
「まったくです」
小さく、しかし心底おかしそうに笑われる。
立つ瀬が無いから座る、というわけにもいかず、ごまかすように頭に手をやった。
「しかしまあ、何だな……あの子はますます君に似てきたなぁ」
「そりゃあ母と娘ですから、当たり前です。何を今更」
「う……む……」
「ほらほら、名居様の所に言い訳に行かれるんでしょう? さっさと行ってらしたらどうですか、一流の言い訳とやらを言いに」
「……今日は、いつになく手厳しいね」
「当然です。気付くのが遅すぎるんですよ、貴方は。感謝して下さいね? 私が一緒に見送っていたら、父親の面目は跡形も無くなってたんですから」
「いや……本当に、言葉もない」
「だったら無駄口叩いてないで、さっさといってらっしゃいな」
「……ぐすん」
両肩をプレッシャーと情けなさでガタ落ちさせながら立ち去る夫の背中を見送る、ことはせず、比那名居夫人は娘が降りていった雲海へと目を向けた。
「しっかりね」
天界も幻想郷の内か、主権は変わらず女性の下にあるようだった。
【其の十一】
突入の瞬間から、雲とは思えないほど粘つく大気が天子に纏わりついてきた。
「! もうこんなに濃い……!?」
雲の色を認識する余裕は最初の内だけで、多少でも雲海に入り込めば中は視界が悪く、暗い。
「濃度……75!? あ、76に上がった!」
緋想の剣の柄にひっつけたカウンターが雲の濃度を感知して急上昇する。
自分から雲の中に突っ込んだため、自然のシャワーを浴びた服は水分を吸って重く、お世辞にも着心地が良いとは言えない。
「ったくもう! 衣玖はよくもまあこんな所で過ごして平気よね!」
悪態を吐きながら重力の方向へと降下を続ける。視界は悪いが、方向を失念する心配がないのはありがたかったが。
「蒸しあっつー」
ほとんどずぶ濡れだから当然ではあるが、言わずにはおれず、手で襟元を広げて空気を送り込むも、周り中の空気が雲なので意味はなかった。まあ、これ以上は気分の問題だろう。
「んー……わぁ!?」
どどんと、轟音と共に至近を暴力的な光が横切って行った。
いきなりに驚いたとはいえ、天子の顔には、むしろ予想通りとでも言うべき苦笑が浮かぶ。
「やっぱ、来るよねぇ」
当然と言えば当然だ。何しろここは緋色の雲の海、すなわち彼女の仕事場。
「……おや? 天狗ではない、河童でもない、幽霊でも人間でもない……」
雲海の中でも目立つひらひらをなびかせながら、彼女のシルエットが天子の視界に現れた。
雷鳴轟く雲海で、しかし彼女の声だけはよく通る。
「……天人だなんて」
「やほ、衣玖」
ひときわ大きな稲光に照らされ、互いを互いと確認しあう。
「ご無沙汰してます。総領娘様」
「あれ、そんなに会ってなかったっけ?」
「ええ、ここしばらく毎日のように会っていたことを思えば、たった三日が嘘のように長く感じました」
「ふふふー、待ち遠しかった?」
「そうですねぇ……」
「えー、そこは『寂しかったです』とか即答してくれないとー」
じゃれあう様な会話を交わす間にも、互いの距離は一定から動かない。
「正直、私も随分と毒されてしまっているようで……」
「お?」
「このところというもの、総領娘様の監視に雲の観測と地震の警告、確かにいささか退屈してしまっているのも事実なんですよね……」
「ほうほう?」
「ですので、このまま穏便にお帰り願いたいのですが」
案の定だった。
「先に進ませてくれる、ってわけにはいかない?」
「残念ながら……私も普段から名居様にはそれなりにお世話になっていますので、あまりあの方からのご依頼を無下にするわけにもいきませんし」
「クソジジイの差し金かぁ……それじゃあ仕方ないのかなー」
「ええ、仕方ないのでお帰りください、天界に」
「……参考までに聞いときたいんだけど」
「はい?」
のっしと、宙に浮かぶ要石の上であぐらを組んで衣玖と視線を合わせた。
「帰らない場合でも、穏便に止めてくれちゃったり……する?」
「……残念ですが」
「あー、やっぱり?」
「私も暢気が性分の筈なのですが、ここの処どうも退屈に飽きが来るのが早くなってしまって……」
ふわりと羽衣をひと撫でするや、無数の紫電が剣呑に瞬いて散る。
「少し帯電量が多くなってますから、穏便のオプションは難しいですね」
「それはほんとーに残念。……それじゃ、手荒にやっちゃうしかないね!」
「本当に残念です。龍宮の使いは、忠告を無視されるのがいささか嫌いでして」
どちらからともなく、弾かれた様にいっそうの距離を取り、身構えた。
「そこのけそこのけ天人が通るよ! ひらひらの地震予報!」
「通行証の無い方は、たとえ不良天人でもお帰り願います!」
電光と要石ミサイルとレーザーが、水蒸気で飽和した大気を更に撹拌した。
【其の十二】
(……ああは言ったもののー)
開始から二分を待たずに、天子は心中で愚痴をこぼした。
(この雲海で衣玖と空中戦って……実はものすっごい危ないんじゃないかなー)
以前、例の騒動の最中に一度博麗神社(倒壊中)でやり合った事があったものの、今度は衣玖の、言ってみればホームグラウンドだ。
他の連中はいざ知らず、衣玖の能力を勘定に入れるとこの雲海は危険すぎた。
「……ってうわ!」
出し抜けに真横の雲から飛び出してきた一条の雷光を、咄嗟にMサイズ要石で受け止めた。
威力自体はさほどでもないらしく、着弾と同時に雷光そのものは霧散するが、微妙にいやな感じの痺れが辺りの空気に残る。
「ひゅー……あっぶな」
「あら、気付かれちゃいましたか」
「……む」
暢気にほざいたのは龍宮の使い。
正直、あちこちで自然の放電が確認出来るために、どれがそうで、どれが衣玖の放った弾幕なのかを識別しきれない。
接近戦になれば緋想の剣が無二の威力を発揮するはずだが、視界の悪い雲海の中では距離感が掴み辛く、おまけにさっきのように死角からの遊泳弾がそこかしこで手ぐすね引いて待っているため、迂闊に動けない。
どうも先だっての騒動以来自前の弾幕に改良を施しているらしく、あらかじめばら撒いた雷球をキーとして遊泳弾をどこからでも発射出来る様子。
「……じれったいなぁ」
「私も結構焦れてましたので、おあいこです」
「むー!」
無論。天子の方も攻撃をしていないわけではないのだが、弾幕戦においての彼女の主力たる要石ミサイルにしてもレーザーにしても、基本軌道が直線のために、数を撃ったところでこうも距離があっては衣玖を満足に捉えられていない。
単純なパワーだけなら天子の方が一回り二回りと上をいくが、あいにく天子は弾幕をパワーと豪語出来るだけの弾幕戦の研鑽に乏しく、また押し切るには相手の能力との相性が絶望的に悪かった。
『空気を読む程度の能力』
衣玖の能力、その厄介きわまる『読み』が常に天子の行動を制約していた。
右に避けようと飛べば三手前に撒かれた雷球が出足を止め、左から突っ込もうとすれば脇の雲から屈折した遊泳弾が顔を見せる。
といって馬鹿正直に正面から突っ込めば、単純な近接攻撃力だけなら緋想の剣と五分に張り合えるアレ、恐怖のはごろもドリルが待ち受けていてそれどころではない。
柄にもなく慎重にやり合っているため、天子にも致命的な被弾はないが、そうこうしている内にも時間は過ぎる。
天子の攻撃が決定打を欠き、かつ読みにより的確な回避運動を取る衣玖は、時間稼ぎ役としてうってつけだった。
(濃度……82!? ちょっと、増えるの早すぎっ!!)
ちらと剣の柄のカウンターに目をやってぎょっとする。
交戦開始からものの数分、緋色の雲の濃度上昇は止まる気配を見せない。
「ってわぁ!?」
驚く間もなく、すぐ傍を衣玖の撃った雷が数条まとめて走り抜けて行った。大気と髪が炙られる音が耳朶を打つ。
「危ないですよ総領娘様、余所見なんてしてちゃ」
「あ、危ないのは衣玖の方じゃない!?」
「ああすみません。なにぶん、穏便オプションが品切れなものですから」
「えいこのくそっ!!」
――霊想「大地を鎮める石」――
やけくそ気味にスペルを投入。宣言と同時に周囲の雲海からぼこぼこぼことLLサイズの要石が飛び出し、たちまちふたりの視界を遮る。
(これで……衣玖が私を見失ってる内に接近する!)
天子もけっして速さが自慢というわけでもないが、衣玖に比べればまだしも速い。要石に身を隠しながら行けば接近出来るはずだった。
「……なるほど、少しは知恵が付いてきたようで」
「ふん、言ってなさい! 今たたっ斬ってあげるんだから!」
「では、私も失礼しまして」
「……へ?」
「宣言」
――雷劇「光の嵐遊泳弾」――
「……えいやっと」
「なぁっ!?」
気の抜けたかけ声と裏腹に、多数展開した要石を正確に照準した雷光が一条、瞬く間に連続して撃ち抜き、粉砕した。
幸い全ての要石を連続攻撃するまでは至らなかったようだが、一瞬の内に行われた衣玖らしからぬ猛攻に天子の驚きも大きい。
要石の後ろに隠れたままで苦情を申し立てた。
「……ふむ、ちょっと要石が多過ぎますか。やっぱり一度のロックオンの上限が十六では、少々照準を追い切れないかもしれませんね」
「な、衣玖ちょっと! 何よソレ!?」
「いえ、先日所用で山の神社の方へ行きました時に、インスピレーションを少々」
「何のよっ!?」
「大地を鎮める石」は自動で要石を多数展開・再生する特徴を持つが、もう一回でも今のを撃たれれば数的に見て再生が追いつかなくなるのは明らかだ。
あれだけ威力のある射撃はいくら衣玖と言えどそうすぐに再発射出来るモノでもないだろうから、まだ猶予はあると――
「ロックオン」
「え、ウソマジっ!」
「残念ながらマジです。この雲海では私の力は無尽蔵に近いもので」
「それチートって言わない!?」
「地形効果というやつです。なので発射」
「えぇいもおっ!!」
今しがたまで天子が盾にしていたものを含め、残存するほとんどの要石を照準したらしい衣玖の雷撃が飛ぶ。
視界の大半を駆け巡る赤紫色の光の波濤に占領されながら、天子の目はしっかと衣玖を捕捉し、彼女めがけて一直線に飛び込んだ。
「!」
「えぇぇぇぇぇいっ!!」
天子本人はレーザーのロックから外れているために比較的安全に飛び込む事が出来たのに対し、衣玖は斉射直後で迎撃姿勢が間に合わない。
「もらったぁぁぁぁぁぁ!!」
「…………」
眼前に迫る天子を見上げながら、しかし、衣玖は微笑を絶やさなかった。
めいっぱい振り上げた緋想の剣をめいっぱい衣玖に叩きつけようとして――
めいっぱいスカった。
「…………は?」
「……ふぅ」
呆然とする天子の目の前でひと息ついた衣玖が片手を上にかざすと、一条の遊泳弾がびびびと緋想の剣をぶら下げ彼女の手元に帰参した。
「あ……え!?」
慌てて自分の手を見る天子だが、当然そこには緋想の剣はなく、衣玖の手にある。
「どう……して?」
「インスピレーションで」
「ごめん、もうちょっと説明」
「……遊泳弾のバリエーションです。発射後に待機、解除で射出し、対象物を捕獲できます。他の用途としては、ぶら下がり健康法等に使えなくもないですか」
「…………」
「すみません。ただこうでもしないと、総領娘様は説得に応じて下さらないだろう、と思いまして」
困ったように言う衣玖。
確かに、緋想の剣がなければ、今の所スペルカードのほとんどが緋想の剣頼みの天子の戦闘力は大きく制限される。
「……説得って」
「天界にお帰り下さい」
「…………」
「どの道、緋想の剣なしでは幻想郷に降りたところで、要石回収の天人たちをどうすることもできないでしょう?」
「それは……」
「お帰り下さい。要石があろうがなかろうが、いずれ地震は起きます。その強さと大きさが、多少違う程度でしかありません」
「! そんなことないっ!!」
「!?」
要石に乗って急発進する天子。緋想の剣を庇いながら衣玖は辛うじて避け、慌てて呼びかける。
「総領娘様!」
「緋想の剣なんて無くたって……私ひとりでも何とかする!」
「総領娘様……」
「ごめん衣玖。でも、私行くから!」
「! お待ち下さい!」
「あっ!?」
さらに降下しようとした天子の手足を、周囲の雲海から飛び出した遊泳弾が捉えた。
先に緋想の剣を奪ったのと同じものらしく、四本の雷がロープの様に天子の四肢を固定する。
「は……離してよ! はーなーせー!!」
「……そういうわけにもいきません」
「何でよ、行かせてよ!」
「…………」
「衣玖っ!!」
目を伏せて少しの間沈黙していた衣玖は、ややあってから天子の視線と正面で向き合った。
「……なぜ、そこまでこだわるのですか?」
「なんでって……」
「地上で起こる地震は、本来天界とは関わりのない事です。確かに要石を抜くことで起こる地震に総領娘様の責任がないとは言えませんが、これ以上の地上への干渉は天界に住む者としての有り様に合いません」
「そりゃ……そうだけど」
「ならばご理解下さい。要石を抜けば地震は起きますが、それで終わりです。これ以上地上と無闇に関わる事は、総領娘様のためにもならないことです」
「…………」
衣玖の説得が、ほぼ純粋に心配してのものらしいことは、天子にも分かるつもりだった。
地上の地震で人間がどれだけ命を落とそうが、どれほど地上が様変わりしようが、それらはあくまで地上のことであり、天界の住人に関わりのあることではない。
そんなの知ったこっちゃない、と、天人の多くは言うだろうし、実際ほんの数ヶ月前の天子でも、そう答えたに違いなかった。
……数ヶ月前なら。
「ごめん。衣玖」
「…………」
「やっぱり行くよ、私。行かせて、お願い」
「理由を、聞かせていただいても良いですか」
「……私が、そうしたいから」
単純な、けれど本心だ。
父が、比那名居総領が言ったではないか、好きなように生きてみろと。
自分は不良天人。他の連中からもそう言われ、自分でもそうだという自覚がなくも無い。
それでいいじゃないか、不良なら不良らしく、人間のような天人で居ても。
「地上の方が天界よりずっと楽しいしさ。そういう楽しい地上が、自分のせいで起きる地震でめちゃめちゃになるかもしれないって、やっぱり気分悪いもの」
死んだように生きる天人たちばかりだったから、そうではない命のあり様で溢れた地上は、眩し過ぎた。
「最初はさ、ただ羨ましかっただけだったんだよ。だけど、今は違う」
「…………」
天界で過ごす退屈な日々。見下ろした地上の、騒がしくも楽しい日々。
だから天子は異変を起こした。それは、他人が遊んでいた玩具をねだるようなものだったかもしれない。
けれど、弾幕と異変という玩具は、それだけがあっても楽しくない。
相手が要るのだ。それもとびっきりの楽しい相手が。
「地震も起きて貰っちゃ困るから、私がなんとかする」
かつて、比那名居の要石は地震を抑え切れなかったという。
それがどうしてだったのかは判らないが、今度もそうなるとは限らないではないか。
「私は、私が受け取るはずだった人間の時間を、過ごしに行くんだ」
不良天人と呼びたきゃ呼べ。
仙人に落とすなり、人間に落とすなり好きにすればいい。
私は比那名居天子として、天人でも仙人でも人間でも関係ない、ひとりの少女として好きに生きる。
「だから……いかせて、衣玖」
「……はぁ。本当に困った方です。天子様は」
「……あ」
ぱちんと、弾けるようにして天子の四肢を拘束していた遊泳弾が消滅する。
「それから、これもどうぞ」
「……いいの?」
差し出されたのは緋想の剣。
「私が持っていても、大して意味はありませんし」
「でも、名居のクソジジイには……」
「確かに、名居様にはそれなりにお世話になってます。けどまあ、そのそれなり分の義理は、果たしたと思いますから」
「衣玖……」
すまして笑う龍宮の使いは、不意に、方角も定かでない雲海を見渡し、表情に厳しさを戻す。
「濃度がまた上がりましたね……天子様、行かれるのなら急いだ方が」
「うん。……ねえ、衣玖」
「はい?」
「あ……ありがと」
「……ふふ」
「そ、それじゃ私、行くから! またね!」
「はい、それでは、また」
急速に降下していく天子を見送りながら、微笑んだ衣玖はもう一度雲海を見渡す。
「……またね、ですか。変わられましたね、天子様」
以前の天子は、不良呼ばわりされながら、天人という自分の立場にこだわり、それを振りかざす。ありていに言えば嫌な相手だった。
今の天子は、どうだろう。
「少なくとも、私は嫌いじゃありませんけどね、ふふ」
きっと今回も、自分の仕事は無駄に終わるだろう。
それを確信しながら、衣玖は羽衣を風に揺らし、雲海を見つめていた。
【其の十三】
「……見えた!」
雲海を抜けて数分。
地上は幻想郷上空で、天子は博麗神社の姿を確認した。
遠目には、二度の倒壊と再建を経て、再び訪れた平穏な日々に沈んでいるかに見える。
「静か過ぎる……まさか、もう!?」
争いの気配は微塵も感じられない。もしや要石は抜かれた後か。
「えぇい!」
速度を上げ、一気に境内上空まで到着。急降下。
例によって着地は要石任せに地面を穿ち、飛び降りるや用意しておいた啖呵をぶち上げた。
「出ッて来いクソジジイの手下どもー!! 要石を抜くんなら、この比那名居天子を倒してからにしなさい!! 倒せるならねぇっ!!!」
…………
……
「……あれ?」
誰も、居ない。
「……おーい?」
…………
境内は静かだった。
天子の到着に驚いたのか、この季節なら合唱団を組んでいる筈の蝉の声も姿もない。
人っこひとり、猫の子一匹、毛玉一体もいやしない。
「…………はっ!?」
そういえば、前回、神社再建の時、要石を挿したことを知らなかった衣玖が皆に注意を呼び掛けて回ったことがあった。
今回もそうだとすれば、どこかに避難していて誰もいないのはむしろ当然ではないのか。
しかし、かといって、霊夢までが居ないのは考え難い。
「そうだ、霊夢!?」
そこに思い至った天子は、真新しい賽銭箱やらを無視して裏手に回った。
「霊夢、無事!?」
「……あ?」
「…………」
巫女は、縁側で溶けていた。
予想の斜め後方はるか彼方をキリモミで突破していった眼前の光景に、天子の思考がオーバーフローを起こす。
「…………」
「……何だ、天子か」
「…………は?」
どうやら暑さでうだっていたらしい巫女は、首を持ち上げしごく簡潔にそれだけを呟くと、再びべちょりと縁側に沈んだ。
「……あのー、霊夢さん?」
「……あー」
「要石は? 天人は? 地震は?」
「何それ」
「え、いや、その、だって名居のクソジジイが命令で天人の要石引き揚げがマグニチュード最大で……」
「……わけわかんないわー」
「……あー……えー……?」
何だこれは。
なぜにこの巫女は縁側で溶けちょりますか。
「え、あ……ああああ! そうだ要石は!?」
「……あ?」
慌てて床下に潜り込む。土だの草だの虫だのに構うことなくずりずりと這って行って、それの存在を確認した。
「ああ……良かったぁ……」
「……何してんの」
はるか後ろから霊夢が首だけをのそりとぶら下げその様を見ていた。
「霊夢気を付けて! すぐにでも要石を抜こうってクソジジイの手下の天人があ痛ぁ!?」
「…………大丈夫?」
「こっ……このくらいっ、平気だもんっ!!」
振り返って勢いよく立ち上がろうと……床下でそれが出来るわけもなく、ごつんとかがつんとかめいっぱい頭を打ちつけて涙目になりながらも転がって脱出。
今度こそ立ち上がって服と髪に付いた土やら埃やらを乱雑に払い落とす。片手で。もう片手は頭を押さえるのでいっぱいいっぱいだった。
「と、とにかく! 要石を抜こうってクソジジイの手先が来るから、詳しい話はそいつらを撃退した後で!」
「……そうなの?」
「残念ながら」
「霊夢も神社がまた壊れるとか嫌でしょう!? だからちょっと手を貸して!」
「来ませんよ」
「そう、来ないの! だから大変なの……って、は?」
霊夢の横、縁側にしずしずと正座した人物を見て、天子は目が天、いや点になった。
そうさせた相手はといえば、暢気に微笑んで帽子を脱いでゆったりと微笑んだ。
「……えーと」
「ご無沙汰してました。天子様」
「…………衣玖?」
「はい、衣玖です。永江の」
「…………」
思い出したように、遠くで蝉が合唱を再開した。
じーわじーわという鳴き声と共に、真夏の陽射しと地面からの熱気で自然、天子の頬を汗が伝う。けして冷や汗ではない、と思う。むしろ思いたい。
「……ねえ衣玖、ちょっと聞きたいんだけど」
「なんでしょう?」
「……いつから、そこに?」
「天子様が床下で頭をぶつけて可愛らしく強がられたあたりからです」
「…………」
思い出したように、後頭部をさすっていた手をわざとらしくひらひらさせながら腰に当てる。
まだ痛みはあるが、天界謹製ドーピングピーチで鍛えられたおかげか、幸いたんこぶにはなっていなかった。
「…………ねえ、衣玖?」
「はい、なんでしょう?」
「雲は?」
「……ああ」
こちらこそ可愛らしくぽんと手を打ち、龍宮の使いはにっこり笑って、言った。
「大丈夫ですよ」
「大丈夫って……」
「雲の濃度は急速な低下を始めましたから。今回も私の仕事は無事、無駄に終わりました」
「……えー、あー?」
「私も話についていけてないんだけど?」
「ああ、霊夢さんにもあとで順を追ってお話した方が良いかも知れませんね」
「あ、そ……別にどうでもいいけどね」
わけがわからなかった。
雲の濃度が下がった、ということはつまり、地震の危険性が低下したということでもある。
……なぜ?
「…………ねえ、衣玖」
「はい、なんでしょう?」
「クソジジイの手下が来ないって言ってたけど、なんで?」
「あ、それは――」
「それは儂から話をしようかの」
【其の十四】
その声は、神社に到着した四番目の登場人物のものだった。
「な……」
「あ」
「……誰?」
「出たなクソジジイ!」
「これ、天子!」
「ほっほっほ、よいよい、このじゃじゃ馬娘からすれば、クソジジイと言われても仕方ないわな」
「は……」
天子の言うクソジジイ、つまりは天人、名居守とその部下であり天子の父、比那名居の総領である。
「なーるほど、クソジジイ御ン自ら回収に来たのね! 上等よ、前々からその老いぼれボディを要石ですり潰してやろうと思ってたんだから!」
「ほっほっほ、そう急くものでないぞじゃじゃ馬!」
と言いつつ、怪しげな拳法らしき構えを取るクソジジイこと名居守。
その半歩分後ろで、比那名居当主がやんわりとそれをおさえた。
「名居様、あまり煽らないで下さい。少しばかり成長したと言っても、娘の導火線は相変わらず短いのですから」
「おぅ、これはすまん。久方ぶりの地上でちっとエキサイトしちまったわい」
「……父様、何しに来たの?」
「それは名居様から聞いてくれ、私もいきなり引っ張られたんだ」
「むー……」
「……あれ誰?」
「比那名居の総領様……つまり、天子様のお父君と、幻想郷の地震を管轄する天人、名居様です」
「あー、あれが? 何か随分フランクな天人ねぇ」
「おぅ、おんしが今代の博麗かい、わっかいのぅ、ええ腋しとるのぅ、乳はちっと足りんが」
「……ただのエロジジイじゃないの?」
「違う、と思います……多分」
多分ときたか。
「すまんが博麗の、茶でも出してくれんか。ちっと喉が渇いた」
「……どうしてこうウチに来る奴らはこんなんばっかなのかしらね」
「んむ? 不満ありげだの……んならちっと待っとれ」
「は?」
ほとんど定型句のようにぼやいた霊夢に対し、名居守はいきなり踵を返すと本殿の表へと姿を消す。
ややあって、ちゃりんちゃりーんと金属質なサウンドに続いて、拍手が二つ聞こえ、名居守が戻ってきた。
「ま、多少じゃが」
「お待たせ」
「早ッ!!」
かくて、縁側に五つの湯飲みと茶が参上した。
「……うむ、懐かしいの、地上の茶も」
「……で?」
「うん?」
「何しにきたのよ、クソジジイ」
「ふむ……」
配置変わって、縁側に天子と名居守、屋内に二人からやや離れる形で霊夢、衣玖、比那名居の総領が陣取っていた。
「大体、要石回収するって話じゃなかったの? まさか嘘?」
「いんや、嘘ではないぞ」
「じゃあ何で」
「おんしがここまで来なんだら、問答無用で引っこ抜くつもりでおったわい。ま、天界としては、今更下界に要石ぶっ挿そうが引っこ抜こうが大して差はないんでの」
「……私?」
「おぅよ、比那名居天子。おんしよ。おんしが比那名居のと永江のを納得させるなり、ぶっ飛ばすなりしてここまで来れば、今回は要石の引き揚げを見合わせる、と最初からそういうつもりでの」
「……まさか」
「む……」「……」
振り向いた先で慌てて、あるいは自然に視線を外す父と衣玖。矛先を逸らされた天子はそのまま真横の名居守に標的を変えて噛み付いた。
「みんなグルだったの!?」
「いやいや天子よ、比那名居のと永江のは大した事はしとらん。おおよそ黒幕は儂じゃ」
「だって……」
「まあ、二人とも割と乗り気じゃったことは認めるが、それもおんしを思ってのことよ」
「うー……」
解らなくもなかった。二人ともそうお芝居の上手な性格ではないし、どこか不自然に自分に道を譲ったところがあったと言われれば、そうかもしれない。
「おおよそん所は二人が話したじゃろうから、儂からは今更特にどうこうとは言わん」
「…………」
「じゃがまあ、これだけは確認しておこうかの」
「え……?」
湯のみを置いて名居守が立ち上がった。
それまでの茶目っ気を一切排して、不意に天人らしい威厳を表情に宿らせ天子を見下ろす。
「比那名居天子。おんしに覚悟はあるか」
「…………」
「かつて比那名居の要石は、荒ぶるこの地の力を抑えきれず、昇華し切れず、地震を幾度となく起こした。今度もそうなるかもしれん……いや、そうなる可能性の方が高い」
それが始まり。地震が頻発したため、死後名居守は神霊となって天に昇り、回りまわって比那名居の一族もまた、天に昇った。
今日のこの事態、あるいは先日の天子が起こした騒動は、元を辿ればそこから始まっていたとも言える。
「おんしは自分のためにそうしたいと言った。そのためにこの地に降り、要石の管理と地鎮をやるという。ならば――」
「!」
何時の間にか、名居守の手に緋想の剣が握られ、切っ先が天子の鼻先に突きつけられていた。
奥で慌てて腰を浮かしかける衣玖を比那名居総領が止める。
「おんしは受け止められるか。地震が起きた時、己の及ばぬが故に起きた結果を、全て受け止められるか?」
「…………」
「自分の好きに、勝手に生きるということは、それによって起き、回りまわって自分へとやってくる全てに責任を持つということじゃ。全てを受け止め、そしてまたやってくる全てを背負うということ。出来るか、おんしに、その細っこい肩で背負えるか?」
「…………」
天子は少しだけ俯いて、すぐに顔を上げた。
あまりに勢いがついていたからか、帽子が後ろへ落ち、また名居守も少し驚いて剣を引く。そうでなければ、天子の額なり鼻なり斬れていたかもしれなかった。
「……今更!」
「ほう?」
「それくらい、とっくに思い知ったもの! 確認するまでもない!」
「おぅ、言いよるわヒヨッコが。手に負えんようになったからといって、天界に泣きつくんでないぞ?」
「たまの帰省以外に、あんな所にほいほい戻る気なんてないわよ! それに――」
立ち上がって胸を張る。まっ平らに近いそこにどれほどの頼もしさがあるか、おそらく本人にとっては万点かつ満点なのだろうが。
「ちゃーんと地鎮と管理をするから、地震なんて起こす気はない! 無用な心配ってやつよクソジジイ!」
「……ふむん」
「…………」
夏の空気の中。そこだけが切り取られたように見合う天子と名居守。
男女の見つめ合いというには色気が無いが、真剣みはそれを圧して余りあった。
衣玖と比那名居の総領が固唾を呑んで見守り、やがて退屈を感じた霊夢が小さく欠伸をした頃、ふっと名居守が力を抜いた。
「…………」
「ふん、ま、良かろう。とりあえず今日のところは及第点をくれてやるわ。ほれ」
「わ! っとっと!」
「比那名居天子。この地の要石の管理と地鎮、しばしおんしに預けてみるわ、好きにやってみい」
「……当然!」
言葉同様、あるいはそれ以上にぞんざいに放られた緋想の剣を慌てて受け止める。
わざとらしく自分の肩を二、三叩いてから、名居守は一同に背を向けふわりと浮かんだ。
「さって、用は済んだ。帰るとするかね、比那名居の」
「……は」
まだ少し緊張の残る面持ちで立ち上がった比那名居総領は、娘の方にちらとだけ視線をやり、微笑んで頷くと上司の後に続く。
衣玖が天子のやや後ろに並び、霊夢が茶をすすってひと息入れたところで、六人目の声があった。
【其の十五】
「ちょーっと待ったぁー」
「?」
夏の空気にありがちな、視界にかかった薄いヴェールが不意に一点で凝固し、その場で一番小柄なシルエットを為した。
たちまちあたりに広がるのは、言わずもがなの妖気と酒気。
「おー、天子に龍宮の使い。お久しぶりー」
「あ、萃香だ」
「お久しぶりです」
昼間っからアルコールを供に現れたのは、天界地上に地底と薄まり広まり、おやすみからおはようございますまで実況中継の鬼、伊吹萃香だった。
「ほぅ、鬼か。話には聞いておったが、久しいのー」
「んん? あんた誰? なんか天人ぽいね」
「いかにも。天人、名居守とは儂のことよ」
「あー……ナマズの大将ってのはあんたか」
「おうよ、儂がひと声命じれば地中という地中のナマズが、感激と情熱のタップダンスで荒々しく大地を賑わすわい」
「……名居様、それはあまり冗談になっておりません」
「あーっはっはっはー、何だ、天人って割には天子と似たり寄ったりで面白いじゃないか。あっちにいた時にはつまんないのばっかりだったけどさー」
「……一緒にされちゃいましたね」
「……何かやだなぁ。っていうか萃香、あんた今までどこに居たのよ?」
日陰で苦笑する天子と衣玖を尻目に、萃香は瓢箪からぐぐぐーと酒を煽り、酒臭い息をぼぶはぁと撒き散らす。
「いやー、一応それなりに見てはいたんだけどさ、なんというか、嘘が嫌いな鬼としてはこういうタクラミゴトには顔を出し辛くってねー」
「あ、そ」
「それよりそこのナマズの大将と天子の父っぽいの!」
「ふむ?」
「ぽいの……私のことですか」
酒臭く指名を受けた天人ふたりは思わず顔を見合わせた。
「幻想郷の宴会のメッカ、博麗神社に来ておいて用が済んだら帰るっていうのは、ちょぉっと味気ないんじゃない?」
「いつからウチはメッカになったのよ」
「知らないの? 宴会好きは一日五回、博麗神社の方を向いて三々九度の礼を尽くすっていう新興宗教」
「信者居るのかそれは」
「私ー」
「だと思ったわ」
「宗教と言うより、酒教の方が近いようにも思いますが……」
「ねえ衣玖、まさかそれ洒落のつもり?」
「……駄目でしょうか、お酒だけに」
「ともかく!」
酔いのせいか、天人ふたりにびしりと突きつけた指もどこかゆらゆらと覚束ない具合でありながら、萃香にはえもいわれぬ迫力があった。さすがは鬼だ。どこがさすがなのかは判らないが。
「折角来たんなら、地上の宴会に付き合っていったらどう?」
「ふむ、宴会か、面白そうじゃの」
「は……名居様?」
「なぁに構うまいよ。一度や二度宴会に混ざったくらいで仙人に堕ちるようなやわな鍛え方はしとらんわい」
「昼間っから酒なんて飲むんじゃないわよ、しかもウチで」
「何を言うか霊夢ー!」
ぼやいた家主に詰め寄り酒臭く抗議する鬼。
心底迷惑げに手で酒気を払いながら、霊夢はせめての抵抗をこころみた。
「だってそうでしょうが、このくそ暑いのに昼間から宴会なんて冗談じゃないわ」
「甘い! 甘いよ霊夢! 酒に日付変更線はなぁーいっ!!」
「うむ、同感じゃ」
「……名居様まで」
「それにもう萃めちゃったし」
「おいこら!」
遅かった。色々と。
【其の十六】
夕刻をやや過ぎ、夏の長い日がようやく山の稜線にかかった頃。
博麗神社の境内は、文字通り出来上がっていた。
あの後、萃香の呼集に真っ先に応じたのは、やはりというかなんというか、鴉天狗と普通の魔法使いと、それにくっついていたオプション(?)の人形遣いだった。
状況を把握した文は神社にいつのまにか常備されていた『宴会、博麗神社にて』のチラシを配るために再び飛び立ち、ノリの良い魔法使いは早々と天界勢との呑み比べに突入し、人形遣いも一歩引いてそれにならった。
それに続いて半刻を待たず、湖の紅魔館、冥界の白玉楼、竹林の永遠亭、山の守矢神社等から主だった幻想郷の少女らが結集すると、境内の状況を正確に把握する事はたちまちの内に困難となった。
さらに妖精やら人里から阿求を伴ってきた半人半獣と蓬莱人に加え、新型の空飛ぶ屋台を引っ張り夜雀が到着した頃になると、神社は酒気と妖気と陽気とその他もろもろのサラダボウルと化しており、右も左も誰も彼もがことごとくフリーダムな有様である。
さて、初参加の天界勢はというと、比較的状況が見えているらしい比那名居の総領は酒量もほどほどに上手いこと立ち回っていた。
問題だったのは今一方、久方ぶりの地上でテンションの上がっていた名居守で……
「ふむん……まさか再び、この様な闘いに身を投じる事が出来るとは思わなんだわ」
「僕も少し、本気を出さないといけないかな?」
「無論、儂の出番もあるのだろう」
何故かフンドシ姿となった香霖堂の店主とどこからともなく現れた老侍と肩を組んで踊りだしていた。
「ふんッ!!」
「フンっ!!」
「ふぬぅっ!」
プルン プルン プルン(あまりにヒワイな光景のため、音声のみでお伝えしております)
「ぶるぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「あらいけない、妖夢の目が真っ赤だわ」
「攻撃色!?」
「こういう時は……リグル、アレを!」
「まかせて! って笛なんか持ってないわ!!」
「違うわ、こういう時こそ早苗が出るべきでしょ! 早苗、早苗ー!!」
「もうとっくに酔いつぶれてるよ」
「お前の血は何色だぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
数秒後には泥酔状態から復活した庭師が血の涙を流しながらまとめて斬り潰したようだったが。
「……ふぅ」
そんなこんなでいつも通りの宴会を少し離れたところで見ながら、衣玖はいささか火照った頬を手でおさえた。
「あ、いたいた……衣玖ー」
「はい? ああ、天子様」
「いるでしょ、水」
「あ、ではいただきます」
よく冷えた井戸水をグラスで受ける。
まだ蒸し暑さの残る時間、酔いの回った身体に冷たさが心地良い。
「ぷはー」
「はぁ……」
「おかわり、どう?」
「あ、それじゃ遠慮なく」
さらに一杯ずつ冷たい水を乾し、ふたり、並んでひと息。
宴会の喧騒が、近いようで、少しだけ遠ざかった気がした。
「……ねえ、衣玖」
「はい、なんですか」
「衣玖は、さ……天界に住んでるよね」
「? ええ、はい、そうですけど」
「それじゃ……その、やっぱりさ」
「はい?」
普段からかけ離れた歯切れの悪さに、ちょっと俯いたその顔を衣玖は少しく覗きこもうと体を近付けた。
「なんですか?」
「その……えっと」
頬に差す朱は、既に沈んだ夕陽の残照か、それとも酒精の火照りか。
「……しばらく、会えなくなったり、しちゃう、かな」
「は……え?」
嗚呼、もうこの天桃娘と来たら。不安そうな表情で何を言い出すかと思えば。
もっと重大なことを言われるかと身構えていた衣玖が耐えられたのは、思っていた以上の酔いのせいもあって、ほんの数秒だった。
「…………ぷっ」
「な、何よ?」
「……っくっくっく……あ、あは、あははははは……」
「わ、笑うことないじゃないっ!!」
「す、すみません……く、くふふふ、あははははは……」
「も……もうっ!!」
拗ねてしまった。
だが、おそらく、きっと、たぶん、比那名居天子にとっては、それはとても重大なことなのだ。
存外に強くツボを突かれた笑いの間にそれに気付き、衣玖はひとまず呼吸を整える事に専念する。
「ふぅ……すみませんでした」
「…………」
「その、あまりに天子様が可愛らしかったもので、つい」
「……うー」
口を尖らせ抗議する、そんな様子を見て感覚で理解した。
暢気で欲を捨てた、と言い張る天人たちも、案外この娘のこういう所を気に入っているのではなかろうかと。
無論、その中には自分も含まれるわけだが。
「大丈夫ですよ」
「……へ?」
「お忘れですか? 私はまだ、天子様の監視役なのですよ?」
「……あ」
「そりゃまあ、時々天界に帰ったり、雲の観測に行ったりはしないといけませんが、基本的に天子様は放って置くと何をするか分かりませんから、おいそれと目を離せませんし」
「それじゃあ……」
「そんなに心配なさらなくても、だいたい居ますから」
「――――っ」
「わ」
ぽふんと抱きつかれた。
「あらあら……」
「むー」
「甘えんぼさんですね」
「……いいじゃない、ちょっとくらい」
なんとなく、向こうの方で赤い情熱を垂れ流しているメイドや宇宙薬剤師の気持ちが分かったような気がする衣玖だった。
「……ところで、天子様?」
「ん……なに?」
「住む所とかどうするつもりなのです?」
「しばらくはここでいいかなーって、ほら、要石もあるわけだし、そんなに離れるわけにもいかないでしょ」
「あ、何? 居候する気なの?」
いつの間にか近くに来ていた霊夢が耳ざとく聞き返してくる。
「……だめ?」
「はぁ……どうしてこう私の周りは勝手なやつばっかりなのかしらね」
返答になっていない言い方だったが、それが霊夢なりに肯定の意を含んだものらしい事を、衣玖は察した。
「で、あんたも?」
「ええと、出来ればその方が楽で良いのですが……あ、家事とか手伝いますし、それとこれ、少ないですがお賽銭です」
「なに遠慮してるのよ、私は一向に構わないわ」
「……単純」
「まあまあ、折角の霊夢さんのご好意ですし、甘えさせていただきましょう」
「ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ……」
「え?」
「ん?」
「……なんでしょう?」
突如、何処からともなく響いた低い笑いに、三人だけでなく宴席のあちこちで誰もが疑問符を頭上にさらした。
「……あ、ひょっとして」
「あー……」
「へ、ちょっと、衣玖も霊夢も何よ!」
「いえ、何となく思い当たる節がありまして……」
「そういや、今日はまだあいつを見てなかったわね」
「……まさか」
ぶぉぉぉんと、三人が見上げた先で空間がばっくりと割れ、胡散臭いオーラが噴出した。
「――無断で神社に要石を挿したに留まらず」
「来ますね」
「来るわね」
「……アイツかー!!」
「あまつさえ居候と聞いたら黙っていられないわね!!」
溢れる少女臭が傘と扇子を手にぶわりと舞い降りる。
壁に耳アリ天井裏に天狗アリ、床下白アリクロード・チアリ、そこらに鬼アリ、スキマアリ。
妖怪の賢者、幻想の狐の嫁入り、境界の使い手、その名は――
「出たなスキマババア!!」
「誰がスキマババアか、この絶壁天人!!」
瞬時に低レベルな言い争いに落下した一方の当事者を、とりあえず八雲紫とかいう。
「いきなり地の文がぞんざいにっ!?」
「はっ! 所詮スキマババアはスキマババアってことじゃないの?」
「五月蝿い絶壁天人! 生皮剥いで三味線にするぞコラ!?」
かくて醜い争いが宴席の只中で展開され始めた。
気のきいた何人かがもっとやれなどとやけっぱちに囃したて、さらに気のきいた大勢は手元の料理と酒を持って渦中の二人から距離を取り、さらにさらに気のきいた少数は霊夢と二人から可能な限り離れた、けれども全体を見渡せる場所まで後退する。
「ふふん、いつも夜這いしようとして針ぶっ刺されて泣きながら帰ってるスキマにはババアがお似合いよ!」
「なっ……見てたの!?」
「ってこないだ読んだ文々。新聞に書いてあった」
「あンの女子中学生新聞部員が!! 射命丸はどこッ!?」
「さっきにとりの光学迷彩奪ってどっか行ったぞー」
「チィッ!! あのパパラッチはいずれ焼き鳥にするとして、とりあえずこの絶壁天人からなんとかしないといけないようね……!!」
「やれるもんならやってみなさいよスキマババア!!」
お互い、緋想の剣と傘をまるで木刀かチェーンのように肩にかついでトントンしながら睨み合うその様は、まるっきりヤンキーのシマ争いだった。
「ねえ藍様、なんだか紫様の様子がいつもと違うみたいなんですけど」
「見ちゃいけません」
「え、ちょ、藍!?」
「式にまで見放されるなんて……やっぱりババアね。要介護認定の上に放置されて孤独死でも迎えているが良い!」
「言ったわね……言ったわね!? こうなったら新作スペルの宮沢『ぶらり銀河鉄道の旅』で要石ごとお空の上までお帰り絶壁天人!!」
「上等! なら私もアンタを魔法剣『エーテル大陸プレート返し』で跡形もなく吹っ飛ばしてやるわよスキマババア!!」
聞くからに危険性が激しく高いスペルカードを取り出して睨み合う両者。
一触即発の空気が辺りを満たす中、しかし、二人は完全にあることを失念していた。
「がるるるるるるるるるるる」
「うぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎ」
二人以外の全員がそれに気付いた時、彼女は既に二人の死角に、回りこんでいた。
「ねえ二人とも、ひょっとして『また』神社壊すつもりなのかしら……?」
「「!!」」
がしっと、二人の襟首が同時に掴まれる。
どこまでも静かな、それでいて真冬のツンドラを駆け抜けるブリザードのように冷たくも荒々しい声が宴席の空気をコンマ以下の時間で吹き飛ばしていった。
「あー……霊夢? その、これは違うのよ、うん」
「そ、そうそう、違うのよ、違うんだってば」
「へえ? 私にはこの間のリフレインに見えるんだけど……どう違うのか、教えてくれる?」
スレンダーな肢体のどこにそれほどのマッスルを秘めているというのだろう。
紅白の巫女は、罰当たりな隙間妖怪と天人をそれぞれ片手だけで持ち上げ、抑揚だけは優しく聞いた。
「えーと、その、そう! スキンシップよスキンシップ!!」
「そ、そうそう! ほんのお茶目なタワムレだって!!」
「ふーん……そのお茶目なスキンシップで、私はまた家無き子になるのね?」
「だ、大丈夫よ、もし壊れても萃香とか天狗とかが建て直してくれるわ!」
「うんうん! わ、私も天女たち連れてきて再建させるから、ね!!」
「…………」
楽園の巫女は、素敵に微笑んだ。
だが、その場に居た全員が、その背景に『ドドドドドド』とか『ゴゴゴゴゴゴゴ』とかいう極太の効果音を……確かに見た。
「二人とも」
「「はっ、はひ!」」
「私も鬼じゃないわ。だから選ばせてあげるんだけど……」
「「~~~~!!」」
こんな時だけ息の合った二人は、揃って首をぶんぶんぶんぶんと左右に振ったが、巫女は一顧だにしない。
「とりあえず、ラスト3秒部分24時間耐久か、チャージ済みの99本か、選ばせてあげる。さ、選べ」
――嗚呼。
犠牲者二人と巫女と、酔い潰れたのと逃亡したのを除いた全員がその時やるべきことは、一つしかなかった。
つまりは……
合掌。
やっぱり衣玖さんは優しいお姉さんが似合いますねw
最後に一言
衣玖天は俺たちのジャスティス
新たな褌要員に壮大にフイタwww
あとやっぱり衣玖さんは慈愛溢れるカッコイイお姉さんだと思うのですよ!!
あなたの書くオリキャラの女性は毎度いい味出し過ぎです。天子の母君とかセレーネ(月華院の奥方)とか
後半で一気に雰囲気が変わったのには面食らいましたが面白かったです。
前提として緋で
「この後、何処にどういう地震が起きるか判らないけど、そんなのどうでも良いわ
ここは宙に浮いているんだから」
と言い切っちゃってる天子が、地震による地上の被害を恐れてるってのはもはや設定無視以前のように思えます。
そも地震を起こさせまいと頑張る天子がこの話の肝なのでしょうが、そこが一番違う部分というの如何なものかと。
まえがきでオリキャラ注意とされていますが、気になるオリキャラは天子だけでした。
「と言い切っちゃってる天子が、」と「地震による地上の被害を恐れてるってのはもはや」の間に
「たかだか数ヶ月で人が変わって」の文が入ります。
……後ろに衣玖さんが立ってるのかな?
書いてる本人も、わりとそこらへんを気にしてたりはします。
挙げられている台詞は確かアリス編でのものだったと思いますが、ただ一方魔理沙編では
「別に私だって幻想郷に大地震を起こしたい訳じゃないの」って言ってますから、
実際として天子がどういうつもりだったかは、会話からだけだとちと分かりにくいんですよ。
本来なら、地上で自分の所為で起きる地震に負い目のようなものを感じるようになった契機、
あるいはそういうエピソードなりを話の中にちゃんと組み込むべきだろうとは思ったのですが、
このお話の筋は読んでの通りで、そこまでやっているとキリがなかったため、書かずじまいでした。
書こうとした名残は一部に残ってたりするんですが、それだけだとアレだったとは思います。
ただ、個人的な見解としては、交流のほぼ隔絶していた天界から天子が地上の異変&解決を見ていた、
というのは、多分ものすごく表面的なものに過ぎなかったんじゃないかと考えてます。
異変を起こす側も、解決する側も、実際には異変に関わる以外の、
何十倍何百倍の時間は普通(?)に暮らしてます。
逆に言えば、その普通の営みの時間があるから異変は刺激的に見えるのであって、
この点、要石が抜かれて起きる地震は、異変以外のそれらに大きく響くものです。
ただ、単に異変を楽しそうなものと眺めていた天子は、これら普通の時間は目に入ってなかったのではないかなと。
天子とすれば、勝手に要石を抜かれ(元々勝手に挿したんですが)てしまい、
自分の所為での地震が自分の手が届かないところで起きるのが悔しかったってのもあるとは思いますが、
緋以前の天子であれば、地上の被害は「知らなかったから気にしなかった」のであって、
「知ってしまったから、実際に地震が起きた時にどうなるかが具体的なプレッシャーになった」のではなかろうかと、
そういう風に考えてます。
ただまあ、結局書けなかったが8、書かなかったが2くらいの割合で話の中に組み込む事が随分と不十分だったので、
気になってしまうとそんな風にすっぽかしてると取られても仕方が無かろうと思います。
そこらへんは、完全にこちらの技量不足の問題ですし、お目汚しとなりましたね。
聞き流してくれても構わないが、天人になれるのは修行で不老不死になった仙人か、死後成仏した霊のどちらかですぜ。まあ、天子が修行したとは考えられないし、かといって体を借りてるわけじゃなさそうだがな。
-10点はそういうことで。
ちょっと追記。
27&28の方、もしまた何ぞありましたら、良ければ某ののブログにでもおこし下さい。あとがきのURLです。
あんまりコメント欄がこういうので膨らんでても、他の方が見辛いかと思いますし。
>>31
緋想天おまけテキストを読むと幸せになれるかもしれません。
その他のコメントへのお返しは、その内にでも。
まだ幼いうちに天人になった天子は、有る意味「奪われた存在」でもあるわけですね。
お見事。
割と真面目な天子は新鮮でした
凄くこのセリフが気に入りました。てんこあいしてる。
自分の居場所のために懸命に行動する天子は読んでいて心地良かったです。