迷いの竹林、永遠亭。
兎たちが遊び、舞い、佇むこの場所は、まさにこの世の情緒と静寂を体現した――
「ぴぎゃーぁぁあああああああ!!」
少女の絶叫が轟く和装の邸宅である。
「どうしました輝夜!?」
主の悲鳴を聞いた従者は、屋敷の最奥へと躊躇いなく飛び込んだ。
従者の名は八意永琳。あらゆる薬を創り出す月の天才薬師である。
「うう……えーりん」
「輝夜!」
部屋の中央で力無く横たわる主に、永琳は駆け寄った。
「意識確認! 呼吸は? うん、問題無し! 輝夜、この指が何本か解りますか?」
「ぐ、ぐわし……」
「視覚聴覚問題無し! 痛いところは?」
「敢えて言うなら……心が」
そう言って輝夜が弱々しく指さした先にある物は、電気で動く箱。
疑似的な事務卓として、時には遊戯台としても利用できるその箱は、今はうんともすんとも言わないただの箱だった。
「……心配して損した」
緊張から解かれ、畳にぺたんと座りこむ永琳。
一方その主は、無脊椎動物の様にうにうにと畳の上を蠢いている。
「なによぅ。永琳にこの悲しみの何が解るっていうのよ」
「いつも夜更かしばかりの輝夜のことです。さしずめ、
『電気が足りなくて、電子箱が止まっちゃったの。早く動くようにしてっ。えーりんっ、たすけてえーりん、たすけてえーりん』
ということですね? もう……想像がつきます」
主の声色を使って展開を予知する従者。
何百年も連れ添っていれば、主の思考パターンなど計算の範疇である。
「話が早いじゃない。だったら早く電気をもってきて。でないと先に進まないわ」
先に進まない、とは別に従者との対話ではなく、電子箱の中にある式神を操作する遊びの話である。
「はぁ……まず、電気とはそこかしこにあるものではないのです」
「じゃあどこにあるのよ?」
「少し長くなりますがいいですか? 電気を得るためには発電をしなければなりません。そもそも発電とは、何らかのエネルギーを電気エネルギーへ変換する工程を指します。主なものとしては化石燃料から生じた熱エネルギーを運動エネルギーに変換しコイルを回転させるという形式がありますが、新しいやり方としてウラン235を中性子と反応させてクリプトン92とバリウム141を取り出した際に発生するエネルギーを利用するものもあります。ただし前者はエネルギー効率が比較的低く、後者は安全上のリスクが大きく幻想郷での実現は難しいでしょう。どちらにせよ電気というのは生活に必要な量を作りだすのに莫大なコストがかかります。また、自然エネルギーを利用するという手段もありますが、それには外からの高い技術が必要です。近くに海も無いし、発電環境に必要な条件が――」
「長い! 長いわ永琳! みんな飛ばし読みしてるわよ。エコじゃないわね!」
「この娘はそんな余計な言葉を……まぁいいです。ええ、と」
棚から地図を取り出して広げる永琳。
それには、竹林の外――人が棲む里の地理が記してある。
「確か、竹林の外では川の流れを利用した発電施設が小規模ですがあったはず。ですが……ああ、ここまで引っ張るのは無理そうね」
「え? じゃあ、私の電子箱や遊戯箱は今までどうやって動いてたの?」
「知りたいですか? 輝夜」
永琳の目がぎらりと光る。
「……いや、いいわ」
「貴方は、自分の趣味がどれだけの犠牲の上に立っているかを知るべきね」
余談だが、最近、輝夜の周りにいる兎たちの入れ替わりが激しいことを補足しておく。
「うぅん、でもでも、このままじゃ私の電子箱がいつまでたっても増設できないじゃない。たすけてえーりーん」
「なら、永遠亭でも正規の発電装置を作るべきです。ただ、竹林の中にその材料があるかどうか……」
「他の人から拝借してしまえばいいのよ。人のモノは私のモノ、私のモノは私のモノよ」
「まぁ、心当たりが無いことは無いですが……」
「じゃあ決まりね。お出かけしましょ、永琳」
少し後、急かしげに竹林を走る主と、その後をゆっくりと歩く従者がいた。
二人の心は踊っていた。
主は、再び動きだす電子箱との遊戯に。
従者は、久々である主と二人きりの外出に。
◇◆◇
「ダメなんだぜ」
森の白黒魔法使い、魔理沙は一蹴した。
「ええー? なんで? えーりん、何か言ってやって!」
「うん、まぁ……仕方ないですね。輝夜、ここは下がりましょう」
彼女の持つミニ八卦炉を使えば、有効な発電が可能だろう、との従者の意見だった。
だが、従者も知ってはいたが八卦炉そのものは彼女にとっては貴重品である。
「そっちの事情もわからんでもないんだが、こっちはコイツで色々助かってるんだ。だから貸すわけにもいかないぜ」
そう言いながら、八卦炉にかかった鍋をぐるぐるとかき混ぜる魔理沙。
鍋の中には、得体のしれない何かがぐつぐつと煮立っている。笑い声も聞こえるが空耳ではない。
「うーん……まぁ、すぐに解決するとはも思ってなかったけれど。他に誰か心当たりはある?」
「ぶーぶー。やくたたずー」
「うるさいなぁ。河童に聞けば何かわかるんじゃないか? そういうのに詳しいぜ、アイツ」
山から流れる河に、機械いじりの大好きな河童がいるという話。
大まかな場所を聞いて、永遠亭の主と従者は霧雨邸を出ることにした。
「ああそうだ。気を付けろよ、河童は光学迷彩と暗視眼鏡を持ってる。見つからないかもしれないぞ」
「そう。――じゃあ、せめて電池と光源のある写真機を借りれる?」
「そこらへんの山に埋もれてると思うぜ。借りたものはちゃんと返せよ?」
「じゃあ、今度来た時は、そこにある無くなったはずの畳とウドンゲのショーツを持って帰る。じゃあ失礼するわ」
「魔理沙、じゃあねー」
霧雨邸と永遠亭にはそれなりの距離がある。
山の河へ辿り着く頃には、だいぶ日が傾いている頃だろう。
夕飯時には間に合うだろうか――。そんなことを考えながら写真機を抱えて歩く従者に、主が訊ねた。
「ねぇ永琳、高額明細ってなに?」
「それは巫女が最も恐れるものですね」
◇◆◇
「……いないわね」
河の中腹までたどり着いた永遠亭の主は、妖怪はおろか妖精の姿すら見えない河をただ眺めるばかりだった。
先ほどからずっと岩陰を凝視していた従者は、大きな岩のある小さな滝を見つけて足を止めた。
「このあたりに気配があります。輝夜、先ほどの写真機を下さい」
日の陰った山道、特に落差のある滝の付近になると、灯りが欲しくなるほどに薄暗い。
その暗い岩陰を中心に捉えると、従者は照明が点くように設定をして、写真機の釦を押した。
ぱしゃり。
「んぎゃぉぉおおおおおおう!!」
悲鳴と共に河の岩陰から飛び出してきた緑色の物体。
それは河沿いの山道まで飛び上るように這い上がり、打ち上げられた魚のようなアブない痙攣を見せた。
「め、目がァー、目がぁー!」
「フッ。写真機で暗視装備の特殊部隊を撃退したという物語がありましたが、まさか本当に効くとはね」
「くっ、月人め……やってくれる!」
太陽が焼けついたような暗視ゴーグルをかなぐり捨て、文字通り目を白黒させながら河童が叫んだ。
ちなみに非常に危険な行為なので読者の諸君は真似をしないで頂きたい。
「……で、月人が山に何の用だい。人間と河童は盟友だが、月人とは正直関わり合いになりたくないぞ」
「別に山には用は無いのだけど……」
「河童さん。私の電子箱のための電気が欲しいの。協力してくれるかしら?」
従者の背中から顔を出して懇願する永遠亭の主。
しかし、河童は憮然とした表情で答える。
「えええ……。見ろ、河童印の暗視ゴーグルが焼けついちゃって使いものにならん。モノを壊されてまで働くほど、私は人がよくないぞ」
「だって、そうしないと出てこないと思ったもの」
「私だって、平気で人の眼細胞を破壊しようとする連中と進んで会いたくなんかないさ」
両者に流れる不穏な雰囲気。
しかし、その沈黙を破ったのは従者の方だった。
「そうね、じゃあ、先ほどの写真は私たちの方で有効活用しましょう」
「な、なに!?」
「すっっっごいいい表情で、まるで鯉のように滝を登る河童の図。天狗に渡せば、きっと良い値がつきますわ」
もちろん、天狗とはあのゴシップ好きの文々丸のことである。
「や、やめれー! これ以上天狗にバカにされたら、本当に住む場所が無くなっちゃうじゃないか!」
その時河童の頭に浮かんだ新聞の見出しは、『新情報! 河童には閃光玉が有効! 一狩りするなら今がチャンス!』であった。
勘弁して欲しい。
「そうねぇ。永遠亭でも発電要員の兎が『足りなく』なってきてるのよね……生活基盤の向上にご協力して頂ければ、考えないこともないわ」
「え、えう、えぅえぅ……」
写真機片手に交渉をする従者と、一方的に要求を突きつけられる河童の図。
永遠亭の主は、その時の従者の顔をよく知っていた。
竹林で行き倒れた旅人が担ぎ込まれた際、従者がうきうきしながら新薬を準備している時の顔とよく似ている。
◇◆◇
「……で、電子箱ってのはマイコンのことだな? つまり、一通りの家電と照明が動けばいいわけだ。いくら私でも、この屋敷全部をオール電化にするほどの出力は用意できない」
「やー、しっかし、月が綺麗に見えるなぁ。これはマイクロウェーブ発電なんてのもできるかもしれんな」
「月は出ているかっ! なんてね。はは、引き篭もりの姫様にはいい洒落になってる」
竹林の中を通るまでは渋々の河童だったが、永遠亭に着いて実際に現場を見て工具を握り始めると、とたんに饒舌になっていった。
技術者というのは、仕事の条件などは、好きなものを触ってるとどうでもよくなってくるものなのだろう。
そんな河童を、従者は縁側でぼんやりと眺めていた。――今日は疲れた。ただ、主と一日中歩いて回れたのは少し嬉しかった。
「とりあえず、今回は天井にソーラーパネルを設置することにした。月が見えるから日当たりもいいし、管理も楽だ」
「ありがとう。無茶なお願いを聞いてくれて申し訳ないわね。もうだいぶ遅いけれど、薬膳くらいは用意させるわ」
「あのフィルムだけ貰えればいいさ。これだけ大きな器具を使わせてもらえると、こっちとしても気分が良いや。あーでも、きゅうりがあるなら頂いて帰ろうかな」
「じゃあ、そのように準備させるわ。ゆっくりしていってね。帰りはてゐに案内させるから」
場所だけ決めたので、パネルの設置はまた後日、ということらしい。
まぁ、主には三日ほど電子箱の無い生活をしてもらおう。
目の健康のためだ。たまにはそんな日があってもいいだろう。
「永琳……退屈ね」
縁側へふらりと現れた主。
従者の隣に座り、測量作業の続きをする河童を並んでぼんやりと眺める。
「――はぁ。なんだか疲れちゃったわ」
「私もです。輝夜」
竹林、森、山の河と、今日一日でぐるりと回ったことになる。従者にとっても予想以上の距離で、夕飯には少し遅れてしまった。
食事を任せていたウドンゲには迷惑をかけたが、まぁあこの主の願いだ。致し方ないだろう。
それに、久々に二人きりであちこちを見て回れたのは、教育係としても嬉しかった。最近は滅多になかったことだ。
「永琳、膝を貸して頂戴。久しぶりにお話も聞きたいわ」
「はいはい。……よいしょ。じゃあ、今夜はとっておきの話をしましょう。ウェスタンソングで脳が破裂する火星人の話でも――」
幻想郷に来る前から、一緒に寝る時には必ず聞かせてもらった永琳のおとぎ話。
たとえ電子箱が動かなくても、彼女の膝の温かさと、今まで一つとして被らないたくさんのおとぎ話は、いつまでも自分のそばにある。
永遠を生きる蓬莱人、退屈を最も恐れる不死の姫、蓬莱山輝夜は、久方ぶりの安らぎを思い出しながら、眠りについた。
永遠に寄り沿う月の民、全てを捧げた天才薬師、八意永琳は、主の艶やかな髪を撫でながら、こくこく船を漕いでいた。
了
兎たちが遊び、舞い、佇むこの場所は、まさにこの世の情緒と静寂を体現した――
「ぴぎゃーぁぁあああああああ!!」
少女の絶叫が轟く和装の邸宅である。
「どうしました輝夜!?」
主の悲鳴を聞いた従者は、屋敷の最奥へと躊躇いなく飛び込んだ。
従者の名は八意永琳。あらゆる薬を創り出す月の天才薬師である。
「うう……えーりん」
「輝夜!」
部屋の中央で力無く横たわる主に、永琳は駆け寄った。
「意識確認! 呼吸は? うん、問題無し! 輝夜、この指が何本か解りますか?」
「ぐ、ぐわし……」
「視覚聴覚問題無し! 痛いところは?」
「敢えて言うなら……心が」
そう言って輝夜が弱々しく指さした先にある物は、電気で動く箱。
疑似的な事務卓として、時には遊戯台としても利用できるその箱は、今はうんともすんとも言わないただの箱だった。
「……心配して損した」
緊張から解かれ、畳にぺたんと座りこむ永琳。
一方その主は、無脊椎動物の様にうにうにと畳の上を蠢いている。
「なによぅ。永琳にこの悲しみの何が解るっていうのよ」
「いつも夜更かしばかりの輝夜のことです。さしずめ、
『電気が足りなくて、電子箱が止まっちゃったの。早く動くようにしてっ。えーりんっ、たすけてえーりん、たすけてえーりん』
ということですね? もう……想像がつきます」
主の声色を使って展開を予知する従者。
何百年も連れ添っていれば、主の思考パターンなど計算の範疇である。
「話が早いじゃない。だったら早く電気をもってきて。でないと先に進まないわ」
先に進まない、とは別に従者との対話ではなく、電子箱の中にある式神を操作する遊びの話である。
「はぁ……まず、電気とはそこかしこにあるものではないのです」
「じゃあどこにあるのよ?」
「少し長くなりますがいいですか? 電気を得るためには発電をしなければなりません。そもそも発電とは、何らかのエネルギーを電気エネルギーへ変換する工程を指します。主なものとしては化石燃料から生じた熱エネルギーを運動エネルギーに変換しコイルを回転させるという形式がありますが、新しいやり方としてウラン235を中性子と反応させてクリプトン92とバリウム141を取り出した際に発生するエネルギーを利用するものもあります。ただし前者はエネルギー効率が比較的低く、後者は安全上のリスクが大きく幻想郷での実現は難しいでしょう。どちらにせよ電気というのは生活に必要な量を作りだすのに莫大なコストがかかります。また、自然エネルギーを利用するという手段もありますが、それには外からの高い技術が必要です。近くに海も無いし、発電環境に必要な条件が――」
「長い! 長いわ永琳! みんな飛ばし読みしてるわよ。エコじゃないわね!」
「この娘はそんな余計な言葉を……まぁいいです。ええ、と」
棚から地図を取り出して広げる永琳。
それには、竹林の外――人が棲む里の地理が記してある。
「確か、竹林の外では川の流れを利用した発電施設が小規模ですがあったはず。ですが……ああ、ここまで引っ張るのは無理そうね」
「え? じゃあ、私の電子箱や遊戯箱は今までどうやって動いてたの?」
「知りたいですか? 輝夜」
永琳の目がぎらりと光る。
「……いや、いいわ」
「貴方は、自分の趣味がどれだけの犠牲の上に立っているかを知るべきね」
余談だが、最近、輝夜の周りにいる兎たちの入れ替わりが激しいことを補足しておく。
「うぅん、でもでも、このままじゃ私の電子箱がいつまでたっても増設できないじゃない。たすけてえーりーん」
「なら、永遠亭でも正規の発電装置を作るべきです。ただ、竹林の中にその材料があるかどうか……」
「他の人から拝借してしまえばいいのよ。人のモノは私のモノ、私のモノは私のモノよ」
「まぁ、心当たりが無いことは無いですが……」
「じゃあ決まりね。お出かけしましょ、永琳」
少し後、急かしげに竹林を走る主と、その後をゆっくりと歩く従者がいた。
二人の心は踊っていた。
主は、再び動きだす電子箱との遊戯に。
従者は、久々である主と二人きりの外出に。
◇◆◇
「ダメなんだぜ」
森の白黒魔法使い、魔理沙は一蹴した。
「ええー? なんで? えーりん、何か言ってやって!」
「うん、まぁ……仕方ないですね。輝夜、ここは下がりましょう」
彼女の持つミニ八卦炉を使えば、有効な発電が可能だろう、との従者の意見だった。
だが、従者も知ってはいたが八卦炉そのものは彼女にとっては貴重品である。
「そっちの事情もわからんでもないんだが、こっちはコイツで色々助かってるんだ。だから貸すわけにもいかないぜ」
そう言いながら、八卦炉にかかった鍋をぐるぐるとかき混ぜる魔理沙。
鍋の中には、得体のしれない何かがぐつぐつと煮立っている。笑い声も聞こえるが空耳ではない。
「うーん……まぁ、すぐに解決するとはも思ってなかったけれど。他に誰か心当たりはある?」
「ぶーぶー。やくたたずー」
「うるさいなぁ。河童に聞けば何かわかるんじゃないか? そういうのに詳しいぜ、アイツ」
山から流れる河に、機械いじりの大好きな河童がいるという話。
大まかな場所を聞いて、永遠亭の主と従者は霧雨邸を出ることにした。
「ああそうだ。気を付けろよ、河童は光学迷彩と暗視眼鏡を持ってる。見つからないかもしれないぞ」
「そう。――じゃあ、せめて電池と光源のある写真機を借りれる?」
「そこらへんの山に埋もれてると思うぜ。借りたものはちゃんと返せよ?」
「じゃあ、今度来た時は、そこにある無くなったはずの畳とウドンゲのショーツを持って帰る。じゃあ失礼するわ」
「魔理沙、じゃあねー」
霧雨邸と永遠亭にはそれなりの距離がある。
山の河へ辿り着く頃には、だいぶ日が傾いている頃だろう。
夕飯時には間に合うだろうか――。そんなことを考えながら写真機を抱えて歩く従者に、主が訊ねた。
「ねぇ永琳、高額明細ってなに?」
「それは巫女が最も恐れるものですね」
◇◆◇
「……いないわね」
河の中腹までたどり着いた永遠亭の主は、妖怪はおろか妖精の姿すら見えない河をただ眺めるばかりだった。
先ほどからずっと岩陰を凝視していた従者は、大きな岩のある小さな滝を見つけて足を止めた。
「このあたりに気配があります。輝夜、先ほどの写真機を下さい」
日の陰った山道、特に落差のある滝の付近になると、灯りが欲しくなるほどに薄暗い。
その暗い岩陰を中心に捉えると、従者は照明が点くように設定をして、写真機の釦を押した。
ぱしゃり。
「んぎゃぉぉおおおおおおう!!」
悲鳴と共に河の岩陰から飛び出してきた緑色の物体。
それは河沿いの山道まで飛び上るように這い上がり、打ち上げられた魚のようなアブない痙攣を見せた。
「め、目がァー、目がぁー!」
「フッ。写真機で暗視装備の特殊部隊を撃退したという物語がありましたが、まさか本当に効くとはね」
「くっ、月人め……やってくれる!」
太陽が焼けついたような暗視ゴーグルをかなぐり捨て、文字通り目を白黒させながら河童が叫んだ。
ちなみに非常に危険な行為なので読者の諸君は真似をしないで頂きたい。
「……で、月人が山に何の用だい。人間と河童は盟友だが、月人とは正直関わり合いになりたくないぞ」
「別に山には用は無いのだけど……」
「河童さん。私の電子箱のための電気が欲しいの。協力してくれるかしら?」
従者の背中から顔を出して懇願する永遠亭の主。
しかし、河童は憮然とした表情で答える。
「えええ……。見ろ、河童印の暗視ゴーグルが焼けついちゃって使いものにならん。モノを壊されてまで働くほど、私は人がよくないぞ」
「だって、そうしないと出てこないと思ったもの」
「私だって、平気で人の眼細胞を破壊しようとする連中と進んで会いたくなんかないさ」
両者に流れる不穏な雰囲気。
しかし、その沈黙を破ったのは従者の方だった。
「そうね、じゃあ、先ほどの写真は私たちの方で有効活用しましょう」
「な、なに!?」
「すっっっごいいい表情で、まるで鯉のように滝を登る河童の図。天狗に渡せば、きっと良い値がつきますわ」
もちろん、天狗とはあのゴシップ好きの文々丸のことである。
「や、やめれー! これ以上天狗にバカにされたら、本当に住む場所が無くなっちゃうじゃないか!」
その時河童の頭に浮かんだ新聞の見出しは、『新情報! 河童には閃光玉が有効! 一狩りするなら今がチャンス!』であった。
勘弁して欲しい。
「そうねぇ。永遠亭でも発電要員の兎が『足りなく』なってきてるのよね……生活基盤の向上にご協力して頂ければ、考えないこともないわ」
「え、えう、えぅえぅ……」
写真機片手に交渉をする従者と、一方的に要求を突きつけられる河童の図。
永遠亭の主は、その時の従者の顔をよく知っていた。
竹林で行き倒れた旅人が担ぎ込まれた際、従者がうきうきしながら新薬を準備している時の顔とよく似ている。
◇◆◇
「……で、電子箱ってのはマイコンのことだな? つまり、一通りの家電と照明が動けばいいわけだ。いくら私でも、この屋敷全部をオール電化にするほどの出力は用意できない」
「やー、しっかし、月が綺麗に見えるなぁ。これはマイクロウェーブ発電なんてのもできるかもしれんな」
「月は出ているかっ! なんてね。はは、引き篭もりの姫様にはいい洒落になってる」
竹林の中を通るまでは渋々の河童だったが、永遠亭に着いて実際に現場を見て工具を握り始めると、とたんに饒舌になっていった。
技術者というのは、仕事の条件などは、好きなものを触ってるとどうでもよくなってくるものなのだろう。
そんな河童を、従者は縁側でぼんやりと眺めていた。――今日は疲れた。ただ、主と一日中歩いて回れたのは少し嬉しかった。
「とりあえず、今回は天井にソーラーパネルを設置することにした。月が見えるから日当たりもいいし、管理も楽だ」
「ありがとう。無茶なお願いを聞いてくれて申し訳ないわね。もうだいぶ遅いけれど、薬膳くらいは用意させるわ」
「あのフィルムだけ貰えればいいさ。これだけ大きな器具を使わせてもらえると、こっちとしても気分が良いや。あーでも、きゅうりがあるなら頂いて帰ろうかな」
「じゃあ、そのように準備させるわ。ゆっくりしていってね。帰りはてゐに案内させるから」
場所だけ決めたので、パネルの設置はまた後日、ということらしい。
まぁ、主には三日ほど電子箱の無い生活をしてもらおう。
目の健康のためだ。たまにはそんな日があってもいいだろう。
「永琳……退屈ね」
縁側へふらりと現れた主。
従者の隣に座り、測量作業の続きをする河童を並んでぼんやりと眺める。
「――はぁ。なんだか疲れちゃったわ」
「私もです。輝夜」
竹林、森、山の河と、今日一日でぐるりと回ったことになる。従者にとっても予想以上の距離で、夕飯には少し遅れてしまった。
食事を任せていたウドンゲには迷惑をかけたが、まぁあこの主の願いだ。致し方ないだろう。
それに、久々に二人きりであちこちを見て回れたのは、教育係としても嬉しかった。最近は滅多になかったことだ。
「永琳、膝を貸して頂戴。久しぶりにお話も聞きたいわ」
「はいはい。……よいしょ。じゃあ、今夜はとっておきの話をしましょう。ウェスタンソングで脳が破裂する火星人の話でも――」
幻想郷に来る前から、一緒に寝る時には必ず聞かせてもらった永琳のおとぎ話。
たとえ電子箱が動かなくても、彼女の膝の温かさと、今まで一つとして被らないたくさんのおとぎ話は、いつまでも自分のそばにある。
永遠を生きる蓬莱人、退屈を最も恐れる不死の姫、蓬莱山輝夜は、久方ぶりの安らぎを思い出しながら、眠りについた。
永遠に寄り沿う月の民、全てを捧げた天才薬師、八意永琳は、主の艶やかな髪を撫でながら、こくこく船を漕いでいた。
了
それだけサクサク読めたのだと思います。
しかし良いわぁ
癒される
主従って言うよりも姉妹みたい
ところで永遠亭の発電機構はもしかして自転車かなにかですか?
読者が疲れないうちに短時間で読めるものをという名目で
自分が疲れないうちに短時間で書けたものになってしまいました
>5
景山作品初期の傑作ですよね。
劇場版が地上波で流れた際にキャシーの水浴びシーンがカットされたのが無念でなりません
>8
楽しんで頂けて何よりです
この二人は個人的に気に入ってるので
>9 >11
登録タグ【洋画】【SF】【キャストの無駄使い】【作者は病気】
>12
ぼくたち地球人の想像を遙かに上回るステキテクノロジーを使っているに違いない!
漢字変換ネタは大好きなのです。
ほのぼのとした中にもしっかり小ネタが仕込んであって、サクサク読めました~。
全体的に15年ほど前のネタばかりでしたがそのレベルはもう幻想入りしているのでしょうか。
>19
ありがとうございます。
変換ミスから生まれた即興ネタだなんて誰が言えよう。
>22
もこーの自家発電だなんてそんな卑猥な……!