-あらすじ
死んだはずのレミリアとフランの義理の兄が地下室より生還。白妖城、改め紅魔館の変りように驚く中、一番驚いたのは姉妹の仲。兄の死因を巡るレミリアとフランの睨み合い。しかし、それは自分を縛るレミリアと自我を保つフランの虚しい抗争だった。兄は何とか二人の仲介に入ることに成功し、兄妹仲は再び大きな館となった。
前作、スカーレット兄妹の続編です。前作は完結しておりますが、今回の設定は前作の続きとなっております。
レミリアとフランが目の前で微笑んでいる。二人は手を繋ぎあい、互いに俺の方をまじまじと見つめている。いつものように、俺も笑顔を振り撒く。途端に、フランは悪戯な笑みを浮かべた。瞬間、腹部に激痛が走る。
目の先には紅く染められた天井が映る。妙に歪んでいるようにも見えたが、首を振るうと歪みは失せていった。左右の腕が動かない。金縛りか? いや、つま先はきちんと動いてくれる。
右の腕にはフランが、左の腕にはレミリアの頭が圧し掛かっているだけだった。そして、右の脇腹にはフランの膝がめり込んでいた。夢から覚めたのだと、今更となって確認した。二人はぶつぶつと寝言を発し、時折口元を緩ませる。起き上がって顔を洗いたい。腹も痛い。二人を起こさないように、慎重に腕を引き抜く。まずはレミリアから。俺の腕は運よくレミリアのうなじにすっぽりと収まっていた。左の状態だけを起こしつつ、ゆっくりと腕を引く。何とかなった、レミリアは何事もなかったかのように熟睡している。
続いてフラン。こちらは朝一番に膝蹴りを繰り出したうえ、両手でしっかりと俺の腕を掴んでいるのだから性質が悪い。このまま起こしてしまっても良いのだが、子どもは寝起きが悪い。触らぬフランに嫌悪なし、だ。開放された左腕でフランの腕を解くが、指に吸盤がくっ付いているかのようになかなか剥がれない。が、横に指をずらすと、いとも簡単に指は剥がれた。左手でフランの頭を抱え、右腕を移動させる。金髪の髪は艶やかで絡まりのない綺麗なものへと再生していた。逃げ切った右腕は左腕を援助し、ベッドの上にフランの頭を戻す。
さて立ち上がろうかという時になったというのに、腰が持ち上がらない。まさかレミリアが服を掴んでいるとは思わなかった。レミリアもまた、強く握り締めたまま服を離さない。
どうしようか悩んでいると、脳に電気が走った。今の苦労が馬鹿馬鹿しく思える。
テレポート――超能力の一種で、自身を瞬間的に別の地点に移動させるもの――を使えば良い、簡単なことだ。目を瞑り、部屋にあるテーブルを思い浮かべる。目蓋越しの光も無くなり、眼球を一瞬の暗闇が支配する。その闇が晴れ目を開けると、レミリアの掴んでいた服を残してテーブルの傍へと移動していた。もぬけの殻となったベッドには掛け布団が俺の寝ていた後が形となっている。一枚の服と二人を残し、静かに隣の洗面所へ向かう。
顔を洗い、軽く歯を磨く。窓の外からは館の門が見える。窓を開けると、涼しげな風が入り込み、鳥のさえずりも響き渡る。明るさからして卯の中刻。いつもより遅い目覚めのようだ。寝室へ戻ると、レミリアが上体を起こして握っている俺の服を見つめていた。まだ寝ぼけているのか目は虚ろ、口を半開きにしている。
「起こしちまったか?」
「んぅっ……大丈夫。おはよう」
レミリアはベッドから飛び降りると、俺の横を通り過ぎて洗面所へ向かった。ベッドにある服を取り、着込む。フランは寝返りを打ち、笑みを零している。
今日の予定を確認するにも、俺の従者は誰一人としていない。いまの主は俺ではない。妹のレミリア・スカーレットだ。それを考えると、随分と肩身が狭くなってしまったような気もするが、大した差し当たりはない。
戻ってきたレミリアはフランを揺すって起こす。フランは目を擦り、大きく口を広げて欠伸をする。俺の姿を見て、フランはベッドから飛んできた。今朝、俺の腹を蹴ったことは覚えていないのだろう、無邪気な子悪魔だ。
「えへへ、おはよっ」
「おはよう。ほら、顔洗ってきな」
フランは大袈裟に頷くと、洗面所に駆けていった。
俺が朝食の話を持ちかけるよりも早く、室内にドアをノックする音が響く。レミリアは慣れたように「入って」と言うと、咲夜が頭を軽く下げてゆっくりと入ってきた。レミリアは寝巻きを脱ぎ、咲夜からいつもの服を受け取っていた。レミリアはいつからブラジャーを着けるようになったのかと思いつつも、暫らくは目を反らした。
「お嬢様、お食事はいかがなさいますか?」
「皆で頂きましょう。そうよね、兄上」
「お前の好きなようにすれば良いさ」
レミリアは腰に手を当て、頬を膨らませた。咲夜は主人の様子に目を丸くしている。いままで、このような態度を見せたことは一度も無いのだろう。レミリアの言う通り、朝食は皆で――美鈴は除かれてしまったが――済ませた。もう一昨日のような殺伐とした空気は館に無かった。
朝食を終え、適当に館内をうろつこうとするも、フランは片時も離れようとはしなかった。レミリアは紅魔館の主という立場上、幼稚な行動を公の場で示すことはさすがに抵抗があるようだ。そんな中、フランは自由気ままに過ごしている。やはり、レミリアには主という身分は辛いのだろうか。いっそのこと、俺がもう一度館を白く染めて白妖城を再臨させても良いのだが。
突如、小さな地響きが館内を襲った。それと同時に、轟音が耳を貫いた。図書館の方向だった。パチュリーは度々薬の調合に失敗していたが、煤で顔を真っ黒にしたり、小爆発で髪を焦がしたりする程度だった。おかしい、図書館で何かがあった。腰にしがみつくフランをそのままに、図書館へと向かった。
図書館のドアを開けると、真っ先に割れた窓ガラスが目に映った。倒れこむパチュリー、ばら撒かれた書物、欠けた壁、小さく光る星型の何か。子悪魔は隅でカタカタと震えている。一体何が起こったのか。
「パチュリー! 大丈夫か!」
「くぅ……いつものことよ……」
「おいココア! 何があったんだ!」
「お兄様、魔理沙だよ、魔理沙」
「……魔理沙? 誰だ、顔見知りか?」
フランはなんら変哲もなさそうな表情で俺に「魔理沙」と言う人物の名を口にした。白妖城、いや、紅魔館を襲うとは命知らずな奴だ。それに、パチュリーはいつものこと、と口走っていた。一度痛い目に合わせないと『魔理沙』はまたここへやってくるに違いない。
「子悪魔、その魔理沙って奴の目的は何だ?」
「え、えっと……勝手に本を借りていって……死ぬまで返してくれません」
「それは強奪って言うんだ。どこに住んでいるか分かるか?」
ココアは小さく首を振った。それを見たパチュリーは顔を起こして口を開いた。
「ここから戌の方にある魔法の森に住んでいるんだけど……普段は香霖堂に居ることが多いわ。香霖堂は……魔法の森と人里の境にあるわ」
「分かった。本は全部取り返してやるから安心しろ」
そういい終えると、パチュリーは小さく笑い、うつ伏せに倒れこんでしまった。フランを諭すと、にっこり頷いて服から手を離してくれた。空中浮遊、瞬間移動よりも精神力を使う超能力の一種。割れた窓から外へ飛び出した。ガラスが体をかすめ、服越しに肌が傷ついた。俺は強く照らしつける陽光を背中に、戌の方角へと飛んでいった。
香霖堂と思われる建物が見えてきた。どこにでもありそうな、少し大きめの一戸建て。店を経営していると考えれば悪くない大きさだった。入り口では男女が何やら話をしている。女性の方は箒の柄に何やら風呂敷を括り付けている。遠目に見ても分かるほど、風呂敷はカクカクに膨れている。
銀の髪、丸い眼鏡、全体的に青みを帯びた服。男性の方は俺の方へ目を向けた。眉間にしわを寄せ、俺の居る空を仰ぐ。男性がこちらを指差し、女性はこちらを振り向いた。目を瞑り、暗闇に身を任せる。目を見開くと、五尺ほどの距離を置いて二人の前に立つ。男性はひどく驚いていたが、女性の方はにやりと笑ってこちらを見つめた。女性は金髪の長い髪に、白と黒の目立つドレス、いや、西洋の魔女を思わせる服装だった。
「……お前が魔理沙か?」
「んあー? それがどうかしたのか?」
「パチュリーから奪っていった本を返してもらう」
魔理沙と認めた女性は薄ら笑いを浮かべ、後ろに立つ男に風呂敷を持たせた。箒の柄を地に着かせ、ヒュウと口笛を吹いた。
「お兄さん、弾幕勝負出来るんだな?」
「あぁ。お前には悪いが、少し痛い目を見てもらう」
「それは面白いな。兄さんには悪いけど、私は強いんだぜ?」
俺がこの世で勝てないと踏んでいるのはレミリアとフランだけ。ゲームで勝てても、俺は現実では絶対に妹たちに負けを譲らない。
魔理沙はこちらへ平手をかざした、いや、手の平には何かが握られていた。途端に、その物体から強い閃光が放たれ、視界は一瞬のうちにして白一色に染まった。魔理沙の持つ小さな何かからは想像もつかないほどの極太レーザーが放たれた。それだけではなく、赤と青を彩った星型の弾も無造作に飛んでくる。魔理沙は感心したかのような表情で、箒へ腰を掛けると、上空へと飛び上がった。風呂敷を預けられた男性はいつの間にか姿を眩ませていた。
魔理沙の背後からは星型の弾がいくつも飛んでくる。俺も同じように弾幕を張る。時折無数のレーザーを放っては来るが、軌道はどれも単調で、大した戦略的優位性は無く、飾り程度の意味しか持たなかった。フランと比べると、まさに月とすっぽん。大したことはなかった。弾の密度も並といったところで、速度は中の上、避けられないほどのものでもない。何より、殺傷能力の乏しさが、無意識のうちに安心感を持たせているのかもしれない。内ポケットから剣を振るい、飛び交うレーザーを断ち切る。魔理沙の焦った表情が目に映る。
俺の弾幕は殆どが紅みを帯びた、実体のない物。超物質とでも名づけたくなるくらい、自分でもよく分からない。勿論、手で掴むことなど不可能だし、衝撃も殆ど無い。ガスのような、光源のような、断定の出来ない謎のもの。被弾しても血は出ない、痛みも殆ど無い。その代償として、被弾する箇所は決まって綺麗になくなっている。肩に被弾すれば、まだ乾ききっていない糊でくっ付いていた腕は、細かく糸を引いたようにして綺麗に落ちる。被弾者に痛みはない、それと同時に、指先の感覚もない。被弾者の絶望に満ちた表情を見るたび、自分を呪ったりもした。過去に何度も、やむを得ずに段幕を張ったことも多かった。
魔理沙とやらはまだ若い。今ここで過ちを起こしていたとしても、矯正される期間は嫌と言うほどあるはず。それに、残りの生涯を絶望で過ごすのも酷な話だ。
ただ一つ、残念なことがあった。それは、それらしいことを言っておきながら、弾一つ俺に掠らせることすら出来ないこと。初対面の咲夜以下に感じられた。これ以上は無駄だ。集中力を切らした魔理沙が先にくたばるか、俺の方が被弾するか。無論、後者はあり得ないと踏んでいる。
俺は弾幕を振り払いながら、一気に間合いを詰めた。弾幕を弾幕で相殺しつつ、剣を振るう。魔理沙は距離を取りながら、弾幕を張り続けていた。魔理沙は相当な速度で遠ざかっていくが、レミリアには到底及ばなかった。魔理沙を凌ぐ速さで追いかけ、勢いよく剣を振るう。魔理沙の眼が大きく見開かれた。
魔理沙の放つ弾幕が途絶えた。帽子が飛ぶ。二つに裂ける。すかさず背後に回る。首元に剣を突きつける。
魔理沙は顎を上げ、息を呑んだ。切り裂かれた帽子は僅かな残像を残して地へ落ちていった。
「お前の負けだ。残念だったな」
「――ふん、私が負けたって?」
魔理沙の涼しい顔を見て、剣を握る手に力が篭り、刀身を傾けた。魔理沙はそれに気がつき、再び息を呑んで顔を上へと向けた。
「諦めろ。何なら、今ここで喉を斬っても――!」
脅したつもりだった。勿論、喉を斬って、死体と血染めの服を作るなんてことは頭になかった。それと同時に、右方から無数の針が飛んできた。右腕が一瞬震え、剣が首元から僅かにそれた。魔理沙は俺の隙を見逃さず、一気に間合いを広めた。針の出所を探るなんて考えよりも、右腕の痺れに耐えるので精一杯だった。札を剥がそうと左指で触れた瞬間、人差し指が痙攣を起こした。気を取り直して針を握ると、手の平に焼けるような痛みが走った。
ただの鋭利な針なら咲夜のナイフ以下の武器でしかない。痺れる原因は他にある。針と同じ数だけ腕に張り付いているお札。このお札は間違いなく『博麗の巫女』のものだ。大きさ、文字、色、僅かな違いこそあるものの、『博麗の巫女』のものであると断言できた。レミリアは博麗の巫女が代替わりしたと言っていた。どのような最期を遂げたのかは知らないが、彼女は長生きしすぎた。人間の域を超えていた。今の『博麗の巫女』がどの程度の強さを持っているかは知らないが、まだ若いことは確かだ。知識も経験も浅い。勝算は充分にある。ただ、右腕の麻痺さえなければの話だが。
魔理沙を見上げると、傍にはいつの間にかもう一人の女性が居た。腕を組みながら、しけた面でこちらを見ている。紅白の衣装、露出した腋、頭の大きなリボン。間違いない、博麗の巫女服だった。となると、彼女が新しい博麗の巫女。
「魔理沙、ちょっと油断しすぎじゃないの?」
「うるさいな、見たことのない弾幕だから戸惑っただけだぜ」
「……あいつの妖気、並じゃないわ。誰なの?」
「さぁ? そういえば、パチュリーがどうとか言っていた気がするぜ」
互いに慣れた口調だった。顔見知り、いや、それなりの親交はあるように思えた。
だんだんと、右腕の感触が無くなっていくことに気がついた。神経毒、いや……妖怪や魔物全般の対抗として作られたお札。
先代の巫女の対魔物の札を、自ら張ってみたこともあった。その時は身体が重くなったものの、生活するのに支障はないほどの微々たる効果だった。勿論、そのお札は雑魚相手には勿体無いほどの威力を誇っていた。先代の巫女は笑いながら「貴方は強すぎる」とそう言っていた。
それが、今となっては俺に対して身体の自由を奪うほどの威力を持っている。俺の知らない間に改良を施されたのか、この巫女が先代を遥かに上回る能力の持ち主なのか……考えるだけ無駄だった。
「ちょっとあんた、見ない顔だけど誰?」
巫女は馴れ馴れしい口調でそう言った。先代とはえらい違いだ。信用も薄いに違いない。いや、彼女もまだ若い。これから、と言うところだろう。
「紅魔の主、レミリア・スカーレットに兄がいるって話、聞かないか?」
「……魔理沙よりも下手な嘘ね。何ならここで退治しちゃおうかしら」
「あぁ、こんな危険な奴はさっさと退治するんだぜ」
魔理沙はこれを好機と踏んだのか、突然強気になり始めた。
俺は右腕が麻痺している。二対一、分が悪いのはこちらだ。しかも、今の巫女の実力が明らかではない。もし、お札ではなく、彼女の能力そのものがこの効果を強めているとしたら……単純な力比べでは勝機は薄い。
だが、腕が利かなければ、頭を使えばよい。俺は糸が切れたように首を垂れ、自らを鼻で嘲笑した。自由の利く左腕を軽く上げ、痺れを堪えて口を開いた。
「……俺は右腕が利かないし、無駄な争いはしたくない。魔理沙とやらが今までパチュリーから盗っていった本を返してくれれば、俺は大人しく引き下がる」
魔理沙のぎょっとした表情がちらりと見えた。俺は首を上げ、高みの見物に回る。
「何よ、事の発端はあんたじゃない」
「ち、違うんだ霊夢、あいつが無理矢理私の本を盗ろうとするから――」
「……魔理沙」
霊夢と呼ばれた新しい巫女は冷え切った目と声で魔理沙を威圧した。魔理沙は首以外を瞬間冷凍され、大きくうな垂れた。暫らく、霊夢は魔理沙に説教をしているようにも見えた。年をとった先代の巫女に怒られる自分を照らし合わせてしまった。
霊夢は最期に魔理沙の頭を軽く叩いた。魔理沙は俺の方を一瞬見、逃げるようにして香霖堂へ吸い込まれていった。追いかけようとつい足が出たところを、霊夢に止められた。
「ごめんなさい、貴方は悪くないのにね」
「いや、俺もむきになってた、悪いな。……ところでこれ、どうにかならないか?」
俺が札を指差すと、クスクスと笑ってこちらへ近づいてきた。札を引き剥がし、針を握る。俺が頷くと、霊夢は一本一本丁寧に抜いていった。
「巫女さんが妖怪に親切していいのか?」
「これは親切じゃないわ。始末をつけているだけ」
「ふっ、そうかい。魔理沙にはもう本を盗るなって言ってくれたか?」
霊夢が答えるよりも早く、魔理沙が戻ってきた。手元には一冊の本も持っていなかった。魔理沙は俺と霊夢の視線に怯んだが、少し距離を置いて口を動かした。
「香霖がお前に会いたいって……ち、ちゃんと本は返すって!」
「……まぁ、わざわざ断る理由もないしな。いいぞ、会いにいこう」
魔理沙はまたしても逃げ去るようにして香霖堂へ向かった。霊夢は「これでどう?」と言わんばかりに魔理沙を指差し、クスリと笑った。
改めて香霖堂を見てみると、今にも崩れてしまいそうなほどがたがたなのが分かった。玄関の引き戸は滑りが悪く、入るのに苦労した。家内は木の匂いと雨水の匂いが混じり、妙な匂いが鼻を蹴る。香霖堂と言うだけあって家内、いや、店内には様々な品物が置いてあった。手前の棚には食器やくし等、日常品が多く並んでいる。昔はわざわざ人里まで足を運んだというのに、こんな近くに店が出来て、咲夜も助かっているのだろう。
すると、奥から男性と思しき声が聞こえた。どうやら、魔理沙の声に返事を返しただけのようだった。少し高めの柔らかい声。魔理沙が香霖と声をあげている。香霖と言う人物が置くから顔を覗かせた。声に見合う、優しげな笑顔を見せた。
「いやぁ、済まないな……っと、いらっしゃい」
と言われても、俺は香霖に呼ばれただけだ。香霖はお盆に四人分の茶を乗せ、奥の部屋にあるちゃぶ台へと置いた。眼鏡を掛け直し、俺と霊夢に手招きをする。魔理沙はこちらに背を向ける位置に座り、度々香霖の表情をうかがっている。俺はどの場所に座ろうか迷った。勿論、魔理沙との位置関係で、だ。隣に座るのも近くて向こうは嫌がるだろうし、反対側に座るにも顔が向かい合う。三秒間悩む内に、霊夢は俺の左に、香霖は正面に、魔理沙は右側で落ち着いた。
緑茶――これを緑茶と言うのを、セイクリッドは知らない――は苦手だった。紅茶とは違う苦味があまり好きではない。そうは思いつつも、緑茶を啜る。思わず咳き込みそうになったが、何とか耐えた。無理して口に含んだのが間違いだった。
そんな俺の姿を見て、三人は小さく笑っていた。俺はわざとらしく後ろ髪を弄ると、香霖が話題を持ちかけてきた。
「人違いだったら済まない。……セイクリッド・スカーレット、かな?」
「お、あんたよく知っているな。ちょっとこの二人に教えてやってくれよ」
香霖は満足そうに笑みを浮かべ、霊夢は俺の顔を見つめながら、魔理沙は遠慮気味にこちらを見ながら、何かを考えているように思えた。しかし、残念ながら俺の顔を見ても妹たちと似ているところは見つけられないだろう。レミリアとフランはツェペシュの末裔、俺はロキとアングルボダの間に生まれた最後の子。
ツェペシュ――本名はヴラド三世――とは元々、『串刺し』の意味を持つ。その名の通り、ツェペシュは罪の程度を考慮せず、罪人を次々と串刺しにしていった。しかも、罪もなくして串刺しに処された臣下も少なかったという。十尺はくだらない木の杭で体を貫き、その杭の先端を高々と掲げ、罪人は晒し者とし、腐敗を始めるまで放置される。そして、彼のもう一つの顔がドラキュラ『吸血鬼』だった。その罪人から滴る血を啜る様が、周囲からはドラキュラと呼ばれる原因の一つだったのだろう。だが、それは吸血ではなく、ただ溢れた血を飲んでいるだけだ。だから、俺はレミリアとフランは本当はツェペッシュの末裔ではないと思っている。
物心付いた頃から、俺はレミリアとフラン、ツェペッシュの傍らにいた。当時の俺は千歳くらいの年齢だったと思う。俺の親はツェペッシュではない。父親は神、母親は巨人だ。ツェペシュは俺を長い間育てていたらしく、俺も彼に対する恐怖や警戒は一切なかった。親のことを聞いてもツェペシュは悲しそうな表情で「死んでしまった」と答えるばかりだった。レミリアとフランの親の話をもち掛けると、ツェペシュは決まって黙り込んだ。俺はその頃からレミリアとフランの世話をしていた。その頃から、フランの破壊衝動はあったが、今ほど凶悪なものではなかった。何年か経った後、ツェペシュは死んでしまった。何者かによる暗殺だった。不思議と怒りはなかった。ただ、ツェペシュとの約束は守ろうと決めていた。
レミリアとフランを守ること。ツェペシュと俺たちにどのような繋がりがあったのかは分からない。もしかすると、ツェペシュも神のような存在だったのかも分からない。ただ、強い運命的なものを感じた。それだけだった。
俺の父親のロキは神とそれに対抗する巨人の血を引いていたが、神々の最高神に認められ、度々、神々に悪戯施し、宝を授けた。しかし、最期には最高神の息子を殺害する主犯格となり、追放され、捕らえられ、洞窟の奥へと閉じ込められる。そこは蛇の毒が垂れ落ちる場所となっており、毒が触れるたびに彼は苦痛のあまりに大声を上げ、激しく悶えた。その時の身体の揺れがあまりにも大きいため、それが地震の原因ともなっていた。世界の最終戦争――ラグナロク――で神々に復讐を図るも、光の神と相打ってその生涯を閉じる。
ロキとアングルボダは他に三人の子を産んだ。口を開けば上顎が天まで届く巨狼フェンリル、死者の世界を支配する女神ヘル、水中都市を取り巻くほど巨大な海蛇ヨルムンガンド。血の繋がった兄も、姉も、記憶にはない。俺がどのようにして生き残り、どのようにして崩壊した世界を後にしたのか、今でも記憶のないものを思い出そうとしている。
吸血鬼の子と、悪戯好きの神と巨人の子。似ても似るはずがなかった。似ているのは目が赤いこと、翼があることの二点。血は好物ではないし、太陽も屁とも思わない。十字架も、炒った豆も、流水も、恐れることはない。俺が苦手なのは誰かの怯えた表情と血、にんにく。レミリアに吸血鬼と勘違いされたのは、俺がにんにく嫌いだったからだろう。あの匂いはどうも耐え難い。
香霖は話を終えたようで、一息吐いた。霊夢と魔理沙は暫らくの間固まっていた。
「いやいや、まさか本人に会えるとは思ってもみなかったよ。君はもう過去の人だと割り切っていたんだけどね。ここらでは貴重な男性だ。僕も女性の相手ばかりでは息が詰まる。偶にでもいいから、ここへ顔を覗かせてくれないだろうか?」
「そうだな……暇が出来次第来ることにしよう。それでいいな?」
そう言うと、香霖はにっこりと微笑んでいた。
気が付けば、魔理沙の表情に焦りや緊張は見られなかった。ちゃぶ台にうな垂れ、溜息を吐いてばかりだ。霊夢はお茶を啜りながら、こちらの顔をまじまじと見つめてくる。思わず笑みを零すと、馬鹿にしたように笑われた。胸が痛い。
「霖之助さんの話聞く限りだと、貴方相当な歳でしょ。いくつ?」
「千五百歳くらいだな。まぁ、幻想郷に来たのは五百年ほど前だが」
「ふぅん。それじゃあ、紫とか白玉楼とか永遠亭とかも知っているわけ?」
「当たり前だ。……紫か、そんな奴もいたな」
紫、幽々子、永琳……年長者ばかりが脳裏に甦ってくる。どこも何も変っていないといいのだが、あの日から三十年。変化がないはずがない。
話を続けているうちに、いつの間にか俺と霊夢の会話になっていた。魔理沙はうつ伏せているばかりで、香霖は取り付く島もない。
香霖は仕方なさそうに本を取り出した。俺は思わず、あっ、と声をあげた。
「おい魔理沙、忘れていたが、本を返してもらう」
魔理沙はゆっくりと顔を上げ、苦虫を噛み潰したような表情をしている。
「残念だったな。このまま忘れていたら、パチュリーに合わせる顔がない」
「はぁ……仕方ないのぜ。……よいしょ、じゃあなお二人さん」
「それじゃ、俺も今日は帰る。じゃあな、香霖、霊夢」
魔理沙は重い腰を上げ、外へ向かっていった。俺は結局、殆ど緑茶を口にはしていないが、魔理沙も口を付けていないようだった。部屋を出ようとすると、霊夢も後を追って部屋を出てきた。このまま帰るつもりなのだろう。
箒に腰掛けた魔理沙は魔法の森へ向かって飛んでいった。木々の掻き分けた場所に、小さな家があった。決して大きくはないが、人一人住むのに問題はなさそうだった。辺りには幻覚を見せる胞子を放つ茸もあり、人妖の姿はない。俺はその瘴気に耐性を持っているため、問題はない。目の前で俺にストップを掛ける魔理沙も、耐性を持っているようだった。
俺は何故か、魔理沙に外で待つように言われた。理由は分からないが、人に見られたくないものがあったりするのだろう。それを見て人を小ばかにするほど、俺はひねくれ者ではない。家内からは物が擦れる音や落ちる音、崩れる音が漏れている。
魔理沙は玄関を開け、十冊程度の本を抱えてきた。俺の目の前に置いたかと思うと、もう一度中へと入り、また本を抱えてきた。その作業を三回繰り返し、見下ろせば俺の足元には三十三冊の本が置かれている。殆どが魔道書や図鑑。返したくないのも分からなくはない。大きさや厚さはどれもまちまちだが、これをまとめて持っていくのも面倒だ。
「はぁ……ほら、持っていってくれよ。代わりに謝っておいてくれ、悪かったよ」
「……お前もまだ読んでいない本もあるだろう。ちゃんと期間を守ってくれれば、俺がパチュリーに頼んでおいてやるから。第一、こんな沢山は重そうだ」
俺がわざとらしく微笑むと、魔理沙は少し頬を赤らめ、遠慮気味に三冊の本を抜き取った。途端に表情を変え、白い歯を見せて小さくお辞儀をし、本を持って家へと吸い込まれていった。顔が良いだけの無愛想な女だと思っていたが、案外可愛らしいところもあるものだな、と思い、俺も笑みを零した。
勿論、三十冊もの本を抱えるのは難しい。念動を使えば、楽に運ぶことが出来る。当初から、抱えるなんて考えは毛頭なかった。念動は浮遊よりも大きな精神力を使う。だから、あまり多用はしたくないのが本音だが、本を周囲に浮かべゆっくりと紅魔館へ向かっていった。
割れた窓ガラスはいつの間にか元通りになっていた。仕方なく正面の玄関から入り、図書室への廊下をふわふわと飛んでいった。その様子を見たメイドたちがこちらをじろじろ見るのが気になり、とりあえず足を床に付くことにした。俺の話は咲夜から聞いていると思うのだが、こういった反応は絶えない。話しかけようとすると逃げられるし、かといって黙ってみているのも癪ではある。
なんだかんだ考えているうちに、図書館へと着いた。図書館ではいつものようにパチュリーが本に捕らえられていた。ココアの姿は見えないが、奥で本を読んでいたり整理したりしているのだろう。二人とも、俺が入ってきたことには気がついていないようだった。返ってきた本を静かに置き、パチュリーに近づく。
後ろから本を覗くと、何やら難解な字がびっしりと詰まっていた。どれもこれも記号のような文字。四角の中に黒点を置いた文字や円を三重にした文字、アルファベットのVに二本の縦線が入った文字等、奇怪なものばかりだった。
俺の立っている場所が本の影になっていることにも気が付かないのはどうかと思ったが、わざと無視しているのだろうか。
ココアは本棚の角で小さめの本を読んでいた。ココアも集中しているのか、こちらの気配には気が付いていないようだった。ココアの読む本は俺でも読める、幻想郷での公用語だった。数行読んでいると、面白い単語が目に入り、そのまま読み進めた。自分の顔が気持ち悪いほどニヤニヤしているのは分かっていたが、暫らく文字に目を走らせた。
俺は気付かれないように身体を戻し、声を掛けた。
「ココア」
「こ、こあぁっ! ……セ、セセセイクリッド様?」
ココアは本を投げ出してしまい、慌てて本を拾いにいった。俺は笑みを浮かべながら顎に手を当てた。
「随分と面白い本読んでいるんだな?」
「み、見ましたか?」
「『彼女の艶やかな髪は俺の性欲を掻きたて、彼女はゆっくりと俺のぺニ――』」
「わあぁっ! い、言わなくていいです!」
ココアはまたとないほど赤面し、本を背後に隠す。俯いたまま金魚のように口をぱくぱくさせているが、残念ながら言葉になっていない。
「はは、お前がそういうの読むとは思わなかったな」
「い、いいじゃないですかぁ……まさかこんな風に展開されるとは思わなかったんですよぅ……」
泣きそうな声でそう反論するココアを見て、俺はもう一度笑った。
パチュリーは俺の笑い声に気がついたのか、俺の名を呼んだ。パチュリーの読んでいた表紙の本には不気味な月と太陽が書いてあった。いかにもそれらしい表紙だと思っていると、パチュリーは俺が持ってきた本を自分の下へと寄せていった。本が宙を浮く様を見ると、どうしても俺の能力を連想させる。魔法で本を浮かせる様子はどこか悔しさもある。
パチュリーは一冊ずつ本を確認していったが、面白くなさそうに顔をしかめた。
「ちょっと、五行魔導大全がないんだけど。これで全部?」
「いや……三冊だけ貸してやった。……不味かったか?」
「当たり前じゃない。あれは元々私の物なの、所有物なの。それを魔理沙に盗られたのよ。不味いに決まっているじゃない。それに、私がどんな魔法を使っているか知っているの? それを見越しての行動とは思えないわ」
俺は黙り、唇を舐めた。魔理沙にはああ言ったが、パチュリーの意見には逆らえない。魔理沙に返してもらうと言おうとしたが、パチュリーは小さく微笑み、先程読んでいた本に手をかけた。
「……まぁいいわ。セイクリッド様の優しさが現れた結果だもの。返してきてもらったんだから文句は言えないわよね。その代わり、一週間以内に返すよう、魔理沙には伝えておいて頂戴」
そう言うと、再び本に目を走らせてしまった。俺は小さく返事をし、図書館を後にした。先程読んでいた本を本棚の奥に隠し、俺の持ってきた本を整理し始めた。後でこっそりと、本を覗いてみるのもいいかもしれない。
俺は早速紅魔館を出、魔理沙に事情を説明しに行った。向かったのは香霖堂、ここなら潜伏率は高いとパチュリーからも聞いている。
案の定、魔理沙は香霖堂に居た。開きっぱなしの玄関の外から中を覗くと、香霖と何かのやり取りをしているようだが、俺には魔理沙がガラクタを押し付けているようにしか見えない。俺が店内に足を踏み入れると、魔理沙は俺の姿を見てひどく驚いていた。霖之助は笑顔で俺を出迎え、棚に置いてあった湯飲みを手にしたが、俺は首を振って断った。催促してしまうというより、苦手な緑茶を飲みたくないというのが本音だった。用件を伝えると、魔理沙は胸を撫で下ろして小さく頷いた。当初からくつろぐ予定は無かったため、俺は二人に声を掛けて玄関へと向かった。
「主人、霖之助の主人は――って、あやーっ!?」
何事かと思ったら、お騒がせの野次馬、射命丸 文だった。玄関の僅かな溝に突っかかり、俺の方へと倒れこんできた。寸でのところで倒れるのは堪えたようだが、丸くした目と震えた手は俺に違和感を与えた。文は肩にぶら下げたカメラを両手でしっかりと持ち、俺の正面で構えた。肩に止まっている烏がカァカァと鳴いている。
「こ、これは大スクープです!」
「うるせぇな、何だって――おい、止めろ。俺はそのカメラって奴が嫌いなんだよ」
「そ、そそそうでしたっけ? セイクリッド・スカーレット復活! 新聞のネタは決まったも同然で――あやっ!?」
カメラのフラッシュを直視しないように目を覆い、騒ぐ文を無視してカメラのフィルムを抜き取った。理屈は知らないが、カメラはこのフィルムを抜かれると意味がないという。過去に何度もフィルムを抜き取ったことがあったというのに、本人はそれをすっかり忘れていたようだ。俺はフィルムを握り潰す――いつものようにふりをしただけだが――と、文は突然表情を崩し、俺の腕にしがみ付いてきた。
「ま、待ってくださいよセイクリッドさん! いや、セイクリッド様、旦那様、ご主人様! 私の生活が掛かっているんですよ……お願いですから一枚だけでもっ……」
「わ、分かった分かった。ほら、さっさと写真撮って帰れ」
「ありがとうございますー!」
子猫のように擦り寄ってくる様子を鬱陶しく思いながらも、昔もこんな感じだったかなと、笑みを零した。その時目に映った香霖と魔理沙の呆然とした表情を見て、文を無理矢理引き離した。フィルムを受け取った文は、自然な方が様になるといって、わざわざ斜めから写真を撮った。
明日の新聞を楽しみにしろ、そう言わんばかりに、文は調子付いた声で去っていった。ここへ来た目的は果たしたので、俺も香霖堂を後にする。
上空へ飛ぶと、博麗神社が目に入った。外見は昔と変わっていないようだが、霊夢という新しい巫女の情報を探るのも悪くはない。あのお札の仕組みを教えてもらうのも良いだろう。俺は方向を変え、参拝者の居ない博麗神社へ飛んでいった。
博麗神社の参拝者は居なかった。博麗神社は幻想郷と外の世界の境に位置しているため、沢山の参拝者が居てもおかしくはないはずなのだが、外の世界の奴らは博麗神社を見つけることは出来ない。外の世界から幻想郷へ入るのは難しいが、幻想郷から外へ行くのは容易い。何故なら、幻想郷は特別な場所だからだ。まるで、幻想郷の位置している場所そのものが四次元空間に位置しているかのように。
外の常識はここでは通じない。幻想郷の常識は外の世界の非常識となっているから。外の奴らは幻想と空想を勘違いしている。それだけのことだ。
一方、人里からの参拝者も殆ど居ない。わざわざ危険な獣道を通ってまで、何の御利益のない神社にくるような輩はいない。昔の博麗神社は殆ど賽銭が入っていなかったが、今も同じようにしているのだろうか。
霊夢は一人お茶を飲んでいる。縁側に腰掛け、日に当たっている。その若い歳から随分と年寄り臭いことをしている。こちらの姿に気が付いたのか、霊夢は室内へとあがりこんでいった。
「おいおい、客を持て成すお茶も出せないのか?」
「うっかりしていたわ。苦い苦いお茶が欲しいのね」
棒読みでそう言う霊夢に、俺は苦笑いをして首を振った。霊夢は俺を拒むつもりは無いようで、縁側から部屋の中へ上がらせてもらった。
部屋の構造は昔とちっとも変っていなかった。変ったことといえば、大量の酒が置いてあることだった。霊夢は随分と酒豪なのかと思いつつも、あまり気にはならなかった。緑茶の代わりに、霊夢は冷えた麦茶を出してくれた。口を付ける。これなら大丈夫そうだ。霊夢は頬に手を当て、暫らく黙り込んだ。
「特に用はないんだけどさ。ちょっと様子が気になって」
「あら、私の?」
「お前の力にな。俺は先代の巫女に負けたことはなかったんだ。単純な力量差で、だ。だが、お前はたった五枚の札で俺を追い詰めた。それがどうも――」
「悔しいのね?」
霊夢はニヤニヤしながらそう言った。霊夢の明るく黒い瞳は俺の心まで読み取っているような気さえする。黒い髪も、まるで一本一本が生きているかのように光沢を俺へと向ける。俺はこの巫女に勝てそうな気がしない。ただ、相性が良くないだけ、運命でそう決まってしまっているのなら、そのほうが気が楽だった。
俺が小さく舌打ちをすると、霊夢はどうしようもないという風に、巫女服に手を突っ込み、お札を取り出した。俺があの時に張り付けられたお札と同じものだった。途端に、霊夢はちゃぶ台を乗り出し俺の胸に札を押し付けてきた。油断していた俺は避けるよりも早く、札に縛られ――ていない。
「……おかしいな」
「どう? お札そのものの威力は大したことないのよ」
「……つまり?」
「あら、わざわざ言ってほしいの?」
その態度がいちいち癪に障る。お前など眼中にはない、私の足元には及ばない――そんな風に言っているようにさえ思える。悔しい。博麗の巫女に、博麗霊夢に勝ちたい。
「なぁ、弾幕ごっこって……今でも変ってないのか?」
「八年ほど前、スペルカードを導入したわ」
「……スペルカード? 弾幕ごっこに必要な物なのか?」
「なくても大丈夫だけど……」
俺は霊夢に弾幕ごっこをするように言うと、暇つぶしと称して承認した。新しいルールも教えてもらい、表へ出る。霊夢の弾幕を俺はまだ見たことがない。しかし、逆もまた然り。情報処理能力や判断能力には多少の自信がある。霊夢がいくら強力な力を持っていたとしても、当たらなければどうということはない。そう、あの時のお札も、不意打ちだった――空しい弁解。止めよう。
霊夢はふわりと宙に浮いたまま、俺の方を見る。首を回し、大きく身体を伸ばしている。余裕そうな表情――勝ってみせる。
霊夢の合図と同時に、俺は動き出す。霊夢の面倒臭そうな表情目掛けて、ありったけの弾幕を放った。
結果は見事な惨敗だった。先程の魔理沙と俺のようだった。俺の弾は霊夢に当たるどころか、数回衣服を掠っただけだった。。それだというのに、霊夢は余裕の笑みを浮かべ、俺に次々と弾を当てていった。直撃はしなかったものの、殆どがグレイズ。俺には分かっている。グレイズした分、被弾していたことを。霊夢は悔しがる俺を弄んでいたのだ。霊夢の弾幕は非常に独特だった。軌道が読めず、相殺するほかに術はなかった。ごっこあそびだけあって怪我はしなかったものの、あの速度は並以上の破壊力を持っている。
本気でやりあっていたら、死んでいたかもしれない。
縁側で俯く俺の傍に、霊夢は湯飲みを置いた。霊夢は隣に座り、お茶を啜る。俺の様子を見兼ねたのか、顔を覗きこんでくる。反射的に顔を反らす。自分が惨めで仕方がない。天狗になっていた俺を自嘲したくなる。
「一応、幻想郷の結界の責任者でもあるわけだし、あんたみたいな妖怪に負けるわけにはいかないのよ。私に勝つなんて百年早いわ。その頃には私も死んでるでしょうけど。……ちょっと、そんな目で見ないでよ」
「……ちょっと自信なくした」
霊夢は溜息を吐き、音の響くように強く湯飲みを置いた。
「あんた、案外子供っぽいのね」
「これが俺の本性だと思ってくれればいいさ」
これも、相性というものだったならいかに気分が楽になることか。そんな事は言い訳以外の何物でもないことは分かっている。だが、悔しい。いつか、必ず霊夢に勝ってみせる。
霊夢は不思議そうに首を傾げ、俺の方へ微笑みかけた。
「少なくとも、私の知る限りじゃ一番強いと思うけど」
「慰めもお世辞も遠慮しておく」
霊夢は始末の悪い俺に溜息を漏らし、お茶を啜る。左手の傍にある湯飲みを叩き落したくなる衝動に駆られそうになる。霊夢は無言のまま縁側を出、神社内の掃除を始める。俺の存在を消しているかのように、霊夢は黙々と掃除を進める。
暫らくそんな霊夢を見ていて、急に身体の力が抜けた。馬鹿らしくなってきた。
俺は何を悔しがっていたのだろう。霊夢に勝ってどうしようと思っていたのだろう。幻想郷最強を気取って、妹たちを守るため? それとも、優越感に浸るだけ? そう考えたら、どうでもよくなってしまった。霊夢は特別。幻想郷の結界を維持する為に必要な人物。俺ごときが勝つなんて百年早い、強ち間違いではないかもしれない。
何も考えていなさそうな表情の霊夢に挨拶を告げ、神社を後にした。霊夢は気にも触らぬ様子で掃除をただ一人続けていた。
紅魔館へ戻るときには既に正午を回っていた。昼寝をしている美鈴と、紅魔館の隣にある湖で飛び交う妖精。平和を実感しつつ、門の傍へと降りる前に屋上の人影に気が着いた。二つの大きな白いガーデンパラソル、白い椅子とテーブル。笑顔で接する咲夜と、紅茶を楽しむレミリア。あまり元気そうではないフラン。パチュリーはもう片方の日陰の下で黙々と本を読んでいる。
食事をしているようだったので、俺は空いている椅子へと瞬間移動で向かった。ちょっとした悪戯心が働く。真っ先に気が付いたのはこちら側を向いていた咲夜とレミリア。俺が手で挨拶をすると、咲夜はお辞儀をし、レミリアはにっこりと笑った。俺に背を向けるフランは不思議そうに二人を見つめている。パチュリーは本に見入ったまま俺に気が付かない。ここへは無理矢理連れてこられたのだろうか。
俺に気が付かないフランの手元にあるサンドウィッチを取ると、フランはばっと背後を振り向いた。同時に、笑顔が零れた。
「お兄……きゃっ!」
「フランドールお嬢様、気化してしまいますよ」
日陰から飛び出そうとするフランを、俺が止めるよりも早く、咲夜が引き止めた。気化の意味が分かっていないようだが、俺が日向を指差すとフランは顔を青ざめた。
俺は椅子を移動させ、レミリアとフランの間に座る。フランは相変わらずだったが、レミリアもいつも通り、冷静を装っていた。フランが俺に抱き付く度、咲夜は口を開けたまま暫らく石になる。俺はその度に咲夜を諭すのだが、どうも自分の首を締めてしまっているような気がしてならない。
フランのサンドウィッチを貰い、首を回す。くっ付いたまま離れようとしないフランを何とか引き離し、体を伸ばす。思えば、霊夢との弾幕ごっこで体が疲れている。俺が頼む前に、紅茶は目の前に置いてあった。時間を操る能力は便利だとは思うが、やはり紅茶を待つ楽しみというものも欲しい。とは思いつつも、紅茶を啜り、一息吐く。
今、レミリアはどう思っているのだろう。フランのように、人前でも甘えたいのだろうか。今の様子を見る限りではその様子は見られない。やはり、紅魔館の主としての風格を損なわないためだろうか。
そんな心配を他所に、咲夜とフランの目に映らないようにして、手の平を握ってきた。
「兄上、久しぶりに遊ばない?」
「勿論。だが、何して遊ぶんだ?」
「弾幕ごっこ、とか」
「ずるーい! フランも遊ぶー!」
騒ぎながら寄り付くフランを押さえ、頭を撫でる。微笑む。素直なのか馬鹿なのか。
「フランはレミリアの次だな。レミリア、館内で遊ぶか?」
「外で遊んでくれるの? 私もフランも消えちゃうけど」
どことなく霊夢の言い方を思い出させたが、気にはならない。俺がレミリアの手を握り締めると、レミリアも同じように握り返してくる。レミリアは頬を赤らめたかと思うと、何かを吹っ切ったかのように立ち上がった。阿吽の呼吸とはこのことか、レミリアが日向に出るのと同時に、咲夜は日傘を差す。俺ももう一つの日傘を取り、フランに渡す。
久しぶりにレミリアから遊ぼうと声を掛けてくれた。それだけで愉快な気分になれた。パチュリーはいつになったら本から目を離すのか気になりつつも、螺旋階段の待つドアを開け、ゆっくりと下っていった。
昔に比べ、レミリアもフランも格段に強くなっていた。負けはしなかったが、昔のように余裕を持つことは出来なかった。レミリアとフラン同士の弾幕も見たが、軍配はレミリアに上がった。
時間はあっという間に過ぎる。辺りは暗くなり、メイドたちは浴室に、気がつけばパチュリーは図書館に。
夕食も終え、入浴も終えた。その間、妹二人とずっと一緒だったのは言うまでもない。
ベッドの上で寝転がるフランとレミリア。俺は窓の外を見、欠伸をする。美鈴が寝ている。一体、いつ起きているのだろう。ぼーっと窓の外を眺めていると、レミリアの声が耳に入った。
「兄上、ちょっと話したいことがあるんだけど」
「何だ?」
「……昔はいつもフランと寝てたでしょ? けど――」
「ね、お兄様。私は咲夜と寝るから大丈夫だよ、今日はお姉さまと寝てあげて」
フランはレミリアの会話に割って入る。それがレミリアの言いにくい一言を察してのことか、ただ話をしたかっただけかは分からない。レミリアは小さく頷き、口を開く。
「……うん、だから、一日ずつ交代で……いい?」
髪を撫でると、二人とも俺に笑顔を振舞う。
暫らく話すと、フランは咲夜を呼んだ。咲夜は瞬時に現れ、俺たちの前で小さく頭を下げた。フランは咲夜の手をしっかりと握り、俺に微笑みを残して咲夜と共に部屋を出た。
二人が部屋を出た瞬間、レミリアは俺の腰に飛びつく。フランのような無邪気さではなく、躊躇うようにして。口をもごもご動かしながら、ゆっくりとベッドに向かう。俺をベッドに座らせ、レミリアは部屋の明りを消す。窓の外からは明るい月明かりが注ぎ込まれ、レミリアを照らす。レミリアはベッドに入る前に、俺の隣に腰掛けた。手を握り、黙り込む。
「どうかしたのか?」
「……ううん。寝ましょ」
ベッドに入り込むと、レミリアは俺と少し距離を取ってベッドの隅に寄る。だが、レミリアの手はしっかりと俺の手を握っている。背中に手を回し、ゆっくりと抱き寄せる。抵抗はない。違和感を覚える。
「兄上……」
「……嫌ならいいんだ、ごめんな」
背中に当てる手を解き、少し距離を置く。レミリアは俯く。
「ううん……。私、決めたから」
「何を?」
「いつまでも兄上に頼るばかりじゃいけないんだ、って。いつかは兄上もいなくなっちゃうから」
「俺がここの主になってもいいんだぞ? お前に無理をさせるわけにはいかないからな」
「……兄上は優しすぎる。傍から見たら……なんでもない」
レミリアの言わんとすることを悟り、苦笑いをする。確かに、こんなところを文に見つかったら――とっちめるしかない。嫌な考えを振り切り、レミリアに視線を向ける。くすくすと笑いながら、口だけを動かしている。
……ロリコンと言っているつもりのようだ。
髪をくしゃくしゃに乱す。小さく声を上げ、俺の手を振り払う。無邪気な笑みを見せ、俺に寄り付く。
「こういうのはブラコンって言われるんだぞ?」
「いいよ別に……兄上のこと好きだから」
そう言うと、レミリアは静かに眠ってしまった。狸寝入りか、溜まった疲れに襲われたのかは分からない。妹の俺に対する『好き』と言う単語を、どのような意味で言っているのかは分からないが、深く考えないのが吉だろう。
幻想郷はもう昔のものではなかった。新しい巫女は力を身につけた。弾幕ごっこも新規になった。新しい店も出来た。フランもレミリアも強くなった。俺も変った。他にも、変わったものは多くあるだろう。
レミリアに睡魔を押し付けられているかのように、俺はぐっすりと眠ってしまった。
隣で寝ているレミリアは頬を緩めて頬を赤く染めていた。
「お嬢様! た、大変ですっ!」
朝一番に、咲夜の声が聞こえる。兄上の両腕が私を包み込んでいて、目の前には兄上の胸元がある。温かくて気持ち良い、兄上の心音が聞こえるほど近くにいる――幸せ。このままずっと傍にいたい。けど、兄上に宣言したから。兄上に頼ってばかりじゃいけない、と。
兄上の腕をするりと抜け、咲夜を呼ぶ。咲夜は切り立った崖のような表情をしながらも、あたふたとしている。左手には新聞、右腕にはナイフ。新聞を切るような動作を見せ、私に新聞を見せる。
見出しには大きく【紅魔館の恋沙汰】と書かれている。大きな写真が貼られている――私が顔を上げ、兄上の頬に口付けしている写真。丁度良い角度から、綺麗に撮ってある。これは間違いなく昨夜の写真。手が震える、笑みが零れる。
兄上が目を覚ました。上体を起こし、両腕を上げて大きく身体を伸ばし、欠伸を見せる。私の持つ新聞に気が付いたのか、ベッドを出てこちらへ歩み寄ってくる。隠そうかと迷ったが、素直に手渡した。
「文の奴、早いな。どれどれ――って、何だこれは。あいつらしくもない、合成か?」
真実のみを報道するカラス天狗が嘘を載せていることに、驚いているのだろう。私の手から新聞を取り、活字に目を通す。兄上の手が次第に震えてきた。私を見つめ、溜息を吐く。咲夜は私と兄上と新聞を交互に見ている。
「悪いが、俺の朝飯は後回しにしてくれ。文をこらしめてくる」
「この写真、偽物だと思う?」
「当たり前――ん……レ、レミリア?」
兄上と咲夜の驚いた顔、目前にある兄上の顔。兄上は唇を舐め、天を仰いで目を瞑る。
「これでも信じられない?」
「あー……信じるよ、信じる。だが……やっぱり文をとっちめてくる」
「いってらっしゃい。すぐ帰ってきてね」
兄上は首を傾げ、頭を掻きながら部屋を出て行った。
咲夜の困惑した表情、兄上の寺照れた顔、唇に感じた確かな感触……その全てが,
私に確かな快感をもたらした。
死んだはずのレミリアとフランの義理の兄が地下室より生還。白妖城、改め紅魔館の変りように驚く中、一番驚いたのは姉妹の仲。兄の死因を巡るレミリアとフランの睨み合い。しかし、それは自分を縛るレミリアと自我を保つフランの虚しい抗争だった。兄は何とか二人の仲介に入ることに成功し、兄妹仲は再び大きな館となった。
前作、スカーレット兄妹の続編です。前作は完結しておりますが、今回の設定は前作の続きとなっております。
レミリアとフランが目の前で微笑んでいる。二人は手を繋ぎあい、互いに俺の方をまじまじと見つめている。いつものように、俺も笑顔を振り撒く。途端に、フランは悪戯な笑みを浮かべた。瞬間、腹部に激痛が走る。
目の先には紅く染められた天井が映る。妙に歪んでいるようにも見えたが、首を振るうと歪みは失せていった。左右の腕が動かない。金縛りか? いや、つま先はきちんと動いてくれる。
右の腕にはフランが、左の腕にはレミリアの頭が圧し掛かっているだけだった。そして、右の脇腹にはフランの膝がめり込んでいた。夢から覚めたのだと、今更となって確認した。二人はぶつぶつと寝言を発し、時折口元を緩ませる。起き上がって顔を洗いたい。腹も痛い。二人を起こさないように、慎重に腕を引き抜く。まずはレミリアから。俺の腕は運よくレミリアのうなじにすっぽりと収まっていた。左の状態だけを起こしつつ、ゆっくりと腕を引く。何とかなった、レミリアは何事もなかったかのように熟睡している。
続いてフラン。こちらは朝一番に膝蹴りを繰り出したうえ、両手でしっかりと俺の腕を掴んでいるのだから性質が悪い。このまま起こしてしまっても良いのだが、子どもは寝起きが悪い。触らぬフランに嫌悪なし、だ。開放された左腕でフランの腕を解くが、指に吸盤がくっ付いているかのようになかなか剥がれない。が、横に指をずらすと、いとも簡単に指は剥がれた。左手でフランの頭を抱え、右腕を移動させる。金髪の髪は艶やかで絡まりのない綺麗なものへと再生していた。逃げ切った右腕は左腕を援助し、ベッドの上にフランの頭を戻す。
さて立ち上がろうかという時になったというのに、腰が持ち上がらない。まさかレミリアが服を掴んでいるとは思わなかった。レミリアもまた、強く握り締めたまま服を離さない。
どうしようか悩んでいると、脳に電気が走った。今の苦労が馬鹿馬鹿しく思える。
テレポート――超能力の一種で、自身を瞬間的に別の地点に移動させるもの――を使えば良い、簡単なことだ。目を瞑り、部屋にあるテーブルを思い浮かべる。目蓋越しの光も無くなり、眼球を一瞬の暗闇が支配する。その闇が晴れ目を開けると、レミリアの掴んでいた服を残してテーブルの傍へと移動していた。もぬけの殻となったベッドには掛け布団が俺の寝ていた後が形となっている。一枚の服と二人を残し、静かに隣の洗面所へ向かう。
顔を洗い、軽く歯を磨く。窓の外からは館の門が見える。窓を開けると、涼しげな風が入り込み、鳥のさえずりも響き渡る。明るさからして卯の中刻。いつもより遅い目覚めのようだ。寝室へ戻ると、レミリアが上体を起こして握っている俺の服を見つめていた。まだ寝ぼけているのか目は虚ろ、口を半開きにしている。
「起こしちまったか?」
「んぅっ……大丈夫。おはよう」
レミリアはベッドから飛び降りると、俺の横を通り過ぎて洗面所へ向かった。ベッドにある服を取り、着込む。フランは寝返りを打ち、笑みを零している。
今日の予定を確認するにも、俺の従者は誰一人としていない。いまの主は俺ではない。妹のレミリア・スカーレットだ。それを考えると、随分と肩身が狭くなってしまったような気もするが、大した差し当たりはない。
戻ってきたレミリアはフランを揺すって起こす。フランは目を擦り、大きく口を広げて欠伸をする。俺の姿を見て、フランはベッドから飛んできた。今朝、俺の腹を蹴ったことは覚えていないのだろう、無邪気な子悪魔だ。
「えへへ、おはよっ」
「おはよう。ほら、顔洗ってきな」
フランは大袈裟に頷くと、洗面所に駆けていった。
俺が朝食の話を持ちかけるよりも早く、室内にドアをノックする音が響く。レミリアは慣れたように「入って」と言うと、咲夜が頭を軽く下げてゆっくりと入ってきた。レミリアは寝巻きを脱ぎ、咲夜からいつもの服を受け取っていた。レミリアはいつからブラジャーを着けるようになったのかと思いつつも、暫らくは目を反らした。
「お嬢様、お食事はいかがなさいますか?」
「皆で頂きましょう。そうよね、兄上」
「お前の好きなようにすれば良いさ」
レミリアは腰に手を当て、頬を膨らませた。咲夜は主人の様子に目を丸くしている。いままで、このような態度を見せたことは一度も無いのだろう。レミリアの言う通り、朝食は皆で――美鈴は除かれてしまったが――済ませた。もう一昨日のような殺伐とした空気は館に無かった。
朝食を終え、適当に館内をうろつこうとするも、フランは片時も離れようとはしなかった。レミリアは紅魔館の主という立場上、幼稚な行動を公の場で示すことはさすがに抵抗があるようだ。そんな中、フランは自由気ままに過ごしている。やはり、レミリアには主という身分は辛いのだろうか。いっそのこと、俺がもう一度館を白く染めて白妖城を再臨させても良いのだが。
突如、小さな地響きが館内を襲った。それと同時に、轟音が耳を貫いた。図書館の方向だった。パチュリーは度々薬の調合に失敗していたが、煤で顔を真っ黒にしたり、小爆発で髪を焦がしたりする程度だった。おかしい、図書館で何かがあった。腰にしがみつくフランをそのままに、図書館へと向かった。
図書館のドアを開けると、真っ先に割れた窓ガラスが目に映った。倒れこむパチュリー、ばら撒かれた書物、欠けた壁、小さく光る星型の何か。子悪魔は隅でカタカタと震えている。一体何が起こったのか。
「パチュリー! 大丈夫か!」
「くぅ……いつものことよ……」
「おいココア! 何があったんだ!」
「お兄様、魔理沙だよ、魔理沙」
「……魔理沙? 誰だ、顔見知りか?」
フランはなんら変哲もなさそうな表情で俺に「魔理沙」と言う人物の名を口にした。白妖城、いや、紅魔館を襲うとは命知らずな奴だ。それに、パチュリーはいつものこと、と口走っていた。一度痛い目に合わせないと『魔理沙』はまたここへやってくるに違いない。
「子悪魔、その魔理沙って奴の目的は何だ?」
「え、えっと……勝手に本を借りていって……死ぬまで返してくれません」
「それは強奪って言うんだ。どこに住んでいるか分かるか?」
ココアは小さく首を振った。それを見たパチュリーは顔を起こして口を開いた。
「ここから戌の方にある魔法の森に住んでいるんだけど……普段は香霖堂に居ることが多いわ。香霖堂は……魔法の森と人里の境にあるわ」
「分かった。本は全部取り返してやるから安心しろ」
そういい終えると、パチュリーは小さく笑い、うつ伏せに倒れこんでしまった。フランを諭すと、にっこり頷いて服から手を離してくれた。空中浮遊、瞬間移動よりも精神力を使う超能力の一種。割れた窓から外へ飛び出した。ガラスが体をかすめ、服越しに肌が傷ついた。俺は強く照らしつける陽光を背中に、戌の方角へと飛んでいった。
香霖堂と思われる建物が見えてきた。どこにでもありそうな、少し大きめの一戸建て。店を経営していると考えれば悪くない大きさだった。入り口では男女が何やら話をしている。女性の方は箒の柄に何やら風呂敷を括り付けている。遠目に見ても分かるほど、風呂敷はカクカクに膨れている。
銀の髪、丸い眼鏡、全体的に青みを帯びた服。男性の方は俺の方へ目を向けた。眉間にしわを寄せ、俺の居る空を仰ぐ。男性がこちらを指差し、女性はこちらを振り向いた。目を瞑り、暗闇に身を任せる。目を見開くと、五尺ほどの距離を置いて二人の前に立つ。男性はひどく驚いていたが、女性の方はにやりと笑ってこちらを見つめた。女性は金髪の長い髪に、白と黒の目立つドレス、いや、西洋の魔女を思わせる服装だった。
「……お前が魔理沙か?」
「んあー? それがどうかしたのか?」
「パチュリーから奪っていった本を返してもらう」
魔理沙と認めた女性は薄ら笑いを浮かべ、後ろに立つ男に風呂敷を持たせた。箒の柄を地に着かせ、ヒュウと口笛を吹いた。
「お兄さん、弾幕勝負出来るんだな?」
「あぁ。お前には悪いが、少し痛い目を見てもらう」
「それは面白いな。兄さんには悪いけど、私は強いんだぜ?」
俺がこの世で勝てないと踏んでいるのはレミリアとフランだけ。ゲームで勝てても、俺は現実では絶対に妹たちに負けを譲らない。
魔理沙はこちらへ平手をかざした、いや、手の平には何かが握られていた。途端に、その物体から強い閃光が放たれ、視界は一瞬のうちにして白一色に染まった。魔理沙の持つ小さな何かからは想像もつかないほどの極太レーザーが放たれた。それだけではなく、赤と青を彩った星型の弾も無造作に飛んでくる。魔理沙は感心したかのような表情で、箒へ腰を掛けると、上空へと飛び上がった。風呂敷を預けられた男性はいつの間にか姿を眩ませていた。
魔理沙の背後からは星型の弾がいくつも飛んでくる。俺も同じように弾幕を張る。時折無数のレーザーを放っては来るが、軌道はどれも単調で、大した戦略的優位性は無く、飾り程度の意味しか持たなかった。フランと比べると、まさに月とすっぽん。大したことはなかった。弾の密度も並といったところで、速度は中の上、避けられないほどのものでもない。何より、殺傷能力の乏しさが、無意識のうちに安心感を持たせているのかもしれない。内ポケットから剣を振るい、飛び交うレーザーを断ち切る。魔理沙の焦った表情が目に映る。
俺の弾幕は殆どが紅みを帯びた、実体のない物。超物質とでも名づけたくなるくらい、自分でもよく分からない。勿論、手で掴むことなど不可能だし、衝撃も殆ど無い。ガスのような、光源のような、断定の出来ない謎のもの。被弾しても血は出ない、痛みも殆ど無い。その代償として、被弾する箇所は決まって綺麗になくなっている。肩に被弾すれば、まだ乾ききっていない糊でくっ付いていた腕は、細かく糸を引いたようにして綺麗に落ちる。被弾者に痛みはない、それと同時に、指先の感覚もない。被弾者の絶望に満ちた表情を見るたび、自分を呪ったりもした。過去に何度も、やむを得ずに段幕を張ったことも多かった。
魔理沙とやらはまだ若い。今ここで過ちを起こしていたとしても、矯正される期間は嫌と言うほどあるはず。それに、残りの生涯を絶望で過ごすのも酷な話だ。
ただ一つ、残念なことがあった。それは、それらしいことを言っておきながら、弾一つ俺に掠らせることすら出来ないこと。初対面の咲夜以下に感じられた。これ以上は無駄だ。集中力を切らした魔理沙が先にくたばるか、俺の方が被弾するか。無論、後者はあり得ないと踏んでいる。
俺は弾幕を振り払いながら、一気に間合いを詰めた。弾幕を弾幕で相殺しつつ、剣を振るう。魔理沙は距離を取りながら、弾幕を張り続けていた。魔理沙は相当な速度で遠ざかっていくが、レミリアには到底及ばなかった。魔理沙を凌ぐ速さで追いかけ、勢いよく剣を振るう。魔理沙の眼が大きく見開かれた。
魔理沙の放つ弾幕が途絶えた。帽子が飛ぶ。二つに裂ける。すかさず背後に回る。首元に剣を突きつける。
魔理沙は顎を上げ、息を呑んだ。切り裂かれた帽子は僅かな残像を残して地へ落ちていった。
「お前の負けだ。残念だったな」
「――ふん、私が負けたって?」
魔理沙の涼しい顔を見て、剣を握る手に力が篭り、刀身を傾けた。魔理沙はそれに気がつき、再び息を呑んで顔を上へと向けた。
「諦めろ。何なら、今ここで喉を斬っても――!」
脅したつもりだった。勿論、喉を斬って、死体と血染めの服を作るなんてことは頭になかった。それと同時に、右方から無数の針が飛んできた。右腕が一瞬震え、剣が首元から僅かにそれた。魔理沙は俺の隙を見逃さず、一気に間合いを広めた。針の出所を探るなんて考えよりも、右腕の痺れに耐えるので精一杯だった。札を剥がそうと左指で触れた瞬間、人差し指が痙攣を起こした。気を取り直して針を握ると、手の平に焼けるような痛みが走った。
ただの鋭利な針なら咲夜のナイフ以下の武器でしかない。痺れる原因は他にある。針と同じ数だけ腕に張り付いているお札。このお札は間違いなく『博麗の巫女』のものだ。大きさ、文字、色、僅かな違いこそあるものの、『博麗の巫女』のものであると断言できた。レミリアは博麗の巫女が代替わりしたと言っていた。どのような最期を遂げたのかは知らないが、彼女は長生きしすぎた。人間の域を超えていた。今の『博麗の巫女』がどの程度の強さを持っているかは知らないが、まだ若いことは確かだ。知識も経験も浅い。勝算は充分にある。ただ、右腕の麻痺さえなければの話だが。
魔理沙を見上げると、傍にはいつの間にかもう一人の女性が居た。腕を組みながら、しけた面でこちらを見ている。紅白の衣装、露出した腋、頭の大きなリボン。間違いない、博麗の巫女服だった。となると、彼女が新しい博麗の巫女。
「魔理沙、ちょっと油断しすぎじゃないの?」
「うるさいな、見たことのない弾幕だから戸惑っただけだぜ」
「……あいつの妖気、並じゃないわ。誰なの?」
「さぁ? そういえば、パチュリーがどうとか言っていた気がするぜ」
互いに慣れた口調だった。顔見知り、いや、それなりの親交はあるように思えた。
だんだんと、右腕の感触が無くなっていくことに気がついた。神経毒、いや……妖怪や魔物全般の対抗として作られたお札。
先代の巫女の対魔物の札を、自ら張ってみたこともあった。その時は身体が重くなったものの、生活するのに支障はないほどの微々たる効果だった。勿論、そのお札は雑魚相手には勿体無いほどの威力を誇っていた。先代の巫女は笑いながら「貴方は強すぎる」とそう言っていた。
それが、今となっては俺に対して身体の自由を奪うほどの威力を持っている。俺の知らない間に改良を施されたのか、この巫女が先代を遥かに上回る能力の持ち主なのか……考えるだけ無駄だった。
「ちょっとあんた、見ない顔だけど誰?」
巫女は馴れ馴れしい口調でそう言った。先代とはえらい違いだ。信用も薄いに違いない。いや、彼女もまだ若い。これから、と言うところだろう。
「紅魔の主、レミリア・スカーレットに兄がいるって話、聞かないか?」
「……魔理沙よりも下手な嘘ね。何ならここで退治しちゃおうかしら」
「あぁ、こんな危険な奴はさっさと退治するんだぜ」
魔理沙はこれを好機と踏んだのか、突然強気になり始めた。
俺は右腕が麻痺している。二対一、分が悪いのはこちらだ。しかも、今の巫女の実力が明らかではない。もし、お札ではなく、彼女の能力そのものがこの効果を強めているとしたら……単純な力比べでは勝機は薄い。
だが、腕が利かなければ、頭を使えばよい。俺は糸が切れたように首を垂れ、自らを鼻で嘲笑した。自由の利く左腕を軽く上げ、痺れを堪えて口を開いた。
「……俺は右腕が利かないし、無駄な争いはしたくない。魔理沙とやらが今までパチュリーから盗っていった本を返してくれれば、俺は大人しく引き下がる」
魔理沙のぎょっとした表情がちらりと見えた。俺は首を上げ、高みの見物に回る。
「何よ、事の発端はあんたじゃない」
「ち、違うんだ霊夢、あいつが無理矢理私の本を盗ろうとするから――」
「……魔理沙」
霊夢と呼ばれた新しい巫女は冷え切った目と声で魔理沙を威圧した。魔理沙は首以外を瞬間冷凍され、大きくうな垂れた。暫らく、霊夢は魔理沙に説教をしているようにも見えた。年をとった先代の巫女に怒られる自分を照らし合わせてしまった。
霊夢は最期に魔理沙の頭を軽く叩いた。魔理沙は俺の方を一瞬見、逃げるようにして香霖堂へ吸い込まれていった。追いかけようとつい足が出たところを、霊夢に止められた。
「ごめんなさい、貴方は悪くないのにね」
「いや、俺もむきになってた、悪いな。……ところでこれ、どうにかならないか?」
俺が札を指差すと、クスクスと笑ってこちらへ近づいてきた。札を引き剥がし、針を握る。俺が頷くと、霊夢は一本一本丁寧に抜いていった。
「巫女さんが妖怪に親切していいのか?」
「これは親切じゃないわ。始末をつけているだけ」
「ふっ、そうかい。魔理沙にはもう本を盗るなって言ってくれたか?」
霊夢が答えるよりも早く、魔理沙が戻ってきた。手元には一冊の本も持っていなかった。魔理沙は俺と霊夢の視線に怯んだが、少し距離を置いて口を動かした。
「香霖がお前に会いたいって……ち、ちゃんと本は返すって!」
「……まぁ、わざわざ断る理由もないしな。いいぞ、会いにいこう」
魔理沙はまたしても逃げ去るようにして香霖堂へ向かった。霊夢は「これでどう?」と言わんばかりに魔理沙を指差し、クスリと笑った。
改めて香霖堂を見てみると、今にも崩れてしまいそうなほどがたがたなのが分かった。玄関の引き戸は滑りが悪く、入るのに苦労した。家内は木の匂いと雨水の匂いが混じり、妙な匂いが鼻を蹴る。香霖堂と言うだけあって家内、いや、店内には様々な品物が置いてあった。手前の棚には食器やくし等、日常品が多く並んでいる。昔はわざわざ人里まで足を運んだというのに、こんな近くに店が出来て、咲夜も助かっているのだろう。
すると、奥から男性と思しき声が聞こえた。どうやら、魔理沙の声に返事を返しただけのようだった。少し高めの柔らかい声。魔理沙が香霖と声をあげている。香霖と言う人物が置くから顔を覗かせた。声に見合う、優しげな笑顔を見せた。
「いやぁ、済まないな……っと、いらっしゃい」
と言われても、俺は香霖に呼ばれただけだ。香霖はお盆に四人分の茶を乗せ、奥の部屋にあるちゃぶ台へと置いた。眼鏡を掛け直し、俺と霊夢に手招きをする。魔理沙はこちらに背を向ける位置に座り、度々香霖の表情をうかがっている。俺はどの場所に座ろうか迷った。勿論、魔理沙との位置関係で、だ。隣に座るのも近くて向こうは嫌がるだろうし、反対側に座るにも顔が向かい合う。三秒間悩む内に、霊夢は俺の左に、香霖は正面に、魔理沙は右側で落ち着いた。
緑茶――これを緑茶と言うのを、セイクリッドは知らない――は苦手だった。紅茶とは違う苦味があまり好きではない。そうは思いつつも、緑茶を啜る。思わず咳き込みそうになったが、何とか耐えた。無理して口に含んだのが間違いだった。
そんな俺の姿を見て、三人は小さく笑っていた。俺はわざとらしく後ろ髪を弄ると、香霖が話題を持ちかけてきた。
「人違いだったら済まない。……セイクリッド・スカーレット、かな?」
「お、あんたよく知っているな。ちょっとこの二人に教えてやってくれよ」
香霖は満足そうに笑みを浮かべ、霊夢は俺の顔を見つめながら、魔理沙は遠慮気味にこちらを見ながら、何かを考えているように思えた。しかし、残念ながら俺の顔を見ても妹たちと似ているところは見つけられないだろう。レミリアとフランはツェペシュの末裔、俺はロキとアングルボダの間に生まれた最後の子。
ツェペシュ――本名はヴラド三世――とは元々、『串刺し』の意味を持つ。その名の通り、ツェペシュは罪の程度を考慮せず、罪人を次々と串刺しにしていった。しかも、罪もなくして串刺しに処された臣下も少なかったという。十尺はくだらない木の杭で体を貫き、その杭の先端を高々と掲げ、罪人は晒し者とし、腐敗を始めるまで放置される。そして、彼のもう一つの顔がドラキュラ『吸血鬼』だった。その罪人から滴る血を啜る様が、周囲からはドラキュラと呼ばれる原因の一つだったのだろう。だが、それは吸血ではなく、ただ溢れた血を飲んでいるだけだ。だから、俺はレミリアとフランは本当はツェペッシュの末裔ではないと思っている。
物心付いた頃から、俺はレミリアとフラン、ツェペッシュの傍らにいた。当時の俺は千歳くらいの年齢だったと思う。俺の親はツェペッシュではない。父親は神、母親は巨人だ。ツェペシュは俺を長い間育てていたらしく、俺も彼に対する恐怖や警戒は一切なかった。親のことを聞いてもツェペシュは悲しそうな表情で「死んでしまった」と答えるばかりだった。レミリアとフランの親の話をもち掛けると、ツェペシュは決まって黙り込んだ。俺はその頃からレミリアとフランの世話をしていた。その頃から、フランの破壊衝動はあったが、今ほど凶悪なものではなかった。何年か経った後、ツェペシュは死んでしまった。何者かによる暗殺だった。不思議と怒りはなかった。ただ、ツェペシュとの約束は守ろうと決めていた。
レミリアとフランを守ること。ツェペシュと俺たちにどのような繋がりがあったのかは分からない。もしかすると、ツェペシュも神のような存在だったのかも分からない。ただ、強い運命的なものを感じた。それだけだった。
俺の父親のロキは神とそれに対抗する巨人の血を引いていたが、神々の最高神に認められ、度々、神々に悪戯施し、宝を授けた。しかし、最期には最高神の息子を殺害する主犯格となり、追放され、捕らえられ、洞窟の奥へと閉じ込められる。そこは蛇の毒が垂れ落ちる場所となっており、毒が触れるたびに彼は苦痛のあまりに大声を上げ、激しく悶えた。その時の身体の揺れがあまりにも大きいため、それが地震の原因ともなっていた。世界の最終戦争――ラグナロク――で神々に復讐を図るも、光の神と相打ってその生涯を閉じる。
ロキとアングルボダは他に三人の子を産んだ。口を開けば上顎が天まで届く巨狼フェンリル、死者の世界を支配する女神ヘル、水中都市を取り巻くほど巨大な海蛇ヨルムンガンド。血の繋がった兄も、姉も、記憶にはない。俺がどのようにして生き残り、どのようにして崩壊した世界を後にしたのか、今でも記憶のないものを思い出そうとしている。
吸血鬼の子と、悪戯好きの神と巨人の子。似ても似るはずがなかった。似ているのは目が赤いこと、翼があることの二点。血は好物ではないし、太陽も屁とも思わない。十字架も、炒った豆も、流水も、恐れることはない。俺が苦手なのは誰かの怯えた表情と血、にんにく。レミリアに吸血鬼と勘違いされたのは、俺がにんにく嫌いだったからだろう。あの匂いはどうも耐え難い。
香霖は話を終えたようで、一息吐いた。霊夢と魔理沙は暫らくの間固まっていた。
「いやいや、まさか本人に会えるとは思ってもみなかったよ。君はもう過去の人だと割り切っていたんだけどね。ここらでは貴重な男性だ。僕も女性の相手ばかりでは息が詰まる。偶にでもいいから、ここへ顔を覗かせてくれないだろうか?」
「そうだな……暇が出来次第来ることにしよう。それでいいな?」
そう言うと、香霖はにっこりと微笑んでいた。
気が付けば、魔理沙の表情に焦りや緊張は見られなかった。ちゃぶ台にうな垂れ、溜息を吐いてばかりだ。霊夢はお茶を啜りながら、こちらの顔をまじまじと見つめてくる。思わず笑みを零すと、馬鹿にしたように笑われた。胸が痛い。
「霖之助さんの話聞く限りだと、貴方相当な歳でしょ。いくつ?」
「千五百歳くらいだな。まぁ、幻想郷に来たのは五百年ほど前だが」
「ふぅん。それじゃあ、紫とか白玉楼とか永遠亭とかも知っているわけ?」
「当たり前だ。……紫か、そんな奴もいたな」
紫、幽々子、永琳……年長者ばかりが脳裏に甦ってくる。どこも何も変っていないといいのだが、あの日から三十年。変化がないはずがない。
話を続けているうちに、いつの間にか俺と霊夢の会話になっていた。魔理沙はうつ伏せているばかりで、香霖は取り付く島もない。
香霖は仕方なさそうに本を取り出した。俺は思わず、あっ、と声をあげた。
「おい魔理沙、忘れていたが、本を返してもらう」
魔理沙はゆっくりと顔を上げ、苦虫を噛み潰したような表情をしている。
「残念だったな。このまま忘れていたら、パチュリーに合わせる顔がない」
「はぁ……仕方ないのぜ。……よいしょ、じゃあなお二人さん」
「それじゃ、俺も今日は帰る。じゃあな、香霖、霊夢」
魔理沙は重い腰を上げ、外へ向かっていった。俺は結局、殆ど緑茶を口にはしていないが、魔理沙も口を付けていないようだった。部屋を出ようとすると、霊夢も後を追って部屋を出てきた。このまま帰るつもりなのだろう。
箒に腰掛けた魔理沙は魔法の森へ向かって飛んでいった。木々の掻き分けた場所に、小さな家があった。決して大きくはないが、人一人住むのに問題はなさそうだった。辺りには幻覚を見せる胞子を放つ茸もあり、人妖の姿はない。俺はその瘴気に耐性を持っているため、問題はない。目の前で俺にストップを掛ける魔理沙も、耐性を持っているようだった。
俺は何故か、魔理沙に外で待つように言われた。理由は分からないが、人に見られたくないものがあったりするのだろう。それを見て人を小ばかにするほど、俺はひねくれ者ではない。家内からは物が擦れる音や落ちる音、崩れる音が漏れている。
魔理沙は玄関を開け、十冊程度の本を抱えてきた。俺の目の前に置いたかと思うと、もう一度中へと入り、また本を抱えてきた。その作業を三回繰り返し、見下ろせば俺の足元には三十三冊の本が置かれている。殆どが魔道書や図鑑。返したくないのも分からなくはない。大きさや厚さはどれもまちまちだが、これをまとめて持っていくのも面倒だ。
「はぁ……ほら、持っていってくれよ。代わりに謝っておいてくれ、悪かったよ」
「……お前もまだ読んでいない本もあるだろう。ちゃんと期間を守ってくれれば、俺がパチュリーに頼んでおいてやるから。第一、こんな沢山は重そうだ」
俺がわざとらしく微笑むと、魔理沙は少し頬を赤らめ、遠慮気味に三冊の本を抜き取った。途端に表情を変え、白い歯を見せて小さくお辞儀をし、本を持って家へと吸い込まれていった。顔が良いだけの無愛想な女だと思っていたが、案外可愛らしいところもあるものだな、と思い、俺も笑みを零した。
勿論、三十冊もの本を抱えるのは難しい。念動を使えば、楽に運ぶことが出来る。当初から、抱えるなんて考えは毛頭なかった。念動は浮遊よりも大きな精神力を使う。だから、あまり多用はしたくないのが本音だが、本を周囲に浮かべゆっくりと紅魔館へ向かっていった。
割れた窓ガラスはいつの間にか元通りになっていた。仕方なく正面の玄関から入り、図書室への廊下をふわふわと飛んでいった。その様子を見たメイドたちがこちらをじろじろ見るのが気になり、とりあえず足を床に付くことにした。俺の話は咲夜から聞いていると思うのだが、こういった反応は絶えない。話しかけようとすると逃げられるし、かといって黙ってみているのも癪ではある。
なんだかんだ考えているうちに、図書館へと着いた。図書館ではいつものようにパチュリーが本に捕らえられていた。ココアの姿は見えないが、奥で本を読んでいたり整理したりしているのだろう。二人とも、俺が入ってきたことには気がついていないようだった。返ってきた本を静かに置き、パチュリーに近づく。
後ろから本を覗くと、何やら難解な字がびっしりと詰まっていた。どれもこれも記号のような文字。四角の中に黒点を置いた文字や円を三重にした文字、アルファベットのVに二本の縦線が入った文字等、奇怪なものばかりだった。
俺の立っている場所が本の影になっていることにも気が付かないのはどうかと思ったが、わざと無視しているのだろうか。
ココアは本棚の角で小さめの本を読んでいた。ココアも集中しているのか、こちらの気配には気が付いていないようだった。ココアの読む本は俺でも読める、幻想郷での公用語だった。数行読んでいると、面白い単語が目に入り、そのまま読み進めた。自分の顔が気持ち悪いほどニヤニヤしているのは分かっていたが、暫らく文字に目を走らせた。
俺は気付かれないように身体を戻し、声を掛けた。
「ココア」
「こ、こあぁっ! ……セ、セセセイクリッド様?」
ココアは本を投げ出してしまい、慌てて本を拾いにいった。俺は笑みを浮かべながら顎に手を当てた。
「随分と面白い本読んでいるんだな?」
「み、見ましたか?」
「『彼女の艶やかな髪は俺の性欲を掻きたて、彼女はゆっくりと俺のぺニ――』」
「わあぁっ! い、言わなくていいです!」
ココアはまたとないほど赤面し、本を背後に隠す。俯いたまま金魚のように口をぱくぱくさせているが、残念ながら言葉になっていない。
「はは、お前がそういうの読むとは思わなかったな」
「い、いいじゃないですかぁ……まさかこんな風に展開されるとは思わなかったんですよぅ……」
泣きそうな声でそう反論するココアを見て、俺はもう一度笑った。
パチュリーは俺の笑い声に気がついたのか、俺の名を呼んだ。パチュリーの読んでいた表紙の本には不気味な月と太陽が書いてあった。いかにもそれらしい表紙だと思っていると、パチュリーは俺が持ってきた本を自分の下へと寄せていった。本が宙を浮く様を見ると、どうしても俺の能力を連想させる。魔法で本を浮かせる様子はどこか悔しさもある。
パチュリーは一冊ずつ本を確認していったが、面白くなさそうに顔をしかめた。
「ちょっと、五行魔導大全がないんだけど。これで全部?」
「いや……三冊だけ貸してやった。……不味かったか?」
「当たり前じゃない。あれは元々私の物なの、所有物なの。それを魔理沙に盗られたのよ。不味いに決まっているじゃない。それに、私がどんな魔法を使っているか知っているの? それを見越しての行動とは思えないわ」
俺は黙り、唇を舐めた。魔理沙にはああ言ったが、パチュリーの意見には逆らえない。魔理沙に返してもらうと言おうとしたが、パチュリーは小さく微笑み、先程読んでいた本に手をかけた。
「……まぁいいわ。セイクリッド様の優しさが現れた結果だもの。返してきてもらったんだから文句は言えないわよね。その代わり、一週間以内に返すよう、魔理沙には伝えておいて頂戴」
そう言うと、再び本に目を走らせてしまった。俺は小さく返事をし、図書館を後にした。先程読んでいた本を本棚の奥に隠し、俺の持ってきた本を整理し始めた。後でこっそりと、本を覗いてみるのもいいかもしれない。
俺は早速紅魔館を出、魔理沙に事情を説明しに行った。向かったのは香霖堂、ここなら潜伏率は高いとパチュリーからも聞いている。
案の定、魔理沙は香霖堂に居た。開きっぱなしの玄関の外から中を覗くと、香霖と何かのやり取りをしているようだが、俺には魔理沙がガラクタを押し付けているようにしか見えない。俺が店内に足を踏み入れると、魔理沙は俺の姿を見てひどく驚いていた。霖之助は笑顔で俺を出迎え、棚に置いてあった湯飲みを手にしたが、俺は首を振って断った。催促してしまうというより、苦手な緑茶を飲みたくないというのが本音だった。用件を伝えると、魔理沙は胸を撫で下ろして小さく頷いた。当初からくつろぐ予定は無かったため、俺は二人に声を掛けて玄関へと向かった。
「主人、霖之助の主人は――って、あやーっ!?」
何事かと思ったら、お騒がせの野次馬、射命丸 文だった。玄関の僅かな溝に突っかかり、俺の方へと倒れこんできた。寸でのところで倒れるのは堪えたようだが、丸くした目と震えた手は俺に違和感を与えた。文は肩にぶら下げたカメラを両手でしっかりと持ち、俺の正面で構えた。肩に止まっている烏がカァカァと鳴いている。
「こ、これは大スクープです!」
「うるせぇな、何だって――おい、止めろ。俺はそのカメラって奴が嫌いなんだよ」
「そ、そそそうでしたっけ? セイクリッド・スカーレット復活! 新聞のネタは決まったも同然で――あやっ!?」
カメラのフラッシュを直視しないように目を覆い、騒ぐ文を無視してカメラのフィルムを抜き取った。理屈は知らないが、カメラはこのフィルムを抜かれると意味がないという。過去に何度もフィルムを抜き取ったことがあったというのに、本人はそれをすっかり忘れていたようだ。俺はフィルムを握り潰す――いつものようにふりをしただけだが――と、文は突然表情を崩し、俺の腕にしがみ付いてきた。
「ま、待ってくださいよセイクリッドさん! いや、セイクリッド様、旦那様、ご主人様! 私の生活が掛かっているんですよ……お願いですから一枚だけでもっ……」
「わ、分かった分かった。ほら、さっさと写真撮って帰れ」
「ありがとうございますー!」
子猫のように擦り寄ってくる様子を鬱陶しく思いながらも、昔もこんな感じだったかなと、笑みを零した。その時目に映った香霖と魔理沙の呆然とした表情を見て、文を無理矢理引き離した。フィルムを受け取った文は、自然な方が様になるといって、わざわざ斜めから写真を撮った。
明日の新聞を楽しみにしろ、そう言わんばかりに、文は調子付いた声で去っていった。ここへ来た目的は果たしたので、俺も香霖堂を後にする。
上空へ飛ぶと、博麗神社が目に入った。外見は昔と変わっていないようだが、霊夢という新しい巫女の情報を探るのも悪くはない。あのお札の仕組みを教えてもらうのも良いだろう。俺は方向を変え、参拝者の居ない博麗神社へ飛んでいった。
博麗神社の参拝者は居なかった。博麗神社は幻想郷と外の世界の境に位置しているため、沢山の参拝者が居てもおかしくはないはずなのだが、外の世界の奴らは博麗神社を見つけることは出来ない。外の世界から幻想郷へ入るのは難しいが、幻想郷から外へ行くのは容易い。何故なら、幻想郷は特別な場所だからだ。まるで、幻想郷の位置している場所そのものが四次元空間に位置しているかのように。
外の常識はここでは通じない。幻想郷の常識は外の世界の非常識となっているから。外の奴らは幻想と空想を勘違いしている。それだけのことだ。
一方、人里からの参拝者も殆ど居ない。わざわざ危険な獣道を通ってまで、何の御利益のない神社にくるような輩はいない。昔の博麗神社は殆ど賽銭が入っていなかったが、今も同じようにしているのだろうか。
霊夢は一人お茶を飲んでいる。縁側に腰掛け、日に当たっている。その若い歳から随分と年寄り臭いことをしている。こちらの姿に気が付いたのか、霊夢は室内へとあがりこんでいった。
「おいおい、客を持て成すお茶も出せないのか?」
「うっかりしていたわ。苦い苦いお茶が欲しいのね」
棒読みでそう言う霊夢に、俺は苦笑いをして首を振った。霊夢は俺を拒むつもりは無いようで、縁側から部屋の中へ上がらせてもらった。
部屋の構造は昔とちっとも変っていなかった。変ったことといえば、大量の酒が置いてあることだった。霊夢は随分と酒豪なのかと思いつつも、あまり気にはならなかった。緑茶の代わりに、霊夢は冷えた麦茶を出してくれた。口を付ける。これなら大丈夫そうだ。霊夢は頬に手を当て、暫らく黙り込んだ。
「特に用はないんだけどさ。ちょっと様子が気になって」
「あら、私の?」
「お前の力にな。俺は先代の巫女に負けたことはなかったんだ。単純な力量差で、だ。だが、お前はたった五枚の札で俺を追い詰めた。それがどうも――」
「悔しいのね?」
霊夢はニヤニヤしながらそう言った。霊夢の明るく黒い瞳は俺の心まで読み取っているような気さえする。黒い髪も、まるで一本一本が生きているかのように光沢を俺へと向ける。俺はこの巫女に勝てそうな気がしない。ただ、相性が良くないだけ、運命でそう決まってしまっているのなら、そのほうが気が楽だった。
俺が小さく舌打ちをすると、霊夢はどうしようもないという風に、巫女服に手を突っ込み、お札を取り出した。俺があの時に張り付けられたお札と同じものだった。途端に、霊夢はちゃぶ台を乗り出し俺の胸に札を押し付けてきた。油断していた俺は避けるよりも早く、札に縛られ――ていない。
「……おかしいな」
「どう? お札そのものの威力は大したことないのよ」
「……つまり?」
「あら、わざわざ言ってほしいの?」
その態度がいちいち癪に障る。お前など眼中にはない、私の足元には及ばない――そんな風に言っているようにさえ思える。悔しい。博麗の巫女に、博麗霊夢に勝ちたい。
「なぁ、弾幕ごっこって……今でも変ってないのか?」
「八年ほど前、スペルカードを導入したわ」
「……スペルカード? 弾幕ごっこに必要な物なのか?」
「なくても大丈夫だけど……」
俺は霊夢に弾幕ごっこをするように言うと、暇つぶしと称して承認した。新しいルールも教えてもらい、表へ出る。霊夢の弾幕を俺はまだ見たことがない。しかし、逆もまた然り。情報処理能力や判断能力には多少の自信がある。霊夢がいくら強力な力を持っていたとしても、当たらなければどうということはない。そう、あの時のお札も、不意打ちだった――空しい弁解。止めよう。
霊夢はふわりと宙に浮いたまま、俺の方を見る。首を回し、大きく身体を伸ばしている。余裕そうな表情――勝ってみせる。
霊夢の合図と同時に、俺は動き出す。霊夢の面倒臭そうな表情目掛けて、ありったけの弾幕を放った。
結果は見事な惨敗だった。先程の魔理沙と俺のようだった。俺の弾は霊夢に当たるどころか、数回衣服を掠っただけだった。。それだというのに、霊夢は余裕の笑みを浮かべ、俺に次々と弾を当てていった。直撃はしなかったものの、殆どがグレイズ。俺には分かっている。グレイズした分、被弾していたことを。霊夢は悔しがる俺を弄んでいたのだ。霊夢の弾幕は非常に独特だった。軌道が読めず、相殺するほかに術はなかった。ごっこあそびだけあって怪我はしなかったものの、あの速度は並以上の破壊力を持っている。
本気でやりあっていたら、死んでいたかもしれない。
縁側で俯く俺の傍に、霊夢は湯飲みを置いた。霊夢は隣に座り、お茶を啜る。俺の様子を見兼ねたのか、顔を覗きこんでくる。反射的に顔を反らす。自分が惨めで仕方がない。天狗になっていた俺を自嘲したくなる。
「一応、幻想郷の結界の責任者でもあるわけだし、あんたみたいな妖怪に負けるわけにはいかないのよ。私に勝つなんて百年早いわ。その頃には私も死んでるでしょうけど。……ちょっと、そんな目で見ないでよ」
「……ちょっと自信なくした」
霊夢は溜息を吐き、音の響くように強く湯飲みを置いた。
「あんた、案外子供っぽいのね」
「これが俺の本性だと思ってくれればいいさ」
これも、相性というものだったならいかに気分が楽になることか。そんな事は言い訳以外の何物でもないことは分かっている。だが、悔しい。いつか、必ず霊夢に勝ってみせる。
霊夢は不思議そうに首を傾げ、俺の方へ微笑みかけた。
「少なくとも、私の知る限りじゃ一番強いと思うけど」
「慰めもお世辞も遠慮しておく」
霊夢は始末の悪い俺に溜息を漏らし、お茶を啜る。左手の傍にある湯飲みを叩き落したくなる衝動に駆られそうになる。霊夢は無言のまま縁側を出、神社内の掃除を始める。俺の存在を消しているかのように、霊夢は黙々と掃除を進める。
暫らくそんな霊夢を見ていて、急に身体の力が抜けた。馬鹿らしくなってきた。
俺は何を悔しがっていたのだろう。霊夢に勝ってどうしようと思っていたのだろう。幻想郷最強を気取って、妹たちを守るため? それとも、優越感に浸るだけ? そう考えたら、どうでもよくなってしまった。霊夢は特別。幻想郷の結界を維持する為に必要な人物。俺ごときが勝つなんて百年早い、強ち間違いではないかもしれない。
何も考えていなさそうな表情の霊夢に挨拶を告げ、神社を後にした。霊夢は気にも触らぬ様子で掃除をただ一人続けていた。
紅魔館へ戻るときには既に正午を回っていた。昼寝をしている美鈴と、紅魔館の隣にある湖で飛び交う妖精。平和を実感しつつ、門の傍へと降りる前に屋上の人影に気が着いた。二つの大きな白いガーデンパラソル、白い椅子とテーブル。笑顔で接する咲夜と、紅茶を楽しむレミリア。あまり元気そうではないフラン。パチュリーはもう片方の日陰の下で黙々と本を読んでいる。
食事をしているようだったので、俺は空いている椅子へと瞬間移動で向かった。ちょっとした悪戯心が働く。真っ先に気が付いたのはこちら側を向いていた咲夜とレミリア。俺が手で挨拶をすると、咲夜はお辞儀をし、レミリアはにっこりと笑った。俺に背を向けるフランは不思議そうに二人を見つめている。パチュリーは本に見入ったまま俺に気が付かない。ここへは無理矢理連れてこられたのだろうか。
俺に気が付かないフランの手元にあるサンドウィッチを取ると、フランはばっと背後を振り向いた。同時に、笑顔が零れた。
「お兄……きゃっ!」
「フランドールお嬢様、気化してしまいますよ」
日陰から飛び出そうとするフランを、俺が止めるよりも早く、咲夜が引き止めた。気化の意味が分かっていないようだが、俺が日向を指差すとフランは顔を青ざめた。
俺は椅子を移動させ、レミリアとフランの間に座る。フランは相変わらずだったが、レミリアもいつも通り、冷静を装っていた。フランが俺に抱き付く度、咲夜は口を開けたまま暫らく石になる。俺はその度に咲夜を諭すのだが、どうも自分の首を締めてしまっているような気がしてならない。
フランのサンドウィッチを貰い、首を回す。くっ付いたまま離れようとしないフランを何とか引き離し、体を伸ばす。思えば、霊夢との弾幕ごっこで体が疲れている。俺が頼む前に、紅茶は目の前に置いてあった。時間を操る能力は便利だとは思うが、やはり紅茶を待つ楽しみというものも欲しい。とは思いつつも、紅茶を啜り、一息吐く。
今、レミリアはどう思っているのだろう。フランのように、人前でも甘えたいのだろうか。今の様子を見る限りではその様子は見られない。やはり、紅魔館の主としての風格を損なわないためだろうか。
そんな心配を他所に、咲夜とフランの目に映らないようにして、手の平を握ってきた。
「兄上、久しぶりに遊ばない?」
「勿論。だが、何して遊ぶんだ?」
「弾幕ごっこ、とか」
「ずるーい! フランも遊ぶー!」
騒ぎながら寄り付くフランを押さえ、頭を撫でる。微笑む。素直なのか馬鹿なのか。
「フランはレミリアの次だな。レミリア、館内で遊ぶか?」
「外で遊んでくれるの? 私もフランも消えちゃうけど」
どことなく霊夢の言い方を思い出させたが、気にはならない。俺がレミリアの手を握り締めると、レミリアも同じように握り返してくる。レミリアは頬を赤らめたかと思うと、何かを吹っ切ったかのように立ち上がった。阿吽の呼吸とはこのことか、レミリアが日向に出るのと同時に、咲夜は日傘を差す。俺ももう一つの日傘を取り、フランに渡す。
久しぶりにレミリアから遊ぼうと声を掛けてくれた。それだけで愉快な気分になれた。パチュリーはいつになったら本から目を離すのか気になりつつも、螺旋階段の待つドアを開け、ゆっくりと下っていった。
昔に比べ、レミリアもフランも格段に強くなっていた。負けはしなかったが、昔のように余裕を持つことは出来なかった。レミリアとフラン同士の弾幕も見たが、軍配はレミリアに上がった。
時間はあっという間に過ぎる。辺りは暗くなり、メイドたちは浴室に、気がつけばパチュリーは図書館に。
夕食も終え、入浴も終えた。その間、妹二人とずっと一緒だったのは言うまでもない。
ベッドの上で寝転がるフランとレミリア。俺は窓の外を見、欠伸をする。美鈴が寝ている。一体、いつ起きているのだろう。ぼーっと窓の外を眺めていると、レミリアの声が耳に入った。
「兄上、ちょっと話したいことがあるんだけど」
「何だ?」
「……昔はいつもフランと寝てたでしょ? けど――」
「ね、お兄様。私は咲夜と寝るから大丈夫だよ、今日はお姉さまと寝てあげて」
フランはレミリアの会話に割って入る。それがレミリアの言いにくい一言を察してのことか、ただ話をしたかっただけかは分からない。レミリアは小さく頷き、口を開く。
「……うん、だから、一日ずつ交代で……いい?」
髪を撫でると、二人とも俺に笑顔を振舞う。
暫らく話すと、フランは咲夜を呼んだ。咲夜は瞬時に現れ、俺たちの前で小さく頭を下げた。フランは咲夜の手をしっかりと握り、俺に微笑みを残して咲夜と共に部屋を出た。
二人が部屋を出た瞬間、レミリアは俺の腰に飛びつく。フランのような無邪気さではなく、躊躇うようにして。口をもごもご動かしながら、ゆっくりとベッドに向かう。俺をベッドに座らせ、レミリアは部屋の明りを消す。窓の外からは明るい月明かりが注ぎ込まれ、レミリアを照らす。レミリアはベッドに入る前に、俺の隣に腰掛けた。手を握り、黙り込む。
「どうかしたのか?」
「……ううん。寝ましょ」
ベッドに入り込むと、レミリアは俺と少し距離を取ってベッドの隅に寄る。だが、レミリアの手はしっかりと俺の手を握っている。背中に手を回し、ゆっくりと抱き寄せる。抵抗はない。違和感を覚える。
「兄上……」
「……嫌ならいいんだ、ごめんな」
背中に当てる手を解き、少し距離を置く。レミリアは俯く。
「ううん……。私、決めたから」
「何を?」
「いつまでも兄上に頼るばかりじゃいけないんだ、って。いつかは兄上もいなくなっちゃうから」
「俺がここの主になってもいいんだぞ? お前に無理をさせるわけにはいかないからな」
「……兄上は優しすぎる。傍から見たら……なんでもない」
レミリアの言わんとすることを悟り、苦笑いをする。確かに、こんなところを文に見つかったら――とっちめるしかない。嫌な考えを振り切り、レミリアに視線を向ける。くすくすと笑いながら、口だけを動かしている。
……ロリコンと言っているつもりのようだ。
髪をくしゃくしゃに乱す。小さく声を上げ、俺の手を振り払う。無邪気な笑みを見せ、俺に寄り付く。
「こういうのはブラコンって言われるんだぞ?」
「いいよ別に……兄上のこと好きだから」
そう言うと、レミリアは静かに眠ってしまった。狸寝入りか、溜まった疲れに襲われたのかは分からない。妹の俺に対する『好き』と言う単語を、どのような意味で言っているのかは分からないが、深く考えないのが吉だろう。
幻想郷はもう昔のものではなかった。新しい巫女は力を身につけた。弾幕ごっこも新規になった。新しい店も出来た。フランもレミリアも強くなった。俺も変った。他にも、変わったものは多くあるだろう。
レミリアに睡魔を押し付けられているかのように、俺はぐっすりと眠ってしまった。
隣で寝ているレミリアは頬を緩めて頬を赤く染めていた。
「お嬢様! た、大変ですっ!」
朝一番に、咲夜の声が聞こえる。兄上の両腕が私を包み込んでいて、目の前には兄上の胸元がある。温かくて気持ち良い、兄上の心音が聞こえるほど近くにいる――幸せ。このままずっと傍にいたい。けど、兄上に宣言したから。兄上に頼ってばかりじゃいけない、と。
兄上の腕をするりと抜け、咲夜を呼ぶ。咲夜は切り立った崖のような表情をしながらも、あたふたとしている。左手には新聞、右腕にはナイフ。新聞を切るような動作を見せ、私に新聞を見せる。
見出しには大きく【紅魔館の恋沙汰】と書かれている。大きな写真が貼られている――私が顔を上げ、兄上の頬に口付けしている写真。丁度良い角度から、綺麗に撮ってある。これは間違いなく昨夜の写真。手が震える、笑みが零れる。
兄上が目を覚ました。上体を起こし、両腕を上げて大きく身体を伸ばし、欠伸を見せる。私の持つ新聞に気が付いたのか、ベッドを出てこちらへ歩み寄ってくる。隠そうかと迷ったが、素直に手渡した。
「文の奴、早いな。どれどれ――って、何だこれは。あいつらしくもない、合成か?」
真実のみを報道するカラス天狗が嘘を載せていることに、驚いているのだろう。私の手から新聞を取り、活字に目を通す。兄上の手が次第に震えてきた。私を見つめ、溜息を吐く。咲夜は私と兄上と新聞を交互に見ている。
「悪いが、俺の朝飯は後回しにしてくれ。文をこらしめてくる」
「この写真、偽物だと思う?」
「当たり前――ん……レ、レミリア?」
兄上と咲夜の驚いた顔、目前にある兄上の顔。兄上は唇を舐め、天を仰いで目を瞑る。
「これでも信じられない?」
「あー……信じるよ、信じる。だが……やっぱり文をとっちめてくる」
「いってらっしゃい。すぐ帰ってきてね」
兄上は首を傾げ、頭を掻きながら部屋を出て行った。
咲夜の困惑した表情、兄上の寺照れた顔、唇に感じた確かな感触……その全てが,
私に確かな快感をもたらした。
このまま頑張ってください、次回は恋愛系ですか、楽しみに待ってます。
よかったですよ 楽しかったです
やはりオリキャラハーレム物ってのは違和感が強いです。
あとツッコミたい処も。
・魔理沙程の弾幕量でグレイズすらしないって
どんだけ当たり判定ちっちぇーんだよお前
・ツェペシュとレミリアは特に関係無いって
紅魔郷のおまけテキストに書いてあったんですけど
って突っ込みたかったです。