魔法の森。
幻想郷にある森と言えば大抵の場合ここを指すが、それはともかく。
その魔法の森の片隅で、一人が深いため息を吐いた。
魔法の森に住んでいるのは、妖精や妖怪の有象無象を除けば3人しかない。
一人は白黒の魔法使い。
今は博麗の神社に遊びに行っているので、彼女ではない。
一人は道具屋の半人半妖。
今はひたすら読書に耽っているので、ため息を吐く理由がない。
一人は七色の魔法使い。
今は家に引きこもって、悩み事を抱えていた。
ため息を吐いたのは、彼女である。
いくらか時間を遡る。
その日も、アリスは引きこもっていた。
何の事はない、消費した人形を補充しているだけなのだが。
彼女にとって、人形とは掛け替えのない存在だ。
生活にも、弾幕にも。
そして、精神的にも。
人形。
ヒトガタ。
ニンゲンを象った物。
私は、人形を作る。
人形を作り、使役する。
それらは全て人間の姿で、それ以外の人形は存在しない。
同じ姿であれば、作りやすいから。
同じ姿であれば、操りやすいから。
――同じ姿であれば、きっと、
そこまで考えて、手が止まっていた事に気づく。
やるべき仕事が多いわけではないが、決して少なくもない。
今日中には終えてしまわないと、明日に支障が出るだろう。
数が減ったまま何時も通りの生活というのも、なかなか大変なのだから。
そうして、さぁもう一仕事、と机に向かいなおしたところで。
「邪魔するぜ」
そんな声がして、窓から黒い影が飛び込んできた。
ため息が、一つ。
「入ってくるなとは言わないから、せめて玄関から入ってきなさい」
「善処はするぜ」
した事無いでしょ、という言葉は飲み込む。
代わりに、ため息をもう一つ。
「幸せが逃げるぜ?」
「あんたが開けた窓からね」
ため息で幸せが逃げるというのなら、さっさと逃げてしまえ。
逃げるほど残っているのなら。
ともかく。
「それで、そんなに急いで何事よ?」
何も無しに尋ねてくるほど暇という事はないだろう。
……暇だったのかもしれない。
否定しきれないが、さておき。
来るからには何かしらの用件という物があって然るべきだ。
例えばそれが暇つぶしであっても、用件には違いない。
来られる方としては、良い迷惑だとしても。
「今晩宴会やるから、アリスも来いよ」
何の事はない、宴会のお誘いだった。
そういえば、最近はあまり行っていなかったかもしれない。
別段特別な理由があるわけでもなく、気が向かなかったからなのだけど。
今回も、同じだ。
気が向いたら行くが、向かなければ行かないだろう。
人形を作る、という仕事がある以上、行く可能性は低いだろうけど。
「気が向いたらね」
それが私の答え。
肯定でも否定でもない、曖昧な返し方。
「おう、約束だぜ」
してない。
してないけど、言っても無駄だろうからため息。
何度目だろう。
魔理沙といると何時もこんな調子だ。
きっと、というよりはまず間違いなく、幸せなんて残ってないだろう。
かといって不幸せかといえば、そんな事はないのだけど。
そして何か言葉を返す前に、
「待ってるぜー」
という言葉が、ドップラー効果付随で聞こえた。
本当に、人の話を聞かないんだから。
ひとまず窓を閉めて、再び作業机に向かう。
行くにしても、行かないにしても。
目の前に仕事を残したままにしておける性分ではないから。
時間を戻す。
一息つこうと手を止める。
窓の外は、真っ暗だった。
部屋は明るかったが、自分で明かりを付けた覚えはない。
人形に明かりを付けるように入力しておいたはずなので、それだろう。
勝手に明かりがついたり人形が動いたら、それはホラーだ。
もっとも、目指すところはそれなのだけど。
そういえば夜に宴会をやるとか魔理沙が言っていた気がする。
さてどうしたものか、と机に目をやる。
必要な作業は八割方終わっている。
ここで切り上げても、明日中には終わるだろう。
今日終わる作業が、明日までかかってしまうという事でもあるのだけど。
行くべきか、作業を続けるべきか。
数秒悩んで、よし、と気合いを入れ直して。
結局、朝までかかった。
宴会に行く暇は、勿論無い。
どうにか作り終えた人形達に命令を入力して、机に突っ伏す。
シャワーを浴びるとか、せめて着替えるとか。
ベッドに向かう事さえも断念した脳みそが考えるはずもなく。
私の思考は、そのまま夢へと沈んでいった。
夢。
記憶の整理だとか、願望の顕れだとか。
色々な意味を持つとは言うけれど、では私の見ているこれは一体何の意味を持つのだろう。
人形だらけの部屋。
私しかいない、人形しかない部屋。
何時も通りの、私の部屋。
扉も、窓も、鍵が掛けられ開かない。
開かないのに、付いている。
必要ないのに、付いている。
窓の外には、誰もいない。
ノックの音は、響かない。
目が覚める。
無理な姿勢で寝ていたおかげで節々が痛むが、ひとまずは無視。
微かに残る夢の残滓を思い出し、僅かに口を歪ませる。
意味なんて無い。
なんて無意味な夢だと、少しだけ自嘲する。
夢の事は、それでお終い。
とりあえず、顔を洗うために洗面場へ行く。
鏡を見れば、案の定というか、酷い顔だった。
さてどうせならこのまま風呂にも入ってしまおうか、と思案したところで。
コン、と軽くノック音が聞こえた。
寝ぼけた頭では酷く億劫な事ではあったけど、出ないわけにもいかない。
何よりまともな来客を無碍に扱うのは、どうかと思ったから。
もっとも、まともじゃない客なんて一人しかいないけど。
「はい、どちら様……え?」
「なんでそこで驚くんだよ」
まともじゃないはずの客がまともな客になっていた。
いやそうじゃない、気にするべきはそこではない。
例え帽子を両手で胸の前に、それも口元を隠すような絶妙な位置に持ち上目遣いでこちらを見ているのがとても可愛らしくて思わず家に引きずり込んでアレコレしたくなってしまって
落ち着け。
とりあえず落ち着け、私。
「……おーい、聞いてるか?」
聞いてなかった。
眠いせいか疲れているせいか、思考が暴走している。
思えば魔理沙が普通に玄関から入ってきたのは随分と久しぶりでもしかしたら昨日言った事を彼女なりに受け止めて大人しくなってくれたのだとしたらそれはとても嬉しい事でパチュリーも喜びそうだけどなんでここでパチュリーが出てくるのかって
だから、落ち着け。
魔理沙も不安げな顔をしているじゃないか。
その顔が可愛いから抱きしめてしまいたいとかそういう思考は紅魔館の湖にでも投げ捨ててしまえ。
「なぁ、大丈夫か?割と本気で」
「あんまり大丈夫じゃないわ。割と本気で」
じゃあ手短に言うぜ、魔理沙が言う。
私としてもその方が助かる。
このままでは理性とか自制とか知性とか色々とどうにかなってしまいそうだったから。
「昨日、何で来なかったんだ?」
多分、私はとても間抜けな顔をしていたと思う。
余りにも予想外な質問だった。
昨日。
何かあっただろうか、と一瞬悩み、ああ、宴会か、と思い出す。
何故、と聞かれても、答えに困る。
少しだけ考えて、
「気が向かなかったからよ」
と、そう答えた。
多分、それ以上では無かった。
それ以上では無かったのだけど。
何故魔理沙はそんなにも、悲しそうな顔をしているのだろう?
「……そか、悪かったな」
そう言って回れ右した魔理沙の腕を、思わず掴む。
一人で納得されても、私にはわけがわからない。
だから、もう少し話を聞こうと思ったのだけど。
残念ながら眠気と疲れの残る私の体は、そのまま踏ん張る事は出来なくて。
脚を滑らせた私の体は重力に逆らう事はなく。
腕を掴まれ為す術もない魔理沙と共に、地面にダイブした。
「……痛いぜ」
「……ごめん」
それで、どうなったかと言えば。
幸い我が家の浴槽は私たちの体格ならば二人入っても十分なスペースがある。
疲労が溜まりに溜まった私としては一刻も早く体を休めたかったし。
転んで泥だらけになった魔理沙としても、ずっと汚れたままでいるのは嫌だろうから。
二人して、お風呂に入っていた。
「生き返るわー……」
「年寄り臭いぜ?」
「え、嘘」
とかまぁ、そんな会話があったけれど。
詳しい描写は乙女の秘密に抵触するので、ばっさりと。
私はそれなりに体力を回復し、魔理沙は汚れを落とした。
簡潔に、その程度で。
風呂上がり。
流石に眠気まではどうにもならないけれど、やはり随分と違う物だ。
何より昨日は作業しっぱなしだったので、入っていないのだ。
人間やめてるとはいえ、女の子として褒められた事ではない。
とりあえず、椅子に座る。
ついでに、紅茶も入れる。
私ではなくて人形が、ではあるけれど。
魔理沙はといえば、向かいに座って恥ずかしそうにしている。
着慣れない服なのだから、まぁそれも仕方ないか思う。
着ているのは、私のお下がり。
着ていたのは、汚れてしまったので洗濯中だ。
勿論、人形が。
「それで」
と、切り出す。
このまま静かなティータイムというのも悪くはないけれど、それが目的ではないから。
結局何の用だったのよ、と、シンプルな問いに魔理沙は。
何故だか答えてはくれなかった。
「アリスはさ」
丸々5分置いて、ようやくそんな言葉が聞こえた。
何、と先を促して、紅茶を一口。
「……あー、やっぱいい」
そんなに言いづらい事なのだろうか。
家を訪ねてきた時からどうにも様子がおかしいが、一体何だというのだろう。
埒があかないので、
「クッキー、食べたわよね?」
等と脅迫紛いの事をしてみる。
顔は勿論笑顔だ。
割と心からの笑顔のつもりなのだが、眠気の残った顔がどうなっているか私にはわからない。
とりあえず、魔理沙は引きつっていた。
「わかった、わかったよ。美味かったしな」
両手を上げ、降参だ、と言ってから一度だけこちらを見て。
「アリスは……さ。宴会、嫌いか?」
と、そんな事を聞かれた。
今度も、私は自分がどんな顔をしているのかわからなかった。
「嫌いって事は無いけど……」
勿論、嫌いではない。
何処ぞの鬼のように積極的ではないが、むしろ好きな方だと思う。
「ああ、でも」
宴会自体は好きだけど。
多分それは、見ているのが好きなだけで。
「騒ぐのはあんまり好きじゃない、かも」
そういう事なんだろうなぁ、と思う。
それが何で、と聞かれても困るのだけど。
というか、私が気になるのは。
「なんでそんな事聞くのよ?」
これに尽きる。
けれど、答えは返ってこなくて。
魔理沙は、落ち込んでいる、様に見えた。
何故そこで落ち込むのだろう。
わからない。
私には、わからない。
その後は大した話題もないまま、魔理沙は帰ってしまった。
結局、何だったのだろう。
彼女は帰るまで沈んだ顔のままで、まるでらしくなかった。
私のせい、なのだろうか?
作業は残っていないし、今日も宴会があるという事はないだろう。
なので私は、24時間以上ぶりにベッドに潜り込んだ。
夜は、人形達も動きを止める。
動く物は、何もない。
そして私は、夢を見る。
窓の外で、賑やかな声がする。
だけど、外は見えない。
扉の向こうで、楽しそうな声がする。
だけど、扉は開かない。
私は独りで、声に混ざる事は出来なくて。
人形達と、踊っていた。
人形。
ヒトガタ。
ニンゲンを模した物。
私と同じ姿の、紛い物。
紛い物の人間は、全て私が操っている。
沢山の人形達は、結局は全てが私。
私は私と踊り、それを楽しむ。
でも、それで良い。
だって私は、私以外が怖いから。
騒がしいのは、好きじゃない。
私は、盛り上げ方を知らないから。
きっと私がいたら、冷めてしまうから。
だけど、嫌いじゃない。
独りぼっちでは、寂しすぎるから。
だから私は、遠くから眺めているくらいが丁度良い。
窓も、扉も、開かないのは。
多分、ここから出たくないからだ。
誰も私を連れ出せない。
誰も私を、連れて行けない。
ああ、でも。
それでも窓と扉が消えないのは、きっと。
誰かが飛び込んできてくれるのを待っているからかもしれない。
臆病な私の手を引いてくれる、誰かを。
そう思った時、扉に大きな亀裂が走って。
次の瞬間には、大きな光の渦に飲み込まれていた。
へたり込んだ私が見たのは、間違いなく――
そして私は、ベッドから転げ落ちた。
痛い。
こんなに寝相が悪かっただろうかと思いつつ、体を起こす。
夢を見ていた気もするけれど、まるで覚えていない。
まぁ、そんなものだろう。
一人で納得して、洗面場へ向かう。
まずは顔を洗おう。
着替えて、朝食を食べて。
さぁ、今日はどうしようと考えたところで。
窓から黒い影が飛び込んできた。
またか、とため息を吐く。
昨日大人しかったのは、やっぱり何かの間違いだったのだろう。
「よう、おはようさん」
「……おはよ。朝から元気ね」
元気だった。
昨日のアレは何だったのかというくらい、元気だった。
まぁ、それでこそ魔理沙、という気がしないでもないが。
ともかく。
「今日は何の用?」
三日連続で来るなんて、滅多にない。
さて、今日は何事かしら。
「今日、暇か?」
少し考えて、暇だけど、と答えようとしたら。
ひま、まで言ったところで、魔理沙の顔には満面の笑みが見えて。
それじゃ行くぜ、なんて言われた直後には、私は魔理沙に攫われていた。
見事な人攫いだ。
まだ着替えてもいないのに。
言っても戻らないだろうから、ため息を吐くだけにしておく。
「で、何処行くのよ?」
こんな朝っぱらから、と付け加える。
それを聞く権利くらいは、あるはずだ。
「ちょっと良い場所見つけてな」
あまり答えになっていない。
まぁ、いくら魔理沙でも危険なところには連れて行ったりしないだろう、と腹を括る。
辿り着いたのは、不思議な場所だった。
多分、魔法の森の何処かなのだろうけれど。
何もない、と言える程度には、何も無かった。
少々の植物と、後は空が見えるだけだ。
何もない。
何も聞こえない。
静かな場所だった。
「私は、騒ぐしか脳がないからさ」
魔理沙が、言う。
確かに彼女は騒がしい。
些か賑やかすぎる部分も、無いではない。
「だから、その、ほら」
アリスの好きそうな場所がわからなくてな、なんて。
まだ半分寝ている頭を覚醒させるには十分な爆弾を、口から出した。
つまり、あれか。
魔理沙は、私のためにここを見つけてきたというのだろうか。
騒ぐのはあまり好きじゃない、と言った私のために。
なんて極端なんだ、と思う。
私は、私自身が騒ぐのが好きじゃないだけだ。
決して賑やかなのが嫌いとか、そういう事ではない。
それなのに魔理沙と来たら、こんなに静かな場所を見つけてきて。
「あのね、魔理沙」
「お、おう」
昨日も言ったけど、と前置きしてから。
「私、宴会は嫌いじゃないのよ?」
と、告げる。
多分、苦笑混じりの顔になっていたと思う。
それを聞いて、また昨日みたいに落ち込みそうになっていたけれど。
「でもね」
私は、まだ続ける。
「静かな場所と賑やかな魔理沙で、それくらいで丁度良いのよ」
私は、臆病者だ。
臆病者だから、手を引いて欲しい。
魔理沙に手を握って、連れ出して欲しい。
多少強引なくらいが、私には丁度良い。
幻想郷にある森と言えば大抵の場合ここを指すが、それはともかく。
その魔法の森の片隅で、一人が深いため息を吐いた。
魔法の森に住んでいるのは、妖精や妖怪の有象無象を除けば3人しかない。
一人は白黒の魔法使い。
今は博麗の神社に遊びに行っているので、彼女ではない。
一人は道具屋の半人半妖。
今はひたすら読書に耽っているので、ため息を吐く理由がない。
一人は七色の魔法使い。
今は家に引きこもって、悩み事を抱えていた。
ため息を吐いたのは、彼女である。
いくらか時間を遡る。
その日も、アリスは引きこもっていた。
何の事はない、消費した人形を補充しているだけなのだが。
彼女にとって、人形とは掛け替えのない存在だ。
生活にも、弾幕にも。
そして、精神的にも。
人形。
ヒトガタ。
ニンゲンを象った物。
私は、人形を作る。
人形を作り、使役する。
それらは全て人間の姿で、それ以外の人形は存在しない。
同じ姿であれば、作りやすいから。
同じ姿であれば、操りやすいから。
――同じ姿であれば、きっと、
そこまで考えて、手が止まっていた事に気づく。
やるべき仕事が多いわけではないが、決して少なくもない。
今日中には終えてしまわないと、明日に支障が出るだろう。
数が減ったまま何時も通りの生活というのも、なかなか大変なのだから。
そうして、さぁもう一仕事、と机に向かいなおしたところで。
「邪魔するぜ」
そんな声がして、窓から黒い影が飛び込んできた。
ため息が、一つ。
「入ってくるなとは言わないから、せめて玄関から入ってきなさい」
「善処はするぜ」
した事無いでしょ、という言葉は飲み込む。
代わりに、ため息をもう一つ。
「幸せが逃げるぜ?」
「あんたが開けた窓からね」
ため息で幸せが逃げるというのなら、さっさと逃げてしまえ。
逃げるほど残っているのなら。
ともかく。
「それで、そんなに急いで何事よ?」
何も無しに尋ねてくるほど暇という事はないだろう。
……暇だったのかもしれない。
否定しきれないが、さておき。
来るからには何かしらの用件という物があって然るべきだ。
例えばそれが暇つぶしであっても、用件には違いない。
来られる方としては、良い迷惑だとしても。
「今晩宴会やるから、アリスも来いよ」
何の事はない、宴会のお誘いだった。
そういえば、最近はあまり行っていなかったかもしれない。
別段特別な理由があるわけでもなく、気が向かなかったからなのだけど。
今回も、同じだ。
気が向いたら行くが、向かなければ行かないだろう。
人形を作る、という仕事がある以上、行く可能性は低いだろうけど。
「気が向いたらね」
それが私の答え。
肯定でも否定でもない、曖昧な返し方。
「おう、約束だぜ」
してない。
してないけど、言っても無駄だろうからため息。
何度目だろう。
魔理沙といると何時もこんな調子だ。
きっと、というよりはまず間違いなく、幸せなんて残ってないだろう。
かといって不幸せかといえば、そんな事はないのだけど。
そして何か言葉を返す前に、
「待ってるぜー」
という言葉が、ドップラー効果付随で聞こえた。
本当に、人の話を聞かないんだから。
ひとまず窓を閉めて、再び作業机に向かう。
行くにしても、行かないにしても。
目の前に仕事を残したままにしておける性分ではないから。
時間を戻す。
一息つこうと手を止める。
窓の外は、真っ暗だった。
部屋は明るかったが、自分で明かりを付けた覚えはない。
人形に明かりを付けるように入力しておいたはずなので、それだろう。
勝手に明かりがついたり人形が動いたら、それはホラーだ。
もっとも、目指すところはそれなのだけど。
そういえば夜に宴会をやるとか魔理沙が言っていた気がする。
さてどうしたものか、と机に目をやる。
必要な作業は八割方終わっている。
ここで切り上げても、明日中には終わるだろう。
今日終わる作業が、明日までかかってしまうという事でもあるのだけど。
行くべきか、作業を続けるべきか。
数秒悩んで、よし、と気合いを入れ直して。
結局、朝までかかった。
宴会に行く暇は、勿論無い。
どうにか作り終えた人形達に命令を入力して、机に突っ伏す。
シャワーを浴びるとか、せめて着替えるとか。
ベッドに向かう事さえも断念した脳みそが考えるはずもなく。
私の思考は、そのまま夢へと沈んでいった。
夢。
記憶の整理だとか、願望の顕れだとか。
色々な意味を持つとは言うけれど、では私の見ているこれは一体何の意味を持つのだろう。
人形だらけの部屋。
私しかいない、人形しかない部屋。
何時も通りの、私の部屋。
扉も、窓も、鍵が掛けられ開かない。
開かないのに、付いている。
必要ないのに、付いている。
窓の外には、誰もいない。
ノックの音は、響かない。
目が覚める。
無理な姿勢で寝ていたおかげで節々が痛むが、ひとまずは無視。
微かに残る夢の残滓を思い出し、僅かに口を歪ませる。
意味なんて無い。
なんて無意味な夢だと、少しだけ自嘲する。
夢の事は、それでお終い。
とりあえず、顔を洗うために洗面場へ行く。
鏡を見れば、案の定というか、酷い顔だった。
さてどうせならこのまま風呂にも入ってしまおうか、と思案したところで。
コン、と軽くノック音が聞こえた。
寝ぼけた頭では酷く億劫な事ではあったけど、出ないわけにもいかない。
何よりまともな来客を無碍に扱うのは、どうかと思ったから。
もっとも、まともじゃない客なんて一人しかいないけど。
「はい、どちら様……え?」
「なんでそこで驚くんだよ」
まともじゃないはずの客がまともな客になっていた。
いやそうじゃない、気にするべきはそこではない。
例え帽子を両手で胸の前に、それも口元を隠すような絶妙な位置に持ち上目遣いでこちらを見ているのがとても可愛らしくて思わず家に引きずり込んでアレコレしたくなってしまって
落ち着け。
とりあえず落ち着け、私。
「……おーい、聞いてるか?」
聞いてなかった。
眠いせいか疲れているせいか、思考が暴走している。
思えば魔理沙が普通に玄関から入ってきたのは随分と久しぶりでもしかしたら昨日言った事を彼女なりに受け止めて大人しくなってくれたのだとしたらそれはとても嬉しい事でパチュリーも喜びそうだけどなんでここでパチュリーが出てくるのかって
だから、落ち着け。
魔理沙も不安げな顔をしているじゃないか。
その顔が可愛いから抱きしめてしまいたいとかそういう思考は紅魔館の湖にでも投げ捨ててしまえ。
「なぁ、大丈夫か?割と本気で」
「あんまり大丈夫じゃないわ。割と本気で」
じゃあ手短に言うぜ、魔理沙が言う。
私としてもその方が助かる。
このままでは理性とか自制とか知性とか色々とどうにかなってしまいそうだったから。
「昨日、何で来なかったんだ?」
多分、私はとても間抜けな顔をしていたと思う。
余りにも予想外な質問だった。
昨日。
何かあっただろうか、と一瞬悩み、ああ、宴会か、と思い出す。
何故、と聞かれても、答えに困る。
少しだけ考えて、
「気が向かなかったからよ」
と、そう答えた。
多分、それ以上では無かった。
それ以上では無かったのだけど。
何故魔理沙はそんなにも、悲しそうな顔をしているのだろう?
「……そか、悪かったな」
そう言って回れ右した魔理沙の腕を、思わず掴む。
一人で納得されても、私にはわけがわからない。
だから、もう少し話を聞こうと思ったのだけど。
残念ながら眠気と疲れの残る私の体は、そのまま踏ん張る事は出来なくて。
脚を滑らせた私の体は重力に逆らう事はなく。
腕を掴まれ為す術もない魔理沙と共に、地面にダイブした。
「……痛いぜ」
「……ごめん」
それで、どうなったかと言えば。
幸い我が家の浴槽は私たちの体格ならば二人入っても十分なスペースがある。
疲労が溜まりに溜まった私としては一刻も早く体を休めたかったし。
転んで泥だらけになった魔理沙としても、ずっと汚れたままでいるのは嫌だろうから。
二人して、お風呂に入っていた。
「生き返るわー……」
「年寄り臭いぜ?」
「え、嘘」
とかまぁ、そんな会話があったけれど。
詳しい描写は乙女の秘密に抵触するので、ばっさりと。
私はそれなりに体力を回復し、魔理沙は汚れを落とした。
簡潔に、その程度で。
風呂上がり。
流石に眠気まではどうにもならないけれど、やはり随分と違う物だ。
何より昨日は作業しっぱなしだったので、入っていないのだ。
人間やめてるとはいえ、女の子として褒められた事ではない。
とりあえず、椅子に座る。
ついでに、紅茶も入れる。
私ではなくて人形が、ではあるけれど。
魔理沙はといえば、向かいに座って恥ずかしそうにしている。
着慣れない服なのだから、まぁそれも仕方ないか思う。
着ているのは、私のお下がり。
着ていたのは、汚れてしまったので洗濯中だ。
勿論、人形が。
「それで」
と、切り出す。
このまま静かなティータイムというのも悪くはないけれど、それが目的ではないから。
結局何の用だったのよ、と、シンプルな問いに魔理沙は。
何故だか答えてはくれなかった。
「アリスはさ」
丸々5分置いて、ようやくそんな言葉が聞こえた。
何、と先を促して、紅茶を一口。
「……あー、やっぱいい」
そんなに言いづらい事なのだろうか。
家を訪ねてきた時からどうにも様子がおかしいが、一体何だというのだろう。
埒があかないので、
「クッキー、食べたわよね?」
等と脅迫紛いの事をしてみる。
顔は勿論笑顔だ。
割と心からの笑顔のつもりなのだが、眠気の残った顔がどうなっているか私にはわからない。
とりあえず、魔理沙は引きつっていた。
「わかった、わかったよ。美味かったしな」
両手を上げ、降参だ、と言ってから一度だけこちらを見て。
「アリスは……さ。宴会、嫌いか?」
と、そんな事を聞かれた。
今度も、私は自分がどんな顔をしているのかわからなかった。
「嫌いって事は無いけど……」
勿論、嫌いではない。
何処ぞの鬼のように積極的ではないが、むしろ好きな方だと思う。
「ああ、でも」
宴会自体は好きだけど。
多分それは、見ているのが好きなだけで。
「騒ぐのはあんまり好きじゃない、かも」
そういう事なんだろうなぁ、と思う。
それが何で、と聞かれても困るのだけど。
というか、私が気になるのは。
「なんでそんな事聞くのよ?」
これに尽きる。
けれど、答えは返ってこなくて。
魔理沙は、落ち込んでいる、様に見えた。
何故そこで落ち込むのだろう。
わからない。
私には、わからない。
その後は大した話題もないまま、魔理沙は帰ってしまった。
結局、何だったのだろう。
彼女は帰るまで沈んだ顔のままで、まるでらしくなかった。
私のせい、なのだろうか?
作業は残っていないし、今日も宴会があるという事はないだろう。
なので私は、24時間以上ぶりにベッドに潜り込んだ。
夜は、人形達も動きを止める。
動く物は、何もない。
そして私は、夢を見る。
窓の外で、賑やかな声がする。
だけど、外は見えない。
扉の向こうで、楽しそうな声がする。
だけど、扉は開かない。
私は独りで、声に混ざる事は出来なくて。
人形達と、踊っていた。
人形。
ヒトガタ。
ニンゲンを模した物。
私と同じ姿の、紛い物。
紛い物の人間は、全て私が操っている。
沢山の人形達は、結局は全てが私。
私は私と踊り、それを楽しむ。
でも、それで良い。
だって私は、私以外が怖いから。
騒がしいのは、好きじゃない。
私は、盛り上げ方を知らないから。
きっと私がいたら、冷めてしまうから。
だけど、嫌いじゃない。
独りぼっちでは、寂しすぎるから。
だから私は、遠くから眺めているくらいが丁度良い。
窓も、扉も、開かないのは。
多分、ここから出たくないからだ。
誰も私を連れ出せない。
誰も私を、連れて行けない。
ああ、でも。
それでも窓と扉が消えないのは、きっと。
誰かが飛び込んできてくれるのを待っているからかもしれない。
臆病な私の手を引いてくれる、誰かを。
そう思った時、扉に大きな亀裂が走って。
次の瞬間には、大きな光の渦に飲み込まれていた。
へたり込んだ私が見たのは、間違いなく――
そして私は、ベッドから転げ落ちた。
痛い。
こんなに寝相が悪かっただろうかと思いつつ、体を起こす。
夢を見ていた気もするけれど、まるで覚えていない。
まぁ、そんなものだろう。
一人で納得して、洗面場へ向かう。
まずは顔を洗おう。
着替えて、朝食を食べて。
さぁ、今日はどうしようと考えたところで。
窓から黒い影が飛び込んできた。
またか、とため息を吐く。
昨日大人しかったのは、やっぱり何かの間違いだったのだろう。
「よう、おはようさん」
「……おはよ。朝から元気ね」
元気だった。
昨日のアレは何だったのかというくらい、元気だった。
まぁ、それでこそ魔理沙、という気がしないでもないが。
ともかく。
「今日は何の用?」
三日連続で来るなんて、滅多にない。
さて、今日は何事かしら。
「今日、暇か?」
少し考えて、暇だけど、と答えようとしたら。
ひま、まで言ったところで、魔理沙の顔には満面の笑みが見えて。
それじゃ行くぜ、なんて言われた直後には、私は魔理沙に攫われていた。
見事な人攫いだ。
まだ着替えてもいないのに。
言っても戻らないだろうから、ため息を吐くだけにしておく。
「で、何処行くのよ?」
こんな朝っぱらから、と付け加える。
それを聞く権利くらいは、あるはずだ。
「ちょっと良い場所見つけてな」
あまり答えになっていない。
まぁ、いくら魔理沙でも危険なところには連れて行ったりしないだろう、と腹を括る。
辿り着いたのは、不思議な場所だった。
多分、魔法の森の何処かなのだろうけれど。
何もない、と言える程度には、何も無かった。
少々の植物と、後は空が見えるだけだ。
何もない。
何も聞こえない。
静かな場所だった。
「私は、騒ぐしか脳がないからさ」
魔理沙が、言う。
確かに彼女は騒がしい。
些か賑やかすぎる部分も、無いではない。
「だから、その、ほら」
アリスの好きそうな場所がわからなくてな、なんて。
まだ半分寝ている頭を覚醒させるには十分な爆弾を、口から出した。
つまり、あれか。
魔理沙は、私のためにここを見つけてきたというのだろうか。
騒ぐのはあまり好きじゃない、と言った私のために。
なんて極端なんだ、と思う。
私は、私自身が騒ぐのが好きじゃないだけだ。
決して賑やかなのが嫌いとか、そういう事ではない。
それなのに魔理沙と来たら、こんなに静かな場所を見つけてきて。
「あのね、魔理沙」
「お、おう」
昨日も言ったけど、と前置きしてから。
「私、宴会は嫌いじゃないのよ?」
と、告げる。
多分、苦笑混じりの顔になっていたと思う。
それを聞いて、また昨日みたいに落ち込みそうになっていたけれど。
「でもね」
私は、まだ続ける。
「静かな場所と賑やかな魔理沙で、それくらいで丁度良いのよ」
私は、臆病者だ。
臆病者だから、手を引いて欲しい。
魔理沙に手を握って、連れ出して欲しい。
多少強引なくらいが、私には丁度良い。
ところで、霖之助の出番がなかった・・本読んでるだけ
楽しませ貰いました!
最後の台詞がなんかすごく好い
こしょばいマリアリをありがとう!
そして魔理沙かわいい。乙女。
どっちがって、2人とも
とってもかわいかったです。