Coolier - 新生・東方創想話

レプリカの時間 Ⅰ

2008/06/17 01:02:11
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「動機なんて、本当のところ、僕は、聞きたくもないし、聞いても理解できないでしょう。

 それに、本人だって説明できるかどうか……。こんな欲望が、言葉に還元できるものでしょうか?

 他人に説明できて、理解してもらえるくらいなら、人を殺したりしない。そうではありませんか?」




                 ( 詩的私的ジャック ~JACK THE POETICAL PRIVATE / 森 博嗣 )





































「 レプリカの時間  ~FOR FUZZY ARCHITECTURE 」









 灰色の空、雪の中。十六夜咲夜は一人、森の北東へ向けて飛んでいた。

 視界にはその二色しか映らない。少し気を抜いていると自分のいる位置が判然としなくなるので、彼女は時折西側の連峰のある位置を確認し、また小さい方位磁針を確かめながら目的地を目指していた。

 それはこの山間にしては遅い初雪だったので、寒さにも暑さにもそれなりに強い咲夜にとっては、まだマフラーを巻くだけで対応出来る程の気温だった。

 だが、時節だけを考えるなら既に十二月だ。先方は果たして、既に眠ってしまっているのか――いないのか。咲夜にはその事が気がかりだった。

 無駄足になるだけなら別に良いのだが、レミリアの望みを聞いてやれない結果になるのは、彼女自身にとっても疎ましかった。





 今朝の会話を思い出す。

 朝食――咲夜以外の全員にとっては晩餐――後のお茶を注いで回りながら、彼女は目を丸くし、

「スペルカードの……調達ですか?」

 主人の要求を復唱するため、語彙の選択に少しの時間をかけた。

「そう。とある半人半妖の符を、譲ってもらってきて欲しいのよ」

 咲夜の主、吸血鬼レミリアは、頬杖をついて笑顔をつくると、二つの符の名前を彼女に伝えた。

 彼女の要求の意図が掴めないのはいつものことである。

 人と吸血鬼は頭脳の構造が違う。それに彼女は本質的に幼児だ。差し迫った場合でない限り、そのようなことについて人の基準で考えることは時間の浪費だと思考放棄して来た咲夜だったが、今回の我侭は、合理的な反論がそれなりに浮かぶほど判り易く間違っていた。

 さりげなく意見を求めようと、咲夜は彼女の向かいの席に座っているパチュリーの方を見たが、今回はわからないわといった風に首を振られた。

 素直に承知すべきかやんわり反論すべきか一秒だけ悩み、咲夜はレミリアにこう尋ねた。

「それは、交渉のために戦闘になりはしませんか」

「多分、それはないわ。でもその可能性がゼロかと問われれば、そうではないわ」

 スペルカードは命名決闘の為の契約書だ。つくった者以外の人物が持ったところで、もちろん実用的な意味はない。

 もし仮に、戦果として相手から奪い蒐集するといった目的――それでも奇行だが――ならば、レミリア本人が出向かない筈がない。

 そして戦いがあることも考慮されてはいる。

 なら、目的はまた別の所にあるのだろう。ナイフとマフラーを出して来なくっちゃ、と咲夜は考えた。

「判りました。では、お茶の時間が終り次第行って参りますわ。場合によっては数日、御暇を頂きます」

「何処へ向かえば良いのか、訊かないのかしら」

 レミリアがそう揶揄するような笑みを浮かべたのに対して、咲夜は驚きを見せる。

「あら、判明しているなんて珍しい」

 目的を知らされないまま私が調べたのだけどねと、本のページに視線を落としたままのパチュリーが、不満げな小声で釘を刺した。










 木々の向こうに小さな庵が見えてきた。

 里と山の約中間点にある、魔法の森外縁の小さい家――条件と合致している。あそこに違いなかった。

 咲夜は、その家に見覚えがある気がしたが、ない感じもした。人間は本質的に目にした風景を忘却しないので、自分はこの辺りを飛んだ経験もあるのだろうとぼんやり考える。

 スカートを絞りながら庵のそばに着地する。雪が彼女のブーツの底の形に踏みしめられ、微かに雪を圧密する音をたてる。

 傍で見上げれば、庵の外観は小さな茶室めいていた。が、煉瓦づくりらしい花壇が建物を囲んでいたので、印象としては折衷に見えた。なかなか変哲がある。

 人の気配はしない。

 咲夜は若干不安を覚えながらも、擦り硝子の嵌った古い引き戸を慎重に叩いた。

「ごめんくださいな」

 答えはない。

 しかし、少し待ってからもう一度声をかけると、突如として素早く布を擦る音が聞こえて、慌しい足音がした。

「はいはい。ただいま」

 良かった。留守ではない。先方のやや焦った声をよそに、咲夜がほっと溜息をついていると、引き戸が軋む音をたてて開かれた。

 出てきた人物は、驚いたように上下に咲夜を観察する。

「どうも……おはようございます。今まで眠っていて。貴女誰?」

 襦袢の前を手で合わせ、長い白髪の寝癖を気にしながら戸口に現れたのは、咲夜よりは外見の歳が下と見えるあどけない少女だった。

 見上げられて、咲夜は笑顔をつくった。

「私は、霧の湖にある紅魔館で給仕をしている、十六夜咲夜と申します。今日は一つお願いがあって伺ったのですけど」

「ああ、あの霧の」

 この名乗り方は大概、厄介事を一言で済ます用途に使われていた。だがこの少女は腰の引けた様子を見せなかった。咲夜は彼女の態度に密かに感心した。

「ふむ……まぁ、兎に角話は中で聞きましょう。ここでは寒くてやってられないもの」

「お心遣い痛み入ります」

 咲夜は微笑んで頭を下げる。

 少女は頷いたが、客人を案内するでもなく、寒そうに肩を抱いてさっさと奥へ戻っていった。










 火鉢のお陰で、通された和室の中は暖かかった。

 訪れた目的を改めて簡潔に咲夜に伝えられると、少女はまず淹れた珈琲をすすり、簡単に自分の名を名乗り、それからゆっくりと話した。

「そも……私がスペルカードを持っていると、よく知っているわね」

「知っていたのは、うちのお嬢様ですわ」

 咲夜は微笑み返す。

 符を持つことは別段、人妖の義務ではない。所持非所持の統計には誰も関心がなかったので、調査記録のようなものはないが、とにかくスペルカードを行使するのは力のある者に偏っている。

「それで、私が半人半妖であることも知っているの?」

「それは何故かは存じませんけれど、そうですわ」

 私にはプライバシーもへったくれもないようだ、と少女は考えた。何故かなんて部分に興味はなかったが、相手には差し迫った理由があるのだろうとも思った。だから慎重を期して、事情を知らない使用人を遣わせているのかという所まで彼女は推察したが、それは単にいつものことだ。

 そして、

「まあ……構わないわ。あんなもんで良ければ持っていって?」

 しかし考えるのが面倒になってきたので、少女はイエスということにした。

 咲夜は少し目を丸くした。

「あら、あっさりと。本当によろしいのですか?」

「ええ……要らない。作って、けど何年も一度も使う機会のないものは、きっとこの先も要らない物だもの」

 髪をかきあげながら気だるそうに言う。

 同じ半人半妖でも、とある彼とはえらい違いだと、咲夜は失礼なことを思った。決断が早い。部屋に物が少なく、きちんと整頓されているのも頷ける。

 だがふと、懐疑も生じる。

 カードもスペルの一部だというのに……そう思った。無論、他の紙で代替することは出来るだろう。だが、命名決闘の名が刻んである以上、カードには言霊が宿っているのだ。

 それを簡単に渡してしまうというのが、解せなかった。

 興味本位に問うてみた。

「ときに」

「はい?」

「貴女、普段は何をしているのかしら」

 唐突に相手の敬語がとれたので、少女は少し面食らった。けれど色々と疑問が先立ったので、表情に出さず問い返す。

「なに……仕事の話? 出来事の話? それとも呼吸しているかどうか?」

「貴女とは初対面なので、どれと指定する余地もないわ。それだから訊いているのよ」

 それもそうだったわね、と少女は独りごちる。

「今は……というか物心ついてこの方、花を育てて過ごしているわ」

「今は冬でしょうに」

「花壇には球根が眠っているし、そうでない地面には少しだけロゼットがあるわ。もちろん雪の下に」

 咲夜はああ、と頷いた。

「なら、さぞかし春夏には綺麗になるのでしょうね。それを誰かに売ったりするの?」

 当然よ、という風に少女は首肯した。

「妖怪にも……人にも売るわね。私はつまり、しがない花売りなのよ」

「里に行ったことは?」

「確かあるわ」

「じゃあ、会ったことがないだけなのね。きっと」

「きっとそうね」

 少女は言葉を咀嚼するかのように頷いた。それからこう纏めた。

「だから、スペルカードは要らないの。つくった理由も忘れてしまった。花売りにとっては妖精さえ疎ましくない」

 あれはとても綺麗だけどついていけないの、と彼女が妙な言葉を付け足すのに、咲夜は頷いておいた。そういう者も居るということだろう。

 やや長い時間、珈琲を啜る音だけが続いた後で、少女は思い出したように、奥から、封入している小箱ごと自分のスペルカードを……命名決闘の契約書を持ってきた。

 咲夜はそれを見て、自分が呆れているという実感をようやくした。この子は本当に戦いと縁がないのだ。笑いこそしなかったが、そう思った。

 小箱にはレミリアの注文通り二枚の符が封じられていたが、中身を改めることはしなかった。そんなことをする意味がなかった。

「今度、珈琲豆をお持ちしますわ」

 少女はそれを聞いて、嬉しそうに微笑んだ。

「いただけるなら紅茶の葉がいいわ。だってあなたのお屋敷で出る紅茶、一度口にしてみたかったから」

 咲夜は、畏まりましたわと、楚々とした仕草で頷いてみせた。










 時間が大分余ってしまったので、咲夜は帰りがけ、ついでに人里で買い物をしていくことにした。

 館には必要な燃料も保存の利く食料も秋の内に十分蓄えてあったが、(全て白黒の魔法使いに仕掛けられた)度重なる戦闘のせいで、美鈴の防寒具が最近お釈迦にされて、彼女が寒そうにしていたので、新しいものを見繕ってやろうと思ったのだ。

 それなりに長い付き合いだ。それに彼女の身に着ける物が壊れるのは日常茶飯事でもある。服のサイズは当然知っていたし、初雪が訪れた以上、次の春までにこれほど遠出できる機会はあまりないだろうと考えた。

 再び一時間ほど飛行して、里の上空まで来た。それからその境界の外側に着地して、咲夜は歩いて人里の中へ入っていった。

「……」

 入ってすぐに違和感を覚えた。

 初雪の降った午後だ。てっきり子供達が白くなった路地の上をはしゃぎ回っている様子を想像していたのだが、何故か人通りが全くない。大人の姿も見えなかった。

 どころか、商店さえ皆扉を閉ざしている。

 彼女は首を傾げた。

 この時期、食料品を扱っている店屋が閉まるのは判るが、他も全て休業の札を出しているのはどういう訳か。

 不思議に思いながら歩いていくと――広場の方に人だかりが見えた。

 そこに居るのは全員が男性のようで、農具や刀を手にした人間が多く、彼らは輪になって何かを囲んで見ているようだった。

 咲夜はそれを遠目に眺めた。

 男達の輪の中から一人が急に外へ駆け出して、誰も居ない路地裏に消えた。

 輪の中の数人がその男を見送ったが、すぐに視線は輪の内へ戻された。

 色々と考える前に、どうされたのですかと、咲夜はその中の一人に問おうと思って、

 なんとなく辞める。

 そしておもむろに時間を止める。

 かっきりと、あらゆる物体と人とが熱を喪って静止する。

 それから宙へ飛び、咲夜は輪の内側を上空から俯瞰した。

 中心には人型をしたものがあった。

 誰か倒れている、と思った。

 ただひっかかるのは――その肌色の割合の多さ。

 上昇を止めて静止する。

 残像が失せて全ての輪郭が判る。

 男達の輪の中では、木製の杭に首を貫かれた、裸の人間の少女が横たわっていた。

 当然死んでいる。

 その身体が外気のために凍り付いたからなのか、出きったからなのか、首元の赤いものは今は流動していない。血液の香りがしなかったのはこの為か。

 そこに居る男達になぶりものにされた訳ではないようだった。少女の身体は綺麗なままだ。元からそうした意匠の美術品であるかのように、ただ首筋に杭が突き立っているだけ。

 おそらくは今、少女は彼らの手で里の外から運び込まれて来た所なのだろう。暫くの間行方が判らなくなっていて、有志で捜索が行われた結果かもしれなかった。

 咲夜は四秒でそこまで考えた。

 しかし――

 だろう、

 おそらくは、

 かもしれない。

 全ては咲夜の予測である。

 チェスの駒のように静止した人間たちと、

 あらゆる場合を受け入れる盤じみた状況を観察して、

 十六夜咲夜の持つ思考力でそれらしい想像をした、

 ただそれだけの現在状況だった。

 そして咲夜には、今、集まっている彼らとそれ以上関わる理由はない。

 だから、その惨状を目の当たりにしても、新しい防寒具を買って行くのは諦め、美鈴には自分のスペアのコートを貸してやろうと考えた程度だった。すぐにここを立ち去ろうと。

 今となっては、妖怪とその周辺の人物にすぐさま殺人の疑いがかかるかというと違う気はしたが、事のほとぼりが冷めるまで、暫くの間自分のような人間は里へ出入りしない方が懸命だと、一瞬にして考えたのである。

 そろそろ時間の流れが再開する。

 人並に眼が良い咲夜は、立ち去る前に、意味もなく少女の死に顔を焼き付ける。

 少女の瞳は静かに閉じられていて、悲しそうな、安堵したような、そんな表情をしていた。

 咲夜が踵を返して飛び去った後、ゆっくりと首の杭は引き抜かれた。

 傷口から血が緩慢に溢れる。










          ◆










 その夜、咲夜は地下図書館の書斎に居るパチュリーの所を訪れた。

 咲夜は押して来たワゴンを音もなく書架の中へ入れ、扉を閉じると、今日見た事件を彼女に話した。

 人死にの話題を投げかけようとしたのではない。一先ず、買い物が難しくなるので、館にない嗜好品の注文等を受けた場合ちょっと時間がかかるようになる、という連絡をしただけだ。

 魔女は揺り椅子に揺られながら、例によって本から目を離さず、そう、とだけ返した。

 上の空のようだが、情報が耳に届いていることは判っている。飲み乾されていた彼女の紅茶をカップごと変えると、咲夜は微笑んで書斎を後にしようとしたが、その背を呼び止められた。

「ああ――ごめんなさい。ちょっと待ってちょうだい、咲夜」

「何でしょう?」

 何か伝え漏らしたことがあったろうか、と咲夜は考える。

「……半人半妖の件はどうだったの?」

「ああ確か、パチュリー様が、あの子の居所を調べられたのでしたね」

 パチュリーはこっくりと頷く。ただ、別にそう大変だったという訳でもないけどねと付け足しもした。

「結論、至極あっさり行きましたわ」

 咲夜は答える。

「……斬り刻んじゃったの?」

「逆ですわ」

 魔女は、小さい口を僅かに開いて驚きを表した。平和な幻想郷とはいえ、ファジィだが、それも一つのルールの上にあるものだ。最初にそれに乗っておいて、わざわざ後から解離することは、愚かなことだと呆れたのである。

 咲夜もやはりその感想に同意だったが、あえて迎合はしなかった。あの少女が素直にスペルカードを譲らなかったとして、その交渉のために彼女と戦闘をしたであろう者は自分だからだ。

 パチュリーは尚も訊いた。

「……何故その子はスペルカードをつくったのか、訊いた?」

 問われた咲夜は頷いた。

「忘れた、と言っていましたね。『しがない花売りは美しい闘いについて行けない』と。嘘だと思いますけど、スペルカードは本物だと思います」

「……今、その紙は何処にあるの?」

「真贋を改めていただいている所なので、お嬢様が持っています。それが終わり次第、いつでも良いから近い内、何故か永琳の所へそれを届けろと仰られて」

 咲夜が溜息をついた反面、話が飛躍したので、パチュリーは少し混乱していた。

 ――永琳?

 ――八意に?

 何故そこで、あの宇宙人の名前が出てくるのだろう。

 それにそもそも、言霊が宿らされたり、各人の好きに装飾されているとはいえ、あれは本来ただの紙だ。

 本物かどうかを確かめたり、他人の手に渡してまで調べようとする理由とは一体何だ?

 しかし、咲夜にそれを問うた所で、欲しい回答が得られないことは判っている。彼女は頭が切れるが、当然ながら、それを必要とされるのは殆どが現場での話だ。

 何故今回は、今朝もそうだが、レミリアからの相談がないのだろう。あの宇宙人と関わり合いになるのなら、ある程度は慎重にならないといけないのに。

 別に、彼女の判断に異を唱えたい訳ではない。

 ただ……レミィが独りで決定する必要のある案件があるとすれば、それは何だろう?

 ただ……レミィが誰にも目的を口に出来ない条件があるとすれば、それは何だろう?

 逆に、自分と咲夜にだけレミィが目的を伝えていないとすれば、それは何故だろう?

 それとも単に、いつもの戯れ事なのだろうか?

 だが自分に、微細なりとも不安を与えるような真似を、彼女がするだろうか――

 そう一瞬にして、魔女の役目或いはデフォルトとして、数多の深読みをしただけのことだ。

 だがそれをして、妥当な結論が導かれない。

 まるで情報が不足していた。

 ひとまず保留にしよう。差し迫った問題ではない筈だ。パチュリーは背もたれに身体を預け、そう考え直した。

「………………それをどう思われます?」

 そうしているといつの間にか、咲夜がまた自分へ話しかけていた様だった。慌てずに首だけを彼女の方へ向ける。

「……ごめんなさい。別のことを考えていたわ。もう一度言ってくれる?」

「ですから、里であった人死にの話ですよ。仮に殺しだとして、一体誰があんな馬鹿をやらかすでしょう――と」

 やはり気になりまして、雑談ついでにですがと、咲夜は数秒前に言ったことをもう一度繰り返す。

 なんだそんなことか、とパチュリーは思ったが、そのまま口には出さない。だがそれと似たようなことを言う。

「……変なこと気にするのね。咲夜はミステリィに興味でもあるの?」

「人間には幼い好奇心と無駄があるのですよ。因みに私には、推理小説を読む時間なんかありませんわ」

 咲夜はそう言って微笑んだ。特に嫌味を言っているつもりはない。

 最初からそんなことを気にしないパチュリーは、今しがた咲夜が話していたと思しき情報の欠片を頭の中で組み立てた。杭が首に刺さった、裸の少女の亡骸の映像が再現される。

「……人間の仕業でしょうね。同族殺しよ」

「何故そう思われますか? やはり里の中では、妖怪は人間に手出し出来ないからでしょうか?」

 パチュリーは常の半眼のまま、表情を変えず話す。今は視線を咲夜の方に向けていた。

「……概ねそうね。けれどその消去法を裏付けると思うのは、死に方の問題かしら。
 ――ねぇ、その人間の首に刺さっていたのは、間違いなく杭だったのよね?」

 ええ、と問われた咲夜は答えた。

 確かにあれは、杭か楔として加工された材木だった。木の皮が自然のまま付いている等ということはなく、少女の首の皮膚から突き出ていた先端は綺麗に一山に尖っていた。折れた木の枝などではない。あれは誰かの手で目的を与えられた道具だった。

「……ではひとまず、他殺と決めてしまいしょう。そうすると矢張り、わざわざ杭で、という殺し方が無闇と象徴的なのよ。
 殺人行為にメッセージを込めることを実行するのは、人間だけ。
 妖怪が殺人するなら、今回の場合そこに仕事上の連絡事項とか、宴会の日程のお知らせとかを残すだろうけど、里を侵略しないという条約に逆らってまで人間の死骸を掲示板に使うのはおかしいわ。
 ……それが私が、人間がその人間を殺したと思う理由ね」

「妖怪は、他人を殺すこと自体には興味がないのですか?」

 意外ですわ、と咲夜。

 だがそれは、誰しも一度は、生涯の中で、他人を殺害することに興味を持つのではないかと、人間の基準で考えた故の意見だった。ごく少ない人数でも関心を持てば、その中から実行に移す者が現れることは数と時間の道理である。

 パチュリーは彼女の問いに頷いた。

「……全くないわね。『殺人自体』に興味のある奴が居たら、龍を敵に回してでも殺人を続けるわ。それが妖怪のアイデンティティということ。
 仮に妖怪が面白半分に殺人をしたとして、それを賞賛する者が居なければ、罵倒する者もないの。形式ばった、誰しもが関心のない粛清があるだけ。誰かさんの手で、漸近する境線の狭間へ葬られる。
 ……要は、殺人それ自体は妖怪にとって、マイナー中のマイナーということね。私達に殺人文化はない。人間が過剰に妖怪に脅えているのは、単に、昆虫を見るような目で見られるからよ」

 それに、そんなに殺し殺されたかったら妖怪同士でやることでしょう、と血生臭いことを律儀に付け足す。

 咲夜はその荒唐無稽な説明に、しかし納得が行った気がした。

 人間には無駄があるのですよ――先刻その言葉を自分で吐いた時点で、無意識には判っていたのだろう。

 ここで言う無駄とはやはり、人間にとっての殺人のことで、そこには成熟した大人になっても弱い者を殺したがる……という人間の精神の脆弱さの問題が含まれている。

 知識のある人物に改めて、日本語で、妖怪にはそのような無駄はないと説明されると、彼らを一層尊敬出来るような気がして、咲夜には快かった。

「よくわかりましたわ」

 パチュリーはそれを聞いて、柔らかく微笑んだ。

「……言うまでもないことだろうけれど、放っておきなさい」

「そうすることにいたします」

 だが咲夜は、頭から、あの少女の死骸の映像を拭いきれないでいた。

 永琳の所へは、レミリアに黙って私も行こう、とパチュリーは考えていた。





 魔女の書斎を後にしたあと、レミリアの様子を伺いに、咲夜は彼女の自室へ足を運んだ。

 入室するとすぐに、彼女が散歩がしたいと言い出した。咲夜は頭の中で今装備しているナイフの種数本数を確認すると、微笑んで頷いた。

 別段、この時間の散歩は彼女らの日課ではない。お嬢様の、お腹が膨らんだから、考え事が煮詰まったから、月が肉眼で見たくなったから――等々の、毎回違う種類の理由から行く気まぐれだ。

 正面門から出ると、雪は昼間と違い全く止んでおり、快晴だった。家に居る間に天気が一変していたので、咲夜は少し驚いていた。窓が少ない屋敷の住人は、大抵いつも外界の様相に疎い。

 月は幾望(きぼう)。

 ほぼ満月に見えるそれは、積極的に地面を雪の銀色に表示している。

 湖面が凍結しているせいでさざ波の音が消えてしまった畔を、二人は暫く何も喋らずに歩いた。時折白い呼気が吐き出される。咲夜の提げる小さなカンテラが、二つの白い顔を下方からぼんやりと照らしていた。

 質問の機会だった。前方を見つめながら、何から訊いたものかと咲夜は考えていた。尋ねたいことは三つあった。

 しかし彼女がそうこう考えている内、先に切り出したのはレミリアの方だった。小さいサイズのコートとマフラーで武装した彼女は、従者の顔を見上げて言った。

「あのスペルカード二枚は、正真正銘、スペルカードだったわ」

「あら。やっぱりそうでしたか?」

 スペルカードの元の持ち主は紅魔館のことを知っていた。

 ならば咲夜の能力について知っている可能性は高く、偽物を渡してくる可能性は逆に低かったのだ。こちらは、後から時間を止めていくらでも家捜し出来るのだから。

 訊きたいことの三分の一を教えて貰えた咲夜は、それについて更に訊いてみた。

「ところで、それが本物かどうかは、どうやって判るものなんでしょうか?」

「勘よ? でも十割当たる、勘」

「勘なんですか……」

「ええ。で、まぁ勿論、細かいところまでは判らないわ。なんて名前の符かは書いてあるし。後のことは、餅は餅屋、ね」

 咲夜はこめかみに指を当てて唸る。矢張りいまいち、レミリアの言わんとしていることが察せなかった。

「何だかよく判りませんけど、その符の詳細な性質は、永琳でなくては判断のつかないことなのでしょうか? パチュリー様では無理なのですか?」

 レミリアは小首を傾げた。そんなこと考慮の内にもなかった、という風なジェスチュアだった。

「どうかしら? でも、悪いけど今回、パチェの意見を貰うつもりはないわ。だからこのことは出来るだけ内緒にして。訊かれたら答えてしまってもいいけれど」

「もう概ね言ってしまいましたわ」

 どうしましょう、とメイドは困った振りをする。

「それならそれでいい。ともかく、いつでもいいから近い内にお願いね」

 しかしレミリアは恬淡と答え、二枚の符をそのまま咲夜に渡した。それを永琳の所へ持って行けという改めての指示だった。

 咲夜は符を受け取って懐へ仕舞った。それから、やはり、レミリアにも人里で見た出来事を要約して話した。これが、尋ねたいことの二つ目だった。

 一通り聞き終えたレミリアは前を向いたまま、また首を傾げる。

「あら世間話……。咲夜も歳をとったのね。お給仕ではなくて家政婦みたい」

 咲夜は、違いが判りませんわという軽口を呑み込む。

「人間には幼い好奇心と無駄があるのですよ。それで、どう思われますか」

「どうって? 漠然とした印象を言えば良いのかしら? 現場をきちんと見て居ない貴女に、改めて犯人探しの為の物証の提出を求めれば良い? それとも、人と妖怪にとっての殺人の考察の議論をやる? 水かけ論は結構好きよ」

「……私が悪うございました。漠然とした第一印象をお聞きしたいだけです」

「誰かに食べられもせずに死んでしまうなんて、可哀想。それだけよ」

「――……」

 ――てっきり。

 てっきり、蔑んだような批判が与えられる展開を予想していた咲夜は、一瞬呼吸を忘れるほど驚愕した。

 くだらない、という言葉を期待していたのだ。人間の間に起こる殺し殺されなど、取るに足らない瑣事だと言い切られると信じていた。

 可哀想?

 一体何が?

 食べられないことが?

 本当に?

「失礼を承知でお聞きしますが」

「なに?」

「顔を判らないようにされて、性別や肉質でだけ判断されてしまう人間に対しても、同じように思われますか?」

 血液に関しては、咲夜は意図的に言及を避けた。

 彼女が言っているのは、月初め毎に一度、紅魔館に運び込まれて来る食料人間のことだった。彼らは定期的に調達役の妖怪に運ばれてくる際、ルールとして頭に袋をかぶせられている。顔立ちでパーソナリティを把握出来ないようにされ、また、裁断する時に表情を確認出来ないようになっていた。

「当然でしょうに。同じ人間よ」

 しかしレミリアはそう回答した。

 わかっていないようねと、彼女は咲夜に対して揶揄するような笑みを浮かべる。

「ねぇ、いいこと? それは何かしら見立てのある象徴殺人なのよ、咲夜。
 だから、その人間の魂は離れていったけれど、肉体は食べられもせずに残った。
 かといって、直接的な怨みを浴びて死んだのでもない。
 つまり食べられる為に死んだのではなく、十割殺される為に死んだのでもない。
 ここに共通することって何か判る?」

「存じません。いえ、判りませんわ」

 咲夜は即答した。先の驚きに痺れたためか、頭が動いてくれなかった。

 レミリアは淡々と自分で回答する。

「どちらもサバイバルから遠くて、迂遠なのよ。無駄の中で殺しが起こっている。
 最低限、生物全体の生活に要るのは、もちろん一人一人が任意に定義していい、食べるための生命、殺すための生命。
 でも、表現するための、考えていることを伝えるための生命というのは違和感があっておかしいでしょ? メッセージを伝えたいのなら、絵画があるわ。彫刻だって小説だっていい。でも逆に、カンバスを怨恨で殺してみたり、石膏や紙を食べてみたりするのは、おかしいことでしょ?」

 そう小さな彼女は、外見相応の無垢な微笑みを浮かべてみせる。

 咲夜は一瞬その顔に見とれたが、しかし、頭では何故かずっと反論を考えていた。彼女は尚も続ける。

「簡単に言って、輪廻転生からは外れなくとも、自然生命の環から外されてしまったのよ、その人間。そしてたとえ、食料人間だったとしても、その二つの環からは逃れられない。
 誰かの情報伝達行為に巻き込まれて殺された人間は、死ぬ生きるの境界にある小さな誇りを、誰かに陵辱されてしまった。可哀想に、独りぼっちで、もう戻ってこられないわ」

 咲夜はそれを聞いて、ようやく首を振ることが出来た。

「独りぼっちではありませんよ。生きること死ぬことの本質とかけ離れた目的で殺される人間は、実際問題山ほど居ますわ」

 レミリアは一瞬黙り、自分の紅い眼を目一杯に見開いて、従者の瞳を覗きこんだ。

 咲夜はそれに言い表しがたい酩酊感を感じる。無遠慮に見つめる子供の視線。かといって、不快感が伴わないことが逆に奇妙だった。

 何かを終えたのか、やがて、吸血鬼の少女はぽつりと言った。

「それ、外の世界の話でしょ? 咲夜」

 咲夜は何故か、安堵めいた溜息をついた。

「そうですわ」

「でも此処は平和な幻想郷よ、咲夜。本来そんな子供じみた殺人はあってはならないことよ、咲夜」

「そうでしたわ」

 もう一度、諦めたような溜息を漏らす。何故そんな真似をしているのか、咲夜には自分でも判らない。

 ただ何故か、まるで毒が抜けるように溜息が出た。一瞬だけ滞留して、いつの間にか周囲の大気に溶け込んでいった白色のそれが、自分の内にあった害悪なのだと彼女は思った。

 何しろ幻想郷の中で、このような人間臭い殺人を見たのは初めての経験だった。

 本であれ実際であれ、外の世界という環境でならば、あんな風な殺人現象を目撃してもそう問題ではなかっただろう。どう向き合い、どう処理したら良いかそれなりに判っている。

 だが環境が変われば受ける印象も異なるもので、咲夜は今この幻想郷で、それをどう解釈したら良いのか、皆目判断がつかなかった。あの光景には、妖怪の食材にされていく人間から受ける印象とは、矢張り違うものがあった。

 積極的に関係を持とうとしない方が懸命だと判断し、あの時現場の状況確認を怠った咲夜である。だというのに、パチュリーとレミリアにあの少女殺害について意見を求めたことは、普段の彼女なら絶対にしない矛盾であったし、無駄でもあった。

 たかが一人、人間が死んだだけだというのに。

 幻想郷という場所で初めて見る人間による殺人、という条件だけで、何故これほど気にかかるのだろう?

 パチュリーが指摘した通りの、象徴的な同族殺しという部分に嫌悪を覚えるのだろうか?

 レミリアが考えるように、環から追い遣られてしまった少女に悲哀を感じるのか?

 しかしどちらに対しても、そうだと納得出来る論拠が見当たらない。

 何も判らなかった。

 これでは仕事が手につかなさそうだと、咲夜はやや具体的な危惧を抱いたので、思い切って雇い主に相談することに決めた。

 お嬢様の散歩はもう復路に差し掛かっている。凍りかけた雪を踏みしめる硬い音と歯応えが、二人の間にルーチンとして焼き付きつつあった。

「お嬢様」

「なに?」

「多少気にかかることがあるので、その人殺しの件で、里を調べる時間をいただいても宜しいでしょうか?」

 レミリアは首を捻った。何故そんなことを聞くのだろうとでも言いたげだった。

「貴女の自由を制限した覚えはないわ? 家事さえやってくれるなら、後は勝手にすればいい」

 だがそう言った後で、少し考えてから、

「……ああ、でも、貴女が雪と寒さと飢えで死なない保証が欲しいわ。誰も見ていないところで死なれたのでは、あんまり寂しいもの」

 そう単純に咲夜の身を気遣った。

 心配された彼女は含み笑いを漏らす。

「ならば、レミリア・スカーレット様の見ている前で死ぬのなら、良いのでしょうか?」

 それに呼応するように不敵に笑い返される。

「一向に、構わないよ。でもその子は、貴女が死にそうになったら、貴女の死が欲しいが為に、すぐに殺してあげるつもりね」

 両手で細い棒状の何かを絞るジェスチュア。

「承知しました」

 咲夜は僅かに微笑んで言う。

「まああれですよ。それに関しては、屋敷と里を行ったり来たりするつもりなので、多分平気です。雪が酷ければ、人間も家の中へ篭ってしまいますしね」

「ならいいわ。じゃあもう明日から行ってしまうの?」

「そのつもりですわ」

「忙しいのね」

 呆れた態度のレミリアは、気をつけてとは言わない。何故ならもう言ったからだ。それからやれやれといったように片目で相手を見、犬歯を剥いて邪に微笑む。

「ま――面白い土産話があったら聞かせて頂戴。楽しみにしているから」

「……。お嬢様の好まれそうなお話、ですか」

 すぐには思いつかなかった。自分の経験の中のオリジナルの物語は、レミリアにも、その妹のフランドールにも、みんな聞かせしまってとうの昔に飽きられている。その中で、最初、彼女らに聞いて貰えた話は何だったかというと――

 咲夜は、お嬢様にわからないように溜息をつく。やはり結局、彼女らは血生臭いお話が好みだと思い出してしまったからだ。

 売春婦ばかりを殺害し、その臓器を持ち去る狂人の話をすれば振り向いて、女の亡骸にウェディングドレスを着させた殺人犯の話をした時には、袖を引いて続きをせがまれた。

 その時の彼女らの心情は、咲夜には今でも察せない。二人ともその間だけ、短絡な喜怒哀楽を消していたからだ。ただ熱心に聞いている姿が微笑ましかったので、話し続けただけ。

 客観視すれば、その時の咲夜も、あまり人間らしい倫理観が働いていなかったと言っていい。清楚なお給仕が微笑んで、幼い子供達を寝かしつける為にスプラッタやサイコサスペンスを聞かせている情景は異様だ。


 ――その人は涙を零さないように気をつけながら、その女性の質量を小さくするために、
    ノコギリでその手足を斬りおとしたのでした。


 ――身体を小さくしたいのだったら食べれば良いのよ。綺麗に斬る方が時間がかかるわ?


 ――泣くのを我慢したということは、その人間は異常者とは違ったのね?


 ――さあどうなのでしょうね。続きは明日。また、お二人が眠る時にいたしましょう。


 そんな奇妙なやり取りがあった。

 ノーマルなおとぎ話は二人に一切遮断されたので、かつての咲夜は閉口したというか、多少落ち込んだのだ。困り果てたので、時間をかけて行き着いたのが、語彙が足りているからといって、普通の幼児には聞かせる筈もない話だった。

 吸血鬼が戦いに傾倒した種族だからそうなのか、それとも人血を愛しているからそうなのか――

 やはりどちらともつかないが、興味がある、ということは確かだった。

「そんな出来事があったら、嫌ですね」

 子供部屋でのかつての記憶を総括しながら、咲夜は呟く。

 それを聞いたレミリアは、すぐに従者の言葉の意味を汲み取る。嫌というよりは、面倒だと思っているのだと予測した。

「嫌が応にも訪れる時は訪れるし、来ないときは来ないわ。だから一応、楽しみにしておくの」

「楽しみにしていても来なかったら、その時は?」

 レミリアは一瞬きょとんとした顔をする。

 だがやがて、前を見たまま薄く微笑んで、従者の手を握る力を強めるとこう言った。

「来なかったことを、それなりに喜ぶだけね」

 咲夜は何も言わずにレミリアに微笑みかけて、その小さい手を握り返した。

 終始、場の流れを読むことに配慮し続けてしまった彼女は、ついに気になっていたことの三つ目を訊けなかった。










          ◆










 次の日も晴間は続いていた。

 相変わらず寒かったが、夕方にもなれば昨日の雪は殆ど溶けてしまうんではないだろうかと、高空を飛ぶ咲夜は、右手で日光を防ぎながら思った。

 永遠亭へ件のスペルカードを預けた後、レミリアに断っておいた通り、彼女は里を訪れることにした。

 懐中時計を取り出して覗くと、午前の十時過ぎを指していた。

 眠りながら時間は操れない。予定をつめたせいで二時間しか睡眠が取れなかったため、鈍い疲れが残っていたが、決めたことは決めたことだ。無理をして仕事に支障をきたさない程度にやろうと考えていた。

 いつもと変わらない態度で里の境界を越える。昨日は寄り付くまいと思っていたこの場所だが、関わる以上は、堂々と振舞う方がベターに決まっていた。衣料品店が開いているのならついでに、美鈴のコートも揃えてしまおうとさえ思っていた。

 昨日と同じ路地を歩いてみた。人の出はやはりまばらで、昨日と比べても開いている店屋はまだ少なかった。子供は一人も見られない。皆足早に無言で歩いており、常の活気はない。

 咲夜はその状況に少しだけ違和感を覚えた。もしかすれば、昨日の一件ではきかないかもしれないなと、ぼんやりと考えていた。

 次に、少女の亡骸のあった広場を遠巻きに観察した。そこには誰も居ず、当然死体も残っていなかったが、土の上に僅かに流れた血を擦り消そうとした跡があった。他に変わった所はない。あまりそこをじろじろ見ていると不自然なので、それだけ確認するとすぐに立ち去った。

 その後竹林の方向へ取って返し、寺子屋を目指す。

 咲夜は調べるにあたって、当然、上白沢慧音に話を聞こうと決めていた。パチュリーが指摘した通り、あの人間殺しが人間同士のトラブルであったとて、慧音が全て看過している筈はない。何か意味のある情報を持っていることだろう。

 そう考えたのだが。

 竹林を背景にした、こぢんまりとした木造校舎の出入り口には、「冬季休暇」と硬質な筆跡で筆書きされた札が下がっていた。当然引き戸がロックされている。

 慧音の仕事場は無論この中だ。ただ慧音と付き合いの薄い咲夜は、そこと彼女の自宅が同じかどうかを知らなかった。

 冬休みとは――てんで考慮外だった。休暇の概念など忘れかけていた。ワーカホリックの彼女は、半分無駄だろうと考えつつも木戸を強めにノックした。

「ごめんくださいな」

 しかし、

「はい、ただいま」

 謹直な反応があった。

 驚いた咲夜は、僅かに扉から身を引いて、意味もなく建物を見上げる。

 がたがたと椅子を引く音、重い錠を中から開ける音がして、帽子をとった慧音が顔を覗かせた。

「おや、紅魔館のメイド?」

 咲夜は久しぶりねと言って微笑んでみせたが、彼女はあまりいい顔をしなかった。










「それには私達も、実際困惑している状況だ」

 仕事椅子を軋らせて、片手を木机に置いた慧音が言った。

 宿直室兼、職員室といったところなのだろう。そこは炬燵の据えられた畳のゾーンと、仕事机と書棚の置いてある板張りの床のゾーンに分かれた縦に長い部屋だった。双方はふすまのような引き戸で仕切られていたが、今は開け放たれている。

 背筋を伸ばして炬燵に入る咲夜は、仕事机から離れる様子のない慧音に向かって言う。

「『達』って?」

「妹紅だよ」

「あらあら……」

 これは、それなりに大事らしい、と咲夜は改めて認識した。

 しかし無論、特別に力の強い二人が、里を支配している訳ではない。里の人間同士のいざこざの可能性は捨てきれないとも思った。

 慧音は首を傾げながら、固い無表情のまま咲夜に訊く。

「ところでお前は、あの人殺しについてどこまで知っているんだ?」

 彼女も藤原妹紅も基本的に人間の味方だ。咲夜はどちらかと言えば妖怪の味方だ。慧音は、すぐには相手へ情報を渡す気はないようだった。

 咲夜の方はこうなることを大体予測していたので、情感を込めないでありのままを答える。

「昨日、女の子が死んでいるのを広場で見たわ。お嬢様のおつかいの帰り。それが単に気になったの」

「何故、気になった?」

「見たら誰でも気になるわよ、あれは」

 ここいらであんな殺しは起こらないもの普段、と付け足されると、内心それに同意していた慧音は食い下がらなかった。

 咲夜は出されていた日本茶をすすってから、淡々と話す。

「まぁ、何を警戒されているのか知らないけど、私は無関係よ。
 その上で、こちらはこちらで勝手に色々と調べたいので、貴女の持ってる情報を参考にしようと思ったの。
 人間の仕業か妖怪の仕業かなんて結果的にはどうでもいいけど、里がああ御通夜状態ではお買い物に行かれないから困るのよ」

「ふむ」

 困るのよ、という部分は半分は嘘だ。冬季を乗り切るための最低限の蓄えはある。

 慧音は少しの間黙考していたが、やがて、いいだろうと呟いた。自分達だけでは手をこまねくことしか出来ない状況下で、思惑はどうあれ利害が一致している相手を疑り切ってしまうのは馬鹿なことだと判断した。

 ややあって、重く切り出した。

「実は、お前が見たのは、それで十三人目の死人なんだ。
 今までの全員が同じように裸にされていて、その首に杭か楔のような木材が刺さっていた」

「あら、まあ」

 咲夜の淡白な反応に、些か眉根を寄せる慧音。

 しかし余分なことを言わずに続けた。

「それで――その人間達は、里の者ではないようなんだ。皆、顔を見たことがないと言っている」

「……」

 咲夜はそこで、急速に頭脳をクロックアップさせた。

 里の人間ではない?

 里の外に住めるような、力の強い人間をわざわざ?

 まさか十三人全てが?

「それは、一体いつから始まっているの?」

「一日に一人だ。だから十三日前から。全て、私達の知らない人間が殺されている。内訳は、男性が八人、残りが女性。年齢はまちまちのようだが、明確に子供と判るのはお前の見た一人だけだ」

「……」

 どこの人間なのだろう。

 確かに霧雨魔理沙のように、わざと里の外で暮らす者は居る。自衛する力がなくても、(彼は半分妖怪だが)森近霖之助のように店を構えるなどしていれば、里の外だからといって妖怪に無闇と襲われることもなさそうだ。里の外の人間を引っ張って来ることは、難しいがありえない話ではない。

 いやしかし、この場合、そうすると――

「待って、慧音。じゃあ死体は、最初どこにあったのかしら?」

 問われた彼女は、そこが判らない所なんだ、とかぶりを振った。

「里の外の方々に、毎回夜が明ける前に捨てられている。
 一人目、二人目、三人目だけが里のほんのすぐ傍に捨てられていたが、連続性に気づいて、それ以降は里の男性が自主的に探しに出て遠くから見つけてきている。
 ほとけを一人ぼっちにしておくのはならないことだと言ってな」

 咲夜は開いた口が塞がらなくなった。

 ややあって、訊いた。

「では何? 里の人間は自分たちが直接被害に遭っていないからって、今まで十三の死体を取り寄せたということ? ここへ」

「――そうだ」

 慧音は感情を込めずに言い返した。

 容赦のない肯定を受けた咲夜は、呆れを通り越して憤りが沸いた。

 信じられない……とにかく何か叫びたくなった。

 馬鹿なことを――

 今すぐやめさせろ――

 平和ボケして頭が腐ってしまったか――

 だがそれを強靭な理性で押さえ込む。細く長く溜息をつくことで感情を沈静化させる。

 二週間近くもそんな状況が続いたのだ。里の男達はおそらく殆ど我が身を省みないで、探しに出ている。咲夜がここで何か意見した所で、聞き入れられない。

「無論止めたが。言って聞くような賢い者は居なかったよ。夜の間に、積極的に、犯人を捕まえに行くことだけは思いとどまってくれたが」

 呆れたように慧音は嘆息した。彼女も説得を諦めていた。

「まあその上で、どうするか、という話だ」

「……そうね」

 ともかく、何から考えるべきなのか、と咲夜は思考を切り替えた。

「今は、里の外縁を妹紅が、内側を私が、可能な限り見回ることにしている」

 間を置かずに慧音が言う。

「だが実際、二人ではそれ以上の範囲をカバー出来ない。妹紅が遠出すれば、見回りの男衆も居るとはいえ、里の比較的外側の人間が危険になる。犯人が里の人間を狙わないとは限らない。それに、一人が当て所もなく方々を飛び回った所で意味が薄い」

 里の内側の人間の仕業でないということはもう確定しただろう。身内同士で疑り合う要素が少ない分、里の人間は割と団結して動けるのだろうなと咲夜は思った。

「成る程。ところで、今も、妹紅は里を警護しているの?」

 首を振られる。

「彼女は今は、何処かで仮眠しているだろう。いつも犠牲者は、夜に殺されて捨てられているようだからな」

「では、見回り自体はいつからやっているの? ――ああ、日にちという意味でよ」

「勿論一人目が見つかってからだ。それから、二度目と三度目は妹紅の見回りをかいくぐって死体が置かれていて、以降はさっきも言った通り、かなり遠くで発見されている」

 里とはいえ……見回りする人物が例え飛べる誰かであったとしても、一人で全てをカバー出来るほど狭くはない。二人目と三人目の二度なら、里の境界の周りに死体を置いておくことは決して無理なことではないと咲夜は思った。おそらく自分にも徒歩で出来る。

 実質二人の見回りは、里を護ることで手一杯なのだろう。気が違った妖怪が犯人だった場合、人間の警備は全くの役立たずだ。外側の妹紅を遠出させる訳にはいかない。どんなに膂力があっても、相手の居る位置を補足出来ないのでは捕まえようがない。

 犯人は、里の人間がどういったスタンスなのか知っている。これは確実だ。咲夜はそう考えた。さもなければ、警戒態勢を取っている筈の里のそばまで死体を――取りに来させるために――置きに来たりしない。

 腕を組み直しながら彼女は言う。

「何のためにかは判らないけど、わざと里の人間に死体を回収させているのね。それにそれは、毎日人間を殺すことを、心がけているように見えるわ」

 その感想に慧音は頷く。

「私達も同じ見解だ。ふざけている。一日に一人とは物理的にもペースがおかしい」

 しかし咲夜が気にかかったのは、慧音とはおよそ反対のことだった。

 そいつは、一体いつまで殺人を続けるつもりなのだろう……と考えていた。

 既に十人以上。

 人がやったのなら、危険過ぎる狂人だ。

 妖怪がやったのなら、慧音と妹紅を相手取った時点で全くの命知らずだ。

 そして、本来部外者である自分が今こうして関わっているように、自分はそれとは少し違うが、じょじょに里の停滞を望まない力の強い者が集まって来るに違いないのだ。

 だというのに、一体いつまで……。

「それに……そう、私は犯人は人間だろうと考えていたけど、ここに来て判らなくなったわ。里の外からちょっかいかけてくるなんて、少し身軽過ぎる」

 咲夜が腕を組みながら発した言葉に、慧音は首を傾げた。

「何故最初は、人間が犯人だと?」

「パチュリー様が言ってたのよ。妖怪は、あんな象徴的な殺人をしないって」

 あの時は咲夜もパチュリーも、里の人間が殺害されたと定義して話していたが、魔女は、妖怪は里の人間に決して手を出せないという消去法の他にも、そう意見を言っていた。

 だが慧音は、呆れたようにかぶりを振る。

「それはお前の意見ではなかっただろうに」

「だから今、判らなくなったと言ったのよ」

 咲夜はやや憮然として言い返した。この獣人はやはり、現在以前のことを意識し過ぎると思った。

 しかし、そうした彼女の態度を気にした風もなく、

「確かに、犯人が妖怪か人間かと言われると判らないな。里の外で生活する人間も居ない訳ではない。しかしそれは、あまり問題ではないことだろう」

「何故?」

「誰であれ――縄打てばいいだけだからだ」

 慧音は鋼鉄のように言い放った。

 咲夜は、その真剣さを半分以上は受け取らないことにした。

「まあ、そうなんだけどね」

 熱いのは私以外の二人でいいだろう。咲夜は殆ど、既に、慧音と妹紅に協力することを覚悟していた。

 そしてそこで、全くひょっこりと、随分大切と思われる項目を見落としていることを思い出した。

 それは、熱いかどうかという部分からの連想だった。

「ああ、そういえば――霊夢は?」

 慧音は僅かに頷いた。

「遅まきながら今朝、やっと時間が出来たので私が打診しておいた。――本来、あいつが自発的にこちらへ来る筈なんだがな」

 咲夜は目を丸くした。

「では、あいつは、今までちっとも関知してなかったと」

「だからこの状況なんだ。あいつが妹紅より外を回ってくれれば、もう問題は解決していたかもしれないが……今となっては後の祭りだ」

 無念そうにやや顔を伏せた慧音だったが、反面、咲夜は首を捻っていた。

 それは一つの疑問の為にだったが、しかし既に、その中には四割ほどの確信が含まれていた。


 霊夢が来ないということは、これは巫女の解決する事件とは違うのではないのか?


 咲夜以外の誰であっても、早い段階で、この考えに至るに違いなかった。パチュリーでさえレミリアでさえそう思うことだろう。

 何しろ異変の規模が小さ過ぎた。

 いや、規模が大きいのか小さいのか、害あることなのかないことなのかが判然としないのだ。

 だがそれは、里の誰しもが顔を知らない人間であり、被害を受けている実感が伴わなかった故のことだ。だから男達は遺体を捜しに出かける。

 慧音も実際、咲夜と同じように考えていた。だのに今唇を噛んでいるのは、彼女の場合、里が実際に被害を受けていると実感しているからだった。

 慧音が護りたいのは見知った誰かではなく、およそ目に付く人間全員だ。里の住民が脅かされ続けている、知らない人間に関しては十人以上が殺されている――そう思っていた。博麗は事件の種類を区別するのかと、慧音は焦れていた。そして自分一人で事を終息させられないことに、何より怒っていた。

「抱え込むのはよしなさいな。どうせ今日で全部終るわ」

 見ているこちらが苛々してきたので、咲夜は相手に向かって言う。顔見知りが死んだ訳ではないというのに、殊勝な落ち込みぶりだと思ったが、それは口には出さない。

 細々とした懸案事項は残されているが、霊夢と咲夜を加えれば確実に何もかも終るだろう。あとは犯人を締め上げれば良いことだ。

 彼女は顔を上げた。

「……そうだな」

 その呟きを確かめるや、炬燵に肘をついて、わざと咲夜が訊いた。

「で、私の手が要るのかしら?」

「無論だ。お前も人間の端くれなら、力を貸してくれ」

「前後のニュアンスが、微妙に食い違ってると思うの」

 苦笑したが、咲夜は、夜に家を開けることを伝えに帰らなくてはと考え、また明日の仕事の溜まり様を思い炬燵の上に倒れ伏したい気分になった。

 ややあって、またぽつりと訊いた。

「最悪、原因が発生していそうなところまで、歴史を改竄してしまえばいいものね」

 慧音は一瞬きょとんとして――しかし無表情にかぶりを振った。

「……それで、消えた誰かの生命が戻ってくる訳ではない」

 輪廻転生の流れと、生きた者の目に見える時間の流れは、最初から遠いものだと彼女は言った。

 咲夜には、その二つの違いがよく判らなかった。
 Ⅱへ続きます
salome
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コメント



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2.70名前が無い程度の能力削除
冒頭の引用文、犀川先生の台詞で「ミステリかな?」とニヤリとしました。
続きに期待して、このポイントを入れさせて頂きます。

>女の亡骸にウェディングドレスを着させた殺人犯の話
これって……「F」ですか?
8.無評価名前が無い程度の能力削除
コメントにコメントを返すのは禁止らしいですが、
コメント2番の人へ、よう俺。
>ノコギリでその手足を斬りおとしたのでした
やっぱりFですか?

季節設定がなくともずっと雪が降っているような真っ白な雰囲気が森ミステリィに通じます。
点は完結編で。