『処方上の注意』
以下にはオリキャラ分が多分に含まれております。
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また本作品の使用により気分が悪くなる等の症状に見舞われた場合は直ちに使用を中止し、最寄りの他作品をご閲覧ください。
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『完全瀟洒な紅魔の執事』
ここ紅魔の館におわします永遠に真っ赤な幼女様は、とかく我が侭であることで有名だった。
そも幼子の我が侭なんていうものは大概わずらわしいものであるのだが、そこは紅魔の当主様、そんじょそこらのガキンチョどもとは、良くも悪くもスケールが違った。
その我が侭っぷり如何ほどかと問われれば、一夜の催しに博麗神社の賽銭十年分をつぎ込みたい、聞き入れられなければ暴れまわるというのだから、まさに歩く傍若無人、唯我独尊を地で突き進む、迷惑千万お嬢様なのである。
そしてそんな当主を頭に抱き、今日も今日とて苦労するのは、完全瀟洒と音に聞こえし紅魔の館のメイド長であった。
皿洗いを命ずればいつの間にやらフリスビー大会へと転じてくれる妖精メイドを指揮統括し、館の一切を取り仕切る才色兼備のスーパーウーマン。
館内清掃、部下へのお仕置き、お嬢様の我が侭処理と、その有能ぶりは他の追随を許さない。
かの白玉楼の半人前やマヨヒガにある親バカも、彼女を前には右を譲らざるを得なかった。
さてそんな超合金のごときメイド長殿であるのだが、しかしやっぱり所詮は人の子。
その心労は日々累々と堆積し、もはやエベレストを越えるがまでに成長していた。
あぁせめてもう少しお嬢様の聞き訳が良かったならと一人悶々思い嘆くが、他人の迷惑顧みぬのが我が侭の我が侭たる所以であって、今日も今日とてにっこりとひまわりの如き笑顔を浮かべ、主は己が配下に無理難題を課すのであった。
「あなた、今日から執事になりなさい」
「はぁ?」
唖然とするのももはや日常。
彼女は瀟洒とはかけ離れた間の抜けた表情で、これまた間の抜けた声を漏らした。
また一体何を言い出すのかしら、このちんちくりんの当主様は、と彼女は即座に思案する。
いかんせん、我らが主は吸血鬼。
一見すればほんの幼女に他ならないが、その齢、実際のところ数百を数える。
もしやなにやら遠大な意図が存在するのかも知れないと、そう考えるのも日常ならば、どうせいつもの思い付きだろうと呆れ返るのもまた瀟洒な彼女の日常だった。
もっとも、幼女の腕に抱かれている『苦労執事』だの『君が当主で執事が私』だのといった表題が書かれた小冊子を鑑みるに、崇高な理念とやらはまったくもって見出せなかったが。
あぁ、これが私のご主人様か。
彼女は喉まで出かかったため息をどうにかこうにか噛み殺しつつ、極力平静を装って己が主に発問した。
「お嬢様。一つ宜しいでしょうか?」
「何?」
従順なはずの己が下僕が異を唱えたのが気に食わなかったか、気位の高いお嬢様はその可憐な口を尖らせた。
しかしそれでも従者の言葉に耳を傾けようという寛容さは、やはり彼女が当主であるということを改めて認識させる。
そんな主人に恐縮しつつ、しかし従者はほんの少しだけ言葉に不満を込めつつ言った。
「お嬢様、失礼ながら今現在私が負っている職務こそ執事のそれと理解しております。お嬢様の仰る『執事になれ』という意味が私にはよく分からないのですが」
無理も無いことだと従者は思う。
例えば門番に『今日から門番になれ』といったところで、さて我らが紅魔の紅い門番は即座にその意図を理解するだろうか。
例えばそれが彼女の職務怠慢に対する皮肉だったとしても、きっとその意味を彼女が理解することなどあるまいて。
そう、だからこそメイド長は毎日三度、惰眠を貪る彼女を的に門番ダーツを嗜まなければならないのである。
閑話休題。
とにかくそんなわけであったから、己が主の御言葉を理解できなかったことは仕方の無いことだと思うし、もしそれが皮肉を込めた言であったのだとしたら、それはそれで心外であった。
卑しくも自分は紅魔のメイド長。
しかも『完全瀟洒』の冠詞付きである。
人一倍仕事をしているという自負はあったし、事実この館で彼女以上に仕事をしているものなど他には一人もいなかった。
然るにそんな無言の非難を、我らが当主は深いため息で吹き飛ばしたのだ。
その目はまるで『一体何を言っているのかしらこの小娘は』とでも言いたげである。
いやいや、それを言いたいのは私の方です、と、従者心中に思ってみるが、もちろん声には出しはしない。
そんな下僕にずびしっと人差し指を差し向けると、当主は張り裂けんばかりの声で咆哮した。
「いいこと!? もはやメイドは時代遅れよ! 時代の流れは無情なの! 今、萌えの最先端は執事、コレよ! 特にあなたは『完全瀟洒』という執事に不可欠な属性を持っている! 『ドジッ娘』を枕詞とし、『はわわ~』なんて主人に甘えるメイドに甘んじていい身じゃないわ! あぁごめんなさい、これは私の責任よね。ただあなたのミニスカメイドルックが見たい為だけに、メイドになどしてしまったんだもの。えぇ、これは私の判断ミス。でも安心して! 人間は常に進歩成長していくものよ! 執事に! 今こそあなたを紅魔の執事にいいいぃぃっ!」
幼き吸血鬼の雄たけびが館を、そして幻想郷を振るわせる。
いやはや近年稀に見るメイ演説である。
ツッコミどころは数々あれど、ともわれ従僕は己が主の春満開っぷりが幻想郷中に広まっていくことをまず最初に懸念した。
「だめよ、そこはちゃんと『お嬢様は人間ではありません』って突っ込んでくれないと」
いやいやいやいや、そんな瑣末に突っ込んでる場合じゃありませんわ、お嬢様。
思わずドタマにキツイのを一発入れてやろうかとも思った彼女であったが、そこはさすがに瀟洒な従者。
悪しき衝動をぐぐっと堪え、にっこり微笑みを浮かべるのである。
その笑顔が若干引きつっているように見えるのはご愛嬌というものだ。
つまりは、である。
彼女はこれまで主のどーでもいい趣向に付き合わされたが故にメイド長を名乗らされ、今『向いている』なんて、これまたどーでもいい理由で執事を名乗らされようとしているわけである。
幻想郷に○ー人事が無いことが悔やまれるが、そもそもそんな彼女の我が侭に付き合っていけない人間が果たして紅魔のメイド長を名乗れるかという話であって、答えはもちろん否である。
だからこそ、頭の痛みをぐぐっと堪え、彼女は瀟洒に言うのであった。
「了解しました、お嬢様。今この時より私は紅魔の執事にございます」
まるで止水に石を投げ入れるかのように、部屋へと響き渡る凛とした声。
主は従者の奏上に大いに満足したかのようで、腕組み、大きく頷いた。
まさに『これこそ我が従者』と言わんばかりの笑みを浮かべる。
実際のところ従者の胸中には『どうせやることは変わらないんだし』などという、なんとも不埒な思惑があったりしたのだが、知らないということは時に幸せなことである。
さて、そんな我らの主様、己が下僕の了解取り付け、意気揚々と取り出したるは、なにやら面妖な衣装の上下。
ツバメのような形の上着に、揃った黒の細身のズボン。
言ってしまえば所謂『執事ルック』というヤツだったが、いかんせんここは幻想郷。
基本的には和服が多く、ましてや執事など存在しない。
となればその衣装に従者が眉をひそめさせたとしても、それはそれで仕方の無いことだった。
「あなた、今日からこれを着なさい」
そう、主が命令する。
その顔には相変わらずハレーションを起こしたような笑みが張り付いており、曇天の如き従者の顔とは、それはもう対照的なものだった。
「……は?」
再び瀟洒とは程遠い声を上げるメイド長……改め執事。
しかし先ほどと明確に異なったのは、そこに呆れの色が無く、ただただ驚愕にまみれていたことである。
『茫然自失』を辞典で引けば、まずこの顔が出てくるだろう。
しかしそんなことを気にかけていられないほど、彼女は徹底的に混乱していた。
当然だ。
本来一を聞いて十を知るべき己が主の言葉の意味を、彼女はこれっぽっちも理解できていなかったのだから。
ちょっと待て。
我が主は、今なんと……?
執事はまるで難解な暗号を提示されたかのように自らの脳をフル回転させるが、しかしその言葉の意味するところはもう嫌になるほど明らかであり、エニグマにかけたところで、さて、別の意味が浮かんでくるのか疑わしい。
試行錯誤を繰り返したところでその意味が変わろうわけも無く、
「お、お嬢様。申し訳ありませんが、今一度仰っていただけますか?」
執事は聞き間違いであるという判断を下した。
あぁ、この件が終わったならば病院へと行ってこないと。
竹林にいる奇妙な薬師は耳鼻科も担当していたかしら。
そんなことを考え始める。
分かっていた。
伊達に瀟洒と言われていない。
結局のところ現実逃避で、そんなものに意味はないと、彼女は嫌になるほど理解していた。
しかし一縷の望みを持ってもいいだろうと、パンドラすら得た小さな希望を私が望んで何が悪いと、必死に抗弁して見せた。
その涙ながらの弁論を聞けば、白黒つける裁判長も無罪と結審しただろう。
……そう、ただただ彼女が不幸であったことは、ここが彼岸の大法廷でなかったこと、それのみであったのだ。
「だから、今日からあなたは執事として、この服を着て働くのよ」
無情に響く当主の言葉。
従者が聞き逃したかと思い、わざわざ一字一句丁寧に発音しくれる様はなんとも従者思いのように写るが、ならばこの意図汲み取って欲しいと執事は思わないではいられなかった。
無慈悲な宣告にその身体を震わせて、不敬にも主を睨みつけると、執事は大気も割れんばかりの勢いで、吠えた。
「つまりお嬢様は私に死ねと仰いますか!?」
「なんでっ!?」
これまた突拍子も無い発言に、今度は当主が驚愕していた。
無理も無い。
自分は単に従者の執事ルックを見てみたかっただけである。
あぁ、認めよう。
執事だなんだ、そんなことはどうでもいい。
ただ執事ちっくな彼女の姿を、一目みたいと思っただけだ。
それがなんで『死ね』なんて命になるのか、彼女には皆目検討も付かなかった。
しかし執事の目は真剣だ。
その顔には絶望が張り付き、その殺意だけで一般人は白玉楼へと送られる。
幸いにして我らが当主は人外のモノ、灰化消滅は免れたが、これはどうにも尋常ではない。
その旨従者に尋ねれば、彼女は苦々しく口を開いた。
「鳥には翼がございます! 巫女には腋がございます! 翼を失えばその生を紡ぐことができず、腋を失えば幻想が崩壊します! 私の足、生足は、それと同じなのでございます! 鳥に翼があるように! 巫女に腋があるように! 私の生足を封じることは呼吸をするなというのと同義! それを『死』と言わず、一体なんと言いますか!」
その胸中を全て吐き出し、嗚咽する紅魔の執事。
その姿に紅魔の当主は胸をえぐられる思いであった。
飛べない翼に意味は無い。
腋無い巫女はただの巫女。
まして博麗の腋となれば、それを封じることは幻想への大逆である。
巫女が腋を封じたために幻想が崩壊の危機に瀕したのも、まだたった二百年ほど前の話だ。
人里で評判の女教師言うところの『幻想郷腋事変』である。
ちなみに女教師が評判であるのは別に授業の上手さという話ではないらしい。
児童在籍わずか十名、実にその九割五分が男子というのだから、その評判、推して知るべしである。
閑話休題。
ともわれそんな従者の姿を、痛む胸を押さえつつ、ただただ主は眺めていた。
『何をしてるの、早く命令を撤回なさい』と、当主としての彼女が訴える。
しかし一方で『何を言ってるの! 執事よ執事! 麗人の男装、見てみたいと思わないの!?』と鼻息荒い、女としての彼女がいた。
そして変態としての彼女は『絶望に打ちひしがれる執事ハァハァ』なんて絶望的な思考ノイズを発している。
俗に言う、天子と悪魔の葛藤であるが、その数実に一対二。
加えて吸血鬼は脳なんて単純で化学的な思考中枢なんて持たないものだから、どこぞのスパコンのようにハッキングに絶えうる能力などこれっぽっちも持ち合わせてなかった。
あっという間に侵食された当主としての彼女は結局、『従者は主のものなわけだし』との意見に転じ、ここにめでたく『従者執事化計画』は断行されたのである。
世の中は、かくも無情なものである。
その日、メイドたちの間に衝撃が走った。
メイド長が、あのメイド長が生足をさらしていない!
メイド長といえば生足、生足といえばメイド長と、必要十分条件をこれでもかというほど見せ付けてくれた人物が、今は執事を名乗り、その生足を真っ黒な布で覆っている。
あるメイドは号泣した。
なんということだ、神は光を奪いたもうた、と。
これから何を糧に私は性を紡げばいいのか、と。
あるメイドは激怒した。
必ず、かの邪知暴虐な王を除かなければならぬと決意した。
しかし返り討ちに合うこと必至だったので早々に諦めた。
あるメイドは噴出した。
鼻から迸るは紅い血潮。
ハァハァと、熱い吐息が口から漏れる。
そんな、阿鼻叫喚の地獄絵図。
まさにこの世は世紀末。
真っ黒な馬に乗ったどこぞの覇者がそろそろ現れても良い頃合だが、真っ黒な衣装に身を包んだ執事はといえば、何を言っても耳に届かぬ、この上ないほどの放心状態をさらしていた。
大皿二十五、小皿五十五、カップを十七にスプーンが三。
これまでグラスの一つすら割ることのなかった紅魔の執事の、今日一日の戦果である。
吸血鬼の怪力にも耐えうるチタン合金製のスプーンを如何様にして折ったのかは遂に分からずじまいであったが、それでも館の隅から隅まで伝わり行くには十分なほどの異常であった。
「ちょっ……! 一体どうしたっていうんですか!?」
尊敬するメイド長の異常を聞きつけた門番は一目散に馳せ参じていた。
本来ならばシェスタをむさぼっている時間帯であったが、自らを叱責しに来るはずの彼女が魂の抜け殻になっているとあれば、そうもしていられない。
余談ではあるが、普段遊び呆けている妖精メイドの面々も彼女の異常を察知したのか、脇目も振らずに働いていた。
メイド長が抜けたことで職場が正常化するというのはなんとも皮肉なものではあるが、今現在それは関係ない。
「だ、大丈夫ですか? なんか目が死にかけてますけど……」
「あらアナタ、何でこんなところにいるの? 『がお』っていう口癖はもうそろそろ直ったのかしら?」
「誰の話ですかっ!?」
ここにきて門番は確信した。
あぁ、彼女はもうだめだ、と。
なんてことだ。
今朝はあんなに元気に門番ダーツを楽しんでいたじゃないか、私が言うのは何だけど。
それが今では死人と見まごうばかりであり……いや、彼女を死人とするならば死体はフルマラソンランナーにすら見える。
一体何が、何が彼女を変えたのかと、門番は大いに嘆いた。
もう、もう昔の彼女は取り戻せないのかと、門番は大いに嘆いた。
ひとしきり嘆き嘆いて、そして、ただ一つの事実に行き着いたのだ。
「服が……いつもと違う?」
普通なら一目見て気付くようなことではあるが、それほどまでに鈍くなければダーツの的は務まらない。
門番は、震える手でその服に触れる。
あの際どいミニスカは、眩しいほどの生足は、もうそこには存在しない。
ナイフを刺され倒れるふりして覗き込んでた彼女の秘密の花園も、もうその手の届くところにありはしなかった。
誰だ。誰がこんな惨いことを……!
噛み締めた唇がぷつりと切れる。
鉄サビのような味と香が、彼女の口内を蹂躙した。
誰が、だって?
そんなの愚問だ。
メイド長にこんな仕打ちをできる奴なんて、彼女を除いて他にない!
思い至ったその刹那、彼女は風になっていた。
主だ従者だ、そんなの知らない。
今はただ、にっくき敵を倒すのみ!
「お嬢様ああああああぁぁぁぁぁっ!」
「な、なに!? 何事!?」
いきなり蹴破られた自室のドアに、当主は慌てて振り向き、そしてその拍子に椅子から床へと転げ落ちた。
「……いったぁ……。ノックもせずに門番が一体何の用だってのよ!?」
当主は痛みにもんどりうつが、それでも門番を睨みつけ、憎憎しげに言い放った。
しかし彼女の顔にはそれ以上の憤慨が張り付き、主は思わず息を呑む。
「な、何よ?」
かろうじて虚勢を張ってはみるものの、言い知れぬ恐怖が彼女の身体を蝕んでいた。
怖い?
この私が?
そう自身を叱咤してみるが、細かい震えは収まってくれない。
それでも威厳を保とうと、必死に虚勢を張っていた。
それを見下ろす紅い門番。
その目にあるのは、憤怒、絶望、そして殺意か。
「……あなたですか?」
あらゆる負の感情を漂わせる彼女から吐き出されたのは、なのとも無感情で平坦な言葉。
しかしその事実が、また逆に不気味だった。
「あなたですか? 彼女にあんな仕打ちをした輩は?」
またも鳴り響く平坦な言葉。
しかし嵐の前の静けさというのか、噴火直前の火山のような、そんな圧迫感というものが、その響きには込められていた。
何か、何か弁明を、と、彼女の本能が訴える。
しかし彼女には門番の言葉の意味が分からなかった。
仕打ちといっても、私は紅茶を飲んでいただけで、この部屋から出てなどいない。
そもそも『彼女』は誰なのか?
主語を語らぬ門番を前に、それを理解しろというのも全くもって無茶な話だ。
そんな理不尽さを呪いつつ、しかし当主はある一つのことに思い至った。
そういえばこの門番は元メイド長の現執事に懸想していたはずだ。
そしてその執事はといえば、今自身の命によって生足を封印されている。
……となれば……。
「あなたがメイド長にあんな仕打ちをしたんですかあああぁぁっ!?」
大噴火すら生ぬるい。
言うなればビックバン。
かの口から怪光線を放つグルメの如き雄叫びが、館をぎしぎしと軋ませる。
勇者でなくともすくみ上がるようなその大声量に、しかし先ほどまで震えていた当主はといえばこれを綺麗に受け流していた。
恐怖が取り除かれたわけではない。
仮にも『紅魔の盾』と異名を取る娘。
その怒りに包まれた拳は、そこらの妖魔など一振りで屠る。
いかに並外れた吸血鬼とて、まともにやればただではすまない。
しかし、彼女にはどうしても譲れないものがあった。
それこそは、己の信念。
言ってしまえば、己の生き様。
だからこそ彼女はぐっと拳を握り締め、威風堂々と立ち上がったのだ。
「……メイド長? それは執事のことか……執事のことかあああああぁぁぁっ!」
当主、吼える。
その瞬間、彼女は金色のオーラに包まれた。
『カリスマを具現化すればこんな風に見えるかも』と、こっそり呟いたのは白玉楼の姫君だ。
ちなみに、その従者が『カリスマない方にカリスマ云々言われても』とうっかり口走ってしまい、折檻の憂き目に会うのはまた別の話である。
ともわれそんな人知を超えた二人の妖は、今ここに対峙した。
「お嬢様。いくらお嬢様でもこれだけは譲れません。彼女はメイド長なんです」
「馬鹿なことを。あの娘の本質を考えれば執事以外にありえないでしょうに」
「何故、何故ですかお嬢様!? あれほど、あれほど二人して彼女の生足を楽しんでいたというのに!」
「確かに、確かにあの娘の生足は絶大なる破壊力を誇る……。しかしそれは所詮局部的なもの! 執事ルックのあの娘には足元にも及ばない!」
「……もう、もうダメなんですね、お嬢様……」
「愚かな……。物事の本質というものが見えてないのね。残念だわ」
「えぇ、残念です。もう一度話し合えば分かってくれると思いましたが……」
「結局、夢は自分の手で掴み取るものなのよ」
じりじりじりと、ゆっくり距離を詰めていく二人。
奇しくも両者とも、近接戦を得意とする妖である。
博麗の決めた弾幕ルールなど、この二人にはもはや無粋。
あと一歩で射程に入る、そんな距離まで踏み込んだ、刹那
『負けてらんないのよ、アンタなんかにいいいいぃぃぃっ!』
二人は、吼えた。
そんなどたばたが繰り広げられていた一方で、当の執事はと言えばただただ呆然としていただけだった。
いっそ寝込んでしまえば良かったのだが、身体に染み付いた仕事癖がそれをさせてはくれなかった。
しかしそのくせ足は覆われ、それは猫のひげを切るかのごとく、コウモリの口を覆うかのごとくだったものだから、がっしゃんがっしゃんとまぁ景気良く窓や食器を割っていたのだ。
せめてもの救いは普段不真面目な妖精メイドの働きぶりだったのだが、それも上から聞こえてきた轟音で無残にも打ち砕かれた。
舞い散る粉塵、飛び交う罵声。
妖精メイドは逃げ惑い、中には混乱に乗じて己の乳やら尻やらを触りに来る不届き者もいた。
『執事なメイド長ハァハァ』とか言ってるような奴もいた。
理不尽だった。
何が理不尽かと問われれば、全てが全て理不尽だった。
自分が一体何をした、と紅魔の執事は自問する。
何をしたわけでもない。
むしろ今まで館の為に、身を粉にして働いてきたではないか。
その仕打ちがこの結果なんて、とてもじゃないが救われない。
何が悲しくて無能な妖精メイドを指揮統括し、一手に館を取り仕切らねばならないのか。
そんな無能な妖精メイドたちに、何故自らの乳や尻を差し出さねばならないのか。
『執事なメイド長ハァハァ』なんて欲情される謂れなど、これっぽっちも存在しない。
門番の奴だってそうだ。
私はこれでもかというほど必死に働いているというのに、アレは一日三回昼寝付き。
それを諌めるたびに、アレは倒れたふりして私のパンツを覗き込む。
極めつけはあの傍若無人なお嬢様だ。
毎日毎日、無茶な我が侭振りかざし、私の頭を痛めつける。
まだ二十歳を過ぎたばかりだというのに胃薬が常備薬になってしまった。
この騒動の後片付けも、きっと私に命ずるだろう。
そもそも今のこの虚無感だって、元はと言えばお嬢様が原因だ。
大体『執事に不可欠な属性』ってなんだ。
私は好きで『完全瀟洒』なんて言われてるわけじゃない。
館を一手に取り仕切っていたのも、他に仕切れる奴がいなかったからで、結果として『完全瀟洒』の称号を得ただけだ。
だというのにお嬢様は……あいつは私からメイド服を……生足を奪い……執事に……執事……なんかに…………。
執事は、いや、メイド長は、哭いた。
声の一つも漏らすことなく、涙の一つも零すことなく、ただ、哭いた。
その胸中にある渦巻く何かを、全て吐き出してしまうかのように、彼女はただひたすら哭いた。
そんな時、彼女の中にいる誰かが、彼女におどろおどろしい声で問い掛けた。
『何を望む?』と。
彼女は答えた。
『復讐を』と。
『復讐を望むか? 情け容赦のない糞のような復讐を望むか?』、声が問う。
『復讐を』、彼女が答える。
そして、その声はついに一つに重なり合った。
『よろしい、ならば復讐だ』
「こぉれぇでぇ、ラストオオオオォォォォッ!」
気合一閃、当主の拳が門番の身体を吹き飛ばす。
門番は部屋の壁をぶち破り、そのままテラスを通って階下へと叩きつけられた。
もうもうと舞い上がる粉塵が、その威力を物語る。
「はぁ、はぁ、はぁ……。か、勝った……?」
息も絶え絶えに、しかし油断することなく当主はその様子を眺めていた。
信念とは時に人を強くする。
いつもならば負けることなどないのだが、お互いの信念は元の実力を軽く凌駕するほど強大で、この戦いにおいてはどちらが勝っても不思議じゃなかった。
だからこそ主は変わらず身構えており、だからこそ頬を掠めた物体にまったく反応できなかったことは、彼女を大層驚愕させた。
最初は門番が何かを投げつけたのかと思ったが、しかしそれはありえなかった。
何故なら飛んできたのは門番自身で、彼女は今天井に突き刺さり、部屋のオブジェと化していたのだから。
彼女は再び驚愕した。
いかに疲弊しているとはいえ、自らをここまで追い詰めた信念の持ち主だ。
それほどの妖怪をこれほど簡単に葬り去るとは、尋常なことではない。
一体誰が、誰がそれほどの力を有しているのかと、彼女は必死に目を凝らした。
もうもうと舞い散っていた粉塵が徐々に落ち着き、だんだんと視界が明瞭になっていく。
そして、その中にうっすらと人影が認められたとき、
「ひいいぃっ!?」
彼女はあまりの恐怖に腰を抜かした。
果たしてそこには鬼がいた。
もちろんどこぞの酔っ払いではない。
愛しい愛しい己の執事、その皮を被った鬼が、こちらをギラリと睥睨していた。
鬼はゆっくりと階段を上ってくる。
当主は直感した。
アレは私を殺しに来るのだと。
必死に手足を動かしてその場所から逃げようとするが、どうにもまともに動いてくれない。
せいぜいがカタカタと小刻みに揺れ動くだけであった。
当主の頭に、先ほど門番と対峙したときのことが思い出される。
恐怖、恐怖だと?
あんなもののどこが恐怖だ!
幽霊に例えるなら、アホ面さらして自らの従者に『ごはん~』なんて甘えてるどこぞの姫君程度の話で、今迫ってくる磁気テープの化け物の足元にすら及ばない。
真の恐怖、真の絶望、それが今ここへやってきていた。
「……イヤ……死ぬのはイヤ……死ぬのはイヤ……死ぬのはイヤ…………」
コツン、コツンと足音を立てて、ゆっくりと恐怖が昇ってきた。
「……死ぬのはイヤ……死ぬのはイヤ、死ぬのはイヤ、死ぬのはイヤ……」
その銀糸の髪が、赤い瞳が、美麗な相貌が、徐々に姿を現していく。
「死ぬのはイヤ死ぬのはイヤ死ぬのはイヤ死ぬのはイヤ死ぬのは……」
「小便はすませたか? 神様にお祈りは? 部屋のスミでガタガタふるえて命ごいをする心の準備はOK?」
「イヤアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァッ!」
文々。新聞号外
-紅魔殿のメイドが謀反!?-
昨夜午後十時ごろ、幻想郷名家の一つ、紅魔殿が放火され全焼する事件があった。
犯人は紅魔殿執事の沢登華翠容疑者(21)であり、同日午後十一時半頃、人里の奉行所へ自首してきた。
沢登容疑者は『私からメイド服を奪ったお嬢様が憎かった』と動機を供述している。
なんでも沢登容疑者は当日、メイド長から執事への転任を命ぜられており、それに伴ってユニフォームが変わったことを不服に思っていたそうである。
なお紅魔殿当主の吸血鬼、アイラ・クロンヴァール氏(396)と門番の李詠華氏(218)は火傷のほか多くの打撲傷を負っており、奉行所では沢登容疑者に対する更なる取調べを進めている。
沢登容疑者を良く知る同僚の妖精メイドは『完全に瀟洒なメイド長として慕われていたのに、こんなことになるなんて……』と、驚きを隠せない様子。
またある妖精メイドは『執事な華翠さんも萌え萌えだけど、あの生足も捨てがたい』と一人悶々と葛藤していた。
これに対してコスプレの専門家であり、香霖堂店主でもある森近霖之助氏は『執事と生足の両方を生かした半ズボン執事という折衷案が出なかったのは残念。しかしやっぱりそれよりも褌……』とコメントしている。
「まったく物騒な世の中ね」
そう呆れたように呟きながらモーニングティーをすするのは、ここ紅魔館の当主であるレミリア・スカーレットその人だった。
眉をしかめつつ一通り記事に目を通すと、そのままポイッと新聞を投げ捨てる。
投げ捨てられた新聞は宙を舞い、しかし次の瞬間にはきれいさっぱり掻き消えていた。
「お目汚しかとは存じましたが、当事者が吸血鬼とのことでしたので、お嬢様にお伝えした方がよろしかったかと……」
「こんな無粋者とこのスカーレットを同一視するつもり? それこそ度し難いことだわ、咲夜」
「失礼いたしました」
レミリアに咎められ、咲夜は慇懃に頭を下げる。
しかし彼女は大して気にもしていないようで、少々悪戯っぽい笑みを浮かべると、己が従者に問い掛けた。
「で? あなたはどうなのかしら?」
「と、申しますと?」
「このメイド長も『完全瀟洒』と言われていたらしいじゃない。今私に『執事になれ』と言われたら、あなたもここを滅ぼすのかしら」
クスクスと、幼い悪魔は笑いをこぼす。
あぁ、本当に意地の悪いお嬢様。
答えなど分かりきっているのに、それをあえて宣言させようと言うのだから。
しかしそれが主の望みならば仕方ない。
従者はただその望みを、期待以上の結果をもって返すのみだ。
「自惚れかもしれませんがこの十六夜咲夜、『完全で瀟洒』で通っております。『完全』と付いているとはいえ、たかだか『瀟洒』な従者如きと一緒にされるのは心外ですわ。お嬢様がお命じになられるなら、余興代わりにこのそっ首、掻っ切ってすらご覧にいれましょう」
再び慇懃に頭を下げる完全で瀟洒な従者。
そんな彼女に、レミリアは満足そうな笑顔を浮かべた。
「そうね、それもいいかもしれないけれど……。それよりはもう一杯紅茶が欲しいわ」
「御意にございます」
そう答えが返った瞬間、レミリアのカップは暖かな紅茶に満たされていた。
『完全で瀟洒』というのはこういう従者のことを言うのよ、と、レミリアは見知らぬ吸血鬼に内心で呟いた。
「お嬢様は如何なされますか?」
「如何って……何?」
「執事になれと仰られれば、すぐにでも転ずる用意は出来ていますが」
怪訝な顔を浮かべる当主に、従者はこともなげに言う。
あぁ、どうやらこの娘は私がこんな話をすることを既に予想していたらしい。
本当に『完全で瀟洒』な娘だよ。
愛しい愛しい私の従者。
彼女と巡り会えた運命を、私は神なんてどこぞの誰とも知れないものでなく、誰でもない、私自身に感謝した。
レミリアは従者の入れた紅茶を一口含み、わざとらしく彼女のことを睥睨してやる。
「咲夜、それこそ無粋と言うものだわ」
と。
そして、ゼラニウムのような笑顔を向けて彼女は従者に言うのだった。
「従者はメイドに限るのよ」
以下にはオリキャラ分が多分に含まれております。
過去、オリキャラ分の服用により動悸、眩暈、吐き気等を催したことのある方、オリキャラ分に対して拒絶反応を有する方は閲覧をご遠慮ください。
また本作品の使用により気分が悪くなる等の症状に見舞われた場合は直ちに使用を中止し、最寄りの他作品をご閲覧ください。
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『完全瀟洒な紅魔の執事』
ここ紅魔の館におわします永遠に真っ赤な幼女様は、とかく我が侭であることで有名だった。
そも幼子の我が侭なんていうものは大概わずらわしいものであるのだが、そこは紅魔の当主様、そんじょそこらのガキンチョどもとは、良くも悪くもスケールが違った。
その我が侭っぷり如何ほどかと問われれば、一夜の催しに博麗神社の賽銭十年分をつぎ込みたい、聞き入れられなければ暴れまわるというのだから、まさに歩く傍若無人、唯我独尊を地で突き進む、迷惑千万お嬢様なのである。
そしてそんな当主を頭に抱き、今日も今日とて苦労するのは、完全瀟洒と音に聞こえし紅魔の館のメイド長であった。
皿洗いを命ずればいつの間にやらフリスビー大会へと転じてくれる妖精メイドを指揮統括し、館の一切を取り仕切る才色兼備のスーパーウーマン。
館内清掃、部下へのお仕置き、お嬢様の我が侭処理と、その有能ぶりは他の追随を許さない。
かの白玉楼の半人前やマヨヒガにある親バカも、彼女を前には右を譲らざるを得なかった。
さてそんな超合金のごときメイド長殿であるのだが、しかしやっぱり所詮は人の子。
その心労は日々累々と堆積し、もはやエベレストを越えるがまでに成長していた。
あぁせめてもう少しお嬢様の聞き訳が良かったならと一人悶々思い嘆くが、他人の迷惑顧みぬのが我が侭の我が侭たる所以であって、今日も今日とてにっこりとひまわりの如き笑顔を浮かべ、主は己が配下に無理難題を課すのであった。
「あなた、今日から執事になりなさい」
「はぁ?」
唖然とするのももはや日常。
彼女は瀟洒とはかけ離れた間の抜けた表情で、これまた間の抜けた声を漏らした。
また一体何を言い出すのかしら、このちんちくりんの当主様は、と彼女は即座に思案する。
いかんせん、我らが主は吸血鬼。
一見すればほんの幼女に他ならないが、その齢、実際のところ数百を数える。
もしやなにやら遠大な意図が存在するのかも知れないと、そう考えるのも日常ならば、どうせいつもの思い付きだろうと呆れ返るのもまた瀟洒な彼女の日常だった。
もっとも、幼女の腕に抱かれている『苦労執事』だの『君が当主で執事が私』だのといった表題が書かれた小冊子を鑑みるに、崇高な理念とやらはまったくもって見出せなかったが。
あぁ、これが私のご主人様か。
彼女は喉まで出かかったため息をどうにかこうにか噛み殺しつつ、極力平静を装って己が主に発問した。
「お嬢様。一つ宜しいでしょうか?」
「何?」
従順なはずの己が下僕が異を唱えたのが気に食わなかったか、気位の高いお嬢様はその可憐な口を尖らせた。
しかしそれでも従者の言葉に耳を傾けようという寛容さは、やはり彼女が当主であるということを改めて認識させる。
そんな主人に恐縮しつつ、しかし従者はほんの少しだけ言葉に不満を込めつつ言った。
「お嬢様、失礼ながら今現在私が負っている職務こそ執事のそれと理解しております。お嬢様の仰る『執事になれ』という意味が私にはよく分からないのですが」
無理も無いことだと従者は思う。
例えば門番に『今日から門番になれ』といったところで、さて我らが紅魔の紅い門番は即座にその意図を理解するだろうか。
例えばそれが彼女の職務怠慢に対する皮肉だったとしても、きっとその意味を彼女が理解することなどあるまいて。
そう、だからこそメイド長は毎日三度、惰眠を貪る彼女を的に門番ダーツを嗜まなければならないのである。
閑話休題。
とにかくそんなわけであったから、己が主の御言葉を理解できなかったことは仕方の無いことだと思うし、もしそれが皮肉を込めた言であったのだとしたら、それはそれで心外であった。
卑しくも自分は紅魔のメイド長。
しかも『完全瀟洒』の冠詞付きである。
人一倍仕事をしているという自負はあったし、事実この館で彼女以上に仕事をしているものなど他には一人もいなかった。
然るにそんな無言の非難を、我らが当主は深いため息で吹き飛ばしたのだ。
その目はまるで『一体何を言っているのかしらこの小娘は』とでも言いたげである。
いやいや、それを言いたいのは私の方です、と、従者心中に思ってみるが、もちろん声には出しはしない。
そんな下僕にずびしっと人差し指を差し向けると、当主は張り裂けんばかりの声で咆哮した。
「いいこと!? もはやメイドは時代遅れよ! 時代の流れは無情なの! 今、萌えの最先端は執事、コレよ! 特にあなたは『完全瀟洒』という執事に不可欠な属性を持っている! 『ドジッ娘』を枕詞とし、『はわわ~』なんて主人に甘えるメイドに甘んじていい身じゃないわ! あぁごめんなさい、これは私の責任よね。ただあなたのミニスカメイドルックが見たい為だけに、メイドになどしてしまったんだもの。えぇ、これは私の判断ミス。でも安心して! 人間は常に進歩成長していくものよ! 執事に! 今こそあなたを紅魔の執事にいいいぃぃっ!」
幼き吸血鬼の雄たけびが館を、そして幻想郷を振るわせる。
いやはや近年稀に見るメイ演説である。
ツッコミどころは数々あれど、ともわれ従僕は己が主の春満開っぷりが幻想郷中に広まっていくことをまず最初に懸念した。
「だめよ、そこはちゃんと『お嬢様は人間ではありません』って突っ込んでくれないと」
いやいやいやいや、そんな瑣末に突っ込んでる場合じゃありませんわ、お嬢様。
思わずドタマにキツイのを一発入れてやろうかとも思った彼女であったが、そこはさすがに瀟洒な従者。
悪しき衝動をぐぐっと堪え、にっこり微笑みを浮かべるのである。
その笑顔が若干引きつっているように見えるのはご愛嬌というものだ。
つまりは、である。
彼女はこれまで主のどーでもいい趣向に付き合わされたが故にメイド長を名乗らされ、今『向いている』なんて、これまたどーでもいい理由で執事を名乗らされようとしているわけである。
幻想郷に○ー人事が無いことが悔やまれるが、そもそもそんな彼女の我が侭に付き合っていけない人間が果たして紅魔のメイド長を名乗れるかという話であって、答えはもちろん否である。
だからこそ、頭の痛みをぐぐっと堪え、彼女は瀟洒に言うのであった。
「了解しました、お嬢様。今この時より私は紅魔の執事にございます」
まるで止水に石を投げ入れるかのように、部屋へと響き渡る凛とした声。
主は従者の奏上に大いに満足したかのようで、腕組み、大きく頷いた。
まさに『これこそ我が従者』と言わんばかりの笑みを浮かべる。
実際のところ従者の胸中には『どうせやることは変わらないんだし』などという、なんとも不埒な思惑があったりしたのだが、知らないということは時に幸せなことである。
さて、そんな我らの主様、己が下僕の了解取り付け、意気揚々と取り出したるは、なにやら面妖な衣装の上下。
ツバメのような形の上着に、揃った黒の細身のズボン。
言ってしまえば所謂『執事ルック』というヤツだったが、いかんせんここは幻想郷。
基本的には和服が多く、ましてや執事など存在しない。
となればその衣装に従者が眉をひそめさせたとしても、それはそれで仕方の無いことだった。
「あなた、今日からこれを着なさい」
そう、主が命令する。
その顔には相変わらずハレーションを起こしたような笑みが張り付いており、曇天の如き従者の顔とは、それはもう対照的なものだった。
「……は?」
再び瀟洒とは程遠い声を上げるメイド長……改め執事。
しかし先ほどと明確に異なったのは、そこに呆れの色が無く、ただただ驚愕にまみれていたことである。
『茫然自失』を辞典で引けば、まずこの顔が出てくるだろう。
しかしそんなことを気にかけていられないほど、彼女は徹底的に混乱していた。
当然だ。
本来一を聞いて十を知るべき己が主の言葉の意味を、彼女はこれっぽっちも理解できていなかったのだから。
ちょっと待て。
我が主は、今なんと……?
執事はまるで難解な暗号を提示されたかのように自らの脳をフル回転させるが、しかしその言葉の意味するところはもう嫌になるほど明らかであり、エニグマにかけたところで、さて、別の意味が浮かんでくるのか疑わしい。
試行錯誤を繰り返したところでその意味が変わろうわけも無く、
「お、お嬢様。申し訳ありませんが、今一度仰っていただけますか?」
執事は聞き間違いであるという判断を下した。
あぁ、この件が終わったならば病院へと行ってこないと。
竹林にいる奇妙な薬師は耳鼻科も担当していたかしら。
そんなことを考え始める。
分かっていた。
伊達に瀟洒と言われていない。
結局のところ現実逃避で、そんなものに意味はないと、彼女は嫌になるほど理解していた。
しかし一縷の望みを持ってもいいだろうと、パンドラすら得た小さな希望を私が望んで何が悪いと、必死に抗弁して見せた。
その涙ながらの弁論を聞けば、白黒つける裁判長も無罪と結審しただろう。
……そう、ただただ彼女が不幸であったことは、ここが彼岸の大法廷でなかったこと、それのみであったのだ。
「だから、今日からあなたは執事として、この服を着て働くのよ」
無情に響く当主の言葉。
従者が聞き逃したかと思い、わざわざ一字一句丁寧に発音しくれる様はなんとも従者思いのように写るが、ならばこの意図汲み取って欲しいと執事は思わないではいられなかった。
無慈悲な宣告にその身体を震わせて、不敬にも主を睨みつけると、執事は大気も割れんばかりの勢いで、吠えた。
「つまりお嬢様は私に死ねと仰いますか!?」
「なんでっ!?」
これまた突拍子も無い発言に、今度は当主が驚愕していた。
無理も無い。
自分は単に従者の執事ルックを見てみたかっただけである。
あぁ、認めよう。
執事だなんだ、そんなことはどうでもいい。
ただ執事ちっくな彼女の姿を、一目みたいと思っただけだ。
それがなんで『死ね』なんて命になるのか、彼女には皆目検討も付かなかった。
しかし執事の目は真剣だ。
その顔には絶望が張り付き、その殺意だけで一般人は白玉楼へと送られる。
幸いにして我らが当主は人外のモノ、灰化消滅は免れたが、これはどうにも尋常ではない。
その旨従者に尋ねれば、彼女は苦々しく口を開いた。
「鳥には翼がございます! 巫女には腋がございます! 翼を失えばその生を紡ぐことができず、腋を失えば幻想が崩壊します! 私の足、生足は、それと同じなのでございます! 鳥に翼があるように! 巫女に腋があるように! 私の生足を封じることは呼吸をするなというのと同義! それを『死』と言わず、一体なんと言いますか!」
その胸中を全て吐き出し、嗚咽する紅魔の執事。
その姿に紅魔の当主は胸をえぐられる思いであった。
飛べない翼に意味は無い。
腋無い巫女はただの巫女。
まして博麗の腋となれば、それを封じることは幻想への大逆である。
巫女が腋を封じたために幻想が崩壊の危機に瀕したのも、まだたった二百年ほど前の話だ。
人里で評判の女教師言うところの『幻想郷腋事変』である。
ちなみに女教師が評判であるのは別に授業の上手さという話ではないらしい。
児童在籍わずか十名、実にその九割五分が男子というのだから、その評判、推して知るべしである。
閑話休題。
ともわれそんな従者の姿を、痛む胸を押さえつつ、ただただ主は眺めていた。
『何をしてるの、早く命令を撤回なさい』と、当主としての彼女が訴える。
しかし一方で『何を言ってるの! 執事よ執事! 麗人の男装、見てみたいと思わないの!?』と鼻息荒い、女としての彼女がいた。
そして変態としての彼女は『絶望に打ちひしがれる執事ハァハァ』なんて絶望的な思考ノイズを発している。
俗に言う、天子と悪魔の葛藤であるが、その数実に一対二。
加えて吸血鬼は脳なんて単純で化学的な思考中枢なんて持たないものだから、どこぞのスパコンのようにハッキングに絶えうる能力などこれっぽっちも持ち合わせてなかった。
あっという間に侵食された当主としての彼女は結局、『従者は主のものなわけだし』との意見に転じ、ここにめでたく『従者執事化計画』は断行されたのである。
世の中は、かくも無情なものである。
その日、メイドたちの間に衝撃が走った。
メイド長が、あのメイド長が生足をさらしていない!
メイド長といえば生足、生足といえばメイド長と、必要十分条件をこれでもかというほど見せ付けてくれた人物が、今は執事を名乗り、その生足を真っ黒な布で覆っている。
あるメイドは号泣した。
なんということだ、神は光を奪いたもうた、と。
これから何を糧に私は性を紡げばいいのか、と。
あるメイドは激怒した。
必ず、かの邪知暴虐な王を除かなければならぬと決意した。
しかし返り討ちに合うこと必至だったので早々に諦めた。
あるメイドは噴出した。
鼻から迸るは紅い血潮。
ハァハァと、熱い吐息が口から漏れる。
そんな、阿鼻叫喚の地獄絵図。
まさにこの世は世紀末。
真っ黒な馬に乗ったどこぞの覇者がそろそろ現れても良い頃合だが、真っ黒な衣装に身を包んだ執事はといえば、何を言っても耳に届かぬ、この上ないほどの放心状態をさらしていた。
大皿二十五、小皿五十五、カップを十七にスプーンが三。
これまでグラスの一つすら割ることのなかった紅魔の執事の、今日一日の戦果である。
吸血鬼の怪力にも耐えうるチタン合金製のスプーンを如何様にして折ったのかは遂に分からずじまいであったが、それでも館の隅から隅まで伝わり行くには十分なほどの異常であった。
「ちょっ……! 一体どうしたっていうんですか!?」
尊敬するメイド長の異常を聞きつけた門番は一目散に馳せ参じていた。
本来ならばシェスタをむさぼっている時間帯であったが、自らを叱責しに来るはずの彼女が魂の抜け殻になっているとあれば、そうもしていられない。
余談ではあるが、普段遊び呆けている妖精メイドの面々も彼女の異常を察知したのか、脇目も振らずに働いていた。
メイド長が抜けたことで職場が正常化するというのはなんとも皮肉なものではあるが、今現在それは関係ない。
「だ、大丈夫ですか? なんか目が死にかけてますけど……」
「あらアナタ、何でこんなところにいるの? 『がお』っていう口癖はもうそろそろ直ったのかしら?」
「誰の話ですかっ!?」
ここにきて門番は確信した。
あぁ、彼女はもうだめだ、と。
なんてことだ。
今朝はあんなに元気に門番ダーツを楽しんでいたじゃないか、私が言うのは何だけど。
それが今では死人と見まごうばかりであり……いや、彼女を死人とするならば死体はフルマラソンランナーにすら見える。
一体何が、何が彼女を変えたのかと、門番は大いに嘆いた。
もう、もう昔の彼女は取り戻せないのかと、門番は大いに嘆いた。
ひとしきり嘆き嘆いて、そして、ただ一つの事実に行き着いたのだ。
「服が……いつもと違う?」
普通なら一目見て気付くようなことではあるが、それほどまでに鈍くなければダーツの的は務まらない。
門番は、震える手でその服に触れる。
あの際どいミニスカは、眩しいほどの生足は、もうそこには存在しない。
ナイフを刺され倒れるふりして覗き込んでた彼女の秘密の花園も、もうその手の届くところにありはしなかった。
誰だ。誰がこんな惨いことを……!
噛み締めた唇がぷつりと切れる。
鉄サビのような味と香が、彼女の口内を蹂躙した。
誰が、だって?
そんなの愚問だ。
メイド長にこんな仕打ちをできる奴なんて、彼女を除いて他にない!
思い至ったその刹那、彼女は風になっていた。
主だ従者だ、そんなの知らない。
今はただ、にっくき敵を倒すのみ!
「お嬢様ああああああぁぁぁぁぁっ!」
「な、なに!? 何事!?」
いきなり蹴破られた自室のドアに、当主は慌てて振り向き、そしてその拍子に椅子から床へと転げ落ちた。
「……いったぁ……。ノックもせずに門番が一体何の用だってのよ!?」
当主は痛みにもんどりうつが、それでも門番を睨みつけ、憎憎しげに言い放った。
しかし彼女の顔にはそれ以上の憤慨が張り付き、主は思わず息を呑む。
「な、何よ?」
かろうじて虚勢を張ってはみるものの、言い知れぬ恐怖が彼女の身体を蝕んでいた。
怖い?
この私が?
そう自身を叱咤してみるが、細かい震えは収まってくれない。
それでも威厳を保とうと、必死に虚勢を張っていた。
それを見下ろす紅い門番。
その目にあるのは、憤怒、絶望、そして殺意か。
「……あなたですか?」
あらゆる負の感情を漂わせる彼女から吐き出されたのは、なのとも無感情で平坦な言葉。
しかしその事実が、また逆に不気味だった。
「あなたですか? 彼女にあんな仕打ちをした輩は?」
またも鳴り響く平坦な言葉。
しかし嵐の前の静けさというのか、噴火直前の火山のような、そんな圧迫感というものが、その響きには込められていた。
何か、何か弁明を、と、彼女の本能が訴える。
しかし彼女には門番の言葉の意味が分からなかった。
仕打ちといっても、私は紅茶を飲んでいただけで、この部屋から出てなどいない。
そもそも『彼女』は誰なのか?
主語を語らぬ門番を前に、それを理解しろというのも全くもって無茶な話だ。
そんな理不尽さを呪いつつ、しかし当主はある一つのことに思い至った。
そういえばこの門番は元メイド長の現執事に懸想していたはずだ。
そしてその執事はといえば、今自身の命によって生足を封印されている。
……となれば……。
「あなたがメイド長にあんな仕打ちをしたんですかあああぁぁっ!?」
大噴火すら生ぬるい。
言うなればビックバン。
かの口から怪光線を放つグルメの如き雄叫びが、館をぎしぎしと軋ませる。
勇者でなくともすくみ上がるようなその大声量に、しかし先ほどまで震えていた当主はといえばこれを綺麗に受け流していた。
恐怖が取り除かれたわけではない。
仮にも『紅魔の盾』と異名を取る娘。
その怒りに包まれた拳は、そこらの妖魔など一振りで屠る。
いかに並外れた吸血鬼とて、まともにやればただではすまない。
しかし、彼女にはどうしても譲れないものがあった。
それこそは、己の信念。
言ってしまえば、己の生き様。
だからこそ彼女はぐっと拳を握り締め、威風堂々と立ち上がったのだ。
「……メイド長? それは執事のことか……執事のことかあああああぁぁぁっ!」
当主、吼える。
その瞬間、彼女は金色のオーラに包まれた。
『カリスマを具現化すればこんな風に見えるかも』と、こっそり呟いたのは白玉楼の姫君だ。
ちなみに、その従者が『カリスマない方にカリスマ云々言われても』とうっかり口走ってしまい、折檻の憂き目に会うのはまた別の話である。
ともわれそんな人知を超えた二人の妖は、今ここに対峙した。
「お嬢様。いくらお嬢様でもこれだけは譲れません。彼女はメイド長なんです」
「馬鹿なことを。あの娘の本質を考えれば執事以外にありえないでしょうに」
「何故、何故ですかお嬢様!? あれほど、あれほど二人して彼女の生足を楽しんでいたというのに!」
「確かに、確かにあの娘の生足は絶大なる破壊力を誇る……。しかしそれは所詮局部的なもの! 執事ルックのあの娘には足元にも及ばない!」
「……もう、もうダメなんですね、お嬢様……」
「愚かな……。物事の本質というものが見えてないのね。残念だわ」
「えぇ、残念です。もう一度話し合えば分かってくれると思いましたが……」
「結局、夢は自分の手で掴み取るものなのよ」
じりじりじりと、ゆっくり距離を詰めていく二人。
奇しくも両者とも、近接戦を得意とする妖である。
博麗の決めた弾幕ルールなど、この二人にはもはや無粋。
あと一歩で射程に入る、そんな距離まで踏み込んだ、刹那
『負けてらんないのよ、アンタなんかにいいいいぃぃぃっ!』
二人は、吼えた。
そんなどたばたが繰り広げられていた一方で、当の執事はと言えばただただ呆然としていただけだった。
いっそ寝込んでしまえば良かったのだが、身体に染み付いた仕事癖がそれをさせてはくれなかった。
しかしそのくせ足は覆われ、それは猫のひげを切るかのごとく、コウモリの口を覆うかのごとくだったものだから、がっしゃんがっしゃんとまぁ景気良く窓や食器を割っていたのだ。
せめてもの救いは普段不真面目な妖精メイドの働きぶりだったのだが、それも上から聞こえてきた轟音で無残にも打ち砕かれた。
舞い散る粉塵、飛び交う罵声。
妖精メイドは逃げ惑い、中には混乱に乗じて己の乳やら尻やらを触りに来る不届き者もいた。
『執事なメイド長ハァハァ』とか言ってるような奴もいた。
理不尽だった。
何が理不尽かと問われれば、全てが全て理不尽だった。
自分が一体何をした、と紅魔の執事は自問する。
何をしたわけでもない。
むしろ今まで館の為に、身を粉にして働いてきたではないか。
その仕打ちがこの結果なんて、とてもじゃないが救われない。
何が悲しくて無能な妖精メイドを指揮統括し、一手に館を取り仕切らねばならないのか。
そんな無能な妖精メイドたちに、何故自らの乳や尻を差し出さねばならないのか。
『執事なメイド長ハァハァ』なんて欲情される謂れなど、これっぽっちも存在しない。
門番の奴だってそうだ。
私はこれでもかというほど必死に働いているというのに、アレは一日三回昼寝付き。
それを諌めるたびに、アレは倒れたふりして私のパンツを覗き込む。
極めつけはあの傍若無人なお嬢様だ。
毎日毎日、無茶な我が侭振りかざし、私の頭を痛めつける。
まだ二十歳を過ぎたばかりだというのに胃薬が常備薬になってしまった。
この騒動の後片付けも、きっと私に命ずるだろう。
そもそも今のこの虚無感だって、元はと言えばお嬢様が原因だ。
大体『執事に不可欠な属性』ってなんだ。
私は好きで『完全瀟洒』なんて言われてるわけじゃない。
館を一手に取り仕切っていたのも、他に仕切れる奴がいなかったからで、結果として『完全瀟洒』の称号を得ただけだ。
だというのにお嬢様は……あいつは私からメイド服を……生足を奪い……執事に……執事……なんかに…………。
執事は、いや、メイド長は、哭いた。
声の一つも漏らすことなく、涙の一つも零すことなく、ただ、哭いた。
その胸中にある渦巻く何かを、全て吐き出してしまうかのように、彼女はただひたすら哭いた。
そんな時、彼女の中にいる誰かが、彼女におどろおどろしい声で問い掛けた。
『何を望む?』と。
彼女は答えた。
『復讐を』と。
『復讐を望むか? 情け容赦のない糞のような復讐を望むか?』、声が問う。
『復讐を』、彼女が答える。
そして、その声はついに一つに重なり合った。
『よろしい、ならば復讐だ』
「こぉれぇでぇ、ラストオオオオォォォォッ!」
気合一閃、当主の拳が門番の身体を吹き飛ばす。
門番は部屋の壁をぶち破り、そのままテラスを通って階下へと叩きつけられた。
もうもうと舞い上がる粉塵が、その威力を物語る。
「はぁ、はぁ、はぁ……。か、勝った……?」
息も絶え絶えに、しかし油断することなく当主はその様子を眺めていた。
信念とは時に人を強くする。
いつもならば負けることなどないのだが、お互いの信念は元の実力を軽く凌駕するほど強大で、この戦いにおいてはどちらが勝っても不思議じゃなかった。
だからこそ主は変わらず身構えており、だからこそ頬を掠めた物体にまったく反応できなかったことは、彼女を大層驚愕させた。
最初は門番が何かを投げつけたのかと思ったが、しかしそれはありえなかった。
何故なら飛んできたのは門番自身で、彼女は今天井に突き刺さり、部屋のオブジェと化していたのだから。
彼女は再び驚愕した。
いかに疲弊しているとはいえ、自らをここまで追い詰めた信念の持ち主だ。
それほどの妖怪をこれほど簡単に葬り去るとは、尋常なことではない。
一体誰が、誰がそれほどの力を有しているのかと、彼女は必死に目を凝らした。
もうもうと舞い散っていた粉塵が徐々に落ち着き、だんだんと視界が明瞭になっていく。
そして、その中にうっすらと人影が認められたとき、
「ひいいぃっ!?」
彼女はあまりの恐怖に腰を抜かした。
果たしてそこには鬼がいた。
もちろんどこぞの酔っ払いではない。
愛しい愛しい己の執事、その皮を被った鬼が、こちらをギラリと睥睨していた。
鬼はゆっくりと階段を上ってくる。
当主は直感した。
アレは私を殺しに来るのだと。
必死に手足を動かしてその場所から逃げようとするが、どうにもまともに動いてくれない。
せいぜいがカタカタと小刻みに揺れ動くだけであった。
当主の頭に、先ほど門番と対峙したときのことが思い出される。
恐怖、恐怖だと?
あんなもののどこが恐怖だ!
幽霊に例えるなら、アホ面さらして自らの従者に『ごはん~』なんて甘えてるどこぞの姫君程度の話で、今迫ってくる磁気テープの化け物の足元にすら及ばない。
真の恐怖、真の絶望、それが今ここへやってきていた。
「……イヤ……死ぬのはイヤ……死ぬのはイヤ……死ぬのはイヤ…………」
コツン、コツンと足音を立てて、ゆっくりと恐怖が昇ってきた。
「……死ぬのはイヤ……死ぬのはイヤ、死ぬのはイヤ、死ぬのはイヤ……」
その銀糸の髪が、赤い瞳が、美麗な相貌が、徐々に姿を現していく。
「死ぬのはイヤ死ぬのはイヤ死ぬのはイヤ死ぬのはイヤ死ぬのは……」
「小便はすませたか? 神様にお祈りは? 部屋のスミでガタガタふるえて命ごいをする心の準備はOK?」
「イヤアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァッ!」
文々。新聞号外
-紅魔殿のメイドが謀反!?-
昨夜午後十時ごろ、幻想郷名家の一つ、紅魔殿が放火され全焼する事件があった。
犯人は紅魔殿執事の沢登華翠容疑者(21)であり、同日午後十一時半頃、人里の奉行所へ自首してきた。
沢登容疑者は『私からメイド服を奪ったお嬢様が憎かった』と動機を供述している。
なんでも沢登容疑者は当日、メイド長から執事への転任を命ぜられており、それに伴ってユニフォームが変わったことを不服に思っていたそうである。
なお紅魔殿当主の吸血鬼、アイラ・クロンヴァール氏(396)と門番の李詠華氏(218)は火傷のほか多くの打撲傷を負っており、奉行所では沢登容疑者に対する更なる取調べを進めている。
沢登容疑者を良く知る同僚の妖精メイドは『完全に瀟洒なメイド長として慕われていたのに、こんなことになるなんて……』と、驚きを隠せない様子。
またある妖精メイドは『執事な華翠さんも萌え萌えだけど、あの生足も捨てがたい』と一人悶々と葛藤していた。
これに対してコスプレの専門家であり、香霖堂店主でもある森近霖之助氏は『執事と生足の両方を生かした半ズボン執事という折衷案が出なかったのは残念。しかしやっぱりそれよりも褌……』とコメントしている。
「まったく物騒な世の中ね」
そう呆れたように呟きながらモーニングティーをすするのは、ここ紅魔館の当主であるレミリア・スカーレットその人だった。
眉をしかめつつ一通り記事に目を通すと、そのままポイッと新聞を投げ捨てる。
投げ捨てられた新聞は宙を舞い、しかし次の瞬間にはきれいさっぱり掻き消えていた。
「お目汚しかとは存じましたが、当事者が吸血鬼とのことでしたので、お嬢様にお伝えした方がよろしかったかと……」
「こんな無粋者とこのスカーレットを同一視するつもり? それこそ度し難いことだわ、咲夜」
「失礼いたしました」
レミリアに咎められ、咲夜は慇懃に頭を下げる。
しかし彼女は大して気にもしていないようで、少々悪戯っぽい笑みを浮かべると、己が従者に問い掛けた。
「で? あなたはどうなのかしら?」
「と、申しますと?」
「このメイド長も『完全瀟洒』と言われていたらしいじゃない。今私に『執事になれ』と言われたら、あなたもここを滅ぼすのかしら」
クスクスと、幼い悪魔は笑いをこぼす。
あぁ、本当に意地の悪いお嬢様。
答えなど分かりきっているのに、それをあえて宣言させようと言うのだから。
しかしそれが主の望みならば仕方ない。
従者はただその望みを、期待以上の結果をもって返すのみだ。
「自惚れかもしれませんがこの十六夜咲夜、『完全で瀟洒』で通っております。『完全』と付いているとはいえ、たかだか『瀟洒』な従者如きと一緒にされるのは心外ですわ。お嬢様がお命じになられるなら、余興代わりにこのそっ首、掻っ切ってすらご覧にいれましょう」
再び慇懃に頭を下げる完全で瀟洒な従者。
そんな彼女に、レミリアは満足そうな笑顔を浮かべた。
「そうね、それもいいかもしれないけれど……。それよりはもう一杯紅茶が欲しいわ」
「御意にございます」
そう答えが返った瞬間、レミリアのカップは暖かな紅茶に満たされていた。
『完全で瀟洒』というのはこういう従者のことを言うのよ、と、レミリアは見知らぬ吸血鬼に内心で呟いた。
「お嬢様は如何なされますか?」
「如何って……何?」
「執事になれと仰られれば、すぐにでも転ずる用意は出来ていますが」
怪訝な顔を浮かべる当主に、従者はこともなげに言う。
あぁ、どうやらこの娘は私がこんな話をすることを既に予想していたらしい。
本当に『完全で瀟洒』な娘だよ。
愛しい愛しい私の従者。
彼女と巡り会えた運命を、私は神なんてどこぞの誰とも知れないものでなく、誰でもない、私自身に感謝した。
レミリアは従者の入れた紅茶を一口含み、わざとらしく彼女のことを睥睨してやる。
「咲夜、それこそ無粋と言うものだわ」
と。
そして、ゼラニウムのような笑顔を向けて彼女は従者に言うのだった。
「従者はメイドに限るのよ」
注意書きを消しちゃうか、もしやるなら「オリキャラっぽく見えるけど実は原作キャラ」を出しといて最後でひっくり返す
って形にしないとネタとして成立しない、と思う。
四字熟語、というか、漢字の連なりが多くて、読みにくい感じがする。
「完全瀟洒」に違和感は感じていましたが、まさかそういう意味とは・・・
それはそうと、
>児童在籍わずか十名、実にその九割五分が男子というのだから
「みょん」な子がいるようで・・・
オリキャラアレルギーの人多すぎだが気にするな
今回は『引っ掛け』という前提で書いてみたんですが、確かにオリキャラ探しながら読んでいくのは疲れるかもしれませんね。反省です。
しかし騙されてくださった方もいてくださったようで、ちょっとばかりニヤリです。
文体については少々古風(?)な感じを目指してみました。
個人的には好きな形なんですが、難しいところですね。
でも『面白い』と言ってくださる方がいらっしゃるのはありがたいです。
>「みょん」な子がいるようで・・・
もしかしたら「みょん」なジジイかもしれません。