「ふぅ」
私はフラスコを火にかけると手近にあった椅子を引き寄せ、どっかりと腰を下ろした。
乙女らしからぬ行動に思わず苦笑してしまうが、こればっかりは勘弁してもらいたい。いかんせん、もう二日も徹夜している。丹の生成が思いのほかうまくいっていて、気がついたら目の下にばっちりと真っ黒なクマができていた。
「あ~、なんだか世界が回るぜ」
橙もこんな感じだろうか?
あんまりいい気分じゃない。私は未だフワフワする頭を押さえ、そんなことを一人ごちる。
しかしそんなげんなりするはずの状態も、私の顔からニヤニヤ笑いを剥がすには至らなかった。
目の前には丸いフラスコ。何度も何度も何度も望み、それでも作れなかったもの。丹の小型化に必要な正触媒の原料だ。
まだ幾らか手順はあるが、あとはそう難しくない。ここまでくればもう完成したも同然で、思わず笑いがこみ上げてくるのも仕方ないってもんだろう?
「うふ、うふ、うふふふふふ……」
あぁ、ついに声が漏れちまった。
構うもんか。どうせ誰もいやしない……
「なに急に笑い出してるのよ、気持ち悪い」
「のぅあっ!?」
いきなり投げかけられた言葉に、私は慌てて後ろを振り向く……と同時に勢いで椅子から転げ落ちちまった。
「痛ぅ……」
「まったく、相変わらず落ち着きのないヤツね」
酷いぜ。
もがき苦しむ私を見下ろし、そんな冷たい言葉を吐くのは七色の人形遣い。
私は差し出されたアリスの手を引っつかむと、
「きゃあっ!」
思いっきり引き倒した。
「痛ぁ……。なにするのよ!?」
「仕返しだぜ」
「何の仕返しよ、まったく……」
その顔に浮かぶのは、怒りよりも呆れかな。
アリスはブチブチと文句を言いながらその場に立ち上がり、ぽんぽんと服についた埃を払った。
「……いつまで寝てんのよ」
「起きられないんだ、手を貸してくれ」
「嫌よ」
即答だった。
「酷いぜ酷いぜ。アリスは私に寝たまま生きろって言うんだな」
「ちょっ! そんなこと言ってないでしょ! ……っていうか、さっきの今でよくそんなこと言えるわね」
「いいぜ。もう夢も希望も失った。これから私は芋虫みたいに蠢いて生きてくぜ」
「何言ってるのよアンタは。それに、どっちかって言うとゴキブ……分かった、悪かったからそんなに睨まないで。ほら、さっさと起き上がりなさいよ」
思いっきり嫌々という様子を表に出しつつ、それでもアリスは手を差し伸べた。
私はそんなアリスの手をそっと握ると……思いっきり引き倒した。
「頭が痛いぜ」
ひりひりする頭頂部をさすりつつ私は言った。
「風邪? 大変ね」
「アリスのせいだぜ?」
「自業自得よ」
私は不貞腐れた顔を作るが、アリスはそんなのお構い無しに楚々として紅茶を飲んでる。
ちなみに茶葉(とお菓子)はアリス持参だ。なんでも『あんたんちの茶葉はカビが生えていそうで怖い』らしい。失礼な。生えてたってキノコ程度だ。
私はアリスの入れた紅茶を一口、そしてクッキーを三枚ほど口の中に放り込む。
そういえばもう二日もまともな食事をしていなかった。別に貧困に喘いでいるわけじゃないんだが、どうにも研究中は他の事に無関心になって困る。
クッキーを紅茶で流し込むと、更に三枚ほど口の中に放り込んだ。
「ちょっと、そんなリスみたいに頬一杯頬張らないでよ」
アリスは嫌そうな視線を向けるが、生憎そんなことに構っちゃらんない。必要なカロリーを摂取しようとする欲望は動物がすべからく持っているものだぜ。
「まったく……。髪もボサボサ、クマもばっちり。これで同じ女性だっていうんだから驚きよね」
「失礼なヤツだな。私はこの上ないほど乙女だぜ」
「少なくとも乙女の部屋がこんなゴミ溜めだなんて聞いたことないわ」
私いかにも呆れてますっていう風に、アリスは大仰に肩をすくめる。どうでもいいが、上海にまで肩すくめさせるのやめてくれ。なんかどんどん憂鬱になる。
ちなみにアリスは立ったまま。私は椅子を勧めたんだが、『……どれが椅子よ?』と呆れたように聞き返してきた。何処に目をつけているんだとグリモワール満載の背もたれ椅子を指差したが、なぜかアリスは頭を押さえ、ゆっくりと首を振った。もしかしたら風邪かもしれない。
「残念ながら薬は無いぜ」
「何の話よ」
どうやら違ったらしい。
「で、私に一体何の用だ? もしかしてまた何か異変か?」
私はかつて月が隠されたときのことを思い出す。
アリスは基本、インドア派だ。宴会やパチュリーの所でかち合うことは幾らかあるが、まず自分からうちへ来るようなことはない。大抵私のほうから遊びに行ったりするわけで、だから、こうやってうちを訪れるのは大体なにがしかの問題が起こった場合。
しかしまいった。生憎今は研究中だ。触媒を加熱してる間で一息ついているとはいえ、あと二時間ほどもしたら作業に戻らなきゃあならない。温めすぎたらダメになるから、今から行って異変を解決、二時間せずに戻ってくる……無理だよな。
そんな思いをめぐらすが、しかしそんな懸念をよそに、アリスの奴はあっけらかんと
「別に何もないわ。ただ暇だったからお茶でもしようと思って来たのよ」
なんて言い放った。
「暇?」
「そ、暇。だから久々にクッキーを焼いてみたんだけど、一人でお茶なんて味気ないでしょう? アンタ最近籠もりがちみたいだったから、休憩入れるのにいいかなって」
重ね重ね珍しい。アリスがうちに来るだけでも珍しいのに、その上暇だからお茶しようなんて、天変地異の前触れか? またレミリアあたりが何か画策してるのかもしれない。
……まぁ、そんなことを考えつつ、もうとっくにご相伴に預かっているわけで、
「……迷惑だったかしら」
なんて上目遣いにおどおど問われたりなんかしたらもう拒否できようはずもないが。
私は返答する変わりにもう二枚ほどクッキーを頬張った。
どうやらアリスは本当に暇だったようで、二人して他愛もない話で盛り上がった。
こっちとしても自慢できる種があったし、アリスも最近面白いグリモワールを手に入れていたようで、始終ご満悦な様子だった。
ちなみに『そのグリモワール貸してくれ』と頼んでみたが、『減るから嫌』と一蹴された。酷いぜ。
そんなこんなで時間は過ぎ、気付けばいつのまにか二時間の時が経過していた。
そろそろ作業に戻らないと、と私は椅子から立ち上がりかけ、しかしアリスのシロツメクサのような笑顔を目の当たりにしたところで足の筋肉を停止させた。
「……なんだよ?」
「えぇ。実はちょっと面白い話を耳にしたんだけど……」
アリスはなにやらもったいぶって、クスクスと笑い始めた。
なんだよ、気になるじゃないか。
「聞きたい?」
ここまできて『言わない』なんて言ったら、それこそマスタースパークものってやつだぜ。……まぁ、ここでぶっ放せば私は明日から博霊神社の巫女見習いにならなきゃならなくなるんだろうが。
「あんまり時間がないから手短にな」
私は浮かせたお尻をまたどっかりと椅子に貼り付けた。
アリスはそれを見て満足そうに頷くと、まるで子どもに御伽噺を聞かせるような様子でゆっくりと話し始めた。
「これはほんの小さな女の子、友達を欲しがった魔法使いの女の子のお話よ」
「なんかアリスみたいな女の子だな」
「ふふ、そうね」
冗談半分、からかい半分で言った台詞だったんだが、予想に反してアリスは怒ることもなく、むしろ何か変なものでも見たかのようにおかしそうに笑っていた。
……いや、嘲笑っていたのか? なんだろう、少し、嫌な感じがする。
「昔々の話だけれど、ここではない場所に一人の女の子がいたの。その子はまだ小さかったのだけど、既に捨食の魔法を完成させていた。周りにいた人……『人』っていうのもおかしいわね、彼女たちは人間じゃなかったから。ともかくそんな彼女たちと、まあたまには喧嘩なんかもしたりしたけど、女の子はそれなりに楽しく過ごしていたのよ」
「子どものくせに捨食の魔法か。羨ましい限りだな」
横から茶々を入れてはみるが、アリスは『そうね』と返しただけで、まともに取り合おうとはしない。相変わらずの淡々とした口調で物語を紡いでいく。
「そんな益体のない、でも安穏とした生活を女の子は送っていた。……でもね、そんな平穏も長くは続かなかったの。ある日突然現れた奇妙な人間の魔法使いに、みんなこてんぱんにされたから。その人間は『観光にきた』なんて馬鹿なこと言ってたけれど」
「……おい、それって……」
「もちろんその女の子も戦ったわ。でも勝てなかった。一度は究極の魔法まで使ったのに、ね」
「………………」
「それでもね。女の子にとって、それはいい刺激だったの。だってただの人間が魔法使いを打ち負かしたのよ? 個人としては気に入らなかったけど、人間っていうものにはがぜん興味が湧いてきたわ。特に女の子は『人間はか弱いもの』と思い込んで捨食の魔法を完成させたものだから、その出会いは衝撃だった」
……その話は、知っている。もっとも、その子が人間に興味を持ったって話は初耳だったが。
それにしても、アリスは気付いているのか? 『話』にだんだんと『主観』が入ってきていることに……。
「それがきっかけで、女の子は『人間のお友達』を欲しがるようになったわ。別に友達がいなかったわけじゃないけど、みんな人間じゃなかったから。その騒動で幻想郷に住むようになった女の子は、毎日毎日、人間の友達を作ろうと必死になったわ。でも、人間じゃない女の子と友達になろうなんて子は、人里にはいなかった。女の子もそれほど人付き合いが上手ってわけでもなかったから、友達なんてたったの一人も出来なかった。やがて塞ぎこんだ女の子は暗い暗い魔法の森に、一人でこもるようになったのよ」
だんだんと、アリスの声に熱がこもっていく。
なんだよ、一体なんなんだよ。アリス、なんでそんな光のない眼で私のことを見ているんだ?
「ただただ一人の時間を過ごした女の子。でもやっぱりその願いは根強くて、どうにも我慢できなかった。我慢できなくて、どうしようもなくって、そして女の子は思い立ったの。『人間』の友達が出来ないなら『人間のような』友達を、『人の形をした』友達を作ってやれば良いんだって。だって自分の操る『人の形をした』友達ですもの。『人間』みたいに拒否したりなんかしない、自分のことだけ思ってくれる。そう考えるのは当然でしょう? だから女の子は、自分の魔法の全てを使って、人形作りを始めたの。もともと人形は専門外だったから、何年も、何十年も、何百年もかかってしまって、女の子もすっかり成長してしまったけど、それでも人形は完成したわ。モデルは、いつか女の子を打ち負かした人間の魔法使い。名前も、彼女のものをそのまま付けたわ。性格は……やっぱり気に食わなかったから、こればっかりは一切合財変えてしまったけど……」
……なにを……一体なにを言っているんだアリスは?
……いや、こいつは本当にアリスなのか? アリスに化けた何かじゃないのか?
だって……だって、私はこんな空虚に嘲笑う女なんて知らない……!
「ねぇ魔理沙。女の子は本当に嬉しかったのよ? 『人間』ではないとはいえ、『人の形をした』友達を、自分だけの友達を得ることが出来たんだから。嬉しくって、嬉しくって、涙を流してしまったくらい……。でも、でもね。そううまくはいかなかったの。その人形はね、人の形をした友達はね、女の子を裏切ったの。裏切らないはずの友達は、女の子を放っておいて、他の友達のところへ行ってしまった。おかしいと思わない? 女の子だけのものなのに、彼女は女の子を置いていってしまったのよ? だから女の子は心に決めたの。彼女に復讐してやろうって。簡単なことなのよ、だって彼女は人形だもの。糸をぷっつり切ってしまえば、彼女はもう動かなくなってしまうわ」
嫌だ、一体なんなんだよ! 胸が苦しい。頭がグルグルする。
あぁほら、研究に戻らないと。せっかくうまくいった触媒をダメにするなんて馬鹿げてる。ほら、この女を一喝して、早く、早く研究に……!
私は内心で必死に手足を叱咤する。しかしまるで身体の神経系がぷっつりと断線してしまったかのように、胴体から延びた棒はぴくりとも動いてくれなかった。
「わ、私は人間だぜ?」
そんな言葉を、私は必死に搾り出す。震える声がとてつもなく情けなかった。いっそ泣いてしまいたい。いや、泣きそうだから震えているのか?
「あら、魔理沙が人間じゃないなんて、一体誰が言ったのかしら?」
女は意外そうにそう言って、クスクスと嘲笑っていた。
「親がいるんだ。それに、それに昔の記憶もある」
「あら、魔理沙は今勘当状態じゃなかったかしら? それに例え話だけれど、人形を作った女の子が偽の記憶を植え付けたとして、それを否定できるのかしら?」
「霊夢は昔っからの友達だ!」
「確か女の子を打ち負かした人間がもう一人いたはずね」
「パ、パチュリーやフランだっているし……」
「人間の魔法使いが女の子を負かしたのは、もっともっと昔の話よ?」
「こ、香霖の奴だって……」
「また例え話で悪いけど、幼くして捨食の魔法を完成させた魔法使いが、半妖とはいえたった一人の記憶を操作できないものかしら?」
「だ、だって……だって…………」
涙腺はもうとっくの昔に決壊していた。いっそ声をあげて泣けたらどれほど楽になるだろう。しかし、出てくるのはただ震えた声ばっかりで、せいぜい嗚咽にしかならなかった。
「ねぇ魔理沙?」
女が私の名前を呼ぶ。
「『魔法使い』という種族が、ほんの数年で成長するものかしら?」
怖い……。怖い怖い怖い……。
「人の性格って、そう簡単に変わってしまうものなのかしら?」
やだ……。やだやだやだやだ……。
「ねぇ魔理沙?」
やめてくれ……頼むから……もうやめて……
「あなたは本当に人間かしら?」
「……で、一体これはどういうことよ?」
霊夢は相変わらずのゴミ溜めにうんざりしきったように言い放った。
そのゴミにまみれて、なにやら黒い物体がごろんと横たわっている。
「さぁ。寝不足みたいだったから床で寝ちゃったんじゃない?」
アリスはあっけらかんと言い放つと、もうとうに冷めてしまった紅茶をすすった。
そんな彼女を、霊夢は胡散臭そうな目で見やる。
「嘘言いなさい。眠気に襲われた人間がこんな引きつった顔してるわけないでしょう?」
古くからの友人の顔を、じっとりとした目で眺める霊夢。なかなかコミカルなものではあるが、こんなんでも乙女の端くれ。爆笑するのも気が引ける。
呼吸も正常だったから、命に別状はないだろう。
「……で、一体これはどういうことよ?」
改めて同じ問いをする霊夢。それに対して、今度は答えるつもりになったのか、アリスはカップを置くとにっこりと微笑んだ。
「結局暇だったのよ。だから、昔ぼこぼこにされた仕返しに、ちょっぴりからかってみたかったの」
「……ちょっぴり、ねぇ」
白目をむき、椅子から落ちた拍子に出来たのか、でっかいタンコブをこさえた少女。ちょっぴりでここまでするなら、本格的には一体どこまでするんだろう?
友人に憐憫しつつ、霊夢はアリスの執念深さにちょっとばかり戦慄した。
そしてふと思う。
「……もしかして、その仕返しの対象には私も含まれているのかしら?」
「しかも忘れてくれてたから。もう少し注意しておいた方がいいかもね」
あぁ無情。
「……肝に銘じておくわ」
霊夢はアリスの執念深さにもう少しばかり戦慄した。
私はフラスコを火にかけると手近にあった椅子を引き寄せ、どっかりと腰を下ろした。
乙女らしからぬ行動に思わず苦笑してしまうが、こればっかりは勘弁してもらいたい。いかんせん、もう二日も徹夜している。丹の生成が思いのほかうまくいっていて、気がついたら目の下にばっちりと真っ黒なクマができていた。
「あ~、なんだか世界が回るぜ」
橙もこんな感じだろうか?
あんまりいい気分じゃない。私は未だフワフワする頭を押さえ、そんなことを一人ごちる。
しかしそんなげんなりするはずの状態も、私の顔からニヤニヤ笑いを剥がすには至らなかった。
目の前には丸いフラスコ。何度も何度も何度も望み、それでも作れなかったもの。丹の小型化に必要な正触媒の原料だ。
まだ幾らか手順はあるが、あとはそう難しくない。ここまでくればもう完成したも同然で、思わず笑いがこみ上げてくるのも仕方ないってもんだろう?
「うふ、うふ、うふふふふふ……」
あぁ、ついに声が漏れちまった。
構うもんか。どうせ誰もいやしない……
「なに急に笑い出してるのよ、気持ち悪い」
「のぅあっ!?」
いきなり投げかけられた言葉に、私は慌てて後ろを振り向く……と同時に勢いで椅子から転げ落ちちまった。
「痛ぅ……」
「まったく、相変わらず落ち着きのないヤツね」
酷いぜ。
もがき苦しむ私を見下ろし、そんな冷たい言葉を吐くのは七色の人形遣い。
私は差し出されたアリスの手を引っつかむと、
「きゃあっ!」
思いっきり引き倒した。
「痛ぁ……。なにするのよ!?」
「仕返しだぜ」
「何の仕返しよ、まったく……」
その顔に浮かぶのは、怒りよりも呆れかな。
アリスはブチブチと文句を言いながらその場に立ち上がり、ぽんぽんと服についた埃を払った。
「……いつまで寝てんのよ」
「起きられないんだ、手を貸してくれ」
「嫌よ」
即答だった。
「酷いぜ酷いぜ。アリスは私に寝たまま生きろって言うんだな」
「ちょっ! そんなこと言ってないでしょ! ……っていうか、さっきの今でよくそんなこと言えるわね」
「いいぜ。もう夢も希望も失った。これから私は芋虫みたいに蠢いて生きてくぜ」
「何言ってるのよアンタは。それに、どっちかって言うとゴキブ……分かった、悪かったからそんなに睨まないで。ほら、さっさと起き上がりなさいよ」
思いっきり嫌々という様子を表に出しつつ、それでもアリスは手を差し伸べた。
私はそんなアリスの手をそっと握ると……思いっきり引き倒した。
「頭が痛いぜ」
ひりひりする頭頂部をさすりつつ私は言った。
「風邪? 大変ね」
「アリスのせいだぜ?」
「自業自得よ」
私は不貞腐れた顔を作るが、アリスはそんなのお構い無しに楚々として紅茶を飲んでる。
ちなみに茶葉(とお菓子)はアリス持参だ。なんでも『あんたんちの茶葉はカビが生えていそうで怖い』らしい。失礼な。生えてたってキノコ程度だ。
私はアリスの入れた紅茶を一口、そしてクッキーを三枚ほど口の中に放り込む。
そういえばもう二日もまともな食事をしていなかった。別に貧困に喘いでいるわけじゃないんだが、どうにも研究中は他の事に無関心になって困る。
クッキーを紅茶で流し込むと、更に三枚ほど口の中に放り込んだ。
「ちょっと、そんなリスみたいに頬一杯頬張らないでよ」
アリスは嫌そうな視線を向けるが、生憎そんなことに構っちゃらんない。必要なカロリーを摂取しようとする欲望は動物がすべからく持っているものだぜ。
「まったく……。髪もボサボサ、クマもばっちり。これで同じ女性だっていうんだから驚きよね」
「失礼なヤツだな。私はこの上ないほど乙女だぜ」
「少なくとも乙女の部屋がこんなゴミ溜めだなんて聞いたことないわ」
私いかにも呆れてますっていう風に、アリスは大仰に肩をすくめる。どうでもいいが、上海にまで肩すくめさせるのやめてくれ。なんかどんどん憂鬱になる。
ちなみにアリスは立ったまま。私は椅子を勧めたんだが、『……どれが椅子よ?』と呆れたように聞き返してきた。何処に目をつけているんだとグリモワール満載の背もたれ椅子を指差したが、なぜかアリスは頭を押さえ、ゆっくりと首を振った。もしかしたら風邪かもしれない。
「残念ながら薬は無いぜ」
「何の話よ」
どうやら違ったらしい。
「で、私に一体何の用だ? もしかしてまた何か異変か?」
私はかつて月が隠されたときのことを思い出す。
アリスは基本、インドア派だ。宴会やパチュリーの所でかち合うことは幾らかあるが、まず自分からうちへ来るようなことはない。大抵私のほうから遊びに行ったりするわけで、だから、こうやってうちを訪れるのは大体なにがしかの問題が起こった場合。
しかしまいった。生憎今は研究中だ。触媒を加熱してる間で一息ついているとはいえ、あと二時間ほどもしたら作業に戻らなきゃあならない。温めすぎたらダメになるから、今から行って異変を解決、二時間せずに戻ってくる……無理だよな。
そんな思いをめぐらすが、しかしそんな懸念をよそに、アリスの奴はあっけらかんと
「別に何もないわ。ただ暇だったからお茶でもしようと思って来たのよ」
なんて言い放った。
「暇?」
「そ、暇。だから久々にクッキーを焼いてみたんだけど、一人でお茶なんて味気ないでしょう? アンタ最近籠もりがちみたいだったから、休憩入れるのにいいかなって」
重ね重ね珍しい。アリスがうちに来るだけでも珍しいのに、その上暇だからお茶しようなんて、天変地異の前触れか? またレミリアあたりが何か画策してるのかもしれない。
……まぁ、そんなことを考えつつ、もうとっくにご相伴に預かっているわけで、
「……迷惑だったかしら」
なんて上目遣いにおどおど問われたりなんかしたらもう拒否できようはずもないが。
私は返答する変わりにもう二枚ほどクッキーを頬張った。
どうやらアリスは本当に暇だったようで、二人して他愛もない話で盛り上がった。
こっちとしても自慢できる種があったし、アリスも最近面白いグリモワールを手に入れていたようで、始終ご満悦な様子だった。
ちなみに『そのグリモワール貸してくれ』と頼んでみたが、『減るから嫌』と一蹴された。酷いぜ。
そんなこんなで時間は過ぎ、気付けばいつのまにか二時間の時が経過していた。
そろそろ作業に戻らないと、と私は椅子から立ち上がりかけ、しかしアリスのシロツメクサのような笑顔を目の当たりにしたところで足の筋肉を停止させた。
「……なんだよ?」
「えぇ。実はちょっと面白い話を耳にしたんだけど……」
アリスはなにやらもったいぶって、クスクスと笑い始めた。
なんだよ、気になるじゃないか。
「聞きたい?」
ここまできて『言わない』なんて言ったら、それこそマスタースパークものってやつだぜ。……まぁ、ここでぶっ放せば私は明日から博霊神社の巫女見習いにならなきゃならなくなるんだろうが。
「あんまり時間がないから手短にな」
私は浮かせたお尻をまたどっかりと椅子に貼り付けた。
アリスはそれを見て満足そうに頷くと、まるで子どもに御伽噺を聞かせるような様子でゆっくりと話し始めた。
「これはほんの小さな女の子、友達を欲しがった魔法使いの女の子のお話よ」
「なんかアリスみたいな女の子だな」
「ふふ、そうね」
冗談半分、からかい半分で言った台詞だったんだが、予想に反してアリスは怒ることもなく、むしろ何か変なものでも見たかのようにおかしそうに笑っていた。
……いや、嘲笑っていたのか? なんだろう、少し、嫌な感じがする。
「昔々の話だけれど、ここではない場所に一人の女の子がいたの。その子はまだ小さかったのだけど、既に捨食の魔法を完成させていた。周りにいた人……『人』っていうのもおかしいわね、彼女たちは人間じゃなかったから。ともかくそんな彼女たちと、まあたまには喧嘩なんかもしたりしたけど、女の子はそれなりに楽しく過ごしていたのよ」
「子どものくせに捨食の魔法か。羨ましい限りだな」
横から茶々を入れてはみるが、アリスは『そうね』と返しただけで、まともに取り合おうとはしない。相変わらずの淡々とした口調で物語を紡いでいく。
「そんな益体のない、でも安穏とした生活を女の子は送っていた。……でもね、そんな平穏も長くは続かなかったの。ある日突然現れた奇妙な人間の魔法使いに、みんなこてんぱんにされたから。その人間は『観光にきた』なんて馬鹿なこと言ってたけれど」
「……おい、それって……」
「もちろんその女の子も戦ったわ。でも勝てなかった。一度は究極の魔法まで使ったのに、ね」
「………………」
「それでもね。女の子にとって、それはいい刺激だったの。だってただの人間が魔法使いを打ち負かしたのよ? 個人としては気に入らなかったけど、人間っていうものにはがぜん興味が湧いてきたわ。特に女の子は『人間はか弱いもの』と思い込んで捨食の魔法を完成させたものだから、その出会いは衝撃だった」
……その話は、知っている。もっとも、その子が人間に興味を持ったって話は初耳だったが。
それにしても、アリスは気付いているのか? 『話』にだんだんと『主観』が入ってきていることに……。
「それがきっかけで、女の子は『人間のお友達』を欲しがるようになったわ。別に友達がいなかったわけじゃないけど、みんな人間じゃなかったから。その騒動で幻想郷に住むようになった女の子は、毎日毎日、人間の友達を作ろうと必死になったわ。でも、人間じゃない女の子と友達になろうなんて子は、人里にはいなかった。女の子もそれほど人付き合いが上手ってわけでもなかったから、友達なんてたったの一人も出来なかった。やがて塞ぎこんだ女の子は暗い暗い魔法の森に、一人でこもるようになったのよ」
だんだんと、アリスの声に熱がこもっていく。
なんだよ、一体なんなんだよ。アリス、なんでそんな光のない眼で私のことを見ているんだ?
「ただただ一人の時間を過ごした女の子。でもやっぱりその願いは根強くて、どうにも我慢できなかった。我慢できなくて、どうしようもなくって、そして女の子は思い立ったの。『人間』の友達が出来ないなら『人間のような』友達を、『人の形をした』友達を作ってやれば良いんだって。だって自分の操る『人の形をした』友達ですもの。『人間』みたいに拒否したりなんかしない、自分のことだけ思ってくれる。そう考えるのは当然でしょう? だから女の子は、自分の魔法の全てを使って、人形作りを始めたの。もともと人形は専門外だったから、何年も、何十年も、何百年もかかってしまって、女の子もすっかり成長してしまったけど、それでも人形は完成したわ。モデルは、いつか女の子を打ち負かした人間の魔法使い。名前も、彼女のものをそのまま付けたわ。性格は……やっぱり気に食わなかったから、こればっかりは一切合財変えてしまったけど……」
……なにを……一体なにを言っているんだアリスは?
……いや、こいつは本当にアリスなのか? アリスに化けた何かじゃないのか?
だって……だって、私はこんな空虚に嘲笑う女なんて知らない……!
「ねぇ魔理沙。女の子は本当に嬉しかったのよ? 『人間』ではないとはいえ、『人の形をした』友達を、自分だけの友達を得ることが出来たんだから。嬉しくって、嬉しくって、涙を流してしまったくらい……。でも、でもね。そううまくはいかなかったの。その人形はね、人の形をした友達はね、女の子を裏切ったの。裏切らないはずの友達は、女の子を放っておいて、他の友達のところへ行ってしまった。おかしいと思わない? 女の子だけのものなのに、彼女は女の子を置いていってしまったのよ? だから女の子は心に決めたの。彼女に復讐してやろうって。簡単なことなのよ、だって彼女は人形だもの。糸をぷっつり切ってしまえば、彼女はもう動かなくなってしまうわ」
嫌だ、一体なんなんだよ! 胸が苦しい。頭がグルグルする。
あぁほら、研究に戻らないと。せっかくうまくいった触媒をダメにするなんて馬鹿げてる。ほら、この女を一喝して、早く、早く研究に……!
私は内心で必死に手足を叱咤する。しかしまるで身体の神経系がぷっつりと断線してしまったかのように、胴体から延びた棒はぴくりとも動いてくれなかった。
「わ、私は人間だぜ?」
そんな言葉を、私は必死に搾り出す。震える声がとてつもなく情けなかった。いっそ泣いてしまいたい。いや、泣きそうだから震えているのか?
「あら、魔理沙が人間じゃないなんて、一体誰が言ったのかしら?」
女は意外そうにそう言って、クスクスと嘲笑っていた。
「親がいるんだ。それに、それに昔の記憶もある」
「あら、魔理沙は今勘当状態じゃなかったかしら? それに例え話だけれど、人形を作った女の子が偽の記憶を植え付けたとして、それを否定できるのかしら?」
「霊夢は昔っからの友達だ!」
「確か女の子を打ち負かした人間がもう一人いたはずね」
「パ、パチュリーやフランだっているし……」
「人間の魔法使いが女の子を負かしたのは、もっともっと昔の話よ?」
「こ、香霖の奴だって……」
「また例え話で悪いけど、幼くして捨食の魔法を完成させた魔法使いが、半妖とはいえたった一人の記憶を操作できないものかしら?」
「だ、だって……だって…………」
涙腺はもうとっくの昔に決壊していた。いっそ声をあげて泣けたらどれほど楽になるだろう。しかし、出てくるのはただ震えた声ばっかりで、せいぜい嗚咽にしかならなかった。
「ねぇ魔理沙?」
女が私の名前を呼ぶ。
「『魔法使い』という種族が、ほんの数年で成長するものかしら?」
怖い……。怖い怖い怖い……。
「人の性格って、そう簡単に変わってしまうものなのかしら?」
やだ……。やだやだやだやだ……。
「ねぇ魔理沙?」
やめてくれ……頼むから……もうやめて……
「あなたは本当に人間かしら?」
「……で、一体これはどういうことよ?」
霊夢は相変わらずのゴミ溜めにうんざりしきったように言い放った。
そのゴミにまみれて、なにやら黒い物体がごろんと横たわっている。
「さぁ。寝不足みたいだったから床で寝ちゃったんじゃない?」
アリスはあっけらかんと言い放つと、もうとうに冷めてしまった紅茶をすすった。
そんな彼女を、霊夢は胡散臭そうな目で見やる。
「嘘言いなさい。眠気に襲われた人間がこんな引きつった顔してるわけないでしょう?」
古くからの友人の顔を、じっとりとした目で眺める霊夢。なかなかコミカルなものではあるが、こんなんでも乙女の端くれ。爆笑するのも気が引ける。
呼吸も正常だったから、命に別状はないだろう。
「……で、一体これはどういうことよ?」
改めて同じ問いをする霊夢。それに対して、今度は答えるつもりになったのか、アリスはカップを置くとにっこりと微笑んだ。
「結局暇だったのよ。だから、昔ぼこぼこにされた仕返しに、ちょっぴりからかってみたかったの」
「……ちょっぴり、ねぇ」
白目をむき、椅子から落ちた拍子に出来たのか、でっかいタンコブをこさえた少女。ちょっぴりでここまでするなら、本格的には一体どこまでするんだろう?
友人に憐憫しつつ、霊夢はアリスの執念深さにちょっとばかり戦慄した。
そしてふと思う。
「……もしかして、その仕返しの対象には私も含まれているのかしら?」
「しかも忘れてくれてたから。もう少し注意しておいた方がいいかもね」
あぁ無情。
「……肝に銘じておくわ」
霊夢はアリスの執念深さにもう少しばかり戦慄した。
ニヤニヤしちまったじゃないか
ところで大沖ってもしかして……
霊夢に予め教えてハードルを上げる辺りもカッコいいw
いや、評価していただけるって嬉しいものですね。
魔理沙は普段男勝りな分、いざというときは打たれ弱いと信じてますw
カコいいアリスは正義ですw
>ところで大沖ってもしかして……
すみません、ダイオキシンの方とは無関係です。
……いやまぁ、ネーミングは『ダイオキシン』から来てはいるんですが。
昔から使っているPNなんですが、紛らわしかったですね。