※一部誤変換のように見える箇所がありますが、仕様です。
【Phantom Father's Day】
「おおっ、今年も綺麗ねぇ」
「だよねー。やっぱりルナ姉にまかしとけば、間違いないよね」
確かに、私が花瓶に生けた真白い薔薇は、きっとこの幻想郷にこれ以上のものは無かろうという程、美しい。私が用意したのだから当たり前だ。しかし、薔薇の美しさにも、妹達の賞賛にも、私の憂いは晴れない。
「馬鹿馬鹿しいって、思ってる?」
耳元の声が、図星を突いてくる。好奇心からか、衷心ゆえか。
「メル姉は、もうそのへん割り切っちゃってるみたいだけど? 私達は、こういうものなんだって」
ああそうだ。私達は、そういうようにできている。けれど……。
「楽しまなくっちゃ、損よ。どうせなら」
聞こえていたのかいなかったのか、私とは真逆、明朗そのものの声が、あとに続いた。
「私は、楽しみだからね。だから待っているのが楽しいの。とっても」
待つことに、意味は無いのに。花など生けても、無駄なのに。だって、
「姉さん……?」
「……やっぱり、馬鹿馬鹿しい」
私達に、父はいない。
私達には、男親というものはない。けれど、「父」と呼ぶ人なら存在する。存在した。想念の具現化である私達は、その人を父と慕うように創られた。
けれどその人は今、もういない。私達が生まれた時には既に故人となっていた。
それでも、私達は待ち続ける。帰らぬと分かっている、父の帰りを。それが、創造主の思い描いた「私達」だったから。
そう、主亡き今でさえ、なお。
娘として、父を待つ。花を生け、父の日の支度を整える。
こんな空しい繰り返しを、馬鹿馬鹿しいといわずして、なんと云うのか。
「そうと以外、何とも言いようがない」
いない者を慕って、帰ってこないことなど分かりきっているのに、待って、待って、待ち焦がれて。
今年もまた、八方手を尽くして、手に入る限り一番美しい薔薇を求めた。誰に捧げられるわけでもないのに、ただ自分の焦がれる気持ちをぶつけるためだけに、私は。
「馬鹿げているから、本当に……」
いつまで続けるのか、この茶番を。
最早既に、観客すらいなくなったというのに。
「ねえねえ、もうすぐ父さま、帰ってくるんでしょ? 予定だと、ちょうど父の日になるんだっけ?」
「おみやげ、楽しみだよね。前の『テルミン』とか、すごかったもん」
「そうね。だけどやっぱり、一番は」
「うん、『お父さまが無事に帰ってくること』、だよね!」
【ある父の日記】
六月**日(日)
今日は、真梨沙が白いばらの花を私に贈ってくれた。
「父の日」という、最近外から入ってきた行事らしい。新しく入ってきた物、流行物にはろくなものがないのが常だが、これは悪くないと思う。親への感謝や孝行の心を忘れない、というのも良い点なのだが、何より、単純に嬉しいのだ。
愛する娘が、小づかいをためて私のために花を買ってくれたというのだ。嬉しい。嬉しくてたまらない。つい、店に生けて、今日店に来た常連のお客様方に自慢してしまった。
私は日頃、ずいぶん真梨沙に対しては厳しく接している。この子のためを思えばこそ、真っ当な人間に育ってほしいからこそなのだが、幼い真梨沙には分からないだろうと思っていた。けれど、たとえそれ自体は分からないにしても、私の真梨沙を思う気持ちは、ちゃんと分かってもらえていたのだろうと思う。
私自身にとっても、真梨沙に対する愛情を再確認することができた。いくら娘といえども、やはり日常の中では、真梨沙の大切さ、いてくれているありがたさを、忘れてしまっていることもある。おてんばで、しょっちゅう何やらとけしからんことをしでかしてくれるものだから、時折「こいつめ」と憎たらしく思うこともある。しかし、こういう機会につけて、真梨沙が如何にいとおしく、私にとってかけがえのない存在であるか、改めて噛みしめることができた。
このばらの花がそのうちに枯れてしまうことを残念がっていると、妻が、ドライフラワーというものを教えてくれた。きちんと処置を施すと、少し枯れたような感じにはなるが、完全に枯れきった状態にはならなくなるという。いいことを聞いた。あと二、三日このままの状態で楽しんで、そのあとドライフラワーにして、この花は、私の宝物としてずっと大切にとっておく。これからも毎年、そうやって真梨沙からの花をとっておいて、嫁にいくときの思い出話にでもしてやろうか。
【あの白い花が咲いたなら】
あんなに私をかわいがってくれたお父様が、私を捨てた。
けれどそれは、仕方の無いこと。
だって。お父様は、魅せられてしまったのだから。
あの、美しいうつくしい、この世のものならざるバケモノに。
桜はみな、疾うに花びらを散らし、今はみずみずしい緑の葉を生い茂らせている。
四季の巡る庭。ここには、思いわずらうことなど何もない。
春は桜を愛で、秋は月に思いを馳せ。穏やかな時の流れのままに、のどかに過ごしていればよい。
静かで満たされた暮らし。何一つ不満は無い。
ただ。
時折、何かが脳裡にひっかかる。何か大切なことを、忘れてしまっているような。
そう、例えば。まるで枯死したように花を咲かせないこの桜の大木を、見上げた時。
ねえ。貴方はどうして咲かないの? いつか貴方を、咲かせてみたい。
あれ……?
私はどうして、貴方を咲かせてみたいのだろう。
いつものように、一緒に遊んで。遊び疲れたら、腕の中でまどろんで。
桜咲く庭の、いつものお父様と私。
けれど、そんな私のいつもは、あの幻によってうち砕かれた。
「ねえ、お父様?」
話しかけても応[いら]えは無い。桜の花びらが、スッと私の頬をかすめた。
見上げると、お父様の眼が、私のずっと向こうを捉えている。否、向こうによって捕らわれている。
振り返り、私は戦慄いた。
お父様を捕らえていたのは、桜。人を誘[いざな]い喰らっているような、禍々しい桜の花の満開。
白く、霞と煙[けぶ]る花の群らがりが、季節に遅れた雪雲のように花弁を降らす。
ひらり。ひらり。花びらが舞う。
ふらり。ふらり。手をとり導き寄せられるように、お父様は近づいてゆく。
陶然と、夢現の恍惚境にあって、ただうつくしい花だけがお父様の全てを占めている。
「だめ……!」
私の声が聞こえる筈も無く、その手が差し伸べられて、散り落ちた花びらが、差し出された掌[たなそこ]に収まろうとして――
瞬間、桜は跡形も無く消え失せた。
「余程好きなのねえ、その桜が」
いつの間にか私の後ろに、友が来ていた。
違う。
ただこの桜を見ているだけでは、たとえこの桜が満開であっても、何も嬉しくないだろうと思う。
桜を賞でるなら、傍らに誰かがいなくては。例えば今のように。桜とはみな、そうしたものなのかもしれない。
共に桜を見上げて、「嗚呼、美しいね」と言って、笑ってくれたなら。その笑顔こそ、私にとっては桜よりなお見まほしきもの。
実のところ私は、この桜の花そのものには然程執着していない。もしかすると私は、この桜が咲くところを誰かに見せたかったのかもしれない。そう思いつくと、なにやらそんな気がしてきた。
でも、もしそうだというなら……一体誰に?
その後、幾つかの日が過ぎて。
お父様は、旅に出た。泣いてすがりつく私を、蹴り飛ばして。
仏門に入るということになっていたが、私は知っている。お父様は、あの桜を求めにいったのだ。
子煩悩だったお父様が、それほどまでに焦がれた桜。
「でも」
それならば。あなたが私の前から去る理由[わけ]が、あの桜の花にあるのなら。
「いつかはあなたに捧げましょう。あなたが魅せられた、あの白い花を」
「紫」
振り返りもせず、背後の友を呼ぶ。
「私、この桜の花が咲くのを、誰かに見せたかったような気がする」
巌のような木肌に、指先が触れる。
「誰だったかしら。どうしてだったかしら」
彼女が嫣然とうち笑むのが、気配でわかった。長い付き合いを経ても未だに背筋にぞくりと慄えがはしる、何もかもを見透かされているような、知り抜かれているような笑い。
それに比して拍子抜けするほど卑近な、日常の雑談のような調子の応[いら]えが返る。
「忘れてしまうようなことなんて、きっと大したことではないのよ」
ああ。
確かにそうだ。彼女の言う通り。
そんなことで思い悩むなんて、愚かなことだ。私はこの庭で、何憂うことなく移ろう四季を愛でていれば、それでよいのだ。
「それもそうね」。そう応えて、私はようやく彼女の方を向いた。
お父様。
いつか私が、あの白い花を咲かせた時。
あなたは、帰ってきてくれますか?
【あなたに小さな花束を】
父の日という行事が普及してからもう何年にもなるが、未だに寺子屋の授業で取り上げてみたことはない。
行事の内容そのものは素晴らしい。だが、子供達にも時として家庭の事情というものがある。私の知る限りでも、そして恐らくは、私の知らないところでも。そんな子のことを思うと、どうしてもこの手の行事に取り組んでみようという気になれないのだ。あの親友とつきあうようになってから、少しだけ、そういうことに敏感になったような気がする。
(彼女は――)
思考がその親友のことに及んだところで、今度は彼女について考え始める。
彼女は、どうしているのだろう。どんな気持ちで、この父の日という一日を過ごしているのだろう。
父親から望まれず、娘と認められなかった彼女。けれど、その仇を千年憎む程に、父を愛してしまった彼女。
少し前から彼女も、人前に姿を現すようになった。父の日なるものの存在も、それがどのようなものであるかも、知っていることだろう。
「お父さんありがとう」などというコピーのあふれる世間に、やはり幾許かの疎外感を覚えてしまうのだろうか。苦々しく思ったり、普段は意識しない寂しさを、改めて突きつけられたりするのだろうか。
そんなことを考えているうち、彼女の暮らす庵までやってきていた。
入り口の前に立ち、意味も無くあたりを見回す。ふと足許に目をやると、変わったものが目にとまった。
庵のそばに生えている、小さな野の花。その茎に何かが結わえつけてある。
よく見ると、その何かは私にとって見慣れたものだった。赤い文様の描かれた白地の紙。彼女がいつも身につけているお札だ。
そこまでは分かっても、しかし一体何のために、という疑問が生じる。お札が結び付けられているのは、色形一つとっても目立たない、何の変哲も無い野草。このお札がその辺の草花に結びつけられているところなど、私は見たためしがない。そう、これはいつも彼女が、髪にリボンのように結わえつけている――
(ああ)
そこまで考えて、ようやく気づけた。
結んだお札は、リボンの代わり。花を飾るためのものだ。けなげに可憐に生きて咲く、小さな小さな白い花を。
これは、大好きな人に捧げる彼女の想いの印。彼女なりの、花束なのだ。
(愚かな、お節介だったかな……?)
余計な気をまわしていた先までの自分に、私は小さく苦笑した。
「慧音っ!」
庵の戸が開き、花束の贈り主の元気な声が響いた。顔中からはちきれんばかりの笑みをこぼして、私に飛びついてくる。
勢いのままにふわりとはずむその髪に揺れているのは、いつもより一つ少ない、花束と揃いのお札。
来年からも、父の日に関する私の方針に変更は無いだろう。
けれど。子供達の心は、私には思いもかけない強さを秘めているものなのかもしれない。そんな子供達の強さを、私はもう少し信じてもよいのかもしれない。彼女の頭を撫でながら、そんなことを考えた。
「妹紅。さっき、源さんがお前に会いたがっていたぞ。あと花屋の旦那さんと」
「え、何かあったの? なんでまた私に?」
「お前なら閉口しないで親馬鹿話を聞いてくれるからじゃないか? なんたって今日は……」
銀も 金も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも
讃岐造と輝夜の話も読んでみたかった気がします。
>名前が無い程度の能力(3)様
切なさを伝えられたようで、うれしい限りです。
讃岐造と輝夜……もしかすると来年、挑戦しているかもしれません。
>名前が無い程度の能力(8)様
友情や親子の愛も、恋愛に劣らぬ素晴らしいテーマですよね。
これらを主題にしている作品が好みということもあって、今回このような作品を書いてみました。