この白玉楼に積もっていた雪はすでに溶け、土にかえり、春の花を咲かせる準備を始めている。
すでに季節は動き始めていた。
朝の寒さで目覚めた私は、そのことにすぐ気づくことができず、障子にうつる細かい影を不思議に思っていた。
なぜ雪が降っているのか、と。
雪と言えば1ヶ月ほど前に妖夢がせっせと雪かきをしていたわね。
そんなことを考えながら、寝ぼけたばかりの締りのない身体で、布団から抜け出し、私はふらつきながら障子を開けた。
桜が舞っていた。
朝日に照らされ、無数の花びら1つ1つが、美しく反射していた。
私が障子ごしに見た影は雪ではなく、風に吹かれ、咲き乱れた桜の花びらだったのだ。
「桜吹雪とはよく言ったものね」
日差しの温かさを感じながら、私は言った。
また、この季節が訪れたのだ。春が来た。
縁側に座り、桜を眺めていると、どこからか威勢の良い声が聞こえてきた。
「967! 968! 969!」
聞き覚えのある声だった。
「妖夢、妖夢」
私がそう呼ぶと、裏の方から妖夢が姿をあらわした。少し息が荒い、刀の素振りでもしていたのだろう。
「幽々子様、もう起きていらしたのですか」
「ええ、桜の匂いに誘われてしまったの」
「は、はあ……」
「ふふふ、妖夢には少しはやかったかしら」
「意味が良く分かりませんし、そういう問題ではありません」
私が笑うと妖夢は困った顔をした。そんな顔も、また愛らしく可愛いのだった。
「それでは朝食の準備をしてまいります」
台所へ向かおうとした妖夢を私は呼び止めた。
「あなた、リボンが少しおかしいわよ」
妖夢の側に立ち、リボンを直してあげた。
「ありがとうございます。幽々子様」
「妖夢、あなた身体の具合は大丈夫?」
「はい。いつもどおり健康です」
「そう、なら良いのよ」
妖夢は礼儀正しく、小さくお辞儀をして、台所へとかけて行った。
私はまた縁側に座り、桜を鑑賞していた。桜の木の横に小さな花が咲いているのが視界に入る。
数年前に、妖夢が植えた物だ。あの頃の妖夢は今よりもあどけない少女だった。そう思うと、あの子は確かに成長している。
世間では半人前と評されているが、そう感じることはない。十分に、白玉楼が誇る庭師になっていると認めている。
桃色で満たされた庭を眺めながら、私は少し、昔を思い出していた。
「妖夢、いつまで手間取っているの、霊は待ってくれないのよ」
「す、すみません幽々子様」
妖夢がこの白玉楼の庭師になって間もない頃、彼女は毎日のように失敗ばかりしていた。
朝の寝坊からはじまり、朝食を作るのに手間取り、霊をうまく誘導できず、何かあるとすぐに泣いてしまうような子だった。
そんな妖夢に私は厳しく対応した。
「もうあなたの、すみません、は聞き飽きたわ」
「すみません」
睨み付けると、妖夢は猫のように萎縮してしまった。だがこれも全て彼女のためなのだった。
妖夢と迎えたはじめての春、白玉楼に集まる霊の中で片腕のない男の子がいた。霊魂ではなく人の形をとっていた。
その子は刀の稽古をする妖夢の真似をして、片手に持った木の棒を振り回していた。
それに気づいた妖夢は、彼の側に近寄り、言葉をかけている。どうやら指導している様だった。
身体の姿勢や腕の使い方を教えてもらい、また棒を振り下ろす。先ほどとは違い、さまになっていた。
妖夢も満足したように笑顔になり、彼の横で刀の素振りを開始した。
風がゆるやかに桜の花を流していく。
高い日差しを浴びながら、一心不乱に素振りを続ける。
2人並び、同じ動作を繰り返すその姿は、まるで姉弟の様にも見える。
少しだらしない弟がまた無茶な振り方をすると、真面目な姉が眉を寄せながらすぐに注意をする。
見ているだけで心が落ち着き、時間がゆったりと流れているのを感じる。
この空気を体感することが出来ることに私は感謝した。
だが、あの男の子のことを考えると、目の前の光景にひびが入る。
私はそれをなるべく考えないようにしていたが、冥界の姫である以上、無視することは出来ない。
妖夢はそれに気づいていない様だった。
「今日、あなたと一緒に隻腕の子供が素振りをしていたわね」
「はい」
その日の夕食の時間、私は妖夢に言った。
「あの男の子が死んだ原因、あなたは何だと思う?」
「本人から直接聞いたのですが、彼は白い花を取ってきてほしいと村の大人に言われたそうです。
しかし、教えられた場所に行く途中の崖から運悪く、落下してしまったのです」
彼が崖から落ちるところを想像したのか、妖夢は視線を落とした。私は追及した。
「運が悪かっただけ、本当にそれは事故なのかしら」
「どう言うことでしょうか?」
やはり妖夢は、素直すぎて気づいていない。人の黒さに。
「あの子は片腕しかない。まあ、普通の人の半分しか労働力がないと言い換えてもいいわね。
そして最近、人間達の間で飢饉が起こった。そんな時に満足に働くことの出来ない子供をどうするかしら」
「幽々子様……それって……」
次の私の台詞を推測できたのだろう、妖夢の顔色が悪くなった。
現実を突きつける様に、私は妖夢の目を縛り付ける様に言った。
「つまり、あの子は村人に殺されたのよ」
私の言葉を聞いて、妖夢は声を荒げた。
「そんなことはありません!あの子は確かに崖から落ちているんですよ!」
「ええそうね、それは事実だわ。でもなんで隻腕の子供にそんな崖があるような所を歩かせたのかしら」
「そ、それは……」
「きっと教えた場所に白い花があること自体が嘘ね。それはあの子を死へ誘うための文句に過ぎない」
「ぜ、全部幽々子様の憶測です!それはただの邪推ですよ!」
「人は死ぬ瞬間、未練や後悔があれば生きていた姿を維持する。彼は霊魂ではなく人型をとっていた。
あんな幼い子供でさえ自分の人生に未練を感じさせるほどの扱いを村人から受けていた……そうは考えられないかしら?」
私は妖夢に知ってほしかった。多くの人が自分の死に満足しているわけではないと言うことを。
そしてそれを理解することは、私達の義務なのだ。
「いいかげんにしてください!」
妖夢が机を叩きつけた。
突然の怒号に、思わず私も身体が震えた。
「幽々子様はそうまでしてあの子を不幸な子だと言いたいのですか?この世にいらいない子だと言いたいのですか?」
溢れんばかりの涙を妖夢は必死にこらえていた。
そして意を決した様に立ち上がり、私の方を振り返ることなく、この部屋から出て行った。
少し時間が経ってから妖夢の部屋をのぞくと、そこには誰もいなかった。
朝日さえも薄い霧に阻まれ、辺りは良く見えない。妖夢は白玉楼の門から屋敷の様子をこっそりとのぞいた。
「隠れなくても見えているわよ」
私は一睡もしないで門を見張っていたおかげで妖夢の姿をすぐに発見できた。
妖夢は、ばつの悪そうにうつむいていた。
「今が何時か分かっているの?もう朝なのよ?」
「はい、すみません」
「まったく……こんな時間までどこに行っていたのよ」
私がそう言うと、妖夢は両手を差し出した。
手をシャベルの様にして地面をすくってきたのだろう、1本の花を土ごと持っていた。白い花だった。
「妖夢……その花は……」
「はいそうです。見てください。白い花です。これはあの子が教えられた場所に生えていたんです」
妖夢の瞳から涙が流れる。声が震えていた。
「村人は嘘をついていなかったんです。あの子は、あの子はいらない子ではなかったんですよ」
彼女は肩を震わし、泣き出した。涙が頬を伝い、顎から滴となって地面に落ちた。
私は妖夢の肩に手をまわし、抱きしめた。
「……ええそうね、ごんめんなさい。勝手な邪推をして悪かったわ。あの子にも謝らないといけないわね」
その日、妖夢は桜の横に、この白花を埋めた。
「ちょっとそこの霊魂さん、もっと詰めてください! ああ、そっちに行ってはいけませんよ!」
妖夢は霊魂を誘導していた。ちょっとしたことですぐに泣いてしまっていたあの頃とくらべ、いくぶんかたくましくなった妖夢が。
縁側でお茶を飲みながら、ゆっくりと桜を鑑賞する。風に身を任せ、もて遊ばれる桃色の花。
もうそろそろ良い頃かしら。そんなことを思う。
今の彼女なら受け止めることが出来るだろうと、今よりもさらに成長してくれるだろうと。
白い花を眺める。妖夢の様に白い花を。ただ少し、彼女はあの花よりも白すぎる。
どこからか迷い込んだ1匹の蝶が、ひらひらと、優雅に花に近づいた。
だが、この白玉楼に灯った小さな命は、花の毒によって冒された。
命の散った、風に漂う蝶の身体は、桜の花びらにとても良く似ていた。
、
すでに季節は動き始めていた。
朝の寒さで目覚めた私は、そのことにすぐ気づくことができず、障子にうつる細かい影を不思議に思っていた。
なぜ雪が降っているのか、と。
雪と言えば1ヶ月ほど前に妖夢がせっせと雪かきをしていたわね。
そんなことを考えながら、寝ぼけたばかりの締りのない身体で、布団から抜け出し、私はふらつきながら障子を開けた。
桜が舞っていた。
朝日に照らされ、無数の花びら1つ1つが、美しく反射していた。
私が障子ごしに見た影は雪ではなく、風に吹かれ、咲き乱れた桜の花びらだったのだ。
「桜吹雪とはよく言ったものね」
日差しの温かさを感じながら、私は言った。
また、この季節が訪れたのだ。春が来た。
縁側に座り、桜を眺めていると、どこからか威勢の良い声が聞こえてきた。
「967! 968! 969!」
聞き覚えのある声だった。
「妖夢、妖夢」
私がそう呼ぶと、裏の方から妖夢が姿をあらわした。少し息が荒い、刀の素振りでもしていたのだろう。
「幽々子様、もう起きていらしたのですか」
「ええ、桜の匂いに誘われてしまったの」
「は、はあ……」
「ふふふ、妖夢には少しはやかったかしら」
「意味が良く分かりませんし、そういう問題ではありません」
私が笑うと妖夢は困った顔をした。そんな顔も、また愛らしく可愛いのだった。
「それでは朝食の準備をしてまいります」
台所へ向かおうとした妖夢を私は呼び止めた。
「あなた、リボンが少しおかしいわよ」
妖夢の側に立ち、リボンを直してあげた。
「ありがとうございます。幽々子様」
「妖夢、あなた身体の具合は大丈夫?」
「はい。いつもどおり健康です」
「そう、なら良いのよ」
妖夢は礼儀正しく、小さくお辞儀をして、台所へとかけて行った。
私はまた縁側に座り、桜を鑑賞していた。桜の木の横に小さな花が咲いているのが視界に入る。
数年前に、妖夢が植えた物だ。あの頃の妖夢は今よりもあどけない少女だった。そう思うと、あの子は確かに成長している。
世間では半人前と評されているが、そう感じることはない。十分に、白玉楼が誇る庭師になっていると認めている。
桃色で満たされた庭を眺めながら、私は少し、昔を思い出していた。
「妖夢、いつまで手間取っているの、霊は待ってくれないのよ」
「す、すみません幽々子様」
妖夢がこの白玉楼の庭師になって間もない頃、彼女は毎日のように失敗ばかりしていた。
朝の寝坊からはじまり、朝食を作るのに手間取り、霊をうまく誘導できず、何かあるとすぐに泣いてしまうような子だった。
そんな妖夢に私は厳しく対応した。
「もうあなたの、すみません、は聞き飽きたわ」
「すみません」
睨み付けると、妖夢は猫のように萎縮してしまった。だがこれも全て彼女のためなのだった。
妖夢と迎えたはじめての春、白玉楼に集まる霊の中で片腕のない男の子がいた。霊魂ではなく人の形をとっていた。
その子は刀の稽古をする妖夢の真似をして、片手に持った木の棒を振り回していた。
それに気づいた妖夢は、彼の側に近寄り、言葉をかけている。どうやら指導している様だった。
身体の姿勢や腕の使い方を教えてもらい、また棒を振り下ろす。先ほどとは違い、さまになっていた。
妖夢も満足したように笑顔になり、彼の横で刀の素振りを開始した。
風がゆるやかに桜の花を流していく。
高い日差しを浴びながら、一心不乱に素振りを続ける。
2人並び、同じ動作を繰り返すその姿は、まるで姉弟の様にも見える。
少しだらしない弟がまた無茶な振り方をすると、真面目な姉が眉を寄せながらすぐに注意をする。
見ているだけで心が落ち着き、時間がゆったりと流れているのを感じる。
この空気を体感することが出来ることに私は感謝した。
だが、あの男の子のことを考えると、目の前の光景にひびが入る。
私はそれをなるべく考えないようにしていたが、冥界の姫である以上、無視することは出来ない。
妖夢はそれに気づいていない様だった。
「今日、あなたと一緒に隻腕の子供が素振りをしていたわね」
「はい」
その日の夕食の時間、私は妖夢に言った。
「あの男の子が死んだ原因、あなたは何だと思う?」
「本人から直接聞いたのですが、彼は白い花を取ってきてほしいと村の大人に言われたそうです。
しかし、教えられた場所に行く途中の崖から運悪く、落下してしまったのです」
彼が崖から落ちるところを想像したのか、妖夢は視線を落とした。私は追及した。
「運が悪かっただけ、本当にそれは事故なのかしら」
「どう言うことでしょうか?」
やはり妖夢は、素直すぎて気づいていない。人の黒さに。
「あの子は片腕しかない。まあ、普通の人の半分しか労働力がないと言い換えてもいいわね。
そして最近、人間達の間で飢饉が起こった。そんな時に満足に働くことの出来ない子供をどうするかしら」
「幽々子様……それって……」
次の私の台詞を推測できたのだろう、妖夢の顔色が悪くなった。
現実を突きつける様に、私は妖夢の目を縛り付ける様に言った。
「つまり、あの子は村人に殺されたのよ」
私の言葉を聞いて、妖夢は声を荒げた。
「そんなことはありません!あの子は確かに崖から落ちているんですよ!」
「ええそうね、それは事実だわ。でもなんで隻腕の子供にそんな崖があるような所を歩かせたのかしら」
「そ、それは……」
「きっと教えた場所に白い花があること自体が嘘ね。それはあの子を死へ誘うための文句に過ぎない」
「ぜ、全部幽々子様の憶測です!それはただの邪推ですよ!」
「人は死ぬ瞬間、未練や後悔があれば生きていた姿を維持する。彼は霊魂ではなく人型をとっていた。
あんな幼い子供でさえ自分の人生に未練を感じさせるほどの扱いを村人から受けていた……そうは考えられないかしら?」
私は妖夢に知ってほしかった。多くの人が自分の死に満足しているわけではないと言うことを。
そしてそれを理解することは、私達の義務なのだ。
「いいかげんにしてください!」
妖夢が机を叩きつけた。
突然の怒号に、思わず私も身体が震えた。
「幽々子様はそうまでしてあの子を不幸な子だと言いたいのですか?この世にいらいない子だと言いたいのですか?」
溢れんばかりの涙を妖夢は必死にこらえていた。
そして意を決した様に立ち上がり、私の方を振り返ることなく、この部屋から出て行った。
少し時間が経ってから妖夢の部屋をのぞくと、そこには誰もいなかった。
朝日さえも薄い霧に阻まれ、辺りは良く見えない。妖夢は白玉楼の門から屋敷の様子をこっそりとのぞいた。
「隠れなくても見えているわよ」
私は一睡もしないで門を見張っていたおかげで妖夢の姿をすぐに発見できた。
妖夢は、ばつの悪そうにうつむいていた。
「今が何時か分かっているの?もう朝なのよ?」
「はい、すみません」
「まったく……こんな時間までどこに行っていたのよ」
私がそう言うと、妖夢は両手を差し出した。
手をシャベルの様にして地面をすくってきたのだろう、1本の花を土ごと持っていた。白い花だった。
「妖夢……その花は……」
「はいそうです。見てください。白い花です。これはあの子が教えられた場所に生えていたんです」
妖夢の瞳から涙が流れる。声が震えていた。
「村人は嘘をついていなかったんです。あの子は、あの子はいらない子ではなかったんですよ」
彼女は肩を震わし、泣き出した。涙が頬を伝い、顎から滴となって地面に落ちた。
私は妖夢の肩に手をまわし、抱きしめた。
「……ええそうね、ごんめんなさい。勝手な邪推をして悪かったわ。あの子にも謝らないといけないわね」
その日、妖夢は桜の横に、この白花を埋めた。
「ちょっとそこの霊魂さん、もっと詰めてください! ああ、そっちに行ってはいけませんよ!」
妖夢は霊魂を誘導していた。ちょっとしたことですぐに泣いてしまっていたあの頃とくらべ、いくぶんかたくましくなった妖夢が。
縁側でお茶を飲みながら、ゆっくりと桜を鑑賞する。風に身を任せ、もて遊ばれる桃色の花。
もうそろそろ良い頃かしら。そんなことを思う。
今の彼女なら受け止めることが出来るだろうと、今よりもさらに成長してくれるだろうと。
白い花を眺める。妖夢の様に白い花を。ただ少し、彼女はあの花よりも白すぎる。
どこからか迷い込んだ1匹の蝶が、ひらひらと、優雅に花に近づいた。
だが、この白玉楼に灯った小さな命は、花の毒によって冒された。
命の散った、風に漂う蝶の身体は、桜の花びらにとても良く似ていた。
、
白玉楼のコンビはギャグもシリアスもいけますね
次は順番的に永夜抄でしょうか?
いずれにせよ期待
前者が主体のはずなのに後者が喰っちゃったかなという感じです。
雰囲気はあったと思います。僕には春のイメージより冥界のおぼろげな感じのほうが強かったんですが。
なんか嫌言ばかり書いてますがあなたの作品はすごく好きです。次回作も必ず読ませていただきます。
指摘されているように、物語の焦点がはっきりと定まっていませんね。
勢いで書いてしまったせいです、すみません。
雰囲気の方は、なんとか伝わったかな、と思いますがまだまだですね。
流れでは紅魔館、白玉楼ときたのですが、次は霊夢の話にしようと考えています。