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恋の花が咲く、などと言い始めたのは誰なのだろう―――
その種は……小さすぎて、気づかない様なものだった。
―――そうなったきっかけさえ、思い出せない。
でも……少しづつ、確実に成長していった種。
―――気がつけば、彼の事を考える時間が増えていく毎日。
いつの間にか大輪の花を咲かせ、心を支配してしまう恐ろしい花。
―――今では四六時中彼の事ばかり考えている。
その花はしっかりと私の胸に根づき、彼の姿を見るたびに早く自分を実らせろと急かしてくる。
―――彼の姿を見るたびに胸の鼓動が早くなり、頭がクラクラとして何も考えられなくなってしまう。
その花のお陰で、私は彼の前に立つたびに胸がドキドキと痛み、まともに顔を見ることも出来ない。
―――私に出来たのは、せいぜい彼の働く姿を遠から見つめる事、そして彼の働く店に無口な客として訪れる事くらいのもの。
恋に落ちたと気づくまでの時間はとても幸せだった。
彼に出会えた日は、それだけで幸せな気分でいられた。
たとえ彼に会えなくても、ただただ彼の事を思うだけで心は満たされた。
そして、彼のことを知るたびにどんどんと好きになっていった。
いや、新しく彼のことを知らなくても、今何をしているのか、私が見ているものを見てどんな事を思うだろうかと考えるだけでその気持ちは大きくなっていった。
そして気づいた。
私は恋をしているのだと。
気づいてしまった。
これが恋だという事に。
そして願った。
彼も私の事を思ってくれている事を。
願ってしまった。
私も彼に、愛してほしい、と望んでいる事に。
つらい。
つらい、つらい。
つらい、つらい、つらい!
どうしてこんな想いを抱えているのだろう。
彼のことばかり考えて、彼に近づく事さえ出来ない弱い自分を嫌いになって。
いっそ「好きです」と言えたら楽になるのだろうか。
……ダメ。
そんなの、ダメだ。
ダメダメダメ、そんな恐ろしい事なんて出来ない!
もしそんな事を言って断られでもしたら……
もし思いを伝えて、嫌われてしまったら!
……私はショックで死んでしまうかもしれない。
つらい。
つらい、つらい。
つらい、つらい、つらい!
どうしてこんな思いをしているのだろう。
彼に思いを伝える事なんて出来ない。
だからと言って、忘れる事なんて出来る訳が無い。
何もしなくても、何もできなくても、胸の痛みは日に日に強くなっていく。
つらい。
つらい、つらい。
つらい、つらい、つらい!
どうしてこんなにも苦しんでいるのだろう。
誰か、誰か助けてほしい。
誰でもいい。
誰か、私を助けて……
ううん、誰でも良くは無い。
そんな時でも思い浮かぶのは彼の顔ばかり。
私は痛む胸を押さえつつ、毎晩のようにその痛みの元凶となった彼に助けを求めるのだ。
「助けてください、霖之助様」
~☆~
そして、また今日も彼の働く店へと足を運ぶ私。
見つめているだけでは、彼との距離が近づく訳が無い。
そう思いつつも声はかけられない。
意気地なし、と自分を罵倒してみても、頑張れ、と自分を鼓舞してみても、私の口からは言葉が紡がれない。
頭の中では色々な言葉が溢れてくる。
でも、それを世界に放つ事がどうしても出来ないのだ。
だから、私は彼を見つめる。
ただ、それだけ。
でも、こうして見つめていると彼の事が段々と分かってきた。
無愛想で、よくこの店の旦那さんに、「客商売だぞ、もっと愛想良くしろ!」と怒られている彼。
でも、道具を手入れしている時は、とても優しい目をしている。
私もこの店の商品になって、彼に手入れされたいなんて思ってしまう。
いや、でも、身体中を拭かれたり、触られたり、じ~~~っと見つめられるのはちょっと……いや、かなり恥ずかしい、かも。
嘘を吐く時、顔色があまり変わらない彼。
でも、喋るときに独特の間が開いてしまうので、常連さんにはすぐばれてしまい、しどろもどろになっている。
そんな彼を見ていると助けてあげたい様な気持ちになる。
でも、私には彼みたいに奥深い知識もなければ、辻褄を合わせる話術も持っていない。
その前に、彼の前では話せないのだから、ちょっと無理だ。
普段はとても口数が少ない彼。
でも、商品の由来や、歴史の事になると立て板に水のごとく喋り始める。
目をキラキラと輝かせ、大げさな身振りで喋る彼は子供みたいで可愛らしいと思ってしまう。
私にも、あんな風に話をしてくれないかなぁ―――
「いらっしゃいませ」
「きゃん」
いつの間にか彼が目の前にいた。
私の口から思わず妙な声がこぼれる。
なんて声を出しているんだ私は……変な子と思われてなければいいのだけれど。
「おや、また来ていたのかい。今日は何をお探しですか?」
その言葉に、私は歓喜に震えた。
その言葉に、私の中の想いが二倍に膨れ上がった。
その言葉に、体中が歌い始めそうになる。
彼の言葉を聴いた瞬間、私は幸せに包まれてしまった。
私の事を覚えていてくれている。
その事が分かっただけでも、嬉しくてたまらない。
喜びを隠し切れない。
今だったら、空も飛べそうな気になってくる。
舞い上がる心、ドキドキと高鳴る心臓、混乱する頭。
「どうされました?」
ちがうちがう、喜んでいる場合じゃにない。
ちゃんと返事をしなければ。
な、なにか、なにかなにか、何か何か何か何か何か。
えいっとばかりに手近に有った品物を掴み、彼の前へと差し出した。
「こ、こっ、これくだしゃい」
……………噛んでしまった。
よりにもよって彼の目の前で噛んでしまうなんて、何をやってるんだ私は。
恥ずかしくて顔から火が出てしまいそう。
真っ赤になった顔を見られたくなくて、自分の足元を見つめる。
もう、彼の顔なんて見れはしない。
絶対に変な子だと思われたに違いない。
本当に駄目な子だ私は。
あぁ……もう………死にたい…………。
不意に手のひらが軽くなった。
「12銭になります」
「え?」
何事も無かったかの様に私の手から商品を受け取り、値段を告げる彼。
もしかして噛んでしまった事ばれてない???
様子を伺っていると、もう一度彼の口が開かれた。
「これは、ふたつで12銭の品物ですよ」
そうだ、お金払わないと。
呆としていた頭を振り、財布を取り出す。
え~と、10と1、2銭。
うん。ちゃんとある。
「こ、これ」
汗ばむ手でお金を差し出す。
「はい、12銭ちょうど頂戴します」
彼はお金を受け取ると、代わりに小さな袋を差し出した。
いつの間にか商品を包んでくれていたのだろう。
「こちらが商品になります。またのお越しをお待ちしております」
そして、ぎこちないながらも微笑を浮かべて、商品を受け取った私を見送ってくれた。
/
雲の上を歩く様な感覚で家路をたどる。
彼が微笑んでくれたのは愛想笑いだというのは分かっている。
でも、それでも彼が微笑んでくれた事だけで私は幸せなのだ。
しかも、その笑顔は私に向けたもの。
あの笑顔は私のもの、私だけのもの。
あの瞬間、彼の笑顔を独占できたのは私だけ。
思い出しただけで頬が緩む。
うん、今日はきっと良い日だろう。
これから先、どんな艱難辛苦に出会おうと、今日を思い出せば乗り越えられる気がする。
うん、決めた!
今日が、私の人生最良の日だ!
ニコニコと家路を歩いていたが、ふと我に返り手の中の小袋を見る。
そういえば私は何を買ったのだろう?
ガサガサと袋を覗くと中には紅い玉が4つ入っていた。
いや、よく見れば紅い玉が2つ付いた髪留めが2つ入っていた。
何でこんな物買ったんだろう?
いまさらそんな事を言ってもしょうがない。
また、無駄な買い物をしてしまったとも思うが、せっかく買ったのだから付けてみよう。
頭の上のほうで髪を左右で括ってみる。
そして、近くの水辺に自分の顔を映してみる。
なかなかコケティッシュな感じでいいんじゃないだろうか。
もしかしたら彼も「良く似合っているね」なんて言ってくれるかもしれない。
そんな馬鹿なと、思いつつもほんの少し期待してしまう。
……うん、しばらくこのままつけていよう。
/
時間はいつだってゆっくりと流れている。
風は穏やかに流れるし、光はいつだって降り注いでいる。
変化の無い日常。
それが当たり前で、だからこそ日常で、いつだってこんな毎日が続くと思ってる。
でも、世界がガラリと変わる瞬間がある。
きっかけは夕飯の時に父が口にした一言だった。
「お前に縁談の話を持ってきてやったぞ」
「え……?」
口元に持ってきた箸が止まる。
「おまえも年頃なのに浮いた話が全然無いだろう。だから、わしも心配して相手を探していたんだ。相手は長作という青年でな。彼はわしの部下なんだが、礼儀も正しく仕事も出来る。なかなか見所のある男だぞ」
「そんな……」
「まぁ、そう言わずに会うだけでも会ってみないか? きっと一目で気に入るはずだ」
あまりにも急な話にどうしてよいか分からず、母に助けを求めた。
「戸惑う気持ちはわかるわ。でも、会うだけでもあってみたらどうかしら。別にいきなり結婚しろって言っている訳じゃないのよ。誰か思い人がいるのなら、無理にとは言わないけど」
いる。
想い人ならいる。
まともに話すことも、目を合わせることも出来ない相手なのだけど、私には霖之助様がいるのだ。
だからこの縁談は受けられない。
そう言わなければ。
「あ、あの、お、おも……」
「あら、その様子じゃ本当に想い人がいるみたいね。この縁談は縁が無かったということにしましょうか」
私が最後まで言い切る前に母が結論を出してしまった。
さすがは母様だ、私のことを何でもよくわかっている。
親子だからか、それとも同じ女だから分かってしまうのか。
それとも私が特別分かり易いのだろうか。
どちらにせよ、私の事をよく理解してくれる頼もしい味方には変わりは無い。
「何だそうなのか。まぁ、好いた男がいるのならそれと一緒になるのがこの子の一番の幸せか」
それに、父だってそう。
心配しすぎで私を困らせることも有るけれど、本当に私の幸せを願ってくれている。
こんなにも優しい両親を持った私は幸せ者なのだろう。
「ところで肝心の相手どんな男なんだ?」
「そういえば誰かしらね。幼馴染の進吉?それとも煙草屋の弥七?最近良く行く茶屋の若旦那とか?」
母が私の顔をジッと見つめながら知り合いの男の人を次々と挙げてゆく。
いけない、このままではバレてしまう。
「政吉……権太……霖之助」
「はぅ」
彼の名前の呼ばれると思わず顔がが熱を持つ。
バレた、きっとバレてしまった。
恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい
「ちょっと、あなた本気なの!?」
恥ずかしい……って、え?
「霖之助ってどんな奴なんだ?」
「ほら、霧雨さんの所で働いてる。眼鏡を掛けた」
「あの妖混じりか!?」
どうしたというのだろう。
何故、父とは母こんなにも慌てているのだろう。
「駄目だ! 駄目だ駄目だ! 悪い事は言わない、妖混じりはやめて他の男にしておきなさい!」
「そうよ! まだまだ世間の妖怪に対する風当たりは強いわ。御近所さんに何を言われるか判った物じゃないわ!」
「それに年だって違いすぎる。あの男はわしが物心ついたときからあの姿をしていたんだぞ!」
その瞬間、世界に亀裂が入る音がした。
「どう……して……?」
どうして私の大好きな彼を悪く言うの?
「お前の為を思って言っているんだ」
「そうよ、あなたのには幸せになってほしいのよ」
「そんな……」
二人は私の味方ではなかったの?
「あなた、さっきの縁談の話ですけど受けましょうよ」
「そうだな、この子も会えば彼の良さに気づくはずだ」
私の幸せを願ってくれているのに、何故彼のことを、この思いを忘れろというの?
「おい、どこへ行くんだ!」
「ちょっと待ちなさい!」
気がつけば私は家を飛び出していた。
/
どこへ行きたいのかも解らないまま走る。
ただ、私の思いを理解してくれない両親から逃げ出したかった。
彼のことを忘れたくない、諦めたくなんか無いのに、どうして解ってくれないの?
何故?どうして?と心の中で叫び続ける。
もっと、早くもっと遠くへ逃げなければ理解の無い両親に捕まってしまう、そんな恐怖が私の体を動かしていた。
どれくらい走っただろうか、気がつくと目の前に人影があった。
「きゃ!」
「おっと」
ぶつかり地面に投げ出される。
痛い。
ぶつかった相手のほうはすぐに立ち上がり、服についた土を払っている様だけど、私のほうはそうは行かない。
ここまで走ってきたせいで息が上がっていて、立ち上がる事はおろか、ぶつかった事を謝る事も出来ないのだ。
しかし、しばらくするとそんな私に手が差し伸べられる。
顔を上げるとそこには見知った彼の顔が有った。
「霖之助……様?」
どうしてこんな所にと思ったが、よく見ればここは彼の勤めている店の傍ではないか。
私は知らず知らずの間に、いつも通り慣れた道を走っていたのだろう。
でも、よりにもよって彼とぶつかるなんて何か運命的なものでも働いているのだろうか。
「おや、君は店に良く来てくれる子じゃないか、こんなに急いでどうしたんだい」
彼が私の顔を覗き込む。
「……もしかして泣いているのか?」
家を飛び出してしまった不安。
そして、そんな心細い中で彼の顔を見れた嬉しさ。
だから、涙が零れるのを止められなかった。
自然と零れはじめた涙の止め方なんて、私はまだ知らない。
「う、うぅ、うあぁ、あぁぁぁ……」
零れてくる涙と共に、想いの本流も流れてきた。
彼はびっくりしながらも私をなだめてくれる。
だから、私は、止められない涙と、溢れてくる想いを、彼に話し始めた。
霖之助の事を好きになってしまった事、ずっと見ていた事、両親に反対され別の人と見合いをするように言われ家を飛び出してしまった事、そして。
「どうか一緒に逃げてもらえませんか」
ああ、言ってしまった。
今まで、何一つ彼の前では話せなかったけれど。
私はついに言ってしまった。
でも、これでいいのかもしれない。
もう家を飛び出してしまったのだ。
両親の言われるままにお見合いをして結婚をする、そんな未来は想像できない。
だから、彼と共に逃げるか、それとも一人でどこまでも逃げるか二つに一つしかない。
不安が私の心を破壊する。
期待が私の心を再生させる。
彼が答えを出すその瞬間まで、私の心は永遠に生まれ変わる。
「すまないがそれは出来ない」
彼の言葉に、心は再生を止めた。
あぁ、駄目……ですか。
こんな急に、好きです、一緒に逃げてください、なんて言われて上手くいくはず無いのは分かっていた。
でも、こんな時に出会えるなんて運命なのではないかと思ったりもした。
もしかしたら、告白すれば上手くいくのではないかと日々夢を見ていた。
もしかしたら、彼も私の事を好いてくれているのではないかと願ったりした。
でも、そんな願いはあっさりと敗れた。
私は振られたんだ。
これが、失恋、というもの。
「僕はここで商売を覚えて、ゆくゆくは自分の店を持ちたいと思っているんだ。だから君と共に逃げる事は出来ないよ」
ガラガラと足元が崩れるような、立っているのに落ちているような感覚。
耳がクワンクワンと鳴り、彼の言っている言葉も上手く聞き取れない。
視界がぼやけ彼がどんな顔をしているのかもわからない。
うん……もう……いいや……
「君の事を嫌っているわけじゃないけど、僕は君の名前すら―――おい君、どこへ行くんだ」
~☆~
里を飛び出した私は、暗く深い森を歩く。
ここは両親に入ってはいけないと言われていた魔法の森。
だけど、もう……いい。
今更家に帰れないし、里に居る彼と会わせる顔も無い。
それならばいっその事、どこかで野垂れ死にでもしたほうがマシだ。
もしかしたら、妖怪に食べれらるかもしれない。
とにかく、もう、生きる必要がなくなったのだ。
生きる意味を失ったのだ。
未来なんて、願いなんて、恋なんて、もぅ、何も、いらないから。
そう思い森へ向かったのだ。
そこで待っていたのは誰も居ない心細さ。
日もすっかり暮れ、私を包み込む闇。
何時、妖怪に襲われるかわからないという恐怖。
怖い。
闇が怖い。
木々のざわめきが怖い。
獣の遠吠えが怖い。
だけど―――
里に帰り両親と会うのも怖い。
彼と顔をあわせるのも怖い。
帰りたい。
帰りたくない。
死にたい。
死にたくない。
そんな矛盾する心を抱え、ぽろぽろと涙を流しながら歩いていた。
歩いて
歩いて
歩いて
歩いて…………
どれくらい歩いただろうか。
不意に木々が視界から消え、目の前に紫色の平原が広がっていた。
いや、よく見ればただの平原じゃない。
これは花畑。
あたり一面に広がる花、花、花、彼岸花の群れ。
彼岸花の赤に夜の濃い藍色と月明かりの白が合わさり紫色に見えたのだ。
そう、何時の間にか森を抜けてしまっていたのだ。
「は、ははは」
思わず口から笑いが漏れてしまう。
死のうと思い森に入り、死ぬかもしれないと思いながら森を歩いていたというのに、いつの間にか森を抜け、目の前にはご褒美のような美しい風景が広がている。
「死ぬなと言う事かしら」
ここまで歩いてきてすっかり頭も冷えた。
よくよく考えればすべて私が悪かったのだ。
父も母も引っ込み思案の私を心配してくれていただけだった。
それに彼のこともしっかり話せばきっと判ってくれる。
あの二人は、私の気持ちを頭ごなしに否定するような親じゃないはず。
そして彼、霖之助様もいきなり名前も知らない女に一緒に逃げてくださいなんて言われて、”はい”と言えるほうがおかしいのだ。
だから帰ろう。
そう、帰って三人に謝ろう。
謝って、何もかも謝って、また、もとの世界に戻ればいい。
ゆっくりと流れる風に身を晒せばいい。
溢れる光に目を細めればいい。
無限の未来に、生きていけばいい。
クイッ
不意に左手を引かる。
「?」
振り返り、周りを見渡しても誰も居ない。
おかしいなと思い、下を見下ろすと左手の手首から先に毛皮が生えていた。
「え?」
なんだろうこれは?
左手が徐々に熱を帯び、痛みが走り、グルグルという耳障りな音が聞こえる。
違う!?
これは毛皮じゃ無い、犬か何かの妖怪だ。
妖怪に腕を齧られているのだ。
「いやぁぁぁぁぁ!!!」
必死になって妖怪の頭を叩く。
妖怪も負けじと牙を腕に食い込ませ、爪を振り回し私のわき腹を裂く。
痛い、痛い、イタイ
駄目だ、このままでは食べられてしまう。
とっさに足元の石を掴み、妖怪の頭に打ち付ける。
「離せ、離せ、離して、離してよ、お願い離して!」
打つ、打つ、打つ、打つ。
十ほど打ち付けた頃だろうか、妖怪から力が抜けボトリと地面に転がった。
やった……勝った。
恐る恐る左手を確認する。
しかし、そこには手と呼ばれる物は無かった。
肘の先にあるのは、紅く染まった骨と腱にぶら下がった肉の塊だけだった。
「あ、あ、あ、あぁぁぁぁ!」
どうして、どうしてこんな事に、帰ろうと思った矢先にこんな事になるなんて。
背後からグルグルと耳障りな声が近づいてくる。
森を抜けたと言ってもまだ此処は妖怪の縄張りなのだ。
そして、妖怪は一匹しか居ないわけじゃない、早く逃げなければ。
死にたくない、私は家に帰るんだ死にたくなんか無い。
涙をこらえ、近づいてくる唸り声とは逆のほうへと走った。
/
「はぁ、はぁ、はぁ、」
どれくらい走っただろう、どれくらい歩いただろう。
どんな道を進んできたのかもわからない。
左腕とわき腹からはどんどんと血と熱が流れ出し、腕の痛みで頭がくらくらとする。
もう、動けそうにない。
私は砂利の敷き詰められた地面にへたりこむ。
きっと、私は此処で死んでしまうのだろう。
里に帰りたい一心でくたびれた体を動かしてきたけれど、たどり着いたのは里とは似ても似つかぬ川原だった。
私のほかに何も生き物が居らず、いくつもの幽霊がさまよい、霧が立ち込め向こう岸が見えないような川。
来たのは初めてだけれど此処が何処なのか判った。
彼岸と此岸を繋ぐ川。
三途の川。
「う、うぅぅ……」
親の言う事を聞かず家を飛び出し、親よりも早くに死んでしまう、そんな親不孝な私が死ぬのには、なんともおあつらえ向きな場所なのだろう。
あぁ、せめて、せめてもの償いとして。
死ぬまでは此処で石を積みかさねよう。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
後悔の念と共に石を積み上げる。
どうしてちゃんと話し合いもせずに家を飛び出してしまったのだろう。
どうして自分の思いを伝える事ができなかったのだろう。
石を積む。
どうして私はこんなにも人に対して臆病なのだろう。
どうして私は無茶な事をしてしまったのだろう。
石を積む。
今度生まれ変わったらもっと素直な子になりたい。
今度生まれ変わったら自分の名前くらいはっきりと言える明るい子になりたい。
石を積む。
崩れる。
「うぅぅ……」
どうして崩れるの?
こんな事も出来ないなんてもう嫌。
いえ、石が崩れたのは私がきちんと積まないから。
これは罰なのだから受け入れないといけない。
私が迷惑を掛けた人のためにも、もう一度石を積むべきなのだ。
泣きながら、どうしようもなく震える残った方の手で、徐々に体が冷たくなっていくの感じながら、再び石を積む。
「そうです、しっかりと反省なさい」
いつの間にか、目の前に私よりも少し若いくらいの女の子が立っていた。
鎌を持っていないけど、もしかしたら死神なのだろうか。
それとも、積んだ石を崩しに来た鬼なのだろうか。
石の塔を守ろうにも、もう体が動かない。
せっかく積んだのにまた壊されてしまうのだろうか。
悲しくて、悔しくてまた涙が溢れ出す。
「私は四季映姫、幻想郷の閻魔です。あなたの行いを見ていましたよ」
鬼……じゃない?
閻魔様がいらっしゃるなんて、私はもう死んでしまったのだろうか。
いえ、死んでいるにしろ、生きているにしろどの道こんな親不孝な私は地獄行きなのだろう。
「あなたは、少々思い込みが激しく、自分の気持ちを胸の中に溜め込み過ぎる傾向があります。そんなだからあなたは一人で暴走してこんな目に遭うのです。あなたのできる善行はもっとおおらかに、素直に生きることです……と言いたい所ですが、あなたにはもう、善行を詰めるような時間は残っていませんね」
やはり、私は此処で死に、そして地獄に堕とされるのだろう。
ごめんなさい、お父さん、お母さん。
「しかし、こうして反省している者が地獄に堕とされるのを見てはいられません。どうでしょう、あなたにその気があるのならば私の下で働いて善行を積んでみませんか?」
彼女は私が死なずにすむと言っているのだろうか。
考えるまでも無い、藁にもすがる気持ちで頭を縦に振る。
「そうですか、判りました。あなた、名前は?」
「こ……まち」
擦れた声を何とか絞り出す。
「では小町、しっかりと働き一刻でも早く天国へ行ける様に善行を積むのですよ」
~☆~
無縁塚の一角、桜の木のほとりで小町は大く伸びをする。
「ん~。懐かしい夢を見たもんだねぇ」
コキコキと肩のコリをほぐしつつ、辺りの様子を伺う。
幸いにして、おっかない上司の姿は見当たらない。
「おや?」
遠くのほうに人影が一つ。
徐々に大きくなるそれには見覚えがあった。
それは、先ほど夢で見た彼……霖之助だ。
どうせ此処の墓を荒らしに来たのだろう。
罰当たりなヤツだな。
今までサボっていた自分の事を棚に上げてそんな事を考える。
徐々に大きく、鮮明になっていく霖之助の姿を見ても、以前のように胸がドキドキするような感覚は無い。
ただ、懐かしいような、くすぐったいような、そんな感じがするだけだ。
きっと、以前のような恋の花が咲くことは無いのだろう。
そうなってしまったのは、時間が経ち過ぎてしまったせいなのか、それとも一度振られてしまったせいなのか……
「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世に振る 霖せし間に……なんてね」
理由はどうあれ、もう以前のような恋心が戻ってくる事は無いだろう。
しかし、彼のことを嫌いになった訳ではない。
今も感じる、懐かしいような、くすぐったいような気持ちも嫌いじゃない。
今日も、そんな気持ちを感じたくてこんな所で寝ていたのだ。
以前に望んだような関係になるようなことは無くても、新しい自分で、新しい関係を築いていけばいいだけの事。
あせる事は無い、この心地良い毎日を続けていけばいいんだ。
だから今日もおおらかに、素直に、そしてのんびりと善行を積むとしよう。
「やあ、小町じゃないか。こんな所でお休みとは、今日もさぼっているのかい」
いやいや、結構話に引き込まれてしまいました。
こういう設定も良いものですね。
面白かったです。
思わず嫉妬しそうだぜ!
面白い話でした
オリジナルキャラかと思ったら小町ぃィイいいい!!??
すげー事思いつきますね
そして無縁塚と霖之助となんとも言えぬ符号の具合。
…良いです。
それにしても乙女だったこまっちゃんカワイスw
長い時間を経て、今の開けっ広げな感じになったこまっちゃんにリアルな匂いを感じます。
オリジナル要素を含んでいる可能性とはいえ、まさかここまで話に引きこまれてしまったとはァ……
面白かったですとも。
予想できない展開に驚きを隠せません。