※
「*おおっと*
人が来たか。あぁ、私はただの注意書きの式だ。あまり気にしないでいい。
この先に進もうとする人に注意をしろってご主人様から言われててね。
退屈かもしれないが少し聞いていくがいいさ。
えーとなになに。
この先には妙な文章が山ほど待っている。アレルギー性の人が進むなら覚悟を持って進むこと。
・・・らしいね。え? 先に進んでどうしようもなくなったらどうなるかって?
はは、いい質問だ。その答えはそこにある。
そら、そこに注意を無視して突っ込んだ、愚かな作者の屍が転がってるだろう・・・?」
-あの空を貴女に-
堅牢な楼閣は血に塗れていた。
どこかしら中国を思わせるその建物の石畳を、少女はこつこつと音を立てて進む。時折そのリズムが狂うのは
足元に転がるものを避けているからか。酷い有様、そう形容することも生ぬるい光景がそこに広がっている。
武器も鎧も肉も血も全て無造作に散らばっていた。それらの中に動くものは一つとしてない。少女の足音
だけが妙に響いている。
少し時間をかけ、少女は目的の場所に着いた。豪奢な内装を悪趣味にもドス紅い色に染めあげたそこは、
いわゆる王の間。そこも楼閣の他の場所と同じくして全ての灯りが落ち、幾つかの明り取り窓と正面の開け
放たれた入り口からの日光でようやく暗闇から逃れている始末である。その入り口に少女が立ったせいで、
影の色はもう一段濃くなった。それを受け、もぞりと玉座で何かが動いた。王ではない。そこに座るはずの彼は
すでに壁の染みの一部となって悪趣味さに拍車をかけるアクセサリーと化していた。
「誰だい?」
気だるげで不機嫌な女の声。玉座から入り口の少女を見やるその目には、荒ぶりを抑えきれない獰猛な
野生と寂寥を隠し切れない理性の色がどろりと混在していた。入り口の少女はそこに美を感じる。闇に
慣れた目はゆっくりと相対する存在を浮かび上がらせる。玉を磨いたように白く美しい肌。金糸を織り上げ月の
光で洗い染めたような髪。しかし女を異形たらしめているのはその腰からあふれるように生えた九本の狐の尾。
女の着る絹の服も含め全てがべっとりと返り血を浴びてその美を死の色で覆っている。だが少女はそんな
殺戮化粧の女ににこりと笑みを返した。
「わたしはどこにでもいるものよ」
ふん、と九尾の美女は凶悪な笑みを浮かべ、鳶色の瞳に少女の姿を映す。すらりと立つ少女は思った以上に
背が高く、幼さを感じる美貌と反してアンバランスに成熟した体を紫と白の高貴そうな服で包んでいる。赤い
リボンのついた白いキャップからは、太陽の光をまとめて漉き上げたような長髪をいくつものリボンで飾りたてている。
それらを日傘で覆い、美しい
という言葉が陳腐な表現に成り下がってしまうほどの相貌には、にこやかな笑みが張り付いていた。状況だけで
いえば、どこかの貴族の娘が知り合いである王のもとに遊びにでも来た、とも見え
るだろう。果たしてそのような
訳はなかった。何処の人間の娘がこの屍の城に笑顔で遊びに来るというのか。故に、九尾の美女はこの少女を
得体の知れない何かと位置づける事にした。そして自分の優位を作るために探りを入れる。
「で、そのどこにでもいるやつがこんなところに何の用だい? 宝物庫でも漁りに来たか。血と肉の臭いにつられて
食事でもしに来たのか・・・それとも、この玉座でもご所望かい?」
音もなく玉座から立ち上がり、右手でぽんぽんと玉座の背もたれを叩く。紫檀と青銅、金箔とありとあらゆる
宝石で造られたそれは死色の間でも燦然とその存在を誇っている。入り口に立つ少女はそれをちらりと一瞥して、
言った。
「わたしが欲しいもの。そうね・・・螺子かしら。とてもとても大きくて、無理に普通の螺子穴に入れたならそれを
壊して使い物にならなくしてしまう。合う螺子穴が無いものだから、何時もひとりで転がっている。そんな螺子」
その言葉を聞いて九尾の美女の表情が歪む。少女の得体の知れなさが増したからだ。それと同時に、
怪しげな危機感も。九尾の美女は更に、分りやすい方法で少女を推し量ることに決めた。
「螺子・・・。螺子ねぇ。そうかぁこの玉座は要らないと言うか。はは、だがこんな良い物滅多に無いぞ。
あまりつれない事言ってくれるなよなァッッッ!!」
何かが空を切る音がし、次の瞬間には九尾の美女の左手にばらばらに砕けた玉座があった。
今の瞬きするほどの間の攻防を何があったか説明できる人間はまずいまい。そこそこに力のある妖怪や仙人
だとしてもだろう。事を細かに書くとこうなる。
九尾の美女は己の言葉が終わるや否や玉座を掴み少女に投げつけた。それだけでもう人知を遥かに超えた
所業。大人数人分の重さはあろうそれを軽々と片手で、小石でも投げつけるかの如く恐ろしい速度で少女に
放つ。当ればそこここに転がる肉塊と同じ末路だがしかし、九尾の美女がそれを想像する間もなく少女の
目の前の空間が裂けた。同時に美女の左側一間ほど先にも同じ事が起きる。玉座は少女の目の前の
裂け目に吸い込まれつつ美女の隣の裂け目から勢い殺されずに姿を現す。玉座の投げ手はそれを察知したと
同時に左手で受け止め、その衝撃で玉座は脆くも崩れ去った。
手についた屑をぱんぱんと払いながら九尾の美女は笑顔を見せた。それも、偽りの。
「さてさて、どうしたものかね。欲しがるものを聞けば明瞭な言葉は返って来ず、玉座を進呈してみたものの
あっさり断られ・・・・・・。もう一度聞く。貴様は誰だ。何が目的だ。理由の如何によっては死んでもらう」
偽りの笑顔であるから言葉の終わる頃には簡単に剥げ落ちてしまう。無機質な瞳に映る少女はいまだ
その表情を変えていないというのに。
「理由の如何に関わらず、でしょう? ふふ、できるといいわね、心から願ってあげるわ。さて、余り意地悪するのも
いけないわね。私の名は八雲 紫。私が望むものは先程も言った通り、今私の目の前に寂しそうに転がって
いる螺子ね」
言葉どおりに捉えても当然螺子など何処にも転がってはいない。少女の目の前にいるのは九尾の美女だけだ。
少女は自分の答えに満足だったのか、鈴の音色のような笑い声を上げた。途端に美女の表情が険しくなる。
「ふん、名前を教えて頂いてどうもありがとうヤクモユカリ殿。その礼と言っちゃあなんだが私の嫌いなものを教えて
やろう。一つは一々回りくどい喋り方しかできない奴。もう一つは・・・テメェが一番偉いと思い込んでる奴さァッッッ!!!!」
王の間の入り口が壁の大半ごと抉られ吹き飛んだ。中庭に向けて幾つもの破片が転がっていき、砂塵が日光の
下もうもうと沸き起こる。それですら隠し切れない巨大な影がそこにはあった。齢千を越えた杉が如き力強き四肢、
小さな蔵をひと隠しするほどの巨躯、その一本一本が竜のようにのたうつ九尾。それらを金毛に包んだ九尾大妖狐
こそ美女の真の姿。大人の腕で一抱えもありそうな鬼灯色の瞳はぎょろぎょろと辺りをねめ回し、一本ごとが業物の
刀のような牙ぞろりと並ぶ、真っ赤に裂けた口からは獣性隠すことなき息を吐き出している。見たもの全てに畏怖を
与えるその獣はしかし、激怒恐怖焦燥、様々な負の感情をない交ぜにして、押し殺せないでいる。空をも
割けよとばかり、一声高く鳴いた。
「あらあら。人恋しさに泣いているのかしら?」
大妖の視線が一点に凝縮する。宙に浮かぶ日傘の少女。大妖の爪が届きそうで届かないほどの距離に
八雲 紫はあの笑みと共にある。不意打ちそのものの変化と同時の体当たり。直撃は玉座の比でないそれを紫は
いとも容易く回避している。大妖は百年の敵と遭いまみえた様に、それとも百年の恋の相手に出会ったかのように
にやりと口元を歪めると己の妖力を無数の光弾に変え中空にブチ撒けた。世の理を愚弄するかの如く、地から
天に降り注ぐ炎よりも熱い雨を。
対照的に優雅な舞踏で紫は死の光弾をかわしていく。僅かばかりの生の空間に飛び込む軽やかなステップ。
くるりと日傘が回るたびに触れた弾が雨粒のように飛散する。何処までも少女は楽しそうに華麗に舞った・・・
「・・・オオオヲヲヲォォォンッ!!」
狐の大妖が吼えるまでは。途端に無作為にばら撒かれていた全ての凶弾が『あの女を殺せ』と意思を持つ。
光弾が一つ残らず紫に殺到し、最も手近な一つが白魚のような指の並ぶ手を打った。落とした日傘が飢えた
魚に投げた麩菓子もかくや、一瞬でその形を失った。次に食われるはずの少女は360度全方位から押し寄せる、
それぞれが必殺の一撃を涼やかに見やり、今までで一番嬉しそうに口の端を大きく吊り上げる。禍々しいほどの
美しさをあからさまにしながら。
「・・・そう、遊んで欲しいのね」
断続的な三度の破壊音。最後の一度がすると同時に五重塔の基部が吹き飛び、そこから勢いよく転がり出す
巨大な影ひとつ。二、三度地面にバウンドして力無く地面に横たわった。痙攣する前脚で数度狂ったように
宙を掻くも掴むものは何も無く、やがてぐたりと地面に投げ出される。その痛ましい姿を曝したのは九尾大妖狐。
その体躯は己の血と砂埃に汚れ金色の美しさは見る影も無く、開け放たれた口からは燃えるような赤い舌を
べろりと出し、矢継ぎ早に苦しい息をしている。同時に傷口が広がり、乾いた地面に深紅の水溜りをいくつも作った。
直線的に並んだ他の二つの鐘楼の後を追う様に、根元を破壊された五重塔があっけなく崩壊し始めた。
人間の英知が音を立てて崩れるその光景を切り裂いて、紫が狐の前に現れる。
「もうお休みの時間?」
空間を弄れる者にとって全包囲攻撃など意味を為さない。結局あの後、紫は自らの能力で空間を切り裂き、
その次元の隙間に身を躍らせることでいとも簡単に必死の難を逃れた。隙間・・・『スキマ』と紫が呼ぶそれは彼女の
基本中の基本の能力。絶対的な防衛手段であり反撃手段にもなる。最も紫から言わせればその程度は本領の
一厘にも満たない使い方らしいが、しかしその一厘と、紫がさも手を抜いてますといわんばかりに放つ攻撃で大妖は
一方的にその身を引き裂かれその心をひび割れさせている。しかしまだ、折れてはいなかった。
目端に笑顔の少女を確認すると、丹に力を込め、全ての気力を注ぎ込む。四肢に力を宿し、ゆっくりと傷ついた
体を持ち上げる。ずず、と小さな山のような体が中空に浮く小さくも強大な少女と対峙した。プライドの残りカスを
ニトロに変えて血に流し込み、悲壮感さえ感じる凄惨な笑みで少女の言葉に答える。まだ、終わっちゃいないよと。
すぅと息を吸うだけで大気が鳴動する。ぎらぎらと輝く瞳には覚悟の色が混ざっている。それを直視しながら
紫は喜色ばむ。
「そう。それが貴女よ。退廃に濁る事も、孤独に沈む事も無いその色こそ貴女。・・・美しいわ。
そうでないと私には相応しくない」
音無き音の裂帛と共に、一瞬で収束された妖力が巨大なレーザーと化して美獣の眼前全ての物を飲み込んでいく。
後に狐狸妖怪レーザーと呼ばれるそれはしかし、今放ったものとは大きく違う。何がかといえば、命を賭したか
否かの差。真っ白な光条に紫は笑みと共に掻き消えていく。それに飽き足らず光の奔流は幾つもの枝に分かれ、
屍の道も真っ赤な城壁も白砂の庭も薙ぎ潰していった。
精根尽き果てて妖力の束が消える。がはぁと血混じりの息を吐いて、地面にくずおれる九尾大妖怪。その
周囲は破壊に破壊を重ねられいっそ清々しくもある。空を飛ぶ鳥の声も、渡る風の音さえも無いこの空間にただ
激しい獣の息遣いだけがある。光は弱くもしっかと見開かれた瞳で周囲をせわしなく窺う。天にも地にも八雲 紫の
姿は無く、現れる気配も無かった。しばし呆然とした獣は自らの望みが適った事に鮫のようににたりと笑う。去ね、
消え失せろ、塵さえ残さず滅せよと、その想いが天に伝わったのなら足を向けて寝るのはすまい、などとそんな
馬鹿なことを思いつく。哄笑が知らず外へ漏れようとしたとき、
「えいっ」
その背に軽く何かが触れたと感じた瞬間には、大妖は無様に地面に縫い付けられていた。最早顔も腕も、九つの
尾さえもぴくりとも動かせず、絶大な圧力によって肺に空気を送ることもままならない。そんな瀕死の狐の上に、
紫は立っていた。当然の如く九尾の大妖には何が起こったのかすら分っていないだろう。『空と地の境界』、その
合間に閉じ込められたなどということは。
「がぁっ!!」
苦し紛れか、とうとう巨獣の変化まで解けてしまう。それで境界を抜けられるわけなど無く、出来あがった光景は
滑稽さと悲惨さが同居した絵柄となってしまう。巨大な異形の姿への変貌に耐え切れる衣服など無く、
したがって九尾の美女は裸身を外気に曝した格好となっている。女性として抜群のプロポーションは全身に
隈なく刻まれた大小様々の傷や痣で美しさを徹底的に破壊され、そしてその背に八雲 紫。決して重いとは
思えないはずの少女に乗っかられて、裸身の美女は痙攣を起こしつつも指先一つさえ自由にできないでいた。
ついに内臓がひしゃげ、数刻前の血の宴で食らった人間の肉片を胃液と共に盛大に吐き出す。流石にこのままでは
命を奪いかねないと紫は思い、境界を少しだけ弄った。彼女の死は本意ではない。
「げぅぅ・・・はぁ、はぁ・・・うぅッ・・・」
「もうお終い?」
ひとまず口は利ける程度に重圧を緩め背から降り、汚れた顔が見えるようにしゃがみこむ。見るに堪えない
有様ではあるが、睨み付けた目はまだ死んでいなかった。汚れた美女は最後の抵抗か、血と胃液混じりの唾を
吐きかける。それを首のひと傾げでひょいとかわす紫。あまりに簡単に避けられたせいで、怒りに眼を据わらせた
九尾の美女はあろうことか逆上した子供の様に更に同じ事を繰り返す。それを避け、直撃しそうになれば
スキマで封殺する紫。先の殺意に塗れた勝負の極小化とでも言うのだろうか、しかしそれにしては余りにあんまりな
光景だろう。とはいえこれで分ることもある。二人とも、極度に負けず嫌いであること。
先に折れたのは、やはり九尾の美女であった。
「殺せ」
「いや」
誇りを賭けた言葉を一刀両断される。愚かではない美女はその言葉を予想していた。そして考える。自分は
死にたいのかと。この身動きできない状況でも舌を噛み切れば死ねないこともあるまい。目の前の少女が望んでいる
事はそれで絶たれるだろう。そのときどんな表情をするのか、それが見れないのでは面白味もない。心の中で頭を
振って馬鹿げた考えを捨て去る。破滅を撒き散らした九尾の大妖怪の最期の死に様が、敗北の悔しさに自らの
舌を噛んで死ぬなどというのは最早喜劇だ。傾国の大妖怪ならもっと別のやり方があるだろう。そのような事を
一瞬で脳内で纏め上げ、美女はもう一度少女を見やる。
「私をどうする気だ」
「式に」
九尾の美女の目が驚愕に見開かれる。慰み者か下僕か、それを遥かに凌駕した答えが笑顔の少女から
返ってきた。式とはどういうものか、博識な狐の妖怪は知っていた。知っている事の残酷さが狐の心を震え上がらせる。
およそ式というものは全ての自我を上書きされ、使用者の思うがままの木偶としてろくでもない生を終える羽目に
なる。死を超越した屈辱を前に、もう一度思考が暴走混じりの加速を始める。どうするかの長い森を超え、
生きるか死ぬかの分岐点に何度も立ち、記憶の町並みを疾走する。そして、一筋の光明の道を見出す。それは
余りに細く狭く、通り抜けるのは一種の賭けだった。だが、美女は賭け事を嫌いとするタイプではなかった。賭けるのが
己の存在全てなどそうそう体験できやしないと精一杯の虚勢の声で、
「・・・好きにしろ」
「じゃあ好きにするわね」
ベットした言葉を承諾と受け取り、紫はつい、と人差し指を美女の額に押し当てた。
触れられたと認識する暇もあったろうか、先の重圧とは比べ物にならない地獄の苦痛が巻き起こる。例える
ことも難しいが、全身の細胞一つ一つ余すところなく、真っ赤に焼けた針金を通されるような感覚とでも言えば
いいのか。そのおぞましさにまず視神経が焼き切れた。美女の瞳はもう白い闇しか映さない。息をすることも忘れ、
陸に上がった魚のように口唇がわななくばかり。触覚もすでに無く、そのせいで九尾の美女は己が瞳から流れる
ものが涙でなく血である事すら分らない。鼻からも耳からも、およそ穴という穴から血液が噴き出し始めた。
紫が指を離すのがもうひとふた呼吸の時間ほど遅れていれば、九尾の美女の心臓は破裂していたに違いない。
気を失い、血と反吐と砂に塗れ痙攣を繰り返す哀れな美女を見下ろし、紫は深い溜息をついた。
「このまま持って帰ったら、部屋が汚れちゃうわね・・・。仕方ないか」
地面にスキマが開き、そこに九尾の美女の体がすとんと力なく落ちていった。少女も後を追う様にその中に
飛び込む。その姿が完全に掻き消えると、スキマも現れたときと同じように唐突に空間を閉じて消え去った。
後には血臭に染まる無人の楼閣だけが、音もなく残された。
「*おおっと*
人が来たか。あぁ、私はただの注意書きの式だ。あまり気にしないでいい。
この先に進もうとする人に注意をしろってご主人様から言われててね。
退屈かもしれないが少し聞いていくがいいさ。
えーとなになに。
この先には妙な文章が山ほど待っている。アレルギー性の人が進むなら覚悟を持って進むこと。
・・・らしいね。え? 先に進んでどうしようもなくなったらどうなるかって?
はは、いい質問だ。その答えはそこにある。
そら、そこに注意を無視して突っ込んだ、愚かな作者の屍が転がってるだろう・・・?」
-あの空を貴女に-
堅牢な楼閣は血に塗れていた。
どこかしら中国を思わせるその建物の石畳を、少女はこつこつと音を立てて進む。時折そのリズムが狂うのは
足元に転がるものを避けているからか。酷い有様、そう形容することも生ぬるい光景がそこに広がっている。
武器も鎧も肉も血も全て無造作に散らばっていた。それらの中に動くものは一つとしてない。少女の足音
だけが妙に響いている。
少し時間をかけ、少女は目的の場所に着いた。豪奢な内装を悪趣味にもドス紅い色に染めあげたそこは、
いわゆる王の間。そこも楼閣の他の場所と同じくして全ての灯りが落ち、幾つかの明り取り窓と正面の開け
放たれた入り口からの日光でようやく暗闇から逃れている始末である。その入り口に少女が立ったせいで、
影の色はもう一段濃くなった。それを受け、もぞりと玉座で何かが動いた。王ではない。そこに座るはずの彼は
すでに壁の染みの一部となって悪趣味さに拍車をかけるアクセサリーと化していた。
「誰だい?」
気だるげで不機嫌な女の声。玉座から入り口の少女を見やるその目には、荒ぶりを抑えきれない獰猛な
野生と寂寥を隠し切れない理性の色がどろりと混在していた。入り口の少女はそこに美を感じる。闇に
慣れた目はゆっくりと相対する存在を浮かび上がらせる。玉を磨いたように白く美しい肌。金糸を織り上げ月の
光で洗い染めたような髪。しかし女を異形たらしめているのはその腰からあふれるように生えた九本の狐の尾。
女の着る絹の服も含め全てがべっとりと返り血を浴びてその美を死の色で覆っている。だが少女はそんな
殺戮化粧の女ににこりと笑みを返した。
「わたしはどこにでもいるものよ」
ふん、と九尾の美女は凶悪な笑みを浮かべ、鳶色の瞳に少女の姿を映す。すらりと立つ少女は思った以上に
背が高く、幼さを感じる美貌と反してアンバランスに成熟した体を紫と白の高貴そうな服で包んでいる。赤い
リボンのついた白いキャップからは、太陽の光をまとめて漉き上げたような長髪をいくつものリボンで飾りたてている。
それらを日傘で覆い、美しい
という言葉が陳腐な表現に成り下がってしまうほどの相貌には、にこやかな笑みが張り付いていた。状況だけで
いえば、どこかの貴族の娘が知り合いである王のもとに遊びにでも来た、とも見え
るだろう。果たしてそのような
訳はなかった。何処の人間の娘がこの屍の城に笑顔で遊びに来るというのか。故に、九尾の美女はこの少女を
得体の知れない何かと位置づける事にした。そして自分の優位を作るために探りを入れる。
「で、そのどこにでもいるやつがこんなところに何の用だい? 宝物庫でも漁りに来たか。血と肉の臭いにつられて
食事でもしに来たのか・・・それとも、この玉座でもご所望かい?」
音もなく玉座から立ち上がり、右手でぽんぽんと玉座の背もたれを叩く。紫檀と青銅、金箔とありとあらゆる
宝石で造られたそれは死色の間でも燦然とその存在を誇っている。入り口に立つ少女はそれをちらりと一瞥して、
言った。
「わたしが欲しいもの。そうね・・・螺子かしら。とてもとても大きくて、無理に普通の螺子穴に入れたならそれを
壊して使い物にならなくしてしまう。合う螺子穴が無いものだから、何時もひとりで転がっている。そんな螺子」
その言葉を聞いて九尾の美女の表情が歪む。少女の得体の知れなさが増したからだ。それと同時に、
怪しげな危機感も。九尾の美女は更に、分りやすい方法で少女を推し量ることに決めた。
「螺子・・・。螺子ねぇ。そうかぁこの玉座は要らないと言うか。はは、だがこんな良い物滅多に無いぞ。
あまりつれない事言ってくれるなよなァッッッ!!」
何かが空を切る音がし、次の瞬間には九尾の美女の左手にばらばらに砕けた玉座があった。
今の瞬きするほどの間の攻防を何があったか説明できる人間はまずいまい。そこそこに力のある妖怪や仙人
だとしてもだろう。事を細かに書くとこうなる。
九尾の美女は己の言葉が終わるや否や玉座を掴み少女に投げつけた。それだけでもう人知を遥かに超えた
所業。大人数人分の重さはあろうそれを軽々と片手で、小石でも投げつけるかの如く恐ろしい速度で少女に
放つ。当ればそこここに転がる肉塊と同じ末路だがしかし、九尾の美女がそれを想像する間もなく少女の
目の前の空間が裂けた。同時に美女の左側一間ほど先にも同じ事が起きる。玉座は少女の目の前の
裂け目に吸い込まれつつ美女の隣の裂け目から勢い殺されずに姿を現す。玉座の投げ手はそれを察知したと
同時に左手で受け止め、その衝撃で玉座は脆くも崩れ去った。
手についた屑をぱんぱんと払いながら九尾の美女は笑顔を見せた。それも、偽りの。
「さてさて、どうしたものかね。欲しがるものを聞けば明瞭な言葉は返って来ず、玉座を進呈してみたものの
あっさり断られ・・・・・・。もう一度聞く。貴様は誰だ。何が目的だ。理由の如何によっては死んでもらう」
偽りの笑顔であるから言葉の終わる頃には簡単に剥げ落ちてしまう。無機質な瞳に映る少女はいまだ
その表情を変えていないというのに。
「理由の如何に関わらず、でしょう? ふふ、できるといいわね、心から願ってあげるわ。さて、余り意地悪するのも
いけないわね。私の名は八雲 紫。私が望むものは先程も言った通り、今私の目の前に寂しそうに転がって
いる螺子ね」
言葉どおりに捉えても当然螺子など何処にも転がってはいない。少女の目の前にいるのは九尾の美女だけだ。
少女は自分の答えに満足だったのか、鈴の音色のような笑い声を上げた。途端に美女の表情が険しくなる。
「ふん、名前を教えて頂いてどうもありがとうヤクモユカリ殿。その礼と言っちゃあなんだが私の嫌いなものを教えて
やろう。一つは一々回りくどい喋り方しかできない奴。もう一つは・・・テメェが一番偉いと思い込んでる奴さァッッッ!!!!」
王の間の入り口が壁の大半ごと抉られ吹き飛んだ。中庭に向けて幾つもの破片が転がっていき、砂塵が日光の
下もうもうと沸き起こる。それですら隠し切れない巨大な影がそこにはあった。齢千を越えた杉が如き力強き四肢、
小さな蔵をひと隠しするほどの巨躯、その一本一本が竜のようにのたうつ九尾。それらを金毛に包んだ九尾大妖狐
こそ美女の真の姿。大人の腕で一抱えもありそうな鬼灯色の瞳はぎょろぎょろと辺りをねめ回し、一本ごとが業物の
刀のような牙ぞろりと並ぶ、真っ赤に裂けた口からは獣性隠すことなき息を吐き出している。見たもの全てに畏怖を
与えるその獣はしかし、激怒恐怖焦燥、様々な負の感情をない交ぜにして、押し殺せないでいる。空をも
割けよとばかり、一声高く鳴いた。
「あらあら。人恋しさに泣いているのかしら?」
大妖の視線が一点に凝縮する。宙に浮かぶ日傘の少女。大妖の爪が届きそうで届かないほどの距離に
八雲 紫はあの笑みと共にある。不意打ちそのものの変化と同時の体当たり。直撃は玉座の比でないそれを紫は
いとも容易く回避している。大妖は百年の敵と遭いまみえた様に、それとも百年の恋の相手に出会ったかのように
にやりと口元を歪めると己の妖力を無数の光弾に変え中空にブチ撒けた。世の理を愚弄するかの如く、地から
天に降り注ぐ炎よりも熱い雨を。
対照的に優雅な舞踏で紫は死の光弾をかわしていく。僅かばかりの生の空間に飛び込む軽やかなステップ。
くるりと日傘が回るたびに触れた弾が雨粒のように飛散する。何処までも少女は楽しそうに華麗に舞った・・・
「・・・オオオヲヲヲォォォンッ!!」
狐の大妖が吼えるまでは。途端に無作為にばら撒かれていた全ての凶弾が『あの女を殺せ』と意思を持つ。
光弾が一つ残らず紫に殺到し、最も手近な一つが白魚のような指の並ぶ手を打った。落とした日傘が飢えた
魚に投げた麩菓子もかくや、一瞬でその形を失った。次に食われるはずの少女は360度全方位から押し寄せる、
それぞれが必殺の一撃を涼やかに見やり、今までで一番嬉しそうに口の端を大きく吊り上げる。禍々しいほどの
美しさをあからさまにしながら。
「・・・そう、遊んで欲しいのね」
断続的な三度の破壊音。最後の一度がすると同時に五重塔の基部が吹き飛び、そこから勢いよく転がり出す
巨大な影ひとつ。二、三度地面にバウンドして力無く地面に横たわった。痙攣する前脚で数度狂ったように
宙を掻くも掴むものは何も無く、やがてぐたりと地面に投げ出される。その痛ましい姿を曝したのは九尾大妖狐。
その体躯は己の血と砂埃に汚れ金色の美しさは見る影も無く、開け放たれた口からは燃えるような赤い舌を
べろりと出し、矢継ぎ早に苦しい息をしている。同時に傷口が広がり、乾いた地面に深紅の水溜りをいくつも作った。
直線的に並んだ他の二つの鐘楼の後を追う様に、根元を破壊された五重塔があっけなく崩壊し始めた。
人間の英知が音を立てて崩れるその光景を切り裂いて、紫が狐の前に現れる。
「もうお休みの時間?」
空間を弄れる者にとって全包囲攻撃など意味を為さない。結局あの後、紫は自らの能力で空間を切り裂き、
その次元の隙間に身を躍らせることでいとも簡単に必死の難を逃れた。隙間・・・『スキマ』と紫が呼ぶそれは彼女の
基本中の基本の能力。絶対的な防衛手段であり反撃手段にもなる。最も紫から言わせればその程度は本領の
一厘にも満たない使い方らしいが、しかしその一厘と、紫がさも手を抜いてますといわんばかりに放つ攻撃で大妖は
一方的にその身を引き裂かれその心をひび割れさせている。しかしまだ、折れてはいなかった。
目端に笑顔の少女を確認すると、丹に力を込め、全ての気力を注ぎ込む。四肢に力を宿し、ゆっくりと傷ついた
体を持ち上げる。ずず、と小さな山のような体が中空に浮く小さくも強大な少女と対峙した。プライドの残りカスを
ニトロに変えて血に流し込み、悲壮感さえ感じる凄惨な笑みで少女の言葉に答える。まだ、終わっちゃいないよと。
すぅと息を吸うだけで大気が鳴動する。ぎらぎらと輝く瞳には覚悟の色が混ざっている。それを直視しながら
紫は喜色ばむ。
「そう。それが貴女よ。退廃に濁る事も、孤独に沈む事も無いその色こそ貴女。・・・美しいわ。
そうでないと私には相応しくない」
音無き音の裂帛と共に、一瞬で収束された妖力が巨大なレーザーと化して美獣の眼前全ての物を飲み込んでいく。
後に狐狸妖怪レーザーと呼ばれるそれはしかし、今放ったものとは大きく違う。何がかといえば、命を賭したか
否かの差。真っ白な光条に紫は笑みと共に掻き消えていく。それに飽き足らず光の奔流は幾つもの枝に分かれ、
屍の道も真っ赤な城壁も白砂の庭も薙ぎ潰していった。
精根尽き果てて妖力の束が消える。がはぁと血混じりの息を吐いて、地面にくずおれる九尾大妖怪。その
周囲は破壊に破壊を重ねられいっそ清々しくもある。空を飛ぶ鳥の声も、渡る風の音さえも無いこの空間にただ
激しい獣の息遣いだけがある。光は弱くもしっかと見開かれた瞳で周囲をせわしなく窺う。天にも地にも八雲 紫の
姿は無く、現れる気配も無かった。しばし呆然とした獣は自らの望みが適った事に鮫のようににたりと笑う。去ね、
消え失せろ、塵さえ残さず滅せよと、その想いが天に伝わったのなら足を向けて寝るのはすまい、などとそんな
馬鹿なことを思いつく。哄笑が知らず外へ漏れようとしたとき、
「えいっ」
その背に軽く何かが触れたと感じた瞬間には、大妖は無様に地面に縫い付けられていた。最早顔も腕も、九つの
尾さえもぴくりとも動かせず、絶大な圧力によって肺に空気を送ることもままならない。そんな瀕死の狐の上に、
紫は立っていた。当然の如く九尾の大妖には何が起こったのかすら分っていないだろう。『空と地の境界』、その
合間に閉じ込められたなどということは。
「がぁっ!!」
苦し紛れか、とうとう巨獣の変化まで解けてしまう。それで境界を抜けられるわけなど無く、出来あがった光景は
滑稽さと悲惨さが同居した絵柄となってしまう。巨大な異形の姿への変貌に耐え切れる衣服など無く、
したがって九尾の美女は裸身を外気に曝した格好となっている。女性として抜群のプロポーションは全身に
隈なく刻まれた大小様々の傷や痣で美しさを徹底的に破壊され、そしてその背に八雲 紫。決して重いとは
思えないはずの少女に乗っかられて、裸身の美女は痙攣を起こしつつも指先一つさえ自由にできないでいた。
ついに内臓がひしゃげ、数刻前の血の宴で食らった人間の肉片を胃液と共に盛大に吐き出す。流石にこのままでは
命を奪いかねないと紫は思い、境界を少しだけ弄った。彼女の死は本意ではない。
「げぅぅ・・・はぁ、はぁ・・・うぅッ・・・」
「もうお終い?」
ひとまず口は利ける程度に重圧を緩め背から降り、汚れた顔が見えるようにしゃがみこむ。見るに堪えない
有様ではあるが、睨み付けた目はまだ死んでいなかった。汚れた美女は最後の抵抗か、血と胃液混じりの唾を
吐きかける。それを首のひと傾げでひょいとかわす紫。あまりに簡単に避けられたせいで、怒りに眼を据わらせた
九尾の美女はあろうことか逆上した子供の様に更に同じ事を繰り返す。それを避け、直撃しそうになれば
スキマで封殺する紫。先の殺意に塗れた勝負の極小化とでも言うのだろうか、しかしそれにしては余りにあんまりな
光景だろう。とはいえこれで分ることもある。二人とも、極度に負けず嫌いであること。
先に折れたのは、やはり九尾の美女であった。
「殺せ」
「いや」
誇りを賭けた言葉を一刀両断される。愚かではない美女はその言葉を予想していた。そして考える。自分は
死にたいのかと。この身動きできない状況でも舌を噛み切れば死ねないこともあるまい。目の前の少女が望んでいる
事はそれで絶たれるだろう。そのときどんな表情をするのか、それが見れないのでは面白味もない。心の中で頭を
振って馬鹿げた考えを捨て去る。破滅を撒き散らした九尾の大妖怪の最期の死に様が、敗北の悔しさに自らの
舌を噛んで死ぬなどというのは最早喜劇だ。傾国の大妖怪ならもっと別のやり方があるだろう。そのような事を
一瞬で脳内で纏め上げ、美女はもう一度少女を見やる。
「私をどうする気だ」
「式に」
九尾の美女の目が驚愕に見開かれる。慰み者か下僕か、それを遥かに凌駕した答えが笑顔の少女から
返ってきた。式とはどういうものか、博識な狐の妖怪は知っていた。知っている事の残酷さが狐の心を震え上がらせる。
およそ式というものは全ての自我を上書きされ、使用者の思うがままの木偶としてろくでもない生を終える羽目に
なる。死を超越した屈辱を前に、もう一度思考が暴走混じりの加速を始める。どうするかの長い森を超え、
生きるか死ぬかの分岐点に何度も立ち、記憶の町並みを疾走する。そして、一筋の光明の道を見出す。それは
余りに細く狭く、通り抜けるのは一種の賭けだった。だが、美女は賭け事を嫌いとするタイプではなかった。賭けるのが
己の存在全てなどそうそう体験できやしないと精一杯の虚勢の声で、
「・・・好きにしろ」
「じゃあ好きにするわね」
ベットした言葉を承諾と受け取り、紫はつい、と人差し指を美女の額に押し当てた。
触れられたと認識する暇もあったろうか、先の重圧とは比べ物にならない地獄の苦痛が巻き起こる。例える
ことも難しいが、全身の細胞一つ一つ余すところなく、真っ赤に焼けた針金を通されるような感覚とでも言えば
いいのか。そのおぞましさにまず視神経が焼き切れた。美女の瞳はもう白い闇しか映さない。息をすることも忘れ、
陸に上がった魚のように口唇がわななくばかり。触覚もすでに無く、そのせいで九尾の美女は己が瞳から流れる
ものが涙でなく血である事すら分らない。鼻からも耳からも、およそ穴という穴から血液が噴き出し始めた。
紫が指を離すのがもうひとふた呼吸の時間ほど遅れていれば、九尾の美女の心臓は破裂していたに違いない。
気を失い、血と反吐と砂に塗れ痙攣を繰り返す哀れな美女を見下ろし、紫は深い溜息をついた。
「このまま持って帰ったら、部屋が汚れちゃうわね・・・。仕方ないか」
地面にスキマが開き、そこに九尾の美女の体がすとんと力なく落ちていった。少女も後を追う様にその中に
飛び込む。その姿が完全に掻き消えると、スキマも現れたときと同じように唐突に空間を閉じて消え去った。
後には血臭に染まる無人の楼閣だけが、音もなく残された。
変なところで改行していると思うので、直しといたほうがいいかもしれませぬ
パスワードをどこかで間違っているようなのでそれさえ判明すれば・・・です。
とりあえず後半に期待。