※この作品は作者の妄想の産物です。独自設定満載ゆえ、お見苦しき点多々ございますが、お許しあれ
「なんでこんな時間に目が覚めちゃったのかしらね・・・」
外はまだ暗闇、正確な時間は定かではないが真夜中といっても差支えないだろう。
神社の境内は不気味なまでの静けさだ。
「まったく、しっかり寝ないと次の日がしんどいというのに・・・」
はぁ、とため息をつくのは、この神社の主である博麗霊夢その人だ。
「老人の朝は早いといってもこれはあんまりじゃないかしら?」
言葉通り、彼女は年老いた。
今となってはかつての艶やかな黒髪は見る影もなく、その顔にも年相応の皺が見られる。さらに言えば、その体すら満足に動かすことができなくなっている程だ。
唯一変わらぬとすれば、体の不自由さを感じさせもしない、その飄々とした雰囲気だけであろうか。
「それにしても困ったわね・・・。寝なおそうにも眠気が一切ないわ」
と、霊夢はぼやいた。
「しかたない、早すぎるけど起きるとしますか。とりあえずお茶を淹れるとしましょう」
霊夢は不自由な体に鞭打って、台所にてお茶を淹れ、縁側に足を運んだ。外は静けさを保っており、時折風が吹いて木々が少しさざ波立つくらいだ。ふと気付けば、見事なまでの満月が空に佇んでいた。
「ふぅ、やっぱり淹れたてのお茶はおいしいわねぇ。だからこそ、たまには月を肴にお茶を飲むことがあっても構わないと私は思う訳よ」
月見酒ならぬ月見お茶、なんちゃって。と、なんとものんびりしている台詞を吐いた。
「・・・虚しい。相の手がないとただの独り言にしかならないわ」
「あら、だったら私が虚しいお年寄りの話し相手になってあげましょうか?」
ふと頭上から声がして、何事かと顔をあげた霊夢を、月を背にした一人の少女が見下ろしていた。
「・・・いつからいたの?」
「あなたが外に出てきたときからずっと。相変わらずね。そんなだから頭が春とか言われるのよ」
月見お茶はどうかと思うわ。と、上品に笑いながら霊夢の前に降り立ったのは、紅い館の主、レミリア・スカーレットだった。
その言葉に霊夢は声を詰まらせた。
「ぐっ・・・不覚だわ。この私が妖怪の接近に気づけないなんて。それどころか独り言までしっかり聞かれて・・・。というかどこに居たのよ?さっき月を見上げた時にはいなかったじゃない」
「それはあなたが衰えた証拠。質問に答えるなら、私は屋根にいたわ」
レミリアは霊夢の頭上、正確にはその上にある屋根を指差した。
「だったら最初から声かけてくれればよかったじゃない」
「普通にやっても面白くないわ。だからしばらく霊夢を観察していたの」
なんでそのまま降りないでわざわざ月を背にしたの?
演出よ
などと言葉を交わしながらレミリアは霊夢の横に腰かけた。
「はぁ、あんたも相変わらずのようね。ともあれ久しぶりね、レミリア」
「・・・えぇ、久しぶりね。霊夢」
昔ならば彼女は、毎日とは言わないまでも、それこそ頻繁に神社に足を運んでいたのだ。
その彼女が神社に訪れる頻度が減ったのは、霊夢の力が衰え始めたころからだ。
自分に打ち勝つ力の持ち主が衰退するのが耐えられなかったのだろうか。真意は彼女しか知り得ない。
「それにしても何の用よ?こんな時間にやって来て」
「こんな時間だからこそ、よ。別にいいじゃない。たまに霊夢の顔を見たくなっても」
偶然霊夢も起きていたし。と付け加えるレミリアを見て、こいつが私を起こしたんじゃないだろうか?と疑るのは無理もないことだろう。
「まぁいいわ。あんたもお茶飲むでしょ?」
「そうね、ありがたく頂くとするわ」
はぁ、と何度目かのため息をつき霊夢が尋ねると、彼女はどこから出したのか、自分専用のティーカップを差し出した。
「ずいぶんと用意がいいわね・・・。最初からお茶を飲むつもりだったのかしら?」
「この神社でする事と言ったらそれぐらいしかないでしょ。当然の用意よ」
霊夢はどこか釈然としない気持ちを抱えたまま、とりあえずティーカップに緑茶を注いでやる。時節はまだ春先で、今は真夜中である。まだ肌寒いためか、カップからは景気よく湯気が躍り出ている。
「・・・おいしいわね」
「あんたは屋敷でもっといいもの飲んでるでしょうが」
「このおいしいは特別なの。安物のお茶でも霊夢が淹れてくれたからおいしいの」
はいはい、と軽く受け流す霊夢に対し、レミリアは、むー!わかってない!とその可愛らしい頬をリスみたいに膨らませた。
「あんたはいつまでも変わらないわね。威厳を纏っているかと思えばそんな風に子供っぽく振る舞うところとか特に」
「吸血鬼の寿命は長いの。たかだか数十年でコロコロ変わるものじゃないわ。それに、私が子供っぽいとは聞き捨てならないな。訂正を要求する」
「はいはい」
「むー!ちゃんと人の話を聞きなさーい!」
そして互いにクスクスと笑いあう。
やはり、よく表情の変わる子だと霊夢は感じた。こうした可愛らしさは、霊夢としても非常に好感がもてるものだ。
二人の様子はとても穏やかで、まるで孫が祖母に甘えるようであり、数十年来の友人同士の語らいのようにも見受けられた。
この様な語らいをしばらく続けていると、ふと霊夢が尋ねた。
「さて、そろそろ教えてくれないかしら?」
「何のことかしら?」
わからないわ、といった様子のレミリア。
「とぼけないでもらえるかしら?あなたがここに来た本当の理由よ」
「だからさっき言ったじゃない。霊夢の顔を見たくなっただけで・・・」
「嘘ね」
今度はレミリアが言葉に詰まる番だった。
「・・・嘘なんかついてどうするのよ。私は純粋に霊夢に会いにきたの」
俯き、少し沈んだ声でレミリアが返す。その瞳には悲しみの色を湛えて。
その変化を霊夢は見逃さなかった。そして同時に理解した。
「そう・・・。私の最期を見送りに来てくれたのね」
「霊夢!?どうして・・・」
「どうしてわかったかって?簡単よ、私の体だもの。私が一番よく理解しているわ。あんたは能力で私の運命でも見たのかしら?」
「・・・さっきあなたの力が衰えたといったけど訂正するわ。あなたはいつまでも勘の鋭い博麗の巫女よ。」
「お褒めにあずかり恐縮だわ。それで、どうなの?」
「・・・その通りよ。あなたはあと数刻もしたら寿命を迎えるわ・・・」
「そうなの。よく生きたほうだと思ったけど、とうとう死んじゃうのかぁ、私」
まるで他人事のように語る彼女を見て、レミリアの感情は爆発した。
「どうしてそんな平気でいられるの!?もうすぐ死んじゃうんだよ!?なのにどうして!?」
「レミリア」
涙交じりに憤慨する彼女をなだめるように、霊夢は一言そう呟いた。
「私は十分生きた。だからもういいのよ」
「それこそ嘘だわ!!たかが数十年でどうやったら満足できるというの!?」
「それはあなたの感覚でしょ?私は人だもの。数十年で十分なのよ。わかってくれる?」
「わからない・・・。どうして・・・!」
「それにね、天命を全うするのが決まっているなら、ジタバタしても仕方ないでしょう?」
確かにその通りだとレミリアは思う。しかし、何事にも中立だった彼女ではあるが、自分のことについてまで中立の立場から判断を下すのが、レミリアには耐えがたいことだった。なぜ自分にまで無関心なのか、と。
「レミリアは優しい子ね。私の死をそこまで悲しんでくれるなんて」
「霊夢・・・」
霊夢は包み込むようにレミリアを抱きしめた。レミリアも抱き返すようにして、霊夢の背中に手をまわした。そして彼女は声をあげて泣き始めた。
月が煌々と大地に光りをそそぐ中、二人はしばらく抱きしめ合っていた。
「ねぇ、霊夢」
泣き止んだのか、いまだ胸の中にいるレミリアがこちらを見上げながらふと声を漏らした。
「なぁに、泣き虫のレミィ?」
「もうっ!茶化さないでよ!」
「ごめんなさいね。それで、どうしたの?」
「どうして、人と妖怪は違う存在なのかな?」
あまりに唐突な質問に、霊夢はしばし固まった。
「どうしたのよ。急にそんなこと聞いたりして?」
「だって、人も妖怪も一緒の存在なら、こんな風に死に別れるなんてことないじゃない」
霊夢はようやく彼女の質問の意図を理解した。と、同時になぜ自分にこんなことを訊ねるのかが理解できなかった。
「別に、死に別れるのは人と妖怪の間だけってわけでもないけど・・・。というか何で私にそんなこと訊くのよ?あんたの屋敷の図書館には歩く無駄知識がいるじゃない。あいつに訊いたほうがいいんじゃない?」
「それでも、私は霊夢に訊きたいの」
困った事になったと彼女は思った。なぜならそんなことは生まれてこの方考えたことがなかったのだ。彼女たちの住まう幻想郷において、人がいて、それと同時に妖怪が潜む、という事実が当たり前だったからだ。
「あらあら。あまり年寄りを困らせるものじゃないわよ?吸血鬼のおチビさん」
霊夢が答えに窮していると、何もない空間から声が聞こえた。
二人が驚いて声のしたほうに目をやると、その空間に裂け目ができて、その中から手が伸びてきた。
「スキマ妖怪・・・!」
「失礼ねぇ。私には『八雲 紫』という立派な名前があるというのに・・・」
お姉さん悲しいわ。とでも言わんばかりに、いつの間にか手にしたハンカチで目尻を拭う。当然だが涙は流れていない。
「ふん!お前が先に私を吸血鬼呼ばわりしたのだろう。自業自得だ」
「あら、過去に捉われていてはダメよ?時間は有意義に使わないと。歩みを緩めてはもったいないわ。」
「ぐっ、相変わらず人を食った話し方をして・・・」
さらに食い下がろうとするレミリアをなだめて、霊夢が口を出した。
「今夜は千客万来ね。今晩は、紫。あなたは何をしに来たの?」
「今晩は、霊夢。でもね、用がなかったら来てはいけないのかしら?」
「いいから、さっさと用件を話しなさい」
霊夢も慣れたものである。彼女は、レミリアよりかは神社に足繁く通っていたこともあり、このようなやり取りは日常の一コマでしかなかった。
霊夢にそっけなくされた紫は、ゆかりん悲しいわ。と言って泣き始めた。無論、嘘泣きである。これもまた二人の変わることのない日常だ。
「まぁいいわ、そんなことよりレミリア。あなたの質問には代わりに私が答えてあげる。」
「・・・私は霊夢に訊いているのだけど」
「いいから。どうせ頭が春な霊夢のことよ。そんな高尚なこと、考えたことあるはずないわ」
「こら」
「それに、これでも私は大賢者でもあるのよ。ここは私の話に耳を傾けてみたらどうかしら?」
途中、霊夢のツッコミも入ったが、紫は無視するようだ。
ともあれ、渋々ながらレミリアは話を聞くことにした。
「よろしい。ではお話してあげましょう。なぜ人と妖怪は違う存在なのか?だったかしら」
紫の言葉に二人が頷く。
「それはね・・・ある寂しがり屋さんのせいなのよ」
その言葉に、二人は意味がわからないというような表情をする。
「どういう意味だ?」
「焦らないの。ちゃんと説明してあげるから」
「むぅ・・・」
「続けるわよ?始まりはこの大地に生命が誕生した時。その時までこの大地には何もなかった。それをとても悲しんだ存在が有ったの」
「存在?」
「そう、ある存在よ」
そう言って、一呼吸置くと紫は言葉を続けた。
「この大地よ」
その言葉に困惑した霊夢が訊ねた。
「大地?大地に意思があるというの?」
「えぇ、確かに存在するわよ。それはあらゆる魂の還る場所にあるの」
「魂の還る場所?」
「だから焦らないの。ちゃんと説明してあげるから」
ますますわからないといった風な二人に、紫は言った。
「もともと世界には何もなかった。昼があって、夜が覆い、朝がそれを切り裂く・・・ただこれだけだった。それを悲しんだその意思が、地上に生命を生み出すことを決めたの。これだけ広い大地に何もなかったのが許せなかったのね。初めは自我なんて存在し得ない単純な命だったけれど、長き時を経てその意思は命の形を多様化させていった。その形の中に人と妖怪が存在し、たまたま意思疎通できる間柄だっただけのことよ」
「・・・わからない」
紫の話にレミリアが反応する。
「何がわからないのかしら?」
「なぜ命を多様化させる必要があったの?何もなかったのが許せなかったのならば、命が誕生した時点で大地の意思とやらは満足できたはずじゃない」
「・・・それは魂の役割に関係があるの。魂はその意思が存在する場所から地上に現れ、そこに還るもの。還る時にはその魂の記憶も一緒に連れてゆくのよ」
「記憶?」
「そう、記憶。その意思は確かにこの大地の意思だけれど、自分が地上に現れてその様子を知るということができないの。だから還ってくる魂の記憶に頼るほかない」
「大地の意思とやらはその記憶をかき集めてどうしようというの?」
「どうもしないわ」
「「・・・は?」」
紫の言葉に二人が呆けたように返事をする。
「だから、どうもしないの。最初に言ったでしょう?寂しがり屋だって。意思が有るのに思い出が無い。それが辛かったのよ。だから様々な記憶を求めた。そのためには多様な生命が存在すればするほどいいのよ。大地は自分の記憶に彩りを求めているだけ。いつまでも駄々をこねる子供みたいな存在よ・・・
さっき、魂は記憶を連れてゆくと言ったけれど、実は連れてゆける記憶はたった一つ。その生涯でもっとも綺麗な記憶だけを魂に刻みつけて行けるの。大地の意思は純粋なものだけを求めているから」
本当に子供みたいでしょう?と紫は笑う。
「ともかく、それが人と妖怪が違う理由。そして、魂の役割よ」
結局は、子供のわがままでしかない。幼子がキラキラしたビー玉に心惹かれるような理由から、生命は地上に存在するのだと、紫ははっきりとそう言った。
「でもね、単なる子供のわがままと断じてはいけないわ。大地の意思は何も持たずに突然そこに生まれたの。その幼子が何かを求めてはいけない、ということは決してないでしょう?それに、そのわがままがあったから私たちはこの世界に存在するのだから」
そう紫は締めくくった。
記憶の形は様々あれど、その中でも大地が求めたものは綺麗な記憶だった。
例えば、大きな仕事をやり遂げた時の心地よい達成感。
例えば、仲間と過ごしたかけがえのない日々。
あるいは、幼き赤子の、母の胸に抱かれる温もりだったかもしれない。
そうした全ての記憶を、自らの思いとして永劫に留めておきたかったのだろう。
「・・・成程、筋が通ってないこともないわね」
「そうね、スキマにしてはいいことを言ったと思うわ」
「いいお話じゃなくて真理なの。それと私は『八雲 紫』よ」
失礼しちゃうわね。と、ぷりぷり怒る様は、今までのご高説を台無しにしてしまっている。
「まぁいいわ、そんな訳で霊夢!私はあなたに用があるの」
「どんな訳よ?」
「話の腰を折らないの。いいこと、霊夢。あなたはもうすぐ死ぬ・・・。とても悲しいけれど、これは覆らないわ・・・」
「スキマ!」
「静かになさい」
「「・・・・・・」」
いつもと違う紫の雰囲気に、二人は押し黙ってしまう。
「それでね、霊夢。あなたの魂には、まだ何も刻まれていないの」
「・・・どうしてそんなことがわかるの?」
「あら、それを理解しているあなたがそれを訊ねるというのは無意味よ」
「・・・・・・」
「霊夢・・・。どういうこと?」
恐る恐るレミリアが霊夢に訊ねる。
「・・・・・・」
「・・・だからお年寄りを困らせてはダメよ。代わりに私が答えてあげる」
「八雲 紫・・・」
「とは言ってもあなたも感づいているのでしょう?霊夢の生涯はすべて『博麗』としてのものだった。霊夢自身の思い出はあっても、魂に刻みつける程ではなかった。それもそのはず、この子はいつも一歩引いた場所から世界を眺めていたのだから。・・・『博麗』としてね」
「・・・」
紫は悲しげに言い放った。
レミリアには、確かに思い当たる節が多々ある。彼女は自分から何かをするということが一切なかった。異変解決はあくまで『博麗』としての仕事であるし、霊夢主催の宴会など一度たりともなかった。
「・・・じゃあ、霊夢の記憶には私たちとの思い出は残らない、とでも言うの?」
「端的に言ってしまえば・・・その通りよ」
「そんなの・・・!どうして霊夢!?あなたにとって、私たちとの思い出はそんなに価値のないものだったの!?」
「レミリア・・・そんなこと決してないわ」
「じゃあどうして!?」
「お年寄りを困らせてはダメ。これで三度目よ。それに霊夢を責めてはダメ。これは『博麗』として生きた霊夢にとって仕方のないことなのだから。博麗大結界を守り、幻想郷の均衡を保つ。いわば私たちの為に自分を犠牲にしたようなものなのよ。」
「でも!」
「いいから少しお黙りなさい、時間もあまり残されていないのだし」
「えっ?」
その言葉を受けて、霊夢をよく見ると、確かに顔色がさっきよりも悪くなっているように見える。
「私はまだ大丈夫よ、紫」
「嘘おっしゃい。もう口を開くのだって億劫なくせに」
「霊夢・・・」
レミリアはこんな状態の霊夢に詰め寄っていたのかと思うと、非常に後悔した。
「ともかく、もう時間がないわ。だから霊夢。あなたの魂に綺麗な記憶を刻みつけてあげる。何をして欲しいか私に言ってごらんなさい?」
「・・・どうしてそこまでしてくれるの?」
「単純よ。霊夢が大事だから。大事だからこそ、その魂が白紙のまま還るなんて許せない」
「・・・今まで『博麗』として付き合ってきた私が、大事?」
「私たちはあなたが『博麗』だから一緒にいたわけじゃないのよ。ねぇ、レミリア?」
紫に話を振られて、レミリアがハッとして答える。
「そうよ!私は霊夢が好きだから!本当に霊夢のことが大事だから!私は・・・」
「ありがとう、レミリア。気持は十分伝わったわ」
「霊夢・・・」
「さぁ、霊夢。あなたはどうして欲しい?どんな記憶を望むの?」
紫が珍しく急かす様に話す。本当に時間が無いのだろう。
「でも、本当にいいの?」
「私とあなたの仲じゃないの。たまには甘えてみなさいな」
「ふふっ、それならお言葉に甘えて、見た目若々しいけど私よりもおばあちゃんに甘えるとするわ」
「あら、自分で言っといてなんだけど、見た目年寄りだけど私よりも遥かに若いおばあちゃんに甘えられるなんて変な感じだわ」
そうして二人は笑いあう。二人の関係はこれでいいのだ。出会った頃から最後に至るまで、これが彼女たちの日常。
始まりは好奇心だった。ふと紫が冬眠から覚めると、そこにはボロボロになった自分の式。聞けば人間にやられたというではないか。自分には及ばないまでも、かなりの力を持つ僕を捩じ伏せるとはいかなる人間だろうかと。蓋を開けてみれば何のことはない、自分もよく知る博麗の巫女だった。戯れにちょっかいを掛けると、なんと自分までやられてしまったではないか。
彼女が霊夢に本格的に興味を向けるようになったのは、その時からだったのだろう。
紫からすれば、数十年という、それこそ泡沫の夢の如き経験ではあったが、自分とここまで対等な関係を築けた者など、紫の記憶にはないし、将来これを上回る関係は築けないだろうと、そんな予感がしていた。
・・・・・・だからこそ。
「ありがとう、霊夢・・・」
たおやかに、まるで聖母のような柔らかい微笑みを携えて、紫はささやいた。
「どうしたのよ、急に?」
「いいえ、何でもないわ。さぁ!なんでも言ってごらんなさい。私とレミリアがあなたの願いを叶えてあげるわ」
「そうよ!不本意だけど、私とこいつが組めば大抵のことは叶えられるから」
「紫・・・、レミリア・・・」
霊夢は思わず涙を流しそうになってしまうが、二人がいつも通り振る舞おうとするなら自分も涙は見せられない。年寄りは涙もろくていけないわね。と、気合いを入れなおす。
「そうね、だったら・・・日の出を見たいわ」
「「日の出?」」
二人が戸惑い気味にそう訊ねた。
「そう、日の出。でもただの日の出じゃないわよ?あなたたちが知る最高に景色のいい場所で迎える、『霊夢』が初めて目にする、最高の日の出よ」
「それはいいのだけど・・・なぜ日の出なの?」
「ちょっと遅くなったけど、あなたたちのおかげで『霊夢』が新しく誕生したわ。その記念に、新しい世界の誕生をこの目に収めてやろう。そう思っただけよ」
「日の出なんて毎日訪れるし、何も特別なんかじゃないのに?」
「あら、特別じゃない日なんてあるのかしら?」
この言葉に二人は感銘を受けた。
霊夢の言葉を借りれば、毎日世界は生まれ変わっているのだという。ならばありふれたものなど決して存在せず、大地を照らし、世界に始まりを告げる日の出は一等特別なものなのだろう。短き時を生きる、人ならではの発想だ。
そこまでの思いが込められているのならば、もはや何も言うことはない。
「私は場所を選ぶわ。レミリア、あなたは・・・」
「言われずともわかっている。完璧なタイミングで霊夢が日の出を見られるように運命を操作する」
二人は互いの役割を既に理解していた。
「二人とも、ありがとう」
その姿に、霊夢は深く感謝した。
「霊夢、そんなに改まる必要はないわ。好きでやっていることだもの」
「そうよ。あなたはいつもの憮然とした態度で、私たちに命令するくらいの気持ちでいいのよ?」
霊夢は一瞬ポカンとしたが、すぐに表情を戻すとこう言い放った。
「なら、私に最高の日の出を見せてごらんなさい」
「「仰せのままに」」
そして、一斉に吹き出し、三人はしばし笑いあう。最後の日常を惜しみながら・・・
「ここが・・・?」
「そう、ここが私の知り得る最高の場所よ。私のとっておきなんだから」
藍にだって見せたことないし。と、つぶやく紫に連れてこられたのは、恐らく幻想郷のどこかではあるのだろうが、霊夢には見覚えのない場所だった。しかし、見事な場所だ。視界を遮るものは一切なく、はるか遠くの大地まで見通すことができる。
「・・・あと数分もしたら朝日が昇るようにしたわ」
「レミリア・・・」
かなり調子が悪そうである。無理もない、彼女の天敵が刻一刻と迫っているのだから。
「・・・この朝日を拝んだ後に、あなたは死ぬわ」
「そう、もうすぐなのね」
「霊夢・・・本当にいいの?」
「どういうこと?」
「あなたが望めば、私たちの力でもっと寿命を長くできる。それに私の眷属になってずっと一緒にいることだってできるのよ!?なぜそれを望まないの!?」
最後の辺りは涙交じりで、もはや叫びに近かった。レミリアはそれほど霊夢を想っていたのだ。
「レミリア・・・。私は誰?」
「・・・霊夢は、霊夢じゃない・・・」
「そう、私は霊夢。そしてその名を授かったのは、何十年も前に生まれ落ちた『人間の』赤子よ」
「霊夢・・・」
「私は人間であることを辞めない。最後まで人として歩み続けるわ。それが・・・」
人として生まれた私の宿命だと思うから・・・
その言葉に、どれ程の思いが込められていたのだろうか。彼女の決心はどこまでも清く、気高いものだった。
「だから、私は私のままでいいし、あなたは最期を迎えるまでレミリアであればいいの」
「霊夢ぅ・・・」
「ほら、私を見送るのでしょう?だったらいつまでも泣いてないで笑ってちょうだい。それが一番だから。ね?レミリア・・・」
「うー・・・」
「もうすぐ日が昇るわ。その前にあなたは帰らないと」
「・・・イヤ」
「レミリア?」
「イヤ!絶対帰らない!私もここで霊夢と一緒に日の出を見る!そして霊夢の魂に私の姿も刻み付けてやる!」
「レミリア・・・気持ちはありがたいけど・・・」
「霊夢、その子が一度言い出したら聞かないのはあなたのほうがよく知ってるでしょう」
「紫・・・でもどうしたら」
「そこは私の力で何とかしてあげるわ。それに、私も同じ腹積もりだったから丁度いいわ。『私たち二人と一緒に見た最高の朝日』を刻んで還りなさい」
霊夢は呆気にとられたが、紫の思惑を理解すると盛大に笑い始めた。
なるほど、結局この二人は悔しかったのだ。自分たちの姿が霊夢の中に残らぬことが我慢ならなかったのだ。
どんなに長生きしていても、どんなに威厳を纏っても、どんなに言葉を重ねても、行動を起こすその根っこにはいつも、わがままがある。
なんと人間臭いことか!と、霊夢は堪らなくおかしくなり、とうとう涙を流した。
そして、涙を拭いながら言った。
「えぇ、そうさせてもらうわ。二人とも、ぜひ私と一緒に最高の朝日を見て頂戴」
「「もちろん!」」
三者三様の笑みだったが、それぞれが生涯最高の笑みを見せた。
もはや、涙など流れていなかった。
そして、その時は訪れる。
はるか遠くの大地から、光を放ちながら、世界を塗りつぶしていた闇を照らしてゆく。
世界が金色に染まり、一瞬眩しくて目がくらんだが、すぐに慣れると三人は驚いた。
全てがキラキラと光り輝き、しかもそれぞれが違う色彩を放っているのだ。
まさしく世界が生まれ変わった瞬間だ。
生まれたての『霊夢』が、剥き出しの心で感じるその感動は計り知れないものがあるだろう。
綺麗ね・・・・・・
小さく、消え入りそうな声だったが、二人は確かに聞いた。正真正銘『霊夢』の声を。
やがて光も収まり、世界の色彩が安定を取り戻した。
「素晴らしい光景だったわ。そう思わない?全身が痛いけど」
「えぇ、文句なしよ。私たちが協力したんだもの。当然の結果というべきね」
「それもそうね。さて、帰りましょう。霊夢も疲れちゃったでしょうし」
「そうね。霊夢、そろそろ帰りましょう。早く家で休まないと。こんなところで寝たら体を悪くしちゃうわよ?」
「そうよ、あなたはこのずぼらなスキマと違って、繊細、な体・・・なん、だからぁ・・・」
「酷い言い草ね。あなたもそう思うでしょう?何とか、言ってやってよ・・・霊夢ぅ・・・」
かくして博麗霊夢の魂は還った。
彼女が刻みつけた最高の思い出は、無事に届けられることとなった。
彼女が二人の妖と見た、金色の思い出は、色褪せることなく光を放ち続けている。
永遠に、大地の記憶の中で・・・・・
「なんでこんな時間に目が覚めちゃったのかしらね・・・」
外はまだ暗闇、正確な時間は定かではないが真夜中といっても差支えないだろう。
神社の境内は不気味なまでの静けさだ。
「まったく、しっかり寝ないと次の日がしんどいというのに・・・」
はぁ、とため息をつくのは、この神社の主である博麗霊夢その人だ。
「老人の朝は早いといってもこれはあんまりじゃないかしら?」
言葉通り、彼女は年老いた。
今となってはかつての艶やかな黒髪は見る影もなく、その顔にも年相応の皺が見られる。さらに言えば、その体すら満足に動かすことができなくなっている程だ。
唯一変わらぬとすれば、体の不自由さを感じさせもしない、その飄々とした雰囲気だけであろうか。
「それにしても困ったわね・・・。寝なおそうにも眠気が一切ないわ」
と、霊夢はぼやいた。
「しかたない、早すぎるけど起きるとしますか。とりあえずお茶を淹れるとしましょう」
霊夢は不自由な体に鞭打って、台所にてお茶を淹れ、縁側に足を運んだ。外は静けさを保っており、時折風が吹いて木々が少しさざ波立つくらいだ。ふと気付けば、見事なまでの満月が空に佇んでいた。
「ふぅ、やっぱり淹れたてのお茶はおいしいわねぇ。だからこそ、たまには月を肴にお茶を飲むことがあっても構わないと私は思う訳よ」
月見酒ならぬ月見お茶、なんちゃって。と、なんとものんびりしている台詞を吐いた。
「・・・虚しい。相の手がないとただの独り言にしかならないわ」
「あら、だったら私が虚しいお年寄りの話し相手になってあげましょうか?」
ふと頭上から声がして、何事かと顔をあげた霊夢を、月を背にした一人の少女が見下ろしていた。
「・・・いつからいたの?」
「あなたが外に出てきたときからずっと。相変わらずね。そんなだから頭が春とか言われるのよ」
月見お茶はどうかと思うわ。と、上品に笑いながら霊夢の前に降り立ったのは、紅い館の主、レミリア・スカーレットだった。
その言葉に霊夢は声を詰まらせた。
「ぐっ・・・不覚だわ。この私が妖怪の接近に気づけないなんて。それどころか独り言までしっかり聞かれて・・・。というかどこに居たのよ?さっき月を見上げた時にはいなかったじゃない」
「それはあなたが衰えた証拠。質問に答えるなら、私は屋根にいたわ」
レミリアは霊夢の頭上、正確にはその上にある屋根を指差した。
「だったら最初から声かけてくれればよかったじゃない」
「普通にやっても面白くないわ。だからしばらく霊夢を観察していたの」
なんでそのまま降りないでわざわざ月を背にしたの?
演出よ
などと言葉を交わしながらレミリアは霊夢の横に腰かけた。
「はぁ、あんたも相変わらずのようね。ともあれ久しぶりね、レミリア」
「・・・えぇ、久しぶりね。霊夢」
昔ならば彼女は、毎日とは言わないまでも、それこそ頻繁に神社に足を運んでいたのだ。
その彼女が神社に訪れる頻度が減ったのは、霊夢の力が衰え始めたころからだ。
自分に打ち勝つ力の持ち主が衰退するのが耐えられなかったのだろうか。真意は彼女しか知り得ない。
「それにしても何の用よ?こんな時間にやって来て」
「こんな時間だからこそ、よ。別にいいじゃない。たまに霊夢の顔を見たくなっても」
偶然霊夢も起きていたし。と付け加えるレミリアを見て、こいつが私を起こしたんじゃないだろうか?と疑るのは無理もないことだろう。
「まぁいいわ。あんたもお茶飲むでしょ?」
「そうね、ありがたく頂くとするわ」
はぁ、と何度目かのため息をつき霊夢が尋ねると、彼女はどこから出したのか、自分専用のティーカップを差し出した。
「ずいぶんと用意がいいわね・・・。最初からお茶を飲むつもりだったのかしら?」
「この神社でする事と言ったらそれぐらいしかないでしょ。当然の用意よ」
霊夢はどこか釈然としない気持ちを抱えたまま、とりあえずティーカップに緑茶を注いでやる。時節はまだ春先で、今は真夜中である。まだ肌寒いためか、カップからは景気よく湯気が躍り出ている。
「・・・おいしいわね」
「あんたは屋敷でもっといいもの飲んでるでしょうが」
「このおいしいは特別なの。安物のお茶でも霊夢が淹れてくれたからおいしいの」
はいはい、と軽く受け流す霊夢に対し、レミリアは、むー!わかってない!とその可愛らしい頬をリスみたいに膨らませた。
「あんたはいつまでも変わらないわね。威厳を纏っているかと思えばそんな風に子供っぽく振る舞うところとか特に」
「吸血鬼の寿命は長いの。たかだか数十年でコロコロ変わるものじゃないわ。それに、私が子供っぽいとは聞き捨てならないな。訂正を要求する」
「はいはい」
「むー!ちゃんと人の話を聞きなさーい!」
そして互いにクスクスと笑いあう。
やはり、よく表情の変わる子だと霊夢は感じた。こうした可愛らしさは、霊夢としても非常に好感がもてるものだ。
二人の様子はとても穏やかで、まるで孫が祖母に甘えるようであり、数十年来の友人同士の語らいのようにも見受けられた。
この様な語らいをしばらく続けていると、ふと霊夢が尋ねた。
「さて、そろそろ教えてくれないかしら?」
「何のことかしら?」
わからないわ、といった様子のレミリア。
「とぼけないでもらえるかしら?あなたがここに来た本当の理由よ」
「だからさっき言ったじゃない。霊夢の顔を見たくなっただけで・・・」
「嘘ね」
今度はレミリアが言葉に詰まる番だった。
「・・・嘘なんかついてどうするのよ。私は純粋に霊夢に会いにきたの」
俯き、少し沈んだ声でレミリアが返す。その瞳には悲しみの色を湛えて。
その変化を霊夢は見逃さなかった。そして同時に理解した。
「そう・・・。私の最期を見送りに来てくれたのね」
「霊夢!?どうして・・・」
「どうしてわかったかって?簡単よ、私の体だもの。私が一番よく理解しているわ。あんたは能力で私の運命でも見たのかしら?」
「・・・さっきあなたの力が衰えたといったけど訂正するわ。あなたはいつまでも勘の鋭い博麗の巫女よ。」
「お褒めにあずかり恐縮だわ。それで、どうなの?」
「・・・その通りよ。あなたはあと数刻もしたら寿命を迎えるわ・・・」
「そうなの。よく生きたほうだと思ったけど、とうとう死んじゃうのかぁ、私」
まるで他人事のように語る彼女を見て、レミリアの感情は爆発した。
「どうしてそんな平気でいられるの!?もうすぐ死んじゃうんだよ!?なのにどうして!?」
「レミリア」
涙交じりに憤慨する彼女をなだめるように、霊夢は一言そう呟いた。
「私は十分生きた。だからもういいのよ」
「それこそ嘘だわ!!たかが数十年でどうやったら満足できるというの!?」
「それはあなたの感覚でしょ?私は人だもの。数十年で十分なのよ。わかってくれる?」
「わからない・・・。どうして・・・!」
「それにね、天命を全うするのが決まっているなら、ジタバタしても仕方ないでしょう?」
確かにその通りだとレミリアは思う。しかし、何事にも中立だった彼女ではあるが、自分のことについてまで中立の立場から判断を下すのが、レミリアには耐えがたいことだった。なぜ自分にまで無関心なのか、と。
「レミリアは優しい子ね。私の死をそこまで悲しんでくれるなんて」
「霊夢・・・」
霊夢は包み込むようにレミリアを抱きしめた。レミリアも抱き返すようにして、霊夢の背中に手をまわした。そして彼女は声をあげて泣き始めた。
月が煌々と大地に光りをそそぐ中、二人はしばらく抱きしめ合っていた。
「ねぇ、霊夢」
泣き止んだのか、いまだ胸の中にいるレミリアがこちらを見上げながらふと声を漏らした。
「なぁに、泣き虫のレミィ?」
「もうっ!茶化さないでよ!」
「ごめんなさいね。それで、どうしたの?」
「どうして、人と妖怪は違う存在なのかな?」
あまりに唐突な質問に、霊夢はしばし固まった。
「どうしたのよ。急にそんなこと聞いたりして?」
「だって、人も妖怪も一緒の存在なら、こんな風に死に別れるなんてことないじゃない」
霊夢はようやく彼女の質問の意図を理解した。と、同時になぜ自分にこんなことを訊ねるのかが理解できなかった。
「別に、死に別れるのは人と妖怪の間だけってわけでもないけど・・・。というか何で私にそんなこと訊くのよ?あんたの屋敷の図書館には歩く無駄知識がいるじゃない。あいつに訊いたほうがいいんじゃない?」
「それでも、私は霊夢に訊きたいの」
困った事になったと彼女は思った。なぜならそんなことは生まれてこの方考えたことがなかったのだ。彼女たちの住まう幻想郷において、人がいて、それと同時に妖怪が潜む、という事実が当たり前だったからだ。
「あらあら。あまり年寄りを困らせるものじゃないわよ?吸血鬼のおチビさん」
霊夢が答えに窮していると、何もない空間から声が聞こえた。
二人が驚いて声のしたほうに目をやると、その空間に裂け目ができて、その中から手が伸びてきた。
「スキマ妖怪・・・!」
「失礼ねぇ。私には『八雲 紫』という立派な名前があるというのに・・・」
お姉さん悲しいわ。とでも言わんばかりに、いつの間にか手にしたハンカチで目尻を拭う。当然だが涙は流れていない。
「ふん!お前が先に私を吸血鬼呼ばわりしたのだろう。自業自得だ」
「あら、過去に捉われていてはダメよ?時間は有意義に使わないと。歩みを緩めてはもったいないわ。」
「ぐっ、相変わらず人を食った話し方をして・・・」
さらに食い下がろうとするレミリアをなだめて、霊夢が口を出した。
「今夜は千客万来ね。今晩は、紫。あなたは何をしに来たの?」
「今晩は、霊夢。でもね、用がなかったら来てはいけないのかしら?」
「いいから、さっさと用件を話しなさい」
霊夢も慣れたものである。彼女は、レミリアよりかは神社に足繁く通っていたこともあり、このようなやり取りは日常の一コマでしかなかった。
霊夢にそっけなくされた紫は、ゆかりん悲しいわ。と言って泣き始めた。無論、嘘泣きである。これもまた二人の変わることのない日常だ。
「まぁいいわ、そんなことよりレミリア。あなたの質問には代わりに私が答えてあげる。」
「・・・私は霊夢に訊いているのだけど」
「いいから。どうせ頭が春な霊夢のことよ。そんな高尚なこと、考えたことあるはずないわ」
「こら」
「それに、これでも私は大賢者でもあるのよ。ここは私の話に耳を傾けてみたらどうかしら?」
途中、霊夢のツッコミも入ったが、紫は無視するようだ。
ともあれ、渋々ながらレミリアは話を聞くことにした。
「よろしい。ではお話してあげましょう。なぜ人と妖怪は違う存在なのか?だったかしら」
紫の言葉に二人が頷く。
「それはね・・・ある寂しがり屋さんのせいなのよ」
その言葉に、二人は意味がわからないというような表情をする。
「どういう意味だ?」
「焦らないの。ちゃんと説明してあげるから」
「むぅ・・・」
「続けるわよ?始まりはこの大地に生命が誕生した時。その時までこの大地には何もなかった。それをとても悲しんだ存在が有ったの」
「存在?」
「そう、ある存在よ」
そう言って、一呼吸置くと紫は言葉を続けた。
「この大地よ」
その言葉に困惑した霊夢が訊ねた。
「大地?大地に意思があるというの?」
「えぇ、確かに存在するわよ。それはあらゆる魂の還る場所にあるの」
「魂の還る場所?」
「だから焦らないの。ちゃんと説明してあげるから」
ますますわからないといった風な二人に、紫は言った。
「もともと世界には何もなかった。昼があって、夜が覆い、朝がそれを切り裂く・・・ただこれだけだった。それを悲しんだその意思が、地上に生命を生み出すことを決めたの。これだけ広い大地に何もなかったのが許せなかったのね。初めは自我なんて存在し得ない単純な命だったけれど、長き時を経てその意思は命の形を多様化させていった。その形の中に人と妖怪が存在し、たまたま意思疎通できる間柄だっただけのことよ」
「・・・わからない」
紫の話にレミリアが反応する。
「何がわからないのかしら?」
「なぜ命を多様化させる必要があったの?何もなかったのが許せなかったのならば、命が誕生した時点で大地の意思とやらは満足できたはずじゃない」
「・・・それは魂の役割に関係があるの。魂はその意思が存在する場所から地上に現れ、そこに還るもの。還る時にはその魂の記憶も一緒に連れてゆくのよ」
「記憶?」
「そう、記憶。その意思は確かにこの大地の意思だけれど、自分が地上に現れてその様子を知るということができないの。だから還ってくる魂の記憶に頼るほかない」
「大地の意思とやらはその記憶をかき集めてどうしようというの?」
「どうもしないわ」
「「・・・は?」」
紫の言葉に二人が呆けたように返事をする。
「だから、どうもしないの。最初に言ったでしょう?寂しがり屋だって。意思が有るのに思い出が無い。それが辛かったのよ。だから様々な記憶を求めた。そのためには多様な生命が存在すればするほどいいのよ。大地は自分の記憶に彩りを求めているだけ。いつまでも駄々をこねる子供みたいな存在よ・・・
さっき、魂は記憶を連れてゆくと言ったけれど、実は連れてゆける記憶はたった一つ。その生涯でもっとも綺麗な記憶だけを魂に刻みつけて行けるの。大地の意思は純粋なものだけを求めているから」
本当に子供みたいでしょう?と紫は笑う。
「ともかく、それが人と妖怪が違う理由。そして、魂の役割よ」
結局は、子供のわがままでしかない。幼子がキラキラしたビー玉に心惹かれるような理由から、生命は地上に存在するのだと、紫ははっきりとそう言った。
「でもね、単なる子供のわがままと断じてはいけないわ。大地の意思は何も持たずに突然そこに生まれたの。その幼子が何かを求めてはいけない、ということは決してないでしょう?それに、そのわがままがあったから私たちはこの世界に存在するのだから」
そう紫は締めくくった。
記憶の形は様々あれど、その中でも大地が求めたものは綺麗な記憶だった。
例えば、大きな仕事をやり遂げた時の心地よい達成感。
例えば、仲間と過ごしたかけがえのない日々。
あるいは、幼き赤子の、母の胸に抱かれる温もりだったかもしれない。
そうした全ての記憶を、自らの思いとして永劫に留めておきたかったのだろう。
「・・・成程、筋が通ってないこともないわね」
「そうね、スキマにしてはいいことを言ったと思うわ」
「いいお話じゃなくて真理なの。それと私は『八雲 紫』よ」
失礼しちゃうわね。と、ぷりぷり怒る様は、今までのご高説を台無しにしてしまっている。
「まぁいいわ、そんな訳で霊夢!私はあなたに用があるの」
「どんな訳よ?」
「話の腰を折らないの。いいこと、霊夢。あなたはもうすぐ死ぬ・・・。とても悲しいけれど、これは覆らないわ・・・」
「スキマ!」
「静かになさい」
「「・・・・・・」」
いつもと違う紫の雰囲気に、二人は押し黙ってしまう。
「それでね、霊夢。あなたの魂には、まだ何も刻まれていないの」
「・・・どうしてそんなことがわかるの?」
「あら、それを理解しているあなたがそれを訊ねるというのは無意味よ」
「・・・・・・」
「霊夢・・・。どういうこと?」
恐る恐るレミリアが霊夢に訊ねる。
「・・・・・・」
「・・・だからお年寄りを困らせてはダメよ。代わりに私が答えてあげる」
「八雲 紫・・・」
「とは言ってもあなたも感づいているのでしょう?霊夢の生涯はすべて『博麗』としてのものだった。霊夢自身の思い出はあっても、魂に刻みつける程ではなかった。それもそのはず、この子はいつも一歩引いた場所から世界を眺めていたのだから。・・・『博麗』としてね」
「・・・」
紫は悲しげに言い放った。
レミリアには、確かに思い当たる節が多々ある。彼女は自分から何かをするということが一切なかった。異変解決はあくまで『博麗』としての仕事であるし、霊夢主催の宴会など一度たりともなかった。
「・・・じゃあ、霊夢の記憶には私たちとの思い出は残らない、とでも言うの?」
「端的に言ってしまえば・・・その通りよ」
「そんなの・・・!どうして霊夢!?あなたにとって、私たちとの思い出はそんなに価値のないものだったの!?」
「レミリア・・・そんなこと決してないわ」
「じゃあどうして!?」
「お年寄りを困らせてはダメ。これで三度目よ。それに霊夢を責めてはダメ。これは『博麗』として生きた霊夢にとって仕方のないことなのだから。博麗大結界を守り、幻想郷の均衡を保つ。いわば私たちの為に自分を犠牲にしたようなものなのよ。」
「でも!」
「いいから少しお黙りなさい、時間もあまり残されていないのだし」
「えっ?」
その言葉を受けて、霊夢をよく見ると、確かに顔色がさっきよりも悪くなっているように見える。
「私はまだ大丈夫よ、紫」
「嘘おっしゃい。もう口を開くのだって億劫なくせに」
「霊夢・・・」
レミリアはこんな状態の霊夢に詰め寄っていたのかと思うと、非常に後悔した。
「ともかく、もう時間がないわ。だから霊夢。あなたの魂に綺麗な記憶を刻みつけてあげる。何をして欲しいか私に言ってごらんなさい?」
「・・・どうしてそこまでしてくれるの?」
「単純よ。霊夢が大事だから。大事だからこそ、その魂が白紙のまま還るなんて許せない」
「・・・今まで『博麗』として付き合ってきた私が、大事?」
「私たちはあなたが『博麗』だから一緒にいたわけじゃないのよ。ねぇ、レミリア?」
紫に話を振られて、レミリアがハッとして答える。
「そうよ!私は霊夢が好きだから!本当に霊夢のことが大事だから!私は・・・」
「ありがとう、レミリア。気持は十分伝わったわ」
「霊夢・・・」
「さぁ、霊夢。あなたはどうして欲しい?どんな記憶を望むの?」
紫が珍しく急かす様に話す。本当に時間が無いのだろう。
「でも、本当にいいの?」
「私とあなたの仲じゃないの。たまには甘えてみなさいな」
「ふふっ、それならお言葉に甘えて、見た目若々しいけど私よりもおばあちゃんに甘えるとするわ」
「あら、自分で言っといてなんだけど、見た目年寄りだけど私よりも遥かに若いおばあちゃんに甘えられるなんて変な感じだわ」
そうして二人は笑いあう。二人の関係はこれでいいのだ。出会った頃から最後に至るまで、これが彼女たちの日常。
始まりは好奇心だった。ふと紫が冬眠から覚めると、そこにはボロボロになった自分の式。聞けば人間にやられたというではないか。自分には及ばないまでも、かなりの力を持つ僕を捩じ伏せるとはいかなる人間だろうかと。蓋を開けてみれば何のことはない、自分もよく知る博麗の巫女だった。戯れにちょっかいを掛けると、なんと自分までやられてしまったではないか。
彼女が霊夢に本格的に興味を向けるようになったのは、その時からだったのだろう。
紫からすれば、数十年という、それこそ泡沫の夢の如き経験ではあったが、自分とここまで対等な関係を築けた者など、紫の記憶にはないし、将来これを上回る関係は築けないだろうと、そんな予感がしていた。
・・・・・・だからこそ。
「ありがとう、霊夢・・・」
たおやかに、まるで聖母のような柔らかい微笑みを携えて、紫はささやいた。
「どうしたのよ、急に?」
「いいえ、何でもないわ。さぁ!なんでも言ってごらんなさい。私とレミリアがあなたの願いを叶えてあげるわ」
「そうよ!不本意だけど、私とこいつが組めば大抵のことは叶えられるから」
「紫・・・、レミリア・・・」
霊夢は思わず涙を流しそうになってしまうが、二人がいつも通り振る舞おうとするなら自分も涙は見せられない。年寄りは涙もろくていけないわね。と、気合いを入れなおす。
「そうね、だったら・・・日の出を見たいわ」
「「日の出?」」
二人が戸惑い気味にそう訊ねた。
「そう、日の出。でもただの日の出じゃないわよ?あなたたちが知る最高に景色のいい場所で迎える、『霊夢』が初めて目にする、最高の日の出よ」
「それはいいのだけど・・・なぜ日の出なの?」
「ちょっと遅くなったけど、あなたたちのおかげで『霊夢』が新しく誕生したわ。その記念に、新しい世界の誕生をこの目に収めてやろう。そう思っただけよ」
「日の出なんて毎日訪れるし、何も特別なんかじゃないのに?」
「あら、特別じゃない日なんてあるのかしら?」
この言葉に二人は感銘を受けた。
霊夢の言葉を借りれば、毎日世界は生まれ変わっているのだという。ならばありふれたものなど決して存在せず、大地を照らし、世界に始まりを告げる日の出は一等特別なものなのだろう。短き時を生きる、人ならではの発想だ。
そこまでの思いが込められているのならば、もはや何も言うことはない。
「私は場所を選ぶわ。レミリア、あなたは・・・」
「言われずともわかっている。完璧なタイミングで霊夢が日の出を見られるように運命を操作する」
二人は互いの役割を既に理解していた。
「二人とも、ありがとう」
その姿に、霊夢は深く感謝した。
「霊夢、そんなに改まる必要はないわ。好きでやっていることだもの」
「そうよ。あなたはいつもの憮然とした態度で、私たちに命令するくらいの気持ちでいいのよ?」
霊夢は一瞬ポカンとしたが、すぐに表情を戻すとこう言い放った。
「なら、私に最高の日の出を見せてごらんなさい」
「「仰せのままに」」
そして、一斉に吹き出し、三人はしばし笑いあう。最後の日常を惜しみながら・・・
「ここが・・・?」
「そう、ここが私の知り得る最高の場所よ。私のとっておきなんだから」
藍にだって見せたことないし。と、つぶやく紫に連れてこられたのは、恐らく幻想郷のどこかではあるのだろうが、霊夢には見覚えのない場所だった。しかし、見事な場所だ。視界を遮るものは一切なく、はるか遠くの大地まで見通すことができる。
「・・・あと数分もしたら朝日が昇るようにしたわ」
「レミリア・・・」
かなり調子が悪そうである。無理もない、彼女の天敵が刻一刻と迫っているのだから。
「・・・この朝日を拝んだ後に、あなたは死ぬわ」
「そう、もうすぐなのね」
「霊夢・・・本当にいいの?」
「どういうこと?」
「あなたが望めば、私たちの力でもっと寿命を長くできる。それに私の眷属になってずっと一緒にいることだってできるのよ!?なぜそれを望まないの!?」
最後の辺りは涙交じりで、もはや叫びに近かった。レミリアはそれほど霊夢を想っていたのだ。
「レミリア・・・。私は誰?」
「・・・霊夢は、霊夢じゃない・・・」
「そう、私は霊夢。そしてその名を授かったのは、何十年も前に生まれ落ちた『人間の』赤子よ」
「霊夢・・・」
「私は人間であることを辞めない。最後まで人として歩み続けるわ。それが・・・」
人として生まれた私の宿命だと思うから・・・
その言葉に、どれ程の思いが込められていたのだろうか。彼女の決心はどこまでも清く、気高いものだった。
「だから、私は私のままでいいし、あなたは最期を迎えるまでレミリアであればいいの」
「霊夢ぅ・・・」
「ほら、私を見送るのでしょう?だったらいつまでも泣いてないで笑ってちょうだい。それが一番だから。ね?レミリア・・・」
「うー・・・」
「もうすぐ日が昇るわ。その前にあなたは帰らないと」
「・・・イヤ」
「レミリア?」
「イヤ!絶対帰らない!私もここで霊夢と一緒に日の出を見る!そして霊夢の魂に私の姿も刻み付けてやる!」
「レミリア・・・気持ちはありがたいけど・・・」
「霊夢、その子が一度言い出したら聞かないのはあなたのほうがよく知ってるでしょう」
「紫・・・でもどうしたら」
「そこは私の力で何とかしてあげるわ。それに、私も同じ腹積もりだったから丁度いいわ。『私たち二人と一緒に見た最高の朝日』を刻んで還りなさい」
霊夢は呆気にとられたが、紫の思惑を理解すると盛大に笑い始めた。
なるほど、結局この二人は悔しかったのだ。自分たちの姿が霊夢の中に残らぬことが我慢ならなかったのだ。
どんなに長生きしていても、どんなに威厳を纏っても、どんなに言葉を重ねても、行動を起こすその根っこにはいつも、わがままがある。
なんと人間臭いことか!と、霊夢は堪らなくおかしくなり、とうとう涙を流した。
そして、涙を拭いながら言った。
「えぇ、そうさせてもらうわ。二人とも、ぜひ私と一緒に最高の朝日を見て頂戴」
「「もちろん!」」
三者三様の笑みだったが、それぞれが生涯最高の笑みを見せた。
もはや、涙など流れていなかった。
そして、その時は訪れる。
はるか遠くの大地から、光を放ちながら、世界を塗りつぶしていた闇を照らしてゆく。
世界が金色に染まり、一瞬眩しくて目がくらんだが、すぐに慣れると三人は驚いた。
全てがキラキラと光り輝き、しかもそれぞれが違う色彩を放っているのだ。
まさしく世界が生まれ変わった瞬間だ。
生まれたての『霊夢』が、剥き出しの心で感じるその感動は計り知れないものがあるだろう。
綺麗ね・・・・・・
小さく、消え入りそうな声だったが、二人は確かに聞いた。正真正銘『霊夢』の声を。
やがて光も収まり、世界の色彩が安定を取り戻した。
「素晴らしい光景だったわ。そう思わない?全身が痛いけど」
「えぇ、文句なしよ。私たちが協力したんだもの。当然の結果というべきね」
「それもそうね。さて、帰りましょう。霊夢も疲れちゃったでしょうし」
「そうね。霊夢、そろそろ帰りましょう。早く家で休まないと。こんなところで寝たら体を悪くしちゃうわよ?」
「そうよ、あなたはこのずぼらなスキマと違って、繊細、な体・・・なん、だからぁ・・・」
「酷い言い草ね。あなたもそう思うでしょう?何とか、言ってやってよ・・・霊夢ぅ・・・」
かくして博麗霊夢の魂は還った。
彼女が刻みつけた最高の思い出は、無事に届けられることとなった。
彼女が二人の妖と見た、金色の思い出は、色褪せることなく光を放ち続けている。
永遠に、大地の記憶の中で・・・・・
主題であるハズの大地の記憶云々が、ただ作者の思想を語っているだけにとどまり、ストーリーと分離してしまっていているのが非常に残念。
主題や思想をいかにストーリーへ自然に反映させるかが今後の課題になるかと思われます。
アイデアは悪くなかったし、この手のジャンルは好みです。
今後も頑張って下さい。