物心ついた頃、というのが私にあったのかどうか、定かではない。
しかし、私の記憶が始まった時には既に、あらゆる善悪罪過の知識を持っていた。
私の記憶にあるのは、日々三途の川を渡ってくる霊魂を、日々裁く、それだけ。
だから、『閻魔』である自分に疑問を抱いたり、他者に興味を抱くことなど無かった。
だからこそ、彼女は私にとって『新鮮』で『未知』の存在だった。
最初に彼女が配属されてきたとき、少しばかり身体的に優れているな、という印象しか抱かなかった。
やや高い身長、豊かな肉付き、少し癖はあるが長く綺麗な髪。
女性ならまず羨ましさを感じるであろう、と。
しかし、私のその印象は、『まだ他者を見る目が足りない』という自己認識と共に崩された。
彼女は、何故か、『気配り』というか、とにかく他人をよく見ているのだ。
私のように近寄りがたい雰囲気を出している(彼女に言わせれば)相手にも平然と声をかける。
それだけなら、こうも彼女を気にかけることは無かったろう。
そう。
彼女は、生粋の『サボり魔』だったのだ。
私がいくら注意しても仕事をサボっては惰眠を貪る。
たとえ仕事をしたとしても、非常にマイペースと言うか、とにかく遅いのだ。
それでも、周囲の死神の人気は高く、『他の死神のモチベーションのアップに繋がっている』ということで、私も特に問題視していなかった。
実際、私も彼女に影響されたのか、彼女が配属されて以降、部下達に『善行』の推奨を説くようになった。
時には対岸の霊魂にも。
尤も、既に霊魂になってしまった彼らに大した善行など出来ないが、人里に戻って『悪霊』になってしまうことだけはして欲しくない、と感じることが出来るようになったから。
そう。きっと、彼女が来てから私は始めて『他者』に『興味』というものを持ったのだろう。
しかし。
あるとき、彼女は3日連続で欠勤した。『死神の船』は最後に出勤した日に持っていったまま。
全員が心配したが、普段サボって行っているという丘や人里、彼女の家にすら彼女の姿は無かった。
こうなっては上に報告するのも已む無しか、と思っていた時、彼女は何も無かったかのように船で帰ってきた。
皆して喜んだのは言うまでも無い。
しかし、私も上役としての立場と言うものがある。
あまりに遅かったので、問い詰めた。
「生前悪事を重ねた罪深い魂を運んで、その話を聞きながら来た」
彼女はいけしゃあしゃあとそう言ってのけた。
確かに、『非常に罪深い』魂で、それこそ、裁くことすらおこがましいほどではあったが、私は彼女がそう言ったことに驚きを隠せなかった。
そもそも、死後の霊魂は話すことが出来ない。
だから、基本的には一方的にこちらから話しかけるしかないのだ。
浄玻璃の鏡で勝手に相手の過去を覗くのもその故である。
にも拘らず、彼女は「霊魂の話を聞きながら来た」と言った。
それは、彼女の能力を応用し『心の距離』さえ操っているからそんな芸当が出来るのか、単に霊魂の心(そもそも霊魂は精神の固まりだが)を読むのが上手いのか。
しかし、そんなことより私が驚いたのは、「悪事を重ねた罪深い魂を運んできた」こと。
当然、そんな魂を運ぼうとすれば、三途の川幅はかなりのものになる。
普段あれだけ怠惰な彼女が、その川幅を漕いできたのだ。
さらに、死神の中での不文律として、そのような魂は運ばないことになっているのだ。
『三途の川を渡らせない』事自体が罰である、ということもあるし、仕事の能率と言う点でも、彼女のしたことは最早『罪』と断ずることさえ出来る、はずだったのだ。
しかし、私がどう断じようとしても、彼女に「有罪」と言えないのだ。
私は悩んだ。
私情を挟んでしまっているのだろうか。
私はもしかすると閻魔として失格なのではないか。
どれだけ悩んでも答えが出てこず、最早自己嫌悪に陥っていたそんな時、私の悩みの種となった張本人が、何時もの如く能天気な表情で声をかけてきた。
「四季様、ちょっと最近顔が暗いですけど、どうかしましたか?」
「!!まさか、そんなに露骨に出ていましたか!?」
思わず口を滑らせてしまう。
体が強張る。勿論、緊張で。
「やっぱり何かお悩みでしたか……。でも大丈夫です。私以外の船頭は気づいてなかったみたいですよ」
少しほっとする。
部下に心配をかけるようでは本当に上司として論外だから。
「で、何を悩んでおられるのか、聞かせていただけますね?」
……。
予想外の発言。
悩みの種の張本人に言ってしまうのはどうかと思ったが、この期に及んで何も言わないのは良くないし、彼女の目が本気だったので、思い切ってぶつけてみることにした。
「先日貴女はおかしな魂を運んできましたよね?」
ほら、あの罪深い殺し屋の、と補足しておく。仮にも彼女は最低限の仕事はしているはずだから。
「ああ、そうですね」
それが何か、と気楽に返してくる。
少し、いや、結構腹が立つ。なんとか押し殺して続ける。
「あの魂を運んできた貴女の行為、一般的に『罪』と断じられてもおかしくない、ということは自覚していますか?」
「ええ。それはもちろん」
唖然とする。
いや、予想してなかったわけではないが、ここまで堂々と胸を張って『私は罪を犯しました』なんていわれたら、どうすればいいのかわからない。
しかも、彼女は開き直る風でも自棄になった風でもなく、ごく自然に、それこそ、『今日はいい天気だな、サボろうか』と言ったかのようなのだ。
「四季様?どうかしました?」
意識を現に戻すと、間近に彼女の顔があった。
少し動揺するが、また押し殺す。
「それが、私はどうしても解せないのです。貴女のしたことは罪だ。なのに、私は貴女を『有罪』と断じることがどうしても出来ない」
「はぁ」
「小町、教えてくれませんか?
私は、閻魔失格ではないでしょうか。
これは、私情を殺すことが出来ないという、閻魔として根本的に欠けているものがあるからなのではないでしょうか?」
言ってしまった。
恥ずかしい。彼女に私の秘密を知られてしまったようで。
恐ろしい。彼女に「その通りですね」と答えられるかと思うと。
しかし、少しだけ気持ちが楽になるのも感じていた。
不思議なものだ。どういうことなのだろうか。
「四季様ー?聞いてますー?」
…また彼女の話を上の空にしていたようだ。
こちらから相談しておいて態度に問題がある。
「ええ、すいません。少し考え事をしていました。もう一度お願いできますか?」
自然に聞き返し、ふと気づく。
この問いかけは、自らを断罪する言葉を求める問いかけではないか。
彼女の口から「閻魔失格」という言葉を発してもらうための問いかけではないか。
自然と体が強張る。今度は恐怖で。
しかし、彼女の口から発された言葉は、驚くべきものだった。
いや、彼女の口から発されたのは、「言葉」というより、「音」だった。
彼女は口を大きく開き、あろうことか大声で笑い出したのだ。
「あっはっはっは!まさか四季様ともあろう者がなにをそんなに恐れてるんですか。
いや、さっきからこらえて真面目に答えましたけど、もう限界ですよ。クック…」
何がそんなにおかしいのか、彼女は「すいません」とか言いながら、涙目になって笑い続ける。
最初は呆然として見ていただけの私も、あまりに笑い続けるものだから、次第に腹が立ってきて、悔悟の棒でバシバシと叩くことにした。
「なにを笑っているんですか!」という無言の抗議をこめて。
「いやー、すいません」
ようやく立ち直った小町は一言目にそういう。
…全く、結局五分以上笑い続けましたからね、この死神は。
「それで、どうしてそんなに可笑しかったのか、聞かせてもらえますか?」
「そりゃぁ、ねぇ?」
そういうと、先のことがよほど可笑しかったのか、思い出し笑いを始めそうになり、必死で堪える。
「だって、映姫様。普段から『善行』を説く貴女にしてはらしくないケアレスミスじゃないですか」
言われ、考える。
私は確かに裁く余裕の無い霊魂たちに、非番の日に『贖罪』の方法として『善行』を成すことを説き、大罪を犯した魂にもその者が成した『善行』の分だけ罪を軽くすることを重視してきた。
彼女はそれに気づいていたのか、と少し驚き、彼女のほうを見ると、優しげな目をして私を見つめていた。
「っ!」
一瞬呼吸が止まりそうになる。
彼女はあんな優しげな表情を出来たのか。
そう、例えるならば聖母のような、慈愛に満ちた目、というのだろうか。
あの優しげな目で見つめてもらえている私は信じられないほどの幸福者だと思った。
「四季様?お答えはでましたか?」
少し心配そうに聞く小町。
顔が赤くなっている。多分それを心配されたのだろう。
正直、考える能力などどこかに消えてしまっていた。
「すいません。ちょっと思いつきませんね。教えていただけますか?」
「いや、まさか。四季様らしくないですが…、そうですね、だってほら、私が奴らを輪廻の枠にはめてあげたことも、奴らの後悔を聞いて慰めてあげたことも、全部四季様の言う『善行』じゃないですか。
そりゃあ、差し引きすれば無罪判決くらいもらえますよ。ね、簡単でしょう?」
脳天を金槌で殴られたような気がした。
確かに言うとおりだ。
でも、むしろ。
最後の一言を言う時の彼女の笑顔に、私の思考回路は完全に崩壊させられたと言っていい。
まさに……、そう。
『堕天使の』笑み、と言うべきか。
彼女の天真爛漫な笑みに、私の心が一瞬にして別の色に染められるのを感じていた。
「四季様?四季様ー?」
私が意識を引き戻して、至近距離に迫っていた(勿論心配してくれていたのだろうが)小町を真っ赤な顔で怒鳴りつけたのは、それから丸々一刻後のことだった。
あの一件以来、私と小町の関係は、表面上は以前と同じ、怠惰な死神と煩い閻魔のままだ。
しかし、彼女の心はいざしらず、私は以前と同じように彼女に接することが出来なくなってしまった。
恋心。
ふとしたはずみに浮かんでくるこの二文字を必死で消し去る。
彼女には確かに興味を抱いた。しかし、それは『興味』以上になってはいけないのだ。
私は中立。『楽園の閻魔』四季映姫。そう一人念じる。
でも、彼女が私に笑みを向けるたび、話しかけてくるたび、私の心臓は意に反して高鳴るのだ。
かくして、里にある噂が生まれる。
『とある閻魔が非番の日に説教をしに現れる』そうだ。
その噂は、嘘か真か、こんな噂と共に広まっていく。
『一通り説教をした閻魔は、そのあと「恋愛について」いろいろと質問をして去っていく』のだとか。
でもんなもんはかんけぇねぇと思うのです。
何と争いましたかw
閻魔様かわいー
とりあえず現在分に御礼のレスを。
>名前が無い程度の能力のお三方
①やっぱり浮きましたか…。いいアクセントになってくれれば、と密かに思ってはいたのですがね。
次回以降に生かしていきたいな、と思います。
②点数入れ忘れは『よくあること』ですのでお気になさらず。
少しでもほのぼのとした気分になっていただければ幸いです。
③抗争…、これは酷いですね…。
『構想』のつもりだったのですが、「自分の中での所謂『ジャスティス』との抗争時間」ということで一つお見逃し下さい…。
小町×映姫がマイジャスティス!
…あれ?話的には逆…?