自分に会いたいという人が来ている。そう小悪魔から告げられた咲夜が向かったのは応接間、そこで佇んでいた
人影には見覚えがあった。西行寺家のお嬢様のとこの庭師、魂魄 妖夢。意外な来客に、それでもいつものように
完璧な笑顔を浮かべる。
咲夜の気配に気付いた妖夢は、振り返りぺこりとお辞儀をした。
「どうぞ、座って」
「は、はいっ」
やたら緊張した面持ちでソファに腰掛ける半霊の少女。
「紅茶が良いかしら、それとも日本茶が良い?」
「なっ、何でも・・・あ、い、いえ。そそそそれではお言葉に甘えて日本茶でいいですっ」
「あの」
「ひゃ、ひゃいっ」
「そんなに緊張しなくて良いから」
「ひゃいっ」
思わず苦笑しそうになる咲夜。手近なメイド妖精を呼び止め、紅茶と日本茶を持ってくるように指示した。
日本茶をひとすすりしてようやく妖夢は落ち着いたようだった。それを確認して
「ところで、私に用事と言うことだけれども・・・何かしら?」
と咲夜は切り出した。
「は、はい・・・あの、咲夜さん」
「はい?」
「わっ、私をあなたの弟子にしてくださいっ!!」
「ひゃ、ひゃいっ!?」
予想だにしないお願いに瀟洒さが彼方に吹っ飛んだ。しかしそこは咲夜さん。紅茶のカップをひとっ掴みすると
その中身を完全に嚥下することで平静を取り戻す。
「・・・えーっと、妖夢さん。あなたが、私の、その・・・弟子に?」
「はいっ! その・・・迷惑、でしょうか?」
おずおずと上目使いに、若干潤んだ瞳で見つめてくる妖夢。その姿に
―――ああああああこの娘ったらなんて瞳で見つめてくるんでしょう。ヤバイわこれヤバイわこれヤバイっスよぉぉぉ!
お嬢様のように幼さを高貴さにコーティングしたあのギャップも私のハートにビックンビックン来るんですけれでもハイ
これは来ましたー! 別のベクトルから歩いてきましたー! なにこの雨の日捨てられた子犬光線は! ガード
不能よこんなのってかむしろ自分から食らいに行ってやるわぁーッ!! レェェェッツラゴォォォォォッ!!―――
咲夜崩壊中。
「め、迷惑だなんてことはないわよ」
あ、復帰した。
「それでは、いいんですね!」
「えぇ。でも」
咲夜はようやく真剣な表情を完全に取り戻しつつ一度言葉を切り妖夢を見据える。真っ向から見返す妖夢の
視線。それを受けてふ、と笑みを漏らしたメイドさん。
「私の指導は厳しいけど、絶対に従ってもらうわ。・・・覚悟はよろしくて?」
「はい!」
キッチンにすらりと立つ咲夜は妖夢を待っている。待ちながらキッチンにいくつもの道具を用意していた。やがて
入り口から誰か入ってくる音がする。
「あ、あの・・・着替えました・・・けど」
そこにはメイド服に身を包み、顔・・・と言うか耳まで真っ赤にした半霊の少女がいた。いつもと同じなのはリボンの
付いたヘアバンドくらいなものか。そして少女はポツリとつぶやいた。
「は、はずかしい・・・」
―――くっ・・・・・・はぁ~~~ッッッ!!! 今、今この娘なんて言いました。なんて言いましたかね!?
は、はずかしい・・・ ですって!? っっっきゃーーーっ!!! 可愛いっ可愛すぎるっ今時メイド服で恥ずかしい
だなんてなんて清楚なのかしらなんて可憐なのかしら。いいわいいわ良過ぎるぜぇぇぇっっっ! 染めたい。私の色に
染めたい。このままお持ち帰りしてあんなことやらそんなことして戻れない道に二人三脚で光速で突っ込むわよ!
いいわね! 行くわよ! GOGOGOGO! ―――
再度咲夜崩壊中。
「・・・恥ずかしがらなくっていいわ。似合ってるわよ」
笑顔で何とか戻ってこれたようだ。たぶんかなりやばかった。吹き出そうな鼻血を根性で止めつつ、咲夜は
妖夢を招く。
「さて、まず貴女に教えることは・・・紅茶の淹れ方ね」
「こ、紅茶ですか?」
「そうよ。紅茶は全ての基本。これができなければ・・・悪いけど見込みはないわね」
「うっ」
咲夜の言葉に一瞬怪訝な顔をした妖夢だが、見込みがないと言われるわけにはいかない。ぴしっと背筋を伸ばし
咲夜に従事する姿勢をとった。
「じゃあ始めるけど、よろしくて?」
「はい! よろしくお願い致します!」
よし、と咲夜は頷くと勝手口から妖夢と共に外に出た。そこにはポンプ式の井戸がある。
「水、って一見全て同じようで違うもの。それはわかる?」
「ええと・・・」
妖夢はそれが何かの問答かとも思った。実際は言葉どおりの意味なのだが。考え込む妖夢を見て咲夜は
答えを口にする。
「硬水と軟水って言ってね。何が違うかって言うとミネラル・・・水の中に溶け出した鉱物分とでも言うのかしら。それが
多いのが硬水。これでは美味しい紅茶が淹れられないのよね。幸い幻想郷のほとんどの水が紅茶に合う軟水だから
問題はないのだけれど。当然、この井戸の水も軟水よ」
「は、はい」
妖夢はすでに目を白黒させている。白玉楼の井戸は軟水だろうか。そもそもそれをどうやって調べるのだろうか。
「じゃ、水を汲んで」
一瞬思索に流されそうなところを、咲夜の声で我に返る。はい、と一つ返事をして持ってきた薬缶を置き、
ぎっこぎっことポンプを動かすと綺麗な水が出てくる。それを丁寧に入れていったのだが、
「あぁ、それではダメね」
「えっ!? 私、何か間違えました!?」
予期せぬ否定の声に驚く妖夢。特段何かやらかしたつもりもなかったのだが・・・。
「間違えたっていうか・・・そうね、見てて」
妖夢と場所を入れ替わった咲夜。ポンプの取っ手を握ると
「・・・はああああああっ!」
ゴガゴガと音がするほどポンプを激しく上下に動かす。凄い勢いで薬缶に水が溜まっていく。
「わわわ、い、いいんですか咲夜さん?!」
あまりの迫力に妖夢はたじろぐ。今の姿は紅茶にある優雅なイメージとはまるでかけ離れているからだ。ガコン、と
ポンプを止め、額の汗をぬぐいながら咲夜は良い笑顔で答える。
「えぇ。いいのよ。こうしないと美味しい紅茶を淹れる為の水にならないもの。酸素が混ざるから、とか逆にガスが
抜けるから、とかいわれてるけれど実際は私もよくは知らない。けど、こうやって入れた水とそうでない水とはやはり
味が違うのよね」
「な、成る程・・・」
「さて、ここからはスピードよ。急いでキッチンに戻るわ」
コンロの火は燃え盛り、その上の薬缶も蓋が跳ねるほど熱せられている。中はぶくぶくと泡立つほど湯が煮沸されて
いるだろう。咲夜はそれを引っつかむと、空のポットとカップに入れ始めた。
「これはね」
後ろで清聴している半霊の少女に一連の流れを説明する。
「紅茶は熱いお茶でないといけないの。それこそ本当に煮立ったお茶でね。沸かしすぎるのも良くはないけど、
煮立ったお湯じゃないとダメなのは確かね」
「はい。・・・では、空のポットにお湯を入れるのもそれと関係あるんですね」
「ええ、そうよ」
振り返るとメモ帳片手に、口をへの字にして妖夢が真剣な眼差しで咲夜を見ていた。
―――はうっ。いいわ。良いわその表情も!! そうここのメイドでこんな眼をして私の話を聞いてくれる娘なんて
いないんだものいないんだもの! それがこの真剣な眼でうああああああ刺さる刺さる心に刺さる熔ける熔ける
心が熔けるうううっ!!! びっくんびっくんっ♪ まぢかる咲夜ちゃんはーとがびっきゅんびっきゅんっ♪ この流れは
わかったわ! この娘に調きょ・・・ゴホン。指導を徹底しちゃったりなんかしちゃったりして私の頼れる右腕として
常に横に侍らせて「咲夜お姉様」だなんて呼ばせたりしてくぅぅぅぅぅぅ~~~ッ!―――
本日三度目。
「・・・なかなか、鋭いわね。そういうのは咲夜お姉さん、好きよ」
「おねえ・・・?」
「なんでもないわっ! そ、そうね、空のポットやカップに熱湯を入れるのも結局お茶を入れたときにそれらが冷えて
いてはせっかく入れたお湯が冷めてしまうでしょう? そうすると紅茶の味が落ちてしまうからなのよね」
ふう、やれやれなんとかごまかせたわねってな感じで大きく溜息をつくパーフェクトメイド。しかし妄想漏れてますよ
若干。いやかなり。しかし、
「成る程! 参考になりますっ」
と真面目な妖夢が咲夜の桃色放射能に気付く様子はなかった。超らっきー。そんなことを思いながらポットの
熱さを確認して湯を捨てる咲夜。すぐさま茶葉を用意する。
「あなたもダージリンとかアッサムだとかの銘柄は聞いたことがあるでしょう? これもそれぞれ説明したいところだけれど・・・
今回は一番分りやすいダージリンを使いましょう。茶葉に関してはともかく新しいものを使うことね。もったいないなんて
ずっと使わないで置くと醗酵が進んでとても飲めたものじゃなくなるわ。せっかくの美味しいお茶ですもの、美味しいうちにいただきましょう」
「はい!」
新しい紅茶缶を空けると、ふわぁっと甘ささえ感じる芳香が広がった。しかし咲夜はその香りを逃がすのも惜しい
かのようにティースプーンで茶葉を掻き出しポットに投げ込む。かと思いきや次の瞬間には薬缶から熱湯が茶葉の
上に降り注いでいた。時を止めたわけではない。動きに無駄が無さ過ぎるだけである。それら一連の流れはあまりに淀みなく速やかに行われたために、妖夢を持ってしてもぽかんと見つめることしか
できないでいた。
それを意に介さないかのごとく、咲夜は円を描くようにポットを二度ほど回してからテーブルにことりと置く。
「これからしばらく蒸らしに入るけど・・・。って、どうしたの? そんな萌えm・・・可愛らしい顔して」
萌え萌えとか言うな。しかし、若干惚けたような表情の半霊の少女は、確かにその手の人が見たらお持ち帰り
されそうなくらい可愛らしい雰囲気を漂わせていた。この場合のその手の人に今紅茶を淹れているメイドさんが
含まれるかの考察はここではしないでおく事にしよう。
そのお持ち帰りされそうな少女、
「あ、いえ・・・。あまりに手際が良かったもので、言葉をかける機会を失ってしまいました・・・」
としょんぼりする。
「あら。それでは今から聞きましょうか?」
一瞬抱きしめてしまいそうになった衝動をどうにかこうにか理性が押さえ込んだようだ。奇跡だ。そんな奇跡の
メイドは微笑みつつしゃなりとキッチンの椅子に腰掛け、そして妖夢にも座るように促す。
「えっと・・・まず、茶葉の量なんですけれど。あまり早くてよくわからなかったので・・・」
「この一人用のポットの場合、基本的にはティースプーンに山盛りいっぱい。4グラムくらいかしら。けど、こればかりは
慣れね」
「慣れ、ですか」
「そう。紅茶をお出しする人の好み、その時のお気持ち、一緒にお出しするお菓子の種類、その日の天候、お出し
する時間・・・様々な要因を理解してその時の量を決めるの」
「当然、目分量ですよね? ・・・はぁ、難しそうだなぁ」
溜息をついて肩まで落とす半霊の少女。傍らの霊体までしょんぼりとしているかのようだ。しかし、
「あなたなら、そう難しいことではないのじゃないかしら?」
と咲夜。え、と視線を上げた妖夢に優しい笑みを向ける。
「あなたの持っている楼観剣・・・でしたっけ?」
「はい、あと白楼剣もありますけど」
「ともかくその剣ね」
ともかくって・・・、と呟く剣術少女をひとまず置いておいて
「あなたもあんな長い剣を最初からうまく扱えたわけではないのでしょう?」
「まぁ・・・はい」
聞く咲夜。妖夢のいまいち気の入らない返事を聞いて続ける。
「でも、今は上手に扱うことができている。あなたとしてはまだまだと言うかもしれないけれど、前に対峙した私の
目からすればあなたは十分なあの剣の使い手よ、それはどうやってそうなったの?」
「それは毎日修行して・・・・・・。あ!」
得心した妖夢。その表情を見て微笑み頷く咲夜。
「それと、一緒よ」
「はい! それでは続き、よろしいですか?」
咲夜は手元の懐中時計を見る。まだ、大丈夫。確信して
「どうぞ」
と促した。
「お湯の温度は100度、温かくないといけないのはわかります。蒸らすというのは・・・」
「あぁ、わかりやすくいうと抽出ね。そりゃぁお茶ですから」
「成る程。ところで咲夜さんが先ほどからずっと時計を見てらっしゃるんですが、やはり時間が肝要なのですね」
実のところ咲夜はお湯をポットに注いだ時から懐中時計を取り出していた。妖夢もそれに大きな意味がある
だろうことに気付いていた。
「えぇ、そう。今使った茶葉はオレンジペコーといって一番上質な茶葉を形を残したままのもの。他のもっと砕けた
茶葉を使えば抽出する時間は短くなるけれど、この場合はおおよそ・・・」
ぱちりと懐中時計の蓋を閉めて立ち上がる咲夜。妖夢もそれを追って立とうとするが、咲夜はそれを手で制す。
制しながらポットに近づき、
「3分から5分、もちろんこれもその日の全ての要因で違ってくるわ。それを知るのも」
「剣と同じ」
「そうそう」
言ってお互いくすりと微笑みあう。咲夜の手がポットに伸び、暖めておいた別のポットへ深くも透明な飴色の液体を
半分ほど淹れる。一拍置きくるくると円を描くと、残りを全て、最後の一滴まで淹れきった。
「そして、ね。この最後の一滴まで淹れないと本当に美味しい紅茶って言うのは完成しないの」
「画竜点睛ですね」
「まぁ・・・そう精神的な意味で捉えなくても、その最後の一滴にまで美味しさが詰まってるからね」
「あ、そうなんですか」
お茶である以上抽出するわけで最後の一滴とはまさに紅茶の甘露が全て詰まったものである。そこまで淹れ
切ってはじめてそこに”紅茶”が存在するわけとなる。しかし、当然これで終わりではない。
「妖夢さん。ストレートティーでいいわね?」
「あ、えぇっと。・・・え、私に淹れて下さったんですか?」
「そうよ」
驚いた目をする半霊の少女。その表情にくすりとしつつ咲夜はカップを手元に用意する。
「ところで・・・一番最初に出した日本茶はどうだった? 美味しかった? 正直に教えていただけると嬉しいん
だけれど」
「ええと・・・少し、渋かったんですけど・・・」
「そう」
ならこんなところかな、とカップに紅茶を注ぎ、そこに指し湯をする。
「お砂糖は?」
「入れてください」
飴色の泉に白い立方体が飛び込み崩れ消えていく。妖精のようだわ、と咲夜は思った。もっともこの世界の
妖精は儚いどころか結構タフだけれど。そんなことも思いつつスプーンで泉に円の流れを作り、つぃ、と妖夢の前に
差し出した。
「さぁ、召し上がれ」
「ありがとうございます。では・・・いただきます」
目の前に置かれた白磁の陶器。ほんのりとくゆる白い湯気の向こうには、甘い香りの紅茶が飲まれるのをいまや
遅しと待っている。そして白磁の色に負けずとも劣らない白さの指が、カップの取っ手にかかった。
持ち上がった先に待つ雨に濡れた桜色を思わせる唇がそっと泉に触れた。
かちりと音を立ててカップが皿に置かれる。その音と重なるようにしてふぅ、と甘い息。続いて来たのは・・・沈黙で
あった。完全さと瀟洒さが売りのメイドさんは笑顔は崩さないが、実のところをいうと思っていた反応ではなかったので
内心焦っている。半霊の少女の顔を少しだけ覗き込むと、なんだか難しい顔をして
いた。あれ、美味しくなかった?
だとしたらお姉様と呼ばせる計画も・・・じゃない、今までやってきたことが水の泡になり自分の見立てが相当甘かった
ことになってしまう。しまう、とまで思った時点でもう一つ、ミスがなかったのならこの少女の性格を考えて思い
当たった疑念を直接ぶつけてみた。
「もしかして・・・言葉を選んでる?」
その言葉で少女は目を丸くし、
「あ、あの・・・えっと・・・」
わたわたした。その反応に咲夜は噴き出しそうになるのを何とかこらえる。分りやすいことこの上ない。西行寺の
お嬢様がついからかってしまうのも自明の理といったところか。
「そういう時はね、自分の思ったままを言えばいいのよ」
妖夢の視線が、まるで許可を貰うように注がれる。微笑の返答。妖夢のこわばりが消え、
「美味しかったです、すごく」
にっこりと秋空のように澄み切った笑顔を浮かべた。その反応に咲夜は噴き出しそうになるのを何とかこらえる。ただし
今度は鼻血だが。ぐっとこらえて
「そう、その一言を貰うために、その笑顔のために。たかが紅茶されど紅茶。・・・あなたなら、もう私が何を言いたいか
分るわよね」
「・・・はい!」
告げた言葉に、半霊の少女も晴々と答えた。人に仕えるもの同士の言わずとも分る領域、とでも言うのだろうか。
「ちなみに。ミルクティーならダージリンでなくアッサムを。入れる牛乳は新鮮でかつ殺菌のために暖めるなら沸騰させずに
低い温度で暖めたものを使うように。そして出す前に冷やしておくべきね」
「あ、はい」
紅魔館には香霖堂から購入した”冷蔵庫”がある。そこには氷室からがっつりと切り出し、咲夜の能力で溶ける
速度をコントロールした氷を入れることで奇跡的に本来の使用法を満たしている。そのおかげでいつでも冷たい
ものが出せるという寸法らしい。もっとも普通の氷室でもよかろうものだがそこはお嬢様の気まぐれかパチュリーの
興味本位ということにしておこう。
「他にも紅茶は色々あるけれど、その辺は今度またじっくりと。ということで・・・」
「と、いうことで・・・?」
「さぁ、妖夢さん。今から私のために紅茶を一杯淹れていただけないかしら?」
「は、はいぃ!?」
驚く妖夢を尻目に、そこには瀟洒で完全で、ついでにいうと断ることを許さない笑顔があった。
「遅い!」
「は、はいぃ!」
「今度は早すぎる! メモはきっちりしてたのでしょうっ!?」
「はいぃ」
「あぁもうそんなおぼつかない足取りで! 剣術家が聞いてあきれるわ! 歩き始めた赤子の方がまだマシよ!」
「そ、そんなぁ」
「はいやりなおーし」
「こ、これで12回目だ・・・」
「13回目よ! ぐずぐず言わずさっさとやる! それとも白玉楼に泣いて帰る!?」
「や、やります。やらせてください」
「お前はチルノか!」
「がーん」
「がーん、って実際言うひとはじめて見た」
「うわぁん」
「それでは、いただきます」
「・・・・・・ど・・・う・・・ぞ・・・・・・めし・・・あげぇっふげっふ」
優雅に椅子に腰掛けティーカップを持ち上げている咲夜。一方妖夢はというと疲労困憊ここに極まれりといった
具合で地面に両手と両膝をついて俗に言う失意体前屈。あまりの疲労のためか召し上がれとも言えずに盛大に
むせた。肩で息をする死にかけの半霊少女を見ながら、それでもあくまで瀟洒にカップの中の液体に口をつける咲夜。
静かに、ゆっくりと嚥下する。その度に何とか生き返った…半分は霊だが、そんな少女
がテーブルを、まるで絶壁でも
登るかのごとく這い上がっていく。
「そうね。100点満点で点数をつけるなら…」
「…。なら?」
「30点」
ごぐしゃぁっ。そんな音を立てて半霊の少女が滑落し、床に突っ伏した。
「あらどうしたの?」
さして気にするでもない体で咲夜は問いかける。当然妖夢が瀕死の状態であるのが今の点数にあるのを知って
でだ。耳を澄ますと
「さんじゅって・・・さんじゅってん・・・」
といういまわの際にしてはちょっと小粋すぎる呻き声がしている。さすがにキッチンで勝手に死んでもらっては困るので
「こぉら!」
「ひゃんっ!?」
ぱぁんとお尻をはたいた。これがあと数秒でも遅ければこまっちゃんにご対面タイムだったのだろうか。ともあれ妖夢は
ゆるゆると起き上がる。
「・・・30点・・・」
「あぁもう。しっかりしなさい。まさか最初からそんなに良い点数もらえるだなんて思ってたの?」
「75点くらいは」
「・・・あなたも何気にいい性格してるわ」
はぁぁ、と盛大に溜息をついて妖夢に向き直り諭すように言い放つ。
「いい? ここで私が温情で良い点数を上げても何もなりはしないわ。あなたのことだから研鑽するのはするでしょう。
けれど、75点あげたらあなたは25点分研鑽して止まってしまう。なんとなくそういう気がするのよ」
「なんとなく・・・ですか」
少し不機嫌そうな声を出してしまう妖夢。しかし咲夜からそう言われるとそうなのかもしれないとも思う。あの紅茶の
味、一緒にいたほんの少しの時間で自分好みの味を出せる彼女が人の見る目がないとは到底思えないからだ。
紅魔館のメイド長という仕事を任されているのもそういう部分があってのことだろう。妖夢の言葉を聞き終えて、更に
咲夜は続ける。厳しい言葉の次にはフォローを入れるのも長たるものの勤めだ。
「それにね、最初で30点もとれる子なんかそうはいないわ。もし、あなたが西行寺のお嬢様に紅茶を淹れようとする、
そういう知った相手の場合なら今の手順でも・・・最高とは言えないにしろ、そこそこ美味しいお茶が淹れられるはず。
それは誇っていいものよ?」
とあるメイド妖精は紅茶を淹れろと指示したらタールに鯉とウグイをつっこんだものを創作してきたこともある。アートと
しては結構いけるわね、と思いつつ軽くシメておいたなぁ。そんなことを思い返す咲夜の目の前で、半霊の少女の
顔にみるみる明るさが戻っていく。
「そしてお客様となる全ての人に100点満点の紅茶が淹れられるよう研鑽努力する。あなたならできるわ、がんばって」
「・・・はい! ありがとうございます!!」
ぺこりと頭を下げる少女を、咲夜は優しい笑みで見つめていた。手元の懐中時計に目をやる。このかわいい
弟子にはまだまだ色々と教えることができそうだ。
「さて、次はスコーンの作り方よ!」
「す、すこーん!?」
「もたもたしない!」
「ひゃぁぁ」
「この鉄板であなたは刀でも打つ気?」
「あああああ・・・」
「その物体Xは何? それからスコーンが作れるなら私は私専用のお嬢様をもう一人作れるわよ!」
「そんな無茶な・・・」
「はいやりなおし。カウントはもうやめたわ」
「・・・みょん」
「み、みょん?」
「みょんみょん!!」
「鳴くな! ポ○モンか!」
「え、いま分っててノってくれたんじゃないですか!?」
「なんでやねん! 思わず関西弁で突っ込むわよ!」
「それではいただきます・・・って、聞いてる?」
ほっこりと焼けた菓子を片手に流石に心配そうな視線を下にやる咲夜。失意体前屈を通り越して顔面まで床に
ついている。その格好はもう年頃の女の子がしていいものかどうか怪しいが、しかしあれだけのスパルタの後、そう
責める言葉はかけられまい。
咲夜の声には妖夢の半霊部分がこくこくと頷いていた。それを肯定の行動と受けてスコーンを一口齧る。
「あら? これは・・・」
もう一口。
「・・・意外と美味しいわね」
「本当ですか!? 実は結構お菓子なんか作るのは自信があるんですよ!!」
「うん。点数でいうと35点」
がばと起き上がった妖夢が点数を聞いたとたんにべちりと地面に墜落した。しばらく何かもごもごとつぶやいていた
ようだが尻を叩かれるより早く復活、
「わかりましたっ!! あと75点! あと75点分精進しますっ!!」
と握り拳たかだかに宣言し、
「ええ、その意気よ。でも、100点満点ならあと65点ね」
「数学は苦手ですっ!」
見事なツッコミを入れられた。
「さて・・・と。次はどうしましょうかしら」
時計と睨めっこしながら咲夜は考える。
「ベッドメイキングかしら、それとも・・・」
「あ、あの!」
思案投げ首なメイド長、しかしその思索を中断するかのようにかわいい弟子志望の少女が声を出す。それには
若干の焦燥の色が感じられた。
「教示してくださっている咲夜さんには無礼に当ると思いますが、一つお聞きしたいことが!」
「なぁに?」
「いったいいつになったら武術を教えてくださるのですか?」
「ぶじゅつ?」
真剣な表情の妖夢の言葉に目を点にする咲夜。そんな表情のメイド長はなかなかお目にかかれたものではない。
しかもネコ口で普段とのギャップもあって結構かわいい。ともあれそれぐらい唐突で、一瞬では理解できない言葉
だったようだ。
「あぁ・・・踊りの」
「違いますよぅ。咲夜さんもけっこう地口が好きですね」
「地口って・・・。え、ちょっと待って。武術ってあの殴ったり蹴ったりする」
「投げたり関節を極めたりもします」
うん、と意気揚々に胸を張る妖夢。しかし咲夜は未だに完全に理解したとは程遠い表情を浮かべている。
そしてそのまま
「妖夢さん・・・。私、そこまで肉弾戦は得意ではないんだけれど」
と言った。そしてその言葉を受けて
「は?」
妖夢の目も点になりネコ口。こういう空気はお互い二頭身化がよく似合う。いくばくかの楽しい沈黙の時を過ごして、
ようやく二人ははっと我に返る。
「あの」
「あの」
あぁええとそちらからどうぞいえいえお構いなくそちらから。そんなジャパニーズなやり取りの後咲夜が口を開く。
「どうやらお互い凄い勘違いをしているようね」
「はい。私もそんな気がしてきました」
お互いなんともいえない表情で向き合う。
「私はあなたが弟子にしてくれ、って言うものだからてっきり西行寺のお嬢様のためにメイド・・・従者として修行を
積みにきたかと思ったのだけれど」
「ちちち違いますよう。私は剣が無い時の事も考えて武術を修めようと思い立ちまして、風の噂に聞いた紅魔館に
いる武術の達人が咲夜さんかなと思ったんです。お一人で白玉楼に立ち向かわれたくらいですし」
「さっきも言ったけれど私は白兵戦はどちらかというと苦手。あなたの言ってる達人っておそらくうちの門番の美鈴の
事だと思うんだけれど・・・。あれ? 会わなかった?」
妖夢の性格を考えて相手を確認せずいきなり上空から、三魂七魄ッとか叫びながら攻撃を叩き込んだりする
事はないだろう。辻斬りが趣味などという噂話は目の前にいる少女を見るととても思えないし。考え込む咲夜に
申し訳なさそうな声がかかる。
「あの・・・確かに門番さんはいらっしゃいました。けれど・・・どうもお昼寝の真っ最中だったらしくて。起こそうかな、とも
思いましたけれどあんなに幸せそうな寝顔を見てしまうとそれも悪いかなぁって。それで行儀は悪いとは思いつつ、
そのまま中にお邪魔させていただいたんですけど・・・」
「ほう」
途端に咲夜から怒気殺気交じりの妖しい力が巻き起こる。その迫力に妖夢は
(・・・や、やっぱり咲夜さんの方が強そうに見えます・・・)
と思ったとか。
「ごめんなさいね。私もきちんと聞けばよかったのに。あなたに無駄な時間を使わせてしまって」
「いえそんなことは・・・」
夕なの茜色に染まる紅魔館。あのあと色々あって咲夜は妖夢を見送っている。ちなみに色々のほぼ九割は銀色と
紅色に塗れて地面に伏した門番娘を見れば何も言わずとも想像はつく。
「あの子なら大丈夫よ。明日にはけろっと治ってるわ」
「はぁ・・・」
まさに人知を超えた回復力、といっても妖怪で武術の達人。そういうこともあるのかもしれない。視線を咲夜に
戻し、妖夢は告げなくてはいけない言葉を伝える。
「先ほどの事ですけど、咲夜さんが気にする事はまったくないんですよ」
「え・・・?」
暮れる夕日に共に染まる半霊の少女の声にはまったくの本心からのもの。どうしてだろうか。少女は武術を習う
つもりで、しかし覚えたのはまるで正反対の紅茶の淹れ方と焼き菓子の作り方。
「確かに、今日は武術を習う事はできませんでした。けれど、咲夜さんからとても素敵な事を教わりましたし」
言葉は返せない咲夜。まだ少女の本意がつかめない。
「紅魔館には武術の達人と、完全で瀟洒なメイドさんがいると聞いています。私はその両方に教えを受けたかったん
ですよ。先の人にはもちろん武術を、そして」
半霊の少女が顔を上げた。澄んだ瞳で完全で瀟洒なメイドを見つめる。
「後者の方には、人に仕えるものとしてのあり方を。思っていた順番とは違いましたけれどそれは叶いました。
咲夜さんと一緒にいた時間は本当に為になりましたし・・・何より楽しかったです! 本当に、ありがとうございますっ」
穢れのないその笑顔に
―――ぶぱっ―――
妄想の余地すらなく、滝のような鼻血で咲夜は分りやすい胸の内を吐露した。
「ひゃあああ!? さ、咲夜さんっ!?」
「大丈夫気にしないで。こんなのはここでは日常茶飯事よ」
美しい笑みのままハンカチで鼻を押さえる咲夜。白い布は見る見るうちに真っ赤に染まっていく。それを見ながら
妖夢は思う。これが日常茶飯事だとすると今後ろの方で地面に真っ赤な絵を描いている門番さんもそうなのだろうか。
あぁ、だからここは紅魔館って言うんだろうなぁ、などときっちり天然っぷりを発揮している感じもする。ちなみにこの
館の図書館には喘息にしてはそれは危険なくらい口から血を吐いてませんか、というような魔法使いもいるので・・・
あれ? やっぱりあながち紅魔館の名前の理由はそういうところにあるのかも。
そんな益体もない事を思っていると、いつの間にか鼻血を止めた咲夜が優しい笑みと共に立っている。メイド服も
おろしたての物になっているところを見ると時間を止めて着替えてきたことは明白だろう。律儀なことだ。
「お見苦しいところを見せてしまったわね。・・・そうね、あなたがよかったらまたいらっしゃいな。私が教えられることは
まだいくらでもあるし、美鈴も無意味にあなたの願いを断るようなことはしないわ」
「はい。ぜひそのときはよろしくお願いします!」
日が落ちれば帰り道も少々難儀なことがあるかもしれない。咲夜が送り出すと、妖夢は名残惜しそうではあったが、
ぺこりとお辞儀をして夕焼けの空に身を躍らせた。そのお辞儀に手を振って返す咲夜。落ちる太陽がその光景を
暖かく見ていた。
「ただいま戻りましたっ。遅くなってすみません」
「う~~~。妖夢ぅ~~~お腹すいた~~~。幽々子お腹すき過ぎて死んじゃう~~~」
白玉楼の主はあまり人には見せられない格好でごろごろしていた。けれど妖夢はそれを咎められない。なぜなら、
「幽々子さま、もう死んで・・・って、もしかして私の事待ってらっしゃったんですか?! 適当にお手伝いの霊に
配膳させればよかったじゃありませんか?!」
「だって一人のご飯はおいしくないのですもん~」
ごろごろしつつもここの主は健気なことを言うのだ。
「わ、わかりました! 今すぐご用意しますのでごろごろするのをお止めください」
「は~~~い。ところで妖夢?」
「はい、何でしょう?」
いそいそと炊事場に向かおうとした妖夢を引き止める幽々子。きちんと正座するとなるほど良家の令嬢そのものだ。
「どうでした?」
何が、などを言うまでもない主従関係は築いている。
「はい。お紅茶の淹れ方と焼き菓子の作り方を学んでまいりました」
「あら~。最近の武術は美味しそうなのね。私も学んじゃおうかしら?」
普通は予想された答えより90度ほど捩れた答えが飛んでくれば少しなりともうろたえるのだろうが、西行寺の
お嬢様の肝の据わり方は尋常ではない。もしくは流れに身を任せる方法を知っているのか。妖夢もそれに慣れて
いるので特段妙な反応をするわけでもなく、
「お嬢様は食べる専門じゃないですか。・・・いいです。今日遅くなりましたお詫びに、明日のおやつは紅茶と
焼き菓子にいたしますね」
と返した。帰りがけに咲夜からは茶葉とお菓子の材料をお土産に貰っている。一度は断りつつも、お嬢様に作って
おあげなさいと言われては頂くより他にない。
「あら! それは明日が楽しみね。どのくらいのものか採点しちゃおうかしら」
「うう・・・採点はもう良いです・・・。それではお嬢様、準備してきます」
てて、と炊事場に向かう妖夢。もう少しすれば二人だけの、しかし楽しい夕餉の時間となるのだろう。明日に
なれば妖夢お手製のお菓子もある。あの子はまた紅魔館を訪れそこで交流を深めるだろう。それはとても良いこと。
色々な思いを浮かべつつ、西行寺 幽々子は満月の光のような笑みを浮かべるのであった。
脳内の桃色な妄想も面白かった。
この二人のお話はタイムリーな感じ。次回作も期待しています。
沸騰させると酸素が抜けて茶葉が泳がないんだ
すると渋い紅茶になっちまうんだぜ。
ほのぼのとした感じのいいお話でしたw
次の作品も期待して待ってます。
ゆゆ様の台詞ならちょっとへんかな?
頭の中が春満開なメイド長に吹いたw
できれば妖夢とメーリンのからみも見たかったです。
やはり咲夜さんはその特徴があるから・・・!!
じ、次回作期待しないで期待しててくださいませ・・・っ
>18番さま
ぎゃぁぁぁ。
でも貴方のおかげでこの作品見て紅茶淹れようとした人が失敗しなくてすみますので
いやもうありがたい限り。
白を信用するのはてゐを信用するのに似たりというのが分った一瞬でした。
>22番さま
ありがとうございますー。
次がほのぼのになるかどうかは神の味噌汁。
>23番さま
幽々子嬢のカリスマを何とかする方法は失敗に終わったのであった・・・ッ!
(遁走)
美鈴と妖夢はもしかしたら書くかもです。
それはそれとして妖夢が初々しくて良い感じです。